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2007/03/31 [Sat] 22:53:54 » E d i t
病腎移植問題について、日本移植学会の高原史郎・大阪大教授は、市立宇和島病院で行った病気腎移植25件について調査した結果、「生着率、生存率が低い」とした記者会見を、3月30日に厚労省内で行いました。この報道についてコメントしたいと思います。

その前に、31日、病気腎移植問題について、日本移植学会、日本泌尿器科学会、日本透析医学会の4学会は、病腎移植を非難する声明を発表しました。……あれ? 5学会のはずだったのに、日本腎臓学会が抜けてしまいました。5学会と予告しておいて土壇場で「抜け」がでたので、間の抜けた感じになってしまいました。「結論ありき」なので、間の抜けた声明も、日本移植学会らしいのでしょう。


1.さて本題に入ります。まず報道記事から。

(1) 読売新聞平成19年3月31日付朝刊37面(2007年3月30日22時4分)

 「病気腎移植の生着率、生体腎を下回る…移植学会調査

 日本移植学会は30日、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師が、前任の同市立宇和島病院で行った病気腎移植25件について、腎機能が正常に機能していることを示す生着率が、通常の生体腎移植と比べて5年後で48ポイント、10年後で44・3ポイントそれぞれ下回っていたと発表した。

 同病院の25件は、万波医師らが関与した42件のうち6割に当たるうえ、1993年から実施され、移植患者の術後の経過年数が長いため、同学会も生着率、生存率を重視していた。

 厚生労働省内で会見に臨んだ日本移植学会の高原史郎・大阪大教授は、「生着率、生存率が低く、がん患者からの腎移植は特に顕著だ。透析など他の医療の選択があった」と語る。

 移植学会は、同病院の調査委員会からの依頼で、25件と、国内で同時期に行われた生体腎・死体腎の移植患者の年数経過別の腎臓の生着率、生存率とを比較。病気腎は「25件全体」と「がん患者からの腎臓を利用したケース(11件)」に分けた。

 学会によると、92年以降、生体腎移植と死体移植の5年後の生着率はそれぞれ83・4%、69・2%。10年後は、69・6%、54・3%。これに対し病気腎移植の生着率は、症例全体で、5年後35・4%、10年後25・3%だった。

 がんのケースに限ると、5年後、10年後の生着率は、ともに21・8%と極端に低かった。また、生体、死体の5年後の生存率は、それぞれ90%、84%。10年後は84%、77%だった。

 一方で、病気腎の5年後、10年後の生存率は症例全体が71・7%、55・4%、がんに限ると46・7%、23・3%と、いずれも低い値だった。

(2007年3月30日22時4分 読売新聞)」



(2) asahi.com(2007年03月31日01時24分)

 「病気腎移植、低い生存率 万波移植を学会調査
2007年03月31日01時24分

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)らによる「病気腎」移植問題で、日本移植学会の専門医が30日、市立宇和島病院で万波医師が実施した移植25件を調べた結果、生存率や、移植した腎臓が機能しているかを示す生着率が通常の腎移植と比べて低かったと発表した。

 厚生労働省で記者会見した同学会幹事の高原史郎大阪大教授によると、25件は、腎がんやネフローゼ症候群の患者らから摘出された腎臓を93~03年に移植手術したもの。うち9人はすでに亡くなっていた。

 5年後の生存率は71.7%で、生着率は35.4%。がんの11件でみると、5年後の生存率は46.7%、生着率は21.8%だった。

 同学会によると、全国の生体腎移植の5年生存率は90.0%、92年以降のこの移植での生着率は83.4%で、25件ではそれぞれ18.3ポイント、48ポイント低く、さらにがんでは43.3ポイント、61.6ポイント低かった。

 高原教授は「極めて低い成績だ。がんが持ち込まれた可能性も否定できない」と話している。 」




2.この調査は、日本移植学会で行ったのか、高原教授が個人的に行ったのか、厚労省の調査として行ったのか、よく分かりませんが、なぜか厚労省内で記者会見を行いました。

(1) それはともかく、病腎移植については、病理学の難波教授がすでに調査を行っていて、すでに産経新聞1月20日付朝刊で報道済みです(「病気腎移植の医学的妥当性(3)~生存率5年で70%(産経新聞1月20日付)」「病気腎移植の医学的妥当性(4)~「病気腎移植でがん再発・転移」は誤報だった」も参照)。

ですから、なにをいまさらという感じがあります。難波教授による報告においても、長期になると結果的には、生存率・生着率は低いことが出ています。やっと調査したのか、あまりに怠慢であると思います。


(2) この調査は、「市立宇和島病院で行った病気腎移植25件」について調査したものです。他の病院からの調査資料があり、全件42件だったのですから、わざわざ25件に限定する意図がよく分からないところです。難波教授の調査は36例ですから、これぐらいの件数の調査をしないと、調査不十分のそしりを受けると思います。

読売新聞は、

「米シンシナティ大などの調査によると、腎がんの腎臓から患部を取り除いての移植が、米国で14例報告されている。手術後5年間でがん発生はないというが、症例が少なく、安全とは言い切れない。」(2006年12月7日 読売新聞)

と14例では少ないと書いたのです。ならば、読売新聞は、高原教授に対しても「全件調査できるのに25件に少なくしたのか、不当である」と非難してほしいものです。

ともかく、難波教授と高原教授の調査結果を比較して見ます。

難波教授によると、

「生着率については、1年で75%、3年で67%、5年で60%、10年で50%、15年で33%となり、生存率は、1年で100%、3年で86%、5年で67%、10年で50%、15年で33%」

です。

これに対して、高原教授の調査によると、

「病気腎移植の生着率は、症例全体で、5年後35・4%、10年後25・3%、病気腎の5年後、10年後の生存率は症例全体が71・7%、55・4%」

です。比較すると、高原教授の調査の方が、生着率がやたらと低くなっている反面、生存率は難波教授の調査よりも高くなっていることが分かります。やはり、症例が少ないため、極端な結論になってしまっているようです。

このように検討すると、42件中25件と少ないことから、調査不十分であり、これだけで速断することはできないと考えます。


(3) 高原史郎・大阪大教授は、

「生着率、生存率が低く、がん患者からの腎移植は特に顕著だ。透析など他の医療の選択があった」とか、「極めて低い成績だ。がんが持ち込まれた可能性も否定できない」

と語っています。これからすると、どうやら、病腎移植が原因で生着率・生存率が低いと判断しているようです。

 イ:しかし、すべての死亡例が病気腎が原因で死亡したのでしょうか? 生着率が低いのはすべて病気腎のためでしょうか? 

一般的に、人が移植後死亡したからといって、臓器が原因だと速断しません。深尾氏のように縫合不全と炎症が死因のこともあるでしょうし、他の病気も、あるいは事故死や自然死もあるでしょうし、自殺や他殺の場合もあるでしょう。死因は何かを調査しなければ結論は出せないのです。
まさか、高原教授は、事故死であっても病腎が原因で死亡したと思うほど馬鹿ではないと思いますが。

このように、病腎移植問題で明確にしなければならないことは、病気腎のために生着率・生存率という結果が低いのかどうか、すなわち、病気腎と(生着率・生存率という)結果との間に因果関係があるのかどうか、病気腎が原因で生着率・生存率が低いのかどうかなのです。こういう因果関係や原因の追究が肝心なことなのです。


ロ:高原教授は、

「がんが持ち込まれた可能性も否定できない」

と語っていますが、この発言は問題です。

文字通り、「がんが持ち込まれた」のであれば、がん細胞切除のミスになります。がんが再発したのか、病気腎と無関係に発生した原発性のがんなのかどうかも、病理記録があるのですから、病理診断して原因を突き止めればよいだけです。

高原教授は、「がんが持ち込まれた可能性も否定できない」と語っていますが、これは病理診断をせずに勝手に憶測で話しただけであって、自ら死因について調査しなかったことを自白したことになります。病理学は医療の要なのですから、病理学を軽視した判断はやめるべきであり、死因を調査してから発表すべきです。


ハ:難波教授は、病気腎移植について次のように判断しています。産経新聞1月20日付にも出ていますが、その後の講演会での説明(「瀬戸内グループ」はなぜ成功したか 「病腎移植を考える講演会~移植医療を進めるために~」から その2 難波 紘二 鹿鳴荘病理研究所所長(広島大学名誉教授))を引用しておきます。

3.「病腎移植」は「第3の道」として、どれだけ有効なのか?

 実は、これは解析が大変にやっかいなのです。病腎移植を受けた患者は、すでに身内からの健康腎移植を何度も受けていて、それがダメになったために最後の手段として病腎を移植したというケースが圧倒的多数だからです。最初から病腎を移植されたケースは、たった10例しかありません。中には3回目、4回目に病腎が移植されたケースもあります。

 移植を重ねると、臓器に対する抗体ができてくることで、拒絶反応が起きやすくなります。だから、これだけレシピエントの移植歴が複雑だと、第1の道である死体腎移植、第2の道である健康腎移植との成績比較が難しくなるのです。
「腎移植は15年待ち」と言われるように、大部分の人は1回しか移植のチャンスがありません。病腎移植ができるなら、間違いなく「第3の道」になる可能性があります。

 そこで数は少ないのですが、初回移植に病腎が用いられた10例についてまず生着率、生存率を見てみることにしました。結果は生着率については、1年で75%、3年で67%、5年で60%、10年で50%、15年で33%となり、生存率は、1年で100%、3年で86%、5年で67%、10年で50%、15年で33%となります。

 何しろ症例数が少ないせいで比較にあまり意味がありませんが、参考までに生着率について移植学会が公表しているデータと比較して、グラフにしたのが図1。生存率比較をしたのが図2です。学会のデータでは2~4年の数値が欠落しているので、その個所が途切れています。

 病腎移植の件数は36件で、そのうち2度病腎移植を受けた患者がいるため、実例数としては34例です。実際はこの人たちはその前に健康腎移植を受けていますから、腎移植によって命が延びた期間はもっと長いのです。しかし、ここでは最後の病腎移植を受けてからの生存率を計算して、他のデータと比較しました。

 1年生存率は96%で非常によく、5年生存率も70%で死体腎移植に匹敵する成績となっています。ところが、10年、15年となると急速に下がっています。これは移植された患者の平均年齢が49・5歳である、という特殊事情を考慮する必要があります。普通の移植は臓器の生着が起きやすい、もっと若い患者に行われています。」



要するに、「病腎移植を受けた患者は、すでに身内からの健康腎移植を何度も受けていて、それがダメになったために最後の手段として病腎を移植したというケースが圧倒的多数」です。そうなると、「移植を重ねると、臓器に対する抗体ができてくることで、拒絶反応が起きやすく」なるわけです。移植を重ねているため、抗体ができてしまい、それが原因で生着率が低くなるということですから、病気腎が原因で生着率が低いと速断することは難しいと思います。移植を重ねている患者であれば、病気腎であってもなくても、生着率が低くなってしまうからです。

しかも普通の移植は臓器の生着が起きやすい、もっと若い患者に行われているのに、病気腎移植の場合は「移植された患者の平均年齢が49・5歳である、という特殊事情」もあることからすれば、生存率も下がってしまうというわけです。ですから、病気腎が原因で生存率が低いと速断することは難しいと思います。高齢になればなるほど、生存可能性は少なくなるわけですし、多くの病気により健康が損なわれてることも増えるのですから、若い人よりも生存率が下がるのはある意味必然だからです。




3.いつも日本移植学会は、カルテだけを見て、患者の事情を探ることなく、教科書にないといって、万波医師らを非難します。今回は、病理診断をすることなく、死因(因果関係・原因)を調査することなく、がんと他の場合を分けるだけで、1回目の移植が病気腎であったかどうかという区分をすることなく、憶測で病気腎が死因かのような調査を公表しました。

日本移植学会がろくに調査する気がないのはいつものことです。しかし、ここまで、患者の事情を調べもしないとなると、日本移植学会の医師が、自己の所属する病院で、患者の事情を無視して医療を行っているのではないかと疑ってしまいます。

高原史郎・大阪大教授は、

「生着率、生存率が低く、がん患者からの腎移植は特に顕著だ。透析など他の医療の選択があった」

と語っています。今回、病気腎移植を受けた患者のように、移植を重ねて最後の手段として行ったという事情があっても、高原教授は、「透析など他の医療の選択をしろ」と、患者に言い放つのでしょうか? 

患者の事情を考慮しない医療は、患者の意思を尊重した医療ではありません。患者の事情を無視した診療契約は、診療契約上、債務不履行として、損害賠償責任が生じる可能性があると考えます。

テーマ:社会ニュース - ジャンル:ニュース

2007/03/30 [Fri] 23:56:10 » E d i t
病気腎移植問題について、広島県医師会は、「第三の移植として残す道を探りたい」として、病腎移植を容認する見解をまとめたようです。この報道を紹介したいと思います。


1.報道記事から。

(1) 産経新聞平成19年3月30日付朝刊28面

 「病気腎移植「残す道を」 広島県医師会が容認見解

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師らによる病気腎移植について、広島県医師会は、「第三の移植として残す道を探りたい」と容認する見解をまとめた。

 見解は「日本移植学会に入らず、決められている移植ルールを無視した」としながらも「脳死移植が少なく生体移植に頼らざるを得ない日本の事情がある。患者の同意を取って実績を上げたことは称賛したい」との考えを示した。

 県医師会の高杉敬久副会長は「インフォームドコンセント(十分な説明と同意)をしっかりするなど課題はあるが、研究をやめるのは医学にとって不幸だ」と話している。

 広島県では、呉共済病院(呉市)の光畑直喜医師が「瀬戸内グループ」の一員として病気腎移植を実施した。

(2007/03/29 13:17)」



(2) asahi.com(2007年03月29日20時59分:紙面掲載なし)

 「病気腎移植「残す道探るべき」 広島県医師会が見解
2007年03月29日20時59分

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らが実施した「病気腎」移植について、広島県医師会(碓井静照会長)は「脳死移植が少なく、生体移植に頼らざるをえない日本の移植事情を考えると第三の移植として残す道を探るべきだ」とする見解をまとめた。腎臓内科医の高杉敬久副会長の所感として近く会報に掲載する。日本医師会は病気腎移植を「厳に慎むべきだ」との考えを示しており、県医師会の独自見解は異例。

 広島県内では、万波氏のグループの医師らが呉共済病院(呉市)で病気腎移植6件を実施。同医師会は地元医師会として見解を示す必要があるとして検討していた。

 副会長の所感では、一連の病気腎移植について「移植ルールを無視し続けたこと、成績を世に問わなかったことは残念」と指摘。しかし、日本の移植事情を踏まえ、道を閉ざすべきでないとの考えを記している。」



広島県医師会が病腎移植を認める見解を出したのは、

「「脳死移植が少なく生体移植に頼らざるを得ない日本の事情がある。患者の同意を取って実績を上げたことは称賛したい」

の点でしょう。世界的にドナー不足ですが、その中でも日本は圧倒的に不足している状態です。献体腎移植はほとんどない状態ですから、日本臓器移植ネットワークは詐欺師のような存在です。

生体腎移植は、親や親族の健康体を傷つける行為です。なので、腎臓の提供を頼まれた場合、親ならともかく、親族の場合は家族の反発も生じるなど、臓器を提供する側も戸惑いが生じることがあります。
その戸惑いを超えて移植を行っても、必ずしも機能するとは限りません。もし機能しなかったら、親や親族の体から腎臓を取り出し、傷つけただけに終わってしまいます。こういう状態になったら、親族間の関係もおかしくなり、移植しなければよかったなどと、提供側・移植側ともに精神的ショックを生じかねません。

何よりも、生体腎移植を実施するために腎臓を提供してくれる親族が存在しなければ、生体腎移植はまずできません。

このように、行き詰まりの状態にあるところに、万波医師らは、病腎移植について、ドナーとレシピエント両方の同意を得て、「実績」すなわち、患者に臓器を提供して救済(生活の質・命)をしているという、患者にとって最も最良の結果をもたらしているのです。医師と患者にとって最も望ましい結果が出ているのに、これを閉ざすのは「医学にとって不幸」なことです。

こういう意味から、広島県医師会が病腎移植を認める見解を出したことは、大変意義のあることですし、医師の役割として妥当なものだと思います。


2.広島県医師会が、病腎移植を認める見解を出そうとした背景には、万波医師に対する尊敬の念があるからだと思います。広島県医師会速報2006年(平成18年)12月15日「編集室」を読むと、そのことがよくわかるのではないかと思います。以前にも触れたことはありますし、「万波誠医師を支援します」さんの「広島県医師会「第三の移植として残す道」を容認との見解」でも引用していますが、改めて引用しておきます。

http://www.hiroshima.med.or.jp/kenisikai/sokuhou/2006/1215/1960_051.pdf

 「「万波腎移植事件」に思う

 腎移植を長年行ってきた外科医の立場から、宇和島で行われた臓器売買や病腎移植について感想を述べてみたい。あえて「万波事件」と題したのは、今回の事件が万波医師という類まれな人物からすべてが発していると考えられるからである。

 万波氏は市立宇和島病院で1977年に1例目の腎移植を行って今日までの30年間、630件の腎移植を実質彼1人で行ってきた。恐らく個人としての腎移植実施数は日本一であろう。広大第2外科では土肥前教授が1971年に第1例目の腎移植を行い、私を含めて多くの弟子が広大とその関連病院で腎移植を続けてきたが、それらをすべて合わせても300例には達しない。腎移植はドナーを必要とするのでそれほど多くの症例があるわけではなく、臓器保存、組織適合性、ドナー腎摘出術、腎移植手術、術後管理、免疫抑制等、多くの知識と経験を要する。人口9万人の地方都市の市立病院(現在は徳洲会病院)でこれだけの数の腎臓移植患者を集め、名声を博してきたことは尋常ではない。しかも、万波氏は齢66歳でありながらこの2年間に80例を行っている。彼より若い私は県立広島病院で月1例の腎移植がやっとである。

 病腎移植という発想は、万波氏が泌尿器科医であることが大きな要因となって生まれたものであろう。外科医であるわれわれには思いもよらない。最近、米国から腎癌を移植した14例の腎移植結果が報告され、1例も再発はないという。病腎は献腎移植の進まないわが国では間違いなく第三のドナーであろう。

 驚くのはネフローゼ患者の両腎を摘出し、それをすぐに他人2人に移植したのみならず、ネフローゼ患者には家族の腎臓を続けて移植した腎移植ドミノ事例である。両側腎摘と3つの腎移植を続けざまに万波氏がすべて執刀したのである。同じようなドミノ移植がもう1例ある。また、父と母をドナーとする2回の腎移植を行ったが相次いで廃絶し、その後病腎移植を2回繰り返して不幸にも死亡した例も明らかにされている。恐らく日本で4回の腎移植例は他にないであろう。これらは万波氏の信じられない気力、体力、技量を如実に物語っているが、一体そのエネルギーとモチベーションはどこから来るのであろうか。学会発表もせず、地位や名誉、財も求めない彼の世界は、もはや“狂”の世界に近いのかも知れない。

 20年前ならいざ知らず、今の世の中に承諾書もとらずに腎癌を他人に移植するなどという行為をどう理解してよいのか戸惑うばかりであるが、下着に白衣をはおり、スリッパをひっかけ、両手をポケットに突っ込んでカメラのフラッシュの前にひょうひょうと現れ、インタビューに対して朴訥な口調ながらもいささかの揺れもない返答をする姿にはある種の感動を覚える。万波先生を支援する患者の会が各地で発足していると聞く。

 腎移植を生業とする外科医としては、善悪を言う前に、その圧倒的な症例数と発想の奇抜さにただただ“参った、参った”というしかない心境である。(福田 康彦)」



腎移植を長年行っている外科医でさえ、「万波医師の凄さ」に心服している様子に、読んでいるこちらにも臨場感を持って「凄さ」が伝わってきます。もう何度も読んでいるコラムなのですが、毎回、「これほど驚異的な医師がいるとは!」と思ってしまいます。


「彼の世界は、もはや“狂”の世界に近いのかも知れない」

なんて、言葉だけを取り出せば大げさすぎる言い方です。しかし、万波氏が信じられないほどの気力・体力・技量を有し、「学会発表もせず、地位や名誉、財も求めない」のですから、一般人や一般的な外科医からすれば、「“狂”の世界」というのも少しも大げさではないと感じます。

「20年前ならいざ知らず、今の世の中に承諾書もとらずに腎癌を他人に移植するなどという行為をどう理解してよいのか戸惑うばかり」

というのも実に素直な感想です。「承諾書もとらずに腎癌」移植していたら、もし訴えられたら、訴訟で多額の賠償を負担して負けてしまうかもしれないのですから。いくら技量の優れた医師でも、腎癌で、承諾書なしなんて到底怖くてできないでしょう。通常は。「戸惑う」という素直な感想には、こちらも納得できるものがあります。

あまりに類まれな万波医師が発想した「病腎移植」は、それほど多くの医師ができることではないとしても、万波医師にはできる限り手術をしてほしいと切に願います。それが一人でも患者の命を救うことになるのですから。

テーマ:時事ニュース - ジャンル:ニュース

2007/03/28 [Wed] 21:13:29 » E d i t
少し前(3月19日)のことになりますが、市立宇和島病院では、治療の終わっていない患者のカルテを大量に廃棄していたとの報道(全国紙では読売新聞のみ?)がありました。しかし、市立宇和島病院が、カルテを破棄したことは本当に問題なのでしょうか? 検討してみたいと思います。(3月29日追記:愛媛新聞への言及につき追記しました)


1.読売新聞平成19年3月19日付

 「万波医師らの病気腎移植カルテ、宇和島病院が大量廃棄

 愛媛県の市立宇和島病院で万波誠医師(66)らが行った病気腎移植について、同病院が治療の終わっていない患者のカルテを大量に廃棄していたことが18日、明らかになった。

 調査委員会は「医療記録が失われてしまったことが、調査を大きく妨害した」と問題視。愛媛社会保険事務局は、戒告などの処分を検討している。

 医師法はカルテについて診療の終了から5年間の保存を義務付けている。

 しかし同病院は、入院と外来のカルテを別々に作成。退院して5年たった患者の入院カルテは、通院が続いても廃棄しており、年度末にまとめて焼却場に運ぶか、外部の業者に廃棄を委託していた。この結果、病気腎の摘出20件のうち14件分、移植25件のうち19件分が廃棄されていた。

 病気腎移植の発覚後、病院側は「カルテがなく、詳しい説明のしようがない。法律上の保存年限は5年。問題はないはずだ」と繰り返した。市川幹郎院長は「カルテを要約した『退院時サマリー』を作っていた。大量の書類は置き場所に困るし、分厚いカルテを読み返すのは手間」と弁明した。

 だが厚生労働省によると、5年の起算日は、病気が治ったと医師が判断するか、死亡、転院した時点。患者の治療には、当初からの経過がわかることが肝心で、退院しても、通院を続けている患者のカルテは当然、必要という。社会保険事務局は「規則の理解が不十分で、明らかなルール違反」と病院に指摘した。病院の医療事務担当者は読売新聞の取材に「法令を知らなかった」と打ち明けた。

(2007年3月19日3時1分 読売新聞)」



2.調査委員会は「医療記録が失われてしまったことが、調査を大きく妨害した」と問題視したとの記述からすると、病腎移植のカルテを不当に破棄したかのような記事のようです。それも18日に明らかになったということで、ずっと公表されることなく隠蔽していたかのような内容です。


(1) しかし、宇和島病院でカルテを破棄していたということは、病腎移植報道の最初の頃から分かっていたことです。例えば愛媛新聞2006年10月07日(土)付の記事にも出ていたことであって、何も3月18日に発覚したわけでもなく、カルテの破棄を隠蔽していたわけではありません。

 「同病院によると、ドナーを記載したカルテは、医師法で定めた保存期間(最終診療日から五年間)を過ぎ、二〇〇三年一月のカルテ更新時に焼却処分。術後の外来診察を記載した部分しか残っていない。」

読売新聞が、今頃問題視するような報道をすることは、不思議でなりません。


(2) 元々、カルテの保存期間は医師法24条により5年ですから、宇和島病院は、法律上の保存期間に従って5年経過したカルテを廃棄しただけであって、調査委員会の調査を妨害するために廃棄したのではありません

「医師法第24条 医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。
2 前項の診療録であつて、病院又は診療所に勤務する医師のした診療に関するものは、その病院又は診療所の管理者において、その他の診療に関するものは、その医師において、5年間これを保存しなければならない。」


5年以上保存することは自由ですが、5年で破棄しても法律上は不当ではないのですから、たとえカルテを大量廃棄したところで診療記録が多かったというだけのことです。だから、何も法律違反はないのに、問題あるかのように報道することは、いくらなんでも無茶苦茶です。


(3) もっとも、読売新聞は、宇和島病院は保存期間の起算点を間違えて早期に破棄したと非難しているようです。

 「医師法はカルテについて診療の終了から5年間の保存を義務付けている。……

 だが厚生労働省によると、5年の起算日は、病気が治ったと医師が判断するか、死亡、転院した時点。患者の治療には、当初からの経過がわかることが肝心で、退院しても、通院を続けている患者のカルテは当然、必要という。社会保険事務局は「規則の理解が不十分で、明らかなルール違反」と病院に指摘した。病院の医療事務担当者は読売新聞の取材に「法令を知らなかった」と打ち明けた。」



特に愛媛新聞は、

「同病院では、医療法で「最終の通院」から五年間保存すべきと定められたカルテを「手術入院」から五年で破棄。」(特集宇和島 腎移植2007年03月19日(月)付 愛媛新聞「「患者を危険に陥れた」 市立病院調査委 「是非」明確に指摘 遺族「不要な手術とは…」

と書いています。しかし、「医療法」には5年の保存期間を定めた規定はないですし、「医師法」の意図だったとしても「医師法」には5年の起算点につき「最後の通院」と明示していません。なぜ起算点を断定できるのか不思議です。読売新聞の記事を参考にしたのでしょうか? もし参考にしたとしても読売新聞は「医療法」でなくて「医師法」ですから、愛媛新聞は読み違いをしているのではないでしょうか?


 イ:そうすると、医師法24条には「カルテの保存期間」の起算点の明示がないので、起算点については解釈問題となります。


 ロ:この起算点については、「患者の権利オンブズマン東京」の「診療情報」によると、

「保存義務の開始時期は、医師法、医療法共に明示がありませんが最終診療日からとされています。」

と理解しています。これが一般的によく知られている解釈であるようです。

他にも、次のような解釈が示されています。

(1) 起算点は個々の診療について作成または記載を行った時点ではなく,同一の患者について一連の診療が完了した日からとする説
(2) 診察の完了日と考える説
(3) 診療記録作成日から5年間と考える説(手島豊「医事法入門」57頁)


条文上は、「診療録」の「保存」を求めているので、条文解釈上は(3)説が最も素直な解釈です。(3)説からすれば、入院時に作成したカルテは作成日から5年間経過すれば廃棄できるので、退院後5年経過したカルテを廃棄しても法律上問題ありません。(3)説からすれば、宇和島病院の対応は何も問題ないわけです。


 ハ:最終診療日説、診察の完了日説、一連の診察が完了した日とする説の違いはさほど大きくないと考えられますので、入院カルテを退院後5年で廃棄してよいか否かを判断するポイントは、「入院とそれに続く通院は1回の診療行為とみるか、みないか」(「カバログ」さんの「5年たったら廃棄していいのか、悪いのか」)なのだと思います。

手術などを行い、生活の一切を病院で過ごすのが入院であり、薬の投与や検査・退院後の診断などが中心となり、病院外で生活するのが通院です。とすると、カルテの記載内容も違いが大きく、プライバシー内容も大きく異なります。生活の一切を病院で過ごす記録が含まれる入院カルテは、隠すべきプライバシーが多く含まれていることになるからです。

そうすると、入院とそれに続く通院は別個の診療行為であり、入院と外来カルテを分けて保存することは合理性があります。「入院と外来カルテを分けるのが医療現場の多数である」そうですが、そういう医療現場は頷けるものもがあります。

入院とそれに続く通院は別個の診療行為であり、入院と外来カルテを分けて保存することは合理性があるのだとすると、保存期間の起算点も、入院時のカルテと外来カルテは別個の扱いをすることになります。
「医療現場の人間の解釈としては、ルール上は、入院カルテは退院後5年で廃棄してもよい」(「noB's Cellar」さんの「万波医師らの病気腎移植カルテ、宇和島病院が大量廃棄」)そうですから、医療現場からすると、市立宇和島病院によるカルテ破棄は通常の態度といえそうです。

このように考えると、市立宇和島病院が、「退院して5年たった患者の入院カルテは、通院が続いても廃棄」しても、法律違反はないことになります。医療関係者の立場から書いているブログでは、病院が隠蔽した意図はないと評価していますが、当然の評価でしょう。


(4) ちなみに、厚労省や社会保険事務局が主張するような「退院後通院している場合は入院当初からすべてカルテを保存せよ」という見解は見当たりませんでした。

社会保険事務局は「規則の理解が不十分で、明らかなルール違反」と病院に指摘したそうですが、そもそも入院と通院を含めてカルテを残すといった「規則」はどういう規則名でしょうか? 厚労省や社会保険事務局が主張するような見解は、どこにも見当たらなかったので、「明らかなルール違反」と言われても納得しがたいものがあります。

「(帳簿等の保存)
保険医療機関及び保険医療養担当規則第九条 保険医療機関は、療養の給付の担当に関する帳簿及び書類その他の記録をその完結の日から三年間保存しなければならない。ただし、患者の診療録にあつては、その完結の日から五年間とする。」

社会保険事務局がいう「規則」はこれしかないのですが、「完結の日」だけであって、社会保険事務局の主張自体は出ていません。

それに

「市川幹郎院長は「カルテを要約した『退院時サマリー』を作っていた。」

そうです。要約の形とはいえ、入院カルテの内容が含まれた文書はあるのですから、厚労省や社会保険事務局が主張するような見解に違反しているという判断は困難だと考えます。




3.このように検討すると、市立宇和島病院が、治療の終わっていない患者のカルテを大量に廃棄していたとしても、法律上問題はなく、市立宇和島病院がカルテを破棄したことを問題視したり、調査を妨害するために廃棄したといった見方は、妥当ではないと考えます。

病腎移植報道では、虚偽報道や問題でないことも問題視するような報道が多いのですが、これもまたその一例となったわけです。



<参照したブログとHP>

「カバログ」さんの「5年たったら廃棄していいのか、悪いのか」
http://blogs.yahoo.co.jp/kwitknr/47825664.html

「可笑しき日本のブログ」さんの「 もはや日本語の体を為していないメディアの「言いがかり」」
http://blogs.yahoo.co.jp/okasikijp/30298148.html

「noB's Cellar」さんの「万波医師らの病気腎移植カルテ、宇和島病院が大量廃棄」
http://blogs.yahoo.co.jp/fpmnob21/30331607.html

「QNo.1610814 カルテ・レントゲンの保存」
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1610814

「米川耕一法律事務所」の「カルテ等の保存期間」
http://www.yonekawa-lo.com/karutehozon.htm

「医事法講義案 医師の権利と義務(1998年10月2日)
http://homepage3.nifty.com/dontaku/lecture-jms/lec98-2.htm

「地獄への道は善意で舗装されている」さんの「押し売り新聞ミスリードもいいかげんにしろ。」
http://blogs.yahoo.co.jp/sxed2004/1305854.html

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2007/03/27 [Tue] 20:49:57 » E d i t
病気腎移植問題で、岡山、広島両県の5病院で弟の廉介医師(61)が執刀した6件の摘出手術を検証していた厚生労働省の調査班(班長=相川厚・東邦大教授)は、3月26日、厚労省で会見し、「すべてにおいて適応がない、または疑問がある」とする調査報告を発表しました(朝日新聞平成19年3月27日付朝刊(小さく掲載))。この報道についてコメントしたいと思います。

なお、この記事内容については、すでにコメント欄で言及があります。こちらもご覧下さい。


1.毎日新聞平成19年3月27日付朝刊

 「病気腎移植:5病院6件は「不必要だった」厚労省調査班

 病気腎移植問題に関する厚生労働省調査班(班長、相川厚・東邦大教授)は26日、岡山、広島両県内の5病院で腎臓を摘出した6例について、摘出がドナー(臓器提供者)にとって「不必要、不利益だった」とする報告書をまとめた。相川班長は「(摘出は)医療として逸脱しており、ドナーが自覚していなくても医学的に不利益はあった。移植ありきの手術だった」と、一連の病気腎移植の妥当性を否定した。

 調査対象は、▽三原赤十字病院(広島県三原市)▽北川病院(岡山県和気町)▽備前市立吉永病院(同県備前市)▽川崎医大川崎病院(岡山市)▽岡山協立病院(同)で摘出された計6件。いずれも万波廉介医師(61)が摘出後、兄の誠医師(66)らによって宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)など3病院で移植された。

 報告書によると、動脈瘤(りゅう)など4件は摘出の必要がなかった。尿管がんの2件のうち1件は、摘出の必要があったが、手術で血管からのがん転移を防がず、腎臓の鮮度を保つ方法を取るなど、移植を前提にした手術方法に問題があった。もう1件は肺にがん転移の可能性があり、がん治療のためでも摘出すべきではなかったと判断した。

 また、調査班による聞き取りで、摘出した腎臓を医学研究に使うと患者は思っていたのに移植に使われたことなどで精神的ショックで入院したり、患者本人は承諾したが、承諾していない家族が怒っているケースがあった。この患者は他病院での直腸がんの手術で尿管を切断され、尿が漏れるようになった。その後尿管が壊死(えし)し、腎臓を摘出された。

 患者は聞き取りの際、「摘出以外の方法を聞いた記憶がなく、やむを得ず摘出と提供に同意した」と答え、家族も「治療が不十分なのに、他の人を助けるために移植するというのか」と憤慨したという。いずれも廉介医師らは、摘出の必要性を説明して同意を得たと話しており、言い分に食い違いが生じている。

 聞き取りを担当した吉田克法・奈良県立医科大助教授は「患者も家族も、病気に関する説明を受けるときはパニック状態になる。文書もなく口頭だけのこのような説明はインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)とは言わない」と批判した。【大場あい、野田武】

毎日新聞 2007年3月26日 21時02分 (最終更新時間 3月26日 23時30分)」




2.どの報道記事もさほど変わらないのですが、毎日新聞の記事は、聞き取りをした患者の話が出ているので、これを引用しておきました。万波廉介医師は、この6例すべてについて報告結果を公表しています。

 病気腎移植についての症例報告(その1)  万波 廉介

病気腎移植についての症例報告(その2) 万波 廉介

病気腎移植についての症例報告(その3) 万波廉介

病気腎移植についての症例報告(その4) 万波 廉介

症例報告5 万波 廉介

症例報告6 (最終)万波 廉介



記事中に出ている患者の事例について、特に取り上げてみることにします。


(1) 岡山協立病院での事例(約10年前、60歳代男性の左尿管が壊死、腎摘)

 「調査班による聞き取りで、摘出した腎臓を医学研究に使うと患者は思っていたのに移植に使われたことなどで精神的ショックで入院したり、患者本人は承諾したが、承諾していない家族が怒っているケースがあった。この患者は他病院での直腸がんの手術で尿管を切断され、尿が漏れるようになった。その後尿管が壊死(えし)し、腎臓を摘出された。

 患者は聞き取りの際、「摘出以外の方法を聞いた記憶がなく、やむを得ず摘出と提供に同意した」と答え、家族も「治療が不十分なのに、他の人を助けるために移植するというのか」と憤慨したという。」(毎日新聞)



 「先輩の泌尿科医より「尿がキズからもれて困っている。カテーテルを使用し、いろいろやってみたがダメだ。次は、開腹手術して、修復する以外ないので、一緒にやってくれ」と頼まれた。

 X-P(レントゲン写真)などみさせてもらい、先輩に「尿管が壊死になっている可能性があり、うまく尿管瑞々吻合は出来ないかもしれん」と告げた。

 「色々経過があるので、お前が今後、前面に出てやって欲しい。ダメなときは、そのとき次の手を考えよう」と言われたので、やってみることにした。

 お腹を開けると、後腹膜腔がガチガチで尿管をみつけることが出来ないので、上方目を転じ腎のところで腎盂を出し、これより下方に剥離をすすめた。下方に行くほど、尿管は白っぽく血が通ってないのがわかた。膀胱側でも尿管を探しだし、上方に剥離し、やっと尿管内にステントカテーテルを留置することが出来た。

 手術後、患者及び家族に「やってみたが、一応つないだものの又尿がもれるだろう。尿管が壊死に陥っているので、根本的に考え方を変える必要がある。小腸で尿管を作る方法、自家腎移植の方法、腎摘する方法の3つが考えられる」と説明した。

 図を書いて、それぞれの利害得失について詳しく話して、決めて欲しいと説明した。

 後日、「全て、あなたに任す。しかし、この病院では手術はしない。岡山協立病院でして欲しい。手術法は、腎摘にして欲しい」と言ってこられた。

 「腎を捨てるのはしのびない。透析中の人にあげたらどうか、人助けと思うがな」と私が話した。

 患者及び家族は喜んで「OK」と言われた。(以下、略)」( 病気腎移植についての症例報告(その1)  万波 廉介




(2) 患者は聞き取りの際、「摘出以外の方法を聞いた記憶がなく、やむを得ず摘出と提供に同意した」と答えているようです。しかし、10年前の事例ですし、現在70歳を超えているのですから、説明を受けたとしても、たとえ、説明書や同意書があったとしても、覚えているのかどうか不確かでしょう。摘出以外の方法を聞いた記憶がないのもやむを得ないところがあります。

「一応つないだものの又尿がもれるだろう。尿管が壊死に陥っている」という疾患状況からすると、60歳代であることも考えると、通常、多くの患者や家族は、一番体に負担のかからない、腎摘する方法を望むだろうと思います。そうなると、腎摘する方法について、患者の同意があったと推測するのが合理的でしょう。

そうすると、インフォームドコンセントが不十分であったと非難することは困難と思われます。


家族も「治療が不十分なのに、他の人を助けるために移植するというのか」と憤慨したようですが、「治療が不十分」というのはどういうことでしょう? 万波慶介医師が関わる以前の治療については、治療がうまくいっていなかったようですが、それは摘出手術とは無関係です。この家族のコメントを聞くと、かなり歪んだ聞き取りをしたのではないでしょうか? もちろん、10年前のこと、家族が十分に覚えていないでしょう。

やはり家族に対しても、インフォームドコンセントが不十分であったと非難することは困難と思われます。


(3) 不可解なのは、吉田克法・奈良県立医科大助教授のコメントです。

 「聞き取りを担当した吉田克法・奈良県立医科大助教授は「患者も家族も、病気に関する説明を受けるときはパニック状態になる。文書もなく口頭だけのこのような説明はインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)とは言わない」と批判した。」


10年前において、どれだけの医療機関が文書で持って説明していたというのでしょうか? 患者の自己決定権を重視することでさえ、否定的だったのは、それほど前のことではありません。今現在の、日本の大学病院での基準でもって、10年前の医療事例を判断するのは卑怯な遣り方です。吉田克法・奈良県立医科大助教授は、10年の差異を理解できないようです。

何度も触れていることですが、医療過誤訴訟において、インフォームドコンセントがあると言えるために文書が必要であるという判例はありません。インフォームドコンセント、説明義務を尽くしたかどうかは、文書の有無で決まるわけではないのです。

それほど文書、文書と言い募るのであれば、朝日新聞に掲載されていた「説明文書なしで手術をした事例」<追記>で挙げておきます。ぜひ、この病院に対しても、インフォームドコンセントがないと厳重に非難して欲しいものです。



2.今回も相変わらず、全部「不適切」です。どの事例も、本当に「不適切」なのでしょうか? このブログのエントリーのみならず、コメント欄でも疑問視している事例と、類似する事例がありますから、本当に不適切かどうかは疑問です。

「元気に明るく生きて行ける社会のために、医者のホンネを綴りたい」さんの「病気腎移植がダメなら?」から一部引用します。

 「厚生労働省研究班は、万波医師グループの病気腎移植の大半が不適切であった、との報告を出した。なるほど、確かに“適切か?”と聞かれれば、うなってしまう症例が多いことは事実だ。

 しかし、ならば全く健康な人間の腎臓を摘出することは“適切”なのか?。以前からずっと疑問を感じて私がブログに書き続けている問いに対する答えは、彼らの報告の中には存在しないようだ。たまたま家族が腎不全だから、という理由で、やむを得ず自分の腎臓を提供する(危険な手術を受けて、全く取り出す必要のない腎臓を摘出される)ことの道義的問題について、国民が納得する答えはまだない。」


生体腎摘出は、必要な臓器を病気もないのに同意があるという一点で、摘出を認めるだけであって、生体腎摘出は医学的に例外なくすべて“不適切”です。これに対して、どんな病腎摘出であっても、それに移植の目的があったとしても、治療の面は残っているのですから、生体腎摘出に比べれば、“適切”なのです。

