1.毎日新聞平成20年5月3日付朝刊1面
「憲法記念日:きょう、施行61年
日本国憲法は3日、施行61年を迎えた。憲法改正の手続きを定めた国民投票法が昨年5月14日に成立、同18日に公布されてから初の憲法記念日。しかし、衆参両院で与野党勢力が逆転した「ねじれ国会」の中、政界の憲法論議の熱はすっかり冷めた。成田憲彦・駿河台大学長(日本政治論)は「これまでの論議をリセットし、やり直さなければならないことを確認する記念日」と位置づける。
「ねじれ国会」に加え、憲法改正を重点課題に掲げた安倍政権から、慎重姿勢を示す福田政権に代わったことも影響している。
憲法改正原案の審査や提出を行う衆参両院憲法審査会は昨夏に設置されたが、委員定数などを決める規程も定まらない「開店休業」状態だ。与野党は「今は改憲論議をするタイミングではない」との認識で一致している。
こうした政界を尻目に靖国神社を舞台にした映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題など、日本社会に「表現の自由」の危うさを示す現象が相次ぐ中で迎える記念日ともなった。【大貫智子】
毎日新聞 2008年5月3日 東京朝刊」
昨年の憲法記念日では、国民投票法案を意識してか、憲法改正を巡る議論が多かったのですが、今年は一変してしまいました。
「日本国憲法―現実を変える手段として
たった1年での、この変わりようはどうだろう。61回目の誕生日を迎えた日本国憲法をめぐる景色である。
昨年の憲法記念日のころを思い出してみる。安倍首相は、夏の参院選に向けて憲法改正を争点に掲げ、そのための手続き法である国民投票法を成立させた。集団的自衛権の政府解釈を見直す方向で、諮問機関も発足させた。
ところがいま、そうした前のめりとでも言うべき改憲気分は、すっかり鳴りを潜めている。福田首相は安倍時代の改憲路線とは一線を画し、集団的自衛権の見直しも棚上げにした。
世論も冷えている。改憲の旗振り役をつとめてきた読売新聞の調査では今年、93年以降の構図が逆転し、改憲反対が賛成を上回った。朝日新聞の調査でも、9条については改正賛成が23%に対して、反対は3倍近い66%だ。
90年代から政治やメディアが主導する形で改憲論が盛り上がった。だが、そもそも政治が取り組むべき課題を世論調査で聞くと、景気や年金など暮らしに直結する問題が上位に並び、改憲の優先順位は高くはなかった。イラクでの米国の失敗なども背景に、政治の熱が冷めれば、自然と関心も下がるということなのだろう。」(朝日新聞平成20年5月3日付「社説」)
昨年の参院選において自民党が大敗したために、憲法改正は全く不可能になったことから、憲法改正論議がしぼんでしまったことは確かです。「福田首相は安倍時代の改憲路線とは一線を画し、集団的自衛権の見直しも棚上げにした」ことも、改正論議がしぼんだ理由の1つでしょう。
しかし、国民の間で憲法改正論議をする気がなくなったのは、安倍前首相が突如辞任するという、「あきれた政権放り出し」があったからです。安倍氏は、あまりにもひ弱で脆弱であり、統治能力がない人物でしたが、こんな人物が首相であったという「怖さ」こそが原因です。
こんな首相としての資質を全く欠いていた人物が、そしてそんな人物を首相に押し上げた自民党がいくら憲法改正を主張したところで、誰も耳を傾けるはずがありません(「安倍首相辞任〜今、辞めるのは無責任すぎるが、そこまで病状悪化なのか……。」(2007/09/13 [Thu] 21:04:30)参照)。
しかし、今年ほど、憲法が掲げる理想が失われていると感じた年はないのではないでしょうか。
今の国民には、統治能力のない安倍氏を、愚かにも首相に担ぎ上げた改憲派議員(保守論壇)や読売新聞(日経新聞も同様)が行っている「憲法改正ごっこ」に付き合う余裕はないのです。憲法記念日の3日、非正規雇用で働く人たちが東京で集会を開き、低い賃金や突然の解雇によって、憲法が保障する「生存権」が脅かされていると訴えているくらいなのですから。
各新聞社は憲法記念日にちなんだ社説を紹介していますが、ここでは東京新聞(中日新聞)の社説を紹介しておきます。
