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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2007/05/31 [Thu] 23:59:33 » E d i t
がんの疑いのある腫瘍があった腎臓の移植手術について、執刀医の秋田大学医学部付属病院の羽渕友則教授と溝井和夫病院長が、5月28日、記者会見を行いました。羽渕友則教授は、「当時は倫理的に問題があると思わなかった。社会問題化した今では第三者機関や倫理委員会などの審査にはかる必要があると思う」と話しました。この報道について紹介したいと思います。
「秋田大学医学部付属病院で、がん疑いの腎臓移植を実施」の記事の続報となります。


1.まず報道記事から。

(1) YOMIURI ONLINE(地域 秋田)(2007年5月29日)

「当時はベストな方法」 がん疑いの腎移植

◆秋田大付属病院 執刀医ら強調

 秋田大学付属病院で、がんの疑いのある腫瘍(しゅよう)が見つかった腎臓を親子間で移植した問題で、執刀した羽渕友則教授が28日、同病院で記者会見し、手術の経緯や、病院内の倫理委員会に申請しなかった理由などを説明。「ベストな方法だった」と妥当性を強調した。一問一答は次の通り。

 ――なぜ倫理委にかけなかったのか

 「(学会指針で申請対象外の)親子間の移植であり、諮るべき課題があるとは考えなかった。当時は医学的にベストな方法を考えれば、それで良いと考えていた」

 ――過去に倫理委にかけた例は

 「多くの症例があるので、結石や奇形といった例はあります。生体間移植の場合、臓器提供者を守るために、悪い方の腎臓を提供するのが普通です。だから、倫理委に通さなくても良い。腫瘍(しゅよう)が見つかった例は今回が初めて」

 ――今回の移植に問題はなかったのか

 「医学的には妥当だと考えています。宇和島徳州会病院(愛媛)の事件がなければ、医学界で議論があるだろうとは思います。今回は社会が注目しているので、透明性が必要になるのは仕方がない。移植医療自体が間違ったことをしているわけではない。こういった事例が移植医療の足を引っ張るということにならないように祈っている」

(2007年5月29日 読売新聞)」



(2) 秋田魁新報(5月29日)

「当時の判断妥当」、がん疑いの腎移植 秋大病院、執刀医ら説明

 秋田市の秋田大学医学部付属病院でがんの疑いがある腎臓を60代の母親から30代の息子へ移植していた問題で、執刀した羽渕友則教授が28日、同大医学部で会見し、「母親の腎臓を摘出した段階で腫瘍(しゅよう)が良性と分かったため、患者の同意を得て移植に踏み切った」と説明した。

 羽渕教授は、事前に倫理委員会を開かなかったことについて「患者も移植を強く望んでおり、われわれがベストな判断をしてあげればいいと思った」と振り返った。

 ただ、移植は宇和島徳洲会病院(愛媛県)の万波誠医師らによる病気腎移植が発覚した昨年11月以前に行われており、「当時は移植専門医と高度な医学的判断をした上でゴーサインを出した。社会問題となった現在は、第三者機関などへの相談が必要と考えている」と述べた。

 会見に同席した溝井和夫病院長は「当時の判断としては妥当」とした上で、今後、特殊な生体腎移植を行う場合は移植専門の第三者機関に相談し、さらに院内の倫理委員会で是非を判断するという2段階の審査を行う方針を示した。

(2007/05/29 08:30 更新)」



(3) 朝日新聞は報道しないのかと思っていましたが、asahi.com(マイタウン秋田)(2007年05月29日)で掲載しましたので、紹介しておきます。

腎臓 母子間で移植
2007年05月29日

 秋田市の秋田大学付属病院(溝井和夫院長)で昨年9月、がんの疑いのある腫瘍(しゅ・よう)が見つかった母親の腎臓を、腫瘍を取り除いて息子に移植する手術をしていたことがわかった。「良性の腫瘍でも、絶対安全とは言えない」などと説明し、同意を得ていたという。腫瘍はその後がんでないことが確定し、2人の経過は良好だという。同院が28日記者会見し、「当時としては最良の選択だった」と説明した。

 同院によると、手術は昨年9月26日に行われ、60代の母親の左腎臓を、腎不全だった30代の息子に移植した。

 同院は手術前の昨年6月、CT検査で母親の左腎臓にがんの疑いがある腫瘍(直径約2センチ)を発見。ただ臓器提供者がほかにいなかったほか、米国の文献などから、腫瘍が良性なら、移植しても問題ない場合が多いとして移植を決めた。

 母親の右腎臓には腫瘍がなかったが、腫瘍のある方だけ残せば母親に影響が出るとして、左腎臓を移植することにしたという。

 手術は泌尿器科の羽渕友則教授らが担当。手術の前に、通常の同意手続きに加えて特別な書面をつくり、息子から署名で同意を得た。院内の倫理委員会などには諮らなかったという。

 同院は母親から腎臓を摘出後、迅速病理診断で「悪性でない」と判断。再度息子に口頭で説明して移植した。腫瘍が悪性なら移植をやめ、破棄することにしていたという。腫瘍はその後、がんでなかったことが確認された。

 男性は05年に腎不全となり、06年4月以降は週3回の血液透析を受けていた。仕事をしていたことなどから、腎移植を強く望んでいたという。

 愛媛県の宇和島徳洲会病院では、万波誠医師が、病気がある腎臓を治療目的で患者から摘出し、別の腎臓病患者に移植して問題となった。

 今回は、腎臓を息子に提供したいという母親の腎臓に腫瘍が見つかったというもので、万波医師らのケースとは異なるという。

 羽渕教授は「迷う症例だったが、当時は医学的にベストな方法を選べばいいと思い、倫理委員会にかけるといったことは考えなかった」と説明。その上で、「この事例の後、(病気腎移植が)社会的に問題になったので、今後は倫理委員会にかけるべきものかもしれない」と話している。」



2.幾つかの点について触れていきます。

(1) 

「羽渕教授は、事前に倫理委員会を開かなかったことについて「患者も移植を強く望んでおり、われわれがベストな判断をしてあげればいいと思った」と振り返った。」(秋田魁新報)


この点が、一番のポイントかと思います。

移植手術が妥当かどうかは、<1>患者が移植を希望する意思があることと、<2>(優秀な)医師がベストな判断をすることの2点だということです。この2点さえ十分であれば、倫理委員会は必要なく、透明性も不要なのです。

<1>の点は、どのような医療行為を選択するかは患者の自己決定権に委ねられているから必要であり、<2>の点は、(優秀な)移植専門医と高度な医学的判断を行って妥当性があれば、医学上問題がないからです。さらに言えば、医療契約は医師と患者との間の契約ですから、倫理委員会は契約上無関係だからいらないのです。

<1><2>の点は、今回のような特殊な生体腎移植の場合について述べたものですが、病気腎移植(治療目的で摘出した腎臓の移植)でも同じでしょう。特殊な生体腎移植も病気腎移植も、移植を受ける側としては「病気腎」の移植を受ける点では全く同じだからです。

「手術は泌尿器科の羽渕友則教授らが担当。手術の前に、通常の同意手続きに加えて特別な書面をつくり、息子から署名で同意を得た。院内の倫理委員会などには諮らなかったという。

 同院は母親から腎臓を摘出後、迅速病理診断で「悪性でない」と判断。再度息子に口頭で説明して移植した。」(朝日新聞)


がんの疑いがあったため特別な書面もつくっていますが、迅速病理診断で「悪性度の高い紡錘細胞がんではない」と判断し、最後は、口頭の同意で移植したのですから、インフォームドコンセントとして重要なことは、書面化することではなく、口頭での説明と同意であるという意識があるのだと思います。

これに対して、日本移植学会の幹部は、ともかく書面化することだけこだわって、書面がないとして万波医師を非難していましたが、そういう書面へのこだわりは、インフォームドコンセントの意義を根本的に間違えているのではないでしょうか? 


(2) 

「会見に同席した溝井和夫病院長は「当時の判断としては妥当」とした上で、今後、特殊な生体腎移植を行う場合は移植専門の第三者機関に相談し、さらに院内の倫理委員会で是非を判断するという2段階の審査を行う方針を示した。」


今後は、2段階の審査を行うようです。

しかし、手術は「まず母親の左腎を摘出して腫瘍をくり抜き、顕微鏡による迅速病理診断を実施」して、悪性度の高い紡錘細胞がんではないことが分かって、「改めて長男に口頭で説明。同意を得た上で移植した」(産経新聞平成19年5月26日付朝刊1面)のです。時間があったら迅速病理診断に止めることはないのですから、移植専門の第三者機関に相談する時間があるのだろうかと、思います。そうなると、手術実施前に、大雑把に審議してもらうだけになるだけで、形式的な審議にとどまるかと思います。意味があるのか否か不明ですが。

問題は「移植専門の第三者機関」の審査を求めるとのことですが、この第三者機関とは日本移植学会のことかもしれません。もしそうだとすると、病腎移植問題について日本移植学会から派遣された医師らは、臨床経験が乏しく十分な専門的知識を備えているとはいえなかったので、「移植専門の第三者機関」の審査は、無意味のように思えます。

「今回は社会が注目しているので、透明性が必要になるのは仕方がない。」


病腎移植問題をやたらと騒ぎ立てた日本移植学会と報道機関により、透明性確保というお題目を満たすため、「仕方なく」無意味な手続きを経ることになるようです。

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2007/05/30 [Wed] 22:39:43 » E d i t
5月29日午前5時15分ごろ、緑資源機構の前身にあたる旧森林開発公団元業務担当理事の山崎進一さん(76)が、飛び降り自殺しました。神奈川県警によると、元理事は午前4時半ごろに起床し、妻と一緒に新聞を読み、妻が「今日は松岡前農水相の自殺のニュースばかりだね」と声をかけると、元理事はうなずいていたという。その後、同じマンションの5階にある自宅を出たようです。元理事は旧公団の林道事業などで官製談合の枠組みを最初に作ったとされています(朝日新聞5月29日付)。

松岡氏の地元熊本県では今月中旬、有力支援者が自殺していましたし、連日の自殺報道になっていますが、今日も触れたいと思います。
 

1.報道記事と社説など幾つか。

(1) 朝日新聞平成19年5月30日付「社説」

緑資源の闇―疑惑は深まるばかりだ

 また自殺者が出た。官製談合事件が明るみに出た独立行政法人「緑資源機構」の前身、旧森林開発公団の元理事で、談合の指南役ともみられていた人物だ。

 前日、松岡利勝農林水産相が自殺したばかりである。いずれも、事件が自殺の直接の動機になったのかどうかはまだはっきりしない。ただ、東京地検特捜部は元理事の自宅を捜索し、参考人として事情を聴いていた。

 事件との関連は分からないが、松岡氏の地元熊本県では今月中旬、有力支援者が自殺している。相次ぐ自殺は何を物語るのだろうか。

 今回の談合事件の構図は、農水省や外局の林野庁の天下り先である緑資源機構が、同じく天下り先の公益法人や民間コンサルタント業者に仕事を割り振っていたというものだ。

 東京地検特捜部が先週、独占禁止法違反の疑いで、緑資源機構の現職理事ら6人を逮捕した。

 疑惑は、逮捕容疑となった林道整備事業の調査業務だけにとどまらない。松岡氏の地元の熊本県小国町などで、機構が手がけた農用地や森林の整備事業でも、同様の談合があった疑いがもたれている。しかも、こちらの事業費は約270億円と巨額にのぼる。

 自殺は痛ましい出来事である。だが、それによって、始まったばかりの捜査が頓挫することがあってはならない。検察は粛々と、農林土木事業にまつわる腐敗を解明すべきだ。

 松岡氏の自殺後、安倍首相は記者団にこう語った。「緑資源機構に関しては捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行う予定もない』との発言があったと聞いている」

 しかし、農林族議員であった松岡氏は、今回の事件で摘発された業者側から多額の政治献金を受けていた。首相は「故人の名誉のため」と強調したが、捜査に予断を与えかねない軽率な発言だ。立場をわきまえるべきだろう。

 受注業者を割り振る仕組みは旧公団時代から連綿と続いていた。その枠組みを作ったとされるのが、自殺した元理事だ。逮捕された現職理事らに談合のやり方を教えていたとみられている。元理事は、松岡氏ら農林族議員に献金してきた業界団体の幹部でもあった。

 談合を通じて受注先から政治家に献金が流れる仕組みはなかったか。あったとすれば、税金の政治家への還流である。元理事はそうした事情を知る立場にあったのかもしれない。巨額の農林土木事業などで談合はなかったのか。闇は深まるばかりだ。

 これまでも汚職事件などで、取り調べを受けた関係者が自殺することがあった。76歳の元理事は連続4日目の聴取を前に命を絶った。無理な捜査はなかったか。検察は自殺と捜査との関連も調べて明らかにするべきだ。」



(2) 朝日新聞平成19年5月30日付「天声人語」

 「工事のクレーン、高速道路、チラシ配り、カラス。朝の冷気の中で都会の音が次々と目を覚まし、何事もなかったように「翌日」が始まった。東京・赤坂の路地に立ち、戦後初めて、現職大臣が自殺した議員宿舎の部屋を見上げる。重い不在である。

 松岡利勝さんは、何も語らぬまま逝った。便箋(びんせん)1枚に記した国民と後援会あての遺書は「私自身の不明不徳」「ご迷惑」「お騒がせ」といったおわびで、一連の疑惑には触れていないという。言葉が命の政治家として、厳しいようだが最もふさわしくない身の処し方ではないか。

 ナントカ還元水も、緑資源機構の談合事件も、政治の本質に触れる話だ。松岡さんは捜査対象ではなかったと安倍首相は語るが、参院選を前に幕引きを急げば、彼の死はあらゆる意味で無駄になる。

 死をもっての清算を了とするような政治や社会は退化する。故人の断に粛然としながらも、62歳の男性を悼むことと、閣僚の見識を問うことはきっちりと分けたい。疑惑に正面から反論できないのなら、真実を語って辞めるか、辞めて真実を語るか。責任を果たす道はこれしかなかった。

 松岡さんの後を追うように、今回の談合事件で家宅捜索を受けた元公団役員が身を投げた。闇の中で永遠に黙してしまうのは、社会正義に背を向けるも同じだ。

 赤坂一帯は、江戸時代の武家屋敷により発展した。南町奉行、大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)の邸宅もあった。大岡裁きなら「死んで花実が咲くものか」と諭すところではないか。「生きて、語れ」と背中を押して。」



(3) 東京新聞平成19年5月30日付朝刊1面

 「無念、伝わる 松岡氏遺書で首相
2007年5月30日 朝刊

 安倍晋三首相は二十九日夜、首相官邸で記者団に対し、自殺した松岡利勝前農相が首相にあてた遺書の内容を明らかにした。 

 首相は「(文章は)大変短かった。『ありがとうございます』の言葉と、日本の農政について、この道を行けば必ず発展をしていくという趣旨のことが書かれていた。松岡氏の大変無念な気持ちが伝わってきた」と説明した。事務所費問題への言及については「なかった」と述べた。

後援会あてなど 遺書と文面判明
 松岡利勝前農相が残した遺書八通のうち、農林水産省のA4判の便せんに記された「国民の皆様 後援会の皆様」あての遺書と、発見者のために記されたとみられる文面の内容が関係者の話で分かった。内容は以下の通り。

国民の皆様 後援会の皆様

私自身の不明、不徳の為、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫び申し上げます。

自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。

なにとぞお許し下さいませ。

残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。

安倍総理 日本国万歳

平成19年5月28日      松岡利勝

家族への手紙は、女房が分かるところにありますので、ぜひ探さないで下さい。

女房が来るまでは、どこにも触れないで下さい。」




2.松岡氏の遺書を見ると、「自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせて」とし、「残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます」としていることからすると、触れられたくない点まで探られることを、自分が死んで口を閉ざすことによって、防いだものといえます。 具体的に特定しているわけではないので、はっきりしませせんが、事件の広がりと重大さを考えると、おそらくは、緑資源機構の談合事件を特に念頭においたものと思われ、その点について「皆様方のお情け」、すなわち捜査を終結させてほしいと願って書いたものと推測できそうです。

独立行政法人「緑資源機構」の前身、旧森林開発公団の元理事で、談合の指南役ともみられていた人物が、松岡氏の自殺に続いて自殺したのも、松岡氏が「触れられたくない点まで探られることを、自分が死んで口を閉ざす」道を選んだと感じて、自殺したのでしょう。

「「安倍総理 日本国万歳」。こういう言葉を堂々と遺書に記せる思考回路について考え込む。心中を察するに余りあるが、四面楚歌(そか)の連隊長が玉砕する場面を連想してしまう。」(毎日新聞平成19年5月30日付朝刊1面「近事片々」


確かに、「玉砕する場面を連想してしまう」面があり、悲壮感が漂う言葉と受け取れます。ただ、気になるのは、国民に向けての遺書であって、安倍首相あての遺書もあるのに、なぜ「安倍総理 日本国万歳」と記したのでしょうか? 国民に向けての遺書を装っても、結局はあくまでも安倍首相向けであり、逝く際にも忠節を尽くすのかと、哀れを感じます。

しかし、安倍首相はそこまで忠節を尽くすほどの人物でしょうか? 年金問題で支持率が激減したら、慌てて「年金時効撤廃特例法案」を強行採決を指示し、党首討論では、できもしないのに1年で5000万件を調査すると明言し、国民は年金に強制的に加入させられ、保険料を払わなければ、差し押さえを受けるのに、肝心の「消えた年金」について立証責任が誰にあるのかはっきりしないのです。

松岡氏は、鈴木議員だけでなく、地元の支持者にも「答弁を止められている」と述べているように(テレビ報道より)、自民党は口止めを行い、追い詰めたのです。

「死をもっての清算を了とするような政治や社会は退化する。故人の断に粛然としながらも、62歳の男性を悼むことと、閣僚の見識を問うことはきっちりと分けたい。疑惑に正面から反論できないのなら、真実を語って辞めるか、辞めて真実を語るか。責任を果たす道はこれしかなかった。

 松岡さんの後を追うように、今回の談合事件で家宅捜索を受けた元公団役員が身を投げた。闇の中で永遠に黙してしまうのは、社会正義に背を向けるも同じだ。

 赤坂一帯は、江戸時代の武家屋敷により発展した。南町奉行、大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)の邸宅もあった。大岡裁きなら「死んで花実が咲くものか」と諭すところではないか。「生きて、語れ」と背中を押して。」



「死をもっての清算を了とするような政治や社会」、「上役など他の人まで追及されることや、触れられたくない点まで探られることを、自分が死んで口を閉ざすことによって、防ごうとする社会」、「自殺に追い込んだ自民党・安倍首相に対して最後まで忠誠を尽くす態度をよしとする社会」……から、脱却すべきではないかと思うのです。

「死んで花実が咲くものか」


この言葉をもう1度強調しておきたいと思います。

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2007/05/29 [Tue] 23:59:54 » E d i t
松岡利勝農相が5月28日午後、東京都港区の衆院赤坂議員宿舎の自室で自殺を図って死亡したとの報道がありました。現職閣僚では、陸軍出身の阿南惟幾陸相がポツダム宣言受諾に反対して割腹、1945年8月15日に死亡しており、「統計はないが、阿南陸相以来で戦後初めてだろう」(衆議院事務局)と言われています(2007/05/29付 西日本新聞朝刊)。この報道についてふれてみたいと思います。(6月1日追記:慙愧に耐えないについて間違いではないかと指摘した、読売新聞の記事を追記)。


1.まず報道記事をいくつか。

(1) 毎日新聞平成19年5月28日付夕刊

 「松岡農相:議員宿舎で首つり自殺 事務所費問題で批判

 28日午後0時18分ごろ、東京都港区の衆院赤坂議員宿舎の自室で松岡利勝農相(62)が倒れているのを迎えに行った秘書官らが見つけ、警察に通報した。首つりによる自殺を図ったもので、救急隊員らが現場で応急処置をした後、午後1時に東京・慶応大病院に運んだが、午後2時に死亡が確認された。松岡農相は自らの事務所の政治資金問題や、官製談合事件が告発された農水省所管の「緑資源機構」の関連団体からの献金問題で野党から追及され、世論からも批判を浴びていた。

 警察が詳しい状況を調べているが、農相はリビングのドアのちょうつがいに犬の散歩用のひもをひっかけて首をつっていたという。また午前10時に農相の警護の警察官(SP)と話していたことが分かっており、その後自殺を図ったとみられる。

 松岡農相は自らの資金管理団体の事務所の光熱水費をめぐる不明朗な処理で世論の批判を受け、野党から追及されていた。安倍晋三首相は「法的な責任を果たしている」と擁護していた。しかし、官製談合事件で刑事事件に発展した緑資源機構の関連団体から献金を受けていたことも発覚。自民党内からも辞任を求める声が出ていた。

 松岡農相は衆院熊本3区選出。1990年、衆院選に立候補し初当選。05年に6選を果たし、昨年9月の安倍内閣発足時に農相に就任した。(以下、略)」



(2) サンケイスポーツ(2007年05月29日 更新)

 「地元・熊本にも衝撃…阿蘇の実家では泣き崩れる母の姿

 松岡農相が自殺した28日、地元の熊本県に衝撃が走った。熊本3区の選出で、衆院に連続6期当選。有力者の突然の死に「なぜ」の声が上がり、阿蘇市の実家では母親(86)が「ああっ」と泣き崩れた。農相が最後に立ち寄ったのは26日。「お母さん、体を大事にしてください」と声をかけたという。

 幼なじみの阿部樹範阿蘇市議(57)によると、わずか15分の“帰省”だったが、仏壇を拝んで墓参りをした。突然の悲報に独り暮らしの母、ハルコさんは「自殺ですか?」と声を震わせ、「ふだんは元気だった。仏壇にも毎日、利勝さんが元気にとお祈りしておりました」と話すと涙が止まらなかった。

 県政界にも波紋が広がった。自民党熊本県連の古閑三博会長(74)は、26日に元県議の慰労会に出席した松岡農相の姿を「いつもの迫力がないように見え、少しお疲れなのかと思った」と振り返った。別の元県議は「『ナントカ還元水』の問題が起こった時に、安倍首相が農相を辞任させておけば、こんなことにはならなかった」と憤りを隠さなかった。」



(3) 毎日新聞2007年5月28日21時19分(最終更新時間5月29日1時15分)

 「松岡農相自殺:首相の擁護裏目 参院選に影響必至

 安倍晋三首相は、松岡利勝農相が緑資源機構の談合事件に絡む政治献金を受け取っていた問題や光熱水費疑惑で与党内から辞任要求が出ても、擁護し続けた。柳沢伯夫厚生労働相が「産む機械」発言や公的年金の支給漏れ問題で批判を浴びていることから、「辞任ドミノ」を招き政権が弱体化しかねないと懸念したからとみられる。だが自殺という結末を迎え、首相の対応は裏目に出た形だ。

 昨年9月の安倍政権発足直後から松岡農相に関する疑惑は絶えなかった。特定非営利活動法人(NPO法人)申請を巡り松岡農相の秘書が内閣府に審査状況を照会していた疑惑や、自らの資金管理団体による巨額の光熱水費疑惑、農水省所管の独立行政法人・緑資源機構の官製談合事件に関連した談合法人から献金を受け取っていた問題などが次々に浮上。そのたびに首相は「法にのっとり適切に処理していると報告を受けている」と松岡農相をかばった。

 安倍内閣では、昨年末に本間正明前政府税調会長が公務員宿舎入居問題、佐田玄一郎前行政改革担当相が不透明な事務所経費問題で相次いで辞任し、内閣支持率が急落した。だが年が明けて首相は、「女性は産む機械」と発言した柳沢厚労相を擁護。首相官邸筋は「閣僚を1人辞めさせれば『辞任ドミノ』が起きる。柳沢氏を守り切ったのは大きい。松岡農相もここまで来たら辞めさせられない」と松岡農相擁護の方針を一貫して強調した。

 自民党町村派の幹部が「地方を回れない農相、都会を回れない厚労相を抱えていては、参院選は厳しい」と参院選前の内閣改造に絡めて両閣僚を更迭するよう進言しても、首相は笑って聞き置くだけだったという。

 だが各種世論調査で3~4月に内閣支持率が横ばいや上昇に転じ、「首相のぶれない姿勢が評価された」と首相周辺が喜んでいたさなか、公的年金保険料の大量の納付記録が不明になった問題で支持率が急落。松岡農相の自殺が重なり、政権の受けた打撃は計り知れない。「本当にショックだ」(首相周辺)、「首相にはかばい過ぎた責任がある」(津島派幹部)、「参院選にどう跳ね返るかわからない」(町村派若手議員)との見方が錯そうしている。【佐藤千矢子】

毎日新聞 2007年5月28日 21時19分 (最終更新時間 5月29日 1時15分)」



(4) 時事ドットコム(2007/05/29-15:52 )

「国対の指示でしゃべれない」=鈴木宗男議員、松岡前農水相の発言紹介

 鈴木宗男衆院議員は29日午後、自殺した松岡利勝前農水相が自身の事務所費などの不透明な処理に関し「国会対策上、黙っているのが一番だと言われているし、今は自分はしゃべれない」という趣旨の発言を鈴木氏にしていたことを明らかにした。都内で記者団に語った。

 鈴木氏は松岡氏と親しく、今月24日夜に会食した。松岡氏の発言は、その席で国民に謝罪するよう進言した鈴木氏への返答。松岡氏は「政府も方針は決まっているし、また変えたりするとおかしくなるから言えない」とも語ったという。

 鈴木氏は自身のホームページでも「今は黙っていた方がいいと国対からの指示なのです。それに従うしかないんです」と松岡氏の発言を紹介している。

 これに関し、自民党の中川秀直幹事長は29日午前の記者会見で「国対に確認したが、そういう事実は一切ない」と否定した。」



(5) 東京新聞平成19年5月29日付夕刊11面

 「問題に背向ける――社会評論家の赤塚行雄・中部大名誉教授(文芸社会学)の話

 重大な問題が降り掛かったとき、問題を暴いて闘う文化もあるはずだが、近年の日本では上役など他の人まで追及されることや、触れられたくない点まで探られることを、自分が死んで口を閉ざすことによって、防ごうとするケースが多いように思う。今の日本では、問題に立ちははだかると袋だたきに遭い生きていけなくなると思うのだろう。問題に背を向けた自殺を周囲も「ばらさないで犠牲になってくれた」と受け取る。こうした行為は、一層暗さを感じる。」




