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2007/01/30 [Tue] 06:30:05 » E d i t
柳沢厚労相は1月29日昼、「不適切な表現だった。(女性に対して)傷つけたことを申し訳ないと思う」と記者団に釈明しましたが、「これからの仕事を通じて、そんなことを思って政治をしているのではないことを理解していただき、進んでいきたい」と言い訳をして、辞任をする意思がないことを表明しました(asahi.com:2007年01月29日13時02分)。
この女性蔑視発言問題についてコメントしたいと思います。


1.1月29日の代表質問でも、柳沢厚労相の女性蔑視発言問題について触れていました。この問題についての民主党の小沢代表の代表質問と、安倍首相の答弁を引用します。

【小沢代表】柳沢厚労相は講演で「女性は子どもを産む機械だ」と発言した。何と釈明しようとも、政治家である以前に、人間として許されない。

【安倍首相】厚生労働相の発言は、私としても不適切な発言であったと考え、今後誤解を生じないよう厳しく注意を促した。子供を産み育てることは崇高な営みであり、母親の子供に注ぐ愛情はかけがえのないものだ。



(1) 大正や昭和初期の頃の日本女性は、「頻産」(毎年お産をさせられること)によって、子育て以上に産まされる身体の辛さに悩まされていました。まさに「子供を産む機械」であり、非人間的な扱いだったのです。

また、不妊や未妊に悩む夫婦にとっては、柳沢厚労相の発言は、「子供を産めない女性は不良品の機械だ」という意味につながりますから、大変なショックを与えています。柳沢厚労相は、「(女性に対して)傷つけたことを申し訳ないと思う」と言っているようですが、この侮辱発言は、女性を傷つけただけでなく、不妊や未妊に悩む夫婦、その家族、友人といった、男女を問わず多くの人々の心を深く傷つけた発言だったのです。

このように、柳沢厚労相の発言は、昔の日本女性の辛さを思い起こさせ、本音には戦前回帰があると思わざるを得ないであり、男女問わず多くの人々の心を深く傷つけた発言であるのですから、

「何と釈明しようとも、政治家である以前に、人間として許されない」

発言であったといえるのです。

人間として許されない言動を行ったのであれば、その言動に対しては重い罰を与えるべきです。罰してこそ、許されない行為であったことを深く自覚させることができるからです。



(2) ところが、安倍首相は、29日朝、「女性は子どもを産む機械」と発言した柳沢厚生労働相に電話で、「このような不適切な発言がないように」と注意しただけで、それ以上とがめる意思もなく、更迭や罷免するつもりがないのです(asahi.com:2007年01月29日13時02分)。

注意するだけで更迭や罷免する意思がないのなら、なぜ、安倍首相は

「子供を産み育てることは崇高な営みであり、母親の子供に注ぐ愛情はかけがえのない」

とまで言ったのでしょうか? そこまで言って置きながら、更迭や罷免をしないなんて言行不一致であると感じます。不一致をおかしいと思わないのなら、安倍首相は偽善者であると思います。

安倍首相は、「女性は子供を産む機械」と言ったくらいで罷免する意思がないという意思表明をしているのですから、小沢代表のように「人間として許されない」とまでは思っていないことになります。安倍首相は、施政方針演説ではモラルを重視することを表明していましたが、「人間として許されない」発言をしても辞任や更迭・罷免がないのであれば、モラルを重視するなんて、全くの嘘としか言いようがありません。安倍首相は嘘つきであり、人間性に疑問を感じます。



(3) これほどの女性侮辱・人間侮辱発言をしておきながら、辞任や更迭・罷免をしないようであれば、閣僚が殺人などの明白な犯罪行為を行わない限り、辞任や更迭・罷免がないことになります。これはあまりにもおかしいと思うのです。単に、柳沢厚労相が謝ればすむ発言ではないのです。野党だけでなく、一般市民も、辞任や更迭・罷免があるまで非難し続ける問題であると考えます。


もしこのまま安倍首相が柳沢厚労相に対して辞任を促すことがなく、更迭や罷免をしないのであれば、未来永劫、安倍政権を支持することはなく、自民党に投票する意思はありません。人間性を欠いた首相や政党に対して投票することは、非人間的行動を是認することになるのですから。




2.朝日新聞の記事を読むと、柳沢厚労相の発言に対しては、野党議員だけでなく、与党議員も批判しています。

(1) 朝日新聞平成19年1月30日付朝刊3面「時時刻刻」(2007年01月29日23時38分)

 「緩む政権の足元 

 安倍政権のタガの緩みが深刻だ。安倍首相が少子化対策で大号令をかければ、担当の柳沢厚労相が「(女性は)子供を産む機械」と失言。首相が通常国会で教育3法案の成立をめざすと明言すると、側近の下村官房副長官が会期内成立にこだわらないと公言。日米関係でも、久間防衛相が連日のように米政府批判を繰り返す。国会では29日から与野党の論戦が始まったが、内政と外交の主要課題で政府が次々に攻撃材料を野党に提供する負の連鎖が続く。

◇ 守る官邸 冷めた与党

 「女性を機械に例えることは『産めよ殖やせよ』にも通じ、女性の人権を踏みにじるものだ」

 民主、共産、社民の野党3党の女性議員16人は29日、国会内で柳沢氏と会い、厚労相辞任の要求書を手渡した。柳沢氏は「女性の存在を否定するような発言をして傷つけたことは謝る」と平身低頭だった。

 これに先立つ衆院本会議では民主党の松本剛明政調会長から「驚き、嘆き、憤っている」と質問され、「国民の皆様、特に女性の方々におわび申し上げる」と陳謝。首相も小沢代表への答弁で「誤解を生じないように厳しく注意を促した」と発言せざるを得なかった。

 労働法制など重要法案を担う柳沢氏の失言だけに、野党は「辞任に値する発言だ」(市田忠義共産党書記局長)と勢いづく。参院選に向け、国会の滑り出しで主導権を握る可能性も出てきただけに、小沢氏は29日の会見で珍しく多弁だった。

 「どう釈明しても済む話じゃないだろうね。ちょっと国務大臣としてどうかな、ということになるんじゃないかな」

 政府・与党内の空気は冷ややかだ。

 高市男女共同参画担当相は国会内で記者団に「私は子供をほぼ授かれない体なので、機械なら不良品になっちゃう」と不快感をにじませ、猪口邦子前少子化担当相も「発言は完全に否定されなければならない」。

 女性だけではない。自民党の中川昭一政調会長は記者団に「極めて不適当。私から見てもびっくりするような言葉だ。少子化対策とかあり、担当大臣の発言はマイナスだ」と切り捨てた。

 首相官邸は「(厚労相)更迭という話ではない」(内閣官房幹部)と防戦するほかない。内閣支持率の下落が続く中、昨年末の佐田行革担当相に続いて、閣僚辞任の事態だけは避けたいからだ。しかも格差是正で民主党に攻め込まれるなか、少子化対策と労働法制はそれを押し返す材料なのに、担当閣僚の責任問題が浮上すれば混乱に拍車がかかる。

 29日に少子化対策の検討会議を設置すると発表した塩崎官房長官は「発言は不適切だが、直ちに訂正された。検討会議の主要メンバーとしてやってもらう」とかばった。首相も29日夜、記者団に「本来、大変高い見識をもった方ですし、今後職務に専念して頂くことで本人の人柄についてもだんだん国民の皆さまに理解して頂けるだろう」と語った。

◇ 課題「腰砕け」負の連鎖

 問題は「柳沢発言」にとどまらない。

 「私の発言で、ご迷惑をおかけしているかもしれません」。29日午前の自民党国会対策委員長室で、下村博文官房副長官は与党国対幹部らにこう切り出した。

 下村氏は28日のテレビ番組で、首相肝いりの教育関連3法案について「成立してもらいたいとは思うが、柔軟に考えてもいいのでは」と発言した。夏の参院選を控え、国会日程が窮屈なことをにらみ、成立しない場合の予防線をはったつもりだったが「腰砕け」の印象はぬぐえない。

 公明党の漆原良夫国対委員長は29日、記者団に「首相は今国会を『教育再生国会』と言っているからメーンテーマのはず。出す前から3本通すのは難しいと言うんじゃ、何なんだという話になる」。結局、安倍首相は同日夜、記者団に「当然、成立を期して提出を急いでいきたい」と語り、発言を修正した。

 就任後、ずっと続いているのが久間防衛相の米政府批判だ。27日の長崎県諫早市の講演では在日米軍普天間飛行場の移設案に絡んで米国に対し「偉そうなことを言ってくれるな」と発言。久間氏は24日にもイラク戦争開戦の米国の判断を「間違っていた」と批判し、26日に塩崎氏が注意したばかり。米政府はイラク発言について日本政府に照会、首相が「外交の要」と重視する日米関係に影を落としかねない。

 首相が重視する課題に自ら水を差す発言が政府内から相次ぐ非常事態に、塩崎氏は29日の記者会見で「決して言いたい放題を許している内閣ではない」。

 こうした状況の中、今度は逢沢一郎衆院議院運営委員長の公選法違反の疑いも浮上した。こちらも与野党の利害を調整する立場だけに、国会運営への影響は深刻だ。

 首相は同日の自民党役員会で「緊張感を持ってやってほしい」と語った。近年の選挙では、何を争点にするか、主導権をとった方が有利なのだが、首相自らが政権課題を設定しても、政府・与党内の足並みの乱れがすぐに表面化する悪循環から抜け出せない。首相の求心力の低下が、政権のタガの緩みにつながっているのも確実だ。

 民主党幹部は次々、攻撃材料が出てくる現状に、思わずこう漏らした。「ぼろぼろだ。安倍政権はもうダメだな」 」




(2) 与党議員も

 「高市男女共同参画担当相は国会内で記者団に「私は子供をほぼ授かれない体なので、機械なら不良品になっちゃう」と不快感をにじませ、猪口邦子前少子化担当相も「発言は完全に否定されなければならない」

 女性だけではない。自民党の中川昭一政調会長は記者団に「極めて不適当。私から見てもびっくりするような言葉だ。少子化対策とかあり、担当大臣の発言はマイナスだ」と切り捨てた。」


と発言しています。真っ当な発言です。もっとも、小泉チルドレンの片山議員は、柳沢厚労相を擁護していますが。

安倍首相は、

「本来、大変高い見識をもった方ですし、今後職務に専念して頂くことで本人の人柄についてもだんだん国民の皆さまに理解して頂けるだろう」

とかばって、更迭しないようですが、人間として許されない発言をしておきながら、「高い見識」を持っているとはいえません
柳沢厚労相は、多くの市民が怒りを感じる発言を行ったのですから、更迭しないままだとさらに支持率が低下するでしょう。安倍首相の政治感覚のなさ・世論の読み取り能力のなさには哀れさえ感じます。



(3) 閣僚の問題発言は、柳沢厚労相だけではありません。

 「就任後、ずっと続いているのが久間防衛相の米政府批判だ。27日の長崎県諫早市の講演では在日米軍普天間飛行場の移設案に絡んで米国に対し「偉そうなことを言ってくれるな」と発言。久間氏は24日にもイラク戦争開戦の米国の判断を「間違っていた」と批判し、26日に塩崎氏が注意したばかり。米政府はイラク発言について日本政府に照会、首相が「外交の要」と重視する日米関係に影を落としかねない。」


合理的な理由による米国批判は妥当でしょうが、「偉そうなことを言ってくれるな」とまで挑発的な発言をすることは、国益に反します。しかも、自衛隊の海外派遣はもちろん、自衛隊は、色々な面で良し悪しにかかわらず、米軍と協力せざるを得ないのです。久間防衛相は1議員ではないのです。久間防衛相は、防衛省のトップとしての自覚に欠けているのです。注意を受けても繰り返し米軍批判をするのですから、久間氏は防衛相としての適性を欠いているのではないでしょうか?



(4) 民主党の幹部は、

「ぼろぼろだ。安倍政権はもうダメだな」

と述べているようですが、まさにその通りです。安倍首相は政治感覚に乏しく、閣僚は自らの職責を自覚しない発言を繰り広げるのですから。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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2007/01/28 [Sun] 16:28:28 » E d i t
柳沢厚生労働相は、松江市で1月27日に開かれた自民県議の後援会の集会で、少子化問題についてふれた際に、女性を子どもを産む機械や装置に例えた発言をしていたそうです(朝日新聞1月28日付朝刊2面)。この発言についてコメントしたいと思います。


1.東京新聞平成19年1月28日付朝刊29面

 「女性は『産む機械、装置』 講演で柳沢厚労相

 柳沢伯夫厚生労働相は二十七日、松江市で開かれた自民県議の決起集会で、「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と女性を機械に例えて少子化問題を解説した。

 柳沢厚労相は「これからの年金・福祉・医療の展望について」と題し約三十分間講演。出生率の低下に言及し「機械って言っちゃ申し訳ないけど」「機械って言ってごめんなさいね」との言葉を挟みながら、「十五-五十歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と述べた。

 厚労省は昨年十二月、人口推計を下方修正。この時、柳沢厚労相は「子供を持ちたいという若い人たちは多い。その希望に応えられるよう、できる限りの努力をしていきたい」と話していた。

 柳沢厚労相は同日夜、静岡県掛川市で共同通信の取材に応じ「人口統計学の話をしていて、イメージを分かりやすくするために子供を産み出す装置という言葉を使った」と説明。「(発言の後)すぐに、大変失礼なので、どういう言葉で取り消したか記憶にないが、取り消して話を続けた。その場で適切でないと、とっさに何度か言い換えた」と話した。

■『情けない』 批判相次ぐ

 女性は「産む機械、装置」-。柳沢厚労相が二十七日、集会で述べたこんな発言に、子育て中の母親や識者からは「反発を感じる」「本音が出た。情けない」など批判が相次いだ。

 一人息子を育てている生活コラムニスト、ももせいづみさんは「すごく反感を感じる。女性が出産するのは、少子化解消のためではなく、産めば幸せになるからでしょう」と顔をしかめる。「子供を持った女性がつらい思いをしたり損をしたりしない社会にするのが大切なのに…。育児を分かっていない人が政策を決めているのかと不安になる」

 ノンフィクション作家吉永みち子さんは「隠しておかなければいけない本音がつい出てしまった」とみる。「少子化対策は、なぜ女性が子供を持てないのかを深く考えなければいけないのに、旗振り役が女性を『産む機械』とみなしていたとは情けない。どんな対策案を出されても女性の側に立ったものと思えなくなる」と手厳しかった。」



2.柳沢厚労相の

「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」

という女性を機械に例えた発言は、作家吉永みち子さんも指摘しているように、普段から常々思っていた本音でしょう。


(1) 柳沢厚労相は、

「機械って言ってごめんなさいね」

などと言ってはいますが、本心から「ごめん」と思っているなら、「女性は産む機械」だなんて思わないし、「女性は産む機械」だなんて言ってはいけないと分かるはずです。謝れば済むと思っているのですから、それほど、悪いたとえとは思っておらず、さほど悪い本音ではないと思っていたと分かります。

これで国側が日本に住む女性をどう思っているのか、さらには日本の男性の一部(年齢差もあるかとは思いますが)が女性をどう思っているのかが明らかになったと思います。もしかしたら、自分の息子の嫁に対して、「産む機械」と思っている女性もいるかもしれません。


(2) この発言中には、

「十五-五十歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっている」

とあることからすると、出産能力のある女性すべてを子どもを産む機械扱いしていることが分かります。かなり徹底した機械扱いです。

これだと、15歳での出産や50歳での出産も積極的に認めている(むしろ奨励か?)ことになります。(合計特殊出生率は15~49歳を対象としているから「15~50歳」を例に出したのでしょうが)若年(20歳以下)出産は、社会経験が乏しく、育児も未熟な面が多いとされています。また、高齢(35歳以上)出産は、胎盤機能の低下のため、妊娠・分娩時期からの支援が必要とされています。柳沢厚労相は、このような「ハイリスク母子」を知った上で、奨励するような発言しているのでしょうか? 

厚労省の大臣という立場からすれば、「ハイリスク母子」ということは分かっているはずですから、「女性を産む機械」とする発言は、「『ハイリスク母子』であろうとなかろうと、産みさえすればよい」と思っているのではないでしょうか? 女性は子供を産むことが最優先であって、女性の人生・身体の安全は二の次であると考えていると理解できます。


(3) 柳沢厚労相の本音発言をもっと突き詰めると「女性は産む機械である」という意味は、「女性の自由な意思を認めない」ということです。そうなると、こう言い換えることができるでしょう。

「年金対策のためには少子化解消が不可欠である。女性が自分の人生・生き方を選択したりするから、子供を産まなくなるのだ。女性は国や男性の言うとおりの意思のままに、どんどん子供を産めばいいのだ。女性には自分の人生を決める権利(自己決定権)なんかないんだよ、女性は子供を産む機械・装置、子供を産む道具なのだから。」

ここまで、本音発言を明確にすれば、柳沢厚労相の本音発言の問題性がよく分かるかと思います。本音発言は、「女性が自分の人生・生き方を選択したりすること」を否定する意図があることが問題だと思うのです。

女性に限らず、社会の中で生きていく以上、すべて自己の思ったとおりに生きていくことはままならないことは確かです。しかし、そういった事情があっても、できる限り自分の思ったとおりに人生を選択したいと願って生きていくわけです。だからこそ、憲法は自己決定権(憲法13条)を保障しているといえます。

そうであるにもかかわらず、柳沢厚労相の本音発言は、自己決定を否定して自己決定権(憲法13条)を否定し、特に女性の自己決定を否定するのですから、あからさまな女性差別(憲法14条)であって、憲法13条・14条違反を内容とする発言なのです。しかも、厚労省の大臣という、少子化対策の「旗振り役が女性を『産む機械』とみなしていた」のですから、悪質とさえいえます。厚労相が「女性が自分の人生・生き方を選択したりすること」を否定し、公然と憲法違反発言を行う点が一番問題であると考えます。

「女性を子供を産む機械」と発言したことを非難することはもちろん妥当なことです。しかし、この憲法13条・14条違反の本音の部分を批判し、憲法13条・14条違反の本音発言を事ある毎に持ち出して、憲法13条・14条違反の本音が解消するように努めることこそ重要ではないかと考えます。



3.この柳沢厚労相の本音発言を聞くと、代理出産問題を思い起こします。代理出産を認める見解に対しては、「代理出産を認めると女性が子供を産む道具として扱われる」「代理出産は代理母を生殖の手段として道具のように扱うものであり、代理母の人格を否定するものである」という批判があったからです。


(1) 柳沢厚労相が代理出産について個人的にどう思っていたのか分かりませんが、代理出産でなくても、女性全体を子供を産む道具と思っていることは確かです。

「どうみる代理出産:三者の見解~朝日新聞平成18年10月21日付朝刊「私の視点-ウイークエンド」より」で引用させて頂いたブログを再び引用しておきます。

 「「代理出産を認めると女性が子供を産む道具として扱われる可能性が出てくる」とかいう寝ぼけたことをいう奴がいる。代理出産など存在する遥か前から女性はもうずっと長いこと子供を生む道具として扱われてきたし、昔は子供を埋めない女は(実際は夫の方に問題がある場合でも)役立たずとしてくずのように扱われた。代理出産は健康な卵巣を持っていても健康上の理由から妊娠出産がかなわない女性には大きな救いとなるだろうし、自分で生みたくでもキャリアなどの理由で長い妊娠期間を許されない女性にとっても選択肢の一つとなるだろう。代理出産に眉をひそめる人もいるようだが、女性が思い通りに自分自身の人生を設計し体を使って何が悪い?

