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2008/04/20 [Sun] 07:46:06 » E d i t
「光市事件報道問題:BPOは各局に裁判報道の改善要求(上)~「極めて感情的に制作、他局より輪をかけて大袈裟にやるという『集団的過剰同調番組』、刑事裁判の知識なし、「素材負け」していた、巨大なる凡庸」など徹底して酷評!」(2008/04/16 [Wed] 23:46:53)の続きです。

放送界の第三者機関「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会の「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見書」(PDF版(HTMLバージョンもある))を一部引用して論じてみたいと思います。


1.報告書の内容に触れる前に2点ほど。

(1) まず、報告書の目次は、次のようになっています。

目  次

Ⅰ はじめに-事件・犯罪・裁判報道の重要性

Ⅱ 光市母子殺害事件―差戻控訴審までの経緯と報道側の変化

Ⅲ 33本、7時間半の番組-委員会検証の対象と方法

Ⅳ 集団的過剰同調-本件放送の事例と傾向

Ⅴ 刑事裁判-その前提的知識の不足

Ⅵ 被告人報道-いわゆる「素材負け」について

Ⅶ おわりに

【註1】 放送倫理基本綱領(NHK・民放連)
      国内番組基準(NHK)
      新放送ガイドライン(NHK)
      放送基準(民放連)
      報道指針(民放連)
      裁判制度開始にあたっての取材・報道指針(日本新聞協会)
      裁判員制度下における事件報道について(民放連)
【註2】 放送倫理検証委員会運営規則第4条
【註3】 裁判員制度のもとでの報道のあり方について
【別添資料】 各放送局への質問と回答例」


目次をざっとみると、「集団的過剰同調-本件放送の事例と傾向」「刑事裁判-その前提的知識の不足」「被告人報道-いわゆる「素材負け」について」という項目が並んでいます。番組内容としては、捏造番組の次に許されない事柄を行っていたことが一目瞭然ではないかと思います。



(2) この委員会および小委員会が視聴した番組は、以下の8放送局、20番組、33本の放送済み番組の録画であり、その総時間は約7時間30分でした。   

[光市母子殺害事件 委員会が視聴した33本の番組一覧表]
(日付はいずれも2007年。分数は概算)

=第1回公判を機に放送されたもの=

1. 「報道ステーション」 (テレビ朝日 5月24日) 11分
2. 「たかじんのそこまで言って委員会」 (讀賣テレビ 5月27日) 8分
3. 「新報道プレミアA」 (フジテレビ 5月27日) 10分

=第1回集中審理を機に放送されたもの=

4. 「NHKニュース7」 (NHK 6月26日) 4分
5. 「ニュースウォッチ9」 (NHK 6月26日) 4分40秒
6. 「速ホゥ!」 (テレビ東京 6月26日) 4分55秒
7. 「ザ・ワイド」 (日本テレビ 6月27日) 21分
8. 「みのもんたの朝ズバッ!」 (TBS 6月28日) 7分
9. 「ザ・ワイド」 (日本テレビ 6月28日) 39分
10. 「速ホゥ!」 (テレビ東京 6月28日) 3分40秒
11. 「ワイド!スクランブル」 (テレビ朝日 6月29日) 18分

=第2回集中審理を機に放送されたもの=

12. 「ニュースJAPAN」 (フジテレビ 7月24日) 3分
13. 「スーパーJチャンネル」 (テレビ朝日 7月24日) 12分
14. 「イブニング・ニュース広島」 (中国放送 7月25日) 4分
15. 「ピンポン!」 (TBS 7月26日) 8分
16. 「NHKニュース7」 (NHK 7月26日) 55秒
17. 「ニュースウォッチ9」 (NHK 7月26日) 3分30秒
18. 「速ホゥ!」 (テレビ東京 7月26日) 3分10秒
19. 「ピンポン!」 (TBS 7月27日) 12分
20. 「ワイド!スクランブル」 (テレビ朝日 7月27日) 16分
21. 「The・サンデー」 (日本テレビ 7月29日) 18分

=第3回集中審理を機に放送されたもの=

22. 「スーパーJチャンネル」 (テレビ朝日 9月19日) 10分
23. 「FNNスーパーニュース」 (フジテレビ 9月20日) 28分
24. 「スーパーJチャンネル」 (テレビ朝日 9月20日) 27分
25. 「ズームイン!!SUPER」 (日本テレビ 9月21日) 11分
26. 「スッキリ!!」 (日本テレビ 9月21日) 15分
27. 「ザ・ワイド」 (日本テレビ 9月21日) 18分
28. 「みのもんたの朝ズバッ!」 (TBS 9月21日) 28分
29. 「とくダネ!」 (フジテレビ 9月21日) 18分
30. 「やじうまプラス」 (テレビ朝日 9月21日) 15分
31. 「ワイド!スクランブル」 (テレビ朝日 9月21日) 26分
32. 「The・サンデー」 (日本テレビ 9月23日) 25分
33. 「サンデー・ジャポン」 (TBS 9月23日) 3分


こうして挙げてみると、日本のテレビ番組中、およそすべての報道番組が検証対象になっていることが分かると思います。これだけ多いとなると、視聴者は影響を免れることができません。日本の報道番組すべてが、全国の視聴者に対して、光市事件について誤った認識を与え続けていたとさえ、いえるわけです。薄さ寒い思いがします。なお、ここに含まれていない著名な報道番組は「ニュース23」ですから、この番組だけは、裁判報道に関して許容できる範囲であったということになります。

番組数をまとめてみると、NHK:4本、日本テレビ:7本、TBS:5本、フジテレビ:4本、テレビ朝日:8本、テレビ東京:3本、読売テレビ:1本、中国放送:1本となっています。読売テレビは日本テレビ系列ですから、日本テレビ8本となります。こうして比較すると、日本テレビとテレビ朝日が飛びぬけて問題番組を放映していたことになります(もちろん、数本ぐらいは問題視しないで済むものもあったとは思いますが)。

特出して指摘しておくべきことは、娯楽番組が2つ、すなわち、司会:やしきたかじん氏、辛坊治郎氏の「たかじんのそこまで言って委員会」 (讀賣テレビ 5月27日)、司会:太田光(爆笑問題)氏、田中裕二(爆笑問題)氏の「サンデー・ジャポン」 (TBS 9月23日) が含まれていることです。娯楽番組だからといって、好き勝手なことを論じていいわけではないのです。これらは要注意番組であることを記憶にとどめておく必要があります。



2.このブログでは、「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見書」から、「刑事裁判」の知識不足に触れた部分と「おわりに」の部分を引用しておきます。

(1) まずその前に、差戻審での検察側の主張について触れておきます。

  「Q19 差戻審での検察側は、どのような主張をしているのでしょうか。

 検察官は、事実関係についてはほとんど争っていません。弁護側の主張に対しても、真摯に反論をしていません。わずかに法医学鑑定について、弁護側の2つの鑑定に反論するために石津日出夫氏の鑑定書を提出し、その証人尋問をしました。