「憲法記念日に考える 『なぜ?』を大切に
2008年5月3日
日本国憲法の規範としての力が弱まっています。現実を前に思考停止に陥ることなく、六十年前、廃虚の中で先人が掲げた高い志を再確認しましょう。
昨年七月、北九州市で独り暮らしの男性が孤独死しているのが発見されました。部屋にあった日記に生活の苦しさがつづられ、最後のページには「おにぎりが食べたい」と書いてありました。
男性はタクシー運転手をしていましたが肝臓の病気で働けなくなり、四月まで生活保護を受けていました。病気が少しよくなり、福祉事務所の強い指導で保護を辞退したものの働けず、にぎり飯を買うカネさえなかったようです。
忘れられた公平、平等
全国各地から生活に困っていても保護を受けられない、保護辞退を強要された、などの知らせが後を絶ちません。憲法第二五条には「すべて国民は、健康で文化的な生活を営む権利を有する」とあるのにどうしたことでしょう。
国が抱える膨大な借金、将来の社会を支える若者の減少など、日本は難局に直面しています。しかし、最大の要因は弱者に対する視線の変化でしょう。
行き過ぎた市場主義、能力主義が「富める者はますます富み、貧しい者はなかなか浮かび上がれない」社会を到来させました。小泉政権以来の諸改革がそれを助長し、「公平」「平等」「相互扶助」という憲法の精神を忘れさせ、第二五条は規範としての意味が薄れました。
リストラでよみがえった会社の陰には職を失った労働者がたくさんいます。「現代の奴隷労働」とさえ言われる悪条件で働くことを余儀なくされた非正規雇用の労働者が、企業に大きな利益をもたらしています。
年収二百万円に満たず、ワーキングプアと称される労働者は一千万人を超えると言われます。
黙殺された違憲判決
安い賃金、不安定な雇用で住居費が払えず、インターネットカフェや漫画喫茶に寝泊まりしている人が、昨年夏の厚生労働省調査で五千四百人もいました。これは推計で実際はもっと多そうです。
憲法には第二五条のほかに「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」(第二七条)という規定もあります。
「なのになぜ?」−ここにもそう問いたい現実があります。
「戦力は持たない」(第九条第二項)はずの国で、ミサイルを装備した巨船に漁船が衝突されて沈没しました。乗組員二人はいまだに行方が分かりません。「戦争はしない」(同条第一項)はずだった国の航空機がイラクに行き、武装した多国籍兵などを空輸しています。
市民の異議申し立てに対して、名古屋高裁は先月十七日の判決で「自衛隊のイラクでの活動は憲法違反」と断言しました。「国民には平和に生きる権利がある」との判断も示しました。
しかし、政府は判決を黙殺する構えで、自衛隊幹部の一人は人気お笑い芸人のセリフをまね「そんなのかんけえねえ」と言ってのけました。「判決は自衛隊の活動に影響を及ぼさない」と言いたかったのでしょうが、「憲法なんて関係ねえ」と聞こえました。
イラク派遣反対のビラを自衛隊官舎に配った東京都立川市の市民は住居侵入容疑で逮捕され、七十五日間も拘置されたすえに有罪とされました。団地の新聞受けにビラを静かに入れて回っただけなのに「他人の住居を侵し、私生活の平穏を害した」というのです。
ビラ配布は、組織、資力がなくても自分の見解を広く伝えることができる簡便な手段です。読みたくなければ捨てればいいだけでしょう。それが犯罪になるのなら憲法第二一条が保障する「表現の自由」は絵に描いたモチです。
これでは、民主主義にとって欠かせない自由な意見表明や討論が十分できません。
国民から集めた税金で職場にマッサージチェアを設置したり豪華旅行をするなど、「全体の奉仕者」(第一五条第二項)である公務員による私益優先のあれこれが次々明るみに出ました。
長い間に「主権在民」(前文)が無視されて、主権在官僚のようなシステムを組み上げられてしまったのです。
憲法は政府・公権力の勝手な振る舞いを抑え、私たちの自由と権利を守り幸福を実現する砦(とりで)です。
国民に砦を守る責任
憲法を尊重し擁護するのは公務員の義務(第九九条)です。国民には「自由と権利を不断の努力で保持する」責任(第一二条)、いわば砦を守る責任があります。