この件でつくづく日本は男社会だと感じた。妊娠して子供を生むということがどれだけ大変なことかまったく理解されていない。女性は子供を生むのが当たり前とか、黙っていても健康な子供が生まれてくれると思っている。この国の出生率が減るのも当たり前だ。

……「代理出産を認めると女性が子供を産む道具として扱われる可能性が出てくる」などといういかにも女性の体をいたわるような偽善は吐かないでいただきたい。」(「Mikekoの愚痴ブログ」さんの「代理出産問題」(2006/10/21(土) 午後 3:50))」


「代理出産を認めると女性が子供を産む道具として扱われる」のでもなく、代理出産の場合だけ「代理母を生殖の手段として道具のように扱う」ものではないのです。国側の本音では、代理母だけでなく、女性全てを子供を産む道具・機械であると扱っているのです。代理出産など存在する遥か前から女性はもうずっと長いこと子供を生む道具として扱われてきたのであり、依然として今も「子供を産む道具」扱いは変わらないのです。

そうなると、「代理出産を認めると女性が子供を産む道具として扱われる」という批判が、いかに空虚で馬鹿馬鹿しい批判であることが理解できるのではないかと思います。


(2) 上で書いたように、柳沢厚労相の本音の核心は、

「女性が自分の人生・生き方を選択したりするから、子供を産まなくなるのだ。女性は国や男性の言うとおりの意思のままに、どんどん子供を産めばいいのだ。女性には自分の人生を決める権利(自己決定権)なんかないんだよ」

ということでしょう。
代理出産を否定することは、代理母依頼夫婦と代理母3者(おそらくは代理母の夫や子供の同意があるはずなので、3者に限らないが)が自己の意思で決定したことを否定するものなので、3者の人生・生き方の選択を狭めるものです。

代理出産を否定する意見は、突き詰めれば、「女性は国や男性の言うとおりの意思のままに、どんどん子供を産めばいいのだ。女性には自分の人生を決める権利(自己決定権)なんかない」という、柳沢厚労相の本音発言の核心と同じであることを理解すべきなのです。

もちろん、女性が、柳沢厚労相の本音発言を受け入れて認めるのも、1つの生き方ではあります。しかし、女性が代理出産否定を主張することは、「女性には自分の人生を決める権利(自己決定権)なんかない」ことを(暗黙のうちに)認めるものであって、自分で自分の首を絞める結果になることを自覚すべきだと思うのです。
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2007/01/27 [Sat] 00:33:17 » E d i t
耐震偽装問題については、何度か取り上げてきましたが(「Because It's There 耐震偽装」参照)、再び耐震偽装建物が発覚し、京都市のビジネスホテル「アパホテル」2棟の耐震強度偽があったとの報道が、1月25日にありました。前から藤田東吾社長が指摘してきたアパグループの物件です。この報道についてコメントします。


1.毎日新聞平成19年1月26日付朝刊31面

 「耐震偽装:田村水落設計、関与は168物件 15都道府県に

 京都市のビジネスホテル「アパホテル」2棟の耐震強度偽装問題で、国土交通省は25日、同ホテルの構造計算をした「田村水落設計」(富山市)による物件数が97年以降、15都道府県で計168物件に上ると発表した。国交省はこれまで42物件のサンプル調査を行っていたが、残りの126物件も調査を急ぐよう改めて自治体に指示した。【長谷川豊】

 ◇国交省、調査を指示

 同ホテルの構造計算書は、パソコン上で計算数値が替えられていたという。水落光男・1級建築士(58)は偽装を否定しているが、京都市や国交省は「意図的な改ざん」と判断。調査を踏まえて免許取り消しなどの処分を決める方針。国交省が偽装を行ったと判断したのは、姉歯秀次・元1級建築士=建築基準法違反罪などで懲役5年、控訴=の事件を含めて、これで4例目となる。

 国交省によると、田村水落設計では、主に水落建築士が耐震性を検証する構造計算を担当。168物件は▽マンション42件▽ホテル9件▽事務所などその他が117件で、15都道府県に点在している。

 同社を巡っては、民間の指定確認検査機関「イーホームズ」=昨年5月に指定取り消し=側が昨年3月、田村水落設計を名指しして「耐震強度を偽装している」と指摘。これを受け国交省は同6月、42物件のサンプル調査を開始した。これまでにうち25件で調査が終了し、この過程で偽装が判明した。うち4件は計算に誤りがあったが耐震性に問題はなく、残る19件は違反なしだった。

 ◇水落建築士、強い口調で否定

 「田村水落設計」の水落光男・1級建築士(58)は、富山市の社内で報道各社の取材に応じ、京都市の発表内容を強い口調で否定した。

 構造計算は、▽コンピューターの計算結果がおかしかったので手計算の数値を優先した▽使ったソフトでは不可能な解析を行うため、一部の数値をいったん2倍にして入力し、その後、実際に合わせて修正したと説明。「京都市には06年8~11月ごろ、説明した。『偽装』と発表される筋のものではない」と怒りの表情すら見せた。

 一方で、両ホテルの工事過程で壁面の筋交いを計4カ所減らし、京都市に変更申請することを怠っていたことは認め、「担当したチーム全体の責任と思うが、手続き上の不備があったのは確か」と述べた。【柳沢和寿】

 ◇涙のアパ社長「故意ではない」

 系列ホテル2棟の使用禁止を勧告された「アパグループ」の元谷外志雄代表は25日、妻で「アパホテル」の芙美子社長とともに東京都内で記者会見し、混乱を招いたとして謝罪する一方、「水落建築士を信用しすぎた」と偽装へのかかわりがないことを強調した。芙美子社長は、トレードマークの黒い帽子をとって「おわびのしようもないが、利益のために故意にやったのではない」と涙ながらに述べた。

 アパグループによると、水落建築士が構造計算した系列ホテルは計8件。偽装判明の2棟以外の5件は、既に民間確認検査機関が再検証し、安全性を確認した。残る「アパホテル京都駅前」は建築確認した京都市が再検証する予定という。

 また工事中の未完成マンションは計6件。うち3件は同様に安全性を確認した。残る「アップルガーデン若葉駅前」(埼玉県鶴ケ島市)と「アパガーデンパレス成田」(千葉県成田市)、「アパガーデンズ東三条イーストコート」(新潟県三条市)の3件で検証が続いているという。完成済みマンションについては「住民や会社に所有権が移っている」として公表を拒んだ。

 同グループは、社員を通じて田村水落設計を知り、構造計算を依頼するようになった。イーホームズ側が昨年3月、同設計の偽装を指摘したため、水落建築士に問い合わせたところ、「構造計算にはさまざまな解釈がある。大丈夫だ」などと言われたという。元谷代表は「事務所(田村水落設計)の言い分を過度に信頼し、甘かった」と述べた。【種市房子】

==============

 ◆田村水落設計が設計にかかわった物件

     件数

北海道   4 (4)

群馬    4 (2)

埼玉    3 (2)

千葉    4

東京    7 (3)

神奈川   1 (1)

新潟    8 (6)

富山  119 (3)

石川    7

福井    1 (1)

愛知    2

京都    2 (2)

大阪    3 (1)

兵庫    2

広島    1

計   168(25)

 ※カッコ内は調査終了済み数(国交省調べ)

毎日新聞 2007年1月26日 東京朝刊」




2.この記事から幾つかコメントしてみます。

(1) 

 「京都市のビジネスホテル「アパホテル」2棟の耐震強度偽装問題で、国土交通省は25日、同ホテルの構造計算をした「田村水落設計」(富山市)による物件数が97年以降、15都道府県で計168物件に上ると発表した。国交省はこれまで42物件のサンプル調査を行っていたが、残りの126物件も調査を急ぐよう改めて自治体に指示した」

ということですから、まだ126物件は未調査であり、42物件で2棟あったのですから、確率的には126物件には必ず耐震偽装物件が存在するはずです。国土交通省が指示したように、急いで調査してほしいです。地震で倒壊する可能性があるのですから。


(2) 水落建築士は偽装ではないとか、故意ではないとか言っていますが、構造計算ソフトの結果に勝手に手を加えて改ざんしたのですから、偽装=故意でやったという理解が通常の理解でしょう。というか、なぜ偽装でないと言ったり、故意でないと言い張るのかが不思議です。

藤田東吾氏も記者会見において、次のように述べています日テレNEWS24「イーホームズ社長「意図しなければできぬ」)。

 「日テレNEWS24 イーホームズ社長「意図しなければできぬ」<1/25 23:45>

 「アパマンション」が建築主である京都市の2つのホテルで耐震強度不足がわかったことを受け、「イーホームズ」藤田東吾社長は「意図しなければできない改ざん」などと話した。

 藤田社長は25日、「殺人を犯したのに殺人の意思がなかったら殺人罪じゃないのかと同じで、意図しなければできない改ざん。偽装をしたことは事実なのだから、利用者のためにも明らかにしてほしい」と話した。

 藤田社長は去年10月、「アパの構造設計を一手にやっている『田村水落設計』という富山の設計事務所です。(1級建築士でもある)水落光男社長を会社に呼び事情を聴いたところ、『ほかでも(偽装を)全部やってきた』と言ったわけです。『この偽装の手法は、姉歯(秀次元1級建築士)より俺が先に始めたんだ』と言った。『建築確認を早く取るため、構造計算にかける時間が少ないから、偽装するやつはほかにもいっぱいいるよ』と平気で言った」と、水落1級建築士が故意に偽装を行っているともとれる証言をしていた。

 この指摘を受け、国交省は去年6月、水落1級建築士がかかわった物件を抱える自治体に耐震強度の調査・報告を依頼していた。」


「水落1級建築士が故意に偽装を行っているともとれる証言をしていた」なんて書いていますが、むしろ偽装したことを誇っていたのですから、「藤田東吾社長は、水落1級建築士が明白に故意で偽装したと言った」という理解が通常だと思います。


(3) 

「「アパグループ」の元谷外志雄代表は25日、妻で「アパホテル」の芙美子社長とともに東京都内で記者会見し、混乱を招いたとして謝罪する一方、「水落建築士を信用しすぎた」と偽装へのかかわりがないことを強調した。芙美子社長は、トレードマークの黒い帽子をとって「おわびのしようもないが、利益のために故意にやったのではない」と涙ながらに述べた。」

泣いてどうなるというのでしょう? 泣いていないで自らきちんと調査をして、公表する方がいいと思うのですが。しかし、

「完成済みマンションについては「住民や会社に所有権が移っている」として公表を拒んだ。」

というようにだんまりなのです。
耐震偽装されているマンションは、マンションの倒壊する可能性があるのですから、倒壊により多大な被害が生じてしまいます。公表しないということは、耐震偽装マンションに住む住民や会社の社員・近隣に住む住民の命や財産を危険にさらしたままで、分からないのです。公表を拒むことは、無責任な態度と考えます。



3.それにしても、藤田東吾社長の指摘を受け、「国交省は去年6月、水落1級建築士がかかわった物件を抱える自治体に耐震強度の調査・報告を依頼していた」のですから、やっと公表したのかという思いがします。アパグループと安倍首相と関係があった(「アパグループの元谷会長は、安倍総理の後援会、安晋会の副会長である」と言われている)のですから、その辺りが長期化した原因ではないかと疑ってしまいます。

疑惑払拭のためにも、安倍首相自らアパグループ物件、水落1級建築士物件の徹底的な調査を要求して欲しいものです。

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2007/01/24 [Wed] 06:15:36 » E d i t
安倍首相は1月19日に、「共謀罪」を創設する組織犯罪処罰法改正案について、25日召集の通常国会で成立を目指すよう、長勢法相らに指示していたのですが(読売新聞1月20日付)、安倍首相は同法案の扱いについて22日夕には、「国会での法案の優先順位、審議の状況などもあるだろう。それは国会において判断をすることになると思う」と、与党の判断にゆだねる考えを表明していました。
東京新聞の報道によると、結局は、与党は、25日召集の通常国会での成立を断念する方針を固めたようです。この報道についてコメントしたいと思います。


1.東京新聞平成19年1月24日付朝刊1面

 「共謀罪 通常国会 成立見送り

 与党は23日、犯行に至らなくても話し合っただけで処罰される「共謀罪」新設のための組織犯罪処罰法改正案について、25日召集の通常国会での成立を断念する方針を固めた。

 安倍晋三首相は19日、長勢甚遠法相に通常国会での成立を図るよう指示したが、22日には与党の判断に委ねる方針に転換。与党内ではもともと慎重論が強かったため、先送りが固まった。

 自民党の中川秀直幹事長は23日の記者会見で「国会で総合的に取扱いを考えていくべきではないか」と述べ、成立にこだわらない意向を表明した。

 自民党の参院国対幹部は「参院選にマイナスになることはできない」と指摘。同党の衆院国対幹部も「共謀罪を採択すれば、他の法案が審理できなくなる」と述べた。

 同改正案は2003年3月に最初に国会提出され、廃案と再提出を繰り返してきた。テロリストやマフィアなどの国際犯罪組織による犯罪を防ぐことが目的だが、組織犯罪とのつながりが薄い窃盗も適用対象にしているため、野党が強く反発し、成立のめどが立っていない。

 このため、与党は通常国会での成立は見送り、参院選終了後に対象犯罪を絞り込む大幅修正を行い、今秋の臨時国会以降に成立を目指す方向で検討に入っている。」


 
2.共謀罪創設法案については、米国でさえ、共謀罪を定める条約5条を留保して批准しているように、5条は留保可能な条項なのです。なので、日本も5条を留保して批准すればよく、共謀罪を創設するような法案は必要ないのです(「「共謀罪」法案が今週審議入りの可能性~東京新聞平成18年10月22日付より」参照)。

「共謀罪が始まったら、きっと重大事件の捜査に支障が出てくるね」という現役の刑事さんの発言がある(「共謀罪創設の是非~「刑事が反対する理由」(東京新聞平成18年5月18日付)」を参照)ように、共謀罪創設法案は、捜査にとって有害であるとさえいえるのです。

このような法案である以上、

「「共謀罪」新設のための組織犯罪処罰法改正案について、25日召集の通常国会での成立を断念する方針を固めた。 」

ことは、喜ばしいことだと思います。いい加減に共謀罪法案を成立することを断念して欲しいものです。



3.それにしても、安倍首相は、法案の提出や成立、政策の実現への意欲を、突発的に明言し強気な姿勢を示したと思えば、比較的短期間にその姿勢を転換してしまうなど、言動が非常に軽く、まるで民主党の前原執行部と似ているのです。

 「自民党幹部は同日、「安倍首相は、民主党の前原(誠司前代表)執行部と似てきた」と指摘した。

 前原執行部は2005年の衆院選での民主党惨敗後、若い幹部をそろえて誕生した。だが、「偽メール問題」で事実関係をよく調べないまま、永田寿康衆院議員(当時)の質問を容認するなど、党内調整の未熟さや不手際が目立った。

 安倍首相も同様に、「周辺に仲良しの若手ばかり集めたため与党調整ができず、首相が先行して指示や方針を打ち出し、与党がついていけない」(自民党若手)ケースが相次いでいる。

 <1>一部の事務職らを法定労働期間規制から外し、残業代をゼロにする「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」制を導入するための労働基準法改正案<2>「共謀罪」を創設する組織犯罪処罰改正案<3>省庁再々編――が、その典型例だ。

 いずれも、首相が法案の提出や成立、政策の実現への意欲を明言しながらも、与党の同意を得られていない。関係者は、「調整が難航しているというよりは、与党がにべもなく否定し首相への配慮のかけらもない状態だ」と指摘する。

 首相の威厳や権威が軽視されていることを示す場面も目立っている。

 首相に近い1人は、「首相補佐官が人前で首相の方に手を回したり、閣議に首相があらわれても、直ちに立ち上がって迎えなかったり、おしゃべりをやめない閣僚もいる」と嘆いた。」(読売新聞平成19年1月23日付朝刊4面)



首相は、法案の提出や成立、政策の実現への意欲を明言していても、すぐに止めてしまうのですから、本当に意欲があったのかどうかさえ疑問視できそうです。

ひどいのは、

首相補佐官が人前で首相の方に手を回したり閣議に首相があらわれても、直ちに立ち上がって迎えなかったり、おしゃべりをやめない閣僚もいる」と嘆いた。」

という点です。安倍首相とは親しい間柄だったり、安倍首相が強い態度に出ないことから、内閣がまるで学級崩壊のような状況になっているのでしょう。しかし、「首相」は日本国を体内・対外的に代表する存在なのです。首相に対しては、それなりの敬意を払うだけの礼儀は持っておくべきです。

“教育再生”は、まず、人間性に問題があったり、職務に対する責任感が欠如しているような首相補佐官・閣僚の一部から実施すべきであるように思います。

最近、内閣支持率が続落している(読売新聞では48%、朝日新聞は39%)という報道がありました(1月23日付朝刊)。このような内閣支持率低下の原因は、「安倍首相の指導力不足に不信」(読売新聞1月23日付朝刊)にも理由があるのかもしれませんが、不祥事ばかり出す閣僚、安倍首相の存在を軽視している周り(与党幹部、首相補佐官、閣僚)がいるからだと思うのです。
もっとも、そんな「周り」を任命したのは、安倍首相なのですから、安倍首相の自己責任といえるとは思います。

安倍首相はもう何もしない方がいいのではないでしょうか? 
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2007/01/22 [Mon] 17:24:13 » E d i t
フジテレビ系の生活情報番組「発掘!あるある大事典2」では、色々なダイエットなどを紹介し、その度に紹介された食材が品切れになるほど人気のある番組でした。
この番組で納豆のダイエット効果を紹介した7日放送分にデータ捏造があったと、制作した関西テレビが1月20日発表し、21日、予定していた同番組の放送を取りやめ、アナウンサーが出てきて視聴者へのおわびを放送していました。この報道についてコメントしたいと思います。

なお、単独スポンサーの花王は22日、番組提供を降りることを決めたため、番組が打ち切りとなる可能性が強まったようです(asahi.com:2007年01月22日15時06分)。



1.まずは“納豆ダイエット”ねつ造騒動の経緯を簡単に追っておきます。

「納豆を食べればダイエットできる」と「発掘!あるある大事典2」で紹介したことから、

「放映翌日から各地のスーパーの売り場の多くでパック入り納豆が品薄状態になった。夕方には「完売」のお断りを出す店舗も。ある中堅スーパーの担当者は、「翌日は通常の2倍売れ、11日には主要メーカーの商品が入荷しなくなった。」(朝日新聞1月11日)

という殺到状態が生じました。
しかし、「週刊朝日」1月26日号で「納豆ダイエット」を疑問視する記事を載せたことが切っ掛けとなって、調査、ねつ造発覚、謝罪会見といった経緯となったのです。なお、「週刊朝日」1月26日号の記事については、<追記>で取り上げておきます。

 「関西テレビが土曜日夕方という異例の事件に謝罪会見を開いたのは、「週刊朝日」が出した質問状がきっかけだった。

 同誌は1月26日号で「納豆ダイエットは本当に効くの?」と内容の真偽を追及。さらに、2月2日号でも取材を進めており、番組で紹介した研究を実際に行った研究者や、番組が実施した実験に参加した人のデータに関する疑問点などを11項目の質問状にまとめ、18日に関西テレビに送っていた。

 同局は週刊朝日が求めた期限までに回答せず、20日午後に問い合わせたところ、「会見することにした」と連絡があったという。」(朝日新聞平成19年1月21日付朝刊2面「時時刻刻」)


「週刊朝日」が、詳細な疑問点を提示したことで、言い訳が出来なくなって記者会見をしたわけです。
しかも、本来は、記者会見で何とか言いくるめようとしていたようですが、

 「緊急の記者会見。関西テレビの千草宗一郎社長が「捏造」を認めたのは、開始から約20分後、再三にわたって問いつめられた末だった。 」((朝日新聞平成19年1月21日付朝刊)

というように、渋々認めたのです。




2.朝日新聞平成19年1月22日付3面「社説」

 「捏造番組 視聴者を欺く罪深さ

 おせち料理の食べ過ぎが気になりだしたころ、この番組を見て納豆を買いに走った。そんな人たちはさぞ驚き、憤慨していることだろう。

 フジテレビ系の生活情報番組「発掘!あるある大事典2」で、納豆のダイエット効果を取り上げた7日の放送にいくつもの捏造(ねつぞう)があった。

 やせる前後の写真は実験とは無関係の人のものだった、中性脂肪などの数値を実際は測っていなかった、米国の大学教授が発言もしていない内容を字幕で流した……。ひどい話である。

 制作した関西テレビは調査委員会を作るという。報道機関として全容を明らかにするのは当然だ。昨夜の放送を休み、アナウンサーが経緯を説明したが、これで視聴者が納得するとは思えない。

 なぜこんなことが起きたのか。期待した教授に話が聞けないなど米国取材が難航し、スタッフが追いつめられた。関西テレビの幹部はそんな弁明をしている。

 取材がうまくいかないのなら、もっと時間をかけるか、できる範囲で番組を作るしかない。そうしなかった背景として、二つの要因が浮かび上がる。

 まず、番組作りの構造的な問題だ。関西テレビから受注した会社が別の会社に作らせた。こうした「孫請け」は取材の責任があいまいになりがちだ。新年最初の放送の締め切りが迫るなかで、制作現場は何とか結果を出そうと無理をしたのではないか。

 もう一つ、現場の焦りを呼ぶのが視聴率至上主義だ。この番組は競争が激しい日曜夜9時台で10年も人気を維持してきた。周囲の期待が大きくなる一方で、素材が底をつくジレンマを抱える。

 03年に日本テレビで視聴率の調査家庭に金品を渡す事件が起き、放送界は視聴率偏重の危うさを思い知ったはずだ。しかし、いま多くの局が健康ブームにつけこむような番組で視聴率を狙っている。

 昨年、TBS系の番組で紹介された白インゲン豆を使ったダイエットで、多くの人が下痢や嘔吐(おうと)を訴えて入院する騒ぎがあった。不正確な情報は害にもなる。その教訓は生かされなかった。

 なかでも「あるある大事典」には以前から批判があった。食はバランスが大切で、特定の食品のみで問題は解決しない。「番組が体に良いとしたため、その食品を制限すべき患者が指示を守らない」。そんな医師の嘆きも聞く。

 テレビは公共の電波で仕事をしている。放送で納豆が売り切れるような現象も含めて、社会への影響にもっと敏感になるべきだ。娯楽番組だから大目に見てもらえる。そんな甘えがあるなら、テレビ離れはさらに進むだろう。

