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2006/11/30 [Thu] 05:20:53 » E d i t
最近、代理出産問題についての記事・論説が多く出ています。例えば、「【正論】米本昌平 代理母は例外ケース以外禁止に (11/25 05:07)」などがありますが、読売新聞の「論点」欄における、森崇英・京大名誉教授の論説を紹介します。


1.読売新聞平成18年11月29日付15面

論点:生殖医療 法整備に現場の声 必要

 10月15日、諏訪マタニティークリニック(長野県)の根津八紘院長は、50歳代の女性が娘夫婦の受精卵を使って代理出産した事例を公表した。同院長が以前公表した、姉妹間の卵子提供による体外受精に続く今回の代理出産は、非配偶者間の生殖補助医療が議論の段階を越え、実施ルールの法整備の検討段階に入ったことを示している。

 代理出産は、医学的には実施可能であるにもかかわらず、倫理・法律面で社会的認知が得られていない生殖補助医療の典型である。代理出産について、厚生労働省案では「ヒトを生殖手段とすることになるので禁ずる」、日本産科婦人科学会も指針で「子の福祉を最優先する」としてやはり禁止している。

 しかし、筆者は「生殖の尊厳」という基本理念を提唱し、その理念の下に、代理出産など非配偶者間生殖補助医療の包括的ルールを作るのが良いし、可能だと考えている。「子が生まれること、子を産むこと自体の尊さ」というのが、生殖の尊厳の考え方である。

 厚生労働省や日本産科婦人科学会の見解は崇高ではあるが、夫婦に認められるべき「生殖の尊厳」を認めないことになり、代理出産を禁止する絶対的な根拠とはなり得ない。もし今回の事例の夫婦が実施を得る機会を奪われたとしたら、その夫婦は一生悔いるであろうし、それに対し社会は責任をとることが出来るのだろうか。

 代理出産の社会的認知度を意識調査でみると、一般国民を対象とした2003年の厚生労働省調査では「利用する」「配偶者が認めれば利用する」が合わせて41・2%に達した。一方、不妊治療中の患者を対象とした日本受精着床学会の2003年調査では、4人のうち3人までが容認し、3分の1の患者が、それしか治療法がないのなら治療を受けると回答している。不妊患者の意識とはなお開きがあるにしても、一般国民にも理解が広がっている。

 今回の事例に関しては、代理出産した女性の医学的チェックがとりわけ問題となりうる。閉経後の女性であれば、妊娠中毒症、流・早産は高率に発症するので、医学的リスクが大きい。

 当事者へのカウンセリングも重要になる。生殖医療の専門家の間では、不妊夫婦の悩みを解決するべく積極的にカウンセリングを行っており、ここ数年、専門学会の設立や専門カウンセラーの養成など急速に充実してきている。今回のような例でも、例えば極端な場合、生まれてくる子供に先天異常がある場合や両親の離婚時などの対処について、事前の話し合いがおろそかになってはならない。

 これまでこの種の生殖医療については、「社会的合意形成のため、もっと議論を」と先送りの繰り返しであった。「代理出産を支持する世論もみられる」との厚生労働大臣の発言もあって、今後本格的なルール作りが始まるであろうが、ぜひ生殖医療の現場の実態と意見を積極的に吸い上げるべきである。

 そのために、政府が独立した常設の生殖医学機構(仮称)を創設することを求めたい。関係各層から任期制で専任担当者を充てるが、患者や現場の医療従事者を必ず参加させ、政策決定過程に意見を反映させる。

 体外受精児は、今や出生児65人に1人の割合にまで達し、少子化対策としての社会医学的意味も大きくなりつつある。今回の事例を機に、夫婦間の生殖補助医療を含めて、現場主義の立場からもう1度も見直して法整備を急いでいただきたい。

森 崇英(もり たかひで) 京大名誉教授、国際体外受精学会長
徳島大、京都大両教授(産婦人科)、日本不妊学会理事長などを歴任。73歳。」



2.この論説には、良い指摘が幾つか含まれています。

(1) まず、

「「生殖の尊厳」という基本理念を提唱し、その理念の下に、代理出産など非配偶者間生殖補助医療の包括的ルールを作るのが良いし、可能だと考えている。「子が生まれること、子を産むこと自体の尊さ」というのが、生殖の尊厳の考え方である。

 厚生労働省や日本産科婦人科学会の見解は崇高ではあるが、夫婦に認められるべき「生殖の尊厳」を認めないことになり、代理出産を禁止する絶対的な根拠とはなり得ない。」

という点です。代理出産を否定すると、夫婦に認められるべき「生殖の尊厳」を認めないことになるとしているので、「生殖の尊厳」と「生殖に関する自己決定権」とは類似する考えのようにも思えます。

ですが、憲法論を知っている人なら「自己決定権」は違和感がないとしても、そうでない人たちに対しては、「自己決定権」という法律的な用語よりも、「生殖の尊厳」という一般社会的になじみやすい用語の方が、代理出産に対する抵抗感を変える切っ掛けになるかもしれません。その意味では、有用な提唱であるように思えます。


(2) もう1つは、

「今後本格的なルール作りが始まるであろうが、ぜひ生殖医療の現場の実態と意見を積極的に吸い上げるべきである。

 そのために、政府が独立した常設の生殖医学機構(仮称)を創設することを求めたい。関係各層から任期制で専任担当者を充てるが、患者や現場の医療従事者を必ず参加させ、政策決定過程に意見を反映させる。

 体外受精児は、今や出生児65人に1人の割合にまで達し、少子化対策としての社会医学的意味も大きくなりつつある。今回の事例を機に、夫婦間の生殖補助医療を含めて、現場主義の立場からもう1度も見直して法整備を急いでいただきたい。」

という点です。要するに、法整備に当たっては、生殖医療の現場の実態と声を反映してほしいということです。

不妊治療中の患者を対象とした日本受精着床学会の2003年調査では、4人のうち3人までが容認するという、現実に差し迫った状態にある不妊治療中の患者の声があり、そういった生殖医療の現場の実態と声があるのですから、それを無視して欲しくないのです。
また、代理出産を認めるとしても、医学的チェックや当事者へのカウンセリングも重要なのですから、一般の生殖医療において必要とされることと同様に、生殖医療の現場に配慮した法整備をして欲しいというわけです。

どんな問題であっても、現場の実態と声を無視した法整備をおこなった場合には、実行されなかったり、軋轢を生じたりするのですから、代理出産の場合も、生殖医療の現場の実態と声を反映してほしいということは、ごく自然な提言であると思います。



3.代理出産に関する読売新聞の立場は、明確ではなかったと思います。ですが、これから再検討を始めようとする時期において、代理出産に肯定的な主張を掲載するのですから、読売新聞と政府のスタンスとは殆ど一致していることをも考慮すると、政府の方針はこの論説に沿った意見を採用する方向であること、読売新聞もこういう方向での主張を好ましいと思っているものと推測しています。

代理出産を肯定する意見というと、新聞紙上では根津医師ばかりでしたが、根津医師以外医師の方からも、肯定的な論説が出てくるようになったのです。意識の変化を感じます。



<追記>

「朝日新聞平成18年11月30日付39面」

慶応大名誉教授の飯塚理八さん死去 女児産み分け法開発
2006年11月30日02時15分

 飯塚 理八さん(いいづか・りはち=元日本産科婦人科学会会長、慶応大名誉教授・産婦人科)は29日、呼吸不全で死去、82歳。通夜は12月4日午後6時、葬儀は5日午前11時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻登代子(とよこ)さん。

 終戦直後から人工授精を手がけてきた慶応大病院で中心的な役目を果たし、多くの子どもを送り出してきた。凍結精子による人工授精を開発。精子の分離(パーコール法)による女児産み分けも手がけ、社会的な論議を呼んだ。82年には体外受精などを研究する日本受精着床学会を発足させ、初代会長に。不妊治療推進に向けて、積極的に発言する医師としても著名だった。」


「代理出産、医大生の7割が賛成~毎日新聞11月27日付より」で、飯塚氏のコメントを取り上げた直後であるだけに、訃報に驚いています。このコメントは、生涯最後のコメントだったかもしれません。
飯塚氏は、代理出産についてもコメントをしていただけに亡くなられたことは大変残念です。ご冥福をお祈りします。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

2006/11/28 [Tue] 00:30:09 » E d i t
代理出産(代理母)問題について、代理出産を求めるか否かにつき、医大生の7割が賛成しているとの記事がありました(毎日新聞11月27日付夕刊)。この記事を紹介したいと思います。


1.「毎日新聞平成18年11月27日付夕刊2面」

 「代理出産:借り腹、医学生の7割賛成…自分の立場なら実施3割--浜松医大が調査

 夫婦の受精卵を別の女性が出産する代理出産(借り腹)について、社会的に賛成できると答えた医学生が7割もいた一方、「自分が不妊夫婦の立場なら実施する」と答えたのは3割だったことが浜松医大の産婦人科医らの調査で分かった。他の生殖補助医療(不妊治療)についても、社会的には賛成できても自分が不妊夫婦なら実施しないとする回答が目立った。

