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2007/02/26 [Mon] 07:37:04 » E d i t
熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、保護者が育てられない新生児を預かる「こうのとりのゆりかご」(いわゆる「赤ちゃんポスト」)の設置を市に申請している問題について、厚生労働省は22日、市に対し設置を認める見解を示しました。そのため、慈恵病院は「赤ちゃんポスト」を設置できることになりました。この問題に触れてみたいと思います。
なお、「≫この続きを読む」以降に、東京新聞と読売新聞の記事を引用しておきました。 「こうのとりのゆりかご」問題についての議論がよく分かると思います。(追記:参考になるサイトを追記しました)


1.読売新聞平成19年2月23日付朝刊39面

 「熊本「赤ちゃんポスト」厚労省が容認の意向

 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、親が養育できない新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の設置を同市に申請している問題で、厚生労働省は22日、「現行法では明らかに違反とは言い切れない」として設置を認める考えを示した。これを受けて熊本市は、申請を認める方向で最終調整に入る。

 ただ同省は今後、同様の施設設備を設置する動きが出たとしても、「一律に容認する訳ではない」との方針。乳児がただちに適切な看護を受けられ、生命や身体が危険にさらされることのない環境かどうかを個別に検証し、児童虐待防止法などに抵触しないかどうかを個別のケースごとに慎重に判断するとしている。

 赤ちゃんポストを巡っては、「失われる命が助かる」と評価する一方、「捨て子を助長しかねない」との批判もあった。また<1>新生児を手放すことが児童虐待防止法の虐待にあたらないか<2>病院は刑法の保護責任者遺棄罪のほう助に問われないか――などの法的問題が浮上していた。

 これらの点について熊本市の幸山政史市長が22日、厚労省を訪れ、見解を求めたのに対し、同省は、「安全な病院内で直ちに適切な看護が受けられるなら、虐待に当たるとは言い切れない」と説明。保護責任者遺棄罪については、「ケースバイケースで判断され、直ちに法に抵触するとは思われない」と述べた。

 ただ同省は、設置を同市が許可する場合には、<1>ポストの付近に、児童相談所などに相談するよう親に呼びかける掲示をする<2>赤ちゃんを預かった場合は必ず児童相談所に通告する<3>赤ちゃんの健康と安全への配慮を徹底する<4>親が考え直した場合には、引き取ることができるような仕組みを考える――の4点を検討するよう要望した。

 一方、同省の辻哲夫次官は22日の記者会見で、同病院の申請した赤ちゃんポストが「医療法や児童福祉法に違反しているということは言えない」と述べ、「申請を認めないという合理的理由はない」との考えを明らかにした。

 設置を認める厚労省の見解について、慈恵病院の蓮田太二・副院長は、「うれしく思う。命の尊さを理解してそう話されたのだろう。病院内で設置に向けて話し合い、市との協議も重ねていきたい」と語った。

 一方、幸山市長は「今後は、出来るだけ早い時期に申請について判断していくことになると考えています」とのコメントを出した。


<赤ちゃんポスト> 熊本市の慈恵病院が昨年11月に設置計画を公表。「新生児相談室」の壁の扉を外から開け、温度管理された特製保育器に匿名で新生児を預けてもらう。新生児が保育器に置かれるとセンサーで感知し、医師らが駆け付ける。ドイツでは約80か所で運用されているという。


大日向雅美・恵泉女学園大教授の話 「捨てられていく命、助からない命を目の当たりにして、一つの方法として踏み出さざるを得ない現実があったのだろう。今後は、救った命をどう守っていくかというハード・ソフト両面のケアが必要になる。『子育ては社会全体で行うもの』と言われるようになったが、救われた命が本当に助かって良かったと思えるかどうか。日本の子育てに対する真価が問われると思う」

才村純・日本子ども家庭総合研究所ソーシャルワーク研究担当部長の話 「赤ちゃんポストは捨て子を助長することになる。匿名で捨てられた子どもが成長した時に、自分の出自を知る権利が損なわれる危険性もある。最終的に親が育てないという選択肢を取るにしても、親との話し合いを経ることが必要。相談内容が記録に残る児童相談所など、公的機関の敷居を低くすることを先にやるべきだ」

(2007年2月23日0時4分 読売新聞)」



「こうのとりのゆりかご」を設置するに当たっては、様々な法律違反の可能性があったわけですが、主として、<1>新生児を手放すことが児童虐待防止法の虐待にあたらないか<2>病院は刑法の保護責任者遺棄罪の幇助に問われないか、法律上問題になったわけです。

厚労省は、検討した結果、「安全な病院内で直ちに適切な看護が受けられるなら、虐待に当たるとは言い切れない」として、児童虐待防止法に違反することにならないとしました。また、保護責任者遺棄罪の幇助の成否についても、厚労省は「ケースバイケースで判断され、直ちに法に抵触するとは思われない」と述べて、 保護責任者遺棄罪の幇助の成立を認めるのは困難であるとして、刑法上問題はないとしたわけです。要するに、慈恵病院による設置要請に関しては、法律上は問題はないと判断したわけです。

ただし、<1>ポストの付近に、児童相談所などに相談するよう親に呼びかける掲示をする<2>赤ちゃんを預かった場合は必ず児童相談所に通告する<3>赤ちゃんの健康と安全への配慮を徹底する<4>親が考え直した場合には、引き取ることができるような仕組みを考える――という4点を満たすように要求しました。
この4点を簡単に言えば、「こうのとりのゆりかご」に入れに来る親に対して、止めさせるような動機付けを明示すること、赤ちゃんの生命を確保すること、に努める条件を出したのです。



2.「こうのとりのゆりかご」はドイツで導入されている制度を参考にしたそうですが、ドイツやフランスにおける制度について説明しておきます。

 「匿名出産とBabyklappe

 望まない子、育てることができない子を妊娠した者が中絶したり、産み捨てたり、殺害することを避けるために、生母を明らかにしない形で出生の届出をすることができてもよいのではないか。

 ヨーロッパでは中世以来、育てられない子を修道院などに捨てること(養育付託)が慣行として行われていたが、日本でも同様の事情はあったであろう。身分関係の国家的把握に熱心な近代国家では認めがたい慣行ではあろうが、フランスではこれを法律上認めている(匿名出産 accouchement sous X)。

 ドイツでも2000年にハンブルクの子箱(Babyklappe)のことが話題になった。キリスト教会、病院、民間施設などに設置された箱(中は清潔安全なベッド)に赤ちゃんを入れて扉を閉めると設置者にそれが伝わり、すばやく対応できるようになっている。

 血縁主義的親子観の強いドイツでは匿名出産には否定的であるが、一部にはこれを認めようとする動きもある。逆に、フランスでも、子どもの出自を知る権利の観点から見直しの声もあるようである。」(高橋朋子・床谷文雄・棚村政行著「民法7親族・相続」(2004年、有斐閣)130頁)



ドイツでは、ハンブルクの子箱(Babyklappe)と呼ばれているのですが、こういった制度が導入されているのは、ヨーロッパでは中世以来、育てられない子を修道院などに捨てること(養育付託)が慣行であったことに由来しているわけです。だから、設置に付き議論があったとしても、伝統的に受け入れる余地があったといえるのです。

今回の日本では、慈恵病院だけに設置するのですが、ドイツでは、病院に限らず、「キリスト教会、病院、民間施設」において設置しているのですから、保護できるだけの設備があれば、かなり広く設置機関を認めています。

注意したいことは、フランスは法律上、公式に匿名での出生を認め(匿名出産)、ドイツでは、密かに「ハンブルクの子箱」に入れる形で、実質的に匿名での出生を認めていることなのです。要するに、フランス・ドイツでは、匿名性を確保することで、少しでも「望まない子、育てることができない子を妊娠した者が中絶したり、産み捨てたり、殺害することを避ける」ことが可能になると判断しているのです。

日本では、事情があって親元で育てられない子を里親に養育してもらう「里親制度」(児童福祉法)があり、また、1973年に、産婦人科医が子捨て・子殺しを防ぐため、100人以上の新生児を実子として、子どもを望む夫婦に斡旋していたことが発覚したことを切っ掛けとして、特別養子縁組制度が1987年に新設されました。他にも、児童相談所もあります。

このように、日本でも子捨て・子殺しを避ける制度はあるのですが、いずれも匿名での出生を認める制度ではなく、日本では匿名性を確保する形での出生を認める制度はないのです。そのため、子捨て・子殺しを少しでも減らすため、「生母を明らかにしない形で出生の届出をすることができてもよいのではないか」との主張がなされているのです。慈恵病院が設置を求めている「こうのとりのゆりかご」は、こういった主張にそう一手段であるわけです。




3.「こうのとりのゆりかご」を設置するに当たっては、主として、<1>新生児を手放すことが児童虐待防止法の虐待にあたらないか<2>病院は刑法の保護責任者遺棄罪の幇助に問われないかが、法律上問題になりますが、ここでは、<2>の「病院は刑法の保護責任者遺棄罪の幇助に問われないか」について説明しておきます。


(1) 病院に対して保護責任者遺棄罪の幇助犯が成立するためには、(a)捨てた親に保護責任者遺棄罪(刑法218条)の要件を満たしていること、かつ、(b)幇助犯(刑法62条)の要件を満たしていることが必要です。

親が乳児を病院の新生児室のベッドに捨てたような場合、保護責任者遺棄罪が成立するかについて、昔から議論がなされていて、従来は、保護責任者遺棄罪の性質の違いによって結論が分かれるとされてきました。

・被遺棄者の生命・身体に対して抽象的な危険が生じれば足りるとする説(抽象的危険犯説)→保護責任者遺棄罪が成立

・被遺棄者の生命・身体に対する具体的な危険が生じている必要があるとする説(具体的危険犯説)→保護責任者遺棄罪は不成立


ただ、現在では、どういう説であっても、被遺棄者に対して何らかの危険の存在が必要であるとされています。そのため、「いずれの見解からも、保護が確実に見込まれる場合には犯罪の成立が否定」(山口厚著「刑法各論」31頁)されると理解されているのです。

そうすると、慈恵病院が予定している「こうのとりのゆりかご」は、内部が適温に保たれた保育器であり、ここに赤ちゃんが置かれると、待機中の看護師のブザーが鳴って駆けつけるのですから、「保護が確実に見込まれる」のです。
とすれば、慈恵病院が予定している「こうのとりのゆりかご」に子どもを入れる親には、保護責任者遺棄罪が成立しないことになります。
この問題につき、保護責任者遺棄罪が成立するかのようなことを述べる刑法学者もいますが、一昔前の学説に基づいてそのような結論を述べているといってよいでしょう。


(2) 仮に、慈恵病院が予定している「こうのとりのゆりかご」に子どもを入れる親に、保護責任者遺棄罪が成立するとしても、設置した病院に「幇助犯」の成立を認めることは困難です。幾つか理由が考えられます。

・特定の人物に対して幇助しているのではなく、不特定人に対する幇助になることから、「幇助」といえない可能性がある。

・病院にとって赤ちゃんの生命を守ることは、病院としての義務であることから、「こうのとりのゆりかご」は義務を履行するための1手段にすぎず、病院の日常的な業務の1手段といえる(いわゆる「日常的行為と幇助」の問題。この「日常的行為と幇助」の議論につき、「ウィニー著作権法違反裁判~京都地裁平成18年12月13日判決へのコメント」「ウィニー(Winny)著作権法違反裁判~京都地裁判決に関する弁護士の解説の比較」を参照)。

・「こうのとりのゆりかご」は、あくまで赤ちゃんの生命を守るための緊急避難の手段して設置するものであるから、幇助する意思がないとして「幇助犯」の要件を欠くか、また、緊急避難(刑法37条)として違法性を阻却する。






3.才村純氏が述べるように、「赤ちゃんポストは捨て子を助長することになる。匿名で捨てられた子どもが成長した時に、自分の出自を知る権利が損なわれる危険性もある」という面はあるでしょう。

しかし、現に子捨て・子殺しは存在する以上、赤ちゃんの命を救うために、命を救済する手段を増やすことは意義のあることだと思います。「こうのとりのゆりかご」の設置の結果、出自を知る権利が損なわれる子供が出てくるとしても、まずは命があればこそです。命が失ってしまっては、死後、出自が分かっても無意味です。

慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」を設置することは妥当であると考えます。



<追記>

外国の事情について触れた文献として、雑誌『医療・生命と倫理・社会』(オンライン版)があります。
この文献中に、「雑誌『医療・生命と倫理・社会』Vol.2 No.1(オンライン版)2002年9月20日刊行:「ひとは如何にして子どもを「捨てる」か――ドイツにおける「捨て子ボックス」――阪本恭子」『医療・生命と倫理・社会』(オンライン版)Vol.5 No.1/2 2006年3月20日刊行:「オーストリアにおける捨て子ボックスと匿名出産に関する2001年7月27日の法令 ――阪本恭子」(PDF)があります。

この文献中から、一部引用しておきます。

 「匿名性を保証することが,ボックスに存在価値を与える.それは,ボックスをめぐる論争の中心問題でもある.……

「「生命」(life)に対する固有の権利と「生存」(survival)の権利(第六条).ボックスが子どもに確約する権利である.

たしかにボックスは,母親に匿名性を保証する一方で,子どもには,出自を知ることができない苦境をもたらす.一面的で一時的な救済措置である.けれども,生きのびてこそ子どもは,親の名前を知りたいという欲求や,捨てた親への怒り,憧憬を抱く.これらを,捨てられた子どもは生きる権利とともに得た.彼らが,隠された母親の名前と引き換えにして生き続けていることの,鮮明な「証拠」である.

ボックスの外と内に分かたれる母と子の「苦境」.子どもはそれを,生きのびる権利と同じく固有の(inherent)ものとして母から受け継ぐ(inherit)ことのないように.子どもが,不幸は,捨てられたことではなく,生きていなかったかもしれないことだ,と自分の「必然性」[6]を肯定できるように.ボックス運営者には,そうした配慮のもとで子どもを養護する責任がある.子どもにとってボックスはいわば「拡大家族」(第五条)の入り口である.」


匿名性こそが重要であり、子供に生きる権利を与えることに意義があるのです。

これらの文献を知ったのは、「ふたつとない日常」さんの「赤ちゃんポストを利用するのは誰なのか」です。感謝します。このエントリーでは、「ポストを設置したら育児放棄が増える」のかどうかについて検討なされています。ぜひご覧下さい。
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テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

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2007/02/25 [Sun] 16:48:30 » E d i t
病気腎移植問題について、日本移植学会の田中紘一理事長と大島伸一副理事長は、2月24日の臨時理事会終了後、記者会見をしました。その記者会見において、腎臓摘出の医学的な妥当性や倫理面に問題があるとして、病気腎移植は原則、禁止する見通しであることを示しました。この報道について、それぞれコメントしたいと思います。


1.愛媛新聞(愛媛のニュース2007年02月24日(土))

病気腎移植、原則禁止の方針へ 学会

 宇和島徳洲会病院(宇和島市)の万波誠医師(66)らによる病気腎移植問題などで、日本移植学会(田中紘一理事長)は24日、東京都内で臨時理事会を開催。同学会の独自見解は出さず、3月下旬にも腎臓病関連5学会の合同会議で統一的な声明を出すことを決定した。複数の日本移植学会幹部から「病気腎移植は認められない」との意見が相次いでおり、病気腎移植を原則禁止する方針が打ち出される見通しが濃厚となってきた。

 田中理事長と大島伸一副理事長が臨時理事会後に記者会見。田中理事長は、関係病院を調査している学会派遣の委員から「病院の体制、ドナー(臓器提供者)選択のプロセスに多くの不備がある」との指摘が出ていることを明らかにし、万波医師らによる病気腎移植に対し「個人的には問題があると思う」との認識を示した。」



(1) 「日本移植学会、『病気腎移植』禁止へ」というような報道(TBSニュース)もあることから、日本移植学会が病腎移植を原則禁止に決定したのかと思ったら、そうではなかったようです。

「同学会の独自見解は出さず、3月下旬にも腎臓病関連5学会の合同会議で統一的な声明を出すことを決定した」

というのですから。
元々、関係病院を調査する前から、大島副理事長は、病腎移植は許されないと述べていたのですから、最初から禁止することに決めていたはずです。なのに、なぜ日本移植学会が独自見解を出さなかったのでしょうか? 先送りにする必要はないはずです。ちょっと意味が分かりません。


(2) もっとも、

「病気腎移植を原則禁止する方針が打ち出される見通し」

ということからすると、やっと大島副理事長も、病腎移植は全面禁止できないという知識を得たようです

愛知県の藤田保健衛生大学病院で91年に病気腎移植が行われていたばかりか、当時愛知腎臓団体理事として手術にゴーサインを出していたのが、大島・移植学会副理事長だったのに(「病気腎移植問題~大島伸一・移植学会副理事長は万波医師を非難する資格があるのか?」参照)、以前は、病気腎移植を全面禁止かのように非難していました。

大島副理事長は、このような“優れた記憶力”を有していたので、91年の藤田保健衛生大学病院での病腎移植に許可を出したという報道も忘れてしまうかと思いましたが、忘れずにいたようです。




2.朝日新聞平成19年2月25日付朝刊37面

 「移植学会幹部らが「万波移植」を批判 臨時理事会を開催
2007年02月24日20時47分

 日本移植学会(田中紘一理事長)は24日、東京都内で臨時理事会を開き、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らによる「病気腎」移植について、3月末に予定されている関係5学会の合同会議で統一見解をまとめることを確認した。5学会はすでに病気腎移植を原則禁止する方針を固めており、同学会副理事長の大島伸一・国立長寿医療センター総長は「医療水準から大きく逸脱している」と厳しく批判した。

 臨時理事会後の会見で、田中理事長は「倫理委員会が設置されていないなど、(移植を実施した)病院の態勢などに多くの不備があった」と指摘。「移植学会単独ではなく、5学会で一緒に結論を出し、今後の方針を明確に打ち出す」とも述べ、どういうケースが例外として許されるかなどを「指針」の形でまとめることを示唆した。

 腎移植が専門の大島副理事長は「がんの腎臓を移植するような万波医師らの行為は、科学に基づいた現在の医療水準から著しく外れている」と断言。「なぜそのような医療行為を行ったのか、カルテに記載したり、インフォームド・コンセント(説明と同意)を文書の形で残したりといった倫理面でも水準を満たしていない」と述べた。

 万波医師を擁護する動きに対しては、「医療水準から外れたことを容認するようなら、医学会の存在価値などない。感情的な同情論と医学的な評価は、全く別次元の問題だ」との見解を示した。」

*紙面上の記事では、最後の段落の後にもう一段落、次のような文章が追加されていました。
「一方、宇和島徳洲会病院の貞島博通院長はこの日、都内で会見し、「学会の見解が出れば従っていきたいが、何とか(病気腎移植の)道を残せないかという模索はしていきたい」と話した。」



(1) この記事は、田中紘一理事長と大島伸一副理事長の見解をそのまま吐き出したような内容になっています。朝日新聞は、大島伸一副理事長の代弁者のようです。大島伸一副理事長は、この記事を読んで大喜びでしょう。

ここまで、大島伸一副理事長に擦り寄った記事を書くのですから、ある意味清々しい思いさえしてきます。「公平な報道なんて、どうでもいい」という、報道機関の姿勢放棄の記事なのですから。

ただ、この記事は、大島副理事長の発言を多く引用しているので、大島副理事長の医療知識がよく分かります。記事を検証する側としては、日本移植学会のレベルを判断できるため、貴重なものだと思います。


(2) 

 「腎移植が専門の大島副理事長は「がんの腎臓を移植するような万波医師らの行為は、科学に基づいた現在の医療水準から著しく外れている」と断言。」


まさかとは思いましたが、大島伸一副理事長は腎移植が専門だったようです。

何度も触れていることですが、藤田保健衛生大学、浜松医大、京都府立医大、広島大学、北海道大学などから動脈瘤を持ったドナー腎の移植の成功が、30症例以上寄せられ、腎動脈瘤以外にも血管系に問題のある症例を体外で修復後、移植することはまったく珍しいことではないのです(徳洲新聞 2006年(平成18年)12月4日 月曜日 No.547 1,3面より)。このように、生体腎移植と病気腎移植の境は殆どないのですから、病気腎移植を避けることは難しいのです。

このように、生体腎移植では病腎移植が珍しくないという事実を知らなくても、腎移植が専門だったと名乗れるのですから、移植医はすべて腎移植専門になってしまいそうです。


(3) 大島伸一副理事長は、

「がんの腎臓を移植するような万波医師らの行為は、科学に基づいた現在の医療水準から著しく外れている」

と非難しています。

では、その「現在の医療水準」というと、このブログのコメント欄でも触れて紹介して下さっていますが、世界的な学術雑誌 『トランスプランテーション』誌には、イタリアの国家プロジェクトとして行われた移植医療の大規模な追跡調査をもとに画期的な論文が掲載されています(徳洲会グループ――腎臓移植医療について: A Population-Based Study of Cancer Incidence in Solid Organ Transplants From Donors at Various Risk of Neoplasia (新生物の様々なリスクを有するドナー由来の固形臓器移植における癌発症率についての集団ベースの研究))。
その論文の内容は、

ドナーにがんがあっても、臓器を移植された側にがんが移植されるリスクは低いと言える。移植用の臓器を切実に欲している患者のことを考えると、がんを持つ屍体をドナーとして用いることのリスクとそれによって得られる利益の両方をよく考慮することが必要だ」と控えめな表現ながら、「がんを持つ患者からの臓器提供」が、ドナー不足を解消する一つの方法であると主張している。」(難波名誉教授による解説)

というものなのです。「米国ではドナーの選択基準を拡大する動きがあり、C型肝炎、B型肝炎、さらにはMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)の感染腎でも移植を可能にする方向にある」(徳洲新聞 2007年(平成19年)2月19日 月曜日 No.557 4面より)そうですから、世界的な臓器不足の現在、がんを含め、病気の臓器移植に注目しているのが、最先端医療であるということです。

そうなると、万波医師らが行っていたのは、最先端医療ということであって、大島副理事長の言うように、日本の「現在の医療水準」でないことは確かです。万波医師らの方が、現在の日本の中では最も進んだ医療水準の医療を行っていたのですから。

大島副理事長の言い分には、ある意味、一利あると言っても(苦笑)、日本の「現在の医療水準」を行っていなかったからといって、非難するという論理的思考には付いていけません。なぜなら、病気腎移植に注目している世界の状況があり、移植の結果も良好という事実があるのに、最先端医療を放棄し、遅れつつある日本の「現在の医療水準」を守れといっているのと同じなのですから。

大島伸一副理事長は、「がんの腎臓を移植するような万波医師らの行為は、科学に基づいた現在の医療水準から著しく外れている」と非難していますが、そのような批判は的外れの批判であるのです。


(4) 大島福理事長は、

「なぜそのような医療行為を行ったのか、カルテに記載したり、インフォームド・コンセント(説明と同意)を文書の形で残したりといった倫理面でも水準を満たしていない」

とも述べています。

テレビ報道で引用されている「倫理上問題がある」とは何かよく分からなかったのです。ですが、どうやら大島副理事長は、医療経過をカルテという診療記録に詳細に残していないことと、インフォームドコンセントの文書がないこと、要するに、記録や文書がないことが「倫理上問題がある」と言っているわけです。

倫理、おそらく「医の倫理」(医療倫理:medical ethics)の意味だと思いますが、これは、「医師はどのような方針で治療にあたるか、どのように患者に接するかといった問題」(今井道夫著「生命倫理入門」(第2版)1頁)を意味します。この、どのように患者に接するかという点が、現在では、能力ある患者に十分な情報を与えた上で、承諾することを要する(インフォームドコンセント)として、確立しているわけです。

説明書(書面)があった方が通常理解を助けることになるでしょうから、書面があった方がいいことは確かですが、説明書があっても、分かりにくいのであれば意味がありません。あくまでも、患者に十分な情報を与えたか、説明義務を尽くしたかどうかが問題なのです。説明書を交付する医師も多くなりましたが、いまだ説明書を交付しない医師も結構いるのです(朝日新聞の記者の経験談が記事に)。ようするに、説明書があれば、「倫理」を尽くしたことになるわけではないのです。

また、 同意書の主たる目的は、何か患者に不利益が生じたときに争いを封じておくための証拠であって、存在すれば医師側に有利な書面であって、患者の利益のための書面・患者の治療に役立つ書面ではありません。今は、輸血のみの同意書など、手術する際には多数の同意書を交付していて、患者の側が混乱気味であるとの指摘もあるようです。同意書があれば、「倫理」を尽くしたことになるわけではないのです。

ただ、カルテは、患者から事後開示を求められたら原則として応じなければならないのですから、十分な記載が必要です。しかし、医療過誤などで問題となった際に問題となることなのですから、治療する際の「倫理」の問題とはズレています。

このように検討すると、大島福理事長は、万波医師に対して、医師の倫理上問題があると批判していますが、「医の倫理」を誤解しているものであって、的外れの批判なのです。



(5) 大島副理事長は、

「万波医師を擁護する動きに対しては、「医療水準から外れたことを容認するようなら、医学会の存在価値などない。感情的な同情論と医学的な評価は、全く別次元の問題だ」

とも述べています。

遅れた医療水準を基準にして万波医師を批判しても的外れですから、大島副理事長が、遅れた医療水準を墨守するように求めるなら、それこそ「医学会の存在価値」はないでしょう。


大島副理事長は、万波医師を擁護する動きに対して、「感情的な同情論」と吐きすてています。確かに、万波医師への同情論もあるでしょうが、万波医師への同情論の後ろには、移植を待って死亡していく患者がいるのです。要するに、「万波医師への同情論=臓器不足の現状への打開策が必要」ということなのです。大島副理事長は、臓器不足の現実から目を逸らす愚か者なのです。

万波医師を擁護するのは、別に、同情論だけではないのです。病腎移植の結果につき良好な結果という客観的事実があるのですから、 これまでの報告によると「医学的な評価」も問題ないのです(
「病気腎移植の医学的妥当性(3)~生存率5年で70%(産経新聞1月20日付)」参照)。

このように、病腎移植を肯定するのは、臓器不足の現状、病腎移植も良好な結果が出ているという客観的事実の存在、という極めて現実を見つめた上で判断しているのであって、感情論ではないのです。大島副理事長の方こそ、感情論で病腎移植を忌避しているように感じられます。




3.万波医師だけでなく、他の医師もずっと前から病気腎移植は行われてきましたが、過剰に反応した報道によって、病腎移植は着目されるようになりました。病腎移植も児童虐待や少子化問題と同様に、見いだされ、名付けられることによって問題になっただけで、今さら問題視することもなかったのです。

病腎移植もまた、“愚民”相手に「作られた」問題であって、「リンリ、リンリ」と鈴虫のように騒ぐことなく、世界の潮流に合わせて病腎移植の医学的妥当性を検証すればよいと思うのです(「“愚民”相手に「作られた」問題~東京新聞平成19年1月3日付「本音のコラム」より」参照)。日本の市民の側、マスコミの側も、能力の劣った大島副理事長の意見を信じてしまうのではなく、冷静な判断を行うべきです。


まずは、大島副理事長自体、信頼できるような医師なのかどうかも疑ってかかるべきでしょう。

 「都築 一夫、美濃和 茂、伊東 重光、小野 佳成、絹川 常郎、松浦 治、大島 伸一(社会保険中京病院):無脳児をドナーとした小児腎移植の1例、小児科臨床、37(6)、1233-1236、1984によると、1981年12月11日、名古屋大学医学部附属病院で在胎36週、生下時体重2,000gの無脳児(性別は記載無し)が出生、家族から腎提供の承諾を得て、同夜、温阻血時間0分で腎臓が摘出され、冷阻血時間309分で左右2腎とも8歳女児に移植された。温阻血時間0分は心臓拍動時の摘出を示す。

 立花 隆、NHK取材班:NHKスペシャル 脳死、日本放送出版協会、1991のp163-167によると、この「無脳児」ドナーから臓器を摘出したのは、社会保険中京病院泌尿器科の大島 伸一医師(当時)。手動の人工呼吸により、かろうじて呼吸し心臓も脈打っていたが、腎臓を取り出した時、赤ちゃんの心臓はすでに停止していた。大島氏はNHKの取材に「無脳児を正常な子供と同じように扱うのはどうしても私にはできない。脳の無い状態を『生きている』と本当にいえるのでしょうか。臓器移植の慎重論者の意見は聞いた感じは良いが、一つの欠落した部分がある。それは移植によって助かる人のいることを忘れているということです。・・・」など答えている。

 この時のレシピエントは拒絶反応で61病日に再透析となり、77病日に移植した腎臓を摘出した。腎臓が生着しなかった主因を「組織適合性が不良だったためと思われ」と大島氏ら自らが書いている。無脳児ドナーの臓器は発育が悪く手術手技も難しいために、困難が多いことは事前に認識していたであろう。また、組織適合性の不良は事前に検討しなければならない事項だ。「慎重論者は移植によって助かる人のいることを忘れている」と言うものの、本当は大島氏らはレシピエントの健康、手術による侵襲、負担を考慮していなかったのではないか、人体実験に終始したのではないかと疑わざるをえない。」(「脳波がある無脳児ドナー」より引用



要するに、大島福理事長は、“移植優先で人体実験”を行った経験があるのです。これに対して、万波医師は、米国の留学における知識経験、豊富な手術経験、優れた技量に基づいて、病腎移植を行ったのであって、“移植優先で人体実験”を行ったのではないのです。

“移植優先で人体実験”を行ったことのある医師と、“移植優先で人体実験”をしたことのない医師とどちらを信用できるのでしょうか? 考えるまでもなく、すぐに分かることだと思います。

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2007/02/24 [Sat] 18:08:55 » E d i t
テレビ報道では全く報道されず、新聞紙上では触れたものが殆どなかったのですが、2月22日は、万波医師が病気腎を摘出した元患者が記者会見を行っていました。この記者会見について触れた記事を紹介したいと思います。


1.まず、報道記事から。

(1) 特集宇和島 腎移植2007年02月23日(金)付 愛媛新聞

 「「摘出誘導なかった」 徳洲会病院調査病気腎患者が証言

 宇和島徳洲会病院(宇和島市)の万波誠医師(66)らによる病気腎移植問題で、同病院は二十二日、万波医師が病気腎を摘出した元患者五人から、摘出の経緯などについて聞き取り調査した。同病院によると、元患者らは「万波医師は事前に摘出以外の手術法についても説明した」などと証言した。

 調査結果は三月三日の同病院の調査委員会に報告する。

 元患者らは二〇〇四年九月から〇六年二月にかけ、同病院で腎臓摘出手術を受けた四十代から七十代の男性四人と女性一人。尿管狭窄(きょうさく)や動脈瘤(りゅう)、ネフローゼ症候群などを患っていた。

 元患者らは聞き取り調査に「万波医師が摘出を誘導するようなことはなかった」「病気の腎臓を他人に移植することは万波医師から事前に説明があった」などと述べたという。

 調査後に会見した元患者らは「人助けになるのであればと思い、提供を承諾した」などと話した。万波医師は「腎臓を摘出したことは間違いではなかったと確信している」とコメントした。

 同病院は十八日、大阪市内で調査委と専門委の合同委員会を開いた際、専門委員から患者の聞き取り調査をするよう要請を受けていた。」




(2) 毎日新聞平成19年2月23日付

 「病気腎移植:ドナーが会見「今でも納得している」

 宇和島徳洲会病院の万波誠医師(66)らによる病気腎移植問題で、同病院で病気腎を摘出されたドナー(臓器提供者)5人全員が22日、記者会見。「他の治療法の説明も受けた上で、自ら選んだこと。今でも納得している」と述べ、病気腎移植を検証中の同病院専門委員が腎臓摘出を「不適切」と指摘したことに反論した。

 5人は04年9月~06年2月、万波医師に病気腎摘出手術を受けた。この日は「ドナーの気持ちを伝えてほしい」という病院の求めで会見した。

 04年9月にネフローゼ症候群で両腎摘出した水島辰喜さん(53)は万波医師から、「摘出せずに治療するのがいい」と説明を受けたが、病状が改善しないため、自ら摘出を希望したという。専門委員は「両腎摘出は必要なかった」としているが、「他の治療法では治らないと思い、ためらいはなかった」と述べた。

 尿管狭さくで摘出した70歳代の男性は別の治療法や他人に移植することの説明も受けたといい、「先生には『人助けになるのなら、ええようにしてください』と言いました」と話した。【津久井達、川上展弘】

毎日新聞 2007年2月23日 10時15分」




2.このように、病気腎元患者は「摘出誘導なく、納得している」と証言しています。この元患者の証言は、法律上、どのような意味を持つのでしょうか? 法律上、民法、刑法等の観点から検討することができますが、刑法上の観点が分かりやすいので、刑法上の観点から検討してみることにします。

(1) 医師による手術は、外形上傷害罪(刑法204条)に当たりますが、刑法35条(正当業務行為)により正当化されるので、傷害罪に当たらないと説明されます。

この正当化の要件としては、<1>治療目的、<2>医学上の法則に従うこと、<3>患者の同意の3点が挙げられています(前田雅英著「刑法総論講義(第4版)(2006年、東京大学出版会)308頁)。

この3つの要件のうち、(a)治療行為が社会倫理秩序に適合していることを重視する社会的相当性説と、(b)優越的利益の保護と患者の意思の尊重を組み合わせて考える説が対立しているのですが、ポイントは、患者の承諾(同意)をどれだけ重視するのか否かで対立しているのです。

昔ならともかく、現在では、個人の尊重(憲法13条)からすると、“自分の生き方は自分で決める”ことが基本なのですから、医療行為においても、患者の自己決定権が重視されています。そこで、「これから行われようとする医的侵襲内容を完全に認識した上で真摯な同意(完全なインフォームドコンセント)が存在すれば、それだけで、被害者の法益の完全な放棄が認められ、不加罰とすべきである」(前田著「刑法総論講義」309頁)というのが、近時の多数説といってよいでしょう。

分かりやすく言えば、患者が、医師からこれから行おうとする医療行為について十分に説明を受けた上で、納得して同意をしたのであれば、適法であるということです。患者の意思の尊重こそがもっとも大事なことなのです。インフォームドコンセントは、刑事、民事問わず、医療行為を行う際には最も重視すべき点であるというわけです。

もちろん、医療水準として確立している実施予定の療法(術式)を行うことが前提ですが、未確立の療法であっても、相当数の実施例があるなど積極的な評価を受けているものであれば、問題なく適法となります(乳がん手術の民事事件ですが、最高裁平成13年11月27日判決参照)。


(2) 宇和島徳洲会病院の専門委の委員の一部は「はじめに移植ありき」だとか、「両腎摘出は必要なかった」とか批判していましたが、患者たちは、

 「「万波医師が摘出を誘導するようなことはなかった」

「病気の腎臓を他人に移植することは万波医師から事前に説明があった」

「人助けになるのであればと思い、提供を承諾した」

「他の治療法の説明も受けた上で、自ら選んだこと。今でも納得している」

 万波医師から、「摘出せずに治療するのがいい」と説明を受けたが、病状が改善しないため、自ら摘出を希望したという。専門委員は「両腎摘出は必要なかった」としているが、「他の治療法では治らないと思い、ためらいはなかった」」

と述べているのです。

このように患者が述べている以上、「患者が、医師からこれから行おうとする医療行為について十分に説明を受けた上で、納得して同意をした」と言えるのですから、万波医師の治療行為は適法であるといえるのです。

このように適法な行為であるのに、あくまでも万波医師の行為を問題視することは、患者の自己決定権を軽視し、患者の意思を軽視するものであって、医療としても、民事・刑事法上はもちろん、憲法上も妥当でないといえるのです。


万波医師に対して、「移植したいために摘出した」のであって、昔風のパターナリズムを実践していると批判する意見があったります。しかし、そういう批判する側は、パターナリズム自体、よく分かっていないのではないでしょうか?