 Q17でも触れましたが、卑劣な訴訟活動の最さいたるものが、旧2審の被告人が勾留中に知りあった友人に出した手紙です。拘置所での検閲で、被告人にとって不利な事実があることを知った検察官は、この友人に手紙を「任意」提出させて、証拠申請し、被告人に反省がないことを主張しました。信頼している友人に出した手紙が捜査に利用されたことを知った被告人は、深く傷ついていました。

 差戻審でも、真面目に被害者のご遺族の意見陳述に耳を傾け、懸命にメモを採っていた被告人に向かって、公判検事は、「君は真面目に被害者の言葉を聞いていなかった。わたしは、メモ紙に線を引くのを見た」と言って、元少年を脅しました。後にこれが真っ赤な嘘であったことが明らかになるのですが、混乱した法廷で、被告人の口から出た言葉が、「検察官には、僕を『なめないでいただきたい』と言いたい」という発言だったのです。被告人は、いま、このとき興奮してしまったことを深く反省しています。」(現代人文社編集部編『光市事件裁判を考える』(現代人文社、2008年)158頁)


これを読むと、検察側は弁護側の事実関係を巡る主張に対して、真摯な反論をしていないのですから、「第1、2審で争わなかった事実問題を、差戻控訴審になって持ち出すのはおかしい」などと騒ぎ立てていた世間は、一体なんだったのかと思わざる得ません。検察側が真摯に反論していないのに、訴訟当事者でない世間が騒いだところで、ただの馬鹿騒ぎだったと思えてきます。



(2) 「Ⅴ.刑事裁判---その前提的知識の不足」は、刑事裁判における当事者の役割、特に、裁判所と弁護人役割について分かりやすく丁寧に論じており、実に秀逸な内容です。

Ⅴ.刑事裁判---その前提的知識の不足

【問題の所在】

  裁判制度に照らして見るとき、本件放送の際立った特徴は次の2点だった。

 1.被告・弁護団に対する反発・批判の激しさ

 2.裁判所・検察官の存在の極端な軽視

 前者は、「第1、2審で争わなかった事実問題を、差戻控訴審になって持ち出すのはおかしい」「被害者遺族の無念の思いを踏みにじっている」「弁護団は死刑制度反対のために、この裁判を利用している」等々の反発・批判をさかんに浴びせたことを指す。多くの番組がそのことだけに終始した、という印象すらある。

 その裏返しとして、ほとんどの番組は、裁判所がどのような訴訟指揮を行い、検察官が法廷で何を主張・立証したか、第1、2審の判決にもかかわらず死刑という量刑を追い求めた理由は何なのかについて、まったくといってよいほど伝えていない。その分、被告・弁護団が荒唐無稽、奇異なことを言い、次々に鑑定人などの証人尋問を行って、あたかも法廷を勝手に動かしているかのようなイメージが極度に強調された。これが、後者の問題である。

 これらの背景には、番組制作者に刑事裁判の仕組みについての前提的知識が欠けていたか、あるいは知っていても軽視した、という事情があったのではないだろうか。

【意見1 本件放送は、裁判を主宰する裁判所の役割を忘れていなかったか】

 言わずもがなであるが、裁判を主宰するのは裁判所である。裁判所は訴訟を指揮する強い権限を持ち、検察官と被告・弁護人の双方の主張を聞き、証拠の採否を決定して、真実を明らかにすべく審理を遂行する。

 しかし、本件放送からは、こうした裁判所の存在がまったくうかがえない。中継レポートの背景に、差戻控訴審が行われている広島高裁の建物が映っていただけで、裁判所の役割が何であるのか、最高裁の判決を受けてどのような訴訟指揮を行ったのか、その理由や狙いは何なのか、等々について、いっさいの説明がない。

 今回の差戻控訴審で被告・弁護人が提出したさまざまな事実や主張は、たとえそれらが第1、2審で提起されず、あるいは重要視されなかったものであり、また一見、奇妙に見えるものであっても、その全体が、裁判所が差戻審の審理において必要と認めた弁護活動の一環であった。裁判所が認めなければ、法廷では検察官も被告・弁護人も勝手に活動するわけにいかないことは、自明の理である。

 その意味では、本件放送の多くが反発・批判の矛先を被告・弁護団にのみ向けたことは相当な的外れであり、もしそれを言うなら、そのような訴訟指揮を行った裁判所に対して、まず言わなければならなかったはずである。裁判は裁判所が主宰するという初歩的な知識を欠いた、あるいは忘却した放送は、それがセンセーショナルに、また感情的に行われれば行われるほど、視聴者に裁判制度に関するゆがんだ認識を与えかねないものだった。

【意見2 本件放送は、刑事裁判の「当事者主義」を理解していたか】

 今日、日本を含む民主主義社会の刑事裁判を特徴づけているのは、「当事者主義」である。ここで言う当事者とは、検察官、被告・弁護人のことであり、事案の解明や証拠の提出の主導権が、これら当事者にゆだねられている、という意味である。

 裁判所自体は、両当事者の主張・立証に基づき、審判の主体として、事実を認定し、法律に基づいた判断を下す役割を担う。

 当事者主義は、裁判所みずからが積極的に真実を探索する「職権主義」としばしば比較されるが、被告人の人権の保障、証拠収集の確実性、判断の公平性等の観点から、真実発見のために歴史的に形成された最良の手段であるとの評価が定着している。

 こうした刑事裁判にあっては、検察官は、被害者やその家族・遺族の代弁者ではなく、国家的利益をはかる立場に立って、被告の犯罪を特定し、裁判所に裁くべき内容(訴因)を提示し、これを証明する役割を担っている。対して弁護人の役割は、被告との信頼関係のもとに、被告の利益を守る立場から、訴因について反論し、合理的な疑いの存在について主張と立証を尽くすことにある。

 このことは、今回の差戻控訴審であっても、基本的には変わらない。検察官の求めにもかかわらず犯行時の年齢と更生可能性を考慮して死刑を選択しなかった第1、2審とそれを破棄した最高裁の判決をふまえて、検察官は何を主張・立証しようとしたか、それに対して被告・弁護人はどう反論・反証したか。これらのポイントを整理し、事件と裁判の全体像を明らかにし、伝えることが、番組制作者の仕事だったはずである。しかし、本件放送において、検察官の主張や立証の内容を伝えたものは皆無と言ってよかった。第1、2審の判決にもかかわらず上告をして死刑判決を求めた検察官の意図は何であったのか、それは差戻控訴審でどう展開されたのか、検察官は弁護団の新たな主張と立証にどう対応したのかといった事実を知らせることは、弁護団の主張・立証の意味を正確に理解し、公正・公平に評価する上でも、不可欠だったはずである。

 そのかわりにあったのは、被告・弁護団と被害者遺族を対立的に描く手法だった。法廷での被告の供述や弁護団の記者会見での発言映像のあいだに、被害者遺族の記者会見等における発言映像をはさみ、対比させる構成である。