 04年4月~昨年9月に、同大医学部5年の男女174人を対象に調査した。不妊治療を学んだ医学生が「自分が不妊患者になった場合にどう考えるか」を明らかにし、不妊治療がどこまで認められるかを考える参考にすることを目的とした。

 厚生労働省の生殖補助医療部会が03年の報告書で禁止を求めた代理出産については、70%の学生が「社会的に賛成できる」と答えたが、「自分なら」との答えは33%にとどまった。同省研究班による一般の男女への03年の調査では、代理出産を一般的に認めてもよいと答えた人は46%だった。また、同部会が容認の方向を示した夫婦以外の第三者の卵子、精子、受精卵を使う不妊治療については、卵子などどれを使う治療についても「社会的に賛成できる」が50%台。「自分なら」は5~10%だった。

 研究チームの竹内欽哉助手(産婦人科)は「夫婦の遺伝子を受け継いだ子どもにこだわる思いが強く、第三者がかかわる不妊治療を望まない傾向が強いようだ」と分析している。【永山悦子】

毎日新聞 2006年11月27日 東京夕刊」




2.この調査結果は毎日新聞にってショックな結果であるはずです。以前の記事において、毎日新聞社は、代理出産を行っている根津医師に対して、独自の倫理観を優先しているとして批判していたのに( 「「異端」の2医師の「独自の道徳観」は許されないのか?~毎日新聞11月20日付の記事批判」参照)、医大生は7割も賛成していたのですから。


(1) 04年4月~昨年9月に、浜松医大医学部5年の男女174人を対象に調査したとのことですから、向井夫妻の代理出産訴訟の東京高裁決定の影響がない調査です。そうなると、2006年11月の段階では、一般人でさえ代理出産を認める割合が増えているのですから、医大生ならもっと認める割合が増えているように思えます。現在の医大生では、代理出産につき8割か9割くらいが賛成しているかもしれません。


(2) 代理出産について、04年・05年の段階で浜松医大の医大生の7割が賛成していたということは、将来の医師の立場としてそれほどの賛同がある以上、代理出産につき医学上の倫理観に反しているという評価は困難であるといえます。

それゆえ、毎日新聞は、代理出産を行った根津医師に対して、「独自の倫理観で行った」として批判していましたが、その批判は一般素人の個人的感覚によるものであったことになり、その批判は説得力を欠く結果となりました。


(3) 「代理出産については、70%の学生が「社会的に賛成できる」と答えたが、「自分なら」との答えは33%にとどまった」ということは、代理出産という選択の自由は認めるべきであり、他人の選択の自由の行使は許すべきであるとしても、自分自身が選択の自由を行使しようとする人は少ないということです。

これは、選択の自由一般を認めることと、自己が行使することとの違いが理解できていることを示しています。言い換えれば、自分は行使しなくても、多様な価値観(憲法13条)や生殖に関する自己決定権は保障されるべきであるという意識をもっているということです。


(4) この記事には、

「研究チームの竹内欽哉助手(産婦人科)は「夫婦の遺伝子を受け継いだ子どもにこだわる思いが強く、第三者がかかわる不妊治療を望まない傾向が強いようだ」と分析」

という記述があります。
この調査の分析結果としては、医大生の場合は7割というかなり高い割合で代理出産を認めているのだから、一般人以上に認める傾向にあるというのが、一番指摘すべき分析であるはずです。毎日新聞はそういった分析は削除したのでしょうか?



3.毎日新聞の記事は、出だしを

「夫婦の受精卵を別の女性が出産する代理出産(借り腹)について、社会的に賛成できると答えた医学生が7割もいた一方、「自分が不妊夫婦の立場なら実施する」と答えたのは3割だった……。他の生殖補助医療(不妊治療)についても、社会的には賛成できても自分が不妊夫婦なら実施しないとする回答が目立った。」

とし、「自分が不妊夫婦なら実施しないとする回答が目立った」と強調するため、なるべく代理出産を認めない方向に促したいようです。

しかし、医大生であれば、代理出産を実際に実施する場合、現実的にはかなり大変であることを知っているはずなので(又は知りうる立場にあるので)、自分なら実施しないかもしれないということだと思われます。
毎日新聞社が代理出産を認めないという「独自の倫理観」を有しているとしても、医大生は「毎日新聞の独自の倫理観」と同じ倫理観でもって、自分が不妊夫婦の場合に代理出産を実施しないわけではないのです。「独自の倫理観」か否かで是非を決するのではなく、現実を踏まえたうえでの具体的な検討が必要なのです。



<追記>

「動画ニュース ライブ! アーカイブページ」の「2006年10月19日どう思う?代理母出産」を見ると、慶應義塾大学医学部名誉教授・日本受精着床学会名誉会長の飯塚理八氏は、自分の名前で不妊学会において、20年前に代理出産の是非にアンケートをしたそうです。そうしたら、20年前の段階で、会員の48%が賛成し、ただ金銭が絡むと複雑になるので肉親の間で容認するとしていたそうです。この結果を、産科婦人科学会、泌尿器科学会に手紙を出したが、まったく反応がなかったそうです。


<11月30日追記>

飯塚氏のコメントは、記憶違いのようです。アンケートは20年前ではなく14年前、ホストマザー賛成も48%ではなく45%です。コメント欄(Canonさんのコメント)参照。Canonさんに感謝します。

テーマ:医療・健康 - ジャンル:ニュース

2006/11/27 [Mon] 17:32:35 » E d i t
2002年に内閣府と京都大が開いた「大学発タウンミーティング」で、内閣府が開催前に大臣への想定問答を作って、京大に「やらせ質問」を頼んでいたことが判明しました。この報道についてコメントしたいと思います。

1.まずは報道記事から。この記事について、時事通信、読売新聞、東京新聞、毎日新聞で掲載していましたが、毎日新聞は数行しか紹介していないので、ここでは3つを紹介します。

(1) 「時事通信」時事ドットコム:2006/11/25-18:30

 「2006/11/25-18:30 京大にも「やらせ」要請=教授が質問-02年のタウンミーティング

 2002年11月に京都市内で開かれた政府主催の「大学発タウンミーティング」で、内閣府が京都大学に対し、細田博之科学技術担当相(当時)への質問者の推薦を依頼した上で、3通りの「質問案」を提示していたことが25日分かった。京大は事前に質問者として同大教授を選び、質疑の冒頭で依頼通りの質問をした。

 このタウンミーティングは、地域、大学、産業の連携などがテーマで、内閣府と京大の共催で開かれた。京大は開催日の約1週間前に質問を依頼され、教授が3つの質問案から1つを選び「ベンチャー企業の創出は、日本経済の活性化のために必要であると思うが、政府としては、どのような取り組みを行っているのか」と質問した。」



(2) 「読売新聞11月25日付夕刊2面(YOMIURI ONLINE:京都」

 「京大にもやらせ質問 タウンミーティング

 2002年11月に京都市内で開かれた政府の「大学発タウンミーティング」で、内閣府が開催前に共催の京都大に対し、質疑の冒頭の質問者の推薦を依頼し、3種類の“模範質問”を提示していたことがわかった。京大側は事前に学内の教授を選んで内閣府に氏名などを伝えたうえで、この教授が会場で依頼通りの質問をしていた。

 京大によると、「ベンチャー企業の創出は日本経済の活性化のために必要であると思うが、政府としてはどのような取り組みを行っているか」との質問を選んで内閣府に事前通告。こうした質問持ちかけについて当時、内閣府は「議論を活発にするため」と説明していたという。

 さらに、参加申し込みが少なかったことから、内閣府は京大に90人分の参加者リストを要請。京大は学内関係者ら25人分の氏名などを提出したという。

 このほか、05年11月に同市内で開かれた「親子タウンミーティング」でも、京都市教委が内閣府と話し合ったうえ、小、中学生、高校生と大人計5人の質問者を確保。名前、質問の趣旨などを事前に内閣府に伝えたという。当日は、このうち4人が「京都の伝統産業を受け継ぐにはどうすれば」などと質問した。

 内閣府大臣官房タウンミーティング担当室は「現在調査中で個別の案件には答えられない」としている。

(2006年11月25日 読売新聞)

*夕刊では、「教育改革タウンミーティング以外で、質問案の事前提示などの「やらせ質問」が判明したのは初めて。」という記述があったが、「親子タウンミーティング」関係の記述はなかった。」



(3) 東京新聞11月26日付(日曜)1面

京大でも動員 内閣府依頼 想定通り教授質問

 京都市で2002年11月に内閣府と京都大が開いた「大学発タウンミーティング」で、内閣府が開催前に大臣への想定問答を作り、京大に「やらせ質問」を頼んでいたことが25日、分かった。

 京大は質問者に教授を選び内閣府に連絡。当日は教授が想定問答通りの質問をしていた。

 テーマは産学連携などで、細田博之・科学技術政策担当相(当時)や長尾真・京大学長(同)らが出席。会場から教授が「ベンチャー企業の創出と育成は日本経済の活性化にとって必要だと思うが、政府としてどのような取り組みを行っているのか」と質問した。