 視聴者も、一つの情報に振り回されない賢さを身につける必要がある。内容をうのみにするのは危うい。命にかかわる健康情報ならば、なおさらだ。

 視聴者や読者の厳しい目を常に意識して、メディアは自らを律したい。それはテレビも新聞も変わりはない。」




3.この社説は“納豆ダイエット”ねつ造騒動について、問題となった点を要領よくまとめた内容になっています。

(1) まず捏造が起きた要因として、関西テレビは「期待した教授に話が聞けないなど米国取材が難航し、スタッフが追いつめられた」といったことを説明していました。しかし、追いつめられたとはいえ、捏造していいということにはなりませんから、社説は捏造に至った背景として、次の2点を挙げています。

 「取材がうまくいかないのなら、もっと時間をかけるか、できる範囲で番組を作るしかない。そうしなかった背景として、二つの要因が浮かび上がる。

 まず、番組作りの構造的な問題だ。関西テレビから受注した会社が別の会社に作らせた。こうした「孫請け」は取材の責任があいまいになりがちだ。新年最初の放送の締め切りが迫るなかで、制作現場は何とか結果を出そうと無理をしたのではないか。

 もう一つ、現場の焦りを呼ぶのが視聴率至上主義だ。この番組は競争が激しい日曜夜9時台で10年も人気を維持してきた。周囲の期待が大きくなる一方で、素材が底をつくジレンマを抱える。

 03年に日本テレビで視聴率の調査家庭に金品を渡す事件が起き、放送界は視聴率偏重の危うさを思い知ったはずだ。しかし、いま多くの局が健康ブームにつけこむような番組で視聴率を狙っている。」



(2)  この社説では、テレビだけでなく新聞を含めたメディア側の責任も指摘しつつも、視聴者側の姿勢にも「騒動」の要因があったことを指摘しています。

 「視聴者も、一つの情報に振り回されない賢さを身につける必要がある。内容をうのみにするのは危うい。命にかかわる健康情報ならば、なおさらだ。

 視聴者や読者の厳しい目を常に意識して、メディアは自らを律したい。それはテレビも新聞も変わりはない。」



(3) この視聴者側の姿勢の問題点として、「フードファディズム」と「安易なダイエットを信じること」という2点が挙がっています。(「メディア・リテラシー」を含めれば3点になります)

 「放送直後、すぐ売り切れ… 健康かぶれに一石

 井上修二・共立女子大教授(臨床栄養学)は、「納豆は良質のたんぱく質を含み、栄養的にいい食品だ。だが、放送で強調されたような微量成分の『ダイエット効果』に、科学的根拠があったとは思えない」と疑問を投げかける。

 しかし今回の番組放送直後から、全国で納豆の品切れが相次いだ。「異常だった。納豆は体に良いが、どんな食品もバランスよく食べるべきで、納豆だけ食べていい訳がない」。ある栄養専門家は消費者の反応を嘆く。納豆に限らず、にがりや寒天など、単品の食材を摂取することでやせると吹聴されて流行することは、これまでも繰り返されてきた。

 食べ物が健康や病気に与える影響を過大に評価することは「フードファディズム(食の流行かぶれ)」と呼ばれる。これに振り回されることがないよう警鐘を鳴らしてきた高橋久仁子・群馬大教授(食物学)は「今回の内容は見る人が見れば効果を示す必要なデータがないなど、おかしいことはすぐわかる。製作者側にはもちろんだが、見る方の姿勢にも問題がある」と指摘する。「摂取エネルギーを消費エネルギーよりも少なくすれば体重は減る。事実はこれだけだということを視聴者の側が認識し、いい加減な情報に振り回されないよう自覚すべきだ」(朝日新聞平成19年1月21日付朝刊2面)



 「「誰でも簡単」必ず裏がある 元吉本興業常務でフリープロデューサーの木村政雄さんの話

 放送局が謝るのは当然だが、テレビを見る側にも問題はある。「納豆食べればやせる」というなら、水戸の人はみんなやせてなきゃおかしい。「誰でも簡単にできる」という話には必ず裏があるのだから、もっと賢くなった方がいい。番組の作り手に関して言えば、問題は「売上げ至上主義」。視聴率のためなら、少々中身に欠陥があってもいいという姿勢は、期限切れ原料を使用していた菓子メーカー「不二家」と同じ。これからは「いま売れればいい」という時代ではない。放送局は公共的なメディアで仕事をしている責任感、使命感を持つべきだ。」(朝日新聞平成19年1月21日付朝刊39面)



(4) このように、メディア側と視聴者側双方に“納豆ダイエット”ねつ造騒動が起きた要因があったのですが、ねつ造騒動はテレビ局が悪いのか、それとも番組を信じた視聴者のどちらがより悪いのでしょうか?

普通は、詐欺罪(刑法246条)が処罰されているように、騙した側、すなわちテレビ番組側が悪いという評価を受けます。だから、

「放送直後から納豆が売り切れる店が続出し、メーカーは増産に追われた。番組捏造は視聴者を欺き、社会を混乱させた悪質な行為だ。関西テレビだけでなくテレビ放送全般に対する信頼を大きく揺るがす。」(東京新聞平成19年1月22日付「社説」)

として、テレビ局側を強く非難する新聞社もあります。


しかし、この番組は「納豆ダイエットは効果がある」と謳った番組だったことに注目するべきだと思うのです。

 「ちまたにはさまざまなダイエット・フードや痩身器具、やせ薬、ボディースーツなどが出回っています。その数はなんと100種類以上。

 また「こうすればやせられる」「私はこうして10キロやせた」などというタレントの体験記も、女性週刊誌などの記事をひんぱんににぎわせています。

 そうした「誰でも簡単にやせられる」という売り言葉をうのみにして、科学的な根拠のないダイエットにトライする女性たちは後をたちません。けれど、100人のうち、実際に成功した人は、いったい何人いるのでしょうか。またたとえやせたとしても、本当に健康的に美しくやせられるのでしょうか?

 雑誌などに載っている減量法やタレントの体験記は、自己流にまねをすると大変危険です。成功例というのは、うらやましさも手伝って多少オーバーに伝えられるのがふつう。でもそれは100人のうち1~2人のことで、残りの98人~99人の人たちの挫折や失敗は伝えられないことが多いのです。

 ここで覚えておきたいのは、ダイエットというのは薬や器具などで行えるものではないということ。安易な考えで手を出すと、取り返しのつかないことも起こり得ます。」(菅原明子著「3食たべてきれいにやせる」(2006年、高橋書店)88頁)


このように巷に溢れる安易なダイエットは危険なのであって、ダイエットを成功させる方法は1つだけです。

 「摂取エネルギーを消費エネルギーよりも少なくすれば体重は減る。事実はこれだけだということを視聴者の側が認識し、いい加減な情報に振り回されないよう自覚すべきだ」(高橋久仁子)

要するに、体に必要な栄養素をバランスよく摂取しつつ、過剰なカロリー摂取を減らすことです。これだけです。何かを食べることでやせることは、その食品が毒物でない限り、ないのです。他方で、絶食して必要なカロリー量まで摂取を止めると病気になったりリバウンドしてしまいますから、ただ食べないのも良くありません。


安易なダイエット方法は、いわば占いと同じだと思っています。どちらも科学的根拠がなく、効果がないのですから。だから、安易なダイエット方法を宣伝する番組は、“占い番組”と同じなのです。

“占い番組(=安易なダイエット方法を紹介する番組)”を真剣に信じる人もいるとは思いますし、信じることも人それぞれでしょう。“占い番組”を信じることで、納豆を食べる切っ掛けになり、今後も食べるようにようになったらそれはそれで良い面があったは思います。また、特に10代から20代の女性はダイエットに関心がある方が多く、あまりに安易なダイエット方法が流布されていることから、特に未成年者の女性が“占い番組”を信じてしまうのも、やむを得ない面があるでしょう。

ですが、“占い番組”を真剣に信じて、スーパーで品切れになるほど殺到したり、過剰に食べ続けたりすることは、あまりに愚かなことではないかと思うのです。まして、テレビ局に対して、「信じていたのに、信じて毎日2個食べ続けていたのに」と非難するほどのことではないはずです。“占い番組”は元々真実とは無関係に楽しむものであって、真剣に信じてはいけないのですから。


このようなことから、“納豆ダイエット”ねつ造騒動は、テレビ局よりも、番組を信じた視聴者の方がより悪いと考えます。ただし、今回のことではないですが、TBS系の番組で紹介された白インゲン豆を使ったダイエットで、多くの人が下痢や嘔吐(おうと)を訴えて入院する騒ぎがあった点については、身体を害する“占い番組”となったのですから、その“占い番組”の方が悪いことは明白です。




4.今回のことを切っ掛けとして、「フードファディズム(食の流行かぶれ)」を知り、安易なダイエット方法に乗せられてしまったことに反省して、目覚めた方も多いと思います。ただ、安易なダイエット方法の乗せられたことを反省するだけだと、また騙される可能性があります。

安易なダイエット方法に乗せられてしまうのは、宣伝のうまいメディア側の責任もあるでしょうが、安易にダイエット方法に惹かれてしまう人々の精神面の弱さもあるかと思います。しかし、誰でも儲かる方法なんてないのと同様に、何事も安易な方法はないのです。

何事も多くの情報を手にして正しい知識を知って、よく吟味したうえで流されることなく行動することを心がける必要があるのです。


最後に。
健康情報番組の怪しさについては、報道機関は、国民の知る権利(憲法21条)に奉仕するため、積極的な検証をするべきです。今回の納豆ダイエットの放送は、ほとんどとすべてといっていいほどの捏造で、悪質だったのです。その意味で、「週刊朝日」の取材姿勢は高く評価したいと思います。
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2007/01/21 [Sun] 01:38:00 » E d i t
病気腎移植問題については、「病気腎移植は医学的に妥当なのか?」が問題になりますが、その点について、産経新聞1月20日付朝刊1面に病気腎移植の調査結果についての記事が掲載されていました。この記事を紹介します。なお、産経新聞に抜かれてしまったせいか、他の新聞社での報道はありませんでした(なお、宅配や駅売りでの夕刊での掲載もなし。夕刊の最終版には掲載していたかもしれませんが)。


1.産経新聞平成19年1月20日付朝刊1面

 「生存率5年70% 病腎移植36例 広島大教授調査「検討に値する」

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師らによる病腎移植問題で、36例の病腎移植の対象患者34人が5年間生存した割合(生存率)が70%であることが、広島大学の難波紘二名誉教授(血液病理学)の調査で分かった。生体腎移植、死体腎移植を受けた患者の生存率(日本移植学会調べ)と比べると、やや低いが、生着率は死体腎に近く、難波教授は「病腎利用の可能性について今後検討するに値する結果だ」と評価している。

 病腎移植の成否を総体的に分析したデータが示されたのは初めて。20日に松山市で開かれるシンポジウムで発表される。

 難波教授は、病腎移植を行った3病院から病理診断データなどの提供を受け分析。担当医の聞き取りも行い、移植患者の生存率などを調べた。

 調査対象とした36例の内訳は、市立宇和島病院の19件▽宇和島徳洲会病院の11件▽呉共済病院(広島県呉市)の6件。市立宇和島病院は病腎移植件数をカルテが現存する14件と公表しているが、今回の調査は病理診断データなどをもとに19件を対象とした。病腎移植を2度受けた患者が2人含まれる。

 病腎の疾患別内訳は、腎臓がん8件、ネフローゼ症候群7件、尿管がん6件、腎動脈瘤6件、尿管狭窄5件、血管筋脂肪腫2件、海綿状血管腫1件、腎石灰化嚢胞1件。

 患者が初めて受ける移植に病腎が用いられたのは10件、2度目が16件、3度目7件、4度目2件、不明1件だった。

 初回移植患者の生存率を調べたところ、1年100%、5年66.6%、10年50%、15年33.3%。2度目以降を含めた病腎移植患者全体の生存率は、1年96.3%、5年70%、10年27.2%、15年11.1%。

 初回移植患者の移植腎生着率は、1年75%、5年60%、10年50%、15年33.3%で、死体腎の生着率とほぼ同じだった。

 腎がんの病腎を移植された8件のうち、がんが再発転移した例はなかったが、尿管がんで肺転移の可能性が否定しきれない症例が1例あった。

 長期の生存率では病腎移植患者の数値が劣るが、病腎移植患者は死体腎などに比べ、高齢であったり健康状態の悪い人が多かったという。難波名誉教授は「病腎を初めから移植した場合、死体腎移植と遜色(そんしょく)ないように思う。患者が摘出を望んだ病腎であれば、活用のための臨床試験を本格検討するべきだ」と話している。


新たな医療、価値検証を

 今回の調査結果は、病腎移植の症例数が生体腎や死体腎に比べてかなり少ないだけに、同列に比較するのは難しい面もある。だが、病腎移植患者の年齢や移植回数を考慮すれば、それなりの成績といえそうだ。

 病腎移植問題で是非が問われたのは、ドナーから摘出する必要があったかどうか▽移植された患者への影響▽移植機会の公平性-の3点だった。

 個々の移植の手続き面については、病院の調査委員会や厚生労働省の調査班が調査を進めている。だが、病腎移植を新たな医療ととらえ、その価値を検証する作業は行われていない。

 泌尿器科の医療現場では、部分切除で済むごく初期の腎臓がんなどの患者であっても「摘出してほしいという声が確かにある」と、複数の医師が証言している。ある医師は「年間1000個ぐらいは移植に使える病腎が出ている」と推計する。

 臓器移植は、患者以外の第三者の身体を必要とする特殊な医療だ。そのため、健康な人の身体を傷つける生体移植ではなく、亡くなった人の善意をもとにその臓器を生かす死体移植が基本であるべきだ。

 だが「病腎でも助かる人がいるなら」と、摘出後の提供を了承するドナーがいるなら、そのささやかな善意を無駄にしない努力も必要である。さらに医学的な検証を進めるべきだろう。(石毛紀行)

(2007/01/20 02:12)」



2.幾つかの点にコメントします。

(1) 

 「病腎移植の成否を総体的に分析したデータが示されたのは初めて。20日に松山市で開かれるシンポジウムで発表される。

 難波教授は、病腎移植を行った3病院から病理診断データなどの提供を受け分析。担当医の聞き取りも行い、移植患者の生存率などを調べた。」


日本で行われた病腎移植について、以前に幾つか報告例がありました。例えば、「2002年8月に高知市で開かれた移植の研究会では、当時の部下が病気腎移植の1例を発表している。万波医師も了承し、医師ら約100人がその実例報告を聞いた。」(毎日新聞12月1日付「記者の目」)とか、「愛知県豊明市の藤田保健衛生大学病院で1991年、病気腎移植が1件行われていた。……この経緯は93年の学会で発表された。」(読売新聞2006年11月11日)とかです。

このように、これまでの報告例はわずかでした。今回の報告例は、万波誠医師らが実施した病腎移植について、広島大学の難波紘二名誉教授(血液病理学)が「総体的に分析したデータ」です。病腎移植を今後実施するか否かに関わらず、病気腎移植の医学的妥当性を検証する必要があったのですから、36例というかなりの例について総体的に分析したことにより非常に意義のある調査といえるのであり、大変価値のある報道です。


(2) 

 「初回移植患者の生存率を調べたところ、1年100%、5年66.6%、10年50%、15年33.3%。2度目以降を含めた病腎移植患者全体の生存率は、1年96.3%、5年70%、10年27.2%、15年11.1%。

 初回移植患者の移植腎生着率は、1年75%、5年60%、10年50%、15年33.3%で、死体腎の生着率とほぼ同じだった。(中略)

長期の生存率では病腎移植患者の数値が劣るが、病腎移植患者は死体腎などに比べ、高齢であったり健康状態の悪い人が多かったという。難波名誉教授は「病腎を初めから移植した場合、死体腎移植と遜色(そんしょく)ないように思う。」


他の医師の場合は生存率1年90%程度であることからすると(産経新聞1月20日付の同記事での図表参照)、1年100%の生存率という結果は、万波誠医師らの技量の高さが伺われます。患者が信頼に値する医師であることが、この結果が物語っていると思います。

生体腎移植や死体腎移植の場合、生存率5年で、「生体腎の90%(03三年全国集計)、死体腎の83%(同)」(中国新聞1月20日付、10年80%前後(産経新聞1月20日付の同記事での図表参照)でした。この結果だけからすると、「長期の生存率では病腎移植患者の数値が劣る」のですが、「病腎移植患者は死体腎などに比べ、高齢であったり健康状態の悪い人が多かった」ことからすると、生存率には病気腎移植以外の要因の影響が大きいように思われます。高齢だと寿命で死亡する可能性がありますし、健康状態が悪いと体の抵抗力が弱まってしまい、死亡する可能性が高まってしまうからです。

初回移植患者の移植腎生着率は、死体腎の生着率とほぼ同じというのですから、病気腎であっても機能としては健康な腎臓とほぼ変わらないと評価でき、十分に使用可能な臓器といえそうです。

そうなると、病気腎移植は「死体腎移植と遜色(そんしょく)ない」という評価は妥当なものだと考えます。


(3) 

 「腎がんの病腎を移植された8件のうち、がんが再発転移した例はなかったが、尿管がんで肺転移の可能性が否定しきれない症例が1例あった。」


万波医師が行った病気腎移植に対しては、ドナー側で再発する危険性があるとして非難轟々でしたが、「腎がんの病腎を移植された8件のうち、がんが再発転移した例はなかった」わけで、再発の危険性は杞憂であったようです。

もっとも、「尿管がんで肺転移の可能性が否定しきれない症例が1例あった」ようです。がんの場合は転移する可能性はあったわけですから、あり得た結果といえるかもしれません。がんの腎移植を実施する場合、がんの悪性度を慎重に調査する必要があるようです。もっとも、調査しても転移の可能性はあるかもしれません。

病気腎移植は死体腎移植と遜色ないとはいえ、転移の可能性などのリスクを考慮する必要があることは確かといえるわけです。そうすると、もし病気腎移植を続行するとしても、健康な腎移植と異なり、リスクを許容できるドナーに限って実施することになりそうです。全てのドナーが病気腎移植に抵抗感がなくなるということはまだまだ先のことだと思われますから。(この点で、移植の公平性(=全国全てのドナーに公平に移植の可能性を認める)を確保するのはもともと難しいといえます)


(4) 

 「個々の移植の手続き面については、病院の調査委員会や厚生労働省の調査班が調査を進めている。だが、病腎移植を新たな医療ととらえ、その価値を検証する作業は行われていない。」


確かに、日本移植学会などから派遣された調査委員は、病腎移植を実施することなんてまったく頭にないようです。

 「 「学術的にノー」 市立宇和島病院専門委 ネフローゼ患者腎摘出 委員、口々に疑問

 「ネフローゼ患者の腎臓を摘出することは、学術的に考えられない」―。十八日、市立宇和島病院(市川幹郎院長)で万波誠医師(66)が手掛けた病気腎移植の調査に当たった専門委員会。日本移植学会などから派遣されたメンバーらは、口々に疑問を投げ掛けた。
 同病院で実施された十四件の病気腎移植のうち半数近い六件が、ネフローゼ症候群患者三人からの摘出。同症候群は腎臓からタンパク質が尿に漏れ出して血液中のタンパク質が減り、全身にむくみが出るなどの症状の総称。薬物投与などが行われるが、委員らは「治療」として腎摘出を選択すること自体考えられない、との見解を示した。
 ある委員は「ネフローゼを理由に両腎摘出を選択しているが、学術的にはノーだ」と断言。実施するとしても「学会や倫理委などに公表し、同意を得てやるべきだと感じる」とした。(中略)

【今年仕方なく腎臓捨てた/患者ほっとけと言うのか 万波医師】 
 市立宇和島病院で開かれた専門委員会の指摘について、執刀医の万波誠医師は十八日、報道陣の質問に次のように答えた。(中略)

 ―ネフローゼ症候群の患者からの摘出は学術的にあり得ないとの指摘もあるが。
 学術的とはどういう意味か分からない。タンパク尿が出続け、顔がはれて肺に水が入った患者をほっとけと言うのか。移植した患者には、術後にタンパク尿が出続けたら全部取るかもしれないと説明した上でやった。全員、元気に社会復帰している。」(特集宇和島 腎移植2007年01月19日(金)付 愛媛新聞


実施した病院に行ってカルテなどを調査しているはずなのに、学術的、すなわち、学問的には認められない(=机上の議論では認められない)と言うのですから、病気腎移植を実施した病院に行って調査する意味がないのです。

なぜ、病腎移植が死体腎移植と遜色ない結果という調査データの存在と、移植する臓器不足という病気腎移植の必要性を否定してしまうほど、机上の議論の方が凌駕するのでしょうか?  日本移植学会などから派遣された調査委員の言動は意味不明であり、馬鹿馬鹿しい言動としか言いようがありません。


(5) 

 「臓器移植は、患者以外の第三者の身体を必要とする特殊な医療だ。そのため、健康な人の身体を傷つける生体移植ではなく、亡くなった人の善意をもとにその臓器を生かす死体移植が基本であるべきだ。