 こうした手法によって、差戻控訴審が、あたかも被告・弁護団と被害者遺族との攻防であるかのような誤解を視聴者に与えているばかりか、検察官も被害者遺族と同様の主張・立証を行ったかのような印象を濃厚に醸し出している。

 被害者遺族が凜として入廷していく姿や、集中審理傍聴後の会見等で、愛する家族を失った無念さをにじませながらも冷静に語る様子には、誰しもが胸を打たれるものがあった。それだけにこの対比的手法には、刑事事件における当事者主義について、視聴者に誤解を与える致命的な欠陥があった。

【意見3 本件放送は、弁護人の役割の認識に欠けるところがなかったか】

 当事者主義のもとでの弁護人には、被告に対して、被告のために最善の弁護をする、という「誠実義務」が課せられている。

 被告は、強力な権限を行使して迫ってくる検察官に対して自己を防御しなければならない、という境遇にある。一般私人であれば、訴訟能力もさほど持ち合わせていないだろう。弁護人はそうした苦境にある被告とのあいだで信頼関係を築き、ときには被告に不利な事情にも踏み込んででも、可能なかぎりの事実と関係情報を集め、それを被告にもっとも有利な主張や立証として組み立てて法廷に提示することにより、全力を尽くして被告人を弁護しなければならない。それが、弁護人の誠実義務である。この義務に違反することがあれば弁護人は懲戒処分の対象になる。

 弁護人が被告人に有利だと判断して法廷にあらたな事実を提示し、争うことは、場合によっては被害者やその家族・遺族を傷つけることにもなりうるが、だからといって弁護人が、被告の主張している事実を提出しなかったりすれば、この誠実義務に背馳することになるのである。

 付言すれば、弁護人には、その公的、公益的な地位を勘案したとしても、被告に対する誠実義務や守秘義務に背いて、被告に不利な方向での「真実」発見に関する証拠や情報を進んで積極的に提出・開示するという義務(積極的真実義務)はない、とされるのが一般的な理解である。

 弁護人にこのような義務を課し、もっぱら被告人のために立証・主張を尽くさせるのは、そのような役割をつとめる専門家がいなければ、真実を発見し、認定することはむずかしい、という司法の歴史的経験に由来している。三審という司法制度の背景をなすのも、真実発見は容易ではなく、審理は慎重に行わなければならない、という歴史的経験に培われた認識である。

 今回の差戻控訴審では、あらたに弁護団が結成され、第1、2審が犯行の動機や態様などの解明や事実認定を十分に行わなかった、と主張し、第1回の公判で「更新意見」を陳述するとともに、被告・弁護人の主張や集中審理で立証しようとする詳細も明らかにしていた。

 裁判所は、最高裁の破棄差戻判決をふまえた審理を行うのであるが、弁護団が求めるこれらの立証を行うことを認め、その訴訟指揮のもとで、弁護人らは弁護活動を行ったのである。そして、その結果として、本件放送でも繰り返し取り上げられることになる被告のさまざまな、一見荒唐無稽とも思われる供述が行われ、また精神鑑定の際の奇異な発言等が紹介されることになった。

 被告は弁護人らの質問に答え、「被害者(の主婦)を通して、(自殺した)実母の姿を見ていた」「このお母さんに甘えたいと思った」「(幼児を床にたたきつけたことについて)事実無根です」「(被害者を殺害しようと思ったことは)まったくありません」「(屍姦は)生き返らせようとしてやった」「(幼児の遺体を押し入れ天井裏に放置したことについて)ドラえもんは押し入れが寝室なので、何とかしてくれると思った」等々を語った。

 また、精神鑑定において、「被害者に来世で会う」「自分が(被害者の主婦の)夫になる可能性がある」などと語っていたことも明らかにされた。
                           *
  委員会が行ったアンケートと聴き取りの調査によれば、今回の差戻控訴審の弁護団は通例では見られないほど多数回の記者会見や背景説明(記者レク)を行っている。3回の集中審理の際には1、2日目は記者レク、3日目には記者会見を開き、会見には相当の時間がさかれていた。

 各放送局の番組制作現場にリアルタイムで伝送され、インターネットでも公開されているそれらの映像を見ると、被告の犯行時における事実を争っている点についても、弁護団は何度か、第1、2審の「捜査機関、弁護人、裁判所がそれぞれ事実を事実として見ていなかった」「司法の怠慢である」「弁護人が事件の大きさに圧倒されたことが、事実の究明を鈍らせた」等々と説明している。

 そこではまた、荒唐無稽、奇異に思われる被告のあらたな供述や殺意の否認についても、じつは「家庭裁判所の鑑別記録、捜査段階における供述、第1審の被告人質問等にすでに現われている」旨を言い、具体的な内容を例示している。

 しかし、これに対する記者・番組制作者からの質問は低調であり、各記録に記載された正確な文言、その文脈や意味するところについて問いただしてもいない。本件放送の内容からすれば、当然、記者らには疑問や異論や違和感があったと想像されるが、弁護団とのコミュニケーションは成立していない。番組によっては、番組制作者がこうした記者会見の場に立ち会うこともなく、地元系列局の記者から送られた簡単なメモ程度の材料しかないまま、放送に臨んでいた。

 本件放送では、こうした弁護団の記者会見の映像はときどき映し出されたが、その「内容」は触れられず、弁護人の一人が「司法の怠慢である」と述べた箇所が、脈絡なく、放送されるだけであった。これでは視聴者は、弁護団が何を主張しているのか、どこを争点にしようとしているのかについて、理解するためのヒントすら得られない。公平で正確な情報提供という観点からは、これは大きく外れた内容だったと言わざるを得ない。

 ここには、真実はすでに決まっている、と高をくくった傲慢さ、あるいは軽率さはなかっただろうか。被告や弁護団の主張・立証など、裁判所が認めるはずがない、という先入観はなかったか。あるいは、いちいちの事実の評価を被害者遺族の見方や言葉に任せてしまい、自分では考えない、判断しない、という怠惰やずるさはなかったと言えるだろうか。

 カメラは「現在」しか写し取ることはできない。その意味ではテレビが目の前にたえず生起する新しい出来事に着目し、そこだけに光を当てた放送になることは無理からぬことかもしれない。しかし、カメラに写らないからといって、被告の過去の供述をなかったものとして扱い、今回は過去とはまったく異なる、新しい供述をしたかのように描くのは、その供述の唐突さを強調することにしかならない。それが尋常では理解できない内容であってみれば、荒唐無稽さや奇異さばかりを目立たせる結果となる。

 目の前のことしか写せないカメラの限界を破っていくのが、番組制作者の力量というものである。現在の事実、現在の供述を取材し、伝えるだけでは不十分であり、その背後にあるものを探る意欲と努力なしには、放送の公正性・正確性・公平性は実現できるものではない。」