その責任を果たすために、一人ひとりが憲法と現実との関係に厳しく目を光らせ、「なぜ?」と問い続けたいものです。」
3.社説の筆頭で、「おにぎりが食べたい」と望みながら孤独死した男性の事件が出ているように、生存権(憲法25条)が脅かされている現状は、一体どうしたことだろうと思います。行政の対応のせいで、最低限度の保障のための生活保護が保障されていないのです。
「憲法第25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
(1) 生存権の規定が国会議員の提案により憲法に創設されたのは、戦後、餓死者が相次いだ状況を見かねてのことです(正確には、日本国憲法の原案であるマッカーサー草案24条のなかで「社会保障の提供」が謳われ、これが最終的には現行憲法25条2項となった。他方、憲法25条1項は、帝国議会の審議で社会党の提案によって加えられた。)。ところが、日本社会は、今また生存権に目を向けなければならないほどの状況に陥っているのです。
生活保護の実状は、金銭給付があまりにも乏しく、「楽しみは何もない。毎日どうやって生き延びるかという悩みだけ」とか、「灯油が高くてストーブはほとんどつけないし、こたつも壊れたまま」などと嘆いているというほどの状況です。これでは、社会的・経済的弱者に安定した生活を確保し、「人間に値する生存」を保障しているとはいえません(「生活保護制度の現状を検証する〜東京新聞3月22・25・29日付(「生活保護を考える」より)」(2008/03/30 [Sun] 22:18:01)参照)。
また、「年収二百万円に満たず、ワーキングプアと称される労働者は一千万人を超える」という状況でも、国は何も対応しようとはしません。(以前に触れたことがありますが、)「蟹工船」が異例なほど売れ続けているという異常な事態であるのに。
「「蟹工船」悲しき再脚光
格差嘆き若者共感、異例増刷売り上げ5倍
プロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903〜1933)の「蟹工船(かにこうせん)・党生活者」(新潮文庫)が、今年に入って“古典”としては異例の2万7000部を増刷、例年の5倍の勢いで売れている。過酷な労働の現場を描く昭和初期の名作が、「ワーキングプア」が社会問題となる平成の若者を中心に読まれている。
「蟹工船」は世界大恐慌のきっかけとなったニューヨーク株式市場の大暴落「暗黒の木曜日」が起きた1929年(昭和4年)に発表された小説。オホーツク海でカニをとり、缶詰に加工する船を舞台に、非人間的な労働を強いられる人々の暗たんたる生活と闘争をリアルに描いている。
文庫は1953年に初版が刊行され、今年に入って110万部を突破。丸善丸の内本店など大手書店では「現代の『ワーキングプア』にも重なる過酷な労働環境を描いた名作が平成の『格差社会』に大復活!!」などと書かれた店頭広告を立て、平積みしている。
多喜二没後75年の今年は、多喜二の母校・小樽商科大学などが主催した「蟹工船」読書エッセーコンテストが開催された。準大賞を受賞した派遣社員の狗又(いぬまた)ユミカさん(34)は、「『蟹工船』で登場する労働者たちは、(中略)私の兄弟たちがここにいるではないかと錯覚するほどに親しみ深い」と、自らの立場を重ね合わせる。特別奨励賞を受けた竹中聡宏(としひろ)さん(20)は「現代の日本では、蟹工船の労働者が死んでいった数以上の人々が(中略)生活難に追い込まれている」「『蟹工船』を読め。それは、現代だ」と書いている。
また一昨年、漫画版「蟹工船」が出版され、文芸誌「すばる」が昨年7月号で特集「プロレタリア文学の逆襲」を組むなど、再評価の機運が盛り上がっている。
新潮社によると、購読層は10代後半から40代後半までの働き盛りの年代が8割近く。同文庫編集部は「一時期は“消えていた”作品なのに」と驚きつつ、「ここまで売れるのは、今の若い人たちに新しいものとして受け入れられているのでは」と話している。
(2008年5月2日15時13分 読売新聞)」(読売新聞平成20年5月2日付夕刊1面)