 だが「病腎でも助かる人がいるなら」と、摘出後の提供を了承するドナーがいるなら、そのささやかな善意を無駄にしない努力も必要である。さらに医学的な検証を進めるべきだろう。(石毛紀行)」


この記事にあるように、臓器移植は、死体からの臓器移植が基本でしょう。 日本移植学会指針で「健常であるドナーに侵襲を及ぼすような医療行為は本来望ましくない」と書かれているように、生体腎移植は、健常である人体を傷つけるのですから、医学的に妥当な医療行為でなく、法的に好ましくない医療行為という根本的な問題点があるからです。

これに対して病気移植の場合は、レシピエントの治療目的で、レシピエントの同意があって取り出すのであって、健康体であるレシピエントから健康な腎臓を摘出する「生体腎移植」よりもずっと医学的・法的に妥当な医療行為です。

今回、まだまだデータとして少ないとはいえ、病気腎移植が死体腎移植と遜色ない結果であったという調査データが出たのですから、病気腎移植も医学的に妥当なものだと評価できます。そうすると、医学的に妥当といい難い生体腎移植を推進するよりも、病気腎移植を推進する方がずっと妥当だと思えるのです。

記事には、「摘出後の提供を了承するドナーがいるなら、そのささやかな善意を無駄にしない努力も必要である。さらに医学的な検証を進めるべき」だと書かれていますが、妥当な見解だと考えます。



3.産経新聞は、今回の記事を朝刊1面トップに置いたのですから、病気腎移植に対する関心の高さが伺われますし、産経新聞は病気腎移植に賛同を示したと評価できます。病気腎移植の是非については、東京新聞は、賛同するような記事もあったりしますが(記者によって賛否がかなり分かれています)、積極的に賛成した新聞社は初めてであると思います。

毎日新聞は、「東京で伝え聞く『想像しがたい医療を続ける独善的な医師』という万波氏の印象」に基づいて万波医師批判を繰り広げて、病気腎移植を全面否定していますが万波誠医師はインフォームド・コンセントを軽視したのか?~毎日新聞12月5日付「記者の目」:大場あい記者批判参照)、臨床データという客観的事実こそ重視して報道すべきであると思います。報道機関はまず事実を報道し、国民の知る権利に奉仕する役割があるのですから。

病気腎移植の臨床データという客観的事実に基づき、病気腎移植の可能性を認める産経新聞とこの記事を書いた石毛紀行記者は、報道機関の役割に沿ったものであり、高く評価すべきであると考えます。

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2007/01/19 [Fri] 05:52:53 » E d i t
代理出産など、生殖補助医療(不妊治療)のあり方について検討する日本学術会議(会長=金沢一郎・国立精神・神経センター総長)の「生殖補助医療の在り方検討委員会」の初会合が17日、東京・六本木の同会議で開かれました(読売新聞1月18日)。
委員は産婦人科や小児科、家族法、刑法、生命倫理、哲学といった分野の専門家13人で構成されており、どういった考えを有しているかについては、以前触れたとおりです(「「生殖補助医療の在り方検討委員会」(日本学術会議)の今後の行方を予想」を参照)。初会合についての報道についてコメントします。


1.まずは初会合についての報道記事から。

(1) 時事ドットコム(1月17日)

 「2007/01/17-21:40 医療としての是非から議論=代理出産めぐる検討委-日本学術会議

 代理出産の是非や代理出産で生まれた子の親子関係について、柳沢伯夫厚生労働相と長勢甚遠法相から審議依頼を受けた日本学術会議は17日、「生殖補助医療の在り方検討委員会」の初会合を開いた。鴨下重彦委員長(東大名誉教授・小児科)は、厚労、法務両省による検討の経緯の報告と各委員の意見を聞いた上で、代理出産を医療として容認するかどうかを最初に議論する考えを示した。

 同委員会は今後、月1回のペースで会合を重ね、来年1月末までに報告書をまとめる。」


厚労、法務両省による検討の経緯の報告を聞くそうですが、これは厚労省や法務省のHPを見れば分かることです。本当のところ、報告なんているのだろうかと思いますが、儀式みたいなものとして行う必要があるのでしょう。

最初に代理出産の是非について検討するようですが、法制審議会のように(法制審議会の議事録参照)、特に理由を検討することもなく「代理出産契約は公序良俗に反して無効である」と結論付けてしまって、国際私法上・国際民事訴訟法上の議論もほとんどすることなく、また、自己決定権に遡った議論もありませんでした。今回は真っ当な議論をして欲しいものです。


(2) 毎日新聞1月18日付朝刊

 「生殖補助医療:日本学術会議の検討委が初会合

 生殖補助医療のあり方について議論する日本学術会議(金澤一郎会長)の検討委員会(委員長、鴨下重彦・東京大名誉教授)の初会合が、17日開かれた。法務省と厚生労働省が、代理出産の是非を中心に、急進展する生殖補助医療に関する検討を依頼していた。鴨下委員長は「社会的にも関心の高い問題で、責任は重い。1年をめどに方向性を示す提言をまとめたい」と話した。

 委員会は法律、哲学、生命倫理、産婦人科などの専門家13人で構成。この日は、法務省と厚労省の担当者が、審議会などでのこれまでの検討状況を説明した。

 委員からは「代理出産は技術的には可能で、不妊患者の需要もある。早く方向性を示すべきだ」「代理出産する女性の健康問題や出産後のトラブルなどが考えられ、積極的には賛成できない」など、さまざまな立場の意見が出された。【永山悦子】」


最後の段落には、代理出産の是非についての議論の内容が出ています。「代理出産は技術的には可能で、不妊患者の需要もある。早く方向性を示すべきだ」というのは、代理出産賛成派の意見ですが、「代理出産する女性の健康問題や出産後のトラブルなどが考えられ、積極的には賛成できない」というのは代理出産反対派の意見です。ともかく、すべての委員が代理出産全面禁止ではないようなので、少しほっとしています。

ただし、自己決定権を巡って意見を交わしてはいないのでしょうか? 代理出産を含む生殖補助医療は(生命倫理学及び憲法学上)自己決定権と深く関わる問題ですから、絶対この点についての議論が必要です。自己決定権につき議論を交わしていても、記事では引用していないだけか、又はまだ最初だからそこまで議論していないというのなら良いのですが。




2.生殖補助医療の始まりは何かと言うと、古くから行われてきた人工授精であり、日本では1949年に慶應義塾大学病院で初めて実施され、最近までの50年間にほぼ1万人が誕生したそうです。

ただし、日本産科婦人科学会が公認した(=会告を出した)のは1996年であるように、人工授精はそれほど問題視する意識が乏しく、倫理的に問題視されたのは体外受精でした。それゆえ、生殖補助医療の始まりは体外受精、すなわち「すべては体外受精に始まった」(金城清子著「ジェンダーの法律学」(2002年、有斐閣)139頁)のです。そのはじめての体外受精児(ルイーズ・ブラウン)は、1978年英国で誕生しました。
そのルイーズ・ブラウンさんのことがニュースになっていました。

(1) CNN(2007.01.17)

 「世界初の体外受精児、自然妊娠で男児出産
2007.01.17
Web posted at: 16:11 JST- CNN/AP

 ロンドン──世界初の体外受精児として1978年7月に生まれた、英国のルイーズ・ブラウンさん(28)が、昨年12月21日に自然妊娠で男児を出産していたことが明らかになった。

 英紙メール・オン・サンデーは、ブラウンさんの話として、「赤ちゃんは2700グラムなく、小さいけれど、元気そのもの」と伝えている。

 ルイーズさんは3年前に、ウェスリー・マリンダーさん(37)と結婚し、英国西部ブリストルで暮らしている。

 1978年に世界初の体外受精児として誕生した際には、世界中で「試験管ベビー」と話題になった。しかし、現在では体外受精は珍しい医療ではなく、英国では2004年3月末までに、1万人以上が体外受精で誕生している。

 ルイーズさんは、自分が生まれた頃は話題になったが、自分の人生は平凡なものだとして、「自分の人生を、普通に、地道に暮らしている」と話している。

 ルイーズさん同様、体外受精で生まれた妹のナタリーさんも、1999年に出産している。」


(2) この報道を読む限り、ルイーズさんにはなんら障害が生じていないことが判断できます。体外受精が子供に及ぼす影響はほとんどなかったのであって、医学上は危険性がなかったと実証できたと判断できそうです。

この体外受精は、当時、2つの問題点が指摘されていました。それは<1>生殖の領域に人間の技術が介入することに対する反発、<2>道で不確かな領域に踏み込むことへの危険性でした。

しかし、前者は、夫婦間の不妊に用いられる限り、倫理的問題は少ないですし、AID(非配偶者間人工授精)では夫婦以外の第三者の精液の提供を受けるため、誰との間で親子関係を認めるのかといった法律上の問題が生じますが、体外受精(夫婦間の精子と卵子使用の場合に限る)では法律上の問題は生じません。
また、後者は、今まで大きな問題は指摘されておらず、医学的技法として定着しつつありますし、日本でも1983年に体外受精による最初の子が誕生しています。

このようなことからすると、当時の反発は、偏見の産物であって過剰なものだったといえる(今井道夫著「生命倫理学入門」31頁)と思います。




3.このような体外受精は不妊治療のためですが、日本国民は不妊治療の実態・治療方法についてどれだけ知っているのでしょうか?

(1) 朝日新聞(平成19年1月18日付夕刊3面

 「体外受精児、65人に1人 一般女性の正解11%
2007年01月18日17時33分

 不妊体験者らでつくるNPO法人「Fine」(東京都)が、体験者と一般の女性に行った意識調査で、不妊治療の実態や、生まれる子の65人に1人が体外受精という現状に、一般の理解があまり進んでいないことが浮かび上がった。調査結果は20日のNPO法人「日本不妊予防協会」の設立総会で報告される。

 調査は昨年10月、インターネット上で実施。同法人の会員を中心とした不妊体験女性と一般女性のそれぞれ約100人ずつに、基本的な知識など20問を選択式で聞いた。

 日本ではカップルの10組に1組が不妊治療をしているとされる。この割合を聞いた設問では、体験者は76%が正解だった。しかし、一般の正解は49%で、「20組に1組」が15%、「50組に1組」も6%あった。

 また、国内で体外受精で生まれた子は、日本産科婦人科学会の03年度調査では「65人に1人」。体験者の正答率42%に対し、一般は11%と低く、「290人に1人」と最も少ない割合を選んだ人が34%、「210人に1人」も27%だった。

 一般の女性には、人工授精と体外受精の違いを理解していなかったり、「20代後半」とされる女性の生殖能力の低下開始年齢を、実際より高い「30代後半」と考えていたりする人も多かった。

 Fine代表の松本亜樹子さんは「不妊について体験者と一般の意識を比較する調査はこれまでなかったと思う。一般の人は不妊などについて正しい情報に接する機会が少ない。誤った知識のまま、生殖能力を過信することで『不妊予備軍』が増えたり、治療を特別視して偏見につながったりする心配もある。正しい知識の普及に努めたい」と話す。調査結果は近くホームページ(http://j-fine.jp/)にも掲載する予定。」



(2) 不妊体験者以外の者は、不妊の実態、不妊治療についての知識が乏しかったという調査結果が出たということです。よく知らないということは偏見や差別を生じかねないのですから、両親・親戚・友人から不妊夫婦への心無い発言(「子供まだ?」)がなされるのもこういった知識の乏しさが原因の一つといえそうです。


「人工授精と体外受精の違いを理解していなかった」

というような女性もいるようです。この点を少し説明しておきます。

人工授精は体外に取り出した精子を注射器のような物で女性の子宮に注入するというもので、技術的には容易な方法と言われています。これは、無精子症、乏精子症など不妊の原因が男性側にある場合の治療法です。夫の精子による配偶者間人工授精(AIH)と、第三者の精子による非配偶者間人工授精(AID)とがあります。
AIDによる子供は、日本では1949年が最初で、以来1万人を超えているといわれ、米国では1980年代前半でもすでに30数万人が産まれているとされています。

これに対して、体外受精は体外に取り出してシャーレの上で精子と受精させるものです。これは女性側の原因による不妊、それも卵管通過障害に対する不妊治療として登場したものです。卵管の中での受精というプロセスを、体外の試験管の中(より正確にはガラス皿上)で行うことで、不妊を治療しようとするものです。
体外受精によって1978年に世界で最初に産まれ、日本でも1983年に体外受精によって最初の子が誕生しています。日本の場合、2002年の1年間に体外受精によって産まれた子は、1万5223人(うち顕微授精によるものが5481人を占める)で、これまでに産まれた体外受精子の総数は10万189人(うち顕微授精によるものが3万1185人を占める)に上っています(坂本百大・青木清・山田卓生編著「生命倫理―21世紀のグローバル・バイオエシックス」119頁)。


「日本ではカップルの10組に1組が不妊治療をしているとされる」

という点は、体験者以外は49%が知っていたそうです。
まずまずの理解があるということもできますが、10組に1組という割合の結果、2002年の我が国の出生子の1.2%が体外受精によって産まれています。それほどまでに生殖補助医療が行われており、日本は「もっとも生殖補助医療が盛んな国の1つ」(『日本産科婦人科雑誌』57巻1号118頁)と言われているのです。

言い換えれば、日本では、生殖補助医療がもっとも盛んな国の1つと言われるほど、不妊が深刻な状況にあるという見方も出来るのです。こういった深刻な事態にあることを日本の市民は自覚すべきですし、深刻な事態にあることを考慮に入れたうえで、「生殖補助医療の在り方検討委員会」は結論を出して欲しいと思います。

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2007/01/18 [Thu] 04:43:25 » E d i t
フランスの合計特殊出生率が2.0の大台に乗り、1.98のアイルランドを抜いて欧州トップになったそうです。この報道についてコメントしたいと思います。


1.まずは報道から

(1) 東京新聞平成19年1月17日付夕刊2面

仏出生率回復2.0  仕事と両立政策が結実

 【パリ=牧真一郎】 フランス国立統計経済研究所(INSEE)は16日、昨年の同国の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)が2.0の大台に乗ったと発表した。過去30年間で最も高く、1.3を切り少子化に苦しむ日本とは対照的なベビーブームだ。仏政府が、働く女性が安心して子供を産み、育てられる環境づくりに長年取り組んできた成果が表れている。

 フランスでは1950年代に2.65だった同出生率が70年代以降、他国と同じように働く女性の産み控えなどによって急激に低下。一時は1.65を記録した。危機感を覚えた政府が、企業や労組などを巻き込んで少子化対策を次々と打ち出した。

 休業中も事情に合わせて短時間労働が可能な育児休業制度(最長3年間)のほか、ベビーシッター費用の税控除や子供を複数持つとさまざまな手当がもらえる制度などを整備。また、企業側も独自の託児施設を用意したり、国鉄は子供3人以上の家庭に最大75%の割引カードを発行している。」



(2) 朝日新聞平成19年1月18日付朝刊6面(asahi.com(2007年01月17日19時18分))

仏出生率、2の大台 国立統計研「欧州トップ」と予測

 【パリ=沢村亙】 フランスで、女性1人が一生に産む子どもの数である合計特殊出生率が06年に2.00と「2」の大台に乗ったことが、仏国立統計経済研究所(INSEE)が16日公表した人口統計で明らかになった。同研究所では「1.98のアイルランドを抜いて欧州トップになった」と予測。06年に生まれた赤ちゃんの数も81年以来の多さで、ちょっとしたベビーブームだ。日本の合計特殊出生率は05年で1.26。

 統計によると、06年に生まれた赤ちゃんは83万900人で前年より2.9%増。合計特殊出生率も前年の1.94から伸びた。20~40歳の女性の人口は減っており、1人の女性がより多くの赤ちゃんを産んでいる傾向がはっきりした。女性の出産年齢は上昇が続き、30歳未満の母親から生まれた赤ちゃんは、ほぼ半数の52.8%だった。労働人口に占める女性の比率も、03年の45.3%から05年の45.8%へと年々上がり、社会進出が出産を妨げていない状況を示している。

 人口維持に必要とされる出生率2.07を目標に掲げる仏政府は、育児家庭への給付や育児休暇制度の充実に加え、近年は託児所の増設など、両親が仕事を続けながら子育てできる政策に力を入れており、その成果がじわじわと表れた形だ。

 一方、結婚件数は27万4400と前年より8800も減り、95年以来の少ない数に。子どものほぼ半数が結婚をしていないカップルから生まれており、必ずしも「婚姻」が家族の形成を意味していない傾向も強まっている。」


出生率の向上には、長年の少子化対策を必要とするのであって、十分な対策を行っても効果が出るまでに長期間かかることを示しています。また、「政府が、企業や労組などを巻き込んで」少子化対策を行ったことから成果が出ていることからすると、国を挙げて取り組まないと効果が出ないことを示しています。

出産年齢の上昇が続いていることは、不妊化傾向も原因の1つでもあるとは思いますが、子供を産む時期を遅くしても育てやすい環境にあるということだと思われます。「労働人口に占める女性の比率も、03年の45.3%から05年の45.8%へと年々上がり、社会進出が出産を妨げていない状況を示している」としているように、出産と仕事の両立が十分に可能な状況にあるというわけです。



2.これに対して、日本の状況はどうでしょうか?

(1) 東京新聞平成19年1月14日朝刊(日曜日)25面「本音のコラム」

 「危うい少子化対策――藤本由香里(ふじもと ゆかり)

 「行政の縦割りを廃し、少子化対策を一元的に実行するため」の「こども省」構想が政府与党の間で浮上しているという。

 少子化対策については、2007年度から、0―2歳児の児童手当が現行の5000円(第1子・第2子)から1万円に増額されることが決定されており、加えて政府は今年初め、新たな少子化対策のための戦略会議も立ち上げると発表している。

 だが一方で気になるのは、昨年末に発表された、生活保護費の母子加算の撤廃のことである。

 母子加算というのは、18歳以下の子を持つひとり親に支給されるもので、16―18歳の子供への母子加算は本年度いっぱいで打ち切られ、これから3年かけて15歳以下の子供への母子加算もゼロにされる。

 もしかしてこれは「子供は産んでほしい。でも必ず両親はそろってね」ということなのだろうか。

 というのは、昨年、福井県の生活学習館で不適切な図書として百十数冊が排除された問題で、その中には母子家庭やシングルマザー関連の本がかなり含まれていた。つまり、保守的な層にとって母子家庭やシングルマザーはどうも「危険思想」の1つと考えられているようなのだ。

 だが、実は少子化対策に成功した国では、「結婚」にこだわらず、女性が子供を産み育てることを無条件で支援した国が多い。政府の少子化対策が間違った方向に進まないことを祈るばかりだ。
                      (編集者)」


「結婚」にこだわらず、女性が子供を産み育てることを無条件で支援した国というのは、フランスがその代表例です。「結婚」にこだわった政策を実施した場合には、少子化対策は十分に効果を挙げることができないという評価も可能でしょう。

ところが、日本政府は「活保護費の母子加算の撤廃」を決定しました。ただでさえ、母子家庭では女性が十分な収入を得ることができず困窮している状態なのに(ワーキングプア)撤廃するのですから、ますます母子家庭は困窮さを増していくことになります。


(2) それにしても、政府や保守層は、なぜ「保守的な層にとって母子家庭やシングルマザーはどうも『危険思想』の1つ」と考えるのでしょうか?

どんなに仲が良い夫婦やカップルであっても、仕事や親族間とのトラブル、犯罪に巻き込まれるなど、男女間において直接の原因がないような種々の事情により離婚に至る可能性があるのですから、母子家庭やシングルマザーを「危険思想」と考えることは、現実とかい離した偏狭な考え方のように思えます。

政府が採用した、母子家庭への冷酷な対応を考えると、少しでも離婚後のことを考える思慮深い夫婦であれば、子供を産むことをためらうことが予想されます。当然の予想とさえいえるかもしれません。少子化対策を打ち出しながら、他方で、子供を産むことにブレーキを掛けるような措置をとるのですから、政府の態度は一貫していないのです。




3.日本政府は、フランスの合計特殊出生率の結果や少子化対策を見て、どう思っているのでしょうか? 参考にする気はあるのでしょうか? 何よりも企業側がどれほど真剣に対応する気があるのでしょうか?