「第1、2審で争わなかった事実問題を、差戻控訴審になって持ち出すのはおかしい」「被害者遺族の無念の思いを踏みにじっている」「弁護団は死刑制度反対のために、この裁判を利用している」等々の反発・批判は、典型的な反発・批判です。この典型的な反発・批判について、この報告書は丁寧に答えています。1つ1つ、追ってみたいと思います。


  イ:

「第1、2審で争わなかった事実問題を、差戻控訴審になって持ち出すのはおかしい」


この批判は、裁判は裁判所が主宰するという初歩的な知識を欠いたものです。これに尽きるのです。

「言わずもがなであるが、裁判を主宰するのは裁判所である。裁判所は訴訟を指揮する強い権限を持ち、検察官と被告・弁護人の双方の主張を聞き、証拠の採否を決定して、真実を明らかにすべく審理を遂行する。」


裁判所が、「第1、2審で争わなかった事実問題を、差戻控訴審になって持ち出す」といった、弁護活動を認めたのですから、「差戻控訴審になって持ち出すのはおかしい」ことではないのです。

ですから、「本件放送の多くが反発・批判の矛先を被告・弁護団にのみ向けたことは相当な的外れ」であって、もし文句があるのであれば、「そのような訴訟指揮を行った裁判所に対して、まず言わなければならなかったはず」なのです。

「裁判は裁判所が主宰する」という初歩的な知識を欠いた批判は、「視聴者に裁判制度に関するゆがんだ認識を与えかねないもの」であり、明らかに妥当性を欠いたものだったのです。


  ロ:

「被害者遺族の無念の思いを踏みにじっている」


この批判は、刑事裁判の「当事者主義」及び弁護人の役割の認識に欠けた批判です。端的に言えばこれに尽きるのです。

「今日、日本を含む民主主義社会の刑事裁判を特徴づけているのは、「当事者主義」である。ここで言う当事者とは、検察官、被告・弁護人のことであり、事案の解明や証拠の提出の主導権が、これら当事者にゆだねられている、という意味である。

 裁判所自体は、両当事者の主張・立証に基づき、審判の主体として、事実を認定し、法律に基づいた判断を下す役割を担う。

 当事者主義は、裁判所みずからが積極的に真実を探索する「職権主義」としばしば比較されるが、被告人の人権の保障、証拠収集の確実性、判断の公平性等の観点から、真実発見のために歴史的に形成された最良の手段であるとの評価が定着している。

 こうした刑事裁判にあっては、検察官は、被害者やその家族・遺族の代弁者ではなく、国家的利益をはかる立場に立って、被告の犯罪を特定し、裁判所に裁くべき内容(訴因)を提示し、これを証明する役割を担っている。対して弁護人の役割は、被告との信頼関係のもとに、被告の利益を守る立場から、訴因について反論し、合理的な疑いの存在について主張と立証を尽くすことにある。」



「当事者主義のもとでの弁護人には、被告に対して、被告のために最善の弁護をする、という「誠実義務」が課せられている。

 被告は、強力な権限を行使して迫ってくる検察官に対して自己を防御しなければならない、という境遇にある。一般私人であれば、訴訟能力もさほど持ち合わせていないだろう。弁護人はそうした苦境にある被告とのあいだで信頼関係を築き、ときには被告に不利な事情にも踏み込んででも、可能なかぎりの事実と関係情報を集め、それを被告にもっとも有利な主張や立証として組み立てて法廷に提示することにより、全力を尽くして被告人を弁護しなければならない。それが、弁護人の誠実義務である。この義務に違反することがあれば弁護人は懲戒処分の対象になる。」


「検察官は、被害者やその家族・遺族の代弁者ではなく、国家的利益をはかる立場に立って」被告人が犯罪を犯したことを立証するのですから、「被害者遺族の無念の思い」をすべて代弁するわけではないのです。要するに、検察官の役割は犯罪の立証が主であって、「被害者遺族の無念の思い」を裁判で立証するものではないのです。これに対して、「弁護人の役割は、被告との信頼関係のもとに、被告の利益を守る立場から、訴因について反論し、合理的な疑いの存在について主張と立証を尽くす」ことです。

日本を含む民主主義社会の刑事裁判を特徴づけているのは、「当事者主義」であり、ここで言う当事者とは、検察官、被告・弁護人のことであって、被害者は当事者ではないのです。刑事裁判では、犯罪の立証・防御を行うところなのですから、被害者が当事者になり得ないことは刑事裁判の性質上、当然といえるのです。

そして、当事者主義のもとでの弁護人には、被告に対して、被告のために最善の弁護をする、という「誠実義務」が課せられています。これは、「強力な権限を行使して迫ってくる検察官に対して自己を防御しなければならない」という自己防衛権(自己弁護権)に基づくものなのです。すなわち、誠実義務は、この被告人の自己防衛権(自己弁護権)を実効的なものにするために認められているということなのです。

「弁護士の役割に関する基本原則」では、その冒頭において、「すべての人は,自己の権利を保護,確立し,刑事手続のあらゆる段階で自己を弁護するために,自ら選任した弁護士の援助を受ける権利を有する」と定めて、このことを改めて明らかにしています。

だからこそ、「弁護人が被告人に有利だと判断して法廷にあらたな事実を提示し、争うことは、場合によっては被害者やその家族・遺族を傷つけることにもなりうるが、だからといって弁護人が、被告の主張している事実を提出しなかったりすれば、この誠実義務に背馳することになる」のです。

言い換えれば、弁護人は、その役割として、裁判において被害者やその家族・遺族の心情や名誉を傷つけることは、法律上、許されているということであり、むしろ、誠実義務を尽くすためには、被害者やその家族・遺族の心情や名誉を傷つけることを避けてはいけないということでもあるのです。


  ハ:

「弁護団は死刑制度反対のために、この裁判を利用している」


この批判は、番組制作側が弁護団による説明をまるで無視し、公平で正確な情報提供を意図を欠いたものです。

「委員会が行ったアンケートと聴き取りの調査によれば、今回の差戻控訴審の弁護団は通例では見られないほど多数回の記者会見や背景説明(記者レク)を行っている。3回の集中審理の際には1、2日目は記者レク、3日目には記者会見を開き、会見には相当の時間がさかれていた。

 各放送局の番組制作現場にリアルタイムで伝送され、インターネットでも公開されているそれらの映像を見ると、被告の犯行時における事実を争っている点についても、弁護団は何度か、第1、2審の「捜査機関、弁護人、裁判所がそれぞれ事実を事実として見ていなかった」「司法の怠慢である」「弁護人が事件の大きさに圧倒されたことが、事実の究明を鈍らせた」等々と説明している。

 そこではまた、荒唐無稽、奇異に思われる被告のあらたな供述や殺意の否認についても、じつは「家庭裁判所の鑑別記録、捜査段階における供述、第1審の被告人質問等にすでに現われている」旨を言い、具体的な内容を例示している。

