1.報道記事を幾つか。
(1) 毎日新聞平成20年4月22日付夕刊1面
「山口・光の母子殺害:差し戻し控訴審 元少年に死刑判決 広島高裁「新供述は不自然」
◇「情状斟酌できぬ」
山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審の判決公判が22日、広島高裁であった。楢崎康英裁判長は「身勝手かつ自己中心的で、(被害者の)人格を無視した卑劣な犯行」として、無期懲役とした1審判決を破棄し、求刑通り死刑を言い渡した。元少年が差し戻し審で展開した新供述を「不自然不合理」と退け、「1、2審は改善更生を願い無期懲役としたのに、死刑を免れるために供述を一変させ、起訴事実を全面的に争った」と批判した。弁護側は即日、上告した。
最高裁は06年6月、高裁が認めた情状酌量理由を「死刑を回避するには不十分」として1、2審の無期懲役判決を破棄し、高裁に差し戻した。
判決によると、元少年は99年4月14日、光市のアパートに住む会社員、本村洋さん(32)方に排水管検査を装って上がり込み、妻の弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、抵抗されたため手で首を絞めて殺害。長女夕夏ちゃんを床にたたきつけた上、首にひもを巻き付けて絞殺した。
元少年は差し戻し審で弥生さん殺害について、「甘えたい気持ちで抱きつき、反撃され押さえつけたら動かなくなった」とし、夕夏ちゃん(同11カ月)について「泣きやまないので抱いてあやしていたら落とした。首を絞めた認識はない」と述べた。
供述を変えた理由については、「自白調書は警察や検察に押し付けられ、1、2審は弁護人が無期懲役が妥当と判断して争ってくれなかった」とした。
判決は「弁護人から捜査段階の調書を差し入れられ、『初めて真実と異なることが記載されているのに気づいた』とするが、ありえない」と、元少年の主張を退けた。
また、弥生さんの殺害方法について元少年が「押し倒して逆手で首を押さえているうちに亡くなった」としたのに対しても「困難と考えられ、右手で首を押さえていたことを『(元少年が)感触さえ覚えていない』というのは不自然。到底信用できない」とした。夕夏ちゃん殺害についても、「供述は信用できない」と否定した。
また、元少年が強姦行為について「弥生さんを生き返らせるため」としたことについて、「荒唐無稽(こうとうむけい)な発想であり、死体を前にしてこのようなことを思いつくとは疑わしい」と退けた。事件時、18歳30日だった年齢についても「死刑を回避すべきだという弁護人の主張には賛同し難い」とした。
また、元少年の差し戻し審での新供述を「虚偽の弁解をろうしたことは改善更生の可能性を大きく減殺した」と批判。「熱心な弁護をきっかけにせっかく芽生えた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」とした。
2審の無期懲役判決を差し戻した死刑求刑事件は戦後3例目だが、他の2件は死刑が確定している。【大沢瑞季、安部拓輝、川辺康広】(以下、省略)
毎日新聞 2008年4月22日 東京夕刊」
「■解説:被害者2人「境界事例」で判断
量刑が最大の焦点になった差し戻し審で、広島高裁は結果の重大性を重視して極刑を選択した。たとえ少年でも故意に複数の命を奪った事件は、積極的に死刑を適用すべきだとの司法判断を明確に示したと言える。
06年6月の最高裁判決は、元少年が事件当時18歳30日だった点を「考慮すべき一事情にとどまる」とし、差し戻した。これに対し弁護側は、元少年の成育環境による未熟さを背景とする偶発的事件と主張。1、2審で認めた殺意や強姦の意図を争い、高裁が弁護側の主張をどこまで認めるかが焦点となった。
最高裁は83年の永山則夫元死刑囚(97年執行)に対する判決で、死刑選択の判断基準として9項目を挙げた。判例をみると被害者の数が重要な要素とされるが、明確な基準はなく、被害者2人の場合は、判断が分かれる「境界事例」だった。更に、永山判決以降、被告が少年の事件で死刑判決が確定したのは2件だけで、いずれも被害者は4人だ。
