2.東京新聞平成20年5月14日付朝刊24・25面【こちら特報部】「SOS臓器移植:厚労省・学会にNO 超党派議員連盟「容認」のわけ 政治の出番 悩む患者は待ったなし
2008年5月14日
厚生労働省や学会から「医学的妥当性がない」とされ、同省が臨床研究以外は「原則禁止」とした病気腎(修復腎)移植をめぐる情勢に13日、大きな変化が起きた。与野党の議員連盟「修復腎移植を考える超党派の会」(会長・杉浦正健元法相)が、逆に「容認」の見解を打ち出し、「保険診療も認めるべき」と、踏み込んだからだ。宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師の症例批判を展開する学会とは対極に踏み出した議連。議論の詳報をお伝えする。 (片山夏子)
◆26万人余の人工透析者
午前9時、東京・永田町の衆院議員会館。カメラの放列を前に口火を切った杉浦氏は全国26万人余の人工透析患者を念頭に「(腎臓の)提供者は少ない現実がある。問題を学会だけではなく、社会全体で考えたかった」。
議員らは「改革的なことをしようとすると、タブーが立ちはだかる。従前のことに縛られていては前進はあり得ない」(島村宣伸元農相)、「私自身、弟の腎臓をもらい移植した。病気で摘出した腎臓が使えるなら、いいと思っている。厚労省はぜひ、検討してほしい」(山田正彦・民主党ネクスト厚労相)と畳みかけ、杉浦氏が強(こわ)ばった表情の厚労省幹部に「見解案」を手渡した。
泌尿器科医でもある森田高参院議員(無所属)は「現状では、海外に道を求める人も多い。公正なシステムの中で行い、データを集積して5年、10年後に日本からデータを発信していくべきだ」。
「(万波氏らが)取らなくてよい腎臓を取ったかどうか、検証すべきだ」との意見も出たが、見解案を中心的に作成した外科医で弁護士の古川俊治参院議員(自民)が「インフォームドコンセント(十分な説明と同意)の問題。(直径3―4センチ以下の)小腎がんなどは数%でも(再発の)リスクが残るなら摘出してほしいという患者もいる」とおさめ、9時40分、全員一致で見解案を了承した。
◆「議員立法は選択肢」
意見が分かれたのは、議員立法に踏み切るか否か。「学会の異論を取り除いていくためにも、法的に作っちゃってやるというのは、どうか」「議員立法にしても、学会や厚労省との大筋合意が必要」とは慎重派議員ら。一方、山田氏は「患者は本当に困っている。政治で、ある程度、きちんとした形でできるようにした方がいい」。
ここで、幹事長の衛藤晟一・自民党厚労部会長が「厚労省は一度、臨床研究は小腎がんは対象にならないと回答しながら、撤回した経緯がある。学会や厚労省の状況を見て、立法化を検討したらどうか」。古川氏は「学会の合意を得られた場合は、強引に立法化するのもどうかと」。
最後は、平沢勝栄衆院議員(自民)が「学会や厚労省と話をし、選択肢として議員立法や(政府提案の)閣法にするかを検討するということで。全国で、多くの患者が移植を受けられるようになるのを待っている。何とか早く結論を出したい」と、“官僚の出方論”にまとめた。
◆頑なに反対…「メンツでは?」
議連は患者、万波氏、オーストラリアや米国で病気腎移植を進める医師だけでなく、厚労省・学会からもヒアリングしており、日本移植学会の医師らは、万波氏らの症例を「治療上、摘出する必要のない腎臓を移植した」「移植できる腎臓は患者に戻すべきだ」と指摘した。
これに「良性疾患の症例の中には、内科的治療や画像診断が十分でないものがあった可能性がある。丁寧に説明すれば、摘出に同意しなかったと疑われる症例もある」と頷(うなず)くのは前出の古川俊治氏だが、一方で、宇和島の地域性や、万波氏らが病気腎移植を始めた当初はインフォームドコンセントが十分に広まっていなかったという時代的背景も考慮すべきだと指摘する。
「第三者が結果から振り返って評価すると、多くの悪い点が指摘できるのは医療の常。医療は患者と医師の信頼関係で行われており、すべてに標準的な医療を押しつけるべきではない。やり方に疑いがあるなら、民事訴訟で解決すべきで、行政が踏み込むのは極めて異例。しかも、今回は、よくやってくれたという患者こそいるが、訴訟を起こした患者はいない」