 「医療におけるパターナリズムとは、医師が患者のために医師側の判断を強制することを意味する。しばしば医師が医師自身の利益のために患者の不利益になるような措置を強制することも「パターナリズム」と言われるが、これは誤用である。医師が自己のエゴイズムを押し通すために、それも患者の利益になるかのように見せかける「おためごかし」は、パターナリズムを装ったエゴイズムである。」(森岡恭彦・畔柳達雄監修「医の倫理ミニ事典」から、「医療におけるパターナリズム」(加藤尚武)20頁)





3.このブログのエントリーでも、コメント欄においても、何度か指摘しているように、なぜ、日本移植学会の幹部や専門委員が、万波医師の行った治療を「不適切」と非難するのか、不思議に思います。

ネフローゼ症候群を例に挙げると、ネフローゼ症候群への治療は、内科的治療が基本であることは確かですが、どうしてもネフローゼが改善しない症例に対する最後の手段として、腎臓摘出を行うことがあります。これは、多くの教科書や論文で指摘されているのですから、専門医としては基本事項、すなわち、泌尿器科の専門医にとっては医療水準として確立した療法(術式)と判断できると考えます。

このように、腎臓摘出がありうることが、泌尿器科の専門医にとっては医療水準として確立した療法(術式)であるとすると、問題となるのは、その具体的な患者に対して、腎臓摘出が必要であったかどうかになります。この判断は、従来からの患者の治療状況、万波医師や患者への詳細な聞き取りなど詳しい検証を行うことによって、はじめて判断できるでしょう。

そうなると、徳洲会病院の専門委員はどこまで調査をした上で、「両腎摘出は必要なかった」と判断したのでしょうか? 少なくとも、万波医師や患者への詳細な聞き取りなしに判断しているのですから、その判断は到底妥当ではないのです。

「両腎摘出は必要なかった」と速断してしまった専門委員は、むしろ腎臓摘出がありうることが、泌尿器科の専門医にとっては医療水準として確立した療法(術式)であることすら、知らない専門医であるように思えるのです。

そうなると、問題視すべきなのは、万波医師の治療行為ではないのです。腎臓摘出がありうることが、泌尿器科の専門医にとっては医療水準として確立した療法(術式)であることすら、知らないような「泌尿器科医の専門医に値しない専門委員」こそ問題視すべきなのです。最後の手段として、腎臓摘出を行うことができない専門医は、専門医としての医療水準という、医学上の知見を有していないのですから、腎臓摘出が適切な患者に対して実施しない場合は、診療上の過失が認められ、患者に対する民事上の責任を負うのですから(潮見著「基本講義 債権各論2不法行為法」200頁参照)。
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2007/02/23 [Fri] 23:57:21 » E d i t
「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」との民法772条の認識不足で大阪地検が中国人女性を誤って起訴した問題について、関わった検事らが処分を受けました。この記事を紹介したいと思います。


1.報道記事とそれへのコメント。

(1) 毎日新聞平成19年2月22日付朝刊29面

 「民法772条問題:誤起訴した担当検察官ら処分へ

 「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」との民法772条の認識不足で大阪地検が中国人女性を誤って起訴した問題で、長勢甚遠法相は21日の衆院法務委員会で担当検察官らを処分する方針を明らかにした。平岡秀夫議員(民主)の質問に答えた。

 誤った起訴にかかわった検察官について、長勢法相は「担当検事と刑事部副部長、刑事部長の3人」と明かした。そのうえで、平岡議員から「どうけじめをつけるのか」と問われると、長勢法相は「何もしないことはまずない」と述べた。【工藤哲】

毎日新聞 2007年2月22日 東京朝刊」




(2) 毎日新聞のHP(2007年2月23日21時15分)

 「民法772条:認識不足で起訴、検事ら注意処分 大阪地検

 交際相手との子を前夫の子として届け出た中国人女性を民法772条の規定の認識不足から、公正証書原本不実記載・同行使罪で誤って起訴したとして、大阪地検は23日、担当の副検事と決裁した大島忠郁刑事部長、副部長の計3人を内規に基づく厳重注意処分とした。

 同条は離婚後300日以内に誕生した子を前夫の子と推定すると規定。女性はこれに従い、前夫との離婚から5カ月後に出産した交際相手との間の男児について、大阪市港区役所に「前夫の長男」として出生届を出した。大阪地検はこれを「虚偽の届け出」と誤解。昨年10月に女性を起訴したが、公判中に誤りに気付き、今月16日に起訴を取り消していた。【日野行介】

毎日新聞 2007年2月23日 21時15分」



(3) 今回の公正証書原本不実記載・同行使罪では、犯罪事実の根幹となるのは民法772条の規定であるのに、その規定の認識不足があり、確かめることもしないというあまりに明白なミスをによって、起訴してしまったのですから、処分を受けることは当然のことです。

ミスの程度や処分の程度によるので一概に言えないのですが、処分を受けた検察官は、すぐにではなくても辞職していたりします。今回の場合、担当の副検事と決裁した大島忠郁刑事部長、副部長のうち、何時になるか不明ですが、どなたかは辞職する可能性があります。


明白なミスで起訴されてしまった女性の不利益からしても、処分することは良いとしても、民法772条の「離婚後300日規定」が不合理であることは確かです。不合理な規定であるのに、その規定があるため処分されてしまうのですから、ある意味、不合理な処分といえなくもありません。もし、「300日規定」が改正されていれば、まったく問題は生じなかったのですから。ましてや、いずれ辞職の道が待っているのですから、不合理な思いが生じてしまうでしょう。

こういう不合理な処分が起きないためにも、民法772条の「離婚後300日規定」を改正して、再婚後出生した子供は、前夫の子ではなく、現在の夫の子と推定する規定に変更することが妥当であると思います。



2.おまけとして、「嫡出:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」の誤りについて、言及しておきます。

(1) 元々、ウィキペディアは、必ずしも正しいとはいえません。最近も、次のような記事が出ていました。

ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止
2007年02月23日

 米バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日本史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637~38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった。

 日本史を教えるニール・ウオーターズ教授(61)は昨年12月の学期末テストで、二十数人のクラスで数人が島原の乱について「イエズス会が反乱勢力を支援した」と記述したことに気づいた。「イエズス会が九州でおおっぴらに活動できる状態になかった」と不思議に思って間違いのもとをたどったところ、ウィキペディアの「島原の乱」の項目に行き着いた。

 ウィキペディアに基づいて答案を書いたと思われる例は以前からあったという。「大変便利で、調べごとの導入に使うことに全く異存はないが、一部の学生は書いてあることをそのまま信じてしまう」と教授は言う。

 同大史学部では1月、「学生は自らの提供する情報の正確さに責任をもつべきで、ウィキペディアや同様の情報源を誤りの言い逃れにできない」として引用禁止を通知した。ドン・ワイアット学部長によると、「同様の情報源」とはウェブ上にあって多数の人間が編集することができ、記述の正確さが担保できない情報源を指すという。

 学生の多くは納得したが、「教員が知識を限定しようとしている」との不満も出た。他学部には広まっていないという。

 島原の乱をめぐる記述はニューヨーク・タイムズ紙がこの問題を取り上げた21日、修正された。

 ウィキペディアの創始者のジミー・ウェルズさん(40)は「慈善的に人間の知識を集める事業であり、ブリタニカと同様以上の質をめざして努力している。ただ、百科事典の引用は学術研究の文書には適切でないと言い続けてきた」と話す。 」(asahi.com(2007年02月23日)


ウィキペディアの創始者のジミー・ウェルズさんが「百科事典の引用は学術研究の文書には適切でない」と述べている通りです。法律問題についても、学術的に検討する場合、ウィキペディアを引用することは適切ではないのです。


(2) 間違いと思う記述はこの箇所です。

 「民法772条の問題点

上記のとおり、嫡出子の推定については民法772条で婚姻成立の日から200日以後婚姻解消・取消しの300日以内とされているため、離婚後300日以内に前夫以外の者を父とする子どもが生まれた場合、この子は前夫の子と推定される。この様な場合において、現在の戸籍窓口が推定規定に反する者を父とする出生届の受理を認めておらず、また、多くの法律家が前夫との親子関係を否定するためには審判が必要であると思いこんでいたために、前夫との関わりを避けたい母が出生届を提出せず、結果として無戸籍の子を生じているとの問題が指摘されている。
厳密に検討すれば、かかる事態は嫡出推定の規定により生じたと言うよりも、出生届の提出前に遺伝上の父に対して認知を求める訴えを提起するという方法を知らなかった法律家、あるいは、積極的な父の証明がある場合にさえ遺伝上の父を父とする出生届を受理しないという戸籍運用により生じたというべきであろう。

なお、戸籍がなくても住民票の交付、学校教育を受けることは可能である。ただし、日本国民という証明がない以上、パスポートの発券は不可能である。」



もっと問題のある点を絞ると、

 「かかる事態は嫡出推定の規定により生じたと言うよりも、出生届の提出前に遺伝上の父に対して認知を求める訴えを提起するという方法を知らなかった法律家、あるいは、積極的な父の証明がある場合にさえ遺伝上の父を父とする出生届を受理しないという戸籍運用により生じたというべきであろう。」

の点です。

形式的に民法772条にあたる場合でもその推定が及ばない場合があること(いわゆる「推定の及ばない子」)を認めたのが、最高裁昭和44年5月29日判決ですが、その判決は、夫から嫡出否認の訴えがなくても、実の親に対する認知の訴え(民法787条:強制認知)を提起できることを認めています(「離婚後300日問題(民法772条問題)~離婚後に出産、子供の戸籍は?」参照)。

認知の訴えは、出生届後にできるという制限はありませんから、最高裁昭和44年5月29日判決は、「出生届の提出前に遺伝上の父に対して認知を求める訴え」を認めた判例といえるのです。最高裁昭和44年5月29日判決は、「推定の及ばない子」の典型例であり、著名な判例ですので、知らない法律家はまずいません。

ですから、この問題に関わったことがある法律家(=弁護士)のうちで、

「出生届の提出前に遺伝上の父に対して認知を求める訴えを提起するという方法を知らなかった法律家」

がいるというのは、ちょっと考えにくい
です。

もっとも、家族法関係に全く疎いため、この問題について全く無知な法律家もいるとは思いますが。(なお、「認知を求める訴えを提起するという方法を知らなかった法律家」というように、認知を求める訴えを起こす側の法律家を問題にしているので、この記述における「法律家」とは、弁護士のみを意味しているのでしょう。772条を失念するような検察官であれば、「出生届の提出前に遺伝上の父に対して認知を求める訴えを提起するという方法」は知らないかもしれませんが。)


また、

「積極的な父の証明がある場合にさえ遺伝上の父を父とする出生届を受理しないという戸籍運用により生じたというべきであろう」

という点も問題です。

法解釈の最終的な決定権限は、行政権ではなく、司法権(裁判所)にありますから、裁判例に違反するような行政解釈・戸籍運用を取ることはできません。

血液型又はDNA鑑定結果が不一致である場合には、772条の推定が及ばない子と扱う裁判例(東京家審昭和52年3月5日)も確かにあります。このような裁判例によれば、「積極的な父の証明がある場合にさえ遺伝上の父を父とする出生届を受理」するという戸籍運用も可能です。

しかし、多くの判決・審決は、血液型やDNA鑑定の不一致だけでなく、家庭の崩壊や各当事者の意思を推定排除の条件としているのです(札幌家審昭和61年9月22日、東京高判平成6年3月28日)。そうすると、DNA鑑定があっても、すなわち積極的な父の証明があっても、「遺伝上の父を父とする出生届を受理する」という戸籍運用を採ることは、多くの判決・審決に反してしまいます。

そうなると、行政としては、裁判例に違反するような行政解釈・戸籍運用を取ることはできないのですから、多数の裁判例に従うことになり、「積極的な父の証明(=DNA鑑定)があれば、遺伝上の父を父とする出生届を受理する」という戸籍運用を採ることは難しいのです。

「積極的な父の証明がある場合にさえ遺伝上の父を父とする出生届を受理しないという戸籍運用」が悪いのではなく、そうせざるを得ない裁判例があるからです。そして、そういった裁判例が生じるのも、民法772条の「離婚後300日以内に出生した子は前夫の子と推定する」旨の規定があるからなのです。

ウィキペディアの記述のように、無知な法律家が悪いのでも、戸籍運用・戸籍実務が悪いのでもないのです。かかる事態は民法772条の「離婚後300日規定」により生じたという理解が妥当なのです。

なお、

「かかる事態は嫡出推定の規定により生じたと言うよりも」

の部分も誤解を生じさせるので、よくありません。民法772条による推定規定すべてが良くないというのではなく、「再婚後の出生した子を前の夫と推定する」部分が妥当でないと、言っているのです。この点を誤解してしてはいけません。もっとも、誤解している弁護士のブログもありますが(Yahooの検索ですぐ出てくるブログですね)。


ウィキペディアを読んで調べることは良いとしても、それをむやみに信用することはせず、よく確かめることが必要です。

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2007/02/21 [Wed] 07:33:30 » E d i t
宇和島徳洲会病院の病気腎移植の是非を検討した調査・専門合同委員会の調査結果については、「徳洲会病院の病腎移植調査委の結論は……「不適切」に決定でなく結論先送り!?」で触れました。しかし、同じ調査結果について、愛媛新聞ではかなり異なる論調の記事となっていました。そこで、この記事について紹介したいと思います。


1.特集宇和島 腎移植2007年02月19日(月)付 愛媛新聞

 「大阪市病気腎移植 記録に不備 徳洲会病院合同委員会 結論は持ち越し

 病気腎移植について調査している宇和島徳洲会病院(宇和島市)の調査委員会と専門委員会は十八日、合同委員会を大阪市内で開いた。医学的見地から調査した専門委は医学上の記録が文書で残されていない点に問題があるとの点で一致したが、各専門委員の見解は「十一件すべて医学的に適切とはいえない」「不適切な医療とまではいえない」と分かれた。移植の当否を検証している調査委は三月三日、移植を執刀した万波誠医師(66)から聞き取り調査した上で、最終結論を出す。

 合同委には日本移植学会などが派遣した外部委員や徳洲会グループの内部委員など二十人が出席。専門委の移植、泌尿器、腎臓内科、病理の各専門医が、同病院での十一件の病気腎移植について摘出・移植状況などを報告し、医学的見地から意見を述べた。

 会見した両委員会の委員を務める福島安義・徳洲会専務理事らによると、専門委員から「記録に不備があり、限られた情報の中で判断すれば、十一件すべて医学的に適切とはいえない」との見解が示された。ただ「口頭でのインフォームドコンセント(説明と同意)はなされており、不適切な医療とまではいえない」など病気腎移植に一定の理解を示す意見も出たという。(以下、略)」


ここで特徴的な点は、全国紙の報道のように、専門委員は「11件すべて医学的に適切ではない」と断定したのではなく、

「各専門委員の見解は「十一件すべて医学的に適切とはいえない」「不適切な医療とまではいえない」と分かれた。」

ということです。だからこそ、調査委は、3月3日、移植を執刀した万波誠医師から聞き取り調査した上で、最終結論を出すという結論にしたのです。




2. 特集宇和島 腎移植2007年02月19日(月)付 愛媛新聞

 「専門委 見解に隔たり 徳洲会病院合同委 病気腎 否定と容認

 「きょう最終報告を出すつもりで検証してきたが、カルテの記載内容があまりに少ない。病名と手術結果が書いてあるだけで、どういう経緯で摘出、移植に至ったのか分からない」―。十八日、大阪市であった宇和島徳洲会病院の調査・専門合同委員会終了後、足早に会場を後にした委員が漏らした。

 同病院の万波誠医師(66)らによる病気腎移植を、純粋に医学的見地から検証した専門委では同日、各分野の専門家がそれぞれ見解を示したに過ぎず、統一見解をまとめるには至らなかった。「難航」の要因として、複数の委員がデータの不足を挙げる。

 専門委のある委員は「初めからノーありきの調査じゃない。深刻なドナー(臓器提供者)不足のなか、今回の症例の中からヒントを得たいと考えたが、とにかくデータが足りない」と指摘。別の委員も「最長で術後約二年半だが、現時点の移植成績はかなりいい。なのに万波先生はほとんど医学的データを残しておらず、個別症例の詳細な判断ができない」と話す。

 委員構成に関し、病院関係者と外部専門家のバランスに言及する声も。調査委は委員十八人のうち外部委員は四人だけで、残る十四人は同病院と徳洲会グループ関係者が占める。専門委も九人(一部調査委と重複)のうち四人がグループ医師だ。

 専門委の報告では、現在の医学界のルールなどで判断した結果、外部委員からは「通常なら摘出しないケースが多い」「がんや感染症の臓器は移植しない」との否定的な意見が大半。一方、グループ医師らは「主治医の裁量で許容範囲」との見解を示すなど、見解の隔たりは大きい。

 ある委員は「医療は、目の前の患者を治療することが至上命令だが、同時に社会活動の一つ。社会的批判を受けてもなお認知されるには、有効性や安全性などを証明する記録を残しておくことが絶対的に不可欠だ」と指摘している。(以下、略)」


この記事になると、全国紙やテレビ報道とは全く違う印象を受けるのではないでしょうか?


(1) 

 「「きょう最終報告を出すつもりで検証してきたが、カルテの記載内容があまりに少ない。病名と手術結果が書いてあるだけで、どういう経緯で摘出、移植に至ったのか分からない」―。十八日、大阪市であった宇和島徳洲会病院の調査・専門合同委員会終了後、足早に会場を後にした委員が漏らした。」


要するに、ずっと、カルテの記載で判断してきたが、カルテの記載内容が少ないので、病腎移植の是非を判断できず、このままでは結論を出すことは無理だというわけです。


(2) 

 「専門委のある委員は「初めからノーありきの調査じゃない。深刻なドナー(臓器提供者)不足のなか、今回の症例の中からヒントを得たいと考えたが、とにかくデータが足りない」と指摘。別の委員も「最長で術後約二年半だが、現時点の移植成績はかなりいい。なのに万波先生はほとんど医学的データを残しておらず、個別症例の詳細な判断ができない」と話す。」


この記述には、正直驚きました。病腎移植はダメという「結論ありき」ではなかったわけです。むしろ、「初めからノーありきの調査」ではなく、「現時点の移植成績はかなりいい」のだから、「症例の中からヒントを得たい」と思っていたのですから、ドナー不足の対応策として、一部でも病腎移植を肯定することはできるのではないか、と考えていた委員が複数いたわけです。

そうなると、なぜ全国紙では、「すべて不適切」といった報道になったのでしょうか? 次の部分がヒントになると思います。


(3) 

 「専門委の報告では、現在の医学界のルールなどで判断した結果、外部委員からは「通常なら摘出しないケースが多い」「がんや感染症の臓器は移植しない」との否定的な意見が大半。一方、グループ医師らは「主治医の裁量で許容範囲」との見解を示すなど、見解の隔たりは大きい。」


どうやら、病腎移植すべて否定的な外部委員と、肯定的なグループ医師らの意見が対立しているようです。そこで、全国紙の報道機関は、外部委員のうち、病腎移植すべてに否定的な委員(おそらく、移植学会の幹部か?)から詳しくリークしてもらって、それを基にして報道したのだと思います。

調査・専門合同委員会では、記載の少ないカルテしか判断材料がないのですから、万波医師から聴取することなく判断することは困難なので、「結論先送り」になるのは当然といえるのです。しかし、「結論先送り」の決定に不満があり、病腎移植をすべて否定したい委員がいたのでしょう。
病腎移植をすべて否定したい委員と、万波医師を執拗に非難したい一部のマスコミとが結託して、病腎移植すべて不適切といった誤報を繰り広げたというのが“真相”であるように感じました。




3.「結論先送り」の決定に不満があり、病腎移植をすべて否定したい委員と、万波医師を執拗に非難したいマスコミとが結託した結果が、次のような社説に表れています。

(1) 毎日新聞平成19年2月20日付社説

 「社説:病気腎移植 徹底調査で問題点明らかに

 腎臓病の人から摘出した腎臓を別の人に移植する。宇和島徳洲会病院で万波誠医師らが実施した「病気腎移植」は、11件すべてが医学的に不適切だったという。

 病院の調査委員会に専門委員らが報告したもので、腎臓の提供者にとっても、移植を受けた人にとっても、気が重くなる内容だ。

 病気腎移植は、これ以外に2病院で31件実施されている。全部で42件の症例が医学的に見てどうだったのか。各病院はさらに徹底した調査をし、詳しい報告を公表してほしい。(以下、略)」


まだ結論が出ていないに、「『病気腎移植』は、11件すべてが医学的に不適切だったという」と断言してしまうのです。「気が重くなる」のは、デマを流す毎日新聞の社説の方です。


(2) 日経新聞平成19年2月20日付社説

 「社説2 病気腎移植の理不尽な実態(2/20)

 宇和島徳洲会病院で万波誠医師らが実施した11件の病気腎移植について、外部の専門家委員会は、ほとんどが不適切な手術だったという結論を下した。患者への説明と同意を省略するという、倫理手続きの欠陥というより、手術そのものの医学的な根拠に大きな疑問があると指摘しており、問題は相当に深刻だ。(以下、略)」


この社説は、デマばかりであり、この一部引用部分だけでも無茶苦茶としか言いようがありません。

「外部の専門家委員会は、ほとんどが不適切な手術だったという結論を下した」

としていますが、「外部の専門家委員会」の結論とは、2月17日の専門員会の結論のことなのでしょうか? 仮にそうであっても、18日の調査・専門合同委員会の調査結果では「結論先送り」なのですから、「結論を下した」と断ずるのは妥当ではありません


「患者への説明と同意を省略するという、倫理手続きの欠陥」

としていますが、省略されていたのは、患者への説明書と同意書という“書面”が省略されていたのであって、「説明と同意を省略」したわけではないのです。日経新聞は、説明と同意がないことと、説明書と同意書がないことの違いが分からないほど愚か者であるか、それとも、意図的にデマ報道を行うつもりなのか、のどちらかです。いずれにしても、妥当でなく訂正すべきです。

このように、「相当に深刻」なのは、万波医師の医療行為ではなくて、デタラメな社説を垂れ流す日経新聞の方です。




4.このように、各報道記事・社説を引用してみると、宇和島徳洲会病院の病気腎移植の是非を検討した調査・専門合同委員会の調査結果については、全国紙での報道記事よりも、愛媛新聞の報道記事の方が適切であったと思います。

しかし、多くの人たちは、全国紙の記事や社説による誤報を信じてしまっているのではないでしょうか? この愛媛新聞の記事が広く読まれることを期待しています。

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2007/02/20 [Tue] 06:40:45 » E d i t
宇和島徳洲会病院の専門員会の調査結果がでたとの報道がありました。2月18付の新聞紙面では、「病気腎移植は『大半は不適切』」という見出しでしたが、2月18日の合同会議を経た後の報道は、「結論先送り」でした。この報道についてコメントしたいと思います。(追記:誤植の訂正・専門委員会と調査委員会の混同の訂正とリンク先の入れ替えをしました)
3月4日追記:日経新聞の記事内容の誤りについて追記しました。専門員会は、11件すべて不適切という結論を取りまとめた事実はありませんでした)


1.まずは2月18日付と2月19日付報道記事から

(1) 日経新聞平成19年2月18日付39面

「病気腎移植 大半は不適切」  万波医師実施 専門委が報告へ

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)が設置した外部の医師らによる専門委員会は17日までに、万波誠医師(66)が同病院で実施した11件の病気腎移植のほとんどについて、腎臓の摘出は医学的に適切ではなく、別の患者への移植もするべきではなかったとの調査結果をまとめた。18日に大阪市で開く同病院の調査委員会との合同会議で報告される。

 専門委員からは「『初めに移植ありき』の腎臓摘出と言われても仕方がない」との厳しい指摘も出ており、専門家による詳細な検討で、病気腎移植の問題点があらためて示された。

 日本移植学会など5つの学会が17日、大阪市内で会合を開き、この問題を検討、3月末をめどに一連の移植への共同見解をまとめることを申し合わせた。

 同病院は腎臓内科や泌尿器科、病理など外部の専門家による委員会を設置し、腎臓の摘出や移植の医学的な妥当性について調査してきた。

 その結果、病気腎の摘出については「医学的には適切ではない」が7件、「適切でないか疑問」が3件、「不明」が1件だった。また摘出した腎臓の移植への使用については「移植すべきではなかった」が7件、「本人に戻すべきだった」が4件とされた。

 11件のうちの2件は、香川労災病院(香川県丸亀市)で腎がん患者から摘出した腎臓が使われたが、この摘出について同病院の調査委員会も「腎提供や移植を念頭に置いた手術方法と言わざるを得ない」と指摘している。

 また宇和島徳洲会病院の専門委員は、倫理委員会を設置せず、患者へのインフォームドコンセント(十分な説明と同意)の記録を義務付けないなど、同病院の管理責任の欠如も厳しく指摘した。

 病気腎移植は、同病院のほか、万波医師が以前に勤務した市立宇和島病院などでも実施されたことが分かっている。」



「初めから結論ありき」 万波医師が専門委を批判

 宇和島徳洲会病院の専門委員会が病気腎移植のほとんどは医学的に不適切とする調査結果をまとめたのに対し、万波誠医師(66)は17日夜、「初めから結論ありきだ」と批判した。万波医師は「専門委員会の先生には、腎臓摘出が適切だったと説明してきた。しかし、初めからそう(不適切と)言うのだから、どうにもならん。専門委のある先生は初めから結論ありきだった」と話した。

 万波医師は市立宇和島病院時代に、B型肝炎感染者の腎臓を移植に使ったとされる問題にも「病院の内科医が十分に検査し、99%ウイルスがないと報告があったから移植をした。当時の複数の同僚医師もウイルスはなかったと言っている」と反論した。」



 「貴会は,平成19年2月17日,正午のニュースをはじめとする複数のニュース番組の中で,当病院の病気腎移植問題に関し,外部の専門家による委員会が,調査した11件の移植のほとんどについて,病気の腎臓を摘出してほかの患者に移植したのは医学的に問題があったと判断したこと,また,翌18日に開かれる当病院の調査委員会にそのような見解を報告する予定であることなどを内容とする報道を行いました(以下「本件報道」といいます。)。

 しかしながら,上記委員会において,本件報道のような結論を取りまとめた事実は全く存在しません。このことは,翌18日に専門員全員が出席して開かれた調査委員・専門員合同委員会の冒頭において改めて専門員全員により確認されております。 上記合同委員会の席上では,専門委員がそれぞれの立場の見解を示したレポートを提出し,その説明を個々に行ったに過ぎず,専門委員としての統一的見解が示されてはいません。 したがって,専門委員会としての合意や統一的見解というものは存在しません。

 また,専門委員の中で,11件の移植すべてについて医学的に問題があったとする見解を示したのは,ただ1人のみです。」(徳洲会グループの「報道内容訂正及び謝罪の要求書」から引用)




このように、2月18日に報道された、宇和島徳洲会病院の専門委員会の調査結果では、「病気腎移植は『大半は不適切』」というものでした(東京新聞では、「病気腎移植は『不適切』」)。

ところが、次で引用するように、2月18日の合同会議を経た後の報道は、「結論先送り」でした。そうすると、病腎移植は『不適切』という結論を決定しなかったのです。ならば、2月17日の段階で、病腎移植は「不適切」と見出しを打つことは、妥当な報道ではなかったといえます。
読売新聞は、2月18日の合同会議で決定されるまではっきりしないこともあってか、2月17日の専門委の結果報告については、2月18日の紙面では何も触れませんでした。賢明な判断であったと思います。


これまでのリーク報道から分かるように、専門委員が「『初めに移植ありき』の腎臓摘出」だと非難する意見を述べるのは予想できたことですし、これに対して、万波医師が専門委を「初めから結論ありき」と批判するのも、また、予想できたものといえます。

予想できた記事内容とはいえ、両当事者の意見を引用するのが、報道機関として基本的な姿勢です。万波医師の意見をきちんと引用した記事は日経新聞くらいでしたから、日経新聞以外の報道機関は、報道機関としての基本姿勢を欠いていたといえるのです。 



