1.報道記事を幾つか。
(1) 朝日新聞平成20年4月10日付夕刊
「4人死刑執行 鳩山法相のもと10人目「今後も粛々」
2008年04月10日13時25分
法務省は10日、同日午前に4人の死刑を執行したと発表した。鳩山法相が昨年8月に就任以来、執行は昨年12月の3人、今年2月の3人に続いて3回目で計10人。法相は午前11時からの記者会見で「これからも、粛々とやらせていただく」と語った。これで確定死刑囚は104人になる。
一時止まっていた執行が93年に3年4カ月ぶりに再開されてから、1人の法相のもとでの10人の執行は長勢前法相と並んで最多。前法相は4カ月に1度だったが、鳩山氏は2カ月に1度の間隔で執行命令を出していることになる。
また、死刑判決の確定から執行までの期間は07年までの10年間でみると平均8年だったが、この日執行された4人のうち3人は確定後4年以内だった。
法務省によると、執行されたのは、中元勝義(64)、中村正春(61)、坂本正人(41)、岡下(現姓・秋永)香(61)の4死刑囚。中元、中村の両死刑囚は大阪拘置所で、坂本、岡下の両死刑囚は東京拘置所で執行された。
中元死刑囚は82年、大阪府和泉市の宝石商夫婦を殺害し、現金や宝石を奪った。中村死刑囚は89年に滋賀県内で、わいせつ目的や金目当てに、路上生活者と職場の元同僚の男性計2人を相次いで殺害、遺体を切断して捨てた。
坂本死刑囚は02年、群馬県内で高校1年の女子を自分の車に押し込み、絞殺。女子の両親に電話し、生きていると装って身代金を要求した。岡下死刑囚は89年、東京都杉並区のアパート経営者を絞殺し、その殺害を共犯者の男性による犯行と偽装するために、男性を射殺した。」
(2) 東京新聞平成20年4月10日付夕刊1面
「4人の死刑執行 鳩山法相 4カ月で計10人
2008年4月10日 夕刊
法務省は十日、アパート経営の女性らを殺害した元不動産ブローカー秋永香死刑囚(61)ら四人の死刑を執行したと発表した。鳩山邦夫法相の命令による執行は三度目で、四カ月間で計十人になった。これだけ短期間に執行が集中するのは極めて異例。鳩山法相は記者会見で「粛々と執行している。人数や執行の間隔は意識していない」と述べた。
一日に四人の執行は、二〇〇六年十二月の長勢甚遠法相(当時)下での執行以来。国会開会中は執行を避けるのが慣例となっていたが、鳩山法相は三度とも開会中に執行を命じた。
執行されたのは▽一九八九年、東京都杉並区のアパート経営の女性=当時(82)=の土地を転売して二億八百万円をだまし取り、女性と詐欺の共犯者を殺害した秋永(獄中結婚で岡下から改姓)香死刑囚▽〇二年、群馬県の女子高生=当時(16)=を拉致して殺害後、父親から身代金を受け取った坂本正人死刑囚(41)=いずれも東京拘置所在監▽八二年、大阪府和泉市で顔見知りの宝石商夫婦を殺害した中元勝義死刑囚(64)▽八九年、滋賀県内で元同僚ら二人を殺害し現金を奪った中村正春死刑囚(61)=いずれも大阪拘置所=の四人。
死刑確定から十一年一カ月で執行された中元死刑囚以外は、確定後三年−三年半での執行になった。法務省によると、現在の確定死刑囚は百四人になった。」
鳩山法相は、2カ月に1度の間隔という異例のスピードで次々と死刑執行を行っていますが、その点につき、次のように述べています。
「法相は午前11時からの記者会見で「これからも、粛々とやらせていただく」と語った。」(朝日新聞)
「鳩山法相は記者会見で「粛々と執行している。人数や執行の間隔は意識していない」と述べた。」(東京新聞)
鳩山法相にとっては、次々と「人殺し」を実行しているのに、人数も執行間隔も意識していないのですから、鳩山氏にとってはまるで「人殺し」も日々の食事であるかのような気軽さです。鳩山氏にとっては、なんて人の命は軽いのだろうと、しばし呆然としてしまいました。
以前、鳩山法相は、「法相の署名なしで自動的に執行できないか」ととか、ベルトコンベヤーのように執行できないかと述べたため、暴言であると批判を受けていましたが(「鳩山法相“署名なしで死刑執行を”発言〜暴言に法相の資質を疑う!(毎日新聞9月27日付「社説」より)」(2007/09/29 [Sat] 05:51:11)参照)、自ら、自動的に死刑を執行・ベルトコンベヤーのように執行しているのです。