さらに学会が「小腎がんは部分切除すべきだ」としたことについては「今後、部分切除が増えるだろうが、現実に、今は全摘(全摘出)が相当数ある。(再発を恐れ)摘出を望む患者がいる」と指摘。
「今までも、親族間では、病気腎移植を認めた例があり、医学的に同じこと。(修復した腎臓は)患者に戻せというが自家腎移植はほとんど行われていない。絶対的な臓器不足の中で、つなぎの次善の策として、修復腎移植をしてはいけない、ということはないのではないか」
◆「保険適用を」一歩踏み込む
古川氏は日本外科学会に所属。
「議連に入る時、私は学会寄りだったが、いろいろ意見を聞くうち、政治として踏み込める解決策は、この結論にならざるを得なかった。一例一例は過失があったかもしれないが、修復腎の方法論を全否定する話にはならない。海外では評価する声もある中で、なぜ学会は一辺倒に反対なのか?本来、患者の方を向くべきではないか」
さらに「実地でも臨床研究でも、保険適用にしなければ、患者に莫大(ばくだい)な費用がかかり現実問題、進まない。第三者委員会のコントロール下で保険適用を」と求める。
死体腎移植も進んでいない現状を踏まえ、「命が助かった患者が大勢いたのに、日本で病気腎移植ができなくなる可能性があった。なぜ、ここまで頑(かたく)ななのか。厚労省ははじめから駄目だと決めつけているように感じた。万波さんが誤っている点を直した上で、患者を救う手法として冷静な目で検証する建設的な姿勢はなかった。学会の意見だけを聞き、患者の声を聞いていない」と疑問を呈すのは平沢勝栄氏だ。
「これが犯罪ならば告発すべきだと、厚労省や学会に言った。田舎の医師がやったこと、という意識やメンツがあったのではないか。悩んでいる患者はあまりにも多い。もっと前向きに取り組んでもいい」。こう言って、付け加えた。
「厚労省が今までしてきたことが全部正しく、薬害エイズ事件などが起きていなかったら、こんなに疑問は持たなかった」
<デスクメモ>
医師の値打ち。みなさんは、いつ感じますか。乗っている車を見て? まさか。論文の数? 世間の評判? 政府や自治体の審議委員になった? 医療機関の新しさ? 私は、お葬式です。質素な身なりの人々が詰めかけ、涙にくれる。そういう人は、生前、間違いなく腕利きだった医者ですから。 (隆)」
(*見出しの文章自体は紙面のままですが、見出しの位置はこちらで適切な位置においています。)
(1) 幾つかの点について触れていきます。まず1点目。
「「第三者が結果から振り返って評価すると、多くの悪い点が指摘できるのは医療の常。医療は患者と医師の信頼関係で行われており、すべてに標準的な医療を押しつけるべきではない。やり方に疑いがあるなら、民事訴訟で解決すべきで、行政が踏み込むのは極めて異例。しかも、今回は、よくやってくれたという患者こそいるが、訴訟を起こした患者はいない」(中略)
古川氏は日本外科学会に所属。
「議連に入る時、私は学会寄りだったが、いろいろ意見を聞くうち、政治として踏み込める解決策は、この結論にならざるを得なかった。一例一例は過失があったかもしれないが、修復腎の方法論を全否定する話にはならない。海外では評価する声もある中で、なぜ学会は一辺倒に反対なのか?本来、患者の方を向くべきではないか」
さらに「実地でも臨床研究でも、保険適用にしなければ、患者に莫大(ばくだい)な費用がかかり現実問題、進まない。第三者委員会のコントロール下で保険適用を」と求める。」
医療行為は、患者の自己決定権(憲法13条)の尊重が基本なのですから、法律論としては「病気腎移植も患者、提供者の双方が納得すれば十分」です(
「病気腎移植は学会と現場にギャップ〜田辺功 (著)『ドキュメント医療危機』より」(2008/01/04 [Fri] 05:45:31))。しかも、病気腎移植の一例一例が個別的に見れば問題となるものであったとしても、医療行為は裁量の幅が広く、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に従った注意義務を尽くしていれば「過失」は否定され、民事責任は生じません(最判昭57・3・30判タ468−76〔日赤高山病院事件〕、最判平7・6・9民集49−6−1499〔日赤姫路病院事件〕など)。
ですから、医療行為に「疑いがあるなら、民事訴訟で解決すべき」であって、それなのに「今回は、よくやってくれたという患者こそいるが、訴訟を起こした患者はいない」という状況においては、