松岡農水相は、5月25日の昼、2日後に東京競馬場で開かれる第74回日本ダービーへの来賓としての出席を直前にキャンセルし、26日夜、熊本市内の料亭で懇親会に出席し、「1年に1本くらい吸うんです」といって珍しくたばこを吸いました。さらに阿蘇市の実家に26日に立ち寄り、15分の“帰省”をして、「お母さん、体を大事にしてください」と声をかけ、仏壇を拝んで墓参りをしたということだそうです。そうすると、25日の段階で自殺を決意し、死への準備を行っていたように思われます。

しかし、親よりも先に、それも自ら命を絶つのですから、これ以上の親不孝はありません。自殺を決意するのではなく、農水相の辞任を決意して捲土重来を期してほしかったと思います。

もっとも、安倍首相は、「辞任ドミノ」を招き政権が弱体化しかねないと懸念したため、「女性は産む機械」と発言した柳沢厚労相を擁護し、さらには「松岡農相もここまで来たら辞めさせられない」と松岡農相擁護の方針を一貫して強調していました。これでは、柳沢厚労相でさえ辞任させなかったのですから、松岡農水相は苦しさから辞任しようと思っても辞任することは困難でした。

しかも、24日、鈴木議員に対して松岡氏は「政府も方針は決まっているし、また変えたりするとおかしくなるから言えない」とか、「今は黙っていた方がいいと国対からの指示なのです。それに従うしかないんです」と語っていたそうです。この指示が安倍首相の意向かどうかは分かりませんが。

辞任したくても辞任できない、話すこともできず、安倍首相による期待にも応えなくてはならないというのでは、まったく逃げ場を失ってしまったのです。結果として、安倍首相が松岡農水相を自殺に追い込んでしまったことになります。

自民党熊本県連の元県議が「『ナントカ還元水』の問題が起こった時に、安倍首相が農相を辞任させておけば、こんなことにはならなかった」と憤りを隠さなかったと述べたことも、多くの人が共感できると思います。

松岡農水相の自殺は、「ばらさないで犠牲になってくれた」と受け取る方もいるのでしょう。松岡氏が自殺したことで、政府の方針は維持され、独立行政法人「緑資源機構」の官製談合事件と松岡氏とのつがなりが分からなくなってしまったのですから。

「問題に立ちははだかると袋だたきに遭い生きていけなくなると思う」日本から、「重大な問題が降り掛かったとき、問題を暴いて闘う文化」に変わるのは何時の日のことになるのでしょうか?
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2007/05/28 [Mon] 07:23:04 » E d i t
秋田大学医学部付属病院(秋田市)で平成18年9月、がんの疑いのある腫瘍があった腎臓を、腫瘍を切除した上で移植する生体腎移植が行われていたことが、5月26日、産経新聞の報道で明らかになりました。病院側は手術前、がんだった場合には転移する恐れもあることを患者に文書で説明し、同意を得た上で実施したそうです。秋田大病院の溝井和夫病院長(56)が同日、記者会見を行い、この事実を明らかにしました。
がんの疑いのある腎移植が明らかになったのは、宇和島徳洲会病院の万波誠医師らによる病気腎移植のケース以来です。担当した泌尿器科の羽渕教授は、米国に出張中で27日に帰国する予定だそうです。
この報道についてコメントしたいと思います。(5月28日追記:ドナーとレシピエントを書き違いしていたため訂正。)


1.まず、報道記事から。

(1) 産経新聞平成19年5月26日付朝刊1面(2007/05/26 08:12)

がん疑いの腎臓移植 母子承諾、術後「良性」 秋田大病院

 秋田大学医学部付属病院(秋田市)で昨年9月、がんの疑いがある腫瘍(しゅよう)の見つかった母親(64)の腎臓を摘出し、腫瘍を切除した上で長男(39)に移植する生体腎移植を行っていたことが分かった。移植後の組織検査の結果、腫瘍は良性と判明したが、病院側は事前に、がんだった場合は転移の可能性がゼロではないことを文書で患者に説明し、同意を得て実施していた。病院は「がんであっても、形状などから転移のリスクは低いと判断した」としている。



 昨年11月に表面化した宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)などの病腎移植例以外で、がんの疑いのある腎移植が表面化したのは国内では初めて。厚生労働省は、がんの病腎移植を一般医療で行うことを禁じる指針作りを進めている。

 大学によると、長男は平成17年、慢性腎炎が悪化して腎不全となり、18年4月には週3回の血液透析が必要となった。既婚で子供が3人いるが、働けない状態となり、移植による腎機能回復を強く望んだという。

 母親が提供に同意したが、CT検査の結果、左腎臓にがんの疑いがある直径約1センチの腫瘍があることが同年6月に判明。腫瘍のない右の腎臓を移植すれば、母親が腎不全に陥る恐れがあるため、病院側は左腎移植の可能性を模索した。米国の文献などを参考に、腫瘍の大きさや形状から、悪性度の低い「明細胞腺がん」か「乳頭状腺がん」であれば、部分切除で転移の可能性が低いと判断した。泌尿器科の羽渕友則教授が最終判断し、第三者による倫理審査などは行わなかったという。

 病院側は手術に先立ち、通常の生体腎移植の患者に対する説明・同意手続きのほかに、がん転移のリスクに関する追加説明文書を作成し、同意署名を得た。

 手術は昨年9月26日に実施。まず母親の左腎を摘出して腫瘍をくり抜き、顕微鏡による迅速病理診断を実施。その結果、悪性度の高い「紡錘(ぼうすい)細胞がん」ではないことが分かり、改めて長男に口頭で説明。同意を得た上で移植した。

 移植後の病理診断で、腫瘍はがんではなかったことが確定した。

 長男の腎機能は回復し、母親の経過も良好という。

 羽渕教授は、「腎がんにもいくつかの種類がある。指針には従うが、がんの病腎移植が一律に禁止されれば、こうしたケースの患者を救うことは非常に難しくなる」と話している。」


 「ドナー不足の現実

 今回の秋田大のケースは、移植した時点でがんの疑いが否定されておらず、レシピエント(移植を受ける患者)への転移の可能性があった点で、関係学会が示す現時点の移植ルールを外れた行為だったといえる。ただ、深刻なドナー(臓器提供者)不足に陥った国内の医療現場で、がんの病腎であっても移植を受けたいと強く望む患者がいる現実を改めて示したともいえる。

 厚労省の死体腎移植の指針では、がんの腎臓移植は禁忌とされており、今回のケースも通常なら、腫瘍が見つかった段階で母親をドナーから外す。秋田大の医師らも他のドナー探しを患者に勧めたが、見つからず、最終的に移植を選択していた。

 がんの腎臓摘出手術は通常、血管経由の転移を防ぐため、最初に動脈を縛って行うが、秋田大では腎移植の術式を採用し、最初に縛らず行っていた。宇和島徳洲会病院の病腎移植のケースでは、この術式で摘出を行った点が、関係学会から「不適当」と指摘されており、秋田大も不適当だったことになる。

 だが、手術にあたり医師らは、腫瘍の所見が<1>良性<2>悪性度の低いがん<3>悪性度の高いがん―の3つの場合を想定。ぎりぎりまで移植中止の選択肢を残して臨んでいた。

 「迅速診断の段階では長男に麻酔をかけず、悪性度が高いがんとみられる場合は移植中止、それ以外は口頭説明の上で実施する方針だった」(羽渕教授)という。

 患者の願いに最大限こたえようと苦慮したことがうかがえる。

 秋田大の医師らは患者に、がんであっても種類によっては転移の可能性が低いという海外の研究報告を紹介していた。死体腎の提供を増やす努力とともに、病腎移植の研究を進めることが課題だ。(石塚健司)」 



(2) 読売新聞平成19年5月27日付朝刊(13版)34面

 「がん疑いの腎移植 秋田大病院 60代女性から長男に 

◆術後に「良性」

 秋田大学付属病院(秋田市)で2006年9月、腎不全の30歳代の男性に、がんの疑いがある腫瘍(しゅよう)が見つかった60歳代の母親の腎臓を移植していたことが26日、わかった。病院側はがんの場合は転移の危険性があると文書などで説明し、男性は同意していたとしている。

 日本移植学会の指針では親族間の生体腎移植は倫理審査の対象外だが、秋田大は「課題がある場合は病院内の倫理委員会へ申請が必要」と定めていた。記者会見した溝井和夫院長は「今回は、申請が必要なケースだった可能性がある」と述べ、担当した泌尿器科の羽渕友則教授から近く事情を聞く方針を示した。

 記者会見によると、男性が腎移植を希望し、母親が提供に応じたが、2つある腎臓のうち1つにがんの疑いがある直径1センチほどの腫瘍が見つかった。

 腫瘍がない腎臓を移植すれば、母親が腎不全になる可能性があるため、羽渕教授らが、腫瘍がある腎臓の移植を選んだ。事前の検査では腫瘍が悪性の可能性は低く、腫瘍を切除して移植した。悪性の可能性が高ければ、移植は中止する予定だったという。腫瘍は移植後に良性と判明し、ともに術後の経過は良好だという。

 腎移植をめぐっては、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)で06年11月、泌尿器疾患の患者の治療で摘出した病気腎を移植していたことが発覚。厚生労働省は今夏をめどに、病気腎移植を原則禁止する指針の運用を始めるが、今回のように、移植の際にがんの疑いがある腎臓を用いる例は規制の対象としていない。



◆解説:第三者の事前検証 必要

 秋田大病院の事例が、宇和島徳洲会病院の万波誠医師らによる病気腎移植と違うのは、母親が提供意思を示した後、がんの疑いが判明した点だ。がんなどの治療を求めた患者の腎臓を摘出、移植に利用した万波医師らと異なり、転移の危険性を文書などで説明していた。

 ただし、倫理委員会に諮らず移植に踏み切ったプロセスが気になる。脳死移植の適応基準では、悪性腫瘍の臓器は使うことはできない。この大原則は、生体腎移植を現場の医師の判断で行うに際しても、当然考慮されるべきだ。今回は結果的に良性だったが、移植段階では不明だった。危険性の度合いや決定方針について第三者に事前検証を仰ぐ時間はあったはずだ。

 亡くなった人からの腎臓提供が伸び悩むなか、生体移植は増加傾向にあり、同様の事例が他にもあるかもしれない。国や学会は、まず実態を調査し、ルールが必要なら早急に対応してほしい。(科学部・高田真之)」

(*この秋田大の腎移植に関する読売新聞のHP掲載記事は、平成19年5月26日付夕刊4版掲載のものと同じ内容ですが、27日付朝刊13版の記事内容とはかなり異なります)



(3) 日経新聞平成19年5月27日付39面

がん疑いの腎臓移植 秋田大病院 母から子へ

 秋田大病院(溝井和夫病院長)で昨年9月、悪性腫瘍(がん)の疑いがある60代の母親の腎臓を30代の息子に移植する生体腎移植を行っていたことが26日、分かった。病院側は事前に、がんだった場合は転移する可能性があることを説明、同意を得て手術していた。

 手術後の検査で腫瘍は良性と分かり、2人とも経過は良好だという。

 溝井院長によると、腎不全が悪化し移植が必要になった息子への腎臓提供に母親が同意。しかし手術前の検査で、腎臓に直径約1センチの腫瘍が見つかった。

 同大泌尿器科の羽淵(ママ)友則教授が画像診断の結果などから、腫瘍は悪性度が低く、転移の可能性が低いと判断して手術に踏み切った。さらに母親から摘出した腎臓の腫瘍を手術中に調べる迅速病理診断を実施。悪性度の高いがんである可能性が低いことを確認し、その結果を再び息子に説明、同意を得た上で、腫瘍を除去した腎臓を移植した。

 宇和島徳洲会病院(愛媛県)の万波誠医師らによる病気腎移植の発表を受け、厚生労働省は臓器移植法の運用指針に病気腎移植の原則禁止を盛り込む方向で検討中。

 ただ病気腎移植は治療上の必要から摘出した腎臓を移植する行為で、日本移植学会幹事を務める高原史郎大阪大教授は「今回は最初から移植を目的としていたのでこれには当たらない」と指摘。さらに「手術前の画像検査と術中の病理診断で慎重な検討を加えており、危険はほとんどなかった。通常の治療内容といえる」としている。


◆問題ないケース――大島伸一・日本移植学会副理事長の話

 今回は親子間で、明確に臓器提供の意思を持って行われた移植であり、基本的に問題はない。大学の倫理委員会にかけていれば、どこからも文句は出なかっただろうが、果たしてそこまで必要だったかも疑問がある。第三者から病気の腎臓を移植するという、新たな治療法の開発を目的とした宇和島徳洲会病院のケースとはまったく異なる。」



記事についてのコメントはで行いますが、大島氏の発言についてだけはここで触れておきます。面白いことに毎日新聞と他の新聞(日経・東京)で、大島氏の発言が全く違うのです。

 「大島伸一・日本移植学会副理事長は「ドナーに不利益はなかったと見られ、病気腎移植と同じではない。だが、第三者も交えた倫理委員会などで検討すべきだったと思う」と指摘している。」(毎日新聞(2007年5月27日東京朝刊26面))

「大学の倫理委員会にかけていれば、どこからも文句は出なかっただろうが、果たしてそこまで必要だったかも疑問がある」(日経新聞・東京新聞)


毎日新聞相手では、倫理委員会で検討すべきと言っておきながら、他では、必要だったかも疑問として倫理委員会での検討は必要ないというのです。同日の紙面でこうも大島氏の発言が異なると、大島氏は虚言癖があるのか、それとも毎日新聞だけが騙されたのか、どちらでしょうか? 。大島氏の発言を追っていると、訳が分からなくなりそうです。
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2007/05/26 [Sat] 23:59:41 » E d i t
山口県光市で1999年4月、会社員本村洋さん(31)の妻弥生さん=当時(23)=と長女夕夏ちゃん=同(11カ月)=が殺害された事件について、殺人罪、強姦致死罪、窃盗罪に問われている元少年(26)=事件当時(18)=の差し戻し控訴審第1回公判が5月24日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で開かれました。この報道についてコメントしたいと思います。


1.まず、裁判の争点についての報道記事を。

(1) 朝日新聞平成19年5月25日付朝刊34面

少年への死刑の適用争点 差し戻し審始まる 光母子殺害
2007年05月24日21時02分

 山口県光市で99年4月に会社員本村洋さん(31)の妻弥生さん(当時23)と長女夕夏ちゃん(同11カ月)が自宅で殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、窃盗の罪に問われている犯行時18歳1カ月の元少年(26)の差し戻し控訴審が24日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で始まった。検察側は事件の悪質性などから死刑適用を主張。弁護側は殺意を改めて否認し、複雑な家族環境から精神状態は著しく未成熟だったとして死刑回避を求めた。

 事件では、最高裁が昨年6月に「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と二審の無期懲役判決を破棄し、審理を差し戻した。少年法で死刑適用が認められる満18歳の年齢から間もなく犯行に及んだ元少年への量刑判断が最大の争点となる。

 公判では、検察側が事件の悪質性・重大性や遺族の被害感情の激しさを指摘。「18歳に達していれば保護・福祉の理念よりも厳罰による応報を優先させるべきだ」とした。一方、弁護側は傷害致死罪を主張。専門家の鑑定をもとに、犯行時の元少年の精神状態は父親の暴力や母親の自殺で著しく未成熟だったなどと指摘し、「18歳以上の者と同等に扱うのは誤りだ」と訴えた。

 次回は6月26日から3日連続で開かれる。」



(2) asahi.com(マイタウン山口)2007年05月25日

 「光母子殺害事件/差し戻し審始まる 
2007年05月25日

 広島高裁で24日あった光市母子殺害事件の差し戻し審。犯行時18歳と1カ月の元少年に死刑が適用されるのか。注目の公判が始まった。

 黒のスーツ姿の本村さんら遺族は午後1時半の開廷間際に傍聴席に着席した。本村さんは妻弥生さん(当時23)と長女夕夏ちゃん(同11カ月)の遺影を抱え、右手に白いハンカチを握りしめていた。

 裁判官3人が入廷すると、廷内の全員が起立して礼をしたが、本村さんは2回、深々と頭を下げた。着席後はじっと前を向き、時に小さく深呼吸した。元少年が入廷しても、身じろぎしなかった。

 元少年はチェック柄の半袖シャツにチノパン姿。傍聴席には視線を向けず、背を丸めながら被告人席まで進んだ。裁判長から氏名や住所を問われると、消え入りそうな高い声で答えた。「ただ今は無職です」

 公判中は発言者をじっと見つめながら、ほとんど動かなかった。休廷に入ると、弁護団と話し込んだ。閉廷後、傍聴席側に初めて顔を向け、無言で一礼したが、視線は宙を浮いたままだった。

 本村さんは会見で「目は合わなかった。合わせたくもない」と話した。

 広島高裁には正午前から大勢の報道関係者や傍聴希望者が詰めかけた。報道のヘリコプターも上空を旋回。高裁職員は誘導や交通整理に追われた。

 傍聴希望者は967人。整理券の配布を待つ長い列ができた。大学時代、法律を学んだという広島市の主婦(33)は死刑適用の可否を巡り「18歳という年齢をどうとるかに興味がある」。同市のアルバイト男性(19)は「改心の余地があるかどうかで左右されるのでは」と話した。

 パソコンによる抽選で当選した34人が法廷内に入った。

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◆「事実は事実 正確に確認」元少年の弁護団

 少年の弁護団は公判後、広島市中区の広島弁護士会館で記者会見した。一審から最高裁まで事実認定された殺害態様と異なる主張をしたことについて、主任弁護人の安田好弘弁護士は「事実は事実として、正確に確認されなければならない」と説明した。

 弁護団の人数が最高裁の時の2人から21人に増えたことについては「(高裁に差し戻した)最高裁の審理や判決について、異質で、司法への信頼を損ねる内容だと危機感を持った人たちが集まった」と語った。

 公判では弁護側は約1時間半にわたり、意見書を読み上げた。弁護団は主張の要点として(1)殺人・強姦(ごう・かん)致死ではなく傷害致死事件にとどまる(2)精神年齢、判断能力が実年齢を大幅に下回る(3)元少年は精神面で未成熟で、計画性や凶悪性は低い(4)元少年が反省と贖罪(しょく・ざい)の日々を歩みたいと願っている――の4点を挙げた。」



(3) 産経新聞平成19年5月25日付朝刊31面「意見書要旨」

【検察側】成人と区別する合理的根拠ない

 差し戻し審では最高裁判決が認定した各犯罪事実を前提とした上、情状面において、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかに焦点を当て、迅速に審理することが求められている。

 本件は強姦(ごうかん)目的で主婦を殺害した上、姦淫(かんいん)し、生後11ヶ月の乳児まで殺害したもので、その慄然(りつぜん)たる犯行はおよそ少年特有の非行行為とはかけ離れている。その責任と量刑判断において、成人と少年を区別すべき合理的根拠はない。また、少年法は精神年齢などの精神的成熟度を要件としておらず、死刑を適用する場面において、そもそも精神的成熟度を検討する必要性はまったくない。

 本件は犯罪行為自体の客観的な悪質性のほか、遺族の被害感情、社会に及ぼした影響などを適正に評価し、国民の健全な法感情を考慮して判断すれば、極刑以外に選択の余地がない。1審判決は死刑適用の判断方法を誤り、過去の裁判例と形式的に比較し、被告の更正可能性の有無に集約させた主観的感情を殊更重視して無期懲役刑に導いたものであって、著しく正義に反し不当であり、すみやかに是正されなければならない。


【弁護側】強姦殺人ではなく傷害致死罪

 弁護人はこれまでに2つの法医鑑定と犯罪心理鑑定、精神鑑定を依頼し、その結果、1審判決および旧控訴審判決はもとより、上告審判決も事実の認定や量刑に誤りがあることが明らかとなった。当公判廷において、それらの誤りを正すとともに、被告が反省し罪を償うために、今後どのように生きていこうとしているかを明らかにしたいと考えている。

 弁護人が明らかにしようとしている事実の概略は、<1>強姦殺人ではなく、失った母への人恋しさに起因した事件であり、被害者に対しては傷害致死罪にとどまる<2>被告の精神的な未発達がもたらした偶発的な事件であり、被害児に対しても殺意は存在しない<3>被告は極度の退行状態にあり、成人と同様に非難することはできない<4>被告は自分の過ちを現実感をもってとらえることができなかったが、26歳になり、反省と贖罪(しょくざい)の意を深めている―である。

 最高裁の審理は被告の弁護を受ける権利を侵害する異常にして異様なものだったと言わざるを得ない。また、永山基準を逸脱し、実質的な判例変更に該当するにもかかわらず、これを小法廷で審理、判断したことは違法である。」

 


(4) 時事ドットコム:「2007/05/24-18:54 犯行時の心理状況解明へ=元少年の差し戻し審開始-光市母子殺害・広島高裁」

 「犯行時の心理状況解明へ=元少年の差し戻し審開始-光市母子殺害・広島高裁

 山口県光市で1999年、会社員本村洋さん(31)の妻弥生さん=当時(23)=と長女夕夏ちゃん=同(11カ月)=が殺害された事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が1、2審の無期懲役判決を破棄した当時18歳の少年だった元会社員の被告(26)に対する差し戻し控訴審第1回公判が24日、広島高裁であり、楢崎康英裁判長は、弁護側が請求した被告人質問と心理学者の証人尋問を採用、犯行時の状況について審理することを決めた。

 この日の更新手続きで、死刑を求刑している検察側は「被告の反省は皆無。内面の未熟さや更生可能性など、主観的事情を強調すべきでない」という意見を述べた。

 一方、弁護側は「殺人ではなく傷害致死にとどまる。被告の精神年齢は12歳程度だ」と主張。元監察医や心理学者、精神科医の鑑定などの証拠調べを求めた。」



(5) 最高裁が昨年6月に「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と二審の無期懲役判決を破棄し、審理を差し戻したのですから、差し戻し審では、最高裁が死刑回避に必要と指摘した「特に酌量すべき事情」の有無が争点になります。

弁護側の意見書の要点としては、

「弁護団は主張の要点として(1)殺人・強姦(ごう・かん)致死ではなく傷害致死事件にとどまる(2)精神年齢、判断能力が実年齢を大幅に下回る(3)元少年は精神面で未成熟で、計画性や凶悪性は低い(4)元少年が反省と贖罪(しょく・ざい)の日々を歩みたいと願っている――の4点を挙げた。」

とされています。

(2)~(4)の点は、「特に酌量すべき事情」の有無の問題として問題することにつき、それほど問題はないでしょうが、問題なのは(1)の点です。
(1)の点は、元少年が、「最高裁判決が認定した各犯罪事実」と異なる犯罪事実を実行したことを主張するものですから、量刑の問題である「特に酌量すべき事情」の有無の問題に含まれるのか微妙だからです。

ですが、刑事手続は、真相究明(刑事訴訟法1条)も目的としているのですし、何よりも死刑かどうかという命を剥奪するかに関わるのですから生命の尊重の点からしても、(1)の点も十分に審理してほしいと思います。……本来は、(1)の点は1、2審の段階で争う方がよかったとは思いますが。

弁護側は、「元監察医や心理学者、精神科医の鑑定などの証拠調べを求めた」(時事ドットコム:2007/05/24-18:54)結果、「楢崎康英裁判長は、弁護側が請求した被告人質問と心理学者の証人尋問を採用、犯行時の状況について審理することを決めた」(時事ドットコム:「2007/05/24-18:54 犯行時の心理状況解明へ=元少年の差し戻し審開始-光市母子殺害・広島高裁」)そうです。そうなると、犯行時の状況を調べる以上、殺害の意図があったか否かも当然問題になるでしょうから、広島高裁も、(1)の点もある程度審理することを決めたものといえそうです。

そうすると「特に酌量すべき事情」の有無の具体的な争点としては、(1)~(4)の点を審理していくことになります。


「弁護団の人数が最高裁の時の2人から21人に増えたことについては「(高裁に差し戻した)最高裁の審理や判決について、異質で、司法への信頼を損ねる内容だと危機感を持った人たちが集まった」と語った。」


光市母子殺害事件判決は、少年法51条に照らすと「被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは,死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが,死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず」としたのですから、少年法51条をあまりに軽視したものであって、実質的な判例変更に該当するという理解も可能であり、小法廷で審理、判断したことは違法あるという理解も可能でしょう。

もちろん、安田弁護士らの言うような、<1>強姦殺人ではなく、失った母への人恋しさに起因した事件であり、被害者に対しては傷害致死罪にとどまる、<2>被告の精神的な未発達がもたらした偶発的な事件であり、被害児に対しても殺意は存在しないという主張が認められるかどうかについては、かなり難しいとは思います。

ですが、「弁護人はこれまでに2つの法医鑑定と犯罪心理鑑定、精神鑑定を依頼し、その結果、1審判決および旧控訴審判決はもとより、上告審判決も事実の認定や量刑に誤りがあることが明らかとなった」(弁護側意見書より)というのですから、全く客観的根拠のない主張とはいえないようです。ならば、被告人の実質的で効果的な弁護を受ける権利を守るためにも、十分な検討が必要でしょう。

被告人の実質的で効果的な弁護を受ける権利を守るためにも、「司法への信頼を損ねる内容だと危機感を持った」として、21人の弁護人が集まるのも理解できることだと思います。
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事件 *  TB: 1  *  CM: 23  * top △ 
2007/05/25 [Fri] 06:44:35 » E d i t
遊園地「エキスポランド」(大阪府吹田市)のジェットコースター事故を受けた緊急点検で、国土交通省は5月23日、全国の139施設のジェットコースター306基のうち、5施設の7基で車輪の亀裂などが見つかり、306基のうち、61施設の72基(24%)は過去に一度も微細な傷を調べる探傷試験を実施していなかったそうです(東京新聞5月23日付夕刊1面)。
この報道について紹介します。


1.朝日新聞平成19年5月23日付夕刊1面

 「ジェットコースター、4割が1年間探傷試験せず 国交省
2007年05月23日13時41分

 大阪府吹田市のエキスポランドで起きたジェットコースター死傷事故を受け、国土交通省が全国のコースター型遊具306基の点検状況を調べたところ、4割近い119基で、日本工業規格(JIS)で定められた年1回以上の車軸の「探傷試験」を行っていなかったことがわかった。これまで一度も探傷試験をしていない遊具も、4分の1にあたる72基にのぼった。JISの順守は現場で徹底されず、安全をなおざりにした「絶叫マシン」の管理実態が浮かび上がった。