 しかし、これに対する記者・番組制作者からの質問は低調であり、各記録に記載された正確な文言、その文脈や意味するところについて問いただしてもいない。本件放送の内容からすれば、当然、記者らには疑問や異論や違和感があったと想像されるが、弁護団とのコミュニケーションは成立していない。番組によっては、番組制作者がこうした記者会見の場に立ち会うこともなく、地元系列局の記者から送られた簡単なメモ程度の材料しかないまま、放送に臨んでいた。」


「今回の差戻控訴審の弁護団は通例では見られないほど多数回の記者会見や背景説明(記者レク)を行っている」のですから、弁護団は死刑制度反対のために、この裁判を利用していないことは明らかでした。それなのに、番組では無視したのです。

その記者会見では、「被告のあらたな供述や殺意の否認についても、じつは『家庭裁判所の鑑別記録、捜査段階における供述、第1審の被告人質問等にすでに現われている』旨を言い、具体的な内容を例示している」のに、番組では、まるで無視したのです。(新聞報道も、東京新聞などを除き、人々の誤解を解くような記事を掲載していませんが)

「ここには、真実はすでに決まっている、と高をくくった傲慢さ、あるいは軽率さはなかっただろうか。被告や弁護団の主張・立証など、裁判所が認めるはずがない、という先入観はなかったか。あるいは、いちいちの事実の評価を被害者遺族の見方や言葉に任せてしまい、自分では考えない、判断しない、という怠惰やずるさはなかったと言えるだろうか。」


報告書は、このように辛辣に批判しています。




3.「Ⅶ.おわりに」は、一層厳しい批判であふれています。 

Ⅶ.おわりに 

 「巨大なる凡庸」---とは、7時間半におよぶ本件放送を見終わったあとの委員会の席上で、ある委員が口にした感想である。

 巨大とは、テレビそのもののことである。大事件をめぐって、何十人、何百人という取材陣と番組制作スタッフがどっと動き、いっせいに同じことを伝える。ごった返す取材現場と時間に追われる制作現場から送り出された映像と音と言葉は、たちまち家々のテレビ画面に、個々人の携帯端末にあふれかえる。テレビはまず、規模が巨大である。

 だが、光市母子殺害事件の差戻控訴審を伝えた数々の番組は、そうであるだけではなかった。ほぼすべての番組が、「被告・弁護団」対「被害者遺族」という対立構図を描き、前者の荒唐無稽と異様さに反発し、後者に共感する内容だったことはすでに指摘したとおりだが、反発と共感のどちらを語るときも、感情的だった。

 感情的ということのなかには、その口調や身振りが感情的だったということもあるが、もうひとつには、刑事裁判という法律の世界の出来事を、普通の人間の実感レベルだけで捉え、反応しているという意味もある。刑事裁判の仕組みなどそっちのけで弁護団に反発したり、文脈や証拠価値のちがいも区別しないまま、被告の法廷での供述と、精神鑑定の際の言葉をいっしょくたに非難したり、などというのは、その一例だった。

 もちろん実感は、大切なものである。季節感、生活感、現実感をなくしたら、人生の意味は半減してしまうかもしれない。しかし、他方で私たちは、自分の好き嫌いを押し通したり、気に食わない、やられたらやり返せ、などと実感のおもむくままにやっていったら、わが身の暮らし、地域や世の中、そこらじゅうが大変なことになることも、少しは知っておいたほうがよい。

 凡庸は、こうした大切でもあれば、危うくもある、実感の過剰を指している。被告の供述や精神鑑定の場で語ったとされることは、それだけを取り出せば、奇異で異様な言葉である。そのことは実感のレベル、常識のレベルで考えれば、誰でもわかる。

 しかし、本件放送は大人数で、大がかりな番組制作をしながら、そこで止まっている。テレビはその規模の大きさゆえに、多くの視聴者の実感レベルでの反応を引き起こしただろうが、両方が巨大なる凡庸のままで終わっていて、その先がない。この状況を作り出したのは、まずテレビである。その番組の作り方だった。

 公正性・正確性・公平性の原則を十分に満たさない番組は、視聴者の事実理解や認識、思考や行動にもストレートに影響する。一方的で感情的な放送は、広範な視聴者の知る権利に応えることはできず、視聴者の不利益になる、ということである。番組制作者は目の前の事象に反応するだけでなく、種々さまざまな視聴者がそれぞれ何を求めているかについても、考えをめぐらせる必要がある。

 裁判員制度の導入が目前に迫っている。一般市民が裁判員となり、裁判官といっしょに刑事事件被告の有罪無罪や量刑を決めることになる。制度導入は「裁判を身近で、わかりやすいものにするため」とされているが、少なくともそれは、好き嫌いや、やられたらやり返せ式の実感を裁判に持ち込むことではないはずである。それでは、法以前の状態への逆戻りである。だが、テレビはいま、そうしたゆきすぎた実感の側に人々を誘い込んでいないだろうか。

 法治とは何であるか、刑事裁判の構造的原理は何か、なぜ裁判では犯行事実がわかっているのに、被告の生育歴を調べたり、精神鑑定までするのか、法はどうして成人と少年を区別しているのか、被害者とその家族や遺族の無念の思いは、どうすれば軽減・救済できるだろうか---司法をめぐるひとつひとつの問いのうしろに、法律によって苦しみ、法律によって救われた人間たちの歴史がある。まだ答の見つからない問いの前で、いまも苦しんでいる人間がいる。

 事件・犯罪・裁判を取材し、番組を制作する放送人たちが、テレビの凡庸さに居直るのではなく、これらのことに思いを馳せ、いま立ち止まっているところから少しでも先へと進み出ることを、委員会は希望する。 」



(1) 特に手厳しい部分を挙げておきます。

「感情的ということのなかには、その口調や身振りが感情的だったということもあるが、もうひとつには、刑事裁判という法律の世界の出来事を、普通の人間の実感レベルだけで捉え、反応しているという意味もある。刑事裁判の仕組みなどそっちのけで弁護団に反発したり、文脈や証拠価値のちがいも区別しないまま、被告の法廷での供述と、精神鑑定の際の言葉をいっしょくたに非難したり、などというのは、その一例だった。

 もちろん実感は、大切なものである。季節感、生活感、現実感をなくしたら、人生の意味は半減してしまうかもしれない。しかし、他方で私たちは、自分の好き嫌いを押し通したり、気に食わない、やられたらやり返せ、などと実感のおもむくままにやっていったら、わが身の暮らし、地域や世の中、そこらじゅうが大変なことになることも、少しは知っておいたほうがよい。」


刑事裁判という法律の世界について、普通の人間の実感レベル・感情レベルで、反応しているだけではダメだろうというわけです。「実感のおもむくままにやっていったら、わが身の暮らし、地域や世の中、そこらじゅうが大変なことになることも、少しは知っておいたほうがよい」とまでいうほどの辛辣ぶりです。