例外なくすべて“不適切”である生体腎摘出は認めておいて、病腎摘出はすべて“不適切”と判断するのは、あまりに不合理です。しかも、例えば、標準的な治療に反してでも、患者の身体的負担とは無関係に病腎を修復して戻さないと、“不適切”だというのですから、そんな「患者の事情をぬきにした医学」はあり得るのだろうかと思うのです。

例外なくすべて“不適切”である生体腎摘出を認めている以上、病腎摘出をすべて“不適切”として否定することは、どう屁理屈をもっててきても、論理的に不可能だと思うのです。
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2007/03/26 [Mon] 07:50:16 » E d i t
日本移植学会は、米国移植学会へ嫌がらせ書簡を送るほど、「病腎全否定」に決定するため躍起になっています。しかし、学会内部のおひざ元では、現場の臨床医などから「病腎全否定」に異論も出ている(産経新聞3月25日付)ように、日本移植学会に対して異議を唱える声が大きくなってきています。

日本病理学会は、3月13日に開かれた学会の理事会、総会で、日本移植学会などの5学会の統一見解に「参加しない」ことを正式に決定しています(読売新聞「病気腎統一見解に病理学会は不参加」(2007年03月15日)参照)。このように、日本病理学会は日本移植学会と一緒に群れることを拒絶したのです。この経緯について、東京新聞は、日本病理学会の常任理事・藤田保健衛生大の黒田誠教授へのインタビューを行っています。このインタビュー記事を紹介します。


1.東京新聞平成19年3月25日付(日曜日)28面「こちら特報部」

 「SOS臓器移植:「病気腎」もっと検証を  日本病理学会 統一見解参加見送り

 病気腎移植について、関連5学会(日本移植学会、日本泌尿器科学会、日本臨床腎移植学会、日本腎臓学会、日本透析医学会)は31日に大阪市で合同調査報告会を開き、ここで統一見解を出すとみられる。だが、宇和島徳洲会病院(愛媛県)での検証に参加、5学会に同調するとみられていた日本病理学会は、参加見送りを表明した。真意はどこに―。同学会の常任理事で藤田保健衛生大の黒田誠教授(54)に聞いた。(片山夏子)


◇「同じテーブルで議論していない」

 ――統一見解発表への参加を見送るのは。

 宇和島徳洲会病院で行われた病気腎移植11件について、日本病理学会の倫理委員長を専門委員として派遣、病理学の見地から意見を出した。だが、他学会と同じテーブルについて議論や検証をしていないのに、いきなり共同声明に参加するということはないでしょう。国から検証するよう求められたわけでもなく、まだ何もしていない。

 今月上旬に日本移植学会から『日本病理学会はどうするか』と問い合わせを受けたが、13日から大阪で開かれた学会の理事会、総会で「協力はするが参加は見送る」と決定した。

 ――病理学的な見地からの検証とは。

 適切な治療や手術をするために、医師が治療方針を判断する材料となるのが、ぼくらが行う病理診断。病理診断とは、患者の体から採取した病変組織や細胞の標本を顕微鏡で観察し、どのような病気かを診断する。手術によって摘出された臓器の診断、手術中の迅速判断なども行う。病気腎移植については、移植前に適切な病理診断がされていたか、診断がされたならどんな病気だったのか―の二段構えで検証する。学会としては病気腎移植全件について、病理標本が残っているかも含めて掘り起こして検証する。その結果、5学会の結論が賛同できるならその時に参画する。

 ――病気腎移植で病理診断は行われていたのか。

 宇和島徳洲会病院は外注で、他の病院には病理医がいて病理診断は行われていたようだ。徳洲会病院の専門委員の病理医は、病理学的な診断に大きな問題はなかったというが、ただし、ネフローゼなどの腎移植がされていたのはいかがなものか、と。摘出の必要がないと思われる臓器摘出には疑問を呈した。呉共済病院(広島県)の病理医だった難波紘二医師も独自にデータを集め解析している。そこでも病理学的には不適切なものはほとんどないと聞いている。

◇長期データ集積が必要

 ――病気腎移植は適切な医療だと考えるか。

 ぼくらは診断屋。術前や手術中に正しい病理診断をして、適切な治療方針を決めてもらうのが大前提。その病理診断の結果を受け、どのような治療をするかについては立場が違うので発言を控える。

 ただ、がんやネフローゼの腎臓の移植は考えてもいなかった。きちんとした根拠があってやったのか、ドナーの腎臓は大丈夫だったのか、が重要。例えば、万波誠医師らは小さいがんなので再発がほとんどないとしているが、もっときちんとしたデータが必要だ。そもそも再発しないのであれば元の患者に残すべきだ。初めに移植ありきではまずい。学問的に裏づけとなるしっかりした根拠がなくては医療でも医学でもない。

 ――病気腎移植の今後をどう考えるか。

 移植を望む患者の心情はわかるか、医療として確立されるには長期のデータ集積が必要。そのデータを見て、どの医師が診ても同じ判断を下すかどうか。国が医学的見地からの検証を各関連学会や医師らに依頼し、検証し決めること。

 今後、透析患者が増える中で、病気腎移植という道があると主張するのはある意味で正論。だが、万波医師の腕がよかったということもあり、一般の移植医に同じことができるかというと難しい。学会などでガイドラインを作る場合は、ある程度の訓練を受けた医師がガイドラインに沿って同じようにできるという前提がいると思う。」




2.幾つかの点についてコメントしたいと思います。

(1) 

「――統一見解発表への参加を見送るのは。

 ……他学会と同じテーブルについて議論や検証をしていないのに、いきなり共同声明に参加するということはないでしょう。国から検証するよう求められたわけでもなく、まだ何もしていない。

 今月上旬に日本移植学会から『日本病理学会はどうするか』と問い合わせを受けたが、13日から大阪で開かれた学会の理事会、総会で「協力はするが参加は見送る」と決定した。」


他学会と議論や検証をしていないのに、いきなり結論は出せない。だから、参加しない、というわけです。まったく当然の決定です。日本病理学会は妥当な判断をしたと思います。

それにしても、日本移植学会は、今月(3月)上旬に参加するのかと問い合わせをするなんて、あまりにも遅すぎですし、いい加減です。議論もすることなく、共同声明に参加するのかなんて、日本病理学会に対して、単に名義貸しを求めているのと同じです。1つでも参加学会名が増えたら、重みが増すとでも思っているのでしょう。日本移植学会は。日本移植学会は、またもや呆れた行動をしたのです。


(2) 

「――病気腎移植で病理診断は行われていたのか。

 宇和島徳洲会病院は外注で、他の病院には病理医がいて病理診断は行われていたようだ。徳洲会病院の専門委員の病理医は、病理学的な診断に大きな問題はなかったというが、ただし、ネフローゼなどの腎移植がされていたのはいかがなものか、と。摘出の必要がないと思われる臓器摘出には疑問を呈した。呉共済病院(広島県)の病理医だった難波紘二医師も独自にデータを集め解析している。そこでも病理学的には不適切なものはほとんどないと聞いている。」


「摘出の必要がないと思われる臓器摘出には疑問を呈した」という点も指摘しています。しかし、「宇和島徳洲会病院は外注で、他の病院には病理医がいて病理診断は行われていた」とか、「徳洲会病院の専門委員の病理医は、病理学的な診断に大きな問題はなかった」とか、「難波紘二医師も独自にデータを集め解析……そこでも病理学的には不適切なものはほとんどない」ということからすると、日本病理学会としては、病理診断はなされていたようであって、病理学的には大きな問題はなかったと判断しているようです。


そうすると、次のような愛媛新聞の報道は虚偽報道だったわけです。

 「「病気腎移植は遺憾」独自見解方針 摘出時検査行わず 日本病理学会

 宇和島徳洲会病院(宇和島市)の万波誠医師(66)らによる病気腎移植問題で、日本病理学会(理事長・長村義之東海大医学部教授)が六日夜、東京都内で開いた常任理事会で、同病院で実施された十一件の病気腎移植をめぐり、腎臓の病理検査が行われていないケースがあったことが報告された。同学会は事態を問題視し、十三日に大阪市で開く総会後、病気腎移植に対し「病理学の立場から遺憾」とする独自の見解を発表する方針を固めた。(以下、省略)」(特集宇和島 腎移植2007年03月07日(水)付 愛媛新聞


3月13日に大阪市で開いた総会では、「統一見解に参加しない」ことを決定したのであって、総会後、病気腎移植に対し「病理学の立場から遺憾」とする独自の見解を発表していません
愛媛新聞は、誰に聞いたのか分かりませんが、勝手に病腎移植を遺憾とする見解を発表する方針を採用したなんて、虚偽報道は止めるべきです。


(3) このインタビュー記事でもっとも興味深く感じたのは、この箇所です。

 「――病気腎移植の今後をどう考えるか。

 移植を望む患者の心情はわかるか、医療として確立されるには長期のデータ集積が必要。そのデータを見て、どの医師が診ても同じ判断を下すかどうか。国が医学的見地からの検証を各関連学会や医師らに依頼し、検証し決めること。

 今後、透析患者が増える中で、病気腎移植という道があると主張するのはある意味で正論。だが、万波医師の腕がよかったということもあり、一般の移植医に同じことができるかというと難しい。学会などでガイドラインを作る場合は、ある程度の訓練を受けた医師がガイドラインに沿って同じようにできるという前提がいると思う。」


難波先生や藤田先生は、病腎移植の道の妥当性を主張していましたが、万波医師らを支援する立場以外の医師も、「病気腎移植という道があると主張するのはある意味で正論」だとはっきり述べるようになったのです。日本移植学会が、病腎移植を全否定する姿勢を示しているのに対して、黒田誠教授は明確に反対の意を示していることになります。個人的見解と断り書きを入れていないことからすると、日本病理学会としても、病腎移植の道を認める余地があると考えていると推測できます。3月13日~15日の総会において、病腎移植は遺憾であるという表明はしていないというのもその根拠といえるでしょう。


もう1点、興味深い点は「万波医師の腕がよかったということもあり、一般の移植医に同じことができるかというと難しい」という部分です。このコメントから分かるように、病腎移植は、一般の移植医には無理であって、本当に腕のいい医師でないとできないのです。その意味で、万波医師が、おそらく誰もが認めるくらい、恐ろしく腕いい医師であることが分かります。神の手を持つと言われる医師がいますが、万波医師もその神の手を持つ医師の一人なのだと思います。

ごく一部の病腎移植であれば一般の移植医も可能なのでしょう。しかし、広く病腎移植を行うには、世界の優れた移植医か、神の手を持つ医師のみができるのだと思います。一般の移植医にとどまる、日本移植学会の幹部にとっては、神の手を持つ医師の術式は、想像もできず、理解できないのは無理からぬところがあります。神の領域にある者の医療行為を、凡人がどうやって判断できるというのでしょうか?(苦笑) 
しかも、おそらくは、日本移植学会など関連5学会の幹部は、実際上は、並みの腕しかない医師なのに、腕がいいと誤解して信じ込んでいるはずです。そして、万波医師が神の手の領域にあるわけがないと疑問視しているはずです。

そうなると、日本移植学会など関連5学会に対して、病腎移植の医学的妥当性を納得させるのは、なかなか難しいと感じます。神などいないと固く信じている人に神がいると信じさせるようなものです。外圧(世界の先端医療を広く知らせる)や国民の啓蒙(病腎移植の医学的妥当性を知らしめる)によって、なんとかするしかないと感じています。
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2007/03/25 [Sun] 16:54:26 » E d i t
万波誠医師(66)が、5月に米・サンフランシスコで開かれる米国移植学会議で予定していた病気腎移植についての発表が、中止されました。
この、大変残念で、驚くべき展開になったのは、日本移植学会(田中紘一理事長)が米国移植学会に対して、「日本で大きな問題となっている」と勝手に決め付けた書簡を送りつけるという嫌がらせをしたためです。 「地獄への道は善意で舗装されている」さんの「藤田士郎先生からの情報(2007/3/23(金) 午後 7:06)では、いち早く触れています。この報道についてコメントしたいと思います。(追記:紙面の頁数を追記しました)


1.報道記事から。

(1) FNN(フジニュースネットワーク)2007/03/24 12:35 取材: テレビ愛媛

病気腎移植問題 米移植学会、5月に予定されていた総会での万波医師の発表を取りやめ

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 万波 誠医師(66)による病気腎移植問題で、アメリカ移植学会が5月にサンフランシスコで開く総会で予定していた万波医師の発表を、取りやめることがわかった。

 万波医師は「(渡米を)中止にされたということで、大変残念だとは思います。(今後)話を聞いていただけるなら、どこへでも出て行きたい」と語った。

 アメリカ移植学会はこれまで、病気腎移植を先進的な医療として評価する姿勢を見せていたが、日本時間の24日未明、万波医師にメールを送り、「再検討した結果、時期尚早と判断した」と、総会の演題から外すことを正式に伝えた。

 日本移植学会は3月13日、アメリカ移植学会に対し、「万波医師の発表は不適切である」と指摘する手紙を送っていて、これを受け、アメリカ側が対応を一転させたものとみられている。」



(2) 毎日新聞 2007年3月24日 19時36分 (最終更新時間 3月24日 21時04分)(3月25日付13版30面で1段落目まで小さく掲載)

 「病気腎移植:万波医師の米学会発表が中止に 「時期尚早」

 病気腎移植を手がけてきた宇和島徳洲会病院の万波誠医師(66)が、5月に米・サンフランシスコで開かれる米国移植学会議で予定していた病気腎移植についての発表が、中止されたことが分かった。

 万波医師によると、発表を仲介した米国在住の日本人移植医に同会議側から「時期尚早」などを理由に中止を告げるメールが届いた。万波医師は24日朝に電話で知らされたという。万波医師は「突然のことで理由は分からないが、いったん決まっていたことなので残念。英語の練習もしていたのに」と話した。

 万波医師は同会議で、病気腎移植患者の術後経過などの発表を予定していた。日本移植学会は田中紘一理事長名で「論文発表は不適切」と指摘した文書を今月、会議を開く米国移植外科学会の理事長に送付。文書による患者のインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)や倫理委員会の承認がなく、日本で大きな問題となっていることを説明しており、この文書を受けて中止が決められたとみられる。【津久井達】

毎日新聞 2007年3月24日 19時36分 (最終更新時間 3月24日 21時04分)」



(3) 産経新聞3月25日付1・2面(2007/03/25 02:56)

 「米移植学会、万波医師の論文発表中止 日本学会の再考要請受け

 病腎移植問題で、日本移植学会(田中紘一理事長)が米国移植学会に対し、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)らが5月に米学会で行う予定だった論文発表について再考を求める内容の書簡を送っていたことが分かった。これを受けて米移植学会は論文発表を見送ることを決め、関係者に通知した。

 日本の学会が出した書簡は、「万波医師の論文発表についての要請」の表題で、一連の病腎移植が倫理審査を経ずに行われるなど問題点が多く、現在日本で調査が進められている経緯などを説明した内容。「論文は米移植学会にふさわしくないと考えている」と結んでいる。田中理事長名で13日付で送付された。

 これを受けて、米学会側から万波医師の関係者に23日深夜(日本時間)、「時期尚早と判断した」などと論文採用の取り消しが伝えられた。

 論文は、病腎移植を受けた患者の生存率などを検証し、有効性を訴える内容。2月末に米国から採用が伝えられ、5月に米サンフランシスコで開かれる米移植学会と米移植外科学会の合同総会で万波医師らが発表することになっていた。

 米国に要請書を出した理由について、日本移植学会の関係者は、一連の移植が(1)倫理審査を経ずに行われ、患者への説明・同意の手続きの文書化もほとんどされていない(2)日本で社会問題化している-ことを米国側に知らせる義務があると判断したと説明している。

 同学会は、「瀬戸内グループ」の別の医師が米国の医学誌に投稿した病腎移植に関する論文についても、医学誌の編集部に経緯説明の書面を送る方針という。

(2007/03/25 02:56)」



「FNN(フジニュースネットワーク)2007/03/24 12:35」がいち早く報道したようです。なぜ中止になったのかについては、新聞社ではここで掲載した毎日新聞と産経新聞のみが触れていて、産経新聞が一番詳しいです。毎日新聞は、記事内容によって書き手を分けているようで、万波医師批判の場合には、科学環境部の記者主導、万波医師に有利な場合は津久井達記者が、となっています。

「万波医師は「突然のことで理由は分からないが、いったん決まっていたことなので残念。英語の練習もしていたのに」と話した。」

元々、万波医師も、きちんとした形で発表したいという意思を示していたのですから、やっと発表できるようになったと喜んでいたはずです。準備も着々と行ってきていたのに、突然中止になってしまったのですから、「残念」に留まらず、無念な思いでいるはずです。


(4) これに対して、読売新聞と朝日新聞は、なぜ中止になったのかについて、全く触れていません。中止の理由を書くと、日本移植学会が嫌がらせをしたことがバレてしまうからとはいえ、事実を隠蔽することは妥当ではありません。

 「病気腎移植、万波医師が米学会での発表中止へ

 病気腎移植問題で、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)は24日、米国・サンフランシスコで5月に予定していた米国移植学会議での病気腎移植の症例や術後経過に関する発表を中止にしたことを明らかにした。
 万波医師によると、24日未明に同学会議の担当者から米国在住の万波医師の知人に、メールで「今回は発表を見合わせてもらう」と連絡があった。詳しい理由はわからないという。
 万波医師は「準備を進めていただけに残念。世界的に臓器提供者が不足する中、移植先進国の米国で、病気腎移植がどのように評価、批判されるかを知りたかった。今後、発表が可能なら、どこへでも行きたい」と話している。
(2007年3月24日17時20分 読売新聞)」((読売新聞(2007年3月24日17時20分)(3月25日13版未掲載、14版25面で小さく掲載)


 「アメリカ移植学会で万波医師の症例発表不採用に
2007年03月24日23時20分

 宇和島徳洲会病院の万波誠・泌尿器科部長(66)らによる「病気腎」移植で、万波医師は24日、5月上旬開催の米国移植学会で予定していた病気腎の症例発表が不採用になったことを明らかにした。同病院の調査委員会は万波医師の発表を踏まえて最終的な結論を出す意向を示していた。
 万波医師は病気腎移植にかかわっていた「瀬戸内グループ」の医師らと共同で抄録をまとめ、投稿。2月にいったん発表の演題に採用されたが、万波医師は24日朝、投稿の手続きをとったフロリダ大の移植医からの連絡で演題から外されることを知らされたという。「残念だけれども、受け入れられないと言われてしまったのだから仕方がない」と話している。」(asahi.com(2007年03月24日23時20分)。3月25日13版紙面には未掲載)




2.日本移植学会は、とうとう、こんなことまで仕出かしたのかという思いがしました。まさか、外国にまで妨害工作を行うなんて。どうかしているとしか思えません。

(1) 日本移植学会はかねてから、情報を公開して進めて行くべきであると述べ、読売新聞の科学部・阿利明美記者も「移植医療と同様に、調査も「オープン・フェア・ベスト」に行われなければ、日本の医療に新たな禍根を残しかねない。」として、宇和島徳洲会病院の調査委員会の調査結果を批判していました((野本・日本移植学会理事長(当時)へのNHKインタビュー読売新聞(2007年03月04日):[解説]公平「結論」ほど遠く)。

移植に関わる情報は公開すべきという主張自体は正しいのです。ならば、日本移植学会は、米国移植学会での論文発表を阻止するような書簡を送るべきではなかったのです。そして、読売新聞も、「オープン」を阻止する行動に出た日本移植学会に対して、厳しく批判すべきです。こんな矛盾した言動では、日本移植学会と読売新聞は到底信用できません。もっとも、日本移植学会の幹部は嘘つきばかりなので、いつもの行動だといえるでしょうが。読売新聞の科学部・阿利明美記者は、事実を隠蔽した自社の報道姿勢に対して恥ずかしくないのでしょうか? 

日本移植学会が日本国内で妨害工作を行ったのであれば、国内問題にとどまります。しかし、米国移植学会での病腎移植に関する論文の公表は、世界中の移植医が集まる場でしたから、世界的なドナー不足に対する一方法を示すものだったのです。日本移植学会の妨害工作は、世界の移植医療への発展を阻害し、世界中で移植を待っている患者への背信行為です。日本移植学会は、国際的に迷惑行為を行っているのです。こういう国際的に問題視される行動を行うことを黙認していては、日本人全体の名誉を毀損することになります。日本移植学会の行動は強く非難すべきものであり、二度とこのような恥知らずの行動をすべきではないのです。


(2) なぜ日本移植学会が嫌がらせ書簡を出したかについて、産経新聞(後掲)は次のように推測しています。

「要請書を出したことについて日本移植学会関係者は「インフォームド・コンセント(患者に対する説明と同意)文書なしの臨床論文は認められないのが常識だから」と説明し、強硬な姿勢だ。

一連の移植が倫理上の手続きを無視した行為だったことを米側が知らないまま、実績だけが脚光を浴びる事態を憂慮したとみられる。」

要するに、病腎移植を認めたくないという結論があるから、実績としても残したくないのです。病腎移植を行ったという客観的な事実があるのに。日本移植学会の偏狭な考え方がよく出ています。


(3) では、なぜ、米国移植学会側は中止したのでしょうか? 

学会は、学問的(医学的)発展に寄与する論文を発表する場です。ですから、日本移植学会が書簡を送ってきても、日本側の事情は米国では無関係ですし、論文に問題があったとしても会議の場で問いただせばよいことですから、発表を中止しなくてもよかったはずです。

おそらく米国移植学会としては、医学的発展に寄与する内容なのだから演題としたのに、わざわざ中止要請の書簡まで送りつけて医学の発展を妨害するような、ストーカーのような嫌がらせをする日本移植学会が、これ以上、米国移植学会に関わって欲しくないからなのでしょう。こう推測できます。




3.日本移植学会は、国際的に迷惑をかけてまで、病腎移植を否定するという結論を出すことを急いでいますが、こういう強引で独善的な行動に対しては、万波医師支援の立場以外の団体、医師からも批判がでています。

(1) 産経新聞(2007/03/25 02:57)

 「病腎問題 結論急ぎ…揺らぐ学会

 病腎移植の有効性に関する論文発表をめぐり、日本移植学会が米国移植学会に「待った」をかけた背景には、3月末に関係学会と合同で病腎移植「原則禁止」の統一見解を出す方針を固めた日本側の学会の立場がうかがえる。関係学会や移植患者団体の内部では、病腎移植の「全否定」に反発する動きも出ており、結論を急ぐ動きの足下で揺らぎも見えている。

 ■言い分

 要請書を出したことについて日本移植学会関係者は「インフォームド・コンセント(患者に対する説明と同意)文書なしの臨床論文は認められないのが常識だから」と説明し、強硬な姿勢だ。

 一連の移植が倫理上の手続きを無視した行為だったことを米側が知らないまま、実績だけが脚光を浴びる事態を憂慮したとみられる。

 これに対し、「万波論文」の発表申請を取り次いだ米国在住の藤田士朗・フロリダ大助教授は「多くの患者のために病腎移植の可能性を論じる場が奪われたのは残念だ。日本の学会は万波医師らが病腎移植を公表しなかったと批判してきたが、発表の機会を取り上げるのは矛盾している」と批判した。

 徳洲会側は、倫理面に重大な手落ちがあったことには「批判を甘んじて受ける」としているが、論文発表にまで“横やり”が入ったことには驚きを隠さない。

 ■紛糾した学会

 学会内部のおひざ元では、現場の臨床医などから「病腎全否定」に異論も出ている。

 2月28日に石川県のホテルで開かれた日本臨床腎移植学会。病腎移植について調査した臼木豊・駒沢大学法学部教授が講演の中で、「患者が病腎移植を自発的に望む場合は否定できない」との見解を述べた後、質疑応答は紛糾。会場から「オープンにやれば認めていいのでは」などの意見が出され、論争になった。

 この学会には、米移植学会の前会長が米国の移植事情についての講演を申し入れていた。講演はいったん受け入れられたが、後日取り消された。米側に伝えられた説明は「学会が近く病腎移植について結論を出すため時期が悪い」だった。米国ではドナー(臓器提供者)を拡大する動きが進み、がんの病腎移植も報告されていることが背景にあるとみられる。

 学会の関係者は「統一見解を出す前に異論を封じようとする雰囲気を強く感じる」と語る。

 宇和島徳洲会病院の調査委員会では、各学会から派遣された専門委員のうち、日本病理学会の委員が会議の場で、「10年、20年先の医療のために、病腎移植の芽を摘むべきでない」と力説していた。だが、専門委員の最終報告書にこの意見は一行も盛り込まれていない。関係した医師の間では「初めから結論ありきの論議だった」などと批判するメールが飛び交っている。

(2007/03/25 02:57)」



(2) 日本移植学会が、ともかく病腎移植を否定し、発表さえ阻止していたことは、ブログなどでは出ていました(「地獄への道は善意で舗装されている」さんの「藤田士郎フロリダ大学助教授の病気腎移植潰しに対しての見解」、「大島伸一・日本移植学会副理事長の“病気腎移植を容認できぬ理由”(東京新聞3月6日付)を検証~病気腎移植か、それとも入院患者全員がドナーか」)が、マスコミ報道されたのはこれが初めてではないかと思います。事実を隠蔽することなく報道した、産経新聞は高く評価できます。

 「学会内部のおひざ元では、現場の臨床医などから「病腎全否定」に異論も出ている。

 2月28日に石川県のホテルで開かれた日本臨床腎移植学会。病腎移植について調査した臼木豊・駒沢大学法学部教授が講演の中で、「患者が病腎移植を自発的に望む場合は否定できない」との見解を述べた後、質疑応答は紛糾。会場から「オープンにやれば認めていいのでは」などの意見が出され、論争になった。」


この記事は、愛媛新聞では、

 「臼木教授は「(病気腎移植を)法律で禁じる必要はなく、患者が本当に自発的に申し出た場合は否定できない」との考えを示す一方、他者に移植することをドナー側担当医が持ち掛ける行為は、自発的意思を担保する面から「絶対に駄目だ」と強調した。
 会場からは「患者側から摘出を申し出ることなどあり得ない」「根本的に間違った医療だ」などの声が上がる一方、「患者から申し出る『例外』もゼロではなく、オープンにやれば許される」との意見も出た。」(特集宇和島 腎移植2007年03月01日(木)付 愛媛新聞:「病気腎」を問題視 厚労省調査班員が講演 臨床腎移植学会

という紹介でした。この記事からは、紛糾したようには思えなかったのですが、日本移植学会は病気腎移植(摘出も含む)全否定の結論のために、米国移植学会への妨害工作をしたことも考慮すると、全否定できないという臼木教授の見解への反発は当然であり、質疑応答は紛糾し、論争になったという見方の方が妥当でしょう。

刑法上、治療行為が適法(刑法35条(正当業務行為))となるための要件としては、

<1>治療目的
<2>医学上の法則に従うこと
<3>患者の同意

の3点が挙げられています(前田雅英著「刑法総論講義(第4版)(2006年、東京大学出版会)308頁)。

現在では、個人の尊重(憲法13条)からすると、“自分の生き方は自分で決める”ことが基本なのですから、<3>の要件が最も重要であって、患者が、医師からこれから行おうとする医療行為について十分に説明を受けた上で、納得して同意をしたのであれば、適法であるのです(「病気腎移植問題~病気腎元患者は「摘出誘導なく、納得している」と証言」)。患者の意思の尊重こそがもっとも大事なことだということです。

そうすると、臼木豊・駒沢大学法学部教授(刑法)が講演の中で、「患者が病腎移植を自発的に望む場合は否定できない」との見解を述べたそうですが、患者が病腎移植に自発的に望むのであれば適法であるという見解は、刑法上妥当であり、臼木教授だけでなく、刑法学者なら異論なく、適法と考えているというべきです。自発的でなくても、移植を持ちかけられて情報を与えられた上で同意した場合には、それも患者の意思ですから、適法となるはずですが。それなのに、日本臨床腎移植学会では、問題視されたようです。不思議なことです。


「この学会には、米移植学会の前会長が米国の移植事情についての講演を申し入れていた。講演はいったん受け入れられたが、後日取り消された。米側に伝えられた説明は「学会が近く病腎移植について結論を出すため時期が悪い」だった。米国ではドナー(臓器提供者)を拡大する動きが進み、がんの病腎移植も報告されていることが背景にあるとみられる。

 学会の関係者は「統一見解を出す前に異論を封じようとする雰囲気を強く感じる」と語る。」

すでに、この内容は、「地獄への道は善意で舗装されている」さんの「藤田士郎フロリダ大学助教授の病気腎移植潰しに対しての見解」(この記述を引用したのが、「大島伸一・日本移植学会副理事長の“病気腎移植を容認できぬ理由”(東京新聞3月6日付)を検証~病気腎移植か、それとも入院患者全員がドナーか」))において触れていた事実ですが、マスコミ報道されたことが重要です。やっとこの事実を報道する勇気のある報道機関がでてきました。

医療は透明性が必要だ、とか、移植情報は公開すべきであると、口では言いながら、日本移植学会の幹部の息のかかった学会は、自ら、病気腎移植の発表を阻止し、病気腎移植の実情を見ようとしないのです。


この記事には出ていませんが、日本病理学会は、3月13日に開かれた学会の理事会、総会で、日本移植学会などの5学会の統一見解に「参加しない」ことを正式に決定しています(読売新聞「病気腎統一見解に病理学会は不参加」(2007年03月15日)参照)。日本病理学会も、病腎移植を全否定する日本移植学会とは距離を置くことを決めたのです(詳しくは、東京新聞3月25日付。明日紹介)。

日本移植学会が、虚偽情報を流し続けるといった「度重なる悪質な行動」を行い、病腎移植否定のため、情報公開さえも阻止するといった「強引で独善的な行動」には、批判も強くなってきていると感じます。

病腎移植に否定的な立場であっても、梅毒感染した臓器を移植したなどという虚偽情報に踊らされるマスコミ報道に惑わされることなく、今こそ冷静さを取り戻して、情報を精査して、病腎移植の法律的・医学的妥当性を考えてほしいと思うのです。

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2007/03/24 [Sat] 15:21:14 » E d i t
タレント・向井亜紀さんと、夫で元プロレスラー・高田延彦さんが代理出産を依頼してアメリカで生まれた双子について、東京高裁が東京・品川区に出生届の受理を命じていた問題で、最高裁は23日、として高裁決定を破棄し、向井さん夫妻の訴えを退けました。これにより、双子の出生届は受理されないことが確定しました(日本テレNEWS24<3/23 17:37>)。大変残念な結果になりましたが、この報道記事を紹介したいと思います。なお、<追記>で、判決文を引用しておきます。(追記:4.の部分のほか、所々追記しました。)(3月29日追記:米本氏のコメントへの批判につき追記しました)(4月2日追記:最高裁へのコメント修正)

その前に、原審である東京高裁の判断が妥当であったことから、最高裁でも維持されるのではないかとの見通しを書いていましたが、異なってしまいました。大変申し訳ありませんでした。



1.報道記事を幾つか。

(1) TBSニュース(2007年03月23日16:52)

 「向井さん代理出産、出生届不受理確定

 タレントの向井亜紀さん夫妻の代理出産をめぐる裁判で、最高裁は向井さん側の訴えを退ける決定をしました。これによって、出生届の不受理が確定しました。

 この問題は向井亜紀さん夫妻がアメリカ人女性による代理出産で生まれた双子の男児について、3年前、品川区が出生届を受理しなかったものです。

 双子の出生をめぐっては、アメリカ・ネバダ州の裁判所が親子関係を認める確定判決を出したことから、東京高裁が品川区に出生届を受理するよう命令、これに対し品川区が最高裁へ許可抗告していました。

 23日、最高裁は「民法が認めていない親子関係の成立を認める外国の裁判は効力を有しない」とした上で、代理出産について「現在の法律では、子の母は妊娠し出産した女性と解釈せざるを得ず、卵子を提供した女性との間で母子関係の成立を認めることはできない」と初めて判断。出生届を受理するよう命じた東京高裁の決定を破棄しました。これによって、出生届の不受理が確定しました。(23日16:52)」



(2) 朝日新聞平成19年3月23日付朝刊1面

 「代理出産、親子関係認めず 最高裁、向井亜紀さん問題で
2007年03月23日21時40分

 タレントの向井亜紀さん(42)と元プロレスラーの高田延彦さん(44)夫妻が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(3)について、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は23日、夫妻との親子関係を認めない決定を出した。第二小法廷は「自分の卵子を提供した場合でも、今の民法では母子関係の成立は認められない」との一般判断を初めて示した。向井さん側にはこれ以上不服を申し立てる手段はなく、出生届の不受理が確定した。

 第二小法廷は「代理出産は公知の事実で、(明治時代に制定された)民法の想定していない事態だ」と指摘。「遺伝的なつながりのある子を持ちたいという真摯(しんし)な希望と、他の女性に出産を依頼することについての社会一般の倫理的感情を踏まえ、立法による速やかな対応が強く望まれる」と述べて、法整備を急ぐよう国会に異例の注文をつけた。

 夫妻は双子の出生後、米国ネバダ州の裁判所で親子関係を確定する判断を得ていた。昨年9月の東京高裁決定は、外国裁判所の確定判決の効力が承認されるとした民事訴訟法の規定をもとに、親子関係を認めた。

 これに対し、第二小法廷は「実親子関係は身分関係の中で最も基本的なもの。基準は一義的に明確でなければならない」と指摘。「民法が定める場合に限って実親子関係を認める」と厳格な解釈を示した。

 その上で、今の日本の民法では認められないのに、実の親子関係を認めたネバダ州裁判所の判断は「我が国の法秩序の基本原則、基本理念と相いれず、公の秩序に反する」と述べ、東京都品川区に出生届を受理するよう命じた東京高裁決定を覆した。4裁判官全員一致の結論だった。

 向井さんは00年に子宮摘出手術を受けた。高田さんとの受精卵を米国人女性に移植し、出産してもらう代理出産で、03年に双子が誕生。品川区は法務省の意向も踏まえ双子の出生届を受理しなかった。双子は現在、米国籍で、在留資格を取って日本で暮らしている。

 夫妻は処分取り消しを東京家裁に申し立てたが05年11月に却下され即時抗告。06年9月の東京高裁決定は一審の審判を取り消して、出生届の受理を命じた。その後、決定を不服とした品川区が最高裁に抗告していた。」



朝日新聞平成19年3月23日付朝刊1面

《解説》実態を重視、異例の言及

 「子を持ちたい」という切実な気持ちに理解は示しつつ、身分法の秩序を重視――。向井亜紀さんの代理出産を巡る最高裁決定は、親子関係は個別ケースごとに判断すべきではないという姿勢で、母子関係を否定した。ただし、この決定は、代理出産の是非そのものに踏み込んだものではない。代理出産が今後も続くとみられる実態を重視し、親子法制の整備を促す異例の言及もあった。

 米国で代理出産を依頼した夫婦の多くは、米国で依頼夫婦を親とする出生証明書を得て、帰国後、そのまま実子として届け出ているという。こうした子どもは、少なくとも100人を超える。

 だが、向井さんは代理出産の事実を公表していたため、法務省から「待った」をかけられた。

 代理出産は、子宮を失った女性にとっては唯一の子どもを得る方法だ。ただ、第三者の体を使わざるを得ず、多くの国で、代理出産は禁止されている。米国での代理出産には金銭が介在し向井さんが利用したネバダ州の業者では、夫婦の負担は平均1500万円にも上るという。

 厚生労働相らの審議依頼を受け、日本学術会議は1月中旬から、代理出産の是非についての議論を始め、年内にも結論を出すという。国内での実施の是非とともに、海外のあっせん業者の利用についても、一定の見解を示す必要があるだろう。

 向井さん夫婦には、実の親子と同様に戸籍の父母欄に氏名が記載される特別養子縁組制度を利用する道がある。だが、個別対応ではなく、時代に追いつけるような早期の法整備が望まれる。(岡崎朋子、大島大輔)」




(3) 読売新聞(2007年3月23日21時45分)

 「向井亜紀さんの双子男児、出生届受理を認めず…最高裁

 タレントの向井亜紀さん(42)夫妻が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(3)について、夫妻を両親とする出生届けを東京都品川区が受理しなかったことの是非が問われた裁判で、最高裁第2小法廷は23日、受理を区に命じた東京高裁決定を破棄し、出生届受理は認められないとする決定をした。

 古田佑紀裁判長は「現行の民法では、出生した子の母は懐胎・出産した女性と解さざるを得ず、代理出産で卵子を提供した女性との間に母子関係は認められない」とする初判断を示した。向井さん夫妻側の敗訴が確定した。

 同小法廷の古田、津野修、今井功、中川了滋の4裁判官全員一致の結論。代理出産を巡っては、学会などが禁止方針を打ち出す一方、国内の医師が妻の母親や妹に代理出産させたケースを公表するなど、法制度上のルールが定まっていない。

 決定は、「代理出産という民法の想定していない事態が生じており、立法による速やかな対応が強く望まれる」と指摘した。

 決定によると、向井さんは2000年11月、子宮けいがんの治療のため子宮を摘出した後、米国人女性と代理出産の契約を結び、夫妻の受精卵を移植。米国人女性は03年11月に双子を出産し、ネバダ州地裁は双子を夫妻の子と認めた。

 最高裁決定は、実親子関係について、「最も基本的な身分関係で、子の福祉にも重大な影響を及ぼす。明確な基準で一律に決めるべきだ」と指摘。民法の解釈や判例から、「母子関係は出産という客観的事実により成立する」との基本原則を示した。

 そのうえで、「米国裁判の結果は、日本の法秩序の基本原則と相容れず、公秩序に反する」として、実親子関係を認めたネバダ州地裁の判断は国内では効力を持たないと結論づけた。

 古田裁判長と津野裁判官は補足意見で、「代理出産が行われている国では、代理出産した女性が引き渡しを拒絶したり、依頼者が引き取りを拒否するなど様々な問題が発生している」と指摘し、「何ら法制度が整備されていない状況では、卵子を提供した女性を母とするのに躊躇(ちゅうちょ)せざるをえない」と述べた。

 また今井裁判官は、向井さん夫妻のケースについて、「実親子関係を認めることが子の福祉にかなうということが出来るかもしれない」としながらも、「本件で親子関係を認めれば、実施の当否について議論がある代理出産を、結果的に追認することになり疑問だ」と述べた。

 双子は現在、米国籍。今後、日本国籍を取得するには、夫が非嫡出子として認知するか、養子縁組などをした上で帰化させることが必要となる。

 向井さん夫妻は、品川区に出生届けを提出したが、受理されなかったため家事審判を申し立てた。東京家裁は申し立てを退けたが、東京高裁は昨年9月、「公序良俗に反しておらず、子の福祉にもかなっている」として、出生届を受理するよう命じたため、同区側が最高裁に許可抗告していた。

(2007年3月23日21時45分 読売新聞)」


「夫が非嫡出子として認知する」とありますが、果たして認知可能なのでしょうか? この決定によって双子は代理母夫婦の嫡出子となるでしょうし、そうなると日本法の解釈では他人の嫡出子は認知できないので。もちろん、国際的な非嫡出子の親子関係の成立の問題でもあります。「養子縁組」も国際的な養子縁組となるので、そう簡単にはいきません。本来は。


(4) 毎日新聞(2007年3月23日 16時37分 (最終更新時間 3月23日 19時33分))

 「代理出産:向井亜紀さんの双子、最高裁が実子とは認めず

 タレントの向井亜紀さん(42)と元プロレスラーの高田延彦さん(44)夫妻が、米国での代理出産でもうけた双子の男児(3)の出生届を受理するよう東京都品川区に求めた家事審判で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は23日、受理を命じた東京高裁決定を破棄し、申し立てを退けた。出生届の不受理が確定した。決定は「現行民法の解釈としては、女性が出産していなければ卵子を提供した場合でも法的な母子関係は認められない」との初判断を示した。

 決定は4裁判官全員一致の意見。代理出産の適否には言及せず「今後も民法が想定していない事態が生じることが予想され、立法による速やかな対応が強く望まれる」と異例の言及をした。

 夫の精子と妻以外の女性の卵子を使った「代理母」のケースでは、最高裁が05年に法的な実の親子関係を認めない決定を出していた。今回は夫妻の精子と卵子を使う「借り腹」と呼ばれる方法で、判断が異なる可能性もあったが、いずれも認められないことになった。

 夫妻は米国で代理出産を試み、03年11月に双子が生まれた。米国ネバダ州の裁判所は夫妻を法的な実の親と認めており、審判では、この裁判の効力が日本で認められるかが争点となった。

 第2小法廷は「日本の法秩序の基本原則や基本理念と相いれない外国判決は公の秩序に反して無効」とした97年判例を踏まえ、ネバダ州裁判の効力を検討。「民法が定める場合に限って親子関係を認めるのが法の趣旨」とした上で「民法が認めていない場合に親子関係の成立を認める外国の裁判は公の秩序に反する」との判断を示した。