 冬柴国交相は23日午前、コースター以外の遊具についても自治体を通じて緊急点検するよう指示した。

 調査は、ジェットコースターなど傾斜5度以上の高架のレールを走行する遊具がある施設を対象に、国交省が都道府県を通じて緊急点検の実施と過去の点検状況の報告を要請。18日までに139施設の306基について回答があった。

 国交省によると、設置後1年以上たつ297基のうち、車軸について過去1年以内に探傷試験を実施していなかったのは89施設119基。全施設の4分の3、全遊具の39%にあたる。仙台ハイランド遊園地(仙台市)やナガシマスパーランド(三重県)、ニューレオマワールド(香川県)、スペースワールド(北九州市)など、過去に遊具での人身事故が起きた施設でもJIS規定通りの点検を怠っていた。

 未実施の遊具の中には、東京ドームシティアトラクションズ(東京都)や鷲羽山ハイランド(岡山県)、三井グリーンランド(熊本県)といった有名な遊園地の絶叫マシンも並ぶ。市営や県営の施設もあった。

 探傷試験を一度も実施していなかったのは61施設の72基。うち設置から20年以上たつ遊具が14施設で18基あった。

 緊急点検を終えた103施設の256基のうち問題がなかったのは98施設の249基。車輪や車軸、レールに亀裂や破損があった遊具も、浅草花やしき(東京都)や多摩テック(同)の2基など5施設の計7基にのぼり、「今回の点検後に是正されたが、事故の恐れがある状態だった」(国交省)という。また、36施設の50基は点検が終わらず、現在も運行を休止している。

 調査結果は23日午前の衆院国交委員会でも取り上げられ、同省の榊正剛住宅局長は「たいへん憂慮すべき事態。JISの徹底を図りたい」と述べた。

 遊具の安全について、建築基準法は「定期的に検査を受け結果を報告しなければならない」としているものの、車軸の点検方法は政省令にも明文規定がない。JISは、探傷試験を年1回以上実施するよう定めているが、法令上の位置付けはあいまいとなっている。


<キーワード> 探傷試験

 金属部品などに生じた微細な傷や亀裂を、材料を壊さずに見つける非破壊検査。航空機や原子力発電所の部品検査などに採用されている。

 磁気の乱れから傷を見つける「磁粉探傷」染色液で傷を染める「浸透探傷」、内部の亀裂を超音波で見つける「超音波探傷」などがあり、目視での点検が難しい1ミリの亀裂も見つけられる。」 (*ネットと紙面で違うので、見出しはネットと同じだが、文章部分は紙面のものを引用した)



解説:安全意識の徹底が必要

 スリルを楽しむための前提となる安全への信頼は裏切られた。日本工業規格(JIS)に定められた「年1回以上の探傷試験」は、約4割のコースター型遊具で守られていなかった。国土交通省は規制強化を検討しているが、問題は現場の安全意識の低さにあるといえる。

 遊園地などの遊具の安全基準は1959年から建築基準法で定められた。規制の重点は構造物としての安全に置かれ、乗り物としての安全は、通達やJISによって行政指導が行われてきた。現場の安全は、定期検査の責任者「昇降機検査資格者」を中心に守れているはずだった。

 だが、エキスポランドの事故や今回の調査で浮かび上がったのは、多くの施設でのずさんな安全管理の実態だった。

 事故の再発防止に向け、国交省は「法令上のJISの位置づけがあいまいだった」と探傷試験の法令による義務化を検討している。国会などでは「時速100キロ超の乗り物の安全が建築基準法で守れるのか」と新法を求める声も出ている。

 規制強化は当面の事故防止に役立つとはいえ、法令に頼る安全は対応が後手に回りかねない。「法さえ守れば安全」との誤解も生じやすい。大切なのは、法の背後にある安全への社会的要請を認識し、それに応える自覚を持つことだ。

 問い直されるべきは、施設の経営者や現場の検査資格者が、なぜ安全に対する意識を徹底できていないのかという点であり、それを促すことができなかった国や業界もまた、反省が求められる。(本山秀樹)」



(1) エキスポランドの事故や今回の調査からすると、ずさんな安全管理体制だったのはエキスポランドだけではなく、他の多くの施設でも同じだったのです。

ジェットコースター死傷事故問題については、「「エキスポランド」ジェットコースター死傷事故問題~元業界関係者が語る“コースター事故の背景”(東京新聞5月9日付「こちら特報部」より)」で触れましたが、やはりというべきか、第二のコースター死傷事故がいつおきてもおかしくなかったわけです。


(2) 

「規制強化は当面の事故防止に役立つとはいえ、法令に頼る安全は対応が後手に回りかねない。「法さえ守れば安全」との誤解も生じやすい。大切なのは、法の背後にある安全への社会的要請を認識し、それに応える自覚を持つことだ。

 問い直されるべきは、施設の経営者や現場の検査資格者が、なぜ安全に対する意識を徹底できていないのかという点であり、それを促すことができなかった国や業界もまた、反省が求められる。」

コースターが事故を起こせば死傷者が生じるのですから、特に絶叫系コースターであれば多数の死者が生じる可能性も出てきます。そうなると、安全を強化する法令ができる否かに関わらず、コースター乗車客の安全を確保する義務を負っており、できる限り安全確保の対策を採る必要があるのです。

「問い直されるべきは、施設の経営者や現場の検査資格者が、なぜ安全に対する意識を徹底できていないのかという点」であることはもちろん必要ですし、「それを促すことができなかった国や業界もまた、反省が求められる」ことも必要です。ですが、もっとも問題となるのは、今後、施設の経営者や現場の検査資格者に対して、どうやって安全に対する意識を徹底させるか、という点でしょう。

もっとも効果的な方法としては、些細な事故であっても遊園地名と事故の状況を徹底して公表する義務を課すことだと思います。事故が多いことが明らかになれば、入場者が激減して閉園の危機に追い込まれるのですから、いやでも十分に検査をすることになるからです。下手をしたら、著名な遊園地も真実が明らかになれば、閉園の危機に追い込まれるかもしれません。
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2007/05/23 [Wed] 01:12:19 » E d i t
最近、読売新聞は「生命を問う」という表題で、医療技術が進歩したことに対して社会はどう向き合うべきか、を考えるための記事を連載しています(平成19年4月22日日曜日連載開始)。その連載記事のうち、代理出産に関する解説部分を紹介したいと思います。


1.読売新聞平成19年4月22日付23面「生命を問う 不妊治療(1)」

自然の摂理を超えるのはどこまで許されるか  生命と倫理 揺れる通念

 私たちの直面する生老病死が様変わりしつつある。医療技術が急速に進歩し、そのスピードに法律や制度が追いつかず、私たちが正しいと信じてきた社会通念までも揺さぶられる状況が生まれている。生命(いのち)と倫理のはざまで何が起き、社会はそれにどう向き合っていくべきなのか。その答えを探したい。まず不妊治療の現場から連載をスタートしよう。

 「子供が欲しくても産めない人に代わってお手伝いができれば」「自分が味わった子育ての楽しさを知ってもらうことに、少しでも協力したい」

 諏訪マタニティークリニック(長野県)の根津八紘院長が今月12日、代理母の公募を発表してから、同クリニックには、20歳代後半~50歳代前半で出産経験のある女性約20人から、電話などで申し出があった。

 根津院長は「こんなにも応募があるなんてありがたい。応募者の家族が代理出産をサポートしてくれるかどうか調査した上で、代理母を決めたい」と話す。

 東京都内で実施した記者会見には、根津院長のほか、子宮のない女性2人、無精子症の男性とその配偶者も参加。いずれも、根津院長を中心に結成した患者団体「扶助生殖医療を推進する会」のメンバーだ。

 彼女たちは、養子を迎えない限り、代理出産や夫婦間以外の体外受精など日本産科婦人科学会が会告(指針)で禁じた方法でしか子供を得ることができない。

 推進する会は、ホームページで代理出産の賛否などを尋ねるアンケートを用意している。同会の幹部は「代理出産を試みた当事者も勇気を持って会見に出席してくれた。月に3、4通だったアンケートの回答が、会見後には1日4、5通に増え、社会の関心を高めることができた」と話す。

 根津院長はこれまで5例の代理出産を行ったと明らかにしているが、代理母を努めたのは、いずれも子宮のない女性の姉妹や母で、親族にとどめていた。今回の代理母の公募は、それを第三者にまで広げることになり、賛否は割れている。

 龍谷大法科大学院の金城清子教授(生命倫理)は、健康なドナー(臓器提供者)にメスを入れる生体肝移植が、我が国では医療としてある程度普及している例をあげ、「代理出産が、生体肝移植よりは危険とは考えられない」と指摘。その上で、「妊娠や出産のリスクを納得し、『困っている人を助けたい』と代理母になる人を止めることはできない。無償のボランティアなら認めてもいいのでは」と、個人の自己決定を尊重するよう求める。

 一方、根津院長が、公募する代理母を40~50歳代と比較的年齢が高い女性で想定している点に産婦人科医は懸念を示す。北里大医学部の海野信也教授によれば、40歳以上の妊婦の死亡率は20歳代前半に比べ10倍以上高いという。「(代理出産に)不利とみられるデータまでも代理母に示してからこれまで実施してきたのか」と海野教授は言う。

 また、東京大医学部の児玉聡講師(医療倫理学)は「多くの人がより良いルール作りを模索している折に、議論ではなく、ルールに反する行為を公表することで、自分の意思を示すのは不誠実」と、根津院長の行動を批判する。

 根津院長は1998年、会告に違反して、夫婦以外の第三者から卵子の提供を受けて体外受精を実施したとして、同学会から除名処分を受けた。その後復帰したが、今回は、最も軽い厳重注意にとどまった。

 その理由について同学会倫理委員長(当時、現理事長)の吉村泰典慶応大教授は「代理母の公募は、会告違反が前提の行為で許せないが、(代理出産の是非について)日本学術会議が審議中で結論が出ていないため」と話している。

 簡単に答えを見いだせそうにはない。「自然の摂理を超えるのはどこまで許されるのか」。根津院長らが突き付けた課題は重い。

◆会告見直し急ぐ産婦人科学会

 生殖補助医療は、卵子の入った培養液に多数の精子を加えて受精させ、子宮に戻す体外受精の実用化を機に急速に発展した。1個の精子を卵子に直接注入する顕微授精や代理出産といった技術・手法が洗練され、精子の足りない男性や子宮のない女性でも子供を得ることが可能になった。

 国内では東北大が1983年に、初の体外受精児を誕生させた。2004年に体外受精を行った患者は約7万8000人にのぼり、一般的な不妊治療として定着している。

 「初の体外受精児が誕生した時、これを医療として日本で実施して良いのか悪いのか議論が盛んに起きた。でも、今やそんなことを言う人は誰もいない」

 今月18日に日本産科婦人科学会の倫理委員長に就任した星合昊(ひろし)・近畿大教授は、東北大講師として初の体外受精児の誕生に携わった経験から、時代とともに、生殖補助医療に対する社会通念が変化していくことを実感している。

 日本には生殖補助医療を規制する法律はない。厚生労働省は03年、罰則付きで法律により代理出産を禁止すべきとの報告書をまとめた。同学会も03年、禁止の会告(指針)を定めたものの内規に過ぎず強制力はない。このため医療現場では、患者が望み、その技術を持った医師が応じれば、誰もそれを止められない。

 ただ、どんな医療技術であれ「好き勝手に使っていい」というのは暴論で、変わりゆく社会通念との折り合いは求められる。

 代理出産に関する社会通念はどうなのだろう。

 厚労省は、社会情勢の変化を踏まえ、代理出産などの関する国民の意識調査を現在進めている。

 柳沢厚労相は、今月13日の閣議後会見で、「細い道かもしれないけれども、(日本学術会議には代理出産を認める道は)ないかということを議論いただいている」と話している。

 学術会議は来年早々にも、代理出産の是非などについて結論を出す。星合教授は「技術の進歩もあり、会告を見直す間隔を短くしていく必要がある。学術会議の検討結果がまとまれば、ただちに代理出産に関する会告の見直しに着手したい」と話している。」(*記事中には、「代理出産をめぐる主な動き」とする年表が出ているがここでは省略)



(1) この記事から気になった点を3点挙げておきます。
まず1点。不妊治療の限界について、生命倫理の問題でもあると指摘した点は良いとしても、生命倫理学による判断基準について言及していないのです。

結局は、「自然の摂理」とか「社会通念」で限界付けるのだと言いたいようですが、「私たちが正しいと信じてきた社会通念までも揺さぶられる状況が生まれている」として、社会通念で判断できないと言っておきながら、「社会通念」で限界付けるのは論理矛盾であると思います。

読売新聞では触れていませんが、生命倫理学による判断基準は次のようなものです。

 「生命倫理学では、自己決定が基調になるべきだと考えられており、(a)自律尊重原理、(b)無危害原理、(c)仁恵原理、(d)正義原理、という相対的に独立したこの4つの原理を基礎として考えるということで一致している(今井道夫・札幌医科大学医学部教授著「生命倫理学入門〔第2版〕(2005年、産業図書)3・11頁~)。」(「代理出産の是非を判断するに当たって必要とされる基礎知識~厚労省、「代理出産」で意識調査実施へ(日経新聞平成19年1月15日付)」

要するに、自己決定が基本となるとしています。自己決定重視は、代理出産賛成派の根拠ですから、邪推すれば、生命倫理学上の議論を持ち出すと、代理出産否定を否定する議論をしづらくなるからわざと書かなかったといえそうです。


(2) 2点目代理出産否定者による批判が的外れであるという点です。

 「根津院長が、公募する代理母を40~50歳代と比較的年齢が高い女性で想定している点に産婦人科医は懸念を示す。北里大医学部の海野信也教授によれば、40歳以上の妊婦の死亡率は20歳代前半に比べ10倍以上高いという。「(代理出産に)不利とみられるデータまでも代理母に示してからこれまで実施してきたのか」と海野教授は言う。

 また、東京大医学部の児玉聡講師(医療倫理学)は「多くの人がより良いルール作りを模索している折に、議論ではなく、ルールに反する行為を公表することで、自分の意思を示すのは不誠実」と、根津院長の行動を批判する。」


厚労省の統計によると、出生率のピークは、昭和39年当時では20歳代半ば、昭和59年は30歳代近く、平成16年には30歳前後にシフトしてきています。そうすると、今では「20歳代前半」出産は少なくなったのですから、「20歳代前半」と「40歳以上」の妊婦を比較すること自体、ナンセンスであるように思います。北里大医学部の海野信也教授の批判は妥当ではないと考えます。

厚生労働省は03年、代理出産などに関する報告書をまとめましたが、法案が成立しないまま放置状態でした。しかし、向井・高田夫妻が代理出産に挑むことを公言し最高裁判例まで争ったことでやっと、再び議論が再開されたのです。結局は、事実が先行しなければ議論も始まらないのです。
このように代理出産の事実が先行しないと動かないという客観的事実があるならば、客観的事実が「ルール」より先にあるのが当然ということになります。そうなると、児玉聡講師のように、「多くの人がより良いルール作りを模索している折」だから「ルールに反する行為を公表することで、自分の意思を示すのは不誠実」だと言うこと自体がおかしいのです。

また、今まで散々放置しておいて更に日本学術会議の結論が出るのは来年1月ですから、長期間待たせ過ぎているのではないか、と思うのが一般人の感覚のはずですが、児玉聡講師はそんな一般人の感覚は持ち合わせていないようです。
だいたい、「多くの人」とは日本学術会議のことでしょうが、日本学術会議は白紙の状態から議論することになっているのですから(当然、会告は問題とならない)、今は「ルール」自体がないに等しいのです。児玉聡講師による批判もまた的外れであって妥当でないと考えます。


(3) もっとも重要なのは3点目です。政府は日本学術会議に対して代理出産を認める結論を要求しており、日本産科婦人科学会も直ちに認める会告に変更する予定であるという点です。

 「柳沢厚労相は、今月13日の閣議後会見で、「細い道かもしれないけれども、(日本学術会議には代理出産を認める道は)ないかということを議論いただいている」と話している。

 学術会議は来年早々にも、代理出産の是非などについて結論を出す。星合教授は「技術の進歩もあり、会告を見直す間隔を短くしていく必要がある。学術会議の検討結果がまとまれば、ただちに代理出産に関する会告の見直しに着手したい」と話している。」


記事中に出ている柳沢厚労相の閣議後会見の中から、代理出産に言及した部分を引用しておきます。

 「大臣等記者会見 閣議後記者会見概要
(H19.04.13(金)08:50~09:00 参議院議員食堂)

(記者)
 あともう一点、代理出産についてですが長野県のクリニックでですね、代理出産を引き受ける女性を公募するということがありましたけれども、これは議論が続いているところかと思いますが、現段階として厚生労働省としてこの公募に対して何か行動をとるご予定はございますでしょうか。

(大臣)
 これは一般的には、学会の否定的な考え方というのが今あるという事態ですね。それに対して、世論の動向というか、そういうものの変遷もあるであろうからということで、現在、学術会議の方にご検討をお願いしているという段階です。これも、どういう場合にそういったことが是認されるべきかということについて、たぶん非常に狭い道を想定して、その道だったらみんな国民の納得が得られるのではないかというふうなラインで、そういうことで探っているということでして、公募というようなことについては、ちょっとまだ思い至っていないというところではないかと思います。

(記者)
 学術会議が検討している段階で、こういう公募という動きが出てくることに対しては、どういうふうに見てますでしょうか。

(大臣)
 そういう学会の意見が出て、かつ、我々も最近の世論の動向からいって、これに対して、さらに多角的な、お医者さんだけの立場ではなくて、倫理の立場とか、そういうようなものも含めて、ご議論をしていただいているという経緯もご存知だろうと思うんですね。そういう経緯をやはり尊重していただきたいという気持ちはあります。

(記者)
 改めてこの問題に関して、法整備の必要性の是非についてお話しいただけますか。

(大臣)
 ですから、そういうことを含めて、今、学術会議の方に、先生方の専門的な検討をお願いしていると、こういうことです。

(記者)
 その当の医師の方は、国が制度を作るのを待っていられないというようなことを会見で言っているんですが、そのスピード的なことから言いますとどうですか。

(大臣)
 これは、そう右から左に結論が出るという程度の問題ではないのではないかと思いますね。もちろん、無用な時間をかけるということは、その問題に直面している具体的なご夫婦からすると、望ましくないことはわかりきっていますから、それはそれで、できるだけ審議を促進していただきたいとは思いますけれども、右から左に結論が出るというような問題ではない。特に、一度否定の意見が出ているわけですから、これをこういう中で、なんか細い道かもしれないけれども、ないかということをご議論いただいているわけですね。」(厚生労働省:平成19年4月13日付閣議後記者会見概要


すでに代理出産を認める結論は決定事項のようです。そうなると、日本学術会議は、代理出産を肯定する論理の提示と実施要綱を決定することが役割となるのでしょう。本来は、白紙の状態で議論してもらうはずだったのですが、政府によって結論が決められているのですから、学者の存在意義とはなんだろうかと空しい感じにもさせられます。

このような政府の意向は、代理出産否定派の方にとっては残念でしょう(苦笑)が、代理出産賛成の立場としては、実施条件にもよりますが少しは安心できるものといえそうです。
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2007/05/21 [Mon] 19:12:04 » E d i t
愛知県長久手町で、元暴力団組員大林久人容疑者(50)が自宅に籠城し、警察官ら4人を拳銃で撃ち死傷させた事件は、大林容疑者は5月18日午後8時50分ごろ、警察官の説得に応じて自ら自宅を出て、殺人未遂容疑で逮捕され、5月17日から約29時間にわたった立てこもり事件は解決しました。これに先立ち、人質となっていた元妻森三智子さん(50)はすきを見て脱出し無事でした。
「4人の被害」とは、通報を受けて駆けつけた県警愛知署地域課長久手交番の木本明史巡査部長(54)が拳銃で首を撃たれ、現場東側で警戒に当たっていた機動隊特殊部隊の林一歩巡査部長(23)は防弾チョッキのすき間の左鎖骨から入った銃弾が心臓に達して出血死し、大林容疑者の長男健人さん(25)と二女里紗さん(21)もそれぞれ腹と足を同容疑者に撃たれたというものです。

読売新聞によると、警察庁幹部は「手足への銃撃は命にかかわらないため、任務の性質上、隊員も覚悟しているが、今回は不運としか言いようがない」と漏らしているようです。では、SAT隊員死亡は“不運”だったのでしょうか? についてコメントしたいと思います。


1.まず、朝日新聞は大まかな事件検証記事を掲載していました。これを引用しておきます。

 「愛知・立てこもり事件 震撼の29時間 警察の対応を検証
2007年05月20日17時23分

 元暴力団組員の男が愛知県長久手町の自宅に立てこもった事件は、警察官ら3人が撃たれ、さらに警察官1人が射殺される惨劇となった。初動の認識の甘さや後手後手の対応が事件を長期化させた側面もある。郊外の静かな住宅街を震撼(しんかん)させた「29時間」を検証した。

●「おもちゃ」うのみ 軽装備

 愛知署長久手交番の木本明史巡査部長(54)は17日、110番通報を受けて大林容疑者の自宅に駆けつけ、1人で自宅に近寄っていき、撃たれた。

 木本巡査部長は普段と同じ装備で、防弾衣などをつけていなかった。

 「拳銃はおもちゃだという情報が入っていた。本物と思っていなかった可能性が高い」。容疑者逮捕の会見で、石川文彦・愛知署長は悔やみきれない様子で明かした。

 「おもちゃ」という情報は、次女が電話してきた2番目の通報のことだ。当初の「拳銃を持っている」という通報を打ち消すように、「父は落ち着いた。警察が来たら興奮するかもしれない。来ないでください。拳銃はおもちゃです」。

 しかし、そばの住民は、「1週間ほど前にもパンという音を聞いた」。たびたびトラブルを起こしていた元暴力団組員の動静について、警察はさしたる注意を払っていなかったことになる。

 木本巡査部長は、玄関先に倒れたまま、動けなくなった。29時間にわたる大林容疑者と警官隊とのにらみあいが始まった。

●警官救出、発砲で慎重に

 大林容疑者は木本巡査部長を撃った後、長男と次女も銃撃。元妻を人質に取った。

 木本巡査部長と元妻の救出を最優先に考えた捜査側を慎重にさせた出来事がまもなく起こった。

 大林容疑者が、警官隊に向かい、「近づいたら撃つ」と叫び、実際に1発を発砲したのだ。

 石川署長は「拳銃を所持しており、第2、第3の被害者を出さないように最善の態勢を整えていた」と説明する。

 発生から約2時間後の17日午後6時ごろから、それまで携帯の無線を通じて聞こえていた木本巡査部長のうなり声も途絶えた。しかし、救出するための突入まで、発生から約5時間を費やした。荒井正道捜査1課長は「装備や捜査員の配置を整えるために時間がかかった」と話す。

 木本巡査部長の治療にあたった医療機関側は「あと少し遅ければ最悪の事態になりかねない状態だった」。

 木本巡査部長が救出された際、容疑者は4発を撃った。1発が、突入の支援をしていた林一歩(かずほ)警部(23)=巡査部長から特進=の命を奪った。

●解決の端緒は「自力脱出」 

 林警部は18日未明、死亡。特殊部隊(SAT)の隊員として、創設以来初の犠牲者となった。

 同日午前5時ごろ、特捜本部はいったんは突入を決意した。

 しかし、結局見送られ、捜査1課特殊班の交渉人(ネゴシエーター)による説得が続いた。

 石川署長は、「(新たな)犠牲が出たことで、捜査が慎重になった。危険な現場で、環境を整えていた」と振り返る。

 事態が大きく進展したのは、元妻が自力で脱出してからだった。

 18日午後2時51分、元妻がトイレの高窓から逃げ出し、保護された。

 大林容疑者が「事件の経緯を話したい」などと地元FMラジオ局の人気DJと話し込んでいるすきをついた。

 大林容疑者は元妻の脱出を機に気弱な様子になり、「自分も外に出る」などと話し始めたという。元妻の脱出がなければ、膠着(こうちゃく)状態が続いた可能性は否定できない。

 藤村博之・県警刑事部長は「反省、教訓として同種事案の再発防止につなげたい」と語った。捜査のあり方について、大きな課題を残した。」(朝日新聞5月20日(日曜)34面


そばの住民は、「1週間ほど前にもパンという音を聞いた」ということですから、拳銃を所持していた疑いがあったのです。この情報が木本巡査部長に伝わっていたら、軽装備で駆けつけることもなかったはずです。しかも、「事態が大きく進展したのは、元妻が自力で脱出してから」であって、もっと事件が長期化した可能性もあったのですから、多くの課題が残った事件といえそうです。

もっとも、米国と異なり、警察官が撃たれても日本では「『犯人であっても射殺してはいけない』というのが基本。……犯人を撃ってしまった場合の責任問題から速やかな指示が出せない」(東京新聞5月19日付朝刊24面「こちら特報部:特殊部隊SAT 外国との違い」でのジャーナリストの笹川英夫氏の発言)のですから、長期化することはやむを得ないものともいえそうです。
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2007/05/20 [Sun] 05:08:13 » E d i t
病腎移植問題について、朝日新聞が朝刊において連載中の「ドキュメント医療危機」(5月16・17日付の紙面分)では、病気腎移植問題について、日本移植学会に批判的な内容を展開していたので、紹介します。
なお、「万波誠医師を支援します!」さんの「病気腎移植 学会・現場にギャップ」(2007/05/19 21:32)では全文紹介していますので、そちらもぜひご覧下さい。


1.朝日新聞平成19年5月16・17日朝刊3面「ドキュメント医療危機」

(1) 朝日新聞5月16日「ドキュメント医療危機」(28)――編集委員・田辺功 

病気腎移植 学会・現場にギャップ

 3月12日(月)宇和島。

 早朝、羽田をたち、松山からJR特急で愛媛県宇和島市に着く。

 病気腎移植で話題の万波誠・宇和島徳洲会病院泌尿器科部長(66)に会う。山口大卒。約35年前、大学関連病院だった宇和島市立病院に赴任して気に入り、宇和島に住み着いた。77年以来、650例もの腎臓移植をしている。

