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2008/05/31 [Sat] 17:03:30 » E d i t
長崎市長射殺事件については、「長崎市長射殺事件:長崎地裁平成20年5月26日判決は、「民主主義を根幹から揺るがす犯行」として死刑に~長崎地裁判決の問題点を検討する」(2008/05/28 [Wed] 23:53:58)で一度触れていますが、秀逸な論説がありましたので、再び触れてみたいと思います。


1.長崎地裁が死刑判決を下したことについては、多くの新聞社が社説で取り上げ、しかも全面的に肯定する扱いでした。その各新聞社の社説を一部引用しておきます。もっとも、全国紙では、毎日新聞だけは社説で取り上げていません。

市長殺害死刑―テロへの怒りを新たに

 殺された人が1人の場合、死刑判決はめったにない。あえて死刑を選んだ理由として、長崎地裁は次のように述べた。

 男は市役所に不当な要求を繰り返して拒まれたため、市長を逆恨みした。市長を殺して当選を阻止し、自らの力を誇示しようと考えた。暴力によって、選挙運動と政治活動の自由を永遠に奪い、有権者の選挙権の行使も妨害した。これは民主主義を根幹から揺るがす犯行だ。到底許しがたい――。

 暴力で言論や政治活動を封じようというのは、民主主義に対するテロである。裁判官はテロの社会的な影響の深刻さを重く見て、いまある刑罰の中で最も重い死刑を選んだということだろう。厳罰化の流れが背景にあるとはいえ、そうしたテロに対する厳しい姿勢は十分うなずけるものだ。(中略)

 今回の事件をきっかけに、暴力団対策法が改正された。行政の許認可への介入や入札への参加を要求する行為にも中止命令などを出せることになった。警察は行政と連携を強め、あらゆる法令を使って、暴力団を排除していってもらいたい。

 テロを憎み、暴力団を追いつめる。今回の判決を機に、その思いを新たにしたい。」(朝日新聞2008年05月27日(火曜日)付「社説」




長崎市長射殺 「選挙テロ」に下った死刑判決(5月27日付・読売社説)

 犯行の悪質さや動機の理不尽さを考えれば、極刑以外の選択はあり得なかったのだろう。

 昨年4月、当時の伊藤一長・長崎市長を射殺したとして殺人罪などに問われた元暴力団幹部の被告に、長崎地裁は死刑判決を言い渡した。

 伊藤市長は4選を目指して市長選に出馬中だった。検察側は「選挙テロ」だと主張していた。判決も、暴力によって選挙運動と政治活動の自由を永遠に奪った、「民主主義社会において到底許し難い」犯行だったと指摘した。

 長崎市に難癖をつけては不当に資金を得ようとしたものの、ことごとく拒絶されたことが市長を恨んだ動機だったという。」(読売新聞2008年5月27日付「社説」



社説2 市長射殺に死刑判決の意味(5/27)

 今回の事件はどうか。動機は先に書いたとおり、身勝手なばかりか極めて反社会的だ。人命だけでなく、民主主義を保障する制度である自由な選挙と、公正な行政が、ともども標的にされたと言える。

 「犯行の態様」も、反社会的存在というほかない暴力団の幹部が、所持そのものが違法である拳銃を使った点で、甚だ悪質だ。社会的影響は、あれこれ指摘するまでもない。

 長崎での事件の4年半前、やはり選挙で公職に選ばれた政治家の石井紘基・民主党衆院議員が刺殺され国民を暗然とさせた。犯人の右翼団体代表は1審の無期懲役が最高裁で確定している。1審判決後、石井議員の妻は「愚劣な暴力行為に断固たる態度がとれない日本の司法に不満を感じる」と述べた。

 長崎の犯人は石井事件の判決を見て「日本の司法はテロ行為に断固たる態度をとれない」などと高をくくって同種の凶行に及んだ、ということはないのだろうか。

 死刑の適用には慎重な検討が要るのは論をまたない。今回の死刑判決は、民主主義を暴力で突き崩そうとするテロに厳しく対処する社会の意志を示すものと考えたい。」 (日経新聞平成20年5月27日付「社説」



どれも「民主主義を根幹から揺るがす犯行」だとか、「民主主義を保障する制度である自由な選挙と、公正な行政が、ともども標的にされた」とか、「テロ行為」だとか指摘して、死刑判決を妥当と理解しています。日経新聞にいたっては、「長崎の犯人は石井事件の判決を見て『日本の司法はテロ行為に断固たる態度をとれない』などと高をくくって同種の凶行に及んだ、ということはないのだろうか」などと、何の客観的証拠もない憶測まで繰り広げる始末です。

しかし、この事件は、本当に民主主義社会へのテロ行為と呼ぶような性格のものだったのでしょうか? 

この長崎地裁判決について、作家の村薫さんは疑問を抱いており、その論説を朝日新聞平成20年5月29日付「私の視点―ワイド―」で掲載していましたので、紹介したいと思います。



2.朝日新聞平成20年5月29日付朝刊15面「私の視点―ワイド―」

◆長崎市長射殺に死刑判決 民主主義への脅威なのか 

高村薫(たかむら・かおる)・作家

 先の長崎市長選に立候補していた現職市長が選挙期間中に暴力団幹部に射殺された事件で、長崎地裁はこの元幹部に死刑を言い渡した。判決いわく「民主主義を根幹から揺るがす犯行」であり、「被害者が1人であることを考慮しても極刑はやむを得ない」ということであるが、これには強い違和感を覚えた。

 この事件は、ほんとうに民主主義社会へのテロ行為と呼ぶような性格のものだったか。事件発生当時から、被告が市内の建設会社を活動の資金源としていたことや、市の発注工事の受注ができずに会社の資金繰りが悪化していたことが報じられた。事件の直接のきっかけは、この会社が市の中小企業向け融資を受けられなかったことを巡り、市に不正があったとして地検に告発までしたものの不起訴処分とされたことのようである。判決では、市にも相手にされなかった被告が市長を逆恨みしたとされたが、この経緯と「民主主義への脅威」への間には、いくらか距離があるように思われる。

 被告が市の公共工事で食べてきた暴力団幹部だったという事実が教えているのは、まずは、地方自治体の公共工事をめぐる長年の不透明な官民癒着の構造である。近年、自治体の財政圧縮が進み、公共工事の予算がいや応なしに削られるなかで、この不透明な構造がかつてのように機能しなくなっているのは、容易に想像がつく。業界団体や暴力団のなかで利益を配分する仕組みが崩れているいま、そこからあぶれて行き場を失った者をつなぎとめておく力も、もはや働かないということである。

 そんななか、地方では暴力団ならでの思考回路だけが残されているのではないか。これまでの分け前にあずかれなくなって食い詰めた暴力団員は、なんらかの落とし前をつけずにはいられまい。そうして悪いのは市長だ、政治家だという短絡に走ったのではあるまいか。