 その上で「出産した女性が母親」とした62年判例を引用。「親子関係は公益と子の福祉に深くかかわるため、一義的で明確な基準により決められるべきだが、民法には子供を出産していない女性を母と認めるような規定がなく、母子関係は認められない」と述べ、効力を否定した。

 双子は「保護者同居人が日本人」という在留資格を得て日本で夫妻に育てられている。実の親子関係に近い「特別養子縁組」が認められるなどすれば、日常生活に大きな支障はないとみられる。【木戸哲】

毎日新聞 2007年3月23日 16時37分 (最終更新時間 3月23日 19時33分)」




これらの記事を読むと大体分かると思いますが、この最高裁決定のポイントとしては、次の5点が重要です。

(1) 外国判決の承認(民事訴訟法118条)の問題として処理した点については、東京高裁決定の判断を認めた。


外国で代理出産を行い外国裁判所の判決がある場合、大阪高裁平成17年5月20日決定は、法例17条1項(法適用通則法28条1項)により決定された準拠法によって嫡出親子関係を判断するという手法で判断していました(「代理出産(代理母)による法律関係~大阪高裁平成17年5月20日決定全文(50代夫婦の双子代理出産事件)」参照)。

このような判断手法は到底取りえないはずですが、日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」の構成員である、佐藤やよひ・関西大学教授は、大阪高裁決定の判断手法の方が妥当であるという唖然とするような主張していました(国際私法判例百選[新法対応補正版]123頁)。

しかし、最高裁決定は、大阪高裁決定の判断手法について言及することなく、原審の判断を維持し、外国判決の承認の問題として処理しました。極めて妥当だと思います。


(2) 「民法が定める場合に限って親子関係を認めるのが法の趣旨」とした上で「民法が認めていない場合に親子関係の成立を認める外国の裁判は、日本の法秩序の基本理念に反するので民事訴訟法118条の「公の秩序」に反する」との判断を示した。


この判断は、国際民事訴訟法の基本的な考え方からすると、極めて違和感があります。

外国法と日本法とは異なるのは当然なのですから、渉外的な法律関係では、日本法に異質な外国法が入り込むのは当然と考えるのが、国際私法・国際人事訴訟法の基本的な考え方です。しかし、この判決からすると、親子関係成立に関する外国判決は、およそ日本法に反するものは認めないことになってしまい、国際私法・国際民事訴訟法の基本的な考え方に反するのです。

また、民事訴訟法118条3号の「公序則」は、例外的性質の規定ですから、その発動は慎重にされるべきと解されています(山田鐐一「国際私法」128頁)。日本法上の代理出産の肯否は議論中であって代理出産の禁止規定がなく、母子関係を定める明文規定もなく、最高裁も代理出産の肯否は立法政策なのです。そうなると、およそ日本法上、「公序」に反しないのですから、公序の適用は例外的であるべきという基本的な考え方に反するのです。
しかし、最高裁は、 「基本理念」を突如として持ち出して、118条の「公序」に反するとしてしまうのですから、驚きの展開といわざるを得ません。

しかも、この最高裁決定は、親子関係は個別ケースごとに判断すべきではないという姿勢で、母子関係を否定したのです。公序を判断する場合には、<1>外国判決を承認・執行した場合に内国でもたらされる結果の異常性・重大性、<2>事案と内国の牽連性の強さ、の両者を衡量して行うとされています(本間=中野=酒井「国際民事手続法」(2005年、有斐閣)191頁)。 このような公序の要件は、個別ケースごとで判断するものことを示すものですが、それは外国判決尊重という民事訴訟法118条の趣旨を没却しないためです。
そうなると、個別ケースごとの判断を否定する最高裁決定は、外国判決尊重という民事訴訟法118条の趣旨に反するのです。



(3) 現行民法の解釈では、その子を懐胎、出産していない女性との間に母子関係を認めることはできないとした。


最高裁決定は、かなり苦労してこの結論を導いています。というのは、日本法上、母子関係の成立について定めた規定がないことを判示したたように、明文上代理出産による母子関係を否定できません。また、実親子関係の法制は、血縁上の親子関係を基本としているとまで判示しているのです。母子関係を定めた明文もなく、血縁主義を採用しているなら、誰が出産しようと、血縁関係がある以上、代理出産による母子関係が認めてよいというのが論理的です。特に、母子関係を認めることは子の利益につながります。

ところが、素直な論理を捨てて、結局は、制定当時予想していないこと、明確な基準によるべきという理由で、代理出産による母子関係を否定してしまいました。驚きの論理展開です。

しかし、制定当時予想していない問題だからといって否定していたら、殆どの問題点を否定することになってしまいます。それに、DNA鑑定で母子関係も明確に判断できるのですから、代理出産による母子関係を認めても、明確な基準といえるでしょう。「明確な基準によるべき」というのは、結局は、「代理出産を認める規定がないから」ということを言い換えたにすぎません。

そうなると、最高裁は、制定当時予想していない、代理出産を認める規定がないから、代理出産による母子関係を否定しただけということになります。


東京高裁決定は、具体的に双子を養育監護する者は、向井高田夫婦しかいないことから、子の福祉を図るため、母子関係を認めたのです。子に対する援助を行う法律上の親を確保することが、親子法制の出発点です(二宮「家族法」156頁)。このような親子法制に忠実な解釈をしたのが、東京高裁決定だったのですが、最高裁は、親子法制に反するような解釈を行ったのです(4月2日追記)。


(4) 代理出産について公序良俗(民法90条)違反とはせず、代理出産の是非については言及しなかった。


民法90条違反という判断を示さなかった点は意義が大きいと思います。代理出産について、民法90条違反としてしまったら、立法による対応としては禁止する方向性を示すことになってしまったからです。
これで、立法政策としては代理出産が可能になりました。


(5) 代理出産の是非には言及せず「今後も民法が想定していない事態が生じることが予想され、立法による速やかな対応が強く望まれる」と異例の言及をした。


代理出産の是非・対応は立法政策としたのですから、代理出産を肯定することも可能になりました。

この最高裁決定は、かなり立法判断について重視すべき要素を示しています。それは、

「この問題に関しては,医学的な観点からの問題,関係者間に生ずることが予想される問題,生まれてくる子の福祉などの諸問題につき,遺伝的なつながりのある子を持ちたいとする真しな希望及び他の女性に出産を依頼することについての社会一般の倫理的感情を踏まえて,医療法制,親子法制の両面にわたる検討が必要になる」

と言う点です。

特に特出すべき点は、代理出産を希望する者への配慮を重視している点です。決定文では、「女性が自己の卵子により遺伝的なつながりのある子を持ちたいという強い気持ちから」と1度触れただけでなく、その後も、「遺伝的なつながりのある子を持ちたいとする真しな希望……を踏まえて」立法してほしいと、2度も遺伝的なつながりのある子を持ちたい気持ちの尊重を図るべきことを求めています。
そうなると、代理出産希望者への配慮が法整備の必要条件となっているのですから、この最高裁決定によって、立法政策上、代理出産を全部否定することは困難となったと考えます。

最高裁決定は、「立法による速やかによる対応が強く望まれる」と判示していますが、日本学術会議の決定は1年後ですから、速やかな立法はあり得ません。早期の立法ができないと分かっているはずなのに、「速やかな対応」を望むなんて無意味です。結局は、立法に委ねたとして判断を放り投げただけで、最高裁は現状維持をしただけです。

この決定によって、もはや誰も代理出産を公言する人はいなくなり、多くの夫婦が密かに外国で代理出産を実施することが決定的となりました。最高裁は、この決定によって、秘密裏の代理出産を促すとともに、立法に委ねてしまうという、無責任な態度を示したのです。





2.この判決に対する向井さんと関係者のコメントを幾つか。

(1) 毎日新聞 2007年3月23日 20時33分 (最終更新時間 3月23日 20時41分))

 「代理出産:向井さんブログに心情「気を抜くわけには…」 

 「もう少し勉強してから正式なコメントをしたい」。最高裁が代理出産の双子について「実の母とは認められない」との決定を出した23日、向井亜紀さん(42)は自身のブログにこう記した。同日の記者会見を見送った向井さん。「最高裁では保守的な決定が下されるだろうと、実は予想していました」としつつも「私の感想が生殖補助医療の法律に影響を与える可能性を考えると、ここで気を抜くわけにはいきません」と気丈に記した。

 また、直前に子供の幼児教室の卒園式があったことを明かし、「昨日、この決定が出ていたらと思うと、…ゾッとします」と心情を吐露した。

 向井さんは昨年9月29日、東京都品川区に出生届の受理を命じた東京高裁決定をファクスで受け取った際は、ブログで「今日、本当に本当に嬉(うれ)しいことが起こりました。判決文を読んでいると、代理母に対する温かい視線が感じられ、このA4用紙43枚のFAX用紙だけでも、宝物にして棺桶まで持って行きたい気持ちです」と喜びを表現。激励が殺到した翌日のブログでも「孤独な旅ではなく、歩き出す勇気をいただきました」と書いていた。

 また昨年10月10日の記者会見で「成長した子どもに『なぜ日本は受け入れてくれなかったの』と尋ねられたとき答えられる親になりたいと思い、裁判をおこしました。子どもの幸せを考えて、最高裁に判断を望みたい」と話していた。【森禎行】

毎日新聞 2007年3月23日 20時33分 (最終更新時間 3月23日 20時41分)」



(2) 朝日新聞平成19年3月24日付朝刊39面

 「「ここで気を抜くわけにいかない」 向井さん、ブログで
2007年03月23日20時48分

 タレントの向井亜紀さん(42)は23日夜、翌朝出演する番組の打ち合わせのため、大阪市北区の朝日放送本社に入った。最高裁決定を知ったのは午後3時半ごろ、弁護士からの電話連絡だったという。

 同局の前には報道陣が詰めかけていたが、コメントは出さなかった。

 「コメントするなら、夫婦そろってしたい」と説明しているという。

 同じ夜。インターネットの「向井亜紀ブログ」に「決定が出ました」と題する文が載った。

 大阪へ向かう飛行機の中で書いた、という。

 予期していた、という以上の心境には触れていない。「もう少しガチッと勉強をしてから、正式なコメントをしたい」と、理由を記した。

 「数少ない代理出産経験者のリアルな感想として、しっかり言葉を選んでお話しした方がいいはずです」

 文中で、気丈な様子も見せている。「私の感想が、これから制定されていく生殖補助医療に関する法律に、1ミリでも影響を与える可能性を考えると、ここで気を抜くわけにはいきません」

 来週発売される新著の題は「家族未満」だと紹介し、こう付け加えた。

 「“虫の知らせ”でしょうか」 」



(3) 時事ドットコム(2007/03/23-19:43)

 「「誰が親になるのか」と代理出産コーディネーター=高田さん事務所「夫妻は混乱」

 「誰が親になるのか。理解できない」。向井亜紀さんの代理出産をコーディネートした代理母出産情報センター代表の鷲見侑紀さんは23日、最高裁の判断について、「どうして認めてくれないのか」と怒りをあらわにした。

 鷲見さんによると、代理出産した米国女性には自分の子供もいて、「向井さんに代わって生んだだけだ」と話している。これまでにトラブルは起きていない。

 女性の出産時には、向井さんと夫の高田延彦さんが寝ずに看病。それからの育児にも夫妻は一生懸命に取り組んでいるという。

 鷲見さんは「DNA鑑定でも夫妻の子供であることがはっきりしているのに、彼らが親でなければ誰が親になるのか」と指摘。「日本では生殖医療技術がいくら進歩しても、こういった取り残された問題を解決しなければ意味がない」と批判した。

 高田さんの所属事務所関係者によると、夫妻は最高裁の判断後、落ち着かず混乱しているという。関係者は「しばらくは(取材などの)対応はできないと思う」と話した。 」


向井・高田夫妻にとっては落胆する結果になっただけでなく、今まで、そしてこれから代理出産を希望する夫婦の希望を断ち切ってしまったのですから、大変残念な結果です。落胆していても、ブログの更新や記者会見をせざるを得ないのでしょう。向井・高田夫妻の負担は大変なものがあると感じています。

この決定からすると、法律上、出産した女性が母と判断されました。しかし、米国にいて養育できない女性を母と判断して何の意味があるのでしょうか? 鷲見さんが「DNA鑑定でも夫妻の子供であることがはっきりしているのに、彼らが親でなければ誰が親になるのか」と指摘して、憤るのは当然でしょう。

民法772条における「離婚後300日規定」の問題では、DNA鑑定によって父子関係が認められるならば、法律上の父子関係を認めてよいという立法試案が出てきているのです。そうであれば、父子関係と同様に、母子関係においてもDNA鑑定で母子関係があれば、母子関係を認めることが公平です。
今後の立法動向を踏まえると、血縁よりも出産という事実を重視する最高裁の理屈は、すぐに破綻しそうな理屈になってしまっているのです。




3.識者のコメント。

(1) 朝日新聞平成19年3月24日付朝刊39面

 「◇新しい問題、古い理屈で判断――棚村政行・早大大学院法務研究科教授(家族法)の話

 夫妻との実親子関係を認めたネバダ州裁判所の裁判は公の秩序に反し無効、とした最高裁決定は疑問だ。日本には、代理出産の是非に関する法律すらないのに、外国裁判を尊重しないのはおかしい。しかも、ネバダ州は当事者の意思確認など厳格なルールの下で代理出産を認めている。民法が想定しない新しい問題を、「基本理念」という旧態依然とした理屈で判断してしまった。大人のやったことを子どもにしわ寄せすべきではなかった。


◇最終審の判断として妥当だ――米本昌平・科学技術文明研究所長の話

 決定そのものは、最終審の判断として妥当なものだと思う。代理出産は技術的にも、海外に行くという点でも手続き的にもきわどく、その上、自分の子どもとして法的に認めてほしいといっても難しいだろう。ただ、決定は立法府の不作為も叱責(しっせき)している。昨年あった別の裁判の最高裁判決でも、生殖補助医療で生まれた子に関する法整備を求めている。今必要なのは、この問題全体を公平かつバランスよく、そして社会に速やかに描いていくことだ。」



棚村教授は、

「夫妻との実親子関係を認めたネバダ州裁判所の裁判は公の秩序に反し無効、とした最高裁決定は疑問だ。日本には、代理出産の是非に関する法律すらないのに、外国裁判を尊重しないのはおかしい。」

としています。最高裁は、代理出産は民法90条違反とせずに、代理出産についての立法もないに、外国判決を尊重しなかったのです。民事訴訟法118条の存在意義を喪失させるような判断でした。棚村教授は、そのおかしさを端的に指摘してます。

米本昌平・科学技術文明研究所長は、この最高裁決定の論理がよく分からなかったようです。最高裁決定の論理についてほとんど触れていないのですから。
「代理出産は技術的にも、海外に行くという点でも手続き的にもきわどく、その上、自分の子どもとして法的に認めてほしいといっても難しい」という論理はよく分かりません。代理出産はもはや技術的には問題視するほどのことではありません。また、臓器移植を例に出すまでもなく、海外で実施することは珍しいことではなく、外国で判決を得れば外国判決の承認の問題になるだけです。手続き的にどこがきわどいのか、とても理解できません。

<3月29日追記>

 「委員の一人、久具宏司(くぐこうじ)東大講師(産婦人科)は、「代理出産の技術は確立しており、患者からの需要もある。医療現場では患者の同意があれば実施を容認する意見もある。(禁止か容認か)早く方向付けをしてほしい」と全国の医師の思いを代弁する。」(読売新聞(2007年1月19日): 「[解説]不妊治療のルール作り」

米本氏は、代理出産の技術が確立していることを知らないで発言しているのですから、全く意味のないコメントです。




4.この最高裁決定でも触れているように、「日本の実親子関係に関する現行法制は、血縁上の親子関係を基礎に置くもの」です。要するに、血縁関係で身分関係が決定するのが日本民法の基本原則なのです。
今回の決定は、夫婦との間に血縁関係があるにも関わらず、実親子関係を否定したのですから、日本民法の基本原則に反する結論を認めるという、あまりにも奇妙奇天烈な結論を採用したことになりました。


(1) 注意しておくべきことは、この決定は外国判決の承認の問題にとどまるということです。要するに、代理母依頼者を法律上の母とした外国判決を認めないとしただけであって、日本法上、代理出産を否定したわけでも肯定したわけでもないことです。代理出産の肯否は、立法政策であるとしたのです。

これで代理出産問題の解決については、立法を待つしかないことになりました。肯定しようか否定しようが、これからは外国で秘密裏に代理出産を行う人が増加するだけです。こういった判例が出た以上、実子とならない日本ではなく外国で実施する夫婦が増えるのですから、外国の業者にとっては大喜びの判決となりました。

これで日本から代理出産を希望する者が増えて、より稼ぐことができる。米国の裁判所は、米国民の利益や国益を考えて代理出産を肯定したのに、日本の最高裁は愚かなもんだ。

と。


(2) 補足意見についても触れておきます。

 「本件において,相手方らが本件子らを自らの子として養育したいという希望は尊重されるべきであり,そのためには法的に親子関係が成立することが重要なところ,現行法においても,Aらが,自らが親として養育する意思がなく,相手方らを親とすることに同意する旨を,外国の裁判所ではあっても裁判所に対し明確に表明しているなどの事情を考慮すれば,特別養子縁組を成立させる余地は十分にある」(古田補足意見)


特別養子縁組が認められる可能性があること自体は、この判決で指摘されるまでもないことです。問題なのは、これが国際的な養子縁組の問題(子供は、米国籍であり、最高裁決定によって米国夫妻の子供)だということです。国際的な養子縁組については、縁組当時における養親となるべき者の本国法とともに、養子となる者の本国法によればその者若しくは第三者の承諾若しくは同意又は公的機関の許可その他の処分があることが養子縁組の成立の要件であるときは、その要件をも備えなければならない」(法の適用に関する通則法31条、法例20条1項)。

そうなると、日本法とともに「養子となる者の本国法上の要件」が必要です。米国では各州法があり(不統一法国)、本国法とは、米国法ではなく、何処かの州法となるのです。なので、養子となる子の本国がどこの洲なのか決定し、その州法上の要件が必要になります。

古田補足意見では、「Aらが,自らが親として養育する意思がなく,相手方らを親とすることに同意する旨を,外国の裁判所ではあっても裁判所に対し明確に表明しているなどの事情を考慮」という判断をしていますが、その外国の裁判所の表明が、子供に適用されるべき州の裁判所とは限らないのです。それに、その外国の裁判所の表明は実母という認定であって、養親としての判断ではありません。どの国も親子関係の認定と養親子関係の認定とは別個の手続なのですから、外国の裁判所の表明があるからといって、養親子関係成立のための要件を満たすといえないのです。古田補足意見は、国際私法の理解に欠けているように思えるのです。

もっとも、古田補足意見のおかげで、国際的な養子縁組の正しい法適用なんか無視して、特別養子縁組が認められることが決定的になったといえるでしょう。親子関係を肯定できること自体は良いとしても、ろくに法解釈ができない日本(の最高裁)は法治国家なのだろうかと呆れてしまいます。


「向井さん夫妻のケースについて、「実親子関係を認めることが子の福祉にかなうということが出来るかもしれない」としながらも、「本件で親子関係を認めれば、実施の当否について議論がある代理出産を、結果的に追認することになり疑問だ」と述べた。」(今井補足意見)


これは外国判決の承認の問題なので、個別ケースに応じて判断するというのが国際民事訴訟法の考え方です。ですから、このケースで母子関係を認めたとしても、「実施の当否について議論がある代理出産を、結果的に追認すること」にはなりません。国際民事訴訟法に対する無理解が窺えます。


(3) 最高裁決定と補足意見を読むと、最高裁判事が国際民事訴訟法や国際私法について、よく理解できていないように感じます。この決定と補足意見を読んでいたら、国際民事訴訟法や国際私法の大家であった澤木敬郎・元立教大学教授が、「国際私法の理解に欠ける裁判官がいて困ります」と嘆いていたことを思い出しました。

澤木敬郎・元立教大学教授とともに平成元年の法例改正に尽力した、原審の裁判官である南判事も、この最高裁決定を読んで、澤木敬郎・元立教大学教授を思い出しながら、嘆いているに違いありません。

日本民法の基本原則に反することさえ認めてしまうのですから、国際民事訴訟法や国際私法が正しく理解される日はなかなか来ないようです。
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2007/03/22 [Thu] 17:16:04 » E d i t
愛媛県の市立宇和島病院で万波誠医師が実施した病気腎移植について、同病院の調査委員会は3月18日、調査結果を公表しました。調査委によると、同病院で移植した25件と、摘出した20件を調査し、摘出の調査対象には呉共済病院(呉市)に運んで移植した1件を含んでいるとされ、病名は、腎がんとネフローゼが各6件、尿管がんが5件、尿管狭窄が2件など、されています(東京新聞3月19日付朝刊)。
この調査結果についての報道について紹介したいと思います。

まずはじめに注意しておくべきことは、この調査委員会の委員長は深尾立氏だということです。
深尾立氏は、脳死法案が成立する以前の昭和59年9月に日本初の脳死移植を強行し、脳死移植のドナーをあえて精神障害者を選ぶという、ヘルシンキ条約の精神に反することを平然と行いました。その挙句、その患者は入院せずに過ごせていたのに、移植させられて治ることなくずっと入院生活になり、膵臓の縫合不全とそれにまつわる炎症で、1年も経たないうちに患者を死亡させたという、大変ご立派な経歴の持ち主なのです(「和田秀樹公式HIDEKIWADA.COMマガジン」の「メルマガエッセイ139「万波誠医師と深尾立医師」」)。
当時、深尾氏は膵臓の移植の経験がないのに実施したことからしても、

「『治療でなく移植ありきの術式』どころか、『治療も移植の意思もなくただ、人体実験したいための手術』」

でした。こういう“人体実験医師”が調査委員長であることを念頭において、報道記事を読む必要があります。



1.この調査結果については、なぜか結論が各紙分かれています。

(1) 毎日新聞平成19年3月19日付1面

 「病気腎移植:「25件すべて問題」宇和島病院調査・専門委

 病気腎移植を検証する市立宇和島病院(愛媛県宇和島市)の調査・専門合同委員会が18日、同病院で開かれた。腎がん摘出を「腎臓の鮮度を優先した移植前提の手術だった」と批判するなど、同病院で行われた25件すべてについて問題点を指摘した。近く、報告書にまとめて日本移植学会などに提出する。……

 同病院では下部組織の専門委との兼任を含め調査委は9人で、外部委員が過半数を占める。この日は調査委員長の深尾立(かたし)・千葉労災病院長が記者会見。25件のうち、腎がんと尿管がんの治療として腎臓を摘出し移植に使った11件について「再発や転移の可能性がある」と強く批判した。……【野田武、加藤小夜】(以下、省略)

毎日新聞 2007年3月18日 23時03分 (最終更新時間 3月18日 23時25分)」


25件すべて問題視したのは毎日新聞だけでしたが、本当でしょうか? それに、調査委員会は、病腎の摘出手術と移植手術の両方の妥当性を検討したはずなのに、25件とは移植件数なのか、摘出件数なのかが良く分からない記事です。野田武記者と加藤小夜記者は、よく分からずに記事を書くことは止めるべきです。


(2) 読売新聞平成19年3月19日付1面

病気腎移植「ほぼ全例不適切」…宇和島病院が調査結果

 病気腎の移植問題で、愛媛県の市立宇和島病院の調査委員会は18日、宇和島徳洲会病院の万波誠医師(66)が在職中に実施した病気腎の摘出・移植について「移植はほぼ全例が不適切」との調査結果を発表した。……

 万波医師は同病院で93年以降、院内で移植用の病気腎摘出を20件実施。他県の病院で摘出された腎臓6個を含め、25件の移植をした。1件は広島県の呉共済病院へ運んで移植された。

 調査委員長の深尾立(かたし)・千葉労災病院長(日本移植学会前理事長)らは、この日の会見で、病名ごとに摘出・移植の適否の評価を説明した。移植例に対しては、腎臓がん、尿管がん患者から摘出した腎臓11個について「再発・転移の可能性がある」と指摘。腎膿瘍(のうよう)1件、後腹膜慢性炎症1件も「感染症が持ち込まれる恐れがある」と批判した。

 摘出については、ネフローゼ6件、腎動脈瘤(りゅう)2件、骨盤腎1件の腎臓は「不適切だった」と断言した。尿管狭さく2件の患者からの摘出は「容認される場合もある」とした。

 委員会は、特に腎臓がんの摘出手術について6件すべてが、手術の方法に問題があったと判断した。……(2007年3月19日1時2分 読売新聞)」


病気腎について、摘出20件、移植25件を実施したことは分かりますが、毎日新聞同様、「ほぼ全例不適切」とは本当でしょうか? この記事からすると、摘出20件中、15件不適切又は疑問視、2件容認ですし、移植25件中、13件について批判しているだけです。「ほぼ全例不適切」の記事になっていません。いい加減な記事です。


(3) TBSニュース(2007年03月19日01:52)

 「病気腎移植「大半は不適切」宇和島病院

 愛媛県の市立宇和島病院で万波 誠医師が実施した病気腎移植について、病院の調査委員会は18日、大半の移植は認められないとする見解を示しました。

 この委員会は、万波 誠医師が市立宇和島病院で実施した25件の病気腎移植を検証するために開いたものです。

 「腎ガンと尿管ガンを含めて、ガンを持っていた臓器を移植することは認められない」(市立宇和島病院調査委員会 深尾 立 委員長)

 委員会では、10件のガンの移植に関しては強く否定したのをはじめ、25件のうち22件は「不適切、または疑問がある」との見解を示しました。

 さらに、摘出に関しても9件が必要でなかったとしたほか、ガンの腎臓の摘出が、すべて患者の治療を前提としたものではなく、移植が目的だったと断定しました。

 これに対し、宇和島徳洲会病院の調査委員会は、摘出について「適切、または容認できる」などとし、対照的な判断を下しています。(19日01:52)」


この報道によると、移植件数25件のうち、22件は、「不適切、または疑問がある」としたようです。摘出件数は不明ですが、9件が妥当でないとしたようです。


(4) asahi.com(2007年03月19日01時19分)

病気腎移植、25件中23件不適切 宇和島病院調査委
2007年03月19日01時19分

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)らによる「病気腎」移植問題で、万波医師が前勤務先の同市立宇和島病院で実施した移植25件の是非を検討してきた同病院の調査委員会は18日、尿管狭窄(きょうさく)の患者から腎臓を摘出、移植した2件を除く23件について、医学的に不適切だったとする結論をまとめた。……

 調査委はこの日、市立宇和島病院で下部組織の専門委員会との合同会議を開き、同病院で病気の腎臓が摘出された20件と、他病院から持ち込まれたケースを含む移植手術25件を対象に、症例ごとの適否を検討した。……

 この結果、調査委は摘出20件中10件について、「容認できない」と断定。移植25件のうち23件を「不適切」と結論づけた。」


朝日新聞によると、摘出件数20件、移植件数25件だったようです。結論としては、20件中10件は容認できないとし、移植25件中23件を「不適切」と結論しています。
しかし、この結論は、TBSニュースと異なりますTBSニュースは25件中22件を問題視したのですし、22件すべて「不適切」と断定したのではなく、「不適切、または疑問がある」としたのです。読売新聞でさえ、「不適切」と「手術の方式に問題があった」を分けているのに対して、朝日新聞は分ける気もないのです。


このように報道記事を検討してみると、各社異なるため、何件問題視したのか真実は不明です。なかでも、摘出件数・移植件数さえどうでもいいと思っている毎日新聞もあれば、「ほぼ全例不適切」という見出しだけ出しておけば済むと思っている読売新聞は、正確な事実を報道する気がないのです。




2.市立宇和島病院の調査委員会が公表した内容については、産経新聞平成19年3月19日付2面(ネット上の記事と紙面は異なるので紙面から引用)が参考になるので、これを引用しておきます。

 「「一部は標準的」宇和島病院調査委 万波氏の26例検証

 宇和島徳洲会病院の万波誠医師が平成16年3月まで勤務していた市立宇和島病院で実施した26例の病腎移植について、検証を進めていた同病院の調査委員会は18日、医院で行われた20例の病腎摘出のうち15例が不適切だったとの結論をまとめた。ただ、一部に摘出が標準的な治療となっている症例やそういった腎臓が死体腎移植で使われたこともあるとして、移植の適否については含みを残した。

 市立宇和島病院はこの日、万波医師が行った腎移植全般を検証する調査委員会と、病腎移植を個別に調査する専門委員会が合同で会議を開催した。

 調査委員会の深尾立(たかし)委員長(千葉労災病院院長)によると、ネフローゼ患者から摘出した6例についてはいずれも「内科医的治療を考えるべきで、摘出は不適切」との内容で委員らの見解が一致。尿管狭窄(きょうさく)1例についても「腎保存に努めるべきだ」との意見で合意したという。

 しかし、尿管がん4例の腎摘については「標準的な治療」とし、腎がん4例についても腎臓の全摘が国内では広く行われていることから、「患者が望んでいたのなら容認できる」との意見でまとまった。ただ、すべての腎がんの摘出術で、「移植を前提に摘出しており、がん治療を一義的に考えるべきだった」として、万波医師が実施した腎がんの摘出については否定的な見解を示した。

 また、病腎を移植に使用したことについても、症例ごとに見解が分かれた。腎がんや尿管がんなどの悪性疾患の腎臓を移植するのは「認められない」としたが、腎動脈瘤(りゅう)やネフローゼなどの場合は「死体腎移植や親族同士の生体間移植でも使われることがあるため、絶対にだめとはいえない」との見解。ただ、深尾委員長は「重度のネフローゼ患者から移植して、移植を受けた患者を危険に陥れた例もあった」と指摘した。」

*紙面では「26例」だが、ネット上では25例であり誤植と思われる。



(1) なぜか、どこの新聞社もふれておらず、この記事だけ触れている点を2点取り挙げておきます。まず1点

「尿管がん4例の腎摘については「標準的な治療」とし、腎がん4例についても腎臓の全摘が国内では広く行われていることから、「患者が望んでいたのなら容認できる」との意見でまとまった。」

としています。やっと、“人体実験医師”の深尾氏も「標準的な治療」が理解できたようです。産経新聞以外の報道機関は、だんまりを決め込んでいますが。
ただ、調査委員会の見解は妙です。「標準的な治療」なのですから、患者が望んでいたかどうかと無関係に、医学的に「容認できる」というのが論理的です。調査委員会はどうやら論理的な思考ができないようです。


もう1点。他の報道記事にはなく、この記事だけ明確に触れた点があります。

「腎動脈瘤(りゅう)やネフローゼなどの場合は「死体腎移植や親族同士の生体間移植でも使われることがあるため、絶対にだめとはいえない」との見解。」

やっと、“人体実験医師”の深尾氏も現実の腎臓移植の実態について理解できたようです。この点も、産経新聞以外の報道機関は、だんまりを決め込んでいます。


具体的な症例については、他の新聞社では次のように紹介しています。

 「調査委員長の深尾立(かたし)・千葉労災病院長(日本移植学会前理事長)らは、この日の会見で、病名ごとに摘出・移植の適否の評価を説明した。移植例に対しては、腎臓がん、尿管がん患者から摘出した腎臓11個について「再発・転移の可能性がある」と指摘。腎膿瘍(のうよう)1件、後腹膜慢性炎症1件も「感染症が持ち込まれる恐れがある」と批判した。
 摘出については、ネフローゼ6件、腎動脈瘤(りゅう)2件、骨盤腎1件の腎臓は「不適切だった」と断言した。尿管狭さく2件の患者からの摘出は「容認される場合もある」とした。
 委員会は、特に腎臓がんの摘出手術について6件すべてが、手術の方法に問題があったと判断した。」(2007年3月19日1時2分 読売新聞)



 「腎がん(5件)では、病変部が小さくても患者が望んでいたなどとして、摘出は容認できるとしたものの、「再発」や転移の可能性があり、移植には使うべきではないと判断した。尿管がん(5件)についても再発の可能性が高く、移植すべきではないと認定した。
 ネフローゼ症候群(6件)については「内科的治療を続けるべきだった」と指摘。腎動脈瘤(りゅう)や腎膿瘍(のうよう)など7件も腎臓を保存する治療法が可能だったなどとして、いずれも不適切と結論づけた。
 一方、尿管狭窄の2件は「狭くなった部分を広げる治療などが望ましく、否定的に考えるべきだ」としたうえで、患者の希望や年齢、症状などを考慮すれば摘出は否定できず、感染症がないと確認されれば移植が容認できるケースもある、と判断した。」(朝日新聞:2007年03月19日01時19分



 「25件のうち、腎がんと尿管がんの治療として腎臓を摘出し移植に使った11件について「再発や転移の可能性がある」と強く批判した。
 また、腎動脈瘤(りゅう)、ネフローゼ症候群など他の事例についても「他の治療法をとるべきだった」などと批判した。
 さらに腎がんのケースでは、動脈をしばってがん細胞が他の部分に移動することを防ぐ処置を最初にせず摘出にかかっている点を指摘。「移植を前提とした手術で、がん治療のための摘出をすべきだった」と断じた。
 一方、尿管がん患者の腎臓摘出については「適切」としたほか、腎がんについても「適当ではないが、患者が強く希望すれば摘出を容認できる場合もある」と判断。尿管狭さくでも「腎臓の保存に努めるべきだが、年齢や本人の希望によっては摘出してもいい」とした。【野田武、加藤小夜】」(3月18日23時14分配信 毎日新聞



これらの記事では、何について「適切」としたかさえ分からない記事もありますし、なぜ「適切」としたのかも分かりません。新聞記者が、万波医師や徳洲会グループに対して偏見に満ちた目で見ていることは記者会見での姿勢や報道の仕方で明白で、どんな医療であってもすべて否定したいという意図は分かります。

しかし、偏見を抱いていること自体不当ですが、いくら偏見があるとはいえ、現在行われている「標準的な医療」までも無視したような報道にはあまりにも問題があります。「全部摘出」が患者に身体的負担のかからない標準的医療であるのに、患者に多大な身体的負担のかかる「部分切除・自家移植」を「標準的な医療」と扱うような報道は、かえって患者やその家族に誤解を与え、死を招く結果になってしまいます。

新聞社や新聞記者(毎日新聞の野田武、加藤小夜)は、日本移植学会の言うことを書いただけだと言い逃れをして法的責任は免れ、不幸にも虚偽報道を信じて死亡しまって嘆く遺族に対してなんの責任も取ることはないのです。誤報を繰り返して反省をしないのが日本の報道機関ですが、ことは命に関わる問題なのですから、虚偽報道は止めるべきです。



(2) 深尾氏などの調査委員会による批判についても検討しておきます。まず、この記事には出ていませんが、

「腎がんのケースでは、動脈をしばってがん細胞が他の部分に移動することを防ぐ処置を最初にせず摘出にかかっている点を指摘。「移植を前提とした手術で、がん治療のための摘出をすべきだった」と断じた。」(毎日新聞3月19日付朝刊


これは、すでにこのブログのコメント欄で触れて頂いているとおり、現在の医療現場では、血液が流れているままの手術方法が盛んに行われているのであって、深尾氏は40年前の古い医学的知識に基づいて批判しているのです。深尾氏の批判は根拠がないというべきです。

万波誠医師も、愛媛新聞社の取材に対し次のように答えています。

 「腎がん摘出の手術方式で「動脈を最初に縛らなかったのは移植前提」とする調査委の指摘について万波医師は「ドナー(臓器提供者)には事前に移植に使う了解を得ているので、移植に適した方法を取るのは当然」と説明。「腫瘍(しゅよう)が四センチ以下と小さい場合、最初に縛るのと、臓器や血管をはく離した後に縛るのとでは結果はほとんど同じ」と米国の医学論文を根拠に正当性を訴えた。」(愛媛新聞(2007年03月19日(月)付):「患者を危険に陥れた」 市立病院調査委「是非」明確に指摘 遺族「不要な手術とは…」

主として治療目的であるとしても、手術前に、治療に関する同意のほかに、捨てる臓器とはいえ、移植に使うことにつき同意を得ることは妥当なことです。そうなると、手術前に同意を得た以上、治療としての摘出をしつつ、移植に適した方法をとっても、ドナーとなった患者に不当に不利益を与えたことにはなりません

治療目的と移植目的の両者の目的について、同意を得て治療目的と移植目的に適した術式を実施したのですから、論理的に言って、移植目的のみで術式をしたことになりませんなぜ、移植目的のみで術式をしたと批判できるのか、非難する方が論理的に破綻していて、批判は妥当ではありません。

このように、患者の利益にも反しませんし、医学上も妥当であって問題ないのです。

しかし、毎日新聞の野田武記者は、

「動脈をしばって血流を止め、がん細胞が流出しないようにする処置を後回しにしていたことを問題視しており、一連の病気腎移植が本質的に「移植ありき」で進められていたことを示すものといえる。血流が止まると腎臓の鮮度が落ちるため、移植を前提としてレシピエント(移植を受ける患者)への生着しやすさを考えると、万波誠医師らの取った方法は合理的と言えるからだ。」

などと、論理破綻した論理を展開していますが、“人体実験医師”である深尾氏の言い分を鵜呑みにしないで、よく考えて欲しいものです。

深尾氏は、

「『治療でなく移植ありきの術式』どころか、『治療も移植の意思もなくただ、人体実験したいための手術』」

を実施した人物ですから、自分の医療態度からすれば、治療か人体実験かのいずれかしか考えられず、治療目的と移植目的の両者を満たす術式なんて考えられないのは、当然でしょうが。




3.最近、患者団体会長が病腎移植問題について私見を述べています(「報道特集」でも同じことを述べていました)。

 「病腎移植問題 患者団体会長が私見  条件さえ整えば容認 善意生かす仕組みを

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師らによる病気腎移植問題で、日本移植者協議会の鈴木正矩(まさのり)会長(64)=写真=は産経新聞社の取材に「病気移植は条件さえ整えば容認できるのでは」との考えを語った。臓器移植に関連する学会は今月末にも病気移植を原則禁止する方向とされるが、「早々に結論を出さないでほしい」と訴えている。

 同協議会は臓器移植を受けた患者や待機患者で作るNPO法人で、移植の活性化のため、臓器移植法の改正に向けた要望活動を続けてきた団体の一つ。

 鈴木さんは、協議会としての総意ではなく、あくまで個人の見解として、病気移植問題についての見解を語った。万波医師らが行った移植については「患者へのインフォームドコンセント(十分な説明と同意)の証拠がなく、移植患者への分配が不透明で、否である」と明確に批判。

 しかし「病腎を摘出されるドナー患者と病腎をもらう移植患者の双方のインフォームドコンセントがあり、病腎分配の公平性が担保される仕組みができるならば、生体献腎移植という形で病腎移植は容認できる」とし、病腎であっても移植への活用の道を探ってほしいとの考えを示した。

 鈴木さんは昭和58年、41歳のとき腎不全に陥り、人工透析の生活を余儀なくされた。透析の影響で運動神経が麻痺(まひ)して、腎臓移植でしか治る方法はないとされたが、父はすでに他界し、兄弟はなく、母とは血液型が合わず生体移植ができなかった。

 国内で移植を待っても移植前に亡くなる確率が高いといわれ、翌年に渡米。1年後、米国人の脳死者から腎臓をもらい移植を受けた。

 鈴木さんは「日本の患者を救うには、やはり日本での臓器提供を増やす努力をすべきだ。そのために家族の同意だけで臓器提供できるように臓器移植法を改正する必要があるし、たった一つの病腎であっても、その善意を生かす仕組みを検討してほしい」と訴えた。」(産経新聞平成19年3月19日付朝刊2面)



 「日本移植者協議会の鈴木正矩(まさのり)会長(64)……は産経新聞社の取材に「病気移植は条件さえ整えば容認できるのでは」との考えを語った。臓器移植に関連する学会は今月末にも病気移植を原則禁止する方向とされるが、「早々に結論を出さないでほしい」と訴えている。」


患者団体会長は、病腎移植を認めることを希望しているのに、世界の医療では、病気腎移植を実施していて、患者のためさらに拡大しようとしているのに、日本移植学会は、患者の意思を無視して病気腎移植の道を否定するのです。日本移植学会(特に大島氏、深尾氏)が、患者のために存在していないことは明白であるように思えます。

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2007/03/20 [Tue] 23:36:23 » E d i t
ライブドアの連結決算を粉飾したなどとして、証券取引法違反の罪に問われたライブドア前社長の堀江貴文被告(34)に対し、東京地裁の小坂敏幸裁判長は3月16日、懲役2年6カ月(求刑懲役4年)の実刑判決を言い渡しました。この報道について紹介したいと思います。なお、判決要旨については、「≫この続きを読む 」の<追記>で引用しておきます。(3月21日追記:このブログで論じたライブドア問題について追記しておきました)


1.報道記事を幾つか。

(1) 東京新聞平成19年3月16日付夕刊1面(共同)(2007年03月16日 13時46分)