 昨年秋、そのうちの何十例かは、がんなどの患者の腎臓(病気腎)を移植した病気腎移植だったことがわかって非難を浴びている。

 腎臓摘出役の弟、万波廉介・名瀬徳洲会病院泌尿器科医師(61)ら数人の医師団は「瀬戸内グループ」と呼ばれる。「まるで『瀬戸内腎臓窃盗団』扱い。捨てる腎臓を再利用するのがそんなに悪いことなのか」と、万波誠さん。

 「使える腎臓なら患者に残す、残せない腎臓なら使うべきでない」「がんの腎臓は発がんの危険がある」「承諾を文書で取っていない」という日本移植学会の批判は説得力があるように見える。

 万波さんの説明はこうだ。

 「腎臓を残すこともできると説明し、捨てるなら使っていい、と了解も取った。長年のつきあいの患者ばかりだから堅苦しい文書はない」「初期の腎臓がんのがん部分を取れば再発はほとんどない。他人に移植すると、免疫抑制剤を使っても発がんの危険はさらに低い」

 「学会の調査は初めから結論ありきで違和感があった」と、一部の調査にかかわった病理医、堤寛(ゆたか)・藤田保健衛生大教授(55)は率直な感想をもらす。

 「4センチ以下の腎細胞がんは部分切除が原則」と、グループの腎臓摘出が批判された。ところが、堤さんが、4大学病院と10有力病院を調べたら、部分切除は平均2割で、実際は8割の腎臓が摘出され、捨てられていた。

 学会は大学教授が中心で、必ずしも臨床経験は多いとはいえない。臨床を担う現場の医師とのギャップは大きい。そこを埋める視点が必要だろう。」



(2) 朝日新聞5月17日付朝刊「ドキュメント医療危機」(29))――編集委員・田辺功 

 「朝昼抜き1日1食「糖質ゼロ食

 実は米国でもがんの腎臓が移植されていた。「シンシナティ大学が14人に移植して問題なかったと05年に論文報告している」と、藤田士朗・フロリダ大移植外科助教授(50)。万波誠さんのように意図的でなく、提供者から摘出しようとした際たまたま腎臓に早期がんが見つかり、その部分を取り除いて移植したのだ。
 
 「世界中の移植医は提供腎臓を増やしたい。万波さんの移植は先駆的で、研究を進める価値がある。」と、藤田さん。

   ◇

 この夜、私は愛媛県宇和島市で開業する「かまいけ式食事」の釜池豊秋医師(60)にも会った。京都大卒。整形外科医から独自の食事学に到達した。(中略)

 「従来の『カロリー制限』より格段に有効」という治療食を、日本の学会がいつ認めるか。これも興味がある。」




2.幾つかの点について触れたいと思います。

病腎移植に関する記述としては、朝日新聞だけの読者なら目新しい内容でしょうが、このブログの読者であれば以前から知っていることばかりであり、目新しい内容ではありません。それに、いまさら日本移植学会に批判的な内容の記事を書いても、正直な話、「散々批判しておいていまさら遅すぎ!」と罵倒したくなりました。

(1) 

 「3月12日(月)宇和島。

 早朝、羽田をたち、松山からJR特急で愛媛県宇和島市に着く。

 病気腎移植で話題の万波誠・宇和島徳洲会病院泌尿器科部長(66)に会う。」


「3月12日宇和島」というと、日本移植学会など4学会が3月31日、「現時点では、医学的に妥当性がない」とする統一見解を示す前です(「病腎移植「現時点で妥当性ない」 4学会が統一見解」参照)。万波医師らと会って話を聞いていたのに、4月4日付の社説では、万波医師らの話を無視して「病気腎移植―やはり無謀な試みだった」と言い放ったわけです。

 「病気腎移植―やはり無謀な試みだった

 がんなどの病気の腎臓をほかの人に移植することは多くの問題があり、現時点では医学的に認められない――。

 愛媛県の宇和島徳洲会病院の万波誠医師らが手がけてきた「病気腎移植」は、日本移植学会など4学会の声明によって否定された。

 ほかの人の体で働ける腎臓なら、そもそも取り出してはいけない。病気で取り出さなければならない腎臓なら、ほかの人には移植できない。そうした内容はごく常識的なもので、評価したい。

 万波医師は「捨てられる臓器を使う。移植用の臓器が足りない中で、死体腎、生体腎に次いで第3の道になる」と主張してきた。その一方で、学会の見解に沿って厚生労働省が禁止すれば従うと述べていた。これで病気腎移植は当面、中止されることになるだろう。

 この方法に希望を託し、認めてほしいと厚労省に働きかけていた患者や家族たちの失望は大きいに違いない。

 しかし、摘出にも移植にも多くの問題があると専門家から厳しく批判された以上、あきらめるしかあるまい。

 4学会の調査によれば、もっと治療を施すべきなのに腎臓を取り出していたり、患者にとって危険な取り出し方をしたりしていた例が多かった。どんな治療法を選ぶか、患者に説明して同意を求めることも十分ではなかった。

 腎臓を摘出せざるをえない場合であっても、それを移植すれば、病気が移植患者に持ち込まれる恐れがある。

 こうした実態を踏まえ、4学会は「実験的な医療が、医学的、倫理的な検討がされないまま閉鎖的環境で行われていた」と非難した。

 「目の前の患者を救いたい」という医師としての思いから始まったとはいえ、移植医療で最も尊重されるべき提供者がないがしろにされたことは間違いない。必要な手順を踏まず、独善的ともいえる方法をとったことは、移植医療への不信感を招いた。

 4学会は将来の病気腎移植の可能性まで否定しているわけではない。医学が進めば、臓器移植の新しい方法が開発されることもあるだろう。臓器提供できる範囲が広がるかもしれない。しかし、その場合でも、どんな条件なら認められるのかについて、学会や社会での開かれた議論が欠かせない。

 そのためにも、今回明らかになった42例の移植をきちんと検証しなければならない。病気の腎臓が移植を受けた患者の体内でうまく働いたのか。生存率はどうか。見極めるべきことは多い。

 病気腎移植が試みられた背景には、臓器の提供が少ないという現実がある。

 いま約1万2000人が腎臓移植を待っており、これからも増えると予測される。

 腎臓の場合、心臓や肝臓と違って、脳死後だけでなく心臓の停止後でも移植できる。提供者がもっと増えるようにできないものか。知恵を絞っていきたい。」(朝日新聞2007年04月04日(水曜日)付(キャッシュ)



万波医師らの話に少しでも耳を傾けていれば、

「ほかの人の体で働ける腎臓なら、そもそも取り出してはいけない。病気で取り出さなければならない腎臓なら、ほかの人には移植できない。そうした内容はごく常識的なもので、評価したい。……

 「目の前の患者を救いたい」という医師としての思いから始まったとはいえ、移植医療で最も尊重されるべき提供者がないがしろにされたことは間違いない。」

といった社説を書けるはずがありません。日本移植学会主導の調査結果と万波医師らの主張・反論とはあまりにもギャップがあるのですから、素人の「常識的」な判断だけで済ませることができないからです。「4センチ以下の腎細胞がんは部分切除が原則」と強硬に主張する日本移植学会と、「実際は8割の腎臓が摘出され、捨てられていた」という客観的事実を比べれば一目瞭然なのです。
万波医師に直接聞いておきながら、「提供者がないがしろにされたことは間違いない」など言ってのけるのですから、万波医師どころか(説明を受けて納得して同意していると述べている)提供者の意見さえ無視しているのですから、最初から断罪する意図しかなく、空想で書いているとしか思えません。

しかも、この社説では

「摘出にも移植にも多くの問題があると専門家から厳しく批判された以上、あきらめるしかあるまい

とまで言うのですから、全くの他人事のようです。常々朝日新聞は他人に冷淡な態度を示しますが、ここでも同じような態度です。自分や自分の家族・親族は、腎臓が機能不全になることなんて全くないかのような能天気ぶりです。
もちろん、深刻なドナー不足は多少気にしていますが、

「知恵を絞っていきたい」

というだけです。朝日新聞の意識は所詮その程度なのでしょう。


(2) 

学会は大学教授が中心で、必ずしも臨床経験は多いとはいえない。臨床を担う現場の医師とのギャップは大きい。そこを埋める視点が必要だろう。」

これが田辺功編集委員の結論です。「学会は……必ずしも臨床経験は多いとはいえない」という物言いは、学会は未熟者の集まりだと看做しているのと同じですから、かなり小バカにしているのです。いまや大学教授の方が臨床経験不足という意識は誰もが持っていることとはいえ、これが日本移植学会の冷厳な現実・実態なのです。

この結論は要するに、日本移植学会は、臨床経験が少ない者の研究ごっこの場であって、現実とかけ離れた、(古い医療知識が載っている)教科書通りの「原則論」を振り回して、未熟者ゆえの非現実的な批判を繰り広げたのだ、と。だから、そのギャップを埋めるべきであり、未熟者(日本移植学会)はもっと経験者に学ぶべきだというわけです。(経験者が未熟者に歩み寄るという考えも可能ですが……あまりに妙でしょう)

田辺功編集委員は、こういった日本移植学会に批判的な意思を明確にもっていながら、なぜ、「病気腎移植―やはり無謀な試みだった」というような、未熟者ゆえの非現実的な批判を行ってきた日本移植学会を全面支持するような社説を許容したのでしょうか? 田辺功編集委員は、簡単に信念・信条を曲げてしまう記者のようです。


もちろん、田辺功編集委員は、ずいぶん後になってこっそりと社説と違う意見を述べたとはいえ、他の編集委員よりはマシであることは確かです。他の編集委員(当該社説を主導的に書いた編集委員)は、日本移植学会による非現実的な批判さえ理解できずに、「常識」で判断できたと誇ってしまい、「病気腎移植―やはり無謀な試みだった」という表題の社説を書いて恥じ入ることがないのですから。

田辺功編集委員がもし、多少でも新聞記者としての矜持をもっているのでしたら、病腎移植報道を批判的に振り返る検証記事を連載して頂きたいと思います。
「ドキュメント医療危機」といったちょっとしたコラムで日本移植学会を批判したところで、病腎移植を事実上全面的に禁止に追い込んだ報道機関の責任、「瀬戸内グループ」の医師らの名誉を傷つけた報道機関の責任は免責されないのですから。


 「病気腎移植禁止で意見募集、厚生労働省

 厚生労働省は11日から、病気腎移植の禁止を盛り込んだ臓器移植法の運用指針改正案について、国民から意見募集を始めた。6月11日締め切り。意見のあて先は厚労省臓器移植対策室。郵送は郵便番号100―8916、東京都千代田区霞が関1ノ2ノ2。ファクスは(03・3593・6223)。電子メールはzokishishin@mhlw.go.jp〔共同〕(14:30) 」(日経新聞5月11日付


6月11日までで事実上決まってしまいます。その前に病腎移植報道を批判的に振り返る検証記事を連載して頂きたいと思います。

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2007/05/19 [Sat] 21:58:08 » E d i t
「こうのとりのゆりかご」に、3歳ぐらいの男児が預けられたことから、首相をはじめ政府内から批判する声が上っています。東京新聞5月17日朝刊「こちら特報部」では、いわゆる赤ちゃんポストの先駆けともいえる施設があった前橋市で、今も福祉施設を運営する成相八千代さん(79)へのインタビュー記事を掲載していました。この記事を紹介したいと思います。


1.東京新聞平成19年5月17日付朝刊24・25面「こちら特報部」

 「捨て子じゃない預かった子  先駆け「天使の宿」関係者に聞く

 熊本市の慈恵病院が設置した国内初の赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)に、第1号となる3歳ぐらいの男児が預けられた。新生児でなかったことに、政府内から育児放棄や「捨て子助長」を懸念する声も上がっているが、「批判に負けるな」というエールも聞こえる。21年前、赤ちゃんポストの先駆けともいえる施設があった前橋市で、今も福祉施設を運営する成相(なりあい)八千代さん(79)に聞いた。 (橋本誠、竹内洋一)

 「人生の中で想定外のことはいっぱい起きる。大事なことは、どのような心で、それに向き合うかです」

 赤ちゃんポストと似た性格を持つ「天使の宿」があった前橋市の駆け込み寺「わらの会」。1999年から運営に携わる園長の成相さんは、慈恵病院の赤ちゃんポストに3歳の男児が預けられたについて、感想を漏らす。

 「天使の宿」の創始者は、篤志家の故品川博さん(99年死去)で、48年、同市内に戦災孤児を育てる「少年の家」を設立。消費者金融問題がクローズアップされた70年代後半には、親子心中を防ぐ「わらの会」をつくった。一時は全国から集まった200人ほどの親子が暮らしていたが、ある日、へその緒が付いたままの赤ちゃんが段ボール箱に入れられて置かれているのが見つかった。

 ショックを受けた品川さんが86年に設置したのが、無人のプレハブ小屋「天使の宿」だった。広さは6畳ほどで、カギのない扉を開けると、ベッドとふとんがあった。赤ちゃんを預けて電灯を付けると、近くの職員が引き取りに行く仕組みだったという。

 預けられた赤ちゃんは6年間で10人ほど。年齢制限は設けていなかったが、すべて乳児だった。母親から「子どもを置いたので、よろしくお願いします」と電話があったり、子どもの名前を書いた手紙が添えられていることもあったが、会いに来た親はいなかった。

 行政の補助がないため、職員は数人しか雇えず、「わらの会」に身を寄せている大人が面倒を見た。子どもたちは地元の小中学校に通い、赤城山を望む雑木林や畑に囲まれた自然の中で遊んだ。

 「子ども同士の信頼関係がうらやましいぐらい強かった。自分たちだけで『お母さんって、どんな人なのかな』って話していたこともあった。本当の親に会えることを期待していたんじゃないでしょうか」

◆親子のような付き合い続く

 21年たった今、子どもたちはそれぞれの人生を歩んでいる。高校を卒業して大企業に勤めている人もいれば、商店や建設現場で働いている人も。成相さんの誕生日や母の日などには、花やプレゼントが届く。「話を聞いてほしいときや困ったとき、遊びに来る。本当の親子のようです」と表情が緩む。

 結婚して子どもができた女性も2人。あるとき、子どもを連れてきた母親が言った。「小さいころは親を恨んだこともありましたが、今子どもを抱いていると、すごく幸せを感じます。やはりここに預けられて良かったと、お母さんに感謝できる」

 「こうのとり―」と違うのは、乳児院や児童養護施設に預けたり、里親や養子縁組といった制度を利用するのを避けたこと。「子どもは親からお預かりしたのであって、捨てられたのではない」という品川さんの考えに従った。

 92年、ベッドで凍死した赤ちゃんが発見され「天使の宿」は閉鎖された。今も16歳と20歳の男性が「わらの会」の施設で暮らしているが、新たな受け入れはしていない。職員は成相さん一人。「預かった子は成人するまで育てる」と言っていた品川さんの「社会への約束」を守り、入所者2人が巣立つまで事業は続けるという。

◆児童相談所、すべてカバーできず

 閉鎖から15年後の今、「こうのとり―」ができたことを、成相さんはどう見ているか。

 「『赤ちゃんポスト』という名前で報道されて驚いたが、命はみんなで守らなくてはならないもの。考え方は私たちと同じです。設備についても申し分ないし、注文することは何もないが、その後が心配。今は児童養護施設などの職員もどんどん切りつめられていますから」

 その上で、「国は国民を守る義務がある。国に率先してやってほしいのに、先駆的につくったものを認めず、何かあると批判する。今も社会はよくなっていませんね」と不満を漏らす。

 ところで、3歳程度の幼児を赤ちゃんポストに預ける行為は、犯罪ではないのか。

 刑法の保護責任者遺棄罪の適用も視野に捜査した熊本県警は、父親の刑事責任は問わない方針を固めたようだ。

 元最高検検事の土本武司白鷗大法科大学院長は、県警の判断について「3歳児を赤ちゃんポストに入れた場合、病院には医師、看護師がいる。生命、身体を保護できる環境が整っているので、刑法には触れない」と解説する。

 その上で、この問題が社会に与える影響を懸念する。「無責任が親が『こういうことをしても、処罰されない』と思い、育児放棄や児童虐待が増えている風潮を助長することになりかねない」

 こうした懸念は、政府にも広がっている。もともと赤ちゃんポストの設置に不快感を示していた安倍晋三首相は「子どもを置いてくる前に、児童相談所をはじめ相談する体制がある。万一の悩みがあれば相談してもらいたい」と、児童相談所の活用を呼びかけた。塩崎恭久官房長官も「あってはならないことで、親はやはり子どもを育てる義務もある」と指摘した。

 とはいえ、「あってはならないこと」は現実に起きている。児童相談所の存在を知ってか知らずか、行政機関に相談しないまま、新生児や子どもを虐待死させてしまう親もいる。厚生労働省の専門委員会が2004年の児童虐待死の事例58人(うちゼロ歳児は24人)を検証した報告書では、児童相談所などとまったく接点のなかった例が18件あった。

 精神科医で家族機能研究所の斉藤学代表は「児童相談所はしょせんお役所。人員も不足しており、未婚で出産し、子どもをもてあました女性の相談に十分対応できるとは思えない。行政の末端で現実の出産、子育て問題をすべて把握するのは無理だ」と指摘する。

◆民間での試み 広がりに期待

 その上で「日本は女性、特に未婚の女性が妊娠・出産することに厳しい社会だ。女性に100%寄り添った議論ができないのかと憤りを覚える。そんな中で慈恵病院はよくぞ勇気を持ってやってくれた。この民間の動きがどんどん広がればいい」と評価する。

 だが、3歳児程度の子どもが預けられるとは、病院も予想していなかった。ポストは窓口が縦50センチ×横60センチなので、おのずと子どもの身体の大きさは限定されるものの、年齢制限は設けていなかった。

 前出の土本氏は「正規の親子関係からあぶれた子どもを救いたいという善意自体を国が否定するのは行き過ぎだが、病院の想定を超える事態が起き、育児放棄を助長する事態になりつつある以上、赤ちゃんポストを設置する側、利用する側も一定の条件を満たさなければならないという規制が必要だ」と国に一定のルールづくりを求める。

「放棄助長」に負けないで

 「こうのとり―」で想定外の幼児が預けられたことで「反対派はここぞとばかりに声を大きくするでしょうが、預けなければならなかった方の気持ちを考えることが必要」と前出の成相さんは指摘。その上でこうエールを送る。

 「日本では子どもは親が育てるものとされ、子どもを保育所に預ける母親も肩身が狭い。問題を乗り越え、初心を忘れずに頑張ってほしい」


<デスクメモ>

 終戦直後のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」をモデルに、児童養護施設を建設した故品川博さんが晩年、心血を注いだのが「天使の宿」だった。受け入れた赤ちゃんの大半は立派に成人、母親になった女性もいる。「わらにすがってでも生きてほしい」との品川氏の願いは、赤ちゃんポストの理念とも共通する。 (吉)」





2.幾つかの点に触れていきます。

(1) 

「赤ちゃんポストと似た性格を持つ「天使の宿」があった前橋市の駆け込み寺「わらの会」。……

 「天使の宿」の創始者は、篤志家の故品川博さん(99年死去)で、48年、同市内に戦災孤児を育てる「少年の家」を設立。消費者金融問題がクローズアップされた70年代後半には、親子心中を防ぐ「わらの会」をつくった。一時は全国から集まった200人ほどの親子が暮らしていたが、ある日、へその緒が付いたままの赤ちゃんが段ボール箱に入れられて置かれているのが見つかった。

 ショックを受けた品川さんが86年に設置したのが、無人のプレハブ小屋「天使の宿」だった。広さは6畳ほどで、カギのない扉を開けると、ベッドとふとんがあった。赤ちゃんを預けて電灯を付けると、近くの職員が引き取りに行く仕組みだったという。

 預けられた赤ちゃんは6年間で10人ほど。年齢制限は設けていなかったが、すべて乳児だった。母親から「子どもを置いたので、よろしくお願いします」と電話があったり、子どもの名前を書いた手紙が添えられていることもあったが、会いに来た親はいなかった。」

この「わらの会」や「天使の宿」の存在は、前から報道済みですが(「92年まで群馬に同様の施設、閉鎖まで20~30人保護(07.04.29)」(読売新聞:九州発)「赤ちゃんポスト:20年前、群馬にも 6年で10人預かる」(毎日新聞 2007年5月8日 3時00分)。確か熊本日日新聞では昨年報道済みだったような……。)、20年前にも「こうのとりのゆりかご」と同じような施設があったのですから、今回、国を挙げて大騒ぎするほどのことではないことが分かります。

もちろん、「天使の宿」と「こうのとりのゆりかご」はともに子供の命を救う目的は同じですが、時代背景や具体的事情が違います。70年後半から80年代、コインロッカーに赤ちゃんが捨てられたり、「サラ金地獄」による親子心中などが社会問題化した時代において、せめて子供の命を奪わないでほしいため「わらの会」が設立され、ある日、赤ちゃんが段ボール箱に入れられて置かれていたため「天使の宿」を設けたのです。

これに対して、「こうのとりのゆりかご」は、熊本県内で置き去りにされたケースは、89年度から現在までの約18年間で17件、97年年以降、県内で1歳未満のえい児殺人は6件(トイレに産み落とされたり、口をふさがれて窒息死)という状況(熊本日日新聞2006年12月12日付朝刊)において、「ポストを置くことで、捨てられ失われる命が助けられるのならば、できる限りのことをしたい」((熊本日日新聞2006年11月9日付朝刊)ということから、設けられるものです。要するに、親子心中とは無関係に新生児の命が奪われている状況をなくしたいからなのです。
他にも、「避妊の説明の時はうわの空で、何回も病院で人工妊娠中絶する高校生、『あす仕事だから、早く(人工妊娠中絶を)済ませて帰りたい』と平然と話す会社員」がいるそうですから、近年はとみに「命の重みが薄れてきている」(熊本日日新聞2006年12月10日付朝刊)ということも、70~80年代とは違う状況なのかもしれません。


(2) 

「今は児童養護施設などの職員もどんどん切りつめられています……

  児童相談所の存在を知ってか知らずか、行政機関に相談しないまま、新生児や子どもを虐待死させてしまう親もいる。厚生労働省の専門委員会が2004年の児童虐待死の事例58人(うちゼロ歳児は24人)を検証した報告書では、児童相談所などとまったく接点のなかった例が18件あった。

 精神科医で家族機能研究所の斉藤学代表は「児童相談所はしょせんお役所。人員も不足しており、未婚で出産し、子どもをもてあました女性の相談に十分対応できるとは思えない。行政の末端で現実の出産、子育て問題をすべて把握するのは無理だ」と指摘する。

 その上で「日本は女性、特に未婚の女性が妊娠・出産することに厳しい社会だ。女性に100%寄り添った議論ができないのかと憤りを覚える。そんな中で慈恵病院はよくぞ勇気を持ってやってくれた。この民間の動きがどんどん広がればいい」と評価する。」


赤ちゃんポストの設置に不快感を示していた安倍晋三首相は「子どもを置いてくる前に、児童相談所をはじめ相談する体制がある。万一の悩みがあれば相談してもらいたい」と、児童相談所の活用を呼びかけています。

しかし、児童養護施設などの職員が減らされているという人員不足の状況ですから、未婚で出産し、子どもをもてあました女性の相談に十分対応できる状況にないのです。それどころか、児童相談所にさえ相談することさえなく、新生児や子どもを虐待死させてしまう親も少なくないのです。「児童相談所はしょせんお役所」という厳しい意見もありますが、児童相談所の職員は次のように現状を述べています。

「現実の状況は厳しい。私の勤める児童相談所では、連日の虐待通告への対応だけで職員は息つく暇もない。里親のサポート、施設のスタッフとの相談も、大切だと分かっていても、時間が取れない上心身疲れきっている。……児童養護施設はどこも定員いっぱいで、スタッフはくたくただ。日本の児童福祉の基盤は依然として貧弱だ。」(朝日新聞平成19年3月8日付朝刊14面「声」欄への「児童心理司」の投書)


児童相談所に相談しろと言ったところで、職員の側は時間が取れず心身疲れきっているのですから、もし相談したところで十分に機能していないのですから(熊本県は積極的に取り組んでいるので除く)、安倍首相の発言は現実を無視した観念上の提言にすぎず、少しも問題解決につながらないです。


もっとも、一概に安倍首相を非難できません。「相談すれば道は開ける」とか「置き去る前に相談できれば」などという表題を社説に掲げて済ましている、報道機関もあるのです。

社説:赤ちゃんポスト 相談すれば道は開ける

 思い悩む親に改めて注意喚起したい。子供を預ける前に、児童相談所、市や県の窓口など関係機関へ出かけ、勇気を持って相談してほしい。病院の理事長も「相談してもらえば道は開ける」と呼びかけている。

 子育てに困った親の相談する機関としてまず児童相談所が思い浮かぶ。ところが、これがどこにあり、どんなことをする機関なのか、知っている住民は少ない。知っていても利用するには敷居が高いという。厚生労働相が赤ちゃんポスト利用者を「あってはならないこと」とコメントして終わらせる問題でない。児童相談所の数、職員の質など体制を充実させ、その存在を積極的にPRすることも解決へ向かう一助となろう。(以下、略)」(毎日新聞2007年5月16日「社説」

社説2 置き去る前に相談できれば(5/17)

 育児放棄の助長につながらないよう、ポスト設置の趣旨を改めて周知徹底すべきだ。そして、こうした安全網を使わずにすむように、相談できる機関を広く紹介し、里親・養子縁組の制度を拡充するなど、社会全体の取り組みを急ぐ必要がある。……

 ポストは最後の救済策ではあっても、最善の解決策ではない。この病院では他の選択肢も探せるよう事前相談窓口を設けている。出産の悩みについての相談窓口を拡充するよう厚労省は各自治体に要請した。匿名でも親身に相談に乗ってくれる身近な機関がもっと必要だ。(以下、略)」(日経新聞5月17日付「社説」


この2紙は、全国的に、相談窓口が十分に機能していないことを触れることがないのです。相談窓口の拡充が必要なことは確かですが、現在の窓口が十分に機能していないという、現状把握こそ重要です。改善する点はまずそこからでしょう。