「死刑判決の確定から執行までの期間は07年までの10年間でみると平均8年だったが、この日執行された4人のうち3人は確定後4年以内」(朝日新聞)とのことです。原則として、確定後6ヶ月以内に死刑を執行とはいえ、確定から執行までの期間は平均8年だったのですから、死刑囚にとって予測可能性に反するものです。死刑囚の行った事実自体は当然非難に値するものであるとはいえ、死刑囚の命は、国によって軽く扱われていると感じます。
中国当局が長年、チベット人を強硬な弾圧を行ってきており、チベット人らによるデモ参加者への弾圧・殺害に対して世界中の人々から厳しい非難が集まり、ロンドン、パリ、サンフランシスコにおいて、聖火リレーへの猛烈な抗議活動が相次いでいます(聖火ランナーの傍には中国当局のガードマン(武装警察の疑いが強い) がおり、勝手に火を消したりしている)。そういう人権抑圧への非難が高まっている中で、日本ではこうして次々と「人殺し」を気軽に実行しているのですから、日本政府は中国政府に対して何も言える立場ではなくなってしまいました。
もっとも、元々、先進国の中で日本政府だけはほとんど中国政府に抗議の意思を示しておらず、まるでチベット人の自由・命を軽く見ているかのような対応です。保護する義務がある日本人の命さえ軽いのですから、今の自民党政府にとっては、当然の対応なのかもしれません。
4月22日は、光市事件差し戻し控訴審の判決日であり、死刑判決になるのか否か注目されているといえます。東京新聞4月10日付「こちら特報部」では、判決が間近になったことから、再び、安田弁護士へのインタビュー記事を掲載しています。そこで、この記事を紹介したいと思います。
「光市母子殺害 差し戻し控訴審22日判決 安田好弘弁護士に再び聞く 事実解明 固執する
2008年4月10日
いま、この人の言葉に耳を傾けるだけで、むち打たれそうな空気が世の中にはある。安田好弘弁護士。22日に差し戻し控訴審判決がある山口県光市の母子殺害事件の主任弁護人だ。被害者遺族は「(被告が)調子に乗るのは、あの弁護団のせい」と憤り、メディアの弁護団たたきも過熱した。2年前に続き、判決を直前に控えた安田氏に再び迫った。 (田原牧)
◆被告に不利でも隠さない
この裁判は異例ずくめだ。差し戻しを命じた最高裁の判断は、過去の少年事件の死刑基準を揺るがした。遺族の発言がこれほど報じられた例もなく、タレント弁護士がテレビで呼び掛けた弁護団への懲戒請求は8200件を超え、銃弾付きの脅迫状まで届けられた。
物色し、言葉巧みに上がり込み、罪のない妻を姦淫(かんいん)し、乳児まで殺害する―。検察側が描いた「鬼畜の所業」は1、2審では争われなかった。
だが、安田氏ら現弁護団は、当時18歳の被告に殺意も強姦(ごうかん)の意思もなかったと主張。中学一年のときの母の自殺の衝撃で精神的な成長が滞り、それが被告の犯行の根底にあったと説いた。
検察側はこの主張を「荒唐無稽(むけい)」と断じ、ちまたには弁護士の良心を問う声がわき上がった。たしかに死後の姦淫を「復活の儀式」、乳児を天袋に入れたのも「ドラえもんが何とかしてくれると思った」という被告の言葉は唐突に聞こえる。
「ほぼ大人の普通の18歳ならそうだ」と安田氏は切り出した。この指摘は弁護団の新説ではないとも言った。「逮捕直後の家庭裁判所での調査報告では、亡き母に被害者を重ねた被告の幼児性の強さ、さらに犯行時は混乱で精神的な退行状態が進んだ状態だった可能性が指摘されていた」
実際、家裁の検査結果には「(被告の)善悪の判断は4、5歳程度」と記録されている。「被告は父親から逆さに水風呂に漬けられたり、同様に暴行を受けていた母親とは『結婚して子をつくろう』と言われるほどの共依存関係に陥っていた」
それでも「母を重ねて被害者に抱きついた」という弁護団説にうなずける人は少ない。安田氏は「性経験のなかった元少年に強姦を意図できるのか」と前置きし、「自宅から犯行現場まで直線で200メートル、物色を始めたとされる地点なら50メートル。同じ社宅。勤め先の名が入った作業着。これが犯行を計画する者の行いか」と疑問を呈した。
口を塞(ふさ)ごうとした片手が首にずれて圧迫死させたという弁護団の反論に対し、検察側は両手での絞殺と譲らなかった。ただ、弁護団依頼の鑑定書では絞殺の痕跡はなく、光署の調書には「右手で絞め続けた」とあった。