 実際、裁判でも、そうした地方の公共工事をめぐる従来の仕組みの崩壊以上の背景は見えてこなかったはずである。とすれば、刑事裁判である以上、緻密に判断すべきは、被告が事件を起こすに至った経緯のほうだろう。被告がどのように公共事業にかかわり、どのようなつながりで仕事にありつき、それがどのようにして行き詰まったのか。そして、なぜ市長を殺そうと決意したのか。要は動機の追及であるが、地裁判決は、これを被告の短絡的な逆恨みと断定しつつ、民主主義への脅威と結びつけた。これは明らかに論理の飛躍であろう。

 判決は、事件が選挙期間中に起きた点を重視したようであるが、そこに至る動機よりも選挙妨害という結果を前面に押し出した判断は、はたして妥当なのだろうか。死刑判決の是非の前に、何よりも刑事裁判で、こうした恣意(しい)的な判断がまかり通ることに危機感を覚える。これが裁判員でなく、職業裁判官の判断だという点も深刻である。

 これまで日本の裁判は、緻密な司法で知られてきた。判例は判例に過ぎない半面、時代によって揺れ動く世論に対して一定の「枠」を示すことで、公平さを保ってきたとも言える。この公平さこそ民主主義社会の基礎であり、厳罰化を求める法務省と世論の意向に合わせて恣意的に判断基準を変えることが民主主義なのではないと思う。

 行政訴訟や公害訴訟、薬害訴訟などではなかなか民主主義を標榜(ひょうぼう)しない裁判所が、なぜ刑事裁判で民主主義を唱えるか。気味悪い判決だと私は思った。」




(1) 事件発生当時から出ていた背景は、被告人が「融資などをめぐって市とトラブルになっていた経緯」であり、選挙妨害を直接意図して行った犯罪ではありませんでした。

 「この事件は、ほんとうに民主主義社会へのテロ行為と呼ぶような性格のものだったか。事件発生当時から、被告が市内の建設会社を活動の資金源としていたことや、市の発注工事の受注ができずに会社の資金繰りが悪化していたことが報じられた。事件の直接のきっかけは、この会社が市の中小企業向け融資を受けられなかったことを巡り、市に不正があったとして地検に告発までしたものの不起訴処分とされたことのようである。判決では、市にも相手にされなかった被告が市長を逆恨みしたとされたが、この経緯と「民主主義への脅威」への間には、いくらか距離があるように思われる。

 被告が市の公共工事で食べてきた暴力団幹部だったという事実が教えているのは、まずは、地方自治体の公共工事をめぐる長年の不透明な官民癒着の構造である。近年、自治体の財政圧縮が進み、公共工事の予算がいや応なしに削られるなかで、この不透明な構造がかつてのように機能しなくなっているのは、容易に想像がつく。業界団体や暴力団のなかで利益を配分する仕組みが崩れているいま、そこからあぶれて行き場を失った者をつなぎとめておく力も、もはや働かないということである。(中略)

 実際、裁判でも、そうした地方の公共工事をめぐる従来の仕組みの崩壊以上の背景は見えてこなかったはずである。とすれば、刑事裁判である以上、緻密に判断すべきは、被告が事件を起こすに至った経緯のほうだろう。被告がどのように公共事業にかかわり、どのようなつながりで仕事にありつき、それがどのようにして行き詰まったのか。そして、なぜ市長を殺そうと決意したのか。要は動機の追及であるが、地裁判決は、これを被告の短絡的な逆恨みと断定しつつ、民主主義への脅威と結びつけた。これは明らかに論理の飛躍であろう。」


「事件の直接のきっかけは、この会社が市の中小企業向け融資を受けられなかったことを巡り、市に不正があったとして地検に告発までしたものの不起訴処分とされたことのようで」あり、地方自治体の公共工事をめぐる長年の不透明な官民癒着の構造が崩壊し、追い詰められた挙句の犯行という図式が想像でき、結局は、「裁判でも、そうした地方の公共工事をめぐる従来の仕組みの崩壊以上の背景は見えてこなかった」のです。

ですから、この事件は、「民主主義社会へのテロ行為と呼ぶような性格のもの」ではなかったのです。

それなのに、判決では、「民主主義を根幹から揺るがす犯行」であると断じたのです。村薫さんは、「地裁判決は、これを被告の短絡的な逆恨みと断定しつつ、民主主義への脅威と結びつけた。これは明らかに論理の飛躍であろう」と厳しく批判していますが、実に真っ当な批判であると思います。

こうした論理の飛躍のある判決だからこそ、田上富久・長崎市長は、「動機など事件の真相が十分に解明されておらず、残念」と語り、当時、市秘書課長だった古賀隆一郎・市教委総務課長(53)は「『なぜ銃殺されたのか』がよく分からず、すっきりしない」と述べるような結果になってしまうのです(読売新聞平成20年5月27日付朝刊34面)。

かりに、この事件は行政対象暴力であることを重視した判決であるとしても、公判前整理手続きで取り上げられていないことなどを理由に、被告人にほとんど発言の機会が与えられることなく、被告が事件を起こすに至った経緯は十分に解明されないままだったのです。これでは、どうやって行政対象暴力に至らずに済ませるかという対処ができません。判決がいくら「行政対象暴力として類例のない極めて悪質な犯行」と述べてみても、それは単なるお題目を述べただけの意味でしかないのです。



(2) 長崎地裁判決は、「暴力によって被選挙人の選挙運動と政治活動の自由を永遠に奪うとともに、選挙民の選挙権の行使を著しく妨害し、民主主義の根幹を揺るがす犯行」と述べ、「選挙妨害という結果を前面」に出しています。しかし、選挙妨害という点は、死刑か否かの判断基準では重視すべき事情としてでていないのです。

 「判決は、事件が選挙期間中に起きた点を重視したようであるが、そこに至る動機よりも選挙妨害という結果を前面に押し出した判断は、はたして妥当なのだろうか。死刑判決の是非の前に、何よりも刑事裁判で、こうした恣意(しい)的な判断がまかり通ることに危機感を覚える。これが裁判員でなく、職業裁判官の判断だという点も深刻である。

 これまで日本の裁判は、緻密な司法で知られてきた。判例は判例に過ぎない半面、時代によって揺れ動く世論に対して一定の「枠」を示すことで、公平さを保ってきたとも言える。この公平さこそ民主主義社会の基礎であり、厳罰化を求める法務省と世論の意向に合わせて恣意的に判断基準を変えることが民主主義なのではないと思う。