 「堀江被告に懲役2年6月の実刑 ライブドア事件で東京地裁

 ライブドア(LD)粉飾決算事件で、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載、偽計・風説の流布)罪に問われ、無罪を主張した前社長堀江貴文被告(34)に対し、東京地裁は16日、懲役2年6月(求刑懲役4年)の判決を言い渡した。

 小坂敏幸裁判長は堀江被告関与を詳述した元取締役宮内亮治被告(39)らの供述・証言を「信用できる」とし、堀江被告の故意、共謀を認めた。

 争点のLD株売却益計上も「売却に関与した投資事業組合は脱法目的で組成され、許されない」と判断。「各犯行で中心的な役割を担った。一部を除いて首謀者とまでは認められず、粉飾も高額ではないが、結果は重大で反省も全くない」として投資家を欺いた責任を厳しく指摘した。

 一連の事件では、両被告ら7人とLDなど2社が起訴され、判決は初めて。証券取引法違反罪単独で実刑は極めて異例。堀江被告は実刑に伴って拘置され、弁護側は直ちに控訴し、再保釈を請求した。

 判決によると、堀江被告は宮内被告らと共謀の上、LDの2004年9月期連結決算で、架空の利益や、別勘定にしなければならないLD株売却益を計上し、約3億円の経常赤字を約50億円の経常黒字に粉飾した有価証券報告書を提出した。

 また同年10―11月には、関連会社の買収先の企業価値を過大評価したり、関連会社の虚偽の業績を発表したりした。

 昨年9月から始まった公判では、宮内被告らの証言の信用性やLD株売却益計上の違法性などを争点に、検察側と弁護側が攻防を続けた。

 検察側は「堀江被告が犯行を主導し、自己と会社の利益のため投資家を欺いた」と主張したが、小坂裁判長は架空利益計上以外の点で主導を認めず「個人的利益目的も認められない。宮内被告らのLD株売却益流用を立件せず、堀江被告が検察側に不公平感を抱くのも理解できないわけではない」と述べた。

 弁護側は「堀江被告の関与はなく、検察がストーリーをでっち上げた」などと主張していた。

 小坂裁判長は言い渡し後、堀江被告に勇気づけられたという障害者の母親から届いた手紙を紹介し「有罪としたが、生き方すべてを否定したわけではない。罪を償い、能力を生かして再出発してほしい」と説諭した。

 堀江被告には争点を絞り込む公判前整理手続きが適用され、昨年1月の逮捕から約1年2カ月、初公判から約半年で判決となった。

 ▽ライブドア(LD)前社長堀江貴文被告に対する証券取引法違反罪で認定された犯罪事実は次の通り。

 【有価証券報告書の虚偽記載】

 堀江被告は元取締役宮内亮治被告らと共謀し、LDの2004年9月期連結決算で、売り上げと認められないLD株売却益約37億6000万円や買収予定企業2社との架空取引による利益約15億8000万円を売上高に含め、約3億円の経常赤字を約50億円の経常黒字に粉飾した虚偽の有価証券報告書を提出した。

 【偽計・風説の流布】

 同様に宮内被告らと共謀し、同年10月から11月にかけ、ライブドアマーケティング(LDM)が出版社を買収した際、出版社の企業価値を過大評価した上、LDMの業績を虚偽発表するなどした。


 <判決骨子>

一、被告を懲役2年6月に処する

一、ライブドア株を売却した投資事業組合は脱法目的で組成され、株売却益の売り上げ計上は許されない

一、被告の故意、共謀を指摘した宮内亮治被告らの供述は信用できる

一、架空利益の計上を除き、犯行を主導したとまでは認められない

一、粉飾は高額ではないが結果は重大で、反省も全くない

 (共同)

(2007年03月16日 13時46分)」


この記事で大体の内容が分かると思います。ただ、誤解を招く記述を立たしておくことにします。それは堀江氏は、「一部を除いて首謀者とまでは認められず」としている点です。首謀者でないとなると、いかにも受身であるイメージになりますが、不正確です。
堀江氏は、「グループ内で絶大な権限を保持しており、すべての犯行は堀江被告の指示、了承なしにはあり得なかった」と指摘して、「架空売り上げの一部を除き各犯行を主導したとはいえないが、中心的な役割を担った」と述べた(日経新聞3月16日付夕刊1面)のです。このように堀江氏は中心的な役割であるため、実刑となったわけです。



(2) 日本経済新聞平成19年3月17日付朝刊3面

「異端児」断罪 3つの背景

 堀江貴文被告の実刑判決は「市場の異端児」の確信的なルール無視に断固たる姿勢を見せた。「実刑」を後押しした3つの理由は<1>情報開示をないがしろにした悪質性<2>一般投資家を欺いた倫理観の欠如<3>巧妙な手口を駆使した粉飾決算の強行。司法は軽々しい規則破りを許さないとのメッセージを送った。

 「国民経済の適切な運営と投資者の保護にとって、情報開示制度は中核に位置する」。小坂敏幸裁判長は判決理由で証券取引法第1条をあえて引用し、堀江被告が踏みにじった開示ルールの重要性を強調した。

 有価証券報告書の虚偽記載、風説の流布、義計……。同被告が問われた罪はすべて情報開示ルールを悪用したもの。企業価値を実態より大きくみせかけるため、やすやすとルールを破った。

 判決はこの点を「情報開示制度の根幹を揺るがし極めて悪質」と指弾した。さらに「投資家の犠牲の上で時価総額を短期間で拡大させる一方、株式を売って多額の資金を得た」と指摘。同被告が個人的利益を享受したのが情状面で不利に働いた。

 小坂裁判長はライブドア全体の倫理観の欠如も問題視。「虚偽情報によって翻弄(ほんろう)される投資家への配慮がみじんもない」と非難した。

 市場ルールの不備を突いた犯行手口も印象を悪くした。企業会計が未整備の投資ファンドに着目し、自社株売却益を売上げ計上した巧妙さを「まさに脱法を狙った」と批判。公認会計士の指摘を振り切って犯行に及んだ点も「強固な意思がうかがえる」と断じた。

 実刑判決について、市場関係者からは「重すぎる」との声も漏れた。53億円の粉飾額は過去の事件に比べて少なく、投資ファンドを介した自社株売却益の連結利益計上も「手元に入ってきた資金を資本勘定に計上するか損益勘定に計上するかの違いで悪質ではない」という理由からだ。

 検察幹部は狙い通りの実刑に「証券市場は経済活動に重大な役割を担っており、影響は大きいと裁判所も判断したのだろう」と納得の表情。別の幹部は「ちょっと軽いね。懲役3年以上じゃないと」と感想を述べた。」


「なぜ、堀江氏が実刑となったのか」について、この判例解説が一番よく説明されていると思います。

「「実刑」を後押しした3つの理由は<1>情報開示をないがしろにした悪質性<2>一般投資家を欺いた倫理観の欠如<3>巧妙な手口を駆使した粉飾決算の強行。司法は軽々しい規則破りを許さないとのメッセージを送った。」

この3点を明確に指摘しているのは、日経新聞のこの解説だけでした。



(3) 読売新聞平成19年3月17日付朝刊34面

実刑判決 識者はこう見た ライブドア事件 堀江被告に懲役2年6月

 証券取引法違反の罪に問われたライブドア前社長・堀江貴文被告(34)に対し、東京地裁が16日に言い渡した懲役2年6月の実刑判決の意味と影響について、識者に聞いた。<本文記事1面>


◇投資家への損害 重く見た――河上和雄弁護士(元東京地検特捜部長)

 実刑判決は当然の結果だろう。宮内被告らかつての仲間が、捜査段階での取調べや公判などで堀江被告の関与を証言しているのに、堀江被告には反省の情すらなかった。また、粉飾決算で、彼が個人的にも経済的利益を得たことを別にしても、株を使った金もうけという新しい型の犯罪であり、多くの投資家に損失をもたらした責任は重い。

 世間には「実刑は重い」と感じる向きもあるだろう。ただ、日本だけでなく周辺諸国の株式市場にまで影響を及ぼした特殊な犯罪であることなども考慮すれば、やや軽いとも言える。エンロンの粉飾決算事件のように、同種の犯罪に対して懲役10年~20年ぐらい重い刑を科す米国などから、「たった2年6月か。日本は経済事件が与える影響を真剣に考えていない」との批判が出てもおかしくないだろう。

 また、事件はメール社会で起きた。特捜部がメールのやり取りで意思決定する会社を摘発したのは、おそらく初めてだろう。特捜部は幸いサーバーを押収できたが、削除されたメールもあり、完全な捜査だったとは言えない。検察、警察は今後、インターネットに相当詳しい捜査員の配置などを考慮しなければいけない。いい教訓になったのではないか。

 戦後日本の社会の価値基準は、これまで「金銭」に置かれていた。堀江被告が逮捕された時には、「若い有望な経営者の芽を摘むのか」との批判も起きた。しかし、裁判所は、自分や会社の金もうけのために他人に損害を与えたという事実に実刑を下した。判決が「金もうけのためなら何をしてもいいわけではない。他人に迷惑をかけるのはよくないことで、ルールは守るべきだ」という別の価値基準があることを世間に示した意味は大きいだろう。


◇企業に「実態」開示迫る――黒沼悦郎・早大教授(証券取引法)

 判決は、資本市場を利用する企業の行動に大きな警鐘を鳴らすものである。これまでの証券取引法違反事件は、損失を隠ぺいする粉飾決算のように比較的単純なものが多かった。それに対し、ライブドアの行為は、グレーゾーンに属する複雑な取引を駆使して資本市場を操作し、積極的に企業の業績を向上させようという新しいタイプの行為で、合法か違法かの判断の難しい点があった。

 風説の流布については、ライブドアマーケティングが株式交換をした際、交換比率を1対1とした部分などに虚偽があるとした。株式交換比率を不正に算出したことを罪に問うもので、M&A(合併・買収)の実務に及ぼす影響は大きい。ただ、同社の株価を上昇させたのは株式の100分割であったのに、その違法性はこの裁判では問われず、一連の行為の過程で現れた比較的小さな詐欺的行為のみが罪に問われた。これが一般投資家を欺く大罪といえるのか、疑問も残る。

 粉飾決算については、違法な会計処理を隠す目的で投資事業組合を利用したとして、自社株売却益を売り上げに計上することが粉飾にあたるとした。堀江被告らは、投資事業組合の会計基準が十分整備されていなかったことを利用したともいえるが、企業内容の開示は会計基準に形式的に従っていればよいというものではなく、企業の経済実態を反映しなければならないから、判決は当然だ。

 判決は、粉飾額は過去の事例に比べると必ずしも高額でないことを認めつつ、実刑とした。自社株の売却益を売り上げに計上しようが資本に計上しようが、会社の財産に変化はない。しかし、IT企業のように成長が期待されている企業にとっては利益の額こそが、投資家の投資判断には重要であり、判決もこの点を重く見たのだろう。


◇「ルール無き自由」認めず――松原隆一郎・東大教授(社会経済学)

 ライブドア事件は、政府が進めてきた規制緩和の下で、起こるべくして起こった事件のように思える。

 戦後、政府は、規制と指導を通して民間には自由な活動を許さなかった。その一方で、株式市場に秩序と成長をもたらした。だが、1990年代以降、銀行による大蔵官僚(当時)接待が問題になるなど、官僚のモラル低下が見られるようになると、官僚が事前に指導や規制をするのではなく、自由に活動させた上で、事後的に取り締まる行政手法へ転換していった。

 市場参加者を事前規制していないのだから、当然、不良業者も交じる。こうした市場で、ライブドアは、匿名性の高い投資事業組合を利用した株の売買を通して、売却益を売り上げに計上するなど、ルールのグレーゾーンを開拓していった。

 多くの経済学者は、事後チェック型社会の先進国、米国をモデルに「不良業者には厳しい罰則が加えられ、厳しさが参加者全体に認識されれば簡単に違法行為はしなくなる」と説明してきた。しかし、日本ではライブドアの行為を「黒」と断定できるほどのルールが定まっていなかった。また、違反者が例外なく罰せられるのではなく、堀江被告が公判で「目立ちすぎて狙われた」と発言しているように、ライブドアだけが断罪されたように映った。

 ルールのない自由という無法地帯になってしまう前に、摘発に動いた検察は評価できる。判決で堀江被告の行為を違法と断じたことで、ルールもはっきりした。だが、ライブドア以外の者が「摘発されないよう、目立たずルール違反すればいい」と学んだとしたら、最悪だ。事前規制型社会に完全に戻ることはないだろうが、米国とはリスクに対する意識が異なる日本では、事前にある程度のチェックが働き、不良業者を排除できるほうが望ましいのではないか。」


この事件は、政府が進めてきた規制緩和を利用した犯罪でした。ですから、この規制緩和による弊害に対して、事後規制として刑事法・民事(商事)法としては、どのように対応すべきかが問題となりました。
河上氏は刑事法の観点から、黒沼氏は民事法(商事法)の観点から説明していますが、このような観点から考えることは重要です。




2.判決前の大方の予想通り有罪でした。ただ、実刑判決か執行猶予かの判断については、分かれていました。例えば、日大法学部の板倉宏教授は、堀江氏は反省することなく強気の法廷闘争を繰り広げてきたことから、「実刑は免れない」と推測していました。これに対して、元最高検検事で白鴎大学法科大学院の土本武司教授は、初犯で、株価の下落という被害は間接的な被害にすぎないとして、「刑は懲役3年、執行猶予5年」と判断していました(ZAKZAK 2007/03/15)。このように分かれていましたが、東京地裁は懲役2年6カ月の実刑判決を下しました。

では、東京地裁はなぜ、有罪・実刑と判断したのでしょうか? その判断の基礎となる考え方について検討してみたいと思います。


(1) 判決は、このように指摘しています。

「本件は、適時開示において虚偽の事実を公表し、また重要な事項につき虚偽記載のある有価証券報告書を提出したものであって、いずれも、情報開示制度を悪用した事案である。

 証券取引においては、個人投資家の自己責任が強く求められる一方、これら投資者に対する正確な情報開示は必須のものと位置づけられている。すなわち、一般投資者が、証券市場において、自主的で合理的な判断に基づき、自己の責任において有価証券の売買を行うためには、客観的かつ正確な情報の提供が必要不可欠である。

 証券取引法は第1条で、国民経済の適切な運営や投資者の保護を掲げ、情報開示制度を中核と位置づけ、上場会社などに対し、企業の概況、経理の状況、その他の事業の内容に関する重要な事項などを記載した有価証券報告書の提出を義務付けて開示を求めている。

 また、東京証券取引所の適時開示制度も、上場会社に対し、投資判断に影響を与える重要な情報を、遅滞なく、正確かつ公平に発表することを要求しており、この制度も、証券取引法の定める情報開示と並んで、投資家保護のための重要な制度として位置づけられる。

 本件は制度の根幹を揺るがすものであって、証券市場の公正性を害する極めて悪質な犯行であると言わざるを得ない。」


日経新聞の解説記事にもありますが、情報開示の重要性を重視したゆえ、有罪、実刑となったというわけです。証券取引法は第1条で、情報開示制度を中核と位置づけているのですから、当然の指摘であるともいえます。



(2) 

「判決は、粉飾額は過去の事例に比べると必ずしも高額でないことを認めつつ、実刑とした。自社株の売却益を売り上げに計上しようが資本に計上しようが、会社の財産に変化はない。しかし、IT企業のように成長が期待されている企業にとっては利益の額こそが、投資家の投資判断には重要であり、判決もこの点を重く見たのだろう。」(黒沼氏の指摘)


このように、ライブドアのようなIT企業の場合には、利益の額こそが投資家の投資判断には重要ですので、特に情報開示が必要ということになり、利益をごまかすような態度は特に問題視すべきことになるわけです。



(3) 

「官僚が事前に指導や規制をするのではなく、自由に活動させた上で、事後的に取り締まる行政手法へ転換していった。……多くの経済学者は、事後チェック型社会の先進国、米国をモデルに「不良業者には厳しい罰則が加えられ、厳しさが参加者全体に認識されれば簡単に違法行為はしなくなる」と説明してきた。」(松原氏の指摘)

近年、企業の競争力を強化するため、規制緩和の見地から、行政施策・立法ともに事前規制から、事後規制に変更されました。すなわち、被害を未然に防ぐのではなく、被害が生じた場合に損害賠償や刑罰で事後規制しようとすることになります。
そうすると、投資家や株主にとっては、行政や法律に代わって自ら判断する場合が増加することになるのですから、判断を決めるためには企業による情報開示の充実こそが重視されることになってきます。

情報開示の充実が重要だとすると、グレーゾーンに属する行為について、合法と判断したり、隠しても良いとなると、実質的に誤った情報を黙認してしまうことになり、情報開示の重要性に反することになってしまいます。こういった判断から、東京地裁は、グレーゾーンに属する行為も、「まさに脱法を狙った」と批判しているのです。




3.このようなに検討すると、有罪・実刑は妥当なものであるといえそうです。情報開示の重要性を重視するなら、控訴審でも無罪になる可能性は低いでしょう。


(1) 東京地裁は、「制度の根幹を揺るがすものであって、証券市場の公正性を害する極めて悪質な犯行である」という厳しい判断を示していますが、証券取引法1条の規定からすると、こういった判断は無理のない判断です。そうなると、控訴審でも同じような厳しい判断を示すことが予想されますので、控訴審でも実刑である可能性は高いと思われます。

ライブドア事件を教訓にして、昨年7月施行の改正証券取引法では、虚偽記載に対する最高刑を懲役5年から詐欺罪と同じ懲役10年に引き上ています。罰則強化の流れからすると、「堀江前社長の実刑は当然だ」(会計専門家)との声が出ているのです(東京新聞3月17日付朝刊)。堀江氏に対する実刑は、罰則強化の流れからするとおかしなものではなく、今後は、情報開示に対して罰則を強化することを明確にしたものといえそうです。


(2) 

「世間には「実刑は重い」と感じる向きもあるだろう。ただ、日本だけでなく周辺諸国の株式市場にまで影響を及ぼした特殊な犯罪であることなども考慮すれば、やや軽いとも言える。エンロンの粉飾決算事件のように、同種の犯罪に対して懲役10年~20年ぐらい重い刑を科す米国などから、「たった2年6月か。日本は経済事件が与える影響を真剣に考えていない」との批判が出てもおかしくないだろう。」(河上氏の指摘)

このように、周辺諸国では、もっと重い刑が当然であることを考えると、控訴審ではもっと重い量刑(3年以上)になる可能性すらあります。


(3) 

「裁判所は、自分や会社の金もうけのために他人に損害を与えたという事実に実刑を下した。判決が「金もうけのためなら何をしてもいいわけではない。他人に迷惑をかけるのはよくないことで、ルールは守るべきだ」という別の価値基準があることを世間に示した意味は大きいだろう。」(河上氏の指摘)



東京地裁は、「企業経営者には高い倫理観と順法精神が求められるのであって、企業利益のみを追求し、法を無視することが許されるものではない」と指摘しています。このように、会計基準や法律上、違法であることが明確でないなら、企業利益や自己の利益追求のため、金もうけのため、実行してよいということにはならないのです。

今後、企業経営はもちろん、他の分野においても、一層の高度な専門知識が必要となってきますが、高度な知識を濫用することなく、順法精神をもって行動する必要があるのです。この判決は、このような順法精神が重要である点を明確にしたことに意義があるといえると思います。



<3月21日追記>

このライブドア問題については、「1月17日におきた事件へのコメント」(2006/01/17(火) 23:45:25)「ライブドアの粉飾決算と、証人喚問での証言拒否~17日の続報」(2006/01/20(金) 00:50:02)「証券取引法158条の解釈」(2006/02/10(金) 06:35:35)「ライブドア事件の意味~毎日新聞の「記者の目」より」(2006/02/12(日) 17:36:18)「ライブドア捜査終結へ~追起訴見送り」(2006/04/29(土) 05:05:36)「変わらぬ「堀江節」に時空が歪んだ錯覚に~朝日新聞12月8日付夕刊「時評圏外」より」(2006/12/09(土) 06:00:36)でも論じています。こちらもご覧下さい。


この事件に関しては1点注意しておきます。(ご指摘を受けて追記しました。ご指摘ありがとうございます)

当初予定していた検察側の見込みは、「プロの金融犯罪グループの犯罪」だったようで、マスコミ報道も、検察側のリークによって過熱した報道を繰り広げて、踊らされていました。一番踊らされたのは毎日新聞でしょう。しかし、「プロの金融犯罪グループの犯罪」ではなかったのです。

ならば、検察側は誤解したとはいえ、株式市場に影響を与えないような方法をとるべきだったと反省すべきです(一般投資家に損害が生じたのは、捜査活動にも一因)。皮肉を言えば、見込みと違って起訴したことに対して、東京地裁はうまいこと取り繕った形で判決を書いてくれたのです。

それにもましてマスコミも誤報を繰り広げたことを猛省すべきです。あまりにも誇大妄想のような誤報だったことが過剰に株式市場に影響を与えたといえるですから。この判決について各紙解説していましたが、マスコミ報道のあり方を反省するものは皆無でした。
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裁判例 *  TB: 5  *  CM: 2  * top △ 
2007/03/19 [Mon] 00:41:16 » E d i t
政府は3月13日、犯罪被害者が刑事裁判で被告人に直接質問を行う「被害者参加制度」や、犯罪被害者などによる損害賠償請求について刑事手続の成果を利用する「付帯私訴制度」を盛り込んだ刑事訴訟法改正案などを閣議決定し、改正案は国会に上程されました。この改正案の施行は「公布後1年6カ月以内」とされているので、今国会で成立すれば、裁判員制度より半年ほど早い08年秋ごろにスタートする見通しだそうです(毎日新聞 2007年3月13日 12時44分)。

この改正案はかなり色々な改正(<1>被害者側に公判記録の閲覧・謄写を原則認める<2>性犯罪などの公判で被害者の名前や住所などを明らかにしないことができる<3>民事裁判で性犯罪などの被害者が法廷外からモニターを通じて証言できる)を含みますし、それぞれ論じることがあるのですが、このエントリーでは、「被害者参加制度」についてのみ触れたいと思います。<追記>として、幾つかの資料を掲載しておきます。


1.東京新聞平成19年3月17付朝刊「こちら特報部」

 「厳罰化に拍車? 「被害者裁判参加制」に懸念

 刑事裁判で被害者や遺族が直接、被告を質(ただ)すことが可能になる「被害者参加制度」導入などに伴う刑事訴訟法改正案が国会に上程された。法案の是非に被害者たちの反応は二分。法曹関係者の間でも「厳罰化促進の材料では」「被害者の心のケアにつながるのか」といった疑問は少なくない。

 被害者参加制度は犯罪被害者や遺族が検察側を通じて申告し、裁判所が許可すれば、証人尋問のほかに被告人に対する直接質問、さらには検察官の論告と同じような最終意見陳述ができるという制度。対象となる事件は故意や過失で人を死傷させた罪や強制わいせつ、逮捕および監禁罪、誘拐や人身売買などだ。

◆「推定無罪」の原則どうなる

 この新制度について、都内の弁護士の一人は「疑わしきは被告人の利益にという『推定無罪』の原則を覆しかねない」と懸念する。

 「被害者や遺族の声が無視されがちという批判は分かるが、これまでも被害者らの意見陳述は法廷で可能だった。問題は新制度が裁判の公正さを崩しかねない点だ。裁判中は被告人が有罪か否か、故意か過失かは分からない。正当防衛が絡めば、被害者と加害者が逆転する場合も出てくる。それなのに被害者の先入観や感情が法廷に持ち込まれれば、偏見が幅を利かせ冷静な判断を妨げかねない」

 こうした視点から、法曹界の一部では新制度導入の前提として、被害者らが参加しない事実審と、被害者もかかわる量刑審に分ける必要も指摘されている。

 ただ、量刑が被害者や遺族感情で左右されること自体を懸念する声がある。死刑廃止運動に携わる弁護士の菊田幸一氏は「当局には新制度により司法の厳罰化の流れを加速させる狙いがあるのでは」と疑う。

 厳罰化の流れは数字からも明確だ。2006年版「犯罪白書」によると、一般刑法犯の数は03年から減少傾向で、殺人など凶悪犯も増えていない。一方、1990年以降の、その年の死刑確定者数は、03年まで年間一けただったが、04年は14人、05年は11人、06年は21人と急増中だ。

 菊田氏は「犯罪の増加も治安の悪化もない。となれば(厳罰化の)支えは社会に受け入れやすい被害者感情になる。この論調には判事も人の子なので逆らえない。私的な報復を禁じる近代刑法の根幹を揺るがされている」と危惧(きぐ)する。

◆遺族ら「癒しになるか疑問」

 一方、被害者や遺族は法廷に登場し、厳罰化を進めることで癒されるのか。

 積極論に立つ遺族らがいる半面、慎重論をとる遺族もいる。「親告罪と同様に遺族らが出廷しないことで被害者感情が薄いと誤解されかねない」と話すのは、1997年に二男をひき逃げ事故で失った片山徒有(ただあり)氏だ。

 「積極論の方々は法廷に立つ緊張やストレスを知らないのでは。被告が沈黙を続け、弁護士が反論する。これだけで遺族には大きなストレスが襲う。言い過ぎれば、その言葉をまた背負ってしまう。『殺してやりたい』と言っても、人はいつまでも憎しみだけで生きられるものではない」

◆「自助組織こそ充実を」

 米国で被害者遺族と死刑囚家族が一緒に旅し、死刑廃止を訴えたルポ「癒しと和解への旅」の著書で、京都文教大助教授の坂上香氏(メディア文化論)は「米国では以前から(被害者参加制度が)導入されているが、実際の遺族感情は多様。でも、厳罰(死刑)を望む声は通りやすく、メディアも取り上げがちだ。だが、冤罪(えんざい)の多発により、近年は厳罰化の流れからの揺り戻しが起きている」という。

 「(新制度導入は)遺族たちのためと触れ込まれているが、法の枠内で完全に癒されることなどあり得ない。むしろ、医療や福祉、自助組織など別の分野の充実が必要ではないのか」

 片山氏はこう続けた。「多くの遺族が事件のショックから法廷に立てないのが実情。国はどこまで遺族の現実を調べたのか。国民の総意とほど遠い法案提出はあまりに拙速だ」」



2.被害者参加制度は、犯罪被害者や遺族が刑事手続に参加または関与する制度です。

(1) 犯罪被害者や遺族が刑事手続に参加または関与する目的は、全国犯罪被害者の会(あすの会)の「訴訟参加制度案要綱」12頁に

「被害者が、事件の真相を知り、名誉と失われた尊厳を回復し、適正な刑罰の実現と、公正な裁判を求めて刑事司法に参加することは当然の権利であるといわなければならない。」

とあるように、<1>事件の真相(名誉の回復)と、<2>適正な刑罰です。「事件の真相」とは、事件に関する情報をできる限り得たいということであり、「適正な刑罰」とは、量刑の問題であって、被害者の応報感情を満たしたいという意味であると思われます。


(2) 東京新聞の記事にあるように、犯罪被害者参加制度の問題点として、大きく2点を挙げることができると思います。

まず1点。

 「この新制度について、都内の弁護士の一人は「疑わしきは被告人の利益にという『推定無罪』の原則を覆しかねない」と懸念する。

 「被害者や遺族の声が無視されがちという批判は分かるが、これまでも被害者らの意見陳述は法廷で可能だった。問題は新制度が裁判の公正さを崩しかねない点だ。裁判中は被告人が有罪か否か、故意か過失かは分からない。正当防衛が絡めば、被害者と加害者が逆転する場合も出てくる。それなのに被害者の先入観や感情が法廷に持ち込まれれば、偏見が幅を利かせ冷静な判断を妨げかねない」」


今度の刑事訴訟法改正案では、公判記録の閲覧謄写の範囲を拡大するとはいえ、被害者や遺族は検察官ほど事件に関する資料に接するわけではありませんし、被害者の記者会見を見れば分かるように、冷静さを欠き感情のままに述べる可能性がかなりあるはずです。当然ながら、被害者は、無罪推定の原則があるにも関わらず、被告人を加害者であると思い込んでいるのが通常です。

感情的になったり、被告人が加害者であると思い込むのはやむを得ないとは思いますが、それでは、被害者の先入観や感情が法廷に持ち込まれ、偏見が幅を利かせ、裁判官の冷静な判断を妨げかねません。そうすると、裁判の公正を崩すことにつながり、無罪推定の原則が空洞化しかねません。これでは、より有罪を前提とするような訴訟になってしまいますが、有罪率が99%を超えている現在では、より有罪の方向を目指すよりも、無罪推定の原則に適うような法制度・運用を図る方が重要です。いまでも重大事件や痴漢事件において、深刻な冤罪事件が後を絶たないのですから。

このようなことから、被害者参加制度は、裁判の公正、無罪推定の原則の観点から問題があるように思います。特に裁判員制度が導入されると深刻です。一般人が裁判の公正、無罪推定の原則を十分に考慮に入れて判断することができるのか、一層危惧されるからです。


もう1点。

 「量刑が被害者や遺族感情で左右されること自体を懸念する声がある。死刑廃止運動に携わる弁護士の菊田幸一氏は「当局には新制度により司法の厳罰化の流れを加速させる狙いがあるのでは」と疑う。

 厳罰化の流れは数字からも明確だ。2006年版「犯罪白書」によると、一般刑法犯の数は03年から減少傾向で、殺人など凶悪犯も増えていない。一方、1990年以降の、その年の死刑確定者数は、03年まで年間一けただったが、04年は14人、05年は11人、06年は21人と急増中だ。

 菊田氏は「犯罪の増加も治安の悪化もない。となれば(厳罰化の)支えは社会に受け入れやすい被害者感情になる。この論調には判事も人の子なので逆らえない。私的な報復を禁じる近代刑法の根幹を揺るがされている」と危惧(きぐ)する。」


「あすの会」の訴訟参加制度案要綱にあったように、「適正な刑罰」を求める、すなわち厳罰を求めたいというのが、犯罪被害者の要望です(もちろん、異なる意見もあり)。裁判所の量刑判断において、被害者の被害感情を考慮することは確かですが、被害者の被害感情で無期懲役が死刑になることはなく、一要素にすぎないというのが、今の裁判所の運用です。
ですから、裁判所が被害者感情を量刑判断の一要素にすぎないという姿勢を崩さなければ、被害者参加制度によって被害者が何を言おうと厳罰化されることはないことになります。たとえ、直接法廷で被告人に感情的に質問しようとも。

しかし、被害者感情が量刑判断の一要素にすぎないとしても、国民の厳罰化の要請を受けて、厳罰化している現実があるのですから、被害者が直接法廷で被告人に質すことになれば、その被告人の対応、報道の仕方によっては、国民がより一層、厳罰化を要請する可能性があります。そうなると、結局は、被害者参加制度によって、より厳罰化する可能性が高いと思われます。

特に裁判員制度が導入されれば、より厳罰化する可能性が高くなると予想できます。例えば、弁護士の堀田力氏は、「中央公論」2007年4月号の「特集『この判決は何だ?」において、「裁判所は社会の拠り所となれるか」という表題で次のように書いています。

 「厳罰化は、世界の先進国において日本に特有の傾向といえるだろう。途上国は、どこも応報感情をむき出しにしたような判決を出す。貧しい国では窃盗や汚職でも死刑になる。人間の復讐心をそっくりそのまま仕組みに移したものだからだ。しかし、文化の成熟とともに、犯罪者の人権も考えるようになる。だから、世界の先進国を百年単位で見れば、刑罰はどんどん軽くなっている。ヨーロッパの国々が次々と死刑を廃止していることからも明白だ。

 もちろん、日本も明治時代に比べれば刑罰はどんどん軽くなっている。ところが、神戸市で「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る14歳少年が、小学校を殺害したあたりから、国民の間に厳罰化を望む声が高くなり始めた。……

 2009年までに裁判員制度が導入され、一般市民が裁判官と一緒に重大犯罪の被告を裁くことになる。これによって、日本はさらに厳罰化が加速する可能性もある。

 例えば、検察官が不起訴処分にした刑事事件については、その処分が適切だったかどうかを「検察審査会」で判断するのだが、審査会における一般市民の意見は極めて厳しい。……一般市民にとっては、犯罪が新鮮に感じられるということだ。そうした市民が刑事裁判に加わるのだから、日本はこの先10年くらいは、他の先進国の流れに反して厳罰化の傾向をたどることになるだろう。」(「中央公論2007年4月号」246頁)


厳罰化によって、被害者や遺族の溜飲が下がり、心の安定につながるのかもしれません。しかし、厳罰化により、処罰を避けるため逃亡する加害者が増加する可能性がありますし(交通事故では、ひき逃げの増加といった傾向が顕著になっている)、厳罰化によって加害者の社会復帰も遅れることになってしまいます。すでに近年、刑罰規定が厳罰化され、判決自体も厳罰化され、もはや厳罰化も限界にきていると思えるのです。

重要なことは、厳罰化したところで、将来における犯罪防止につながるわけではないのです。被害者にとって望ましいのは、厳罰化によって、加害者に対する厳罰化(極刑や長期間の収監)なのか、それとも、将来における犯罪の防止につなげることによって、同じような被害者や遺族が生じないようするのと、どちらなのでしょうか?




3.被害者や遺族にって、本当に「被害者参加制度」は望ましいのでしょうか?


(1) 公判記録の閲覧謄写の範囲が増加して、被害者が「訴訟の当事者」になることで、より事件の真相を知ることは可能になるのですから、「被害者参加制度」にも良い面があることは確かです。厳罰化によって復讐心を満たすこともでき、ある面心の安定につながるかもしれません。

しかし、被害者参加制度は、被害者を刑事手続において、「訴訟の当事者」のように扱うことによって、加害者と直接対決させることによって(もし対決しないと自ら避けたことになる)、刑事手続に関与したゆえに被害者に自己責任を負わせるものです。一層の厳罰化によって、加害者を長期に収監させ、死刑判決を増やすことで、犯罪によって生じた問題点を訴訟だけで済ませてしまうものといえます。被害者は自己責任を負った以上、どんな判決も認めるしかなく、もはや国に対して文句は言えないことになります。

また、被害者が証人や被告人に質しても、素直に答えてくれればよいのですが、被告人に反発されやり込められ、より精神的ショックを受けたとしても自己責任ということになります。また、感情的な質問に対して、被告人が黙りこくってしまい、一層、真相究明ができなくなる可能性も生じますが、それも被害者の自己責任ということになります。

被害者にとって、「被害者参加制度」によって自己責任を負わされることは、本当に望ましいことなのでしょうか?


(2) 加害者が犯罪を犯してしまったことは、理由があるのです。加害者の生い立ち、犯行に至る経緯、動機があり、加害者にとってはそれなりの事情があるのです。そういった事情を、加害者の口から引き出すことが重要です。

そうすることによって、加害者が再び犯罪を犯さないよう、2度と同じような加害者が生じないよう、日本社会や社会制度を変化させ、将来の犯罪防止・予防につなげることができるからです。将来の犯罪防止・予防につながるのであれば、被害者はもちろん、加害者の一生を台無しにすることもなくなるのです。

 

「オウム真理教による地下鉄サリン事件で夫を失った高橋シズエさん(60)も、「被告は法廷で謝罪、反省の態度を見せる。だが、その気持ちを刑務所から出てくるまで持ち続けられるのか、法廷で直接問いただしたかった」と振り返り、被告への質問を可能にする制度に賛成する。」(読売新聞平成19年3月13日付夕刊18面)

この高橋シズエさんは、ただただ自分が被告人に問い詰めたい意欲に溢れていて、将来の犯罪防止・予防と関係なく、自分が直接、被告人が反省しているか問い詰めたいのです。感情の赴くまま問い詰める法廷が本当にいいことなのでしょうか?


(3) 

◆「自助組織こそ充実を」

 米国で被害者遺族と死刑囚家族が一緒に旅し、死刑廃止を訴えたルポ「癒しと和解への旅」の著書で、京都文教大助教授の坂上香氏(メディア文化論)は「米国では以前から(被害者参加制度が)導入されているが、実際の遺族感情は多様。でも、厳罰(死刑)を望む声は通りやすく、メディアも取り上げがちだ。だが、冤罪(えんざい)の多発により、近年は厳罰化の流れからの揺り戻しが起きている」という。

 「(新制度導入は)遺族たちのためと触れ込まれているが、法の枠内で完全に癒されることなどあり得ない。むしろ、医療や福祉、自助組織など別の分野の充実が必要ではないのか」」


このように、被害者にとっては、「医療や福祉、自助組織など別の分野の充実が必要」であるように思うのです。被害者参加制度のように、裁判に慣れていない被害者が、訴訟手続に参加してより神経をすり減らして疲弊するよりは、犯罪被害の回復は、被害者自身に対して手厚く行うべきなのです。

被害者自身に対して手厚く行うことは、多大な費用と人員が必要であって大変なことですから、国はなるべく実施したくないのです。だからこそ、被害者参加制度を国側が認める要因でもあります。しかし、犯罪被害の回復を、被害者の訴訟参加という自己責任と刑罰に委ねることは、国にとって非常に楽なことであって、被害者参加制度によって、本当に必要とされる「医療や福祉、自助組織など別の分野の充実」がなされなくなるでしょう。もっとも必要なことについての国の怠慢を助長させてしまうことは、被害者にとって本当に望ましいことなのでしょうか?


