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2007/08/31 [Fri] 23:59:47 » E d i t
「「新防人考――変ぼうする自衛隊」:第四部 文民統制の真相~東京新聞8月19・20日付(連載開始)」「「新防人考――変ぼうする自衛隊」:第四部 文民統制の真相~東京新聞8月21・22日付」と、東京新聞「新防人考:第四部 文民統制の真相」の記事について触れて触れてきましたが、今回が第四部の最終回です。では、以下紹介します。



1.東京新聞平成19年8月23日付朝刊1・30面「新防人考 変ぼうする自衛隊:第四部 文民統制の真相 5」

ガイドライン 悲劇の裏で同盟強化

 グラウンドは怖いほど静かだった。

 1995年10月21日、沖縄県宣野湾市の海浜公園で開かれた県民総決起大会。参加した8万5千もの人々は、米兵が起こした少女暴行事件への怒りと悲しみを共有していた。

 ワイシャツの袖をまくり上げ、壇上に立った大田昌秀沖縄県知事は「幼い子どもの尊厳を守れなかったことをおわびしたい」と陳謝した。若者代表の女子高生が「軍隊のない、悲劇のない平和な島を返してください」と訴えると、涙ぐむ人もいた。

 集会は米兵の綱紀粛正、日米地位協定の見直しや基地の縮小など、反基地運動への取り組みを決議して終えた。日米両政府が沖縄米軍基地の整理・縮小を協議する特別行動委員会(SACO)を設置するのは翌月のことだ。

 「事件をきっかけに日米関係のあり方が見直される」。そんな沖縄の期待は見事に裏切られる。翌年4月、両政府は日米の軍事協力を極東からアジア太平洋に拡大する日米安全保障共同宣言を発表。同時に米軍と自衛隊が物や労力を融通し合う日米物品役務相互提供協定(ACSA)を締結、軍事同盟は格段に強化された。

 実は、事件とは無関係に、日米関係を見直す動きがひそかに進んでいたのだ。

 95年9月上旬、東京・霞が関。外務省の会議室で、折田正樹北米局長とジョセフ・ナイ米国防次官補が向かい合っていた。後に延期されたが、2ヵ月後に迫ったクリントン大統領訪日の際に発表する日米安保共同宣言の文言を詰めていた。

 共同宣言は、日米防衛協力指針(ガイドライン)見直しに言及し、日米安保体制を再確認する内容だった。

 この時期、ガイドラインの見直しが浮上したのは、北朝鮮による核開発危機がきっかけだった。核開発を進めていた北朝鮮は93年3月、核拡散防止条約(NPT)脱退を表明。米国は朝鮮半島有事が起きた際、自衛隊がどんな米軍支援ができるか、日本政府と非公式協議を繰り返した。

 機雷掃海、米艦艇への洋上補給、負傷兵の捜索・救難。米国が示した支援要求は2千項目近くに上ったが、日本側の回答はことごとく「ノー」。怒った米側は、周辺有事で米軍支援が可能となるようガイドライン見直しを要求した。

 折田氏は「朝鮮半島有事で日本は何もしないで済むはずがない。見直しは必要。これは日本の安全の問題だと思った」と回顧する。

 大田知事は、米国の論文からガイドライン見直しの動きを早い段階からつかんでいた。ベトナム戦争当時、沖縄が米軍の前線基地と化し、地元の労働者が死体処理に従事させられた姿が脳裏に浮かんだ。

 「周辺有事で日米が連携すれば、ベトナム戦争のような事態が再来しかねない」

 沖縄の基地問題に注目が集まる中、日米両政府の作業は水面下で進んだ。「基地問題は重要だが、安保体制の充実もないがしろにできない」(当時の外務省幹部)との意識が働いていた。

 96年4月17日、東京・元赤坂の迎賓館。クリントン大統領と橋本龍太郎が署名した日米安保共同宣言には「ガイドライン見直しを開始することで意見が一致した」と明記された。沖縄の少女暴行事件は、日米関係に何の変化も呼び込まず、自衛隊と米軍が一体化する最初の一歩がこの日、踏み出された。(肩書はいずれも当時)=おわり

 (この連載は編集委員・半田滋、政治部・本田英寛、横浜支局・中山高志が担当しました)

===========================

日米安保共同宣言 1996年4月、当時の橋本龍太郎首相とクリントン米大統領が署名した。冷戦期の日本防衛を主眼とした日米関係をアジア太平洋の広域的な同盟に移行させた。日米防衛協力指針(ガイドライン)見直しにつながった。

日米防衛協力のための指針(ガイドライン) 日米安保条約の円滑な運用のために作成された日米の軍事協力方針。新・旧2種類あり、冷戦後、97年改定された新ガイドラインは、日本防衛に加え、周辺有事の際の日米軍事協力に踏み込んだ。

===========================」



 「制服組インタビュー・機能する組織 まず議論――新日米ガイドライン締結時の海上幕僚長・夏川和也氏(67)

 ――北朝鮮が1993年に核不拡散防止条約(NPT)脱退を表明した。

 「核開発しているとの情報があり、 NPT脱退もあるかもしれないと思っていた。想像が現実になった。防衛庁だけでなく難民対策など各省庁が北朝鮮問題を検討するきっかけになった」

 ――95年に沖縄で米兵による少女暴行事件が発生した。日米関係に変化があるとの見方もあったが、翌年には日米安保共同宣言が出され、日米関係が強化された。

 「沖縄の事件は大変なことだと思った。事件は米軍基地問題の見直しを呼び起こした。ただ、基地問題にとどめるべきで、日米の枠組みは崩すべきではない。そこへ安保共同宣言だ。日米両政府は淡々とコトを進めていた」

 ――海幕長のときに日米防衛協力指針(ガイドライン)が改定され、周辺有事の共同対処が一部可能になった。

 「ずっと前から(1978年合意の旧)ガイドラインに実効性があるのか疑問だった。いざというとき、日米でどう動くか具体的な取り決めがなかったからだ。日米連携の研究をやっていたはずだが、終わったのかどうか分からない」

 ――新ガイドラインでは日米間の調整メカニズムで協力態勢を議論すると書かれた。

 「私が海幕長の時に後方支援をどうするか議論が始まり、次に運用について検討されたはずだ。制服組は与えられた任務をきちっとやらなければならない。権限、能力を与えずに『ほら、できない』と責められても困る。そのためには平素から議論が重要だ」

 ――北朝鮮の弾道ミサイル、核開発で国民は危機意識を持った。

 「もともと自衛隊は朝鮮戦争をきっかけに生まれた。国民の軍事アレルギーから自衛隊は批判的な目で見られ、動いてはいけない組織とされてきた。ただ、私は北朝鮮の脅威より、国際貢献の積み上げが自衛隊を押し上げたとみている」

 ――海外活動を通じて、できること、できないことがはっきりしたからか。

 「『ここまでやったから次はここまでやれる』という既成事実の積み上げが一番よくない。あるべき姿をまず議論すべきだ。例えば自衛隊の戦略は何なのか、と」

 ――有事法制など、自衛隊が行動するための法整備は進んでいる。

 「他国の軍隊は『やれないこと』を明示しているから、やり方にさまざまな方法論がある。一方、自衛隊は『やれること』を決めて、あとは全部ダメだから、柔軟性に欠ける。法体系を見直さないと、必要なときに自衛隊は使えず、タイミングを逸することになる」=おわり

 ■記者の一言■

 新ガイドラインで自衛隊が米軍と連携できるのは周辺有事までだった。昨年改定された自衛隊法で、「国際安全保障環境の改善」のため、世界各地への進出が可能になった。アフリカや南米で米軍とともに行動する日が来るかもしれない。」




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2007/08/30 [Thu] 22:58:01 » E d i t
山口県光市・母子殺害事件で、被告の元少年(26)の弁護士が8月27日、テレビ番組の発言で業務を妨害されたとして、タレントとしても活動する橋下徹弁護士に損害賠償を求める訴えを広島地裁に起こす方針を明らかにしました。(8月31日追記:いくらか文章を補充し、追記もしました)


1.橋下弁護士に対して訴える方針であるとの報道記事は、次のようなものです。

(1) RCCニュース(中国放送)(8/27 18:01)

 「光市母子殺害事件弁護団が提訴~橋下弁護士のテレビ発言で損害賠償請求へ

 タレント活動でも知られる弁護士がテレビ番組での発言をめぐってほかの弁護士から訴えられることになりました。山口県光市の母子殺害事件で、被告の元少年の弁護団が弁護団の活動を批判している橋下徹弁護士にテレビ番組で業務を妨害する発言をされたとして、損害賠償を求めて広島地裁に提訴する方針を固めました。

 提訴するのは99年に起きた光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で、被告の元少年の弁護団に加わっている広島弁護士会の足立修一弁護士や今枝仁弁護士などで最終的に原告の弁護士は4人から6人となる見通しです。

 足立弁護士らは橋下徹弁護士が今年5月、大阪のテレビ番組に出演した際、正当な理由がないにもかかわらず弁護団の懲戒処分を弁護士会に請求するよう視聴者に呼びかけて業務を妨害したとして、原告の弁護士1人あたりおよそ100万円の損害賠償を橋下弁護士に求める方針です。

 この訴訟のために足立弁護士らには6人から7人の弁護団が組織され、9月3日頃、広島地裁に訴状を提出することになっています。

 足立弁護士らの提訴の方針について橋下弁護士は「訴状が出されれば、その上できちんと対応したい」と話しています。 (8/27 18:01)」



(2) 中国新聞('07/8/28)

 「光母子殺害で弁護士が提訴へ '07/8/28

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 光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で、テレビ番組で弁護団の懲戒処分を弁護士会に申し立てるよう呼び掛け、活動を妨害したとして、弁護団に加わる広島弁護士会所属の弁護士数人が、大阪弁護士会所属の橋下徹弁護士を相手に1人当たり100万円の損害賠償を求め、近く広島地裁に提訴する方針を決めた。訴えによると、橋下弁護士は5月下旬、十分な調査もせず、テレビ番組で視聴者に呼び掛けたとしている。」



この2つの記事によると、 足立弁護士ら数名の弁護士は、橋下徹弁護士が、5月下旬、大阪放映のテレビ番組において、「正当な理由がないにもかかわらず」ないしは「十分な調査もせずに」、弁護団の懲戒処分を弁護士会に請求するよう多数の視聴者に呼びかけて(教唆)、業務を妨害したということで、不法行為(民法709条又は719条2項[共同不法行為])に基づく損害賠償請求を求める訴えを起こすということのようです。




2.では、足立弁護士ら数名の弁護士による、橋下弁護士に対する損害賠償請求は認められるでしょうか?

(1) 橋下弁護士は、「懲戒請求ってのは誰でも彼でも簡単に弁護士会にいって懲戒請求立てれますんで何万何十万という形であの21人の弁護士の懲戒請求立てて貰いたいですね。……1万2万とか10万人位この番組見てる人が一斉に弁護士会にいって懲戒請求をかけてくれ……下さったらですね弁護士会の方としても処分出さないわけにはいかないですよ」(「たかじんのそこまで言って委員会」07-05-27放送分)と述べており、この点が重要です。懲戒請求を単なる署名活動と誤解させるような発言です。

仮に適法な懲戒請求であっても、10万人位という過剰な懲戒請求を唆すことは、懲戒請求を受けた者及び所属弁護士会に過剰な負担を求めるものであり、実際上、数百件に及ぶ懲戒請求がなされているのですから、懲戒請求を受けた者及び所属弁護士会に対して業務妨害を生じさせたことは明白です。

ですから、仮に「正当な理由がないにもかかわらず」ないしは「十分な調査もせずに」という要素がない、適法な懲戒請求であっても、10万人位という過剰な懲戒請求を唆すことは、不法行為(民法709条)に基づく損害賠償請求が十分に成り立つということです。懲戒請求を受けた弁護士は、根拠のない請求により名誉・信用等を不当に侵害されるおそれがあり、また、その弁明を余儀なくされる負担を負うことになるのですから、懲戒請求は署名活動ではないのです。



(2) 「弁護士に対する懲戒請求と不法行為の成否~“母子殺害で懲戒請求数百件”との報道を聞いて」においていくらか検討したように、弁護団は、接見により得られた被告人の(否認)供述及び鑑定書・家庭裁判所の調査官による「少年記録」(精神年齢は4、5歳)・第1審での被告人質問では否認しているといった証拠に基づいて、差し戻し審において殺人罪でなく傷害致死罪であるなど事実誤認があるという弁護活動を行っているのです。

そうすると、弁護人は被告人の利益のために誠実に弁護する(誠実義務)という刑事弁護の基本に沿った弁護活動を行っていることは明らかであって、異論を挟むことも困難です。ですから、「正当な理由がないにもかかわらず」懲戒請求をしたことは明らかであって、橋下弁護士は不当な懲戒請求を唆したことになります。


なお、いまだに「懲戒請求のテンプレートのHP」がありますが、このテンプレートは全く懲戒請求の理由になっていません(「弁護士に対する懲戒請求と不法行為の成否~“母子殺害で懲戒請求数百件”との報道を聞いて」参照)。このHPでも、橋下弁護士のテレビ発言を掲載しており、いまだにこのHPとともに不当な懲戒請求を煽っているのです。



(3) しかも、弁護団は、報道機関に対して、差し戻し控訴審の初公判2日前に、新たな証拠に基づき提出した更新意見書について2時間をかけて説明し、また、当日には100頁ある更新意見書のコピーを記者に配布したのです(週刊金曜日2007.6.8(657号)・人権とメディア第400回、浅野健一「光市母子殺害事件報道 検察メディア一体の弁護士攻撃だ」31頁)。

そうすると、最高裁平成19年4月24日判決によれば、懲戒請求者は「懲戒請求を受ける対象者の利益が不当に侵害されることがないように,対象者に懲戒事由があることを事実上及び法律上裏付ける相当な根拠について調査,検討をすべき義務を負う」のですから、100頁ある更新意見書又はそれに類似する証拠を入手する必要があり、それを読めば、弁護内容が証拠に基づいて行っていることは明らかなので、懲戒事由に当たらないことが明白です。

ですから、このような証拠資料を入手することなく懲戒請求をした者は、「十分な調査もせずに」懲戒請求をしたことは明らかです。特に、テレビ視聴者という立場である者にとっては、100頁ある更新意見書又はそれに類似する証拠を、簡単に入手することは非常に困難です。

なので、橋下弁護士が「懲戒請求ってのは誰でも彼でも簡単に弁護士会にいって懲戒請求立てれます」と唆すことは、「十分な調査もせず」に懲戒請求できることを唆したのですから、明らかに不当な懲戒請求を唆したことになります。


ただし、現在では、差し戻し控訴審において、被告人質問において被告人は殺意を否定しており、鑑定人の証人喚問もなされており、山口県光市「母子殺害事件」 弁護団記者会見(1) 全6回(00:09:07)といった情報やあることから、「100頁ある更新意見書又はそれに類似する証拠」の入手がかなり容易になったと思います。

もっとも、こういった情報を入手すれば、弁護内容が証拠に基づいて行っていると容易に判断できるでしょう。なお、光市事件における最高裁弁護人弁論要旨・補充書は、以前から書籍として出版されています(『光市裁判 年報・死刑廃止2006』発行: 2006年10月この書籍は通常人も容易に入手でき、しかも読めば、法律に疎い「通常人」であっても、弁護内容が証拠に基づいて行っているという位は、容易に判断できるでしょう。


なお、橋下弁護士は、ご自身のブログにおいて、「弁護団は、なぜ第1審や第2審と異なる弁護をするのか国民に対して説明していない」として、説明義務違反が懲戒理由にあたると述べています。しかし、説明義務自体(法的根拠がなく、守秘義務違反のおそれがあるので)認められないことはもちろん、差し戻し控訴審の初公判2日前と当日において、報道機関に対して説明しているのですから(一部報道済み)、説明義務を果たしていないという言い分は妄想にすぎません。



(4) もっとも、橋下弁護士に対する損害賠償請求については、多少の問題点があります。すなわち、まだ(多くは)懲戒請求が却下される前の損害賠償請求であるから、不当な懲戒請求かどうか分からないのではないか、という点です。


通常、弁護士に対する懲戒請求に不法行為を認めた裁判例は、懲戒請求が却下された後であることは確かです。しかし、すでに述べたように10万人位という過剰な懲戒請求を唆すことは、不法行為(民法709条)に基づく損害賠償請求が十分に成り立つのです。

また、前述のように「正当な理由がないにもかかわらず」懲戒請求をしたことは明らかであり、「十分な調査もせず」に懲戒請求できることを唆したのですから、明らかに不当な懲戒請求を唆したことになります。

懲戒処分の決定前で提訴することは、これ以上、不当な懲戒請求をしないように、不当な懲戒請求を抑制するという必要性から行うものと考えられます。このように必要性が高いことを考慮するべきです。

このようなことから、懲戒請求が却下される前であっても、損害賠償請求を求めることは問題ないと思われます。



(5) このような検討からすると、足立弁護士ら数名の弁護士による、橋下弁護士に対する損害賠償請求は認められるものであり、損害賠償請求が認められる可能性が非常に高いと考えます。

足立弁護士らは、損害賠償額として原告1人100万円を予定しているようです。名古屋地裁平成13年7月11日判決は100万円、最高裁平成19年4月24日判決は50万円の賠償金を認めていることから、従来の裁判例並みの額といえます。