 行政訴訟や公害訴訟、薬害訴訟などではなかなか民主主義を標榜(ひょうぼう)しない裁判所が、なぜ刑事裁判で民主主義を唱えるか。気味悪い判決だと私は思った。」


「長崎市長射殺事件:長崎地裁平成20年5月26日判決は、「民主主義を根幹から揺るがす犯行」として死刑に~長崎地裁判決の問題点を検討する」(2008/05/28 [Wed] 23:53:58)で述べたように、選挙の自由妨害行為(公職選挙法第225条〔選挙の自由妨害罪〕について、言い換えれば、民主主義の根幹を揺るがす行為については、「4年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金」にすぎないのです。ですから、「選挙妨害という結果」を前面に押し出してみても、死刑という重罰を科す根拠としてはあまりにも乏しいのです。

村薫さんは、「死刑判決の是非の前に、何よりも刑事裁判で、こうした恣意(しい)的な判断がまかり通ることに危機感を覚える。これが裁判員でなく、職業裁判官の判断だという点も深刻である」とし、「厳罰化を求める法務省と世論の意向に合わせて恣意的に判断基準を変えることが民主主義なのではない」と批判していますが、これもまた実に真っ当な批判だと思います。


「行政訴訟や公害訴訟、薬害訴訟などではなかなか民主主義を標榜(ひょうぼう)しない裁判所が、なぜ刑事裁判で民主主義を唱えるか。気味悪い判決だと私は思った。」


民主主義を重視すべきと標榜する判決がどれほどあったのだろうかと、思います。民主主義を強調して死刑が妥当と断じることは、あまりにも唐突です。村薫さんの「気味悪い判決」という真情には心から同意します。




3.長崎地裁判決は、「被害者は約12年間、長崎市長を務め、被爆都市の市長として世界に平和を訴え続けてきた」と指摘していますが、そうした経歴をあえて指摘しておきながら死刑判決という結果にしたことは妥当だったのでしょうか? 朝日新聞平成20年5月31日付朝刊16面「声」欄への投書から一部引用しておきます。

前市長の判決を前市長は喜ぶか

 私は前市長とは面識がありませんが、国連演説などの場を通じて平和を訴え続けた業績に心から敬服し、卑劣な犯行には激しい怒りを持っています。と同時に、私は今回の判決に疑問を感じずにいられません。

 前市長が身を賭して訴えた「核廃絶、世界平和」の根底には、人命をはじめ生きとし生ける者の命を何よりも大切にすること、「殺(や)られたら殺りかえす」という報復の論理を断ち切ることの重要性があると思います。

 前市長がもし、自分を殺害した人間が今度は国家により命を奪われようとしていることを知れば、どう思うでしょう。

 裁判員制度実施を目前に、鳩山法相の下で死刑執行が相次ぎ、厳罰主義が持てはやされ、まるで世間に刃向かう者は殺されて当然との風潮が横行することを危惧(きぐ)するのは私だけでしょうか。」


広島・長崎への原爆投下は、多数の市民の殺害をも狙った大量虐殺行為です。それを十分に分かっていながら、前市長は「核廃絶、世界平和」を訴えていたのです。その「核廃絶、世界平和」の根底には、「人命をはじめ生きとし生ける者の命を何よりも大切にすること、『殺(や)られたら殺りかえす』という報復の論理を断ち切ることの重要性がある」といえます。

「殺害に対しては死刑を科す」という論理は、『殺(や)られたら殺りかえす』という報復の論理そのものであり、前市長が訴えていた「核廃絶、世界平和」の根底と相容れません。前市長の判決を前市長は喜ぶのでしょうか。少なくとも、「被害者は約12年間、長崎市長を務め、被爆都市の市長として世界に平和を訴え続けてきた」とあえて指摘しておきながら、死刑判決という結果にしたことについては、論理矛盾を感じ、どうしても違和感を抱いてしまうのです。


長崎市長射殺事件についての長崎地裁平成20年5月26日判決は、多くの問題点をはらんでいる判決だと感じています。

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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コメント
この記事へのコメント
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2008/05/31 Sat 18:12:47
| #[ 編集 ]
私がとても信頼しているジャーナリスト神保哲生と社会学者宮台真司のネット放送で、死刑に関する深くて高い議論が視られますよ。(http://www.videonews.com/
2008/06/01 Sun 06:43:44
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
私は、思想信条を動機とするのがテロと考えているのだが、この犯人の行為をテロと呼ぶのはテロリストに対して失礼。
分別の無い、たわけ者金欠やくざの凶行に過ぎない。 “何たら主義”を持ち出さねばならない話ではない。
こういう大衆迎合的判決が増えるのは死刑存置派にとっていい迷惑。
2008/06/01 Sun 11:10:14
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
お願いのこと
 この判決は、大変に気になっていました。一応、判決要旨と三つだったかの新聞記事をHPにあげたのですが、このエントリーのような内容は、どこにもありませんでした。高村さんはFORUM90なんかでも優れた発言を続けていらっしゃいました。春霞さんの論説とセットで、も~最高!ですので、HPへ転載させて戴けませんか。
 ところで、本日エントリーした記事内容ですが、終身刑創設の法案通過に影を落とすような、そんな風に感じました。また、相も変わらず
>日本の無期懲役は、10年以上の服役で仮釈放が可能となる。
 にも、うんざりです。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/f3cda9532ab69e3ec2672b9d5fd12311
2008/06/02 Mon 09:26:25
URL | ゆうこ #mQop/nM.[ 編集 ]
>rice_showerさん:2008/06/01 Sun 06:43:44・2008/06/01 Sun 11:10:14
コメントありがとうございます。


>ジャーナリスト神保哲生と社会学者宮台真司のネット放送で、死刑に関する深くて高い議論が視られますよ。(http://www.videonews.com/

情報ありがとうございます。実に有意義な放送です。宮台さんも、作家の高村さんの朝日新聞での論説を紹介して評価してましたので、やはり注目に値する内容だったようです。

大半の先進国が死刑を廃止しているのは、被害者(遺族)の感情的な回復がある程度できていること、事件当事者以外は感情論と死刑制度の法的合理性が別問題であると理解できていること、など。ぜひ聞くべきネット放送だと思いました。


>私は、思想信条を動機とするのがテロと考えているのだが、この犯人の行為をテロと呼ぶのはテロリストに対して失礼

そうですね。「テロ」という感じではないです。報道機関は、裁判の経過を十分に知っているのですから、テロというほどの行為とは言えないと分かるはずなのですけどね。それなのに、やたらと「テロ、テロ」と書いているので、違和感があります。


>分別の無い、たわけ者金欠やくざの凶行に過ぎない。 “何たら主義”を持ち出さねばならない話ではない

そのとおりですね。判決の事案を知れば、「民主主義」を持ち出すなんて大げさ過ぎです。民主主義という思想で死刑にするのも怖さを感じます。他のブログに書いてあったことですが、民主主義を名目として他国に武力介入する米国と、考え方としてはさほど変わらないですね、この判決は。