 京大によると02年10月25日に内閣府からの依頼で教授を決定。30日に3種類の想定問答から1つを選び内閣府に提出した。

 また内閣府は京大に「参加者数が芳しくない」と90人ほどの参加者リストを要望。京大は25人分のリストを提出したという。

 京大は「当時の担当者がいないので詳細は記録でしか分からない」と話している。」




2.1面で扱ったのは東京新聞だけでしたが、京大でも「やらせ質問」があったことは、非常に問題であって、1面で扱うだけの価値のある記事です。それは、民主主義の原点というタウンミーティングの意義を損なうだけでなく、大学自ら憲法23条(学問の自由)で保障している「大学の自治」を放棄するものだからです。

「大学の自治」は、大学での研究教育を十分に達成するために、大学の内部の組織・運営を大学の自主的な決定に委ね、外部勢力の干渉を排除することにあります(戸波「憲法」280頁)。

国が、「やらせ質問」を行う質問者を依頼し、国の依頼通りの「やらせ質問」を行うのにもかかわらず、やらせ質問者でないことを装って質問をしたのです。京大は内閣府と共催とはいえ、大学で行う集会において、国の介入のまま、言われるままに行動したのですから、外部の干渉を排除せず、京大教授が国の言われるままの質問を行い、大学内での質問という学問研究に密接な活動について、大学の自主的決定を放棄したのですから、「大学の自治」を自ら放棄したものといえます。

しかも、内閣府の依頼通りの質問であったのに、京大以外の参加者にとっては、教授自身が自ら考えた質問であると誤信したはずですから、虚偽の情報を聞かされたことになり、参加者の学問の自由(憲法23条)を害するものと評価できると思います。

大学は、社会に対して開かれた存在であるべきで、教育研究に関する社会的責任を果たす責務を負っているのですから(憲法の争点127頁)、虚偽の情報を流すことは、大学が負っている社会的責任を損なうものであるといえるでしょう。




3.この京大での「やらせ質問」の場合、幾つもの段階で中止することが可能でした。

(1)

「内閣府が開催前に共催の京都大に対し、質疑の冒頭の質問者の推薦を依頼」

した段階で、京大はなぜ協力しないと拒絶しなかったのでしょうか?

共催として発表側として協力することは当然としても、それ以上の協力、タウンミーティングは本来、自由に質問を行うものですから、質問者側まで人選することは過剰な協力というべきです。


(2) 

「3種類の“模範質問”を提示していたことがわかった。京大側は事前に学内の教授を選んで内閣府に氏名などを伝えた」

そうですが、その段階でなぜ自由であるべき質問者を伝えたのでしょうか?
タウンミーティングは本来、自由に質問を行うものですから、模範質問を提示された段階で、タウンミーティングを意義を損なうと、気づくべきでした。大学も共催である以上、質問という学問研究に関わるものであることからすれば、大学の自治の観点から、協力すべきではなかったのに、その点も気づかなかったのです。
模範的な想定問答が必要であったのなら、最初から主催者側として発表すればよかったのであって、「やらせ」想定問答をする必要はなかったのです。


(3)

「この教授が会場で依頼通りの質問をしていた」

そうですが、なぜ依頼通りではしないと国に拒絶しなかったのでしょうか?
依頼通りの質問であるのに、依頼を受けていない質問者を装ったのですから、タウンミーティングの意義を損ないます。この教授は、依頼通りの質問をすることについて抵抗がなかったでしょうか? この教授自身の学問の自由を損なう行動であるのに。


(4)問題はさらにあります。

「さらに、参加申し込みが少なかったことから、内閣府は京大に90人分の参加者リストを要請。京大は学内関係者ら25人分の氏名などを提出したという」

ということですが、25人分の同意は得たのでしょうか? 同意を得たうえで提出してないと、この参加者のプライバシー権(憲法13条)を侵害することになります。




4.京都大学は、官僚を多数輩出する東京大学と異なり、国の主張と異なる独自の主張ができる立場のはずです。しかし、内閣府の依頼のまま行動してしまいました。京都大学は、大学としての気骨を失って、腑抜けになってしまったようです。

「大学発タウンミーティング」に限らず、京都大学は色々な面で国と協力しているのでしょうから、その一貫として特に疑問を感じなかったのだと思います。しかも共催であることから、全面的な協力をしたと思えます。

しかし、学問の自由を保障され、国の権力的介入を排除する「大学の自治」を保障された大学としては、国に協力できる範囲が限られるはずなのです。しかも、タウンミーティングは民主主義の原点なのですから、法学部の存在する京都大学では「やらせ質問」を行うことへの疑問をすぐに意識すべきでした。しかし、京都大学は、「当時の担当者がいないので詳細は記録でしか分からない」と話しており、自らの行動についてなんら反省をしていないようです。



京都大学の場合ではありませんが、入学を辞退した大学に納めた授業料などの返還が認められるかどうかが争われた「学納金返還訴訟」の上告審判決が11月27日、ありました。

最高裁第二小法廷は、消費者契約法施行後の02年度入試以降に受験し、3月31日までに辞退した人たちについては、授業料などを返還するよう大学側に命じたのです。要するに、大学側がずっと行ってきた「ぼったくりを止めろ」というわけです。(京大の場合ではないとはいえ)ずっと「ぼったくり」を行ってきた大学に、大学としての社会的責任を自覚し、反省し、良識を求めるなど無理なことなのかもしれません。

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2006/11/25 [Sat] 15:19:07 » E d i t
やらせ質問や金銭の授受が問題となっている日本のタウンミーティングですが、欧米各国におけるタウンミーティングはどうなっているのでしょうか? そのことについて読売新聞11月22日付の記事がありましたので、引用したいと思います。


1.読売新聞平成18年11月22日付朝刊6面

 「タウンミーティング 各国では

 参加者の『やらせ質問』や金銭授受が問題になっている日本の政府主催のタウンミーティング。欧米各国でも『政策への民意反映』には苦労している。

◆英 論点公表 ネットで意見

 英ブレア政権は2000年、各省が新政策について国民の意見を求める手続き『協議実施規範』を定めた。同規範によると、新政策立案に際しては、国民の意見を反映させるために、原則として12週間の『協議期間』を置く。

 各省は、協議のたたき台となる文章を公表し、国民は、インターネットや書面で意見を寄せる。『公開集会』を開催する場合もある。

 日本のタウンミーティングでは、参加者が質問して閣僚が答える形なのに対して、公開集会では、政府側が新政策立案のポイントを提示し、それについて参加者が意見を述べる。公開集会で参加者の発言をあらかじめ誘導するというスキャンダルは、起きていない。

 また、英国の下院議員は、選挙区で有権者と一対一の対面方式で質問を受けつける伝統がある。金曜から週末にかけての一定の時間、有権者なら誰でも、議員と政策を議論することができる。
 (ロンドン 森千春)

◆米 兵士との対話 入念なリハ

 米国のタウンミーティングの歴史は古く、建国前の17世紀までさかのぼる。当時は住民全員参加による議会を意味した。その伝統を受け継ぎ、今も北東部ニューイングランド地方では、住民の集会で予算や条例を決めている自治体がある。州や連邦のレベルでも重要な政策の導入などに際し、住民の声を広く聞くという名目で様々な形式、規模のタウンミーティングが行われている。

 大統領が自ら主催することもあり、ブッシュ大統領は昨年、社会保障制度の改革をめぐり、全米各地で市民と対話集会を重ねた。

 米国でも、こうしたタウンミーティングで主催者による議論の誘導がしばしば論議の的になっている。特に問題にされることが多いのは、参加者の選別だ。

 例えば、大統領が昨年2月、ノースカロライナ州ローリーで行ったタウンミーティングに参加できたのは招待状を送られた住民だけだった。政権側が推進したい政策に異を唱える反対派は排除されがちで、メディアからは『誰もが参加できるタウンミーティングなどと呼ぶのはまやかし』『政策を売り込むための道具になっている』といった批判が相次いだ。

 ただ、近年のタウンミーティングで『やらせ質問』や金銭の授受までもが問題になったケースはない。といっても、米国の政権が『やらせ』と無縁なわけではない。

 昨年10月にはブッシュ大統領がイラク駐留米兵とテレビ電話で行った対話が波紋を広げた。大統領の質問に米兵が答える形式だったが、国防総省高官が入念なリハーサルを行い、米兵に回答内容を指示していたことが明らかになったからだ。大半は『この10か月でイラクの治安部隊は能力と信頼性を飛躍的に高めた』など政権に好都合なもので、過剰な演出と批判された。

 メディアをカネで動かそうとしたケースもある。昨年1月には、教育改革の目玉である『落ちこぼれを作らない法』への支持を広げるため、教育省がテレビの保守系コメンテーターに計24万ドル(約2800万円)もの報酬を払っていたことが発覚。ブッシュ大統領は『公金の不適切な使用』と認めざるをえなかった。
 (ニューヨーク 大塚隆一)

◆仏 専門家に頼り 国民と乖離も

 フランス政府は、公開討議会や世論調査などを通じて、民意を集約している。

 国際熱核融合実験炉(ITER)など、公共施設を建設する場合、仏政府は関係者を招き、約10自治体で各1回、公開討論会を開催、政策導入の参考にしている。道路建設など、地域密着の問題では、県や市町村に調査を依頼、報告書の提出を求めている。