(2) 実感のみ、感情論で語ることの危険性については、他でも触れています。

「裁判員制度の導入が目前に迫っている。一般市民が裁判員となり、裁判官といっしょに刑事事件被告の有罪無罪や量刑を決めることになる。制度導入は「裁判を身近で、わかりやすいものにするため」とされているが、少なくともそれは、好き嫌いや、やられたらやり返せ式の実感を裁判に持ち込むことではないはずである。それでは、法以前の状態への逆戻りである。だが、テレビはいま、そうしたゆきすぎた実感の側に人々を誘い込んでいないだろうか。」


今の日本の裁判報道は、「好き嫌いや、やられたらやり返せ式の実感を裁判に持ち込む」ことを認め、「法以前の状態への逆戻り」、すなわち無法状態にさせるつもりなのか、と怒りに満ちた批判を行っているのです。このままでは、裁判員制度が実施された場合、裁判員が「好き嫌いや、やられたらやり返せ式の実感」で判断し、感情論で有罪無罪を決定する裁判になりかねないのです。



(3) この報告書は、事件・犯罪・裁判報道とは、どうあるべきかについて説いています。

「法治とは何であるか、刑事裁判の構造的原理は何か、なぜ裁判では犯行事実がわかっているのに、被告の生育歴を調べたり、精神鑑定までするのか、法はどうして成人と少年を区別しているのか、被害者とその家族や遺族の無念の思いは、どうすれば軽減・救済できるだろうか---司法をめぐるひとつひとつの問いのうしろに、法律によって苦しみ、法律によって救われた人間たちの歴史がある。まだ答の見つからない問いの前で、いまも苦しんでいる人間がいる。

 事件・犯罪・裁判を取材し、番組を制作する放送人たちが、テレビの凡庸さに居直るのではなく、これらのことに思いを馳せ、いま立ち止まっているところから少しでも先へと進み出ることを、委員会は希望する。」


これは、テレビでの事件・犯罪・裁判報道についてべたものですが、雑誌や新聞報道でも、どれほどこの「あるべき報道」を行ってきたのだろうかと、思います。例えば、弁護人の誠実義務について、丁寧に説明した記事は皆無でしたが、そんなことでどうやって読者に対して、正しく刑事裁判を理解してもらえるというのでしょうか。疑問に感じます。

この報告書は、テレビ報道だけでなく、あらゆる報道機関に対して、「いま立ち止まっているところから少しでも先へと進み出ること」を「希望」したものであると思うのです。


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コメント
この記事へのコメント
BPOの言うとおり
BPOの言うとおり光市事件はあまりにも感情的に、一方的に報道されていました。
まるで各局が裁判所。
数ある殺人事件の中でなぜこの事件だけがこれほど大きく報道されるのでしょうか。
何かおかしい?
この事件を感情的に大きく報道し、悪用しようとしている人がいるのでは?
示威的なものを感じます。
2008/04/20 Sun 15:07:06
URL | TETHER #-[ 編集 ]
>TETHERさん:2008/04/20 Sun 15:07:06
はじめまして、コメントありがとうございます。


>数ある殺人事件の中でなぜこの事件だけがこれほど大きく報道されるのでしょうか。
>何かおかしい?
>この事件を感情的に大きく報道し、悪用しようとしている人がいるのでは?

光市事件では、すでに山口地裁が無期懲役判決を出したときに、担当検察官から本村さんに「一緒に戦ってほしい」と話したとのエピソードは有名です。検察側は、被害者遺族の意向と関係なく、厳罰化のためにこの事件を利用したことは確かです。

しかし、厳罰化の意図を超えて、弁護団を脅迫までする人まで出てくるほど、マスコミや世間は感情的に弁護団バッシングを繰り広げているのですから、あまりにも異常です。

市民やマスコミによる弁護人の役割をまるで無視した批判の数々、感情で裁判の結論を決め付ける意識は、裁判制度を実質的に破壊することになりかねません。この事件をいったい誰が「悪用」しているのでしょう……。捜査機関側か政府か、それとも……。

世間のあまりの厳罰化の意識の高まりは、検察幹部も戸惑いを感じているようです。例えば「交通事故で、被害者の求めに応じて起訴したり実刑にすることが果たして正義なのか。被害者の方だって自分に落ち度がごく少ない交通事故を起こしてしまう可能性は常にある。飛び出し事故などだ。その時、厳罰を受けてもいいのだろうか」と(現代人文社編集部編『光市事件裁判を考える』88頁)。
2008/04/21 Mon 00:21:01
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
いろんなものが、連動している。
>すでに山口地裁が無期懲役判決を出したときに、担当検察官から本村さんに「一緒に戦ってほしい」と話したとのエピソード

 そうだったのですか。ひどいですね。

>この事件をいったい誰が「悪用」しているのでしょう……。捜査機関側か政府か、それとも……。
>検察幹部も戸惑いを感じているようです。

 防衛省・守屋さんの件が、そうですね。検察はあまりにも軽々にこの件に手をつけましたね。捜査していく中で(防衛機密を掘り起こせば)、日本の安全保障を揺るがしかねないこと、外国が日本の防衛情報を承知してしまうこと、に気づいたのですね。尻切れトンボに終わりました。「検察は行政機関」だと言われますね。
 本日の中日新聞に「投票権18歳以下に下げたら」の記事がありました。当然のように、光市の被告人の事件当時の年齢など勘案してしまいました。投票権、少年法等々、政治・行政・・・色んなものが関連しているように感じました。
2008/04/21 Mon 10:11:02
URL | ゆうこ #mQop/nM.[ 編集 ]
>>数ある殺人事件の中でなぜこの事件だけがこれほど大きく報道されるのでしょうか。

先ずドタキャンしたことで世間の耳目を集めた。

次に絵になる対立構造が描けた。つまり、本村氏vs安田弁護士。本来であれば、検察vs被告、弁護団なんですが、検察と被告はマスメディアに登場しないので、絵にならない。しかし、この事件では、本村氏も弁護団もマスメディアに登場し、絵が描けた。

それと、弁護側の主張がユニークであったことかな。

>この事件を感情的に大きく報道し、悪用しようとしている人がいるのでは?

