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2008/04/29 [Tue] 17:29:52 » E d i t
外資系会社社員三橋祐輔さん殺害事件で、殺人と死体損壊などの罪に問われた妻歌織さんの判決が4月28日、東京地裁であり、河本雅也裁判長は被告の完全責任能力を認め、懲役15年(求刑懲役20年)を言い渡しました。


東京・夫バラバラ殺人:三橋被告に懲役15年 「責任能力ある」−−東京地裁

 東京都渋谷区の会社員、三橋(みはし)祐輔さん(当時30歳)を殺害し切断した遺体を捨てたとして、殺人や死体損壊などの罪に問われた妻歌織被告(33)に対し、東京地裁は28日、「あまりに残酷で無残な犯行」として懲役15年(求刑・懲役20年)を言い渡した。公判では鑑定医2人がともに「事件当時は心神喪失状態だった」と報告していたが、判決は歌織被告の完全責任能力を認めた。

 河本雅也裁判長は、事件当時の歌織被告の精神状態について「意識障害を伴うもうろう状態や幻視、幻聴状態に陥り、適切な行動の抑制が困難な状態にあった」と、鑑定の信用性を認めた。その一方で(1)頭部を集中して攻撃するなど一定の運動能力があった(2)自らの行動や被害者の反応なども記憶し、意識の清明さを保っていた−−などの理由から「精神の障害は責任能力に問題を生じさせる程度ではなかった」と結論付けた。

 そのうえで「生存を装うメールを送るなどの隠ぺい行為を繰り返し、遺族の気持ちを踏みにじった」と非難。しかし「夫から暴行を受け続けながら、夫は離婚の求めにも応じず、精神的にも追いつめられ、地獄のような夫婦生活を送っていた。同情の余地が相当ある」と述べた。

 判決によると、歌織被告は「夫から逃れたい。この生活を終わらせたい」などと考え、とっさに殺意を抱き、06年12月、自宅マンションで寝ていた祐輔さんの頭をワインボトルで殴って殺害。遺体をのこぎりで切断して、東京都新宿区の路上などに捨てた。【伊藤一郎】」(毎日新聞平成20年4月28日付夕刊1面


公判では2人の医師による鑑定によると、殺害時の歌織氏を「心神喪失」と診断していたため、責任能力の有無が最大の争点だったのですが、河本裁判長は鑑定結果について、「精神医学の専門家としての分析結果で、責任能力の判断は拘束されない」として、完全責任能力を認めるという驚きの結果を示しました。

この問題については、「責任能力の判断基準・方法について:最高裁平成20年4月25日判決は、「精神鑑定結果は、鑑定人の公正さや能力に問題があるなどの事情がない限り、十分に尊重すべき」との判断」(2008/04/28 [Mon] 17:10:23)で幾らか触れましたが、解説記事を紹介して、再び論じてみたいと思います。



1.まず、産経新聞による判決要旨(2008.4.28 12:18)から、責任能力について判断を示した部分を引用しておきます。

■責任能力の判断

 1 弁護人は、歌織被告が「短期精神病性障害」、または何らかの脳の器質的障害に基づく意識障害や幻覚の症状によって、心神喪失の状態に陥っていたため、無罪であると主張する。

 2 責任能力の判断とは、個々の事案ごとに、鑑定の結果だけでなく、関係する証拠から認められる歌織被告の犯行当時の精神状態、態様、動機、前後の行動などの諸事情を総合的に検討し、刑事責任を負わせるべきかという観点から裁判所が行う法的判断である。

 一方、精神科医による鑑定結果は、精神に障害があるかないか、障害がある場合、それが犯行時の歌織被告の意思や判断に与えた影響がどうだったかという観点から、障害の程度やその双方についての専門的知見に基づく参考意見である。