情状に関してのみ証人尋問でき、被告人質問を認め、検察官よりも重い量刑請求を認めるなどの、犯罪被害者や遺族を「訴訟の当事者」とするような「犯罪被害者制度」は問題があると考えます。
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2007/03/18 [Sun] 00:18:06 » E d i t
「宇和島徳洲会病院、調査委員会の調査経過を公表」では、産経新聞とTBSニュースでの報道記事を紹介しました。朝日新聞は、3月15日付夕刊(東京版3版のみ?)では妙な記事を掲載していましたが、地域面「愛媛」では真っ当な記事になっていました。この報道を紹介します。


1.「asahi.com:マイタウン・愛媛(2007年03月16日)」

 「万波移植 調査委記録ビデオ公開
2007年03月16日

◇「議論ありのままを」

 「調査委員会のありのままの姿を見てほしい」 ――。 万波誠医師(66) が病気腎移植を繰り返していた宇和島徳洲会病院の貞島博通院長らは15日、大阪で3日に開いた調査委の様子を記録したビデオ映像を報道陣に公開し、委員会の運営の透明性を強調した。 各専門委員から「万波移植」に厳しい報告書を提出されながら、臨床医療を重視して一転「容認」 に舵(かじ) を切った姿勢に理解を求めた。

 調査委は当初から「身内の理論で結論が出るのでは」 との批判があったため、徳洲会グループは内部委員として参加する系列病院の医師たちに「公平性を担保したいので自由に発言を」 と伝えていたという。

 公開されたビデオは2時間7分。移植に使われた病気の腎臓を摘出された6症例を検討した場面だ。 万波医師が患者の生活環境に触れ、治療の経過や状況などを詳細に説明した。

 議論の中心はネフローゼ症候群。同グループの医師は「腎機能も良好で浮腫もなく、病理検査を行うのが可能だったと専門委員の報告書に書かれている。 そうだとすれば、本当に摘出は必要だったかということになる」 「腎臓内科専門医になぜ相談しなかったのか」 などと厳しい質問を繰り返した。

 万波医師は「手術で皮膚を切ると水がたらたら落ちるぐらい浮腫があった」 「腎臓の専門医は私の田舎にはいない」 などと釈明。外部委員からは治療に対する医師の裁量権に理解を示す意見のほか、「すべての患者が最高の医療を受けられるかというと必ずしもそうでない」 などの発言もあり、調査委の結論と専門委員の報告書と両論併記する形で公表する方針に落ち着いた。

 尿管狭窄(きょうさく) で狭くなった部分を切除するなど手術を4回繰り返した症例の経過について、万波医師が説明を終えると、専門委員でもある調査委員から「苦労されたようですね」 と同情を示す発言も飛び出した。 この委員は「(ほかの) 専門委員も、この話を聞くとずいぶん意見が違うと思います」 とも述べた。

 朝日新聞の取材に対し、この委員は万波医師に同情を示した発言をしたことについて「臨床現場にいるご苦労や説明に一定の理解を示した。 学会から派遣された立場は崩していない。 私の医学的な見地からの意見は提出した報告書の通り」 と話した。

 会見に同席した調査委員の古賀祥嗣・ 東京西徳洲会病院腎臓病総合医療センター長は、腎がんの手術について日本泌尿器学会などで発表された症例を基に、がんの病変部分を切り取る部分切除より腎臓をまるごと摘出する方法が一般的な治療法であるとする調査結果を発表した。

 4センチ以下のがんについて、東京医科歯科大では94の症例すべてで腹腔(ふくくう) 鏡を使って腎臓を摘出。 東京大学でも摘出52件に対して部分切除は50件で、自治医科大では摘出103件に対して部分切除は10件だった――などとした。」




2.調査委記録ビデオの内容については、愛媛新聞の記事と並んでこの記事も詳しいです。ここでの万波医師の発言を読むと、多くの人が納得できるのではないかと思います。

例えば、

 「会見に同席した調査委員の古賀祥嗣・ 東京西徳洲会病院腎臓病総合医療センター長は、腎がんの手術について日本泌尿器学会などで発表された症例を基に、がんの病変部分を切り取る部分切除より腎臓をまるごと摘出する方法が一般的な治療法であるとする調査結果を発表した。

 4センチ以下のがんについて、東京医科歯科大では94の症例すべてで腹腔(ふくくう) 鏡を使って腎臓を摘出。 東京大学でも摘出52件に対して部分切除は50件で、自治医科大では摘出103件に対して部分切除は10件だった――などとした。」


この説明は、「腎がんの手術について日本泌尿器学会などで発表された症例を基」にして、腎臓の全摘出が一般的な治療法であると述べているのですから、日本移植学会の幹部が全摘出が不当だとするのは根拠がないことが分かると思います。

こういった内容からすると、調査委員会の結論は不当なものではなかったといえるでしょう。


また、「内部委員として参加する系列病院の医師たちに「公平性を担保したいので自由に発言を」と伝えて」、調査委の様子を記録したビデオ映像内容を報道陣に公開したのです。徳洲会の身内がいたとしても、判断過程を報道陣に公表し、その調査委員会の判断に際して、万波医師を不当に擁護した要素がないのですから、公平な判断であったことが(事後的に)担保されたといってよいはずです。

そうすると、結論も妥当、判断過程の公平性も担保されたのですから、病腎の摘出手術についての調査委員会の判断は、適切であったと判断できるはずです。


しかし、日本移植学会から派遣された医師は違う判断をするのです。解せないのは、この記述です。

 「万波医師が説明を終えると、専門委員でもある調査委員から「苦労されたようですね」 と同情を示す発言も飛び出した。 この委員は「(ほかの) 専門委員も、この話を聞くとずいぶん意見が違うと思います」 とも述べた。

 朝日新聞の取材に対し、この委員は万波医師に同情を示した発言をしたことについて「臨床現場にいるご苦労や説明に一定の理解を示した。 学会から派遣された立場は崩していない。私の医学的な見地からの意見は提出した報告書の通り」と話した。」


万波医師に同情を示した発言をした委員は、この記事では名前を伏せていますが、産経新聞の記事では明示しているように、あの雨宮委員です。

腎臓内科専門医に相談して決定すべきとか(万波医師:この地域にはいないから相談できない)、ネフローゼ症候群の腎臓は摘出すべきでないとか(万波医師:手術で皮膚を切ると水がたらたら落ちるぐらい浮腫があった)、修復して本人に戻すべきとか、理想としては色々言えたとしても、臨床現場においてできないことを求めても無理な話です。

現実には無理なことなのに、「私の医学的な見地からの意見」を押し通して、「○○すべきであった」として万波医師を非難するのはあまりに不合理です。不可能を強いることはできないからです。日本移植学会は、不可能なことを強いることに躊躇いのない学会のようです。

不可能を強いる学会である場合、患者や患者の遺族にとって良いことが1つあります。不可能を強いることを厭わないのですから、医療過誤が生じた場合、日本移植学会に属する医師はすべて全責任を認めて、全額損害賠償を負担してくれることになります。日本移植学会に属する医師を訴える場合には、立証するまでもないのですから、大変楽な訴訟となります。

ただ、遺族の損害賠償請求が認められたとしても、身内を失ったことには変わりありません。理想を追求して、患者が死亡することを厭わない日本移植学会の医師よりも、現実を追及して患者を救ってくれる医師の方が、患者にとっては幸福なのです。
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2007/03/17 [Sat] 22:25:41 » E d i t
お彼岸を迎える頃になりました。3月17日、諸宗山回向院(東京都墨田区)において春季彼岸会「家畜総回向」がありましたので、この法要のため参詣してきました。

諸宗山回向院は、有縁・無縁にかかわらず生きとし生けるすべてのものを供養する寺(宗派は浄土宗。浄土宗の説明については、「宗教法人 浄土宗」をご覧下さい)で、動物供養の寺としても有名です。


昨年の「家畜総回向」も参詣してきましたが(「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題~毎日新聞が「坂東氏を動物虐待で告発する」との記事を掲載」を参照)、昨年と比べて参詣者があまりにも多数だったので法要が行われる本堂に入りきれず、寒空の中、門のあたりまで参列者が並んでいる状態でした。そのため、午前1回、午後1回予定の法要は午後2回(それ以上?。午前も2回?)行われました。このような多数の参詣者を目の当たりにすると、動物供養を願う方が増えていることを実感します。


命の長さは種によって異なりますが、寿命が長かろうが短かろうが、生まれでてきたものは必ず亡くなって行きます。亡くなると悲しみが生じ、私たちの心を大きく揺さぶります。しかし、その間に楽しい時間を共有できたことを感謝する気持ちを持って欲しいのです。楽しい時間を共有できたことを感謝できる人に、動物を飼う資格が生まれるといっていいのでしょう。

「飼っている」という気持ちもおかしくないのですが、動物側からは飼い主は選べないのですから、現実には「飼わせて頂いている」という心構えでもおかしくないのです(毎日新聞平成18年12月2日付朝刊14面 塩田眞「ペットの本音:「死んだ時、感謝の気持ちを」)。


最後に、「家畜総回向」の際に頂いた「散華」(道場にみ佛をお迎えし、佛を讃え供養する為に古来より広く行われてきたもの。元来は、樒の葉や菊の花、蓮弁等の生花を用いていたが、現在は通常蓮弁形に截った紙花を用いている)には、道元禅師の言葉が書かれてありましたので、これを引用しておきます。


和顔愛語


 愛語は愛心よりおこる

 愛心は慈心を種子とせり





<追記>

人々が穏やかな生活を送ることが釈迦の願いであり、仏教の基本的な教えです。その基本中の基本が「和顔愛語」なのです。この「和顔愛語」の詳しい説明については、「たのしみ和話:和顔愛語 [No,1378、1月8日~1月14日]~曹洞宗東海管区教化センター」をご覧下さい。

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2007/03/16 [Fri] 08:23:24 » E d i t
宇和島徳洲会病院の調査委員会は3月15日、専門委員の報告書や会議のビデオ映像など、これまでの調査経過を公表しました。この報道についてコメントしたいと思います。


1.調査経過の公表報道の前に2つほど触れておきます。

(1) 専門委員会の一部と調査委員会の結論が異なったのはなぜかが、一番の関心事だったのですから、本来、「調査経過の公表」がメインのはずです。しかし、なぜか各紙の報道の仕方が違っていました。

例えば、朝日新聞3月15日付夕刊(3版のみ。4版では削除)では、病気腎移植問題で、宇和島徳洲会病院で実施された11件について医学的に検討してきた外部の専門委員5人の報告書が15日、報道陣に公表され、いずれも厳しい内容となっているといった記事でした。しかし、東京新聞のHP(3月15日)では「専門委員6人の報告書を公表した。うち外部の5人は「摘出は必要ない」などと問題点を指摘している。」としているので、朝日新聞は6人の報告書があるのに隠蔽したように読めます。それに、朝日新聞は、肝心な「調査経過の公表」という点も報道せず、これも隠蔽してしまいました。


(2) もう1つ。日本病理学会は3月14日、大阪市内で総会を開き、病気腎移植をめぐる関係学会の合同会議や統一見解について、「参加しない」との方針を総会で説明したようです(2007年03月15日 読売新聞)。長村理事長は「もともと合同会議に(正式には)参加していないから、としか言えない」と述べていますから、日本移植学会の幹部が、勝手に「関係5学会」と流布し、(3月15日訂正)勝手に結論を決めていた態度に嫌気が差したのかもしれません。

この方針により、今度からは「関係4学会」ということになるのでしょう。(3月15日訂正。日本病理学会は元々5学会に含まれず)しかし、病腎移植の医学的妥当性については、病理学の観点が重要だったのですから、日本病理学会が合同会議や統一見解に関与しないままでは、合同会議や統一見解の妥当性が著しく低減するように思います。




2.では、本題の報道記事から。

(1) 産経新聞平成19年3月16日付朝刊29面

病腎移植問題「不可の根拠ない」 調査委、容認の過程公表

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)が行った病腎移植の妥当性を検証している同病院の調査委員会は15日、専門委員の報告書や会議のビデオ映像など、これまでの調査経過を公表した。腎臓摘出の適否をめぐって、6人の専門委員のうち3人が「不適切」「疑問」などと報告したのに対し、調査委の委員は「不可とする理由が分からない」と主張するなど、意見が割れた経緯が明かされた。

 専門委員は、日本移植学会、日本腎臓学会など関係4学会に所属する外部の医師ら6人。病腎の摘出と移植についてカルテなどを検討し、2月18日に調査委に報告書を出した。このうち日本泌尿器科学会の医師は、同病院で摘出された6例すべてについて不適切と報告。腎臓外科医など2人は一部の摘出を不適切としていた。

 報告を受けて今月3日に行われた調査委の会議では、万波部長に1例ずつ摘出に至った経緯の説明を求め、患者の容態なども検証した。外部委員の専門医らが「この症例は私も迷わず全摘を選ぶ」「なぜ専門委員は万波氏から詳しい説明を聞かなかったのか」と発言するなど専門委員の調査方法に疑問の声が出た。

 専門委員と調査委員を兼ねる日本移植学会の雨宮浩委員が、万波部長の説明を聞いた上で摘出は適切だったと意見を変え、「こういう話を聞くと(他の専門委員の意見も)ずいぶん違ったと思う」と述べる場面もあった。

 万波部長の病腎摘出については「移植のために全摘した」なとと批判する声が出ていた。調査委は6件の摘出行為のうち1件を「妥当」、2件を「容認できる」などと学会側と異なる結論を出しており、理解を得るため会議のビデオ映像や議事録などの公表に踏み切ったという。

 同病院は、調査委の委員の多数を徳洲会関係者が占めていることが誤解を招いているとし、今後メンバーを外部の専門家らに入れ替える方針。

 記者会見した貞島博通院長らは「院内に倫理委員会を設置していなかったことなど病院として多くの不備があり、移植行為の妥当性を損ねてしまった。深く反省する」などと改めて陳謝した。

(2007/03/16 01:39)」


 「報告を受けて今月3日に行われた調査委の会議では、万波部長に1例ずつ摘出に至った経緯の説明を求め、患者の容態なども検証した。外部委員の専門医らが「この症例は私も迷わず全摘を選ぶ」「なぜ専門委員は万波氏から詳しい説明を聞かなかったのか」と発言するなど専門委員の調査方法に疑問の声が出た。

 専門委員と調査委員を兼ねる日本移植学会の雨宮浩委員が、万波部長の説明を聞いた上で摘出は適切だったと意見を変え、「こういう話を聞くと(他の専門委員の意見も)ずいぶん違ったと思う」と述べる場面もあった。」

この箇所が、この記事の注目すべき部分だと思います。専門委員は、実際に執刀した当事者に効くのが一番良くわかるはずなのに万波医師から十分に説明を求めなかったのです。ですから、専門委員の調査方法には問題があるとなったのは当然でしょう。

ここで明らかになったのは、雨宮委員は大嘘つきでいい加減な人物ということです。

「万波部長の説明を聞いた上で摘出は適切だったと意見を変え、「こういう話を聞くと(他の専門委員の意見も)ずいぶん違ったと思う」と述べる場面も」

このように、雨宮委員は、合同会議では適切だったという意見を採っていたのに、マスコミの前では、適切でないなどとコロリと意見を変えるのです。雨宮委員は、

「移植学会としては、摘出すべきでない腎臓を摘出したうえ、移植を受ける患者の選択のしかたにも問題があったと考えており、今の段階で病気腎移植を認めるわけにはいかない。」(NHKニュース(3月3日 23時24分)「宇和島徳洲会調査委は、「病気腎摘出6例、適切または妥当」と判断」参照

とか、

「多勢に無勢だったのでは」との指摘に「そうかもしれない」と苦笑交じりに答えたり、「少なくとも今の医学基準に照らせば摘出十一件は不適当な手術だった。あくまで専門委の意見は並列で残してもらう」(特集宇和島 腎移植2007年03月04日(日)付 愛媛新聞

と述べているのです。今度からは、雨宮委員の言うことは全部嘘だと思った方がいいでしょう。



(2) TBSニュース(2007年03月15日18:12)

 「病気腎移植問題、調査委の映像を公開

 愛媛県の宇和島徳洲会病院で発覚した病気腎移植問題で、病院は15日、議論の不透明さが指摘されていた調査委員会の映像を公開しました。映像には、手術を行った万波医師と、学問的立場から判断しようとするほかの医師との主張の違いが生々しく記録されていました。

 宇和島徳洲会病院が15日、報道陣に公開した2時間にわたる映像。

 「他の症例でも説明しようとしたんですけど、『それはもういい』と聞いてくれないわけです。私はきちっと説明したかったんですよ」(万波医師:公開された映像より)

 万波医師の不満は、どこへ向けられたものだったのでしょうか。

 病気の腎臓を移植した問題をめぐっては、日本移植学会などから派遣された複数の医師が医学的な妥当性を判断する専門委員会と、その上部組織に調査委員会が設置されています。ところが万波医師は、調査の第1段階である専門委員会の聞き取り調査が、そもそも不十分だったと言うのです。

 万波医師は調査委員会で、患者がそれぞれ抱える事情を訴えました。
 「いろんな事から考えて、もうこの腎臓をとって欲しいということは最初から言われてた訳です」「消防士で、何とか働けるようにしてほしい(という)のが一番の願いだったんです。だから、腸の手術やこうしたら、後、困るんじゃないかという気はあったんです、私自身」(万波医師:公開された映像より)

 専門委員会の医師らはこれまでの調査委員会で、カルテに残された記録などから、医学的な問題を指摘していました。

 「守殿先生(もう1人の専門委員会の医師)もこういう話を聞くと随分意見が違う」(専門委員会の医師:公開された映像より)
 「変わると思いますよね」(調査委員会の医師:公開された映像より)
 「とにかくあそこ(専門委員会)で調べただけですから」(専門委員会の医師:公開された映像より)

 生命倫理の研究者で、調査委員会に加わった日本大学教授の高木美也子さんは、調査委員会が専門委員会の意見を覆したとの報道に疑問を投げかけます。

 「個人事情というのは一切(考慮に)入れなかったというのが、専門委員会のある種の見方ですよね。だからそれは手続きとしては全部不足していますから、そういう意味ではそういう判定もしようがないかなと。私たちも認めているわけですよ、それはそれで。でも、その上に考慮することが調査委員としてはあるんじゃないかという、社会的な状況や患者の事情とか、そういうことを考慮したりして、ということですよね」(調査委員のメンバー、高木美也子 日本大学教授)

 調査委員会は今回、病気の腎臓の摘出という行為に絞って議論した結果、容認できると判断しました。その一方で、摘出した腎臓を移植したことについては、結論を先送りにしています。

 それに対し日本移植学会などは、今月末にも病気腎移植に対して原則禁止という見解を表明する方針です。(15日18:12)」



こちらの記事は、「報道陣に公開した2時間にわたる映像」の様子を中心としたものになっています。この記事の中から、次の点について言及しておきます。

 「生命倫理の研究者で、調査委員会に加わった日本大学教授の高木美也子さんは、調査委員会が専門委員会の意見を覆したとの報道に疑問を投げかけます。

 個人事情というのは一切(考慮に)入れなかったというのが、専門委員会のある種の見方ですよね。だからそれは手続きとしては全部不足していますから、そういう意味ではそういう判定もしようがないかなと。私たちも認めているわけですよ、それはそれで。でも、その上に考慮することが調査委員としてはあるんじゃないかという、社会的な状況や患者の事情とか、そういうことを考慮したりして、ということですよね」(調査委員のメンバー、高木美也子 日本大学教授)」


要するに、書面による説明と同意がなかったとか、カルテの記載が不十分という手続は不足していたため、その点で不適切という専門委員会(の一部の意見)の意見は認めるが、専門委員会では個人事情を一切考慮しなかったので、患者の状況を考慮すれば、結論が変わってきたというわけです。

専門委員会は医学的な立場から判断し、調査委員会は患者の事情などを含めて臨床的に判断したから、結論が異なったといえるかもしれませんが、優れた医師でなくても、患者の事情を考慮して治療方法や手術を決定するのが医師として通常だと思うのです。「消防士で、何とか働けるようにしてほしい(という)のが一番の願いだった」のに、それはダメだとして手術せず、患者の願いを絶ってしまう方が、本当に患者のための治療なのでしょうか? 

専門委員の考えからすると、専門委員会の委員は、自分の所属する医院おいては、患者の事情を無視した医療を行っていることになりますが、これこそ、患者の自己決定権を無視した専断的治療行為であって違法行為のように思えてしまうのです。こういった会議のビデオ映像など、公表された調査経過を読むと、調査委員会の判断の方が妥当のように思えるのです。


合同会議では適切だったという意見を採っていたのに、マスコミの前では、適切でないなどとコロリと意見を変えるような、雨宮医師はあまりにも問題があります。今後は、専門員会の委員の氏名・所属・専門分野をぜひ公表して頂きたいと思います。日本移植学会から派遣された医師についても同様です。

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2007/03/15 [Thu] 23:54:50 » E d i t
北陸電力は3月15日、志賀原発1号機(石川県志賀町)で1999年6月18日の定期検査中、原子炉格納容器と原子炉圧力容器のふたをあけたままで制御棒を誤って引き抜き、原子炉が約15分間にわたって臨界状態になる臨界事故(核分裂反応で放出された中性子が別の核分裂を起こし、連鎖的に反応が続く状態)があったと発表しました。この報道について紹介しておきます。


1.毎日新聞平成19年3月15日付夕刊1面・11面
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070315dde001040021000c.html

 「北陸電力:制御棒抜け「臨海」、緊急停止遅れる 志賀原発で99年、事故報告せず

北陸電力は15日、同社の志賀原発1号機(石川県志賀町)で99年、停止中の原子炉が突然、臨界状態になる事故が起きた上、緊急停止装置が15分間作動しなかったにもかかわらず、国に報告せず隠ぺいしていたと発表した。原子炉は手動で停止され、外部への放射能漏れはなかった。経済産業省原子力安全・保安院は臨界事故と位置づけ、同日午後に同社の永原功社長を呼び、1号機の停止と安全の総点検を指示する。

 緊急停止隠しはこれまで東京電力、東北電力で計3件発覚している。いずれも原子炉等規制法の報告義務違反にあたるとみられるが、3年の時効が過ぎている。

 北陸電力や保安院によると、99年6月18日午前2時ごろ、定期検査のため止まっていた1号機で、核反応を抑えるブレーキ役の「制御棒」のうち3本が炉から抜けて核反応が始まり、原子炉が臨界状態になった。直後に炉を自動停止させる信号が出たが、緊急停止装置が作動しない状態にしていたため、働かなかった。発電所員が手動で制御棒を戻し、炉は約15分後にようやく停止した。

 当時、原子炉本体である「原子炉圧力容器」と、その外側にあって放射能を封じ込める役割をする「原子炉格納容器」はいずれも、原発の点検のため、ふたが開いていた。保安院は「開いた状態での臨界は想定外で、重大な問題だ」としている。緊急停止装置についても「炉に核燃料が入っている場合、作動できる状態にあるべきだ」として、作動しなかった状態が違法だったかについて調べる。

 1号機の制御棒は89本あり、当初はすべて炉に挿入された状態だった。事故当時は、制御棒が正常に動くことを1本ずつ確かめている途中だった。3本が抜けたのは、所員が制御棒を動かす弁の操作を誤ったとみられるという。

 しかし、同社は緊急停止の問題を国に報告せず、原因も十分に調査していなかった。昨年、データ改ざん問題を受けて保安院から調査を指示され、社員に聞き取り調査をする中で分かったという。【高木昭午】

 ◇隠ぺい、言語道断--元原子炉設計者で科学ライターの田中三彦さんの話

 制御棒を駆動する水圧計に異常があったと思われるが、国内では聞いたことがない。制御棒3本が抜ければ、おそらく約10本の燃料棒が反応を始め、水素が発生してたまれば、爆発の危険もある。隠したというのは言語道断だ。我々が思っていた以上に、緊急停止が頻繁に起きていたことが明らかになるのではないか。

==============

 ■解説

 ◇原発めぐる中核的事故

 北陸電力が隠ぺいしていた原子炉の緊急停止に至る事故は、単なる形式的な情報隠しにとどまる問題ではない。原発をめぐる重要で中核的な諸問題にかかわる深刻な事態だ。制御棒が抜け、一時的に臨界状態に陥った重大事故に関して、8年も事実を隠ぺいした。隠ぺいにより、重大事故の未然防止のための情報も生かされなかったことになる。原発に対する国民の信頼を大きく揺るがせる事態と言える。

 原子炉から抜けた制御棒は、挿入時はブレーキ役、引き抜くとアクセル役となる。停止中のはずの原子炉でそのアクセルが突然踏まれ、緊急ブレーキにあたる緊急停止装置も作動せず約15分間、原子炉は走り続けていた--。今回、明らかになった志賀原発1号機の事故は、そういう事態だったとみられる。

 本来ならば、この二つの大きな事態について公開し、第三者も交えた詳細な調査が必要だ。さらに事故原因を踏まえた安全対策の確立が急務だった。

 北陸電力は社内にも記録をほとんど残していなかったという。徹底した事故原因の究明と、隠ぺいした経緯の解明が、早急に求められる。【大島秀利】

毎日新聞 2007年3月15日 東京夕刊」



 「北陸電力:緊急停止隠ぺい 「想定しえない現象」保安院担当者、表情険しく

 「想定しえない現象だ」。15日正午過ぎに東京・霞が関の経済産業省原子力安全・保安院で会見した同院担当者は厳しい表情で語った。定期検査で停止中の原発が想定外に動き出し、原発の運転で最も重要な緊急停止装置も正常に作動しなかった。しかも、北陸電力側は、これらの事実を一切、国に報告していなかった。原発で相次ぐ情報隠し。不信の連鎖はとどまるところを知らない。

 保安院の市村知也・原子力事故故障対策室長は事故の状況を約30分間説明。市村室長は「重く受け止めなければならない。保安規定に抵触するかどうか調査したい」と語った。

 保安院に続いて北陸電力の室崎純一郎東京支社長が会見。「このような重大な事態が発生し、報告していなかったことは誠に遺憾で深く反省し、おわび申し上げます」と陳謝した。

 ◇命取りの恐れも--久米三四郎・元大阪大講師(核化学)の話

 制御棒は原子炉をコントロールする大事な装置で、これがもし運転中だったら、暴走を起こしていた可能性が高く、非常に重大な問題だ。定期検査だったため、運転員に緊張感がなかったのかもしれない。制御棒に関する運転中のミスは命取りになりかねず、電力会社はなぜこのようなことが起きたのか、十分に調査して対策を講じるべきだ。

毎日新聞 2007年3月15日 東京夕刊」




2.今日は、多くの重大ニュース(プロ野球西武の裏金問題で、早大部員が西部の隠蔽工作を告白、憲法改正手続を定める国民投票法案について中央公聴会日程が22日に決定、米、北朝鮮への金融制裁解除を事実上容認)があったせいか、扱いが小さいようにも感じますが、毎日新聞や読売新聞の夕刊(おそらく)最終版(4版)では1面トップの扱いで大きく紹介していました。それほどの重大で深刻な問題だと思います。


(1) 「停止中の原子炉が突然、臨界状態になる事故が起きた上、緊急停止装置が15分間作動しなかった」ことから、経済産業省原子力安全・保安院は「想定外の重大事象で臨界事故にあたる」と評価しています。

国内の臨界事故では1999年年9月、茨城県東海村の核燃料加工会社JCOで大量のウラン溶液を一度にかくはんしたため臨界に達する事故が起きていて、被ばくした作業員二人が死亡しています(東京新聞平成19年3月15日付夕刊)。ですから、この死者まで出た臨界事故は、実は国内で2例目だったわけです。


(2) 臨界事故であったということ自体も問題ですが、この臨界事故は「所長の判断で運転日誌には書かれなかった」(東京新聞3月15日付)のであり、「北陸電力は社内にも記録をほとんど残していなかった」のです。結局、社内でも隠蔽し、当然ながら国に報告せずに隠蔽していた点も問題です。隠したままでは、今後事故を未然に防ぐことができないままになってしまい、事故の危険性にさらされたままになってしまうからです。

「昨年、データ改ざん問題を受けて保安院から調査を指示され、社員に聞き取り調査をする中で分かった」そうですから、8年も臨界事故を隠蔽したまま、北陸電力は自ら公表する気がなかったわけです。このような会社の姿勢からすると、他にも多くの事故を隠していたのではないかと疑わざるを得ませんし、調査をすれば「思っていた以上に、緊急停止が頻繁に起きていたことが明らかになる」(元原子炉設計者で科学ライターの田中三彦さんの話)ように思えます。

今回は、原子炉は手動で停止され、外部への放射能漏れはなかったそうですし、原子炉建屋内の原子炉周辺には作業員がおらず、被曝(ひばく)事故は起きなかったのは幸いでした。しかし、今回の臨界事故は、保安院から調査を指示されて発覚したわけですが、今後も隠蔽するのではないかとの疑いは消えません。今後も、死亡事故が起きなければ、公表することはないかもしれません。


(3) 徹底した事故原因の究明とともに、原子炉等規制法の報告義務を徹底させるだけでなく、今後は、隠蔽体質は改善できないという前提で、徹底的な監視を行う必要があるように感じます。それができなければ、原子力発電所は廃止の方向へ、原子力政策を転換するしかないように思います。重大事故が起きても社内でも隠蔽してしまい、今後の改善策をとることもしないのであって、到底信頼できないのですから。

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2007/03/13 [Tue] 02:20:40 » E d i t
東京新聞平成19年3月6日付朝刊26・27面「こちら特報部」において、「SOS臓器移植 病気腎移植容認できぬ理由」という表題の記事が出ていました。
大島伸一・日本移植学会副理事長へのインタビュー記事で、この記事自体では、発言内容ついて検証していませんでした。そこで、公平な報道という観点から、大島伸一・日本移植学会副理事長が述べている“病気腎移植を容認できぬ理由”について検証してみることにします。(3月13日追記:誤植など修正しました)



1.東京新聞平成19年3月6日付朝刊26・27面「こちら特報部」の引用を先にして、その後に検証する形で書いていきます。

その前に、記事の最初には、

「宇和島徳洲会病院(愛媛県)の万波誠医師らによって行われた病気腎移植について、日本移植学会など関連五学会の共通見解が今月末にも発表される。否定的な見解となる公算が大きい」

とありますが、関連五学会で合意したわけではなく、決定事項ではないようです。


(1) 

「――病気腎移植について、どう考えるか。

 今の医療ではとても認められない。人にあげてもいいものであれば、本人に残すのが基本だ。ドナー(臓器提供者)を検査して病気とわかったときに治して使うことはあるだろうが。

――問題はどこに。

 医学的な検証や適当な手続きがされていない。またがんやネフローゼの臓器の移植は本来考えられないが、例えば「再発の可能性が低い小さながんで残すのが通常だ」と説明しても、本人が「どうしても」と摘出を希望する場合もあるかもしれない。その場合、通常の医療基準と違うのだから、どうしてそう希望したのかを記録として残すべきだ。さらにリスクを含めて受ける患者がいた場合、初めて次の段階に行く。ただし、これは通常医療ではないので、倫理委員会を通して、医師個人の勝手な判断で行われたことではないことを明らかにして手続きや妥当性を問うべきだ。また手がけた移植手術の七十八件中十一件が病気腎というのは割合が高すぎる。」


他人に移植できる腎臓であれば「本人に残すのが基本」(=修復して戻す)で、本人に残さないという場合は極めて例外的であるはずなのに、「移植手術の七十八件中十一件が病気腎というのは割合が高すぎ」ておかしいというわけです。

これに対する反論は。

 「<え、僕らそんなに悪いことしてますか。最初、万波先生から聞いたとき、『そんなことできるのか』と思ったけどな。正常な腎臓と言うけれど、パーフェクトな腎臓なんてない。脳死や心停止後の摘出となると、もっと条件が悪いんだ。めちゃくちゃなものもある。一種の病気腎や>(中略)

 腎移植に対する西医師の考えだ。二〇〇〇年から〇五年までに手掛けた腎がん手術は計百三十三件。うち、二十四件は部分切除で、「どんなケースでも全摘出を行っている訳ではない」と強調。体力がある六十歳以下の人には部分切除を勧めるが、ややこしい手術は嫌だと、全摘出を選ぶ患者が多いという。
<元に戻せるのなら戻せと言うが、そんなに簡単じゃない。(自分の腎臓を戻す)自家腎移植は、外に出して治療して別の所に移植する。二カ所(腹を)切るから七、八時間に及ぶ大手術になるんだ。七十代の女性は体力的に持たないし、五十代男性は脳梗塞(こうそく)でそちらの処置を優先した。家族が望まれた>」(「病気腎移植―渦中の西医師に聞く」(2006年11月12日四国新聞掲載)


「本人に残すのが基本」(又は修復して戻す)は、どの医師も同じです。問題は、「本人に残さないという場合は極めて例外的」なのかどうかなのです。

「正常な腎臓と言うけれど、パーフェクトな腎臓なんてない。脳死や心停止後の摘出となると、もっと条件が悪いんだ。めちゃくちゃなものもある」

というように、実際上は、病気腎っぽいものが多いのです。
何度も書いていることですが、病腎移植は、万波医師以外の医師も実施してきたのですし、大島氏自身も病腎移植に許可を出したことがあります。大島氏はずっと忘れていたようですが。このように、日本でも以前から病腎移植は決して珍しいものではなかったのです。


「「どんなケースでも全摘出を行っている訳ではない」と強調。体力がある六十歳以下の人には部分切除を勧めるが、ややこしい手術は嫌だと、全摘出を選ぶ患者が多い」

このように、実際上は、全部摘出を望む患者が多いのです。大島氏が言うのと異なり、実際上は、本人が摘出を希望する場合が多いのであって、それが「通常の医療」なのです。

「ステージ1aの腎臓癌に対して、学会側は部分切除が標準的な医療だとしていますが、アメリカでそのような症例に対する、部分切除術は7.5%, イギリスで4%にすぎず、標準医療とは言えないでしょう。日本でも少なくとも半分以上は単純腎臓摘出術となっていると思います。学会が標準的な医療とする根拠を示していただきたいです。」「地獄への道は善意で舗装されている」さんの「藤田士郎フロリダ大学助教授の病気腎移植潰しに対しての見解」

「病気腎移植、万波医師が米学会で発表へ~さあ、日本移植学会幹部はどうする!!!」においても触れましたが、腎癌の標準的手術では腎全摘術が主流なのですから、「部分切除が標準的な医療だ」という日本移植学会の側の方が、「標準的な医療」ではないのです。 


「<元に戻せるのなら戻せと言うが、そんなに簡単じゃない。(自分の腎臓を戻す)自家腎移植は、外に出して治療して別の所に移植する。二カ所(腹を)切るから七、八時間に及ぶ大手術になるんだ。七十代の女性は体力的に持たないし、五十代男性は脳梗塞(こうそく)でそちらの処置を優先した。」

このように、実際上は、戻すのは難しいのです。原則どおりに戻すことを優先させると、かえって患者を死亡させてしまうわけです。大島氏は、戻すことを優先させ、患者が死亡することを少しも気にかけないと理解できそうです。

病腎移植は珍しくない、全摘を望む患者が多い、本人に戻すのは難しい、といった反論からすると、大島氏がいかに実際の腎臓摘出手術、腎臓移植手術とかけ離れたことを言っているのかということが分かります。移植手術の七十八件中十一件が病気腎というのは割合が高すぎ」と非難していますが、これも、いかに楽な手術ばかり実施していたかを自白しているようなものです。ご自分の未熟さを誇ってみせているのであって、ある意味情けなさを感じます。

「県内の泌尿器科医は『自分の患者の手術を確実に成功させたいときは、万波先生の力が必要。』」(「病気腎移植―渦中の西医師に聞く」(2006年11月12日四国新聞掲載)

ここまで評価されるのが万波医師です。腎移植だけでなく泌尿器科の手術すべてについて卓越した経験と技術を有する万波医師と、過去において必ずしも移植が必要なかった患者に対して人体実験まがいの手術を行い、縫合不全で死亡させ、ご自分の未熟さを誇ってみせている大島氏。あまりに違いすぎます。



(2) 

「――病気腎移植推進を望む署名は六万人以上も集まった。手術を受けるか否か、選ぶのは患者の権利だともいう声もあるが。

 移植医療は、第三者を巻き込むという意味で他の医療と大きく違う。移植を受けたい患者は必死。医師としても目の前の患者を救いたい。だけど、いくら目の前の患者が生きる死ぬという状態でも、提供するドナーがいて初めて成り立つ。あくまでもドナーの人権や利益、意思や考えが第一優先で、それが侵されてはいけない。提供される腎臓があって初めて、受ける側の患者の権利が出てくる。そういう構造が移植にあることを押さえておかないと、受ける側の患者の選択の権利ばかりがクローズアップされてしまう。提供側の権利や意思が前提となる大原則が崩れると、ある種の誘導が起きてしまう。」


提供する側の意思が優先であって、受ける側の患者の利益を重視しているような態度はおかしい、というものです。


これに対する反論は。

「<がんに対し、僕らはファイトがわく。でも、生体腎移植に僕は消極的だし、勧めない。健康な人から腎臓を摘出するのは大きなプレッシャーだ。いい結果が得られなければ、せっかくの厚意も無駄になる。一方、病気の腎臓を摘出すること自体は治療行為。(結果的にドナーとなる)患者さんに不利益を与えることはない。同意書もちゃんととっている。僕のメリット? それは一切ない。目の前の患者さんを助けるのが、僕の仕事。技術がないから、病気腎移植はできない>

 <万波先生はピュアな人。地位や名誉なんて、とんでもない。目の前の患者さんがすべてだ。手術の腕も圧倒的だな。自分でニワトリを飼ったり、畑で野菜を作って食っている。昼飯はとらない主義。芋を生でかじっているような人や>
  万波医師と知り合ったのは二十五年ほど前。西医師が県立中央病院に勤務していたとき、腎移植の研修で宇和島へ行ったのがきっかけだ。
  県内の開業医の一人も「まるで修行者。最高の手術で一人でも多くの患者を救うことだけを考えている人」と証言する。」


万波医師や西医師らは、提供側と移植を受ける側、どちらが優先と言う問題ではなく、今見ている患者が優先なのであって、移植を受ける側を優先させてきているわけではないというわけです。

「病気の腎臓を摘出すること自体は治療行為。(結果的にドナーとなる)患者さんに不利益を与えることはない。」

このように、病気腎臓の摘出は治療行為として行っているのであって、移植のために摘出しているわけではないのです。

「県内の開業医の一人も「まるで修行者。最高の手術で一人でも多くの患者を救うことだけを考えている人」と証言する」

このように、いわゆる「瀬戸内グループ」に属してない医師も、万波医師のことを、「病気腎を患っている患者の腎臓を移植のためだけに摘出するような医師」とは評価していないのです。宇和島徳洲会病院の調査委員会でも、患者の状況を考慮すると、病院の6件の摘出については、3件は適切、3件は容認できるとの判断を示しているのです。


大島氏の言葉を読むと、いかにも提供する側の保護を優先しているかのように読み取れます。しかし、日本移植学会元理事長で、現在も委員である太田和夫・東京女子医科大学名誉教授は次のように述べています。

「腎臓は心停止後30分以内に冷やせば移植可能で、提供の意思を生かすことができる。症例数を増やすにはまず、ここがポイントである。医療側はすべての患者について入院時に臓器提供カードの有無をチェックし、本人の意思を確認するなど、事前の情報収集を怠ってはならない。」(産経新聞平成19年3月6日付朝刊19面 【正論】太田和夫 腎移植の環境変化にどう対応するか(03/06 05:25))


要するに、日本移植学会としては、

「すべての入院患者を入院時からすべてドナーとして管理し、把握しておくべきで、入院患者が死亡したらすぐに摘出できるよう準備しておく」

と考えているのです。この考えのどこが、患者保護、ドナー保護なのでしょうか? よく海外投資ファンドのことを「ハゲタカ」と呼ぶことがありますが、日本移植学会の考えも「ハゲタカ」といわずしてなんというのでしょうか? 

もし日本移植学会の考えどおり、入院したら医院全体で患者全てをドナーとして管理されるとなったら(もしかしたら、東京女子医科大学では実施中かもしれませんが)、多くの患者はこう疑心暗鬼になってしまうはずです。

「骨折で入院してもドナー扱い!? マジか!」「本当に適切な医療をしてくれるのだろうか? 万波医師だって最初からドナー扱いなんてしてなかったのに、なんて世の中になったのだ」「もしかしたら、臓器摘出のために、手抜きをして脳死にされやしないか、不安いっぱいだ」

こういった、日本移植学会の考えは、身が震えるほど恐ろしいと感じます。

日本移植学会の考えは、病気腎移植を認めず、患者の命に関係なく病腎を修復したら本人に臓器を戻すことを優先し、入院患者すべてをドナーとして管理するのです。これでは、臓器提供者側を優先するどころか、臓器提供者側と移植を受ける側、どちらも優先しない態度を取っていると感じてしまうのです。



(3) 

「――学会が作る指針は絶対なのか。

 医者は患者より圧倒的に知識が多く、説明の仕方によっては誘導しようとすればいくらでもできてしまう。従って患者は医者の言うことを信用するしかない。だが、医学的な基準があれば、それに照らして自分の場合はどの治療が最適かの説明を求めることができる。それが学会や国が示すガイドラインや基準。学会としては、今行われている標準的な医療を示し、それに照らし合わせて(病気腎移植で)行われたことを判断する。医者と患者がいいと言えばいい、というやり方を認めてしまえば、病気腎移植だけではなく、あらゆる医療が肯定されてしまうことになる。」



これにはかなり反発を感じます。

「説明の仕方によっては誘導しようとすればいくらでもできてしまう。従って患者は医者の言うことを信用するしかない。」

もしかしたら、大島氏は、ご自分が移植したいがために虚偽の内容を説明して誘導をしてきたのではないですか? 自己がしたい医療を実施するために誤った情報を伝えること自体、医療契約上、債務不履行であって許されません。医師の説明次第で、患者の意思は自由に左右できると考えていること自体、患者の自己決定権を軽視していることが窺えます。

「患者は医者の言うことを信用するしかない。だが、医学的な基準があれば、それに照らして自分の場合はどの治療が最適かの説明を求めることができる。」

これも妙な話です。
今、治療を求めている医師の説明に納得できず、最適・最善の治療方法を求めるならば、「医学的な基準」を探して決めるのではなく、セカンドオピニオンを求めるのが普通です。


「学会としては、今行われている標準的な医療を示し、それに照らし合わせて(病気腎移植で)行われたことを判断する。医者と患者がいいと言えばいい、というやり方を認めてしまえば、病気腎移植だけではなく、あらゆる医療が肯定されてしまうことになる。」


大島氏は、「今行われている標準的な医療」を実施することを求めます。しかし、裁判所の立場は違います。医療水準として未確立な療法(術式)、すなわち、標準的な医療を超えた先端的医療について、患者がその療法の適応可能性があり、かつ、患者がその療法の実施可能性等に強い関心を示していることを医師が知るなどの一定の場合には、医師が知っている範囲において説明義務があるのです(最高裁平成13年11月27日判決(民集第55巻6号1154頁))。
この判決は、「有効性・安全性」が是認されていない療法についての説明義務を認めたことを意味するのであって(医事法判例百選119頁〔寺沢知子〕)、「有効性・安全性」の判断につき、医学的な判断に委ねるのでなく、患者の期待や信頼を考慮して判断することになるのです(医事法判例百選125頁〔山口斉昭〕)。

要するに、「今行われている標準的な医療」を説明・実施するだけでは、説明義務違反となる可能性があり、「有効性・安全性」が是認されていない療法であっても、患者へのインフォームドコンセントがあれば、医療行為として許されるのです。これは患者の自己決定権がより尊重されてきている帰結です。ですから、大島氏が言うような「今行われている標準的な医療」を実施すべきと要求することは、最高裁判例に照らして妥当でないのです。

患者が実際上、「あらゆる医療」を肯定するかは疑問ですから、大島氏の「あらゆる医療が肯定されてしまう」というのは杞憂に過ぎません。しかし、病腎移植を認めることは最高裁判例(及びそれ以降の下級審判例判例・仙台高裁秋田支部平成15年8月27日判決)にも合致した考えであるといえます。



(4) 

「――病気腎移植は「原則禁止になる」と報道されているが。

 原則禁止とは誰も言っていない。マスコミが踊っているだけ。学会は学術団体として専門家集団として、今回の病気腎移植がいいか悪いか判定するだけ。行われたことの医学的な意味を判定し、それを受けて、いったい社会はどうするのか。医学専門家としてどうかかわるのか、どういう枠組みで考えるのか分からないが、それは社会の問題。そこからは、われわれには主導権はない。」


原則禁止なんて、誰も言っていないとのことです。


これに対する反論は。

「愛媛県の宇和島徳洲会病院の万波誠医師ら瀬戸内グループによる“病腎移植”は、多くの議論を呼んだ。日本移植学会は関係学会と合同で調査委員会を組織し、実態を調査し論議を重ね、原則禁止とする方針を出した。

 一方、マスコミはこれを臓器移植のトピックの一つとしてとらえ、広範な取材を続け、移植の問題点を議論する機会としている。」(産経新聞平成19年3月6日付朝刊19面 【正論】太田和夫 腎移植の環境変化にどう対応するか(03/06 05:25)



……。日本移植学会の委員である太田氏は、「日本移植学会は……原則禁止とする方針を出した」と言ってますが? 大島氏のインタビュー記事が掲載された同じ日の記事で。 それも、宇和島徳洲会病院の調査委員会は、結論を出していないのに、勝手に「原則禁止とする方針を出した」と虚偽の情報を流しています。

今や、誰もが日本移植学会の幹部が、裏で「原則禁止」と吹聴していると感じているはずです。いまさら、「原則禁止とは誰も言っていない。マスコミが踊っているだけ」なんて、大嘘を付いても誰も信じません。虚偽情報によって、マスコミを踊らせているのは、日本移植学会の幹部ではないのでしょうか? こういう虚偽情報を流すことは、国民の知る権利(憲法21条)を害するのですし、医療不信を増大させるのですから、直ちに止めるべきです。

 「先日の日本臨床腎臓移植学会において、名古屋の先生の病気腎移植の症例報告を採用しなかったのは誰の差し金でしょうか。学会会長の承諾は得ていたのに、日米の医者による病気腎移植のシンポジウムを横やりをいれてつぶしたのは誰でしょうか。また、今度の全米移植議会における万波氏の演題発表をさせないように、今工作しているのは誰でしょうか。これらのことは、そのうち明るみにでます。」(「地獄への道は善意で舗装されている」さんの「藤田士郎フロリダ大学助教授の病気腎移植潰しに対しての見解」


大島氏は、病腎移植につき「学会で発表すべき」とか「オープンに議論すべき」と言っておきながら、実際上は、病腎移植に関する論文を発表させないように画策しているようです。

病腎移植の論文の発表は、学問研究結果の発表です。学問研究結果の発表の自由は、表現の自由(憲法21条)で保障されていると同時に、学問の自由(憲法23条)で保障されています(野中・中村他著「憲法1」(第4版)327頁)。ですから、大島氏が病腎移植の発表を阻止する行動をすることは、表現の自由(憲法21条)や学問の自由(憲法23条)を侵害するものであって違法な行為です(正確には、私人間の問題なので、憲法の人権規定が間接的に適用される)。憲法21条・23条に反するような行動は、止めるべきです。




2.どうやら、臓器不足解消の道は2つに1つになってきたようです。

万波医師らが主張するような「世界的な医療水準に歩調を合わせて病気腎移植を認める道を選ぶ」か、それとも、日本移植学会が示すような「すべての入院患者を入院時からすべてドナーとして管理し、把握しておくべきで、入院患者が死亡したらすぐに摘出できるよう準備しておく」のか、です。

日本の市民はどちらを選ぶべきでしょうか? 後者を選ぶ場合は、自らの身体だけでなく、夫や妻、子供、祖父・祖母など親戚、友人、すべて入院したら、医師や看護師からドナーとして把握されていることを想像してみて下さい。それでも後者を選びますか?