選挙期間中に殺害したら、民主主義の根幹を揺るがすとして、死刑にするのならば、最初から結論は決まっているわけで、裁判で事実認定する必要はありません。実に雑な判決だと思います。裁判員制度が実施されると、よりスピード審理となり、こうした雑な判決が増えるのでしょうね。


>こういう大衆迎合的判決が増えるのは死刑存置派にとっていい迷惑

現在、死刑を存置している以上、死刑判決がでることはやむを得ないとはいえ、「大衆迎合的」に死刑判決にしてしまうと、もはや裁判は私刑(リンチ)と変わりません。死刑廃止側としては、死刑存置がますます怖くなる判決だと感じました。

報道機関の多くが、この判決を歓迎しているのも唖然とします。明確な批判の声をあげているのは、作家の高村薫さん、ジャーナリスト神保哲生さん、社会学者宮台真司さんぐらいですから、言論人の地盤低下も甚だしいです。
2008/06/02 Mon 23:07:57
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
>ゆうこさん:2008/06/02 Mon 09:26:25(6月3日:少し追記しました)
コメントありがとうございます。


>このエントリーのような内容は、どこにもありませんでした

そうですね。確かに今回の判決に対する評価として、高村薫さんの論説ほど優れたものは見当たりません。この判決は厳しく批判されるべきものだったのに、批判している文章は、高村さんだけなのですから、一層、危機感を感じます。

民主主義という思想で死刑にすること自体、反射的に拒否感があったのですけどね。民主主義は自由や命を守るものであって、奪うものではないのですから。


>HPへ転載させて戴けませんか

ありがとうございます。宜しくお願いします。


>本日エントリーした記事内容ですが、終身刑創設の法案通過に影を落とすような、そんな風に感じました。また、相も変わらず
>>日本の無期懲役は、10年以上の服役で仮釈放が可能となる。
>にも、うんざりです

読売新聞の記事ですね。情報ありがとうございます。とうとう「仮釈放者の平均入所期間は初めて30年を超えた」のですね。長くなりましたね……。

「日本の無期懲役は、10年以上の服役で仮釈放が可能」というのは、法律の文言上は確かにそのとおりです。しかし、30年を超えてしまい、終身刑になっているという現実と大きく差異があるのですから、「10年以上の服役で仮釈放が可能」という条文はないに等しいのであって、実に妙な感じの記事です。
2008/06/02 Mon 23:10:37
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
この国の人々には“国家は暴力装置である”という認識が薄いのです。
暴力装置というと剣呑ですが、言い換えれば強制執行力でしょうか。 これが無ければ国家の体を為さないのは言うまでもありませんが、これが法理を逸脱し、権力者の恣意により、または思慮を欠いた世論の俗情の噴き上がりを受けて発動される状況、それこそ民主主義の危機(衆愚政治への堕落)なのですがね。

高村さんは大好きな作家ですが(私のベストは『レディ・ジョーカー』)、女性とは思えない骨太の文体で男の暴力を描ける人。 暴力の魔力を知っているからこそ、暴力装置たる公権力の横暴に敏感なのでしょう。 (神戸の震災を体験して以降、暴力を描けなくなった、と社会派ミステリーを書かなくなってしまわれたのは残念)
2008/06/03 Tue 10:17:51
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
うぅーん、個人的にこの事件は「民主主義」マターのレベルに引き上げて論じるケースではないとは感じているのですが、そういう論点設定が的外れか、思惑ずくかと言えば、必ずしもそうではないように思います。

先に春霞さんは「なぜ行政だけ特別?」という問題意識を明らかにしておいででしたが、行政に限らず司法も立法も、つまり『この民主国家日本』の基本的な仕組みに関わるシステムを物理的暴力で歪めようとする犯罪に対しては、私は厳格な対処が必要だと感じますので「特別」で構わない(法ののりを超えない範囲で、ですが)と思います。制度防衛、社会防衛の観点からの感想です。

これを、行政とマルボーの「癒着」を等閑視している(つまり「被害者側の落ち度」を度外視している)とすることも可能かもしれませんが、その点を考慮に入れることは逆に「社会制度対象暴力」の側に一定の理を与える論拠にもなりかねず、私は賛成できません。
2008/06/03 Tue 10:41:40
URL | 惰眠 #Oy5awZbQ[ 編集 ]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008/06/03 Tue 14:49:37
| #[ 編集 ]
>非公開コメントの方へ:2008/06/03 Tue 14:49:37
情報ありがとうございます。非公開コメントなので、幾らか修正して引用します。


>批判している文章ならここにもありますね。
http://www.love-nippon.com/4_kikai2008.htm#130

ああ! そうでした! ありがとうございます! 田中康夫氏も述べていましたね。他のブログでも田中氏の判例批評を見かけたのにすっかり失念していました。

田中氏の場合、言論人というよりも、前長野県知事、新党日本代表で、参議院議員という経歴を積み重ねているため、つい政治家の発言のような意識になってました(汗)。

それにしても長崎地裁判決を批判する言論人が少ないですよね。死刑を存置廃止といった議論とは関係なく、判決のおかしさを指摘できないなんて、いったいどうなっているのだろうかと、実に不可思議でなりません。
2008/06/04 Wed 07:34:17
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
>rice_showerさん:2008/06/03 Tue 10:17:51
コメントありがとうございます。


>これが法理を逸脱し、権力者の恣意により、または思慮を欠いた世論の俗情の噴き上がりを受けて発動される状況、それこそ民主主義の危機(衆愚政治への堕落)なのですがね

そのとおりだと思います。いまや裁判所(司法権)も、冷静さを欠いてやたらと死刑を叫ぶ世論に流されてしまうのですから、「衆愚政治への堕落」を憂う意識は乏しいのでしょうね……。


>高村さんは大好きな作家です
>神戸の震災を体験して以降、暴力を描けなくなった、と社会派ミステリーを書かなくなってしまわれたのは残念

残念に思う方はかなりいますね。rice_showerさんもそのお一人でしたか。でも、大震災が原因となれば、納得するしかないかなと思います。

社会派ミステリーを書かなくなったおかげか分かりませんが、社会時評を次々と発表されていますので、個人的には、それはそれで喜んでいます。鋭い判例批評・社会批評を行う能力がある方は、ごくわずかですから。判例批評であっても、高村薫さんの方がテレビなどでコメントしている法律家・学者よりも、鋭く説得的です。法律業界全体が地盤沈下していることも原因があるのでしょうけど。
2008/06/05 Thu 06:29:21
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
>惰眠さん:2008/06/03 Tue 10:41:40
コメントありがとうございます。


>個人的にこの事件は「民主主義」マターのレベルに引き上げて論じるケースではないとは感じているのですが、そういう論点設定が的外れか、思惑ずくかと言えば、必ずしもそうではないように思います