 ただ、教育問題など、一般政策については、世論調査専門機関による調査や専門家への意見聴取などに頼っているのが現状。このため、政府と国民の乖離(かいり)も目立ってきており、政府の政策に反対する国民がしばしば、ストやデモで抗議行動を繰り広げている。
 (パリ 島崎雅夫)」



(1) 英国では、

「公開集会で参加者の発言をあらかじめ誘導するというスキャンダルは、起きていない。」

のです。背景として、「英国の下院議員は、選挙区で有権者と一対一の対面方式で質問を受けつける伝統」があり、「金曜から週末にかけての一定の時間、有権者なら誰でも、議員と政策を議論する」ことからすると、やらせ質問なんて、伝統と英国人としての「プライド」(議論もろくにできない凡庸な愚か者と思われたくない)が許さないといった感じであると思います。


(2) 米国は、長くタウンミーティングの伝統があるのですが、

「タウンミーティングで主催者による議論の誘導がしばしば論議の的になっている。特に問題にされることが多いのは、参加者の選別だ。…… ただ、近年のタウンミーティングで『やらせ質問』や金銭の授受までもが問題になったケースはない。といっても、米国の政権が『やらせ』と無縁なわけではない。…… ブッシュ大統領がイラク駐留米兵とテレビ電話で行った対話が波紋を広げた。大統領の質問に米兵が答える形式だったが、国防総省高官が入念なリハーサルを行い、米兵に回答内容を指示していたことが明らかになった」

そうです。
参加者の選別があり、対話につき過剰な演出がある点は日本と類似しています。だからといって、日本と同じと思うべきではありません。日本の場合と異なり、米国の場合、招待状という形で参加者として誰が選ばれたか明確ですし、兵士という立場上、政府側に好意的な有利ないう人物であるとはっきり分かるからです。

日本の場合と異なり、米国の場合、やらせ質問や金銭授受を行うことで議論を避けるといった内向きな意思ではなく、あくまでアピールするという積極的な意欲で行っている点も重要です。


(3) フランスの場合、

「公開討議会や世論調査などを通じて、民意を集約している。 国際熱核融合実験炉(ITER)など、公共施設を建設する場合、仏政府は関係者を招き、約10自治体で各1回、公開討論会を開催、政策導入の参考にしている。」

ことから、やらせ質問や金銭の授受はないようです。
英国人と同様に、フランス人としての「プライド」(議論もろくにできない凡庸な愚か者と思われたくない)が許さないといった感じがあるのかもしれません。




2.これに対して、日本におけるタウンミーティングを含め対話集会の実情はどうでしょうか? 東京新聞11月24付夕刊文化欄「大波小波」を引用します。

 「大波小波:やらせ集会

 政府主催のタウンミーティングの「やらせ」で、文部科学省が批判の矢面に立たされているが、関係者として言えば、この種の国民との対話集会で大小のやらせのない集会など滅多にない。

 集会を設営する現場の担当者が恐れるのは、特定の政治団体の参加者に発言の主導権を握られるケースだ。これを防ぐために、公務員や先生あるいはOBを動員して趣旨に沿う発言を言い含めておく。アンケートの答えで参加者の3分の1余の職業が公務員だったなどの集会が珍しくない。

 もうひとつの苦労は人集めだ。平日昼間、関心の薄い経済、地方行政などのテーマに住民がそう集まるものではない。気の重い下準備をするのは、国の出先機関や地方自治体の職員である。不成功なら霞が関のエリート役人からどんな報復を受けるか分からない。現場の役人が極端な意見を発言しない素性の知れた参加者の動員に力を入れるのは自然だ。

 つまるところ、国民の対話集会といっても、政府や霞が関の役人にそのようなセンスはないし、国民がディスカッションになじむ風土もない。それでも真にまともな対話をしたいと言うなら、閣僚のような責任者には一日つぶしても徹底討論するくらいの気概が求められる。そんな覚悟があるか。
 (意見発表者)」(東京新聞11月24付夕刊9面「文化欄」)

 

日本の場合、

「集会を設営する現場の担当者が恐れるのは、特定の政治団体の参加者に発言の主導権を握られるケースだ。……不成功なら霞が関のエリート役人からどんな報復を受けるか分からない。……国民の対話集会といっても、政府や霞が関の役人にそのようなセンスはないし、国民がディスカッションになじむ風土もない」

ので、この種の国民との対話集会では、やらせは常態化しているそうです。
日本の場合、特定の政治団体の参加者、すなわち批判的な側の意見を避ける意図があり、政府や霞ヶ関の役人には対話ができる能力がある人が著しく少ないという認識ですから、なるべく議論したくない、議論は避けたい、場を荒らしたくない、といったようにひたすら内向きです。

素性の知れた参加者ばかり動員するというのも、分からない人とは話ができないという内向的・消極的な態度が見て取れます。政府や霞ヶ関の役人がそういう意識であり、現場の担当者もそういう意識ですから、国際社会に向かって日本をきちんとアピールすることなんて、夢のまた夢のように感じられます。

英国人やフランス人からすれば、日本におけるタウンミーティングの報道を聞くと、日本の政府高官や霞ヶ関の官僚は議論もろくにできない凡庸な愚か者なのか、という意識をもつことになるのでしょう。今までの日本外交からすると、すでにそう思っているのでしょうが。



3.タウンミーティングは、民主主義の原点として大事な制度です。

 「town meetingは、自己統治としての民主主義の原点です。そして、town meetingがtown meetingであるためには、市民の自己統治に必要な多様かつ政治的言論が保障されねばなりません。……

 かつて、アメリカの哲学者であり教育学者でもあったアレクサンダー・マイクルジョンは、民主主義の理想をtown meetingに求め、そこにおいて言論の自由が果たす役割の重要性から、政治的言論の絶対的な保障を説きました。彼は、town meetingにおいて重要なことは、「誰」が話すことではなく、「何」が話されたかであると言います。つまり、市民が賢明な政治的決定を行うにあたって必要なすべての情報と意見が、town meetingにおいて市民の前に明らかにされ、自由で活発な討論が行われることが重要だというのです。そうでなければ、本当の自己統治とはいえないからです。town meetingの主人公は、登壇する発言者ではなく、フロアにいる聴衆です。」(「憲文録ー別冊」さんの「town meetingと「タウンミーティング」2006年11月15日


日本版「タウンミーティング」は、本来の、民主主義の原点であるtown meetingとは似て非なるものであり、その意義を損なうものなのです。日本の政府と役人は、town meetingの意義を全く理解していないといわざるを得ません。

現行憲法は、多様な価値観を保障しているので、多様な価値観を尊重すると、当然ながら異なる意見が生じることになります。そういった多様な意見を前提として民主主義が成り立っているのです。「特定の政治団体の参加者に発言の主導権を握られる」かもしれないと恐れたり、「真にまともな対話をしたいと言うなら、閣僚のような責任者には一日つぶしても徹底討論するくらいの気概」がないようでは、民主主義を尊重する国家といえません。どうも、日本国はいまだ民主主義が根付いていないように思えます。

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憲法 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2006/11/21 [Tue] 18:02:21 » E d i t
毎日新聞11月20日付夕刊において、病気腎移植を行っていた万波誠医師と、代理出産を行っていた根津八紘医師を「異端」の2医師の共通点を批判的に取り上げた記事がありました。この記事を紹介したいと思います。


1.「毎日新聞平成18年11月20付夕刊1面」

知りたい:移植・生殖医療 「異端」2医師の共通点 独自の道徳観、優先
 <2006・チャンネルYou>

 病気腎移植を重ねる愛媛県宇和島市の万波誠(まんなみまこと)医師(66)と、「祖母が孫を産む」代理出産を手掛けた長野県下諏訪町の根津八紘(ねつやひろ)医師(64)。地方を舞台に移植医療と生殖医療の最前線で働く“異端の医師”の共通点は。【大場あい、池乗有衣、永山悦子】

◇批判とリスクよそに

 「私は目の前にいる患者さんを毎日、精いっぱい診ているだけですから。日本の移植医療をどうするか、死体腎(ドナー)をどうするかなんて考えたこともない」。万波氏は18日、毎日新聞の取材に対し、こう答えた。

 万波氏は山口大を卒業後、70年から市立宇和島病院に勤務。腎移植を志して渡米後、77年に同病院で初めて腎移植を手がけた。04年に新設された宇和島徳洲会病院に移ったが、過去約30年間に執刀した移植手術は約600件に上るという。

 その間、腎移植に熱心との評判は広まり、万波氏の「カリスマ性」を高めていった。元同僚医師は手術ぶりを「経験に裏打ちされ、正確で無駄がない。病院というより万波先生が信頼のブランドだった」と振り返る。

根津氏が院長を務める「諏訪マタニティークリニック」。不妊治療で苦労する患者の最後の「頼みの綱」とも言われる。全国から1日200人近い患者が訪れ、手掛ける体外受精は年間1200~1300例に上る。

 根津氏は信州大を卒業後、医学部助手などを経て76年に開業。不妊治療に取り組み、排卵誘発剤を使った最新の治療法で妊娠した患者の喜ぶ姿に触発された。「何とかしようと続けるうち、いつの間にか不妊症の専門家になっていた」と話す。