 裁判所は、精神の障害の有無や程度の認定において、鑑定に合理性がある限り、十分に尊重する。しかし、鑑定結果が事理弁識能力や行動制御能力に言及している場合でも、それは精神医学の専門家としての分析結果にすぎないのであり、責任能力については、総合的に検討した法的判断によって最終的に決定する。責任能力の判断は鑑定結果に拘束されない。

 以上の考えを前提として、裁判所は歌織被告の精神鑑定を実施するにあたり、責任能力そのものは鑑定事項でないと明言した上、歌織被告に犯行時、どんな精神障害があったか、それがあるならば、犯行時の意思、判断にどんな影響を及ぼしたかを鑑定事項とし、検察官と弁護人それぞれが推薦する医師双方を鑑定人として採用し、それぞれ独立の立場で鑑定を行うよう命じた。

 両鑑定人とも鑑定の趣旨を理解して、鑑定を行った。一部鑑定の基礎データを共有したり、歌織被告の面接を2人が同席して行ったこともあるが、鑑定意見は全く別々に考えられている。鑑定手法において何ら不相当なところはない。

 3 責任能力の検討

 (1)歌織被告の精神の障害の鑑定結果

  ア 鑑定結果

 犯行直前、歌織被告は、短期精神病性障害を発症した。

 殺人時、急激に強い不安などの情動反応が起こった上、一定の意識障害をともなう朦朧(もうろう)状態に幻視、幻聴などが伴い、夢幻を見るような状態に陥った。次々と切り替わる幻視の一部として祐輔さんを見ていた可能性があった。現実感を喪失させ、強い情動反応などのため、適切に状況を判断して行動を制御することが難しい状態にあった。

 死体損壊、死体遣棄をしたとき、歌織被告には、祐輔さんと対話するなどの幻視、幻聴などがあり、多幸感があるなどの症状があった上、一定の意識障害があった。さらに重大な犯罪を行ってしまったという衝撃もあり、行動の抑制が困難になっていた可能性がある。

  イ 鑑定結果の信用性

 検察官は、歌織被告はそれまで誰にも、幻覚があったなどと供述していなかったのに、鑑定医らの問診時に供述するに至ったのは、鑑定医らが誘導的に質問したからで、鑑定結果は信用できないと主張する。しかし−。

  a 幻覚体験は、統合失調症による型と、それ以外の型とに区別することができる。歌織被告が供述する幻覚体験は、すべて後者に符合し、前者に属するものはない。このように矛盾のない幻覚体験を虚偽に語るためには、高度に専門的な知識が必要である。

  b 歌織被告の幻覚体験の供述を鑑定医が要約したかもしれないが、歌織被告が供述していないことを作ったり、供述したことをあえて取り上げなかった形跡は見当たらない。

  c 歌織被告が供述した幻覚の内容は、祖母や祐輔さんに関連する具体的なものであり、鑑定医の誘導により供述したものとは考えにくい。

  d 当初、捜査官に対し幻覚体験らしき話をしようとしたが全く取り上げてもらえず、その後は自分がおかしいと思われるのが嫌だったので、弁護人や裁判所に対しても話せなかったからであるとする歌織被告の供述は、歌織被告に対する取り調べ状況からすれば、信用できる。

 以上から、犯行当時、歌織被告には先に述べた幻覚症状が生じていたと認められ、その他犯行当時の歌織被告の精神の障害に関する鑑定結果の信用性に疑いを差し挟む事情はない。

 (2)責任能力の判断に必要な鑑定結果以外の諸事情

  ア 殺害行為前の行動、動機

 歌織被告は、殺害行為の直前、友人と応対したが、そこに特に異常さは認められない。その後、短期精神病性障害を発症して先述のような精神の障害を有することになる。先に認定した犯行動機の内容は、歌織被告の当時の状況からすれば自然で、理解できる。

  イ 殺害行為の態様とこれに関する歌織被告の記憶

 祐輔さんの受傷状況から、歌織被告の攻撃は頭部に集中していたと認められる。歌織被告は、犯行時、一定の運動能力と意識の清明さを保っていたと認められる。一見粗雑な犯行であるが、異常なものとまでは認められない。