それでも、世論は弁護団を疑問視した。安田氏は「何が何でも無罪なんて考えていない。被告のウソも当然疑う。もし被告に一見不利でも、事実は隠すべきではない。真剣さは裁判官に通じる。それが私の信条」という。
◆善か悪か、憎いか憎くないか 二色刷りの世の中に
家族を失った夫の本村洋さんは「2人の死を無駄にしないことが私の免罪符」と語り、妻の母は「家庭環境が悪ければ殺人も罪にならないのか」と涙を流した。弁護団は「遺族らの人権を侵害している」と責められた。
安田氏は「遺族を苦しめたくはない。が、事実をないがしろにはできない」と淡々と話した。
「なぜ、事実に固執するのか。被告に償わせるためだ。やってないことは誰も反省できない。覚せい剤事件が典型だが、都合の悪い面を隠せば、被告は過ちを直視できず繰り返す」「人の死に徹底的に謙虚になること。奪われた尊い命を社会の教訓として生かさねばならない。そのためには事実解明が不可欠だ」
でも、仮に犯意はなかったにせよ、元少年が2人の命を奪ったのは事実だ。自らの命で償うのが人の道では、という感情に安田氏はこう語る。「遺族の悲しみは交通事故でも深い。ならば、その加害者も皆、処刑するのが正しいのか。結果責任の足し算引き算だけで人生を計ってよいのか。それは武力で物事を解決する倫理だ」
◆逆送まで接見一度 こんな司法では
弁護は死刑廃止運動の一環との批判もやまなかった。「手弁当で集まった弁護団(21人)には死刑継続論者もいる。死刑廃止は政治運動。法廷では動かないし、考えるべきものでもない」
審理を差し戻した最高裁が「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と判断したことで「事実関係でもはや争えない。なぜ、情状面を強調しないのか」という批判もあった。
「反省は何をしたかが前提だ。それ抜きに情状はない。被告への弁護士接見は逮捕から逆送まで1回だけ。検察は好きに物語を作り、弁護士は事実検証を怠り、裁判所は『ご相場判決』で一件落着。こんな司法の怠慢を看過できない」
一方、被告の所作も遺族の怒りを買った。友人あての手紙にある「かわいい犬と出会って『やっちゃった』」という一節は繰り返し報じられた。
安田氏は「手紙は隣の房の小説家志望の収容者あて。あの一節は自分が何をしたと言われているか、という問いへの答えだった。戦闘服のズボンで出廷したことも騒がれた。あれは護送車のいすが別の人の失禁で濡(ぬ)れ、仕方なくはき替えただけだった」と振り返る。
◆逆効果でも 謝罪続けろと言った
それでも死刑がちらついてから本村さんに謝罪の手紙を出した、被告の反省は命ごいのための「偽装」と指弾された。
「2年前に初接見で、彼の生きる意欲の希薄さに驚いた。死刑はいまも恐れていない。謝罪の手紙は初めてではない。前の手紙は1審の弁護士が『文面が拙(つたな)い』と握りつぶした。それ以来、書けなくなっていた。いま書けば、遺族の怒りに油を注ぎ、逆効果なのは明らか。それでも私は謝罪を続けろと彼に言った」
安田氏は結局「性善説」論者なのか。「性善も性悪もない。多くの人を殺した事件を扱ってきた。そこで感じたのは大半の殺人事件が悪い偶然が重なった結果であり、犯人は犯行時点では孤立していたことだ」
この事件を担当した結果、安田氏は銃弾まで送り付けられた。ワイドショーでは「最低レベルの人格」と罵倒(ばとう)された。
「感情に反対尋問は通用しない。弁明は『荒唐無稽』、反省も『フリ』で片づけられてしまう。かつては善悪や喜怒哀楽が混在して現実があるという常識があった。いまは善か悪か、憎いか憎くないかだけ。カラーだった世の中が次第に二色刷りに変わってきている」
<デスクメモ>
光市事件の被害者の遺族は「死刑でなければ満足できない」と話す。だが、どの事件の遺族も同じというわけではない。また遺族の気持ちが判決に反映されることはない…はずだ。だから法廷には事実の積み重ねのみ求める。それがフェアではないか。小さな声に耳を傾けると、真実が見えるかも。 (充)