 2人は、多くの患者に頼られている点が似ている。万波氏の元同僚医師は「堅苦しいネクタイを締めず、一般の医師と違い、接しやすい人柄。何か困った時は夜中でも病院に来る。臨床医としてあるべき姿」と話す。根津医師も患者の間で「面倒見のいい医師」として知られる。

 地方での人気が高い一方で、学会などからは「倫理より患者」という姿勢が厳しい批判を浴びている点も共通する。

 万波氏や彼を慕う医師らは「捨てられる臓器を生かす第三の移植」として、がんなど病気のため摘出された腎臓の移植手術の意義を力説するが、移植の専門医で作る日本移植学会は疑問視する。移植可能な臓器なら摘出しても人体に戻すべきだし、捨てる臓器なら移植はリスクがあるためだ。

 同学会の大島伸一副理事長は「研究的要素の強い治療は学会で是非を問うべきだが、万波氏の姿は見たことがない」と述べ、同学会に所属せず、症例もほとんど公にしない万波氏の密室性に厳しい視線を注ぐ。

 根津氏は98年に公表した、第三者提供の卵子を使う「非配偶者間体外受精」が日本産科婦人科学会の指針に反するとして除名された(04年に復帰)ほか、同学会の指針や厚生科学審議会生殖補助医療部会の報告書に反して代理出産を続けている。大西雄太郎・長野県医師会長は「一医師の道徳観だけで進める生殖医療は危険だ」と話すが、根津氏は「倫理観は時代によって変わる」と意に介さない。

 「倫理より患者」の論理を食い止める法整備は遅れたままだ。民間シンクタンク・科学技術文明研究所の島(ぬでしま)次郎主任研究員は「日本では、何か問題が表面化した時、その場限りの対策を考えるにとどまってきた。今こそ公的なルールを築くことにエネルギーをかけるべきだ」と指摘する。

毎日新聞 2006年11月20日 東京夕刊」



2.この記事では、万波氏は、過去約30年間に執刀した移植手術は約600件に上り、「経験に裏打ちされ、正確で無駄がない」という技量を誇る医師であり、他方、根津氏は、全国から1日200人近い患者が訪れ、手掛ける体外受精は年間1200~1300例に上るほど信頼されている医師であるとして、

「2人は、多くの患者に頼られている点が似ている。……地方での人気が高い一方で、学会などからは「倫理より患者」という姿勢が厳しい批判を浴びている点も共通する。」

として、公平に紹介しているようにも見えます。
しかし、毎日新聞は、「独自の道徳観を優先」とする表題を掲げて、結論として

「『倫理より患者』の論理を食い止める法整備は遅れたままだ。」

としているのですから、2医師は「独自の道徳観・倫理観」であるとしてその行動を非難しているのです。では、毎日新聞が「異端」とする、この2医師の「独自の道徳観」は許されないのでしょうか?


(1) 道徳や倫理(社会や共同体において習慣の中から生まれ、通用するようになった規範のこと)は、社会生活を円滑に営む上で必要とされることは確かでしょう。ですから、一般論として、毎日新聞の大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者が、道徳や倫理を説くこと自体はおかしなこととは思いません。

しかし、大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者は、この2医師のように「独自の道徳観」で行動することは許されないとして、「患者より倫理」を優先すべきとして道徳や倫理に基づく法規制を求めるのです。これでは、道徳や倫理を法的に強制することになってしまいますが、道徳や倫理を法的に強制することは、思想良心の自由を保障する憲法19条に違反するものとして許されないはずです。


(2) 教育基本法改正案の審議において、改正案が教育の目標として20に及ぶ徳目(道徳をあれこれの徳目として列挙すること)を掲げていることから、徳目を法的に強制することにつながり、徳目の強制は思想良心の自由を保障する憲法19条に違反するという批判がなされています。愛国心教育も、同じく心の問題を強制するのですから、やはり思想良心の自由を保障する憲法19条に違反するという批判があることは周知のことと思います。

そうすると、毎日新聞は、他の多くの新聞社と同様に、教育基本法での愛国心の強制、日の丸・君が代訴訟において、政府や東京都の対応を憲法19条違反であるとして批判しているのに、2医師に対する憲法19条違反は許されると考えるのは、論理的に矛盾しています。

大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者は、教育基本法改正案で愛国心・徳目強制も憲法上許されると考えているのでしょうか? 教育基本法改正案に対する自社の対応と矛盾することに気づかないのでしょうか? こういうところにも、新聞社が教育基本法改正案の問題点を十分に理解していない、憲法を十分に理解していないことに気づかされます。




3.この記事では、万波氏を批判する意見を幾つか載せています。

(1) しかし、どんな批判であっても、

 「透析患者を見ていて、機械につながれ生きている本当につらい生活だと感じた。長いこと透析していると仕事もままならない。へき地に住んでいると、雪など天候で来られなくなる。……

 今、日本では、ドナーからの腎提供がない状態で、患者が移植を希望しても絶望的。腎臓を得るまで十五年とも二十年ともいわれ、登録してもしょうがないと登録しない人も多い。登録している何倍もの人が移植を希望しているのが現状。」(東京新聞11月15日付朝刊「こちら特報部」:地元『現代の赤ひげ』 苦境・万波医師の評判は…

というように、絶望的な状況にあることを考えると、どれほど批判できるでしょうか?


(2) 批判の1つ目として、まず、

 「万波氏や彼を慕う医師らは「捨てられる臓器を生かす第三の移植」として、がんなど病気のため摘出された腎臓の移植手術の意義を力説するが、移植の専門医で作る日本移植学会は疑問視する。移植可能な臓器なら摘出しても人体に戻すべきだし、捨てる臓器なら移植はリスクがあるためだ。」

を挙げています。

このような移植可能な臓器なら摘出しても人体に戻すべきだという批判に対しては、

「 泌尿器科の医者をしていると、腎臓を摘出しなくてはならない患者がいる。今までは捨てていたが、使える可能性がある腎臓があることに気付いた。もちろん、修復して使える場合、元の患者に返すのが大前提。だが、がんの腎臓などで再発率がほとんどなくても家族をがんで亡くした人など、摘出してほしいと望む患者がいる。

 腫瘍(しゅよう)が四センチ以下だと再発の可能性が非常に低い。そのような場合で、摘出を強く希望する人に「使える可能性があるが、透析する人に使っていいか」と聞くと、ほとんどの人に「どうぞ」と言われた。」(東京新聞11月15日付朝刊「こちら特報部」:地元『現代の赤ひげ』 苦境・万波医師の評判は…

という反論があります。臓器を摘出される患者が十分に説明を受けた上で摘出を同意をしているのであれば、自己決定権(憲法13条)を行使した結果ですから、有効な反論であり、(同意があっても使える臓器を摘出することは好ましくないとしても)法的に非難するわけにはいかないでしょう。


(3) 次に、

「同学会の大島伸一副理事長は「研究的要素の強い治療は学会で是非を問うべきだが、万波氏の姿は見たことがない」と述べ、同学会に所属せず、症例もほとんど公にしない万波氏の密室性に厳しい視線を注ぐ。」

というように、学会で是非を問うべきで、密室的であると非難する批判に対しては、

「がんだった腎を移植した後に長期生着をした人が何人も出てきたら、学会で発表しなくてはと思っていた。病気腎の問題でこれだけ学会などから非難されているので、学会などで指針が出るまでは、やることはできない。それに、病気腎の移植はそう頻繁にない。」 (東京新聞11月15日付朝刊「こちら特報部」:地元『現代の赤ひげ』 苦境・万波医師の評判は…

との反論があります。研究発表のネタとされることは患者として苦痛であり、学会で発表しなかったからといって、密室的と批判することはためにする批判であるように思います。患者側としては、学会での発表を優先するよりも、治療を優先して欲しいと思うはずですから、患者の意見を尊重しない批判のようにも思えます。

もう1つ反論を挙げておきます。

 「「たとえがんになっても、数年でも精いっぱい生きたい」。林さんの決意に、妻は反対しなかった。

 林さんは「病気腎移植を受けるかどうかは患者の選択。医学的な検証やルール作りは必要だが、病気腎移植の可能性を閉ざさないでほしい」と訴える。

 南宇和郡の女性(48)は十四年前に姉の腎臓を移植したが拒絶反応が出て三年前から透析に戻った。シャントがうまくいかず三年で三個目。それも血管が腫れ上がり次の場所を探さなくてはならない。「透析の針を刺すところもなくなる。左手の次は右、そして足。機械に生かされながら、あと何年生きられるのだろう」

 だが、親族からの移植はもう望まないという。一度目の移植の時、臓器提供を申し出た夫の親族から強く非難された。「その人がいいと言ってもその連れ合いや親族が反対する。人間関係のどろどろが見えてしまう本当に嫌な病気」。透析で何年生きられるか不安で、親族が亡くなった時に「ドナー登録していてくれれば、と思う自分がたまらない」と声を落とす。

 結婚した娘が次のドナーを申し出るが、娘の家族のことを考えるとできない。

 「万波先生が病気腎の方が気持ちが楽と言った気持ちが分かる。親族間だから難しいということもある」」(東京新聞11月15日付朝刊「こちら特報部」:地元『現代の赤ひげ』 苦境・万波医師の評判は…


透析患者は、今の絶望的な状況を脱却したいからこそ同意するのであり、万波氏はその絶望的な現状を知っているからこそ、病気腎移植を行うのです。患者側は蜘蛛の糸にすがる思いで同意するのであり、万波氏も研究のためとか、人体実験をしたいからでもないのです。万波氏も、病気腎移植ばかりやっているのではなく、その症例は少ないのです。
追記:テレビ出演した医師のコメントによると、腎がんのあった臓器の移植はさすがに問題だが、それ以外の尿管狭窄、腎動脈瘤、良性腫瘍、ネフローゼがあった腎臓を移植しても、腎臓を受け取る患者の側は問題はなく、むしろそういう臓器を取る患者側に対して問題があるそうです。)

親族間の移植を行うと、親族関係がおかしくなってしまうような現状があることを考えると、移植すべき腎臓が足りないという現状をも合わせて考慮するならば、親族間の移植と比べれば病気腎の方が好ましいとさえいえるのです。こういった現状を無視したような万波氏批判はどれほどの説得力があるというのでしょうか?