おそらくいるとしてもそれで視聴率を稼ごうとするマスコミくらいではないかと思いますが。
2008/04/21 Mon 11:37:28
URL | YO!! #-[ 編集 ]
>ゆうこさん:2008/04/21 Mon 10:11:02
コメントありがとうございます。


>>すでに山口地裁が無期懲役判決を出したときに、担当検察官から本村さんに「一緒に戦ってほしい」
>そうだったのですか。ひどいですね

1997年~1998年にかけて、高裁段階で無期懲役になった殺人事件5件について、死刑を求める異例の上告を行い、検察庁が重罰化を望んだのがその背景ですね。(そのうち最高裁が無期懲役を破棄したのは1件だけでした)


>本日の中日新聞に「投票権18歳以下に下げたら」の記事がありました。当然のように、光市の被告人の事件当時の年齢など勘案してしまいました。投票権、少年法等々、政治・行政・・・色んなものが関連しているように感じました。

東京新聞でも同じ記事がありました。

成人年齢見直しの話は、法制審議会としては、民法に限ったものです。ですから、本来、「20歳未満」と定めている少年法は、「成人・成年」という文言ではなく、少年法には連動しないはずです。個人的には、法律はすべて別個の趣旨の下、規定しているので、あまり連動させることは妥当でないと思っています。

しかし、記事からすると、少年法は連動するような話になってますね。法制審議会では、少年法まで視野に入れた議論をする意図があるのかなと、感じました。
2008/04/21 Mon 23:25:07
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
>YO!! さん:2008/04/21 Mon 11:37:28
はじめまして。
多くの法律系ブログで荒らしまわっているYO!! さんが、とうとうこのブログにもご登場とは光栄ですね。お手柔らかにお願いします。


>>数ある殺人事件の中でなぜこの事件だけがこれほど大きく報道されるのでしょうか。
>先ずドタキャンしたことで世間の耳目を集めた。
>次に絵になる対立構造が描けた。
>それと、弁護側の主張がユニークであったことかな。

安田弁護士らが最高裁の弁論期日に欠席する前から、本村さんの発言が何度も取り上げられて、感情的な報道がされていました。ですから「先ずドタキャン」ではないですね。

誰が悪用したのか、というコメント主の意図を考慮しないで答えるのならば、テレビ局としては、本村さんの発言などの素材だけで視聴率がとれ、深く考えないで安易に番組制作ができるから、大きく報道したということですね。BPOの委員会の報告書に出ているように、「素材負け」してたわけです。
BPOの委員会の報告書に詳細に出ているので、それほど付け加えることはないですが、1つ挙げておきます。すなわち、司法担当記者が、少しでも弁護側に配慮するような報道をしたいと思っても、非難が殺到するためできないという異常な事態であったことも要因です。
2008/04/21 Mon 23:34:45
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
情報に感謝します
久しぶりにコメントさせて戴きます。

>光市事件では、すでに山口地裁が無期懲役判決を出したときに、担当検察官から本村さんに「一緒に戦ってほしい」と話したとのエピソードは有名です。検察側は、被害者遺族の意向と関係なく、厳罰化のためにこの事件を利用したことは確かです。

全く知りませんでした。大変、興味深い事です。貴重な情報に感謝致します。と言っても、有名なエピソードだったと…。 私、勉強不足でした。
2008/04/22 Tue 21:56:58
URL | akirame #-[ 編集 ]
危険運転致死傷罪以来となります(苦笑)。

「司法担当記者が、少しでも弁護側に配慮するような報道をしたいと思っても、非難が殺到するためできない」と言うのは、恐らく正確ではないように思います。

情報系番組(いわゆるワイドショー)は、記者とは関係のないところで番組作りがされていますし、ストレートニュース以外のニュースショー番組(各局の夕ニュース、夜ニュース)も専属の番組制作班が「番組作り」をしています。
そして、こうした番組は、同業他社との競争の中で少しでも多くの視聴者獲得を目指しています。営業に直結しますので。

つまり批判が殺到するのを恐れたり懸念したりといった「臆病」な理由が原因なのではなく、世間の率直な報復感情から離れたことに原因して番組視聴者が他局に流れることを恐れる「商売上の理由」が、記者ならぬ番組制作者をして、世情に添い寝するばかりの方向を志向させるのだと思います。

現場記者の取材内容は、所詮、番組全体を構成するパーツの一つに過ぎず、また番組から記者に求められることが情報収集端末であることのみであるとの、構造的な原因が潜在しているのではないでしょうか。
2008/04/23 Wed 10:55:26
URL | 惰眠 #Oy5awZbQ[ 編集 ]
お待ちしますので。
差し戻し審広島の判決文(のみ!)を拙HPへupしました。この判決についての論説、お願いします。
2008/04/23 Wed 13:22:48
URL | ゆうこ #mQop/nM.[ 編集 ]
>akirameさん:2008/04/22 Tue 21:56:58
お久しぶりです。コメントありがとうございます。


>全く知りませんでした。大変、興味深い事です。貴重な情報に感謝致します。

akirameさんほどの方が知りませんでしたか。でも、最近は、ほとんど報道されないエピソードですから、知らなくても普通のことなんだと思います。
最近では、「現代人文社編集部編『光市事件裁判を考える』(現代人文社、2008年)82頁」に出ていますので、ご覧になってみるといいかもしれません。
2008/04/23 Wed 21:12:47
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
>惰眠さん:2008/04/23 Wed 10:55:26
コメントありがとうございます。


>「司法担当記者が、少しでも弁護側に配慮するような報道をしたいと思っても、非難が殺到するためできない」と言うのは、恐らく正確ではないように思います

この点はひっそりと書いたので、気にされるとちょっと困りますね(^_^.)

BPOの委員会の報告書には、「今回の事案に関する知識・取材の経験の蓄積を基に、必要に応じて局内の司法担当記者、番組出演を依頼している法律専門家、事件・裁判の流れに詳しいと思われる地元系列局の記者等に相談しながら、かなりタイトなスケジュールで制作している」とありました。相応の司法記者の経験をつんだデスクを専任としたテレビ局もありました。このように、司法担当記者はかなり絡んでいるのです。真っ当な司法担当記者であれば、異常な報道であることはすぐに分かるでしょうから……。

他にはですね。幾つかのコメントを目にしたのもありますが、某コメンテーターが暴露してしまっていたので、本当なんだな~と思ったわけです。この話題はこれくらいで。
2008/04/23 Wed 22:42:58
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
はじめまして。
毎回非常に読み応えのある丁寧な論評をされていて、敬服いたしました。
法律はアマチュアですけれども、最近のマスコミやネット社会が、なんだか、論理的にもおかしな、右向け右状態なのに、背すじが寒くなる思いをしています。BPOの裁定を詳しく載せていただき、この日本にもまだ、きちんと悪いものは悪いと、断罪できる心ある働きが残っていたのだと安心しました。そして貴ブログの存在にも安堵しました。
被害者家族の方は当事者ですから当然の活動とはいえ、マスコミの論調はあまりにヒステリックでした。日本では高等教育でも『法の精神』という観念が浸透していないのでしょうか。弁護団へのあの攻撃振りは本当に法の精神が社会に欠如しているとしか思えませんでした。
 今後とも、緻密な論評を期待しております。
2008/04/23 Wed 22:53:58
URL | みゃんこ #Bnxa9UrI[ 編集 ]
>ゆうこさん:2008/04/23 Wed 13:22:48
コメントありがとうございます。


>差し戻し審広島の判決文(のみ!)を拙HPへupしました

お疲れ様です。参考にさせて頂きました。ありがとうございます。
ちなみに、産経新聞のHPで掲載したものは、判決文全文ではなくかなり長めの要旨なんですね。
  ↓
「【光市母子殺害判決の要旨(1)】「被告人が、自己のした行為をどのように考えているのかが重要」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080422/trl0804221753029-n1.htm
最高裁は、判決文全文をさっさとHPに掲載してほしいものです。