「蟹工船」の「購読層は10代後半から40代後半までの働き盛りの年代が8割近く」ということから分かるように、貧困にあえいでいるのは若者だけでなく、働き盛りすべての年代も含めてなのです。貧困の実態がどれほど深刻なのかが、この購買層を見ても分かると思います。(共産党嫌いの読売新聞でさえ、「蟹工船」を1面で大きく取り上げたことも、深刻さを物語っています。)
新卒でも正社員になれず、フルタイムの非正社員が増えた背景としては、日経連が95年に打ち出した雇用戦略や小泉純一郎政権時の「市場原理主義」に基づく経済成長路線と規制緩和があり、中でも、コスト削減を狙う企業を後押ししたのが労働者派遣法の改正だろうと言われています(京都新聞平成20年5月3日付社説「憲法記念日 非正社員の生存権が危うい。」)。そうすると、「今も憲法二五条で保障する若年労働者の生存権を脅かしているのは政府であり、企業ではないか」(京都新聞平成20年5月3日付社説)といえるのです。
翻ってみれば、「蟹工船」も貧しさゆえに蟹工船に乗り込んだ者たちが、すべての人間的権利を剥奪されて、言語に絶して虐使されるのは、会社の利潤と帝国の「国策」のためでした。結局は、蟹工船の当時と何ら変わらない状況なのです。今、私たちは、「蟹工船」の中にいるのです。
もちろん、貧困にあえぐ状況に陥っているのは働き盛りの年代だけではありません。このブログでも何度も取り上げているように「後期高齢者医療制度」の実施が原因です(「後期高齢者医療制度問題:大戦前夜のナチスによるユダヤ人隔離を思い出す。(AERA5月5日号「平成雑記帳」(眤七飴瓠砲茲蝓法廖2008/05/02 [Fri] 05:23:47)参照)。
「後期高齢者医療制度」により、低所得者も大幅に保険料が天引きされてしまったため、高齢者もまた、「これほど年金が天引きされたら、とても生きていけない、国はまた死ねということか」と、怨嗟の声が上るほどの状況なのです。ところが、福田首相は、ちょっとぐらい負担してもらうだけだと言ってのけるのです。高齢者もまた、自民党政権によって「生存権」が蔑ろにされているのです。
(2) 生存権だけでなく、表現の自由(憲法21条)もまた、蔑ろにされているのが現状です。
「憲法第21条
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」
東京新聞の社説では、イラク派遣反対のビラを自衛隊官舎に配った者に対して、住居侵入罪として処罰することを認めた最高裁判決のことを取り上げていますが、これも一例です。
「イラク派遣反対のビラを自衛隊官舎に配った東京都立川市の市民は住居侵入容疑で逮捕され、七十五日間も拘置されたすえに有罪とされました。団地の新聞受けにビラを静かに入れて回っただけなのに「他人の住居を侵し、私生活の平穏を害した」というのです。
ビラ配布は、組織、資力がなくても自分の見解を広く伝えることができる簡便な手段です。読みたくなければ捨てればいいだけでしょう。それが犯罪になるのなら憲法第二一条が保障する「表現の自由」は絵に描いたモチです。
これでは、民主主義にとって欠かせない自由な意見表明や討論が十分できません。」(東京新聞「社説」)
表現の自由の危機は、ビラ配りの事例だけではありません。
「名門ホテルが右翼団体からの妨害を恐れ、教職員組合への会場貸し出しをキャンセルした。それを違法とする裁判所の命令にも従わない。
中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国」は、政府が関与する団体が助成金を出したのを疑問視する国会議員の動きなどもあって、上映を取りやめる映画館が相次いだ。」(朝日新聞平成20年5月3日付「社説」)
裁判所の命令にも従わないという、法治国家を危うくする行動さえするグランドプリンスホテル新高輪。映画の上映前に、特別に試写を要求して「反日映画」などと内容の「検閲」までもしてのける、稲田議員らなどの国会議員。 ここまで、表現の自由を蔑ろにする行動をしても、両者は全く反省もしないのです。
(3) こういう国民意識になった責任、表現の自由が蔑ろにされる責任の一端は、裁判官にあることも忘れてはいけません。清水英夫・青山学院大名誉教授は、次のようなコメントをなされています。