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2007/03/11 [Sun] 19:13:14 » E d i t
オウム真理教元代表の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(52)の控訴審を担当した松下明夫弁護士(仙台弁護士会)と松井武弁護士(第二東京弁護士会)に対して、東京高裁は3月7日、両弁護士会に弁護士法に基づく懲戒請求を申し立てました。

両弁護士が「訴訟の迅速な進行を妨げた」として処分を求めた東京高裁からの刑事訴訟規則303条に基づく「処置請求」に対して、日弁連は2月15日、「裁判所が裁判終結後に弁護士の処分を求める請求は、不適法と判断せざるを得ない」として、2人を処分しない決定をしたため、弁護士法に基づく懲戒請求に踏み切ったものです。「裁判所による弁護士の懲戒請求は1970年以来、37年ぶり」(東京新聞3月8日付)で5件目とのことです。
この報道についてコメントしたいと思います。

その前に問題となった経緯について簡単に触れておきます。

両弁護士は松本死刑囚が2004年、1審・東京地裁で死刑判決を受けた後、控訴審の私選弁護人に就任したが、「被告人には訴訟能力がない」などと提出期限までに控訴趣意書を提出しませんでした。このため高裁は昨年3月、控訴棄却を決定し、特別抗告が最高裁に退けられ同年9月、死刑が確定したのを受けて、高裁は両弁護士の処分を求めたというものです。




1.まずは処置請求について。

(1) 西日本新聞(2007年2月16日掲載)

 「処置請求と懲戒請求

 刑事訴訟規則は弁護人や検察官が法律や規則に違反し、裁判の迅速な進行を妨げた場合、裁判所は日弁連や弁護人の所属弁護士会、検察官に指揮監督権を持つ者に通知し、懲戒処分などの適当な処置を請求しなければならないと規定。また弁護士法は弁護士が同法などに違反し、信用を害したり品位を失う非行があったりした場合、誰でも所属弁護士会に懲戒処分を請求できると定めている。処分は除名、退会命令、業務停止(2年以内)、戒告。

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控訴趣意書問題 松本弁護団処分せず 日弁連決定「高裁の請求、時機逸す」
(2007年2月16日掲載)

 東京高裁が処分などを請求(処置請求)したオウム真理教松本智津夫死刑囚(51)=教祖名麻原彰晃=の控訴審弁護人2人について、日弁連(平山正剛会長)は15日、処分しない決定をした。決定理由で「処置請求は迅速な審理を確保するための制度で、裁判終結後に請求された今回のケースは不適法」との判断を示した。

 東京高裁は「形式的理由で弁護人活動の当否について判断を回避した。決定は極めて遺憾」とのコメントを発表したが、不服申し立ての手続きはなく、新たに弁護士法に基づき、2人の懲戒処分を各所属弁護士会に請求する。最高裁によると、裁判所が弁護士の懲戒を請求するのは1970年以来で、5件目となる。……

 処置請求は刑事訴訟規則に基づくが、請求期限は定められておらず、決定はまず処置請求について(1)裁判所の訴訟指揮権に由来する(2)目的は訴訟の迅速な進行への障害除去や違反行為の継続、反復防止(3)請求できるのは進行確保の実効性を担保するため特に必要な場合−と指摘。「審理が終結し、判決や決定後は請求できない」と解釈した。

 東京高裁は「将来の遅延行為を防止するために請求できる」と主張したが、決定は「制裁を目的とした制度ではない」として退けた。……」


この記事が、日弁連による処置請求の解釈が一番詳しいようです。東京高裁の解釈ははっきりしませんが、「遅延行為防止」を巡って争っていることは分かりますから、日弁連も、東京高裁も、処置請求の性質・趣旨が「裁判所の訴訟指揮権に由来する」もので、進行確保の実効性を担保するということには異論がないと思われます。

東京高裁は、2弁護人の弁護活動の当否を判断して欲しかったようですが、日弁連は「審理が終結し、判決や決定後は請求できない」と解釈して、2弁護人の弁護活動の当否を判断しませんでした。「形式的な法律解釈に終始」したとか、「門前払い」したと評価されているようです。

なお、控訴審の弁護人は、最初2004年2月に松下明夫弁護士と松井武弁護士の2人が選任されたのですが、2005年2月には5人に増員されています(野田・大谷他「麻原死刑」でOK!」(2006年、ユビキタス・スタジオ)20頁)。本来、5人すべてに処置請求する方が公平でしょうが、松下明夫弁護士と松井武弁護士の2人だけを選んで処置請求したようです。



(2) 日本経済新聞平成19年2月16日付朝刊39面

 「2弁護士会見 「懲戒されるべきは裁判官」

 松本知津夫死刑囚(麻原彰晃、51)の弁護人を務めた松下明夫弁護士らは日弁連の決定を受け15日夜、東京都内で記者会見し「東京高裁の不適法な請求は見逃すことはできない。懲戒されるべきは裁判官たちだ」と怒りをあらわにし、不処分は当然との認識を示した。

 松下弁護士は「『請求が不適法』で終わったのは物足りない。麻原氏(松本死刑囚)の精神状態なども検証してもらいたかった」と不満を漏らした。松井武弁護士は「処置請求は弁護活動の萎縮を狙ったとしか思えない」と批判した。

 一方、東京高裁の山名学事務局長は同日、「司法制度改革で弁護士倫理の強化が強く求められているのに、要請無視は極めて遺憾」とのコメントを発表。両弁護士の行為は「弁護士に対する国民の信頼を失わせるばかりか、刑事裁判に対する国民の信頼を損ないかねない」と強調した。」


松下弁護士らは、弁護活動が正当であったと明確にして欲しかったようです。「懲戒されるべきは裁判官たちだ」とまで言っているのですから、懲戒自体をしたことへも不満があるようです。弁護活動が正当と思っているのですから、当然の反応かもしれません。

日弁連の示した決定は「門前払い」(面会もせずに、来訪者を門前で追い返すこと。転じて問題の内容に立ち入らず手続き的な不備などを理由に訴えを退けること)ですから、東京高裁が不満を抱くこともまた当然かもしれません。

ただ、裁判所が判決や決定でしばしば「門前払い」を用いるのですから、「裁判所の日ごろの門前払いへのお返しでもあるまいが」(読売新聞平成19年2月16日付夕刊「よみうり寸評」)と皮肉られています。裁判所の方こそ「門前払い」を止めないと、いつまでも皮肉られるだけであり、裁判所の方こそ「刑事裁判に対する国民の信頼を損ないかねない」門前払いは止めるべきでしょう。


 「解説:弁護活動の当否判断回避 日弁連に批判も

 松本知津夫死刑囚の弁護人らを処分しないとした15日の日弁連決定は、形式的な法律解釈に終始し、弁護人らの活動が適切だったかどうかの判断を回避した。高度な自治が認められる弁護士会の結論は尊重されるべきだが、一般国民には納得しづらい面も残る。迅速な裁判の要請が高まる中、日弁連の対応には批判も予想される。

 刑事訴訟規則に定められた「処置請求」は1960-70年代の公安事件などで相次いだが、弁護士会側が適切な対応をしなかったことなどから長く途絶えてきた。しかし2009年までに始まる裁判員制度では、裁判員を務める国民の負担軽減のために迅速な裁判は不可欠。東京高裁は同死刑囚の死刑確定を遅らせた弁護士らの行動を放置できないと、異例の請求に踏み切った。

 日弁連は「請求は裁判遅延防止が目的で、制裁制度ではない」と判断。裁判終局後の請求を退けた71年の大阪弁護士会の先例などを基に「門前払い」にした。高裁側は「請求の時期を限る規定はない」と指摘したが、日弁連は「法律上も裁判中に限られるのは明らか」とした。

 弁護士は、時には国家権力とも対峙(たいじ)し被告や市民の利益を守る存在で、弁護士活動を縛る制裁発動には慎重さが必要だ。処置請求を受けた2弁護士の代理人に全国の弁護士約600人が就いたことも請求に対する業界の“危機感”をうかがわせる。

 しかし弁護士らの行動が、高裁の公判が開かれないままでの死刑確定につながったのは事実。渥美東洋・京都産業大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「規則からは、裁判終局後は請求できないという日弁連の主張は読み取れない。迅速な裁判を受ける権利を日弁連がどう考えるか示すべきだった。弁護士自治に対する市民の信頼が揺らぎかねない決定だ」と話している。」


この解説で注目すべき点では、

「弁護士は、時には国家権力とも対峙(たいじ)し被告や市民の利益を守る存在で、弁護士活動を縛る制裁発動には慎重さが必要だ。処置請求を受けた2弁護士の代理人に全国の弁護士約600人が就いたことも請求に対する業界の“危機感”をうかがわせる。」

の点です。処置請求がそう容易く認められるようだと、刑事弁護人としての役割に対する危機感が生じると感じている弁護士が多いということだと思われます。これは、単に弁護士自治が脅かされるといったためではないでしょう。



(3) 「処置請求」の規定は次の通りです。

(検察官及び弁護人の訴訟遅延行為に対する処置)
刑事訴訟規則 第三百三条  裁判所は、検察官又は弁護士である弁護人が訴訟手続に関する法律又は裁判所の規則に違反し、審理又は公判前整理手続若しくは期日間整理手続の迅速な進行を妨げた場合には、その検察官又は弁護人に対し理由の説明を求めることができる。
2  前項の場合において、裁判所は、特に必要があると認めるときは、検察官については、当該検察官に対して指揮監督の権を有する者に、弁護人については、当該弁護士の属する弁護士会又は日本弁護士連合会に通知し、適当の処置をとるべきことを請求しなければならない。
3  前項の規定による請求を受けた者は、そのとつた処置を裁判所に通知しなければならない。


訴訟の進行を秩序付けるために裁判所が行うのが「訴訟指揮」ですが、この刑事訴訟規則303条は、裁判所が訴訟を適正にコントロールしようとしたのに「迅速な進行を妨げた場合」への処置を定めたものです。ですから、この規定は、「裁判所の訴訟指揮権に由来」し、審理の進行確保の実効性を担保するためのものと理解できます。

書籍では、訴訟指揮権(刑事訴訟法294条)を解説する箇所に、刑事訴訟規則303条が引用されていることから(田宮裕著「注釈刑事訴訟法」(1980年、有斐閣)323頁、藤永幸治・河上和雄・中山善房編者「大コンメンタール刑事訴訟法第4巻529頁)、刑事訴訟法303条は「裁判所の訴訟指揮権に由来」し、審理の進行確保の実効性を担保するという理解で一致していると思われます。



(4) 日弁連は、「処置請求は迅速な審理を確保するための制度で、裁判終結後に請求された今回のケースは不適法」との判断を示して、処分しない決定をしましたが、東京高裁の山名学事務局長は同日、「形式的理由で弁護人活動の当否について判断を回避した。決定は極めて遺憾」とのコメントを発表したように、「門前払い」の決定に不満を抱いているようです。では、この日弁連の決定は妥当なのでしょうか?

刑事訴訟法303条は「裁判所の訴訟指揮権に由来」し、審理の進行確保の実効性を担保するものですから、審理が終結し、判決や決定が確定した後は、もはやその事件の「審理の進行確保の実効性」は必要ありません。また、訴訟指揮権は「審判活動に本来的に付随するもの」(田宮著「注釈刑事訴訟法」324頁)で、処置請求は訴訟指揮権に由来するのです。そうすると、審理が終結すれば、付随して訴訟指揮権権限も消滅し、処置請求権もまた消滅したといえます。

処置請求は、明文上請求期限がありませんし、遅延行為を防止することにつながる可能性があることは確かです。しかし、どんな権利も通常、行使期限があるのですから、明文上請求期限がないことは何時までも請求できる根拠にはなりません。また、すでに裁判が終結した後は、どのような手続も(再審は除き)その審理に影響させることは不可能ですから、現在の審理の遅延行為を防止するにはなりません。東京高裁は、「将来の遅延行為を防止するために請求できる」としますが、類似の事案はほとんどないのですから、かなり希薄な「将来の遅延行為」の防止にすぎません

このように考えると、日弁連が「審理が終結し、判決や決定後は請求できない」と解釈したのは、妥当な解釈であるということになります。


多少皮肉った言い方になりますが、今回の日弁連の決定は、当然とさえいえるのです。

この処置請求に対しては不服申し立ての手続がなく、処置請求後は裁判所はなんら関与できないことから分かるように、処置請求の判断は日弁連の自由裁量に委ねられています。自由裁量なのですから、日弁連の有利なように解釈することは可能というか、有利な解釈を許容しているのですから、有利な解釈をしたところで、非難するわけにもいかないはずです。むしろ、裁判所との決定的な対立を避けるために、あえて「門前払い」をしたといえるかもしれません。

東京高裁の山名学事務局長は、「司法制度改革で弁護士倫理の強化が強く求められているのに、要請無視は極めて遺憾」と非難していますが、処置請求の規定(刑事訴訟規則303条)からすると、裁判終了後に処置請求を求めた以上、日弁連が有利な解釈をすることは予想できたことであり、型どおりの反応をしてみせたともいえそうです。

このように、日弁連の解釈も東京高裁の反応も予定調和の結果であり、ある意味、茶番劇といえそうです。

朝日新聞平成19年2月16日付朝刊30面では、「《解説》司法改革前の泥仕合に疑問」という表題において、

「オウム裁判の弁護人の行為をめぐる争いは、裁判所が弁護士会に「懲戒請求」というボールを投げ返す事態に発展。弁護士倫理の強化を求める裁判所と、「自治」を重視する弁護士会のメンツがぶつかり合う異例の形になった。……

 問題がこじれた原因の一つは、裁判所と弁護人のコミュニケーション不足だ。引き続き裁判所が自ら紛争の当事者になることに、国民の理解が得られるのだろうか。

 法曹が相互協力して司法制度改革を実行すべきこの時期に、「泥仕合」を続けることには疑問がある。」

と述べています。「メンツをぶつけ合っても意味がないから止めたら?」として、茶番劇であることが分かっているようです。




2.次に懲戒請求について。

(1) 毎日新聞平成19年3月8日付朝刊31面

オウム裁判:東京高裁、2弁護士の懲戒請求 「被告の利益損なう」

 オウム真理教(アーレフに改称)の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(52)の控訴審で弁護人を務めた松下明夫(仙台弁護士会)、松井武(第二東京弁護士会)両弁護士について、東京高裁は7日「控訴趣意書の提出を違法に拒んで死刑を確定させ、被告の利益を著しく損なった」として各所属弁護士会に懲戒請求した。日本弁護士連合会への「処置請求」が先月退けられたため、弁護士会に直接、除名や業務停止などの処分を求めることを明らかにしていた。

 最高裁が把握する限りでは、裁判所による弁護士の懲戒請求は37年ぶり。松下弁護士らは控訴審から松本死刑囚の弁護を担当し、控訴趣意書を05年8月の期限まで提出しなかったため、高裁が昨年3月に控訴棄却を決定し、最高裁も同9月に支持し刑が確定した。高裁の処置請求に対して日弁連は先月「裁判終了後の請求は不適法」と門前払いし、弁護活動の是非を判断しなかった。【高倉友彰】

 ◇混乱長期化も

 異例の懲戒請求は、裁判所と弁護士の「大義名分」が衝突する展開が予想されるが、過去には結論が出るまで10年を要した例もあり早期の決着は考えにくい。問題が長期化すればするほど「不毛な争い」との批判が高まりかねない。

 先に高裁が行った処置請求は、結果的に一度も公判が開かれずに死刑を確定させた両弁護士の弁護活動について「迅速な裁判を妨げた」と日弁連に判断を求めた。その門前払いに高裁は「判断を回避した」と反発、今回の請求に至った。一方、両弁護士は懲戒請求自体が「弁護活動を萎縮(いしゅく)させる」と徹底抗戦の構え。処置請求段階で全国から約600人が弁護団に参加しており、同調する弁護士は少なくない。

 懲戒請求を受けた各弁護士会は、綱紀委員会と懲戒委員会の2段階で調査を行い、その期間はいずれも「半年以内」とされるが、努力規定にとどまる。そもそも控訴趣意書の未提出という今回のケースは極めて特殊で、他事件への波及は想定しにくいうえ、既に判決も確定している。にもかかわらず混乱が続いた場合、司法全体への不信感につながる懸念もある。【高倉友彰】

毎日新聞 2007年3月8日 東京朝刊」


「過去には結論が出るまで10年を要した例もあり早期の決着は考えにくい」のですから、懲戒請求を求めたことにどれほどの意味があるのだろうかといえそうです。

「他事件への波及は想定しにくいうえ、既に判決も確定している。にもかかわらず混乱が続いた場合、司法全体への不信感につながる懸念もある」

といった解説をつけていますが、混乱が続くという意味がよく分かりません。多数のテロ行為や犯罪行為を実行したという極めて特異な事件ですから、どのような判断であっても他の事件に影響しませんし、「過去には結論が出るまで10年」を要するとしたら、より影響力が小さいといえますから。



(2) 読売新聞(2007年3月7日23時33分)から一部引用

 「高裁は同月、刑事訴訟規則に基づき、日本弁護士連合会(日弁連)に両弁護士の処分を求める「処置請求」を行ったが、日弁連は先月、両弁護士の弁護活動について調査をしないまま、処分しないと決定した。このため、高裁は、所属弁護士会が事案の調査を行わなければならないことを定めた弁護士法に基づく懲戒請求に踏み切った。

 懲戒請求書の中で、同高裁は両弁護士の弁護活動について、「趣意書の提出を自らの主張を承諾させるための条件とし、その提出を拒否するという行為は刑事弁護人として考えられない無謀な行為。自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と厳しく批判。さらに、「処分しない」と決定した日弁連についても、「弁護士の法廷倫理の確立に向けての弁護士会の消極的姿勢が顕著」とし、「裁判員制度の導入を目前にして、両弁護士の行為が違法であることを明確にするのは国民に対する弁護士会の責務だ」と、注文を付けた。」


この記事だと、懲戒理由は色々挙げていますが、結局は、あえて控訴趣意書を期限までに提出しなかったことに尽きます。「自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と断罪しても、所詮は、控訴趣意書を提出しなかっただけのことです。控訴趣意書を提出しなれば、当然、公訴棄却され、控訴審で実質審理がなされないのですから。



(3) 東京高裁は、「両弁護士の行為が違法であることを明確にするのは国民に対する弁護士会の責務だ」と述べて、当然に懲戒処分を受けると判断しているようですが、果たして懲戒処分を受けるのでしょうか?

刑事弁護関係において、控訴趣意書を期限までに提出しなかった例について挙げてみます(武井康年・森下弘編著「ハンドブック刑事弁護」444頁参照)。

・ 82歳の国選弁護人が控訴趣意書の提出を怠り、被害者からの慰謝料請求訴訟についても被告人の代理を引き受けたものの、家庭の事情から全て時期に遅れ、敗訴させた。→戒告(処分日時1980.5.23)
・本人自身が控訴した事件の弁護人が、控訴取り下げの説得のほうに気を取られ、控訴趣意書を提出しないまま期限が過ぎ、辞任した。→戒告(処分日時1995.7.27)


このような前例は、過失で提出期限を過ぎてしまった場合ですが、前例に従うならば、松下弁護士らに対する処分は戒告にとどまることになります。

ただ、松下弁護士らは故意で控訴趣意書を提出しなかったのですから、もっと重く処分することになるとも考えられます。

しかし、控訴趣意書の意義についてよく考える必要があります(「刑事控訴審に出る弁護人のやるべこと~特に控訴趣意書に関して」参照)。すなわち、弁護人としては、被告人から不服の理由を十分に聞いた上、第1審判決を分析し、説得力ある控訴趣意書を作成する必要があるのです。控訴審の弁護活動のポイントは第一にこの説得力ある控訴趣意書の作成にかかっているといえるのですから(大出・川崎他著「刑事弁護」(1993年、日本評論社)162頁)。
そうすると、麻原氏と意思疎通なく出来上がった控訴趣意書を提出すると、控訴趣意書の意義の著しく損なってしまうのですから、控訴趣意書を提出することは問題がありました。しかも、この事案は死刑相当事件なのですから、被告人の命がかかっているのですから、どんなに悪人であろうと、その声を聞くことは人としての努めであると思われます。
だからこそ、2弁護人は、あえて控訴趣意書を提出しなかったわけですが、東京高裁は、控訴趣意書の意義について言及するすることなく、打ち切ったのです。

また、東京高裁は「最初から裁判所は『この裁判は2年で終わらせる』『ふつうの裁判と同じようにやる』と豪語」(麻原控訴審弁護人「獄中で見た麻原彰晃」82頁)していたそうですから、元々、ろくに事実の取調べ(刑訴法393条)を行う意思もなければ、十分な審理を行う意思もありませんでした。 そうだとすると、いくら東京高裁が、「自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と断罪してみせても説得力がありません。

死刑相当事件では、マスコミは過剰な報道を行い、弁護人もかなり負担がかかります。特に麻原氏の弁護は、目が不自由で訴訟手続の進行が難しく、起訴時17事件(その後13事件)、1万5000点の証拠、弟子たちの供述調書もなく、3938名に及ぶ殺人及び殺人未遂の被害者(地下鉄サリン・松本サリン。その後18人に絞り込む)といったように、どれも重大事件ですし、立証も弁護も難しい「共謀」を中心に争う事件でした(安田好弘著「『生きる』という権利――麻原彰晃 主任弁護人の手記」参照)。
これほどの事件であるのに、麻原氏の意思を聞かずに訴訟を進めるのを躊躇うと処分を受けるのだとすると、弁護人は、死刑相当事件は手抜きをすることになるか、あるいは誰も死刑相当事件について弁護しなくなる可能性が生じます。

このようなことからすると、松下弁護士らに対して戒告さえもだせるのだろうかと思います。結局は、重くても(一番軽い懲戒である)戒告、もしかしたら懲戒処分なしとなる可能もあると思います。




3.刑事弁護人としては、裁判所の意向に従って、麻原氏の意思が全く反映していない控訴趣意書を提出すればよかったのでしょうか? 素直に従わないと、「自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と断罪されるのは当然なのでしょうか? 控訴趣意書に限らず、弁護人はどこまで裁判所の意向に従わないといけないでしょうか? 

(1) 刑事事件において、被告人の利益を擁護してくれるのは弁護人だけであって、裁判所が擁護してくれるわけではありません。麻原氏の控訴審では、裁判官は、元々、弁護人の意向なんかかまわずに、さっさと審理を終わらせてしまうつもりだったのに、さっさと審理が終わってしまったら、一転して「自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と弁護人を非難するのです。この豹変振りにはついていけません。

誰からも見捨てられた(見捨てられてきた)被告人を、たとえ世界中の人々から「悪魔の代理人」と非難されようとも、断固として護る者、それが、本来の刑事弁護人なのです(佐藤博史「展開講座 刑事弁護の技術と倫理」第2回弁護人の誠実義務と真実義務・法学教室№297 97頁~参照)。松下弁護士らは、本来の刑事弁護人としての態度を貫いたといえます。

被告人の意思を聞かずに控訴趣意書を書いて出すという妥協も可能であったことは確かです。麻原氏は控訴審での実質審理を受ける権利を奪われた結果が生じています。だから、麻原氏の家族が、2弁護人の懲戒請求を求めたのであれば、十分に考慮に値します。しかし、ほとんど実質審理をする気がなかった東京高裁から懲戒請求を求められても、「裁判所としては、望みどおりの結果になったのになぜ非難するのか?」との思いがぬぐいきれません。

だいたい、最終的に「実質審理を受ける権利」を奪うことを決定したのは、裁判所なのです。すべてを弁護人の責任に押し付ける態度はあまりに無責任です。それに、裁判所は、どうせろくな審理をすることなく、死刑判決を出すことに決めていたのですから、「実質審理を受ける権利」を奪ったと非難しても意味がないのです。もっとも、麻原氏は心神喪失状態なので、今のままでは「実質審理を受ける権利」があってもなくても、意味がありませんが。



(2) 日本国民は、刑事弁護人の役割としてどういう態度を求めているのでしょうか? 

刑事弁護人は、たとえ世界中の人々から「悪魔の代理人」と非難されようとも、断固として護る者なのか、それとも、裁判所の意向に従って粛々と審理を進める者なのか……。

後者を選ぶのであれば、日本の刑事弁護人の弁護活動は楽になるでしょうし、当然ながら冤罪事件も急増するでしょう。その結果、例えば、一度死刑相当事件と疑われて起訴されたら、冤罪であっても無罪の可能性はゼロになるはずです。

マスコミのうち、読売新聞は後者を望んでいるようです。

[弁護士懲戒請求]「裁判の迅速化が問われている」

 裁判の迅速化は国民的な要請だ。それを妨げる弁護士の行為に対し、弁護士会は厳しい姿勢を示す必要があるだろう。……

 高裁の処置請求を入り口で退け、両弁護士の不処分を決めた日弁連の決定は、裁判迅速化に向けた法曹界全体の努力を無にするものだとも言えよう。

 裁判員裁判の開始が間近に迫っている。裁判所にとって、弁護士による迅速審理の妨害は、ますます看過できないものになっている。

 弁護士会は、両弁護士の行為が懲戒相当かどうかを審査することになる。訴訟遅延の問題を厳しくとらえ、早急に厳格な結論を出すべきだろう。」(読売新聞3月9日付社説


日本国民が後者を選ぶのならそれで仕方がないとはいえ、その結果がどういう結果をもたらすのかを分かった上で選択して欲しいものです。

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2007/03/08 [Thu] 22:52:45 » E d i t
歌手・森進一(59)さんが、代表曲の「おふくろさん」を歌えなくなる状況に追い込まれています。この「歌手・森進一(59)さんの“おふくろさん”騒動」というのは、「おふくろさん」の歌いだしの前に、オリジナルにはない短い語りが足されているとして、作詞家の川内康範氏(86)が2月20日、都内で怒りの会見を開き「おれの歌はもう歌わせない」と“絶縁宣言”したというものです。

この短い語りとは、

「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした 今ではできないことだけど 叱ってほしいよ もう一度」

というものです。
この「歌手・森進一(59)さんの“おふくろさん”騒動」には、幾つかの法律問題が含まれているので、触れてみたいと思います。



1.事の発端は次のようなことからです。

 「きっかけは昨年大みそかのNHK紅白歌合戦。森が2年連続で歌った「おふくろさん」をビデオで見た川内氏は「ワシの作ったものじゃない」と絶句。歌い出しの前に、短い“語り”とメロディーが付け足されていた。

 「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした…」

 驚いた川内氏が、森サイドに問い合わせたところ、既に他界している作詞家の保富康午さんと作曲家の猪俣公章さんに作ってもらったと説明。しかし、川内氏には一言も説明がなかったため、事情説明の場を17日に設けた。それが当日になって「血圧が180以上あり行けなくなった」と一方的にキャンセルされ、一気に溝が深まった。」(スポーツニッポン 2007年2月20日


この発端で、一方的にキャンセルしたのは交渉を拒否したに等しいと思われてしまうので、まずかったといえます。ただ、この後の対応次第では和解可能だったはずですが、河内氏が、2月20日、都内で怒りの会見を開き「おれの歌はもう歌わせない」と“絶縁宣言”したあとの発言が決定的でした。

「河内氏が、森サイドに問い合わせたところ、既に他界している作詞家の保富康午さんと作曲家の猪俣公章さんに作ってもらったと説明。しかし、川内氏には一言も説明がなかった」

というところには、森サイドの方としては、自分の責任じゃないという意図が窺えます。恩義ある人に作ってもらったとしても、歌わないこともできるのですから、他人の責任と受け取れるような回答をしてしまうのは、まずい対応だったといえそうです。



2.河内氏が、2月20日、都内で怒りの会見を開き「おれの歌はもう歌わせない」と“絶縁宣言”した後、森進一氏は、20日、仕事先の東京・NHKホール前で緊急会見しました。そこで、森進一氏は、次のようなことを述べています。

「川内氏が歌唱禁止を伝えたことに「あの歌は“森進一のおふくろさん”」と反発。謝罪要求にも「理由が分からない」とし、現段階では自ら出向かないことを明言。川内氏は「人間失格」と激怒しつつ、静観する意向だ。

 昨年のNHK紅白歌合戦を端緒にぼっ発した“おふくろさん騒動”。恩師でもある大御所から“歌唱禁止”に追い込まれたにもかかわらず、森は苦笑しながらも余裕の表情を浮かべた。

 「あの歌は自分で言うのも何ですが“森進一のおふくろさん”になっていますからねえ」

 作詞した著作者に対し、自らの歌声だからこそ国民的名曲になったという歌い手としてのプライド。つい先日、亡き母の三十四回忌を終えたタイミングでもあり「歌わせないと言われても困る。僕にとっても大切な歌。1回1回魂込めて歌っている」と思いを語った。

 「先生が大きな心で“(セリフ付きで)いいよ”と言ってくださればいいのに」と川内氏の翻意を求めた。」( スポーツニッポン 2007年2月21日


この記者会見内容は、相当にまずいでしょう。

「「謝罪要求にも『理由が分からない』とし、現段階では自ら出向かないことを明言」「あの歌は自分で言うのも何ですが“森進一のおふくろさん”になっていますからねえ」 「先生が大きな心で“(セリフ付きで)いいよ”と言ってくださればいいのに」」

ここまで言ってしまったことには驚きました。激怒している河内氏に対して、「この歌は俺のものだろ? 謝る気なんてさらさらねぇな、文句言うなよ、心の狭いヤツだ」と言わんばかりのことを言ったのですから。けんかを売っているのと同じです。

森進一氏は、「自らの歌声だからこそ国民的名曲になったという歌い手としてのプライド」があり、だからこそ、“森進一のおふくろさん”と自負があるのでしょう。しかし、歌詞は作詞家、曲は作曲家が著作権を有しているのです。ですから、法律的には、森進一氏がいくら“森進一のおふくろさん”と自負しても、「おふくろさん」の作詞作曲部分は森進一氏に権利がありません。

ずっと「おふくろさん」を歌ってきたらといって、歌い手に、勝手に歌詞を改変する権利はありませんから、著作権に詳しい方に相談すべきでした。森進一氏は著作権に詳しい方に相談してから、記者会見を開いたのでしょうか? もし相談していなくても、河内氏から抗議を受けている以上、河内氏に直接交渉するなどしてから、記者会見を開くべきでした。

この記者会見の内容では、河内氏がイチャモンをつけていると述べているに等しく、侮辱しているのですから、河内氏の怒りを増幅させるようなものです。森進一氏も、河内氏を怒らせないような内容を述べるだけの常識はもっているべきでしたし、森進一サイドの関係者も、記者会見の内容についてチェックをしておきべきでした。たとえ、森進一サイドに理があったとしても。



3.その後、23日、川内氏が宿泊している都内のホテルにアポなしで謝罪に訪れましたが、やはりというべきか面会できず、川内氏にあてた手紙をフロントに預け(手紙の内容は不明)、直接謝罪は持ち越しとなりました(スポーツニッポン 2007年2月24日

その後も、森進一氏は、謝罪のための行動に出ています。

 「森進一(59)が2月28日朝、青森県八戸市内の川内氏の川内氏宅を訪れ、直接謝罪を試みたが、失敗した。

 午前8時過ぎにインターホンを鳴らしたが、不在で応答はなし。雪降る中、15分ほど粘ったが、結局会えずじまいで川内氏宅を後にした。午後1時過ぎに東京駅へ到着した際、待ち受けた約20人の報道陣から「連絡が取れましたか?」などの質問が飛んだが、終始ノーコメントだった。

 森は八戸入りした前日の27日にもアポなしで川内邸を訪れていたが、やはり謝罪できず。」(サンケイスポーツ(2007年03月01日 更新)


これに対する、河内氏の反応は次のようなものです。

 「早期解決を願い、連日“謝罪行脚”を続けている森の行動を、川内氏は「森進一の三文芝居」と切って捨てた。

 川内氏は文書の冒頭で「告ぐ!!吾が真実、無償の愛は何があっても変わりなし!!」と、改めて怒りが収まっていないことを強く宣言。森がアポなしで八戸市の自宅を訪れた際、門を開けて玄関先まで行ったことを「拙宅は『無断侵入禁止』の札を掲げておるにもかかわらず侵入し」と怒り、森が玄関先に置いてきた手土産のようかんについても「何やら土産物を置いていった品物の一切は、(家政婦を通じて)森事務所に宅便にて返送しました。これが私の返事です」と綴っている。」
サンケイスポーツ(2007年03月02日 更新)



森進一氏は、門のところに「『無断侵入禁止』の札を掲げておるにもかかわらず侵入」しているのに、門をあけて入ってしまったのです。河内氏は、余計に激怒したわけですが、森進一氏は、なぜ激怒したのかよく分かっていないようです。

では、河内氏が激怒することには合理的な理由があったといえるでのしょうか? これは、法律的には、「無断進入禁止」という札がある場合に、住人の許可なく門を開けて入ることは、住居侵入罪(刑法130条)が成立するか、住居侵入罪の「侵入」に当たるかどうか、という問題です。

判例によれば、「侵入」とは、建造物への管理権者の意思に反した立ち入りを言います(最高裁昭和58年4月8日判決)。そうすると、「無断進入禁止」という札は、管理権者(住人)が誰も入ってはいけないという明確な意思表示をしているといえますから、原則として「侵入」に当たり、住居侵入罪が成立します。

「原則として」としたのは、諸事情を考慮して判断するからであって、例外があるからです。例外としては、宅急便を届けるためとか、広告のビラを置いてくるといった場合には、管理権者(住人)としても必要としているものであって、文句を言う意思はないはずですから、「侵入」に当たらないといえます。

森進一氏が河内宅に入った事例の場合、河内氏はずっと面会を拒否していたのですから、「無断進入禁止」という札がなくても、河内宅に入って欲しくないはずですので、宅急便を届けるためといった場合と同じ扱いは難しく、例外的に「侵入」にあたらない場合ともいえません

そうなると、森進一氏の行為は住居侵入罪が成立するといえそうです。このように、住居侵入罪に当たる可能性が高いことから、河内氏が激怒することには合理的な理由があったと判断できます。森進一氏は、もっと気をつけて行動すべきでした。



4.一層、怒りに達した河内氏は、楽曲の著作権を管理するJASRAC(日本音楽著作権協会)に対して、「歌詞に意に反する改変があった」との通知を行い、森が川内氏の作品を歌唱できなくするよう訴えました。その結果、JASRAC(日本音楽著作権協会)は、次のような判断を決定しました(「『おふくろさん』のご利用について」)。


「おふくろさん」のご利用について

2007.3.7
社団法人 日本音楽著作権協会
(JASRAC)
利用者各位

 「おふくろさん」(作詞:川内康範氏、作曲:猪俣公章氏)の歌詞の冒頭に保富庚午氏の作とされる歌詞を付加したバージョンについては、著作者である川内氏から意に反する改変に当たる旨の通知がなされており、同氏が有する同一性保持権(著作権法第20条1項)を侵害して作成されたものであるとの疑義が生じております。
 このため、改変されたバージョンをご利用になりますと、川内氏の有する同一性保持権の侵害その他の法的責任が生じるおそれがありますので、ご留意ください。また、あらかじめ、改変されたバージョンが利用されることが判明した場合には、利用許諾をできませんので、ご了承ください。
 なお、オリジナルバージョンの「おふくろさん」は、従来どおりご利用になれます。


具体的には、「コンサートやカラオケ大会で改変バージョンの「おふくろさん」を歌ったり、改変バージョンの「おふくろさん」のCDを出したりすることは、川内氏が持つ同一性保持権の侵害など法的責任が生じるおそれがある」(毎日新聞 2007年3月7日16時36分「JASRAC:「おふくろさん」問題で異例の注意」)ことになります。

JASRAC(日本音楽著作権協会)は、「著作者の権利を守る立場から注意喚起をした」わけですが、この組織は著作権のうちの財産権を管理しているだけですので、強制力を行使することはできません(東京新聞3月6日付26面)。

なお、JASRAC(日本音楽著作権協会)は、作詞家・作曲家・音楽出版者など「権利者」から著作権を預かって、音楽の利用者から支払われる使用料を分配する「著作権管理」を行っています。JASRAC(日本音楽著作権協会)と権利者とはこういった「著作権信託契約」を結んでいるわけです。
ただし、「著作者人格権」は、著作者だけが有する権利(一身専属性)なので、JASRACも著作者人格権の問題には関与できません(JASRACによる、「著作者人格権」の説明参照)。なので、今回のような著作者人格権に関わる問題について、 JASRACが声明を出すのは「異例」であるといえそうです。


こういった判断がでることは、ある程度予測されていました。

「◆日大大学院(刑法)の板倉宏教授(73)
 「著作権法では、著作物の同一性を守る権利が認められており、著作権者が認めていないのに歌詞にない言葉を足すことは著作者人格権の侵害にあたる。(川内さんが)法的措置を取る場合、改変した歌を歌わせない『差し止め請求』や、改変による精神的苦痛に対する慰謝料としての『損害賠償請求』などが考えられる」」サンケイスポーツ(2007年02月21日 更新)



「◆板倉宏・日大大学院教授(刑法)
「無断でせりふを加えて歌った件は著作権侵害にあたります。(「おふくろさん」を正規に歌った場合)著作権を侵害していないにもかかわらず、特定の人物に対して歌うなという訴えには、法的効力は生じません」」サンケイスポーツ(2007年03月05日 更新)