 歌織被告は、祐輔さんを殴打する際の自らの行動、その前後の心情、祐輔さんの姿勢や殴打された際の反応などを記憶している。

  ウ 死体損壊、死体遺棄について

 のこぎりなど必要な用具を購入して準備を整え、のこぎりを使用して死体損壊行為に及んだ。その後、上半身はごみ袋に入れた状態で道路の脇の植え込みに捨て、下半身は一見空き家にみえる民家の敷地内に捨てた。身元が判明しやすい頭部は自宅から比較的離れた公園の土の中に埋めた。指紋により個人の特定がされる右手および左腕は、管理人がごみを確認して仕分けする自宅マンションのごみ捨て場とは別のごみ捨て場で家庭ごみと一緒に捨てている。自己の犯行の発覚を防ぐための合理的な行動をしている。

 歌織被告は、死体が怖くて目の前から消したかったから損壊・遺棄したと供述する。そうした心情は否定しないが、犯行隠蔽(いんぺい)の目的もあったと認められる。

  エ 犯行後の行動

 歌織被告は、祐輔さんの捜索願を出し、死体損壊に使用したのこぎりなどを実家に送り、一時祐輔さんの死体を入れていたクローゼットを業者に依頼して処分し、床、クロスの張り替え工事を業者に依頼し、さらには祐輔さんの安否を気遣う祐輔さんの父親に対し、祐輔さんになりすまし「迷惑かけてすみません。もう少しだけ時問を下さい。祐輔」という内容のメールを送って祐輔さんが生きていることを装うなどしている。これらは明らかな犯行隠蔽行為であり、歌織被告は、その目的達成のため、複数の者と目的を持って交渉している。

 (3)責任能力の判断

 殺人行為時、歌織被告は、短期精神病性障害を発症し、急激に一定の意識障害を伴い、夢幻を見るような状態に陥った。幻聴や幻視などが生じ、相当強い情動もあった。しかし−。

  ア 幻聴や幻視などの内容は、歌織被告の祖母や祐輔さんの読んでいた雑誌などに関係するものや当時の自己の状態が反映したもので、歌織被告の人格からの乖離(かいり)はない。また、例えば祐輔さん殺害を指示・示唆するような犯行を誘引するものではなく、犯行動機の形成に全く関係がない。

  イ 歌織被告は犯行の一部や当時の心情についての記憶を有し、犯行動機も当時の歌織被告の状況からすれば了解可能で、動機を踏まえれば犯行態様にも異常さはない。いずれも歌織被告の人格と乖離していないし、犯行後には目的を持って犯行隠蔽行為を行っている。

 以上からすれば、殺害行為は、歌織被告が、その意思や判断に基づいて行ったものと認められる。殺人行為当時の歌織被告の精神の障害は、現実感の喪失や強い情動反応により犯行の実現に影響を与えていたものの、責任能力に問題を生じさせる程度のものではなかったと認められる。

 鑑定医は、歌織被告の行動制御能力がなかったのではないかと述べている。しかし、相手を刺し殺す殺人の場合にも、それが悪いと知りつつ刺してしまうのであり、これも行動が制御できていないともいえる。その場合とどう相違するのかと問われて、鑑定医は「あらゆる重大犯罪は、犯罪時点で何らかの精神の変調がある」「情動という現象に関しては、実際非常に難しい」とも述べていることなどから、鑑定医の供述は、歌織被告が殺害行為時に完全責任能力があったことについて合理的疑いを生ぜしめない。

 死体遺棄、死体損壊についても、歌織被告には当時、幻視などの症状があり、一定の意識障害があったと認められる。幻視は犯行動機の形成に全く関係がなく、犯行態様や犯行動機の了解可能性、犯行前後の目的を持った行動からすれば、歌織被告の意思や判断に基づいて行われたものと認められる。当時の歌織被告の精神の障害は、歌織被告の責任能力に問題を生ぜしめる程度のものではなかったと認められる。