「特集:憲法を考える 「ねじれ」で改憲熱冷め じわり危機、表現の自由
◇責任の一端、裁判官に−−清水英夫・青山学院大名誉教授
グランドプリンスホテル新高輪が日教組大会を拒否したり、映画館が「靖国 YASUKUNI」の上映を中止した背景には、政府に表現の自由への侵害を許さないのだという決意があるのかについて、国民の不信感があると思う。
ホテルや映画館にしてみれば、右翼による脅しは怖いし、余計なトラブルは避けたいという気持ちを持つのは理解できる。警察は表現の自由を守ってくれる存在ではないのではないかという気持ちがあって、安易に「平穏な生活の維持」が優先してしまうという構図ではないか。
表現の自由は、言論の自由を保障するだけでは十分でなく、主張を印刷して配布したり、集会やデモを行う自由を同時に保障しなければ保障されたことにはならない。このうち一つだけを取り上げて議論をすると考える方向を間違えてしまう。憲法21条が「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」と規定したのはそのためだった。
これまでは、太平洋戦争中にひどい目に遭った記憶が国民の中にあって、表現の自由は本能的な警戒心に支えられてかろうじて生き残ってきたと思う。
憲法に明記された表現の自由を保障するのは、国家の重要な役割だ。ところが航空自衛隊のイラクでの活動の一部を違憲とした名古屋高裁判決を巡り、幕僚長が「そんなの関係ねえ」と発言。立川ビラ配布事件で最高裁が有罪判決を下すなど、行政府も司法も憲法を軽視する態度が最近は際立っている。
中でも、政治的な事案での表現の自由は最も重要で、最大限保障されなければならない。
しかし、最近の裁判所は、表現の自由と他の自由権が衝突するとき、どちらを優先するかを考えるに当たり、「著しく、具体的に」侵害する場合に限って、表現の自由が譲歩するという「表現の自由の優越性」などの原則を、考慮しなくなった。
憲法の番人である最高裁が役割を果たさないのだから、国民の憲法感覚が希薄になっていくのは当然で、責任の一端は裁判官にあると思う。【聞き手・臺宏士】」(毎日新聞平成20年5月3日付朝刊12・13面)
「憲法の番人である最高裁が役割を果たさないのだから、国民の憲法感覚が希薄になっていくのは当然」でしょう。実に正しい指摘です。過去において、裁判所は、明治憲法下での厳しい言論弾圧にも加担していましたが、何も反省することなく、今また同じことを繰り返すつもりなのでしょうか。
(4) どこの社説でも触れていない点がもう1つあります。それは適正手続の保障、弁護権の保障が蔑ろにされている点です。
「第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第34条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」
イ:光市事件報道では、「第1、2審で争わなかった事実問題を、差戻控訴審になって持ち出すのはおかしい」「被害者遺族の無念の思いを踏みにじっている」「弁護団は死刑制度反対のために、この裁判を利用している」等々の反発・批判をさかんに浴びせていました。多くの番組がそのことだけに終始した、という印象すらあるほどです。こういった以上を抱いた市民もかなり多かったこともあります。
しかし、これらは、裁判を主宰する裁判所の役割、刑事裁判の「当事者主義」及び当事者主義のもとでの弁護人には、被告に対して、被告のために最善の弁護をする、という「誠実義務」が課せられているという理解をまるで理解していない報道でした。「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の放送倫理検証委員会の報告書では、手厳しく指摘しています(「光市事件報道問題:BPOは各局に裁判報道の改善要求(下)〜「極めて感情的に制作、他局より輪をかけて大袈裟にやるという『集団的過剰同調番組』、刑事裁判の知識なし、「素材負け」していた、巨大なる凡庸」など徹底して酷評!」(2008/04/20 [Sun] 07:46:06)参照)。