高裁が従来の量刑判断から大きく踏み出した背景として、来年始まる裁判員制度を前に「死刑基準を明確化したもの」と指摘する専門家もいる。厳罰化世論が高まる中、死刑に慎重であるべき少年事件で示された判決は、量刑を巡る議論に一石を投じるものだ。【安部拓輝、大沢瑞季】
毎日新聞 2008年4月22日 東京夕刊」
「光市母子殺害 死刑判決 少年への厳罰化 後押し
「精神的成熟求めず」
犯行当時18歳の少年だった被告(27)を死刑とした広島高裁の差し戻し控訴審判決は「少年法は死刑適用について精神的成熟度や矯正可能性などの要件を求めていない」と指摘した。死刑を回避すべき事情の有無について高裁は、最高裁が1983年に示した「永山基準」を踏襲しているが、今後、少年への厳罰化の流れを後押しする判断といえそうだ。
最高裁は「連続4人射殺事件」の永山則夫元死刑囚(97年執行)に対する83年7月の判決で、死刑適用の判断基準を示している。
永山判決は、<1>犯行の罪責<2>動機<3>殺害方法の執拗(しつよう)性や残虐性<4>殺害された被害者の数<5>遺族の被害感情<6>社会的影響<7>犯行時の年齢<8>前科<9>犯行後の情状――を挙げ、死刑選択が許されるのは「罪責が重大で、極刑がやむを得ない場合」とした。
この日の判決は「永山基準」を踏まえ、死刑を回避すべき事情の有無を判断。18歳1ヶ月という年齢は「量刑上十分に考慮すべきだ」と指摘し、被告について「精神的成熟度は低い」とした。
しかし18歳未満への死刑適用を禁じた少年法51条について、「形式的基準を設けているが、精神的成熟度などの要件は求めていない」と指摘。(18歳以上の)年長少年について精神的に未成熟で矯正可能性が証明されれば死刑を回避すべきだ、との弁護側の主張について「賛同しがたい」と判示した。
死亡した被害者が2人という点についても「結果は極めて重大」とした。
最高裁によると、66年以降、犯行時少年だった被告の死刑確定は9人。ただし、永山判決以降は千葉県市川市の一家4人殺害事件の犯行時19歳の元少年だけ。永山元死刑囚も犯行時19歳で被害者は4人だった。
一方、2人が殺害されるなどしたアベック殺人事件の犯行時19歳の少年に対する96年の名古屋高裁判決(確定)は、更生可能性や反省の態度を挙げ、死刑とした1審判決を破棄して無期懲役に減刑した。
被害者が2人の殺害事件では成人でも無期懲役となることが多く、「犯行時少年」で「被害者2人」なら無期懲役、というのが従来の判例の考え方だったともいえる。
このため、光市の事件の1審判決は、犯行時18歳1ヶ月という被告の年齢と被害者2人という点について、死刑とした従来の判例とは「著しい差異がある」と指摘し、死刑回避の理由の1つと判断。2審もこれを支持した。
しかし被害者2人で、犯行時18歳の被告に死刑を言い渡したこの日の判決は、少年事件の場合に一般成人の責任能力とは異なる「少年の責任能力」という概念を前提とした弁護側の主張を「独自の見解」と切り捨て、死刑適用の年齢を定めた少年法の規定を「形式的基準」と言い切っており、少年への死刑適用のあり方に一石を投じそうだ。」
「<判決骨子>
一、1審判決を破棄し、被告を死刑に処する
一、差し戻し控訴審での新供述は不自然、不合理だ
一、1審判決が認定した事実に誤認はない
一、犯行時18歳になって間もなかったことなどは、死刑を回避する特に酌量すべき事情とまではいえない。被告は反省心を欠いている
一、責任は誠に重大で、極刑はやむを得ないというほかない」
(3) 朝日新聞平成20年4月23日付朝刊35面
「母子殺害に死刑 「不当判決で厳罰化加速」弁護団が批判
2008年04月22日23時08分
山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、広島高裁が被告の元少年(27)に死刑を言い渡したことを受け、弁護団は22日午後、記者会見し、「極めて不当な判決だ」と述べた。また、閉廷後に面会した元少年の様子について「至って冷静だった。僕らの方が冷静じゃなかった」と語った。