(3) 

「「こうのとり―」で想定外の幼児が預けられたことで「反対派はここぞとばかりに声を大きくするでしょうが、預けなければならなかった方の気持ちを考えることが必要」と前出の成相さんは指摘。その上でこうエールを送る。

 「日本では子どもは親が育てるものとされ、子どもを保育所に預ける母親も肩身が狭い。問題を乗り越え、初心を忘れずに頑張ってほしい」」


成相さんは、「放棄助長」という批判に負けないで続けていってほしいと言うようなエールを送っています。

 「赤ちゃんポスト:賛成63%、反対上回る ネット調査

 熊本市の慈恵病院で運用がスタートした「赤ちゃんポスト」について、毎日新聞がNTTレゾナントの協力を得て行ったネット調査で賛否を尋ねたところ、「賛成」が63%と「反対」の37%を大きく上回った。賛成派に今後ポストを増やすべきかどうかを尋ねた質問では、「増やすべきだ」が74%に達した。反対派で最も多い反対理由は「育児放棄を助長する」の52%だった。

 有効と考える捨て子対策については「親になる若者への教育」と「子育て支援策」が多く、賛成派、反対派ともそれぞれ約3割を占めた。「赤ちゃんポスト設置が有効」との回答は賛成派でも7%にとどまった。【福田昌史】(中略)

<調査の方法>
 4月27~29日、gooリサーチのモニターから無作為で選んだ20歳以上を対象にインターネットで調べ、1092人から回答を得た。
」(毎日新聞(2007年5月18日18時32分)

ネット上での調査にとどまり、調査日が4月27~29日という実際の運用が開始される前の調査ですが、「賛成」が63%と「反対」の37%を大きく上回り、賛成派の意見を述べる方のうち、「増やすべきだ」が74%に達しています。実際の運用後は意見が変わってくる可能性がありますが、元々批判的で、大騒ぎして批判を繰り広げた思慮の浅い首相などの政府内部とは異なり、日本の市民は現実を理解し、冷静な判断ができているようです。

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2007/05/17 [Thu] 04:15:41 » E d i t
親が育てられない新生児を匿名で預かる熊本市の慈恵病院(蓮田太二理事長)の「こうのとりのゆりかご」(いわゆる「赤ちゃんポスト」)の運用が始まった5月10日、3歳ぐらいの男児1人が病院側に預けられていたそうです。
そのため、想定していた新生児でないという「目的外」に利用されたため、「当初からあった『安易な育児放棄を助長しかねない』との批判が再燃しそうだ」(朝日新聞5月15日付)とか、「『捨て子を助長する』と設置に慎重だった人たちからは、『恐れていた事態が現実になった』」(読売新聞5月15日付夕刊)などと、声高に騒ぎ立てて非難の大合唱状態です。この問題についてコメントしたいと思います。
なお、「こうのとりのゆりかご」問題については、「「こうのとりのゆりかご」(いわゆる「赤ちゃんポスト」)問題~厚労省は慈恵病院による設置申請を容認へ」「「こうのとりのゆりかご」設置間近~問い合わせ既に20件に」でも触れています。ご覧下さい。


1.まず報道記事から。

(1) 東京新聞平成19年5月15日付夕刊1面

赤ちゃんポストに男児 3歳ぐらい 運用初日、父預ける
2007年5月15日 夕刊

 親がさまざまな事情で育てられない新生児を匿名で受け入れようと、熊本市の慈恵病院が設置した国内初の「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)に、運用開始初日の今月十日午後、三歳ぐらいの男の子が預けられ保護されていたことが十五日、分かった。健康状態に問題はないもよう。 

 ポストについては「命を救う取り組み」として評価の声がある一方、「子捨てを助長する」などと批判も根強いが、実際に子どもを受け入れたのは初めて。慈恵病院の蓮田太二理事長は「事実だとしても、そうでないとしても、医療人としてコメントできない」としている。

 慈恵病院は熊本県警や児童相談所などに通報。県警は保護責任者遺棄に当たらないかなどを調べている。警察庁幹部は「個別の判断が必要だが、生命を脅かすような危険なところでなければ(同罪には)当たらないのではないか」としている。

 一方、柳沢伯夫厚生労働相は「あってはならないというのが大前提だが、児童相談所などでしっかりと世話をしなければならない」と述べた。

 関係者によると、男の子が預けられたのは十日正午に運用が始まって間もない同日午後三時ごろ。熊本県外から父親に手を引いて連れて来られ、自分の名前も話しているという。

 熊本市の幸山政史市長は事実関係の公表はできないとした上で、「市としては『まずは相談を』という姿勢は変わらず、(市の窓口の)周知を徹底したい。(ポストの)運営について変更は考えていない」と話した。

<メモ> 慈恵病院の「赤ちゃんポスト」 正式名称は「こうのとりのゆりかご」。経済的な事情などで子育てができない親から新生児を匿名で受け入れる。ドイツなど欧州での同様の取り組みを参考に、熊本市の慈恵病院が5月10日から運用を始めた。本格的な施設は国内初で、熊本市は国との協議を踏まえ「許可しない合理的な理由はない」として設置を認めたが、安倍晋三首相が「大変抵抗を感じる」と発言するなど賛否は分かれている。」



(2) 東京新聞平成19年5月15日付夕刊11面

 「【関連】“揺りかご”『3歳』想定外 赤ちゃんポスト 児童養護施設引き取りか
2007年5月15日 夕刊

熊本市の慈恵病院の赤ちゃんポストに預けられた男児は三歳ぐらいとみられ、「親が育てられない新生児を受け入れる」という病院などの想定とは異なる。新生児の場合は通常、乳児院に移されるが、原則として二歳を過ぎた子は児童養護施設に引き取られることになる。 

 「ポスト」の中心的設備は保育器などの医療機器。生まれて間もない赤ちゃんの場合、体温を保つことが特に重要なためだ。熊本市などは新生児が預けられた場合、一週間程度は慈恵病院が保護して健康状態などを確認。その後二歳ごろまで乳児院で養育することを想定していた。

 一方、今回の男児のようなケースでは、児童養護施設で育てられるのが普通で、この間に生みの親が名乗り出れば引き取られる。

 だが、親が不明の場合や、現れても養育が困難な場合は、そのまま養護施設にいるか、里親に育てられる。将来は特別養子縁組が行われる可能性もある。

育児放棄防いだ

 湯沢雍彦・お茶の水女子大名誉教授(法社会学)の話 病院や県、国は一歳未満の乳児がポストに入れられることを想定し、言葉を話せる幼児が預けられるとは予想していなかっただろう。三歳ぐらいという年齢からみても、まさに「捨て子」に当たると考えられ、病院は幼児をどう扱うか、判断に困っているのではないか。ただこの一件だけで捨て子を助長したとは言えない。むしろ、虐待や育児放棄による子どもの被害を防いだと受け止めるべきだ。

捨て子助長制度

 才村真理・帝塚山大教授(児童福祉)の話 病院は幼児が預けられる可能性も考えなければならなかった。三歳ならば置き去りにされた記憶が残り、心の傷になることが考えられる。本来なら相談機関で受けるべきであり、今回のケースを見てもこの制度は捨て子を助長していると言える。」




(3) まずは、父親から病院に預けられた(捨てられた?)男児の「健康状態に問題はない」そうですから、そのこと自体は良かったと思います。いかなる事情があったのかは不明ですが、ともかくは健康に育てられていたようです。「熊本県外から父親に手を引いて連れて来られ、自分の名前も話している」そうですから、名前、地域、年齢が分かるので、その情報からいずれは親の身元が判明する可能性があります。

県外に住む父親が、山中に捨てたり、育児放棄などで虐待することなく、他の病院とかに捨てるのではなく、男児を慈恵病院に連れてきたのは、男児の命と健康を確実に保障してもらえると確信していたからでしょう。捨てたとしても、そこには「健康に生きてほしい」と願う親としての情愛が感じられます。


 イ:

「ポストについては「命を救う取り組み」として評価の声がある一方、「子捨てを助長する」などと批判も根強いが、実際に子どもを受け入れたのは初めて。慈恵病院の蓮田太二理事長は「事実だとしても、そうでないとしても、医療人としてコメントできない」としている。」

<追記>で引用したように、報道機関が殺到して記者会見を要求し情報公開を求めたようですが、慈恵病院はコメントしなかったようです。読売新聞は、「今回の事態が明らかになった15日、慈恵病院には早朝から報道陣が殺到した。応対した田尻由貴子看護部長は「事実関係は一切コメントできない」、蓮田院長も「コメントすることはない」と繰り返した。」などと書いて、コメントしなかったことを非難しているようです。

しかし、慈恵病院としてはコメントしないことは当然の反応です。 医療機関は患者の秘密を秘匿する義務があるのですから、本人の同意なく患者の医療情報を公表することはできず、3歳の男児には同意能力が欠ける以上、「医療人としてコメントできない」のですから。

読売新聞の記者は、患者の情報を勝手に公開していいと思っているのでしょうか? 「医療ルネッサンス」という記事を盛んに宣伝していたりしますが、病腎移植問題では患者の医療情報を勝手に暴露していますし、読売新聞の記者は医療契約の基本的な事項さえ理解していないようです。


 ロ:

「一方、柳沢伯夫厚生労働相は「あってはならないというのが大前提だが、児童相談所などでしっかりと世話をしなければならない」と述べた。」

厚生労働省によると、2000年までの統計で、日本では年間200人前後の「捨て子」があるそうですし、お茶の水女子大子ども発達教育研究センターの榊原洋一教授によると、「育児放棄など虐待も少しずつ増加。年間50人の子どもが虐待で命を失っている」とのことです。だから、今回の事件は「捨て子」の一例すぎないのであって、わざわざ記者会見を行い「あってはならない」などと言い立てるほどのことではないのです。「あってはならない」などと言ったところで、現実に起きていることに対して何の対策にもなりません。言うだけなら誰だっていえるのです。具体策を講じるのが国の役割であり、国には役割を応じる義務があるのです。


ハ:この一例から、「こうのとりのゆりかご」制度をどう判断すべきでしょうか? 

育児放棄防いだ

 湯沢雍彦・お茶の水女子大名誉教授(法社会学)の話 病院や県、国は一歳未満の乳児がポストに入れられることを想定し、言葉を話せる幼児が預けられるとは予想していなかっただろう。三歳ぐらいという年齢からみても、まさに「捨て子」に当たると考えられ、病院は幼児をどう扱うか、判断に困っているのではないか。ただこの一件だけで捨て子を助長したとは言えない。むしろ、虐待や育児放棄による子どもの被害を防いだと受け止めるべきだ。

捨て子助長制度

 才村真理・帝塚山大教授(児童福祉)の話 病院は幼児が預けられる可能性も考えなければならなかった。三歳ならば置き去りにされた記憶が残り、心の傷になることが考えられる。本来なら相談機関で受けるべきであり、今回のケースを見てもこの制度は捨て子を助長していると言える。」


才村真理・帝塚山大教授は、たった一例、しかもまだ開始したばかりなのに「今回のケースを見てもこの制度は捨て子を助長していると言える」と言ってしまうのです。欧州では、日本で実施する前から実施されており、そこでは「捨て子を助長する」といった断定はなされていないのに、欧州の実施状況や判断を無視して勝手に「捨て子を助長する」と断定してまうのです。才村真理・帝塚山大教授の意見は、あまりに短絡的で冷静さに欠けた判断です。

湯沢雍彦・お茶の水女子大名誉教授が述べるように、「ただこの一件だけで捨て子を助長したとは言えない。むしろ、虐待や育児放棄による子どもの被害を防いだと受け止めるべき」といった判断の方が、冷静で思慮に富んだ判断であって妥当だと考えます。
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2007/05/16 [Wed] 05:31:01 » E d i t
5月14日、憲法改正手続き法(国民投票法)が成立し、いよいよ憲法改正が現実味を帯びてくることになりました。この国民投票法成立に関して、幾つかの論評・報道記事を引用していきたいと思います。今回は、作家・村薫氏が東京新聞に連載している「社会時評」を紹介します。


1.東京新聞平成19年5月15日付夕刊9面「社会時評」(村薫)

なんとなく改憲? 不備・不透明・強引――政権党の悲願とは別物

 憲法施行60周年の今年、これまで現実になるとは思いもしなかった国民投票法(憲法改正手続き法)が14日、成立した。安倍政権の憲法改正のかけ声は、いまや「嘘(うそ)のようなほんとうの話」になりつつある。

  ◆

 この60年、私たちにとって憲法は、ほとんど空気のようにそこにあり、時代に合うか否かを考えることもなかった。一方で一握りの政治家が改正を目論(もくろ)み、その一人が政権与党の総理総裁になったことで、ある日突然、政治日程に上ってきたのである。

 けれども、こうしていよいよ現実のものとして目の前に突きつけられてみると、今日の憲法改正の動きには多くの不備があることに気づかされる。第一に、憲法は国民主権者であることを保証していると同時に、ときどきの政権が自らの政策の正当性の根拠とするものである。そのため、首相や閣僚らは憲法の遵守(じゅんしゅ)を義務づけられているのだが、その彼らが率先して憲法改正を叫ぶのは、明らかにおかしい。ましてや政治課題にしたり、選挙の争点にしたりする性格のものでないのは、言うまでもない。

 だいいち総選挙も経ていない政権に、勇ましく憲法改正に踏み出す根拠があろうはずもない。また、憲法を改正するというのなら、何よりまず、衆参両選挙区の一票の格差を放置したままの国会に、憲法改正の発議をする資格があるとは思わない。

 さらに国民投票法については、有効投票総数の2分の1以上という規定が国会で議論になったが、国のあり方を変えようというときに、棄権者を白紙委任とみなすのは乱暴にすぎる。国はせいぜい啓発に努め、全有権者数を分母とすべきだと思う。

  ◆

 また、同法に併せて設置される憲法審査会は、改正原案を審査する機関だというが、国民を蚊帳の外に置いて、一から条文を書いていく場にならないという保証はない。

 このように手続きだけをみても実に不透明な改正の動きであるが、改正の目的はさらに不透明である。そもそも憲法改正は自民党結党以来の悲願だが、自民党の悲願の原点には、敗戦後の独立回復の過程で、戦勝国による天皇の戦争責任追及を回避するために、心ならずも受け入れた憲法だという思いがあると言われる。しかし国民は、とにかく素直に平和憲法を喜んだのであり、政権与党として尊重すべきは、国民が60年も憲法を享受してきた事実のほうだろう。

 私たちの多くは、現行憲法がGHQに押しつけられたものであるか否かを、重要な問題とは考えていない。60年を経た憲法に、何か不都合があるとも感じていない。たとえば戦力不保持の条文と自衛隊のあいまいな関係も、自衛のための最小限の戦力という内閣法制局の解釈で足りているというのが、大多数の感じ方のはずだ。しかもアジア諸国は、日本が集団的自衛権を行使してアメリカ軍とともに世界に軍事展開することを望んでいない。近隣の望まないことをするのが、安全保障上もっともまずい戦略だということぐらい、私たちにも想像はつく。

  ◆

 自民党は、日米同盟強化のために何としても自衛軍を保持したいらしいが、長い目で見れば一時的なものでしかない利害関係のために、国民の憲法を改正してよい道理はない。

 憲法は私たちとともにあり、時代や社会とともにあるのだから、私たちが欲すれば、変えることはできる。しかし私たちには、いま憲法を変えるような理由があるか。アメリカと一心同体にならなければ困るような状況が、どこかにあるか。

 安倍政権は、美しい国を連呼するだけで、国民のために憲法改正を急ぐべきことの合理的な説明をしていない。そういう政権に、そもそも憲法をいじる資格はないと、私自身はシンプルに考えている。 (たかむら・かおる=作家)」




2.幾つかの点についてコメントします。

(1) 

 「こうしていよいよ現実のものとして目の前に突きつけられてみると、今日の憲法改正の動きには多くの不備があることに気づかされる。第一に、憲法は国民主権者であることを保証していると同時に、ときどきの政権が自らの政策の正当性の根拠とするものである。そのため、首相や閣僚らは憲法の遵守(じゅんしゅ)を義務づけられているのだが、その彼らが率先して憲法改正を叫ぶのは、明らかにおかしい。ましてや政治課題にしたり、選挙の争点にしたりする性格のものでないのは、言うまでもない。」


憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」として、憲法尊重擁護義務を規定しています。この規定によると、あえて天皇と三権(立法、司法、行政)の担当者を名指ししているのは、「憲法を守らない可能性がある者」(山内氏)を具体的に列挙し、警告を発したということができます(「第3回憲法を守るのは誰か」参照)。そうすると、安倍首相が率先して憲法改正を叫ぶのは、憲法尊重擁護義務違反であると理解するのが素直な判断です。

しかも、 憲法の改正は、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議」が必要としていることは、議員全員がほぼ賛成するほどの改正案であるということを意味します。そうなると、憲法改正論議は、元々、選挙で与党か野党か二分して争う性質ではないのに、安倍首相は、憲法改正を参院選の争点とするのですから、どうかしているとしか思えません。

安倍首相が憲法改正を叫び、参院選の争点とすると明言することは、憲法上、どうしてもおかしいのです。


(2) 

 「改正の目的はさらに不透明である。そもそも憲法改正は自民党結党以来の悲願だが、自民党の悲願の原点には、敗戦後の独立回復の過程で、戦勝国による天皇の戦争責任追及を回避するために、心ならずも受け入れた憲法だという思いがあると言われる。しかし国民は、とにかく素直に平和憲法を喜んだのであり、政権与党として尊重すべきは、国民が60年も憲法を享受してきた事実のほうだろう。」


自民党の悲願の原点には、「敗戦後の独立回復の過程で、戦勝国による天皇の戦争責任追及を回避するために、心ならずも受け入れた憲法」だったというものなのですから、そんな心情は現行憲法の内容とは無関係であって、国民はそんな悲願に共感している暇はありません。当時、自民党と異なり、「国民は、とにかく素直に平和憲法を喜んだ」のです。

それを「戦後レジームからの脱却」を掲げての改正論は、「60年間に人生を送ってきた世代の人たちへの冒涜ではないかと思う。あるいはこの60年を否定するが如きの暴論といってもいい」のです(作家・保坂正康「施行60年憲法とどう向き合うか」東京新聞平成19年5月7日付夕刊9面)。


(3) 

 「自民党は、日米同盟強化のために何としても自衛軍を保持したいらしいが、長い目で見れば一時的なものでしかない利害関係のために、国民の憲法を改正してよい道理はない。

 憲法は私たちとともにあり、時代や社会とともにあるのだから、私たちが欲すれば、変えることはできる。しかし私たちには、いま憲法を変えるような理由があるか。アメリカと一心同体にならなければ困るような状況が、どこかにあるか。

 安倍政権は、美しい国を連呼するだけで、国民のために憲法改正を急ぐべきことの合理的な説明をしていない。そういう政権に、そもそも憲法をいじる資格はないと、私自身はシンプルに考えている。」


現在、自衛隊は実質的に「自衛軍」であるのに、わざわざ多大な費用と時間と政治的労力を費やして、憲法改正を行い明記する必要がどこにあるのでしょうか? 憲法改正によりアメリカと一心同体となって、よりアメリカに追従するような憲法となり、一層アメリカに隷属する結果になることのどこが、自主憲法の制定といえるのか、まったく分かりません。

安倍政権は、「美しい国を連呼するだけで、国民のために憲法改正を急ぐべきことの合理的な説明をしていない」のに、国民投票法について、与党は衆院での採決強行、参院での18項目に及ぶ積み残しをしたまま、成立させてしまったのです。憲法改正を急ぐ合理的な説明をせずにともかく「改憲ありき」では、真っ当な憲法論議はとてもできそうにありません。国民投票法でさえ、中途半端なのですから。

安倍首相は、憲法尊重擁護義務違反を気にせず、憲法の基本、すなわち権力を制約するための法が憲法であることさえ理解していない(枝野幸男議員「東京新聞5月15日11面」)のですから、「そもそも憲法をいじる資格はない」と断言されてしまうのは当然のことなのです。

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2007/05/15 [Tue] 00:00:24 » E d i t
憲法改正の手続きを定める国民投票法案が、5月14日の参院本会議で採決され、自民、公明両党の賛成多数で可決・成立しました。民主党など野党は審議が不十分だとして反対したが、民主党では渡辺秀央氏1人が賛成に回りました。
同法の成立後、改憲原案そのものの提出・審査は3年間凍結される一方、次の国会から衆参両院に憲法審査会が設置されるなど、国会でも改憲を視野に置いた論議が始まることになる。この報道についてコメントしたいと思います。


1.まず報道記事から。

(1) 朝日新聞平成19年5月12日付朝刊2面「時時刻刻」

山積論点 参院素通り 「再考の府」機能せず

 憲法改正を参院選の争点にする――。国民投票法を可決した11日の参院特別委員会でも、安倍首相はこうした考えを重ねて示した。だが、参院では論点が深まったものの、与党は「修正なし」で突き進み、「再考の府」としては機能しなかった。改憲問題では「二院制の見直し」も議論されるなか、法案の課題は積み残されたまま成立する。(佐藤武嗣、鮫島浩)

 「衆院ではボタンの掛け違いがあった。力任せでやると国が割れる。再考の府の参院で、軌道修正してほしい。それが二院制のメリットだ」

 8日の参考人質疑。与党推薦の小林節慶大教授は「僕は改憲論者」と断ったうえ、参院審議で与党と民主党が関係修復するよう促した。ジャーナリストの今井一氏も「公務員の政治的行為の制限」の適用除外で民主党と一度は合意したことに触れ、「適用除外を参院でぜひ復活させてほしい」と訴えた。

 自民党の新憲法草案づくりでは「二院制の見直し」が浮上。存在感が薄い参院にとって、この法案審議は「二院制」の意義をアピールする格好の舞台のはずだった。

 ところが、与党は「中央公聴会を開かないまま採決すれば参院の歴史に汚点を残す」(民主党の簗瀬進氏)という反対論を抑え、衆院が通した法案のまま採決。自民党の舛添要一氏は「民主党との合意を崩した張本人と批判される首相への質疑は衆院ができなかったこと」と胸をはるが、首相の登場にはむしろ「安倍カラー」を演出する思惑すらにじんだ。

 民主党も参院で最低投票率を求める質問を繰り返したが、採決前に提出した対案にはその規定はなく、「民主党の対案に入るべきだが、党内不一致になるから入っていない」(参院自民幹部)と皮肉られた。

 次の国会から衆参に憲法審査会が設置され、その合同審査会が改憲論議を主導する見通しだ。参院審議では「通常の衆参の関係からして事実上の衆院の優越になる」と指摘された。「結論ありき」の参院審議は、そんな懸念をいっそう膨らませた。

◆妥協、「付帯決議」ずらり

 「付帯決議の数の多さが、とりもなおさず審議が尽くされていないことを示している。法案を修正すれば済む話だ」。11日の同特別委で、与党案への反対討論に立った社民党の近藤正道氏はこう指摘した。

 付帯決議は、民主党が採決を受け入れやすいよう与党が配慮し、採決直前に両者でにわか作りしたものだ。<1>最低投票率制度の意義・是非を検討<2>公務員や教育者の地位利用による国民投票運動の規制で、禁止される行為の明確化<3>罰則の適用は国民の意見表明や運動が萎縮(いしゅく)しないよう慎重に運用――など18項目にわたる。

 自民党の舛添氏は「ここに参院の良識が詰まっている」と語ったが、課題が積み残されていることをいみじくも認めた格好だ。

 妥協の道を模索した衆院に比べ、参院では議論が深まったとの見方は与野党とも一致している。例えば最低投票率制度について「ごく一部の人の意思によって改正されれば、憲法の正当性を損なう」(山口二郎・北大大学院教授)などと多くの公述人らが指摘。組合の運動を警戒した一部自民党議員の主張で盛り込まれた、公務員への「政治的行為の制限」についても「公務員は何をしていいのか、いけないのか、全くわからない」とあいまいな基準を懸念する意見も相次いだ。

 同法案では、「関連する事項ごと」に分けて改憲案の賛否を問う、となっている。自民党新憲法草案の賛否を一括して問うことにはならないが、どこまでが「関連する」条項とみるのか、その基準は不透明なままだ。
 
 そもそも、投票年齢の「18歳問題」や、公務員の政治的行為の禁止基準など、詰め切れない部分は、凍結期間の3年間に議論するとして、法案の「付則」の検討課題に押し込まれている。法案作成に携わった与党関係者は「政局と政治的妥協で、いびつな法案になってしまった」と打ち明ける。付則にとどまらず、付帯決議で指摘された項目についてもなお、見直しを続けることが迫られる。

◆改憲争点化 離れる民主

 「私の内閣で憲法改正を考えていきたいと訴えるのは、むしろ正直な態度ではないか」

 11日の参院憲法調査特別委員会。大詰めの審議に登場した首相は、参院選で「憲法改正」を訴える考えを強調した。

 与党と民主党の協調路線を崩したのは、憲法改正を参院選の争点に掲げる今年初めの首相発言だった。だが、憲法改正をどう訴え、何を問いかけたいかは、いまだ判然とはしない。この日の質疑でも、民主党の前川清成氏が「街頭演説で自民党の草案を読み上げるのか。具体的にこの国の形をどう変えたいのかを示さないと、国民には伝わらない」と指摘した。

 首相は「街頭演説で全部しゃべるわけにはいかない」としつつ、「『何を考えているのか』とよく言われるが、自民党はすでに決めている。この存在をまず知らしめていく。9条を変えるとも書いてある」。自民党の新憲法草案の実現をめざすと訴えるのだと説明したが、自らの言葉で志向を語ることはなかった。

 憲法改正には衆参で3分の2以上の議席が必要だ。民主党との合意は不可欠だが、首相が憲法改正の争点化を掲げるほど民主党は離れていく格好で「安倍さんは参院選で与党だけで3分の2をとれないと退陣するのか」(民主党の枝野幸男憲法調査会長)とも皮肉られている。首相が自民党の草案に固執すれば、民主党との合意形成は絶望的な状況だ。」




(2) 朝日新聞平成19年5月11日付朝刊16面「私の視点」

 「◆国民投票法 最低投票率 違憲ではない――上智大教授(憲法)・高見勝利(たかみ かつとし)