高村さんの論説は妥当でないということですか? 実に秀逸な論説だと思いますけどね。


>行政に限らず司法も立法も、つまり『この民主国家日本』の基本的な仕組みに関わるシステムを物理的暴力で歪めようとする犯罪に対しては、私は厳格な対処が必要だと感じますので「特別」で構わない(法ののりを超えない範囲で、ですが)と思います。
>制度防衛、社会防衛の観点からの感想

今回の問題は行政対象暴力の問題ですから、それに限定して議論すべきです。この問題について、「行政に限らず司法も立法も、つまり『この民主国家日本』の基本的な仕組みに関わるシステム」への侵害なのだと捉えるとすると、その犯罪名は内乱罪(刑法77条)になってしまいますよ。オーバーすぎます。

となると、オーバーな部分を取り去るとすると、惰眠さんの意図は、行政を特別扱いして、行政対象暴力に対しては、死刑という重罰で犯罪抑止・防衛しようということなのだと思います。

個人に限らず行政に対しても犯罪に遭わないように、犯罪を抑止することは必要です。国家権力側としては、際限なく行政に対する防衛を強化したい意識があるでしょうから、国家権力側としては、惰眠さんの意見は大歓迎でしょう。国民がみな惰眠さんの意見に賛成するなら、国家権力側としては小躍りして喜ぶのではないでしょうか。

さて、よく考えてみると、なるべく犯罪を未然に阻止し、発生しないような策を講じることこそが大事です。個人のレベルですと、その対策は高が知れているのですが、行政機関や裁判所となると、常に警備員が配置されていたりするなど、犯罪阻止の対策は公費という資力に困ることなく、行うことができるわけです。言い換えると、犯罪抑止の観点では、すでに国家機関や地方自治体は特別扱いされているわけです。

そして、国家機関や地方自治体は、何かトラブル・犯罪が生じれば、その後は、一層、手立てを公費でできてしまうわけです。これに対して個人では、個人の資力で自己防衛するしかなく、あとは警察になんとか頼むしかないのです。

そうすると、こう言うことができます。国家機関や地方自治体は犯罪阻止のために十分な資力・能力があり特別扱いされているのだから、死刑という重罰で犯罪抑止・防衛しなくても対処でき、犯罪実行後、刑事裁判において量刑においても行政を特別扱いする必要はないはずである、と。

刑罰において、民間業務と行政業務を比較して、行政の方がより特別扱いするほど価値が重いのか、民間人よりも市長の方が命が重いのかなど、犯罪被害者の遺族側でなくても、納得しがたいでしょうね。「地方自治体の公共工事をめぐる長年の不透明な官民癒着の構造」が背景にあるとなると余計に。

ですので、「行政は特別で構わない」という考えには賛成しかねます。
2008/06/05 Thu 06:51:23
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
>高村さんの論説は妥当でないということですか?
そうではありません。
新聞報道がこぞって取り上げる「民主主義への云々」を第一義に掲げることに疑義はあるが、しかしながら「民主主義云々」を切り口にすることも可能ではある、と言う意味です。

>惰眠さんの意図は、行政を特別扱いして、行政対象暴力に対しては、死刑という重罰で犯罪抑止・防衛しようということなのだと思います
それも違います。
司法、行政、立法というシステムのフレーム・ワークは、その運用者(権力者)がどうこうと言う側面とは別に、システムであるがゆえに一層慎重に守らなければならないと言う意味です。
家庭内暴力少年が部屋の中で暴れまわるのと、家の柱を切り倒そうとし始めるのとでは、危険度が異なります。
言い換えれば、公務中の警察官が「警察官として」殺害された場合と、非番の警察官が「一個人として」殺害された場合とでは、社会システムへの敵対度が異なるということです。
それを「死刑をもって抑止」云々は全く別の話です。

資力の点で言えば私企業も同じです。さらに公費に関しては常に議会承認と言う「民主主義的手続き」によるチェックが設けられていますので、幾らでも好き勝手に増額できるものではありません。
と言うか、行政機関と言う「システム」に関わる問題を、国家権力なる「イデオロジカル」ないしは「ポリティカル」なタームに置き換えられるのは不本意極まります。

>国家機関や地方自治体は犯罪阻止のために十分な資力・能力があり特別扱いされている

にも拘らず、そのディフェンスをかいくぐるほど強く明確な犯意を持って社会システムの破壊を企んだわけですから、非難の度合いは一層高いと言うことも可能です。

公権力の行使者の動向に注意が必要なのはもちろんですが、パブリック・アフェアーへの敵対行為をプライベートのそれよりも重大視しなければならないのは、パブリックが「国家権力・公権力」だからではなく、その組織体(国家とか地方自治体とか、もっと広汎には「社会」)に属する「みんな」に関わる事柄だからです。一個人に関わる「ローカル」な問題に留まらないからです。

PCウイルスでも、個別ファイルを破壊するのもOSを破壊するのも「迷惑」と言う点で同じとしても、発生する被害程度、危険度は大きく異なり、後者の方がより問題が大きいのではないでしょうか。
2008/06/05 Thu 12:44:53
URL | 惰眠 #Oy5awZbQ[ 編集 ]
遺族への配慮は?
本公判に関しては、前市長のご遺族の方が「あっという間に判決が下ってしまった印象があり、事件の内容を詳しく理解することができなかった」という意味のことをおっしゃっていたのが印象的でした(ソースは失念しました。大変失礼いたしました)いずれにしても、最近よく言われてる「遺族感情への配慮」がまったくのウソにすぎないことは、ご遺族のこの言葉で明らかであるといえるかと思います。
事件そのものは高村氏もおっしゃってるような公共事業に関する政財の癒着という側面もあり、また被告がいわゆる「日本会議」に関連していたということも考えれば、この事件は非常に政治的な様相を帯びてるのですが。「民主主義」云々の空疎な文句は、そういった点を公にしないためにあるのか?と言いたくなりますが…。
2008/06/08 Sun 13:05:11
URL | mash #-[ 編集 ]
>惰眠さん:2008/06/05 Thu 12:44:53
コメントありがとうございます。お返事が遅くなってすみません。


>司法、行政、立法というシステムのフレーム・ワークは、その運用者(権力者)がどうこうと言う側面とは別に、システムであるがゆえに一層慎重に守らなければならないと言う意味です。
>言い換えれば、公務中の警察官が「警察官として」殺害された場合と、非番の警察官が「一個人として」殺害された場合とでは、社会システムへの敵対度が異なるということです。

公務中での警察官殺害は、公務執行妨害罪と殺人罪が適用されます。これに対して、非番の警察官が「一個人として」殺害された場合は、公務執行妨害罪は適用されず、殺人罪のみの適用です。刑法的評価が明文上、異なるのです。

今回の事件では、市政の業務中ではなく、選挙中での市長の殺害ですから、惰眠さんの例で言えば非番の警察官が「一個人として」殺害された場合と同じです。ですから、裁判で重罰の評価をすることには疑問だということです。

「システムであるがゆえに一層慎重」であると考えたとしても、現行法上の法的評価として違いが出ていないのに、現行法上を前提とする裁判で、重く評価することは問題があるのです。惰眠さんの立場は、解釈論ではなく、立法論を主張しているように思えます。


>資力の点で言えば私企業も同じです

私が対比として問題としたのは、企業ではなく、暴力団被害で殺害された「個人」です。


>>国家機関や地方自治体は犯罪阻止のために十分な資力・能力があり特別扱いされている
>にも拘らず、そのディフェンスをかいくぐるほど強く明確な犯意を持って社会システムの破壊を企んだわけですから、非難の度合いは一層高いと言うことも可能です。

「非難の度合いは一層高い」としても、これに対して重罰化で対応するのは解釈論ではなく立法論ですよね?  