「著作権情報センター(東京・新宿)の相談員によれば、このケースは著作権のうちの著作者人格権の侵害にあたるという。「前例がほとんどないので、最終的に裁判所がどう判断するかは分からない」とした上で「自らの作詞曲を森さんに歌わせないようにする訴えを起こすことは可能」と話す」(東京新聞平成19年3月6日付朝刊26面「こちら特報部」)



短い“語り”の部分は、ナレーションにすぎないとして、同一性保持権(著作権法第20条1項)を侵害しないと判断することも不可能ではないですし、「前例がほとんどないので、最終的に裁判所がどう判断するかは分からない」ので、もし裁判になった場合にはJASRAC(日本音楽著作権協会)の判断が覆る可能性もあるとは思います。

しかし、“語り”の内容は「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした…」という、歌の内容と密接に関わるものですから、単なる歌の説明を超えた内容ですし、歌い手である森進一氏の姿勢を伝えるようなものでもありません。ですから、同一性保持権(=自分の著作物の内容又は題号を自分の意に反して勝手に改変されない権利)を侵害したといえそうです。

ただ、著作権者には同一性保持権があるとはいえ、どのような場合であっても修正を加えてはいけないというわけではなく、著作物の性質、利用の目的及び態様に照らしてやむを得ないと認められる場合には修正が許されます。森進一氏はコンサートにおいて、“語り”の付加をしているようですが、コンサートだからといって“語り”がないと歌いずらく、やむを得ないといった事情までがあるとは考えにくいです。

そうなると、ナレーション扱いは難しく、許される修正ともいうのも難しいと考えます。JASRAC(日本音楽著作権協会)、著作権情報センター(東京・新宿)の相談員や板倉教授は、同一性保持権(=自分の著作物の内容又は題号を自分の意に反して勝手に改変されない権利)の侵害に当たると判断していますが、その判断は妥当であると考えます。



5.刑法上の問題、著作権上の問題を含む“おふくろさん”騒動ですから、森進一氏は、どういう対応をするにしても法的な相談を受けておくべきでした。とはいえ、法的な相談をするかしないかの前に、森進一氏が河内氏に対して、元々、誠実な対応をしなかったことが、“おふくろさん”騒動をこじらせた原因です。

森進一氏は道義的な責任から、当面は河内氏の作詞曲を歌わない方針だそうです。それはこれ以上“おふくろさん”騒動をこじらせないことにはつながるとはいえ、解決には結びつきません。

森進一氏は、河内氏に対して謝罪の意向は伝えていたりして、森の謝罪行脚を行っていますが、正式な謝罪文を発表するということをしていません。最初の記者会見は果たして妥当なものだったのか、“語り”を付け加えたことに対してどう考えているのか、誰も納得しうるような説明を明確にしなければ、仲裁することも難しいでしょう。

河内氏は、森進一氏に対して、

「歌は人の志を運ぶ船。歌の心が分からないだけでなく、常識が欠落したような人間には、私の歌を歌う資格はない」 サンケイスポーツ(2007年03月06日 更新)

とまで言っているのです。河内氏を納得させられるだけの謝罪は、相当に難しいと思います。
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2007/03/06 [Tue] 06:38:46 » E d i t
長野県の田中康夫前知事の在任中、情報公開請求を受けた公文書が破棄された問題について、「知事から破棄を指示された」と証言していた県幹部が1日、「作り話だった」と述べて虚偽の証言をしていたことを認めました。思わず、「……。えっーーーーーーーー!と叫んでしまいそうな報道記事を紹介したいと思います。


1.まずは、本人が「作り話だった」と述べたという記事について。

(1) 信濃毎日新聞3月1日付(03/01 09:00)

 「「田中前知事が破棄指示」は作り話 証言の元県参事

3月1日(木)

 田中康夫前知事の知事後援会元幹部による県下水道公社の入札方法変更関する「働き掛け」の記録文書をめぐり、県会百条委員会の証人尋問などで「知事から破棄を指示された」と証言してきた岡部英則・元県経営戦略局参事(現阿南介護老人保健施設所長)は28日、信濃毎日新聞の取材に対し、「知事室で指示を受けたことはフィクション(作り話)だった」と明かした。県議有志の告発を受けた県警の事情聴取にも同様の供述をしたという。

 元参事は、本紙の取材、その後の県会百条委員会の尋問などで一貫して「2003年10月9日午前に県庁1階知事室に呼ばれ、記録文書を公開しない方向で調整するよう指示された」としてきた。

 取材に対し、元参事は、9日朝知事室で秘書とメモをやりとりしたが、知事室に呼ばれて前知事から指示を受けたというのは「フィクション」で、同日以外にも「知事から直接指示を受けたことはなかった」と話した。虚偽を証言した理由については「知事が文書破棄にかかわっていたことを何とか公にしたい思いがあった。仕方ない手段だった」などと話した。

 元参事によると、同9日朝に経営戦略局職員から文書の公開請求について相談を受け、「知事も承知している」と言われた。「知事のイメージを守ることなどを考え、対応を引き受けた」とし、下水道課長と破棄の打ち合わせに入った。

 その後、知事から排斥された個人的な思いや、知事が文書破棄にかかわっていた可能性が高いと思ったが立証できなかったことで、「(自分が直接指示を受けたと)一石を投じればいろんな事実が浮かび上がり、真実が明らかになると思った」という。

 また、証言を覆した理由について、元参事は、県警の捜査を受ける中で、自分が文書破棄に向けて動きだすよりも前に経営戦略局内で破棄に向けた動きがあったことや知事の関与の可能性が分かってきたため-とした。県警による事情聴取が終わり地検に捜査書類を送付することになったため、明らかにしたという。

 「知事から破棄を指示された」とする元参事の証言をめぐっては、文書破棄問題を調べた県会の総務委員会、百条委員会とも、知事室にいたとされた知事と秘書の証言と、元参事の証言が食い違ったままで、事実か判断しなかった。」


この記事によると、県会百条委員会の証人尋問などで「知事から破棄を指示された」と証言してきた岡部英則・元県経営戦略局参事(現阿南介護老人保健施設所長)が、「作り話」だったと述べたわけです。全くひどい話です。そうすると、岡部証言が一番重要な証拠だったようですので、「知事から破棄を指示された」事実はなくなったことから、田中康夫が行ったとされる公文書毀棄罪の幇助の立証は極めて困難になったといえそうです。

もっとも、「有田芳生の『酔醒漫録』」さんの「田中康夫「書類送付」のでたらめ(2007/03/02)」のコメント欄を見ると、「岡部さんはそんなことを言っていない」と否定しているようです。

しかし、「信濃毎日新聞の取材」に対して自ら「作り話」だったと述べていること、後で引用した「毎日新聞の記事」にあるように毎日新聞の取材に対しても「うそだ」と述べていること、さらに、「県警の事情聴取にも同様の供述をした」というのです。このように、複数の機関に対して強制されることなく述べているのですから、この発言の信用性は高いといえます。今さら否定しても、特に、直積話を聞いている県警は絶対信用しないでしょう。

自ら「作り話」と言っておきながら、いまさら発言を翻しても、岡部英則氏は自己矛盾証言を繰り返す証人であるため、嘘つきの証人ですから、もはやその証言は信用性が著しく低下しています。ですから、仮に、「そんなことを言っていない」としても、もはや岡部英則氏の証言は、田中康夫が行ったとされる公文書毀棄罪の幇助を立証する証拠となりえなくなったといえるでしょう。


(2) 中日新聞(2007.03.02)

 「「前知事指示」は作り話  長野・公文書破棄

 長野県の田中康夫前知事の在任中、情報公開請求を受けた公文書が破棄された問題で、「知事から破棄を指示された」と証言していた県幹部が1日、「直接の指示はなかった。組織内であった破棄の動きを基にした作り話だった」と述べ、虚偽の証言をしていたことを認めた。

 虚偽証言を明らかにしたのは元経営戦略局参事で、現在、県阿南介護老人保健施設所長の岡部英則氏。公文書には、知事の後援会元幹部が地元業者が有利になるよう下水道事業入札制度の変更を、県に働き掛けた内容が記録されていた。2003年10月、一部報道機関の情報公開請求を受け、岡部氏が県職員に命じ、この文書を処分した。

 岡部氏はこれまで「知事室に呼ばれ、知事から公開しない方向で調整するよう指示された」と証言。

 田中前知事は当初から破棄の指示を否定していたが、県議会が真相解明の調査特別委員会(百条委員会)を05年7月、設立。岡部氏は百条委で「指示」を証言したが、最終的に真偽の特定はできず、県議有志らが06年3月、前知事と岡部氏ら3人を公文書棄損ほう助などの疑いで県警に告発した。

 岡部氏は県警の事情聴取にも虚偽を認める供述をしており、県警は先月28日、田中前知事ら3人の捜査書類を長野地検に送付、地検は今月中にも結論を出す。

 岡部氏は、虚偽証言をした理由について「田中前知事が文書の破棄を意図したのは間違いないと思った。前知事は常々開かれた県政と言っていたが、実態はかけ離れていた。態度を改めてもらいたいと思ってやった」と説明している。

 田中前知事が代表を務める新党日本の事務所は「田中代表はコメントを出す予定はない」としている。」



 「岡部氏は、虚偽証言をした理由について「田中前知事が文書の破棄を意図したのは間違いないと思った。前知事は常々開かれた県政と言っていたが、実態はかけ離れていた。態度を改めてもらいたいと思ってやった。」


態度を改めてもらいたいと思って、虚偽の証言で人を犯罪者に陥れるとは、とても理解しがたい説明です。県会百条委員会の証人尋問において偽証したのですから、偽証罪が成立します。そうなると、目的のためには手段を選ばす、犯罪行為という手段さえも厭わないという恐るべき人物です。


(3) 中日新聞(2007.03.02)

 「【広域】 「前知事指示は作り話」 百条委揺らぐ信頼

 知事からの指示は『作り話』だった-。公文書破棄をめぐる田中康夫前知事の疑惑で1日、これまでの証言内容を翻した元県経営戦略局参事(現阿南介護老人保健施設所長)の岡部英則氏。知事の指示の有無は、県議会の調査特別委員会(百条委員会)でも最大の焦点だっただけに、県議の間にも憤りや困惑が交錯した。 

 「知事から指示を受けた場面を図面にまで書き、あたかも真実のように話していたのに…」。百条委の委員を務めた林奉文氏(あおぞら)は、岡部氏の対応に怒りをあらわにした。

 2005年1月に明らかになった岡部氏の証言はその後、県議会総務委員会での集中審議から、百条委員会設置へとつながり、知事疑惑追及の引き金となった。それだけに、百条委の証人要請は4回におよび、慎重な尋問が繰り返された。

 田中前知事を支持していた共産党県議団など3会派は虚偽の証言と判明した1日、共同で声明を発表し、「田中前県政を県民から離反させる政争の具として使われたのは明らか」と百条委の審議そのものへ疑問を投げ掛けた。

 一方、百条委の委員長を務めた小林実氏(自民党県議団)は「心外な思いに尽きる」と感想を漏らした。岡部氏の証言の信ぴょう性については、小林氏は「議会の調査権でも解明できず、司直に委ねたい部分であり、どうしようもない」と話した。

 また、1日の県議会一般質問の中で、この問題を取り上げられ、清水保幸氏(志昂会)は「(田中前知事は)破棄を止められるべき立場であったにもかかわらず、前知事の責任は変わらない」とあらためて、田中前知事の対応を批判した。

 (加藤弘二)」


 「田中前知事を支持していた共産党県議団など3会派は虚偽の証言と判明した1日、共同で声明を発表し、「田中前県政を県民から離反させる政争の具として使われたのは明らか」と百条委の審議そのものへ疑問を投げ掛けた。」


この報道を聞けば、こういった感想が出てくるのはごく自然でしょう。それにしても犯罪行為さえ厭わないとは……。

ところが、清水保幸氏(志昂会)の反応は違います。

「「(田中前知事は)破棄を止められるべき立場であったにもかかわらず、前知事の責任は変わらない」とあらためて、田中前知事の対応を批判した。」


長野県議会の議員は、怖いですね。田中前知事は、犯罪行為によって嵌められた側ですから、犯罪被害者に当たります。であるにもかかわらず非難するなんて、清水保幸氏(志昂会)はどうかしているとしか思えません。



2.今後の行方はどうかというと。Yahoo!ニュース長野県政(3月2日12時1分配信 毎日新聞)を引用します。

田中前知事の元後援会幹部問題:百条委証言「うそだった」--岡部元参事 /長野
3月2日12時1分配信 毎日新聞

 ◇岡部元参事「隠ぺい検証されればと」

 田中康夫前知事の元後援会幹部による県下水道事業への働き掛けを記した文書を県職員が破棄した問題で、岡部英則・元経営戦略局参事(現阿南介護老人保健施設所長)は1日、県議会調査特別委員会(百条委)で「知事から文書を出さないように指示を受けた」とした証言が、うそだったことを明らかにした。この問題では百条委が岡部元参事の証言などを元に、田中前知事の偽証を認定。県議有志は公用文書等毀棄ほう助の疑いで、田中前知事を県警に告発し、現在、地検が捜査しており影響を与えそうだ。

 岡部元参事は百条委の証人尋問で「03年10月9日午前に知事室に呼ばれ、田中前知事から『公開しない方向で調整してほしい』と直接、指示を受けた」などと証言していた。しかし、1日の取材に岡部元参事は「前知事とメモのやりとりはあったが、直接の指示はなかった。うそかと言われればうそだ」と話した。うその証言をしたことについては「前知事から間接的に相談は受けていた。どのように問題が隠ぺいされたか、検証され、オープンになればと思った」とした。【神崎修一】

 ◇総合的に判断

 また、県警は2月28日、公用文書等毀棄(きき)ほう助容疑で告発された田中前知事の捜査書類を長野地検に送付したが、その際に刑事責任を問うことは難しいとする意見を添えたとみられる。岡部元参事が「知事からの指示は作り話」などと述べたことを含め、総合的に判断した模様だ。送付を受けた地検は、同容疑に加え、地方自治法違反容疑についても捜査する。【江連能弘】

 ◇県議会の見解二分

 岡部元参事の虚偽証言について、県議会の見解は二つに分かれた。百条委員会の委員長だった小林実議員(自民党県議団)は「本当だとすれば極めて残念だ。しかし、公文書が破棄されたのはまぎれもない事実。百条委が出した結論とそれに基づいて告発し、県民に真実を示したことは揺るぎない事実だ」とし、百条委の正当性を強調した。

 一方、田中前知事を支持し、証言を疑問視してきたトライアル信州、あおぞら、共産党県議団の県会3会派は会見し、「真実を究明すべき百条委が虚偽の証言に基づいて、告発したのは県民に対する背信行為」とする声明を発表。同党県議団の石坂千穂団長は「百条委が政争の具に使われた結果だ」と指摘した。

 萩原清議長は同日、2日以降の総務委員会で対応を検討するように竹内久幸委員長に要請した。【仲村隆】

3月2日朝刊」



「県警は2月28日、公用文書等毀棄(きき)ほう助容疑で告発された田中前知事の捜査書類を長野地検に送付したが、その際に刑事責任を問うことは難しいとする意見を添えたとみられる。岡部元参事が「知事からの指示は作り話」などと述べたことを含め、総合的に判断した模様だ。送付を受けた地検は、同容疑に加え、地方自治法違反容疑についても捜査する。」


1.で述べたように岡部元参事の「作り話」発言がある以上、重要な証拠が失われたのですから、田中前知事に対して刑事責任を問うことは困難でしょう。

しかも、岡部氏の「知事から指示を受けた」という証言は偽証だったのですから、田中前知事の刑事責任を問うための証拠(岡部氏の証言)自体が犯罪行為であり、それもその犯罪行為が、田中前知事に対して刑事責任を負わせる目的で行われたのです。そうなると、もし裁判になったとしたら、犯罪行為(の影響を受けて)を証拠として起訴したのですから、「公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような」場合(最高裁昭和55年12月17日決定)にあたってしまい、公訴権濫用として公訴棄却になってしまう可能性が高いといえます。
実際上の事案として、公訴権濫用が認められた最高裁判例はありませんから、検察官としては、はじめて公訴権濫用という不名誉な勲章を得た検察官として、未来永劫記憶される気にはならないはずです。送付を受けた地検としては、公用文書等毀棄罪のほう助を起訴することはないと推測しています。


それにしても、気になるのがマスコミ報道です。

 「田中さんをめぐる最近の報道は姑息だ。長野県警が書類送付したという記事を各紙が書いた。なかには写真入りで大きくスペースを割いた新聞もあった。ところが文書破棄を田中知事が指示したと語った県幹部職員の証言がウソだった。本人が認めたのだから、百条委員会はもちろんのこと、書類送検の根拠も崩れた。それなのにこの驚くべき事実を大手各紙が無視するのは異常だ。マスコミが偏向していることはこういうことからも明らかなこと。知らされないのだから「書類送付」ではなく「書類送検」されたという印象だけが残る。大きな問題がウソの上に成り立っていたならば、かつての報道を訂正する記事を載せないのはおかしい。」「有田芳生の『酔醒漫録』」さんの「田中康夫「書類送付」のでたらめ(2007/03/02)」


いくら誤報だったからと言っても、「文書破棄を田中知事が指示したと語った県幹部職員の証言がウソだった」ことは、大きく報道すべきです。延々と県会百条委員会が開かれたことは無意味だったのですし、田中前知事の名誉回復をする必要があります。市民の側も誤解したままでは国民の知る権利(憲法21条)を害しているとさえいえます。


何よりも重要なことは、「作り話」といった犯罪行為によって無実の者を犯罪者に仕立てることは断じて許されないという態度を示す必要があります。犯罪者が無実の者を犯罪者に仕立てることが厳しく非難されないようでは、人間同士の信頼関係は失われ、およそ犯罪行為を取り締まるができなくなってしまいます

マスコミの姿勢以前の問題として、人として最低限なすべき態度が問われているのです。




<3月6日追記>

この問題については、「うるとびーず♪MY LIFE AS AN OKKAKE♪」さんの「康夫ちゃん関連記事です(追記あり)」(March 1, 2007)「康夫ちゃん関連情報」(March 2, 2007)に、関連記事が整理されています。「百条委員会での岡部氏の証言はその都度変わり、矛盾に満ちていました」とのことですので、前から岡部氏の証言は怪しかったといえるわけです。ぜひご覧下さい。



<3月7日追記>

「らくちんランプ」さんの「2007年03月04日 田中康夫前長野県知事を貶める証言をした人物が、証言は嘘だったと告白した!」においても、この問題について論じています。虚偽告訴罪(刑法172条)のおそれがあるのではないかということも触れています。虚偽告訴罪は、人に刑事又は懲戒処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴・告発その他の申告をした場合に成立します。

こちらの「虚偽」は客観的真実に反することを言います(最高裁昭和33年7月31日決定)が、この問題では岡部氏の証言が偽証なら、まず田中前知事の公文書毀棄の幇助の事実はなかったとなるでしょうから、この「虚偽」に当たるはずです。
そして、「申告」は、捜査機関、懲戒権者又は懲戒権の発動を促しうる機関に対してなすことが必要です(山口厚著「刑法各論」596頁)。百条委員会は、懲戒権の発動を促しうる機関ですから、百条委員会で偽証すると「申告」にあたりそうです。そうすると、岡部氏は、虚偽告訴罪にも該当する可能性があります。

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2007/03/05 [Mon] 06:01:43 » E d i t
宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)は3月3日、病気腎移植の妥当性を検証する調査委員会を大阪市内で開き、万波誠医師が実施した11件のうち同病院で摘出した6件について摘出は「適切」「容認できる」とする結論を公表しました。この報道について紹介したいと思います。なお、参考として、「≫この続きを読む」以降の<追記>で毎日新聞の記事を引用しておきます。


1.調査委員会の記事を紹介する前に、明確にしておくことがあります。
今回の「調査委員会の見解要旨」にも出ていましたが、病腎移植問題については、誤報というか、悪意に満ちた報道が多いです。これは、事実を報道すべき報道機関の役割に反していますし、国民の知る権利(憲法21条)を害するとさえいえるでしょう。こんな悪意に満ちた報道をすると、病腎移植について正しく議論ができませんし、市民の間ではますますマスコミ報道を信用しません。最近の誤報(悪意に満ちた報道)について触れておきます。

(1) 「梅毒やB型肝炎、万波医師が感染患者から4人に腎移植」(読売新聞2月17日付朝刊1面)

 「宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波(まんなみ)誠医師(66)らによる病気腎の移植問題で、B型肝炎ウイルスや梅毒の反応が陽性だった患者、感染性の腎膿瘍(のうよう)の患者から摘出された腎臓が、市立宇和島病院(同市)で万波医師により4人に移植されていたことが16日、わかった。」


しかし、この記事は、他の新聞社がいち早く実質的な訂正記事を出したように(「感染症陽性患者からの腎移植も~読売新聞と毎日新聞の記事を比較すると……本当に問題視すべきなのだろうか?」、ことごとく誤報です。

 「1.まず,リード記事で「4人に移植されていることが16日,わかった。……今回のケースもB型肝炎ウイルスなどに感染した可能性がある。」としている点です。以下に述べるとおり,4人のうち1人も感染していないことが明らかになっていますので,明らかに誤っています。

 2.次に,「2種類の検査が陽性で,ウイルスが体内にいる状態であった」「B型肝炎ウイルスが陽性だった」患者から「摘出された腎臓が,市立宇和島病院で万波医師により「移植されていたことが16日,わかった。」「感染してB型肝炎が慢性化すると,肝硬変や肝がんになる可能性がある。移植を受けた患者2人は生存しているが,感染の有無を調べる検査は行われていなかったという。」という点についてです。

 上記記事のうち,誤りの第一は,「移植を受けた患者2人は生存している」という点です。1名はB型肝炎とは全く無関係の術後急性拒絶症で死亡しており,1人だけが生存していますので,明らかに誤りです。

 誤りの第二は,「感染の有無を調べる検査は行われていなかった」としている点です。生存患者について感染について検査を行い感染していなかったことが明らかになっていましたので,明らかに誤りです。

 第三は,万波医師がB型肝炎ウイルスが感染する可能性を全く考慮せず移植したことを前提としている点です。移植については,市立宇和島病院の肝臓専門の内科医,及び同病院で勤務している愛媛大泌尿器科の3名の医師などに相談し,殆ど感染の可能性がないとの意見を得た上で移植し,その結果として感染がありませんでしたので,明らかに誤りです。

 3.次に,「腎膿瘍の腎臓も70歳代の女性から摘出し,移植に使っていた。腎膿瘍は細菌感染などで腎臓が化膿した状態。移植患者は術後1か月で腎機能が低下し,人工透析に戻っていた。」という点についてです。

 誤りの第一は,膿瘍部分を切除しないままで移植したとしか解釈できない内容です。しかし,腎臓提供者の腎臓は重複腎盂尿管という奇形でしたが,上の腎盂・腎杯に膿瘍を術前検査で認めており,上の腎を半分切除して移植していますので,明らかに誤っています。

 誤りの第二は,「再び人工透析に戻ってしまった」原因が,膿瘍の腎臓を移植したことにあると理解するしかない内容であるという点です。人工透析に戻ったのは移植の成果がなかったからであり,膿瘍とは無関係ですので,明らかに誤りです。

 4.さらに,「梅毒に対する抗体が陽性だった」という点も,「主治医は『疑陽性で,いくつかの検査をしたが,若いころ感染した時にできた抗体で,病原体はすでにないと判断して移植に提供した』としている。」という点です。

 提供する側の医師が梅毒が治癒していることを保証しており,移植後に感染していないことが明らかになっています。しかし,医学用語では「偽陽性」と表現すべきところを「疑陽性」と意図的とも思える誤記をし,未だ治癒しておらず感染の可能性が疑われるような内容となっていることは明らかな誤りです。

 また,上記の扇情的な見出し及び記事内容からして,この記載は,梅毒罹患者の腎臓は,梅毒が治癒していても移植すれば移植を受けた患者に梅毒が感染するという誤解を,意図的に与えようとしたものであることは明らかです。そのような誤解を与えないよう訂正されるべきです。」(「徳洲会グループ―2.読売新聞 平成19年2月17日掲載記事について」より)(「徳洲会グループ:「読売新聞の報道は誤っている」 難波紘二・広島大学名誉教授の講演から」)


こういう患者の医療情報は(提供した病院を除き)専門委員しか知らないのですから、リークしたのは専門委員です。しかし、ここまで誤った情報を流すとなると、(読売新聞を貶める場合を除き)この専門委員自身の医学的知識が乏しいと推測できます。また、読売新聞の記者も、疑わずに報道するのですから、万波医師らに対して偏見をもっていて、冷静な判断力を失っているといえそうです。公平な冷静な報道は無理のようです。


(2) 宇和島徳洲会病院の専門委員会が「11件の摘出が不適切と判断した」との結論を出したとの報道(NHKなど多数)

 「当病院の病気腎移植問題に関し,外部の専門家による委員会が,調査した11件の移植のほとんどについて,病気の腎臓を摘出してほかの患者に移植したのは医学的に問題があったと判断したこと,また,翌18日に開かれる当病院の調査委員会にそのような見解を報告する予定であること」(NHK)

 「11件の摘出のほとんどは医学的見地から不適切だったとする下部組織の専門委員会の報告を、完全に覆す内容になっている。」(NIKKINET〔共同〕 (3月3日23:32)



これも誤報です。宇和島徳洲会病院が一番正しい情報を持っているのですから、尋ねればすぐにわかるはずなのに、当たり前の調査をしないのです。

 「(専門)委員会において,本件報道のような結論を取りまとめた事実は全く存在しません。このことは,翌18日に専門員全員が出席して開かれた調査委員・専門員合同委員会の冒頭において改めて専門員全員により確認されております。 上記合同委員会の席上では,専門委員がそれぞれの立場の見解を示したレポートを提出し,その説明を個々に行ったに過ぎず,専門委員としての統一的見解が示されてはいません。 したがって,専門委員会としての合意や統一的見解というものは存在しません。

 また,専門委員の中で,11件の移植すべてについて医学的に問題があったとする見解を示したのは,ただ1人のみです。」(徳洲会グループの「マスコミ各社の誤報について」より)


「専門委員の中で,11件の移植すべてについて医学的に問題があったとする見解を示したのは,ただ1人のみ」ということからすると、この1人の専門委員の誤ったリークに、マスコミがすべて踊らされてしまっていることになります。この1人の専門委員(背後は、おそらく日本移植学会の幹部の指示)にとっては、操り人形のように踊ってくれる日本のマスコミの様子は心の底から笑えるほど楽しいでしょう。しかし、万波医師に理があると感じている市民の側とすれば、アホらしくて見てられません


(3) 「病気腎の摘出時に検査せず 万波氏、移植11件で判明」(朝日新聞3月3日付朝刊1面)

 「宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)で万波誠・泌尿器科部長(66)が実施した11件の「病気腎」移植をめぐり、摘出手術中に摘出の是非や移植の適合性を診断する病理検査が一切行われていなかったことが、外部の専門医らでつくる同病院の専門委員会の調査でわかった。移植しようとする腎臓に病気が見つかった場合は通常、実施されており、専門委員らは「科学的妥当性に欠けた医療行為」と指摘。11件すべてが不適切と認定した。」


この記事も誤報ですが、さすがに朝日新聞以外は報道しませんでした。当然でしょう。すでに指摘したように、専門員会は「11件すべてが不適切と認定」していません。

調査委員会の見解要旨

 宇和島徳洲会病院の調査委員会が三日発表した見解の要旨は次の通り。
 【新聞報道について】
 摘出手術中に病理検査が一切行われなかったとの記事が掲載されたが、誤りと確認。腎がんでは術中生検も行われ、記録も残っている。」


記録という証拠も残っているのに、「摘出手術中に病理検査が一切行われなかった」なんて、電話をかけて確認すればすぐにばれてしまうことをよくも報道できたものです。朝日新聞もまた、当事者に確認するという報道機関としての基本事項を遵守しないようです。

最初の頃から誤報が気になっていたのですが、ここまでずっと誤報が続くと、日本移植学会の幹部から金銭の授受があって、意図的な「万波つぶし」を行っているのではないかと疑いたくなります。病腎移植が禁止されて困るのは、日本の市民です。そこをよく考えて報道すべきです。日本移植学会が世界のホンモノの専門医から馬鹿にされててもどうでもいいですが。




2.では、本題に入ります。報道記事を幾つか紹介します。この3つで大体の内容は分かると思います。間違いのない報道記事を見つけるのが難しいということもあります。

(1) 東京新聞平成19年3月4日付(日曜日)26面(産経新聞同日3面にも掲載)

 「調査委員会の見解要旨

 宇和島徳洲会病院の調査委員会が三日発表した見解の要旨は次の通り。
 【新聞報道について】
 摘出手術中に病理検査が一切行われなかったとの記事が掲載されたが、誤りと確認。腎がんでは術中生検も行われ、記録も残っている。
 【調査委員の意見】
 各委員から万波誠医師へ<1>腎臓内科の専門医に問い合わせるなどほかの治療方法も検討すべきだった<2>(尿管狭窄=きょうさく=の腎臓について)複数の治療法が説明されており、摘出自体も問題ないのでは、などの意見があった。
 【万波医師の回答】
 <1>患者が死にかけているのに、ほかの治療法を考えている余裕はない<2>(尿管狭窄について)本人には一日でも早く社会復帰したいとの希望があり摘出した、と回答。
 【調査委員から専門委員への指摘】
 専門委員の中に、十一件の移植に「不適切」との意見を出した委員がいた。万波医師は「個々の症例についてあまり質問を受けなかった」と話しており、調査としては不十分。専門委員も、説明を聞けば結論が異なることもありうると認めた。
 【結論】
 委員会として、病院の六件の摘出については、三件は適切、三件は容認できると判断した。
 移植医療は、倫理的視点などに立ち、第三者から見ても可能な限り妥当でなければならない。
 倫理委員会の手続きが踏まれていなかった、書面でインフォームドコンセントがなされていなかった―などは誠に残念で、問題があったと言わざるを得ない。
 しかし腎臓売買の問題発生後、病院は移植全件で倫理委員会の開催を義務付けるなど、体制は整っており評価できる。
 現時点で病気腎移植を完全に否定することはできない。透析患者の負担やドナー不足などの現状からみて、病気腎移植を受ける患者の選択権を奪うことはできない。
 その適否は、今後の公正な臨床研究などによる発展的な解決に委ねるべきだ。」



(2) NHKニュース(3月3日 23時24分)

 「病気腎移植 手続きには問題

 愛媛県の「宇和島徳洲会病院」で病気の腎臓が別の患者に移植されていた問題で、病院の調査委員会は、手術の手続きについては問題があったとする見解を示しました。一方、移植が適正だったかどうかは、今後、あらためて結論を出すことになりました。

 この問題で、「宇和島徳洲会病院」は、万波誠医師が中心になって行った11件の手術について、日本移植学会などの外部の専門家も交えた委員会を作って、腎臓の摘出や移植が適正だったかどうか検証を続け、3日は執刀した万波医師本人から直接、説明を受けました。そのうえで、調査委員会としての見解を発表しました。

 この中で、手術の手続きについては、患者からの同意を文書に残していなかったり、倫理委員会を開いていないなど、病院側、万波医師双方に問題があったとしています。しかし、外部の専門家から「医学的に問題がある」と指摘された「腎臓の摘出」は、病院で行われた6件については、万波医師から説明があった個々の患者の状況などから判断して、「適切だった」あるいは「容認できる」としました。さらに、11件の移植が適正だったかどうかは、今後、あらためて委員会を開き、結論を出す方針を示しました。そのうえで、調査委員会は「現時点において、医療の選択肢として、こうした移植を完全には否定できず、今後の研究に委ねるべきだ」とする見解を示しました。

 外部の専門家として調査にあたった日本移植学会の雨宮浩医師は「移植学会としては、摘出すべきでない腎臓を摘出したうえ、移植を受ける患者の選択のしかたにも問題があったと考えており、今の段階で病気腎移植を認めるわけにはいかない。外部の専門家の意見は調査委員会の見解に併記されるものと考えている」と話しました。」(注:原文に段落分けをしました)



(3) 日テレNEWS24<3/4 0:57>

 「調査委「病気腎移植、完全に否定できず」<3/4 0:57>

 万波誠医師が愛媛・宇和島徳洲会病院で行った病気腎移植について調査する院内の調査委員会が3日、大阪市で開かれ、委員会は「病気腎移植は完全には否定できず、臨床研究を進めるべき」との見解を示した。
 宇和島徳洲会病院の調査委員会では、外部の専門家も交え、万波医師が宇和島徳洲会病院で行った11件の病気腎移植について、医学的妥当性を協議した。その結果、同意書を取らないなど移植の手続きに不備はあったものの、病気の腎臓を摘出したことについてはほぼ問題がなかったとした。その上で「病気腎移植は完全には否定できず、臨床研究を進めるべき」との見解を示した。

 これを受け、万波医師は会見で「私からすると(この結果は)当然だと思う。国が病気腎移植の道を容認すれば、また病気腎移植をする」と述べた。

 委員会は、5月に行われる万波医師の全米移植学会での論文発表を踏まえた上で、最終的な結論をまとめるとしている。

 一方、日本移植学会など5つの学会は、病気腎移植を原則、禁止する方向で統一見解をまとめる方針。」



これらの報道からすると、宇和島徳洲会病院の調査委員会の結論のポイントは、次の通りです。

(1) 医学的環境や個々の患者の患者の状況から判断すると、摘出手術11件のうち6件の摘出手術は適切又は容認できる。

(2) 手術の手続上は、万波医師と病院側双方に問題があった。問題点は、患者の同意書を残していなかったことと、倫理委員会を開いていなかったことである。ただし、現在では、問題点は解消している。

(3) 透析患者の負担やドナー不足などの現状からみて、病気腎移植を受ける患者の選択権を奪うことはできない。今後の臨床研究を待つべきである。患者の切実な必要性という現実と、病腎移植においても患者の自己決定権を重視すべきだから。

(4) 11件の移植手術については、6月以降(時事通信による)最終報告をまとめる。5月に行われる万波医師の全米移植学会での論文発表があるため、「世界の先端的な知見を加え」総合的に判断する方が妥当だから。


勘違いしているブログもあるようですが、当然ながら、病気腎の摘出手術の医学的妥当性と、病気腎の移植手術の医学的妥当性と、手術の手続上問題があったこととは別問題です。
要旨だけですと、書面でのインフォームドコンセントがなかったとして、説明書と同意書がなかった両方を問題視しているようですが、他の報道記事からすると、同意書がないことを問題視したようです。もちろん、同意書がないことは、同意がなかったということではありません。

報道では、調査委員会の報告のほかに、万波医師へのインタビューがあったようです。万波医師は、「国が病気腎移植の道を容認すれば、また病気腎移植をする」と述べているように、国として認めて欲しいと要望しています。病腎移植の容認は、万波医師を支持する元患者側の要望でもあります。全米移植学会での論文発表、その影響次第ということもあるでしょうが、政治家への働きかけが必要になってくると思います。




3.「なぜ、専門委員の一部の意見と、調査委員会の結論と食い違う結論になったのか?」について、各紙は次のように触れています。

(1) 読売新聞3月4日2面

 「[解説]公平な判断と言えず

 懸念された事態がやはり起きた。11件の病気腎移植を検討してきた宇和島徳洲会病院の調査委員会は、万波医師を何とかして守ろうとする姿勢が当初から見え隠れしていた。3日の「結論」が公平な判断とは、とうてい言えない。厚生労働省の調査班など、第三者の立場の機関が、改めて調査を行う必要がある。

 調査委の委員13人のうち、9人が同病院スタッフや徳洲会の専務理事ら徳洲会関係者。患者の聞き取り調査をしたのも徳洲会が依頼した弁護士だった。

 客観的な事実を解明して、偏らない立場から評価を進めるのが、外部委員を含む調査委員会の役目だ。だが、院長ら病院関係者は、「医療行為は適切」という立場を明らかにし、徳洲会の機関紙も毎号、病気腎移植を擁護するキャンペーン記事を載せていた。

 前回の委員会でも、専門委員からは「容認できない」と、医学的な評価は明確になったが、徳洲会関係の委員が「万波医師の話も聞くべきだ」などと主張、結論を持ち越した。身内ばかりが多い委員会で、適切な調査結果が出せるだろうか。

 移植医療と同様に、調査も「オープン・フェア・ベスト」に行われなければ、日本の医療に禍根を残しかねない。(大阪科学部 阿利明美)

(2007年3月4日 読売新聞)」


要するに、調査委員会は身内ばかりで判断しているので、調査員会の結論は公平・適切な判断結果でははく、専門医の方が適切な判断結果である、ということです。

確かに、身内による判断は公平性を担保できないと指摘を受けてしまうでしょう。しかし、身内だからと言って、適切な判断結果でないというのは言いすぎです。重要なことは、どちらが妥当な判断を行っていたかどうか、です。

調査委員会の見解要旨に出ているように、専門委員は、個々の症例について質問をすることなく判断していますが、医療行為自体、個々の患者の状態を見て判断するのが通常ですから、カルテだけで医学的妥当性を判断することは無理があります。しかも、綿密にカルテに記載しているわけではなかったようですから、元々、カルテだけで判断するのは不可能でしょう。病腎移植を否定する、専門委員の一部の意見には問題があります。

だいたい、問題が生じた場合、どんな組織であっても身内の委員を入れて判断するのが通常です。身内が関与しない手続は裁判制度くらいです。ですから、「身内ばかりが多い委員会で、適切な調査結果が出せるだろうか」という疑問の投げかけは意味のある批判とはいえません

公平性が問題だといっても、日本移植学会の幹部はカルテを見る前から、万波医師に対して批判していたのですから、日本移植学会の幹部の息のかかった人物が判断することもまた、公平性を欠くものといえます。

このようなことから、「調査委員会は身内ばかりで判断しているので、調査員会の結論は公平・適切な判断結果でははく、専門医の方が適切な判断結果である」という判断は妥当でないと考えます。

色々書いてきましたが、読売新聞が問題視するような「公平性」は、もう問題ありません。万波医師は、5月にATCで論文を発表するのです。この会合には、遅れた医療水準を妥当なごとく唱える、日本移植学会の幹部もいなければ、徳洲会の身内もいません。しかも、腎移植では日本一といえる万波医師以上の技量と手術数を誇る、世界の本物の移植医たちを含めた多数人が判断するのです。これ以上の“第三者の立場の機関”はありません。ATCでの評価こそ尊重に値すると思います。読売新聞は、公平性を問題にしたのですから、必ずATCでの評価を尊重すべきです。


この解説には、許しがたい部分があります。

「調査委の委員13人のうち、9人が同病院スタッフや徳洲会の専務理事ら徳洲会関係者。患者の聞き取り調査をしたのも徳洲会が依頼した弁護士だった。」


弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とし、その使命を自覚し、自らの行動を規律する社会的責任を負っています。そして、「真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする」というように、信義誠実義務(弁護士職務規程5条)も負うといった弁護士倫理を遵守しなければなりません。

もちろん、弁護士の中には、社会的責任に反したり、弁護倫理に反する者もいるでしょう。しかし、依頼人から依頼を受けたからといって、徳洲会が依頼した弁護士だからといって、患者の聞き取り調査を真実に反して行ってるかのように書くことは、弁護士の使命・職務を全く理解しない、ひいては司法制度・裁判制度に対する無知を晒した物言いであって、弁護士全体に対する侮辱です。読売新聞は、認識を改め、直ちに訂正すべきであると思います。



(2) 朝日新聞3月4日付39面

 「万波氏の主張に配慮

 「患者の選択肢は奪えない」。病気腎移植の舞台となった宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の調査委員会がまとめた結論は、「万波移植」を医学的に問題視する専門医らの意見を受け入れず、600例以上の移植実績を誇る万波誠医師(66)の主張に最大限配慮した内容となった。」


要するに、万波医師の主張に配慮して判断したから結論が異なったのであり、万波医師の主張に配慮することはおかしいということです。

しかし、万波医師は移植を行った当事者なのですから、その主張を聞くのは当然のことです。専門員会が、当事者である、万波医師の主張を聞かずに判断を下したことの方がおかしいのに、万波氏の主張に配慮することの方がおかしいかのような見出しと記事を書くことこそ、おかしいのです。



(3) 毎日新聞のHP

◇専門医と別判断…問題の複雑さ示す

 日本の移植医療を大きく揺るがした万波誠医師(66)らによる病気腎移植を巡って宇和島徳洲会病院の調査委員会は3日、6件の摘出手術について「摘出は臨床的に見れば適切、または容認できる部分もある」と、すべて「問題あり」とした同委員会下部組織の専門委員会とは別の判断を示し、この問題の複雑さを見せつけた。

 調査委員会は13人の委員で構成され、うち9人が徳洲会関係者。このため調査委員会後の会見では、二つの委員会の判断が異なったことに質問が集中した。これに対して、調査委員の古賀祥嗣・東京西徳洲会病院腎臓病総合医療センター長は「カルテだけでなく、万波医師の話を聞いた結果」と説明した。