(2) YOMIURI ONLINE:医療と介護(読売新聞平成19年2月19日付朝刊35面)(社会面から医療と介護面の記事に張替え)

 「徳洲会病院の病気腎移植問題、調査委の結論は先送り

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らによる病気腎移植問題で、同病院の調査委員会が18日、大阪市内で開かれた。同病院で行われた11件を検討してきた専門委員会からは「医学的に容認できるものはない」との報告が出された。しかし他の調査委員から「患者の個別事情も考慮すべきだ」との意見があり、調査委の結論は、3月3日に万波医師の釈明を聞いてから出すことになった。

 同病院で万波医師は2004年4月以降、患者5人から腎臓6個を摘出(ネフローゼ、腎動脈瘤(りゅう)、腎臓結石各1人、尿管狭さく2人)。他の病院で摘出された腎臓5個(腎臓がん2、腎動脈瘤、腎臓良性腫(しゅ)瘍(よう)、血管筋脂肪腫各1)と合わせ、11人に移植していた。

 記者会見した福島安義・徳洲会専務理事によると、この日は専門委員6人が泌尿器科、腎臓内科、移植など、それぞれ専門の観点から検討した結果を述べた。

 ネフローゼ患者の両腎摘出については「内科治療が第一選択。移植すると拒絶反応が起こることもあり、摘出は不適切」との評価で一致した。他の疾患についても、尿管狭さくは「まず内視鏡で治療すべきだ」、腎動脈瘤は「大きさから判断すると、経過を見ても良い」などの批判が出た。

 さらに患者との間で書面による説明と同意がなく、カルテ記載も不十分な点に大きな問題があり、専門委員会として「残っている記録からは、医学的に適切とは判断できない」とした。

 これを受け、調査委は「十分な記録がないのは遺憾で、万波医師に反省を求める必要がある」としたが、各症例への最終評価は、万波医師の話を聞いた上で判断することにしたという。

 万波医師はこの日、支援患者らでつくる「移植への理解を求める会」が宇和島市内で開いた集会であいさつ、病気腎移植の必要性を訴えた。調査委で医学的に不適切と指摘されたことに対しては、取材に「カルテだけの調査と、患者と向き合っている移植現場にはズレがある」と話した。

(2007年2月19日 読売新聞)」




2.この報道について、いくつか気になった点に触れたいと思います。

(1) 病腎移植問題について調査は、複数の調査委員会が行っています。移植手術を実施した、宇和島徳洲会病院、市立宇和島病院、呉共済病院、香川労災病院という4つの病院は、それぞれ独自に調査委員会が存在し、調査しています。

病気腎を提出・提供した岡山、広島の5病院は、厚労省の調査班が摘出の妥当性を検討し、同様に提供のみの鹿児島徳洲会病院は、宇和島徳洲会病院の調査委に調査を委ねています(朝日新聞2月18日付朝刊34面)。

2月18日・19日に報道された記事は、これら幾つかある調査委員会のうち、宇和島徳洲会病院の専門委員会・調査委員会の調査結果を報道したものです。もっとも、その報道以前に、「病気腎移植、続く論戦~東京新聞2月14日付朝刊「こちら特報部」より」において、四国新聞の記事(2月15日付「病気腎摘出4件「妥当」-香川労災病院調査委(2007/02/15 09:41)」)という記事を引用しましたが、その記事では、香川労災病院の調査委員会は、4件の摘出が医学的に妥当だったとの見解で合意していたのです。

香川労災病院の調査委員会の調査結果は、全国紙ではどこも触れていませんでしたが、各調査員会は別個に判断しているのであり、各調査員会に優劣があるわけではないのです。宇和島徳洲会病院の調査委員会の調査結果だけをことさらに大きく取り上げるのは、読者に誤解を与える記事といえると思います。


(2) もう1つ気になったのは、患者へのインフォームドコンセント(十分な説明と同意)について触れた部分です。

 「患者との間で書面による説明と同意がなく、カルテの記載も不十分な点が大きな問題だとした。

 これを受け、調査委は「十分な記録が残っていないのは遺憾で、万波医師に反省を求める必要がある」とした。しかし病気腎移植に対する最終評価については「患者から口頭での同意は得ていた。医学的観点だけでなく、患者の治療歴や社会的状況などの事情も考えるべき」との意見があり、万波医師の意見を聞いた上で判断することにしたという。」(読売新聞)


病腎移植は理解が得られるのか不安があったという事情があるのですから、やむを得ない面があるとはいえ、カルテの記載はきちんとしておくべきだったと思います。カルテという、診療記録の開示は患者に求められたら原則として応じなければならないのですから(「診療情報の提供等に関する指針」参照)、患者が理解できるように書く必要があるからです。


それはともかく、調査委員会は「患者との間で書面による説明と同意」がなかった点が大きな問題であるとしています。この意味は、調査委員会は、移植手術の際には必ず書面による説明と同意が必要であると理解していることなのだと思います。では、手術の際には必ず書面による説明と同意が必要なのでしょうか? 

医師としては、形式的に、同意書に署名させれば患者の同意を得たことになり、その医療措置・手術が許されるというわけではありません。患者の同意は、医師側から十分な情報が与えられてはじめて、有効な同意となります。インフォームドコンセント(informed consent)と言われるのは、このことです。

ここで、患者の同意が有効であるための前提として、医師に要求されるのが、説明義務です。説明義務に違反した行為(そもそも必要な説明をしなかったとか、不十分な説明をしたという場合)は、自己決定権侵害を理由とする不法行為(民法709条)となります(潮見佳男著「基本講義 債権各論2不法行為法」(2005年、新生社)203頁)。

では、説明義務を尽くしたと言えるためには、どのようなことが必要でしょうか? 最高裁平成13年11月27日判決は次のように判示しています。

 「患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明する義務がある」


このように、説明義務を尽くしたというためには、患者に理解可能なように説明することが重要なのであって、必ず説明書が必要というわけではないのです。

もちろん、説明書(書面)があった方が通常理解を助けることになるでしょうから、書面があった方がいいことは確かです。ですが、説明書があっても、分かりにくいのであれば意味がありません。あくまでも、説明義務を尽くしたかどうかが問題なのです。

ですから、説明書があった方が望ましいとしても、法律上は、説明書がなかったからといって、問題視するのは妥当ではないのです。


また、調査委員会は、同意書という書面がなかったことでもって、万波医師を批判していますが、これは的外れな批判です。同意書の主たる目的は、何か患者に不利益が生じたときに争いを封じておくための証拠であって、存在すれば医師側に有利な書面であって、患者の利益のための書面・患者の治療に役立つ書面ではないからです。

同意書は患者の治療に役立つ書面でないのですから、同意書がなかったことで、なぜ万波誠医師を批判できるのでしょうか? 同意書を得ていないことは、論理的には、「万波誠医師が同意書を得ていれば臓器提供者と移植患者から文句を言わせずに済んだのに、惜しいことをした」と、万波誠医師を心配することにつながるのであって、万波誠医師を非難することにならないのです。

念のため、書いておきますが、有効な同意があるかどうかは、有効な意思表示をしたかどうかであって、同意書という書面に署名したからではないのです。もちろん、同意書があれば同意した証拠になりえますが、あくまで単なる証拠にすぎないので、有効な意思表示であったかどうかは別問題なのです。例えば、意識が朦朧とした状態で、同意書に署名しても有効な同意があったことにならないのです。

ですから、同意書がなかったからといって、万波医師を非難することは的外れの批判であって、妥当でないのです。


(3) 病腎移植の大半は不適切と判断したようですが、記者会見ではどのように説明したかのかというと、次のような記事がありました。

 「18日の記者会見での「不適切」との根拠は、一般的な説明にとどまった。例えば、腎がんの患者の腎臓移植は、問題発覚当初から「今の医学の常識では考えられない」と否定的な意見が相次いでいたが、今回もその常識的な判断が示されただけだった。尿から過剰なたんぱくが出るネフローゼも「摘出せず、内科的治療をすべきだ」との大まかな説明で、一つ一つの手術に関する詳細な検証結果は明らかにされなかった。

 専門委員は「診療の経過などが文書で残っていない」と調査の限界を口にした。」(毎日新聞平成19年2月19日朝刊「解説:愛媛・宇和島の病気腎移植 全件不適切、詳細な説明必要」


個々の患者のケースに応じた判断をした結果、不適切としたのではなく、相変わらず、一般論としての判断から、全てのケースを妥当でないと判断したのです。

診療の経過が文書で残っていないからという言い訳をしているようですが、診療の経過が文書で分からないのであれば、患者に直接問えば良いのに、調査しないで結論を出してしまうのです。こんな調査なのですから、万波医師が「結論ありき」と批判し、「カルテだけの調査と、患者と向き合っている移植現場にはズレがある」(読売新聞2月19日付35面)と反論するのも、当然なことといえるのです。




3.3月3日に万波医師の釈明を聞いてから判断を決めると発表しているのに、日本移植学会等5学会側は、釈明を聞く前から万波医師の言い分に対して聞く耳を持っていないようです。

 「病気腎移植は原則禁止、5学会が方針 「万波式」を否定
2007年02月19日05時59分

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)らによる「病気腎」移植について、日本移植学会など関係5学会は、「原則禁止」の方針を打ち出すことを決めた。がんとネフローゼ症候群の患者からの移植は、免疫抑制下で「再発」の危険が高まるなどとして「絶対禁止」とし、それ以外についても例外的なケースを除いて禁止する方向で合意した。3月末の合同会議で、指針としての公表も検討する。個別症例ごとの検証結果は、同病院などに設けられた調査委員会と厚生労働省の調査班が、この方針に沿ってまとめる見通しだ。」(朝日新聞2月19日付朝刊1面


これらの記事を読み、ずっと病腎移植問題について触れてきたことからすると、次のような点に思い至るようになりました。


(1) 1つは日本移植学会等5学会には、万波医師の医療行為を判断できる能力が欠けているのではないかということです。

万波誠医師は、「ブラック・ジャック」と呼ばれるほどの技量を持ち、常に最先端の腎移植・治療を手掛けてきたのですから、日本においては他の誰よりも、腎移植・治療につき能力を有していると判断できます。だからこそ、人並み以上の豊富な移植手術数(30年で630件の腎移植数。個人ではおそらく日本一。(平成18年12月15日付広島県医師会速報の「編集室」欄・PDF))をこなしてきているのです。

これに対して、調査委員会の方はどうでしょうか? 縫合不全で死亡させてしまうなど、技量の劣る結果を残してきた深尾立医師が調査委員会の委員を務めているのです。また、ずっと触れてきたように、移植学会の幹部は、生体移植では病腎移植が行われてきたことを知らず、米国ではがんのあった臓器の移植を行っていたという論文の存在も知らずに「がんのあった臓器移植は禁忌」と唱えていました。このように、調査委員会の委員は、万波医師らより、技量も知識も劣っているのです。

そうすると、いくら専門医とはいえ、技量も知識も劣る者が、技量が優れていて、知識のある者の医療行為をどうやって判断することができるのでしょうか? 技量も知識も劣る者にとっては、技量が優れていて知識のある者の医療行為は未知の行為になってしまうのですから、同レベルもしくはより高いレベルにある者でなければ、判断することは困難であると思うのです。

しかも、調査委員会は、診療の経過がよく分からず、しかも患者に直接詳しく面談しているわけでもないのに、どうやって判断するというのでしょうか? 執拗なまでの万波医師らへの批判は、技量も知識も劣る者が、技量も知識も優れている者に嫉妬しているようにも感じられるのです。

こうも言うこともできそうです。

 「もし病腎移植が認められたりしたら、技量も知識も乏しい我々(=移植学会の会員)には到底できない。非会員である、万波医師を持ち上げるような医療を認めるわけにはいかないし、もし病腎移植を行っても、我々なら失敗してしまうから、常に訴訟になりかねない。人工透析は儲かるから、病院経営上、透析患者を減らすようなことはしたくないし、厚労省も十分に理解しているはず。マスコミには、倫理観を強調しておけば言いくるめることができるから、操縦は簡単だし、病腎移植は否定しておくのが無難ということにしよう。」



(2) もう1つは、いくらマスコミが病腎移植を否定し、万波医師を犯罪者のように扱ったとしても、日本移植学会等5学会が病腎移植を原則否定ということにしても、臓器不足の現実は少しも解消されることがなく、むしろ、病腎移植の道を閉ざすことで、患者を再び絶望させるだけとなることです。

 「病気腎移植の有用性強調/支援講演会で万波医師
2007/02/18 22:34

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)の患者や支援者ら約800人が18日、同市内で講演会を開き、参加した万波医師は「移植に使える病気腎が年間2000ぐらいある」と紹介して有用性を強調、許されるなら病気腎移植を続けたいと話した。

 広島大の難波紘二名誉教授(血液病理学)は、万波医師らの病気腎移植を自ら調査した結果を基に、がんやネフローゼの腎移植はほとんど問題がないと説明。「先進的な病気腎移植を認めなければ、海外で広まった後に逆輸入することになるだろう」と述べた。

 支援者らは19日、病気腎移植を認めるよう求める約6万人の署名を厚生労働省に提出する。」(四国新聞平成19年2月18日付



 「病気腎移植推進を国に要望 支援者ら、6万人の署名

病気の腎臓を移植した宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師の患者、家族ら同医師の支援者でつくる「移植への理解を求める会」(向田陽二代表)は19日、病気腎移植の推進を求める要望書と約6万1000人分の署名を厚生労働省に提出した。

 要望書は「中国四国の移植医療をけん引してきた先生方が今回の問題で医療活動をストップさせられることのないよう願うとともに、病気腎移植が第3の道として認められ、1人でも多くの腎不全患者が救われることを強く望む」としている。

 提出後に記者会見した向田さんは「病気腎移植は新しい分野。この移植を受けて健康で普通に生活をしている人がたくさんいる。否定する学会は患者の意見を無視している。もっと審議して、1つでも助かる命を助けてほしい」と訴えた。

(共同)
(2007年02月19日 19時53分)」(中日新聞平成19年2月20日付朝刊


いくら日本移植学会等5学会の会員が、万波医師らに対する嫉妬心から病腎移植を否定したいとはいえ、これらの患者の要望にどう答えるのでしょうか? 患者の要望を、生きたいと言う患者の要望を、できる限り叶えるよう努力することこそ、医師としての役割であると思うのです。そうしてきたからこそ、医療は進歩してきたのです。 

「もっと審議して、1つでも助かる命を助けてほしい」

という6万1000人もの願いを無碍に切り捨てるほど、日本移植学会の会員や厚労省は腐っているのでしょうか?


調査委員会が述べる批判は、「患者との間で書面による説明と同意がなく、カルテの記載も不十分な点」と、「十分な記録が残っていないのは遺憾で、万波医師に反省を求める必要がある」という点です。先に述べたように、書面の有無が問題なのではなく、説明をしたかどうかです。カルテの記載が不十分というのも、後で患者が知りたいとき以外は問題となるものではありません。そうなると、いずれの批判も、患者(ドナー側、レシピエント側)の立場に立った批判というのではなく、医師側の理屈(=訴訟になったときに医師側に不利になるようなことをするな)で批判しているように感じられるのです。


移植に使える病気腎が年間2000ぐらいあるのですから、病腎移植を否定するのであれば、病腎移植を肯定した場合と同等(=年間2000程度)の臓器提供を増やす道を提示すべきです。日本移植学会の会員や厚労省は、もし病腎移植を否定するのであれば、自己責任として、年間2000程度の臓器提供を増やす責務を負うべきであると考えます。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

2007/02/18 [Sun] 13:39:29 » E d i t
万波医師らによる病腎移植問題について、B型肝炎ウイルスや梅毒の反応が陽性だった患者、感染性の腎膿瘍の患者から摘出された腎臓が移植されていたことがわかったとの報道がありました。この報道記事の表題などざっと読むと、かなりびっくりする人もかなりいるのではないかと思います。

この記事については、読売新聞2月17日付朝刊では1面で掲載していて、各紙はこの報道後に後追い記事のような形で報道しています。しかし、読売新聞の記事をよく読むとかなり妙なところがあるのです。そこで、読売新聞と毎日新聞の記事を比較検討してみたいと思います。
なお、この点は、すでに別のエントリーのコメント欄で語学教師さんがコメントして下さっているので(そちらのコメントもご覧下さい)、重複する形になりますが、色々な意味で価値ある記事なので、エントリーとして紹介することしました。


1.まずは、この問題についての読売新聞と毎日新聞の記事です。

(1) 読売新聞平成19年2月17日付朝刊1面

 「梅毒やB型肝炎、万波医師が感染患者から4人に腎移植

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波(まんなみ)誠医師(66)らによる病気腎の移植問題で、B型肝炎ウイルスや梅毒の反応が陽性だった患者、感染性の腎膿瘍(のうよう)の患者から摘出された腎臓が、市立宇和島病院(同市)で万波医師により4人に移植されていたことが16日、わかった。

 移植後の患者は免疫抑制剤を使うため感染症に弱く、今回のケースもB型肝炎ウイルスなどに感染した可能性がある。

 関係者によると、血液検査でB型肝炎ウイルスが陽性だったのは、2000年12月に市立宇和島病院でネフローゼ症状を理由に両方の腎臓の摘出を受けた患者(数か月後に死亡)。

 2種類の検査が陽性で、ウイルスが体内にいる状態だった。感染してB型肝炎が慢性化すると、肝硬変や肝がんになる可能性がある。移植を受けた患者2人は生存しているが、感染の有無を調べる検査は行われていなかったという。

 同病院では1995年11月、腎膿瘍の腎臓も70歳代の女性から摘出し、移植に使っていた。腎膿瘍は細菌感染などで腎臓が化膿した状態。移植患者は術後1か月で腎機能が低下し、人工透析に戻っていた。

 梅毒に対する抗体が陽性だったのは、三原赤十字病院(広島県三原市)で2003年、がんを理由に腎摘出を受けた男性(のち死亡)。元主治医は「疑陽性で、いくつかの検査をしたが、若いころ感染した時にできた抗体で、病原体はすでにいないと判断し移植に提供した」としている。

 これらの移植で、移植を受ける患者に感染症の説明があったかどうかは不明。

 移植医療では、感染症のある患者の臓器は原則として使わない。死体腎移植の臓器提供者(ドナー)の選定基準では、血液内に少しでも細菌があれば除外。B型肝炎やHIV(エイズウイルス)など、ウイルスの検査が陽性でも除外する。

 肝炎などに詳しい飯野四郎・聖マリアンナ医大客員教授(内科学)は「B型肝炎ウイルスは、ほぼ間違いなく感染する。免疫力が抑えられていれば慢性化しやすい。腎膿瘍も、細菌感染が全身に広がる可能性がある」と指摘している。

 万波医師らによる病気腎移植は昨年11月に宇和島徳洲会病院で発覚。同病院や万波医師が以前勤めていた市立宇和島病院など、計5県10病院に入院する腎臓がんやネフローゼ症候群などの患者から腎臓を摘出し、判明しているだけで計42件の移植に利用していた。

(2007年2月17日3時1分 読売新聞)」



(2) 毎日新聞平成19年2月17日付夕刊9面

 「病気腎移植:感染症患者から移植、万波医師が実施

 愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院の万波誠医師(66)らによる病気腎移植問題で、B型肝炎ウイルスや梅毒の抗体の反応が陽性の患者、腎臓が細菌感染などで化のうする腎膿瘍(じんのうよう)の患者の腎臓が移植に使われたことが分かった。いずれも、万波医師が前任の市立宇和島病院で実施。感染症患者からの移植は移植を受ける患者への感染の恐れがあるため、避けるべきだとされており、病院の調査委員会などで検討を進めている。

 関係者によると、B型肝炎ウイルスのケースは00年12月、ネフローゼ症候群で両腎摘出手術を受けた。移植前に検査をしたが「B型肝炎ではない」いう報告を受け、万波医師が腎臓を2人に移植。その後の血液検査でB型肝炎ウイルス陽性が判明したという。腎膿瘍患者の腎臓は95年11月に移植したが腎機能が十分でなく、移植された患者はその後人工透析に戻っている。

 万波医師は毎日新聞の取材に「移植前の検査でB型肝炎ウイルスの陽性反応は出なかった。知っていて移植したのではない」と話し、腎膿瘍については「化のうした部分を切除すれば、きれいな腎臓だった。抗生物質を投与すれば問題ないと判断した」と述べている。

 一方、梅毒の抗体が陽性だったのは三原赤十字病院(広島県三原市)で03年、尿管がんの男性患者から摘出した腎臓を移植したケース。抗体反応は治ったと判断されるレベルだったため、当時の主治医は問題ないと判断。摘出手術は万波医師の実弟の廉介医師(61)が執刀し、市立宇和島病院で誠医師が移植した。

 当時の主治医は「梅毒は昔にかかったもので既に治っており、当時できた抗体が残っている状態。腎臓を移植しても梅毒がうつるわけではなく、医学的に問題はないと判断した」と話している。【津久井達、野田武、堀江拓哉】

毎日新聞 2007年2月17日 11時16分 (最終更新時間 2月17日 20時51分)」(なお、ネット上の記事と異なり、紙面では一番最後の段落は削除されている)




2.読売新聞の記事を先に取り上げて、毎日新聞から同じ内容の箇所を引用して比較してみます。

(1) 

 「関係者によると、血液検査でB型肝炎ウイルスが陽性だったのは、2000年12月に市立宇和島病院でネフローゼ症状を理由に両方の腎臓の摘出を受けた患者(数か月後に死亡)。

 2種類の検査が陽性で、ウイルスが体内にいる状態だった。感染してB型肝炎が慢性化すると、肝硬変や肝がんになる可能性がある。移植を受けた患者2人は生存しているが、感染の有無を調べる検査は行われていなかったという。……

 肝炎などに詳しい飯野四郎・聖マリアンナ医大客員教授(内科学)は「B型肝炎ウイルスは、ほぼ間違いなく感染する。免疫力が抑えられていれば慢性化しやすい。……」と指摘している。」(読売新聞)


この記事内容だと、B型肝炎ウイルス感染の有無を調べる検査を調べずに移植された可能性があるというものです。この記事では、はっきりしませんが、移植を受けた患者は生存していても感染した可能性があると、推測できるのでしょう。わざわざ飯野四郎・聖マリアンナ医大客員教授のコメントも引用して、B型肝炎ウイルスの危険性を強調しています。

これに対して、毎日新聞の記事は、

「関係者によると、B型肝炎ウイルスのケースは00年12月、ネフローゼ症候群で両腎摘出手術を受けた。移植前に検査をしたが「B型肝炎ではない」いう報告を受け、万波医師が腎臓を2人に移植。その後の血液検査でB型肝炎ウイルス陽性が判明したという。……

 万波医師は毎日新聞の取材に「移植前の検査でB型肝炎ウイルスの陽性反応は出なかった。知っていて移植したのではない」と話し(た)」(毎日新聞)


読売新聞と異なり、どうやら腎移植前に検査をしていて、万波医師は「B型肝炎ではない」いう報告を受けていたようです。それで、万波医師は問題のない腎臓であると判断して、この腎臓を2人に移植したようです。
もしこの記事の通りであるなら、移植前に検査をしている以上、医師としてやるべき義務は尽くしたといえるのですから、移植後に結果的にB型肝炎ウイルスした場合であっても、問題視すべきではないはずです。

さらに朝日新聞の記事(2月18日付朝刊34面)には、

肝炎感染者から腎移植か? 万波医師、「手術前は陰性」
2007年02月17日21時48分

 「病気腎」の移植を重ねていた宇和島徳洲会病院の万波誠医師(66)が、前勤務先の同市立宇和島病院で、B型肝炎ウイルスに感染した可能性のある患者の腎臓を別の患者に移植していたことがわかった。17日に大阪市内であった日本移植学会など関連5学会の合同会議で報告された。

 市立宇和島病院や万波医師によると、00年12月中旬、ネフローゼ症候群を患っていた女性(01年死亡)から両方の腎臓を摘出し、別の患者2人にそれぞれ移植した。2人のうち1人は死亡しているが、B型肝炎にかかっていたかどうかは不明。生存しているもう1人は感染していないという。

 当時、女性の感染の有無を調べたウイルス検査では、感染性が高いHBe抗原は検出されなかったが、感染していることを示すHBs抗原が見つかった。市川幹郎院長は「他人への感染率は少ないという検査結果だった。ただ、検査の時期については覚えていない」と説明している。

 万波医師は朝日新聞の取材に、「内科医から女性は手術前のウイルス検査で陰性だったと聞いていた。手術後、陽性が出たと知ったが、陽性の患者の腎臓を移植に使うことはあり得ない」と話した。」


読売新聞の記事と異なって、2人生存ではなく、1人死亡しているのですし、「生存しているもう1人は感染していない」のです。移植を受けた患者がB型肝炎ウイルスに感染していないのに、ことさらに問題視することはおかしいと思うのです。

しかも、飯野四郎・聖マリアンナ医大客員教授(内科学)は

「B型肝炎ウイルスは、ほぼ間違いなく感染する」

と断言しているのに、感染していなかったのですから、飯野四郎・聖マリアンナ医大客員教授(内科学)はいい笑いものです。断言した以上、今度は飯野四郎氏の医学的な能力が疑われてしまいます。

万波医師は、

「万波医師は市立宇和島病院時代に、B型肝炎感染者の腎臓を移植に使ったとされる問題にも「病院の内科医が十分に検査し、99%ウイルスがないと報告があったから移植をした。当時の複数の同僚医師もウイルスはなかったと言っている」と反論した。」(NIKKEI NET(02月18日00:23)

とまで言っています。朝日新聞の記事によると、院長は検査の時期を覚えていないようですが、万波医師の主張を裏付ける証人は何人もいそうです。

こうなると、読売新聞は、よく調べてからB型肝炎ウイルスを有する患者からの移植について、記事にすべきでした。読者を誤信させるような妥当でない記事であると考えます。
なお、B型肝炎については、厚労省のHPにある「B型肝炎について(一般的なQ&A)が分かりやすいと思います。ご覧下さい。



(2) 読売新聞の記事では、

「腎膿瘍の腎臓も70歳代の女性から摘出し、移植に使っていた。腎膿瘍は細菌感染などで腎臓が化膿した状態。移植患者は術後1か月で腎機能が低下し、人工透析に戻っていた。

 肝炎などに詳しい飯野四郎・聖マリアンナ医大客員教授(内科学)は「……腎膿瘍も、細菌感染が全身に広がる可能性がある」と指摘している。」



これに対して、毎日新聞の記事では、

 「 腎膿瘍患者の腎臓は95年11月に移植したが腎機能が十分でなく、移植された患者はその後人工透析に戻っている。……

 万波医師は毎日新聞の取材に……腎膿瘍については「化のうした部分を切除すれば、きれいな腎臓だった。抗生物質を投与すれば問題ないと判断した」と述べている。 」


腎膿瘍について「化のうした部分を切除すれば」大丈夫なのかどうかの判断はつきかねますが、読売新聞にも毎日新聞にも、移植を受けた患者に「細菌感染が全身に広がる」といった事態になっているとは書いていないのですから、そういった問題は生じていないのでしょう。もしそうであるなら、問題視すべきではなかったと思います。

読売新聞としては、術後1か月で腎機能が低下し、人工透析に戻ってしまったのは、あたかも腎膿瘍のあった腎臓だったからと推測させたいのでしょう。しかし、腎膿瘍のあった腎臓と腎機能低下との間に因果関係があることを明確に示していないのですから、腎機能が低下したことをもって、腎膿瘍のあった腎臓を移植したことを非難できません。

読売新聞は、腎膿瘍のあった腎臓移植を問題視したいのであれば、「細菌感染が全身に広がる」事実があったことを示すか、腎膿瘍のあった腎臓と腎機能低下との間に因果関係があることを明確に示すべきです。調査不足の記事であると考えます。


(3) 読売新聞の記事によると、

「梅毒に対する抗体が陽性だったのは、三原赤十字病院(広島県三原市)で2003年、がんを理由に腎摘出を受けた男性(のち死亡)。元主治医は「疑陽性で、いくつかの検査をしたが、若いころ感染した時にできた抗体で、病原体はすでにいないと判断し移植に提供した」としている。」



これに対して毎日新聞の記事では、

「梅毒の抗体が陽性だったのは三原赤十字病院(広島県三原市)で03年、尿管がんの男性患者から摘出した腎臓を移植したケース。抗体反応は治ったと判断されるレベルだったため、当時の主治医は問題ないと判断。摘出手術は万波医師の実弟の廉介医師(61)が執刀し、市立宇和島病院で誠医師が移植した。

 当時の主治医は「梅毒は昔にかかったもので既に治っており、当時できた抗体が残っている状態。腎臓を移植しても梅毒がうつるわけではなく、医学的に問題はないと判断した」と話している。」


どちらの記事も、昔梅毒にかかっていたが既に治っていることが分かります。読売新聞ははっきりしませんが、毎日新聞の記事では、梅毒は治っている以上、腎臓を移植しても梅毒は移らないとはっきり分かります。

このように、梅毒はうつらないのですから、読売新聞は、梅毒の抗体が陽性だったことを問題視するような記事を書くべきではなかったのです。毎日新聞は、読売新聞の記事を意識して、その記事を検証することを意識してたのかも知れませんが、問題視する必要はなかったのですから、梅毒にかかったことのある患者のことをわざわざ取り上げる必要はなかったと思います。


3.このような検討を経てみると、万波医師らによる病腎移植問題について、B型肝炎ウイルスや梅毒の反応が陽性だった患者、感染性の腎膿瘍の患者から摘出された腎臓が移植されていたことについて、どれも問題視するべきではなかった、又は問題視するには調査が足りないものであったのです。

おそらく、日本移植学会など関連5学会は、2月17日の合同会議で報告する前に、読売新聞の記者にだけリークしたのでしょう。だから、読売新聞は、日本移植学会など関連5学会の言われるままに、十分調べることなく報道したのだと思います。

リークされた情報をそのまま報道してしまうというのは、度々なされることではありますが、病腎移植問題について、日本移植学会など関連5学会が流す情報は、怪しいものが多いのですから、いい加減に止めるべきではないでしょうか?
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2007/02/17 [Sat] 23:27:53 » E d i t
離婚後300以内に生まれた子を一律に前夫の子として扱う民法772条の規定通りに出生届を提出した中国籍の無職女性が、虚偽の届け出をしたとして大阪地検に公正証書原本不実記載・同行使罪で起訴されていました。要するに、民法772条に気づかずに起訴してしまったのです。この報道を紹介したいと思います。

1.各紙朝刊(朝日新聞を除く)で報道していましたが、その報道記事のうち幾つか

(1) 毎日新聞平成19年2月17日付朝刊1面

 「民法772条:離婚5カ月「前夫の子」と届け出…大阪地検、誤って起訴

 ◇「300日規定」知らず

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」とする民法772条の規定通り、離婚5カ月後に生まれた男児を「前夫の子」として出生を届け出た中国籍の女性(28)が、大阪地検から虚偽を届けたとして公正証書原本不実記載・同行使罪で起訴されていたことが分かった。同地検は16日、「規定の理解不足だった」と発表、大阪地裁への起訴を取り消し同地裁は公訴を棄却した。規定により事実と異なる出生届を強いられたことが誤った起訴につながった。

 地検によると、女性は01年5月に日本人男性(前夫)と離婚。同年10月に別の交際相手との間に男児を出産し、「前夫の長男」とする出生届を大阪市港区役所に提出した。これに気付いた前夫は06年1月、女性を大阪府警に刑事告発。府警の書類送検を受け、地検が同10月に在宅起訴した。

 女性は当初から「前夫との子供ではないが、そう届け出るよう(役所で)指導された」と供述。同12月の初公判で弁護人も「民法上正当な行為」と無罪を主張したことを受けて、検事が不適切だったことに気付いたという。