 4 歌織被告の脳の器質的障害について、鑑定医は犯行直後のことは不明だが、脳波測定を2度行い、MRI検査などを行った。その結果、現在では脳の器質に異常さを示すものではないとしており、他に同障害を疑わせる証拠はない。

 5 以上から、歌織被告は、各犯行のいずれの時点においても完全責任能力を有していたと認めた。」




(1) 責任能力の判断基準・方法について、本判決と平成20年最高裁判決を比べてみます。

  イ:最高裁平成20年4月25日判決

「被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって専ら裁判所にゆだねられるべき問題であることはもとより,その前提となる生物学的,心理学的要素についても,上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題である(最高裁昭和58年(あ)第753号同年9月13日第三小法廷決定・裁判集刑事232号95頁)。

 しかしながら,生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については,その診断が臨床精神医学の本分であることにかんがみれば,専門家たる精神医学者の意見が鑑定等として証拠となっている場合には,鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり,鑑定の前提条件に問題があったりするなど,これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り,その意見を十分に尊重して認定すべきものというべきである。」



  ロ:東京地裁平成20年4月28日判決

「責任能力の判断とは、個々の事案ごとに、鑑定の結果だけでなく、関係する証拠から認められる歌織被告の犯行当時の精神状態、態様、動機、前後の行動などの諸事情を総合的に検討し、刑事責任を負わせるべきかという観点から裁判所が行う法的判断である。

 一方、精神科医による鑑定結果は、精神に障害があるかないか、障害がある場合、それが犯行時の歌織被告の意思や判断に与えた影響がどうだったかという観点から、障害の程度やその双方についての専門的知見に基づく参考意見である。

 裁判所は、精神の障害の有無や程度の認定において、鑑定に合理性がある限り、十分に尊重する。しかし、鑑定結果が事理弁識能力や行動制御能力に言及している場合でも、それは精神医学の専門家としての分析結果にすぎないのであり、責任能力については、総合的に検討した法的判断によって最終的に決定する。責任能力の判断は鑑定結果に拘束されない。」



  ハ:比較するとまず、判断基準について相反することが分かります。

最高裁判決は、責任能力(刑法39条)の判断については、原則として、裁判所が鑑定に拘束されずに自由に判断できるとしつつも、<1>「鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり」という鑑定人自身に問題があるか否か、<2>「鑑定の前提条件に問題」というように診察方法や前提資料の検討という外観上、明らかな問題があるか否か、という点につき合理的な疑いがない限り、鑑定「意見を十分に尊重して認定すべき」としました。すなわち、裁判所による責任能力の判断は、鑑定人自身の問題や外観上明らかな問題がない限り、例外的に「鑑定に拘束」されるとしたのです。「鑑定に拘束されない」として自由裁量だった従来の判例は明確に制約されたことになります。

これに対して、東京地裁は、責任能力の判断は「裁判所が行う法的判断」とし、従来の判例と同様に自由裁量であることを示し、また、平成20年最高裁判決の判示部分である、「裁判所は、精神の障害の有無や程度の認定において、鑑定に合理性がある限り、十分に尊重する」という点を引用しています。ここまでは、平成20年最高裁判決と類似する判断を示しています。

しかし、東京地裁は結論としては、「責任能力については、総合的に検討した法的判断によって最終的に決定する。責任能力の判断は鑑定結果に拘束されない」とまでわざわざ強調して、結論として「裁判所による責任能力の判断は、鑑定人自身の問題や外観上明らかな問題がない限り、例外的に『鑑定に拘束』されるとした」最高裁判決と明らかに反する基準を採用したのです。

