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2008/05/01 [Thu] 22:50:10 » E d i t
1957年7月、米軍の旧立川基地の拡張計画に反対して基地内民有地の測量に抗議して基地内に立ち入ったとして起訴された「砂川事件」をめぐる真相が明らかになりました。

その「砂川事件」につき、1959年3月に出された「米軍駐留は憲法違反」との東京地裁判決(伊達判決)に衝撃を受けたマッカーサー駐日米大使が、同判決の破棄を狙って藤山愛一郎外相に最高裁への「跳躍上告」を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官と密談するなど露骨な内政干渉を行っていたことが4月29日、機密指定を解除された米公文書から分かりました。


1.まずは「砂川事件」の事案と東京地裁・最高裁判決を簡単に紹介しておきます。
 

【砂川事件と伊達判決】 1957年7月8日、東京調達局が東京都砂川町(現・立川市)にある米軍立川基地拡張のため測量を始めた際、拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り禁止の柵を壊して基地内に立ち入ったとして、刑事特別法違反の罪でデモ隊のうち7人が起訴された事件。東京地裁(伊達秋雄裁判長)は59年3月30日、駐留米軍を憲法9条違反の「戦力の保持」に当たるとして無罪判決を言い渡した。検察側は最高裁に跳躍上告。最高裁は同年12月16日、「憲法の平和主義は無防備、無抵抗を定めたものではなく、他国による安全保障も禁じていない。安保条約はわが国の存立にかかわる高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と1審判決(伊達判決)を破棄し、差し戻した。後に有罪確定。(共同)」(東京新聞平成20年4月30日付朝刊26面)



新聞での紹介では少ないので、もう少し詳しく説明しておきます(全体を見れば「砂川闘争」といった方が正確でしょう)。

 「1955年、国(特別調達庁)は米軍立川飛行場の拡張計画を内示したが、その収用対象地域を抱えた砂川町では町議会が全員一致で反対を決議するほどに住民の抵抗が生じ(基地を拡張すると、地域の農家の人はほとんど自宅も畑も失ってしまう)、全国の労組・学生・住民の支援を得た反対運動が発展した。しかし国は1957年7月8日、基地内民有地において、拡張のための測量を強行したため、1000名以上が飛行場周辺で集団抗議行動を展開した。そのさい、集団の一部が飛行場境界棚を引き抜き、その破壊箇所から約300名が境界内に数メートルの深さで約1時間にわたり立ち入った。当日は被逮捕者はいなかったが、2ヵ月後である9月22日になって23名が(旧)日米安保条約3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法2条違反で逮捕され、10月2日に内7名が起訴された。

 立入禁止場所に正当な理由なく立ち入る行為は軽犯罪法1条32号で拘留又は科料に処せられるが、立入り先が米軍使用区域だと同じ行為が刑特法2条により1年以下の懲役等、より重く処罰されている。そこで、駐留米軍を特に厚く保護するというこの「差別的取扱」規定が違憲かどうかが問題となった。

 1審判決(東京地裁昭和34・3・30下刑集1巻3号776頁。いわゆる「伊達判決」)は、この「差別的取扱」が「もし合衆国軍隊の駐留がわが憲法の規定上許すべからざるものであるならば……憲法31条及び右憲法の規定に違反する結果となる」として、旧安保条約とそれに基づく米軍駐留の憲法判断に踏み込んだ。その判旨は、<1>安保条約によって日本と直接関係のない武力紛争に巻き込まれるおそれがあることから、駐留米軍は憲法9条2項前段にによって禁止されている「戦力」にあたるとして、9条に違反する、<2>違憲の駐留米軍を保護法益として、国民に軽犯罪法1条32号より重い刑罰を科す刑事特別法は、憲法31条に違反して無効であるとして、無罪を言い渡した。

 検察側の跳躍上告(刑事訴訟規則254条)を受けた最高裁(最大判昭和34・12・16刑集13巻13号3225頁)は、<1>憲法9条2項で保持を禁止されている「戦力」とは、わが国が主体となって指揮権・管理権を行使できる戦力をいい、駐留米軍はそれにあたらない、<2>日米安保条約が憲法の平和主義の原理に反しないかどうかについて、日米安保条約は高度の政治性を帯びた条約であるから、一見極めて明白に違憲無効と認められない限りは司法審査にはなじまず、安保条約が一見極めて明白に違憲とはいえない、と判示して、無罪とした原判決を破棄・差戻した。( <2>の論理は「一見明白」論つきの統治行為とみることもできるが、安保条約の合憲性という実体の問題とそれに対する司法審査の可否という訴訟上の問題とを混同しており、明確性を欠く。なお、この論理は、論理的には憲法優位説に立ち、かつ、条約に対する違憲審査を肯定しているものである。)

 差戻し後、7名は罰金2000円の有罪が確定した。しかし、米側は基地拡張を断念し、米軍に接収された農地の返還を求め、1956年に住民が国を訴えた「土地返還訴訟」により、滑走路を畑に戻して無条件返還するという和解が1976年に成立した。1977(昭和52)年11月、立川基地は日本に全面返還された。」(「憲法判例百選2」参照)


これを読むと、国が、地域住民の多数の反対を押し切って立川基地拡張を強行し始めたために、事件が発生したことが分かります。事件の発端からして、国が米政府のために従属的に行動しているのではないか、と推測できます。また、1958年の台湾海峡危機の際、米軍が出撃していましたから(解禁文書で、日本の基地から米軍が出撃していたことが判明)、また戦争なのかという意識もあったはずです。こういう背景があるからこそ、1審判決が違憲判決を出すことに繋がったのでしょう。



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テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

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