>この判決についての論説、お願いします

この判決について、論評を行いました。↓をご覧下さい。
色々な検討の仕方があるとは思いますが、法律的な観点からの問題点の指摘をしてみました。事実認定に関して賛否を行うこともできるでしょうが、鑑定書など訴訟記録がなく、それでは曖昧なままで論じることになるので、その点は避けてみました。

「光市事件・差戻控訴審:広島高裁平成20年4月22日判決は元少年に死刑判決~広島高裁判決の問題点について検討」
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1066.html
2008/04/24 Thu 06:10:16
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
>某コメンテーターが暴露してしまっていたので、本当なんだな~と思ったわけです。

ああ、ありましたね(笑)。
ですが、私はああ言うのは視聴者への卑怯な責任転嫁だと思います。
人気稼業のコメンテーター氏個人としては、世間さまの不興を買うような発言をすることは何にも増して恐怖の種であるのかも知れませんが、それとて最終的にはそのコメンテーター氏が人気を失いお座敷がかからなくなるという「営業上」の理由に由来する恐怖ではないでしょうか。

まして番組それ自体、または放送局自体にとっては「非難が殺到すること」それ自体は、本質的に理由になりません。「非難が殺到」した後に起こること、つまり「アタシたちの気持ちと違うことばっかり言う」として視聴者からの支持(=視聴率)が低下し、そのため番組の商品価値が低下(=スポンサー離れ)するという、組織内部の損得づくの判断こそが、実質の理由だと見るべきと思います。

私は、基本的には現場一線の記者には一定の信頼を置いています(中にはどーしよーもないのがいることは知ってます)が、寧ろだからこそ、報道機関としてやるべきことをやらない理由を視聴者や読者に転嫁するような弁解は、受け入れられないのです。
2008/04/24 Thu 13:36:15
URL | 惰眠 #-[ 編集 ]
>みゃんこさん:2008/04/23 Wed 22:53:58
はじめまして、コメントありがとうございます。


>毎回非常に読み応えのある丁寧な論評をされていて、敬服いたしました。

ありがとうございます。


>BPOの裁定を詳しく載せていただき、この日本にもまだ、きちんと悪いものは悪いと、断罪できる心ある働きが残っていたのだと安心しました。

同感です。BPOの報告書では「悪いものは悪い」と手厳しく指摘していました。冷静な報道に戻そうという意識はまだあるのだなと思いました。

それにしてもBPOの報告書はよくできています。特に「Ⅴ.刑事裁判---その前提的知識の不足」の部分は、教科書レベルの内容を超えていて、しかも分かりやすく丁寧に説明しているのですから、実に素晴らしい内容です。例えば、「誠実義務」の部分は、論文などを見ないと分からない内容までさりげなく織り込んでますから、もう凄いです。こんな凄い内容が、BPOの報告書だけにとどまって誰も読まないのだとしたら、実にもったいないです。ブログを検索しても、「Ⅴ.刑事裁判---その前提的知識の不足」をきちんと検討される方はいないようですし、実に惜しいことです。


>そして貴ブログの存在にも安堵しました。

ありがとうございます。


>マスコミの論調はあまりにヒステリックでした
>弁護団へのあの攻撃振りは本当に法の精神が社会に欠如しているとしか思えませんでした。

仰るとおり、マスコミの報道は異常でした。
法律的に根拠のない批判だと主張したら、このブログでさえ炎上しましたから、世間の意識も相当に冷静さを欠いています。学校でも憲法や法制度など習っているはずなのですが、なぜ感情論だけで判断する意識になってしまうのか、不思議です。

もっとも、光市事件判決に関する社説をみると、ほとんどの社説でもBPOの報告書に触れていましたから(読売新聞は除く)、マスコミは冷静になるべきという意識が出てきたようです。


>今後とも、緻密な論評を期待しております。

ご期待に沿えるよう努めたいと思います。
2008/04/25 Fri 00:07:59
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
>惰眠さん:2008/04/24 Thu 13:36:15
コメントありがとうございます。


>人気稼業のコメンテーター氏個人としては、世間さまの不興を買うような発言をすることは何にも増して恐怖の種であるのかも知れませんが、
>それとて最終的にはそのコメンテーター氏が人気を失いお座敷がかからなくなるという「営業上」の理由に由来する恐怖ではないでしょうか

コメンテーター同士では、「番組では加害者を非難したけれど、本当は違うんだよね」という話をしているそうで……。「営業上」の理由もあるのでしょうけどね。
裁判報道につき、感情に左右されて判断してしまっているのは視聴者だけ……(苦笑)。視聴者は「作り物」に踊らされているな~と感じます。


>報道機関としてやるべきことをやらない理由を視聴者や読者に転嫁するような弁解は、受け入れられないのです

もちろん、そのとおりです。
2008/04/26 Sat 00:24:40
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
先ほど、懲戒騒動の発端になった”たかじんのそこまで言って委員会”を見ました。
コメンテーターの言い方は穏やかになり、以前よりは事件についても知識を得てる感じでしたが、
主張自体は以前とあまり変わってないし、宮崎哲弥や勝谷誠彦は強烈なBPO批判をしてましたし、相変わらずの印象でした。
(司会の辛坊治朗は判決の翌日の朝の番組で懲戒騒動を批判した朝日・毎日の社説を批判し、土曜日の報道番組ではBPO批判をしてましたし)

ああいうコメンテーターや司会者がテレビに頻繁に出演して、世論を動かしてる限り、これからも番組の堕落は続くんでしょうね。
2008/04/27 Sun 15:02:28
URL | さと #IN9BFm.g[ 編集 ]
>さとさん:2008/04/27 Sun 15:02:28(追記しました)
情報ありがとうございます。
こちらでは”たかじんのそこまで言って委員会”を見ることができないので、あり難いです。


>主張自体は以前とあまり変わってない
>宮崎哲弥や勝谷誠彦は強烈なBPO批判をしてました
>司会の辛坊治朗は判決の翌日の朝の番組で懲戒騒動を批判した朝日・毎日の社説を批判し、土曜日の報道番組ではBPO批判をしてました

BPOの報告書は実に良くできていて、賞賛に値するものであっても批判できるものではないと思いますけどね。特に、「Ⅴ.刑事裁判---その前提的知識の不足」の部分は素晴らしいく秀逸で、誰も反論できないはずですが。

ただ根拠なく罵ってみても、無意味なんですけどね。宮崎哲弥氏、勝谷誠彦氏、辛坊治朗氏は刑事裁判についての理解に欠けているようです。どうしようもないな~。


<4月30日追記>

今枝弁護士も番組に出ていたようですね。色々と弁護団批判も行っていたようです。(東京新聞の取材でも、弁護団批判が出ていました)
色々言いたいことはあるのでしょうが、まだ裁判は確定してないのですから、被告人に不利益になる恐れになる可能性がある以上、色々喋りすぎるのは止めてほしいと思うばかりです。
2008/04/29 Tue 21:41:23
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
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