主任弁護人の安田好弘弁護士は「専ら捜査段階の供述に信用性を置き、客観的証拠や(鑑定などの)専門的知識による供述の見直しが行われることは一切なかった」と判決を批判。さらに「死刑はやむを得ない時だけ適用するという従来の考え方から、凶悪な事件はまず原則として死刑とする考え方に転換してしまった。『疑わしきは被告人の利益に』の哲学と全く反している」と述べ、判決をきっかけに厳罰化が加速するとの考えを示した。
主張が認められなかった理由については「証拠が不足していた。なぜ、この時期に新供述が出てきたのか、裁判所にわかるよう具体的に出すべきだった」と説明。上告書を出したのは閉廷直後。「正しい判決を出すよう強く求めていきたい」と述べた。
元少年には山崎吉男弁護士ら4人が面会した。報道機関に言いたいことはないか尋ねると「今まで自分が述べてきたことで、記憶違いがあるかもしれないけど、すべて自分にとって真実」と話したという。また、これまでと同じように、遺族に対し判決にかかわらず一生謝罪を続けたいと語ったという。
◇
弁護団会見の主なやり取りは次の通り。
――上告した理由は
判決は著しく正義に反する。事実を誤認し、量刑も不当だ。また、従来の判例(永山基準)を逸脱している。
――なぜ起訴から6年半で元少年の供述は変わったのか
裁判所は「最高裁の弁論期日が入り、死刑を回避するために虚偽の供述をした」としているが、被告人が初めて新供述を語ったのは、期日が入る2年前、教誨(きょうかい)師に対してだった。話せる相手には、ずっと前から話していた。裁判所は前提を間違っている。
――犯行時18歳の元少年に死刑が言い渡されたことで、今後考えられる影響は
この事件は、厳罰化のために使われたと言える。従来は、「やむを得ないときだけ適用が許される」のが死刑という刑罰だった。しかし、この事件以降は、凶悪な事件は「原則死刑」となっている。今回の判決で、厳罰化はますます加速するだろう。
――元少年の利益を考えれば、事実認定を争わなくてもよかったのでは
それは弁護士の職責としてあり得ない話だ。真実を出すことで初めて、(被告人に)反省と贖罪(しょくざい)が生まれると思っている。もちろん、悩みながら活動してきたし、全面的に正しいとは思わない。もっと証拠を出すべきだったし、なぜ供述が変わったのかを、もっとわかりやすく説明すべきだったという反省もある。しかし、弁護団で議論し、(事実認定を争う方針が)一番正しいという自信を持ってやってきた。
――今後、少年にどう生きてほしいと思うか
(贖罪などの)被告人の目標がしっかりしていれば、自暴自棄に陥ることはない。弁護団として、彼の気持ちや、やりたいことを思い切り支えようと思う。」
3.これらの記事で、広島高裁判決の問題点が明らかになっていると思います。
(1) まず、最初に挙げられるのは、「刑事弁護に対する著しい軽視の姿勢」です。
イ:
「「熱心な弁護をきっかけにせっかく芽生えた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」とした。」(毎日新聞)
刑事弁護において弁護人が被告人の話を十分に聞いて弁護を行うことは、弁護人の任務上、当然のことです。「弁護人の任務とは、依頼者である被告人に誠実に尽くすこと、すなわち、誠実義務にほかならない」(佐藤啓史「展開講座 刑事弁護の技術と倫理」法学教室297号99頁)のですから、被告人の話を聞くことなく、被告人の不服を無視することは、誠実義務に反することになります。
被告人が殺意を否認し、それに沿った鑑定書もあるばかりか、逮捕直後の取調べ、少年鑑別所や家庭裁判所においても、殺意の否認を示唆するような発言をしていたのです。そうであれば、もし、差し戻し控訴審において、これらの事実を無視した刑事弁護をしていたのであれば、誠実義務に違反することは明白でした。
広島高裁は、被告人が殺意を否認している書面を読んでいるはずなのに、「熱心な弁護をきっかけにせっかく芽生えた反省の気持ちが薄らいだ」として、誠実義務を事実上、否定するのです。