これは、テレビでの事件・犯罪・裁判報道についてべたものですが、雑誌や新聞報道でも、どれほど「あるべき報道」を行ってきたのだろうかと、思います。そして、どれほどの市民が裁判所の役割、刑事裁判の「当事者主義」及び弁護人の「誠実義務」について、理解しているのだろうかと思うのです。
ロ:以前、英国のブルーム卿による「刑事弁護の真髄」について紹介したことがあります(「刑事弁護人の立場・役割とは?――曽我・鳥取県弁護士会副会長に聞く〜毎日新聞8月27日付朝刊「地域面:鳥取」より」(2007/09/06 [Thu] 06:53:30))。
おそらく、このブログで紹介して以来、この「刑事弁護の真髄」について引用するようになり(橋下徹氏のブログだけでなく、今枝弁護士の著書「なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか」でも引用されていました)、多くの方に知られるようになったようです。
「弁護人はその依頼者に対して負担する神聖な義務として、世界のうちでただ1人の人、つまり、依頼者のために、かつ依頼者のためにのみに、その職務を行わなければならないということであります。いかなる手段をつくしても依頼者を助けること、弁護人を含む依頼者以外のものに対するいかなる人にどのような迷惑をおよぼしても、依頼者を保護することは、弁護人の最高にして疑いを容れる余地のない義務であります。弁護人は依頼者以外のものに対し、驚き、苦しみ、災厄、破壊をもたらそうとも介意すべきではありません。否、弁護人が愛国者として負担する国家に対する義務をも必要あれば風に吹きとばし、依頼者保護のため国家を混乱に陥れることも、それがもし不幸にして彼の運命だとしたら、結果を顧みることなしに、続けなければならないのであります。」(戒能通孝「リーガル・エシックスとその基本」法律時報32巻5号(1960年)5頁、佐藤博史『刑事弁護の技術と倫理』26頁)
これは、「刑事弁護の真髄」ですから、そのまますべて可能ではないでしょうが、こういう姿勢でいるのが弁護人であり(弁護人の覚悟を示したものといった方が良いかもしれません)、もちろん、現在でも妥当するものです。この「真髄」は、被告人のために、かつ被告人のためにのみ、献身的に最善を尽くすという「誠実義務」について説いたものなのですから。
このように、誰からも見捨てられた(見捨てられてきた)被告人を、世界中の人々から「悪魔の代理人」と非難されようとも、断固として護る者が弁護人であり、これが憲法34条が保障している弁護権保障の意味なのです。しかし、この「刑事弁護の真髄」が「誠実義務」のことだと分からず、しかも「誠実義務」の根拠や意義を曲解して批判している人々(ブログなどを含む)もあるほど、いまだ理解されている状況にはありません。
光市事件報道に限らず、交通事故事犯でも同様ですが、被告人の利益のために主張している弁護人が、脅迫や嫌がらせ電話など多数の非難にさらされることが多くなりました。これは、市民の間では、裁判所の役割、刑事裁判の「当事者主義」及び弁護人の「誠実義務」についての理解が欠如したままであることが原因です。
こういう批判を繰り広げる人々は、今や、この国の刑事裁判は「虚構」になりつつあることを知らないのでだろうかと、思うのです。刑事事件では、被告人・弁護側の主張を一方的に排斥する傾向は多くの裁判官に見られることです。特に多くの高裁では、弁護人が請求する新証拠については検事が同意したもの以外のすべての取調べを拒否し、一人の証人も取り調べず、再鑑定もせず、事実上何の証拠も調べずに、第1回公判で即日結審することも珍しくありません(亀井洋志『司法崩壊』(WAVE出版、2008年)68頁)。
こうして、市民が弁護人を激しく非難していなくても、裁判所では、ろくに被告人・弁護側の主張を一方的に排斥しており、否認している事件では保釈をしないこと多く(「人質司法」と言われています)、長期間にわたる勾留はある種の制裁になっています。このように虚偽であっても自白せざるを得ないのが、日本の刑事裁判なのです。「冤罪は私たちが想像している以上に多い、というのが実状」(亀井洋志『司法崩壊』(WAVE出版、2008年)74頁)です。一体、日本の刑事裁判では、適正手続の保障や弁護権の保障は画餅となっているのだろうかと、思わざるを得ないのです。