もっとも、従来の裁判例は、1つの懲戒請求による損害につき認めた損害額ですから、事情が異なります。橋下弁護士の場合、10万人もの懲戒請求を煽り、結果として数百件の懲戒請求がなされているのですから、煽った行為と個別の懲戒請求との因果関係をすべて立証することは難しいことを考慮しても、数千万円の賠償額を認めることも可能かもしれません。


なお、差し戻し控訴審後の弁護団の記者会見については、山口県光市「母子殺害事件」 弁護団記者会見(1) 全6回(00:09:07)で見ることができます。ぜひご覧下さい。


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民法 *  TB: 5  *  CM: 38  * top △ 
2007/08/29 [Wed] 23:30:23 » E d i t
安倍内閣の改造を受けて各新聞社が世論調査を行いました。「改造内閣支持33%、不支持なお53%」(朝日新聞)、「内閣支持33%、不支持52%」(毎日新聞)、「内閣の支持率は44・2%、不支持率は36・1%」(読売新聞)、「内閣支持率40・5%、不支持率45・5%」(共同通信)で、自民党熱烈支持の読売新聞は別としても、軒並み支持率は上昇しています。

まだ、改造内閣が発足しただけであり、何も実行していないので、まだ評価できる状況ではないと思うのですが。改造前の内閣も、市民の誰もが、まさか年金を含む国民生活問題を軽視するような内閣だったり、「政治とカネ」の問題で辞任したり、「女性は産む機械」とか、「原爆投下しょうがない」などと発言するような暴言を吐く閣僚だったとは思わなかったでしょうから。


「政治とカネ」の問題といえば、8月29日、自民党の玉沢徳一郎元農水相が代表を務める「自民党岩手県第4選挙区支部」が、03年の政治資金収支報告書の支出で同じ領収書を使い回していた、との報道がありました(asahi.com2007年08月29日13時40分)。日付や費目、金額を書きかえたコピーを添付するやり方で、1枚の領収書を5重計上していたようで、使い回して添付された領収書10枚の合計金額は377万5000円にのぼるそうです。明らかに偽造した領収書であって、悪質なものです。

玉沢氏は、現職閣僚でないのですが、自民党の衆院政治倫理審査会長なのですから、自民党自体、与党に相応しくないといえるのです。どんな内閣であっても、こういった自民党政権下にある以上、見通しは暗いといえるかと思います。


安倍改造内閣については、「安倍改造“泥舟”内閣発足~何を、どう変えるのか?(北海道新聞「社説」より)」で一度触れています。

この改造内閣の評価については、好意的あるいは批判的評価など色々あると思いますが、毎日新聞8月29日付夕刊「特集ワイド」では、山田美保子さん、江川紹子さん、石川結貴さんによる、明るく軽妙に評価した鼎談した記事がありましたので、この記事を紹介したいと思います。



では、以下、この記事を引用しておきます。



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政治問題 *  TB: 1  *  CM: 0  * top △ 
2007/08/28 [Tue] 23:59:49 » E d i t
安倍改造内閣が、8月27日夜、皇居での認証式を経て発足しました。参院選挙での歴史的大敗から1ヶ月も掛けて、慎重な「身体検査」を行い、ようやく発足したのです。


1.まず、報道記事をいくつか

(1) 北海道新聞(08/28 07:53)

 「安倍改造内閣が発足 派閥会長らを重用 外相町村氏、官房長官与謝野氏(08/28 07:53)

 安倍改造内閣が二十七日夜、皇居での認証式を経て発足した。安倍晋三首相は、政権運営の要となる官房長官にベテランの与謝野馨元経済財政担当相を起用。首相続投に批判的だった舛添要一自民党参院政審会長を厚生労働相に抜てきした。また、外相に町村派会長の町村信孝元外相、防衛相に高村派会長の高村正彦元外相、財務相に津島派の額賀福志郎元防衛庁長官と、派閥の領袖や幹部を充てた。実務者中心の手堅い布陣としたが、半面で清新さを欠く陣容となった。

 安倍内閣の改造は昨年九月の政権発足後初めて。参院選の与党惨敗を受け、閣僚に派閥幹部や閣僚経験者を数多く並べ、挙党体制構築に努めた。民間からは、政府の地方分権改革推進委員会委員長代理を務める増田寛也前岩手県知事を総務相に登用した。増田氏は、参院選の与党敗北の要因となった都市と地方の格差対策のために新設した地方・都市格差是正担当相も兼務する。

 閣僚起用が取りざたされた中川昭一前政調会長、武部勤元幹事長の入閣は見送られた。谷垣派からの閣僚就任は前回に引き続きゼロだった。

 参院からは舛添氏のほか、二階派の泉信也氏が国家公安委員長で初入閣。参院枠の二人は維持されたが、参院が求めていた矢野哲朗氏は入閣しなかった。初入閣組では、遠藤武彦氏が農林水産相に就任した。

 伊吹文明文部科学相、甘利明経済産業相、冬柴鉄三国土交通相、渡辺喜美行政改革担当相、大田弘子経済財政担当相は留任した。渡辺氏は金融担当も兼ねる。」



(2) 朝日新聞平成19年8月28日付朝刊1面

 「安倍改造内閣 延命へ改革路線修正

 安倍首相(自民党総裁)は27日、内閣改造を行い、自民、公明両党による安倍改造内閣を発足させた。7月の参院選で大敗した首相は、かつて経済成長路線に批判的だった与謝野馨・元政調会長を官房長官に起用し、増田寛也・前岩手県知事を総務相に登用することで、「地方軽視」と指摘された改革路線の修正をにじませた。首相に批判的な舛添要一・参院政審会長を厚生労働相に任命、谷垣派を除く各領袖(りょうしゅう)クラスの重鎮を閣内に取り込み、党内の批判的勢力封じも狙った。ただ、首相が目指した憲法改正など理念重視の独自色を消し去る陣容で、参院で民主党が主導権を握る現実を前に、政権の延命をなにより優先した首相の窮地が浮き彫りになった。

◆地方を重視・重鎮も起用

 「新経済成長戦略はしっかり進める」。安倍首相は27日夜の記者会見で繰り返し、こう付け加えた。「改革に伴う痛みをどうしたらやわらげることができるか。いままで以上に力を尽くす」

 ただ、改造人事には明確な狙いが込められていた。地方経済の疲弊を招いたと指摘される構造改革路線の修正だ。

 「改革を行うにあたっては地方経済、高齢者、中小企業、年金受給者等々に、やはり温かい改革でなければならない」

 与謝野官房長官は閣僚名簿の記者会見で、こう強調。さらに「2011年度に基礎的財政収支(の黒字化)が達成できるのかどうかはもう1度内閣できちんと前提を変えながら、確認をしていただく必要があるのではないか」と、財政再建のペースを見直す可能性にも言及した。

 首相は昨秋の組閣でも与謝野氏起用を検討していた。官房副長官だった00年から交流を深め、官房長官時代には経済政策について意見をあおいだ間柄。だが、与謝野氏は当時の竹中平蔵総務相と成長路線の見解をめぐって対立、首相は「小泉改革の継承」を鮮明にする観点から入閣を見送った。

 今回の人事で「小泉―竹中路線」の直系だった中川秀直幹事長は退任し、与謝野氏を迎える環境は整った。増田氏の起用もあわせ、政策転換をにじませた。増田氏も会見で「地域の問題を直視する。かつてのばらまきに時計の針を戻すわけにはいかないが、懐の深い政策を展開していかなければいけない」と語った。

 路線修正は、地方の自民支持組織からの強い要望でもある。麻生太郎幹事長は27日の就任会見で「『自民党をぶっ壊す』という人をみんなで選んだ。ぶっ壊された後の自民党をどうやって立て直すか。我々に与えられた使命だ」と語った。

 だが、「地方の痛み」に応える具体的な処方箋(せん)は首相会見でも示されなかった。しかも参院選大敗で薄まったのは「小泉色」ばかりではない。首相は参院選後、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を語らない。憲法改正や集団駅自衛権の憲法解釈変更などは、優先課題から遠のいている。

 改造人事の陣営も「論功型」とされた昨年の内閣発足時に比べると変化を余儀なくされた。できるだけ多くの派閥の実力者を取り込むことで挙党態勢を築こうとしたのは間違いない。

 外相には町村派の町村信孝会長が起用され、伊吹派の伊吹文明文部科学相は留任。麻生派の麻生太郎会長は幹事長、二階派の二階俊博会長は総務会長といった具合だ。9月の臨時国会で焦点となるテロ特措法延長問題で矢面に立つ防衛相には、高村派の高村正彦会長を充てた。

 ただ、首相への党内の批判の火種はなおくすぶっている。参院自民党が推した矢野哲朗・前国会対策委員長の入閣が見送られる事態も起きた。今回の人事刷新をもってしても、内閣支持率が低迷するようであれば、安倍首相で次の総選挙を戦えるのかという疑問の声が、一気に噴き出す状況に変わりはない。」



(3) 東京新聞平成19年8月28日付朝刊1面

 「説明不十分なら更迭 首相 政治とカネで方針言及
2007年8月28日 朝刊

 安倍晋三首相は二十七日夜、内閣改造を受けて首相官邸で記者会見し、新閣僚に「政治とカネ」の問題が発覚した場合の対応について「十分な説明ができなければ、去ってもらう覚悟で閣僚になっていただいている」と述べ、説明責任の果たし方が不十分なら、更迭する方針を明らかにした。

 同時に、政治とカネの透明性を高めるため「政治資金規正法改正に取り組んでいかなければいけない」と述べ、通常国会で改正した同法の再改正に取り組む考えを明言。

 また、参院選の大敗について「格差に配慮すべきだ、それが教訓だ」と指摘。その上で「そうした(国民の)声に耳を傾け、政策で対応していかねばならない」と述べ、格差是正を重視して政権運営に当たる方針を表明。ただ、就任以来掲げてきた「戦後レジーム(体制)からの脱却」について「この方針に変わりはない」とも述べた。

 今回の内閣改造については「政策の実行力に力点を置いた。その中で適材適所で人事を行った」と強調した。」



安倍改造内閣は、「実務者中心の手堅い布陣としたが、半面で清新さを欠く陣容」となりました。「谷垣派からの閣僚就任は前回に引き続きゼロ」でしたので、やはり安倍氏は批判をする者に対しては決して許さないということのようです。

安倍首相批判をしていた舛添氏が入閣したので、批判勢力の取り込みをしたとも評価されています。しかし、舛添氏は安倍批判をしつつも「本人が続投を決めた以上はみんなで支えないといけない」などと最後にはフォローをして、安倍首相支持をほのめかしていたのですから、本気で批判をしていなかったのです。ミエミエの猟官運動だったのですから、「批判勢力の取り込み」をしたとはいえないでしょう。

改造内閣前の17閣僚のうち、「伊吹文明文部科学相、甘利明経済産業相、冬柴鉄三国土交通相、渡辺喜美行政改革担当相、大田弘子経済財政担当相」ら5人が留任したので、明らかに人心一新した、とはいえないでしょう。

 「金融相ポストが渡辺喜美行政改革担当相による兼任となったことには『ますます複雑化する金融市場に対応できるとは思えない』(大手証券)と不安視する声も上った。9月末には証券取引法を抜本改正した金融商品取引法の施行も控えており『理解できない。市場を軽視していると受け取られても仕方ない』(同)との批判も出た」(東京新聞平成19年8月28日付朝刊9面)


このように、金融相ポストが渡辺喜美行政改革担当相による兼任となったことには、批判があがっているようです。

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2007/08/27 [Mon] 17:51:31 » E d i t
毎日新聞の夕刊紙には、「特集ワイド」という、インタビュー記事を中心とした記事欄があります。

そこでは、参議院選挙の結果について議員にインタビューした記事などトピック的な記事(例えば、「特集ワイド:混迷の自民党内 論客ほえる 安倍首相、続投に異議あり!」)があったりもしますが、80歳以上の評論家・作家などに、この国の行方についてインタビューした記事(<おちおち死んではいられない>という目を引く表題での記事、例えば「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 秋山ちえ子さん」)があったりするなど、ユニークな記事もあります。


最近は、漫画の主人公にトピックを当て、その主人公に「あいたくて」という趣味的な(!?)記事を掲載しています。その1つに、「ブラック・ジャック」があり、ブラック・ジャックを「異端の医師」であったと捉えて、数名の医師にインタビューを行っています。

「異端の医師」というレッテルが正しいかどうかは別として、毎日新聞が「異端の医師」と評価する医師といえば、諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長、宇和島徳洲会病院の万波誠医師、大和成和病院の南淵明宏院長です。このブログではお馴染みの医師かと思います。記事中にはこの3名の方の名前が出ていますが、このうち2名の方のみにインタビューを行っています。


では、以下、この記事を引用しておきます。


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論評 *  TB: 1  *  CM: 2  * top △ 
2007/08/26 [Sun] 23:59:07 » E d i t
8月27日行われる内閣改造では、防衛省の事務次官人事をめぐって騒動を起こした小池防衛相の処遇が焦点の1つでした。ところが、インド訪問中の“マダム回転寿司”小池氏は8月24日、ニューデリーで同行記者団に、突然、イージス艦の情報流出事件の責任を取るとして留任を望まない考えを明らかにしました。この報道についてコメントしてみたいと思います。


1.まず、発言部分についての報道記事を。

(1) 東京新聞2007年8月24日 20時35分

 「小池防衛相、続投希望せず 情報漏えいで「引責」
2007年8月24日 20時35分

 【ニューデリー24日共同】小池百合子防衛相は24日午後(日本時間同)、ニューデリーで同行記者団に対し、27日の内閣改造で続投を希望しない意向を示した。

 小池氏はまずイージス艦中枢情報流出事件に触れ「防衛省内で誰も責任を取っていない。私は責任を取りたい」と述べ、省としてのけじめをつける必要があるとの認識を強調。その上で「人心を一新し、テロ対策特別措置法についてもしっかりと延長を実現してもらえる人にバトンタッチしたい。新しい大臣に任せたい。任せられる人を(安倍晋三首相には)選んでいただきたい」と表明した。」



(2) 東京新聞2007年8月25日 01時23分

 「小池防衛相、続投希望せず 唐突な「引責」に憶測も
2007年8月25日 01時23分

 【ニューデリー24日共同】小池百合子防衛相は24日午後(日本時間同)、ニューデリーで記者団に対し、イージス艦中枢情報流出事件に触れ「防衛省内で誰も責任を取っていない。私は責任を取りたい」と述べ、27日に予定される内閣改造で続投を希望しない意向を示した。

 小池氏は質疑応答を終え部屋を退出する際に、重ねて記者団に「私は辞めるって言ってるのよ。分かる?」と語り、続投を求めない姿勢を強調してみせた。

 ただ、情報流出事件は小池氏が防衛相に就任する前に起きたもので、唐突な「引責辞任表明」には「防衛次官人事の不手際で留任が危うくなったとの観測が流れる中、自ら進んで辞める姿勢を印象づけ、交代させられても傷がつかないよう保身を図った」(官邸筋)との見方も広がっている。」



(3) 読売新聞平成19年8月25日付朝刊1面

 「「新しい閣僚に任せたい」小池防衛相、留任しない意向表明

 安倍首相は、27日に予定されている内閣改造で小池防衛相を交代させる方針を固めた。小池氏は24日、海上自衛隊のイージス艦情報流出事件の責任を取るなどとして、留任しない考えを表明した。

 小池氏については、在任期間が短いことや、女性初の防衛トップということもあって、当初は続投が有力視されていた。だが、防衛次官人事をめぐる混乱を招いたことから、その去就が焦点となっていた。

 【ニューデリー=栗林喜高】インド訪問中の小池防衛相は24日午後(日本時間24日夜)、ニューデリー市内のホテルで記者団に対し、内閣改造に関して「イージス艦情報流出事件で防衛省内の誰も責任を取っていない。私が責任を取りたい。人心を一新し、新しい閣僚に任せたい」と述べた。その上で、「私は(改造を機に)『辞める』と言っている」と強調した。

 小池氏はこの後、デリー国際空港で記者団に、「首相に(留任しないという)意向は伝えた。直接の答えはない」と述べた。「次官人事の(混乱の)責任をとったということではない」とも語った。

 小池氏は、7月に久間章生防衛相(当時)が、米国による原爆投下について「しょうがない」などと発言した責任をとって辞任したことを受けて、国家安全保障担当の首相補佐官から防衛相に就任した。その後、9月召集の臨時国会を前に精力的に外遊するなど、小池氏自身も留任に前向きと見られていた。

 その一方で、小池氏は、在任4年を超えた守屋武昌防衛次官を退任させ、警察庁出身者を後任に充てる人事を行おうとし、守屋氏や塩崎官房長官と激しく対立した。結局、首相が混乱収拾を指示し、小池氏の意向とは異なる人事で決着した経緯がある。このため、政府・与党内では小池氏の対応を批判する声が強まっていた。

 小池氏が留任しない意向を表明したことについて、政府筋は24日夜、「情報流出事件の責任を取るなら、辞めるのではなく、続投して再発防止策を作るのが筋ではないか。小池氏は内閣改造で交代させられると感じ取り、先手を打ったのだろう」との見方を示した。

(2007年8月25日3時0分 読売新聞)」



大臣を辞任するのは、その大臣の自由でしょうが、辞め方・辞め時というものがあるとは思います。小池氏の場合、重ねて記者団に「私は辞めるって言ってるのよ。分かる?」と捨て台詞を吐いているのですから、呆れた辞め方です。小池氏は、ガラの悪い辞め方だとは思わなかったのでしょうか?