法的には、病気腎移植を受けるかどうかは患者の選択の自由、すなわち、自己決定権(憲法13条)の問題であり、透析患者の絶望的な状況と比較すれば、病気腎移植でもよいという判断を行うことは合理的な判断といえます。
そうだとすると、病気腎移植を受ける患者に対する関係では、患者の同意は合理性のある判断であり、憲法上、万波氏の行動はまったく問題がないのです。

このように病気腎移植を行わざるを得ない実情、憲法上問題のない行動に対して、道徳や倫理で非難を加え、道徳や倫理に基づいて法的に禁止しようとすることを提言することは、妥当でないと考えます。




4.規範意識の欠如が問題となっている現代において、新聞社が道徳や倫理を説くことことで、規範意識を回復することにもつながる可能性もあるのですから、あながち不当な報道とはいえません。

しかし、報道機関の本分は、事実の報道であって、具体的な事実の積み重ねを行うことで、国民に多様な価値観を提示し、国民の室権利に奉仕する機関であるからこそ、報道の自由が憲法上、表現の自由(憲法21条)の1つとして保障されているのです(博多駅TVフィルム提出目命令事件判決:最高裁昭和44年11月26日大法廷決定)。
毎日新聞社の大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者が、万波氏や根津氏の行動を「独自の道徳観」であるとして、法的規制を求めることは、道徳観を強制することを国家に要請するものであって、国民の多様な価値観の制約を自ら要求するのですから、国民に多様な価値観を提示する報道機関として自殺行為と思えるのです。


道徳や倫理を振りかざして他人を批判することは容易いことです。道徳や倫理自体、時代や地域・国によって異なるものですから、今の日本の道徳はこういうものだと言われたら、怯まざるを得ないからです。

しかし、万波氏や根津氏は、医療契約に基づく診療義務を履行しているのであり、患者側には自己決定権に基づいてその医療行為を同意しているのです。ですから、その行為を法的に規制することを説くには、医療契約や自己決定権を規制できるほどの要素を掲げる必要があるのです。道徳や倫理といった極めて曖昧な価値観では、医療契約や自己決定権を規制できるほどの要素とはいえないのです。


毎日新聞社の大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者は、報道機関のあるべき態度を見つめなおし、万波氏や根津氏の行動に潜む憲法上の問題や医療現場の実情をよく調べたうえで記事を書いてほしいと思います。大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者は、記者として勉強不足であり、そういった記事を許可した毎日新聞社にも猛省を求めます。
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2006/11/19 [Sun] 09:11:02 » E d i t
衆議院は、11月16日午後の本会議で、教育基本法改正案の採決を行い、民主、共産、社民、国民新の野党4党欠席したという状態のまま、自民、公明の与党などの賛成多数で可決しました。17日午前の参院本会議では、教育基本法改正案について、民主、共産、社民、国民新の野党4党が欠席のまま趣旨説明と質疑が行われ、教育基本法特別委員会の設置が決まりました。

このように教育基本法改正案の成立ため、野党不在のままで審議が進んでいます。では、もしこの改正案が成立したらどうなるのでしょうか? 教育基本法の改正をめぐる委員会審議を点検した「東京新聞11月16日付」の記事を引用して検討してみたいと思います。


1.「東京新聞平成18年11月16日付朝刊2面」

 「上意下達 強まる懸念  教基法 争点を点検

 衆院教育基本法特別委員会で、与党単独で採決・可決された教育基本法改正案。前国会と合わせ、審議時間は百時間を超えた。この間、与党側が主張するように「改正案の議論は尽くされた」のか。教育の憲法とも呼ばれる教育基本法の改正をめぐる審議を点検した。 (政治部・篠ケ瀬祐司)

■愛国心 『評価せず』にも不安

 改正論議でもっとも議論が集中したのは、改正案二条に「我が国と郷土を愛する…態度を養う」と盛り込まれた「愛国心」条項。「戦前のように国家優先となり、基本的人権が制約されないか」「愛国心が評価の対象にならないか」という懸念があるからだ。

 これに対し、安倍晋三首相は「(愛する対象に)統治機構は含まない」「内面に入り込んで評価することはない」と明言。伊吹文明文部科学相は「元寇(げんこう)や黒船にどう対応したかなどを教えることで伝統と文化を尊重し、国と郷土を愛する態度を養う」と説明。愛国心の押しつけはしないことを約束した。

 それでも心配のタネは残る。国旗国歌法案の審議で、当時の野中広務官房長官が教育現場への強制を否定したが、東京都教育委員会は国旗掲揚、国歌斉唱を強く指導。前国会の審議中には、愛国心をランク付けする通知表が採用されている実態が明らかになった。

 「国会答弁が反故(ほご)にされる恐れがある」(社民党の保坂展人衆院議員)との指摘を、杞憂(きゆう)と言い切れないのはそのためだ。

■現場指導 保守層には歓迎の声

 教育の中立性の維持も焦点のひとつだ。

 改正案一六条は「教育は、不当な支配に服することなく」と現行法を踏襲しながらも「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と続く。

 審議を通じ、伊吹氏は「政令や学習指導要領は法律の一部」と説明しており、法律や政令を決める政治や行政によって恣意(しい)的な教育が行われる恐れがあるわけだ。

 文科省の田中壮一郎生涯学習政策局長も「教育委員会等の命令や指導が、不当な支配ではないことが明確になったと考えている」と答弁。言い換えれば、文科省や教育委員会を制御する法律的な裏付けがなくなるということだ。

 東京地裁は今年九月、国歌斉唱などを求めた東京都教育委員会の通達や指導は、教育基本法違反だとの判決を下した。改正案成立後は、教育委員会の指導は「不当な支配」でなくなるだろう。

 「改正で、今までの混乱が収まることを期待する」(自民党の稲田朋美衆院議員)と保守層は歓迎する一方、「教育現場での締め付けが厳しくなる」(共産党の穀田恵二国対委員長)と、上意下達強化につながることも間違いない。

■学力・規範 具体策示さないまま

 子どもの学力向上は、国民的関心事。首相も「公教育の場で高い学力と規範意識を身につける条件を整備するのが、われわれの責任」と明言。官房長官時代から「モラルや学ぶ意欲が低下したとの指摘がある。公の精神、家庭の重要性や責任を踏まえた、二十一世紀にふさわしい教育基本法をつくるのが重要だ」と訴えてきた。

 こうした「新しく付け加えるべき価値」を前文や条文内に盛り込んだ改正教育基本法が施行されれば、学力と規範意識向上にも寄与するという理屈だ。

 ただ、改正案は理念をうたった基本法。首相も改正は「ただちに未履修やいじめ問題に対処するものではない」と党首討論で答え、具体的な施策については「教育再生会議でまとめてもらいたい」というだけ。改正が山積する教育問題の解決にどうつながるかは明らかになっていない。」



2.この記事では主要な3点に絞って言及していて、教育基本法改正案に関しては2点のみ言及しています。もっとも、今国会の衆議院では、いじめや必修漏れなどの深刻な問題に追われたため、改正案そのものの審議は十分に行われませんでした。

(1) まず改正法の問題点の1つは、愛国心教育の点です。

 「■愛国心 『評価せず』にも不安

 改正論議でもっとも議論が集中したのは、改正案二条に「我が国と郷土を愛する…態度を養う」と盛り込まれた「愛国心」条項。「戦前のように国家優先となり、基本的人権が制約されないか」「愛国心が評価の対象にならないか」という懸念があるからだ。

 これに対し、安倍晋三首相は「(愛する対象に)統治機構は含まない」「内面に入り込んで評価することはない」と明言。伊吹文明文部科学相は「元寇(げんこう)や黒船にどう対応したかなどを教えることで伝統と文化を尊重し、国と郷土を愛する態度を養う」と説明。愛国心の押しつけはしないことを約束した。

 それでも心配のタネは残る。国旗国歌法案の審議で、当時の野中広務官房長官が教育現場への強制を否定したが、東京都教育委員会は国旗掲揚、国歌斉唱を強く指導。前国会の審議中には、愛国心をランク付けする通知表が採用されている実態が明らかになった。」