この裁判は、行政対象暴力だけが問題となっているのに、なぜ「社会システムの破壊」と扱い、裁判以外のことまで含めてしまうのですか? 判例評論ではないということでしょうか? 裁判と関係なく、そして行政対象暴力と関係なく、内乱罪などの問題を述べているのならば、惰眠さんのご意見も理解できるですが。

行政対象暴力は、民事介入暴力の一種であり、対象によって、市民対象暴力、企業対象暴力、行政対象暴力に分かれており、対象による特殊性はありますが、対応や姿勢としては基本的に同じです。このように民事と行政とで違いがあるわけではないのです。なのに量刑で勝手に重罰化することはもちろん、行政だから重罰化する規定を創設するのも、どうにも不可解です。

市民や企業を対象とした民事介入暴力と異なり、行政対象暴力は、ずっと癒着構造があったためか、いままで対応が不十分でした。ですから、行政対象暴力自体への対応を図るのが先決であって、重罰化はその後でしょう。刑罰法規の謙抑性は行政の場合にも妥当すると思うのです。
2008/06/08 Sun 18:44:49
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
論争を望むわけではないのですが・・・

『市政の業務中ではなく、選挙中での市長の殺害ですから』
いや、市長職にあるものが、まさにその肩書きであるがゆえに殺害された事例ですので、「個人としての被害」ではないでしょう。市長が落選後に、在職中の施政について「恨み」を買って殺害されたのだとすれば微妙なところですが。

刑事司法の「形式論」で言えば、適用罰条の違いの次元に問題を還元することは可能です。しかし、同一の罰条の中で「量刑判断」をするにあたって、先の例で言えば「公務中の警察官と非番の警察官」では、前者に対する攻撃のほうが「単に個人に向けられたものではない」分だけ悪質性が高いのではないでしょうか。

私企業を持ち出したのは、春霞さんが「資力」を話に持ち込んだからです。別に、そこらの小金持ちでも構いません。はっきり言ってしまえば、警護体制に投入できるファイナンスは問題を論ずる要素にならないと考えています。

『「非難の度合いは一層高い」としても』
――立法論ですか?量刑判断の問題だと私は思っていましたが。
適用罰条のリミットを、いまよりも厳しくするべしと言うのであればそれは立法論の次元ですが、法199条の範囲で量刑判断を行うことが、立法論なのでしょうか。私はそうは思いません。

『この裁判は、行政対象暴力だけが問題となっているのに』
行政と言うのは、顕在化した社会システムの執行装置の一つです。「市政についての不満を、市長に対する暴力で」解消せんとするのは定められた『民主的手続き』をまったく無視し、社会システムとして機能している行政のプロセスを破壊するものじゃあないんでしょうか?
まさか、行政と暴力団は従前癒着関係があったからこういう殺害事件も含めて「通常の行政執務には織り込み済みの事象」とご主張なさるのでしょうか。

市民対象、企業対象の場合、事象は二者間のプライベートでローカルに留まります。行政が『威力』にゆがめられた場合、問題は行政担当者と不当請求者の二者ローカルの問題に留めることはできません。
上記二者を含め行政対象のそれも『ミンボー』のくくりで扱われますが、実も蓋もない言い方をすればそれは「どのようにカテゴライズするか」だけの話に過ぎないのではないでしょうか。

2008/06/09 Mon 12:17:51
URL | 惰眠 #Oy5awZbQ[ 編集 ]
>mashさん:2008/06/08 Sun 13:05:11
コメントありがとうございます。


>本公判に関しては、前市長のご遺族の方が「あっという間に判決が下ってしまった印象があり、事件の内容を詳しく理解することができなかった」という意味のことをおっしゃっていたのが印象的でした
>最近よく言われてる「遺族感情への配慮」がまったくのウソにすぎないことは、ご遺族のこの言葉で明らかであるといえるかと思います。

そうですね。被害者遺族の横尾誠さんは「心の整理が追いつかないまま、審理だけが早かった。遺族は蚊帳の外に置いていかれたような印象」とも述べています(東京新聞平成20年5月27日付朝刊27面)。
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1163.html

死刑を望むという被害者遺族の希望はかなったのですが、事案の真相を知りたいという肝心な点は分からず、蚊帳の外では、いくらなんでもと思います。裁判所にとっては、重罰にしたいとき「被害者感情」を持ち出すだけで、肝心な被害者はどうでもいいことがよく分かります。


>事件そのものは高村氏もおっしゃってるような公共事業に関する政財の癒着という側面もあり、また被告がいわゆる「日本会議」に関連していたということも考えれば、この事件は非常に政治的な様相を帯びてるのですが。「民主主義」云々の空疎な文句は、そういった点を公にしないためにあるのか?と言いたくなりますが…。

どうなんでしょうね。公判前整理手続きで取り上げられていないことなどを理由に、公判では、被告人の発言の機会はほとんどなかったため、言い分が分からないままでした。これでは、政治的な様相があったのか、もう全く分かりません。

「『民主主義』云々の空疎な文句は、そういった点を公にしないため」だったのか否かも分からずじまいです。行政対象暴力の事案だとはいえ、なぜ市長を狙ったのか短絡的過ぎて、色々憶測するしかないのですが。
2008/06/10 Tue 23:59:24
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
>惰眠さん:2008/06/09 Mon 12:17:51
コメントありがとうございます。


>論争を望むわけではないのですが・・・

あら? 楽しく論争!?しているのですから、こちらとしては全く構いません。


>市長職にあるものが、まさにその肩書きであるがゆえに殺害された事例ですので、「個人としての被害」ではないでしょう
>同一の罰条の中で「量刑判断」をするにあたって

被害者の肩書きによって殺人罪の法定刑が明文上異なっているのならば、量刑も変わるでしょう。しかし、現行刑法は、被害者の地位により命に差をつけていないのです。(尊属殺人罪も削除されてますし)

被害者の地位により、量刑上、重罰化できるとなれば、地位により生命の序列をつけることになるため、憲法14条(平等原則)違反のおそれが生じます。なぜなら、すべての人に何らかの地位があり、命の価値は誰でも同等ですから、地位の種類如何により命に差異をつけることには合理性性がないからです。

同じ殺人罪でも、被害者の地位次第により正面から重罰化を認めるのならば、明文なく地位による加重類型を認めることになり、罪刑法定主義に反するように感じます。もっとも、職業に貴賎はあるとして、こっそり重罰化することはあるでしょうけど(^^ゞ 惰眠さんのように正面から地位による重罰化を認めるのは難しいのでは?