政府や経済界は、一定条件の社員を労働時間規制から外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」、すなわち「残業代ゼロ法案」の導入を希望しています。この法案の今国会へ提出は断念したそうですが(朝日新聞1月17日付朝刊)、依然として導入を希望していることは確かです。

もし「残業代ゼロ法案」を導入すると、厚生労働省の少子化問題を担当している部署内においても、本制度導入による長時間労働促進のために(除外対象となった会社員が)家庭で過ごせる時間がますます減ってしまう、という反対意見があるように(読売新聞(2006年12月28日))、ますます少子化を促進させる結果が予想できます。ここでも(経済界の態度も含め)政府の態度は一貫しないのです。

子供がますます減少することは、子供に費やす費用がなくなり、国内需要が減少することになるのですから、日本企業にとって少子化は好ましくないはずなのに、目先の収入(=社員の給与の抑制)に目を奪われ、少子化を促進させる法案導入を希望して自ら首を絞める行動に出るのです。

今の政府や経済界のままでは、ますます少子化を促進させることになり、フランスのような合計特殊出生率の回復は絶望的であると感じています。
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2007/01/16 [Tue] 17:17:12 » E d i t
厚労省が世論調査を「本年度中」に実施することを決定したそうです(共同通信、日経新聞)。この報道についてコメントしたいと思います。


1.日経新聞平成19年1月15日付夕刊16面

 「代理出産 世論調査へ  関心の高まり受け厚労省

 妊娠できない妻の代わりに第三者の女性に出産してもらう「代理出産」などの生殖補助医療について、厚生労働省は15日までに、国民の現時点での賛否や考え方を探るための意識調査を本年度中にも実施することを決めた。

 代理出産については、厚労省の専門部会が2003年に「禁止する」との報告書をまとめ、日本産科婦人科学会も指針で禁止している。しかし「認めるべきだとの世論が増えている」との見方もあり、実際に世論が変化しているかどうかを調べる。

 政府から生殖補助医療の在り方についての検討を要請された日本学術会議は、17日に初会合を開く予定で、調査結果は会議の議論にも影響を与えそうだ。

 調査関連の費用が本年度の補正予算案に盛り込まれた。厚労省は具体的な調査方法や質問項目、調査対象などを早急に検討する。代理出産だけでなく、第三者の精子や卵子を使った体外受精などの技術についても考え方を聞く予定。

 生殖補助医療についての意識調査は1999年と2003年にも厚労省の研究班が実施。03年の調査では、夫婦の精子と卵子を使った代理出産について「認めてよい」が46%、「認められない」は22%。一方「子供に恵まれない場合、この技術を利用するか」については「配偶者が賛成したら」との条件付きを含め「利用したい」が43%だったのに対し、「配偶者が望んでも利用しない」が57%に上った。

 昨秋、米国人女性に代理出産を依頼したタレント向井亜紀さん夫婦の例や、がんで子宮を失った娘に代わり50代後半の母親が「孫」を出産した例などが大きな関心を集め、柳沢伯夫厚労相も「世論を慎重に見極めての検討が必要だ」と述べていた。


代理出産  妻が子宮を摘出するなどして子供を持てない夫婦が、別の女性に子供を産んでもらうこと。夫婦の精子と卵子を体外受精させて女性の子宮に移植する方法や、夫の精子を女性の卵子と人工授精させる方法がある。妊娠、出産にかかわるリスクを第三者に負わせる点や、生まれた子供をめぐり夫婦と女性の間でトラブルが起きる恐れがあることなどから、日本産科婦人科学会は代理出産を禁じている。厚生労働省の専門部会も罰則付きの法律で禁止すべきだとする報告書を2003年にまとめたが、法制化は見送られた。」




2.平成18年1月17日の閣議後会見において、柳沢厚労相は「(代理出産を)支持する世論もみられるようになった」と指摘して、「学会の方針を法律で固定化するのではなく、もう少し違った形の方向を探っていく」と述べ、禁止の方針の見直しを含め、その法整備も視野に検討することを明らかにしていました(読売新聞平成18年10月17日付夕刊:「代理出産(代理母)による法律関係~「代理出産禁止」を見直しを含め再検討へ」参照)。
このように述べていたのですから、どれだけ世論が変わったのか実際に世論調査をしてみようというわけです。

分かりやすい問題ならともかく、多くのブログを読むと代理出産を含む生殖補助医療問題についてまだよく分かっていない人たちが多いように感じます。世論調査をするといっても、ある程度の基礎知識がないと判断できないと思います。そこで、生殖補助医療のうち、特に代理出産を判断するに当たって必要とされる基礎知識を挙げてみることにします。


(1) 代理出産とは?

代理出産とは、妻が子宮を摘出するなど子宮機能が欠損しているため子供を持てない夫婦が、別の女性に子供を産んでもらうことです。依頼する夫婦の精子と卵子を受精させる方法と、夫の精子と第三者の卵子を受精させる方法の2つがあり、前者は依頼夫婦ともに遺伝的につながりのある子を持つことになりますが、後者は夫とだけ遺伝的つながりのある子を持つことになります。いずれにしても、不妊に悩むカップルが相手の子(相手と血のつながりのある子)を持ちたいという希望を叶えるための手段です。

注意すべきことは、代理母となる者は、自由な意思で代理母となるのであって、代理母になることを強制されるわけではありません。もし事実上であれ強制的に行う場合は、強要罪(刑法223条)に該当しますので、強制は許されないからです。現在の米国では、代理母希望者は「依頼夫婦に子供を持つ喜びを与えたい」という意図で、代理母となっています(平井美帆著「あなたの子宮を貸してください 」参照)。



(2) 子供を持つこととはどういうことなのか?

代理出産の是非を判断するについては、「子供を持つということはどういう意味なのか」が根本問題です。このどちらかの考え方が妥当と考えるかによって、結論が分かれてくるのですから。

イ:生殖自体、生物としての人(ヒト)の最も基本的な営みであり、子供を持つことは生殖として人間として本源的な欲求である→個人の自由の問題であるため、原則として代理出産は肯定

ロ:生殖問題は知識のある医師又は国家が患者に温情的に実施すべきものであり(パターナリズム=父権主義)、子供を持つことは国家・社会政策の一環である→国家の統制下・自由裁量下におかれる問題であるため、代理出産は原則として否定(又は全面否定)


イのように生殖は個人の自由であるとすると、その反面、子供を育てるのは基本的に親の責務ということになります。他方で、ロのように、生殖は国家統制によるとすると、子供を育てるのは基本的に国の責務ということになります。

ロの考え方は、「人体の処分は本人の意思があっても許されない」から規制するという考え方でもあります(法制審議会生殖補助医療関連親子法制部会第1回議事録)。そうなると、レシピエント側は臓器を失い死のリスクさえある生体肝移植・生体腎移植は、絶対許されないことになるはずですが……。はて? もちろん、イの考え方は、個人の自由を重視するので、生体肝移植・生体腎移植を認める現状と合致します。



(3) 生命倫理学及び憲法学からはどう考えるか?

代理出産の是非の結果は、法的親子関係を認めるか否かに結びつくことから、民法学の議論でもあります。ですが、生命・人権に深く関わる立法論なのですから、単なる民法解釈で解決できる領域ではないのです。そこで、生命倫理学及び憲法学上の議論が必要です。

 生命倫理学では、自己決定が基調になるべきだと考えられており、(a)自律尊重原理、(b)無危害原理、(c)仁恵原理、(d)正義原理、という相対的に独立したこの4つの原理を基礎として考えるということで一致している(今井道夫・札幌医科大学医学部教授著「生命倫理学入門〔第2版〕(2005年、産業図書)3・11頁~)。


憲法学では、次のように理解されています。

 「わが国でも、憲法13条を根拠に自己決定権(人格的自律権)を人権の1つとして認める説が有力である。

 自己決定権の具体的な中身は…①「自己の生命、身体の処分にかかわる事柄」、②「家族の形成・維持にかかわる事柄」、③「リプロダクションにかかわる事柄」、④「その他の事柄」に分けて考える説が有力である。

 子どもを持つかどうかを決定する権利は、アメリカの判例・学説上プライバシーの権利の中心的な問題として争われてきた。この権利が「基本的権利」だとされ、それに対する規制は「やむにやまれぬ政府利益」の基準という、きわめて厳しいテストによって司法審査に付されることは、すでに触れたとおりである(*)。わが国でも、リプロダクションにかかわる事項は、個人の人格的生存に不可欠な重要事項であることには変わりないので、基本的には、同様に解してよい問題と思われる。」

 *リプロダクションにおける自己決定が保護され、それが厳格審査による理由は、「それが個人のライフ・スタイルのあり方に決定的な影響を及ぼすからだというだけでなく、より広く、個人にとって自己実現の場であり、かつ、社会の基礎的な構成単位である『家族』の意義が重要視されなければならないからだ…。家族のあり方を個人が自律的に決定する権利を保障することによって、はじめて民主主義の基盤である社会の多元性の確保が可能となるからである。」(芦部信喜「憲法学2」(1994年、有斐閣)391頁~)


憲法学からすると、子を持つかどうかを決定する権利、すなわちリプロダクション(生殖活動)に関する自己決定権は、憲法13条により、憲法上保障されており、代理出産により子を持つ権利を強く規制することは妥当でないことになります。

なお、自己決定権の重視・生殖補助医療は選別につながる優生思想であるとして、すべて否定的に捉える考え(松原洋子・立命館大学教授)もあります。しかし、自己決定権の中心は選択の自由であり、人権行使すべて自己決定の結果といえるものですから、松原教授のような考えは人権自体を否定するものといえます。「カップルの自己決定に一切委ねること、これが現在の先進国の社会が到達した課題への解答である」(米本他著「優生学と人間社会」(2000年、講談社現代新書))と理解されています。



(4) 代理出産の実情

各国の実施状況は次のようなものです。

 「代理母(代理懐胎)が合法的に認められている国は、オーストラリアの一部、カナダ、ブラジル、ベルギー、フィンランド、ハンガリー、イスラエル、オランダ、英国、米国などで、非合法とされている国は、フランス、ドイツ、イタリア、スイスなどである。また、同じ米国内でも州により事情は異なり、アリゾナ、ミシガンなど違法とされている州もある。しかし、アリゾナ州最高裁では1994年に合法と結論されるに至っていて、事態は流動的である。」(盛岡恭彦・畔柳達雄監修『医の倫理-ミニ事典』(平成18年)の「不妊症の治療―代理懐胎」(担当:雨森良彦(あめのもり よしひこ)元日赤医療センター副院長)の項目117頁)


FROM第6回総会報告(平成15年11月29日)によると、代理母の動向については「アメリカ各州の法規制と世界の動き、そこには緩和の兆しが見える」と書かれています。

注意すべきことは、欧州では各国陸続きであるため、代理出産を禁じられているドイツ国民は、ベルギーに行って代理出産を実施してくる(第14回厚生科学審議会生殖補助医療部会 議事録)わけです。もちろん、米国には、日本人だけでなく、ドイツ人、フランス人など各国から集まってくる状態です(平井美帆著「あなたの子宮を貸してください 」参照)。

こういった状態なので、欧米では代理出産を禁じていても、認める国がある以上、どの国でも代理出産を認めているのと同然の状態ということになります。フランスでは代理出産につき刑事罰を設けていますが、全然作動していないとされていますが、欧米の状況を考えるとその意味がよく理解できるかと思います。



(5) 代理出産の禁止理由の検討

代理母を生殖の手段として道具のように扱うものであり、代理母の人格を否定するものである


(批判)
代理母の自由意思で協力することが代理出産実施の前提ですから、自由意思である限りは、代理母は「道具」でない。自由意思なのにどれを「道具」扱いすることは、かえって、代理母の意思(自己決定)や人格を無視するパターナリズムである(金城清子委員の意見「第25回厚生科学審議会生殖補助医療部会議事録参照)


代理出産は安全性に欠ける


(批判)
・医療技術が発展しており、出産経験があり、十分な休養がとれ、医学的なサポート体制が整っていれば、代理出産のリスクは、自然妊娠と同じかそれ以下である(金城清子委員の意見「第25回厚生科学審議会生殖補助医療部会議事録、平井美帆著「あなたの子宮を貸してください 」参照)。
・安全を確保するにしても、出産のリスクは完全には払拭できないが、代理母はそのリスク(危険)は同意している以上、危険が生じることを認識して同意していれば法的責任を負わないとする「危険の引き受け」という法理論の適用が可能である。そのため、法的には問題とならないリスクと評価できる。


子供のアイデンティティーが混乱する、依頼夫婦と代理母との間のトラブルの可能性が生じるおそれがあるなど子供の子の福祉に反する。


(批判)
・養子縁組では親が4人になるため、アイデンティティーが混乱する問題が生じていますが、養親(又は双方の親)が子供に真摯に接することで解消している以上、代理出産でも同じ対応で解消できる
・死後生殖から生じた子について父子関係が争われた事例について、最高裁は父子関係を否定したが、これは父と認めて欲しいという子のアイデンティティーを否定したものである。この結果は、子供のアイデンティティーが絶対的なものではないことを示している。
・トラブルの可能性は、2000年中に米国で実施された代理出産は2万件であったが、依頼者が子供を引き取らないとか、代理母が子供の引渡しを拒絶したケースは8件にすぎず、発生率は0.04%にすぎず、トラブルはごく稀なケースである。


*明らかに妥当でない禁止理由
親子関係を築くには、母親がお腹の中に10ヶ月間子供を宿している期間が必要である(安藤広子(岩手県立大学看護学部助教授)委員・才村眞理(帝塚山大学人文科学部助教授)委員・石井美智子(東京都立大学法学部教授)の意見「第25回厚生科学審議会生殖補助医療部会議事録)


(批判)
父親は子を宿す可能性がないが当然に親子関係を築くことを予定しており、養子縁組は第三者の子供を育てることを前提とした法制度であるから、法的父子関係や養子縁組制度を真っ向から否定する考えである(平山史朗(広島HARTクリニック不妊症カウンセラー)委員の意見「第25回厚生科学審議会生殖補助医療部会議事録参照)



(6) 近時の世論調査の結果

最近の調査としては、浜松医大の学生という将来の専門家に対する調査と、朝日新聞の調査があります。

 

「04年4月~昨年9月に、浜松医大医学部5年の男女174人を対象に調査した結果、代理出産については、70%の学生が「社会的に賛成できる」と答えた。」(毎日新聞平成18年11月27日付夕刊2面)(「代理出産、医大生の7割が賛成~毎日新聞11月27日付より」参照


将来の医師の立場としては、多くの人たちが代理出産を実施することに賛成し、さほどの違和感がないということです。代理出産につき医の倫理(生命倫理・医療倫理)に反しているという理解をしていないとも理解できます。

 「「代理出産は認められるべきだと思いますか?」

 この問いかけにbeモニターの皆さんの意見もほぼ真っ二つに割れました。1387人が反対したのに対して、賛成も1309人いました。 」(朝日新聞be(平成17年11月11日

朝日新聞の調査では、認めるのが49%、認めるべきではないというのが51%となっています。相半ばする国民意識があるとすれば、全面禁止は半数の意見を否定することになりますので、困難だといえそうです。



(7) 医療現場の実情

「代理母(※注1)を介した方法については、制度が整備されている米カリフォルニアを日本や韓国から不妊治療のために訪れるカップルの数は増え続けている。しかし、分娩した女性を母親とみなす「分娩母ルール」が原則の日本において最近、顕著になってきているケースは、カップルが海外に渡航し(首都圏で見れば、渡航先のほとんどがアメリカ合衆国、たいていコーディネーターも同じだ)、代理出産を選択せずに、卵子提供を受け、妊娠が成立した時点で、帰国するケースである。本人が日本国内で分娩するのであるから、民法上の親子関係(嫡出児の推定)がクリアされる、というわけだ。

 しかし、このような症例で問題となるのは、母体の年齢と加齢に伴う合併症なのである。生殖年齢をはるかに超える妊婦も決して珍しくない。「今そこにある危機」とは、こうした海外での卵子提供における妊娠・出産に絡む諸問題が近年、増えつつあることである。そして、その影響は、日本の産科医療現場に深刻な問題を投げかけているのである。」(~特別レポート~わが国の産科医療が直面する「今そこにある危機」-海外での卵子提供による不妊治療-:澤 倫太郎 日本医科大学生殖発達病態学・遺伝診療科 講師)


要するに、合併症の危険といった母子の生命の保護や医療訴訟のおそれの観点から見ると、法律上(条文はないが判例・行政対応)は出産で母子関係を決定するため、法律上は問題視されていない卵子提供の方がリスクが大きく、代理母を限定する代理出産の方がはるかにリスクが少なく安全であるというわけです。代理母の母体よりも卵子提供を受ける母体の方が生命の危機にあるのであって、今の医療現場では「分娩のリスクを考えれば代理母のほうがずっとまし」という現実があるのです。




3.何か他にも色々とあるとは思いますが、代理出産の是非を判断するに当たって必要とされる基礎知識といえるものを挙げてみました。これらは、「Because It's There「代理出産」問題」のエントリー及びコメント欄からまとめたものです。詳しくはこちらをご覧下さい。このエントリーには、コメント欄にコメントされた方々の助けられています。感謝します。


念のため、追記します。

代理出産を含む医療問題すべてを個々人の道徳観や倫理観から考えようとする新聞社もあります(「「異端」の2医師の「独自の道徳観」は許されないのか?~毎日新聞11月20日付の記事批判参照)。もちろん、個々人が道徳観や倫理観を持つこと自体認めるべきことです。

しかし、ここでは、立法論を議論しているのですから、単に個々人の道徳観や倫理観を根拠とすると、道徳観や倫理観を法的に強制することになってしまいます。道徳観や倫理観を法的に強制することは、思想良心の自由を保障する憲法19条に違反するものとして許されないはずです。法規制の有無の判断に当たっては、道徳観や倫理観と離れた論議、現状を踏まえた現実的な論議が必要なのです。

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2007/01/13 [Sat] 08:18:10 » E d i t
毎日新聞は、生殖補助医療や移植問題について、他の新聞社よりも記者の意見を記事にすることが多いのです。1月11日付の「記者の目」において、永山悦子記者が生殖補助医療について意見を述べていたので、紹介したいと思います。


1.毎日新聞平成19年1月11日付朝刊6面「記者の目」

 「記者の目:不妊治療、統一ルール作り急務=永山悦子(科学環境部)

 ◇信じて待つ人、放置は残酷--重責を負った学術会議

 昨年、不妊治療(生殖補助医療)に関し、社会の注目を集める出来事が相次いだ。米国での代理出産で生まれた向井亜紀さんの双子の親子関係▽長野県下諏訪町の「諏訪マタニティークリニック」(根津八紘院長)での50代女性による「孫」の代理出産--だ。国の生殖補助医療への対応がたなざらしの事態も表面化し、法務省と厚生労働省は、代理出産を中心とする生殖補助医療のあり方に関する審議を日本学術会議に依頼した。今度こそ、混乱状態の日本の生殖補助医療を正常化させるルールを完成させなければならない。

 体外受精や顕微授精など生殖補助医療の進歩は目覚ましく、国内の新生児の約65人に1人は不妊治療を経て誕生している。だが、国としての統一したルールはない。私は、先進的な生殖補助医療を容認するにしろ、禁じるにしろ、統一ルールがないことが不妊の人たちを混乱させ、精神的に不安定な状態に追い込んでいると考える。

 日本産科婦人科学会は、親子関係を複雑にするなどの理由で第三者からの卵子、受精卵の提供や代理出産を認めない指針などを作っているが、自主規制だ。

 厚生省(当時)の専門委員会は00年、「女性の体の道具化につながる」などとして代理出産を禁じる一方、第三者からの卵子や受精卵の提供を認める報告書をまとめ、「3年以内の制度整備」を求めた。続いて開かれた厚労省の生殖補助医療部会も03年、兄弟姉妹以外の第三者からの卵子や受精卵提供を認め、代理出産は禁じる報告書をまとめた。制度の早急な整備も求めたが、国会議員の一部が「子どもを産む権利を国が規制するのはおかしい」などと反発し、法制化論議は頓挫した。

 「もう私は待てません」。九州地方の産婦人科へ不妊治療に通う40代の女性は訴えた。高齢のため状態の良い卵子が作れなくなった。30代前半で早期閉経した女性も「のどから手が出るほど卵子が欲しい」と話す。彼女たちは00年に最初の報告書がまとまって以来、卵子提供が実現する日を待っていた。女性は高齢になるに従って不妊治療の成功率が落ちる。国は制度作りを先送りしただけではなく、妊娠・出産の可能性を信じ、待ち続ける不妊の人たちを放置したのだ。

 専門委員会の委員だった田中温・セントマザー産婦人科医院長は「国は生命倫理問題に真剣に取り組まず、逃げ腰だ」と批判する。 日本産科婦人科学会の吉村泰典倫理委員長も「法制化を見込んで(代理出産などを禁じる)指針を整備したが、法律は今もできていない。はしごをはずされた思いだ」と言う。

 一方、根津院長は、妹からの卵子提供による体外受精など、学会が認めない治療を繰り返し、既成事実化してきた。代理出産も01年以降、実施し続けている。根津院長は「技術があるのに、それを使わないのはおかしい」と主張する。

 だが、「患者が望めば、独断で何をやってもいい」のだろうか。

 不妊治療は「先の見えない旅」と形容される。治療すれば必ず妊娠するわけではない。治療を受ける人たちはそんな「迷路」をさまよい、「月経がくるたび涙が止まらなくなる」「友人の妊娠を喜べない」「自分の体が憎い」と、自責の日々を送っている。

 生殖補助医療の方向性が定まらず、医師によって治療が異なる状況が続けば、彼女ら、彼らは何を信じればいいというのか。

 不妊治療を少子化対策に結びつける政治家もいるが、見当違いだ。彼らは国のために子どもを望んでいるわけではないからだ。生殖補助医療部会のメンバーで、不妊の人の自助グループ「フィンレージの会」の鈴木良子代表は「日本は今こそ、人の命や体をどのようにとらえ、扱うべきかという、生命倫理全体を国として議論すべきだ」と話す。