 憲法改正の手続きを定める国民投票法案をめぐる参院での審議が大詰めを迎えている。だが、重大な論点について議論が尽くされていないばかりか、憲法解釈上も見過ごせない奇妙な議論がまかり通っている。

 その1つが、最低投票率を設けることが憲法違反だとする法案提出者の見解だ。その主張を整理すると次のようになる。

 憲法96条は、国会の憲法改正の発議要件について各議院の「総議員の3分の2以上の賛成」と厳格に定める一方で、国民投票の承認については「その過半数の賛成」としている。

 「その過半数」とは、実際に投票所に行き、賛成・反対の明確な意思を表示した投票権者、つまり、有効投票の過半数であることは一義的に明白だ。憲法に書かれていない最低投票率を法律で設定するのは憲法96条に過度の要件を加えるもので、憲法違反だ――。

 しかし、この見解は、憲法96条に関する独自の理解に基づくもので、一般的にはとうてい通用しない。

 「その過半数」の意味については、複数の「解釈」の余地がある。他ならぬ提案者自身が、衆院の憲法調査特別委員会などで、過半数の算定基準として、<1>投票権者総数<2>投票総数<3>有効投票総数、という三様の理解がありうると、公言していたことからも明らかだろう。学説上も3通りの解釈がなされている。

 そもそも、<1>の解釈に立てば、最低投票率の問題は生じない。集計の結果、投票権者名簿に記載された投票権者総数の「過半数」の賛成が得られなければ、国民の「承認」があったとはいえないからだ。

 一方、<2>や<3>の解釈では、投票権者の何%が投票所に足を運び、票を投じたかが問題となりうる余地がある。「大量の棄権や白票・無効票が出た場合でも、投票総数等の過半数が得られさえすれば、国民による憲法改正の承認があったとしてよいのか」という疑問が生じるためだ。

 最低投票率に関する規定を置くべきだとする主張がいま、弁護士会や法学者、市民団体などの間で強まっているのは、この点を突いている。あまりに低い投票率で憲法改正がなされる可能性のある法律を作ることが、国民の憲法改正権の本質に照らして問題はないのか、という問いである。

 にもかかわらず、最低投票率を法律で定めるよう憲法に書いていないからという理由で、最低投票率を設定することを違憲だという主張は本末転倒もはなはだしい。その論理に従えば、国民投票法を作ること自体も憲法に明記されておらず違憲だという、奇妙なことになるのではなかろうか。

 しかも、最低投票率が重大な争点になったのは、憲法96条の「その過半数」をめぐる複数の解釈の中から、提案者があえて「有効投票」を採用したためだ。

 それに伴う問題解決のために立法上の手当てをすることは、憲法改正権者を国民と定めた憲法の趣旨に沿いこそすれ、違憲の解釈はあり得ない。逆立ちした議論の横行を見過ごすわけにはいかないし、「良識の府」としての参院での真摯(しんし)な議論を期待したい。」




2.「参院では議論が深まったとの見方は与野党とも一致している」と自画自賛しているようですが、参院でわずか1ヶ月の論議に「論点を深めるような議論ではなかった」(小林節教授・朝日新聞5月14日付夕刊15面)という評価の方が妥当です。

「付帯決議の数の多さが、とりもなおさず審議が尽くされていないことを示している」のに、なぜ、そのまま成立させてしまったのか、というと、それば安倍首相の指令に従ったからでしょう。指令に従わないと、おそらく郵政解散と同様、推薦取り消しなどペナルティもあるでしょうから、みな従うのも当然でしょうが。ともかく今国会で成立させるという「結論ありき」の参院審議でした。

法案提出者が「最低投票率を設けることが憲法違反だ」といったりするような、憲法感覚が皆無な議員ばかりなのです。かといって、与党議員だけがダメかというと、そうでもないのです。民主党も参院で最低投票率を求める質問を繰り返していたようですが、採決前に提出した対案にはその規定はないのですから、「民主党の対案に入るべきだが、党内不一致になるから入っていない」(参院自民幹部)と皮肉られても、何も文句は言えません。

憲法改正には衆参で3分の2以上の議席が必要ですから、民主党との合意は不可欠です。なのに、首相が憲法改正の争点化を掲げることで、かえって民主党は離れていく格好になります。合意が必要である以上、自民党の新憲法草案をそのまま改正案にできないはずなのに、安倍首相は自らの言葉でどう国を憲法を変えたいのか、志向を語ることができないのです。憲法改正を夢想しているだけなのでしょうか、安倍首相は。

憲法がよく分からない議員が、論点山積のまま、18項目もの付帯決議を付けたまま、国民投票法案を成立させてしまったのです。白けた気分に陥っています。

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2007/05/12 [Sat] 04:26:08 » E d i t
「きっこのブログ」さんを見ていたら、「「美しい国」の犠牲者は子供たち」(2007.05.10)というエントリーで注目すべき報道に触れていました。それは、北海道内の航空自衛隊施設に勤務する女性隊員(21)が、夜勤中に泥酔した男性隊員(3曹・32)から呼び出され性的暴行を受けた上、相談した男性上司からも退職を迫られるなどし精神的苦痛を受けたとして、国を相手に慰謝料など約1100万円を求める訴訟を5月8日、札幌地裁に起こしたというものです。
この報道についてコメントしたいと思います。(5月30日追記:その後の続報です)


1.まず報道記事から。


(1) 北海道新聞(05/09 07:53)

わいせつ被害の空自女性隊員 国に1100万円賠償請求 札幌地裁(05/09 07:53)

 同僚男性からわいせつ行為をされ、被害を相談した上司から逆に退職を強要されたとして、道内の航空自衛隊の部隊に所属する女性隊員(21)が八日、国を相手取り、約一千百万円の損害賠償を求める訴えを札幌地裁に起こした。原告代理人の弁護士によると、現職自衛隊員が国を訴えるのは異例という。

 訴えによると、この女性は昨年九月、勤務中に泥酔していた同僚男性(32)から基地内で押し倒され、無理やり体を触られるなどした。女性は上司数人に相談したが「退職願に(印鑑を)押せよ」「ここまでこじれたら、自衛隊ではやっていけないんだよ」などと、逆に約半年間にわたって嫌がらせを受け続けた。女性は上司に男性の退職か転勤を求めたが、基地側が適切な措置を取らず、長期にわたり精神的苦痛を受けたとしている。

 女性の父親(48)は提訴後、札幌市内で記者会見し、「私は加害者や上司を許すことができません。被害者が泣き寝入りする現状があってはならず、現職のまま闘います」と女性のコメントを代読。さらに父親は、女性から話を打ち明けられた時の心境を「本当につらかった。言葉には尽くせない」と語った。

 同席した代理人の佐藤博文弁護士も「自衛隊には、世間では理解し難いようなハラスメント(嫌がらせ)がある。今回の訴訟は、氷山の一角にすぎない」と強調した。

 これに対し、女性が勤務する基地は、警務隊が今年二月から強制わいせつの疑いで捜査していることを認めたが、退職の強要については「あったかどうかも含め、部内で調査中」と説明。訴状については「正式に受け取っていないので、コメントできない」としている。」



(2) 札幌テレビ - 2007年5月8日

◆女性自衛官が国に損害賠償求める

 道内の航空自衛隊の基地に所属する現役女性自衛官が同僚の男から性的暴行を受けたうえ組織ぐるみでいやがらせなどを受けたとして国を相手に損害賠償を求める訴えを起こしました。

 (女性自衛官の父親)「加害者、そして部隊の上司が私に行った数々の行為は、私の人権や女性としての尊厳を著しく踏みにじるものでした」

 提訴後の記者会見で、女性自衛官の父親は部隊による組織ぐるみの性的暴行事件の隠蔽について本人に代わって、コメントしました。訴えによりますとこの女性自衛官は、去年の9月深夜に32歳の自衛官の男から勤務する基地に呼び出され、服を脱がされるなど性的暴行を受けました。その後、所属の上司に相談しましたが、暴行した男に対する処分はない一方で、女性自衛官は、退職を迫られるなど組織ぐるみで嫌がらせを受けたとしています。このため、女性自衛官は、国を相手におよそ1100万円の損害賠償を求める訴えを起こしました。女性自衛官は、組織からこのように言われて退職を強要されたと父親は話します。

 (女性自衛官の父親)「もうお前は終わりだよ。帰ってきたらどうなるかわかってるな」

 (佐藤博文弁護士)「女性に対する重大な権利侵害。半年あまり究明を求めたが不可能」

 STVの取材に対し、女性自衛官が所属していた自衛隊基地は、北部方面警務隊が今年2月に女性からの刑事告訴を受理して、強制わいせつの疑いで捜査しているとした上で、「詳細はコメントできない」と話しています。

 (女性自衛官の父親)「今後、自衛隊が社会常識が通用する普通の組織となり、女性が安心して働ける職場になれるかどうかにかかっています」

(2007年5月8日(火)「どさんこワイド180」) 」



(3) 毎日新聞5月9日付

 「航空自衛隊:空士長 「わいせつ被害」 国賠提訴

 同僚からわいせつ行為を受けたうえ、退職を強要され精神的苦痛を被ったとして、航空自衛隊北部航空警戒管制団(司令部・青森県三沢市)の道内基地に勤務する女性空士長(21)が8日、国に対して約1115万円の損害賠償を求める訴訟を札幌地裁に起こした。提訴後会見した空士長の父(48)は「(被害は)あってはならないことで、怒りしかない」と述べた。

 訴状によると、空士長は女子隊員寮で就寝していた06年9月9日午前2時半ごろ、泥酔した男性3曹(32)に内線電話で呼び出され、胸などを触られた。上司に被害を訴えところ、「ここまでこじれたら、自衛隊ではやっていけないんだよ」などと言われたうえ、退職を強要された。自衛隊としての責任の明確化と再発防止を求めている。

 空士長は「私の人権と女性としての尊厳を取り戻すため、国と戦いたい」とのコメントを出した。一方、空士長が勤務する基地の広報担当者は「訴状を受け取っていないのでコメントできない。退職強要の有無については現在、内部調査中」と話した。

 男性3曹のわいせつ行為をめぐっては、空士長は千歳地方警務隊に被害届を提出している。【芳賀竜也】

 2007年5月9日」



(4) 時事ドットコム(2007/05/08-18:29 )

女性自衛隊員が国を提訴=「セクハラ被害で苦痛」-札幌地裁

 北海道内の航空自衛隊施設に勤務する女性隊員が、同僚の男性隊員からセクハラ行為を受けた上、相談した男性上司からも退職を迫られるなどし精神的苦痛を受けたとして、国を相手に慰謝料など約1100万円を求める訴訟を8日、札幌地裁に起こした。

 訴状によると、女性隊員は航空自衛隊の北部航空警戒管制団第四五警戒群(北海道当別町)に勤務していた昨年9月、夜勤中の男性隊員(32)に呼び出され、ボイラー事務室で体を触られるなどのセクハラ被害を受けた。女性隊員は被害を男性上司に相談したが、外出許可を受けられなくなり、退職願を出すよう迫られた。

 航空自衛隊の警務隊は今年2月末、女性隊員の被害届を正式受理した。」





2.訴訟や事件の詳しい内容については、「[AML 13809] FW: [女性自衛官人権訴訟を提起しました」と、「じょんのびblog」さんの「2007年05月10日 ■ わいせつ被害の「空自女性隊員」(21歳)が国を提訴」「レイバーネット:女性自衛官人権裁判~訴状と手記「人権と尊厳取り戻すため国とたたかう」「レイバーネット:人権訴訟を提起した北海道女性自衛官に励ましを」「パワハラ許さない! 現職女性自衛官が国賠提訴」をご覧下さい。


(1) 新聞記事の内容では、はっきりしないのですが、訴状(女性自衛官人権裁判)(PDF)を見ると、これはセクハラといったレベルではなく、強制わいせつ罪というよりも強姦罪にあたる行為です。一部引用しておきます。

 「4時30分頃になり、A3曹は、「(5時にボイラーを動かさなければならないので)5時に起すように」と言って、同室内から外に出る3つドア(食堂に出るドア2か所と建物の外に出るドア1つ)全てに鍵をかけ、照明を消し、仮眠をとるためソファーベッドに横になるようなしぐさをした瞬間に、原告の腕を引っ張り、ソファーベッドに引き込んで押し倒し、腕と肩を押さえつけた。

 原告は、必死に抵抗し、起き上がろうとしたが、A3曹は原告を押さえつけながら上衣を強引に脱がして裸にし、無理やりキスをしたり、胸を触るなどの行為を執拗に行なった。原告は抵抗したが、A3曹は力が強く、かなわなかった。そして、本件基地内にいる交際相手に知られたら困る、早く終われ、といった気持ちも入り乱れ、パニック状態になった。途中から体の力が抜けたような状態になった。

 午前5時になり、A3曹の携帯電話のアラームが鳴った。このとき、A3曹は直ぐに気づかず原告の横で寝ていたようだった。このとき原告は逃げようとしたが、A3曹が脱がせた上衣を体の下に敷いていて取り戻せなかったので、逃げることができなかった。

 気づいたA3曹は、再び原告の上に乗り、下衣も全て脱がせた。その後にA本人も全部服を脱いだ。そして、キスをしたり、胸を触ったり、さらには陰部やお尻にまで触りはじめた。

 そして、原告に対して、「このことは彼氏に黙っているから」「転勤になるまで(当時、A3曹に転勤話があった)おれの相手をしてほしい」「避妊具をもっていないけど、そのままでいいよな」等と言った。原告は、「それだけはやめて」と言い、必死に抵抗し続けた。」



ほかにも、訴状にはかなりひどい書かれています。新聞内容でははっきりしませんが、

<1>航空自衛隊の警務隊は今年2月27日になってやっと、女性隊員の被害届を正式受理し、強制わいせつ罪の嫌疑でA3曹を検察官送致したこと

<2>夜勤中にたびたび泥酔し、花火遊びをし、セクハラ、強制わいせつを行っていたのに、5月に至るまでA3曹は全く処分も配転もなく、それどころか、原告を基地内の異端者、厄介者扱いし、約半年間にわたって、上司、同僚らが二次的、三次的被害を与えたこと(例えば、外出の不許可、行事からの排除、退職強要)

などが書かれています。


強制わいせつ罪の嫌疑でA3曹を検察官送致したというのが事実であれば、ある程度の証拠もあったということになりますから、強制わいせつ(強姦?)の事実は、証拠に基づいて真実であるという推認ができることになります。事実関係も詳しいですし、長期間の嫌がらせの存在は、強制わいせつ事実とその隠蔽を強く推認させる証拠といえると思います。

上司や同僚などから長期間、公然と嫌がらせを受けていたようですから、多数人が分かっていたはずです。そうなると、女性隊員がうそをついているという評価は困難であって、上司による嫌がらせもまた、真実であると考えられます。上司が嫌がらせをした理由は、強制わいせつが明るみに出れば上司の責任問題になるため、それを恐れたためだと思われます。なので、隠蔽工作の一環として、A3曹は全く処分されず、上司や同僚が嫌がらせをしたと推測するのが合理的でしょう。


(2) この事案には、多くの深刻な問題点が含まれています。

<1>夜勤中にたびたび泥酔し、音のする花火遊びをしても見逃されているという唖然とするほど緩みきった組織であること

<2>強制わいせつ・強姦という犯罪行為を行った犯罪者を処分しないという法令遵守意識の乏しい組織であること

<3>犯罪被害者をケアするどころか、犯罪被害者に対して嫌がらせ(パワーハラスメント)を行うという女性差別(憲法14条)意識が蔓延する、人権侵害を助長する腐った組織であること

<4>自衛隊内部の警察組織ともいうべき「警務隊」は被害者の訴えを無視して長期間放置していたのであるから(2月末に受理)、「警務隊」は全く機能しないに等しく、無法地帯を容認する組織であること

<5>性的暴行から半年間にわたり、加害者を処分することなく、被害を相談した上司から逆に退職を強要されるなどの嫌がらせを続け、誰も阻止しようとしていないのだから、組織ぐるみの隠蔽を行う、自浄作用ができない組織であること



自衛隊は、陸上自衛隊下志津駐屯地(千葉県)の2等陸曹(37)の私物パソコンから3月下旬、内部情報(陸自松戸駐屯地内の武器庫の配置図)がインターネット上に流出したり、2等海曹が通達に違反して、エロ画像とともに、「特別防衛秘密」に属するイージス艦の情報を受け取り、自宅パソコンに保存していた問題が発覚しています。自衛隊は、情報管理・秘密保全もろくにできない組織なのです。日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法上、米国から供与された防衛装備の性能などに関するものなど秘匿度が高い情報である「特別防衛秘密」でさえ、漏らしてしまうのですから、呆れるしかありません。


以前、「今日から「防衛省」が発足~日本の防衛政策が転換する可能性も」において、「ものすごく弱い軍隊」などと書いたところ批判的なコメントが多く寄せられました。

しかし、性的な被害を受けて、さらに理不尽にも長期間嫌がらせを受けている女性一人でさえ、擁護し守ることもできないような自衛隊員なのに、どうして外国に対して対抗することができるのでしょうか? しかも、秘密保全も法令遵守意識も乏しく、夜勤中泥酔してても見逃す緩んだ組織で、女性差別や人権侵害を助長する腐った組織で、無法地帯を容認する組織で、自浄作用のない組織といった状態なのですから、異常としか言いようがありません。

こんな腐った組織で腑抜けた隊員ばかりの状態では、国防も十分にできるような組織であるとは到底思えず、やはり「弱い軍隊」といわざるを得ません。こういう組織なら防衛費は激減させてしまってよいでしょう。無意味ですから。

自衛隊は秘密保全とセクハラ防止に力を入れてるそうですが、本気で秘密保全やセクハラ防止に取り組んでいるのか疑問です。巷の一部国民や自民党は憲法9条を改正して、自衛隊を自衛軍として正式に認めたいようですが、秘密保全や法令遵守意識の乏しいという、異常で腐った組織であるという現実を考えれば、無謀すぎる考えのように思います。

今後、自衛隊は、秘密保全や法令遵守ができない組織をいかに改善するのでしょうか? もしできないのであれば、憲法9条の文言どおりに自衛隊は違憲であるとして、ごく一部のみ残して、軍隊としての組織は解体して、災害救助隊のみに変更してしまった方がよいかもしれません。
秘密保全や法令遵守ができない組織であれば、海外派遣した場合、当該外国で、自衛隊員による犯罪行為が続発し国際問題化して日本国の名誉が毀損され、秘密漏洩により自衛隊ばかりか米国軍を危機に陥れかねないからです。  
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事件 *  TB: 3  *  CM: 2  * top △ 
2007/05/11 [Fri] 00:27:31 » E d i t
安倍首相は、4月21~23日に行われた靖国神社の春季例大祭で、「真榊(まさかき)」と呼ばれる、神事に使うサカキの鉢植え1基を「内閣総理大臣」の肩書で奉納していたそうです。首相による奉納は中曽根元首相以来約20年ぶりだそうです。この報道についてコメントしたいと思います。


1.まず報道記事から。

(1) asahi.com(2007年05月08日03時08分)

 「安倍首相、靖国に供物奉納 中曽根氏以来約20年ぶり
2007年05月08日03時08分

 安倍首相が4月21~23日に行われた靖国神社の春季例大祭で、神前にささげる供え物を「内閣総理大臣」の肩書で奉納していたことが分かった。首相による奉納は中曽根元首相以来約20年ぶり。安倍首相は靖国参拝について「したか、しないか、申し上げるつもりはない」とあいまいな態度をとっているが、参列の代わりに供え物を奉納することで靖国神社への配慮を示したとみられる。

 同神社関係者によると、奉納したのは「真榊(まさかき)」と呼ばれる、神事に使うサカキの鉢植え1基。高さ2メートル近くあり、本殿に上がる木製階段の両脇にほかの真榊とともに並べられた。鉢に付けられた木札には「内閣総理大臣」と書かれた。

 例年、衆院議長をはじめ、日本遺族会や英霊にこたえる会の会長らも真榊を奉納しているが、首相は、85年に靖国参拝が問題化した中曽根氏(在任期間82~87年)の後は途絶えていた。小泉前首相は例大祭ではなく、自らが参拝した際に花を供えた。

 神社側が安倍首相側に参列の案内を送り、奉納を働きかけたところ、首相側が応じたという。奉納の費用は5万円という。

 靖国神社は招待者を対象に、毎年4月に春季、10月に秋季の例大祭を行っており、神社の儀式としては8月15日の終戦の日よりも重要視されている。安倍首相は官房長官だった昨年4月、例大祭の直前にひそかに同神社を参拝したことが明らかになっている。今回の例大祭は、中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相の訪日直後の時期だった。

 同神社関係者は「首相になり参拝を控える中、お気持ちを示されたのだと思う。ありがたい」と歓迎している。

 安倍事務所は朝日新聞の取材に対し、「思想信条に関するご質問には回答しておりません」としている。供え物の費用が私費か公費かも回答はなかった。」



(2) 毎日新聞(2007年5月8日23時06分(最終更新時間 5月9日2時26分))

 「靖国神社:首相の例大祭供物問題 論争再燃が必至

 安倍晋三首相が靖国神社の春季例大祭(4月21~23日)に「内閣総理大臣」名で「真榊(まさかき)」を供えていたことが明らかになり、「靖国問題」が再浮上した。春の参拝を見送る一方で奉納を選んだ背景には、自身の年内訪中や来年の中国の胡錦涛(こきんとう)国家主席の来日と、「足場」である参拝支持派への配慮との兼ね合いがあるとみられる。首相は奉納の事実確認さえ拒み、靖国問題をめぐる「あいまい路線」を貫くが、その是非が内外で問われる事態は避けられそうにない。

 ◇明言避けあいまいに

 「出したか、出さないかということについても申し上げません」

 首相は8日夕、奉納について明言を避けた。記者団が「否定しようがないのではないか」とたたみ掛けると、「否定も肯定もしないと申し上げている」と突っぱねた。

 就任当初から靖国参拝について「行くか行かないか、行ったか行かなかったか申し上げるつもりはない。この先どうするかも同じだ」と繰り返してきた首相。その言葉通りの対応だった。

 首相は就任直後の昨年10月、中韓両国を歴訪。小泉純一郎前首相の靖国参拝で冷え込んだ関係改善のかじを切った。4月11日には来日した中国の温家宝首相と会談し、温首相が「歴史問題への善処が重要」と靖国参拝の自制を暗に求めたのに対し、「平和国家として歩むことが私の気持ちで、歴史認識そのものだ」と対応。首脳の相互訪問に道筋をつけた。

 これを受け、秋季例大祭(10月17~20日)の参拝も見送られるとの見方が強い。しかし、夏に参院選を控えることから、首相周辺には「靖国に関し、支持基盤としてきた保守層に何らかの姿勢を示す必要がある」との指摘があった。今回の奉納は、参院選向けの姿勢の表明という意味合いから具体化したようだ。

 自民党の中川秀直幹事長は「(中韓外交に)特段の影響があるとは考えていない」と強調。公明党の北側一雄幹事長も「参拝されたわけではない。冷静に見てほしい」と訴え、与党は沈静化に躍起になった。

 しかし、参拝支持派から「参拝に向けた一歩」などという高い評価の声が上がる一方、野党は「姑息だ。私人と言いながら首相名では矛盾し、分かりにくい」(民主党の鳩山由紀夫幹事長)などと一斉に批判しており、「靖国論争」の再燃は必至だ。また、今のところ批判を抑える中韓両国の今後の出方も読み切れない中、首相の行為は一種のカケでもあった。【西田進一郎】

 ◇「宗教的意義」が焦点

 真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するかどうかは、費用の公私を含めて公的なものかどうか、宗教的意義を持つか否かなどがポイントになる。97年の「愛媛玉ぐし料訴訟」で最高裁は、靖国神社の例大祭などに際しての県費による玉ぐし料支出が、宗教的意義を持ち、特定の宗教を支援・助長する効果があると認定し、違憲判決を下した。

 塩崎恭久官房長官は8日の会見で、奉納費は私費で支払われたと明言し、「私人としての事柄。政教分離とは関係ない」と繰り返した。しかし、、靖国神社側は公的で、宗教性の強い行為だと認識していることがうかがえる。

 今回、真榊は本殿に上がる階段の両脇に3鉢ずつ設置されたが、首相の鉢は河野洋平衆院議長、古賀誠・日本遺族会会長らより上座の「神道で最上位となる右列の本殿に最も近い位置に置いた」という。さらに、神社関係者は小泉純一郎前首相による「みたままつり」のちょうちん奉納と比較、「同じ奉納でも宗教的意味が全く違う。玉ぐしと同じく気持ちを込めてお供えする宗教行為」と述べた。

 首相の真榊奉納が中止された85年秋以降も神社は首相に打診したが、断られたため、そのうち打診自体をやめたという。歴代首相側に、政教分離をめぐって物議を醸すことを避ける判断があったとみられる。

 踏み切った形の首相の行為に見解は割れている。大江志乃夫・茨城大名誉教授は「戦前の神社誌を見れば、真榊奉納は天皇の特権行為。玉ぐし料よりも重大で、公式参拝と同じ行為と言え、政教分離の観点からも問題がある」と指摘。大原康男・国学院大教授は「過去の判例から政教分離の原則に触れるとは思わない」との立場だ。【田所柳子】

 ◇批判トーンは弱く…中国外務省

 中国外務省の姜瑜副報道局長は8日午後の定例会見で「靖国問題は政治的に敏感な問題だ。中日両国は既に両国関係に影響を与える政治的障害を克服し、友好関係を健全に発展させる点で一致している。このコンセンサスは守られなければならない」と述べ、小泉純一郎前首相の直接参拝の時よりも弱いトーンで非難した。中国政府は安倍首相の真榊奉納という方法に虚をつかれ、真意を測りかねているようだ。

 だが日中両国は、安倍首相の年内訪中と来年の胡錦涛国家主席の訪日という首脳訪問に基本合意している。中国政府は関係改善を重視し、首脳訪問の見直しまでは踏み込まないとみられる。

 一方、韓国外交通商省は8日、「正しい歴史認識の確立に逆行するもので、大変遺憾に思う」との論評を発表した。小泉前首相の靖国参拝時の報道官声明に比べれば穏やかで、対日摩擦が再燃しないよう神経を使っている姿勢がうかがえる。

 それでも、韓国政界では、安倍首相が4月下旬の訪米前後に慰安婦問題でおわびの気持ちを述べたことに対し、「被害者がいる韓国を軽視している」との不満がくすぶっている。また、今月7日からモナコで始まった国際水路機関総会で韓国政府は「日本海」と表記された海図の承認を阻止する構えを強めている。

 真榊奉納で安倍首相に対する韓国国民の不信感が高まれば、竹島問題や慰安婦問題など他の歴史問題の懸案に飛び火する可能性も排除できない。【北京・堀信一郎、ソウル堀山明子】

毎日新聞 2007年5月8日 23時06分 (最終更新時間 5月9日 2時26分)」



 「■ことば ◇真榊(まさかき)

 神事の際に祭壇の左右に立てる祭具。榊はツバキ科の常緑小高木で、茨城県、石川県以西に分布する。6~7月に白い花を咲かせる。古来、神が降臨するためのよりしろとして使われ、神道には欠かせない植物とされる。真榊は、榊に布や三種の神器を飾り付けるなどして用いられる。」(毎日新聞平成19年5月9日付朝刊「クローズアップ2007」




2.この報道記事から2点コメントしたいと思います。まずは、安倍首相による真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するかどうかです。

 「真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するかどうかは、費用の公私を含めて公的なものかどうか、宗教的意義を持つか否かなどがポイントになる。97年の「愛媛玉ぐし料訴訟」で最高裁は、靖国神社の例大祭などに際しての県費による玉ぐし料支出が、宗教的意義を持ち、特定の宗教を支援・助長する効果があると認定し、違憲判決を下した。

 塩崎恭久官房長官は8日の会見で、奉納費は私費で支払われたと明言し、「私人としての事柄。政教分離とは関係ない」と繰り返した。しかし、、靖国神社側は公的で、宗教性の強い行為だと認識していることがうかがえる。

 今回、真榊は本殿に上がる階段の両脇に3鉢ずつ設置されたが、首相の鉢は河野洋平衆院議長、古賀誠・日本遺族会会長らより上座の「神道で最上位となる右列の本殿に最も近い位置に置いた」という。さらに、神社関係者は小泉純一郎前首相による「みたままつり」のちょうちん奉納と比較、「同じ奉納でも宗教的意味が全く違う。玉ぐしと同じく気持ちを込めてお供えする宗教行為」と述べた。

 首相の真榊奉納が中止された85年秋以降も神社は首相に打診したが、断られたため、そのうち打診自体をやめたという。歴代首相側に、政教分離をめぐって物議を醸すことを避ける判断があったとみられる。

 踏み切った形の首相の行為に見解は割れている。大江志乃夫・茨城大名誉教授は「戦前の神社誌を見れば、真榊奉納は天皇の特権行為。玉ぐし料よりも重大で、公式参拝と同じ行為と言え、政教分離の観点からも問題がある」と指摘。大原康男・国学院大教授は「過去の判例から政教分離の原則に触れるとは思わない」との立場だ。」(毎日新聞)


安倍首相による真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するかどうかについては、

<1>真榊奉納が宗教的意義を有するか、
<2>宗教的意義を有するとした場合、安倍首相が行った真榊奉納は、内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格として行ったもの(公的行為)かどうか、

を検討する必要があります。宗教的行為であっても、私人(一個人)という資格で行うのであれば何ら問題はないのですが、国家機関を担う公人として行うのであれば政教分離違反となるからです(浦部編「憲法キーワード」58頁~参照:通説)。

なお、靖国懇の報告書では、公式参拝とは「内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格(内閣総理大臣その他の国務大臣としての資格)で行う参拝のことであり、したがって、閣議決定などは特に必要ではないと考える」としています(ジュリスト848号111頁)。そこで、真榊奉納問題での「公的」か否かについてどうかも、この基準を参照して(参拝を真榊に修正して)判断することにします。


(1) まず、<1>真榊奉納が宗教的意義を有するといえるでしょうか?