ここまで、(結論として)あからさまに最高裁判決を否定する判断基準を採用することを強調した東京地裁は、正気なのだろうかと思うほどです。


  ニ:また、理由の部分も問題があります。

東京地裁は、平成20年最高裁判決を無視する基準を採用する理由として「鑑定結果が事理弁識能力や行動制御能力に言及している場合でも、それは精神医学の専門家としての分析結果にすぎない」という点を挙げています。

これでは、最高裁が、「生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については,その診断が臨床精神医学の本分である」として、「餅は餅屋に」というごく当然の理解を否定することになってしまい、平成20年最高裁判決前の判例に戻すことを明言したことになるのですから、明らかに妥当でありません。

本判決は、従来の判例と異なり、精神医学の「専門家による鑑定結果を尊重せよ」とのメッセージを示したわけですが、なぜこのようなメッセージを出したかというと、やはり裁判員制度の実施が目前に控えているからです。すなわち、「来年始まる裁判員裁判で混乱を防止する意図も含まれている」とか「裁判員が短期間で判断しやすい基準」を示すためでした。

ところが、東京地裁によると、鑑定結果は「精神医学の専門家としての分析結果にすぎない」から、裁判所が独自に判断するというのです。これでは、短期間(原則3日間)の法廷で決断を行う裁判員にとって、どうやって「独自の判断」を行えと言うのでしょうか。東京地裁は、実に非現実的な判断を示したのです。

夫殺害・切断で判決 鑑定の意味どこにある

 注目された責任能力については、検察側、弁護側双方の鑑定はいずれも「心神喪失」だった。これに対し、判決では鑑定の専門家としての意見を認めながらも「法的な責任能力は裁判所が判断する」として、結論を導きだした。

 とはいえ、鑑定医の意見を採用していないわけではない。むしろ被告は幻覚などを生じる「短期精神病性障害」になっていたとする鑑定結果は信用性があるとする一方で、遺体を切断する道具の準備や隠ぺい工作などから責任能力はあったとした。

 確かに鑑定結果はあくまでも参考意見だ。だが、最高裁はつい先日、「合理的な理由がない限り、鑑定医の意見は十分尊重すべきだ」とする判断を示したばかりだ。そこでは、被告を「心神喪失」とした鑑定医二人の意見を退けて有罪とした二審判決を破棄、差し戻している。なぜ判断が割れるのだろう。

 最高裁の判断は、裁判員制度が来年導入されるのを見据え、鑑定の扱いについて原則を示そうとする狙いもあったとみられる。地裁判決は、最高裁の「指針」に沿いながらも、最終的な判断は裁判所という点をより重視したようだ。

 しかし、鑑定を採用しない「合理的理由」として最高裁が想定したのは、鑑定医の能力に疑問があるなどのケースである。その点では、今回の判断が妥当だったか、議論が分かれるところだ。夫から日常的に暴力を受けていた被告だが、控訴はしないという。一審で判決が確定する可能性もあるだけに、割り切れなさも残る。」(中国新聞平成20年4月29日付「社説」)



中国新聞の社説が指摘するように、東京地裁には

「鑑定の意味はどこにあるのか?」

という、ごく当然の批判が向けられることになります。


(2) さらに言えば、責任能力を認めた認定の仕方も問題があります。

  イ:最高裁平成20年4月25日判決

 「生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については,その診断が臨床精神医学の本分であることにかんがみれば,専門家たる精神医学者の意見が鑑定等として証拠となっている場合には,鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり,鑑定の前提条件に問題があったりするなど,これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り,その意見を十分に尊重して認定すべきものというべきである。