小池氏は、辞任する理由として「イージス艦情報流出事件で防衛省内の誰も責任を取っていない。私が責任を取りたい。」と述べています。しかし、イージス艦情報流出事件が報道されたのは5月22日のことですから(日経新聞5月22日付「イージス艦情報流出、迎撃ミサイルも」参照)、事件発覚後の7月に防衛相に任命された小池氏が、防衛相として責任をとるのも奇妙な話です。元々、8月27日に内閣改造を予定しているのですから、8月24日に辞めると言ってもどのみち数日後には大臣の職を失うのであって、無意味です。

自衛隊による情報漏れはいつものことであって、いちいち誰かが辞任していたら何人辞めてもきりがありません。イージス艦情報流出事件において、引責辞任しろだなんて誰も言っていないかと思います。

いずれにせよ、小池氏が辞めたことで、小池氏が巻き起こした一連の騒動は終わりを告げたことになります。

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2007/08/25 [Sat] 06:37:18 » E d i t
生殖補助医療問題について検討している日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」は、8月24日会合を開き、向井亜紀さんなど3名から意見聴取を行いました。この報道についてコメントしたいと思います。(小池防衛相が、記者団に「私は辞めるって言ってるのよ。分かる?」と言い放って辞任するという、唖然とする発言をしたとの報道も。これはいずれ)(8月26日追記:NHKニュースを引用しました)


1.まず、意見聴取前の報道記事を。

(1) 東京新聞2007年7月23日 21時17分

 「向井亜紀さんら意見陳述へ 日本学術会議委員会
2007年7月23日 21時17分

 生殖補助医療の在り方について検討している日本学術会議の委員会(委員長=鴨下重彦東京大名誉教授)は23日、米国人代理母に双子の男児を出産してもらったタレント向井亜紀さん(42)と、諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長(65)を、8月24日に開く次回会合に招いて意見を聴取することを決めた。

 向井さん夫妻は、自分たちを両親とする男児らの出生届を受理するよう東京都品川区に求めたが、最高裁は3月23日、受理を命じた東京高裁決定を破棄、夫妻の敗訴が確定した。

 根津院長は、代理出産や夫婦間以外での体外受精など、日本産科婦人科学会の倫理指針が禁じた生殖補助医療を実施したと明らかにしている。

(共同)」



(2) 日経新聞平成19年7月24日付朝刊38面

向井亜紀さんヒアリングへ 根津医師も、当事者から初 生殖医療検討会

 日本学術会議の生殖補助医療の在り方検討委員会(委員長・鴨下重彦東大名誉教授)が23日開かれ、次回8月の会合で、米国での代理出産で双子をもうけたタレント向井亜紀さんと、国内で代理出産や非配偶者間体外受精を手掛けた根津八紘医師からのヒアリングを行うことを決めた。当事者からのヒアリングは初めて。

 これに対し、委員からは「既にマスコミで発言し、立場のはっきりした人からのヒアリングはいかがなものか。そうでない人を探すべきでは」との反対意見も出た。鴨下委員長は「当事者の意見も聞くべきだとして推薦を受けた。他にも聞くべき人はいるが、了解が得られなかった」としている。

 同委員会は厚生労働省、法務省の要請で1月に発足。生殖補助医療をめぐる諸問題について、これまでさまざまな立場の有識者からヒアリングをしており、来年1月までに報告書をまとめる予定。」



(3) 日刊スポーツ2007年8月20日付

 「向井亜紀の陳述は非公開に決定

 生殖補助医療の在り方について検討している日本学術会議の委員会(委員長=鴨下重彦東京大学名誉教授)は20日、24日に予定しているタレント向井亜紀(42)の意見聴取を非公開にすると発表した。委員会事務局は「本人による希望」と説明している。

 同時に行われる諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長(65)の意見陳述は公開される。

 向井さん夫婦は、米国での代理出産で双子の男児をもうけた。自分たちを両親とする男児らの出生届を受理するよう東京都品川区に求めていたが、最高裁は出生届不受理の決定を行った。

[2007年8月20日20時8分]」



日経新聞の記事を見ると、「生殖補助医療の在り方検討委員会」は今回

「当事者からのヒアリングは初めて」

のようですが、その事実には驚きを感じます。

代理出産の是非を検討する場合、観念的に議論することも大事ではあるのでしょうが、まず何よりも、現実に代理出産に直接携わった当事者から、代理出産の現実を聞くことが重要です。代理出産の現実を知らなければ、現実と乖離した法律を制定することになってしまい、使い物にならない法律になってしまうからです。

当事者からの意見聴取を重視しない、「生殖補助医療の在り方検討委員会」は、どういう考えで会合を開いているのか心配になってしまいました。


また、日経新聞によると、向井亜紀さんや根津八紘医師から意見聴取することについて、難色を示す委員がいたようです。

「委員からは「既にマスコミで発言し、立場のはっきりした人からのヒアリングはいかがなものか。そうでない人を探すべきでは」との反対意見も出た。鴨下委員長は「当事者の意見も聞くべきだとして推薦を受けた。他にも聞くべき人はいるが、了解が得られなかった」としている。」(日経新聞)


「そうでない人を探すべきでは」との意見には、唖然としてしまいました。代理出産に関与した人で、立場をはっきり示していない人は、通常は、代理出産の事実を隠している人でしょうから、意見聴取に応じるはずがありません。「了解が得られなかった」のは当然でしょう。立場のはっきりしない人を探せだなんて、代理出産の実情を知らない戯言のようです。


大体、なぜ、「既にマスコミで発言し、立場のはっきりした人からのヒアリングはいかがなものか」と否定的になるのかも、意味不明です。立場がはっきりしていても、その経験談は価値があることには変わりがないのですし、マスコミが発言をすべて報道しているわけではないので、マスコミ報道以外の点やもっと詳しく聞けばよいのですから。単に、感情的に向井さんや根津医師の意見を聞きたくないから、というだけに思えます。

生殖補助医療の在り方検討委員会の委員には、代理出産の実情が全く分からずにいる、能天気な委員や、マスコミで発言しているからというだけで拒絶するという意味不明な認識を持つ委員が含まれているようです。

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2007/08/24 [Fri] 07:46:32 » E d i t
元陸上自衛隊イラク先遣隊長の佐藤正久参院議員が、派遣先のイラクで(自衛隊から離れた場所にいる)オランダ軍が攻撃を受けた場合、駆け付けて援護する「駆け付け警護」を行う意図があったと発言した問題についての続報です。

佐藤議員は、発言は個人の思いと語ったのですが、実は自衛隊の組織的方針であった、自衛隊の方針を代弁しただけだった、と強く疑われる内部資料があったようです。この報道について触れたいと思います。

なお、「ヒゲの隊長、佐藤参院議員に公開質問状~文民統制を無視する佐藤発言なのだが、佐藤氏だけのことだろうか……。」でも、自衛隊には、「現場の論理」を優先させ、法を無視する態度が常態化していると指摘しましたが、「駆けつけ警護」発言もやはり自衛隊全体の方針だったようです。


1.まず報道記事から。

(1) TBSNEWSi(8月22日23:56)

 「駆けつけ警護「自衛隊方針の可能性」

 イラクに派遣された自衛隊の指揮官を務めた佐藤正久参議院議員が、憲法違反の疑いがある「駆けつけ警護」を、事実上「行うつもりだった」と述べたことに対し、弁護士らのグループが、「個人としての発言ではなく、自衛隊全体の方針である可能性がある」と指摘しました。

 佐藤氏は、「自分が巻き込まれない限りは、正当防衛、緊急避難の状況は作れない」と述べて、味方の他国の軍隊が攻撃された場合、情報収集を行うという名目で駆けつけ、戦闘に巻き込まれる形を作って応戦する考えだったことを明らかにしました。

 これについて「憲法9条をないがしろにする」と批判している弁護士グループらは、情報公開で得た資料を基に、「佐藤氏の発言は自衛隊全体の方針ではないか」と指摘しました。

 この資料には、「武器を使うことについての積極的な意思がなければ、武器を持って救助に駆けつけることは構わない」という記述がある一方で、他国の部隊が襲撃された場合は、他国の武力行使と一体化するため、救援できないと明記されています。(22日23:56)」



(2) 東京新聞平成19年8月23日付朝刊24面「こちら特報部」

 「ヒゲの元隊長「駆けつけ警備」 実は陸自方針を代弁? 内部資料が判明

 自衛隊イラク先遣隊長だった佐藤正久参院議員の「駆けつけ警備」肯定発言を批判する弁護士有志たちは22日、「佐藤氏は発言を個人の思いと語ったが、そうではなく内容は自衛隊の組織的な方針だった」と再び批判。その根拠とされる内部資料を入手したとして公開した。

 資料は「武器使用権限の要点」と題されたA4判、90ページほどの冊子。民間団体「軍事問題研究会」(東京)が陸上自衛隊の研修会風景を写したビデオの中で教材として使用されていることを見つけ、情報公開請求。今月11日に公開された。

 資料の日付は2003年11月12日現在とされ、佐藤氏が陸上幕僚監部教育訓練部訓練班長だった時期。イラク先遣隊長の内示を受けた直後に当たる。

 資料には、ゲームにも似たイラストが多く使われている。「(イラク)特措法の武器使用」という項目の「離れたところにいる者の救助」というページには「救助のための武器使用=積極的な武器使用」という注釈があり、「×」印。「しかし、当然、救助しなければならない」と続き、別ページの見出しは「要件を満たせば武器使用が可能」。

 そこには「武器を使うことについての積極的な意思がなければ、武器を持って救助に駆けつけることは構わない」「危険に陥った場合には、武器を使用できる」という記述があり、他のページには「戦闘状況に巻き込まれた場合」「正当防衛の範囲で武器を使用できる」と記されている。

 自衛隊と活動する他国軍が攻撃された場合に自衛隊が駆けつけ応戦する「駆けつけ警備」は集団的自衛権の行使とみなされ、現在まで違憲とされている。だが、佐藤氏は今月、民放の報道番組でイラクでの活動中「(自衛隊を警護していたオランダ軍が攻撃を受ければ)情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」意思があったと発言。弁護士らが「発言内容で違憲で、シビリアンコントロール(文民統制)を無視している」と批判し、公開質問状を送りつけた。

◆「個人の思い」のはずが…

 佐藤氏は16日「こちら特報部」の取材に「発言はあくまで(隊長当時の)過去の思い」と話していた。だが、今回の内部資料公開を受け、中山武敏弁護士は「資料に書かれている内容は佐藤氏の発言と同じ。つまり(駆けつけ警備の肯定は)個人の思いではなく、陸上自衛隊全体の方針だった」と指摘。他の弁護士たちも「佐藤氏自らがこの資料作成に携わった可能性もある」として、さらに事実解明を図る構えだ。

 資料には「危害射撃の可否判断の具体例」も40ページ以上にわたって紹介されているが、すべて黒塗りされていた。弁護士らは、参院で多数派となった野党に働きかけ、国政調査権の駆使によって黒塗り部分も公開させたいとしている。」




(3) 北海道新聞(08/23 08:45)

 「元「ひげ」隊長 佐藤議員の発言波紋 「駆け付け応戦容認」文民統制無視と批判(08/23 08:45)

 元陸上自衛隊イラク先遣隊長の佐藤正久参院議員が、派遣当時、自衛隊を警護していたオランダ軍が攻撃を受ければ、駆け付け、あえて巻き込まれて警護を行う考えだったことを明らかにしたことに対し、弁護士を中心とする市民らが二十二日、「シビリアンコントロール(文民統制)を無視するものだ」と批判する記者会見を開いた。同氏らには公開質問状を送付した。

 質問状の呼び掛け人は弁護士のほか、立正大講師の桂敬一さん、ジャーナリストの斎藤貴男さんら約百五十人。

 発言は、集団的自衛権を研究する政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が、活動を共にする他国軍が攻撃された場合に駆け付け応戦する「駆け付け警護」を容認する方向で一致した、とするテレビ報道の中でのコメント。「駆け付け警護」は、憲法で禁じた海外での武力行使につながるとして認められていない。

 質問状では、意図的に巻き込まれる行為は「正当防衛・緊急避難の要件を満たさず、自衛隊法に違反するばかりか、憲法九条をないがしろにし、シビリアンコントロールをも無視する許し難い行為」と批判。佐藤氏と、派遣を決めた小泉純一郎前首相に回答を求め、安倍首相には議員辞職を勧告するよう求める要望書を提出した。

 この日の会見で弁護士らは「現場の軍隊が勝手にやったことを追認し、日中戦争の発端となった『柳条湖事件』を思い起こさせる」と指摘した。

 佐藤氏の事務所は「本人だけの話ではなくなっており、対応を協議中」とコメント。防衛省のある制服組は「あまりに軽率な発言」と顔をしかめる。

 軍縮問題に取り組むNPO法人「ピースデポ」の梅林宏道代表は「自衛隊がシビリアンコントロールを破る危険な状態に置かれていることが明らかになった」と指摘し、「佐藤氏や周辺の調査を行い、きちんと処分しないと、政府はシビリアンコントロールができないことを証明することになる」と警鐘を鳴らす。

               ◇

 佐藤正久参院議員の発言要旨 「(オランダ軍が攻撃を受ければ)情報収集の名目で現場に駆け付け、あえて巻き込まれる。巻き込まれない限りは(武器使用が可能な)正当防衛、緊急避難の状況はつくり出せない。普通に考えて手を差し伸べるべきだという時は行ったと思う。日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」」



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2007/08/23 [Thu] 21:48:44 » E d i t
インド訪問中の安倍晋三首相は、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めた故ラダビノード・パール判事の長男プロサント氏と面会することになりました。


1.まず、報道記事から。

(1) 東京新聞2007年8月15日 朝刊

 「「A級戦犯無罪」パール判事 安倍首相、長男と会談へ
2007年8月15日 朝刊

 安倍首相が十九日からの外遊でインドを訪れる際、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表の判事を務めた故・ラダビノード・パール判事の長男と会談することが十四日、固まった。首相は記者団に対し「パール判事は、日本とゆかりのある方。お父さまの話など、お伺いできることを楽しみにしている」と述べた。

 パール判事は、東京裁判そのものを「戦勝国の敗戦国に対する復讐(ふくしゅう)」などと批判し、A級戦犯全員の無罪を主張した人物として知られる。このため、首相がパール判事の長男と会談することが、日本の戦争責任を否定する動きと受け止められ、アジア諸国などを刺激する可能性もある。これについて首相は「そんなことにはならないと思う」と否定した。」



(2) 東京新聞平成19年8月23日付夕刊2面

 「パール判事長男と安倍首相面会へ コルカタに移動
2007年8月23日 夕刊

 【ニューデリー=原田悟】インド訪問中の安倍晋三首相は二十三日午前(日本時間同日昼)、政府専用機でニューデリーからインド東部のコルカタに移動する。首相は当地で、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めた故ラダビノード・パール判事の長男プロサント氏と面会する。

 日本の首相がコルカタを訪れるのは、一九六〇年代の池田勇人氏以来。」



安倍首相が言うように「パール判事は、日本とゆかりのある方」ですが、では今までどれほどパール判事を尊敬していたというのでしょうか?