真榊(まさかき)は神事の際に祭壇の左右に立てる祭具であり、神社関係者によれば、「みたままつり」のちょうちん奉納と比較しても「同じ奉納でも宗教的意味が全く違う。玉ぐしと同じく気持ちを込めてお供えする宗教行為」だそうです。このような真榊奉納の性質からすると、玉ぐしと同様に、宗教的意義があると評価することが妥当であると考えます。

97年の「愛媛玉ぐし料訴訟」で最高裁は、靖国神社の例大祭などに際しての県費による玉ぐし料支出が、宗教的意義をもつとしていることからすると、真榊奉納は玉ぐしと同程度の宗教的意義があるのですから、(もし裁判となった場合)裁判所の判断としても、当然、真榊奉納も宗教的意義があると評価すると思われます。

今回、真榊は本殿に上がる階段の両脇に3鉢ずつ設置されたが、首相の鉢は河野洋平衆院議長、古賀誠・日本遺族会会長らより上座の「神道で最上位となる右列の本殿に最も近い位置に置いた」のです(テレビ報道だとかなり目立つ位置にあった)。そうなると、参拝者にとって誰にでもすぐに目にする形で、しかもしばらく置かれたままという継続的に奉納の意思を示すのですから、一時的に支出する玉ぐし料よりもより強く、特定の宗教を支援・助長する効果があると判断できると考えます。


大原康男・国学院大教授は「過去の判例から政教分離の原則に触れるとは思わない」としています。大原康男・国学院大教授が、どういう理由で、政教分離原則に違反しないとしたのか不明ですので、その評価は難しいです。しかし、「戦前の神社誌を見れば、真榊奉納は天皇の特権行為」ということであれば、真榊奉納は極めて宗教的意義が強いといえます。真榊は神事の際に祭壇の左右に立てる祭具なのですから、宗教的意義がないといったような評価は無理に近いのです。

そうだとすれば、大江志乃夫・茨城大名誉教授が述べるように「公式参拝と同じ行為と言え、政教分離の観点からも問題がある」という評価の方が妥当でしょう。

このように検討すると、真榊奉納が宗教的意義を有すると考えます。



(2) <2>宗教的意義を有するとした場合、安倍首相が行った真榊奉納は、内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格として行ったものといえるでしょうか? 

首相は5月8日夕、奉納について記者団が「否定しようがないのではないか」とたたみ掛けると、「否定も肯定もしないと申し上げている」と突っぱねています。

否定も肯定もしないとあえて明確にせず、曖昧な言動に終始する場合、私的行為とする判断もできますが、大阪高裁平成17年9月30日判決では曖昧な言動は公的と認定する要素の1つと判断しています。もし曖昧にすれば法の規制を免れることを許せば、簡単に脱法行為を認めてしまうことになるからです。

安倍氏は、内閣の首長である内閣総理大臣の地位にある以上、天皇陛下と同様に公人であって、公の場で行う殆どの行為が公的色彩を帯びてしまうのはある意味、不可避です。そうすると、首相による真榊奉納は、曖昧にしていた場合はもちろん、どう工夫をしても公的行為と扱われてしまうと考えます。

安倍首相は、靖国神社の春季例大祭で、「真榊(まさかき)」と呼ばれる、神事に使うサカキの鉢植え1基を「内閣総理大臣」の肩書で奉納していたのです。そうすると、 靖国神社の最重要行事である春季例大祭において奉納したのですから、客観的にみて宗教的意義が深い行為であり、「内閣総理大臣」の肩書を明示したことで、国家機関たる公人として行ったという公的要素が強調されたと評価できます。


このように検討すると、安倍首相が行った真榊奉納は、内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格として行ったもの(公的行為)といえると考えます。そうすると、安倍首相による真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するというべきだと考えます。

安倍首相は、参拝はできなくても真榊奉納はできると踏んだのでしょうが、もしそうだとすると、安倍首相は真榊奉納の宗教的意味がよく分かっていないことになります。真榊奉納の宗教的意味が分からずに奉納することは、靖国神社に対しても失礼な態度です。



(3) 直接真榊奉納問題に関わるわけではないのですが、なぜ、(首相による)靖国神社への参拝だけが特に問題とされるのでしょうか?

明治憲法下においては、神社神道を優遇する反面、他の宗教は激しく弾圧(宗教施設の爆破・不敬罪による処罰など)されたりするとともに(大江志乃夫「靖国神社」(岩波新書)39頁~)、神社神道に与えられた国教的地位とその教義は国家主義や軍国主義の精神的な支柱となりました。このような沿革・戦時中の反省をふまえて、日本国憲法は憲法20条1項後段・3項、憲法89条を規定し、「国家と宗教との厳格な分離を明確にするために規定を置いている」(芦部信喜「憲法学」121頁)のです。

いうなれば、国家と神社神道とのかかわりを特に否定することに、政教分離原則の主眼があったわけです。その「国家神道……の象徴」(三浦朱門監修「靖国神社 正しく理解するために」10頁〔海竜社〕)が靖国神社だったのですから、特に靖国神社と国家とのかかわりを否定しなければ、日本国憲法が政教分離規定を設けた意義を全く失ってしまうとさえいえるのです。

首相は内閣という合議体の「首長」として、国務大臣の任免権や行政各部を指揮するという重大な権限を有し、国を代表する立場にいます。そうすると、重大な権限を有する国の代表者が公然と靖国参拝する……。これこそ、日本国憲法における政教分離原則が最も忌むべき「国と靖国神社とのかかわり」だといえるのです。

首相が公然と靖国神社に公式参拝することを認めたら、政教分離原則は全く無意味なものと化したとさえいえるでしょう。日本国憲法の政教分離原則は「国家と神社神道とのかかわりを特に否定することに主眼があった」のですから。




3.もう1点は、安倍首相は真榊奉納について、中国や韓国との外交関係への配慮から、明らかにしない、あいまいな態度をとり続けていることです。

 「「出したか、出さないかということについても申し上げません」

 首相は8日夕、奉納について明言を避けた。記者団が「否定しようがないのではないか」とたたみ掛けると、「否定も肯定もしないと申し上げている」と突っぱねた。

 就任当初から靖国参拝について「行くか行かないか、行ったか行かなかったか申し上げるつもりはない。この先どうするかも同じだ」と繰り返してきた首相。その言葉通りの対応だった。」


安倍氏は内閣総理大臣であって、内閣という合議体の「首長」として、国務大臣の任免権や行政各部を指揮するという大きな権限を有するのですから、国民主権の下においては、日本国民に対してその行動を説明すべき義務があるというべきです。

しかも、首相は憲法尊重擁護義務(憲法99条)が課されているのですから、真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するという疑いがもたれている以上、憲法尊重擁護義務違反の有無について、国民の側には知る権利が生じるでしょうし、首相の側も説明すべきでしょう。

「出したか、出さないかということについても申し上げません」といって説明できないのであれば、奉納しなければよいのです。中国や韓国との外交関係への配慮から明らかにしないのであれば、そもそも奉納しなければよいのです。この黙っていればなんとかやり過ごせるという性根は、首相としてあまりに情けないといわざるを得ません。つい先日の、米国での謝罪行脚といい、安倍首相の情けない態度はこれからもずっと続きそうです。
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2007/05/10 [Thu] 00:26:13 » E d i t
大阪府吹田市千里万博公園の遊園地「エキスポランド」で、5月5日午後0時50分ごろ、ジェットコースター「風神雷神(ふうじんらいじん)Ⅱ」(6両編成)が脱線し、2両目にいた女性客が車両とレール左側の手すりに挟まれて死亡、他の乗客19人が重軽傷を負いました。国土交通省によると、運行中のジェットコースターの乗客死亡事故は国内初だそうです(asahi.com(2007年05月05日22時19分))。
東京新聞5月9日付朝刊において、このジェットコースター事故の背景について、元遊園地業界関係者が語るという記事がありましたので、紹介したいと思います。


1.東京新聞5月9日付朝刊24・25面「こちら特報部」

法の盲点 元業界関係者が語るコースター事故の背景

 乗客20人が死傷した大阪府吹田市の遊園地「エキスポランド」のジェットコースター脱線事故。事故原因とみられる折れた車軸が、15年間にわたって交換されていなかったことに加え、遊園地任せのずさんな検査体制の実態も明らかになった。法的規制が不十分な現状もクローズアップされた。元遊園地業界関係者が語る問題点とは。


◆「乗り物ではない」 構造物扱い 規制ほとんどなく

 「ジェットコースターなどの大型遊具は建築基準法による構造物としての規制しかないことが最大の問題だ。乗り物としての法的規制はないに等しく、まさに法の盲点だったことが死亡事故につながった」

◆乗車場所が同じだから

 遊園地業界の事情に詳しい元経営者(60)は、こう断言する。

 「コースターは乗り物であって、乗り物ではない」。まるで禅問答のようだが、つまりは乗る場所と降りる場所が同一地点なため最終的に乗客は移動しない。このため、法的には「乗り物ではない」との解釈になる。今回の事故で問題となっている部品の車軸に関しても、交換義務はなく「事故の法的責任追及は難しい」というのが実情だ。

 遊園地内の同じような大型遊具でも、複数の乗降所があるロープウエーなどの場合は法的に乗り物の扱い。自動車の車検に当たる定期検査を年1回受けなければならない。検査には一週間程度かかり、運輸局への事故報告の義務もある。

◆管轄めぐり綱引きも?

 現在は、コースターもロープウエーのいずれも国土交通省が管轄官庁となるが、2001年1月の省庁再編以前はコースターは旧建設省、ロープウエーは旧運輸省がそれぞれ管轄。乗客からすれば、乗り物でひとくくりにされるアトラクションが別々の官庁による法規制を受けていた。元経営者は「証明は難しいが、管轄をめぐる省庁の綱引きがこの事故の遠因となった可能性も否定できない」と話す。

◆再編しのぎ「自信過剰も」

 一方、バブル経済崩壊後の景気低迷で、大型遊具施設の市場規模が大幅に縮小する中、事故原因とみられる車軸のような特殊部品製造コストが上がり、製造者も在庫を抱えない。「一般論として品薄状態となっていて、頻繁には交換しにくい事情もあったのではないか」と推測する。

 ただ、業界ではエキスポランドはリーダー格で指導的立場。エキスポランド社長である泉陽興業の山田三郎会長をよく知っているという関係者は「業界団体のトップを努め、業界のために尽くした人。安全の大切さは誰よりも認識していたし、『あの人のところで』と思うとショックが大きい。あえていえば、業界再編に生き残り、自信過剰になっていたところはあるかもしれない」。

 今回の事故はそれでなくても苦境にある遊園地業界に追い打ちを掛けることになる。元経営者はこう話す。

 「まず法的なあいまいさをクリアにして『乗り物』として規制の網を掛ける。また、大型遊具をメンテナンスするための資格制度が必要。管理強化のために遊園地の事業者と運営者を分けて、メンテナンス会社一任という方法も考えなければいけない」

◆冬の時代 遊園地300→115 業界急降下

 今回のエキスポランドの事故の背景には、レジャーの多様化による客数の減少など遊園地業界の苦しい事情も見え隠れする。

 バブル景気に日本中が浮かれていた時代、全国各地で地方博覧会のブームが起きた。博覧会には大型遊具が付きもので、博覧会後には遊園地として再利用されたこともあり、一時は主な遊園地だけで全国に約300を数えた。それが今では115まで減少。

 事故を起こした「風塵雷神Ⅱ」を製造したトーゴ社(東京都)は、日本では指折りのジェットコースター製造会社として1994年7月期には124億円の売上高を計上したが、その後は売り上げが急激に落ち込み、2004年2月末、82億円の負債を抱えて倒産。景気の行方とともに、まさにジェットコースターのような上げ下げ運動に翻弄(ほんろう)された形だ。

 エキスポランドは92年に「風塵雷神Ⅱ」を導入したが、今回折れた車軸を15年間も交換せず、日本工業規格(JIS)で定められた超音波は磁気を使った「探傷試験」を1年以上も行わなかった。

 「メーカーから交換時期の指示もなかった」。エキスポランドは事故後の会見で、すでに解散したメーカーに責任があるとも受け取られる発言をしてきたが、実際には元トーゴ社員らが設立した機器製造会社から部品供給などを受けており、エキスポランドが部品の耐用年数などの情報に接する機会がなかったとは考えにくい。

 事実、ほかにトーゴ社製の立ち乗り型コースターを導入しているルスツリゾート(北海道)、よみうりランド(東京都)、鷲羽山ハイランド(岡山県)、三井グリーンランド(熊本県)は、いずれもトーゴ社から受け取った設計図や仕様表に基づき、地元の鉄工業者らに車軸を含めた部品を発注し交換している。

◆ディズニー経営に学べ

 ルスツは2年ごとに業者に持ち込んで点検。車軸も2回交換した。鷲羽山は5、6年に1度、主要部品を交換し、車軸については6月に予定する交換が終われば4回目となる。三井も3万周ごとに分解点検する独自の基準を設けている。

 こうした状況の変化もあってか、エキスポランドは「現段階では技術資料などが捜査当局に提出して残っておらず、車軸を交換しなかった理由などについては答えられない」とコメントを修正している。

 今回の事故については、「東京ディズニーランドに学ぶ社員活性術」(エール出版)など遊園地を扱った著作が多い西村秀幸氏は「風塵雷神2など絶叫系コースターに頼ったツケが影響しているのではないか」と指摘する。

 スリルが売り物の絶叫系コースターは多額の設備投資が必要だが、その割に客がすぐ飽きてしまい投資効果が長持ちしない。じり貧となり、経営を守るため人件費やメンテナンスのコストをぎりぎりまで削減。その結果、痛ましい事故につながったというのだ。

◆古くても身の丈知れ

 西村氏はディズニーの運営を「ソフト面に力を入れて客を飽きさせず、過去にミスによる事故はあったものの、ハード面の設計から保守点検まで自社で行い、高い品質を維持」と評価する一方、施設は古めかしくとも低料金でアピールするあらかわ遊園(東京都)なども高く評価している。そしてこう提言する。

 「高い料金を取って、ないものをあるように見せようとするより、まずは身の丈を知って、たとえ小さくとも誠心誠意で特徴を出していった方が収益性も安定している。そうした方針に変えていくことが、結局は一番の再発防止策になるのかもしれません」


<デスクメモ>

 そういえば、子どもが小学生のころ行った遊園地もいつの間にか閉鎖した。確かに身の丈以上の経営だったのかもしれない。「絶叫マシン」と呼ばれる遊戯施設もあったが、何度も乗る気にはならない。1周して戻ってくるのに、車両扱いじゃないのも、やっぱり変。実態に合わない安全基準は怖い? (吉)」

*途中の見出しの文章自体は新聞のままですが、見出しの位置が推測したものがあります。




2.事故が起きた場合、その背景としていろいろなことがあることが報じられますが、今回の場合も、この記事による「コースター事故の背景」からすると、今後も生じうることだということが分かると思います。

(1) 

「「「ジェットコースターなどの大型遊具は建築基準法による構造物としての規制しかないことが最大の問題だ。乗り物としての法的規制はないに等しく、まさに法の盲点だったことが死亡事故につながった」

 遊園地業界の事情に詳しい元経営者(60)は、こう断言する。

 「コースターは乗り物であって、乗り物ではない」。まるで禅問答のようだが、つまりは乗る場所と降りる場所が同一地点なため最終的に乗客は移動しない。このため、法的には「乗り物ではない」との解釈になる。今回の事故で問題となっている部品の車軸に関しても、交換義務はなく「事故の法的責任追及は難しい」というのが実情だ。」


今回の事故で問題となっている部品の車軸に関しても、法的には交換義務はなく「事故の法的責任追及は難しい」ということであれば、運行中の安全性の維持は業者の自由裁量に任されているということになります。誠実な業者であれば安全性を確保できるのでしょうが、そうでなければ今後も必然的に事故が起きるということになります。

もっとも、ジェットコースターなど遊戯施設の構造や設計自体は、建築基準法施行令にあるエレベーターに関する基準が準用されるそうですから(東京新聞5月9日付夕刊。<追記>参照)、エレベーター程度の安全は確保されていることになります。しかし、ジェットコースターは動く乗り物であって、部材の疲労劣化など建築物とはまったく異なる危険性があるのですから、とても十分なものとはいえないでしょう。

ジェットコースターというものは、確実に安全であることを前提としてスリルを味わうものですが、元々、安全性自体不確かであって、安全か否かという点でもスリル満点であったといえるわけです。


(2) 

「業界ではエキスポランドはリーダー格で指導的立場。エキスポランド社長である泉陽興業の山田三郎会長をよく知っているという関係者は「業界団体のトップを努め、業界のために尽くした人。安全の大切さは誰よりも認識していたし、『あの人のところで』と思うとショックが大きい。あえていえば、業界再編に生き残り、自信過剰になっていたところはあるかもしれない」。」



エキスポランドは92年に「風塵雷神2」を導入し、今回折れた車軸を15年間も交換せず、日本工業規格(JIS)で定められた超音波は磁気を使った「探傷試験」を1年以上も行わなかったというずさんな検査体制であったわけですが、それでも「業界ではエキスポランドはリーダー格で指導的立場」で、「安全の大切さは誰よりも認識していた」のです。

こうなると、リーダー格でさえ、実際上は十分な検査体制でなかったのですから、客数が減少して苦しい遊園地状況の下では、他の遊園地もかなり怪しい検査状況であると推測できます。

もっとも、トーゴ社製の立ち乗り型コースターを導入しているルスツリゾート(北海道)、よみうりランド(東京都)、鷲羽山ハイランド(岡山県)、三井グリーンランド(熊本県)は、いずれもトーゴ社から受け取った設計図や仕様表に基づき、地元の鉄工業者らに車軸を含めた部品を発注し交換しているのに、「エキスポランド」ではまったく交換していなかったのですから、エキスポランドがひどく杜撰であったことは確かです。エキスポランドは「リーダー格で指導的立場」であるべきでなかったのでしょう。


(3) 

「今回の事故については、「東京ディズニーランドに学ぶ社員活性術」(エール出版)など遊園地を扱った著作が多い西村秀幸氏は「風塵雷神2など絶叫系コースターに頼ったツケが影響しているのではないか」と指摘する。

 スリルが売り物の絶叫系コースターは多額の設備投資が必要だが、その割に客がすぐ飽きてしまい投資効果が長持ちしない。じり貧となり、経営を守るため人件費やメンテナンスのコストをぎりぎりまで削減。その結果、痛ましい事故につながったというのだ。」


「絶叫系コースターに頼ったツケ」と書かれていますが、なかなか難しいところです。
多くの客は必ず、絶叫系コースターを求めているのですから、どうしても設置せざるを得ないのですし、しかも、飽きがこないようにスリル感をエスカレートさせ、過激な絶叫系コースターを増やしていかざるを得ないのですから。

今回の「風神雷神(ふうじんらいじん)Ⅱ」は立ち乗り型コースターですが、これも立ち乗りという不安定さによって、よりスリル感を味合わせるものです。これを導入したのも乗客に人気が出そうという予測があったからだと思います。

結局、法的には安全性がさほど確保されていない状況において、遊園地側が絶叫系コースターを導入することは、遊園地の客自体が安全性についてうるさく言わずに、スリル感を欲していたことにも大きな原因があったと思います。
要するに、遊園地の客や日本の市民が、より過激になっている絶叫系コースターについて、スリル感を優先させて確実な安全性を求めなかったツケがこういう痛ましい事故につながったのだと思うのです。絶叫系コースターに安全に乗りたいのであれば(あるいは子供に乗せたいのでれば)、厳しい法規制に改めさせ、その安全性維持を図るような規制を設けるべきなのです。


(4) ジェットコースターなどの大型遊具について、建築基準法による構造物としての規制しかなく、乗り物としての法的規制はないに等しい現状においては、絶叫系コースターに関しては、今後も死傷事故が起きることは必至であると思います。

厳しいようですが、ジェットコースターなどの大型遊具、特に絶叫系コースターに乗る乗客は、死傷事故が起きる危険があることもあり得ることを覚悟して乗ることになりそうです。ある意味、極限に近いスリルではあります(「危険の引き受け」があるとまでいうのは言いすぎでしょうけど)。

なお、十分な安全管理を行っている遊園地であっても、絶叫系コースターでは、事故ではなく、心臓麻痺などで死亡している乗客がいると聞いています。ひそかに処理しているようですので、遊園地の死傷例は報告例よりもかなり多いはずです。心臓に疾患がないと思っている方でも、コースターに乗る際にはお気をつけ下さい。
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2007/05/08 [Tue] 01:58:09 » E d i t
平成19年5月3日は憲法記念日、憲法施行60年を迎えました。各地で憲法に関する集会が開かれたりました。そこでは、国民投票法案を意識してか、憲法改正を巡る議論が多かったようです。ブログでの紹介としてかなり遅くなりましたが、朝日新聞が「あしたを考える」欄において、「日本国憲法の60年」という表題で連載していた記事の中から1つを紹介しつつ、憲法施行60年に関して触れてみたいと思います。



1.朝日新聞平成19年4月28日朝刊3面

日本国憲法60年<2>――安全に揺れる個の尊重

 <13条> すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反し限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


◆住基ネット 管理の不安無関心  防犯カメラ 住民自ら設置推進

 封を開けると、11けたの数字があった。東京都に住む岩本昌子(73)に住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)の住民票コードが送られてきたのは、02年8月のことだった。

 自分は番号なのか。「私のは消して下さい」と役所に訴えた。職員は「できません」とつぶやいて応じない。住基ネット訴訟の原告団に加わったのは、自分は自分でモノではない、そんな思いからだった。

 国に番号で管理されることが、なぜ問題か。金沢訴訟原則の浅野陽子さん(71)は、説明に苦労している。元高校教師で教え子たちが時々遊びに来るが、30代から40代の彼らに住基ネットを語っても、返ってくるのはポカンとした顔だ。

 「何が悪いの」「難しいことはわからん」

 自分自身、日常生活で被害を被っているわけではない。それでも、住基ネットの仕組みは、国が個人の情報を統括した戦争の記憶と重なる。

 住基ネット差し止め訴訟全国弁護団事務局長の渡辺千古弁護士は言う。「個の尊重も、生命身体にかかわる他社の権利と比較考量されれば制限されることもあり得る。だが住基ネットでは『便利さ』と比べられている」