 男児は、親子関係不存在確認訴訟により前夫の戸籍からは抹消された。別の住居侵入と窃盗罪で服役中の女性は「男児は中国にいる母親に預けている」と話している。

 ◇清水治・大阪地検次席検事の話

 (検事は)法的な運用を理解していなかった。女性に対して申し訳ない。【日野行介、田中龍士】

==============

 ■ことば

 ◇民法772条

 離婚後に生まれた子の養育などを巡り親子関係が推定できる規定。婚姻解消・取り消しの日から300日以内に生まれた子は離婚前の夫の子と推定すると定めており、早産などの事情でも、親子関係の不存在を裁判所で確認するなどしないと「現夫の子」として戸籍に登録できない。

毎日新聞 2007年2月17日 東京朝刊」



(2) 毎日新聞平成19年2月17日付朝刊27面

 「民法772条:解釈ミスで地検起訴 正規手続きで「罪人」、理不尽さ浮き彫り

 「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」とする民法772条をめぐり、大阪地検が規定に対する理解や認識の不足から中国人女性を誤って起訴していた。離婚から5カ月後に生まれた交際中の男性の子を「前夫の子」と規定通り役所に届けたことで女性は罪に問われていた。地検は16日、起訴を取り消して謝罪したが、事実を曲げなければならない規定の問題点が、捜査の現場でも露呈した。【工藤哲、森本英彦】

 「捜査を担当した検察官だけでなく、決裁した上司もミスに気付かないなんて、全く考えられない失態だ」。法務省のある幹部はそう言って絶句した。報道などで規定の問題点が次々に明らかになる中、同省は、実態調査をしたうえで、法改正や運用の見直しを検討することを明らかにしている。この幹部は「民法772条の見直し問題と、今回のミスとは直接関係ないとはいうものの非常に時期が悪い」とこぼした。

 また、規定により出生届の修正などをした経験のある親たちからは、同地検の認識不足に憤り、改めて規定の見直しを求める声が上がった。

 離婚後265日目に男児を出産し、裁判を経て今の夫の子にした神戸市東灘区の井戸正枝さん(41)は「事実と異なる出生届を出さざるを得なくしている規定の理不尽さを浮き彫りにした」。離婚後281日目で出産し前夫相手に嫡出否認の裁判をした東京都目黒区の女性(38)も「女性は法的には正規の手続きをしただけなのに罪人にされてしまった。不本意な手続きを強いられたうえに罪人にまでされたことが許せないし、悲しい」と語った。

 ◇元最高検検事の土本武司・白鴎大法科大学院教授の話

 日本の検察が起訴を取り消すことはほとんどない。規定の誤解が原因となると恐らく初めてではないか。検事だから刑法だけ知っていればいいというのではなく、すべての法律に精通しておくべきだ。

毎日新聞 2007年2月17日 東京朝刊」



(3) YOMIURI ONLINE(関西)(東京版の紙面では2月17日付朝刊34面)

 「離婚後140日「前夫の子」出生届、民法見落とし起訴

 大阪地検が、「女性が離婚後300日以内に出産した場合、子供は戸籍上、離婚前の夫の子供になる」と定めた民法772条の規定を見落とし、本来、罪に問えない中国人女性(28)を公正証書原本不実記載・同行使罪で起訴していたことがわかった。女性は、前夫との離婚の日から140日目に新たな交際相手との間に生まれた男児を前夫の子供として出生届を出していた。同地検は「民法の規定の理解が不十分だった」とし、16日、公訴取り消しを申し立て、女性に謝罪、大阪地裁は公訴棄却を決定した。法を熟知しているはずの検察官の初歩的なミスと言えそうだ。

 同地検などによると、女性は1998年に来日し飲食店などで勤務。2000年7月、日本人男性と結婚したが、3か月後に別居し別の日本人男性と交際を始めた。前夫とは01年5月31日に協議離婚が成立した。

 女性は同年10月17日、新たな交際相手との間にもうけた男児を出産。前夫に「(戸籍上の)父親になってほしい」と頼んだが断られたため無断で大阪市内の区役所に出生届を出した。これを知った前夫が昨年1月、大阪府警に告発。書類送検を受け、同地検は同年10月、女性が「前夫の子供でないことは認識していた」と述べたことなどから「うその出生届を出した」として在宅起訴したが、昨年12月の初公判で弁護人からミスを指摘された。

 清水治・大阪地検次席検事の話「民法の規定に照らして虚偽申告といえるのかどうかに気付くべきだった。女性には申し訳なく思っている」

 ■民法772条

 第1項で女性が婚姻中に懐妊した子供は夫の子供と推定する、と規定。第2項で離婚の日から300日以内に生まれた子供の父親は前夫とみなすことなどを定めている。このため、別居中に別の男性との間にもうけた子供や、再婚後、早産で離婚から300日以内に出産せざるを得なかった子供らが法的には「現在の夫の子供」ではなく、前夫らの子供とされる。家族のあり方が多様化する中、規定の見直しを求める声が高まっており、女性国会議員らによる超党派の勉強会も15日に発足した。

(2007年2月17日 読売新聞)」



2.これらの記事からは色々なことが見えてきます。

(1) 

「地検によると、女性は01年5月に日本人男性(前夫)と離婚。同年10月に別の交際相手との間に男児を出産し、「前夫の長男」とする出生届を大阪市港区役所に提出した。これに気付いた前夫は06年1月、女性を大阪府警に刑事告発。府警の書類送検を受け、地検が同10月に在宅起訴した。

 女性は当初から「前夫との子供ではないが、そう届け出るよう(役所で)指導された」と供述。

 「捜査を担当した検察官だけでなく、決裁した上司もミスに気付かないなんて、全く考えられない失態だ」。」


要するに、この女性の言い分を全く信用せず、まったく調べなかったわけです。役所(戸籍係)に問い合わせればすぐにわかるのに、調べようとしなかったのです。しかも、日本人男性から刑事告発を受けた大阪府警も確認せず、捜査を担当した検察官も確認せず、決済した上司もミスに気づかないのです。

これらからすると、複数の捜査官が関与していているのに、容易に判明することであっても、いずれも確かめるための捜査をしないのですから、大阪の捜査機関においては職務怠慢が蔓延していると判断できそうです。

また、この女性が中国人であり、その言い分を全く信用せず、日本人男性が大阪府警に刑事告発したことを鵜呑みにしたことからすると、中国人に対する偏見があるのかもしれません。中国人は嘘つきであると……。


(2) 

「地検は同年10月、女性が「前夫の子供でないことは認識していた」と述べたことなどから「うその出生届を出した」として在宅起訴した」


要するに、この事件を担当した検察官の意識としては、前夫との間で血縁関係がない子供は、戸籍上も前夫との間と子供になるはずがないと思っていたわけです。だから、前夫が自分の子供でないと告発し、女性が前夫の子供でないと分かっているのだったら、「疑いなく虚偽の出生届だ」と速断してしまったのです。

土本教授は「すべての法律に精通しておくべき」と述べていますが、さすがにそれは無理な話ですが、離婚後再婚した場合には、再婚後出生した子供は、通常、現在の夫の間の子供であるというのが一般的な社会通念ですが、検察官も同じような社会通念を有していたといえるわけです。

検察官がすべての法律に精通しているかは別として、法律に親しんでいる地位にある者も、つい民法772条の「300日規定」の存在を忘れてしまうのですから、民法772条の「300日規定」は、現実と合致せず、誤解しやすい不合理な規定なのでしょう。やはり、「離婚後再婚した場合には、再婚後に出生した子供は現在の夫の子供と推定する」という規定に改正した方がよいと考えます(「離婚後300日問題(民法772条問題)~離婚後に出産、子供の戸籍は?」参照)。


(3) 

 「昨年12月の初公判で弁護人から指摘を受け、同地検は対応を協議。16日、「これ以上の公判の継続は妥当でない」と判断し、公訴を取り消すとともに女性に謝罪したという。」(読売新聞平成19年2月17日付朝刊34面東京版)


この女性は、在宅起訴であって身柄拘束を受けていないからいいものの、昨年12月に指摘を受けてから、2月16日に公訴取消しをするまで、1ヵ月半近く放置していたのです。民法772条を見てもすぐにわかるともいえますが、出生届を受け付けた役所に確認すれば、それこそすぐに判明します。
すぐに分かることであるのに、対応を協議して、結果として、1ヵ月半近くも放置していたのですから、この点でも職務怠慢であるといえそうです。

「対応を協議」するというのは、1つは、公正証書原本不実記載・同行使罪について、裁判所に無罪判決を下してもらうか、検察側で公訴取消をして、裁判所に公訴棄却してもらうかということなのでしょうが、公訴取消を選択したようです。

もう1つは、何とか誤魔化すことができないか対応したということなのでしょう。明らかなミスを犯したとすれば、担当した検察官は何らかの責任を負うことになるでしょうから。
土本教授によれば、「日本の検察が起訴を取り消すことはほとんどない。規定の誤解が原因となると恐らく初めてではないか」というほどの失態なのです。




3.このように検討してみると、この事件については、民法772条「300日規定」の問題性ゆえに問題となったというよりも、それ以外の問題点の方が問題であるように感じました。
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2007/02/16 [Fri] 22:24:47 » E d i t
離婚後300日規定の妥当性(民法772条問題)について、長勢法相に続いて、安倍首相も「見直しの要否を含めて検討する」旨の発言をしたようです。安倍首相からも言質を取ったということになると、確実に、何らかの変更がなされることになるでしょう。ただ、「慎重に」検討するとのことですので、すぐに変更されることにはならないようです。


 「離婚後300日以内出産規定、首相「見直し含め検討」

 安倍首相は15日、参院厚生労働委員会の少子化問題に関する集中審議で、女性が離婚後300日以内に出産した場合、子供は戸籍上、離婚前の夫の子供になるという民法の規定について「見直しの要否を含めて、慎重に検討する」と述べた。民主党の千葉景子氏の質問に答えた。

 この規定については、再婚した後に妊娠し、早産などの理由で離婚後300日以内に出産せざるをえなかった女性らが「現在の夫の子供」とした出生届が受理されない事例が明らかになっている。

 こうした女性らを支援するNPO法人は法務省に対し、規定の見直しを求めていた。

(2007年2月15日14時11分 読売新聞)」(YOMIURI ONLINE(2007年2月15日14時11分)



法務省民事局参事官室が、1992年12月に婚姻及び婚姻制度検討の中間報告を公表した辺りから、婚姻法見直しの議論が特に盛んになり、その頃から民法772条を改正すべきであるとの意見は出ていました(婚姻法改正を考える会編著「ゼミナール婚姻法改正」(1995年、日本評論社)」参照)。では、なぜ最近になって「300日規定」が問題視されるようになったのでしょうか? この点について検討したいと思います。

もちろん、改正すべきとの声をあげなければ、無視されてしまいます。なので、従来から改正運動がなされてきて(「民法改正情報ネットワーク」など)、近時特に積極的になり、報道機関も積極的に取り上げるようになったこと、が問題視されるようになった原因の1つであることは最初に挙げておきます。これ以外の原因は何か? を検討してみるということです。


1.原因が含まれている報道記事をまず示しておきます。

(1) 朝日新聞平成19年1月26日(2007年01月26日01時54分)

 「夫の子なのに「前夫の子」 民法規定に改正求める声
2007年01月26日01時54分

 「離婚から300日以内に誕生した子は前夫の子」とする民法772条のため、今の夫の子と証明できても子供を戸籍に入れられないでいる両親らが25日、法務省や各政党に法改正を求め、「離婚して新たな家族を持とうとする人に負担だ」と会見で訴えた。法務省は市町村の運用実態などを調べる方針だ。

 会見したのは、NPO法人親子法改正研究会(大阪市)の代表理事、井戸正枝さん(41)ら約10人。戸籍がないままに今の夫のもとで育てられている女児(2)や、このままでは無戸籍になる子供を4月に出産予定の妊婦らが出席した。

 井戸さんは離婚成立から265日目の02年11月、現在の夫との息子海如(みごと)くん(4)を出産。ところが、市役所に前夫を父とする出生届を提出するように言われ、驚いた。別居から何年もたつ元夫がなぜ父になるのか。結局、今の夫を相手にした「強制認知」の裁判を経て03年11月、やっと戸籍を登録した。

 「法的離婚はスムーズにいかず、実生活で関係が解消されてから時間がかかる場合が多い。離婚を経れば高齢出産になりがちで、一日も早く子供を産みたいのに、根拠のない300日規定で苦しめられるのはあまりにも過酷だ」と訴えた。

 離婚後343日目の出産のはずが292日目に切迫早産したため、今の夫の子としての出生届を認められず、無戸籍で集中治療室での治療を続けている赤ちゃんの母親は「戸籍がないため、子供の健康不安に加え、医療費の不安も強い」と話した。」



(2) TBSニュース(2007年02月15日10:59)

 「新しい夫の子、年間千人以上認められず

 離婚後300日以内に生まれた子は前の夫の子とする民法の規定をめぐる問題で、今の夫の子と認められないケースが、少なくとも年間で1000人以上に上る可能性があることが関係者の話で分かりました。

 「今、出生届を受付するとなりますと、前のご主人の子供さんとして前の戸籍に入ってしまうことになるんですけれども」

 今月1日、神戸市内の区役所で出生届を提出できずにいる男女。女性(31)は去年5月に前の夫と離婚、その1ヶ月前、会社員の男性(31)と同居を始め、今年1月、女の子が誕生しました。

 しかし、生まれたのは離婚成立から230日後、区役所は「離婚後300日以内に生まれた子は前の夫の子と推定する」とする民法772条の規定により、男性の子供としては出生届を受理しませんでした。

 「父親じゃないのに、そっちの籍に入ってしまうのはおかしいというか、納得できないです」(女の子の母親)

 同じように今の夫の子であるにもかかわらず、民法の規定で認められない子供が、少なくとも年間で1000人以上に上る可能性があることが関係者の話で分かりました。1日におよそ3人、こうした子供が生まれている計算です。

 生まれた子供を今の夫の子とするためには、前の夫を巻き込んで裁判をするなどの必要があり、同じ問題に悩む母親たちは、先月、法務省に規定の見直しなどを申し入れました。

 一方、長勢法務大臣は、見直しが必要かどうか検討する考えを示し、現在、法務省が実態調査を進めていますが、同じ問題に直面する子供が年間1000人以上に上る可能性が浮上したことで、今後、見直しを求める声が強まりそうです。(15日10:59)」




2.これらの記事を読むと大体、なぜ最近、問題視されるようになってきたのか分かるかと思いますが、まとめてみることにします。

(1) 出産年齢の高齢化により、300日規定の不合理性がより顕在化したこと

 「法的離婚はスムーズにいかず、実生活で関係が解消されてから時間がかかる場合が多い。離婚を経れば高齢出産になりがちで、一日も早く子供を産みたいのに、根拠のない300日規定で苦しめられるのはあまりにも過酷だ」と訴えた。

 離婚後343日目の出産のはずが292日目に切迫早産したため、今の夫の子としての出生届を認められず、無戸籍で集中治療室での治療を続けている」


厚労省の統計によると、出生率のピークは、昭和39年当時では20歳代半ば、昭和59年は30歳代近く、平成16年には30歳前後にシフトしてきています。特に、離婚後再婚であれば、どんなに初婚が若くても、どうしても再婚は高齢化してくるでしょう。
このように、出産年齢が高齢化してくると、どうしても子供を産む年齢が限界に近くなってくるため、女性だけでなく、夫婦にとって一日でも早く子供をもうけたいという気持ちになり、300日は長く感じられてきます。

出産年齢の高齢化によって早産化の傾向を生じますから(「妊娠・出産のお金大事典」の「高齢妊娠・出産」参照)、より早く産まれる子供が増加することになります。特に、かなりの早産であっても、医療技術の発達によって生存できる子供が増えたということもあります。こうなると、300日規定を知っていて、300日に出産予定であっても、思わぬ早産で困ってしまう夫婦が増加することにつながります。


(2) 300日規定により、前の夫の子とされる子供が多数存在すること

 「今の夫の子であるにもかかわらず、民法の規定で認められない子供が、少なくとも年間で1000人以上に上る可能性があることが関係者の話で分かりました。1日におよそ3人、こうした子供が生まれている計算です。」


300日規定によって、今の夫の子であるのに前の夫の子とされてしまう子供が、年間1000人以上にもなっています。これらの子供については、戸籍上、今の夫の子と扱うためには裁判が必要ですから、裁判の負担(裁判費用)や訴えの方法によっては前の夫を巻き込む可能性があるため、金銭、時間、人的に負担がかかってしまい、不合理性を感じる家族が増えてしまっているのです。

厚労省の統計によると、出生数は、第2次ベビーブームの昭和48年には209万人(合計特殊出生率2.14)であったのですが、平成17年度の出生数は106万人となり(合計特殊出生率1.26)となってしまい、出生するが低下しています。そうなると、出生数における年間1000人以上という人数は、決して少なくないものといえそうです。


(3) DVの増加・過激化などで前夫のかかわりを避けざるを得ない状況が増えてきたこと

 「東京都世田谷区の女性(32)は03年8月、前夫と別居。離婚は04年6月だった。新たな相手との出会いは別居から4カ月後。1年間の交際を経て、離婚から半年後の04年12月に結婚、05年1月に女児が生まれた。

 女性が規定の存在を知ったのは、04年12月に役所に婚姻を届け出た時だ。妊娠10カ月と告げると、窓口で「生まれてくる子は現夫の戸籍に入れられない」と告げられた。

 インターネットで調べたところ、前夫の家庭裁判所での証言が必要と分かった。前夫は毎晩のように飲み歩き、女性を殴り、家具を壊すなどした。「また嫌がらせに耐えなければならないのか」。衝撃で1週間寝込んだ。

 女性は、DNAによる親子鑑定書などの資料をもとに、娘の親権者として今の夫を相手に認知を求める調停にこぎつけた。前夫の証言がいらない手続きで、家裁からは「特別に事情を考慮した」と言われた。

 05年4月から3回の調停で、6月に娘と現夫との父子関係が認められた。女性は「短期に正しい戸籍が取れるルールを整えて」と訴える。」(毎日新聞平成19年1月8日付東京朝刊)


警察庁の統計によると,平成16年中に検挙した配偶者(内縁関係を含む)間における殺人,傷害,暴行は1,694件,そのうち1,554件(91.7%)は女性が被害者となった事件です。女性が被害者となった割合は,殺人はやや低くなっていますが,傷害は1,198件中1,143件(95.4%),暴行は290件中284件(97.9%),とそれぞれ高い割合になっており,配偶者間における暴力の被害者は多くの場合女性であることが明らかになっています(男女共同参画白書平成17年度「第1節 夫・パートナーからの暴力の実態」参照)。

こういう現状ですから、離婚後、なるべく前夫と連絡を取りたくないでしょうし、弁護士を代理人として連絡をとるとしても、できる限り居場所を知られたくないようにしたいはずです。

前夫が関わらない形で裁判を行った場合でも、前夫が暴力を行っていたのであれば、裁判によって今の夫の名前にできるとしても、一時的にも前夫が父親であったことにしたくないという気持ちも生じることになるでしょう。



3.出産年齢の高齢化、出生数の減少、夫婦間暴力の増加が原因となると、これらの原因に対してそれぞれ対策が講じられているものの、現状においては、有効な対策となっておらず、今後これらの原因が解消される見込みはありません。柳沢厚労相は、女性を「子供を産む機械」扱いし、安倍首相は柳沢厚労相を罷免しないのです。こんな状態で、出生数が増加するはずありません。こういう政府の対応では、これらの原因は、もっと問題化する可能性があります。

今後これらの原因がもっと問題化するようであれば、300日規定によって不都合な自体になる子供や夫婦は、もっと増加するはずです。これ以上、増加する前に、300日規定の問題性を解消する必要性があると思います。

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2007/02/15 [Thu] 17:17:18 » E d i t
東京新聞2月14日付朝刊「こちら特報部」では、光畑直喜医師(58)が米国の医学雑誌に病腎移植の有効性をまとめた論文が掲載されることを含めた形で、記事を掲載していました。この記事を紹介します。

この記事は、実際の紙面とネット上のものとは違いがあります。1つはネット上の記事は見出しが少なく、もう1つは、ネット上の記事には光畑医師へのインタビュー記事がないことです。このブログでは、見出しがある方が読みやすいので、なるべく実際に紙面と同じになるように見出しを付加し、光畑医師へのインタビュー記事も載せました。
また、なお、このエントリーの表題は、東京新聞2月14日付朝刊1面での、この記事の紹介文句から引用しました。


1.東京新聞平成19年2月14日付朝刊28・29面「こちら特報部」

SOS臓器移植 『病気腎』は禁断の手術か

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らが執刀した病気腎移植手術を調査する日本移植学会などは、近く報告書をまとめる。内容次第で、国内での同手術は難しくなるが、広島大の難波紘二名誉教授(66)らは「第3の腎移植の道を閉ざすな」と論陣を張る。手術に関与した光畑直喜医師(58)も手術の有効性を論文にまとめ、米国の医学雑誌に掲載する。病気腎移植は「禁断のワザ」か「奇跡の医療か」-究極の論戦が続く。 (片山夏子、橋本誠)

■「症例の検証重ね実用化」 広島の教授有効性検証

 鹿鳴荘病理研究所の所長でもある難波紘二氏は、永久保存されている病理記録を基に万波医師らが執刀した病気腎移植を解析した。その結論として「新しい発想を生み出した万波医師らの功績は大きい」と評価するという。

 詳細を見ると-。

 現在、万波氏らが行った病気腎移植で判明しているのは四十二例。そのうち難波氏が把握していなかった六例を除く三十六例(一九九一年一月から二〇〇六年九月)を解析した。手術を二度受けた例もあり、患者は三十四人だった。

 このうち、調査委員会などが特に問題としてきたのは、腎臓がんと尿管がん、ネフローゼ症候群の患者の腎臓を使った移植手術だ。

 しかし、腎がん八例については、全例が直径四センチ以下。病理診断でも悪性度が中等度以下とされ、移植後の再発や転移はなかった。「直径四センチ以下だと、ほとんどが転移や再発はしない」と万波医師も話している。三例については移植後五年以上の追跡調査がされていたが患者は元気だった。

 尿管がん六例のうち、五例は三年十カ月から十年四カ月の追跡調査がされているが再発もなく健在。

 あと一例は、移植二年目に腎盂(う)にがんができたが、「死んでも透析に戻りたくない」という本人の希望で部分切除。後に肝臓がんで亡くなった。

 腎がんが転移した可能性については、「腎がんが肺に転移し、その後肝臓に転移したのであれば、腎がんからの転移が疑われる。だが、この患者は、肺と肝臓にほぼ同時期に見られるため、腎がんからのものとは考えにくく本人由来と考えられる」と分析する。また、この例については「手術中の迅速診断では悪性度が低いと診断され、後の病理検査で悪性度が高いと判明した。つまり、病理学的に悪性度が低いものについては再発や転移がないことが分かる」という。

 ネフローゼ症候群(高脂肪血症、低タンパク症などの症状を呈する腎疾患の総称)は、異常タンパクを作る原因が腎臓側と血液側にある時の両方があるが、ドナーはいずれも血液側に問題があった。そのため、「移植後すぐは、タンパクが出る場合もあるが、腎臓には問題がないので時間がたつにつれ出なくなる」と説明する。七例のうち、ほかの病気で亡くなった二人と拒絶反応が起きた一人を除いて健在だった。

 以上のような解析から、難波氏は「世界的にドナー不足の中、次々と病気腎移植の論文が出てきている。捨ててしまうものを有効に使う技術は、これからますます注目される」とする。

 この一月にも、がん患者からの百八例の臓器移植について、皮膚がんの合併症が起きた二例以外は再発がないとする論文が専門誌に紹介された。また、がん患者から移植を受け、その後がんとなった十七例を遺伝子解析して、全例がドナーではなく、患者本人由来のがんだったことを報告する論文もある。

 「今はまだ初めての移植が病気腎移植だった例が十二例しかないが、この実例を積み重ねて検証していくことで病気腎移植を第三の道にすべきだ。病気腎で移植の数が日常的に増え、国民の移植への拒絶意識が変わる効果も期待できる」と難波氏は主張する。

■患者ら「脱透析の希望」

 また病気腎移植の継続を望む患者の声は絶えない。

 愛媛県宇和島市の理容業男性(64)は、六十一歳のときに腎臓病がわかった。遺伝性の腎不全で父親も妹も同じ病気。妹も病気腎移植を受けた。

 昨年六月から、透析を開始。厳しい水分や食事制限で自暴自棄になった父親の姿を見ていたこともあり、不安は大きかった。移植を考えたが、妻は亡くなっており、「親が子どもからもらうなんてことは考えられなかった」。まして献腎移植は回ってくる可能性はほとんどなかった。

 男性は、医師から病気腎移植の話を聞いた時、「リスクが完全にない訳ではないが検診で兆候があればきちんと処置する」と言われ、妹が元気になったのも見ていたので了承。昨年八月に腎臓の動脈瘤(りゅう)の手術を受けた。

 移植後、透析で休みがちだった理容業を再開。「透析のままだと店を閉めるしかなかった。私のように家族がみんな腎臓病だと病気腎移植がないと移植は不可能。きちんとした検証やルールは必要だが道は閉ざしてほしくない」と話す。

 同県八幡浜市の片山剛夫さん(60)は三十七歳で腎不全に。三カ月後から週三回の透析を受けた。階段を上がるのもつらく、吐き気がひどかったため、仕事はできなくなり妻が働きに出た。水分制限も苦しかった。「苦しい上、働けず家族に世話になるだけ。自殺する人の気持ちが分かった」

 病気腎移植の話を聞き、宇和島の万波医師を訪ねた。五十歳の時、動脈瘤のドナーが出たと聞いて二つ返事で了承。「待ちに待った瞬間だった。透析だけで何年生きられたか。親族からもらうのはいろいろ問題が出る。病気腎移植は患者にとっては希望。道を閉ざしてほしくない」と話した。

■学会「全くの想定外」動揺も

 病気腎移植が明らかになった宇和島徳洲会病院(愛媛県)と宇和島市立宇和島病院(同)、呉共済病院(広島県)、香川労災病院(香川県)は調査委員会を設置。岡山、広島県の五病院で起きた六症例については、厚生労働省と日本移植学会、日本泌尿器科学会が調査班をつくっている。

 各委員会は学会が推薦した医師ら五-十人が委員を務め、調査班は専門医と倫理学者、移植者代表、病院代表の計十一人で構成。個々の症例について、カルテやエックス線検査の資料を精査している。調査班と一部の調査委では、医師や患者の聞き取り調査も始まっている。ポイントは腎臓の摘出や医療体制が適切かどうかや、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)の有無などだ。

 当初は昨年中とされていた調査結果の判明は遅れているが、厚労省などの調査班は間もなく結論を出すという。方向性はまだ分からないが、事務局である厚生労働省臓器移植対策室の担当者は「動物実験から始めて、人間に進めていくべきなのに、そうした研究の順序を無視したことが問題。移植して機能する腎臓なら、摘出する必要はない。がんの腎臓を移植しても再発しないという意見もあるようだが、それなら、これまでに広く行われているはずだ」と話す。

 日本移植学会の倫理指針は「健常なドナーに侵襲を及ぼすような医療行為は望ましくない」として生体臓器移植に厳しい条件を付けているが、そもそも病気腎移植は全く想定していなかった。このため、日本泌尿器科学会、日本腎臓学会、日本病理学会と合わせた四学会の合同会議が意見を集約中で、近日中に見解をまとめる。日本移植学会の田中紘一理事長は「事実関係を把握し、学会としてメッセージを出す」と説明。光畑医師が発表する論文については「全文を読んでいない」としてコメントを避けている。

 日本移植学会によると、万波誠医師の会員歴はない。仲間で弟の万波廉介医師は一九九一年三月に入会したが、二〇〇四年二月に退会した。

<メモ>病気腎移植問題 昨年11月、万波誠医師らが、がんなどの病気で摘出された患者の腎臓を移植治療に使ったことが判明。臓器移植法の枠外で行われた独自の医療に対し、学会や移植者団体から疑問視する声が上がった。

<デスクメモ> 同じ医者の見解がどうしてこうも食い違うのか。皆さんは不思議に思いませんか。友人の医者に聞いてみました。彼の答えは「自分たち以外の意見は排除するんだよ」。世の中にままあることですが、これでは何を信じたらいいか判断に困る。で、こう思うことにしました。患者が支持する医者を支持する。 (充)


■「科学的な検証を切に願う」■

 万波グループのひとりである光畑医師は、腎臓や尿管下部のがんの腎臓を移植した四人の症例を論文にまとめた。論文は、米国の移植専門誌「トランスプランテーション」に掲載される。光畑医師に話を聞いた。

    ■ 

 論文を書いたのは、世界的なドナー不足の現状を解消する一つの方法として、紹介できたらと思ったから。病気腎移植については、感情的に議論されるのではなく、科学的に検証されることを切に願っている。

 小さいがんで腎臓を摘出したことが非難されたが、一九九五年ごろから広く行われるようになった腹腔(ふくこう)鏡手術では、小さいがんでも部分切除が難しく摘出するのがほとんど。また、小さいがんでも摘出を望む患者はいる。ドナーとなった患者や家族が何度も話しあって摘出を希望した場合は、移植することに問題はないと思う。

 移植を受ける患者も、リスクを含めて透析を続ける生活よりも病気腎移植を希望する人が少なくない。家族から移植を受けたが生着せず、透析に戻っても、これ以上身内から提供を受けられない人はたくさんいる。がんはメカニズムが分かっていない部分があるので、今後も検証は必要だが、捨ててしまう病気腎の移植については道を閉ざすべきではない。(談)」




2.病気腎移植問題については、インフォームドコンセントを欠いていたのかどうかも問題とされてきたわけですが、この記事は、難波氏の調査結果、必要性を主張する患者の声、厚労省と日本移植学会の見解、光畑医師の論文に関する談話といったように、全体的には、病気腎移植の医学的妥当性に重点を置いた内容になっています。最初の方に

「病気腎移植は「禁断のワザ」か「奇跡の医療か」-究極の論戦が続く。」

といった文章があることもそれを示しています。

(1) 

 「調査委員会などが特に問題としてきたのは、腎臓がんと尿管がん、ネフローゼ症候群の患者の腎臓を使った移植手術だ。

 しかし、腎がん八例については……移植後の再発や転移はなかった。……三例については移植後五年以上の追跡調査がされていたが患者は元気だった。……

 尿管がん六例のうち、五例は三年十カ月から十年四カ月の追跡調査がされているが再発もなく健在。あと一例は、移植二年目に腎盂(う)にがんができたが……本人の希望で部分切除。後に肝臓がんで亡くなった。 ……この患者は、肺と肝臓にほぼ同時期に見られるため、腎がんからのものとは考えにくく本人由来と考えられる」……

 ネフローゼ症候群……は……ドナーはいずれも血液側に問題があった。そのため、「移植後すぐは、タンパクが出る場合もあるが、腎臓には問題がないので時間がたつにつれ出なくなる」と説明する。七例のうち、ほかの病気で亡くなった二人と拒絶反応が起きた一人を除いて健在だった。」


要するに、腎臓がんと尿管がん、ネフローゼ症候群の患者の腎臓を使った移植手術について、調査委員会は問題があると主張してきたのですが、調査委員会の意向と異なって、難波氏による調査結果からすると、問題がなかったわけです。特に、がん転移もないなどで健在という結果の場合にはその客観的事実を改変することは困難でしょう。

そうなると、病気腎移植は問題があるという結果にしたい、調査委員会はどういうやり方で「病気腎移植には問題がある」という結果を作成(でっちあげ?)するのか注目しています。


(2) 

 「難波氏は「世界的にドナー不足の中、次々と病気腎移植の論文が出てきている。捨ててしまうものを有効に使う技術は、これからますます注目される」とする。

 この一月にも、がん患者からの百八例の臓器移植について、皮膚がんの合併症が起きた二例以外は再発がないとする論文が専門誌に紹介された。また、がん患者から移植を受け、その後がんとなった十七例を遺伝子解析して、全例がドナーではなく、患者本人由来のがんだったことを報告する論文もある。」


世界に目を向けると、次々と病気腎移植の論文が出され、それもほとんど問題がなかったという結果のようです。そうなると、秒腎移植は、世界的に「これからますます注目される」という見方は、正しいといえそうです。

どこの国で実施されたものか分かりませんが、「がん患者からの108例の臓器移植」があるということは、その国の医学界やマスコミは、疑問を示すことはあるとしても、日本移植学会のように「がんのあった臓器移植は禁忌」と、根拠を示すことなく真っ向から否定する対応ではないのでしょう。うらやましい限りです。


(3) 

「病気腎移植の継続を望む患者の声は絶えない。

 理容業男性(64)は……昨年六月から、透析を開始……移植を考えたが、妻は亡くなっており、「親が子どもからもらうなんてことは考えられなかった」。まして献腎移植は回ってくる可能性はほとんどなかった。

 片山剛夫さん(60)は三十七歳で腎不全に。三カ月後から週三回の透析を受けた。階段を上がるのもつらく、吐き気がひどかったため、仕事はできなくなり妻が働きに出た。水分制限も苦しかった。「苦しい上、働けず家族に世話になるだけ。自殺する人の気持ちが分かった」

 ……病気腎移植は患者にとっては希望。道を閉ざしてほしくない」と話した。」


献腎移植は、日本では平均16年待つ必要があり、しかも透析患者の16年の生存率は30%未満なのですから(東京新聞平成18年11月30日)、60歳を超えて透析を始めたら献腎移植は回ってくる可能性は殆どないといえるでしょう。だからといって、子供から腎移植を受けるなんて、親としてはためらいことも多いようです。子を思う親の気持ちを考えれば。仮に、子供や親族から生体腎移植を受けたとして、もし生着しなかった場合には、ずっと悔やんでしまうのです。

 「十四年前に父親、六年前に母親から移植二回を受けた主婦(40)は、父親からもらった腎臓が拒絶反応でだめになった時、「申し訳ない気持ちでいっぱいになり毎日泣いて暮らした」という。母親が提供を申し出てくれた時も、いったんは「透析はつらいが、もういいと思った」。今も母親の腎臓がだめになったらと考えると不安は強いが、「次に妹がくれるといってももらわない」と話す。家族間だからこそ患者が負い目を感じたり不安になったりして、移植後の生着に影響することもあるという。」(東京新聞平成18年12月7日「こちら特報部:SOS臓器移植 ルールと課題提言」



患者によって透析による影響は違ってきますが、透析後気絶したり、幻覚を見ることもあるようです。透析に週数回、それも何時間もかかるのですから、とても仕事をする状況にならず、誰かに頼って生きるしかないといったことにもなりかねません。

「患者の、
なにがなんでも
どうにかして!
という気持を、医師はわかっていますか?
どうしても
生きたいと望む患者の生きる力を信じられませんか?
病気でない人や、
病気の苦しみを経験したことのない人は、
または 
生きることについて
なにも考えたことのない人は、
そこまでして、
どうして生きたいのか?
という人もいます。
理由なんてあるんですか?
理由がなければ、生きたいと望んではいけないのか?