 一方、同委員会メンバーで専門委員でもある雨宮浩・日本移植学会元理事は困惑したような表情で「報告書は両論併記。専門委員会は医学的な立場から判断。調査委員会は患者の事情などを含めて臨床的に判断したので、どちらも間違いではない。立場の違いということだ」と説明。「我々は専門委員会としての話を調査委員会に出しているが、最終的にどうするかは徳洲会の判断。僕らにはどうしようもない」と話した。

 この日調査委員会に約3時間にわたり、病気腎移植を実施した経緯について説明した万波医師はこの後、疲れた表情で会見した。摘出6件を適切または容認できるとした調査委の判断について「当然だと思う。(不適切とした)専門委員会の先生たちはカルテを見ただけで、私が患者とどう向き合って摘出を決めたか理解されていなかったのではないか」。」


要するに、専門委員会は医学的な立場から判断したのであって、調査委員会は患者の事情などを含めて臨床的に判断したから、結論が異なったのであってどちらも間違いではないということです。

専門医と臨床医の違いという、この判断が一番妥当なものといえそうです。ただ、専門委員の方は、読売新聞平成19年2月17日掲載記事の誤報で分かるように、あまりにも医学的知識が乏しい専門委員が存在しますから、どれほどの医学的知識にも基づいて「医学的な立場」から判断していたといえるのか大いに疑問です。



(4) 東京新聞3月4日付26面

 「外部の専門家が多く、移植に批判的だった下部組織の専門委員会とは食い違う結論。調査委の多数を占める徳洲会側の調査委員の1人は「専門委員はカルテだけで判断しているが、万波先生の話を聞けば考えが変わるはずだ」と万波医師を擁護する。

 一方、「専門医としての意見とは食い違うのではないか」と問われた調査委員で専門委員を兼ねる雨宮浩氏は「整合性は難しいですね」と苦渋の表情。やがて「専門委員はあくまで純医学的な見地。調査委員は患者の生活などの問題を含めて調査する。私個人の意見というより調査委員の意見だ」と言葉をしぼり出した。」


これも毎日新聞と同じ説明です。要するに、専門委員会は医学的な立場から判断したのであって、調査委員会は患者の事情などを含めて臨床的に判断したから、結論が異なったのであってどちらも間違いではないということです。




4.日本移植学会の幹部(大島氏など)は、最初から万波医師批判を繰り広げ、マスコミ各社(産経新聞や東京新聞は除く)は常に操り人形のように踊っていますが、個人的にはどうしても一緒になって踊る気になれません。

万波医師は、腎移植につき(個人では)日本一の手術経験があり、泌尿器科医として極めて優れた技量を有する医師ですから、泌尿器科医、腎臓の移植医としては、日本では万波医師を明らかに上回る医師はいないのかもしれません。しかも、(患者のコメントによると)手術後のケアもしている医師であり、病腎移植も良好な結果が出ているという客観的事実があることから、だからこそと言うべきか、ほとんど患者が万波医師を非難していないのです。

これに対して、日本移植学会の大島氏は腎移植の専門医だそうですが、専門医としてあまりに医学的知識が乏しいのです。

 「初めは動脈瘤を移植に使うのはけしからんと言っていました。それが事実論破された。他病院でも一杯やっていました。大島伸一・日本移植学会副理事長がOKを与えた症例もあります。そのために反論できない。それで腎がん、尿管がんを使ったの、がんが移ると言いました。しかし、移っていませんし、転移もしていません。それは事実で証明しました。がんは遺伝子病で、伝染病ではありません。がんに関しては、外国には多くの文献があります。呉共済病院の4例は、アメリカの『トランスプランテーション』という(医学)雑誌に投稿して受理が決まっています。

 ネフローゼに関しては、摘出報告例があります。愛媛県立中央病院で、しかも大人のネフローゼに対して86年に上側腎摘出をやっています。子どものネフローゼは4例を都立の清瀬小児病院で89年にやっており、これは雑誌に報告されています。そのほかにもドイツのハノーバーから、大人のネフローゼで腎臓を摘出する以外に、治療法がないという論文が書かれています。メルクの『フィジシャンズ・マニュアル』は、インターネットで読むことができますが、一番新しい2007年版に、「大人の重症のネフローゼは、腎摘出が必要になる場合もある」と書いてあるのです。」(「読売新聞の報道は誤っている」難波紘二・広島大学名誉教授の講演から:徳洲新聞 2007年(平成19年)3月5日 月曜日 No.559 3面より。)


こういった人物であるのですから、とても大島氏の医学的主張を信用するになれないのです。

大島氏がよく言っていた「がんのあった臓器の移植は禁忌」という発言にも問題があります。医療上行ってはならないという「禁忌」には、個別の比較をすることなく許されない「絶対禁忌」のほかに、具体的な状況次第では許される「相対禁忌」などがあります。しかし、禁忌とされている医療行為であっても、人によって絶対禁忌か相対禁忌に分かれるなど、禁忌性は画一的に決まらないのです(弁護士 上田和孝著「実務 医療過誤訴訟入門」45・46頁)。画一的に決まらないものであるのに、「禁忌」と言えば納得させられると思っている大島氏の医学的知見は、到底信頼できるものではありません

専門委員が万波医師に対して、個々の症例についてあまり質問をしなかったそうですが、質問しなかったのは、専門医としての知識が乏しいのが暴露されるのが怖かったからではないかと思えてきそうです。日本移植学会から派遣された医師は「実際に自家腎移植を執刀したことがない医師がほとんど」(「病気腎移植問題~大島伸一・移植学会副理事長は万波医師を非難する資格があるのか?」のコメント欄参照)だそうですから。

これほど万波医師と他の専門医との間で、医師としての能力に差異があるようだと、病腎移植に関して、摘出手術の医学的妥当性、移植手術の医学的妥当性を判断することは無理なのではないかと思うのです。そうなると、万波医師を超えるほどの「世界の先端的な知見」を有する、全米移植学会に評価してもらうことが最もベストな判断であると思います。


調査委員会は、11件の移植手術につき、5月に行われる万波医師の全米移植学会での論文発表による評価を考慮した上で、最終報告を行うとしていますが、その判断は妥当なものであると考えます。
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2007/03/03 [Sat] 05:32:53 » E d i t
金曜プレステージ『会いたかった~向井亜紀・代理母出産という選択~』<2007年3月2日(金)21時~22時52分放送>が放映されました。この番組を見たというブログが多く、「涙が出てきました、すっごく感動しました」という感じで、向井亜紀さんはもちろん、代理出産へも好意的な評価につながったようです。
代理出産問題に関する良い番組でしたので、この番組についての記事を紹介したいと思います。<追記>として、フジテレビの番組紹介を引用しておきます。他にも、向井亜紀さん役を演じた、松下由樹さんのインタビュー記事(読売新聞2月26日付夕刊16面もあります。


1.まずは、各紙の番組紹介。
ちなみに、朝日新聞3月2日付の「試写室」だけは、「ドラえもん」(★朝日夜7・00)の紹介でした。朝日新聞はフジサンケイを毛嫌いしていますし(苦笑)、関係する局番組の宣伝優先で、代理出産はどうでもいいのでしょう。

(1) 読売新聞平成19年3月2日付朝刊40面「試写室:金曜プレステージ「会いたかった~向井亜紀・代理母出産という選択~」(フジ=後9.00)

 「家族の絆と優しさ描く力作

 米国での代理母出産で双方の子どもを授かったタレントの向井亜紀が、自らの体験をつづった作品をドラマ化した。2002年に放映された「16週」の続編で、松下由樹=写真右=が再び向井役を演じる。

 子宮けい部のがん手術から2年、向井は代理母出産を考え始める。当初、妻の体調を案じてためらいを隠せなかった夫・延彦(沢村一樹=同左)や母(長山藍子)も、向井の熱意に打たれ、同意する。米国で代理母が見つかり、2人は代理母出産に向け、渡米する。しかし、放射線治療と抗がん剤の影響で向井の卵巣機能は低下し、代理母出産は2度失敗。その後、記者会見を開いて代理母出産への挑戦を公にしたため、周囲からの風当たりも強くなる。

 松下の出演は、向井自身が希望していたという。その期待通り、時に強く、時にもろい向井の心情を松下がていねいに演じている。テーマこそセンセーショナルだが、描かれている家族の絆(きずな)や優しさは普遍的。話題先行ではない力作に仕上がっている。(律)」



(2) 毎日新聞平成19年3月2日付朝刊32面「視聴室」

 「金曜プレステージ「会いたかった~向井亜紀・代理母出産という選択」

 ◆金曜プレステージ「会いたかった~向井亜紀・代理母出産という選択」(フジ=後9・0)

 ◇強い意志で悲願果たす

 タレントの向井亜紀が代理母出産で双子の母となるまでをつづった本をドラマ化した。

 向井(松下由樹)は妊娠直後に子宮頸(けい)がんが分かり、子宮摘出を余儀なくされる。母に捨てられた経験がある夫の高田延彦(沢村一樹)に、子供と暮らす明るい家庭を知ってもらいたいという思いから、向井は代理母出産を決意する。渡米した向井は「受精卵が着床する確率は3%」と宣告され、実際に2度失敗。思い悩む向井を、家族が懸命に励ましていく。

 周囲の心ない声にも「パイオニアはつらいものよ」と語る場面が印象的。日本では代理母出産の子供は戸籍上認められておらず、出生届受理を拒否した東京都品川区役所との争いは裁判に持ち込まれた。1審は区役所を支持、2審は受理を命じ、結論は最高裁に委ねられている。(進)

毎日新聞 2007年3月2日 東京朝刊」



(3) 東京新聞平成19年3月2日付朝刊13面「試写室」

 「『会いたかった~向井亜紀・代理母出産という選択』
★フジ=後9・0


 タレント・向井亜紀の実話を基にドラマ化。脚本・旺季志ずか、演出・高丸雅隆。

 子宮頸(けい)がんの手術で、おなかに宿った小さな命をあきらめざるを得なかった亜紀(松下由樹)は、後悔と悲しみの日々を送っていた。亜紀は子どもがほしいという夢をあきらめられず、代理母出産の意志を固める。その後、代理母になってくれる女性が見つかり、亜紀は夫の高田延彦(沢村一樹)と渡米。担当医師は成功率3%と厳しい現実を告げるが…。

 「なぜ、そうまでして」。向井が嫌というほど耳にした言葉だろう。今でも多くの人がそう口にするかもしれないが、ドラマを見ると代理母出産に対する意識が変わるかもしれない。彼女の闘いは、夫の深い愛情があってこそ。夫婦のきずなの強さに目頭が熱くなった。(爾)」



2.この番組は、松下由樹さんが述べているように「代理出産というより、向井さん自身をメーンに置いた作品」で、「1つの家族の姿」を描いたものでした。

代理母出産をはっきりと決意するまでの夫婦の葛藤が表現されていて、「時に強く、時にもろい向井の心情を松下がていねいに演じて」(読売新聞)いました。

「周囲の心ない声にも「パイオニアはつらいものよ」と語る場面が印象的。」(毎日新聞)


確かに印象的でした。
それもありますが、向井亜紀さんが一人で勝手に代理母出産に突き進んでいったのでなく、夫婦の絆があってこそ挑戦できたこと、向井亜紀さんが代理母出産失敗に悲しむ姿、迷いながら挑戦する姿、周囲の心ない声に苦しむ姿に、もっとも心を揺り動かされたのではないかと思います。


「「なぜ、そうまでして」。向井が嫌というほど耳にした言葉だろう。今でも多くの人がそう口にするかもしれないが、ドラマを見ると代理母出産に対する意識が変わるかもしれない。彼女の闘いは、夫の深い愛情があってこそ。夫婦のきずなの強さに目頭が熱くなった。」


このドラマを見て、向井・高田夫妻の絆、心情を多少でも理解できたことによって、「代理母出産に対する意識が変わるかも」しれません。少なくとも心情的な反発がなくなる切っ掛けになったのではないかと思います。このドラマによって、代理母出産自体に対して、冷静な議論になるように望みます。

最後に、伊賀宣子プロデューサーの言葉(<追記>参照)を一部引用してしめることにします。

 「向井さん・高田さん夫妻が代理母出産でお子さんを授かるまでのことを知っていただき、正しい論議がなされるきっかけになってくれればと願うと同時に、人が人を思いやり支えあうことの素晴らしさや、ひとつひとつの大切な命というものについて、あらためて考える機会になればと思います。」

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2007/03/02 [Fri] 01:05:28 » E d i t
宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)が、5月に米サンフランシスコで開かれる米国移植外科学会に参加して、病気腎移植の成果などを発表することが28日、分かった、との報道がありました。この報道を紹介しながら、コメントしたいと思います。


1.TBSニュース(2月28日22:30)

 「病気腎移植、万波氏が米で論文発表へ

 国内では病気の腎臓を使った移植に否定的な意見が相次ぐ中、渦中の 万波 誠 医師が今年5月にアメリカの権威ある学会で病気腎移植に関する論文を発表することになりました。日本の医学界でも波紋を広げそうです。

 万波医師が発表するのは、今年5月にサンフランシスコで開かれるアメリカで最も権威があるとされる移植学会です。

 万波医師は学会に出席し、生体腎移植の最後の手段と題して、発覚した42件のうち腎臓ガンなど36件の病気腎移植について問題がなかったことなど、こうした移植の正当性をアピールする予定です。

 「移植学会・泌尿器科学会で完全否定されましたから、アメリカでは果たして受け入れてもらえるかどうか知りたかった」(宇和島徳洲会病院 万波 誠 医師)

 この問題をめぐっては、日本移植学会などが3月にも病気腎移植を原則禁止する見通しですが、アメリカでは同じ病気腎移植を行った医師の論文が医学雑誌に掲載されることになるなど関心を示していて、今後、国内外に波紋を広げそうです。(28日22:30)」



「「移植学会・泌尿器科学会で完全否定されましたから、アメリカでは果たして受け入れてもらえるかどうか知りたかった」(宇和島徳洲会病院 万波 誠 医師)」


こういった気持ちは、病気腎移植に否定的な市民であっても少しは抱いているのではないでしょうか? 

「日本の移植学会・泌尿器科学会の幹部連中は病腎移植を否定(原則否定)していて、マスコミも1面で執拗に万波医師らを非難しているけど、最先端医療を行っている米国では、どう評価されるだろう? 
 マスコミは、納豆ダイエットをはじめとしてウソばっかり報道しているし、ウソを正す意思があるのかというと、ウソ報道した関西テレビへの非難は今やほとんど少なく身内には甘いから、ウソ報道は続きそうだ。一方的な見方で報道するのはかえって怪しく、また報道被害が生じているのでは。マスコミに騙されるほど、バカではない」

と。

このブログや他のサイトで紹介されている論文(藤田士朗氏)でも触れているように、日本移植学会の幹部や調査委員(否定する意見に異を唱えている委員は除く)は、古い医療水準の下に、卓越した技量もなく、万波医師よりも少ない移植経験でもって調査しているので、元々、判断能力がないと感じています。だから、万波医師と同程度、あるいはそれ以上の知識・技量・経験のある米国移植学会の医師によって判断を受けることは、正しい評価のためには、重要なことだと思います。

「日本の医学界でも波紋を広げそうです。」

ぜひ、波紋を広げて欲しいです。
日本の医療の進歩のため、患者の命や人生を救うためにも。




2.東京新聞平成19年3月1日付朝刊31面

 「病気腎移植米で発表へ  万波医師 5月の学会で計42例

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)らが、五月に米国のサンフランシスコで開催される移植の学会に参加、病気腎移植の成果などを論文にまとめ発表することが二十八日、わかった。病気腎移植については、国内では日本移植学会が批判的な見解を発表しているが、万波医師は「ドナー不足は世界的に深刻な問題。捨てるはずの腎臓を利用する病気腎移植について広く知ってもらい、議論してもらいたい」と話している。

 万波医師らが参加する会合を主催するのは、米国移植外科学会(会員約千人)と内科医が中心で組織される移植学会(会員約二千六百人)の二団体でいずれも全米組織。会合は年に一度開催され、今年の日程は五月五-九日。万波医師らは最終日に発表する。

 万波医師らは一九九一年一月から昨年九月までに行った三十六例の病気腎移植について応募。二月二十八日に採用通知を受けた。当日は応募後に判明した分を含め、腎臓がんや尿管がん十六例やネフローゼ症候群八例を含む計四十二例の病気腎移植について発表する。

 応募抄録では、生着率の高さやがんの転移がないことなどを数字で示し、「死体腎が十分確保できない国では、病気腎が供給源の最終手段になると思う。倫理的な問題も健康な生体腎の利用よりも少ない」と手術の有効性を強調している。病気腎移植については日本移植学会が、手術に至る過程などに疑問を示し、三月末にも関連四学会と合同で、「手術は好ましくない」とする声明を出すとみられる。

 一方、フロリダ大学移植外科の藤田士朗助教授は「年間一万七千件の移植が行われている米国でもドナー不足は深刻。正規の応募期間に間に合わず追加応募したにもかかわらず採用されたのは、米国の移植関係者の関心がかなり高いことを示す」と評価する。同助教授の元には、米国移植外科学会の元会長のリチャード・ハワード氏から「ドナーとレシピエントがリスクと利益を完全に理解しているならば容認できる。特に日本のように移植できる腎臓に限りがある国では認められると思う」というコメントが寄せられたという。」


この記事は、1面の紙面紹介欄にも、「社会 31 病気腎移植を米で発表へ」と紹介していますし、31面でも大き目の見出しで、かなり目を引く形の記事になっています。東京新聞では、関心を向けて欲しい記事として意識しているようです。全国紙が1つも報道しない中で。


「フロリダ大学移植外科の藤田士朗助教授は「年間一万七千件の移植が行われている米国でもドナー不足は深刻。正規の応募期間に間に合わず追加応募したにもかかわらず採用されたのは、米国の移植関係者の関心がかなり高いことを示す」と評価する。」


正規の応募期間に間に合わなかったのに、採用されたのですから、「米国の移植関係者の関心がかなり高い」というのは当然の評価でしょう。どんな問題であっても、合理性を追求する米国らしい態度といえるかもしれません。何でも「禁忌」と言って思考停止してしまう、日本移植学会の幹部とは大違いです。

日本のマスコミも、学会の幹部が「禁忌」と言えばそのまま水戸黄門の印籠のごとく、「へへー」と受け入れてしまうのは止めるべきです。学会の幹部に睨まれるのが怖いのかもしれませんが、国民に対し、正しい情報を伝えるからこそ、憲法21条で報道の自由が保障されているのです。マスコミも学会幹部に対して、「外国では病腎移植はなされているのだから、客観的事実を無視せずに病腎移植の医学的妥当性を一からやり直せ」と、合理性を追求する意識をもって欲しいものです。

「同助教授の元には、米国移植外科学会の元会長のリチャード・ハワード氏から「ドナーとレシピエントがリスクと利益を完全に理解しているならば容認できる。特に日本のように移植できる腎臓に限りがある国では認められると思う」というコメントが寄せられたという。」


このリチャード・ハワード氏のコメントは、このブログでも紹介していますが、米国移植外科学会の元会長からも、病腎移植は良い評価があり、米国にいる藤田士朗助教授も病腎移植に肯定的ですから、米国では病腎移植を認める意識があるといえます。そうなると、米国学会での発表が高く評価されることは約束されていると言ってもいいかもしれません。




3.中国新聞('07/3/1)

 「病気腎移植、米学会の演題に採用 万波氏発表へ '07/3/1

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 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らが実施した病気腎移植の報告が、五月に米国サンフランシスコで開かれる米国移植学会議(ATC)の演題として受理されたことが二十八日、明らかになった。万波医師は同会議に参加し、自ら発表する予定。(編集委員・山内雅弥)

 世界で最も権威あるATCの場で、日本の移植データが取り上げられるケースは異例。専門誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・トランスプランテーション」からも論文依頼があったという。病気腎移植に否定的な見方が強い日本移植学会などの動向にも、少なからぬ影響を及ぼしそうだ。

 米国移植外科学会と同移植学会が合同で開催するATCは、各国の移植医や看護師、薬剤師、研究者ら移植関係者が参加。移植医療に関する最新の知見とともに、社会・経済や倫理上の問題も議論される。

 ATC最終日の五月九日午前(現地時間)に行われる発表演題は「腎移植患者にとっての最終手段、生体ドナー(提供者)/患者からの病気腎」。万波医師、呉共済病院(呉市)の光畑直喜医師(58)をはじめ「瀬戸内グループ」の医師と、病理記録を解析した難波紘二・広島大名誉教授(病理学)ら六人の連名になっている。

 病気腎移植四十二例のうち三十六例の解析結果を基に、全体の五年生存率76・4%、がんの腎臓を移植した患者の五年生存率72・7%―などのデータを報告する予定。「倫理的問題を引き起こすことは健康な生体ドナーの利用より少ない」と有効性を訴える。

 万波医師は「ドナー不足の中、米国の学会が病気腎を使うことに関心を持っていただいたのは、ありがたいと思っている」とコメント。光畑医師も「国内では患者さんから離れた議論がされているのが悲しい。世界の専門家が集まる場でオープンに検証してほしい」と期待をにじませた。」



世界で最も権威あるATCの場で、日本の移植データが取り上げられるケースは異例。専門誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・トランスプランテーション」からも論文依頼があったという。病気腎移植に否定的な見方が強い日本移植学会などの動向にも、少なからぬ影響を及ぼしそうだ。」


「世界で最も権威あるATCの場で、日本の移植データが取り上げられるケースは異例」であるのに、取り上げられるのですから、この点でも、「米国の移植関係者の関心がかなり高い」という評価になるでしょう。

「米国移植外科学会と同移植学会が合同で開催するATCは、各国の移植医や看護師、薬剤師、研究者ら移植関係者が参加。移植医療に関する最新の知見とともに、社会・経済や倫理上の問題も議論される。」


米国移植外科学会と同移植学会が合同で開催するATCは、かなり幅広い観点から、検討を加えるようです。「世界で最も権威あるATC」と言われるだけのことはあります。ここでも、合理性を追求する米国らしい対応が出ているといえると思います。


「万波医師は「ドナー不足の中、米国の学会が病気腎を使うことに関心を持っていただいたのは、ありがたいと思っている」とコメント。光畑医師も「国内では患者さんから離れた議論がされているのが悲しい。世界の専門家が集まる場でオープンに検証してほしい」と期待をにじませた。」



病腎移植は、良好な結果が出ているのだから客観的事実として患者のためになっているのに、日本の移植学会は、人工透析のウマミがあるせいか、否定的であって患者無視の議論・結論をしています。多くのマスコミはそういった不合理に対して異を唱えないのです。光畑医師が言うように「国内では患者さんから離れた議論」になっています。

日本の“自称腎移植専門家”は、「全摘以外の術式をまず検討すべき」といい、腎癌の手術は腎全摘術が主流であるという標準的移植手術の現実とかけ離れたことを言うばかりで、埒が明きません(「病気腎移植推進・瀬戸内グループ支援ネット」から「専門委員会調査報告への反論(3)」「病気腎移植推進・瀬戸内グループ支援ネット」から「専門・調査委員会報告についての意見」「地獄への道は善意で舗装されている」さんの「藤田士朗・米フロリダ大学助教授が、病腎移植について発表1」「「病気腎移植問題~病気腎元患者は「摘出誘導なく、納得している」と証言」のコメント欄参照)。“自称腎移植専門家”が幅を利かせる日本ではなく、最先端医療を行っている世界の“本物の腎移植専門家”のいる場所での検証をしてもらった方が良いのです。




4.万波医師が病腎移植の有効性に関する論文を発表するのは、米国移植外科学会と同移植学会が合同で開催するATCです。この会合には、各国の移植医や看護師、薬剤師、研究者ら移植関係者が参加し、世界の“本物の腎移植専門家”がいるのです。

万波医師が、このような会合において直接論文を発表することは、世界の“本物の腎移植専門家”に対して「直接病腎移植の有効性を知ってもらって、世界の移植医療に役立つことになる」ばかりか、「日本の移植学会は、客観的な根拠があって病腎移植の有効性を説いているのに認めないという、不合理な事実を直接伝える」ことを意味します。その結果、世界の“本物の腎移植専門家”は不合理な事実に驚かされ、日本移植学会は世界の笑いものになってしまうのです。

世界の“本物の腎移植専門家”によって、病腎移植の有効性を認められ、それが日本に“逆輸入”されて、日本でも病気腎移植の有効性が認められるということになるのでしょう。実に恥ずかしく、頭を抱えたくなるくらい情けないことではありますが、それが日本の現実ということのようです。

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2007/03/01 [Thu] 02:52:24 » E d i t
諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長が25日、東京都内で開いた生殖補助医療を推進する医師や患者の集会で、代理出産の法制化に向けた私案を公表した、との報道が2月26日にありました。報道記事とともに、私案全文も紹介してコメントしたいと思います。


1.まずは報道記事から。

(1) 信濃毎日新聞平成19年2月26日付

 「代理出産法制化に向けて根津医師が提案

2月26日(月)

 代理出産を実施したことを公表している諏訪マタニティークリニック(諏訪郡下諏訪町)の根津八紘院長は25日、都内で開かれた「妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会」第12回総会で、代理出産の法制化に対する私案を明らかにした。「あっせん業者は絶対につくってはならない」として、商業的な代理出産の禁止や、代理出産を仲介する公的機関の新設を提案した。

 私案では、商業的代理出産には刑事罰を科し、「あっせん業者、医者、家族などすべてを対象とするべきだ」とした。代理母はあくまでボランティア精神で務め、将来的に血液センターのような仲介機関を設ける必要性を指摘。代理母が死亡したり後遺症があった場合に対し「代理母保険」を新設し、依頼者が加入するよう提案した。

 根津院長はこれまで5例の代理出産を公表。昨年10月には、がんで子宮を摘出した娘に代わり50代後半の母親が「孫」を代理出産した例を明らかにしたことなどで、日本学術会議が代理出産の是非について検討を始めている。根津院長は「今後、『支える会』の中で検討し、なるべく早く何らかの形で会としての考えを出したい」としている。」



(2) 読売新聞平成19年2月26日付朝刊2面

 「代理出産、営利目的は禁止…根津医師が法制化に私案

 代理出産を5例実施したと、国内で唯一公表している諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長が25日、東京都内で開いた生殖補助医療を推進する医師や患者の集会で、代理出産の法制化に向けた私案を公表した。

 代理出産は当面、妻が生まれながらにして子宮がなかったり、がんなどで子宮を摘出した夫婦を対象とし、夫婦の受精卵を代理母の子宮に移植して産んでもらうケースに限定、営利目的の代理出産は「刑罰によって禁止すべき」とした。

 代理出産を中心とした生殖補助医療の法整備をめぐっては、法相や厚労相の要請を受けて、日本学術会議が先月から、1年かけて検討を進めている。今回私案を公表したのは、不妊に苦しむ患者と接してきた経験に基づく意見を同会議の議論に反映させる狙いがある。

 さらに、精子や卵子を第三者に営利目的であっせんするという、自称精子・卵子バンク業者が現れており、代理出産からこうした業者が参入するのを防ぐ目的もある。

 私案では、代理出産は「ボランティアで行うもの」として、代理母への金銭補償は、妊娠や出産にかかる医療費や交通費などの実費、妊娠期間中の収入補てんなどに限定。ただし、「10万~20万円程度」(根津院長)の常識の範囲の謝礼は受け取れるとしたが、代理母は金銭要求する権利はないとした。

 営利目的の代理出産にかかわった医師や業者、依頼した夫婦ら関係者すべてに刑事罰を与えるとした。

 また、依頼した夫婦が子供の引き取りを拒否したり、事故で亡くなって引き取ることができなくなった場合には、代理母の権利として、妊娠22週未満なら人工中絶を認め、それ以降や産後には子どもを養子に出すことができるとした。将来的には、依頼夫婦と代理母が届け出てあっせんを受ける、準公的な「代理出産仲介センター」の設置も求めている。

(2007年2月25日22時6分 読売新聞)

*代理出産* 病気などで子宮を失った女性に代わり、第三者の女性に妊娠、出産してもらうこと。夫婦の体外受精卵を第三者の子宮で育てる場合と、第三者から卵子の提供も受ける場合がある。国内では2001年に根津院長が実施を公表したが、厚生労働省審議会が03年に禁止の方針をまとめている。」



根津院長がどこで私案を発表したのかについては、信濃毎日新聞だけが記事に載せていました。「妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会」第12回総会で、代理出産の法制化に対する私案を明らかにしたということです。

読売新聞は、「今回私案を公表したのは、不妊に苦しむ患者と接してきた経験に基づく意見を同会議の議論に反映させる狙いがある。」と推測しています。意思表明自体、少しは影響力が生じるはずです。特に、日弁連が代理出産禁止の方向を表明していることから、それに対抗する意義も持っていると思います。


記事によって、私案の大体の内容は分かると思います。ただ、後で私案全文を検討しますので、内容の検討は後にします。




2.根津院長による「代理出産法制化の私案」は、妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会の第12回FROM 妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会プログラム:テーマ「飯塚理八先生を偲んで~生殖医療の最前線~」において発表されたものでした。
妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会で発表された、私案全文を引用しておきます。

この私案を読む前に、ポイントとなる点を幾つか挙げておきます。根津院長が出す私案ですから、代理出産を容認するものであることは確かです。その点は当然に念頭において読むことになります。ポイントして挙げるのはそれ以外の点です。

(1) 妊娠・出産が不可能な場合に限定するのか否か
(2) 代理母は親族に限定するのか、第三者にも広げるのか
(3) 第三者も代理母可能とした場合、第三者の斡旋方法

(4) 依頼者と代理母との法律関係の処理(代理母の必要費等)
(5) 出生した子の法的身分関係の処理
(6) 刑事罰の有無


(1)~(3)が代理出産を実施するうえで必要なことであり、(4)~(6)が代理出産から生じる法律問題です。

 「代理出産に関して   (根津私案)
H19.2.25

第1.代理出産の適応
 生まれながらにして子宮の無い(ロキタンスキー症候群)場合、又は何らかの理由で子宮を無くしてしまった場合とし、母体疾患により妊娠・出産が不可能な場合に関して今後の課題とする。

第2.代理出産における配偶子
 依頼者夫婦の配偶子による代理出産(ホストマザー)とし、提供配偶子に関しては今後の課題とする。

第3.代理母への金銭補償
 1)妊娠・出産に関する実費
   医療費、入院費、通院費(交通費、宿泊費等)、保険費用(代理母保険の新設)
 2)収入の減少への補填、妊娠に伴う生活費(タクシー代、衣服代等)
 3)謝礼は常識の範囲
 注:いずれにしても代理母はあくまでもボランティア精神(尽くすことにより代理母自身が救われる)の下において代理出産をするもので、金銭目的(依頼者への金銭の要求)で代理母になるものではない。即ち、依頼者が何らかの理由で上記の金銭を払えなくなったとしても、代理母にはそれを要求する権利は無い。

第4.代理母への保障
 1)代理母の健康管理
   担当医師は代理母の健康チェックを充分行う。特に実母が代理母となる場合は、厳重な管理を要する。
 2)代理母の死亡又は後遺症に対する保障
   代理母が死亡又は後遺症を残した場合を考え、代理母保険を新設する。例えば、依頼者と代理母との間に代理出産に関する同意が出来た場合、依頼者は代理母のために代理母保険に入る。この保険にて、ある程度の金銭補償(第3項)もする。
   出産は危険を伴うものであることより、近い将来、一般の出産に関しても出産保険を新設、国が充分の負担をするようにする中で解決する。
 3)依頼者が出産児の引き取りを拒否又は不可能となった場合(依頼者の死亡、又は行方不明)、代理母は以下の権利を持つ
  <1>妊娠中の場合は22週未満において人工妊娠中絶をする権利を持つ。
  <2>妊娠中(22週以後)又は産後においては、出産児を養子に出す権利を持つ。

第5.手続保障
 1)取り扱う医師は、コーディネーターを含め充分なインフォームドコンセントを行う。
 2)代理出産行為がボランティア精神の下において成り立つとは言え、様々な問題の発生が考えられる(出産児の引き取り拒否等)。善意で解決されない場合も考え、弁護士(契約手続)、公証人(公正証書)の介在を必要とする。
 3)公的機関は、出産児の依頼者への養子縁組を速やかに成立させる。将来的には家族法の改正をする。

第6.第三者たる介在者
 1)代理出産仲介センターの必要性
   将来的には血液センター的組織による半ば公的な配偶子(精子、卵子、胚)、代理出産仲介センターを設け、依頼者、代理母の届け出を可能とし、代理出産がスムーズに行えるような形のコーディネーター的役割をする。
   それまでの間は、当事者同士で責任をもって行い、斡旋業者は認めない。
 2)商業的代理出産の禁止
   刑罰を持って禁止すべきである。」



(1) 

「第1.代理出産の適応
 生まれながらにして子宮の無い(ロキタンスキー症候群)場合、又は何らかの理由で子宮を無くしてしまった場合とし、母体疾患により妊娠・出産が不可能な場合に関して今後の課題とする。」


代理出産は、妊娠・出産が不可能でない場合にも可能ですが、この私案によると、(1)妊娠・出産が不可能な場合に限定しました。身体的に必要とされる夫婦に限ったわけです。ただ、とりあえずは、子宮がない場合に限定する、としています。

契約自由の原則からすれば、妊娠・出産が可能である場合でも代理出産を依頼することも認められますが、あまり必要性がないのですし、日本ではそこまで必要とする夫婦はまず少ないでしょう。妊娠・出産が可能である場合を排除することは、大きな制約とはいえないと思います。



(2) 

「第2.代理出産における配偶子
 依頼者夫婦の配偶子による代理出産(ホストマザー)とし、提供配偶子に関しては今後の課題とする。」


とりあえずは、依頼者夫婦の配偶子に限っています。根津院長が手掛けた代理出産の事例からすると、とりあえずは依頼者夫婦の配偶子による代理出産で足りるということなのでしょう。

ただし、代理出産に関する大阪高裁の判例では、第三者に卵子を提供してもらった事例でしたから、そういう場合を認めるかは「今後の課題」としています。



(3) 

「第3.代理母への金銭補償
 1)妊娠・出産に関する実費
   医療費、入院費、通院費(交通費、宿泊費等)、保険費用(代理母保険の新設)
 2)収入の減少への補填、妊娠に伴う生活費(タクシー代、衣服代等)
 3)謝礼は常識の範囲
 注:いずれにしても代理母はあくまでもボランティア精神(尽くすことにより代理母自身が救われる)の下において代理出産をするもので、金銭目的(依頼者への金銭の要求)で代理母になるものではない。即ち、依頼者が何らかの理由で上記の金銭を払えなくなったとしても、代理母にはそれを要求する権利は無い。」


第3「代理母への金銭補償」は、 (4)依頼者と代理母との法律関係の処理(代理母の必要費等)について、触れたものです。

この私案の内容は、明確ではありませんが、代理母は、代理母が負担する費用を請求する権利があり、依頼者に支払義務はありますが、裁判に訴えて代理母が費用を獲得することはできないとするという意味なのでしょう。もし、こういう意味であれば、こういう費用を支払うはずの者(依頼者)が任意に支払わない場合でも裁判所に訴えることができない債務のことを「自然債務」といいます。

このように「自然債務」のように理解するのは、代理母がボランティア精神で行うものであることを徹底し、費用はあくまでも善意で支払うものという扱いにしたいという表れだと思います。依頼者と代理母が、代理出産につきよく理解し合えているのであれば、訴訟沙汰になることもなく、また、訴訟沙汰に出来ないから、余計にボランティアにならざるを得ないということなのでしょう。

補償範囲について、幾つかの具体例を挙げていますが、1)と2)は失う費用の補填ですし、3)は謝礼という増える方向のものです。常識的な範囲、読売新聞の記事によると、「10万~20万円程度」のようです。

あくまで、代理出産は依頼者から依頼されて行うのですから、実費と10万~20万ほどの謝礼に限るのであれば、依頼者に裁判所に訴えて獲得できる(強制力がある)ものとしてよいように思います。



(4) 

「第4.代理母への保障
 1)代理母の健康管理
   担当医師は代理母の健康チェックを充分行う。特に実母が代理母となる場合は、厳重な管理を要する。
 2)代理母の死亡又は後遺症に対する保障
   代理母が死亡又は後遺症を残した場合を考え、代理母保険を新設する。例えば、依頼者と代理母との間に代理出産に関する同意が出来た場合、依頼者は代理母のために代理母保険に入る。この保険にて、ある程度の金銭補償(第3項)もする。
   出産は危険を伴うものであることより、近い将来、一般の出産に関しても出産保険を新設、国が充分の負担をするようにする中で解決する。
 3)依頼者が出産児の引き取りを拒否又は不可能となった場合(依頼者の死亡、又は行方不明)、代理母は以下の権利を持つ
  <1>妊娠中の場合は22週未満において人工妊娠中絶をする権利を持つ。
  <2>妊娠中(22週以後)又は産後においては、出産児を養子に出す権利を持つ。」


この第4「代理母への保障」は、内容的には母体の保護の問題ですから、代理母だけに限らず妊婦全般にいえることです。

では、なぜ、こういう規定を考えるのかというと、依頼者がいるため、「依頼者が代理母という母体と胎児を左右できるのでないか」という誤解があるからでしょう。母体や胎児の問題は、代理母の生殖に関する自己決定権の問題ですから、依頼者が左右できないのは当然のことなのです。

将来的には一般の出産にも適用できように、出産保険という新たな提言もしています。米国の代理出産では、保険をかけておくのが通常ですから、それにならったということです。


(5) 

「第5.手続保障
 1)取り扱う医師は、コーディネーターを含め充分なインフォームドコンセントを行う。
 2)代理出産行為がボランティア精神の下において成り立つとは言え、様々な問題の発生が考えられる(出産児の引き取り拒否等)。善意で解決されない場合も考え、弁護士(契約手続)、公証人(公正証書)の介在を必要とする。
 3)公的機関は、出産児の依頼者への養子縁組を速やかに成立させる。将来的には家族法の改正をする。」


第5はかなり様々なものが含まれています。1)のインフォームドコンセントは、どんな医療でも必要なことですから、あえて挙げるまでもないことです。ただ、これをあえて挙げるのは、代理出産を認めたら、姑などから代理母を押し付けられる女性(嫁?)が出てくるのではないかという危惧があるからでしょう。そういう押し付けを排除するため、「充分なインフォームドコンセント」が必要としたわけです。

2)は、問題発生後の処理を明確にしておくためには代理母契約が必要であって、しかも代理母契約が一方的に不利益にならないように、弁護士や公証人を関与させて契約を締結しておくべきということです。これはあった方が良いと思います。

3)は、現行民法の扱いのまま、即ち、出産した女性が戸籍上の母であるとしたままで、養子縁組を成立させている扱いを維持するということです。その上で、「将来的には家族法の改正をする」ことを求めています。「家族法の改正」とは、遺伝子上の母を戸籍上の母と扱う方向へ改正したいということだと思います。



(6) 

「第6.第三者たる介在者
 1)代理出産仲介センターの必要性
   将来的には血液センター的組織による半ば公的な配偶子(精子、卵子、胚)、代理出産仲介センターを設け、依頼者、代理母の届け出を可能とし、代理出産がスムーズに行えるような形のコーディネーター的役割をする。
   それまでの間は、当事者同士で責任をもって行い、斡旋業者は認めない。
 2)商業的代理出産の禁止
   刑罰を持って禁止すべきである。」


第6「第三者たる介在者」の1)の「代理出産仲介センター」の創設は、親族や知り合いの第三者だけでなく、広く第三者が代理出産を行う場合も見据えた上での主張ということです。広く適任者を見つけて、なるべく安全な出産ができるようにして、妊娠・出産後揉めることがないようにするためには、仲介センターがあった方が良いということでしょう。

2)の「商業的代理出産の禁止」は業者排除の目的です。読売新聞の記事にあるように、「精子や卵子を第三者に営利目的であっせんするという、自称精子・卵子バンク業者が現れており、代理出産からこうした業者が参入するのを防ぐ目的」があるのでしょう。
そういえば、朝日新聞1面での報道によって、某精子・卵子バンク業者が大々的に宣伝された結果になりましたが、読売新聞によると、その業者は「自称精子・卵子バンク業者」扱いのようです。

まともでない業者を排除することは良いとしても、代理出産仲介センターという公的機関でなく、民間による自由競争に委ねた方がより広く代理母適任者を選択できる可能性があるはずです。民間業者を認めることによる利益にも目を向ければ、民間業者すべて排除するのでなく、産婦人科病院と連携して認定制度によって許可を得た業者(まともな業者)の活動の余地は残してもよいと思います。
もっとも、代理出産自体の行方自体まだ不明確ですし、まともな業者の選定も難しいですから、業者を肯定することはかなり先のことだと思います。
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テーマ:時事ニュース - ジャンル:ニュース

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