元箱根にある「パール下中記念館」があり、1975年に、ラーダービノード・パールと下中彌三郎を記念して建てられた記念館で、2人の遺品や解説パネルなどが展示されているのですが、ほとんど見学する者がおらず、パール氏の遺品は無残な形に変わり果て、写真の一部は朽ち果てているのです(中島岳志著『パール判事』10頁参照)。

「東京裁判史観」を批判する論客は、「パール判決書」の都合のいい部分だけを切り取って引用するといった、「『パール判決書』のご都合主義的な利用が、パール下中記念館の荒廃につながっているのではないか」(中島岳志著『パール判事』11頁)といえるのです。

確かに、「パール判事は、日本とゆかりのある方」ですが、安倍首相が、パール判事の長男と会談することは唐突な印象であり、ご都合主義的に利用する意図があるのではないか、と思えるのです。
 
 
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2007/08/22 [Wed] 21:50:48 » E d i t
「「新防人考――変ぼうする自衛隊」:第四部 文民統制の真相~東京新聞8月19・20日付(連載開始)」の続きの記事を紹介します。


1.東京新聞平成19年8月21日付朝刊1・30面「新防人考 変ぼうする自衛隊:第四部 文民統制の真相 3」

 「米中枢テロ後 制服組が政治家誘導

 2001年9月11日の米中枢同時テロ直後、小泉純一郎首相の指示は極めて短かった。

 「無駄な時間を使わないように」

 対米支援を早急に打ち出したい強い意思が込められていた。

 古川貞二郎内閣官房副長官は内閣法制局に連絡し、自衛隊の海外派遣をめぐる法的問題を論議する会議に幹部を出席させるよう迫った。省庁や内閣官房が法案を作成し、法制局のチェックを受ける通常の手法では時間がかかるからだ。

 同月15日午後、法制局次長に加え副長官補、外務省、防衛庁の幹部らがひそかに官邸の古川副長官室に集まった。

 「周辺事態法を適用すればいい」との声も出たが、派遣先に想定されるアフガニスタンやパキスタンを「日本周辺」とするには無理がある。会議は新法づくりに傾いた。

 官房長官だった福田康夫氏は「17日に新法をつくる案が出てきた。公明党にも話を始めた」と振り返る。テロ発生からわずか7日目のことだ。

 外務省も動いていた。野上義二外務次官は12日、省幹部に新法の原案づくりを指示。数日後、米国では柳井俊二駐米大使が米国務省でアーミテージ国務副長官と会談して、自衛隊派遣を求める公電を日本に送った。

 外務省の動きが、官邸のテロ特措法制定を呼び込んだと外務省OBは振り返る。

 「米国による対テロ作戦を支援する」という国内外の世論を追い風にした政治家や官僚たち。その裏側で、自衛隊は独自の動きを見せていた。

 陸上自衛隊の頭脳とも言える陸上幕僚監部の佐官たちは、制服を背広に着替え、ひそかに政治家詣でを繰り返していたのだ。陸自部隊のアフガニスタン派遣を求める自民党内の声に対し、派遣を思いとどまるよう説くことが目的だった。

 「武器使用基準が厳しすぎて、自衛隊は自分の身さえ守れない」。そんな話が永田町で広まるのに、時間はかからなかった。陸自派遣は見合わされ、海上自衛隊によるインド洋での洋上補給にとどまることになった。

 制服組が防衛庁(省)の背広組を飛び越えて、直接政治家に接触することはシビリアンコントロール(文民統制)の観点からタブーとされ、防衛省幹部は「絶対に許せない」と問題視する。

 ただ、制服組の行動は、海外活動に必要な条件整備を棚上げにして、「日本の独自判断による海外派遣」を加速しようとする流れに無理があることを示している。

 当時の政府関係者は、制服組のロビー活動が政治決定を左右したとの見方を強く否定する。「世界貿易センターが崩れ落ちた衝撃が、それほど大きかったということだ」。福田氏は、こう回顧する。

 今年1月、欧州を歴訪した安倍晋三首相は北大西洋条約機構(NATO)理事会で、アフガニスタン問題などの解決に向け、「自衛隊の海外活動をためらわない」とスピーチした。

 しかし、防衛省にアフガン派遣を検討する動きは一切、みられない。陸自幹部はいう。「アフガンは内陸部にあるので補給に無理がある。治安も悪化している。派遣はまず、あり得ない」

 制服組が文民を誘導する「逆のシビリアンコントロール」。軍事常識を欠いているとの自覚からか、政治サイドは不思議なほど、耳を傾けるという。(肩書はいずれも当時)」(1面)



 「制服組インタビュー・洋上補給6年「哨戒」検討を――インド洋派遣時の海上幕僚長・石川亨氏(62)

 ――2001年の米中枢同時テロの直後、在日米海軍司令官と対応策を協議したのか。

 「在日米海軍司令官は深夜の電話で『海からのテロが怖い』と言った。当時、横須賀基地には空母キティホークが停泊していた。虎の子の空母がテロ攻撃を受けたら、大変なことになる。海上自衛隊で横須賀基地や佐世保基地の警戒・監視を強めた」

 ――その後、避難のため出航したキティホークを海自護衛艦2隻が護衛して、集団的自衛権の行使と報道され、首相官邸が激怒した。海自の独走だったのか。

 「海自に米艦艇を警護する権限はない。防衛庁で議論して、防衛庁設置法の『調査・研究』を根拠に出航させることにした。もちろん長官や事務次官も承知していた。官邸が激怒した理由はいろいろ推測できるが、追及しないことにした」

 ――誤解を生むような行動をとる必要はなかったのでは。

 「米国との信頼関係の問題だ。米国が攻撃された。日本が何もしないではすまされない。日米関係は対等といわれるが、実際には日本は米国なしでは生きていけない」

 ――01年10月にテロ特措法がスピード成立し、インド洋での洋上補給が始まった。海自が政府に提案したのか。

 「防衛庁で支援策を考え、官邸に示した。現行憲法下で一番適当なのが洋上補給だった」

 ――イージス護衛艦の派遣は自民党から反対があった。

 「マスコミに責任がある。イージス派遣をあたかも攻撃にいくかのように報道した。高い防空能力はいち早く、危険を察知して退避するのに役に立つ。説明は難しいものだ」

 ――現地では米軍との連携はうまくいったのか。

 「最初から情報交換はスムーズだった。インド洋で指揮を執る米海軍第5艦隊司令官から『そばにいてくれるだけでうれしい』と感謝された」

 ――この活動を続けるべきなのか。

 「洋上補給が始まって6年がたつ。緊急事態だったから無償で燃料を提供した。この活動が未来永劫(えいごう)でよいのか疑問はある。他国の艦艇のように哨戒活動にあたることも検討すべきではないか」

 ――テロ特措法の延長問題は臨時国会の焦点になる。

 「米中枢同時テロ以降、日本の専守防衛の流れが変わってきている。国際社会で応分の責任を果たさなければならない」

 ■記者の一言■

 インド洋での活動は特措法という日切れ法を、4度も延長するに値するのか。防衛省は活動の詳細を伏せたまま、延長が必要と主張する。 “大本営発表”をうのみにはできない。

 (編集委員・半田滋)」(30面)



この記事では、政治家が自衛隊の活動を統制するという「文民統制」が潜脱されてしまっていることを示しています。

「「米国による対テロ作戦を支援する」という国内外の世論を追い風にした政治家や官僚たち。その裏側で、自衛隊は独自の動きを見せていた。

 陸上自衛隊の頭脳とも言える陸上幕僚監部の佐官たちは、制服を背広に着替え、ひそかに政治家詣でを繰り返していたのだ。陸自部隊のアフガニスタン派遣を求める自民党内の声に対し、派遣を思いとどまるよう説くことが目的だった。

 「武器使用基準が厳しすぎて、自衛隊は自分の身さえ守れない」。そんな話が永田町で広まるのに、時間はかからなかった。陸自派遣は見合わされ、海上自衛隊によるインド洋での洋上補給にとどまることになった。

 制服組が防衛庁(省)の背広組を飛び越えて、直接政治家に接触することはシビリアンコントロール(文民統制)の観点からタブーとされ、防衛省幹部は「絶対に許せない」と問題視する。(中略)

今年1月、欧州を歴訪した安倍晋三首相は北大西洋条約機構(NATO)理事会で、アフガニスタン問題などの解決に向け、「自衛隊の海外活動をためらわない」とスピーチした。

 しかし、防衛省にアフガン派遣を検討する動きは一切、みられない。陸自幹部はいう。「アフガンは内陸部にあるので補給に無理がある。治安も悪化している。派遣はまず、あり得ない」

 制服組が文民を誘導する「逆のシビリアンコントロール」。軍事常識を欠いているとの自覚からか、政治サイドは不思議なほど、耳を傾けるという。」


国会議員や首相を含む内閣は、自衛隊の軍事能力についてよく知らないまま、勝手に勇ましい発言を行っているのが現状です。

しかし、政治家が、勝手に勇ましい発言をしても、自衛隊の能力を超えた活動は不可能なのですから、自衛隊にとってはいい迷惑です。そのため、自衛隊の制服組が自ら政治家に歯止めを掛けて回っていたわけです。「逆シビリアンコトロール」をせざるを得ないのです。

ただ、歯止めを掛けること自体は必要であるとしても、これは本来の文民統制とはいえません。ある意味、自衛隊の制服組(軍人)のいいように政治家がコントロールされてしまっている面があるともいえます。

「ヒゲの隊長、佐藤参院議員に公開質問状~文民統制を無視する佐藤発言なのだが、佐藤氏だけのことだろうか……。」で触れたように、佐藤参院議員は、本来の「シビリアンコントロール」を無視することを意図していたことを公言した点を指摘しました。佐藤氏の問題発言は、自衛隊全体において、「自衛隊の制服組の思うままに政治家をコントロールできるという意識」が蔓延している証拠といえるのかもしれません。


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2007/08/20 [Mon] 23:54:58 » E d i t
東京新聞は、「新防人考 変ぼうする自衛隊」という表題で、陸海空自衛隊の活動について、定期的に連載記事を掲載しています。8月19日からは、再び「新防人考」の連載が始まりました。

今回で第四部となるのですが、今回は、文民統制(シビリアンコントロール)について焦点を当てています。ヒゲの隊長の佐藤正久参議院議員が文民統制を無視するような意図をもっていたことが報道されており(「ヒゲの隊長、佐藤参院議員に公開質問状~文民統制を無視する佐藤発言なのだが、佐藤氏だけのことだろうか……。」参照)、文民統制について注目が集まっています。そこで、東京新聞の「第四部:文民統制の真相」について紹介していきたいと思います。
なお、往時の幕僚長らのインタビュー記事も、「第四部:文民統制の真相」の一部として社会面に掲載しているので、そちらも紹介しておきたいと思います。


1.東京新聞平成19年8月19日付朝刊(日曜)1・26面「新防人考 変ぼうする自衛隊:第四部 文民統制の真相 1」

 「「開戦」半年前極秘チーム 内閣官房が派遣準備

 「このままでは派遣できない。国連決議を取ってほしい」。2003年4月16日夜、東京・五反田の仮公邸。小泉純一郎首相はブッシュ米大統領に電話で訴えた。

 1ヶ月前、米国がイラク攻撃を開始した。「日米同盟を強化する」。小泉首相は早くから、自衛隊のイラク派遣を固めていた。

 問題は派遣の根拠だった。ストレートに日米同盟を持ち出せば、米国追従と批判され、計画が頓挫するかもしれない。「自衛隊派遣=国際貢献」と説明するには、国際社会がイラクを復興支援するとの国連決議が不可欠と、小泉首相は考えた。

 さまざまな外交ルートを通じて、日本の意思が米国に示された。米国は国連でロビー活動を展開する。大規模戦闘が終了した後の5月22日、国連安保理で望み通りの決議1483は採択された。

 国連決議をまとめた直後、来日したアーミテージ米国務副長官は、自民党の山崎拓幹事長に上機嫌で語りかけた。「決議が取れたんだ。特措法をつくってもいいじゃないか」。山崎氏は「首相や私が国連決議を必要最低条件としていたので、米国が必死になった」と振り返る。

 ロシア、中国、フランスといった主要国が開戦に反対し米国が孤立する中で、真っ先にイラク戦争を支持した日本は、掛け替えのない伴走者と映ったに違いない。

 5月下旬、小泉首相は「新法でやってくれ」と、福田康夫官房長官にイラク特措法の策定を正式に指示する。

 だが、開戦の半年も前から、内閣官房のうち十数人の官僚による特措法策定の作業はひそかに始まっていた。首相官邸向かいにある内閣府の片隅に建てられたプレハブ小屋。きしむ廊下の先にある一室が作業場に充てられた。

 官僚トップとして、5人の歴代首相を支えた古川貞二郎官房副長官は「武力行使が始まったら日本は何ができるのか、頭の体操をしてくれ」と指示を出した。

 奇妙なのは外務省、防衛庁が外されたことだ。内閣官房の官僚の大半は各省庁からの寄せ集め。もちろん外務省、防衛庁からの出向者もいる。情報漏れを恐れた内閣官房は“本家”との相談さえ禁じた。

 古川氏は「首相が正しい決断ができるよう準備しておくのが行政官の鉄則だ」としながらも、「福田官房長官には逐一、報告していた」と事務方の独走でなかったと強調する。

 小泉首相が新法制定を表明したわずか2日後の03年6月9日、「人道・復興支援活動」「安全確保支援活動(米軍の後方支援)」を柱をする特措法案は与党に提示される。早くから準備していた成果だった。

 誤算があった。柱の1つ「大量破壊兵器の処理支援」には、防衛庁から「自衛隊には処理能力がない」との異論が出て、法案からあっけなく削除された。

 内閣官房が重要視したのは「大量破壊兵器は必ずある」と繰り返した米国の情報であり、自衛隊の能力は眼中になかった。手際よい作業とは裏腹に情報は偏っていた。

 後に米国は「大量破壊兵器はなかった」と修正し、戦争の大義が揺らいでいる。イラク戦争の是非に言及していない国連決議をよりどころとした日本は検証のきっかけをつかめず、自衛隊派遣を続けている。(肩書はいずれも当時)

   ◇

 これまでの「新防人考」は、陸海空自衛隊によるイラク支援などの海外活動を見てきた。第四部では、そうした活動を命じるシビリアンコントロール(文民統制)の舞台裏に光を当てる。同時に、社会面に「制服組がみた海外活動」をテーマに往時の幕僚長らのインタビューを掲載します。

 (この連載は編集委員・半田滋、政治部・本田英寛、横浜支局・中山高志が担当します)」(1面)



 「制服組インタビュー・ヘリ派遣 真剣に検討――イラク派遣時陸上幕僚長・先崎一(まっさきはじめ)氏(63)

 ――イラク特措法が2003年7月に成立した。陸上自衛隊の対応は。

 「イラク戦争をみていて、いずれ出番が来ると思った。(イラク特措法が国会上程される5日前の)6月2日、陸上幕僚監部に準備室を立ち上げ、内々に検討を開始した」

 ――アフガニスタン派遣には消極的だったが…。

 「アフガン派遣は北大西洋条約機構(NATO)から要請があった。示された地域は奥地で、補給線が伸びきってしまう。この要請を断ったことがイラク派遣につながった」

 ――イラクではどんな活動を想定したのか。

 「国連平和維持活動(PKO)の経験からも施設復旧や医療に限定されると思った。だが、ローレス米国防副次官からはヘリコプターによる航空輸送を求められた。陸自には砂漠でヘリを運用した実績がない。(04年1月に)人道復興支援を行う部隊を送り込む一方で、ヘリの派遣を真剣に検討した」

 ――えっ、ヘリ派遣を考えていたのか。

 「その通りだ。大型のCH47ヘリコプターを持つ千葉県木更津の第一ヘリ団に準備を命じた。ミサイルからの回避訓練を開始していたが、政治決定がなく、派遣には至らなかった」

 ――米軍ヘリが何機も撃墜されている。派遣していれば、相当厳しい活動になったのでは。

 「私がイラクへ激励に行った時のことだ。バグダッドから米軍ヘリで陸自のサマワ宿営地に向かったところ、ヤシの木立から銃の発砲を示す白煙が上った。すると米兵2人がドアを開け、地上に向かって機関銃を構えた。応射はしなかったが交戦寸前。見えない敵を撃つのだから、自衛隊の武器使用基準では対応が困難だと思った」

 ――陸上自衛隊の撤収後、自衛隊法が改正され、海外活動が本来任務に格上げされた。

 「サマワで一緒になったオランダ軍は、隊長レベルの判断で工事を発注できるカネを持っていた。海外活動を本格化させるなら、部隊長の権限の範囲で自由に使えるカネを持たせる必要がある。部隊に裁量権がないと危険な事態を回避する選択肢が狭くなる」

 ――イラク派遣で得た教訓や感想は何か。

 「<1>他国の軍隊と対等に活動できることが分かり、自信がついた<2>半世紀に及ぶ教育・訓練、人材育成が間違っていなかった<3>地域と一体化するという陸自の伝統が生きた<4>5つある方面隊から多くの隊員を派遣したことで意識改革に成功した―の4点。自衛隊の海外派遣は国家意思の表明そのものだ。国にとって『自衛隊の力』が『外交の力』であると広く理解されたのではないか」

 ■記者の一言■

 1992年の海外派遣開始から、陸上自衛隊の死者はゼロ。憲法9条の制約から、活動内容が限定されていることが最大の理由だ。

 (編集委員・半田滋)」(26面)



イラク特措法策定の経緯が出ている記事です。

「開戦の半年も前から、内閣官房のうち十数人の官僚による特措法策定の作業はひそかに始まっていた。首相官邸向かいにある内閣府の片隅に建てられたプレハブ小屋。きしむ廊下の先にある一室が作業場に充てられた。

 官僚トップとして、5人の歴代首相を支えた古川貞二郎官房副長官は「武力行使が始まったら日本は何ができるのか、頭の体操をしてくれ」と指示を出した。

 奇妙なのは外務省、防衛庁が外されたことだ。内閣官房の官僚の大半は各省庁からの寄せ集め。もちろん外務省、防衛庁からの出向者もいる。情報漏れを恐れた内閣官房は“本家”との相談さえ禁じた。

 古川氏は「首相が正しい決断ができるよう準備しておくのが行政官の鉄則だ」としながらも、「福田官房長官には逐一、報告していた」と事務方の独走でなかったと強調する。」


今後のことを予測して準備しておくことは不当であるとはいえません。「首相が正しい決断ができるよう準備しておくのが行政官の鉄則だ」という古川氏の発言は正しい面があります。

しかし、報告していたとはいえ、事務方が独走気味であったことは確かなようですし、自衛隊のイラク派遣は、集団的自衛権を認めていない憲法解釈を逸脱する可能性が、元々高かったのです。ことは憲法解釈を逸脱するか否かの問題という重大な問題なのです。