 その通りだと思う。

 海外事例との比較や、行き当たりばったりの議論は、不妊に悩む人を振り回すだけで、問題の根本的な解決にはならない。ルールの背骨となる社会的なコンセンサスを突き詰める必要がある。倫理観ほど千差万別のものはないが、卵子や精子、そして臓器も含めた「体のパーツ」をどう扱うべきかなど、生命科学全体を俯瞰(ふかん)できるような価値観の創出が求められている。

 それだけに、ボールを受け取った日本学術会議の責任は重い。これまでの経過を踏まえ、不妊の人たちの苦しい胸のうちを真正面から受け止めた議論をしてほしい。第三者からの卵子などの提供など、代理出産同様に先延ばしされている問題も忘れてはならない。

 審議は17日に始まる。不妊の人たちを一刻も早く「迷路」から救い出す「道しるべ」が必要だ。

==============

 「記者の目」へのご意見は〒100-8051 毎日新聞「記者の目」係へ。メールアドレスkishanome@mbx.mainichi.co.jp

毎日新聞 2007年1月11日 東京朝刊」



2.全体を簡潔に捉えると、表題どおり、「国が生殖補助医療政策の統一ルールをすぐに作成すべきだ」という意見だと思います。統一ルール(おそらく法律)を制定せよという考え方自体は良いことですが、この記事を逐一検討すると妙な点が目に付きます。以下、検討していきます。

(1) 

 「体外受精や顕微授精など生殖補助医療の進歩は目覚ましく、国内の新生児の約65人に1人は不妊治療を経て誕生している。だが、国としての統一したルールはない。私は、先進的な生殖補助医療を容認するにしろ、禁じるにしろ、統一ルールがないことが不妊の人たちを混乱させ、精神的に不安定な状態に追い込んでいると考える。」


「先進的な生殖補助医療を容認するにしろ、禁じるにしろ、統一ルールがない」ことが問題というのですから、統一ルールの内容よりも、ルールを定めることが重要だというわけです。どんな内容であっても、何ができるか否かが明確になれば、なまじ期待して待つよりも、諦めるしかない不妊夫婦も出てくるでしょうから、精神的に安定する……面はあるかもしれません。

しかし、統一ルール又は法律の内容は問題にしないのでしょうか? 例えば、障害者自立支援法の制定は必要性がありましたが、その法律内容に問題があったため、障害者自立阻害法と呼ばれ(「障害者自立支援法-Wikipedia」参照)、悲観した障害者家族が自殺したりしています。
また、教育基本法についても、何らかの改正が必要だったのかもしれませんが、公共の精神を強調し、愛国心教育を実施できるような法律内容になりました。毎日新聞の社説としては、「ともかく改正したこと自体で高く評価し、内容は二の次である」という理解ではなかったはずです。

ルールや法律は、どんな内容であっても定めればよいわけではないのです。国民にとっては、悪法、すなわち不当に人権・利益を制約する法律を制定するくらいなら、制定しない方がいいのです。ルールや法律は定めること自体が重要なのではなく、ルールや法律の内容こそが重要なのです。ルールを定めること自体を評価し、内容を問わない永井記者の意見は、間違った意見であると考えます。



(2) 

 「「もう私は待てません」。九州地方の産婦人科へ不妊治療に通う40代の女性は訴えた。高齢のため状態の良い卵子が作れなくなった。30代前半で早期閉経した女性も「のどから手が出るほど卵子が欲しい」と話す。彼女たちは00年に最初の報告書がまとまって以来、卵子提供が実現する日を待っていた。女性は高齢になるに従って不妊治療の成功率が落ちる。国は制度作りを先送りしただけではなく、妊娠・出産の可能性を信じ、待ち続ける不妊の人たちを放置したのだ。

 専門委員会の委員だった田中温・セントマザー産婦人科医院長は「国は生命倫理問題に真剣に取り組まず、逃げ腰だ」と批判する。 日本産科婦人科学会の吉村泰典倫理委員長も「法制化を見込んで(代理出産などを禁じる)指針を整備したが、法律は今もできていない。はしごをはずされた思いだ」と言う。」


要するに、2000年の報告書の時点から第三者の卵子提供を望んでいた夫婦は、法律が制定されることを待っていたのに、その期待権を踏みにじり、未だに国(国というより、立法権のある「国会」のはず)は法律を制定せずに放置しており、国(国会)の怠慢であると、日本産科婦人科学会も含め非難している、というわけです。

確かに、未だに法律を制定していないので非難に値するとはいえるかもしれません。しかし、法制化に反対した野田議員は、「近親間の卵子提供はダメ。代理出産はダメ。『原則反対』の法案で、これでは誰のための法律になるのか分からなかったから」反対したのであって、合理的な理由がある以上、法律を制定していないことを強く非難するわけにはいきません

不思議に思うのは、日本産科婦人科学会までも国を非難することです。2000年の報告書では卵子提供を認めたのですから、日本産科婦人科学会は、第三者からの卵子、受精卵の提供を認めない指針を変更すればよいのです。
そうすれば、第三者の卵子提供を望んでいた夫婦は一定程度(報告書では、近親間の卵子提供は禁止ゆえ)であっても、期待を叶えることができるのです。国を非難している暇があったら、自主規制(会告)を変更すべきだと思うのです。

生殖補助医療については、(クローンを除き)法規制がないのですから、法律上は自由な生殖補助医療が可能であって、医師と患者の同意さえればよく、第三者の卵子提供や代理出産でも自由にできるのです。だから、第三者の卵子提供を望んでいた夫婦の期待を放置し踏みにじっているのは、自主規制をしている日本産科婦人科学会なのです。

なので、第三者の卵子提供を望んでいた夫婦が非難すべき相手は、国ではなく、日本産科婦人科学会なのです。非難すべき相手が違うのです。永山記者もまた、国を非難するのではなく、日本産科婦人科学会を非難すべきなのです。



(3) 

 「一方、根津院長は、妹からの卵子提供による体外受精など、学会が認めない治療を繰り返し、既成事実化してきた。代理出産も01年以降、実施し続けている。根津院長は「技術があるのに、それを使わないのはおかしい」と主張する。

 だが、「患者が望めば、独断で何をやってもいい」のだろうか。」


生殖補助医療については法規制がないので、法律上は、医師と患者の同意があれば自由です。同意、すなわち自己決定権については自ら決定するものですから、第三者機関の関与が要求されるわけでもなく、国の関与が必要というわけでもありません。永井記者は、「独断で何をやってもいいのか」と非難しますが、法規制がない以上、「独断」でやったところで法的には非難される理由がありません



(4) 

 「生殖補助医療の方向性が定まらず、医師によって治療が異なる状況が続けば、彼女ら、彼らは何を信じればいいというのか。」


一般的にいって、医師それぞれには技量の差異があり、治療方針に違いがあるはずです。自己決定を確実にするための情報として、主治医の診断に対して別の医師が見解を述べるセカンドオピニオンが近時、盛んであるのはその証拠でしょう。ですから、「医師によって治療が異なる状況」があるというのは、さほどおかしなことではありません

そして、患者には医師を選択する自由があるのです。患者は、希望通りの生殖補助医療を行ってくれる医師を探して治療を受けるべきでしょう。医師は神ではないのですから、一人の医師を信じる必要はないのです。「彼女ら、彼らは何を信じればいいというのか」と言ってみても、信じる信じないの問題ではないです。



(5) 

 「生殖補助医療部会のメンバーで、不妊の人の自助グループ「フィンレージの会」の鈴木良子代表は「日本は今こそ、人の命や体をどのようにとらえ、扱うべきかという、生命倫理全体を国として議論すべきだ」と話す。

 その通りだと思う。

 海外事例との比較や、行き当たりばったりの議論は、不妊に悩む人を振り回すだけで、問題の根本的な解決にはならない。ルールの背骨となる社会的なコンセンサスを突き詰める必要がある。倫理観ほど千差万別のものはないが、卵子や精子、そして臓器も含めた「体のパーツ」をどう扱うべきかなど、生命科学全体を俯瞰(ふかん)できるような価値観の創出が求められている。」


要するに、永山記者は、生殖医療問題と臓器移植問題を含めた解決方法を導くような、生命倫理についての考え方を示す必要があるといいたいようです。もっとも、この記事自体は、生命倫理についての考え方自体は示していないので、国が「生命倫理に関する考え方」を示してくれるのを待っているようです。


  イ:では、日本の生命倫理学では、生殖技術、移植医療などの先端医療を解決するに当たって、どのような生命倫理に関する考え方を示しているのでしょうか?

 「現在、これら領域をおおう学問としてバイオエシックスないしは「生命倫理学」が一般的である。そうした名称をもった学問分野として定着してきている。それはアメリカ合衆国において確立され、アメリカ的背景を背負っていた。(中略)

 このような問題に生命倫理学が取り組むにあたって、中核となる諸原理を立てることが必要になってきた。先に見たアメリカのバイオエシックスでは、自律の原理が中核を占めていたといえる。一般の政治的・社会的な場にあってと同様、医療の場にあっても自己決定が基調になるべきだと考えられてきた。患者はみずからの受ける医療を医療者に任せるのではなく、みずからの思想・生き方に照らして決めていく。そうした自律の原理がバイオエシックスのうねりの中心にあったし、それが我が国にも大きな反響を呼び起こした。自律の原理はそれゆえ生命倫理学にあって、中心に置かれるべきであろう。とはいえ、これだけですべてが動くわけではない。他の原理も考慮しなければならない。こうした原理確定の試みとして、ビーチャムとチルドレスの『生命医学倫理』(初版、1979年)が特にすぐれており、影響を与えた。彼らはそこで4つの基本原理を提出している。

 たとえばガンにかかった患者がいるとする。その患者がどのような治療を受けるかについて、医療者は様々な情報や示唆を与えるにしても、(a)基本的には患者の選択にゆだねるべきである。とはいえ、その患者が重篤で回復がおぼつかないため安楽死を望んだとしても、医療者は、(b)患者を傷つけたり殺したりするわけにはいかない。それだけではなく、医療者はたとえ患者が恐怖感から手術を断っても、手術が最善と考えられるときは患者を説得することも試みなければならない。つまり、(c)患者にとって善いとみなせる治療をおこなうべきである。治療には高額で資源がかぎられたものがある。お金を払える人たちがあるていど有利になるのは仕方がないにしても、貧しい人たちが治療を受ける機会をまったくもたないようでは困る。医療資源の配分には、(d)公平性が保たれるようにしなければならない。右の例で(a)から(d)までの考え方の基礎にあるのが、(a)自律尊重原理、(b)無危害原理、(c)仁恵原理、(d)正義原理、である。相対的に独立したこの4つの原理を基礎として考えると、生命倫理の諸問題を整理・検討しやすくなる。」(今井道夫・札幌医科大学医学部教授著「生命倫理学入門〔第2版〕(2005年、産業図書)3・11頁~


このように、日本の生命倫理学においても、米国と同様に、自己決定権を中心にして考えていくと理解されています。このような考え方は、米国、日本だけでなく、欧州諸国でも採用されているように共通理解があるものです。


  ロ:では、特に生殖医療に関しては、どういった視点で判断すべきでしょうか?

 「人の生殖領域に医療の手がこれほどまでに入り込んだ時代を私たちは経験してきませんでした。そしてこのことは、人は随意に質、量を含めて自由に生命を創り出し、そして時にその出生を回避し、あるいは、こうして創り出した生命を自由に破棄できるのかという問題を突きつけるようになったと思います。たしかにこうした現象は、何も今にはじまったものではないという面はあります。というのも、人は避妊や中絶行為を介して出産をコントロールしてきたからです。しかし、回避といった消極的な手法ではなく、また身体内での受精を1つの限界としてきた頃とは異なり、今や人は生殖を外部化し、より積極的に生命を創り出し、そして創り出したものを今度はいらないといって捨てることを、技術的にはまったく思うがままになしうる状況の中にいます。

 しかし、技術的に可能であるということと、社会がそうした行動を容認し、さらには積極的に支援すべきものなのかどうかは別問題です。つまり社会は、技術的な面を離れて、人がそういったことをなしうるとするか否かを考えなければなりません。生殖医療技術は人の望むライフスタイルの実現を容易にする方向で役立ってきました。しかしこの行為は同時に、新に生まれようとする命の運命を決定づけ、社会に生命の重み、人間の価値を問いかけます。そこで、こうした生命の誕生への個人の挑戦、よりなじみ深い言葉で言いかえれば、人が子を持つとか持たないとか、どんな子を産むとか産まないといった、科学の進歩を背景になされる、家族計画上の自己決定、ひいては人生設計上の自己決定に対して、社会がいかなる態度を示すべきかが議論される必要があるのです。」(斉藤隆雄・徳島大学名誉教授監修「生命倫理学講義」(1998年、日本評論社)128頁


要するに、人が子を産むということ、自己が進むべきライフスタイルを決定・設計していくという事柄は自己決定に委ねるものだとしても、社会はいかなる態度を示すべきか、すなわち、積極的に評価していくのか、子の福祉の観点からするとどの程度制約していくべきなのかどうかが判断の視点であるというわけです。


  ハ:結論としては、自己決定権を重視して、近親間も含めて卵子提供を肯定し、代理出産を認めていく立場(オーストラリアの一部、カナダ、ブラジル、ベルギー、フィンランド、ハンガリー、イスラエル、オランダ、英国、米国の一部の州)を採用するか、それとも、自己決定を尊重しつつも、子の福祉の観点から代理出産を禁止する立場(フランス、ドイツ、イタリア、スイス、米国の一部の州。第三者の精子・卵子提供を認めるかどうかは各国分かれる)を採るかに分かれることになります(米本昌平・松原洋子他著「優生学と人間社会」(2000年、講談社現代新書)263頁~参照)。

日本の憲法学上の人権論については、米国の憲法判例を参考にして解釈を行っていますし、自己決定権の内容・制約に関しても、米国の憲法判例を参照して判断しています。そうすると、生殖に関する自己決定権に関わる立法の方向性についても、米国の立法例にならった方が妥当であるように思われます。
日本国の立場は、フランス・ドイツよりも米国との結びつきが強いことからすると、人権に関するものである限り、米国の立法例と齟齬が生じないようにした方が、軋轢が少なくてすむように感じられるのです。



(6) 

 「それだけに、ボールを受け取った日本学術会議の責任は重い。これまでの経過を踏まえ、不妊の人たちの苦しい胸のうちを真正面から受け止めた議論をしてほしい。第三者からの卵子などの提供など、代理出産同様に先延ばしされている問題も忘れてはならない。

 審議は17日に始まる。不妊の人たちを一刻も早く「迷路」から救い出す「道しるべ」が必要だ。」


「不妊の人たちの苦しい胸のうちを真正面から受け止めた議論」をすることには異論はありませんが、聞いた挙句、代理出産は禁止するのであれば、単に聞いただけに留まってしまいます。2.(5)で示したように、「道しるべ」の方針は、自己決定権をどれだけ重視するかどうかであって、はっきりしているはずなのです。




3.永山記者は、「統一ルールを作成せよ」と書いていますが、どういう内容が適切であると考えているのか書いていません。「生命科学全体を俯瞰(ふかん)できるような価値観の創出が求められている」と書いていますが、どういう価値観(生命倫理)が妥当と考えているのか、書いていません。

以前からの毎日新聞の方針からすると代理出産を希望する不妊夫婦は見捨てるようですが、今回の記事からすると卵子提供を望む不妊夫婦は保護するようです。精子が原因である不妊や卵子が原因である不妊は保護しても、子宮が不妊の原因である不妊(=代理出産)は認めないという論理は、十分な合理的な根拠があるのでしょうか?この区別の合理的理由について、記事中で明確にして欲しかったです。
追記:精子提供と異なり、卵子の場合には、排卵誘発剤の投与や体内からの採卵のために、提供者にはリスクがありますが、そのリスクは問題視しない態度は解せません。)


どんな内容であっても統一ルールを定めればよいわけではないのです。単に統一ルールを制定すること自体を目的とするように急かすのではなく、どういう内容が適切なのか、判断指針となるような生命倫理の考え方を示すことの方が妥当だと思うのです。

さらに言えば、「生命倫理の考え方」を示すことはよいとしても、生殖医療に関して言えば、そもそも「子供を持つこととはどういうことなのか」という極めて基本的な事柄を議論する必要があります(審議会ではこの議論が欠けていたようです)。「子供を持つこととはどういうことなのか」といえば、「子供を持ちたいというのは人間として非常に本源的な欲求」なのです。この欲求も無制約とはいえませんが、子を持ちたいというのは本源的な欲求ですから、それを制限するには十分に合理的な理由が必要なのです(「第2回FROM総会プログラム」田中 秀一 読売新聞医療情報部次長 「だれのための生殖医療か-----メディアの立場から」(平成14年2月3日)(PDF)参照)。これが生殖医療問題の指針であると考えます。

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2007/01/11 [Thu] 01:38:51 » E d i t
週刊文春2007年1月18日号(1月10日発売)では、女性ライターばかりが書いた「天下御免ワイド 『女はそれを我慢できない』」という特集(38頁~)が組まれていました。その中で「『代理出産』向井亜紀の『正論』にマジうんざり」という表題で、北大路公子氏が向井亜紀さん非難をしていました。この記事を紹介してコメントしたいと思います。


1.週刊文春2007年1月18日号(1月10日発売)39頁~

 「「代理出産」向井亜紀の「正論」にマジうんざり   北大路公子

 向井亜紀は怖い。いかにも明るく率直で前向きかつ健気なのが怖い。その1つ1つを取り出して「どう?」と尋ねられたら、「いいことですね」としか言いようがないところが怖い。世の中にはまるで宗教のようにポジティブな考え方を自らに課す人々がいるが、そういったポジティブ教の人々がまるで高速で回転する独楽(こま)のように、周囲をはじきながら進み続ける印象があるのに対し、向井亜紀の「前向き」はやや異なる。全速力で空回りし、どこにも進まない。それも怖い。

 6年くらい前に朝のワイドショーの司会をやっていた時、彼女はよく泣いた。残忍な犯罪に泣き、世の不条理に泣き、人情に泣いた。そしてそれは、徳光和夫のような「あーまた泣いちゃったよ、はいはい」という周囲の(生温かい)コンセンサスを最後まで得られなかったと記憶している。コンセンサスがないから、当然フォローもない。彼女の涙は何か気まずいものでも見てしまったかのように、スタジオ内に必ず一瞬の沈黙をもたらした。私なんて何度そこでチャンネルを替えたことか。いたたまれなくて。そのいたたまれなさは泣き場面だけではなく、たとえばゲストとのトーク場面でも「はしゃぐ」という形で発揮された。はしゃぐというか、大げさな相槌をひたすら打つだけというか、要するに空回り。私はそれを見るたびに、こんなにホスト役に不向きな人をどうして起用しちゃったのだろうと勝手にドキドキしたものだ。

 他人(犯罪者や芸能人)の存在に泣いたりはしゃいだりすることで彼女自身の率直さや健気さ、まあ正義と言い換えてもいいわけだが、それを表現していたのではないかと気づいたのは、かなり後になってのことである。「凶悪犯罪に涙する私は真っ直ぐ」「こんな素晴らしい芸能人と友達の私は善人」、本当にそう思っていたかどうかは知らないが、そう感じさせる空気が空回り感を助長させたのは確かだ。

 今、向井亜紀は、代理出産問題の渦中にある。渦中っつっても自分で巻いた渦だが、代理出産自体の是非は別として(個人的には反対)、一連の彼女の言動はやはりどうにも居心地が悪い。経過のほとんどすべてを会見や著書、テレビ番組、公式HPといった媒体を通じて公表し、さらには「高田の優秀な遺伝子を残したい」「他の女性との間に子供をつくってもいい」「私を(代理出産の)サンプルに」「実母として認めてほしいわけではない。子供たちに説明できる(出生届不受理の)理由を教えてほしい」などと発言する。ここから導かれるのはやはり「率直で健気で前向きな私」だ。

 でもそれは結局のところ、あのワイドショーの涙と同じではないか。夫や子供や不妊に悩む人々といった、罪のない存在を前面に押し出すことで、自らの正義を訴える。「自己犠牲にあふれた一生懸命な私は正しい」。いや、だからそう思っているかどうかは知らないが、雰囲気はそうだ。自分に酔っているといってもいい。当然、「わかっててやったことだろう」というシンプルな批判を封じこめることはできても、空回りはますます加速する。

 向井亜紀は本当は前向きではなく、内向きだ。自分の正義ばかり見ている。だから進まない。早く気づくといいのに。」




2.北大路氏が向井亜紀さんを嫌っている感じがよく出ている文章です。逐一コメントしてみます。


(1)
 

