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2010/05/05 [Wed] 18:29:42 » E d i t
小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京第五検察審査会は平成22年4月27日、政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で告発された小沢氏を東京地検特捜部が不起訴(嫌疑不十分)とした処分について、「起訴相当」とする議決をし、公表しました。

東京地検特捜部は今後、再捜査して再び処分を出すことになります。昨年5月に施行された改正検察審査会法では、再捜査の末に再び不起訴としても、それに対して審査会が2度目の「起訴すべきだ」とする議決をすれば、裁判所が指定した弁護士によって強制的に起訴されることになっています(朝日新聞平成22年4月28日付朝刊)。



1.検察審査会で「起訴相当」とした点に触れた記事を幾つか引用します。

(1) 時事通信(2010/04/27-17:39)

小沢氏「起訴相当」を議決=再議決なら強制起訴-陸山会規正法違反事件・検察審

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反罪で告発され、不起訴処分となった小沢氏について、東京第5検察審査会は27日、「小沢氏の供述は不合理で信用できず、共謀共同正犯が成立する」として、起訴すべきだとする「起訴相当」を議決した。今後、東京地検特捜部が再捜査し、改めて処分を決める。
 再び不起訴とされても、2回目の審査で、11人の審査員中8人以上が起訴すべきだと判断すれば、小沢氏は裁判所が指定する弁護士によって強制的に起訴されることになる。
 検察審は議決書で、「政治資金収支報告書を提出前に確認せず、担当者が真実を記載していると信じて了承した」とする小沢氏の任意聴取での供述について、「極めて不合理、不自然で信用できない」とした。
 土地代金の支払い直後に同会が金融機関から受けた4億円の融資については、融資関係書類に小沢氏が署名しており、金利を支払ってまで銀行融資を受けた点を挙げ、「土地代金の原資を隠すための偽装工作」と断定。陸山会の事務担当者だった衆院議員石川知裕被告(36)らが、絶対権力者の小沢氏に無断で工作をする理由はないと指摘した。
 その上で、「絶大な指揮命令権限を持つ小沢氏の地位と、石川被告らの立場などを総合考慮すれば、共謀共同正犯が成立すると認定できる」と結論付けた。
 さらに、「『秘書に任せていた』と言えば、政治家本人の責任は問われなくていいのか。政治家とカネにまつわる政治不信が高まっている状況下で、市民目線からは許し難い」と言及。「小沢氏を起訴して、裁判で真実と責任の所在を明らかにすることが、善良な市民としての感覚だ」と述べた。(2010/04/27-17:39)」



(2) 時事通信(2010/04/27-16:16)

小沢氏起訴に現実味=結論、なお流動的

 民主党の小沢一郎幹事長を嫌疑不十分で不起訴とした検察の判断を、国民から選ばれた検察審査会のメンバーは不当とみなした。今後、東京地検特捜部が再度不起訴とした場合には、今回と同じ東京第5検察審査会が改めて審査し、強制起訴するかどうかが決まる。小沢氏の起訴が現実味を帯びてきた。
 ただ、審査員の任期は半年間で、3カ月ごとに約半数が交代する。5月以降、同審査会の審査員11人のうち6人が代わることなどから、結論はなお流動的だ。
 昨年の西松建設事件で特捜部は、検察審査会による起訴相当の議決を受け、いったん不起訴とした同社元社長を起訴した。しかし、元社長は、疑いは残るが十分な証拠のない「嫌疑不十分」ではなく、証拠があっても処罰を求めない「起訴猶予」だったため、新たな証拠がなくても、検察官の裁量だけで起訴に転じることができた。
 ある検察幹部は「特捜部が時間をかけて捜査し、上層部が嫌疑不十分と判断した以上、検察の結論が変わることは考えられない」と話す。再捜査の結果、小沢氏の不起訴処分が見直される公算は極めて小さいとみられる。
 2度目の不起訴処分に対する再審査で、起訴相当が再び8人以上なら「起訴議決」となり、小沢氏は強制的に起訴される。8人未満の場合には「起訴議決をするに至らない」と議決し、不起訴のまま終結することになる。(2010/04/27-16:16)」



(3) 時事通信(2010/04/27-22:19)

「想定内」「証拠評価の問題」=起訴可能性に否定的-法務・検察

 検察審査会の起訴相当議決について、法務・検察幹部からは「想定していた」「証拠の評価の問題」などと、冷静な声が聞かれた。今後の再捜査については、「新証拠が見つかる可能性は低く、判断を覆すのは難しい」と、小沢氏起訴の可能性に否定的な見方が大勢を占めた。
 検察首脳の1人は「想定していた」とした上で、「共謀はあるとしても、罪を問えるほどのものなのか。どういう共謀なのか具体的な指摘がないのに、起訴できるという指摘ばかりしている。『小沢氏はけしからん』という気持ちがあるのかもしれない」と話した。
 別の幹部は「われわれは、80%有罪でも20%無罪だと思えば起訴しない。証拠の評価が違うということだ」と淡々とした様子。
 法務省幹部は「内容が粗い。公開の場に引きずり出せというだけではないか」と苦言を呈した。
 小沢氏や起訴された3被告への再聴取については、「任意捜査だから、断られたらそれまで」「事情聴取しても、同じ説明の繰り返しになる」などとする声が上がった。
 中堅幹部は「時間をかけずに不起訴にするのではないか。再び起訴相当の議決がされれば、それは国民の意思だ」との考えを示した。(2010/04/27-22:19)」