だとすれば、事務方が極秘に勝手にイラク特措法を策定するのでなく、内閣による明確な指示を行ってから、イラク特措法の策定を行うべきだったように思います。

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2007/08/19 [Sun] 23:59:14 » E d i t
元陸上自衛隊イラク先遣隊長の佐藤正久参院議員が、派遣先のイラクでオランダ軍が攻撃を受けた場合、駆け付けて援護する「駆け付け警護」を行う考えだったことを民放ニュースで明らかにしたことに対し、弁護士ら有志が8月16日、公開質問状を送ったそうです。この佐藤発言及び公開質問状について触れたいと思います。


1.この「民放ニュース」とは、TBSNEWSi(8月10日22:50)のことです。

 「「駆けつけ警護」認めるべきで一致

 集団的自衛権に関する政府の有識者会合はPKO=国連平和維持活動を行う自衛隊に対して、憲法上できないとしてきた「駆けつけ警護」を認めるべきだ、という意見で一致しました。

 PKO活動の際の武器使用は、正当防衛や緊急避難などの場合に限られていますが、10日の会議では国連の集団安全保障の問題としてとらえるべきだとする意見で一致しました。

 その上で、正当防衛を超えるとして憲法違反とされるいわゆる「駆けつけ警護」は認めるべきだとする意見が相次ぎました。これは、味方である他国の軍隊が攻撃された場合、駆けつけて応戦するものです。

 こうした事例について、イラクに派遣された陸上自衛隊の指揮官だった佐藤正久氏は、当時現場では、事実上の「駆けつけ警護」を行う考えだったことをJNNの取材に対して明かしました。

 「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います」(元イラク先遣隊長 佐藤正久・参院議員)

 佐藤氏は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだったといいます。

 「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」(元イラク先遣隊長 佐藤正久・参院議員)

 懇談会は11月までに集団的自衛権の行使を容認する提言をとりまとめると見られます。しかし、公明党が反対している上、参院選の惨敗で安倍総理の求心力が低下しており、報告書は棚上げせざるを得ないという見方が強まっています。(10日22:50)」



佐藤正久参院議員の問題発言については、すでに多くのブログが触れています。

最も最初に言及したと思われるのが、うさちゃん騎士団SCさんのブログですが、そのブログでは、「イラク派兵で暴走しだした「軍の論理」と、「滅びの美学」を追求する「美しい国」内閣?」「信憑性高まる? 小池防衛相「疫病神」説 ♪日本共産党に、うさエール♪」で触れています。

「情報流通促進計画」さんでは「国民を騙すつもりだった~佐藤正久は議員として不適切、直ちに辞任せよ!」「柳条湖事件を反省しつつも佐藤正久「巻き込まれてでも戦争に参加する」発言を批判しない朝日は歴史評論家?」「佐藤正久ヒゲ隊長の巻き込まれ発言に公開質問状送付会見報告(杉浦弁護士ブログより)」「文民統制を無視!~ヒゲ隊長巻き込まれ企図に栗栖更迭事件より危険なものと警告(東京)」「シビリアンコントロール無視のヒゲ隊長発言を容認した小池防衛相の責任が問われている(赤旗)」「佐藤正久発言、you tubeにアップ~「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう」」などで触れています。

「杉浦 ひとみの瞳」さんでは、「・佐藤正久発言~国民に受け入れられやすい発言の危険性」「・ヒゲの佐藤正久元イラク先遣隊長の発言に質問状を」「・佐藤発言への質問状提出の記者会見報告」「・佐藤発言をマスコミはどうとりあげるか~逐次追加します」「・佐藤発言への質問状の次の一手 ~ つづきものです」で触れています。

「アッテンボローの雑記帳」さんでは、「元自衛官・佐藤正久参議院議員は即刻辞職せよ!!」「佐藤正久発言に現れる日本帝国主義の政治目的 戦争と革命の基本問題 番外編」「佐藤発言を報道するようマスコミに圧力をかけよう!!」で触れています。

「S氏の時事問題」さんでは、「佐藤正久氏がイラクで「駆けつけ警護」を企図」「佐藤正久氏に公開質問状を送付」で触れています。

「日本がアブナイ!」さんでは、「Jライス小池が防衛省TOPを更迭?+ヒゲの隊長が海外活動に関してトンデモ発言」「ヒゲの隊長の違法覚悟発言と安倍首相の「反対があっても、正しいことを」発言のアブナさ+馬インフル等」で触れています。

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」さんでは、「遵法意識のとぼしい自衛隊員が大手を振って歩く日本がアブナイ!」「自衛隊参議院議員、佐藤正久氏の発言は軍部独裁政治の前触れか?」「不十分で誤った過去の総括の上に感情論で軍事的展開をすすめることの愚かさ」で触れています。

この他にもこれらのブログのエントリーには多くのTBがなされていますので、そちらもぜひご覧下さい。

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2007/08/18 [Sat] 13:55:45 » E d i t
平成19年8月15日、62回目の終戦記念日を迎えました。


1.まず、報道記事を幾つか。

(1) 東京新聞平成19年8月15日付夕刊1面

 「首相『不戦の誓い堅持』 靖国参拝は見送り 62回目終戦の日
2007年8月15日 夕刊

 六十二回目の終戦記念日を迎えた十五日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、参列した遺族ら約六千人が平和への誓いを新たにした。安倍晋三首相は式辞で「不戦の誓いを堅持し、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していく」と決意を述べた。安倍首相は、この日の靖国神社への参拝を見送る見通しだ。 

 追悼式には天皇、皇后両陛下をはじめ、衆参両院議長、最高裁長官、各界代表らが参列した。

 式典は午前十一時五十一分に開会し、君が代を斉唱。安倍首相は式辞で戦争の加害責任に触れ「わが国は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と述べ、深い反省と犠牲者への哀悼の意を表明した。

 天皇陛下は「戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」とお言葉を述べられた。

 河野洋平衆院議長は追悼の辞で「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい」、江田五月参院議長も「わが国の侵略行為と植民地支配により、アジア諸国をはじめとする多くの人々に多大な苦しみと悲しみを与えた」と加害責任を明確に述べた。遺族代表で、父を中国で亡くした団体役員高桑国三さん(71)=秋田県男鹿市=は「わが国の平和と自由を守り、世界平和のため、誠心誠意努力することを心から誓う」と追悼の辞を述べた。

 正午の時報に合わせ、全員で一分間黙とう。戦死した軍人・軍属約二百三十万人と、空襲などで亡くなった民間の約八十万人の冥福を祈った。

 参列者は戦没者の子供が約三分の二を占める一方、妻は全体の約2%に減るなど世代交代が急激に進んでいる。親の参列は、百一歳五カ月の松岡コトさん=東京都杉並区=一人だけで、松岡さんはこれまでの百一歳四カ月を上回る過去最高齢となった。最年少は、曾祖父が戦死した中屋穂香さん(10)=高知市。」



(2) 毎日新聞平成19年8月15日付夕刊6面

終戦記念日:戦没者追悼式 天皇陛下おことば(全文)

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に62年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

毎日新聞 2007年8月15日 東京夕刊」



8月15日というと、毎年、首相をはじめとして閣僚が靖国神社を参拝するのかどうか騒がしくなっていました。今年は、参拝しないと言っていた高市大臣が、午後になり一転して靖国神社に参拝したくらいで、他の閣僚や首相も靖国神社に参拝せず、静謐な日となりました。

天皇陛下のお言葉にあるように、「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を」思い、「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願」うことをまず、第一にして欲しいものです。




2.全国戦没者追悼式では、注目すべき追悼の辞がありました。

(1) 毎日新聞平成19年8月15日付夕刊1面

 「終戦記念日:日本国憲法こそ、新しいレジーム--河野衆院議長追悼の辞

 河野洋平衆院議長は15日、全国戦没者追悼式で行う追悼の辞で「(日本国民は)海外での武力行使を自ら禁じた『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して、今日まで歩んできた」との見解を表明した。安倍晋三首相の「戦後レジームからの脱却」路線を意識した発言とみられ、追悼の辞で首相批判と取られかねない発言をするのは異例。

 河野議長はさらに「国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営される世界の実現を目指す」と護憲の姿勢を強調した。

 従軍慰安婦問題についても触れ、「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい」と語った。同問題をめぐっては、河野議長は官房長官時代の93年、談話を発表し旧日本軍の関与を認め謝罪した。しかし、軍が強制した証拠はなかったとして河野談話の見直しを求める動きがあることから、これをけん制する狙いがあるとみられる。【高塚保】

毎日新聞 2007年8月15日 東京夕刊」



(2) 東京新聞平成19年8月16日付朝刊4面

 「衆院議長追悼の辞(要旨)

 河野洋平衆院議長の追悼の辞要旨は次の通り。

 国策により送られた戦争にたおれ、あるいは国内で戦火に焼かれた内外すべての戦没者のみ霊に哀悼の誠をささげる。

 日本国民が62年前に誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということ。そのために、私たちは、海外での武力行使を自ら禁じた「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んできた。

 今日の世界においても紛争は絶えることなく、今も女性や子どもを含む多くの人々が戦火にさらされ苦しんでいる。今こそ、戦争の廃絶に向け着実な歩みを進めなければならない。

 私は、戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、すべての人の自由・人権が尊重される世界の実現を目指して微力を尽くすことを誓う。」



(3) 東京新聞2007年8月15日 夕刊

河野議長追悼の辞 『戦後レジーム』を堅持 安倍政権を強くけん制
2007年8月15日 夕刊

 「日本軍の一部による非人道的な行為」をわび、「日本国憲法に象徴される新しいレジーム」を堅持する-。全国戦没者追悼式での河野洋平衆院議長の「追悼の辞」の真意について、従軍慰安婦問題や憲法をめぐる安倍晋三政権の“タカ派姿勢”を強くけん制し、日本の恒久平和主義をあらためて内外に示した発言と識者らは受け止めている。

 河野議長の中学の先輩で政治評論家森田実さんは「非人道的な行為」とは従軍慰安婦問題とみて、「河野らしさが発揮された。彼はもともと平和主義者で安倍路線の対極にいる。衆院議長として首相をしかり飛ばしてもいいのに今までがおとなしすぎた」と喝采(かっさい)を送る。

 従軍慰安婦問題をめぐり河野議長は、宮沢喜一内閣の官房長官だった一九九三年八月、日本軍の関与を認め「おわびと反省」を表明。だが、安倍内閣になって談話の見直しを求める動きが活発化。談話を踏襲するとしながら、安倍首相は今年三月、「(日本軍が強制連行したという)強制性を裏付ける証拠はなかったのは事実だ」と述べ、談話を事実上批判した。

 河野議長の踏み込んだ発言の要因として森田さんは、米下院が七月、この問題で日本政府に公式謝罪を求めて決議したことが大きいとみる。「安倍首相の発言が米議会に火をつけた。談話の当事者としてしっかりとしたメッセージを内外に送っておきたかったのだろう。来年の追悼式までに衆院が解散する可能性もあり、最後の発言の機会だったかもしれない」

 一方、「改憲を公約に掲げた安倍首相の『戦後レジームの脱却』というスローガンを意識した言葉だったのは明らか」とみるのは、東大大学院の高橋哲哉教授(哲学)。

 強い印象を受けたのは、「日本国憲法」という言葉が中段と後段に二度繰り返し述べられたことだ。「安倍首相は、憲法も改定前の教育基本法も戦後レジームの象徴とやり玉に挙げたが、それでは戦後民主主義の否定につながる。河野さんは、憲法は戦争の惨禍を引き起こした反省に基づく正しい選択だったとあらためて肯定した」と言う。

 さらに、日本軍の「非人道的な行為」は「今春、河野談話を否定した安倍首相の態度への批判を込め、談話を出した『本人』として、あらためてアジアに対する謝罪を誠実に発信したいと考えたのではないか。追悼の辞は、日本の政治家として確信に満ちた強いメッセージとなった」と語る。

 一方、精神科医の香山リカさんは「終戦を受けて『決して過ちを繰り返さない』と誓い、戦争放棄を定めた憲法九条を選択したのは『私たち日本国民』だと明確に言い切ったところに、憲法改正を目指している安倍政権への批判が率直に表れている」と指摘する。

 さらに「過去の追悼の辞では、河野さんはアジアへの謝罪の気持ちを穏やかに表現した。しかし、今回のレトリックや比喩(ひゆ)のない表現には、憲法押し付け論などを背景に高まる改憲論議に対して『今こそ言いたい』という本音が出たような気がする」。そして「自民党も一枚岩ではないという状況が、この追悼の辞で浮き彫りになった」と言う。」



河野衆院議長の追悼の辞は、「改憲を公約に掲げた安倍首相の『戦後レジームの脱却』というスローガンを意識した言葉だったのは明らか」です。

自民党議員である河野氏が批判したという点で自民党内でも批判があるといえますが、衆議院議長という国民の代表者の集まりである議院の長が、政府主催の全国戦没者追悼式という公式の場で、安倍首相の政治方針に対して、62年前の誓いを引き合いにして批判をしたという点に着目すべきでしょう。言い換えると、国会が現在の内閣の政治方針(戦後レジームからの脱却)が、現行憲法に反すると明言したのです。

「日本国民が62年前に誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということ。そのために、私たちは、海外での武力行使を自ら禁じた「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んできた。」


安倍首相が唱える「戦後レジームからの脱却」論は、 「決して過ちを繰り返さない」という、日本国民が62年前に誓ったことに反するというわけです。

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2007/08/14 [Tue] 23:59:15 » E d i t
小池防衛相は、独断人事で、防衛省の守屋武昌次官を9月1日付で退任させ、後任に西川徹矢官房長を充てる意向を示していたのですが、どうやら政府は事務次官人事を凍結したようです。小池氏の要望を容認したとの報道(産経新聞)もありましたが。「安倍政権の内閣掌握力の甘さがまたもや露呈した」(朝日新聞8月14日付朝刊1面)のです。この報道について触れたいと思います。


 「防衛次官人事、内閣改造後に先送り

 防衛省の事務方トップの人事をめぐり混乱です。政府は、小池大臣が求めている9月1日付けでの防衛次官交代の人事を、内閣改造後に先送りすることを決めました。

 小池大臣は、在任期間が4年を超える異例の長さとなった守屋武昌防衛事務次官を退任させて、後任に西川徹矢官房長を充てたい意向でした。

 しかし、省庁の幹部人事を決める人事検討会議を開催する塩崎官房長官への根回しがなかったほか、警察庁出身の西川氏の手腕に防衛省内から疑問の声も上がり、守屋次官も「まったく相談がなかった。どうしてこんな仕打ちを受けるのか」と大臣に抗議するなど、混乱が生じていました。

 「それ(人事検討会議の開催)はもう官邸がお決めになることですので。以上です」(小池百合子防衛相)

 これについて、的場官房副長官は14日、人事検討会議の開催要請が来ていないと、通常の手続きをとらなかった小池大臣の勇み足であることを示唆、「閣議決定は27日の週にならざるを得ない」と述べ、防衛省トップの人事は内閣改造後に先送りとなりました。(14日17:20)」(TBSNEWSi(8月14日17:20)




1.このごたごたの様子については、各紙が触れています。

(1) asahi.com(朝日新聞平成19年8月14日付朝刊4面)

 「防衛次官人事で火花 防衛相の独断に官邸「相談ない」2007年08月14日02時13分

 小池防衛相が一度内定した守屋武昌防衛事務次官(62)の退任が13日、凍結された。在任5年目で官邸と太いパイプを持つ守屋氏に相談しないまま小池氏が警察庁出身者を後任に決めたため、守屋氏が反発。塩崎官房長官も根回し不足を理由に「待った」をかけた。13日には小池、守屋両氏が代わる代わる首相官邸を訪れ、安倍首相や塩崎氏と直談判する異例の事態に。結論は27日ごろの内閣改造後に先送りされる公算が大きく、安倍政権の求心力の低下が露呈した形だ。

 小池氏は13日午前、官邸に塩崎氏を訪れ、15日の閣議で次官人事を決めるよう要請。しかし塩崎氏は「事前に相談がなく、手続きが非常識だ」などと突っぱねた。この直後、今度は守屋氏が官邸で安倍首相と会談。さらに小池氏が再び訪れ首相と面会。首相は13日夜、「人事検討会議は官房長官が開きます」と記者団に語り、現段階では塩崎氏の判断を支持する考えを示した。

 収まりがつかない小池氏は同夜、周囲に怒りをぶちまけた。「塩崎さんは、官僚の長期在任を許さないのが持論だったはずではないのか!」

 事務次官などの省庁幹部人事は通例、大臣と官邸双方の意向が反映される。大臣が現職事務次官と相談して大筋の人事を決め、正副官房長官による人事検討会議の了承を得て閣議で決定するのが慣例となっていた。

 その意味では、対立の引き金を引いたのは小池氏だった。6日に西川徹矢防衛省官房長(60)に対し、9月から守屋氏の後任次官になるよう言い渡し、省幹部人事を相談した。「次官在任が長すぎると組織がだめになる」との思いがある一方で、イージス艦の情報流出事件の対応を念頭に、警察庁出身の西川氏に白羽の矢を立てたという。

 ただ、小池氏が塩崎氏に根回しをした形跡はなかった。さらに、守屋氏に退任を言い渡したのは翌7日朝。「事前に伝えて欲しかった。許せない」と守屋氏は激しく反発、西川氏を「恥を知れ」と怒鳴りつけたという。