みんながそう思っているかどうかはわかりません。
あきらめている人のほうが断然多いんです。

いったん人工透析に入れば、
二度と腎臓の機能が回復することはありません。
(まれにはいるらしいけど)
人工透析は、
治療ではなく、
延命措置なのです。
やめれば
死にます。」(「アンジェリーナ・ジョリーと世界のこと」さんの「医者と患者の間」


こういった患者の声に対して、面と向って「病腎移植はできない、病気腎移植は許されない」といえるのでしょうか? 日本移植学会の幹部は。


(4) 

「厚労省などの調査班は間もなく結論を出すという。方向性はまだ分からないが、事務局である厚生労働省臓器移植対策室の担当者は「動物実験から始めて、人間に進めていくべきなのに、そうした研究の順序を無視したことが問題。移植して機能する腎臓なら、摘出する必要はない。がんの腎臓を移植しても再発しないという意見もあるようだが、それなら、これまでに広く行われているはずだ」と話す。」


ここで引用した厚労省の担当者の意見は、病気腎移植の医学的妥当性よりも、「研究の順序を無視したこと」を気にしていることがわかります。患者のためになるような治療方法を検討するよりも、まず「順序」を気にするのですから、まさに官僚らしい発言です。

新薬を認可するためというように、副作用などの薬の弊害がまったく不明な場合には、最初に動物実験をするということは大事だと思います。しかし、生体腎移植では病気腎移植であることが珍しくなく、それで問題が生じてなかったのですから、病気腎移植であっても弊害がほとんどないことは分かっていたわけで、ずっと問題視することすらしていなかったわけです。そうだすると、少なくとも今さら動物実験をしなかったことで「研究の順序を無視している」と批判するのは、現実無視の批判であるように思います。

「移植して機能する腎臓なら、摘出する必要はない」という部分は、まだこんなことを言っているのかと唖然とします。ネフローゼ症候群は、本人では機能しないが他人に移植すれば機能するのですし、患者の肉体的負担を減らすために摘出したり、患者が希望することで摘出することがあるのですから。

厚労省の官僚としては、患者の希望を叶えるというよりも、問題になりそうなことはすべて認めないという立場なのでしょう。少しでも問題が生じると出世に影響するから、認めないようにしようとしているように感じられます。

厚労省の官僚は

「がんの腎臓を移植しても再発しないという意見もあるようだが、それなら、これまでに広く行われているはずだ」

などと批判しています。しかし、少なからぬ医師や一般人は「がんのあった臓器は移植すると、再発して他人にも転移してしまうのではないか、不安を覚える」という、根拠なく抵抗感を感じていたのですから、元から、広く行われるはずがありません。
「知らないことに対しては、不安感を覚える」という素朴な感情は、多くの人がもつ感情です。しかし、知らないゆえの不安感は、きちんと情報を与えることで解消すればよいのです。

このように、厚労省の官僚の批判は、知らないゆえの不安感を無視した批判であり、妥当ではないのです。


(5) 

「日本移植学会の田中紘一理事長は「事実関係を把握し、学会としてメッセージを出す」と説明。光畑医師が発表する論文については「全文を読んでいない」としてコメントを避けている。」


日本移植学会が、病気腎移植の医学的妥当性についても検証する意図があるなら、光畑医師が病気腎移植に関して発表する論文を呼んで判断するのが、最も適切な対応のはずです。光畑医師が発表する論文を読んで判断してほしいと思いますが、発表されるのは早くても3ヵ月後ですから、読んで判断する気はないのでしょう。

光畑医師の「全文を読んでいない」からコメントを避けるというのは、一応、合理性のある言動であるとはいえますが、読んで判断する気はないはずですから、ずっとコメントを避けるはずです。日本移植学会は、おそらく、最初っから、「(自分たちが行う病腎移植以外は)病腎移植は認めない」という結論は決まっているのですから。


(6) 

「論文を書いたのは、世界的なドナー不足の現状を解消する一つの方法として、紹介できたらと思ったから。病気腎移植については、感情的に議論されるのではなく、科学的に検証されることを切に願っている。」


患者側が感情的になってしまったするのは、むしろその置かれた状況を考えれば、当然とさえいえるのですから、何も非難できません。しかし、医師の側は感情的に議論するのは止めるべきです。

万波医師らを批判する側は、病腎移植が実施されてきたのに、最初は「病腎移植は許されない」と批判したりしていたのです。「がんのあった臓器の移植は禁忌」というのも、調査結果や最近の研究論文からすると、根拠に乏しいのです。いずれも、事実に反した批判であって、感情論にすぎません。批判する側も科学的な検証に基づいて批判すべきです。



3.この病腎移植問題についは、<デスクメモ>の記述が示唆に富んでいると思います。

 「同じ医者の見解がどうしてこうも食い違うのか。皆さんは不思議に思いませんか。友人の医者に聞いてみました。彼の答えは「自分たち以外の意見は排除するんだよ」。世の中にままあることですが、これでは何を信じたらいいか判断に困る。で、こう思うことにしました。患者が支持する医者を支持する。」


患者にとっては、満足できる結果(生活の質(QOL)を上げる)が得られることこそ、重要なことです。万波医師らを支持する患者たちは、自分の体を張って治療を受けて、現実に満足できる結果を得ているのです。

元々、生体腎移植でも病腎移植が珍しくなかったので、ある意味、病腎移植はずっと実施されてきたという実績があるのですから、病腎移植は「禁断のワザ」でも「奇跡の医療」でもないのです。

病腎移植に関して、「患者が支持する医者を支持する」という態度は、妥当であると考えます。治してくれる医師こそ信頼でき、治してくれたことを実体験で知っている患者を信用する。実に分かりやすい判断基準であると思います。


注意すべきことは、病腎移植は、ドナー側にとっては治療目的での腎臓摘出であるということであって、病腎を修復して移植することには高い技量を要するのです。ですから、万波医師ら以外の医師も病腎移植を実施していることが明らかになった以上、手術を受ける際には信頼するに値する医師かどうかをよく調べる必要があります。

何度も触れていますが、今は調査委員会の委員をしている「深尾立医師」は、過去において人体実験のような移植手術を行い、一度もしたことのない手術を行い、縫合不全とそれにまつわる炎症が原因で死亡させたばかりか、千葉大学時代には、心臓死の肝移植を行なって(常識的に脳死でない肝移植は絶対につながらないと考えられている)子どもを死なせている経験ももっているのです(「病気腎移植問題~大島伸一・移植学会副理事長は万波医師を非難する資格があるのか?」参照)。こういう悪質な医師は、病腎をもつ患者の臓器を何としても移植用に使用しようと画策しかねませんし、やたらとドナー側の臓器を摘出する可能性がありますし、不十分な修復のままの臓器をレシピエント側に移植する可能性もあります。

今後、病腎移植の実施によって、患者の命を奪いかねない危険な医師は、ずっと病腎移植を実施してきた万波医師らではなく、万波医師らを批判している、移植学会の技量が足りない大島氏や深尾氏なのです。信頼するに値しない医師は、むしろ万波医師を批判する側ではないかと思うのです。
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2007/02/13 [Tue] 05:33:49 » E d i t
“女性は子どもを産む機械”発言問題について、日本女性学会は、HP(2月5日更新)において、「柳沢大臣発言に関する意見書」を公表しました。この意見書について紹介したいと思います。
なお、この意見書の存在は、「カナダde日本語」さんの「柳沢発言の批判は単に揚げ足取りをしているわけではない」(2007.02.09)で知りました。「カナダde日本語」さんに感謝します。


1.「日本女性学会」が発表した「日本女性学会による、柳澤大臣発言に関する意見書」

日本女性学会による、柳澤大臣発言に関する意見書
2007年2月2日
日本女性学会第14期幹事会および会員有志

 柳沢伯夫厚生労働大臣が2007年1月27日、松江市で開かれた集会で、女性を子どもを産む機械に例え、「一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言をしていたことが明らかになりました。
 これは、子育て支援を司る行政の長としてまことに不適切であり、即刻辞任されるよう強く求めます。

大臣の発言には、以下のような問題があると、私たちは考えます。


第一に、人間をモノにたとえることは、人権感覚の欠如と言えます。

第二に、女性を産む機械(産む道具)としてみることは、女性蔑視・女性差別の発想だと言えます。また、この観点は、優生学的見地に容易につながる危険性をもっているという意味でも問題です。

第三に、女性(人)が子どもを産むように、国(国家権力、政治家)が求めてもよいというのは、誤った認識です。産む・産まないの決定は、個々の女性(当事者各人)の権利であるという認識(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ理解)が欠如しています。リプロダクティブ・ヘルス・ライツの考え方は、カップル及び個人が子どもを産むか産まないか、産むならいつ、何人産むかなどを自分で決めることができること、そのための情報と手段を得ることができること、強制や暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行えること、安全な妊娠と出産ができること、健康の面から中絶への依存を減らすと同時に、望まない妊娠をした女性には、信頼できる情報と思いやりのあるカウンセリングを保障し、安全な中絶を受ける権利を保障すること、などを含んでいます。

第四に、子どもを多く産む女性(カップル)には価値がある(よいことだ)、産まない女性の価値は低いという、人の生き方に優劣をつけるのは、間違った考え方です。産みたくない人、産みたくても産めない人、不妊治療で苦しんでいる人、産み終わって今後産まない人、子どもをもっていない男性、トランスジェンダーや同性愛者など性的マイノリティの人々など、多様な人々がいます。どの生き方も、平等に尊重されるべきですが、柳澤発言は、子どもを多く産む女性(カップル)以外を、心理的に追い詰め、差別する結果をもたらします。

第五に、少子化対策を、労働環境や社会保障の制度改善として総合的に捉えず、女性の責任の問題(女性各人の結婚の有無や出産数の問題)と捉えることは、誤った認識です。子どもを育てることは、社会全体の責任にかかわることであって、私的・個別的な家族の責任としてだけ捉えてはなりません。

第六に、「産む(産まれる)」という「生命に関する問題」を、経済や制度維持のための問題(数の問題)に置き換えることは、生命の尊厳に対する危険な発想といえます。もちろん、出産を経済、数の問題としてとらえることが、社会政策を考える上で必要になる場合はありえます。しかし、社会政策はあくまで人権擁護の上のものでなくてはならず、生命の尊厳への繊細な感性を忘れて、出産を国家や経済や社会保障制度維持のための従属的なものとみなすことは、本末転倒した、人権侵害的な、かつ生命に対する傲慢な姿勢です。


以上六点すべてに関わることですが、戦前の「産めよ、増やせよ」の政策が「国家のために兵士となり死んでいく男/それを支える女」を求め、産児調節を危険思想としたことからも、私たちは個人の権利である生殖に国家が介入することに大きな危惧の念を抱いています。
柳澤大臣の発言にみられる考え方は、安倍首相の「子どもは国の宝」「日本の未来を背負う子ども」「家族・結婚のすばらしさ」などの言葉とも呼応するものであり、現政権の国民に対する見方を端的に表しているものと言えます。2001年の石原慎太郎「ババア」発言、2002年の森喜朗「子どもをたくさん生んだ女性は将来、国がご苦労様といって、たくさん年金をもらうのが本来の福祉のありかただ。・・・子どもを生まない女性は、好きなことをして人生を謳歌しているのだから、年をとって税金で面倒をみてもらうのはおかしい」発言も同じ視点でした。産めない女性に価値はないとしているのです。少子化対策が、国のための子どもを産ませる政策となる懸念を強く抱かざるを得ません。


小泉政権に引き続いて、現安倍政権も、長時間労働や格差、非正規雇用差別を根本的に改善しようとせず(パート法改正案はまったくの骨抜きになっている)、障害者自立支援法や母子家庭への児童扶養手当減額、生活保護の母子加算3年後の廃止などによる、障がい者や母子家庭いじめをすすめ、格差はあっていいと強弁し、経済成長重視の新自由主義的優勝劣敗政策をとり続けています。ここを見直さずに、女性に子どもを産めと言うことこそ問題なのです。したがって、今回の発言は、厚生労働省の政策そのものの問題を端的に示していると捉えることができます。

 以上を踏まえるならば、安倍首相が、柳澤大臣を辞職させず擁護することは、少子化対策の改善への消極性を維持するということに他ならず、また世界の女性の人権運動の流れに逆行することに他なりません。以上の理由により、柳沢伯夫厚生労働大臣の速やかな辞職と、少子化対策の抜本的変更を強く求めるものです。

以上 」



2.この意見書の内容は、このブログで触れていることとかなり重なっていますので、違和感がないのではないかと思います。日本女性学会は、

「柳沢伯夫厚生労働大臣が2007年1月27日、松江市で開かれた集会で、女性を子どもを産む機械に例え、「一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言をしていたことが明らかになりました。」

と指摘しています。日本女性学会は、発言中、特に「産む機械」と「一人頭で頑張ってもらうしかない」の2点を問題視したことが分かります。この意見書について、幾つか触れてみます。

(1) 

「第一に、人間をモノにたとえることは、人権感覚の欠如と言えます。第二に、女性を産む機械(産む道具)としてみることは、女性蔑視・女性差別の発想だと言えます。また、この観点は、優生学的見地に容易につながる危険性をもっているという意味でも問題です。」


女性差別の発想であることは「柳沢伯夫厚生労働相「「女性は子ども産む機械」と発言~この本音発言の問題性は何か?」でも指摘していましたが、優生学的見地につながる点については、「彎曲していく日常」さんの「■「産む機械」発言の反響」が分かりやすいと思います。一部引用します。

 「日本では聞き慣れないこの言葉は、欧米では古くから使われており、現在では女性差別に使うことなど論外です。

現在では、環境や動物保護の関係で「ニワトリを産む機械として扱ってはならない」といった関連で使用されることが普通です。それを厚生大臣が自国の女性に対して使ったものですから報道されるのも当然です。

ここで、徹底的に追及して辞職に追い込む必用があるでしょう。

なぜ、欧米では、この言葉に敏感なのかを、以下代表的な例を挙げて説明しておきますので、議会等で追求する参考にして下さい。

「産む機械・Gebaermaschine・Birth Machine」という言葉は、古くから女性に対する差別用語として使われてきたことです。

特に第二次世界大戦中の日本の「産めよ増やせよ」もそうですが、ナチスドイツの人種主義がアーリア人種女性を「産む機械」として実行したことは有名です 。(レーベンスボルン計画):

・ナチの子供

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%81%AE%E5%AD%90%E4%BE%9B

<2月14日付追記>
「彎曲していく日常」さんから引用した文章ですが、この文章自体はジャーナリストの梶村太一郎氏の文章です。



(2) 

 「第三に、女性(人)が子どもを産むように、国(国家権力、政治家)が求めてもよいというのは、誤った認識です。産む・産まないの決定は、個々の女性(当事者各人)の権利であるという認識(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ理解)が欠如しています。」


リプロダクティブ・ヘルス=生殖に関する自己決定権は、このブログでは何度も触れている権利ですから、馴染み深い指摘であると思います。

このブログでは、「柳沢伯夫厚生労働相「「女性は子ども産む機械」と発言~この本音発言の問題性は何か?」において、「柳沢厚労相の本音発言は、自己決定を否定して自己決定権(憲法13条)を否定し、特に女性の自己決定を否定するのですから、あからさまな女性差別(憲法14条)」という形で指摘していました。日本女性学会が指摘するように、産むか産まないかの問題は、直接的には生殖に関する自己決定権の問題ですが、出産問題は、女性の生き方・人生の選択に関わることから、広く自己決定権を侵害するものだとしたわけです。

(3) 

 「六点すべてに関わることですが、戦前の「産めよ、増やせよ」の政策が「国家のために兵士となり死んでいく男/それを支える女」を求め、産児調節を危険思想としたことからも、私たちは個人の権利である生殖に国家が介入することに大きな危惧の念を抱いています。

安倍首相が、柳澤大臣を辞職させず擁護することは、少子化対策の改善への消極性を維持するということに他ならず、また世界の女性の人権運動の流れに逆行することに他なりません。」


やっと産児調節が可能になったことや、女性の人権確保という関係で問題であるということです。この点は、「「女性は子供を産む機械」の柳沢厚労相問題~「筆洗」と「天声人語」を紹介」でも指摘していたとおりです。



3.この日本女性学会の意見書では、柳沢厚労相の「健全」発言については何も指摘していませんが、評論家の藤本由香里さんは、東京新聞平成19年2月11日付朝刊23面「本音のコラム」で次のように述べています。

 「再び柳沢発言―――藤本由香里(ふじもとゆかり)

 現在の若者は「結婚し、子どもは二人以上持ちたいという健全な状況にある」という柳沢厚生労働相の発言が再び波紋を広げている。

 野党側は「子どもが二人以上いなければ不健全なのか」と一斉に反発を示しているが、与党の側は、「産む機械」発言の時とは違って、今回は静観する構えのようである。だが、個人的には、前回の発言より今回の発言の方がよっぽど問題のように思う。

 それで思い出すのが、昨年5月に発表された、<「家族・地域の絆(きずな)再生」政務官会議PT中間とりまとめ>題して「あったかハッピープロジェクト」(!)の報告である。なんとこの中には、少子化対策のためには、経済支援・職業と生活の両立支援などは対処療法にすぎず、それより「経済優先・個人優先の価値観とは異なる新しい価値観に基づき、『結婚して子どもを産み育てることが当たり前と皆が自然に考える社会』を実現することが必要」とはっきり書かれているのである。まさに今回の柳沢発言とぴたりと重なる。与党にとってはまさにわが意を得たり、だろう。

 具体的な政策支援より国民の考え方を変えさせる方が解決への近道、そうやって「健全な」家族だけ支援をしたい―くしくも斉藤学さんもこの欄で書いていたが、その「健全家族信仰」こそが少子化の根本原因だって、いったいいつになったら気がつくんだろうね。  (編集者)」


憲法13条は個人の尊重を謳っているのに、「あったかハッピープロジェクト」では、「個人優先の価値観とは異なる新しい価値観に基づき、『結婚して子どもを産み育てることが当たり前と皆が自然に考える社会』を実現することが必要」というのですから、真っ向から13条に抵触してしまいます。

「新しい価値観」に変更し、「具体的な政策支援より国民の考え方を変えさせ」「健全な家族だけ支援する」意図があるのですから、政府は思想良心の自由(憲法19条)を尊重しないのだろうかと危惧を抱きます。「あったかハッピー」どころか、背筋が寒くなりそうです。


柳沢氏は、「05年の衆院選の際に自民党政調会長代理として政権公約の少子化対策をまとめた時から」(読売新聞2月9日付朝刊13面)少子化対策への取り組みを始めているのですから、本来は、全く無知ではないのです。また、「1996年12月の衆院予算委員会で、柳沢氏は当時の橋本竜太郎首相に対する質問の中で、自らを「フェミニスト」と称した」(読売新聞2月9日付朝刊13面)くらいなのです。

しかし、柳沢氏は、「産む機械、一人頭で頑張ってもらう、子どもは二人以上持ちたいという健全な状況」と発言してしまい、およそ「フェミニスト」といえない態度をとってしまい、差別され傷つく側の気持ちが分からないのです。

これは柳沢氏に限ったことではありません。危機管理コンサルタントの田中辰巳・リスク・ヘッジ社長は、週刊朝日2007年2月23日号134頁で次のように述べています。

 「(柳沢氏の)2度目の発言を受け、安倍首相は『いちいち』や『言葉尻を……』などと言ったが、これは柳沢氏の発言問題を軽視し、本質を捉えてない証明です。」


安倍首相もまた、差別され傷つく側の気持ちが分からない人物のようです。「具体的な政策支援より国民の考え方を変えさせ」「健全な家族だけ支援する」のが政府の方針なのですから、そういう政府の方針に従わない人物(子どもを産まない人)のことは、内心ではどうでもいいと思っているのかもしれません。
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憲法 *  TB: 6  *  CM: 5  * top △ 
2007/02/12 [Mon] 13:46:48 » E d i t
女性が離婚後、前夫と異なる男性と結婚して子が誕生した場合、離婚から300日以内に誕生した子であれば、遺伝的には今の夫の子であっても、民法772条により戸籍上、(例外的な場合を除き)画一的に前夫の子と扱われます。そのため、今現在の夫の戸籍に登録するため裁判などを行った親たちが1月25日、「今後離婚する人に同じ負担を味わわせたくない」として、法務省や各政党に規定の見直しなどを求めて陳情しました(毎日新聞平成19年1月25日付夕刊)。
この陳情を受けて、長勢法相は、1月26日の閣議後会見において「考えなければならないこともあるのではないか」と述べて、見直しも含めて検討していく考えを示しています(asahi.com(2007年01月26日12時57分))。その後も長勢法相は、民主党の枝野議員の質問に対して、同様の答弁をしています。

 「民法772条:法相「裁判以外も検討」 理解示す--衆院委

 「離婚から300日以内に誕生した子は前夫の子」とする民法772条の規定をめぐる問題が7日午前、少子化問題をテーマにした衆院予算委員会で取り上げられた。長勢甚遠法相は「問題がたくさん起きているのも事実」と問題への理解を示したうえで、「(子の父を今の夫とするため)裁判という複雑な方法ではないものも検討したい」と述べた。枝野幸男議員(民主)の質問に答えた。

 枝野議員が「非常に現場が混乱している。早産のケースもあるし、また夫婦が別居して訴訟とか調停になれば、相当期間あるのが当たり前。(規定が)現実に合っていないのは明らか」と詰め寄ると、長勢法相は「状況を調査させ、できるものはできるよう検討している」と答えた。【工藤哲】

毎日新聞 2007年2月7日 東京夕刊」(毎日新聞平成19年2月7日付夕刊


このように、民法772条の見直しが検討されることになっています。そこで、朝日新聞が民法772条問題について簡潔にまとめていますので、その記事を参照しながら、民法772条問題について触れてみたいと思います。なお、この問題については、毎日新聞が一番詳しく解説していますので(例えば、「クローズアップ2007:「前夫の子」300日規定 実態と法、かけ離れ」(毎日新聞平成19年2月7日付朝刊))、そちらもご覧下さい。


1.朝日新聞平成19年2月9日付朝刊33面「ニュースがわからん!」欄

 「離婚後に出産、子どもの戸籍は? 300日以内なら「前夫が父」 変更には裁判や調停必要

 アウルさん 「離婚後300日問題」って何なの。最近よく聞くわ。

  民法772条の問題だね。例えばアウルさんがAさんと離婚して、新しい夫のBさんと子どもを作ったとしよう。法的な離婚の日から300日を超えて生まれれば「Bさんの子」だが、300日以内だと「Aさんの子」と推定されて戸籍にもAさんの子として登録される。出産して初めて知って、ショックを受ける夫婦も多い。

  どうすれば今の夫との籍に入れられるの?

  基本的には裁判所に訴えるしかない。前の夫に「嫡出否認」をしてもらうのが原則だが、ほかにも、前の夫に、親子関係がないことを確認する訴えを起こすことなどの方法はある。でも調停や裁判は、時間やお金、精神的負担がかかる。

  「300日」の根拠は何なの?

  昔から、母親が子どもを妊娠している期間は数えで「十月十日(とつきとおか)」、つまり妊娠10ヶ月目の10日に生まれると言われているだろう。これを基準に、遅めに出産した場合の余裕を持たせ「この期間内に生まれた子は前の夫との婚姻中に妊娠したことにする」と決めた。

 民法が施行された明治31(1898)年には、妊娠期間などの科学的な統計もあまりなかったんだ。当時は父親の子への責任を放棄させないための「子の福祉」の観点から意義深かった。ところが、離婚が増えた今では、当時の想定外の問題が出てきた。

  どういうこと?

  赤ん坊は実際には260~280日程度で生まれてくる子が多いから、離婚後すぐ新しい夫の子どもを妊娠した場合、法的には前夫の子とされるケースが出る。前の夫と別居して、法的に離婚するまでの間、今の夫との間にできた子についても同様な問題が起きうる。早産で前の夫の子となることもある……。

  民法は変わるの?

  法務省は改正も視野に入れて調査を始めるが、単純にはいかない。戸籍は相続や扶養に直結し、夫婦の気持ちで「どちらの子」と決めるような不安定な運用はできない。772条を変えれば、「女性は離婚後6ヶ月は再婚できない」などの条文との整合性の問題も出てくる。 (市川美亜子)」



2.基本的には朝日新聞2月9日付の記事中から、アウルさんの質問を引用しつつ、このブログなりの答えを書いていくことにします。

(1) まず、民法772条(嫡出の推定)の意味について説明しておきます(新版注釈民法(23)149頁~、内田貴著「民法4」169頁~)。

(嫡出の推定)
民法第772条  妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2  婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。


実親子関係は、血のつながりがあることで認められます。血のつながりの有無は、母子関係については(AIDや代理出産を除き)出産の事実で明瞭ですが、父子関係ははっきりしません。そこで、婚姻中は夫が妻との性的関係を独占している可能性が高いことから、772条1項は婚姻中に懐胎した子を夫の子と推定し、さらに医学的な知見に基づいて、本条2項で婚姻中の懐胎を子の出生時期によって推定することとして、この二重の推定の力で父子関係を安定させようとしたのです(第1の意味)。

婚姻中の懐胎と推定され、父の子と推定されたものが同時に嫡出性をも推定されることは、772条では直接触れていませんが、772条の推定を受ける子に対しては、嫡出否認の訴え(民法774条)が認められるため、子に嫡出性の推定があることを前提としているといえます。言い換えると、772条は嫡出性の推定も認めているわけです(第2の意味)。

772条は推定しただけなので、反対の事実を証明すれば何時でも簡単に推定を覆すことができる……というわけではないのです。772条の推定は夫からのみ争うことが許され(嫡出否認の訴え。774条)、かつ、提訴期間も、夫が子の出生を知った時から1年以内に制限されています(777条)。こうして、推定を覆し難くすることで、夫婦間の嫡出子とされている子を第三者がみだりに自分の子と主張すると家庭の平和を乱すことを防止し(家庭平和の維持)、早期に父子関係を安定させようとしたものです。

このような強力な推定によって、772条の推定を受ける嫡出子(「推定される嫡出子」)は、他の嫡出子よりも強く嫡出子としての地位が保護されているわけです。

このような二重の推定制度により、戸籍実務上、この推定を受ける子は夫婦間の嫡出子としての出生届だけしか受理されず、たとえ真実は夫の子でない場合でも、嫡出でない子として届け出ることは許されないのです(法曹会編「例題解説 家事審判法169頁)。



(2) 

 「「300日」の根拠は何なの?


772条2項は、懐胎期間を200日から300日と定めたわけですが、この300日はどういう根拠で定めたかというと、次のように説明しています。

 「明治民法草案819条2項(民旧820条2項と同じ)について起草委員富井政章は、「本条ハ医科大学ノ意見ニ依ツテ斯ウ云フ風ニ極メマシタ……最長期之ハ300日ヲ超ユル例ハ随分アリマス……665人ノ内300日以上ヲ経テ分娩ヲシタ子カ13人……其内320日ヲ超エテ分娩シタ者カ7名……稀レノコトニハ違ヒナイ 夫レテ万一ノ場合ニ嫡出子タルヘキ者カ嫡出子ト為ラナイト云フコトヲ別ニ防ク方法サヘ設ケレハ矢張リ短ク300日ニ限ツタ方ガ宜カラウ」と説明を加えている(速記録50巻112-113)。」(新版注釈民法(23)157頁)

要するに、医学的知見によると300日を超えて出産することは幾らかあっても稀であるので、300日までを懐胎期間と定め、301日後320日以内の出生子は一定の条件を満たせば推定を及ぼすことを認めようとしたのです。言い換えれば、離婚後もなるべく前夫の子であるとして、父子関係を安定させようとした意図だったわけです。もっとも、「301日後320日以内の出生子は一定の条件を満たせば推定を及ぼす」旨の規定は設けられませんでしたが。

ですので、朝日新聞の記事のように、十月十日=30日×9カ月+10日=280日目が出産予定日であるということを基準に判断したのではなく、民法が施行された明治31(1898)年には、妊娠期間などの科学的な統計があまりなかったからアバウトに決めた、と言うのは正しいとはいえません。



(3) 

 「「離婚後300日問題」って何なの? 「離婚が増えた今では、当時の想定外の問題が出てきた」って、どういうこと?