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やすだ・よしひろ 1947年生まれ。80年の新宿西口バス放火事件をはじめ、名古屋女子大生誘拐殺人など多くの死刑求事件を担当し、95年にオウム真理教教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)被告の主任弁護人に。その公判途中の98年、住宅金融専門会社から融資を受けた不動産会社に資産隠しを指示したとして強制執行妨害容疑で逮捕され、1審は無罪。今月23日に控訴審判決がある。
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【山口県母子殺害事件】 1999年4月、山口県光市で会社員本村洋さんの妻=当時(23)=と長女=同11ヶ月=が自宅で殺され、県警は近くに住む元少年=同(18)=を逮捕した。検察側の死刑求刑に対し、1審山口地裁(2000年3月)、2審広島高裁(02年3月)ともに無期懲役の判決。だが、最高裁は06年6月2審判決を破棄、広島高裁に差し戻した。1、2審とも殺人、強姦致死などの事実認定では争いがなかったが、現弁護団は殺意や強姦の意思を否定している。」
(1) 幾つかの点について触れていきます。まず1点目。
「 「ほぼ大人の普通の18歳ならそうだ」と安田氏は切り出した。この指摘は弁護団の新説ではないとも言った。「逮捕直後の家庭裁判所での調査報告では、亡き母に被害者を重ねた被告の幼児性の強さ、さらに犯行時は混乱で精神的な退行状態が進んだ状態だった可能性が指摘されていた」
実際、家裁の検査結果には「(被告の)善悪の判断は4、5歳程度」と記録されている。「被告は父親から逆さに水風呂に漬けられたり、同様に暴行を受けていた母親とは『結婚して子をつくろう』と言われるほどの共依存関係に陥っていた」
それでも「母を重ねて被害者に抱きついた」という弁護団説にうなずける人は少ない。安田氏は「性経験のなかった元少年に強姦を意図できるのか」と前置きし、「自宅から犯行現場まで直線で200メートル、物色を始めたとされる地点なら50メートル。同じ社宅。勤め先の名が入った作業着。これが犯行を計画する者の行いか」と疑問を呈した。
口を塞(ふさ)ごうとした片手が首にずれて圧迫死させたという弁護団の反論に対し、検察側は両手での絞殺と譲らなかった。ただ、弁護団依頼の鑑定書では絞殺の痕跡はなく、光署の調書には「右手で絞め続けた」とあった。」
弁護団の説明・主張は、荒唐無稽であると非難し続けられていますが、実は、弁護団が編み出したわけではなく、家裁の調査報告や警察署での調書に出ていることだったのです。要するに、弁護団の説明・主張は、裁判所や捜査機関の見解を掘り起こしただけだったのですから、荒唐無稽な主張ではなかったわけです。
このように、裁判資料を見ることができない部外者にとっては、事実は何かについて即断できず、決め付けることはできないのです。報道機関が流す事件報道は、その多くが捜査機関側から得た情報に基づいているのであって、被疑者・被告人側に有利な事情はほとんど出てきません。報道機関による事件報道は、注意深くあるべきなのです。
(2) 2点目。
「安田氏は「遺族を苦しめたくはない。が、事実をないがしろにはできない」と淡々と話した。
「なぜ、事実に固執するのか。被告に償わせるためだ。やってないことは誰も反省できない。覚せい剤事件が典型だが、都合の悪い面を隠せば、被告は過ちを直視できず繰り返す」「人の死に徹底的に謙虚になること。奪われた尊い命を社会の教訓として生かさねばならない。そのためには事実解明が不可欠だ」
でも、仮に犯意はなかったにせよ、元少年が2人の命を奪ったのは事実だ。自らの命で償うのが人の道では、という感情に安田氏はこう語る。「遺族の悲しみは交通事故でも深い。ならば、その加害者も皆、処刑するのが正しいのか。結果責任の足し算引き算だけで人生を計ってよいのか。それは武力で物事を解決する倫理だ」」
この光市事件では、事実よりも被害者感情を優先すべしという意見が多々見られます。しかし、安田弁護士は、事実が大事であることを強調しています。遺族側にとって有利不利に関わらず。
死刑にすべしという遺族感情を重視すれば、過失で人を死亡させた場合でも(過失致死罪、業務上過失致死罪、過失運転致死罪など)、すべて死刑にすべしということになってしまいます。しかし、明文上、それは不可能です。