 守屋氏は03年8月に事務次官に就任。防衛庁の省昇格のほか、米軍再編特措法の制定、自衛隊のイラク派遣などの強力な推進役となった。「自分の気に入った人間ばかり登用する」などと批判もあるが、今秋の臨時国会でのテロ特措法の審議を控え、「自分でなければ乗り切れない」と続投に意欲満々だった。

 守屋氏は小池氏の訪米中、自民党国防族議員や官邸に次官人事の白紙撤回を訴えて回った。こうした動きを受け「閣議にかけられた形跡もないものが独り歩きしている」(自民党の山崎拓安全保障調査会長)と小池氏への批判も出て、与党を巻き込む事態に発展。内閣改造で留任確実といわれていた小池氏の去就も不透明さを増している。」



(2) 日経新聞平成19年8月14日付朝刊2面

 「防衛次官人事、改造後に・官邸が先送り

 政府は13日、小池百合子防衛相が打ち出していた「守屋武昌防衛次官退任、西川徹矢官房長の次官昇格」という人事案の決定を27日の内閣改造後に先送りすることを決めた。警察庁出身の西川氏を次官とする案を根回しなしに決めようとした手法に塩崎恭久官房長官が強く反発。人事案が白紙に戻りかねない異例の事態となった。

 省庁の幹部人事は正副官房長官らによる人事検討会議で内定する。

 ■首相に直訴

 13日昼、防衛相は首相官邸で官房長官と会い9月1日付の人事案を説明。政府関係者によると、官房長官が「(内閣改造に伴う)次の防衛相の就任後に決めるというのが人事検討会議を構成する正副官房長官4人の総意だ」と拒否すると、防衛相は「案をのんでもらえないなら私にも決意がある」と辞任をちらつかせ「(安倍晋三)首相に(直接)伝えに行く」と席を立った。

 首相は、防衛相が官邸を去った直後に守屋次官と会談。夕刻には防衛相とも協議した。その後、首相は記者団に「まだ決めていない。人事検討会議は官房長官がやる」と述べ、官房長官に判断を委ねる考えを示した。政府高官は人事検討会議の内閣改造前の開催は「ない」と断言した。

 テロ対策特別措置法の延長問題を抱える秋の臨時国会を控え、防衛省内では、既に在任5年目を迎えた守屋氏続投の見方が有力だった。防衛相が先の訪米ギリギリのタイミングで守屋氏の退任を打ち出した背景には「防衛相が続投をにらんで指導力発揮を狙った」などの憶測が飛び交う。

 ■沖縄に口約束

 守屋氏交代案の経緯について、沖縄県の照屋全哲名護市議は13日「2日に仲井真弘多沖縄県知事から防衛相に“守屋外し”の提案があり、5日に防衛相が島袋吉和名護市長に電話で受諾を伝えていた」と暴露した。

 県や名護市が求める米軍普天間基地移設案の修正を拒む守屋氏交代の内定と引き換えに、移設手続きの第一歩となる環境評価方法書を沖縄県に提出。これを手柄に訪米する算段だった。

 事実上無視された塩崎氏の怒りは収まらない。首相補佐官時代の小池氏とハドリー米大統領補佐官との会談を聞きつけた官房長官がハドリー氏に電話し「カウンターパートは私だ」と念押ししたこともあった。小池氏の「独走」にはかねて批判的で、防衛次官人事の問題では「塩崎VS.小池氏」の構図が再熱した形だ。」



(3) 毎日新聞平成19年8月14日付朝刊2面

小池防衛相:防衛次官人事で内紛 塩崎、守屋氏反発

 小池百合子防衛相が、守屋武昌防衛事務次官を9月1日付で退任させる人事方針を固めたことに守屋氏が反発、首相官邸にも塩崎恭久官房長官を中心に慎重論があり、次官人事をめぐる対立が13日、激化した。政府筋は同日夜、小池氏の人事方針自体に変更はないとの見通しを示したが、27日に予定される内閣改造・自民党役員人事以降に手続きが先送りされる可能性も出ている。小池氏は13日、安倍晋三首相に自らの方針について理解を求めており、官邸を巻き込んだ騒動が拡大すれば、首相の指導力も問われかねない事態となっている。

 小池氏は今月6日、守屋氏の在任期間が4年を超える異例の長さとなったことから退任させることを決断。後任には西川徹矢官房長を充てることを内定した。しかし「寝耳に水」だった守屋氏は、「人事は相談することになっていたはずだ。なぜ勝手に決めたのか」と小池氏に食ってかかるなど猛反発。小池氏が後任に指名した西川氏が警察庁出身であることにも異を唱え、自らの退任が避けられない場合でも、後任を防衛省生え抜き幹部に差し替えるよう要求、巻き返しに動いている。

 さらに、首相補佐官時代の小池氏と外交面での主導権争いなどからしばしば対立してきた塩崎長官が「相談を受けてない」として、守屋氏と歩調を合わせている。小池氏が人事を15日の閣議で決定したい考えだったのに対し、内閣改造後に先送りするよう主張。13日、首相官邸を訪れた小池氏と会談し、こうした考えを伝えた。

 次官の任命権者は所管閣僚だが、制度上、官房長官が主催する閣議人事検討会議に諮る必要があり、塩崎長官が会議開催を拒否すれば、人事は事実上凍結される。小池氏が内閣改造で留任しない場合、内定した人事が覆る可能性もある。

 小池氏は対抗手段として13日夜、首相官邸に安倍首相を訪ね、人事方針に理解を求めた。15日の次の閣議は改造人事後の28日となる見通しだが、小池氏は改造前に人事検討会議を開くことで次官問題に決着をつけるよう強く求めている。

 首相は小池氏との協議を終えた13日夜、記者団から次官人事の混乱を聞かれ「いや、混乱してるんですか。まだ決まっていませんよ、人事は」とかわした。【田所柳子】

毎日新聞 2007年8月14日 東京朝刊」



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2007/08/13 [Mon] 23:59:01 » E d i t
太平洋戦争開戦時の海軍大臣でA級戦犯被告だった嶋田繁太郎の巣鴨拘置所時代の日記(複写)が、防衛省防衛研究所と国立公文書館で相次いで見つかったそうです(日経新聞8月12日付朝刊)。この報道記事を紹介したいと思います。


1.まず、報道記事から。

(1) 日本経済新聞平成19年8月12日付朝刊(日曜)1・34面

 「嶋田元海相の「巣鴨日記」発見 在任時に開戦・A級戦犯

 太平洋戦争開戦時の海軍大臣でA級戦犯被告だった嶋田繁太郎の巣鴨拘置所時代の日記(複写)が防衛省防衛研究所と国立公文書館で相次いで見つかった。嶋田元海相は戦後、一貫して戦争について沈黙を守り、巣鴨日記の存在もこれまで知られていなかった。海軍トップとして戦争を指導した思いなどが書かれており、昭和史の貴重な史料の1つといえる。

 日記の複写は1946年1月1日から47年9月10日までが防衛研究所図書館、翌日の9月11日から48年4月16日までが公文書館にあり、同じ日記が分割されたとみられる。原本の所在は不明。2つの日記は最近になって公開された。

 46年5月1日付では弁護士と初面会時の所信希望として「大東亜戦争は侵略戦争にあらず」「天皇陛下に責任が掛からないようにする」と述べたことが書かれている。

 一方、「海軍大臣拝命以後のことは国内並(び)に国際の情勢上他に方途なく、他の方途を執るには時機既に遅きに過ぎたり。敗戦のことは真に申し訳なし」(47年9月24日)と、戦争を悔やむ記述もあった。

 嶋田元海相は海軍兵学校で山本五十六連合艦隊司令長官と同期。東京裁判で終身禁固刑となったが55年に釈放、76年に92歳で死去した。」(1面)



嶋田巣鴨日記「敗戦申し訳なし」 揺れる心中、単調な記述

 「海軍の戦争」とも言われた太平洋戦争。日本海軍は対米戦に勝算がないと分析していながら、時勢に流され無謀な戦争を主導した。最高責任者だった嶋田繁太郎元海相は戦後、回想録など一切著さず沈黙を守り続けた。今回明らかになった、巣鴨での“獄中日記”には、「自衛のためのやむなき戦争」とする主張や「敗戦のことは真に申し訳なし」など敗戦に揺れ動く心中をつづっていた。

 東京裁判が始まる直前の1946年5月1日、嶋田元海相は弁護人の高橋義次氏と面会、「大東亜戦争は侵略戦争ではない」「天皇陛下に責任を掛けない」「海軍の全責任を自分が負う」の3点を自身の信念として話したと日記に記している。以後もこの考え方が強くにじむ記述が見られる。

 ただ、日記全般を見て強く印象に残るのは、その「無機質さ」だ。毎日朝昼晩の食事内容を欠かさず書き込んでいるかと思えば、開戦(12月8日)、終戦(8月15日)に当たる「特別な日」に何ら感想らしきものが見られない。同じA級戦犯被告の重光葵元外相が自省を込めた詳細な「巣鴨日記」を著しているのとは対照的だ。

 嶋田元海相の大臣時代の一日は判で押したように同じだったという。毎朝、明治神宮に参拝して登庁。黙々と案件をこなし、午後5時半には真っすぐ帰宅する。能吏型軍人の典型だった。

 単調な日記はその性格の反映だろうか。戦争の当事者意識に欠けるように見える記述は「東条(英機)の副官」と揶揄(やゆ)されたほど陸軍の暴走に流された元海相の人間性を表しているようにも見える。

 元海相は大臣在任時の「開戦日記」を残しているが、ここでも真珠湾攻撃当日でさえ数行の事実のみで感想は書かれていない。日記は人物の見識を測る重要な資料だ。「何を書いたか」と同時に「何を書かなかったか」ということも評価の対象になりえる。巣鴨での日記は海軍指導者の人物像を分析する上で有益な史料だろう。

 嶋田日記は戦後60年余りを経過し、公開への抵抗感が薄れたことや、99年に法務省から公文書館へ東京裁判関連資料が移管されるなどして“封印”が解けた。今後も同様の事情で新資料が世に出る可能性があり、昭和史は再評価の時代に入ったともいえる。(編集委員・井上亮)

========================
嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう) 旧幕臣の子として東京で生まれた。海軍では連合艦隊参謀長など一貫して軍令畑を歩む。しかし、太平洋戦争開戦直前の1941年10月、軍政のトップである海軍大臣に就任した。

 戦時中は東条英機首相が軍政と軍令を統一するため、陸相、参謀総長を兼ねたのに合わせ、軍令部総長も兼任する。陸軍に妥協的だったため「東条の副官」などと批判された。

 戦後は東京裁判でA級戦犯被告となり、48年11月に終身禁固刑の判決を受ける。55年に仮釈放、その後赦免された。
========================」(34面)


*紙面では、日記・弁護士団の劈頭〔へきとう〕陳述に関する意見の抜粋、日記に記してあった「巣鴨拘置所食事メニュー」も掲載している。


◆責任感が希薄――作家・保坂正康氏の話

 嶋田元海相は海軍の指導者として開戦の責任を直接的に負わなければならない人物だが、この日記を読むと国民に対する責任感が希薄な感じを受ける。また、東京裁判での弁護の仕方を見ても陸軍に引きずられた状況追随型の人物像がうかがえる。あの困難な時期、海軍は陸軍と対等に渡り合える人がいなかったということだろう。


◆備忘録と対照を――栗屋憲太郎立教大教授の話

 嶋田元海相の戦前の備忘録など手記のいくつかは世に出ているが、巣鴨拘置所での日記は明らかになったのは初めてで興味を引かれる。ただし、本人の律儀な性格のせいかもしれないが、内容は単調で不満は残る。今後、備忘録などと対照してみると面白い結果が出てくるかもしれない。」(34面)



(2) 毎日新聞平成19年8月13日付夕刊10面

海軍大臣:「嶋田日記」を確認「敗戦は真に申し訳なし」

 太平洋戦争開戦時の海軍大臣、嶋田繁太郎(1883~1976)が戦後、A級戦犯となって巣鴨拘置所時代に記した日記の複写が、防衛省防衛研究所と国立公文書館(いずれも東京都)で確認された。「獄中日記」の存在は、これまで一般にはあまり知られていなかった。陸軍に引きずられて開戦に至り、戦後は沈黙を続けた嶋田。「敗戦のことは真に申し訳なし」の言葉もあるが、海軍の最高責任者としては全体に淡々とした内容で、その人物像を知る貴重な史料だ。

 日記は、46(昭和21)年元旦から48年4月16日まで。46年5月1日には弁護人と初面会し「大東亜戦争は侵略戦争にあらざることを闡明(せんめい)」「天皇陛下に御責任の掛らざること」「海軍の全責任を嶋田にて荷い、他人に成べく責任の及ばざること」としている。また、誕生日を迎えた翌47年9月24日には「海軍大臣拝命以後のことは(略)他の方途を執るには時機既に遅きに過ぎたり」と書き、「敗戦のことは真に申し訳なし」に続く。

 嶋田元海相は04年海軍兵学校卒で、同期に真珠湾攻撃を指揮した山本五十六がいる。東京裁判で終身禁固刑を受け、55年釈放された。【鶴谷真、佐野優】

 ◇  ◇

 この日記は、47年9月10日までが防衛研究所図書館、それ以降が公文書館にある。遺族の了解を得て98年3月から同図書館、昨年12月から国立公文書館で公開している。

毎日新聞 2007年8月13日 11時45分 (最終更新時間 8月13日 14時05分)」


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2007/08/11 [Sat] 17:18:45 » E d i t
参院選を受けた第167臨時国会が8月7日召集され、10日、閉会しました。会期は10日までの4日間でした。ところが、小池百合子防衛相は7日から訪米したため、4日間しかない会期なのにほとんどすべて欠席したのです。そのため、この小池百合子防衛相の訪米については、自民党の山崎拓前副総裁が批判を行っています。この報道について紹介したいと思います。

 「2007/08/07-11:20 第167臨時国会召集=参院議長江田氏、副議長山東氏を選出-会期は4日間

 第167臨時国会が7日召集された。参院は午前の本会議で正副議長選挙を行い、議長に民主党の江田五月元科学技術庁長官、副議長に自民党の山東昭子元科技庁長官をそれぞれ選出した。「55年体制」発足後、自民党以外から参院議長が選ばれるのは初めて。常任委員長人事では、議院運営委員長を選任するほか、参院選で落選、引退して空席となった3ポストの補充などを行った。
 江田氏は議長就任後、本会議場であいさつし、「参院の構成は大きく変化し、過去に経験したことのない政治状況に直面している。参院が国民の期待に応えてその役割と使命を十分果たすよう全力を尽くす覚悟だ」と述べた。
 午後の衆参両院本会議では、会期を10日までの4日間とすることを全会一致で議決。一方、開会式は午後3時から、天皇陛下をお迎えして参院本会議場で行われる。」(時事ドットコム(2007/08/07-11:20)


2007/08/07-19:06 小池防衛相が訪米へ出発=テロ特措法、米軍再編など協議

 小池百合子防衛相は7日夕、就任後初めて米国を訪れるため、成田発の民間機でワシントンに向けて出発した。8日にゲーツ国防長官と会談。11月1日で期限切れとなるテロ対策特別措置法を延長し、インド洋での海上自衛隊による米軍艦艇などへの給油活動を継続する方針を伝える見通しだ。
 また、小池氏は自衛隊で相次いだ情報流出の防止対策を説明。在日米軍再編や北朝鮮、中国情勢などについても協議する。」(時事ドットコム(2007/08/07-19:06)


 「2007/08/10-13:19 臨時国会が閉幕=年金流用禁止法案は廃案

 7月の参院選を受けた第167臨時国会は10日、衆参両院の本会議で閉会中審査の手続きなどを行い、閉幕した。会期4日間で参院議長選挙などのみ行われ、自民党大敗による参院与野党逆転下の本格論戦は、9月に召集される方向の次期臨時国会に持ち越された。
 参院議長には第1党の民主党から江田五月氏が選出された。自民党以外の参院議長は「55年体制」後初めて。
 民主党は9日に年金保険料を年金支給以外に充てることを禁止する年金流用禁止法案と郵政民営化凍結法案を参院に提出した。10日午前の参院議院運営委員会理事会で扱いを協議したが、与党は委員会付託に反対。いずれも廃案となった。民主党は次期臨時国会に再提出する方針だ。」(時事ドットコム(2007/08/10-13:19)




1.では、山崎拓前副総裁が批判しているとの報道記事を。

(1) 時事ドットコム(2007/08/09-12:29)

 「2007/08/09-12:29 小池防衛相の訪米を批判=自民・山崎氏

 自民党の山崎拓前副総裁(安全保障調査会長)は9日午前、同党国防部会などの合同会議であいさつし、小池百合子防衛相が訪米のため同会議を欠席したことについて、「概算要求(基準の説明)の部会に大臣が出席しないのはおそらくまれなことではないか。(臨時)国会を欠席までして、米国に赴かれたのはいささか当を得ない行動ではないか」と批判した。
 また、山崎氏は、小池氏が防衛相に就任した日に3回衣装を変えたことに触れ、「ファッションショーをやったと報じられた。こういう大臣に有事即応の国防を任せられるか、とそのころから心配していた」と語った。」



(2) 読売新聞(2007年8月9日20時29分)

 「小池防衛相の国会欠席訪米、「当を得ぬ」と山崎拓氏が批判

 自民党の山崎拓・前副総裁は9日、党国防部会などの合同会議で、小池防衛相が国会を欠席して訪米したことについて「いささか当を得ない行動ではないか。今、党はテロ対策特別措置法を抱えている」と批判した。