裁判所は「最高裁の弁論期日が入り、死刑を回避するために虚偽の供述をした」としていますが、「被告人が初めて新供述を語ったのは、期日が入る2年前、教誨(きょうかい)師に対してだった」(朝日新聞)のです。そして、被告人は、逮捕直後の取調べ、少年鑑別所や家庭裁判所で、殺意の否認を示唆するような発言をしていたのです(捜査官は、「被害者が死亡しているのに何を言うか」と一喝されてしまい、被告人は殺人と傷害致死とで罪に違いがあると知らなかったこともあって、殺害の故意についての発言を止めてしまいました。現代人文社編集部編『光市事件裁判を考える』151頁)。
少年事件での捜査では、少年は、大人たち(取り調べを担当した警察官・検察官)の思い込みや威迫に影響されやすく、少年の自白調書の信用性の判断は慎重さが必要です。そんなことも無視し、広島高裁は、差戻し控訴審での被告人の供述に対しては、客観的証拠(=「新供述は期日が入る2年前、教誨師に語った」という事実のこと。4月26日追記。)に反してでも否定しているのです。
そのため、弁護団は次のように批判しています。
「主任弁護人の安田好弘弁護士は「専ら捜査段階の供述に信用性を置き、客観的証拠や(鑑定などの)専門的知識による供述の見直しが行われることは一切なかった」と判決を批判。」(朝日新聞)
「「客観的事実に基づかない極めて不当な判決」。……安田好弘主任弁護人は「捜査段階の自白に信用性を置き、その後の供述は、過去に自白をしていないとの理由だけで排斥した。証拠の評価法が基本的に間違い」と強調。死刑回避を図ったとする指摘には「被告は自分のやったことを正確に、有利不利を問わずに話した。被告の態度と心を見誤った」とした。
井上明彦弁護士は「こんな不合理な判決を出す裁判所がある限り、被告は争うことができない。事実を争っただけで反省の気持ちがないと断じられ、死刑になってしまう」と涙ぐんだ。」(中国新聞'08/4/23「弁護団「極めて不当」 新供述不認定 激しく抗議」)
弁護人としては、ごくごく当然の主張であるといえます。
ロ:刑事弁護への理解の欠如は、他にも見受けられます。
例えば、
点が挙げられます。「「21人の弁護団がついたことで、(被告は)刑事責任が軽減されるのではないかと期待した。芽生えていた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」と弁護団の存在が元少年に不利な状況を招いた可能性を示唆した。」(毎日新聞平成20年4月23日付朝刊3面「クローズアップ2008:光母子殺害、元少年に死刑判決 刑厳罰化に沿う」)
広島高裁は、21人の弁護団がいたおかげで極めて迅速な審理がなされたことを、すっかり忘却してしまっているのです。広島高裁が、いかに刑事弁護を軽視し、弁護人の立証なぞ殆ど聞いていなかったことがよく現れている部分です。
ハ:次の点も、刑事弁護軽視の態度がよく現れています。
「判決は末尾部分で最高裁が2年前、審理を差し戻すにあたって「犯罪事実は揺るぎなく認められる」と述べたことに言及し、「今にして思えば、弁解をせず、真の謝罪のためには何をすべきかを考えるようにということを示唆したものと解される」と述べた。にもかかわらず「虚偽の弁解」を繰り広げたことで「死刑回避のために酌むべき事情を見いだす術(すべ)もなくなった」というのが判決が示した論理だった。」(朝日新聞平成20年4月23日付朝刊2面「時時刻刻」欄・「変わるか、死刑の臨界点 光市母子殺害」)
要するに、被告人はひたすら反省をすればよいのであって、刑事弁護も「情状弁護」だけをやっていればよく、真相究明などと無意味なことはするなということです。
当然ながら、弁護団は、そんな広島高裁に対して批判しています。
