3.エッセイを幾つか。(1) 日経新聞平成20年4月30日付夕刊24面「自由席」
「「後期高齢者」の悔しさ
大滝秀治、奈良岡朋子、中村梅之助、大塚道子、森光子。思いつくまま挙げたこれらの人たちは舞台で力強く活躍する「後期高齢者」の俳優である。
この官僚言葉を演劇界にあてはめてみて改めて気がついた。少年少女、あるいは青春時代は戦争で真っ暗、敗戦で転落した社会で懸命に芝居を続けた人ばかりだ。
ことは演劇界だけの話ではなかろう。75歳以上の「後期高齢者」の人生には戦争のかげがある。この言葉が為政者の想像を超えた反発を生む理由にはそのことが深くかかわっていないか。そう感じたのは、小沢昭一の「唄って語って僕のハーモニカ昭和史」を紀伊国屋ホール(30日で終了)で見たときだった。
79歳になった小沢は「僕も後期高齢者」とやって、同世代が目につく客席と一気に一体化。海軍兵学校で教習を受けるうちに終戦を迎えた個人史を流行歌や得意のハーモニカを交えて語る。同じ舞台を6年前にも見ているが、今回のシリーズは客席との連帯感が格段に増していた。
軍国少年だった小沢自身、お国のために死ぬのは当たり前と思っていた。「みんなが寄ってたかって死ね、死ねっていうんですから」と語りに力が入ると、会場にすすり泣きが広がった。
かつて国に死ねといわれた世代が今になって「後期高齢者」と政府から名指しされたら……。
小沢も観客も、温かく顧みられない同世代の悔しさをかみしめたのではなかったか。たかが言葉、されど言葉だ。(内)」
(2) AERA 08.5.5(20号)94頁「眤七亜慂神雑記帳』第37回」
「「後期高齢者」とは何か。大戦前夜のナチスによるユダヤ人隔離を思い出す。
精神的に荒廃してゆく社会とはこういうことを言うのだろう。75歳以上の後期高齢者を、家族からも社会からも切り離し、専用の医療制度枠で一括する。ただでさえ体力も気力も理解力も低下している高齢者たちが、中身を読んでもさっぱり理解できない通知書を手に、役所や病院の窓口でおろおろする。4月に始まったこの光景を遠巻きに眺めながら、大戦前夜のナチスによるユダヤ人隔離のようだ、と思った。
もとより年金生活を送る高齢者は生産性がなく、消費力もなく、病気と介護で金ばかりかかる。一律の国民皆保険制度では、若い世代の納めた保険料を高齢者たちが食い潰(つぶ)し、高齢者入口の増加による医療費の増大は天井知らずとなって、国の財政を圧迫する。こうなると長寿も程度もので、社会福祉費はなんとしても抑制する必要がある。依(よ)って、後期高齢者には自分たちが社会のお荷物であることを、そろそろ自覚してもらうほかなかろう――これが政治家と役人たちの本音なら、ほとんど優生思想というものであり、薄気味悪い末世を見る思いがする。
現にこの新しい後期高齢者医療制度では、低所得者の経済的負担もさることながら、徐々に受けられる医療が制限されてくるだろうとも言われている。かかりつけ医に聴診器を当ててもらってすむ病気なら心配はないが、紹介状なしにはおいそれと病院に行けなくなるらしいし、そうなると、十分な検査や治療を受ける機会が減り、手術や入院も減り、結果的にこれまでより短命となる高齢者が増えて、国や自治体の財政に貢献することになるのかもしれない。少子化により、百年後には総人口がいまの半分になるという予測には、こうした後期高齢者の早死にも含まれているのか、どうか。
医療の進歩で、脳梗塞(のうこうそく)や心臓病や癌(がん)などもこれからますます治る病気になってゆく時代に背を向けて、後期高齢者医療制度が向かう先は、やはりゲットーのようなものだ、と思う。高度医療の恩恵を受けられるのは75歳未満の国民であり、それ以上の後期高齢者は開業医ですませよ。一昔前なら死んでいたはずの年齢なのだから、これ以上の長寿は積極的には支持しない。入り口にはそんな告知板がかかっていそうである。
さて、読者諸氏はこんな高齢者の未来を受け入れる覚悟はあるか。私にはない。医療の高度化や延命措置の進化を手放しで歓迎するわけではないし、生命につきものの寿命を直視する理性はもちたいと思うが、社会全体で高齢者や障害者を支える近代の福祉国家の理念を捨てるような勇気はない。また、労働力にならない人間を貶(おとし)めるような空気に耐える自信もない。これは、生死より大事な人間の尊厳の問題である。国民皆保険制度というなら、本来は消費税で解決すべきところ、国は面倒な税制改革を先送りし、代わりに国民の餞別に手をつけた。これこそ、この後期高齢者医療制度が、先進国のどこにも例がない所以(ゆえん)である。