今は、死刑を望むのが被害者遺族であるという「お決まりの被害者遺族像」が蔓延しており、その「お決まりの被害者遺族像」によって、厳罰化や死刑を望む声が大きいように思えます。光市弁護団への非難が相次いだというのも、「お決まりの被害者遺族像」を念頭において、事実解明は二の次、刑事弁護も二の次という意識になってしまっているのだと思うのです。事実解明よりも、「お決まりの被害者遺族像」を重視せよという裁判は妥当でないように思うのです。
(3) 3点目。
「審理を差し戻した最高裁が「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と判断したことで「事実関係でもはや争えない。なぜ、情状面を強調しないのか」という批判もあった。
「反省は何をしたかが前提だ。それ抜きに情状はない。被告への弁護士接見は逮捕から(、家庭裁判所による検察庁への)逆送まで(に)1回だけ。検察は好きに物語を作り、弁護士は事実検証を怠り、裁判所は『ご相場判決』で一件落着。こんな司法の怠慢を看過できない」
*4月12日追記:( )の部分をこちらで補充しました。ご指摘感謝。」
情状面だけ主張すべきである、というのは元検事の弁護士・学者がよく主張しているものです。「何をしたか」すなわち事実検証がまず大事であるというのが、本来の刑事弁護の姿勢です。弁護士が本来の刑事弁護を怠り、検察は事件を勝手に作り上げ、裁判所は検察の物語を鵜呑みにするだけ……。あるべき司法とは何かが問われているのです。
(4) 4点目。
「一方、被告の所作も遺族の怒りを買った。友人あての手紙にある「かわいい犬と出会って『やっちゃった』」という一節は繰り返し報じられた。
安田氏は「手紙は隣の房の小説家志望の収容者あて。あの一節は自分が何をしたと言われているか、という問いへの答えだった。戦闘服のズボンで出廷したことも騒がれた。あれは護送車のいすが別の人の失禁で濡(ぬ)れ、仕方なくはき替えただけだった」と振り返る。」
この被告人の手紙は、新聞報道ではさすがに誤解が解けたためか、新聞報道では取り上げられることがなくなりました。もっとも、ネットでは、いまだに取り上げられることがあり、一度刷り込まれた情報は世間の人々の誤解はなかなか解けないようです。
戦闘服のズボンは、ずいぶんと報道機関が煽ったようです。服装や目つきで、被告人に悪い印象を抱かせるような書き方をして、それに人々は煽られてしまう。裁判員制度では、裁判員の評価を気にして、被告人の服装としてネクタイ付きシャツやベルト付きズボンを着用するとの案が出ているようです。煽られやすい今の世論からすると、こういうことになるのでしょう。
(5) 5点目。
「安田氏は結局「性善説」論者なのか。「性善も性悪もない。多くの人を殺した事件を扱ってきた。そこで感じたのは大半の殺人事件が悪い偶然が重なった結果であり、犯人は犯行時点では孤立していたことだ」
この事件を担当した結果、安田氏は銃弾まで送り付けられた。ワイドショーでは「最低レベルの人格」と罵倒(ばとう)された。
「感情に反対尋問は通用しない。弁明は『荒唐無稽』、反省も『フリ』で片づけられてしまう。かつては善悪や喜怒哀楽が混在して現実があるという常識があった。いまは善か悪か、憎いか憎くないかだけ。カラーだった世の中が次第に二色刷りに変わってきている」」
「大半の殺人事件が悪い偶然が重なった結果であり、犯人は犯行時点では孤立していた」というように、本来、凶悪犯罪も一概に一方な見方や割り切ることはできないはずなのです。「かつては善悪や喜怒哀楽が混在して現実があるという常識があった」のです。それなのに、「いまは善か悪か、憎いか憎くないか」だけとなってしまいました。白黒単純な割り切りとなる意識が増えているのは、ある意味思考停止の状態にある人々が増えているということです。果たしてそれでいいのでしょうか。
3.最近、刑罰法規だけでなく、判決も厳罰化の流れがあるため、続々と死刑判決が出ています。今日、死刑を執行するまでは108人でした。鳩山法相が次々と死刑を執行しているのも、死刑判決が続々と出ていおり、死刑確定者が100人を超えてしまっているからです。裁判所が遠慮なく死刑判決を出しているからこそ、法相が次々と死刑執行を行う原因になっているのです。