 「向井亜紀は怖い。いかにも明るく率直で前向きかつ健気なのが怖い。その1つ1つを取り出して「どう?」と尋ねられたら、「いいことですね」としか言いようがないところが怖い。世の中にはまるで宗教のようにポジティブな考え方を自らに課す人々がいるが、そういったポジティブ教の人々がまるで高速で回転する独楽(こま)のように、周囲をはじきながら進み続ける印象があるのに対し、向井亜紀の「前向き」はやや異なる。全速力で空回りし、どこにも進まない。それも怖い。」



向井亜紀さんの「明るく率直で前向きかつ健気な」態度も1つの個性ですし、それ自体では誰の利益を侵害するものではないのですから、そういった個性は「人格権」(憲法13条)の1つとして保障されていると解釈できます。

そうであれば、向井亜紀さんのような態度も尊重するのが、憲法上、あるべき態度というべきなのですが、北大路氏は「怖い」という気持ちで嫌悪感を露にし、「空回り」していると揶揄するのです。さほど問題ない態度でさえ、嫌悪され揶揄されるのですから、なかなか住みにくい日本であるといえます。



(2)
 

 「6年くらい前に朝のワイドショーの司会をやっていた時、彼女はよく泣いた。……ゲストとのトーク場面でも「はしゃぐ」という形で発揮された。はしゃぐというか、大げさな相槌をひたすら打つだけというか、要するに空回り。私はそれを見るたびに、こんなにホスト役に不向きな人をどうして起用しちゃったのだろうと勝手にドキドキしたものだ。」



北大路氏は、向井亜紀さんの態度が「空回り」していると判断したのは、ワイドショーでの司会を見た印象が最初のようです。ただし、かなり感覚的な判断です。相槌であっても、「大げさな相槌」と感じてしまうのですから。

「ドキドキ」するくらいなら、見なければいいのにと、素直に思うのですが、北大路氏は、見ないという「前向き」な態度は嫌う性格のようですから、見ていたのかもしれません。



(3)
 

 「他人(犯罪者や芸能人)の存在に泣いたりはしゃいだりすることで彼女自身の率直さや健気さ、まあ正義と言い換えてもいいわけだが、それを表現していたのではないかと気づいたのは、かなり後になってのことである。「凶悪犯罪に涙する私は真っ直ぐ」「こんな素晴らしい芸能人と友達の私は善人」、本当にそう思っていたかどうかは知らないが、そう感じさせる空気が空回り感を助長させたのは確かだ。」



北大路氏は、この文章以降、「正義」という言葉を多用します。北大路氏によると「彼女自身の率直さや健気さ、まあ正義と言い換えてもいい」と述べているので、正義=率直・健気・前向き、という意味と理解しているようです。しかし、かなり、通常の「正義」の意義と異なるので、ひどく違和感がある使い方です。

(国語)せいぎ1【正義】 (三省堂「大辞林 第二版」より)

(1)正しい道義。人が従うべき正しい道理。
「―を貫く」
(2)他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること。アリストテレスによると、名誉や財貨を各人の価値に比例して分配する配分的正義と、相互交渉において損害額と賠償額などを等しくする矯正的(整調的)正義とに分かれる。また、国家の内で実現されるべき正義には自然的正義と人為的正義とがあり、前者が自然法、後者が実定法につながる。国家権力の確立した社会では、実定法的正義は国家により定められるが、これは形式化・固定化されやすい。そこで、各人がその価値に応じた配分を受け、基本的人権を中心とした諸権利を保障されるべしという社会的正義の要求が、社会主義思想などによって掲げられることになる。公正。公平。
(3)正しい意味。正しい解釈。経書の注釈書の名に多用された。
「五経―」」



「率直・健気・前向き」は性格の1つであって、個性の1つに過ぎませんが、北大路氏は「正義」感を感じると「空回り」していると揶揄し、先ほど述べたように「怖い」と感じて嫌悪感を抱くのです。

このように、北大路氏は、正義感に嫌悪するのですから、正義感を抱かない或いは抱けない持ち主であろうと推測できますし、また、正義感に基づく行動や態度を揶揄するのですから、かなり歪んだ性格の持ち主であろうと推測できます。こういう性格もまた1つの個性ではありますが。

しかし、正義感を押し付けているのでもないのに、正義感に基づく行動を揶揄すると、正義感に基づく言動が萎縮しかねず、規範意識がさらに低下し、ひいては犯罪を助長しかねません。北大路氏の言動は不健全な言動といえます。



(4)
 

 「今、向井亜紀は、代理出産問題の渦中にある。渦中っつっても自分で巻いた渦だが、代理出産自体の是非は別として(個人的には反対)、一連の彼女の言動はやはりどうにも居心地が悪い。経過のほとんどすべてを会見や著書、テレビ番組、公式HPといった媒体を通じて公表し、さらには「高田の優秀な遺伝子を残したい」「他の女性との間に子供をつくってもいい」「私を(代理出産の)サンプルに」「実母として認めてほしいわけではない。子供たちに説明できる(出生届不受理の)理由を教えてほしい」などと発言する。ここから導かれるのはやはり「率直で健気で前向きな私」だ。」



日本人の中で代理出産行った家族は、ほとんどが隠れて行っていることから、公表されているのは数件にすぎず、裁判になったのは(向井夫妻の裁判を含めて)2件にすぎません。

このように隠れて行っているのが一般なのに、隠していたとしても私事が暴露されてしまうのが芸能人です。要するに、芸能人はプライバシー権(憲法13条)の保護の範囲が狭いのです。だから、芸能人はどういう形であれ、かなりのプライバシーを公表せざるを得ないわけです。それなのに、北大路氏は、「自分で巻いた渦」と言い放つのですから、向井亜紀さんは気の毒です。


代理出産の公表・裁判について、向井亜紀さんが代理出産を選択した理由についてきちんと説明することは、自己決定権を行使した理由、選択の自由を行使した理由を明らかにしたことなのですから、単に何も考えずに行動したのではなく、どういう理由であろうと考えて行動したことを意味し、社会的に価値のある行動です。

しかし、北大路氏は、「居心地が悪い」という感情論で反発し、「率直で健気で前向きな私」に嫌悪感を抱くわけです。「論理に対しては論理で答える」のがスジであり、それでこそ説得力が生じるのですが、北大路氏は「論理に対して、感情で反発する」のです。感情論を言い放つ北大路氏の言動に対しては何ら説得力が感じられません。



(5)

 「でもそれは結局のところ、あのワイドショーの涙と同じではないか。夫や子供や不妊に悩む人々といった、罪のない存在を前面に押し出すことで、自らの正義を訴える。「自己犠牲にあふれた一生懸命な私は正しい」。いや、だからそう思っているかどうかは知らないが、雰囲気はそうだ。自分に酔っているといってもいい。当然、「わかっててやったことだろう」というシンプルな批判を封じこめることはできても、空回りはますます加速する。

 向井亜紀は本当は前向きではなく、内向きだ。自分の正義ばかり見ている。だから進まない。早く気づくといいのに。」



代理出産は、向井夫妻で決定した問題ですから「夫」である高田さんの問題でもあるわけです。また、通常は、不妊夫婦であることが当然の前提ですから、向井夫妻の行動は、「不妊夫婦の1代表」として、裁判を行っているといえます。芸能人であるがゆえに、名前を公表せざるを得なかったとはいえ、名前を公表して裁判を行っているのですから、日本社会に向けて、代理出産の是非を問うているという社会的価値ある行動でもあります。

このように、代理出産は「妻」だけの問題ではなく、夫や不妊夫婦一般に関わるのに、北大路氏は、「夫や……不妊に悩む人々といった、罪のない存在を全面に押し出す」と言ってしまい、代理出産の問題をきちんと理解していないのです。

北大路氏は、代理出産問題をよく理解すべきです。もっとも、「論理に対して、感情で反発する」タイプですから、代理出産問題をよく理解することは無理かもしれません。


北大路氏は、「前向き=正義」と定義づけておきながら、向井夫妻が代理出産問題について多くの媒体や団体で意見を述べているのに、最後の最後に、「向井亜紀は本当は前向きではなく、内向きだ。自分の正義ばかり見ている」と、「前向き」と正反対の意味である「内向き」とひっくり返して見せるのです。

いきなりひっくり返して見せても、唐突過ぎて論理が不明です。もしかしたら、「自分に酔っている」から、内向きと理解したのかもしれませんが、「自分に酔っている」はずと感じたのは北大路氏の感覚にすぎませんから、感覚に基づいて「内向き」と言ってみても説得力がありません。北大路氏はもっと論理をつめて欲しいです。


「だから進まない。早く気づくといいのに」との文章は、今回の北大路氏の言動全体を象徴的に示す部分であると感じています。この文章の意味は、「早く気づく」と、進む=世の中(北大路氏)の共感を得られるという意味でしょうから、

「率直・健気・前向きな態度は止めたらどうか? 世の中に変革をもたらすような自己主張は止めたらどうか?」

というわけです。
言い換えれば、代理出産問題が女性だけの問題ではないのに、女性(向井亜紀さん)だけを目の敵にして非難し、女性の大路氏が、女性の向井さんが発言することを控えろと非難するのです。

しかし、自分と自分の家族の問題について、自己主張することは自己決定権(憲法13条)の行使の1つですから、少しもおかしなことではないのに非難するのですから、不当な非難です。

女性自ら女性の発言・行動を控えるよう批判する。まさに「女性の敵は女性」を象徴するような文章なのです。




3.北大路氏は、自分はいいたい放題言っていますが、そういう言動も表現の自由(憲法21条)の行使でありそれが憲法上保障されています。他方で、向井亜紀さんが自己の行動について表明することもまた、表現の自由として保障されているのです。

それをどうして、向井亜紀さんに対して、「早く気づけばいいのに=言うのを止めたらいいのに」と言うのでしょうか? 自己に保障された権利は他人にも保障されていることが理解できないのでしょうか? 今回の北大路氏の文章を読むと、人権というものを少しも理解していないように疑念を持たざるを得ないのです。

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2007/01/09 [Tue] 08:32:42 » E d i t
先の臨時国会での関連法成立を受けて、内閣府の外局として位置付けられてきた防衛庁が独立して、1月9日「防衛省」が発足しました。省移行に合わせ、国連平和維持活動(PKO)や国際緊急援助といった自衛隊の活動を従来の「付随的任務」から「本来任務」に格上げにして、自衛隊の海外活動が国防と並ぶ「本業」になったのです。
この報道についてコメントしたいと思います。


1.東京新聞平成19年1月9日付朝刊1面

 「きょうから防衛「省」

 1954年に発足した防衛庁が9日、昨年12月の臨時国会で成立した「省」昇格を柱とした改正防衛庁設置法など関連法4法に基づいて防衛省に移行する。これまで自衛隊法で「付随的任務」とされてきた国連平和維持活動(PKO)や周辺事態法に基づく後方地域支援などの自衛隊海外活動は、本来任務となる。

 これにより、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法制定や、集団的自衛権の行使を違憲としてきた政府解釈の見直しをめぐる議論が活発化することが予想され、省移行をきっかけに、専守防衛を掲げてきた日本の防衛政策が大きく転換する可能性がある。

 省移行に伴い、久間章生防衛庁長官が初代防衛相に就任し、これまで内閣府を通していた予算要求や閣議の開催要請を、他の閣僚と同様、直接行うことが可能となる。シビリアンコントロール(文民統制)の観点から、自衛隊の最高指揮監督権は防衛省発足後も引き続き首相に属する。

 防衛施設庁に関しては、今年9月に廃止して防衛省に統合することを柱とした組織改編の関連法案が2月に国会提出される。9日午前には防衛省で、安倍晋三首相らが出席して省移行記念式典が開かれる。」



2.防衛「省」移行に合わせ、国連平和維持活動(PKO)や国際緊急援助といった自衛隊の活動が、従来の「付随的任務」から「本来任務」に格上げとなり、自衛隊の海外活動が国防と並ぶ「本業」になったわけです。その結果、

「自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法制定や、集団的自衛権の行使を違憲としてきた政府解釈の見直しをめぐる議論が活発化することが予想され、省移行をきっかけに、専守防衛を掲げてきた日本の防衛政策が大きく転換する可能性がある。」

わけで、防衛政策に関する政府の法解釈が変わりかねないという懸念が生じているわけです。

しかし、政府が、従来の政府解釈を変えようとする意図があるとしても、その前に、自衛隊の現状をよく認識しておく必要があります。


(1) まず1つは、自衛隊は60年以上も戦争を経験しておらず、実戦経験を持つ人間など、もはや現場に一人もいないのですから、ものすごく弱い軍隊であるということです。

 「現実に、今の自衛隊は実戦経験が乏しいんですよ。仮に紛争地域への派兵をするということになったとしても、自衛隊が中心的な役割を担うという状況ではまったくない。装備がいくら近代的でも、戦ったことのない軍隊は弱いからです。憲法を変えて、ドイツ軍みたいにアフガンに派遣されたところで、実戦経験のない自衛隊が対応できると思いますか? 今の議論は、自衛隊の現状をふまえていない議論ばっかりだと思います。」(SIGHT30号「特集:君は読んだか! 自民・憲法改正案の本音」より「インタヴュー 藤原帰一(東京大学大学院教授)『国際貢献』は本当に憲法問題か?」41頁。半藤一利・戸一成「愛国者の条件」147頁も同旨)



(2) もう1つは、自衛隊の兵器は「性能面で」実戦使用に耐えられない可能性があり、「戦力なき軍隊」であるとさえいえるのです。

 「憲法が改正されて「国防軍」が創設されたら……というシュミレーションにおいて、歩兵には米軍と同じM4カービンを持たせた。

 理由は、憲法問題をさておいても、今後「日本軍」が米軍と一体化して戦場に出向く可能性があるとすると、自衛隊が目下正式装備している89式小銃では、とても任務に耐えられまい、と考えたからである。

 この銃は、引き金を引くごとに1発ずつ発射するセミ・オート、さらに、3発ずつ発射する3点バースト、そして連続して撃ちまくれるフル・オートと、3段階の発射機構を備えている。

 3点バーストは、たしかに動く標的を狙う際に有効ではあるが、こういう凝った設計をすると、機構が複雑になり、部品数が増え、故障する確率が高くなる。戦場という苛酷な環境で使用することを考えると、故障しやすい=信頼性が低いというのは、致命的な欠陥だと言っても過言ではない。

 事実、この小銃はメンテナンスが面倒だと、現場の自衛隊員からは評判が悪い。本格的な分解掃除をする場合、全ての部品を洗浄液に半日漬けて、それから組み立てる、ということまでしている。

 こうした実用的と言いかねる設計は、コスト面でも問題を生じさせている。この銃は1丁が34万7000円もするが、小銃の国際相場など5万円以下なのだ。

 さらに言えば、89式は精密な新型小銃でありながら、チャンバラをやるための銃剣を装着しているが、M4の方は、超小型の大砲とも言うべき、グレネード・ランチャーを銃身の下に取りつけている。これは口径40ミリの小柄爆弾を、300メートル先まで飛ばせる物だ。実戦において、どちらが威力を発揮するかは、考えるまでもないだろう。


 機関銃となると、もっとひどい。

 これもまず、今時の軍隊が持っているのはみんな機関銃だと思いがちだが、実は違う。

 歩兵が肩に担いで歩くのは小銃と言い、機関銃というのは、もっと大きく重い兵器だ。

 シュミレーションの中で、GPMGと呼んでいるのは、ジェネラル・パーパス・マシンガン=汎用機関銃のことである。もともとは、歩兵1名が運べるような軽機関銃と、陣地に備え付けて使う重機関銃とに分かれていたものが、技術の発達によって、1種類の機関銃で多様な任務がこなせるようになったため、こういう名称になったのだ。

 自衛隊でも、62式機関銃というのを採用していたが、これがなんと「自己崩壊」するという、世にも珍しい兵器だったのだ。

 日本人の体格・体力を考慮して、可能な限りの軽量化を図ったというのだが、その結果、各部がひどく脆(もろ)くなり、一連射すると、どの部品が外れるかが分かったものではない、というシロモノになってしまった。

 脆いからジャミングなどの不具合も多く、50発の弾丸ベルトを撃ち尽くすのは、初心者では無理なのだそうだ。どうでもよいが、機関銃を撃つのに職人芸が必要だとは、諸外国の軍人が聞いたら、なんと思うだろうか。

 ついでに、いわゆる軍隊神話の類(たぐい)だろうとは思うが、陸上自衛隊富士学校には、誰が撃ってもジャミングが起きない「夢の62式」が1丁だけあるとも聞く。アホか、と思う。

 大体、軽量化したと言っても、10・7キログラムあるのだ。11キログラムのベルギーFN社製は、信頼性も高く、世界80カ国以上で採用されたベストセラーである。軽量化に成功したとは言えぬ一方、犠牲にしたものが多すぎるのではないか。

 しかも、おそらくは世界最悪の機関銃であろう62式は、1丁200万円。世界最高と呼ばれるFN社の物は、およそ80万円である。


 軍隊において、もっとも基本的な兵器である小銃や機関銃が、こんな調子なのだから、自衛隊は間違いなく「戦力なき軍隊」だと、皮肉のひとつも言いたくなる。

*さすがに62式は見限られ、第一線から姿を消しつつあるそうです。
」( 林信吾著「反戦軍事学」(2006年、朝日新書)42~44頁


こんな装備しか持たない自衛隊を、本当に紛争のある地域に海外派遣したら、まさに死んで来いということになってしまいます。自衛隊員の命に関わるのですから、もっと真っ当な装備を渡すべきだと誰もが思うはずです。

もっとも、「おおやにき」(大屋雄裕・名古屋大学法学部助教授)さんの「2007年01月06日:ひたぶるにうら悲し。(2・完)」は違います。

 「この方、機械類は整備がかならず必要だが質の高い整備のためには製造技術・設計情報などごと自前で握っていることが望ましく(必須とまでは言えない)、兵器の場合には壊しあいをするので整備・修理の能力をどれだけ自前で抱えているかが重要だということをどうやらおわかりではないらしい。」

と述べて、林信吾氏を批判しています。どうやら、自前の兵器が、実戦で到底使い物にならない兵器であっても、自前の兵器を装備するのが当然であると言いたいようです。

しかし、到底使い物にならない兵器を持っていてなんになるのでしょうか? 飾り物でしょうか? 使い物にならない「飾り物」を持つくらいなら白旗を持った方がまだマシではないでしょうか? 「世界80カ国以上で採用されたベストセラー」という兵器もあるのに、日本だけが自前の兵器(それも使い物にならない物)にこだわるべきだと説くのですから、兵器は精神的象徴(要するに、オモチャ)にすぎないように思います。自前の兵器を備えるべきという理念を説くのは哲学(法哲学?)の先生らしいご意見ですが、哲学の先生らしい?非現実的なご意見でもあります。こういう方がいるので、自衛隊の兵器は、高額で使えない兵器のままなのでしょう。自衛隊員が可哀想でなりません。



3.日本が60年戦争をせずにきたことは誇るべきことです。日本が戦争を主体的に回避したわけではなく、「外交・安全保障においては日本の主体的な戦略が存在せず、日本の主体的な行動も皆無に等しかった」結果であるとしても(小川和久「日本の戦争力」32頁)。

しかし、60年戦争しなかった結果、指揮官を含め誰も実戦経験がなく、政治家や官僚が日本の国防を真剣に考えなかった結果、実戦に対応できない兵器を持つに至った自衛隊にとっては、可能な行動はかなり限定されてくるはずです。こういった自衛隊の現状を踏まえた上で、日本の防衛政策・防衛政策に関する政府の法解釈を考える必要があるのです。
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2007/01/07 [Sun] 16:59:39 » E d i t
asahi.com「病気腎移植、学会が統一見解策定へ 関係5学会 」(2006年12月26日07時51分)の記事では、日本移植学会の幹部が、万波医師が行った移植手術について、具体例を2点挙げて医学的妥当性を欠いていると批判していました。
この記事については、「病気腎移植問題~1月中にも「万波移植」に学会統一見解」でも紹介しましたが、そのエントリーの追記をしておきたいと思います。


1.「病気腎移植問題~1月中にも「万波移植」に学会統一見解」のエントリーでは、万波医師への批判の2点のうち、

「万波医師らが、薬物療法など内科的治療が一般的なネフローゼ症候群などの病気の腎臓を摘出して移植に使っていたことも明らかになっている。」

という批判への反論を紹介しました(コメント欄では、語学教師さんが反論を詳しく指摘しています。そちらもご覧下さい。)。では、もう1点の批判は妥当な批判なのでしょうか? その点についての反論を、追記として紹介してみたいと思います。



2.もう1点の批判とは次のような内容です。

(1)

 「この会議に出席した日本移植学会の幹部の一人は「現時点でも医学的常識から逸脱している例がいくつか見つかっている」と指摘する。がんで腎臓の摘出が必要な場合は通常、転移を防ぐために腎臓につながっている血管を縛り血流を止めてから摘出するが、万波医師らはそうした方法は取らず、移植を前提とした術式で摘出していたという。この幹部は「腎がんの治療目的での摘出ではないことは明らかで、標準的な治療とはかけ離れていると言わざるをえない」と話す。」(asahi.com「病気腎移植、学会が統一見解策定へ 関係5学会 」(2006年12月26日07時51分)


要するに、がんで腎臓摘出する場合、「転移を防ぐために腎臓につながっている血管を縛り血流を止めてから摘出する」手法を採ることが、現時点での確立した医学的常識・標準的な治療であって、これ以外の手法は到底あり得ない手法であって、腎がんの治療目的での摘出とはいえない、というわけです。

もう1つ注意すべきことは、日本移植学会の幹部は、がんで腎臓摘出する場合、「転移を防ぐために腎臓につながっている血管を縛り血流を止めてから摘出する」手法を採ることが、現時点での確立した医学的常識であるという知識を信じていることです(なお、おそらく、日本移植学会のこの幹部は、これ以外の手法は実施していないと推測できます)。


(2) しかし、がんで腎臓摘出する場合、「転移を防ぐために腎臓につながっている血管を縛り血流を止めてから摘出する」手法を採ることは、本当に、現時点での確立した医学的常識であって、これ以外の手法は到底あり得ない手法なのでしょうか? 