すでに愛国心をランク付けする通知表が存在し、当時の官房長官が「教育への強制を否定」した政府見解を述べたのに、下位にある行政機関(東京都教育委員会)が政府見解に違反して、教育現場での国家国旗を強制したのです。2003年4月10日の東京都教育委員会の定例会では、「(国旗国歌についての)政府答弁が間違っている」とまで言う委員がいて(季刊教育法138号(2003年9月号)17頁参照)、国旗国歌の強制がなされているのです。

そうなると、安倍首相や伊吹文科相が「内面に入り込んで評価することはない」とか「愛国心の押しつけ」はしない明言していても、教育基本法改正案が成立した場合は、国旗国歌の場合の行政の態度と同様に、「愛国心」は通知表での評価項目となり、熱心な愛国心教育を行うことは必至だと思われます。


奇妙に思うのは、第92回帝国議会における政府側の答弁でも、当時の文部省、今の文科省も、愛国心は教育基本法の中に入っていると説明しているのに(季刊教育法150号7頁参照)、わざわざ明文化しようというのです。

当時の文部省の説明を引用してみます。

 「教育は何よりもまず個人の尊厳を重んずることを出発点とし、真理と平和の尊重の上に、人格の完成をめざさなければならないとしたのであります。人間一人々々がもつ侵すべからざる尊厳と、人間のうちに宿る無限に発展してやまない能力、これを重んじたっとぶのであります。かくの如きはさきに述べました人間の真の自由を発揮せしめんとするものでありまして、個人の我儘勝手を許すものでは決してありませぬ。この個人の尊厳と価値の認識の上にたってそれぞれの人間の能力をできるだけ伸し、しかもそれを調和的に発展させること、これが人格の完成であります。かくて人格の完成は真に自由なる人間の形成であり、教育の究極目標と称しうるものと信ずるのであります。人格の完成ことは古くて新しい真に普遍的な教育の理念であるのであります。

 真の人格者は、他面において真の愛国者であり、よき社会人であり、立派な国際社会の成員たるものであります。すなわち自己を克服した自由人は、社会の改造と人性の改善のために献身的努力を惜しまないのであります。かかる人は単に消極的に社会の成員メンバーたるにとどまらず積極的に社会を形成して行くのであります。この形成者としていかなる資格、内容をもった者であるべきでありましょうか。教育基本法は、平和的な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民であることを要請しているのであります。」(教育基本法各条解説「教育基本法の趣旨徹底指導者講習会」における講演原稿・講師:文部省調査局長 辻田力、とき:1947年5月15日(木)、ところ:東京女子高等師範学校講堂・法律時報増刊 教育基本法改正批判199頁)


教育基本法は、個人の尊厳を重んじ、教育の普遍的理念である「人格の完成」を目指すことを掲げた法律であり、「真の人格者は、真の愛国者である」と考えていたわけです。

今の政府与党が「真の人格者は、真の愛国者である」と考えているのであれば、教育基本法通りであり、何も問題はないわけですが、違う意味だからこそ、教育基本法改正を行うわけです。そうなると、政府与党が考えている「愛国心教育」には危険性を感じざるをえません。
一水会顧問の鈴木邦男氏は、「季刊教育法」の編集部のインタビューに次のように、答えています(誰が愛国心を教えるのか――大人にこそ必要な「愛国心教育」インタビュー鈴木邦男氏(一水会顧問)に聞く・季刊教育法150号16頁)。

 「編集部: 政府案第2条では「教育の目標」として、伝統・文化の尊重、国や郷土を愛する態度などが規定されています。

鈴木: 愛国心を教えることがどれだけ危険かということをよく考えるべきだと思います。僕は40年間愛国運動をやってきて、愛国心にはいい面ももちろんあったけれど、危ない面もたくさんありました。愛国心を学校で教えるというけれど、いったい誰が教えるのか。今まで愛国心について考えたことがない先生たちに教えられるわけがないでしょう。では、愛国心の専門家を呼ぶのか。たとえば、長い間愛国運動をやっているプロの人に教えてもらうとか。でも、街宣車で演説をしている人に教えてもらったらかえって怖いですよね。だいたい愛国心、愛国者というのは自己申告制なのです。「自分には愛国心がある」「自分は愛国者」だと自分で言っているだけで、審査する基準や試験などがあるわけではない。たとえば英語や漢字と同じように愛国心の検定試験をつくって、それに受かった「一級愛国士」「二級愛国士」「三級愛国士」に教えてもらうというのでしょうか。
 
 また、愛国心は知識として知っているだけではダメで、何かあった場合、誰かのためにいのちを捧げる、国のためにいのちを捧げるといったことも考えているのでしょう。そうすると、実技や実践も必要になりますが、それをいったいどこで教えるのか。三島由紀夫の「盾の会」のように自衛隊に体験入学するとか、夏休みに一ヶ月ボランティアで右翼団体に入るとか、そういう発想も出てくるかもしれないし、かなり危険な話ですよね。

編集部: 国会の記録によると、国家や社会の発展のために大きな働きをした先人、偉人などの業績などについて進んで調べたり、それを生活に生かそうとしたりする姿勢を評価するのだと答弁しているようですね。

鈴木: つまり、学校の先生たちが愛国心を教えるというのは難しいから、歴史上の何人かの愛国者をピックアップして、その生き様を教えるということなのでしょう。そういった意味での偉人というのは誰かというと、楠木正成、児島高徳、吉田松陰などがパッと浮かびますよね。でも、三島由紀夫などは、「私は愛国心という言葉は嫌いだ」と言っているし、三島の心情は「憂国」であって「愛国」ではないのです。また、西郷隆盛は西南戦争で反乱を起こした“逆賊”とされていて靖国神社には祀られていない。それに、会津藩の白虎隊も天皇のために戦ったのだけれど、官軍に逆らった“賊軍”だと言われている。ですから、偉人や愛国者の中には入らないでしょう。

 誰が愛国者かというのは、そう簡単には決められないのです。たとえば、大逆事件で殺された幸徳秋水のような社会主義者が、もっと時代の先を読んで個人の平等や自由を考えていたのかもしれないし、あるいは、ソ連のスパイ・ゾルゲと一緒に処刑された尾崎秀実は「売国奴」と言われているけれど、何とか戦争を回避しようと思ってやったのだから、実は一番の愛国者かもしれない。時代が変わったら評価も変わるのです。そんな基準のないところで教えていいのかどうか。そうすると、教育勅語を含めて、歴代の天皇の名前を全部暗記しろとか、そういう方向にいくかもしれないですね。」



 
(2) 改正法の問題点としてもう1つは教育の中立性の点です。

 「教育の中立性の維持も焦点のひとつだ。

 改正案一六条は「教育は、不当な支配に服することなく」と現行法を踏襲しながらも「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と続く。

 審議を通じ、伊吹氏は「政令や学習指導要領は法律の一部」と説明しており、法律や政令を決める政治や行政によって恣意(しい)的な教育が行われる恐れがあるわけだ。

 文科省の田中壮一郎生涯学習政策局長も「教育委員会等の命令や指導が、不当な支配ではないことが明確になったと考えている」と答弁。言い換えれば、文科省や教育委員会を制御する法律的な裏付けがなくなるということだ。……

 「改正で、今までの混乱が収まることを期待する」(自民党の稲田朋美衆院議員)と保守層は歓迎する一方、「教育現場での締め付けが厳しくなる」(共産党の穀田恵二国対委員長)と、上意下達強化につながることも間違いない。」


教育の中立性は、現行教育基本法10条を改正するため危惧されています。

「第10条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」


要するに、現行法は、戦前教育が強い国家支配のもとに行われてきたという反省に基づき、「教育は、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきもの」であって、教育行政や政治権力も「不当な支配」を行使してはならないと規定し、教育の自主性・中立性を保障する趣旨となっています。
こういった規定の趣旨からすると、「不当な支配」を行使する可能性のある主体には、種々の社会的諸勢力だけでなく、行政権力や政治権力も含まれると解されています。学テ最高裁判決も、「教育行政機関が行う行政でも、……『不当な支配』にあたる場合がありうる」と判示しています。

ところが、教育基本法改正案では、「教育は、……この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と規定するため、「不当な支配」の行使主体から行政権力・政治権力を排除することになります。それどころか、「法律で定めさえすれば、いかなる教育支配も適法化され、教育行政による教育内容支配も法律に根拠をもつ限り、原則的に正当かつ適法」(日本教育法学会教育基本法研究特別委員会編「憲法改正の途をひらく 教育の国家統制法」145頁)となってしまいます。
そうなると、教育の自主性・中立性を保障する趣旨が失われ、国家の教育への介入がなされるとして問題視されるわけです。

もっとも、1953年教科書検定権を文部大臣に専属・恒久化、54年「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」と「教育公務員特例法」一部改正、55年「学習指導要領」に従来付されていた「(試案)」の二字が消え、官報に「告示」として公示されて、拘束力が強化される、56年「地方教育行政法」の採決(これによって教育委員会法は失効し、教育委員の公選制は任命制に変わった)、「道徳」授業導入、57年勤務評定、70年伝習館高校教師処分、1999年「国旗国歌法」成立後の強制的「指導」、20001年教育改革関連法(教員評価制度の導入、校長権限強化で「指導力不足教員」の排除を可能にする)といったように、国家による教育介入は行われてきました(子どもと教科書全国ネット21編・ちょっと待ったぁ! 教育基本法「改正」120頁)。
ですから、教育基本法10条はすでに空洞化している状態であり、それゆえ、改正法により「上意下達」となるのではなく「上意下達強化」となるというわけです。