こんな日本の刑事裁判において、市民が弁護人を激しく非難し、実質的に弁護権を妨害するのですから、どこまで自分の首を絞めれば済むのでしょうか。実に愚かなことです。
4.東京新聞の社説は次のような文章で締めています。
「国民に砦を守る責任
憲法を尊重し擁護するのは公務員の義務(第九九条)です。国民には「自由と権利を不断の努力で保持する」責任(第一二条)、いわば砦を守る責任があります。
その責任を果たすために、一人ひとりが憲法と現実との関係に厳しく目を光らせ、「なぜ?」と問い続けたいものです。」
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、憲法97条が規定しているように、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であって、楽に獲得できたものではないのです。ですから、人権保障を維持するするのが難しいのは当然のことです。だからこそ、国民には「自由と権利を不断の努力で保持する」責任(第12条)があるのです。
「第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
国民には「自由と権利を不断の努力で保持する」責任(第12条)がある以上、あまりにも憲法の理念が損なわれている「現実」を放置していてよいはずがありません。国民は、憲法の理念と現実が乖離している現状は不当である、政府がこの憲法の理念を損なっていることは不当であると、厳しく非難するべきなのです。
<5月4日付追記>
憲法記念日の全国紙の社説と特集記事を簡潔に触れておきます。
・朝日新聞の社説は、「日本国憲法―現実を変える手段として」というもので、憲法25条と21条に焦点を当てたもので「現実と憲法の溝の深さにたじろいではいけない。 憲法は現実を改革し、すみよい社会をつくる手段なのだ。その視点があってこそ、本物の憲法論議が生まれる。」とするものです。特集記事は憲法9条の世論調査(14面)でした。
・読売新聞の社説は、「憲法記念日 論議を休止してはならない(5月3日付・読売社説)」というもので、憲法改正を、特に衆参ねじれ国会の下、二院制のあり方を是正しようというもので「衆参両院の役割分担を見直す必要はないか。与野党には、こうした憲法改正にかかわる問題を大いに論議してもらいたい」とするものです。特集記事は、二院制の見直しと憲法改正論議を活発にしようとするものです(8、9面)。
・毎日新聞の社説は、「社説:憲法記念日 「ことなかれ」に決別を 生存権の侵害が進んでいる」というものですが、表現の自由、イラクでの航空自衛隊の活動に対する名古屋高裁の違憲判決が平和的生存権の具体的権利性を認めたのに引っ掛けて、生存権に触れ、「ねじれ国会」の解消にまで触れるというもので「憲法で保障された国民の権利は、沈黙では守れない。暮らしの劣化は生存権の侵害が進んでいるということだ。憲法記念日に当たって、読者とともに政治に行動を迫っていく決意を新たにしたい。」とするものです。特集記事は、表現の自由オンリーでした(12、13面)。
・日経新聞の社説は、「憲法改正で二院制を抜本的に見直そう(5/3)」というもので、「憲法を改正して参院の権限を縮小し、衆院の優越をより明確にするのに合わせて、参院の選挙制度も抜本的に見直すべきである。現行の3年ごとの半数改選は……無意味だ。6年の任期も長すぎる。全国単位の比例代表制は廃止した方がいい。二院制度見直しだけにとどまらない。自衛隊の国際貢献などの安全保障、抜本的な地方分権、環境や生命倫理などいくらでもある。一刻も早く憲法審査会を始動させるべき」という非現実的な極楽トンボな内容です。生存権なぞ、全く無視です。日経は「蟹工船」外にいるということが良く分かります。特集記事は、二院制のあり方を含めた憲法改正論議のみです。論議のポイントとして、9条、環境権、地方自治を挙げています(26、27面)。