(4) 朝日新聞平成22年4月28日付朝刊3面「『起訴相当』識者の声」(一部)

検審の「証拠」おかしい――高井康行氏(弁護士)

 私が参加した司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会では、起訴猶予と嫌疑不十分を分けて考える必要性が指摘された。検察が「証拠があるが起訴しない」と判断した起訴猶予の場合、国民目線で起訴すべきかどうかを考え直す意味はある。しかし、嫌疑不十分は証拠の有無の問題。法律家が「証拠はない」と判断したのに、国民目線で見たら「証拠はある」というのはおかしい。

 小沢氏を共犯者に問う直接的な証拠は、石川知裕衆院議員と池田光智元秘書の供述しかないが、議決書を読んでも、2人の供述内容がどの程度の具体性を持つのかわからないので、証拠価値の判断ができない。

 仮に小沢氏が強制的に起訴されることになれば、政治的な意味も大きい。検察審査会は「これなら、検察審査会が起訴すべきだと判断するのも仕方がない」とわかるような具体的な説明をする必要があるのではないか。」



 イ:これらを見ると、検察審査会の審査では、「市民目線からは許し難い」「(小沢氏を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべき)……これこそが善良な市民としての感覚」などと、自らを「善良」と声高にに称して「市民」の名の下にいわゆる「感情論」むき出しで――証拠裁判主義や無罪推定の原則は頭の中から抜けてしまったまま――起訴相当と判断したことが分かります。

もっとも、決議文は審査員が作成するわけではないので、東京第五検察審査会で補助に就いた、ヤメ検である米澤敏雄弁護士の「作文」の可能性が高いので(後掲<追記>参照)、割り引いて考える必要がありますが(ヤメ検の作文――元検事の見解――にすぎないのに、読売新聞・日経新聞・東京新聞が「市民感覚」を大見出しにしたのは、かなり情けない思いがします)。


 ロ:こうした感情論むき出し、いうなれば「私刑(リンチ)法廷」を求めた起訴判断となると、さすがに法律家集団である検察庁・法務省もついていけません。ですから、「共謀はあるとしても、罪を問えるほどのものなのか。どういう共謀なのか具体的な指摘がないのに、起訴できるという指摘ばかりしている。『小沢氏はけしからん』という気持ちがあるのかもしれない」(検察首脳)、「内容が粗い。公開の場に引きずり出せというだけではないか」(法務省幹部)と、結論だけでなく、決議内容に対しても感情論を諌める形で厳しく批判しています。

検察や法務省側のコメントを言い換えれば、「『共謀』という最も肝心な点の具体的な証拠がないのに、市民感情を振りかざして『うそつき』『小沢氏けしからん』と言ってみても、そんな感情論(=嫌疑刑)は、法と証拠に基づく近代裁判では通用しない」「審査員は、刑事裁判を『公開リンチ』『吊るし上げ集会』と勘違いしているのでは? 刑事裁判は証拠に基づいて犯罪の有無を判断する場であって、市民やマスコミによる吊るし上げの場所でもないし、世間に対する情報公開の場所でもない。これだから裁判の意味さえ理解できていない、暗愚な市民やマスコミは困るんだよね。やれやれ。」ということでしょう。

小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件については、検察庁は証拠がないから不起訴にしたのです。ある検察幹部が述べるように、特捜部が1年も執拗に捜査し、上層部が(証拠がないために)嫌疑不十分と判断した以上、「検察の結論が変わることは考えられない」のです。ですから、高井康行氏(弁護士)が述べるように、「法律家が『証拠はない』と判断したから不起訴になったのに、国民目線で見たら『証拠はある』というのはおかしい」のです。刑事裁判は証拠裁判主義の原則に支配された、法律的な判断をする場なのですから、 市民の感情論で気ままに有罪証拠に仕立てるべきでないのです。


 ハ:自らを「善良」と声高に称する市民は、本当に「善良」なのでしょうか? 

誰しもがすぐに想像するはずですが、自ら「善良な市民」と声高に主張する者は、むしろ自分勝手な意見で無理難題や金銭を要求する悪質なクレーマーや、嫉妬心に駆られた行動であるのに正当性を主張して嫌がらせを繰り返すストーカーを思い起こさせるのです。

自らを「善良」と声高に称する市民(人物)に対しては、空恐ろしく感じ、むしろ警戒心を抱く――。これこそが一般人の常識ある感覚であると思うのです。



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