 さらに、小池氏が守屋防衛次官を退任させる方針を決めたことについて、「首相の了承がなければできず、閣議にかけられた形跡もない。(人事の話が)一人歩きしている」と述べ、独裁的との見方を示した。

 さらに、小池氏が防衛相に就任した日、認証式や初登庁の際にドレスやスーツに着替えたことを「衣装を3回も替えてファッションショーをやった」と皮肉り、「このような大臣に有事即応の国防を任せられるか心配してきた」と述べ、内閣改造で交代させるべきとの考えを示した。

 その後、山崎氏は記者団に、「国会中の訪米を許した首相の指導力の欠如だ」と安倍首相を批判した。

(2007年8月9日20時29分 読売新聞)」



(3) 朝日新聞平成19年8月10日付朝刊4面

 「小池防衛相訪米 「無目的」と批判 山崎拓氏

 自民党の山崎拓氏・安全保障調査会長は9日、民主党の小沢代表とシーファー駐日米大使との会談について「小沢氏を一種のヒーロー的存在にしてしまったのは、小池防衛相の無目的な訪米にある。安部首相の指導力の欠如だ」と指摘した。

 小池氏の訪米が内閣改造直前であることから「大きな約束はできないし、すべきではない。今はパフォーマンスの時期ではない」と強調した。

 安倍首相は同日夜、山崎氏の批判について記者団に「日米同盟、重要です。常に連携をはかっていかなければいけません。ゲーツ長官やチェイニー副大統領と大変有意義な会談を行ったと聞いています」と述べ、小池防衛相の訪米に意義はあったとの認識を示した。」



(4) 日経新聞平成19年8月10日付朝刊2面

(8/9)独断?「小池流」の波紋広がる・防衛次官交代人事

 小池百合子防衛相の意向で9月退任が決まった守屋武昌防衛次官の後任人事を巡り、政府・与党内に波紋が広がっている。小池氏がトップダウンで警察庁出身の西川徹矢官房長を内定したが、自民党や首相官邸側への根回し不足が露呈。「小池流」人事への反発が出ている。

 自民党の山崎拓安全保障調査会長は9日、「(小池氏が米国)出発前に人事を記者団にリークする形で発表していったが、首相の了承がなければできない人事だ。閣議にかけられた形跡もないものが独り歩きしている」と批判した。

 中央省庁の幹部人事は正副官房長官による人事検討会議で了承を得る必要がある。だが、政府高官は「事前に全く話を聞いていない」と憤慨。政府筋も「後任次官は新しい防衛相が決めるのではないか」と冷ややかな反応をみせている。」



(5) スポーツニッポン[ 2007年08月11日付 紙面記事 ]

 「小池防衛相に失笑「私は日本のライス」

 臨時国会中に訪米し、与党内からも批判されている小池百合子防衛相(55)が9日(日本時間10日)、現地で講演した。ライス国務長官(52)を引き合いに出し「私は日本のライスと呼ばれている」「(私のことを)マダム寿司と呼んで」などと大はしゃぎ。ライス氏についても「姉妹のような関係」と述べ、内閣改造での続投に向けてアピールしたが、党内からは「目立ちたいだけ」との冷めた声が上がった。

 小池氏は講演で自らを「ライス長官にちなみ、私を“日本のライス”と呼ぶ人もいる。ジャパニーズ・ライスは寿司という意味です」と英語で紹介。「Why don’t you call me “マダム寿司”?(私をマダム寿司と呼んでみてはいかがですか?)」と続けた。失笑が漏れたが、気付かぬ様子で笑顔を振りまいた。

 さらに、年齢も近いライス長官との強いきずなも強調。約40分間の会談の後、日本の記者団に「ライスさんとは姉妹の(ような)関係。今度は一緒にゴルフに行きましょう、ということで楽しく会話を終わった」と満足げに述べた。

 共同電によると、ホワイトハウスでチェイニー副大統領との会談がセットされるなど防衛相訪米としては破格の厚遇。前任の久間章生前防衛相がブッシュ大統領のイラク開戦判断を批判したため、4月の訪米で冷遇された反動もあったとみられる。

 政界関係者は「今月27日予定の内閣改造をにらんで、防衛相続投に向け存在誇示を狙った訪米ではないか」と指摘。米側と早急に協議すべきテーマがあったわけではなく、臨時国会中の訪米には、野党はもとより自民党内にも「今はパフォーマンスの時期ではない」(山崎拓前副総裁)と厳しい声が出ていた。

 大はしゃぎの訪米から、11日に帰国すれば逆風が待っている。訪米直前に決めた守屋武昌防衛事務次官の後任人事は、官邸や与党との十分な意思疎通を欠いたために難航。また、インド洋での海上自衛隊による米艦船などへの給油活動の根拠となっているテロ対策特別措置法の延長問題は、民主党の小沢一郎代表が反対姿勢を強める中で打開策が見つかっていない。

 ある政界関係者は「日本のライスと呼ばれているなんて聞いたことがない。自意識過剰なんじゃないか」と首をひねった。また、自民党議員は「内閣改造後も生き残るために、存在をアピールしているだけ」と吐き捨てた。
[ 2007年08月11日付 紙面記事 ] 」



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2007/08/09 [Thu] 23:59:55 » E d i t
長崎は8月9日、被爆から62回目の原爆忌を迎えました。爆心地に近い長崎市松山町の平和公園では、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開かれ、被爆者や遺族ら約5500人が参列しました。

「長崎平和宣言」では、久間章生前防衛相の名前に直接言及したわけではないのですが、久間前防衛相の原爆投下を巡る発言や閣僚らによる核保有論議の容認発言などを意識した宣言を行いました。久間氏の「原爆投下しょうがない」発言への「怒り」がずっと続いているのです。この報道について触れたいと思います。


1.まず報道記事から。

(1) 東京新聞平成19年8月9日付夕刊1面

 「『原爆の日』怒る長崎  核廃絶『政府は行動示せ』
2007年8月9日 夕刊

 長崎は九日、被爆から六十二年の原爆の日を迎え、長崎市松山町の平和公園で市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。就任後初めての平和宣言に臨んだ田上富久市長は、核兵器廃絶に対する政府全体の姿勢が揺らいでいるとの憂慮を示し「国際社会で強いリーダーシップを」と、世界唯一の被爆国として明確な行動を取るよう政府に強く促した。 

 宣言で田上市長は、久間章生前防衛相(衆院長崎2区選出)の原爆投下「しょうがない」発言や、一部閣僚、自民党幹部が日本の核保有論に言及したことを念頭に「原爆投下への誤った認識や、核兵器保有の可能性が語られる中、非核三原則は国是ではなく法制化こそが必要」と強調。

 四月に暴力団幹部に射殺された伊藤一長前市長の核兵器廃絶への遺志を継承する考えを表明し、世界の核保有国に向けては、伊藤前市長のこれまでの平和宣言と同様、核兵器廃絶と核軍縮への積極的な取り組みを呼び掛けた。

 式典には被爆者や遺族、市民、安倍晋三首相、柳沢伯夫厚生労働相、核保有国のロシア、パキスタンを含む十五カ国の駐日大使ら計約五千七百人が参列。原爆投下時刻の午前十一時二分に全員で黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。久間前防衛相は市の招待を受けていたが、発言に対する被爆者団体の反発が強く、欠席した。

 被爆者を代表し「平和への誓い」を朗読した長崎市の正林克記さん(68)は「原爆投下はそれぞれの立場や都合で正当化し、肯定するものではありません」と訴えた。

 安倍首相は「国際社会の先頭に立ち、核兵器廃絶と恒久平和の実現に全力で取り組む」とあいさつ。伊藤前市長への弔意も示した。首相は式典終了後、長崎市内のホテルで被爆者五団体の代表と面会した。

 長崎市によると、この一年間に新たに死亡が確認された被爆者は三千六十九人。原爆死没者名簿に記載された人は計十四万三千百二十四人になった。長崎の被爆者の平均年齢は昨年より〇・八歳上がり、七四・〇歳になった。

長崎平和宣言の骨子

一、伊藤一長前市長の核兵器廃絶の願いを継承する

一、すべての核保有国は、まず自ら保有する核兵器廃絶の取り組みを

一、政府は核兵器廃絶に向け、国際社会で強いリーダーシップ発揮を

一、非核三原則は法制化が必要

一、核兵器のない未来を決してあきらめない」



(2) 東京新聞平成19年8月9日付夕刊11面

 「核廃絶あきらめない 62回目長崎『原爆の日』
2007年8月9日 夕刊

 暑い日差しの下、人々は目を閉じ、思った。原爆投下を「しょうがない」と言い放った地元選出の閣僚。世界に核軍縮の動きはなく、日本でも核保有が取りざたされる政治の状況。慕った平和市長は、凶弾にあえなく命を落とした。「それでも、核兵器のない未来をあきらめない」。どんな“逆風”が吹き荒れても、この怒りと苦しみを次代の糧に。被爆から六十二年の九日、長崎は誓いを新たにした。 

 日本も核武装を議論すべきだ。原爆投下はしょうがない。相次ぐ閣僚らの発言に、長崎市の田上富久市長は憤りを隠せないでいる。「六十二年訴えてきたことがいまだに伝わっていない。わたし自身もどかしいが、被爆者の皆さんが一番悔しく思っているだろう」。九日の平和祈念式典では、政府に対し、核廃絶への決意が揺らいでいないか、と突き付ける内容の平和宣言を読み上げた。

 銃撃され死亡した伊藤一長前市長の後を受け、四月の市長選で当選し就任した。平和祈念式典には、それまでは市広報課の職員として広報誌の写真撮影などでかかわってきた。

 五月、平和宣言を作成するための委員会の初会合の席上。「事件の悲しみから完全に立ち直っていないが、伊藤前市長の平和への思いを受け継ぎたい」。志半ばで凶弾に倒れた前市長の理念を継承することを宣言した。

 六月に久間章生前防衛相が「原爆投下はしょうがない」と発言すると、すぐさま上京。「市民を無差別に殺す核兵器の使用はいかなる理由があろうとも正当化できない」と、長崎県選出の国会議員である久間氏に直接抗議した。

 長崎市の平和宣言は、例年約二カ月かけて市民らと協議して作成される。歴代市長がこれまでに読み上げた平和宣言は、時々の国際情勢を反映しつつ、一貫して核兵器廃絶を訴えてきた。

 一九九〇年に右翼団体幹部に銃撃され負傷した本島等元市長は、日本の加害責任に触れた。伊藤前市長は、核大国米国を名指しして批判した。

 作成に携わる元長崎大学長の土山秀夫さん(82)は「今年は世界に対しての核廃絶呼び掛けより、国内への注意喚起。足元を問いたださなければ、諸外国を説得することはできない」と強調した。

 核をめぐる情勢は、国際的な核不拡散体制が危機を迎えているだけでなく、国内こそ危うい。「逆風の中でも、長崎市の核廃絶への考えは変わらない」。四月まで統計課長だった田上氏は、強い意志を秘め、市長として初の式典に臨んだ。」



(3) 朝日新聞平成19年8月9日付夕刊1面(紙面から引用)

長崎平和宣言、核兵器容認論に危機感 「廃絶、政府が主導を」
2007年08月09日12時07分

 長崎は9日、被爆から62年を迎えた。長崎市松山町の平和公園では午前10時40分から、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開かれ、被爆者や遺族ら5500人が参列。原爆が投下された午前11時2分、犠牲者を悼んで黙祷(もくとう)をささげた。4月に初当選し、初めて平和宣言を読み上げた田上富久市長は、久間前防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言したのを受け、「原爆投下をめぐる誤った認識」が広がっていることへの危機感を表明。非核三原則の法制化などを訴えた。

 式典では、長崎で原爆に遭い、この1年間に死亡が確認された3069人の名簿が平和祈念像前の奉安箱に納められた。死没者の累計は14万3124人になった。

 被爆者や遺族の代表、安倍首相らが献花した後、原爆投下時刻に高校生の男女が「長崎の鐘」を打ち鳴らした。高く澄んだ音色が響く中、参列者たちは原爆の熱線、爆風、放射線にさらされて亡くなった人たちの冥福を祈った。

 平和宣言は冒頭、4月の市長選のさなかに暴力団幹部に射殺された伊藤一長・前市長の遺志を受け継ぎ、核兵器廃絶に取り組む決意を表明した。

 核をめぐる国際情勢には不安が募る。北朝鮮による核実験やイランの核開発疑惑などに触れ、「核不拡散体制が崩壊の危機に直面している」と指摘。米国をはじめとするすべての核保有国が、自らの核兵器の廃絶に取り組むべきだと訴えた。

 日本政府への注文も多い。「憲法の平和と不戦の理念にもとづき、核兵器廃絶に向けて強いリーダーシップを」「北東アジア非核化構想の実現を目指し、北朝鮮の核廃棄に向けて6カ国協議の場で粘り強い努力を」「被爆者の実情に目を向け、援護施策の充実を」

 久間発言に直接言及することは避けたが、「被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られる」現状を憂えた。昨秋、中川昭一・自民党政調会長らが日本の核武装について「議論があっていい」と発言したことへの批判も込めた。

 被爆者を代表して「平和への誓い」をした長崎県被爆者手帳友愛会の正林克記(かつき)さん(68)も、久間発言を念頭に訴えた。「(原爆投下は)それぞれの立場や都合で、正当化し、肯定するものではありません」

 安倍首相のあいさつは、6日の広島市の平和記念式で述べたのとほぼ同内容。核兵器廃絶と恒久平和の実現に取り組む姿勢などを示し、伊藤前市長の冥福を祈った。

 式典には核保有国のロシア、パキスタンを含め15カ国の駐日大使らが参列。初参加は10カ国だった。衆院長崎2区選出の久間氏は「混乱を招くのを避けたい」として欠席した。

 3月末現在、全国の被爆者(被爆者健康手帳所持者)は25万1834人で、1年前より7722人減った。」




「原爆投下はしょうがない」という発言は、多くの人に衝撃を与えました。

「長崎市の田上富久市長は憤りを隠せないでいる。「六十二年訴えてきたことがいまだに伝わっていない。わたし自身もどかしいが、被爆者の皆さんが一番悔しく思っているだろう」。九日の平和祈念式典では、政府に対し、核廃絶への決意が揺らいでいないか、と突き付ける内容の平和宣言を読み上げた。」(東京新聞)

久間氏は原爆投下を「しょうがない」で済ませてしまい、しかも、最初は安倍首相も久間氏を擁護していたのです。被爆地として62年訴えてきたのに、久間発言と安倍首相による擁護は、その訴えを無にしてしまったのです。

久間発言は、被爆者代表として「平和の誓い」を述べた者にも、衝撃を与えました。ほぼ出来上がっていた原稿に、怒りに突き動かされるように、次のような言葉を追加したのです。

「被爆者を代表して「平和への誓い」をした長崎県被爆者手帳友愛会の正林克記(かつき)さん(68)も、久間発言を念頭に訴えた。「(原爆投下は)それぞれの立場や都合で、正当化し、肯定するものではありません」」



久間氏の「しょうがない」発言は、多くの日本市民に強く自覚させたのです。これからもずっと原爆投下は正当化できないと言い続け、行動しなければならないと。


自民党は、久間氏が防衛相を辞任し、参議院選挙が終わったことで過去のことと思っているのかもしれません。もはや与党議員は誰も久間発言を問題にしていないのですから。

しかし、久間氏の「しょうがない」発言は、62年間の訴えを無にするかのような発言だったという重みがあったのです。久間発言は、安倍政権及び与党(自民党・公明党)への根本的な不信感を生じさせ、この不信感を払拭することは困難なのです。

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2007/08/07 [Tue] 23:41:33 » E d i t
8月6日は、62回目の「広島・原爆の日」でした。今年は、長崎県出身で防衛相だった久間章生氏が原爆投下について「しょうがない」と述べたことから、その発言の触れた記事及び社説が目に付きました。親戚・知人に被爆者がいる身としては被爆体験はあまりに身近であるため、「原爆の日」に関するエントリーは書きづらいのですが、これらの報道について触れたいと思います。


1.まず、2つほどの報道記事を。

(1) 東京新聞平成19年8月6日付夕刊1面

被爆の実態学べ  政府へ核廃絶アピール 62回広島『原爆の日』
2007年8月6日 夕刊

 広島市は六日、人類史上初の原爆投下から六十二年の「原爆の日」を迎えた。爆心地に近い中区・平和記念公園では午前八時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、秋葉忠利市長は平和宣言で「人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛ける」と誓った。久間章生前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言などを受け、秋葉市長は「唯一の被爆国である日本政府には、謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、世界に広める責任がある」と強調した。 

 式典には被爆者や遺族ら約四万人が参列。安倍晋三首相も就任後初めて出席した。投下時刻の午前八時十五分に平和の鐘が鳴らされると、参列者は一斉に黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。

 米国など核保有国の軍縮は進まず、北朝鮮による核実験など拡散の動きも続いている。秋葉市長は「時代に遅れた少数の指導者たちが、力の支配を奉ずる世界観にしがみついている」と厳しく批判。日本政府に対し、平和憲法の順守とともに「米国の誤った政策にはっきり『ノー』と言うべきだ」と求めた。