病気腎移植問題では、法律上の問題点が見当たらないのです。法律を専門とする者であれば、その多くが、なぜ病気腎移植を問題視する必要があったのか、疑問であったと思うのです。
修復腎移植問題については、その議論をよく知らないままだと、「病気腎移植を認めると、強制的にがん細胞があるままの臓器を移植されてしまう」という杞憂論に惑わされ、つい日本移植学会の言い分を信用してしまうのです。日本外科学会に所属する医師である古川俊治議員も、「議連に入る時、私は学会寄りだった」のです。
ところが、超党派議連に入って、「いろいろ意見を聞くうち、政治として踏み込める解決策は、この結論にならざるを得なかった」わけです。要するに、
正しい情報に接することで、日本移植学会や厚労省の言い分は妥当でないと理解でき、病気腎移植容認という結論に達したのです。
古川議員の発言は、正しい情報に接することの重要さを物語っているのです。
ちなみに、記事中では、泌尿器科医でもある森田高参院議員(無所属)が超党派議連に参加し、次のように述べて、賛同しています(森田参院議員は、ご自分のブログでも触れています)。
「現状では、海外に道を求める人も多い。公正なシステムの中で行い、データを集積して5年、10年後に日本からデータを発信していくべきだ」。
修復腎移植問題については、ネット上賛同を表明している泌尿器科医がかなりいることからしても、森田議員の意見は泌尿器科医としては典型的な意見であるといえそうです。
(2) 2点目。
「意見が分かれたのは、議員立法に踏み切るか否か。「学会の異論を取り除いていくためにも、法的に作っちゃってやるというのは、どうか」「議員立法にしても、学会や厚労省との大筋合意が必要」とは慎重派議員ら。一方、山田氏は「患者は本当に困っている。政治で、ある程度、きちんとした形でできるようにした方がいい」。
ここで、幹事長の衛藤晟一・自民党厚労部会長が「厚労省は一度、臨床研究は小腎がんは対象にならないと回答しながら、撤回した経緯がある。学会や厚労省の状況を見て、立法化を検討したらどうか」。古川氏は「学会の合意を得られた場合は、強引に立法化するのもどうかと」。
最後は、平沢勝栄衆院議員(自民)が「学会や厚労省と話をし、選択肢として議員立法や(政府提案の)閣法にするかを検討するということで。全国で、多くの患者が移植を受けられるようになるのを待っている。何とか早く結論を出したい」と、“官僚の出方論”にまとめた。」
議員立法に踏み切るか否かについては、結論に達するまでに意見が分かれたようです。ですが、一応、学会や厚労省と話を付けてみて、何も変化がないのであれば、「議員立法や(政府提案の)閣法にするかを検討する」とのことです。
“官僚の出方次第”では、議員立法や政府提案の閣法で立法化するのであり、それも、ぐずぐず官僚の出方を待っているのではなく、早く結論を出す意図であるということのようです。早く結論を出すために議員立法も考えているという姿勢は、患者の利益に沿った判断であり、高く評価したいと思います。
(3) 3点目。
「死体腎移植も進んでいない現状を踏まえ、「命が助かった患者が大勢いたのに、日本で病気腎移植ができなくなる可能性があった。なぜ、ここまで頑(かたく)ななのか。厚労省ははじめから駄目だと決めつけているように感じた。万波さんが誤っている点を直した上で、患者を救う手法として冷静な目で検証する建設的な姿勢はなかった。学会の意見だけを聞き、患者の声を聞いていない」と疑問を呈すのは平沢勝栄氏だ。
「これが犯罪ならば告発すべきだと、厚労省や学会に言った。田舎の医師がやったこと、という意識やメンツがあったのではないか。悩んでいる患者はあまりにも多い。もっと前向きに取り組んでもいい」。こう言って、付け加えた。
「厚労省が今までしてきたことが全部正しく、薬害エイズ事件などが起きていなかったら、こんなに疑問は持たなかった」」
学会と臨床の現場とでギャップがあることは、常々言われていることです(
「病気腎移植は学会と現場にギャップ〜田辺功 (著)『ドキュメント医療危機』より」(2008/01/04 [Fri] 05:45:31))。