形式的には民法772条による嫡出推定を受ける子であっても、夫が長期間刑務所に服役中だったり、夫が失踪中であったりした場合、夫婦間での性的関係はあり得ないため、推定の前提を欠いているといえます。それなのに、推定を及ぼしても家庭の平和を維持できません。そこで、解釈上、772条の推定が及ばない場合があることが認められています。このような子を「推定の及ばない子」(表見嫡出子)と呼んでいます。

解釈上、772条の推定が及ばない場合としては、

(1) 事実上の離婚状態にある場合(最高裁昭和44年5月29日判決)
(2) 夫が精子欠如症であったり(新潟地裁昭和32年10月30日判決)、精管切断手術(パイプカット手術)を受けていた場合(東京家裁昭和52年3月5日審判)など、夫に生殖能力がない場合
(3) 子が人種を異にする場合
(4) 血液型又はDNA鑑定結果が不一致である場合(東京家審昭和52年3月5日)


(3)の場合はともかく、いずれの場合も推定を及ぼすべきとする見解がありますし、判例もすべて推定が及ばないとしているわけではありません。例えば、別居後も性交渉があったりした事案では、事実上の離婚状態との認定をせず(最高裁平成10年8月31日判決)、「推定の及ばない子」として扱いませんでした。
また、多くの判決・審決は、血液型の不一致だけでなく、家庭の崩壊や各当事者の意思を推定排除の条件としているのです(札幌家審昭和61年9月22日、東京高判平成6年3月28日)。このように、多くの判決・審決は、血液型やDNA鑑定によっておよそ血縁関係がないことが明白であってもそれだけでは推定を排除しないのです。

このように、ずっと前から推定の及ばない事例が争われてきたのですから、772条の推定規定には問題があったわけです。



離婚後300日以内であれば前夫の子であるとして、父子関係を安定させようとした理由は、離婚後比較的短期に出産した子は前夫の子であると推測したからです。確かに、前夫と死別し、その後婚姻していない場合には、前夫の子と推測するのは妥当です。

しかし、離婚の場合は別なのです。経験的には、離婚に至る前に別居するのが通常であり、離婚手続完了後(再婚禁止期間経過後)すぐに再婚した場合は、再婚相手と同棲するなどして再婚相手と性的関係がある可能性があるため、生まれてくる子は後夫の子である可能性が高いのです。このように、離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子というよりも、後夫の子と推定すべきだったのです。

そのため、772条2項が離婚後300日以内に誕生した子を前夫の子と規定すること自体に問題があるとも言われています(川上房子「妻の出産した婚外子」婚姻法改正を考える会編著「ゼミナール婚姻法改正」(1995年、日本評論社)234頁、二宮周平著「家族法(第2版)」(2005年、新世社)52頁)。「離婚後300日問題」の根本問題は、772条2項が離婚後300日以内に誕生した子を前夫の子と規定したことだといえるのです。



(4) 

 「どうすれば今の夫との籍に入れられるの?


戸籍実務を取り扱う市町村長等には実質的審査権がないので、理論上は「推定の及ばない子」とされる場合であっても、例えば事実上の離婚状態であったか否か等を調査する手段はないのです。したがって、「推定の及ばない子」も、形式的に民法772条の枠内に入るものは、戸籍実務上は嫡出子として取り扱うほかなく、非嫡出子しての出生届は受理されないのです(法曹会編「例題解説 家事審判法」176頁、新版注釈民法(23)177頁)。

そこで、今の夫との戸籍に入れる(=戸籍上、今の夫の子と扱う)方法として次のような手段が挙げられています(法曹会編「例題解説 家事審判法」176頁、新版注釈民法(23)409頁、法学教室308号(2006年5月号)70頁)。

(イ) ひとまず嫡出子としての出生届をしたうえで、推定される嫡出子として嫡出否認の訴え(調停)によるか、または推定の及ばない子として親子関係不存在確認の訴え(調停)によって、その旨の判決ないし審判を得て、これに基づいて戸籍を訂正して(戸籍法116条)、ついで今の夫の認知を得る。

(ロ) 出生届未済の状態のまま嫡出否認や親子関係不存在の訴え(調停)を提起して認容判決(23条審判)を得たうえで非嫡出子として出生届をする。この際に認知があれば、父欄に記名できる。 

(ハ) 推定が及ばない子の場合、出生届をしたか否かを問わず、実質的には嫡出推定が及ばないとして、嫡出否認なくして認知の訴えを提起できる(最高裁昭和44年5月29日判決)ので、この判決により父子関係を形成する。


ただし、次のような問題点があります。

・いずれの方法も裁判を必要とするため時間・裁判費用がかかり、精神的に大きな負担となること
・嫡出否認の訴えは前夫のみ提起できるため、世間体を気にしたり妻への嫌がらせのため、前夫は嫡出否認を起こさない可能性があること
・嫡出否認の訴えや親子関係不存在確認の訴えでは前夫を巻き込んでしまい、前夫の負担が生じることになり、特にDVのため夫から逃げていた場合には鑑定や証言などで夫の協力が得られにくいこと
・一度出生届をしてしまうと、裁判で現夫の子と戸籍登録できても前夫の名が残ってしまうこと
・現在の夫に対して認知の訴えが認められるのは、「推定の及ばない子」に限られるから、裁判例は必ずしもDNA鑑定だけで判断していないので「推定の及ばない子」と認められない可能性があること
・仮にDNA鑑定だけで処理するとしても、今の司法では、必要な鑑定は「新夫の子」としての証明ではなく「前夫の子ではない」ことの証明のために行われるので、前夫がDNA鑑定に応じなければならないこと(ただし、今の夫と子供のDNA鑑定を裁判所又は役所に出せば済むのであれば別。DNA鑑定の費用がかかる難点は残るが。平成20年5月23日追記)




(5) 

 「民法は変わるの?」


民法772条を改正することなく、運用を変更することで対応すべきとする意見もあります。例えば、水野紀子・東北大学教授は、民法772条は改正すべきではないが、役所は、前夫との子でないことが明らかな場合、現夫との子としての出生届を受け付けるように、より柔軟な運用にするべきであると主張しています(毎日新聞平成19年1月19日付朝刊)。また、家族法に詳しい榊原富士子弁護士は、改正しないのであれば、「法務省が通達を出すなどして、早産など明らかに前夫の子でない証明がある場合に「現夫の子」として扱えるようにする」(毎日新聞平成19年1月12日付)と述べています。


こういう運用で対応することも可能でしょうが、法改正で対応する方が好ましいという意見もあります。例えば、フランス法では、出生届の父の欄を空欄にして届け出ることが認められていることを参考にして、「夫の名前を明示せずに出生届がなされた場合には、推定を排除する」旨の規定を追加する方法が主張されています(婚姻法改正を考える会編著「ゼミナール婚姻法改正」(1995年、日本評論社)234頁・245頁)のです。こうすれば、裁判によらずに認知によって父子関係を形成できるのです。
また、民法772条2項を「婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の死亡による解消の日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する」と改め、離婚及び婚姻の取消の場合には、300日以内に生まれた子でも、前夫の子と推定しない方法も主張されています(二宮周平著「家族法(第2版)」53頁)。この規定であれば、再婚から200日経過後に生まれた子は、後夫の子と推定されることになります。

家族法に詳しい榊原富士子弁護士は「法的手続きなしで妻が父親を申告できるように民法を改正する」べきである(毎日新聞 2007年1月12日東京朝刊)と述べていますが、その法改正の方法について新聞紙上では明確ではありませんが、「夫の名前を明示せずに出生届がなされた場合には、推定を排除する」旨の規定を追加する方法を予定しているのかもしれません。


朝日新聞の記事では、「772条を変えれば、「女性は離婚後6ヶ月は再婚できない」などの条文との整合性の問題も出てくる」としています。確かに、再婚禁止期間を定めた733条と関連して論じられています。しかし、元々、733条の規定は100日に短縮するように改正する予定だったのですかから(廃止すべきという意見もある)、772条とは別個に扱うことは可能ですし、「夫の名前を明示せずに出生届がなされた場合には、推定を排除する」旨の改正ぐらいでは733条との整合性を気にすることもないでしょう。


「民法は変わるの?」と問われれば、変える必要性があるので、少なくとも運用は変えべきであり、民法改正もさほど困難ではないので、変わる可能性は大いにあるということになります。




3.772条の目的は、現代的な目で眺めれば、子供に適切な父親を与えることなのだと思います(新版注釈民法(23)152頁)。子供を抱っこしたり遊園地に連れて行くなど、ずっと我が子として面倒を見て接してくれる男性が父親と扱うのが適切であるといえそうです。

そうすると、離婚して同居していない前夫を父親とするよりも、ずっと同居するはずの再婚後の夫の方を父親として扱う態度の方が妥当ではないかと思います。前夫からDVを受けて逃げている場合であれば、なおさら前夫を父親と扱うのは妥当ではないはずです。民法改正が妥当であると考えます。
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2007/02/10 [Sat] 00:52:59 » E d i t
病気腎移植を行った広島県の呉共済病院に勤務する光畑直喜医師が、アメリカの権威ある医学雑誌に論文を掲載することになったようです。これで、病腎移植問題について、新たな展開が生じることになりそうです。このニュースについてコメントします。


1.TBSニュース(2007年02月09日11:44)

 「病腎は提供可能、論文が米雑誌掲載へ

 愛媛県の宇和島徳洲会病院を舞台に発覚した病気の腎臓の移植問題で、執刀した医師の1人がまとめた ガンの場合でも一部提供は可能という趣旨の論文が、アメリカの権威ある医学雑誌に掲載されることになり、論議を呼びそうです。

 論文をまとめたのは病気腎移植を行った広島県の呉共済病院に勤務する光畑直喜医師で、アメリカで最も権威のある医学雑誌の1つ、「トランスプランテーション」に、厳しい審査をパスして早ければ3か月後にも掲載されます。

 論文では1997年以降に行われた腎臓ガンと尿管ガン、それぞれ2件の腎移植で全く問題なかったことを紹介した上で、4センチ以下の小さいガンなどは切除すれば臓器提供ができるのではないかと説明しています。

 病気腎移植をめぐっては、現在、日本移植学会など5つの学会が移植の妥当性などを調査していますが、早ければ今月中にも病気腎移植を認めない方向で見解を発表すると見られています。

 掲載に当たり光畑医師は、発表したケースは再発もなく、5年から9年患者が生存していて、世界的な提供者不足を補う方法として病気腎移植について話し合ってほしいとコメントしていて、今後、国内外でも論議を呼びそうです。(09日11:44)」




2.難波名誉教授は、「毎日新聞平成18年11月27日付朝刊2面『闘論』」において、病腎移植に関する論文を、日本ではなく知名度の高い国際誌で発表した方がいいと述べていましたから、その通りに光畑医師は、外国、それもアメリカで最も権威のある医学雑誌の1つ、「トランスプランテーション」で、発表することにしたようです。

 「万波氏らが学会等で公表してこなかったという批判がある。だが、万波氏は日本移植学会員でもなく、また発表する義務もない。同学会がすべて取り仕切ろうという姿勢はおかしいのではないか。ただし、万波氏らの症例は画期的なデータとみられるので、症例数、生存率などを知名度の高い国際誌にぜひ英文で発表すべきだと思う。」(「病気腎移植問題~医師へのインタビュー記事などをまとめて紹介」参照



(1) 

「アメリカで最も権威のある医学雑誌の1つ、「トランスプランテーション」に、厳しい審査をパスして早ければ3か月後にも掲載されます。

 論文では1997年以降に行われた腎臓ガンと尿管ガン、それぞれ2件の腎移植で全く問題なかったことを紹介した上で、4センチ以下の小さいガンなどは切除すれば臓器提供ができるのではないかと説明しています。」


「トランスプランテーション」の厳しい審査をパスしたのですから、「トランスプランテーション」は評価に値する論文であると認めたということになります。それも、「アメリカで最も権威のある医学雑誌」ですから、そこで掲載すること自体価値が高いといえます。

病腎移植についての論文があまりない中で発表するのですし、それも「全く問題なかったことを紹介」するのですから、臓器移植に関心のある多くの世界中の医師だけでなく、移植を待つ患者とその家族は注目し、大変な反響を呼ぶはずです。論文が発表される日、そしてその反響について今から待ち遠しく感じます。



(2) 

 「病気腎移植をめぐっては、現在、日本移植学会など5つの学会が移植の妥当性などを調査していますが、早ければ今月中にも病気腎移植を認めない方向で見解を発表すると見られています。」



世界的に注目を浴びるどころか、この論文が世界的に高く評価されるようになると、日本の移植学会など5学会が何をいようと全く無意味です。日本の移植学会など5学会が「日本では病腎移植は認めない」なんて結論を出していたら、日本の移植学会など5学会とそこに所属する医師はいい笑いものになるでしょう。

いい笑いものになることを予期しつつ、あえて日本の移植学会など5学会が「日本では病腎移植は認めない」という愚かな結論を出すのかどうか、注目しています。


「アメリカで最も権威のある医学雑誌」に発表し、臓器移植に関心のある多くの世界中の医師が注目する論文になるのですから、日本の移植医療の実態にも関心が向けられるはずです。

そうなると、閉鎖的で新しく行おうとする医療に否定的な「日本の移植学会など5学会」と、不確かな根拠で不安をあおり、病腎移植を行った医師を犯罪者のように罵倒し、倫理観を振り回す「日本のマスコミ(特に毎日新聞)」も注目を浴びるはずです。

世界の医療現場からすると、日本の移植学会など5学会とマスコミは奇異な存在に感じるのではないでしょうか? 「患者のためになっている臓器移植をなぜ否定するのか? 医師は患者のために医療を行うものではないのか? 日本のマスコミは事実を報道する存在ではなく、倫理観を説く宗教団体なのか?」と。


(3) 

 「掲載に当たり光畑医師は、発表したケースは再発もなく、5年から9年患者が生存していて、世界的な提供者不足を補う方法として病気腎移植について話し合ってほしいとコメントしていて、今後、国内外でも論議を呼びそうです。」


世界的に臓器不足であることは確かですから、その意味でも間違いなく、世界的に関心を呼ぶことになり、光畑医師や万波医師は、世界的に注目される医師になるはずです。難波名誉教授の調査もありますし、論文発表後は、世界中から光畑医師や万波医師のところに学びに来る医師も出てくるはずで、世界的に評価される医師扱いになるでしょう。

「犯罪者扱い」から、「世界的に評価される医師」へと手のひら返しをする日本のマスコミ報道が今から予想できそうです。毎日新聞が、いつ光畑医師や万波医師を「世界的に評価される医師」扱いするのか、大変楽しみにしています。

このように、光畑医師が行う論文公表後は、世界中で病腎移植が実施されるようになり、病腎移植は今後注目を浴びる移植医療になることは確実にように思います。論文発表は、ずっと腎臓移植を待っている世界中の患者に対して、大きな希望となりそうです。

このような未来を予測できるのですから、病腎移植ができない今の日本の移植医療の状態を解消して、まず日本でまた病腎移植ができるようにするべきだと思います。

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2007/02/08 [Thu] 06:26:39 » E d i t
「死後懐胎」(死後生殖・死後出産)などの生殖補助医療技術については、日本学術会議で検討が行われている最中なのです。なのに、なぜか、日本弁護士連合会は「死後懐胎」の「禁止」を盛り込んだ法律制定を急ぐよう提言をまとめた、との記者会見を行ったようです。これについてコメントします。

1.報道を幾つか

(1) 東京新聞のHP(2007年02月07日 18時02分:2月8日付朝刊3面)

 「死後出産の禁止を提言 「法整備急げ」と日弁連

 日本弁護士連合会は7日、死亡した親の凍結精子・卵子・胚を使った出産の禁止などを含む「生殖医療法」の制定を求めた提言を、柳沢伯夫厚生労働相に提出した。

 日弁連は2000年3月に、代理出産の禁止などを盛り込んだ法律の制定を提言。その後、法整備が進まないまま新たな生殖医療をめぐる法的な問題が相次いだため、死後出産に関する見解などを追加した上で、あらためて法整備を急ぐよう求めた。

 提言は、夫婦の一方が死亡すれば夫婦の子ができないのは自然の摂理で、死後出産はこれに反する医療の乱用だと指摘。子どもが両親によって養育される権利を最初から失わせることにもなることから、保存した精子や卵子、胚は提供者が死亡した後には廃棄すべきだとしている。

(共同)
(2007年02月07日 18時02分)」


(2) TBSニュース(2007年02月07日(木)18:49)

 「日弁連、「代理出産」など禁止すべき

 日本学術会議で再検討が行われている「代理出産」などの生殖補助医療技術について、日本弁護士連合会は「禁止」を盛り込んだ法律制定を急ぐよう提言をまとめました。

 日本弁護士連合会=日弁連の今回の提言は、生殖補助医療技術のうち、提供者が死亡した後の冷凍精子や卵子による「死後懐胎」と「代理出産」です。

 提言では「死後懐胎」も「代理出産」も法律で禁止すべきとしました。特に「代理出産」については、出産する女性に身体的・精神的危険性を負わせる上、家族関係が複雑になるなど、深刻な人権侵害の可能性があるとして「禁止」を求め、現在、何の法的規制もない生殖補助医療について法整備を急ぐことを求めています。

 日弁連では7日に発表した提言を厚生労働省に提出するとともに、「代理出産」について再検討を行っている日本学術会議のメンバーや、国会議員に送付することにしています。(07日18:49)」




2.記者会見は2月7日に行ったようですが、日本弁護士連合会の「意見書等 Subject:2007-01-19 「生殖医療技術の利用に対する法的規制に関する提言」についての補充提言-死後懐胎と代理懐胎(代理母・借り腹)について-」を見ると分かるように、提言自体を行ったのは1月19日であって、ずいぶん前のことです。なぜ、すぐにではなく2月7日になって記者会見をしたのか、その意図が不明です。

TBSの報道の仕方だと、代理出産の禁止についても提言しているようですが、精子・卵子・胚の保存、廃棄、使用、同意について、補充しただけで、代理出産については特に変化はなく、代理出産の禁止についても提言したというのは言いすぎと思います。ですから、「死後懐胎」(死後生殖・死後出産)のみを表題とした「共同通信(東京新聞。読売新聞も同じです)の報道の仕方の方が適切だと感じます。

「補充提言の趣旨

第1 精子・卵子・胚の保存と廃棄
1 生殖医療技術を利用しようとする者が自ら使用するために医療機関に預託した、又は、法律上もしくは事実上の夫婦が使用するために第三者より提供された、精子もしくは卵子又は胚の凍結保存期間は5年とし、その期間が経過したときはこれを廃棄する。
   但し、提供者又は預託者の意思で5年ごとに期間を延長することができる。
2 凍結保存された精子もしくは卵子又は胚は、預託者もしくは提供者が死亡したときは、預託者又は提供者の意思にかかわらずこれを廃棄する。胚については、婚姻関係ないし事実上の婚姻関係を解消したときにもこれを廃棄する。

第2 精子・卵子・胚の使用と同意
1 凍結保存された精子もしくは卵子又は胚を使用するときには、使用の都度、預託者又は提供者の同意を得なくてはならない。
2 死亡した配偶者の精子又は卵子はこれを使用してはならない。」



詳しい内容は、提言全文(PDF形式・101KB)に出ています。一応、読んでみましたが、特に読むべきほどの内容ではありません。このエントリーで紹介した報道内容ぐらいで足りるかと思います。



3.この提言内容で気になった点が幾つかあります。

(1) 現在は、日本産科婦人科学会なので事実上禁止していますが、法規制がない状態ですから、医師及び患者ともに自由な自己決定権を行使している状態です。

そうすると、この提言は、死亡した親の凍結精子・卵子・胚を使った出産の禁止などを含む「生殖医療法」を求めるものですから、日弁連は、積極的に国家による人権制約、それも自由権の制約を求めているというわけです。

人権制約を求める立法であるのですから、本来、日弁連は慎重な対応を取るように要望するのが筋なのですが、法整備を急ぐように求めるのです。どうやら、人権擁護の立場を標榜する日弁連も、人権制約を求める団体に変貌したようです。もっとも、ただ単に何が問題なのか良く分かっていないように感じますが。


(2) 提言全文でも何度か出てくるので、一番気になったのが、「自然の摂理に反するから禁止」という部分です。例えば、

「夫婦の一方が死亡すれば夫婦の子ができないのは自然の摂理」

だから、死後生殖・死後出産は禁止すべきというのです。

しかし、生殖補助医療すべて「自然の摂理」に反するのですから、死後生殖や代理出産だけを「自然の摂理」に反すると強調のはおかしなことです。では、生殖補助医療をすべて禁止せよというのでしょうか? 

死後生殖の事例は、白血病で治療中の夫の事例ばかりであり、何度か体外受精を実施中だったのに、残念ながら出生前に死亡してしまったのです。死を目前としていて運よく夫が生きていたら「自然の摂理」に反しないとして、間に合わずに運悪く夫が死亡したら「自然の摂理」に反すると理解するのは、あまりにご都合主義で不合理な理解です。

「自然の摂理」に反するのは、生殖補助医療だけでなく、臓器移植だって同じですし、広く言えば、外科手術すべてが「自然の摂理」に反しますし、薬を飲むことだって「自然の摂理」ではあり得ないことです。

もっとも広げると、世の中には「自然の摂理」に反するものばかりです。電気製品、水道、ガス、自動車など、自然に存在するものではないのですから、「自然の摂理」に反してしまいます。もしすべて「自然の摂理」に反するから許されないとすると、人類全て原始人に戻らざるを得ません

このように「自然の摂理」という説明は、どこまでが「自然の摂理」なのか否かの限界がはっきりしないのです。「自然の摂理」と言う説明は、一見、説明になっているようにみえるのですが、よく考えてみると内容が空虚であって全然説明になっていないのです。もう少し生殖補助医療について理解をし、少しは頭を使うべきです。


(3) この提言では、

「「代理出産」については、出産する女性に身体的・精神的危険性を負わせる上、家族関係が複雑になるなど、深刻な人権侵害の可能性がある」

などと述べています。

しかし、家族関係が複雑になるのは、適法とされている「非配偶者間人工授精(AID)」も同じですし、ずっと昔から行われてきている「養子縁組」だって同じですが、これらは深刻な人権侵害扱いしないのに、なぜ、代理出産だけ「深刻な人権侵害」扱いするのでしょうか?

「非配偶者間人工授精(AID)」や「養子縁組」と、代理出産を比較すると、前者の場合は実際に暮らしている親とは血縁関係がないのに対して、後者の場合は血縁関係があるのです。誰もが「親子」であると実感するのは、姿形や性格が類似しているからですから、ずっと親子として生活していてより深刻な事態に陥るのは、血縁関係がないため類似性が欠けている、前者(「非配偶者間人工授精(AID)」や「養子縁組」)の方であるはずです。
このように、家族関係が複雑になってより深刻の人権侵害となるのは、代理出産ではなく、むしろ「非配偶者間人工授精(AID)」や「養子縁組」の方であるのです。



4.日本学術会議が検討している最中であり、期間も定めているのですから、日弁連が急ぐように提言をしてみても全く無意味です。しかも、提言内容は、「自然の摂理」の強調といったように、説得力のない理由を強調するのです。

現在、国民の半数近くが代理出産などを認めるようなアンケートがあり、また、日本産科婦人科学会の理事も一定程度は代理出産を認めてよいといったように社会情勢が変化しつつあるのです。にもかかわらず、日弁連は全部禁止するように提言するのですから、あまりに硬直的な態度です。

日弁連に対して機敏に対応せよ、なんて無理なことは求めませんが、少しは社会情勢の変化に対応した提言内容を行うべきではないでしょうか? あまりに内容のない提言なのですが、生殖補助医療にかかわるため、一応、紹介しました。



<追記>

「自然の摂理」で検索すると、天理教行理山分教会の提言にその言葉が出てきます。例えば、「この世は天然自然の摂理によって支配されています」と説いています。「自然の摂理」を強調することはどうも宗教じみてしまうようです。また、柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言が出てくるのも、「女性は子供を産むのが自然の摂理である」と考えているからでしょう。

そうすると、日弁連は宗教団体ではないのですから、「自然の摂理」は強調すべきではなく、柳沢厚労相と同根となるような考え方は止めるべきです。日弁連は到底、柳沢厚労相を非難できません。日弁連の中で提言に参加した弁護士は、もっとよく考えるべきであり、もう少し言葉使いに慎重であるべきです。

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2007/02/08 [Thu] 02:10:03 » E d i t
病気腎移植問題について調査をしていた、日本移植学会など関係学会と関連各病院の調査委の検証が終わって、2月17日には、関係学会と調査委の合同会議が開かれるそうです。毎日新聞が、その間の議論を追った記事を掲載していました。この記事を紹介します。


1.毎日新聞のHP(2007年2月4日 大阪朝刊)

 「クローズアップ2007:病気腎移植なお迷走 想定外の医療、定義付け困難

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らによる病気腎移植発覚から3カ月。3日には大阪市のホテルで同病院の専門委員会が開かれ、同病院の事例について病理的検証を終えた。17日には、各地で進む検証結果を持ち寄り、日本移植学会など関係学会と関連各病院の調査委の合同会議が開かれる。しかし、病気で摘出し通常は廃棄する腎臓を移植に使った「想定外の医療」だけに、この場で病気腎移植の取り扱いについて明確な方向性が出る可能性は低そうだ。この間の議論を追った。【加藤小夜、津久井達、野田武】

 ◇「患者選定が不公平」

 ●手続きの不備

 「(万波医師らが)病気腎移植を広めようとするなら、組織検査などをきちんとして記録すべきだった」。同病院で昨年12月にあった会合の後、専門委員からは手続きの不備を指摘する声が相次いだ。

 病気腎の摘出、移植にかかわった病院は主に瀬戸内地方の5県10病院。各病院でも検証作業が進んでおり、1月19日に市立宇和島病院で開かれた調査委の後の会見で、調査委員長の深尾立(かたし)・千葉労災病院長は「レシピエント(移植を受ける患者)の選定方法が公平性に欠けている」と厳しい表情で語った。

 万波医師は委員会で「自分の患者の中で一番困っている人を選んだ」と説明したが、深尾委員長は「死体腎移植と同じように日本臓器移植ネットワークを通して選ぶべきだ。もっと困っている人は全国にいるはずだ」と指摘する。

 現在は病院ごとに検証作業をしており、違う結論が出る可能性を懸念する声もある。宇和島徳洲会病院の専門委員の一人は「病気腎の定義付けが難しい。それがないと議論が前に進まない」と話している。

 ◇専門家は疑問視

 ●病気腎移植は危険か

 カルテや病理標本などによる検証では、がんやネフローゼ患者からの摘出や移植を疑問視する声が出ている。

 市立宇和島病院専門委員長の野村芳雄・大分大名誉教授は、1月18日の会見で「がんが小さく、病変部位を切除すれば腎臓を残せる可能性があった」と指摘。泌尿器科医の委員は毎日新聞の取材に「尿管がんは別の場所に再発する可能性が高く、腎臓を含めて全摘するのが常識。移植に使うべきではない」と話した。

 同病院では3人がネフローゼ症候群の治療のためとして両腎摘出手術を受けたが、2人は腎臓組織の一部を取って原因疾患を突き止める検査をしていなかったことも判明し、「両腎摘出の判断自体が疑問」という意見が出ている。

 一方、同病院では94年、尿管がん患者から病気腎移植を受けた患者の腎盂(う)から移植後にがんが見つかったことも判明した。この患者はその後、肺がんと肝がんを発症して死亡したが、同病院の検証作業では「データが不足している」という理由から、移植と両がん発生の因果関係は不明のままという。

 ◇「手術受けたい」全国から問い合わせ

 ●推進の署名活動

 宇和島徳洲会病院には問題発覚後から現在まで、「万波医師の治療や移植手術を受けたい」という問い合わせが全国から断続的にあるという。

 万波医師は今年に入り、再び腎移植手術を毎週のように行うようになった。しかし、病気腎移植は実施していない。先月、腎がん患者から腎臓を摘出した際も、一連の病気腎移植に使われたのと同様のケースだったが、廃棄したという。

 一方、万波医師らの支援活動を進める「移植への理解を求める会」(向田陽二代表)は3日、宇和島、松山両市の商店街で、病気腎移植を医療として積極的に検討することなどを求める街頭署名活動をした。既に3万人分の署名が集まっており、今月末までには厚生労働省に提出する方針だ。

 ◇がん十分切除と確認--宇和島徳洲会専門委

 大阪市で3日開かれた宇和島徳洲会病院での病気腎移植を医学的に検証する専門委員会の最終会合では、がんの腎臓が移植されたケースについて、がん部分は病理的に見て十分に切除されていたことを確認した。また、臓器提供者(ドナー)からの腎臓摘出について調べている厚生労働省調査班の委員も出席し、検証に必要な資料を提供した。今後、同病院の調査委員会で医学、臨床両面から病気腎移植が適正だったかどうかを判断する。

 万波誠医師がネフローゼ症候群の患者から病理検査なしに両腎を摘出していた問題も検討。患者が約20年前に腎臓組織の一部を採取した標本が見つかったが、委員からは「今の状況とは異なっているのではないか」と指摘があった。また万波医師に、移植を行った基準について質問があり、万波医師の裁量だったことを改めて確認した。

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 ◆病気腎移植問題の主な経過◆

(06年)

10月 1日    宇和島徳洲会病院での臓器売買事件が発覚

11月 2日    事件を受けた同病院の調査委で、11件の病気腎移植が判明

    6日    呉共済病院でも病気腎移植が明らかに(その後、関係病院は5県10病院に拡大)

    7日    万波誠医師が、市立宇和島病院でも病気腎移植を手がけたことを明らかにする

    9日    呉共済病院が内部調査委の設置を発表

   25日    宇和島徳洲会病院が東京で調査委開催

   26日    愛媛県で万波医師の移植医療を支援する会が発足

12月16日    岡山協立病院など5病院の腎臓摘出手術について、厚労省の調査班が大阪市で初会合

   23~24日 宇和島徳洲会病院の専門委開催

(07年)

 1月14日    厚労省調査班が岡山市で2回目の会合

   18日    市立宇和島病院の専門委開催(19日には同調査委)

   21日    厚労省調査班が岡山市で3回目の会合

 2月 1日    市立宇和島病院の専門・調査委で、同病院の病気腎移植実施数が11件増えて計25件に

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 ■ことば

 ◇病気腎移植問題

 万波誠医師を中心とした「瀬戸内グループ」の医師らが、病気を理由に摘出した腎臓を移植手術に使った問題。「移植に使って正常に機能する腎臓なら元の患者に戻すべき。がんの腎臓などは移植に使うべきではない」と批判が上がり、厚生労働省や日本移植学会、日本泌尿器科学会などが調査に乗り出した。厚労省は調査班を昨年12月に設置。摘出5病院の関係者や患者から聞き取りをし、3月までに報告書をまとめ、学会との連名でガイドラインを出す予定。

毎日新聞 2007年2月4日 大阪朝刊」




2.幾つかの点についてコメントします。

(1) 

 「「(万波医師らが)病気腎移植を広めようとするなら、組織検査などをきちんとして記録すべきだった」。同病院で昨年12月にあった会合の後、専門委員からは手続きの不備を指摘する声が相次いだ。」


確かに、病気腎移植を広めようとするなら、組織検査を行い、記録し、積極的に公表するほうが良かったのでしょう。ただ、検査を行ったり記録をしていなかったからといって、病気腎移植を行ったことを非難する理由にはなりません。病気腎移植の是非については、医学的妥当性があるかどうか、インフォームドコンセントを行っていたかどうかによるのであって、記録したり公表するかどうかは無関係だからです。

関係学会と調査委は、なんのために検証していたのでしょうか? 「記録」を見てその成果を知りたかったのに、見れなかったことを非難しているのでしょうか? 