 原爆犠牲者とともに、射殺された伊藤一長前長崎市長に哀悼も表した。

 四月に就任した田上富久長崎市長も参列。海外から過去最多の四十二カ国の代表が出席した。

 子ども代表の「平和への誓い」で小学六年の森展哉君(12)と山崎菜緒さん(12)は「原爆や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を一人でも多くの人たちに伝えることは、わたしたちの使命です」と読み上げた。

 五日に被爆者団体代表と面会し、原爆症認定基準の見直し検討を表明した安倍首相は「広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはならない」とあいさつした。」



(2) 朝日新聞平成19年8月6日付朝刊30面

原爆特別視を懸念、被爆者治療せず 50年代の米公文書
2007年08月06日08時01分

 原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。原爆投下への謝罪と受け止められることも懸念し、被爆者と他の戦災者を区別しない方針を固めていた。米国は当時の冷戦下で、非人道的と非難されて原爆が使いにくくなるのを防ごうとしていたとされ、研究者は「被爆者への対応も核戦略の中に位置づけられていた」とみている。

 朝日新聞が米国立公文書館に対し、ABCCに関する複数の公文書の閲覧を請求した。いずれも50年代に作成された当時は機密扱いで、機密期間が過ぎた80年代以降に開示対象になった。

 ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。50年代になって日本の報道機関も取り上げるようになっていた。

 今回閲覧したうち、パーソンズ駐日公使が国務省北東アジア部にあてた文書(54年2月)には、治療しない理由について「ABCCには日本での医療資格がない」ことなどを列挙。さらに重要なこととして「(治療すれば)被爆者に特別な意味があり、他の兵器の被害者とは異なるという見方を支持することになる」と説明した。「原爆投下への謝罪と解釈されかねない」とも指摘した。

 また、ロバートソン極東担当国務次官補にあてた文書(同年1月)の中で、北東アジア部の担当者は米政府の公式見解として「被爆者支援の責任は負わないし、その他の爆撃による被害者と区別することはできない」と述べている。

 こうした考え方の背景について、核問題を研究する米ジョージタウン大歴史学部博士課程の樋口敏広さん(28)は「旧ソ連とにらみ合った冷戦下で、米国は原爆を使用可能な兵器と位置付ける必要があった。ABCCが被爆者を治療しなかった理由は核戦略と結びついていた」とみている。」



(3) 朝日新聞平成19年8月6日付朝刊30面「ABCC60年 誰がために(上)」

「お客」扱いの裏で実験台

 JR広島駅から南に約1.5キロ。標高約70メートルの比治山の山頂に立つかまぼこ形の12棟の建物が、米政府によって1947年に設立された原爆傷害調査委員会(ABCC)の活動拠点だった。多くの被爆者がここに運ばれて検査を受けた。75年に改組して発足し、日米共同運営になった「放射線影響研究所」は今もその建物で研究を続ける。

 タカコ・オーガストソン(64)は20歳だった63年から2年間、ここに勤務した。被爆者を乗せたダットサンのセダンが着くたびに玄関先で笑顔で迎えた。子連れの被爆者が来れば、おもちゃを備えた待合室で子をあやす。先輩の日系人女性からは「お客に失礼がないように」と仕込まれた。

 被爆者を把握し、つなぎとめることがABCCの至上命題だった。48年に始まった被爆2世への影響調査では食糧配給で、妊婦を優遇する特配制度を設け、妊婦の90%以上を把握した。死産や異常出生を調べる追跡調査は6年間に及んだ。

 丁寧な応対や徹底した調査とは裏腹に、被爆者の治療には消極的だった。被爆者を「モルモット」「試験台」扱いしているとも批判された。

 短大英文科を卒業したタカコには、ABCCは英語が生かせる「あこがれのアメリカ」の象徴だった。勤務中は、2歳の時に爆心から1.7キロの自宅で被爆したことも、生まれて間もない妹が家の下敷きになって亡くなったことも考えなかった。「ABCCは原爆症治療に役立つと思って、一生懸命働きました」

 今年7月、ロサンゼルス近郊の病院に米国人の夫と結婚したタカコの姿があった。米国在住の被爆者のために広島県医師会の医師らが健診に訪れていた。

   ■   ■

 46年11月18日、トルーマン大統領はフォレスタル海軍長官から1通の手紙を受け取る。

 「合衆国にとって最重要である放射線の医学的、生物学的影響の研究にかけがえのない機会を提供してくれる」。広島、長崎の被爆者調査の必要性を訴えるこの手紙でABCCは始動した。

 設立2年後の49年2月、ワシントン。ABCCに運営資金を提供する米原子力委員会(AEC)の諮問委員会で生物医学部長のシールズ・ウォーレンは「AECは軍事・民間防衛計画の策定を助け、広島と長崎から人間のデータを集める責任がある」と語った。

 半年後の同年8月、ソ連が核実験を成功させ、核戦争の危機が現実味を帯びた。翌50年6月には朝鮮戦争も始まった。

 同年11月、生物医学諮問会議で核攻撃対策が議論されるとウォーレンは明言した。「我々は膨大な実験結果を得ている。長崎と広島の20万人以上を巻きこんだ実験だ」

 だが、こうした米政府の意図が日本国内で語られることはなかった。

   ■   ■

 同年1月、広島の翌年に長崎にも開設されたABCCに、当時33歳だった米シンシナティの小児科医、ジェームズ・ヤマザキ(91)が着任した。9月のある日、母親に連れて来られた4歳の子をみて、ヤマザキは息をのんだ。後に「原爆小頭症」と命名された胎内被爆児。亡くなった自分の子の姿と重なった。(敬称略)

   ◇

 ABCCが発足して60年。改組後の放射線影響研究所は今も世界最大規模の被爆者調査を続ける。その宿命と課題を追った。」



8月6日、原爆投下から62年の「原爆の日」を迎えました。朝日新聞にはABCCの記事が出ていましたが、「ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった」ことについて、どれだけの人が知っていたでしょうか? 親戚・知人に被爆者がいた場合には、すでに知っていたことにすぎないのですが。

「丁寧な応対や徹底した調査とは裏腹に、被爆者の治療には消極的だった。被爆者を「モルモット」「試験台」扱いしているとも批判された。

 短大英文科を卒業したタカコには、ABCCは英語が生かせる「あこがれのアメリカ」の象徴だった。勤務中は、2歳の時に爆心から1.7キロの自宅で被爆したことも、生まれて間もない妹が家の下敷きになって亡くなったことも考えなかった。「ABCCは原爆症治療に役立つと思って、一生懸命働きました」」


この記事だと、ABCCが「モルモット」扱いしていると批判があっても、良く思っている人もかなりいるとの扱いです。もちろん良く思っていた人もいたでしょう。

しかし、私が知る被爆者やその親戚、友人の話からすると、良く思っていた人は皆無です。嫌がっていたことはもちろん、ABCCに「モルモットではない」と文句を言いに行ったと聞かされてきました。当時、米国に移民していた人もかなりいて、米国に在住し、米国が身近だった人も少なくなく、そういう人にとっては「あこがれのアメリカ」ではないのです。「あこがれのアメリカ」という意識があったということで、ABCCは良い機関であるかのような記事が掲載されるところにも、原爆投下から62年という時間の長さと、原爆による被害が風化しつつあることを示しているように感じます。


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2007/08/01 [Wed] 23:59:28 » E d i t
安倍晋三首相は8月1日午前、事務所費や絆創膏問題などで参院選惨敗の一因をつくった赤城徳彦農水相を、官邸に赤城氏を呼びつけ、その場で辞表を書かせました。赤城氏は「本日午前中、総理に私から辞表を提出しました。」と述べていますが、呼びつけて辞表を書かせたのですから、赤城農水相を事実上更迭したのです。この報道について触れたいと思います。


1.まず、報道記事から。

(1) 日経新聞平成19年8月1日付夕刊1・2・19面

 「(8/1)赤城農相を更迭・事務所経費で引責

 赤城徳彦農相は1日午前、首相官邸で安倍晋三首相に辞表を提出し、受理された。自身の後援会の不透明な事務所経費問題などが指摘され、先の参院選でも「政治とカネ」の問題が与党大敗の一因となったことから責任を取った。安倍内閣発足後、閣僚の交代は4人目で、首相の一段の求心力低下は避けられない。赤城氏の後任は当面おかず、若林正俊環境相が兼務する。

 首相は7月31日、9月をメドに実施する内閣改造について「赤城農相を含めて人心を一新する」と指摘。1日の会談は首相が赤城氏を呼んだもので、事実上の更迭となる。

 赤城氏は同日の首相との会談後、記者団に辞表提出の理由について「私に関する様々な報道が選挙戦に影響を与え、与党の敗北の一因になったことは紛れもない事実だ」と指摘。そのうえで「職を辞することでけじめをつけさせていただきたいと思う」と語った。2日から予定していた赤城農相の訪米は見送る。」(1面)



 「農相更迭 首相、後手に回った対応・野党は任命責任を追及

 安倍晋三首相が1日、赤城徳彦農相を事実上、更迭したのは、参院選の与党惨敗からの再出発に向けて、一定の「けじめ」を印象付ける狙いがある。だが与野党からは「遅きに失した」と冷めた声が多く、対応が後手に回った首相への視線は厳しい。

◆後任、環境相が兼務

 「ちょっと続きすぎだ」。農相が辞表を提出した直後、政府首脳は、辞任理由について政治資金絡みの疑惑や不手際が次から次へと発覚したことを挙げた。農相の辞表を首相が受理する形をとりながらも、更迭だったのは明らかだ。

 首相は農相の事務所経費問題に象徴される「政治とカネ」の問題が与党惨敗の要因になったとみている。このため、7月31日に自らの問題が参院選に与えた影響を記者団に聞かれた農相が「コメントは控えたい」と話したのを聞いて怒りをあらわにしたという。

 その後、首相は記者団に「赤城農相を含めて人心を一新」と、内閣改造の実施を前に異例の個人名に言及した。

 農相の対応は最後まで不透明だった。31日に続き、1日に宿舎を出発する際も「任期の間は全力でやっていきたい」と続投に意欲を示した。農水省に入って間もなく、官邸から呼び出された。政府首脳は首相による更迭かどうかについて「推して知るべし」と吐き捨てた。

 首相は「政治とカネの問題にけじめをつけてから人事をしたいと考えている」(周辺)。まずは世論の批判が強い赤城農相の人事を終えて国民の不信をやわらげてから、9月をメドとする内閣改造・党役員人事や公明党との関係再構築に着手する狙いがうかがえる。

 農相の後任は当面、若林正俊環境相が兼務し、急場をしのぐ考えだが、首相の対応の遅れへの不満は収まらない。

 自民党の舛添要一参院政審会長は国会内で記者団に農相の辞任について「今ごろ辞任しても何の意味もない。内閣の危機管理能力の無さに驚く」と批判。公明党の北側一雄幹事長は「やむを得ない。事務所経費問題で十分な説明責任を果たされていないし、一連の言動が参院選敗北の大きな要因になったことも間違いない」と語った。

 野党各党は1日、農相辞任について当然だとの認識を相次いで表明した。民主党の鳩山由紀夫幹事長は日本経済新聞の取材に「辞任が遅すぎた。今後も国会で領収書の公表を求めるなどして真相を明らかにしたい。疑惑は解消していない」と強調。共産党の市田忠義書記局長は国会内で記者団に「任命した首相の責任も重い。参院選の審判を受けて首相自身が退陣すべきだ」と指摘した。

 社民党の又市征治幹事長は「何を今さら、という感じだ。国民に説明すべきで納得できない」と批判した。国民新党の亀井久興幹事長は「遅きに失した感もあるが、辞任は当然だ。かばい続けた首相の任命責任も重大だ」と語った。」(2面)



 「農相更迭「なんで今更」・大敗自民から恨み節

 「私の報道が敗北の一因になった」。参院選の与党惨敗から4日目の1日、赤城徳彦農相が事実上の更迭に追い込まれた。事務所経費問題に加え、顔にばんそうこうを張った理由すら説明できない姿が大敗につながったと指摘された同農相。逆風の中での戦いを強いられた与党関係者からは「なんでもっと早く辞めさせなかったのか」「どうして今更」の声が上った。

 農相は同日午前、安倍首相に辞表を提出した後、官邸で取材に応じた。「私に対する様々な報道が敗北の一因となったのは紛れもない事実」。いつも通りにきちんとスーツを着こなした姿だが、表情はげっそり。質問に答える声にもほとんど抑揚がなく疲れ切った様子だった。

 今回の参院選で落選した前職議員の引越し作業が進む永田町の参院議員会館。与党の落選議員の周辺からは「今さら遅い」との声が一斉に上った。1人区で民主新人に苦杯をなめた自民前職の男性秘書は「遅すぎる。選挙の数日前まで経費の二重計上のなど新たな問題が出続け、選挙への影響は少なくなかった」と険しい表情。

 別の自民前職の秘書は「もう少し辞任が早ければ、(落選とは)違う結果になっていたかも」と漏らした。後片づけを進めていた公明前職の男性政策秘書は「今さら辞めてもしょうがない。泥棒を捕まえてから縄をなうようなものだ。(安倍内閣には)ろくな大臣がいなかった」と吐き捨てた。

 農林水産省内にも同様が広がった。松岡利勝前農相の自殺後、わずか2ヶ月余りで2度の大臣交代劇。ある幹部は「2日から牛肉輸入問題の協議などのために訪米する予定だったのに。どうなるのか」と重い口調。大臣官房の職員は「短期間に2度も大臣が代わるとは。役所に対する国民の信頼がまた低下する」と頭を抱えた。

 事務所経費問題は政治団体「赤城徳彦後援会」が農相の実家を事務所としながら、毎年多額の経常経費を計上していたことが発端。人件費や事務所費、光熱水費などの合計は2005年までの10年間で約9000万円に上った。実体が疑問視されたが、農相は「活動拠点の1つ」と弁明。「二重計上などはない」と断言したが、その後「自民党茨城県第1選挙区支部」の郵便代を後援会に二重計上していたことが発覚し農相は報告書を訂正した。また顔を大きなばんそうこうを張った姿で閣議に出席。理由を聞かれても明確に答えず「説明できない大臣」の印象が強まり、自民大敗につながった。」(19面)



(2) 毎日新聞平成19年8月1日付夕刊6面

解説:赤城農相更迭 遅きに失した決断 首相の求心力に影響

 赤城徳彦農相の今回の辞任劇は、安倍晋三首相の主導によるものとはいえ、遅きに失したものだ。参院選への影響が拡大してから辞任したことで後手に回った首相の判断を問う声は与野党から出ており、参院選惨敗で揺らぐ安倍政権には手痛い追い打ちとなった。

 首相は31日夜、官邸で記者団から農相更迭について問われ「赤城大臣も含めて人心を一新していく」と更迭を否定。改造・役員人事で農相を留任させないことで事実上の更迭とする考えを示し、農相を擁護した。参院選惨敗にもかかわらず首相が続投表明したことに賛否両論が出るなか、首相がここで農相更迭に踏み切れば、「責任を農相だけに押しつけていると受け取られかねない」(自民党閣僚経験者)との判断もあったとみられる。だが1日午前になって急に、事実上の更迭を決断した。ご都合主義と言われても仕方がない。

 安倍内閣では、昨年12月に佐田玄一郎前行政改革担当相が不透明な事務所費処理で辞任。松岡利勝前農相は事務所の光熱水費問題などで批判を浴びたが、首相は「法にのっとり適切に処理している」と擁護。松岡前農相は5月28日に自殺した。久間章生前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言でも、首相は当初は問題視しない姿勢を示した。赤城農相についても、度重なる事務所費問題や顔にばんそうこうを張った説明を拒んだ対応などが世論の厳しい批判を受けたが、首相は「さらに説明が必要なら本人がすべきだ」との考えを示しただけだった。今回の事態に公明党の漆原良夫国対委員長は「今さら何やってるんだと言いたい」と怒っており、改造人事を控えた首相の求心力に影響することは避けられない。【佐藤千矢子】

毎日新聞 2007年8月1日 東京夕刊」



(3) 朝日新聞平成19年8月1日付夕刊13面

◆トカゲのしっぽ切りだ――政治評論家の森田実さんの話

 安倍首相が前日「赤城農水相も含め、内閣改造を考える」と言い切った時点で、赤城氏は「辞表を持ってこい」と言われたようなもの。生き延びたい安倍首相本人によるトカゲのしっぽ切りでしかない。確かに自分の疑惑を晴らすことを拒んだ赤城氏も悪いが、根本的には参院選の結果に責任をとろうとしない安倍首相の問題だ。これまでも同僚政治家をつぶし、自殺者まで出した。政治のリーダーが最もしてはいけないことを、安倍首相は始めている。


◆「国民に迷惑」なぜ言えぬ――ジャーナリストの斉藤貴男さんの話

 佐田行革相が事務所日問題で辞めたのに、赤城農水相が辞めずにいたこと自体がおかしかった。そんな大臣をかばい続けたことで参院選に大敗し、安倍首相の傷が広がったが、とうとうどうにもならなくなったのだろう。程度が低すぎる。辞める時にも「選挙の責任をとって」という形だが、「国民に迷惑をかけた」とすら言えないお粗末さ。安倍政権の閣僚は自分たちのメンツと地位だけにこだわり、次々自爆していった。ほとほとあきれる。」




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