「主任弁護人の安田好弘弁護士は記者会見で「犯罪事実が違っていては真の反省はできない。死刑事件では反省の度合いより、犯行形態や結果の重大性が重視されてきた。反省すれば判断が変わったというのか。高裁の指摘は荒唐無稽(こうとうむけい)だ」と批判。別の弁護士も「こんな判決が出るようでは、事実を争うことがリスクになってしまう」と語り、天を仰いだ。」 (朝日新聞平成20年4月23日付朝刊2面「時時刻刻」欄・「変わるか、死刑の臨界点 光市母子殺害」)
弁護人の任務は、「依頼者である被告人に誠実に尽くすこと、すなわち、誠実義務にほかならない」のですから、被告人の主張や犯罪事実と異なる主張はできないのです。ですから、弁護人の任務上、事実を争わずに「謝罪」だけをしていればすむわけではないのです。
もっとも、本村洋さん(32)は判決後の記者会見で「最後まで事実を認めて誠心誠意、反省の弁を述べてほしかった。そうしたら、もしかしたら死刑は回避されたかもしれない」と語っています。確かに、被告人や弁護人が、差し戻し控訴審中、ひたすら謝罪していれば被害者遺族としては喜んだことでしょう。(本村さんは、真相を知りたいといいつつ、結局は「誠心誠意、反省して死ね」ということですから、なんとも言えない気分になります)
しかし、特に、「死刑事件では反省の度合いより、犯行形態や結果の重大性が重視されてきた」のですから、反省の弁を述べても「死刑は回避され」ることはないのです。福岡高裁は、謝罪をしても死刑を回避しないと分かっているのに、謝罪すれば死刑を回避できたかもしれないと一瞬思わせるような判示をして、お為ごかしを述べて見せたのです。まったく愚にもつかない判示です。
ニ:一部メディアは死刑を求める大合唱の場でした。また、殺意を否認した弁護団に対する攻撃も異常でした。弁護人として、憲法上、求められる義務・任務を行っているだけであるのに、「被告を死刑にできないなら弁護人らを銃で処刑する」といった脅迫をすることまでする者まで現れるほど異常でした。
そればかりか、タレント弁護士の橋下氏がテレビ番組で攻撃を煽る発言を行い、弁護士会に対して全く根拠のない懲戒請求が殺到しました。(結局、今まで弁護士会が出している判断は、すべて懲戒理由なしというものでした)
広島高裁の判断は、こんなメディアや一部世論による「刑事弁護に対する異常な批判」に影響を受けたかのようです。(もちろん、最高裁の影響も大きいでしょう)
ホ:被告人や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことは、特に指摘しておく必要があります。そのため、4月15日、「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会は、「番組の多くが極めて感情的に制作され、偏った内容になっていた」などと指摘、各局に裁判報道の改善を求める意見を通知しました。
それを受けて、4月22日の裁判報道はおおむね冷静に報道したようですが(「東京新聞平成20年4月23日付朝刊17面【放送芸能】欄「光市の母子殺害 死刑判決 各局、冷静に速報」参照)、「報道ステーション」は相変わらず感情的な報道を繰り広げ、古館氏は、放送倫理検証委員会による改善要求など、まるで無視した態度でした。(元検事の弁護士による解説は検事の意見そのものであり、まるで刑事弁護を理解していないので、世間に与える弊害が大きい)
「テレ朝の君和田正夫社長は二十二日の定例会見で「意見は重い内容を含んでいる」と述べ、十六日に報道局ディレクターらを対象に研修会を行ったことを明らかにした。」(「東京新聞平成20年4月23日付朝刊17面【放送芸能】欄「光市の母子殺害 死刑判決 各局、冷静に速報」)
研修会を行っていても「報道ステーション」はまるで無視ですから、無意味な研修会でした。これがテレビ朝日の姿勢ということなのだと思います。(「ニュース23」が最も冷静な報道であり、賞賛に値します)
へ:これでは、「有罪ありき」で刑事弁護はまるで無意味です。多くの弁護人が言っているように、捜査段階で自白してしまったらその時点でもう「おしまい」なのです。そのことをよく知らしめてくれた判断でした。