  (2) この観点から坂口鑑定及び深津鑑定を見ると,両医師とも,いずれもその学識,経歴,業績に照らし,精神鑑定の鑑定人として十分な資質を備えていることはもとより,両鑑定において採用されている諸検査を含む診察方法や前提資料の検討も相当なもので,結論を導く過程にも,重大な破たん,遺脱,欠落は見当たらない。また,両鑑定が依拠する精神医学的知見も,格別特異なものとは解されない。そして両者は,本件行為が統合失調症の幻覚妄想状態に支配され,あるいは,それに駆動されたものであり,他方で正常な社会生活を営み得る能力を備えていたとしても,それは「二重見当識」等として説明が可能な現象であって,本件行為につき,被告人が事物の理非善悪を弁識する能力及びこの弁識に従って行動する能力を備えていたことを意味しないという理解において一致している。このような両鑑定は,いずれも基本的に高い信用性を備えているというべきである。(中略)

  (4) そうすると,統合失調症の幻覚妄想の強い影響下で行われた本件行為について,原判決の説示する事情があるからといって,そのことのみによって,その行為当時,被告人が事物の理非善悪を弁識する能力又はこの弁識に従って行動する能力を全く欠いていたのではなく,心神耗弱にとどまっていたと認めることは困難であるといわざるを得ない。」



  ロ:東京地裁平成20年4月28日判決

「イ 鑑定結果の信用性

 検察官は、歌織被告はそれまで誰にも、幻覚があったなどと供述していなかったのに、鑑定医らの問診時に供述するに至ったのは、鑑定医らが誘導的に質問したからで、鑑定結果は信用できないと主張する。しかし−。

  a 幻覚体験は、統合失調症による型と、それ以外の型とに区別することができる。歌織被告が供述する幻覚体験は、すべて後者に符合し、前者に属するものはない。このように矛盾のない幻覚体験を虚偽に語るためには、高度に専門的な知識が必要である。

  b 歌織被告の幻覚体験の供述を鑑定医が要約したかもしれないが、歌織被告が供述していないことを作ったり、供述したことをあえて取り上げなかった形跡は見当たらない。

  c 歌織被告が供述した幻覚の内容は、祖母や祐輔さんに関連する具体的なものであり、鑑定医の誘導により供述したものとは考えにくい。

  d 当初、捜査官に対し幻覚体験らしき話をしようとしたが全く取り上げてもらえず、その後は自分がおかしいと思われるのが嫌だったので、弁護人や裁判所に対しても話せなかったからであるとする歌織被告の供述は、歌織被告に対する取り調べ状況からすれば、信用できる。

 以上から、犯行当時、歌織被告には先に述べた幻覚症状が生じていたと認められ、その他犯行当時の歌織被告の精神の障害に関する鑑定結果の信用性に疑いを差し挟む事情はない。(中略)

以上からすれば、殺害行為は、歌織被告が、その意思や判断に基づいて行ったものと認められる。殺人行為当時の歌織被告の精神の障害は、現実感の喪失や強い情動反応により犯行の実現に影響を与えていたものの、責任能力に問題を生じさせる程度のものではなかったと認められる。(中略)

 死体遺棄、死体損壊についても、歌織被告には当時、幻視などの症状があり、一定の意識障害があったと認められる。幻視は犯行動機の形成に全く関係がなく、犯行態様や犯行動機の了解可能性、犯行前後の目的を持った行動からすれば、歌織被告の意思や判断に基づいて行われたものと認められる。当時の歌織被告の精神の障害は、歌織被告の責任能力に問題を生ぜしめる程度のものではなかったと認められる。」



  ハ:では、認定方法を比較してみます。

最高裁判決が「鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり,鑑定の前提条件に問題」があるか否かを検討して、「両鑑定は,いずれも基本的に高い信用性を備えている」と判断しています。

ところが、東京地裁判決は、「鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり,鑑定の前提条件に問題」があるか否かを検討することなく、「鑑定結果の信用性に疑いを差し挟む事情はない」としています。東京地裁は、最高裁判決の認定の仕方を無視して「信用性」があるとしているのですから、問題のある認定でした。(なお、「3 責任能力の検討」の前に、わずかに「鑑定手法において何ら不相当なところはない」としていますが、これでは全く不十分な認定です。)