某泌尿器科専門医さんは、次のような反論を行っています。

 「この文中の「まず血管を縛る」というのは、40年近く前の1969年にRobson先生らによって確立された「根治的腎摘出術」の要点の一つですが、現在では必ずしも重視されていません。
 一例を挙げますと、早期の腎臓癌の治療として最近盛んに腎の部分切除術が行われるようになってきていますが、その場合、腎臓およびそれにつながる血管を周囲からきれいに剥がし、腎臓に超音波の機械を当てて癌の位置や大きさを確認し、次いで腎臓の周りにガーゼやビニールシートを敷き詰めてから、初めて血管鉗子で腎臓の血流を遮断します。この間腎臓には血液が流れているまま手術を行います。その後、腎臓の組織障害を防ぐため、腎臓を氷で一気に冷やし、十分冷えたところで部分切除を開始します。すなわち、生体腎移植の際に行う腎臓摘出術と同様に、腎臓全体が周囲組織から剥がされた後に血流が遮断されるわけです。(中略)

M.D.アンダーソン癌センターとクリーブランドクリニックという、世界でも有数の優れた医療機関から出された数百例規模の臨床データによれば、一般に腎の部分切除の適応となり得る直径4cmまでの腎臓癌に対して、根治的腎摘出術を行った場合と、腎部分切除術を行った場合の術後の転移率は、それぞれ7.1%と5.8%だったそうです。すなわち、血管を先に縛ろうが後に縛ろうが、転移の頻度は実際には変わらないと言えそうです。……」(「病気腎移植推進・瀬戸内グループ支援ネット」さんの「専門委員に対する私の疑問  2007年1月 2日(火曜日) 10:13」


要するに、血管を縛ってから摘出する手術方法(「根治的腎摘出術」の要点の1つ)は、40年前に確立していた手術方法でしたが、現在の日本の医療現場では、血液が流れているままの手術方法が盛んに行われている、特に、早期の腎臓癌の治療として最近盛んに実施している腎の部分切除術では、そういった手法が実施されている、というわけです。
そして、世界でも有数の優れた医療機関から出された数百例規模の臨床データによると、「根治的腎摘出術」と「腎部分切除術」ではガンの転移率にさほど差異がないことから、血液が流れているままの手術方法は、世界的には確認済みの確かな手術方法と認識されているというわけです。

このように、血液が流れているままの手術方法は、現在の日本の医療現場では盛んに行われており、世界的には確認済みの確かな手術方法であることからすれば、血液が流れているままの手術方法は現在の新しく確かな手術方法であり、血管を縛ってから摘出する手術方法は古い手術方法であるわけです。

そうすると、がんで腎臓摘出する場合、「転移を防ぐために腎臓につながっている血管を縛り血流を止めてから摘出する」手法を採ることは、現時点での確立した医学的常識・標準的な治療ではなく、万波医師が血液が流れているままの手術方法を採用したからといって、万波医師を批判する理由にならず、この批判は妥当ではないといえるのです。


某泌尿器科専門医さんは、

「早期腎臓癌に対して先に腎臓を剥離した後に血管を処理すると転移率が有意に上昇するといったデータが存在するのかも知れません。」

というように慎重な言い回しをしています。しかし、常識的に考えて、M.D.アンダーソン癌センターとクリーブランドクリニックという、世界でも有数の優れた医療機関から出された数百例規模の臨床データ以上のデータが存在することは非常に考え難いですから、「転移率が有意に上昇するといったデータ」はないとみるべきだと思います。



3.病気腎移植問題についての報道を読むと、批判する側(日本移植学会の幹部)は、世界的には古い医学的常識に凝り固まっているように感じられます。

(1) 「血管を縛ってから摘出する手術方法」は、40年前は確立した医学的常識であって、40年前はこれ以外の手法はあり得なかったのでしょう。だから、「血液が流れているままの手術方法」を行った、万波医師を厳しく批判するわけです。

しかし、「血管を縛ってから摘出する手術方法」は、確かな手術方法だったかもしれませんが、現在では、「血液が流れているままの手術方法」は、世界的データに基づく確かな手術方法であって、万波医師以外の医師も行っている新しい手術方法なのです。そうなると、古い医学的常識に基づいて新しい確かな手術方法を批判しても、無意味であってひどく愚かなことであると思うのです。


(2) 「血管を縛ってから摘出する手術方法」以外にも、万波医師を痛烈に批判している大島伸一・日本移植学会副理事長は、次のような批判をしています。

 「万波医師の行為については「がんの臓器の移植は禁忌中の禁忌。万波さんが米国でそういう移植を見たというのなら証拠を出すべきだ」と憤る。」(「特集宇和島 腎移植2006年12月03日(日)付 愛媛新聞:宇和島市万波医師の独善に批判 情報公開 十分な議論必須 がん臓器利用「禁忌中の禁忌」 専門医に聞く「病気の臓器移植」の是非」


しかし、

 「非常に小さな腎癌がある腎臓を部分切除後、移植していたケースが米国で2005年に報告されている。「小さな腎癌のある腎臓はドナー腎となりうるか?(Donor kidneys with small renal cell cancers: can they be transplanted?)」という論文で取り上げられている症例は、全部で14例。癌の大きさの平均は2cmで観察期間は平均69カ月、癌の再発症例は、1例も存在していなかった。研究者の考察では、「提供腎に小さな、しかも悪性度の低い腎癌が見付かった場合、体外で腎癌を切除し、移植に使用したとしてもレシピエントに癌が再発する可能性はきわめて低く、このような症例の基礎データになる」と移植に対して肯定的な意見を出している。」(「シリーズ・検証 腎不全と移植医療1 病気腎移植は医学的に議論されるべきだ」徳洲新聞 2006年(平成18年)12月4日 月曜日 No.547 1,3面より)

読売新聞では、「万波医師が病気腎移植を思いついたのは、1970年代の米国留学がきっかけだった。留学先で状態の悪い腎臓を移植する症例を見たという。確かに、米シンシナティ大などの調査によると、腎がんの腎臓から患部を取り除いての移植が、米国で14例報告されている。手術後5年間でがん発生はないというが、症例が少なく、安全とは言い切れない。」という形でこの論文を紹介している([解説]病気腎移植なぜ起きた(2006年12月7日 読売新聞))」


この批判と反論をみると、大島伸一・日本移植学会副理事長は、「がんの臓器の移植は禁忌中の禁忌。証拠を出せ、証拠を出せ」とわめくのですが、証拠はあるのであって、大島氏が知らなかっただけなのです。ここでも、日本移植学会の幹部は自己の医学的知識のなさを露呈してしまったのです。学会会員であっても、医学的知識が乏しいのであれば、学会は何のためにあるのでしょうか? 最新の医学知識を共有し合えないのあれば、学会の存在意義はないと思うのです。


(3) 古い医学的知識に凝り固まり、新しい、それも確かなデータがある手術方法を行った医師を批判し、データがあるのに知らずにデータがないと思い込んで批判するのですから、批判する側は最新の医学的知識を学習することを怠っていることを自白しているようなものです。むしろ、批判する側(日本移植学会の幹部)は、最新の医学的知識のなさを恥じるべきであり、古い医学的知識を信じきっている態度を改めるべきなのです。

最新の医学的知識のない者が日本移植学会の幹部におさまり、その幹部が最新の手術方法を行う非学会会員を批判することがまかり通っているようです。日本の医学界は、不思議な世界ですが、幹部の意見を鵜呑みして報道する日本の報道機関もまた、不思議な世界です。



4.最後に、患者の立場からすると非常に重要なことを指摘しておきます。日本移植学会の幹部は、古い医学的知識を信じきっているのですから、この幹部が属する病院では新しい治療方法・手術方法を説明してもらず、新しい治療方法・手術方法を実施する能力が著しく乏しい可能性があるということです。

要するに、日本移植学会の幹部の属する病院においては、患者の身体に関する自己決定権(憲法13条)を行使する選択の幅自体が狭まってしまうのです。具体的には、新しい手術方法が、身体に対して負担の少ない手術方法であっても、患者は選択できないことを意味します。

そうすると、自己決定権や手術後の人生を考えると、日本移植学会の幹部のいる病院に行くことは慎重であるべきと考えます。

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2007/01/05 [Fri] 08:10:14 » E d i t
東京新聞平成19年1月3日付27面「本音のコラム」欄において、精神科医の斉藤学さんが、「『作られた』問題」という表題でコラムを書いています。このコラムを紹介したいと思います。


1.東京新聞平成19年1月3日付27面「本音のコラム」欄

 「「作られた」問題―――斉藤学(さいとう さとる)

 問題というものは見いだされ、名付けられることによって問題になる。

 学校へ行かずに親の手伝いをする子が親孝行と褒められた時代に不登校問題はなかった。ドメスティック・バイオレンス(DV)しかり。DV防止法ができたのは2001年だが、その前には元文部大臣である某女史が国際会議で日本にはDV問題が全くないと発言して私たちをあきれさせた。児童虐待にしたってそれが問題として見えてきたのは最近のことだが、虐待自体は太古からあった。

 少子化問題などはおおかたの人々にとっては出来たてのホヤホヤに見えるだろうが、人口問題の専門家や女性たちの悩みの聞き手(これが私の立場)からすれば、故意に見過ごされてきた問題にすぎない。

 そう、急に始まったかに見える問題の多くは世間、具体的には官やマスコミが「故意に」見過ごすことにしてきた問題なのである。これだって「産まない女が悪い」だの「電車がすくから少子化も悪くない」だの「近代社会では少子化はあたり前」みたいなバカ論が横行している。

 ここではこれらいちいちに付き合っていられないが、最後のひとつについて言えば、これは間違えている。確かに近代社会は少子化を経験することが多いが、現代はそれを克服するための努力が功を奏しつつある時代でもあるのだ。

 いちいち他国の例を出すのは気がひけるが、合計特殊出産率が2・0に近づきつつあるフランスを見ればよい。あの国の施策の成功はひとえに「産む女」の立場にそった施策が講じられたことだ。それをさらに要約すれば、「産む女」は「婚姻した女つまり妻」でなければならないというクビキを断ち切った上で、育児する女性への経済援助を徹底したことだ。

 わが国の場合、少子化が問題視されるようになったのは、年金制度の破たんが目前に迫ったという経済的事情からだが、これにしたって私たちはその本質を知らされていない。この制度はほんの数人の厚生官僚が「彼らのためのネズミ講」であることを十分認識した上で設計したもので、そのことに気づかずにきた私たちは「愚民」そのものだ。

 逆に言えば、こうした愚民相手に問題のないところに問題を作るのは容易だ。昨年中に騒がれた事件の中には「作られた」と思われるものが幾つかあった。ホリエモンと呼ばれた青年の大げさな逮捕について、私はいまだに東京地検特捜部による既存権力へのゴマスリだと思っているし、この件に熱心だった部長の野心には興味がある。

 この件以上に重要なのは昨年秋に騒がれた高校生の履修単位不足なる事件だ。教科カリキュラムの編成についての文科省の指導要領は告示ないし事務次官通知であって法令ではない。教え子の卒業にかかわる法令違反を教育現場の人々が何年にもわたって続けるはずがない。

 そもそも指導要領の現場解釈については旭川事件(1976)以来の論争の歴史があるではないか。この時期になってなぜこれを持ち出したかを疑うべきだ。騒ぎが大きくなるにつれ元校長が次々と叙勲を辞退し、複数の現校長が自殺した。

 そのうち騒ぎは中学生たちのイジメ自殺へと移行し、ここでも現場教師たちがたたかれ続けた。担任も校長も教委も文科省官僚の監視におびえて自発的な発言ができないことを十分知りながらマスコミは教育現場を担う人々(弱者)を徹底的にたたいた。日本のマスコミというのはなぜ「おカミ」の片棒を担ぐのか。それとも官の意向にそって「問題」作りにいそしむのがマスコミの役割と居直っているのか。

 一部から左翼呼ばわりされている数紙だけでもいいから、この動きを愛国心教育(教育基本法の改定)と絡めた教育現場へのどう喝であることを指摘してほしかった。   (精神科医)」



2.幾つかの点に触れたいと思います。

(1) 少子化問題は、「人口問題の専門家や女性たちの悩みの聞き手」からすれば、ずっと前から問題視していたのです。だから、今急に少子化を問題視するほどの問題ではないのです。

しかし、「少子化が問題視されるようになったのは、年金制度の破たんが目前に迫ったという経済的事情」が原因であって、少子化対策は出産・育児を望んでいる女性のためではないのです。

もっとも、年金制度の破たんも少子化だからというわけではないのです。年金制度が「厚生官僚のためのネズミ講」ですから、ずっと前から、いずれ年金制度が破たんすることは分かっていたことなのです。年金制度の破たんが目前になってから、やっと政治家やマスコミはオタオタするのですから(政治家はオタオタしてみせているだけかもしれませんが)、厚生官僚からすれば日本の市民は本当に“愚民”と思っているかもしれません。



(2) 少子化問題が解消しつつあるフランスがどういう対策を行ったかと言うと、

『産む女』は『婚姻した女つまり妻』でなければならないというクビキを断ち切った上で、育児する女性への経済援助を徹底したこと

です。
<追記>の1(日経新聞)で引用したように、フランスで出生率を高めることができたのは、「フランスはほぼ40年間かけ、男女が平等な社会形成に尽力してきた」ことであり、大企業から零細企業までそのことを理解して実行しているわけです。女性は男性よりも出産・育児に負担がかかるのですから、婚姻女性か否かを問わず、出生・育児をしやすいように経済援助を徹底することによって、男女の平等を図ることができるわけなのです。


<追記>の2「朝日新聞」深呼吸氏は、「少子化も一つの進化の結果」であって、年金など社会を支える担い手の不足は、「その一部を、元気なシニア層や、人口増加に悩む国々からの移民に求める」ことで足りると述べています。

確かに、結婚や、出産をしたくない、と思う女性たちの意思を尊重すべきことはもちろんです。ですが、経済的に子供を産むことができない、子供が産まれないという女性が非常に増えていることも、少子化の原因なのであって、「少子化も一つの進化の結果」だと達観すべきではないのです。

また、「人口増加に悩む国々からの移民に求める」とも述べていますが、よく考えて書いたのでしょうか? 移民受け入れで日本国民を増やして年金制度を支えさせるなんて、冗談で言うのならともかく、本気で考えたのならどうかしていると思います。移民を受け入れるとしても、日本の社会状況では出産意欲が低下するのですから、日本で子供が産まれる状況にないことには変わりないのであって、移民であっても少子であることには変わらないはずなのですから。

どうやら<追記>の2「朝日新聞」深呼吸氏もまた“愚民”のようです。


読売新聞平成19年1月1日付7面では、「『どうする少子化』国会議員座談会」において、馬渕澄夫・民主党衆院議員、橋本聖子・自民党参院議員、有村治子・自民参院議員、蓮舫・民主党参院議員が少子化の原因を述べています。

馬渕議員は「結婚しない人が増えたこと」、橋本議員は「子育てはつらいと思う人が多い」、蓮舫議員は「子供を産むことが損得で考えられるようになってしまった」、有村議員は「35を過ぎたら、妊娠する確率は年齢と共にがったんがったん下がっていく。このことを知らなさすぎる」と述べています。

しかし、結婚=出産と考えるのはおかしいですし、子育てがつらいからでも損得で考えているからではなく産める経済状況にないからですし、経済状況も考えれば「早く産め」と言われても産めるわけないのです。どの議員も、少子化の原因が良く分かっていないか、あるいは、“愚民”相手にデタラメを述べているのではないかと思えるのです。



(3) “愚民”相手に「作られた」問題として幾つか挙げられています。その中で、特に問題視すべきなのは、高校生の必修科目未履修問題といじめ自殺問題です。

必修科目未履修問題は、「指導要領」は法令ではないので本当に遵守する必要があったのかという問題もあるとしても、教育現場だけでなく、教育委員会や教育委員会に関与している文科省の官僚さえも前々から知っていた問題でした。また、いじめ自殺問題は、小中高といった子供の段階では特に問題であり、陰湿化しているという特徴があるとはいえ、ずっと前から生じていた問題です。
なのに、なぜ教育基本法改正の時期に、わざわざ大々的に必修科目未履修問題やいじめ自殺問題を問題視して盛んに報道したのかということです。

その報道の仕方も、現場教師たちを手ひどく批判するものばかりでした。

 「担任も校長も教委も文科省官僚の監視におびえて自発的な発言ができないことを十分知りながらマスコミは教育現場を担う人々(弱者)を徹底的にたたいた。日本のマスコミというのはなぜ「おカミ」の片棒を担ぐのか。それとも官の意向にそって「問題」作りにいそしむのがマスコミの役割と居直っているのか。」


こんな袋叩きの状態なのに、どうして、実際に子供の教育に携わる教育現場の人たちが自由に発言できるというのでしょうか? 自民党政治家や文科省官僚は、教育現場の現実・教育の運用を知らないのに、法律(教育基本法)を変えてしまったのですが、これでは現場は混乱するばかりなのです(東京新聞平成19年1月3日付「こちら特報部」)。
 
だからこそ、この「作られた」問題は、

「愛国心教育(教育基本法の改定)と絡めた教育現場へのどう喝である」

のではないかと指摘すべきだったわけなのです。




3.“愚民”相手に「作られた」問題、本来問題視すべき問題から目を逸らそうとしている問題は、今後もあると思います。今後も注意して報道記事を読むべきだと思います。

“愚民”相手に「作られた」問題とまでは言えなくても、教育基本法改正の動向よりも、松坂選手の動向を最初に大々的に報道することもありました。このように、報道機関の報道の優先順位は、日本社会において何が重要な社会問題かどうかという観点からではないことが、度々あります。この点でも、報道記事には注意が必要だと思います。
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2007/01/01 [Mon] 11:38:44 » E d i t
新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

今年は、昨年よりも良い日々でありますよう、
心から願っています。


1.東京新聞(平成19年1月1日付)「筆洗」

 「京都の名刹(めいさつ)大徳寺大仙院の名物和尚、尾関宗園さんは豪快かつ優しい説法で知られる。「今この幸せを喜ぶこともなく/いつどこで幸せになれるか/この喜びをもとに全力で進めよう」。「今こそ出発点」と題した説法にはこうある

▼暦ができる前は春のはじめが年の出発点だった。正月は春を迎え、生命力が更新することを喜び祝う意味があったという。新年のあいさつ「迎春」は慣習を伝承している。浮き浮きして新しいことをはじめたくなるのは、正月が醸し出す気分なのか

▼今年から世代として新たな出発点に立つのは一九四七年からの三年間に生まれた団塊の世代の人たち。順次、還暦を迎える。会社から地域への「民族大移動」のはじまりを意味し、社会全体が大きく変わる契機になる

▼今年の干支(えと)、イノシシといえば猪突(ちょとつ)猛進の言葉が頭に浮かぶが、新しい時代に必要なのは猛進型ではないだろう。南アメリカの先住民に古くから伝わるハチドリの話に耳を傾けたい

▼森が燃え、動物たちはわれ先にと逃げる。ハチドリだけがくちばしで水のしずくを一滴ずつ運び、火の上に落とす。「そんなことして何になる」と笑われるハチドリだが「私は、私にできることをしているだけ」と答える。文化人類学者の辻信一さんに話を伝承した先住民は、大きな問題を前にして無力感に押しつぶされそうになる時「ハチドリを思い出して」と話したという

▼一人一人の力は小さくても無力ではない。小さな力が集まれば森の火を消すことができると信じ、一歩一歩進んでいこうと思う。」




このコラムによると、燃え盛る火によって多くの動物が逃げる中、ハチドリだけがくちばしで水のしずくを一滴ずつ運び、火の上に落とすそうです。

「一人一人の力は小さくても無力ではない。小さな力が集まれば森の火を消すことができると信じ、一歩一歩進んでいこうと思う。」


このブログで「社会問題について法律的に考えてみる」として、法律論を説いたとしてもさほどの意味はないかもしれません。ですが、少しでも多くの方が法律を知り、法的に考える切っ掛けとなり、自らの生活に良い影響を及ぼすようになればと思っています。

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