たかむら・かおる◆1953年、大阪生まれ。93年、『マークスの山』で直木賞。『レディ・ジョーカー』『晴子情歌』など。「新潮」で「太陽を曳く馬」を連載中。」
(3) この2つのエッセイを読めば、「後期高齢者医療制度」に対する市民の側の危機意識がどれほどのものか分かるはずです。
イ:日経新聞「自由席」のエッセイも強烈です。
「軍国少年だった小沢自身、お国のために死ぬのは当たり前と思っていた。「みんなが寄ってたかって死ね、死ねっていうんですから」と語りに力が入ると、会場にすすり泣きが広がった。
かつて国に死ねといわれた世代が今になって「後期高齢者」と政府から名指しされたら……。
小沢も観客も、温かく顧みられない同世代の悔しさをかみしめたのではなかったか。たかが言葉、されど言葉だ。」
戦争中、国に死ね、死ねといわれた世代が今になってまた、「後期高齢者」と政府から名指しされ、死ね、死ねと言われるのか……。そんな不合理なことがあってたまるか!
こんな不合理制度であるからこそ、日本の市民は激烈に反発を感じているのです。町村官房長官はまるで、そんな反発を無視して「天引きは便利」などと惚けたことを言うのですから、町村氏は「黙って死ね」と言っているようなものです。
79歳になった小沢正一氏とは「僕も後期高齢者」とやって、同世代が目につく客席と一気に一体化したとあります。これは小沢昭一氏の舞台だからというわけではなく、他の場合でも同じです。寄席などに限らず、高齢者が集まる場所ではどこでも後期高齢者医療制度への反発は大変厳しいのです。
ロ:眤嫉瓩後期高齢者医療制度に対して抱く危機感も、相当なものです。
役所や病院の窓口でおろおろするご老人たちは、まるで「大戦前夜のナチスによるユダヤ人隔離のようだ」とか、「後期高齢者医療制度が向かう先は、やはりゲットーのようなものだ」、と思わざるを得ない状況なのです。
「高度医療の恩恵を受けられるのは75歳未満の国民であり、それ以上の後期高齢者は開業医ですませよ。一昔前なら死んでいたはずの年齢なのだから、これ以上の長寿は積極的には支持しない。入り口にはそんな告知板がかかっていそうである。」
アウシュヴィッツ−ビルケナウ強制収容所ほか、各地の入り口の掲げられた標語は、「働けば自由になる」でした。これとさほど変わらない内容の告知板を、福田政権は、75歳以上(の高齢者の面前に掲げて見せたわけです。
自民党と公明党の議員は、こんな市民の生死に関わるほどの危機感をまるで無視しているのですから、国会から全員消滅してもらうしかありません。多くの市民が後期高齢者医療制度の廃止、自民党政権の終焉を訴え、大きく声を上げるべきです。
なお、後期高齢者医療制度については、
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「「後期高齢者医療制度」に対する不安・批判が続出〜「現代の姥捨山政策だ」 (東京新聞4月4日付「こちら特報部」より)」(2008/04/07 [Mon] 05:07:58)、
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「後期高齢者医療制度の天引き始まる(「4・15ショック」)〜衆院山口2区補選では、後期高齢者医療制度の是非が問われている!」(2008/04/17 [Thu] 23:02:47)、
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「いいかげん、あの国をモデルにするのはやめませんか?〜東京新聞4月25日付「文化」面(僧侶・作家の玄侑宗久さんのエッセイより)」(2008/04/27 [Sun] 02:22:16)でも触れています。こちらもご覧ください。
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