(2) 有罪率99.9%の刑事裁判では、起訴事実と異なる主張を受け入れてもらえる余地はほとんどありません。周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』は、痴漢冤罪事件を描いたものでしたが、そのモデルとなった事件で被告人となってしまった方は、インタビューに次のように述べています。
「――最後に、冤罪事件をなくすには何が一番重要でしょうか。
孝:警察・検察がデタラメなことをしているのが悪いのはもちろんですが、一番反省して欲しいのは裁判所です。本来、警察や検察の嘘を見抜かなければならないのに、それができていない。裁判所への怒りは、今も大きなものがあります。
裁判所がきちんと証拠にもとづいた判断を行えば、検察もいい加減なことでは有罪立証ができないことになり、真剣に捜査するようになるのではないでしょうか。「疑わしきは罰する」になってしまっている現状の裁判では、冤罪はなくならないと思います。」(冤罪File01号「西部新宿線事件 無罪判決でも取り戻せない――失った2年間」29頁)
広島高裁のような態度では、裁判は有罪認定のための儀式にすぎず、今後も冤罪は決してなくなることはないだけでなく、冤罪事件は激増していくに違いありません。広島高裁は、「疑わしきは罰する」になってしまっている現状に輪をかける判断を示したのですから。
4.広島高裁の問題点としては、「少年法に対する著しい軽視」という点があります。
(1) 光市事件判決である最高裁平成18年6月20日判決は、少年法に関して、次のように判示していました。
「少年法51条(平成12年法律第142号による改正前のもの)は,犯行時18歳未満の少年の行為については死刑を科さないものとしており,その趣旨に徴すれば,被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは,死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが,死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず,本件犯行の罪質,動機,態様,結果の重大性及び遺族の被害感情等と対比・総合して判断する上で考慮すべき一事情にとどまるというべきである。」
要するに、「死刑を回避すべき決定的な事情」ではないと結論付けながらも、被告人が18歳1ヶ月であるため、少年法の趣旨からして「死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき」としているのです。しかし、広島高裁は異なる理解を示しました。
「光市の事件の1審判決は、犯行時18歳1ヶ月という被告の年齢と被害者2人という点について、死刑とした従来の判例とは「著しい差異がある」と指摘し、死刑回避の理由の1つと判断。2審もこれを支持した。
しかし被害者2人で、犯行時18歳の被告に死刑を言い渡したこの日の判決は、少年事件の場合に一般成人の責任能力とは異なる「少年の責任能力」という概念を前提とした弁護側の主張を「独自の見解」と切り捨て、死刑適用の年齢を定めた少年法の規定を「形式的基準」と言い切っており、少年への死刑適用のあり方に一石を投じそうだ。」(日経新聞)
ここまで、少年法の規定を軽視するとなれば、最高裁判決とも合致しないのですから、むしろ、広島高裁の判断の方が「独自の見解」といえるのです。被告人について「精神的成熟度は低い」と認定してはいるものの、結論にはまるで影響しておらず、それは単なるお為ごかしにすぎないのです。とても妥当な判断とはいえません。
(2) 最高裁は1983(昭和58)年の永山則夫元死刑囚(97年執行)に対する判決で、死刑選択の判断基準として、<1>犯行の罪責<2>動機<3>殺害方法の執拗(しつよう)性や残虐性<4>殺害された被害者の数<5>遺族の被害感情<6>社会的影響<7>犯行時の年齢<8>前科<9>犯行後の情状――を挙げ、死刑選択が許されるのは「罪責が重大で、極刑がやむを得ない場合」としています。そして、少年事件(少年法3条:裁判を受けるとき20歳未満である少年では、少年の特性に配慮した事件処理をしなければならない)については、特別の配慮を示していました。