また、最高裁判決は「両鑑定は,いずれも基本的に高い信用性を備えている」として、その素直な結論として「心神耗弱にとどまっていたと認めることは困難であるといわざるを得ない」と判断しています。

ところが、東京地裁判決は、「鑑定結果の信用性に疑いを差し挟む事情はない」としながら、「責任能力に問題を生じさせる程度のものではなかった」としてしまいました。この点でも、最高裁判決の認定の仕方を無視したのですから、問題のある認定でした。


認定方法に関しても、よくもここまで最高裁判決を無視できるものだと感心します。ですから、ここでも、やはり同じことを述べておきたいと思います。ここまで、あからさまに最高裁判決を否定する事実認定の仕方を行った東京地裁は、正気なのだろうかと。




2.解説記事と学者のコメントを幾つか。

(1) 毎日新聞平成20年4月28日付夕刊1面

■解説:責任能力、動機など含め総合判断 精神鑑定結果は追認

 28日の東京地裁判決は「事件当時は急性の精神障害を発症していた」という2人の精神科医の鑑定結果の信用性を認める一方で、動機や殺害状況、当時の生活状況なども総合的に考慮して完全な責任能力を認めた。

 判決は「殺害時は幻聴や幻視が生じ、相当強い情動もあった」と鑑定結果を追認しつつ、「夫との生活に絶望的になった」という動機が明確なことや、歌織被告が殺害時の状況や心情を記憶し、隠ぺい工作などもしていたことから、精神障害は責任能力に影響は与えていないと結論付けた。

 鑑定医2人は「刑事責任を問えない心神喪失だった」という意見も述べていたが、判決は「専門家としての分析結果であり、最終的に責任能力は裁判所が決める」と強調した。

 最高裁は25日に「精神医学者の鑑定は、公正さに疑いがあったり、前提条件に問題があるなどの事情がない限り、十分尊重すべきだ」という基準を示している。判決はこれに沿って鑑定結果を採用する形をとりながら、結果的には「心神喪失だった」という鑑定医の見解を退けており、分かりにくさは否めない。

 公判では来年5月に始まる裁判員制度を見据え、鑑定医2人が同時に出廷して口頭で鑑定結果を報告し、質問に答える試みが実施された。東京地検も事件を契機に、専門知識を備えた精神鑑定の担当検事を置いた。裁判員が責任能力を適切に判断するために、関係者にはこれまで以上に分かりやすい鑑定と立証活動が求められている。【伊藤一郎】

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 ■ことば

 ◇刑事裁判での精神鑑定

 被告の精神状態について精神科医が専門知識を基に診断する手続き。「犯行時、精神の障害で物事の善悪が分からない状態(心神喪失)」と鑑定されると、裁判官が「責任能力がない」と認めて無罪になることがある。鑑定が「判断力が著しく減退している状態(心神耗弱)」なら、刑が減軽されるケースも。死因や交通事故の原因などを調べる別種類の鑑定と合わせ、全国の地裁で年間160〜180件程度の鑑定が実施されている。

毎日新聞 2008年4月28日 東京夕刊」



(2) 朝日新聞平成20年4月28日付夕刊13面「解説」(14版)

鑑定以外の要素も判断

 三橋被告の判決は、その3日前に出された最高裁判決の指摘がどう判断に影響するかという点で注目された。最高裁判決は、精神鑑定について「特に事情のない限り、専門家の意見を尊重すべきだ」とする判断を示した。三橋被告の公判と同じ2件の「心神喪失」の鑑定結果が出た男性被告について、心神耗弱により有罪とした二審判決を破棄していた。

 三橋被告に対する判決は「専門家の意見を尊重する」としながらも、2件の「心神喪失」とする指摘とは異なる結果を導いた。被告に精神障害が起きていたとは認めがたいが、事件前の夫との生活の状況など、事件の背景や経緯の全体を見渡した上で判断したとみられる。