(2) 

 「1月19日に市立宇和島病院で開かれた調査委の後の会見で、調査委員長の深尾立(かたし)・千葉労災病院長は「レシピエント(移植を受ける患者)の選定方法が公平性に欠けている」と厳しい表情で語った。

 万波医師は委員会で「自分の患者の中で一番困っている人を選んだ」と説明したが、深尾委員長は「死体腎移植と同じように日本臓器移植ネットワークを通して選ぶべきだ。もっと困っている人は全国にいるはずだ」と指摘する。」


相変わらず、「公平性」を問題にするようです。しかし、病気腎移植が毛嫌いされている状態で、どうして「死体腎移植と同じように日本臓器移植ネットワークを通して選ぶ」ことなんてできるのでしょうか? 病気腎移植を毛嫌いする医師なら、病気腎移植をするはずがないのですし、レシピエントの側だって病気腎ならためらう人だっているはずです。その医師やレシピエントの意思は無視するのでしょうか? こんな馬鹿馬鹿しい批判はもう止めて欲しいと思います。

だいたい、深尾立医師の方こそ問題のある医師だったはずです。それも「移植学会が非難しているような万波医師」とは比べ物にならないほどの悪質さですから、万波医師を批判する資格さえないはずです。その証拠となる記事を引用しておきます。

 「彼の名を全国的に有名にしたのは、脳死法案が成立する以前の昭和59年9月に日本初の脳死移植とされる膵腎同時移植を行なった医師として、である。

 ただ、この移植は法が決まる前から法に触れるのを承知で脳死移植をやったという点において、医者が正しいと思えば法を無視できると考えた点で倫理上問題があるだけでなく、本邦初の脳死移植のドナーをあえて精神障害者を選んだという点でも、家族が善意でドナーにしたというより、家族に厄介だった精神障害者だからドナーになったと考えられる点でも、あるいはヘルシンキ条約の精神からも、非常に後味の悪いものだった(このため、日本精神神経学会は脳死反対の立場を明らかにする日本医学会の中での唯一の学会になった)。

 それ以上に問題にしたいのは、助かる命のためなら、法を犯すのも仕方がない、相手が精神障害者でも仕方がないとしても、相手を助けるどころか、人体実験としか思えない手術をしたということである。

 移植を受けたレシピエントの患者は、糖尿病のために腎不全になった糖尿病性腎症の患者さんで、人工透析導入後3年が経過していた。

 この患者に対し、脳死の患者が出て、移植ができるようになったからといって移植を勧め、患者に説明をしたのが、この深尾立医師(当時筑波大学医学部助教授)である。

 裁判の記録をみると深尾医師はかなり強引というか、うそに近い説明をしている。
糖尿病性腎症の患者さんが透析を受けて4年生きられる可能性は2割もないというような説明をしているようだが、3年間透析を受けた患者さんが4年生きる確率は当時の技術でも89%、5年生きる確率は83%だった。

 さて、透析をしなくて済むとはいえ、1年間生きられる可能性が89%もあった患者さんが、その後どうなったかであるが、この患者さんは腎移植だけでなく、もともと腎不全になったのは糖尿病によるものなのだから、ついでに膵臓も変えて糖尿病を治せばどうかという提案が行われ、結果的にそれを受けることになる。この手術が難しいという説明は確かにあったのだが、どのくらいの生命予後が期待されるかなどについての具体的な説明はなく、また説明の翌日に手術を行なったように、これを十分に検討するだけの時間は与えられなかった

 結果は悲惨なものだった。

 術後、一ヶ月くらいから、拒絶反応が生じ(腎移植だけならそうは起こらない)、また免疫抑制剤の副作用にも苦しみ、腎臓も膵臓も機能しなくなって、再摘出を余儀なくされた。糖尿病は余計に悪くなり、(一説によるとちゃんとつながっているかどうかを確かめるためにわざとインスリンの注射を行わなかったためとされるが)患者さんは失明状態になってしまう。腎臓もとったので、また透析に逆戻りとなる。

 それまでは人工透析を受け、インスリンの注射をしながらまともな社会生活が送れていたのに、ずっと入院生活になり、1年も経たないうちにその患者さんは死亡した。
死因は、その膵臓の縫合不全とそれにまつわる炎症だった。ついでにいうと、実質的な執刀医だった深尾立助教授は、コロラド大学移植外科に肝臓の移植を勉強するために留学したのだが、膵臓の移植は行なったことがなかった。以前慈恵医大でやったことのない腹腔鏡手術を失敗した医者たちが業務上過失致死で訴えられたが、このケースだってそれと大して変わらない。

 いずれにせよ、法に触れてまで脳死移植を敢行したのに、患者さんのメリットになるどころか、その患者の社会生活を奪い、1年後90%も生きられる可能性があった命まで1年で奪ってしまったのだ。」(「病気腎移植問題~大島伸一・移植学会副理事長は万波医師を非難する資格があるのか?」参照)


もともと自己決定が困難な精神障害者をドナーとしたこと、ヘルシンキ条約の精神から問題があること、実質的な執刀医だった深尾立医師は膵臓の移植は行なったことがなかったのに手術を行い、結果として、その膵臓の縫合不全とそれにまつわる炎症が死因となり、結局に失敗に終わって死亡したのです。
これほど悪質極まる医師が、どうして万波医師らが行った病腎移植を非難する資格を有するのか、不思議にさえ思うのです。


(3) 

「現在は病院ごとに検証作業をしており、違う結論が出る可能性を懸念する声もある。宇和島徳洲会病院の専門委員の一人は「病気腎の定義付けが難しい。それがないと議論が前に進まない」と話している。」


「病気腎移植問題~病気腎移植の医学的妥当性(1)」のコメント欄で論じているように、生体腎移植では、病腎移植となることが珍しいことではないのです。

 「そもそも生体腎移植においてはドナー(腎臓提供者)に機能のよい腎臓や解剖学的に問題の少ないほうを残し、レシピエント(腎臓をもらう患者さん)に問題のあるほうを移植するというのが大原則であるということをご存知だろうか?

 日本移植学会やアメリカ移植学会では、ドナー腎に問題のあった症例をうまく移植したという報告が毎年のようにいくつも出されている。

 まず、腎動脈瘤のあった症例であるが、国内では、東京女子医大が腎移植症例1150例中、腎動脈瘤を持った症例8例を手術して成功したと1998年に報告している。

 そのほか、報告だけでも藤田保健衛生大学、浜松医大、京都府立医大、広島大学、北海道大学などから動脈瘤を持ったドナー腎の移植の成功が、30症例以上寄せられている。腎動脈瘤以外にも血管系に問題のある症例を体外で修復後、移植することはまったく珍しいことではない。」(「シリーズ・検証 腎不全と移植医療1 病気腎移植は医学的に議論されるべきだ」(徳洲新聞 2006年(平成18年)12月4日 月曜日 No.547 1,3面より)


生体腎移植を行う場合、病巣があった腎臓であっても修復して移植することは珍しくないのですから、現実問題としては、病気腎と健常な腎との間の線引き、「病気腎」という言葉の厳密な定義は難しいのです。このように、前から病気腎移植は珍しくないことなのですし、非難に値するような「病気腎」の認定は難しいのですから、病気腎移植を取り立てて問題視するべきではなかったと思うのです。

そうなると、「違う結論が出る可能性を懸念する声もある」、すなわち、万波医師による病腎移植が「病腎移植ではなかった」あるいは「問題視するような病腎移植ではなかった」という結論が出ることを恐れるというわけです。
万波医師の行為を非難したい側としては、少しでも認めるようなことになっては困るというわけです(苦笑)。


日本移植学会はどうしても病腎移植を否定したいようですが、米国では臓器不足から病腎移植に近いような移植を行いつつあるようです。

 「藤田士朗医師は、フロリダ大学で移植外科の助教授として2000年から勤務している。松山市で1月20日に開かれた「病腎移植を考える講演会~移植医療を進めるために~」では「日本、アメリカの腎臓移植、その現状と未来」と題して講演を行った。

 米国の腎移植件数は、年間1万7000件。それに対し日本は、わずか1000件に過ぎない。また米国では、脳死からの移植が多いのが特徴だ。

 そんな米国でも、腎移植を巡って問題が生じている。それは、ドナー(腎臓提供者)不足という問題。7万人を超える人が、腎移植を待っている。待機期間は、比較的ドナーが多く出るフロリダでも3~6年。他の州ではさらに長い。

 ちなみに、日本での待機期間は約16年。死体腎移植の場合、希望者の1%しか移植を受けることができないでいる。

 こうした事態を受け、米国においては、これまであまり使われなかった腎臓も使おうとする動きが出ている。たとえば60歳以上の方の腎臓や、50~59歳で死亡原因が脳血管障害だったり、クレアチニン(腎機能の指標)が1・5以上、高血圧の既往症を有する人の腎臓を使おうという動きだ。

 さらに、高齢者の方もしくは子どもの腎臓を2つ一緒に1人の人に移植したり、C型肝炎やその他の感染症のある人をはじめ、心臓死の人をドナーとして認めることもすでに行われている。」(「「日本、アメリカの腎臓移植、その現状と未来」 藤田 士朗 米フロリダ大学移植外科助教授(徳洲新聞 2007年(平成19年)2月5日 月曜日 No.555 3面より)


万波医師の行為を全否定しようとする日本移植学会は、こういった現状をどう説明するのでしょうか? 


(4) 

 「市立宇和島病院専門委員長の野村芳雄・大分大名誉教授は、1月18日の会見で「がんが小さく、病変部位を切除すれば腎臓を残せる可能性があった」と指摘。泌尿器科医の委員は毎日新聞の取材に「尿管がんは別の場所に再発する可能性が高く、腎臓を含めて全摘するのが常識。移植に使うべきではない」と話した。」


前段の事例は、腎臓を残せる可能性はあったが、患者の側が摘出を望んだから摘出した事例であったはずですから、非難に値しません。後段の事例は、難波名誉教授の調査によれば、レシピエント側には、別の場所(別の臓器?)に再発転移した事例はありませんでしたから、これも非難に値しません。米国の論文でも、がんだった腎臓移植を行った事例でも、癌の再発症例は1例もありませんでした。

こうなると、前段後段ともに、万波医師の行為を非難する理由になりません


(5) 

 「同病院では3人がネフローゼ症候群の治療のためとして両腎摘出手術を受けたが、2人は腎臓組織の一部を取って原因疾患を突き止める検査をしていなかったことも判明し、「両腎摘出の判断自体が疑問」という意見が出ている。」


コントロールのできない蛋白尿のあるネフローゼ症候群の患者さんには、両側の腎臓を摘出することは選択肢の1つであり、最近の教科書にも書いてあるほどよく知られていることなのです。しかも、3人のうち1人は、20年程度に渡って「一般的な内科治療」をし尽くした後の最後の処置として両腎摘出を行った事例です。それに、よく考えてみると、片方の腎臓だけネフローゼ症候群になっているなんて考えにくいのですから、ネフローゼ症候群の治療のためには両腎摘出はあり得ることだと思うのですが。

このようなことからすると、「両腎摘出の判断自体が疑問」という評価は、不当な評価であるのです(「病気腎移植問題~1月中にも「万波移植」に学会統一見解」のエントリーとコメント欄参照)。



3.このように検討してみると、この記事に書かれている万波医師に対する批判は、いずれも妥当でないことが分かります。

(1) ただ、この記事では1つだけ良いことが書いてありました。

 「大阪市で3日開かれた宇和島徳洲会病院での病気腎移植を医学的に検証する専門委員会の最終会合では、がんの腎臓が移植されたケースについて、がん部分は病理的に見て十分に切除されていたことを確認した。」


どんなに万波医師に対して批判的な専門員会であっても、万波医師の技量は確かであることは認めたわけです。深尾立医師とは大違いなわけです。

その意味で、万波医師は、確かな技量をもったうえで病腎移植を行ったわけです。万波医師はまだまだ上を目指しているようですが。


関係学会と調査委の合同会議ではどのような結論をするのか分かりませんが、このブログでずっと論じてきたように、明らかにインフォームドコンセントを欠いていた事例は見当たらなかったですし、生体腎移植でも秒腎移植はあったため、「病気腎」という言葉の厳密な定義が難しく、明らかに医学的に妥当性を欠いていた病腎移植の事例も見当たりません

万波医師は高い技量を持っているのですし、病腎移植も問題ないのだとすると、患者が万波医師に移植や手術をしてもらおうと殺到するのはごく自然なことだと思います。ことは患者の命にかかわることなのですから、このまま病気腎移植ができなくなって、患者の命を狭めることは止めて欲しいのです。

もちろん、人工透析でうまく行っている人にまで、臓器移植を勧めるつもりはありません。臓器移植後、必ずしも将来ずっと健康を取り戻したままという保障はなく、免責抑制剤は飲み続けないといけないのですから。ただ、臓器移植が必要な患者に対して、病腎移植を認めることで、できる限り生きる選択肢を広げるべきだと思うだけなのです。できる限り生きる選択肢を提示することこそ、医師としてあるべき姿であると思うのです。


(2) そして報道機関にも言いたいことがあります。

報道機関は、国民の知る権利(憲法21条)に奉仕するため、肯定否定両方調査して、その事実を報道するのが役割であるはずです。このような報道機関の役割からすれば、いい加減に、根拠にかける批判を繰り広げる移植学会の言い分をそのまま記事にすることは止めるべきです。

少なくともこの記事で触れているように、調査委が病気腎移植の是非の判断を示すことは難しく、是非を判断する可能性は低いのですから、病気腎移植を一方的に非難するような報道は止めるべきでしょう。

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2007/02/06 [Tue] 06:47:25 » E d i t
「女性は子どもを産む機械」の柳沢厚労相問題について、AERA編集部が言うとおり、「真打ち」といえる人物、すなわち斎藤美奈子さんが、AERA’07.2.12号(2月5日発売)24頁~においてコメントしていました。このコメントについて紹介したいと思います。

ちなみに、斎藤美奈子さんは、「物は言いよう」(2004年、平凡社)で、ドレスコードならぬ、フェミコードという造語を使って、政治家などの発言について★1つから3つまでで評価を加えているのです。フェミコードとは、「性や性別についての望ましくない言動を検討するための基準」です。このフェミコードによると、柳沢厚労相の発言は★1つ、「思わず失笑を誘う天真爛漫なご発言」だそうです。


1.斎藤美奈子さんは「“女性は子どもを産む機械”発言のどこに問題点があったのか?」について次のように説いています。

 「問題点は2つあって、1つはもちろん「機械」と言っちゃったこと。似た言葉に「道具」というのがあるけど、「女は子どもを産む道具」という言い方は、今はほとんどの場合しませんよね。「女は子どもを産む道具ではない」という言い方が、人口に膾炙(かいしゃ)していますから。だけど「機械」でも、意味は同じでしょ。

 後で、「お母さんたちの数がほぼ決まってしまったということになると、今度は一人一人のお母さんに、できるだけたくさん子どもを産んでもらうということになり」とかなんとか言い直していたけど、それでかえって「女は国のために子を産む道具と考えている」ということがバレてしまった。

 2番目の問題は、だからもっと根本にかかわります。彼は経済学とか人口統計学とか言っていましたが、ようするに少子化の問題を国家の都合からしか考えていないってことですよね。なおかつ出生率の低下を女の責任と思っているわけです。そこが一番問題で、それはずっと自民党の男性陣が言ってきたことですが、そんなことだから、出生率が上がらない。根本的な発想が間違っています。」


女性を子供を産む「機械や道具」扱いすると、通常の理解をすれば反発を感じるわけです。男女問わず。

斎藤美奈子さんが指摘するように、子供が減るのは一人一人の女性が頑張らないからではなく、「労働環境や住宅・家計・保育の事情、旧態依然とした性役割分担意識」(『保育園を考える親の会』代表・普光院亜紀さん「東京新聞2月6日付朝刊11面」)などが要因となっているわけです。厚労相は労働も保育も管轄しているのに、「出生率の低下を女の責任」にして、まるで分かっていない発言であった点が根本問題であるというわけです。



2.次に、斎藤美奈子さんも“女性は子どもを産む機械”発言がここまで大騒ぎになるとは思っていなかったそうですが、「どうして“女性は子どもを産む機械”発言がここまで大騒ぎになったのか?」について次のように説明しています。

 「この問題は自分と関わっているととらえる人が、予想以上に多かったということでしょうね。少子化問題って、一人一人のところに返ってくる問題なんです。

 皆が日常の中で感じているんですよね。結婚すれば「お子さんは?」1人産んだら「兄弟はいたほうが」、女の子だったら「次は男の子ね」みたいなことが、まだいろんなところにあって、嫌な思いをしている女性はいっぱいいる。

 だから「嫌な感じ」って皆が思った。誰もが産む産まないの選択をせざるを得ない時代ですから。結婚以上に出産問題はデリケート。たとえば柳沢さんも、安倍(あべ)首相夫人、アッキーに同じように言えるか、ってことですね。

 私は安倍首相の唯一いいかもしれないところは「女は子どもを産んで一人前」とは言えないところ、小泉(こいずみ)さんの唯一いいところは、「男は結婚して一人前」って言わないところだと思っていたんだけどなあ。」



この説明に1つ補足をするなら、「嫌な思いをしている女性はいっぱいいる」としていますが、配偶者に限らず、女性の心情に対して共感することができる男性であれば、その男性も嫌な思いをしているはずです。そうすると、男女問わず、この問題は自分と関わっていると感じたり、他人の事情に共感して、嫌な思いを感じたから反発したというわけです。

「どうして“女性は子どもを産む機械”発言がここまで大騒ぎになったのか?」については、色々な意見があるでしょうが、この斎藤美奈子さんの説明が、多くの人が納得できる説明ではないかと思います。

もっとも、ある程度若い世代であれば、斎藤美奈子さんのような説明に思い至る方も少なくないと思いますが、かなり年配の男性にとっては、斎藤美奈子さんのような説明には、全く思い至らないようです。例えば、

 「今回の柳沢厚労相の発言を、普段ブログで時事問題を取り上げないような人まで(言い方は悪いが猫も杓子も)取り上げるのか?

理由は簡単。何の専門知識も要らないからだ。」

だなんて、侮辱したような書き方さえしているのですから。




3.このように大騒ぎになった柳沢厚労相ですが、今はどのような態度をとっているのでしょうか? 反省しているのでしょうか?

柳沢厚労相、一転強気モード 「反省はポーズか」と批判

 「女性は産む機械」と失言した柳沢伯夫厚生労働相は5日、愛知県知事選挙で与党推薦候補が辛勝したことで、これまでの「おわびモード」から強気の姿勢に転じた。野党からは「反省の姿勢はポーズだったのか」(民主党中堅)と、新たな批判も噴き出している。

 「急いでますので」。この日早朝、都内の議員宿舎前に詰めかけた報道陣の取材に応じた柳沢氏は、3問の質問、時間にしてわずか1分程度受け答えをしただけで、質問を一方的に打ち切り記者団を押しのけるように車に乗り込んだ。

 1月27日の失言以降、柳沢氏は「私は逃げません」と語り、丁寧に取材に答えてきた。連日、記者団の質問が尽きるまで10分近く応対し、多いときには1日3回カメラの前に立つこともあった。

 ひたすら謝り続ける低姿勢が変わったのは、愛知県知事選と北九州市長選が投開票された4日夜。北九州市長選の結果が出た午後9時半に取材にしばらく応じたものの、最後は一方的に打ち切った。進退問題に直結するとして注目が集まった愛知県知事選の結果が判明したのは、午後11時過ぎ。議員宿舎の自室ドアには「本日は休みました」との張り紙を張り、取材には応じなかった。

 柳沢氏の豹変(ひょうへん)ぶりに、野党幹部は「『のど元過ぎれば熱さ忘れる』だ。本当に反省しているのか」。与党内からも「早く幕引きを図りたいのは分かるが、あまり露骨なことをすると収まるものも収まらなくなる」(閣僚経験者)との声が出ている。

 柳沢氏は、愛知県知事選の勝利によって「みそぎが済んだ」と判断したのだろうか-。

(2007/02/06 00:46)」(SankeiWEB


どうやら、柳沢厚労相の謝罪の日々は終わったようです。選挙も終わったわけですし、愛知県知事選挙で与党推薦候補が当選したのですから、愛知もう辞任することもなく更迭もありません。ならば、うるさいマスコミ相手に、謝る必要性はないということなのでしょう。


「週刊朝日」2007年2月16日号(2月6日発売)「柳沢厚労相の妻(版画家紀子さん)夫を叱る!!」という記事において、妻の紀子さんは

 「夫の発言は翌日、テレビのニュースで知りました。聞いた瞬間、「コンチクショー」って頭に血が上って、珍しく家にいた夫に「なんでこんなバカなことを言ったのよ」って怒鳴ったんです。夫は「ごめん、ごめん」って平謝りでした。

 出産で苦労している女性も数多くいらっしゃる。夫の発言で、そうした方々の心を傷つけてしまいました。本当に申し訳ありません。……

 彼は8人きょうだいの上から6番目なんです。お母様は苦労に苦労を重ねて子供たちを育て、病に倒れました。それなのに「産む機械」だなんて……。お母様が生きていらしたら、「私はお前をそんなことを言う人間に育てた覚えはない。世間さまに申し訳が立たないから、2人で死んでおわびしましょう」とおっしゃったかもしれません。……

 娘たちも今回のことでは激怒していて、「なんてバカなことを言ったのよ」と言っていました。」

と述べていました。
このように、“女性は子どもを産む機械”発言に対しては、身内である妻や娘さえも激怒していたわけです。

妻には謝ったので身内への対応は終わったわけですし、選挙も終わって「みそぎ」も済みました。柳沢厚労相は、もう謝る気はないようです。謝るだけで“女性は子どもを産む機械”発言が許されると、記者団の質問を一方的に打ち切って帰ってしまうのも平気になるわけです。

結局は、内心では“女性は子どもを産む機械”と思っていても、今後は言わなくなるだけで、他の自民党幹部のと同様に、依然として「“女性は子どもを産む機械”という意識」は変わらないのでしょう。

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2007/02/05 [Mon] 07:48:53 » E d i t
昨日(2月4日)、愛知県知事選と北九州市長選が行われ、与野党1勝1敗の結果となりました。柳沢厚労相の「女性は子供を産む機械」発言後、初めての選挙であったため、関心が集まった選挙でした。この選挙についてコメントしたいと思います。

その前に、 テレビ報道を見ていると、北九州市長選では「つんく」と「矢口真里」と「飯田圭織」が与党推薦候補を車上で応援していました。タレント動員は、今は「無関係なのになぜ出てくるのか?」と奇異なイメージを与えるだけで、無意味だと思えるのですが……。


1.まずはニュース報道から。

(1) YOMIURI ONLINE((2007年2月5日1時58分 読売新聞))

 「愛知県は与党、北九州市は野党勝ち“1勝1敗”

 4月の統一地方選の前哨戦となる愛知県知事選と北九州市長選は4日、投開票された。愛知県知事選は、現職の神田真秋氏(55)(無=自民・公明推薦)が、新人で前犬山市長の石田芳弘氏(61)(無=民主・社民・国民新推薦)を小差で破り、3選を果たした。北九州市長選は、新人で前民主党衆院議員の北橋健治氏(53)(無=民主・社民・国民新推薦)が初当選した。与野党が激突した両首長選は1勝1敗となった。選挙結果は、与野党の国会攻防などに影響しそうだ。

 愛知県知事選は、32年ぶりに主要政党の相乗りの構図が崩れた。

 神田氏は、愛知万博、中部国際空港開港の2大国家プロジェクトの実績を強調し、堅実な人柄も評価され、自民、公明支持層を中心に幅広く支持を集めた。石田氏は、小中学校への「30人学級」導入などの教育政策や県政の変革を唱えた。終盤には、柳沢厚生労働相の失言を批判して追い上げ、接戦に持ち込んだが、及ばなかった。与野党の激突によって有権者の関心は高まり、投票率は52・11%と前回(38・91%)を上回り、28年ぶりに50%を超えた。北九州市長選では、北橋氏が、元国土交通省都市地域整備局長の柴田高博氏(57)(無=自民・公明推薦)ら新人2人を破った。投票率は56・57%で、前回(38・32%)を上回った。

(2007年2月5日1時58分 読売新聞)」



(2) 日テレNEWS24(<2/5 1:52>)

 「与野党1勝1敗 今後の政局への影響は…<2/5 1:52>

 4日に投開票が行われた愛知県知事選挙と北九州市長選の結果を受けた中央政界への影響について、政治部・赤堀記者が報告。

 愛知県知事選挙が予想以上の接戦となったことに、与党内には危機感が強まっている。一方、野党にとっては追い風で、さらに攻勢を強める方針。

 自民党の事前調査では、与党が推す神田真秋氏の圧勝ムードが漂っていた。しかし、予想以上の接戦で、柳沢厚労相の失言など安倍政権への批判が地方でも表面化した形となった。

 中川幹事長は4日夜、「今回の選挙結果は、補正予算審議をボイコットした野党戦術の失敗を意味します」と強気のコメントを出した。

 柳沢厚労相は4日夜、あらためて辞任する考えがないことを強調した。しかし、ある自民党議員は「完全に柳沢ショックだ」と危機感をあらわにしている。また、自民党の参院幹部は「これでは参院選は戦えない。柳沢厚労相は辞めるべきだ」と話している。

 一方、野党側は徹底抗戦で補正予算案の審議には応じない方針。民主党内には、来年度予算案の審議には応じ、事務所費の問題などについて追及するほうが得策との声もあり、党首会談を開いて対応を協議する方針。5日以降の国会は与野党の激しい攻防が続くことになる。」




2.選挙結果は、与野党“1勝1敗” という結果になりましたが、投票率がかなり上がりました。

 「愛知県知事選は、……投票率は52・11%と前回(38・91%)を上回り、28年ぶりに50%を超えた。北九州市長選では、北橋氏が、元国土交通省都市地域整備局長の柴田高博氏(57)(無=自民・公明推薦)ら新人2人を破った。投票率は56・57%で、前回(38・32%)を上回った。」(2007年2月5日1時58分 読売新聞)



国民主権の下では、国民は主権者として国の政治に参加する権利があり、現代国家では代表民主制が原則とされ、議会中心の政治が行われるのが通例です。そうすると、国民の政治参加のため、最も一般的で重要なものが選挙権、すなわち投票することであり、投票することで自己の政治的意見を国の政治に反映させるのですから、大事なことなのです。

そうすると、選挙結果がどうであれ、投票率が上がったことは高く評価するべきだと考えます。



3.愛知県知事選・北九州市長選ともに、38%程度であったのに、ともに50%を超えるというかなりの投票率の上昇の原因は、柳沢厚労相の「女性は子どもを産む機械」発言にあったと判断できます。地方それぞれに色々な事情があったとしても、前回と比較すると驚異的に投票率が上昇したのは、柳沢厚労相の発言以外にないのですから。

さらに、北九州市長選は、前民主党衆院議員の北橋健治氏(無=民主・社民・国民新推薦)が大差で初当選し(北橋健治氏:217,262、柴田高博氏:177,675、三輪俊和氏:56,873 )、これに対して、愛知県知事選挙は、現職の神田真秋氏(無=自民・公明推薦)が小差で当選するという、予想以上の接戦となりました。

この選挙結果も、柳沢厚労相の「女性は子どもを産む機械」発言の影響が少なくなかったようです。

 「厚労相発言「考慮」は39% 愛知知事選、一定の影響

 共同通信社が4日に実施した愛知県知事選の出口調査によると、柳沢伯夫厚生労働相が女性を「産む機械」と例えた発言を投票時に「考慮した」と答えた人は39・1%で、「考慮しなかった」と回答した55・8%を下回った。発言は投票行動に一定の影響を与えたものの、決定的な要因とはならなかったようだ。

 男女別で見ると、「考慮した」は女性の40・5%で、男性の37・8%を上回った。「考慮しなかった」は女性の53・0%、男性の58・6%で、女性の方がやや敏感に反応したとみられる。

 「考慮した」と答えた人の53・8%が民主、社民、国民新推薦の石田芳弘氏に投票。自民、公明推薦の神田真秋氏に投票した人は38・8%にとどまった。「柳沢発言」への批判票は石田氏の得票を押し上げたが、逆転するほどの効果はなかったもようだ。

(共同)
(2007年02月05日 00時02分)」(東京新聞のHP(2007年02月05日)


もっとも、出口調査がなくても、この女性蔑視発言のせいで、北橋氏が大差で当選し、本来は、圧勝のはずだったのに小差まで追い付かれたのだ、と分かるとは思いますが。


中川幹事長は、「今回の選挙結果は、補正予算審議をボイコットした野党戦術の失敗を意味します」という強気のコメントを出したようですが、柳沢厚労相の女性蔑視発言に目を背けた分析であって、現実を冷静に見つめた分析とはいえません。 何よりも28年ぶりに50%を超えたというほど、投票率がかなり上がったのは女性蔑視発言以外に要因がないのですし、愛知県知事選挙は、本来は与党側の分析では圧勝のはずだったのですから。

ですから、

 「ある自民党議員は「完全に柳沢ショックだ」と危機感をあらわにしている。また、自民党の参院幹部は「これでは参院選は戦えない。柳沢厚労相は辞めるべきだ」と話している。」

という分析の方が現実を見すえた正しい判断だといえます。きっと、自民党の青木幹雄参院議員会長は、この選挙結果をみて「どんな言い訳もできない発言なのだから、更迭すべきだとあれほど言ったはずだ。参院選を大敗させる気か!」と激怒しているはずと想像しています。ずっと柳沢厚労相の女性蔑視発言は、今夏の参院選への悪影響が避けられないと危惧していたのですから。



4.かつて、石原都知事が「(もう子供を産めない)ババアは有害」と発言したり、森喜朗元首相も「子供を産まない女性に年金を払う必要はない」と発言したりするなど、自民党幹部の女性観は

女や子どもがわがままになったから悪いのだ。がまんして「大人の男」の言うことを聞く昔に戻ればすべてうまくいく―。」(東京新聞2月4日付朝刊25面「本音のコラム」より「柳沢発言に思う」 藤本由香里(ふじもと ゆかり) )

というものです。自民党議員の多くも同じような女性観なのでしょう。

未だに多くの日本人男性もその女性観は、自民党幹部と似たようなものです。小池百合子首相補佐官(国家安全保障問題担当)は2月4日の民放のテレビ番組で、「女性は子供を産む機械」だと考えている日本人は、

「男性にそのたぐいの人はいっぱいいます」

と答えています(asahi.com「小池首相補佐官、厚労相の「産む機械」発言に不快感」(2007年02月04日18時51分))。


しかし、自民党の青木幹雄参院議員会長は、多くの自民党幹部と異なり、柳沢厚労相の女性蔑視発言について、次のように話しています。

 「「考えてもいけないこと」と青木参院会長 厚労相発言で
2007年02月03日19時53分

 自民党の青木幹雄参院議員会長は3日、青森市で講演し、柳沢厚生労働相の「女性は子どもを産む機械」発言について、「大きなマイナス要因が重なった」と述べ、今夏の参院選への悪影響が避けられないとの認識を示した。

 青木氏は「どんな言い訳もできない。政治家として間違った発言で、頭の中で考えてもいけないことだ」と厳しく批判。「仲間の議員としておわびする。みんなで反省の上に立って政権を担当していく」と謝罪した。」(asahi.com(2007年02月03日19時53分)


当然、参院選対策の面があるとしても、

「どんな言い訳もできない。政治家として間違った発言で、頭の中で考えてもいけないことだ」

とまで厳しく批判しているのです。民主党の小沢代表が

「何と釈明しようとも、政治家である以前に、人間として許されない。」

と代表質問で述べた内容と同程度に厳しい言い方です。

自民党は、良くも悪くも理想を掲げることがなく、現実を冷静に判断し、現実にあわせて機敏に対応してきたからこそ、長年政権与党として存在してきたのだと思います。青木幹雄参院議員会長の発言は、自民党の“伝統”にそった現実を見据えた発言でした。こういった意見が主流にならない今の自民党は、もはや自民党らしさを失いつつあるようです。
論功行賞にこだわって、二人目の閣僚辞任だと首相の任命責任を問われかねないので、自分を守るために辞任させない安倍首相(東京新聞2月5日付朝刊「筆洗」)。ここまで内向きな自民党総裁も珍しい気がします。



5.どうやら、柳沢厚労相は辞任する気がないようですが、もし辞任しない場合、今後柳沢厚労相の女性蔑視発言は影響するのでしょうか?