「最高裁によると、66年以降、犯行時少年だった被告の死刑確定は9人。ただし、永山判決以降は千葉県市川市の一家4人殺害事件の犯行時19歳の元少年だけ。永山元死刑囚も犯行時19歳で被害者は4人だった。
一方、2人が殺害されるなどしたアベック殺人事件の犯行時19歳の少年に対する96年の名古屋高裁判決(確定)は、更生可能性や反省の態度を挙げ、死刑とした1審判決を破棄して無期懲役に減刑した。
被害者が2人の殺害事件では成人でも無期懲役となることが多く、「犯行時少年」で「被害者2人」なら無期懲役、というのが従来の判例の考え方だったともいえる。」(日経新聞)
最高裁平成18年6月20日判決は、「罪責が重大であれば、原則死刑」とする新たな死刑基準を示したともいえるものであったことは確かですし、少年事件に対する従来の死刑基準からは逸脱するものとの判断も十分に可能でした。それでも、少年法の趣旨からして「死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき」との姿勢はぎりぎり保っていたのです。しかし、広島高裁は、これらの事情をまるで無視し、「従来の量刑判断から大きく踏み出した」(毎日新聞)のです。
ですから、弁護団は次のように述べているのです。
「――上告した理由は
判決は著しく正義に反する。事実を誤認し、量刑も不当だ。また、従来の判例(永山基準)を逸脱している。」(朝日新聞)
十分に理解できる批判であるように思います。
5.今後の影響について、弁護団は次のように述べています。
「――犯行時18歳の元少年に死刑が言い渡されたことで、今後考えられる影響は
この事件は、厳罰化のために使われたと言える。従来は、「やむを得ないときだけ適用が許される」のが死刑という刑罰だった。しかし、この事件以降は、凶悪な事件は「原則死刑」となっている。今回の判決で、厳罰化はますます加速するだろう。」(朝日新聞)
広島高裁は、躊躇なく「従来の量刑判断から大きく踏み出した」(毎日新聞)のですから、より一層厳罰化が進むことになります。特に、少年事件では厳罰化が進むことになるでしょう。広島高裁のように、刑事弁護軽視の態度では、どんなに冤罪であっても無罪にならず、多数の事件で厳罰に処せられてしまうのは必然といえそうです。
「◆事件の記録残して−−漫画「家栽の人」原作者でメールマガジン「少年問題」編集長、毛利甚八さん
判決は裁判官が独立して決めることなのでどうこう言えないが、判決文で、被告の成育歴など事件の背景をきちんと認定し、記録として残すことが重要だ。死刑判決が出たことで、世の中にはホッとしたり、スッとした人もいるだろう。本当にそれでいいのか。被告は子供のころに虐待を受けており、その時、児童相談所は機能したのか、国民一人一人が真剣に考えるべきだろう。それが、奪われた被害者の命に対する社会の責任だ。
毎日新聞 2008年4月22日 東京夕刊」(毎日新聞平成20年4月22日付夕刊10面)
「死刑判決が出たことで、世の中にはホッとしたり、スッとした人もいる」でしょうし、ひたすら厳罰化を突き進むことをよしとするのが今の日本の世論でしょう。
しかし、被告人は子供のころに苛烈な虐待を受けていましたが(暴力はもちろん、家裁での記録には、小学校に入学式の日に足蹴りにされた、足を持って風呂桶に逆さまに顔を付けられたとの記録がある)、その酷い虐待は増加しているともいえるのですし、児童相談所はその所員の人数が足りず、あまり虐待防止に役立っていないのが現状です。そんな現状を十分に見直さなければ元を断つような対策にならないのに、ひたすら発生してしまった犯罪の厳罰化を行うのは、愚かな振る舞いであるように思うのです。
世論や裁判所にみられる、過剰なまでの「厳罰化」と、感情論で裁判を判断するだけで「刑事弁護の無理解・軽視」の意識。日本社会は、ますます荒んだ意識が蔓延していくことになりそうです。