極めて冤罪の疑いが濃い「袴田事件」でさえも再審開始が認められませんでした。厳罰化により続々と死刑判決を出しつつ、どんなに冤罪が強い事件であろうとも死刑判決を維持してしまい、再審請求を認めないのです。冤罪の疑いがあったのに死刑を執行されてしまった「福岡事件」という事件もあるくらいなのです。
今までの光市事件判決が行った認定には多くの疑問があり、光市弁護団の主張は十分に納得できるものですから、光市事件は「部分冤罪」の疑いが十分にあると思います。果たして裁判所は4月22日、「部分冤罪」を見過ごすつもりなのでしょうか。死刑判決を出すことについては、できる限り慎重であるべきだと思うのです。
| #[ 編集 ]
URL | うし #ZxXOt7Ek[ 編集 ]
>「お決まりの被害者遺族像」というのはあまりにも礼を失した言葉であると考えます。
>またそれを数度繰り返しておられることにも、筆者の遺族に対する無神経さがみてとれます
私は、「今は、死刑を望むのが被害者遺族であるという「お決まりの被害者遺族像」が蔓延しており、その「お決まりの被害者遺族像」によって、厳罰化や死刑を望む声が大きいように思えます。」と書きました。
弟を殺害された団体職員・原田正治さんは、世間は被害者遺族について、「良い遺族」と「悪い遺族」という分類をしているといった趣旨のことを述べています。犯人に極刑を望む遺族は、「良い遺族」であり、生きて罪に向き合ってほしいと望む遺族は、「悪い遺族」です。何も明言しない遺族もいます。
原田さんは、最高裁に犯人の長谷川氏を「死刑にしないで」と上申書を提出しましたが、死刑判決がでてしまい、死刑も執行されてしまいました。その後、死刑廃止を訴える原田さんに対して、一般の人は「被害者の気持ちを考えろ」となじるそうです。
同じ被害者遺族だとしても境遇も心情も異なるのですから、死刑に対する意識もそれぞれ異なるのです。それぞれの気持ちを尊重することこそ妥当なことなのに、今は、死刑を望むのが被害者遺族であるという「お決まりの被害者遺族像」のみが蔓延しています。
死刑を望まない遺族は「悪い遺族」という扱いでよいのでしょうか? 「お決まりの被害者遺族像」が蔓延するのはおかしい、「悪い遺族」という扱いはおかしい、という考えは、「礼を失した言葉」なのですか? うしさんも、死刑廃止を訴える原田さんに対して「被害者の気持ちを考えろ」となじるのでしょうか?「お決まりの被害者遺族像」でないからとして。私には「礼を失した言葉」だとは思えません。
>そういう感情を法廷の場に持ち込むことの是非は浅学の私にはわかりません
「被害者遺族像」は法廷で議論することではありません。
>本事件にのみいえることではありません
>決してわかりあえることのできない人間が存在するということだけは間違いない
うしさんは、まず、光市事件について十分に調べてみて下さい。そして、多種多様な被害者遺族がいることを理解するべきです。
「お決まりの被害者遺族像」という一語だけで、「決してわかりあえることのできない人間が存在する」と思ってしまったのですか? もしそうであれば、いささか短慮に過ぎると思います。
そんなコメントに対してもご丁寧にお返事をくださり感謝します。熟読させていただきました。私は光市の事件に関しては特に成り行きを注視しておりますし、その過程で原田さんや、西鉄バスジャック事件の山口さんのことも存じ上げています。
この件で私たちの得られる情報の多くが脚色されているであろうこともわかっています。ただ過去に起きた事実、今起きている事実は曲げようがありません。その事実を冷静に見つめていければと考えています。
ただ私は自分のまわりに起きているさまざまなことがらから、人間というものは生来悪であり、話せばわかる、教育で矯正できるということは所詮は幻想であるという絶望的な気持ちを強く抱いています。
(蛇足ですが、こういった風潮の中で裁判員制度が導入されていくことについては私も不安を強く感じます)
URL | うし #ZxXOt7Ek[ 編集 ]
>いつもこの話題を目にすると胸の奥のほうにどろどろとしたいやな感情がわきあがります
光市事件は、弁護人側の主張をどう評価するかはともかく、結果としては悲惨であ