「日本の学会のほとんどは大学教授が牛耳っている。大学は研究優先で、多くの教授は臨床は得意ではなく、臨床を一段低く見ている。評判のいい臨床医には冷淡で、私から見ると、いじめとしか思えない行動を取る。その時によく持ち出されるのが「倫理」だ。」(田辺 功『ドキュメント医療危機』参照)
修復腎移植問題では、
学会の側に「田舎の医師がやったこと、という意識やメンツ」で否定したという偏狭な考え方があり、
学会の側が「患者の声を聞いていない」という医師としてあるべき基本的な姿勢に欠ける問題があったのです。
そして、
問題なのは学会の言い分を鵜呑みにした厚労省の姿勢でしょう。「薬害エイズ事件」だけでなく、薬害肝炎問題、後期高齢者医療制度という「姥捨て山制度」を平気で創設したことも、厚労省を信用できないことの証左を示しています。
厚労行政に問題・失策があれば、政治の出番になる――。これも、残念ながら、いつものことであります。与野党の議員連盟「修復腎移植を考える超党派の会」は、日本では恒例になった厚労行政の失策に対する、政治家としての態度を示したものといえるのです。
<5月15日追記>「現在のガン治療の功罪〜抗ガン剤治療と免疫治療」さんは、万波医師たちの試みを高く評価していますが、
「病気腎移植」(2008_05_14)でも、この超党派議連の見解を好意的に評価なされています。冷静に高く評価している医師は、必ずいるものだと思いました。
「学会も厚労省も、その目は、
悩める患者さんの方には向いていないことが、
またも、ハッキリと見えてきたように思います。(中略)
やはり、学会が推奨する標準治療だけをおこなっていくのが、
医者にとっては一番無難です。
しかし、あの移植手術が、
患者のためであり、
今後も認められる道筋ができたことは本当に喜ばしいことです。
同時に、大いに面子を潰された学会には
猛省を期待したいと思います。」
同じエントリーにおいて、次の点も気になりました。
「インフォームドコンセントは重要です。
それは、私の大好きな国立がんセンターが提唱してるとおりです。
しかし、そのがんセンターとて、
どれだけ十分なインフォームドコンセントを得ているでしょうか。
その国立がんセンターで治療を受けていて、
私のところにセカンドオピニオンに来られた患者さんで、
十分な説明を受け、
その上で治療に同意されていた患者さんは、
一人もいません。
インフォームドコンセントの重要性を、
日本で一番強調している病院で、
それが実行されてはいません。
マスコミはその事実には一切触れません。
マスメディアの報道とはその程度のものです。」
東京でのことですが、多くの病院に診察に行くようになると、今でも、いかにインフォームドコンセントを実行できていない医師が多いことを身に沁みて感じます。「国立がんセンター」でさえ、インフォームドコンセントが実行できてない事実があることは、いまだにインフォームドコンセントが事実上は画餅のままであることを示しています。
今でもこんな体たらくであるのに、どうしてマスコミや学会は万波医師たちを非難できるのでしょうか。しかも、「万波氏らが病気腎移植を始めた当初はインフォームドコンセントが十分に広まっていなかったという時代的背景」もあるのです(万波医師たちがインフォームドコンセントを怠っていたという批判自体疑問ですが)。このように、インフォームドコンセントが十分でなかったとして万波医師たちを批判することは、妥当ではないことは明らかです。
<5月20日追記>鈴木宗男衆院議員の
「ムネオ日記」の5月13日の日記から、一部引用しておきます。
「2008年5月13日(火) 鈴 木 宗 男
8時半から修復腎移植(病気腎移植)を考える超党派の会の勉強会で、修復腎移植についての取りまとめが行われた。現在、透析患者が25万人おり、1万人が腎移植を必要としていると言われている。医学の進歩と相まって、時代にあった判断をしなくてはいけない。一歩前進した取りまとめができたので、更に今後専門家等の考え、意見を聞き、実現に向けた動きをしていかなくてはならない。」
どうやら鈴木議員もこの超党派議連に参加されているようですし、修復腎移植容認という議連の見解に賛同されているようです。鈴木議員のような信念を持って発言なされている議員が参加し、修復腎移植に賛同されていることは大変心強く感じます。
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