その判断として次のエピソードを紹介します。

 「よみうり堂から

 厚生労働相の問題発言が総スカンをくっている。あんなひどい発言とは次元が違うが、栃木の支局時代に知り合った地方紙記者のことを思いだした。彼が取材を終えて真夜中に帰宅、布団に倒れ込むと、奥さんがうなりだし、「陣痛みたい」。あんまり眠かったので、つい「明日にしろよ」と言ってしまった。それからは夫婦げんかのたびに「冷たい人」とせめられるという……。(鵜)」(読売新聞平成19年2月4日付(日曜日)19面)


妊娠出産はどの女性にとっても大変なことであって、女性によっては、このような発言をした男性と離婚する者もいるはずです。このエピソードにある記者のように、母体に対する配慮に欠けた発言は、いつまでも女性の心に残るものです。「結婚以上に出産問題はデリケート」(斉藤美奈子「AERA07年2月12日号25頁」)なのです(2月5日追記)。
そして、女性だけでなく男性も含めて投票率を上げるほど、柳沢厚労相の発言は、深く心に残ったものだったといえるのです。

そうすると、もし辞任しない場合、今後柳沢厚労相の女性蔑視発言はずっと影響すると考えます。




6.柳沢厚労相の発言は、少子化対策を巡ってなされたものでした。しかし、現実は深刻です。

 「妊娠などで退職迫る企業増加

 妊娠や出産を理由に女性社員に退職を迫るなどして、労働局から指導を受けた企業が、昨年度100社を超え、5年前の2倍以上に上ったことがわかりました。出産の前後に休暇を取ることが業務の停滞につながると考える企業が増えているためとみられ、厚生労働省は指導を強化することにしています。

 厚生労働省によりますと、女性だという理由で不当な扱いを受けたという社員からの申し出があった企業の実態を調べた結果、労働局が指導をした企業は昨年度131社に上りました。このうち妊娠や出産を理由に女性社員に退職を迫ったり自宅待機を命じたりした企業は、全体の90%の119社に達し5年前の2.2倍に増えました。中には妊娠した女性の社員に突然希望しない部署への異動を命じて、退職するように暗に迫る会社もあったということです。妊娠や出産を理由にした解雇は男女雇用機会均等法で禁じられているうえ、ことし4月からは自宅待機や正社員からパートへの変更を強要することも禁止されることになっています。厚生労働省は「業績が回復する中で、女性社員が出産の前後に休暇を取ったり勤務時間を短くする制度を利用したりすると業務の停滞につながると考えて退職などを迫る企業が増えたものとみられる。指導を強化していきたい」としています。」(NHKニュース「妊娠などで退職迫る企業増加」(2月4日 12時4分)


企業は、法律違反であることが分かっているのに、目先の儲けを優先して、妊娠や出産を理由に女性社員に退職を迫ったり自宅待機を命じるのです。こんな企業が5年前の2倍も増えているのですから、子供が増えるはずがありません。出産後復帰が難しいどころか、「出産するなら退職しろ!」なのですから。

柳沢厚労相がどんなに、「人口増に向け各自フル稼働願たし!」(週刊新潮2月8日号29頁)と言い放ったとしても、企業側の方がそれを許さないような対応をしているのです。フランスのように出生率2.0にまで回復することは(「仏出生率が回復して2.0に~東京新聞1月17日付」「“愚民”相手に「作られた」問題~東京新聞平成19年1月3日付「本音のコラム」より」参照))、夢のまた夢ということのようです。

こういった法律違反をしてまでもなされる女性差別は、長年許容する日本社会があるからこそであり、企業側が自主的に改善することはないでしょう。女性差別を改善するには、投票行動で国会に対して女性差別に拒否を示すことが重要だと思います。

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2007/02/03 [Sat] 00:12:20 » E d i t
「病気腎移植の医学的妥当性(3)~生存率5年で70%(産経新聞1月20日付)」において、産経新聞の記事を引用しましたが、そこには、

「腎がんの病腎を移植された8件のうち、がんが再発転移した例はなかったが、尿管がんで肺転移の可能性が否定しきれない症例が1例あった。」

との指摘がありました。

産経新聞以外の新聞社の記事では、「がんが再発・転移した可能性がある」と強調した形で紹介した記事が多かったのです。例えば、「asahi.com(2007年01月23日08時22分)」では、

 「尿管がん患者から腎移植、腎・肺がん患い死亡
2007年01月23日08時22分

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)らによる「病気腎」移植問題で、万波医師の前勤務先の同市立宇和島病院で尿管がんだった患者の腎臓を移植された男性が腎臓がんになり、さらに肺がんを患って死亡していたことがわかった。がん発症の原因は不明だが、移植された腎臓にがん細胞が潜んでいて発症した可能性もあり、同病院は事実関係を調べたうえで、病気腎移植の妥当性を判断する調査委員会に報告する方針。(以下、略)」

といった形です。

 「術後にがんで死亡例も=万波医師の病気腎移植

 宇和島徳洲会病院の万波誠医師による病気腎移植問題で、尿管がんのドナーから移植された男性が腎臓がんを発症、その後肺がんで死亡していたことが23日、分かった。広島大の難波紘二名誉教授が公表した。同教授は「悪性度の高い腫瘍(しゅよう)は移植しない方が良いという例だ」と話している。」(時事通信)

というような記事さえありました。しかし、「がん再発・転移の可能性を強調した」報道は誤報だったようです。中国新聞の記事を紹介します。


1.中国新聞平成19年1月30日付

 「患者の死因は肺がん 尿管がん腎移植 '07/1/30

-----------------------------------------------------------------
 ▽広島大の難波教授調査 移植とは無関係

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らによる病気腎移植で、尿管がんの腎臓を移植された患者にがんが再発、その後死亡したケースは、尿管がんの転移でなく、別の肺がんが原因だったことが二十九日、難波紘二・広島大名誉教授の調査で判明した。

 この患者は一九九四年、万波医師の執刀で、尿管がんで摘出した腎臓の移植を受けた四十歳代の男性。九六年、尿管がんの再発が見つかり部分切除。九九年に肺がんで死亡した。難波教授が遺族から入手した死亡診断書によると、原発性肺がんの肝転移が死亡原因と記載されていた。

 難波名誉教授は「この結果、がんの腎臓を移植した患者十四人では、転移はなく、局所再発があった一例も、死因とは無関係だったことが明らかになった」としている。(編集委員・山内雅弥)」


「難波教授が遺族から入手した死亡診断書によると、原発性肺がんの肝転移が死亡原因と記載されていた」そうですから、死亡診断書を書いた第三者の判断で「原発性肺がん」すなわち、肺がんは肺から直接、最初に発生したのですから、尿管がんで摘出した腎臓からの再発転移でないことが示してあったのです。そうなると、「がん再発・転移の可能性を強調した」報道は誤報だったといえると思います。


「難波名誉教授は「この結果、がんの腎臓を移植した患者十四人では、転移はなく、局所再発があった一例も、死因とは無関係だったことが明らかになった」としている。」

とあるように、がんのあった腎臓を移植した場合も転移した例がなく、局所再発であっても、転移再発したがんで死亡する結果も生じてなかったことからすると、がんのあった腎臓であっても、十分に移植に使用できる腎臓であると判断できそうです。人体にある臓器、そこに巣食うがん細胞というものは、人が想像する以上の不思議さがあるようです。


以前にも紹介していますが、万波医師を痛烈に批判している大島伸一・日本移植学会副理事長は、「がんの臓器の移植は禁忌中の禁忌。万波さんが米国でそういう移植を見たというのなら証拠を出すべきだ」と憤っています。

しかし、難波名誉教授の調査結果からすると、現実には禁忌にする根拠がないのです。そうなると、厳しい言い方になりますが、今後も大島氏が病腎移植を否定し万波医師を非難するのであれば、その発言は、長年移植医であったにもかかわらず、実際上は移植医としての知識が乏しく、技量が著しく低いゆえの発言か、または単なる老いの繰言であると評価できそうです。



2.元々は、難波名誉教授の調査結果に基づいた記事だったのですから、きちんとその後の難波名誉教授の調査結果についてもフォローが必要だと思うのです。それなのになぜ中国新聞以外はこの「がん転移再発はなかった」という事実を紹介しないのでしょうか? 真実はどうなのか調べ報道することこそ、憲法21条で保障された報道の自由を有する、報道機関としての役目・義務ではないでしょうか?


(1) がん再発転移の「可能性」というだけだったのですから、後の調査待ちの状態だったのです。そうなると、その「がん再発転移の可能性」の部分は報道しないという遣り方もありました。例えば、毎日新聞の記事がその形です。

 「病気腎移植:死体腎移植と「生着率、大差ない」

 万波誠医師らによる病気腎移植問題に関連し、難波紘二・広島大名誉教授は20日、松山市内でのシンポジウムで宇和島徳洲会病院など3病院での病気腎移植36例(カルテのない5例を含む)の分析結果を明らかにした。「結論を出すには不十分」としながらも「生着率は死体腎移植と大きく変わらない」とまとめた。

 宇和島徳洲会病院、市立宇和島病院、呉共済病院のデータを収集。初めて受ける移植が病気腎だった10例を日本移植学会などがまとめた死体腎移植のデータと比較した。腎臓が拒絶反応を起こさず機能している率は5年で60%(死体腎移植59.2%)、10年で50%(同42.8%)だった。【津久井達】」(毎日新聞 2007年1月21日 東京朝刊



こういう記事なら、「誤報」はないので、その後の調査結果を報道する必要はないことになります。これも1つの報道の仕方だと思います。

毎日新聞にしては真っ当だと思ったら、科学環境部の記者ではなく、津久井達記者でした。病気腎移植問題で真っ当な記事を書くことができるのは、津久井達記者だけですから、津久井達記者にはこれからも真っ当な記事を期待しています。津久井達記者はぜひ頑張って欲しいです。

とはいえ、がん再発転移の可能性に言及した報道もあったのですから、できれば、中国新聞のような報道の方が望ましいと思います。その後の調査結果を報道しないと、読者が誤解したままになってしまうのですから。


(2) これに対して、朝日新聞の記事は最悪です。
「asahi.com(2007年01月23日08時22分)」の記事の後半では、

 「万波医師の説明などによると、94年ごろ、腎臓と膀胱(ぼうこう)をつなぐ尿管の下部にがんができた患者の腎臓が摘出され、40代の男性に移植された。移植後は、2カ月おきに腎臓の細胞を取って再発の有無を調べる検査を続けたところ、約2年後、腎臓の中心部で尿管とつながる「腎盂(じんう)」にがん細胞が見つかったという。

 万波医師は「がんが再発する可能性がある」と手術前に男性に説明。がんが見つかった際も男性に告知したうえで腎臓の摘出を勧めたが、「透析治療に戻りたくない」と拒否されたため、がん細胞を切除する手術を行ったという。だが、男性はその約2年後、肺がんを発症して死亡した。

 専門医によると、腎臓がんの場合、10年以上たってから他の臓器に転移するケースもあり、肺への転移が最も多いとされる。同病院幹部は「今回のケースは把握していない。資料が残っているかどうか早急に確認したい」と話した。

 万波医師は朝日新聞の取材に、「臓器提供者の腎臓にあったがん細胞が増殖したのか、新たにがんを発症したのかはわからない」と説明。移植患者ががんに侵された例があったことを公表しなかった点については、「再発したとは思っていなかった。肺がんについても内科医と検討した結果、腎臓がんの転移ではなく、新しくできたがんと診断した」と話した。」

としています。読むと分かるように、この記事はかなり奇妙です。

「移植後……約2年後、腎臓の中心部で尿管とつながる「腎盂(じんう)」にがん細胞が見つか」り、「がん細胞を切除する手術を行った」が「男性はその約2年後、肺がんを発症して死亡した」というように、移植時から死亡まで4年なのに、「腎臓がんの場合、10年以上たってから他の臓器に転移するケースもあり」という専門医の指摘を紹介するのです。専門医の指摘の記事は意味がないと思います。

また、万波医師に取材して、「肺がんについても内科医と検討した結果、腎臓がんの転移ではなく、新しくできたがんと診断した」というコメントを得ているのだったら、転移の可能性を強調することはできないはずです。それなのに、なぜ転移の可能性を強調する表題・内容にしたのか不思議です。転移の可能性を強調する表題にすると、読者に対して、あたかも転移があったかのような印象を与えてしまうのですから。

しかも、難波名誉教授の調査結果が基であることは明白なのに、記事全体として、難波名誉教授の調査結果が基になっていることを指摘することもなく、その後の調査結果を報道することもないのです。

朝日新聞が病腎移植問題について触れた報道は、いつも悪意に満ちていることは分かっていますが、真実はどうなのか調べ報道するという、報道機関としての役目・義務は果たすべきです。

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2007/02/02 [Fri] 08:09:16 » E d i t
「女性は子供を産む機械」の柳沢厚労相問題について、東京新聞の「筆洗」と朝日新聞の「天声人語」で、期せずして2月1日付で触れていました。この両方のコラムを紹介したいと思います。


1.東京新聞平成19年2月1日付朝刊1面「筆洗」

 「柳沢厚労相の「産む機械」発言が女性たちの怒りに火を付けて、選挙前に、たださえ支持率急落にあせる安倍政権を総毛立たせている▼三十一日の参院本会議の代表質問でも首相、厚労相が平身低頭で謝罪したが、それで一件落着と考えたなら認識が甘い。「産む場所がない」と女性たちを悩ませている深刻なお産の救急救命医療の現状に、所管大臣が無理解をさらしたからだ▼先日、福島県の病院で、癒着胎盤を無理にはがして失血死させたとして、医師が刑事責任を問われた裁判の初公判があったばかり。奈良県で十九もの病院をたらい回しされた妊婦が死亡。その後、奈良県や大阪府では産科医確保の見通しが立たない病院が事故を恐れて次々、産科診療の休止に追い込まれた▼地方ばかりか首都圏でも、都立病院などの中核病院が産科を縮小、“産む機械(機会?)”どころか「産む場所がない」。それが史上最低出生率1・26の内実だ▼歴史人口学の鬼頭宏著『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫)によれば、縄文時代、男女の平均年齢は三十一歳。女性は十五歳から平均余命いっぱいの十六年間にわたって二年に一回の割で出産、八人産んでやっと次代を担う女児一人を得た計算だ。“産まされる痛み”は女性の心の琴線に触れる▼西部開拓時代の米国でも、多産を強いられた女性の怒りと悲しみが、サンガーさんの産児制限運動となり、女性解放運動に結実する。この国でも「産めよ増やせよ」でつくった息子を戦地に取られたのは、ほんの六十年前のことでしかない。」


このコラムでは2点について触れています。

1つは、柳沢厚労相が女性を「子供を産む機械」扱いして、もっと産むように頑張れと言っても、“産む機械(機会?)”どころか「産む場所がない」のです。そういった深刻なお産の救急医療の現状をまるで知らないかのように、ただ単に「産め、産め」と無責任に発言しているのですから、所管大臣としてあまりに無理解であるのです。所管大臣としての知識が著しく不足しているのですから、謝罪だけで済まされる問題ではないわけです。

もう1つは、柳沢厚労相が女性を「子供を産む機械」扱いして、もっと産むように頑張れと言ったことは、“産まされる痛み”という女性の心の琴線に触れることなのです。
昔は、5人6人7人と子供を産むことは珍しくなかったのですが、そういった状態では母体も疲れ子供の養育もままならず、またこういった多産は貧困も招いていました。このような多産を強いられた女性の怒り・悲しみ・苦しみは日本だけでなく世界の女性共通の問題であって、米国ではマーガレット・ヒギンズ・サンガー(Margaret Higgins Sanger)さんが産児制限活動を行い、「女性の自立は性の自己コントロールから」という考えを説いたのです。
その結果、何時、何人出産する子供を持つかを決める自由を認める「性と生殖の健康・権利(リプロダクティブ・ヘルス)」が、女性の人権の1つとして、国際的に確認されたのは、1994年の回路人口開発会議以来のことです。やっと、国際的に確認されたというのに、柳沢厚労相の発言は、それらの権利をまた無にすることを求めるような内容なのです。



2.朝日新聞平成19年2月1日付朝刊1面「天声人語」

 「かつて、王侯の結婚は政略的な色合いが濃かった。オーストリアの女帝マリア・テレジアは、同盟強化のため、娘のマリー・アントワネットをフランス王室に嫁がせた。14歳だった娘を気遣う母と、ベルサイユ宮殿で暮らす娘との間の書簡が残されている。

 テレジアが、結婚の狙いを成就させるものとして繰り返したのは子を得ることだった。「あなたにとっては、子供を授かるのが何よりも大事な使命なのですし、子供を産むことであなたの幸せは揺るぎないものとなるのです」(『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』藤川芳朗訳・岩波書店)。

 結婚から8年たって、女児が生まれた。次を促すテレジアは、自身の死の数カ月前にも「私たちにはどうしても王太子が必要なのです」と書き送る。アントワネットの立場は、国の命運にかかわる「産む機械」のようだった。

 後の大革命でアントワネットが断頭台に消えて、200余年がたつ。女性を「産む機械」と見るような時代は去ったはずだが、この国の閣僚、しかも少子化を担当する厚生労働相が口にした。

 今でも世間には、家の跡継ぎという言い方が残る。国家も一つの家であり、女性には跡継ぎを残す責任があるなどという見方が、発言の背景にあるのだろうか。

 アントワネットの初産にはオーストリア大使が立ち会い、テレジアに報告した。分娩(ぶんべん)の一瞬後に痙攣(けいれん)を起こし、一時は危険な状態になったという。立場は「産む機械」でも、命がけでお産に臨む姿は「機械」などではなかったはずだ。」


オーストリアの女帝マリア・テレジアと、娘のマリー・アントワネットの間において「あなたにとっては、子供を授かるのが何よりも大事な使命なのです」といった書簡があったように、かつての王侯の結婚では、女性は「産む機械」のようだったわけです。

日本国憲法上、天皇制は世襲制を採用しているため、女性皇族は昔だけでなく、今でも子供を産むことを義務付けられていて、今でも「産む機械」扱いです。しかも「男の子を産む機械」でなければならないのです。これをおかしいと思う人が少ないからこそ、日本人の男女問わず、「女性は子供を産む機械」であるという意識がずっと残っているだと思います。



3.週刊新潮2月8日号(2月1日発売)では、「『女は産む機械』と発言した柳沢厚労相の『金を産む妻』」という表題で、柳沢厚労相の発言をこのようにまとめています。

 「柳沢氏の発言が飛び出したのはさる27日。島根県松江市内で自民党県議を集め、
<これからの年金・福祉・医療の展望について>

 と題する講演を行った柳沢氏は、
「なかなか今の女性は、一生の間に沢山の子供を産んでくれません」と出生率の低下についてボヤいた後、次のように語ったのだ。
「人口統計学では、15歳から50歳が女性の出産年齢です。その年齢層の女性を数えると、産む機械って言っちゃなんだけど、装置の数は決まったってことになるわけで、あとは産む役目の人が一人頭で頑張ってもらうしかありません」

 女性は機械なり。オートメーションに大量生産。人口増に向け各自フル稼働願いたし――。堂々とそう言い放ったわけである。


女性は、子を産む機械であり、子を産む装置であり、子を産む役目がある――。どれもさほど変わりません。女性の意思を尊重しない意味であることには代わりがないのですから。
ですから、週刊新潮による「柳沢厚労相の発言」のまとめは、発言の意味を端的に指摘したものであって、少しも大げさなものではないのです。

それにしても、柳沢厚労相や安倍首相は誰に対して謝っているのでしょうか? 

「不妊の原因を探るために受診、検査を受けたところ、卵巣膿腫と診断された。そして、約1週間入院して膿腫を摘出する手術を受け、退院した翌日に、「産む機械」発言を知った。

病後の私は鞭打たれる思いだ。肉体的・精神的苦痛の後の、むごい追い討ちだった。」(朝日新聞2月2日付「声」40代女性)


こういった声に対して、何ら配慮した謝罪は一切していません。所管大臣ならすぐに気付くべきことであるのに、ただやたらに謝罪するだけで、今後、どのような方法で女性蔑視を止めるのかなど何も言わないのです。

「女性を産む機械」という意識は、柳沢厚労相の本音であり、以前から同様のことを言っていたようであり(某ブログによる)、年齢からしてもそのような女性差別主義思想を心底撤回することは非常に困難です。だから、今度どのような方法で女性蔑視を止めるのかについて言及できないのだと思わざるを得ないのです。


柳沢氏は、所管大臣としての知識が著しく不足しているのですから、幾ら謝ってもみせても、厚労相としての適性を欠いているのです。少子化対策やあり得ません。まして、本音は女性差別主義者なのですから、厚労相を努めたとしても、信頼性を欠いてしまうのです。
だから謝っているから、許していいということにはならず、厚労相としての適性を欠く者がその地位にいること自体が妥当でないということなのです。

柳沢氏は、厚労相としての適性を欠いているのに、辞任を求める声が出ていても、いつまでも厚労相の地位にしがみ付く姿は見苦しい限りです。柳沢氏は、自民党総裁選で安倍氏の総合選挙対策本部長であり、安倍首相が論功行賞の意味で厚労相の地位を与え、だからこそ安倍首相は擁護し続けるのでしょう(毎日新聞2月2日付「社説」参照)。
論功行賞によって、柳沢氏が何をしても安倍首相は罷免せず、安倍首相は自ら謝罪するという異例の行動に出てまで擁護するのです。柳沢厚労相、安倍首相ともども、プライドとか品格とは無縁の存在のようです。
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2007/02/01 [Thu] 08:11:05 » E d i t
柳沢厚生労働相が「女性は子どもを産む機械」と発言した問題で、野党4党は1月31日の衆院予算委員会を欠席し、柳沢氏辞任まで国会審議を拒否する方針を確認したようです。

この女性蔑視発言に対しては、野党だけが反発しているのでなく、与党内で31日、柳沢氏の辞任もやむを得ないとの声が強まったとの報道がありました(31日付各紙)。安倍首相は31日、改めて柳沢氏を続投させる考えを強調していますが、参院自民党には「柳沢氏は自主的に辞任すべきだ」(幹部)との声がなお強いとの報道もなされています(朝日新聞2月1日付)。
柳沢厚労相の女性蔑視発言について、コメントします。


1.与党による批判を紹介しておきます。

 「参院自民党幹部は国会内で記者団に「(柳沢氏は)辞めないなら辞めないでいいが、辞めるなら早い方がいい」と述べた。別の参院幹部は「後は本人の判断だ」と指摘した。

 自民党の矢野哲朗・参院国会対策委員長は31日昼、国会内で、塩崎官房長官と会談し、「06年度補正予算案の審議は乗り越えても、07年度予算案の審議はもたない。参院選にもマイナスだ」と述べ、辞任を含めた厳しい対応が必要との考えを伝えた。塩崎氏は「(職務を全うしてもらうとの)既定方針で理解をしてほしい」と述べた。別の同党閣僚経験者も「すぐ辞めるべきだ。かばい続けると、矛先が首相に向けられる」と述べた。」(2007年1月31日14時53分 読売新聞)



 「与党内も大揺れだ。公明党の浜四津敏子代表代行は「女性に対する差別はすべての弱い立場の人への差別に共通する」と激怒。自民党の片山虎之助参院幹事長も「私も家内に乱暴に近いことを言うが、(それでも『機械』とは)絶対に言えない」と問題視した。

 辞任要求を突き付けるのは野党に限らず、自民党内の一部からも「謝って済む問題ではない。事務所費問題よりも深刻だ」(笹川堯・党紀委員長)と進退問題に発展するとの認識を強調。自民党の中には「罷免(要求)には絶対に応じられないが、自発的な辞任であれば本人次第」(幹部)と辞任論も出てきた。」(2007年1月31日06時03分 スポーツ報知)


公明党の浜四津敏子代表代行や自民党の片山虎之助参院幹事長までも非難しているのです。こうやって与党の幹部が公然と非難するほど、この問題の重大性が自覚されていると分かると思います。こうなると、安倍首相は、公明党の支持を半ば失っても、参院選に影響が及んだとしても、柳沢厚労相を擁護する意図のようです。



2.では柳沢厚労相はどのように発言したのでしょうか? 今一度紹介しておきます。

 「◆柳沢厚生労働相発言要旨 

なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。」(2007年1月30日06時00分 スポーツ報知)



 「柳沢厚労相の発言

だいたい人口統計学では女性は15歳から
50歳までなら出産してくれるということ
ですから15歳から50歳までの数を
勘定すると、もうだいたい分かるわけ
なんですね。(…中略)
あとはじゃあ(女性は)産む機械っちゃ
何だけれど装置がですね、もう数が
決まっちゃったと。機械の方が。
機械っちゃ…いけないかもしれないけど。
そういうものが決まっちゃったということになると、
あとはもう1つ、まぁ機械って言ったら
ごめんなさいね。
産む、産む役目の1人頭が頑張ってもらうしか
ないんですよ皆さん。」(ザ・ワイド:1月31日放送画面から引用)


「なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない」

という出だしを読むと、昔の日本女性が「頻産」だったようにもっと産んで欲しいと言いたいことが分かります。この出だしからして、引っかかりのある文章です。

「ザ・ワイド」での引用を読むと、「機械、機械」と連呼していることが分かります。こうなると、最後の方で「ごめんなさいね」と言ってみても、謝罪の意思があるのか疑わしいですし、「女性は子供を産む機械」という意識は常々思っている本音であって、ちょっとヘマをしたくらいにしか思っていないといえるでしょう。

謝っていても、結局は、

「産む、産む役目の1人頭が頑張ってもらうしかない」

と言ってしまうのです。しかし、子供を産むのは「役目」という意識も妥当ではないはずです。

(国語)やくめ3【役目】 (三省堂「大辞林 第二版」より)

役として果たさねばならないつとめ。役割。
「係としての―」「―を果たす」


日本女性にとって、子供を産むことは「果たさねばならないつとめ」というのは、戦前・戦中の国策でした。そのため、大正や昭和初期の頃の日本女性は、「頻産」(毎年お産をさせられること)によって、子育て以上に産まされる身体の辛さに悩まされていました。そのような悩みの元である「子を産むつとめ」から脱却するため、加藤シヅエさんなどは、産児制限活動を行い、女性にとって様々な生き方を選択する道を開いていったのです。

「子を産むつとめ・役目」から脱却することこそ、女性の権利・人生選択にとって最も根源的なことだったのです。柳沢厚労相の発言は、女性の権利・人生選択にとって最も根源的なことを無にするようなものでした。柳沢厚労相は「産む役目」と言い換えたことで、問題ないと思っていることもまた、問題のある発言なのです。「産む役目」も「女性が産む機械」も殆ど変わらないのですから。



3.朝日新聞平成19年2月1日付朝刊2面から、この女性蔑視発言についての識者のコメントを紹介します。

男性特有の支配感の象徴   江原由美子・首都大学東京教授(女性学)の話

 機械に油(金)でもやれば勝手にポコッと卵を産んでくれる、そんな発想だ。「がんばってもらう」という言葉にも、子どもは女性が1人で産み、責任を持って育てるものだという日本社会全体の心理がかいま見える。

 子どもを産む苦しみ、産めないことの苦しみ、産めと強要される苦しみ。そんな人間ドラマが全く見えていないのではないか。言うまでもないが、子どもを産むのも育てるのも男女の責任。女性だけでなく、男性の働き方も見直さないと少子化対策にはならない。柳沢さんが提唱する「残業代ゼロ制度」にも共通するが、男は労働力、死ぬまで働け、女は産む機械という発想が透けて見える。じゃあ産まない女性は出来損ないですか、という話になってしまうかもしれない。

 少子化問題を語るときの男性にありがちな無責任さ、支配感の象徴のような「失言」だ。


タイの新聞社の記者が「女性は産む機械だという意識は、日本の男性の女性観ではないか」とコメントしていましたが、それと共通する内容です。


人を人と見ぬ政治家の目  コラムニストの天野祐吉さんの話

 政治家や官僚にとって国民は、「労働力を供給し、税金を払い、子供を産む」という「機械」なんですね。柳沢大臣の発言は、そんな体質化した見方が出てしまっただけ。ふだんは「思っても、言ってはいけない」と、隠蔽(いんぺい)しているのに、今回は隠していたしっぽがポロッと出てしまったということでしょう。本来は思ってもいけないことだが、ご本人は「ヘマした」と思っただけではないかな。

 柳沢大臣が家族の方までもそういう目で見ているとは思いません。しかし、ひとたび政治家の目になれば、人を人として見られなくなる。偉くなればなるほどふつうの言葉が話せなくなり、ふつうの物の見方を失っていく。政治家や官僚は、独特の文法やボキャブラリーを使っているうちに、頭の中までそうなってしまう。柳沢大臣だけの問題ではないでしょうね。政治家は言葉の重みをもっと自覚して欲しい。


ご本人は「ヘマした」と思っただけという理解は、正しいと思います。ネット検索すると、以前の講演会でも同じような発言をしていたとの記述もありましたし、記者に対して「何度言えばわかるのか、辞任するつもりはない」と言い捨ててましたから、さほど悪いと思っていないと思えるからです。

「柳沢大臣が家族の方までもそういう目で見ているとは思いません」としていますが、この理解は間違っていると思います。つい、女性は産む機械だと言ってしまうということは、普段からずっとそういう態度をしても注意を受けないからですからです。やはり、家族(妻、娘)に対しても「産む機械」といった目で見ているはずです。


安倍首相、甘い危機管理  危機管理コンサルタント会社「リスク・ヘッジ」の田中辰巳社長の話

 謝罪する以上は、再発防止を印象づけるような処分を伴わせることが必要だ。安倍首相のように更迭に踏み切らないまま、口先でわびるだけでは何の意味も持たない。

 柳沢氏の差別的な発言内容と、少子化や男女雇用均等法を担当する大臣という立場を考えれば、辞任せずに済むような軽い問題ではない。

 それをただの失言としかとらえていない安倍首相は、組織トップの危機管理能力として重要な「事態がどのように展開するかを予測する力」や「判断力」が相当に甘いと言わざるをえない。

 今後、安倍首相は人事でポリシーを示すべきだ。本間正明・前政府税調会長のケースのように、いったんかばいながら、本人が辞意を示すとそれを認めるというパターンを繰り返せば、決断力のなさを国民にますます印象づける結果になるだろう。


この女性蔑視発言問題について、安倍首相は謝罪していますが、とても信用できません。「謝罪する以上は、再発防止を印象づけるような処分を伴わせることが必要だ」からです。これは、柳沢厚労相も同じです。柳沢厚労相は、単に謝罪を述べるだけで、今後同じような女性蔑視の意識を持たないために、どう対応すべきか述べていないのです。これでは、謝罪は口先だけにすぎないでしょう。

女性蔑視発言からすると、少なくとも厚労相の立場だけは相応しくありません。だから、「辞任せずに済むような軽い問題ではない」のに、安倍首相は、ただの失言としかとらえていないですから、「事態がどのように展開するかを予測する力」や「判断力」が相当に甘いと言わざるをえない。安倍首相は、首相としての能力に欠けているといわざるを得ないのです。



4.安倍首相は、公明党の支持を半ば失っても、参院選に影響が及んだとしても、女性の有権者の支持、さらには男女問わずに女性蔑視発言を不快に思う有権者の支持を失ってでも、柳沢厚労相を擁護するのです。世論を機敏に読み取る普通の政治家であれば辞任するはずですが、柳沢厚労相も辞任する意思がありません。

安倍首相が更迭することなく、柳沢厚労相も辞任しないのは、柳沢氏が総裁選で選対本部長だったこと、その論功行賞として入閣したからという点が大きいのでしょう。 だから、安倍首相は更迭することができないわけです。
これに対して、柳沢議員が辞任しないのは、「ご本人は『ヘマした』と思っただけ」だからでしょう。きっと、なぜ辞任を迫られるのかよく分からないはずです。日銀の福井総裁が逃げ切った前例があるのですから、逃げ切れるはずという見込みもあるとは思います。

しかし、安倍夫妻には子供がいないことからすると、安倍夫人は「女性は子供を産む機械」という発言に大変傷ついたはずです。「私は子供を産めなかった不良品の機械なのか」と。

安倍首相は31日午前の参院本会議で「国民の信頼を得られるよう全身全霊を傾けて職務を全うしてもらいたい」とまで述べてしまったのですから、もはや更迭するも難しいはずです。これで、安倍首相は、選対本部長であったことを重視して、自分の夫人の心の痛みを無視して、世論の批判も無視して、女性差別主義者である柳沢厚労相を擁護して更迭しない人物であることが明確になりました。

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