 便利さの代わりに失うもの。どう言えば分かってもらえるのか、浅野さんは考え込む。

   ■

 店舗用機器などを扱う東京都世田谷区の武田忠秀さん(67)は今月、近くの人から「至急、防犯カメラを設置して」と頼まれた。駆けつけると、ガラス窓にバーナーであぶった跡がある。玄関先などに4台のカメラをつけ、リース代は月約1万円。依頼主は安心した表情を見せた。

 成城警察署は95年末から、「自主防犯」のかけ声で住民らに自費で防犯カメラを設置してもらう運動を始めた。

 武田さんの会社兼住居にもカメラがある。2台は軒下に、道路の左右に向けて設置されている。映像として記録される圧倒的多数は、通行人や近所の住人たちだ。

 40年ほど前までは周囲は畑で、武田さんはよく、農家の麦の脱穀を手伝った。だが今は、2軒離れるともう、住民の名前と顔が一致しない。人のつながりに生まれた空白を、カメラが埋める。

 「世田谷一家殺人事件がすぐ近くで起き、多くの住民が不安を感じている」と武田さんは言う。「プライバシーを主張している人も、実際に犯罪に遭ったらどうだろう」

 成城署管内の防犯カメラは現在、220ヶ所、440台に達している。


◆強まる「公」の重視

 すべて国民は個人として尊重される。憲法学者の樋口陽一氏は、日本国憲法でもっとも大切な条文を1つ挙げるとすれば、躊躇(ちゅうちょ)なくここだという。

 「主権者たる国民がみんなで決めたことでも、一人ひとりの『個人』を尊重するという原則は決して侵してはいけない」

 そこが揺らげば、どんなことが起きかねないのか。国家や民族、人民の名のしたに個人が否定されたナチズムやスターリニズムの悪夢は、その極限の姿として私たちの記憶にある。

 戦後日本、国民は自由を享受してきた。ただ、それが行き過ぎたという批判も絶えない。「個」を強調するあまり利己主義を広め、公共心を失わせてしまったという主張だ。自民党内に根強く、教育基本法改正にもつながった。

 13条に書かれた「公共の福祉」は、一昨年発表された自民党の改憲草案では「公益及び公の秩序」という言葉に差し替えられた。統治者は「個」に増して「公」を重視するのが常だ。

 そして21世紀を迎え、「安全」が「個」の前に新に立ち現れる。「個人の自由」より「公共の安全」「犯罪防止」優先の社会。一気に加速させたのは、01年の米同時多発テロの発生だった。

 「治安政策としての『安全・安心まちづくり』」の著者で明大兼任講師の清水雅彦氏は「防犯カメラ設置の動きが従来と違うのは、住民が自ら『監視』を望んでいること。安全・安心を望む人たちにプライバシー権を説いても届きにくい」と指摘し、こう語る。

 「人々が感じる不安感の底には、新自由主義による格差社会、競争社会化があるのに、表面的な治安強化だけが強調され、相互監視する社会が生まれている」

 市場原理主義が推進され、「自己責任」が強調される。国民は、安全のために自由が制限されてもやむを得ないと考える――。

 樋口氏は言う。「同じ条文の中に、『個人の尊重』と『公共の福祉』という言葉が出てくるのは、本来、個の主張を前提として公共が作り上げられるからだ。個を抑え込むことが、逆に公共を殺していく」

 個の支えがない公は、どこに向かうのか。


◆受けた恩恵、曲に託し――元軍国少年「一度失ったら…」

 知らぬ間に、巨大な何かに組み込まれていた。NHK交響楽団正指揮者の外山雄三さん(75)は、あの戦争を振り返ってそう思う。

 軍国少年だった。45年8月15日、昭和天皇の玉音放送を聞いて涙を流した。敵を一人でも殺してお国のために美しく死ねなかったのが情けない。そういう涙だった。

 とりたてて、学校や親に軍国主義的な教育を受けたわけではない。灯火管制下、切り忘れたラジオの赤いランプを隣組が見つけ、スパイだと密告しあったような時代。

 「世の中全体の空気が自分のような少年を育てたのだろう。皆と同じ方向に歩いていく性癖が日本人には確かにある」

 日本国憲法の公布で目の前が明るくなるような変化が起きたという記憶は、外山さんにはない。だが東京芸大を卒業し、音楽家として世界各地で自由に活動した自分を新たな空気として包んでいたのが、個の尊重を掲げた憲法13条だった。

 中学生の社会科教科書として憲法施行の年に当時の文部省が出した「あたらしい憲法のはなし」に曲を付けた。切り詰められた言葉で、私たちの考えの核心を突いていると思ったからだ。

 「私たちは、知らず知らずのうちに憲法から恩恵を受けていた。でも、空き地以前に何が立っていたか忘れてしまうように、一度失うと、何を失ったのかすら忘れてしまうのではないだろうか」

 憲法が生まれて半世紀以上がたった今、「個の尊重」は根付いたか。3年前の4月、それを試されたのがイラクで起きた日本人人質事件だった。

 武装集団に誘拐された3人の男女は、「無責任な行動で政府に大きな負担をかけた」と世間の批判を浴びた。写真家の郡山総一郎さん(35)は解放されて帰国した後、「自己責任」という言葉が自分たちに投げつけられていたことを知った。

 「自己責任」という言葉が、一人ひとりの責任は問われない形で、匿名の集団から放たれる。合唱に加わった人たちは本当に自分の考えでそうしたのだろうか、と郡山さんは疑問を感じている。

 「今考えると、あなたたちのしたことは間違っていなかったと思う」。彼のもとには、今になって、見知らぬ人からの電子メールや手紙が舞い込んでいる。  (真鍋弘樹)


<キーワード> 住民基本台帳ネットワーク

 住民に11けたの住民票コードを付け、氏名・住所などを国や全国の自治体で取り出せるようネットワークでつないだシステム。住民票の写しが全国で取れるなど「住民サービス向上」と「事務の効率化」が主な目的で、02年8月から稼動。個人情報がコードに合わせて集積される危険性も指摘され、住民が国や自治体を相手取った訴訟では金沢地裁で05年5月、大阪高裁で06年11月に住民勝訴の判決が出た。」




2.タイトルで示したように、「日本国憲法でもっとも大切な条文は?」は憲法13条であり、「個人の尊重」です。憲法13条には「幸福追求権」が規定され、そこには自己決定権が含まれていることから、このブログでは憲法13条はほとんど常にテーマとなっているとさえいえるのです。

「すべて国民は個人として尊重される。憲法学者の樋口陽一氏は、日本国憲法でもっとも大切な条文を1つ挙げるとすれば、躊躇(ちゅうちょ)なくここだという。

 「主権者たる国民がみんなで決めたことでも、一人ひとりの『個人』を尊重するという原則は決して侵してはいけない」」



(1) 個人の尊重というと個人主義の思想が前面に出てきて、 「個」を強調するあまり利己主義を広め、公共心を失わせてしまったという主張もなされることがあります。しかし、「個人の尊重」原理は単なる個人主義とは異なります。

 「憲法13条前段は、「すべて国民は、個人として尊重される」と定める。個人の尊重は「個人の尊厳」(憲法24条2項)ともいわれ、人権尊重主義の核心の原理であり、14条以下の個別的な人権規定の基礎をなす根本思想である。それは、一人ひとりの個人をかけがえのない存在ととらえ、個人の尊重の確保を人権保障の究極の目的とするものである。

 個人の尊重の原理は、まず第一に、個人よりも全体の優位を説く全体主義、とりわけ個人の全体のための道具として「滅私奉公」を強要した戦前のファシズム思想を根本から否定することを要求する。一人ひとりの個人こそが何もにもかえがたい最高の価値とされなければならないのである。

 そして第二に、個人の尊重の原理は、個人が人格的な自律性を維持することを要求し、また同時に、そのような個人の自律性を他者が尊重することを要求する。すなわち、個人の尊重の原理は、個人の思想・信仰に基づく人格的生存の保護をとくに要請するとともに、思想・信仰に対する寛容の精神を社会一般に要求していると解される。この意味では、個人の尊重は「人間の尊重」とほぼ同義である。しかし、個人の自律の尊重の要請は、復古的思潮がなお強く残り、あるいは会社などの集団志向の根強い現実の日本社会では、必ずしも実現しているとはいえない。個人の尊重を阻害する日本社会の意識を是正し、人権の現実の保障のために不断に努力することが求められる。

 さらに第三に、個人の尊重は、個人のあるがままの生活や人間存在そのものを保障しようとする。人間は常に人格的に生きるわけではなく、生きたいように自由に生きることがある。また、障害者や寝たきり老人のように人格的に生きることが困難な人々も存在する。日本国憲法はそのような人々もを含めて、人間の生活全体ないしは人間そのものを保護しようとしていると解すべきである。そして、同様に人権保障の及ぶ範囲についても、人間のあるがままの行動や存在をトータルに保障していると解するのが妥当である。」(戸波江二「憲法〔新版〕」121頁~122頁)


このように「個人の尊重」は、人権尊重主義の核心の原理であるとともに、多様な意味が含まれていることが分かります。自己の主張を押し通すのではなく、個人の主張・自律を他人も尊重することをも含んでいるのです。


(2) 

「憲法が生まれて半世紀以上がたった今、「個の尊重」は根付いたか。3年前の4月、それを試されたのがイラクで起きた日本人人質事件だった。……

 『今考えると、あなたたちのしたことは間違っていなかったと思う』。彼のもとには、今になって、見知らぬ人からの電子メールや手紙が舞い込んでいる。」

朝日新聞のこの記事では、この人質事件を取り上げていますが、「今考えると、あなたたちのしたことは間違っていなかった」というように、当時批判していた意見を翻す人々がかなりいることが分かります。

そうすると、当時批判していた意見を翻す人々の中には、当時においては日本人の「皆と同じ方向に歩いていく性癖」通り、自律的に考えて批判していなかったり、または、他人の自律的な考えを尊重してなかった者がいたということになります。要するに、個人の自律を尊重することができていなかったのです。


(3) 

「樋口氏は言う。「同じ条文の中に、『個人の尊重』と『公共の福祉』という言葉が出てくるのは、本来、個の主張を前提として公共が作り上げられるからだ。個を抑え込むことが、逆に公共を殺していく」

 個の支えがない公は、どこに向かうのか。」


個人の尊重を前提として公共による制限があるのにも関わらず、個人の自律の尊重の要請が日本社会では必ずしも実現していない中で、「公」を重視していくのです。これでは、「皆と同じ方向に歩いていく性癖」はますます強まってしまいかねません。

「個人の尊重」は人権尊重主義の核心の原理ですから、人権尊重主義を規定する憲法を有する国ではすべて認められていることになります。個人の尊重の意識がますます乏しくなりそうな日本国・日本人が、果たして諸外国と渡り合えることができるのでしょうか? 「戦後レジームからの脱却」などとして憲法改正をしたところで、人権尊重主義の核心の原理が尊重されないままでは、憲法改正は全くの無駄に過ぎないのです。

このように考えると、憲法60年施行を迎えまず必要なことは憲法改正ではなく、まず何よりも「個人の尊重」原理の要請を十分に認める日本社会・日本人であることこそが最も必要なことだと思うのです。
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憲法 *  TB: 5  *  CM: 0  * top △ 
2007/05/02 [Wed] 21:43:45 » E d i t
宇和島徳洲会病院の調査委員会は4月29日、同病院で実施された病腎移植25例は「すべて不適切だった」とする最終報告書を病院側に提出したそうです。もっとも、最終報告書の要旨がどこの紙面にも見当たらないので、正確な結論がどうだったのかはよく分かりませんが、ともかくコメントしたいと思います。(5月3追記:誤植訂正しました)(5月4日追記:「五郎太の『 肝炎なんかぶっとばせ!』」さんのブログから引用しました。感謝します)(6月25日追記「NATROMの日記」からTBを受けたので言及しました)


1.まず、報道記事から。

(1) 産経新聞平成19年4月30日付朝刊2面

病腎移植 B型肝炎感染か 宇和島病院調査委報告 術後に死亡例
4月30日8時0分配信 産経新聞

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)が前任の市立宇和島病院で行った病腎移植で、B型肝炎ウイルスに感染していた患者の腎臓を移植された男性が肝障害などで死亡していたことが同病院の調査委員会の調べで分かった。移植された病腎と患者の死因の因果関係が指摘されたのは初めて。調査委は29日、同病院で実施された病腎移植25例は「すべて不適切だった」とする最終報告書を病院側に提出した。

 報告書などによると、万波医師は平成12年12月、同病院でネフローゼ症候群の患者の両腎を摘出し、移植に使用。患者は手術前の検査で、B型肝炎ウイルスが体内にいることを示す「HBs抗原」が陽性だった。

 腎臓を移植された男性はその後、腎臓が機能せずに人工透析を再開。約3カ月後に別の腎がん患者から腎臓の提供を受けた。この時、男性のHBs抗原は陰性だった。しかし男性は、その約2カ月後に肝障害と重症膵(すい)炎で死亡。死亡前の検査ではHBs抗原も抗体も陽性になっていた。

 移植を受けたもう1人の患者は現在も生存しており、感染していない。

 調査委の深尾立(かたし)委員長(千葉労災病院長)は記者会見で「移植と死亡の因果関係はかなりある。ウイルスが持ち込まれた可能性も否定できない。こういう(ウイルス性の)患者からの移植は絶対にやってはいけない」と批判した。一方、万波医師は「治療によりB型肝炎は陰性でウイルスそのものが存在せず、当時、肝臓の専門医に移植に使っても問題ないことを確認した」と反論している。

最終更新:4月30日8時0分」



(2) 中日新聞(2007年4月30日 朝刊)

 「病気腎でB型肝炎感染、移植の男性死亡 宇和島病院調査委発表
2007年4月30日 朝刊

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)が、前任の市立宇和島病院で行った病気腎移植で、B型肝炎ウイルスに感染していた患者の腎臓を移植された男性がウイルスに感染、肝障害と重症膵炎(すいえん)で死亡していたことが分かり、市立宇和島病院の調査委員会が二十九日、発表した。

■万波医師「肝障害が死因でない」

 深尾立委員長は記者会見で「移植でウイルス感染したと考えるのが妥当で、肝障害と移植の因果関係はかなりあると考えている。医療行為とは言えない」と指摘した。

 移植された病気腎と患者の死因の因果関係が指摘されたのは初。厚生労働省は病気腎移植を原則禁止する方向で作業を進めているが、現在でも死体腎移植の場合は感染者の腎臓移植は禁止されており、万波医師による移植の問題点があらためて浮き彫りになった。

 万波医師は取材に対し「感染しないと考えていた。患者の死因は重症膵炎で、肝障害は直接関係ない」と話した。

 調査委が公表した報告書などによると、万波医師は二〇〇〇年十二月、B型肝炎ウイルスが体内にいることを示す「HBs抗原」が陽性の女性のネフローゼ患者から両方の腎臓を摘出。女性は敗血症で、摘出前の検査で血液からメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が検出されていた。

 腎臓は二人に移植されうち一人の男性患者は約五カ月後、肝障害と重症膵炎で死亡した。男性は移植前はHBs抗原が陰性だったが、亡くなる直前の検査でHBs抗原と抗体がいずれも陽性だったという。もう一人は感染せず生存している。

 万波医師は同病院で二十五件の病気腎移植を実施。報告書は、医学的には尿管狭窄(きょうさく)だけは容認できる可能性があるが、患者への説明が不十分で、臓器提供の意思を第三者が確認する体制がなく「患者の人格が尊重されていない」として、すべてが不適切と判断した。

■倫理的配慮が必要…深尾立・市立宇和島病院調査委員会委員長の話

 万波医師はやむにやまれず病気腎移植をやったと思うが、決められた倫理的配慮をしてほしかった。こういうことが繰り返されないよう願う。死体腎の提供が少ないことが根底にあり、今回の問題が提供の増加に結び付くことを期待する。

■感染力ないと判断…万波誠医師の話

 提供者がB型肝炎ウイルスの検査で陽性だったことは知っていたが、市立宇和島病院の内科医が当時の基準で「感染力がない」と判断したから、移植に使った。患者の死因も重症膵炎(すいえん)で、肝障害は直接関係ない。膵炎の患者がほかの臓器に障害が出ることはよくあるケースで、B型肝炎ウイルスが原因で肝障害になったわけではないと思う。(報告書は)ポイントがずれているのではないか。

 <B型肝炎> 主に血液を介して感染するウイルス性肝炎の一種。一過性でウイルスが消滅する場合と、ウイルスが肝臓にすみついてしまう持続感染(キャリアー状態)がある。大人の場合に多い一過性では、一部で急性肝炎を発症し、まれに劇症化することがある。母子感染や幼児期の感染が主因のキャリアーでは、約10-15%が慢性肝炎を発症するとされ、放置すると肝硬変や肝がんに進行する危険性がある。」




2.この報道記事から分かるように、記事の中心は次の2点です。まず、1点は、結論はどうだったか? ということです。

(1) 

「報告書は、医学的には尿管狭窄(きょうさく)だけは容認できる可能性があるが、患者への説明が不十分で、臓器提供の意思を第三者が確認する体制がなく「患者の人格が尊重されていない」として、すべてが不適切と判断した。」



この結論には、少し驚きました。というのは、以前の報道(「市立宇和島病院調査委員会が、病腎移植の調査結果を発表~相変わらず患者無視の結論」参照)と異なっていたからです。

調査委は、同病院で移植した25件と、摘出した20件を調査したのですが、今回の報道では摘出のみの結論であり、その結論としても、各新聞社で異なりますが、朝日新聞によると、20件中10件は容認できないとし、移植25件中23件を「不適切」と結論づけていたのであって、すべてを不適切とはしていなかったのです。なので、なぜ、結論が変わったのかがよく分からないのです。(なお、愛媛新聞4月30日付では、違う結論を掲載していたようですが(「万波誠医師を支援します」さんの「市立宇和島病院調査委員会の報告について」(2007/05/01 21:49))には一部引用していますが、愛媛新聞の当該記事は、現在、ネットでは閲覧できません。)


(2) 記事中には、「報告書は、医学的には尿管狭窄(きょうさく)だけは容認できる可能性があるが、患者への説明が不十分で、臓器提供の意思を第三者が確認する体制がなく」とあります。要するに、医学的見地から問題としたのではなく、手続き上問題があったということです。

しかし、説明書がないから「患者への説明が不十分」と断じたものですし、病腎移植については生体腎移植や死体腎移植の枠外の医療だったのですから、「臓器提供の意思を第三者が確認する体制」がなかったのは当然です。ですから、問題視することは妥当といえるのか、疑問です。




3.もう1点は、移植によりB型肝炎に感染し、B型肝炎ウイルスが原因で肝障害になり、肝障害で死亡したのかどうか、という移植と死因との因果関係の有無の点です。

(1) 

「深尾立委員長は記者会見で「移植でウイルス感染したと考えるのが妥当で、肝障害と移植の因果関係はかなりあると考えている。医療行為とは言えない」と指摘した。」

要するに、深尾立委員長は、移植によりB型肝炎に感染したと考え、B型肝炎ウイルスが原因で肝障害になり、肝障害で死亡した、すなわち、移植と肝障害との因果関係は「かなりある」としたわけです。


これに対して、万波医師は次のように反論しています。
 

■感染力ないと判断…万波誠医師の話

 提供者がB型肝炎ウイルスの検査で陽性だったことは知っていたが、市立宇和島病院の内科医が当時の基準で「感染力がない」と判断したから、移植に使った。患者の死因も重症膵炎(すいえん)で、肝障害は直接関係ない。膵炎の患者がほかの臓器に障害が出ることはよくあるケースで、B型肝炎ウイルスが原因で肝障害になったわけではないと思う。(報告書は)ポイントがずれているのではないか。」(中日新聞)



専門委員会調査報告への反論(1)      万波 誠                     

 B型肝炎ウイルスの検査二種類が陽性との報道についての詳細を連絡させていただきます。

ドナー(女性)の肝炎ビールス検査データ  実施1997
 HBs抗原 34.50(+)   Cut off 1.0未満 (注1)
 HBe抗原 0.30(-)    Cut off 1.0未満
 HBe抗体 101.00(+) inhibition % 30未満(注2)

 上記の結果で当時の宇和島市立病院内科医師の判断で感染性はないとの評価を受けています(e抗原(-)、e抗体(+)をセロコンバージョンをしている状態といいます)。(注3)
 また今日、肝臓専門医にコメントを求めたところ、当時の肝臓病の常識として感染性はないと判断されるとのことです。(注4)
 尚、ここ数年ではHBウイルスのDNA定量を行って判定するようになっています。
 HBs抗原(+)、e抗原(-)、e抗体(+)の場合20%の頻度で無症候性キャリアの可能性があるとのことです(肝機能正常で)。
 従って現在ではDNA定量を行ってドナーの適否を決定することになりますが、当時の判断として、以上の理由でドナーとされても間違った判断ではないと考えます。
 また、レシピは現在通院中で肝炎の検査で異常は認められていません。もう一人のレシピは他病死されています。

 (林 コメント)
  文中の(注)を以下に書きますが、私が万波誠先生に、素人にもわかるように説明をしてもらった部分です。正確さをかくかもしれませんが、ご容赦下さい。
  (注1)  HBs抗原、HBe抗原とはともに肝炎ウイルスの抗原性を示す値です。Cut off 1.0未満とは値が1.0未満であれば(-)となるという意味です。(+)であればウイルスが存在する可能性があることになります。
  (注2)HBe抗体とは、B型肝炎ウイルス抗原に対して、これを攻撃する免疫の存在を意味します。値が30以上の101なので(+)の評価となります。
  (注3)セロコンバージョンとは、病気の回復過程にあるという意味です。
  (注4)当時のこれらのデータの評価を示す文献として、例えば、日本消化器病学会雑誌98巻P206からP213,2001年があります。」(「病気腎移植推進・瀬戸内グループ支援ネット」の「市立病院調査委員会の報告について」(2007年5月 1日(火曜日) 16:46)




(2) この主張と反論を検討してみます。まず、一般論として、因果関係を問題とする場合、次のような点を理解しておく必要があります。

 「因果関係は、もともとは『あれなければこれなし(conditio sine qua non)』というように、先行事実が後の事実の条件となるという関係を意味していたが(条件説)、それが広がりすぎるところから、今日では、相当因果関係説が通説・判例となっている。すなわち、およそ行為と損害との間に少しでも因果関係があれば不法行為が成立するというのではなく、そこに相当性の観念をもちこみ、社会的に相当性がある場合に不法行為の成立を認めようとする。」(川井健「民法概論4」(2006年、有斐閣)422頁)

これは、不法行為(民法709条)を認めるための要件としての因果関係について、民法上の議論を示したものですが、医学的な検証をする場合にも、同様であると思います。医学上も、因果関係を広げすぎると、あらゆる医療行為が不当となってしまい、医療行為ができなくなってしまうからです。


 イ:万波医師が述べるように「当時の宇和島市立病院内科医師の判断で感染性はないとの評価を受けて」いるということが事実であれば、医学的に感染性がない臓器だったのです。であれば、果たして「移植によりB型肝炎に感染した」というのは、社会的に相当といえるほどの因果関係があるのか、疑問です。


 ロ:万波医師が述べるように「膵炎の患者がほかの臓器に障害が出ることはよくあるケース」が事実であるとすれば、「B型肝炎ウイルスが原因で肝障害になった」という判断はきわめて困難でしょう。
膵炎がほかの臓器に障害が出ることがよくある、すなわち、膵炎と肝障害との間には相当性因果関係があるのですから、B型肝炎ウイルスと肝障害との間に、「膵炎と肝障害との間には相当性因果関係」を上回るほどの相当性があるという証明が必要となるからです。そんな証明は可能なのでしょうか? 


 ハ:腎臓移植を受けた患者の死因としては、昔は、免疫抑制剤の副作用による感染症と肝障害が死因の多くを占めていましたが、最近は脳血管障害と心血管系のいわゆる生活習慣病がが多くなり、透析患者さんの死因とよく似たパターンになってきているそうです。

とはいえ、腎臓移植を受けた患者の死因としては、脳血管障害と同じくらい肝不全が多いのですから(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/chkuro/kidney_tx7.htm参照)、B型肝炎ウイルスによって肝障害が生じたという判断は難しいと思います。腎臓移植を受けた患者では、元々、肝障害が死因となることが少なくないのですから、B型肝炎ウイルスだけが主要な原因であると判断することは難しいのですから。


 ニ:米国政府は2003年より「臓器ドナー現状打破共同作戦」を開始し、B型肝炎感染のある(死体からの)臓器も移植に使用しているのです。
 

「現在、米国で特に利用拡大の可能性を模索しているのは、死体(脳死、心臓死とも)からの臓器。本来、望ましいのは18-25歳の若い健康な臓器だが、現実には、このような完全な臓器は15%にすぎないという。

 「もし完全な臓器だけを使うのなら米国の移植数はぐっと減るでしょう」とハワード氏。

 さらに「移植して機能する臓器ならば、疾患があるものでも使う。高齢者の臓器、疾患があるものなど、どこまで逸脱していいかを模索し、使える臓器を拡大している」と説明する。

 具体的には、60歳以上の高齢者、がんや高血圧の既往症のある人の臓器、脳腫瘍(しゅよう)や糖尿病だった人、軽度のB型やC型肝炎など感染症のある臓器も使われる。医師によっては肝硬変や肝炎の肝臓も移植に使っているという。

 「数年前には使えなかった臓器を、今は使っているのが現状」」(「「病気腎移植禁止」に米国学会元会長らが反論~世界の流れに逆行している!!!「厚労省が“病気腎移植原則禁止”改定案を公表~世界の流れに逆行する改定案」参照)


深尾立委員長は記者会見でウイルス感染した臓器を使うのは、「医療行為とは言えない」と指摘したそうですが、米国政府の担当者や米国の移植医がこのコメントを見たら、苦笑するのでしょう。

「我々が臓器不足解消のため真剣に行っている取り組みが医療行為とはいえないだなんて、それほど先端医療の実情を知らないなんて呆れる、日本はまだまだ医療後進国なんだと思い知らされる」

と。深尾立委員長のコメントは、世界にまた、日本移植医療の恥をさらしてしまったのです。


このように検討すると、深尾立委員長は、移植によりB型肝炎に感染したと考え、B型肝炎ウイルスが原因で肝障害になり、肝障害で死亡した、すなわち、移植と肝障害との因果関係は「かなりある」としていますが、その判断は、妥当でないと考えます。
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