>「公務中の警察官と非番の警察官」では、前者に対する攻撃のほうが「単に個人に向けられたものではない」分だけ悪質性が高いのではないでしょうか。

警察官は犯人と対峙するなど、元々、危険に晒されているわけで、公務中であれば危険に対応する防御や犯人を制圧できる装備も備えています。もし、警察官が犯人に対し容易くやられてしまうようだと、かえって警察官が非難されてしまうでしょう。

十分な装備を備えた「公務中の警察官」を狙う犯人と、無防備な「非番の警察官」を狙う犯人とでは、後者の方が非難されるのではないでしょうか。老人や子供といった弱い立場を狙う方が非難されるのと同じだと思うのです。もちろん、公務中の警察官を後ろから狙うとなれば、別ですけど。


>私企業を持ち出したのは、春霞さんが「資力」を話に持ち込んだからです。別に、そこらの小金持ちでも構いません。はっきり言ってしまえば、警護体制に投入できるファイナンスは問題を論ずる要素にならないと考えています。

資力の大小により犯罪に巻き込まれる可能性が変わるので、それなりに対応する必要がある、ということです。ごくごく普通のことだと思いますけどね~。例えば、大企業や銀行の場合にはケチったりせずに警備を整えますよね。

行政は長年の癒着構造を断ち切ろうとしているため抵抗を生んでいるわけで、金を出す余力があるのが行政なので、狙われやすい状況です。ですから、行政対象暴力に対して行政もそれなりの対応をするべきだろうということです。


>適用罰条のリミットを、いまよりも厳しくするべしと言うのであればそれは立法論の次元ですが、法199条の範囲で量刑判断を行うことが、立法論なのでしょうか。私はそうは思いません。

刑法199条(殺人罪)の法定刑からすれば、1人殺害でも死刑や無期懲役も可能です。明文上は。しかし、幅のある法定刑ゆえに、死刑の判断基準(永山基準)があり、それに従って判断することで法的安定性・公平性を確保できるわけです。

死刑の判断基準や過去の事例からすれば、1人殺害で殺人罪のみで死刑になるのは異例です。ほとんどが強盗殺人や身代金目的での誘拐・殺人の場合です。殺人と他に重罪を犯している場合に死刑となるわけですね。無期懲役も、多くは強盗や誘拐などのほかの重い犯罪を犯しています。

ところが、長崎市長射殺事件の場合は、市長と言う地位ゆえに狙ったから非難するに値するとしても、これには刑法的な処罰をする明文規定自体がないのです。行政対象暴力であっても、それ特有の処罰を認める規定はありません。

殺人罪以外に重い犯罪を犯していないのですから、いかに重罰にしろと思っても、死刑の判断基準がある以上、無理だと思うのです。ですから、惰眠さんのご意見は、どちらかと言えば、立法論なんだろうなと思ったわけです。


>「市政についての不満を、市長に対する暴力で」解消せんとするのは定められた『民主的手続き』をまったく無視し、社会システムとして機能している行政のプロセスを破壊するものじゃあないんでしょうか?

要するに、被告人は、個人的な苦情を再三にわたり言ってきたが、市側が相手にしなかったために不満を募らせ、短絡的な逆恨みで市長を狙った――。ということですよね。

90年1月に右翼団体幹部に銃撃され重傷を負った元長崎市長の本島等さん(86)は、「城尾被告は市役所に相手にされず、社会にも粗末に扱われていたという思いを抱いていたという。僕なら『あんたも長崎市民だから粗末にできんよねえ』と言って会い『でも暴力団をしている限り、言うことは聞いてやれん』と語りかけ続けたと思う」と思いを巡らせた。一方で「もちろん、暴力団と一切会わなかった伊藤さんの対応に何の間違いもないし、会っても事件は起きたかもしれない」と語っています(毎日新聞 2008年5月27日 西部朝刊)。

市側が相手にしないといった態度をとれば、暴力団員ゆえに余計に苛立ちを感じたでしょう。暴力団を相手に交渉することは慎重さを必要としますから、長崎市側は、もう少し対策のやり方があったのではと感じます。本島等さんが述べていることはその一例だと思うのです。

単に、苦情窓口がうまく機能しなかったことを「社会システムとして機能している行政のプロセスを破壊」したと抽象化して大事にするよりも、もっと具体的に苦情処理対策の充実を図った方がいいのではないでしょうか。そうした方が、厳罰化を強調するよりも、よほど犯罪防止になると思うのです。 


>市民対象、企業対象の場合、事象は二者間のプライベートでローカルに留まります。行政が『威力』にゆがめられた場合、問題は行政担当者と不当請求者の二者ローカルの問題に留めることはできません。

う~ん。市民対象暴力も、家族、勤め先、弁護士(とその家族)が狙われる可能性はありますし、企業でも、狙われるのは対応した担当者個人だけに限られません。企業の取締役だけでなく、金銭の迂回融資などの対応を取ると企業グループ全体を巻き込んでしまいます。

↓の項目だけ見ていても分かると思いますが、その手口は様々ですし、対策も結構大変です。
東京弁護士会民事介入暴力対策特別委員会著「新版 民事介入暴力対策マニュアル」
http://www.toben.or.jp/news/publish/2004_minbo.html

どういった対象であれ、個別具体的な、市民・企業・自治体の規模によって影響力は異なるでしょうし、市の行政といっても、個々の課に分かれていて別々ですし、行政の癒着構造は今まであったことで、影響はどれほど大きかったのかはっきりしませんよね。ですから、一概に、行政よりも、市民対象・企業対象暴力の方が影響力が小さいといった見方は、どうかな~と感じます。

仮に、行政対象暴力による行政での影響力が大きくても、それ自体を処罰する規定がないので(一般的に恐喝罪はありえますが)、一体、法的にどうやって評価するのかなと思うのですけどね。量刑には色々含めることはできるでしょうけど、色々入れすぎてそれで重罰化するのは、処罰規定のない行為を処罰するのと実質的に変わりません。惰眠さんの書いていることは、限りなく厳罰化していまいかねず、危なっかしいです。
2008/06/11 Wed 07:33:29
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
私の場合は「法律論」というよりは「制度論」に重心があるのは確かで、ゆえに春霞さんとは立脚点が異なるので、意見の一致を見ることは困難だろうと思っておりますが、論点を明確化する為、議論の意義は相互にあるだろうと思います。