 公判では鑑定結果が口頭で示されたが、その証拠の重みは変わらない。弁護側は責任能力の認定について不満を表しており、もし上訴されれば、鑑定結果をめぐるこの難問はさらに続くだろう。」



(3) NHK 焦点のニュース(4月28日(月))「夫殺害切断事件 懲役15年」

“わかりにくい判決”

判決について、刑事訴訟法が専門の北海道大学法科大学院の白取祐司教授は「鑑定結果を信用できるとしながら責任能力を認めたのは、ちぐはぐで、わかりにくい判決だ。最高裁の判決を踏まえて鑑定結果も尊重していることを示したかったのだろうが、かえって説得力を失ってしまった印象だ。鑑定結果を信用するのならば無罪にする。有罪にするのなら、きちんとした説明をつけて鑑定結果を否定する。今後、市民が裁判員制度で審理に参加することを考えれば、そういう判決にすべきだったのではないか」と話しています。


“総合的に検討 妥当な判断”

判決について、元裁判官で早稲田大学大学院法務研究科の川上拓一教授は「裁判官は、精神障害があったかどうかという医学的な判断は専門家に任せるが、責任能力についてはみずから判断するのがルールだ。最高裁は『鑑定を尊重すべきだ』という判断を示しているが、鑑定どおりに判決を言い渡さなければならないという意味ではない。きょうの判決は、証拠を総合的に検討して有罪と結論づけているので妥当な判断だと思う。裁判員制度では、このような刑事裁判の原則を裁判員に対してわかりやすく説明する必要がある」と話しています。」




(4) 幾つかの解説を引用しておきましたが、すでに行った検討からすれば白取教授の見解が端的でしょう。

「白取祐司教授は「鑑定結果を信用できるとしながら責任能力を認めたのは、ちぐはぐで、わかりにくい判決だ。最高裁の判決を踏まえて鑑定結果も尊重していることを示したかったのだろうが、かえって説得力を失ってしまった印象だ。」


東京地裁は、「結論は変えたくないが、平成20年最高裁判決は無視できない」と思ったばかりに、色々と小細工をしてみたのですが、結局は、「ちぐはぐで、わかりにくい」ものになり、最高裁判決と明らかに反する判断基準・認定を行ってしまったのです。

今回の東京地裁は、きちんと最高裁判決を理解し、最高裁に沿った判断を行うべきでした。きつい言い方をすれば、東京地裁は平成20年最高裁判決をまるで読んでいないとさえ、いえるものだったのです。白取教授は「かえって説得力を失ってしまった」と述べて、配慮した言い方をしていますが、はっきりいえば、東京地裁は最高裁判決に反するおかしな判決だったということです。

川上拓一教授は、「最高裁は『鑑定を尊重すべきだ』という判断を示しているが、鑑定どおりに判決を言い渡さなければならないという意味ではない」としていますが、こんな最高裁判決をまるで理解していない論外な解説はともかく、問題なのは、「東京地裁判決は平成20年最高裁判決に明らかに反する」と明言する解説記事がほとんどないことです。

かろうじて、毎日新聞は「分かりにくさは否めない」とし、中国新聞も「鑑定の意味どこにある」と指摘して、東京地裁への批判を行い、気を吐いています。(朝日新聞の解説は、一応、判例の構造を分析していますのでまだマシな解説といえます)

裁判員制度では、精神鑑定の扱いは大きな課題の1つです(中国新聞の社説)。

もし東京地裁判決が妥当だとしたら、平成20年最高裁判決は無意味になるだけでなく、裁判員となる一般市民としてはまったく判断できず、法廷が混迷してしまうことは必至です。裁判員制度を念頭において示した最高裁判決の基準と矛盾するのか否か明言しておくことは、国民の知る権利への奉仕となるだけでなく、公正な裁判の実現のためにも、報道機関としての務めであると思います。


テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済