なお、改めて申し上げますが、本件判決は、個人的には無期で十分だったんじゃないかとの思いがあります。他方、死刑が『不当に』重いとまでは感じていませんが。

法199条の量刑には幅がありますが、一般に死刑判断においては所謂「永山基準」が引かれます。
これは矢部弁護士の受け売りになりますが、あの規準の読み方は前段で「検討すべきファクトはコレコレ」と列挙した上で、後段において「そのファクトを検討したうえで、なお死刑が避けられないと判断するなら死刑判決にすべし」という文章、要するにどこかで線を引く「基準」ではないとの解釈を是としたいところであります。

では、どこで判断を分けるかですが、最終的に「永山基準」の各項目に基づいて検討すべきは「矯正可能性」ないしは「再犯リスク」に収斂すると思われます。
ですので単に殺人被害者の人数が1名であれば(半ば自動的に)死刑にはならない、と見るのは妥当ではない、となります。「たまたま今回は被害者1名の時点で犯人の身柄を押さえることに成功したが、改悛の情は絶無、犯罪志向性は極めて強く、矯正は極めて困難、犯行の様態も残虐を極める」というような事情が仮にあった場合、「被害者が1名である」ことを決定的理由として死刑を回避することが適切か?との立論も可能になってくると思われます。

>「苦情」対応
「苦情窓口」が上手く機能する、とはどのような状況を想定していらっしゃるのでしょうか。
「不当利得」をもとめ、それが実現されない限り一歩も引かぬ、暴力に訴えてでも・・・という「苦情申し立て者」が相手であった場合、必然的に機能不全に陥る以外、道がないかと思います。
国会議員の「口利き」による横槍が不当であるのと同様、民間人(今回は暴力団員でしたが)が「威力」を背景に正当なプロセスをゆがめることは、それ自体が非難されるべきことで・・・なんと言うかな、夜の繁華街を刺激的な服装で歩いていた女性が男に襲われたときに「無用心だった被害者が悪い」と言うような理屈を適用するのはよろしくないと思います。

確かに、私の採る制度論的、あるいは一般予防的な考え方は「大逆」のロジックに「組み換え」が可能ですが、前提事情や附帯条件を等閑視して「組み換え」を行う論者があれば、私は徹底的に反駁いたします(笑)。

>量刑には色々含めることはできるでしょうけど、色々入れすぎてそれで重罰化するのは処罰規定のない行為・・・

えーと、揚げ足を取るような言い方で恐縮なのですが、本件は処罰規定の「ある」殺人行為について、被害者の人数、犯行の様態、矯正の可能性、社会的影響、遺族の被害感情、その他諸々を「色々入れ」て下された判決ですよね。
その、個々の要素の「評価の重さ」については論者によって様々見解があって然るべきですが、この部分はちょっと違うのではないかと思います。
2008/06/11 Wed 13:16:36
URL | 惰眠 #Oy5awZbQ[ 編集 ]
>惰眠さん:2008/06/11 Wed 13:16:36
コメントありがとうございます。


>私の場合は「法律論」というよりは「制度論」に重心があるのは確かで

なるほど~、そういう感じですね。法社会学的考察を重視しているですね、きっと。惰眠さんの立場というか考え方がはっきりしたので良かったです。このブログでも法律論+アルファの説明をしているところがあるので、それほど考え方は離れていないとは思いますけどね。


>一般に死刑判断においては所謂「永山基準」が
>矢部弁護士の受け売りになりますが、あの規準の読み方は前段で「検討すべきファクトはコレコレ」と列挙した上で、後段において「そのファクトを検討したうえで、なお死刑が避けられないと判断するなら死刑判決にすべし」という文章、要するにどこかで線を引く「基準」ではないとの解釈を是としたいところであります。
>最終的に「永山基準」の各項目に基づいて検討すべきは「矯正可能性」ないしは「再犯リスク」に収斂すると思われます

永山基準に限らないと思いますが、量刑判断は理論的に整理して考えることが適切です。

量刑を左右する決定的な量刑因子は、犯罪行為(行為態様、結果)の重大性です。法は犯罪行為を処罰するのであり、その犯罪行為に応じた刑罰(量刑)を科す仕組みになっているからです。

ですから、永山基準でいえば、事件の罪質、事件の態様(特に殺害手段の執拗性、残虐性)、結果の重大性(特に殺害された被害者の人数)が最も重要ということになります。

そして、他に挙げている因子(遺族の被害感情、社会的影響、被告の年齢、前科、事件後の情状)は、影響するが決定的な因子ではない(ただし未成年は別だったが、最近は異なる。)ということになります。ですから、「矯正可能性」ないしは「再犯リスク」は、影響するが決定的な因子ではないわけです。

私が問題にしているのは、この事件では、量刑因子としての「犯罪行為の重大性」が決定的に不足しているということです。殺人+選挙妨害という罪責では、死刑は到底とどきませんし、無期懲役もかなり苦しいのです。

量刑因子の区別を行い、さらっとでしたが理論的に説明しているのは、前田雅英教授などです。こうした考えは、(暗黙の了解として?)一般的な理解であると思います。

モトケン(矢部弁護士)さんの考えは……どうなんでしょうね。モトケンさんは個人的な感想をブログで述べているのであって、文献上の根拠を調べたものではありません。あくまで、モトケンさんのブログは、法律漫談を楽しむところでしょう。少なくも。モトケンさんのブログは、(すべてとは言いませんが)法律論に関しては信用に値する内容はありませんので、そのまま覚えるのは危険です。


>単に殺人被害者の人数が1名であれば(半ば自動的に)死刑にはならない、と見るのは妥当ではない、となります

すでに述べたように、その考えは量刑理論上、問題があります。被害者の人数は重要です。


>「苦情窓口」が上手く機能する、とはどのような状況を想定していらっしゃるのでしょうか。

すでに触れたように、毎日新聞2008年5月27日西部朝刊において本島等さんが述べていることは、その一例です。


>夜の繁華街を刺激的な服装で歩いていた女性が男に襲われたときに「無用心だった被害者が悪い」と言うような理屈を適用するのはよろしくない

個人と行政組織という違いが大きいです。行政組織はどうしても業者とのかかわりなどが生じるなど、狙われやすいわけですから、対応策が必要であり、対応策を取れるだけの能力があるということです。


>個々の要素の「評価の重さ」については論者によって様々見解があって然るべきですが、この部分はちょっと違うのではないかと思います。

量刑因子の捉え方には、多数の方が様々な分析を行っていることは確かです。読んでいると訳が分からなくなってくるほどです。

ですが、量刑を左右する決定的な量刑因子は、犯罪行為(行為態様、結果)の重大性である、という理解については一致しているところでしょう。私が問題としているのは、量刑判断の本流である「犯罪行為の重大性」の点です。
2008/06/12 Thu 23:58:24
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
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