3.今の親は、学校側や教職員に対して、ほんの些細なことでクレームをつけるようになっています。例えば、通知表を渡した日や翌日には、「納得できない」という電話があったり、学校に乗り込んでくることがあるそうです。また、中学受験のため2~3時まで勉強しているせいで学校で寝てばかりいる子どもに「体を壊したらどうにもならないぞ」と善意で注意をしたら、「受験の邪魔をするダメ教師、失格教師」と、親が学校や自宅にまで怒鳴り込んでくるそうです(サンデー毎日2006年11月26日号「悪いのは教師だけか!」162頁)。

小学校や保育園・幼稚園では、児童が帰宅した後、担任教師が毎日のように保護者宅に電話をかけて「今日学校で、お宅のお子さんが誰々さんとケンカしましたが、その後仲直りしました」といった内容の「ご報告」を繰り返している姿があちこちあるそうです。
しかも、親に対してだけ気を使うのでなく祖父母への対応も必要とされることがあります。例えば、幼稚園の運動会の場所取りで保護者(祖父母)の間にトラブルが頻発したため、苦肉の策として2メール四方のゴザを用意して、3日前に園で抽選を行って、当日は指定された番号のところに着席するという解決となったそうです(季刊教育法147号16頁)。

いまや地域住民も学校側に無茶苦茶な文句をつけてきます。例えば、残業中の教員室の明かりが校舎から見えていると、住民が「税金の無駄遣いだ」と抗議の電話をかけてくるそうで、そのため校長も過敏になって「地域の目があるから早く帰りなさい」というそうです(サンデー毎日2006年11月26日号「悪いのは教師だけか!」163頁)。

このような保護者や地域住民による無理難題要求(イチャモン)が、近年急増しているため、学校側や教職員は、常に守勢に回り、子どもとの豊かな関係づくりよりは、保護者対応への課題が第一という「過剰防衛」に時間を取られ、消耗・疲弊しつつあります。

放蕩的な姿を形容する姿として、「飲む、打つ、買う」という表現がありますが、今の教職員は、酒を「飲む」ことでもしなければやってられない(薬や胃カメラを飲む、もある)、「鬱(うつ)」病に罹っている、宝くじを「買う」のは一等が当たったら学校を辞められるから、という別の意味での「飲む、うつ、買う」と言われているほどなのです(季刊教育法147号19頁)。


消耗・疲弊しつつある学校側や教職員に対して、教育基本法改正により、「愛国心教育」を課して、さらに国家が教育に介入することで「上意下達」を強化し、より一層、学校側や教職員は報告書つくりに忙殺されることになります。そうなると、学校側や教職員は、今よりずっと忙しくなり、一層、子どもとの豊かな関係づくりはできなくなり、日本の教育状況は改善どころか悪化する可能性が高いといえるのです。こんなことでは、到底、いじめ問題は減るはずがありません。


一体、この教育基本法改正は誰のための改正なのでしょうか? なぜ安倍首相や政府与党は改正しようとするのでしょうか?

鈴木邦男氏は次のように答えています。

 「自分たちが何もしてこなかったから、何かアリバイというか、生け贄をつくりたいのでしょう。自分たちはがんばってきたのだけれど、憲法と教育基本法があったから、日本人のいい特性や精神というものが全部押さえつけられてしまった。また、それに乗っかってきた左翼の人たちが悪いということで、責任転嫁しているのでしょうね。そして、自由よりは身を守る社会、自分たちがコントロールしやすい社会という方向へ導こうとしているのではないかという気がします。」(季刊教育法150号22頁)


鈴木邦男氏に見透かされてしまっているように、「アリバイつくり」なのでしょう。安倍首相も改正は「ただちに未履修やいじめ問題に対処するものではない」と党首討論で答えているのですから。

安倍首相は、具体的な施策については「教育再生会議でまとめてもらいたい」というだけですから、教育再生に失敗した場合は、「教育再生会議」や文科省の責任となりそうですが、「左翼が邪魔をしたからだ」と言い放って、左翼の責任にするのだと思います。教育再生会議がいい案を出したとしても、今の学校側や教職員の現状が改善しなければ、実行不可能ですから、教育再生の失敗の可能性が高いので、左翼の責任にされてしまうことは必至と思われます。

しかし、安倍首相がいくら教育再生の失敗の責任を回避をしようと、教育再生の失敗で直接被害を受けるのは、ある意味「人体実験」をさせられている当の子どもたちです。そして、その子どもが大人になっていくのですから「真の人格者」と程遠い日本人がより増加することになるのでしょう。
結局は、教育基本法改正による失敗のツケは、日本国の国力低下という形で日本全体で責任を負わされてしまうのです。 

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2006/11/15 [Wed] 19:25:52 » E d i t
教育基本法改正案は、11月15日夕方、衆院同法特別委員会で野党欠席のまま原案通り可決しました。政府与党は週内に本会議でも可決し、参院に送付する構えだそうです(asahi.com:2006年11月15日17時22分)。
しかし、政府与党はどれほど真剣な思いで「教育基本法」改正案を可決したのでしょうか? この「教育基本法」を成立させた当時、文部官僚はどういう気持ちでいたのかについて、毎日新聞平成18年11月15日付朝刊の「発信箱」欄で記述がありました。このコラムを紹介し、現在の政府与党の思いと比べてみたいと思います。


1.毎日新聞平成18年11月15日付朝刊2面「発信箱」

 「発信箱:文部官僚の号泣=玉木研二

 1947年3月18日、帝国議会衆議院「教育基本法案委員会」は熱気に包まれた。委員会設置目的である教育基本法案は既に通過し、義務教育6・3制など新制度を定める学校教育法案が回ってきたのだ。

 史料によると、委員18人のほぼ全員が質疑に立ち、校舎や学用品がそろうのかとただした。敗戦の傷跡なお深く、東京では赤子の死亡率10人に1人以上と新聞が報じているころである。

 当時の文部省学校教育局長が答弁に立った。

 「戦争を放棄した日本は文化国家建設のため教育の徹底的な刷新改革が必要で、次代を担う青少年への期待はまことに大きいが、現状では子供たちに教科書も与えられない……」

 このようなことを語りながら彼はあふれる涙を落とし始め、ついに言葉を失い、声を上げて泣いた。委員らも涙にくれ、5分の間声を発する者がなかったという。

 実際、慌ただしく翌月に発足した新学制は混乱を極め、青空教室や無資格教員の中学の授業も各地で行われた。今に至る戦後の学校教育制度はこうして第一歩を踏み出したのである。

 いま国会で「教育再生」を旗印に教育基本法改正審議が進められている。何も声涙ともに下る演説をというのではないが、つい思うのだ。なぜかくも「軽い」のか。攻めるも守るも切迫した空気を欠き、語りながら子供たちの窮状に思いめぐって詰まる声もない。

 局長の「熱涙」は帝国議会衆院本会議で審議経過報告に立った委員長が特に付言して伝えた。議員の心を打ったらしい。途中2度の拍手が記録されている。(論説室)

毎日新聞 2006年11月14日 東京朝刊」



(1) このコラム中に、

 「「当時の文部省学校教育局長が答弁に立った。

 「戦争を放棄した日本は文化国家建設のため教育の徹底的な刷新改革が必要で、次代を担う青少年への期待はまことに大きいが、現状では子供たちに教科書も与えられない……」

 このようなことを語りながら彼はあふれる涙を落とし始め、ついに言葉を失い、声を上げて泣いた。委員らも涙にくれ、5分の間声を発する者がなかったという。」

という記述があります。

このエピソードを読むと、文部官僚が、この教育基本法制定に寄せた熱い想いが感じられます。「戦前の教育においては、国家に有用のもののみが真理とされ、教育が国家のために奉仕するものとされ、『皇国民の錬成』が主眼」(文科省の「教育基本法資料室」参照)とされ、無謀な戦争により国内外に膨大な犠牲者を生じさせてしまいました。「現状では子供たちに教科書も与えられない」状態であったように、何もかも失ってしまったわけです。

2度とこのような惨状を招くような戦前教育を行わないようにしようという反省をふまえて、教育基本法の制定により、公教育の根本方針を明確にし、「教育勅語」を頂点に頂く戦前の公教育を転換することを明確にすることができる……。当時の文部官僚が抱いたそのような気概が伝わるエピソードです。


(2) このような気概は文部官僚だけではありませんでした。

 「局長の「熱涙」は帝国議会衆院本会議で審議経過報告に立った委員長が特に付言して伝えた。議員の心を打ったらしい。途中2度の拍手が記録されている。」


「途中2度の拍手」があるといったように、当時の国会議員も教育基本法の重要性を感じており、文部官僚が抱いた「熱い想い」に共感したわけです。


(3) なぜこれほどの気概を持っていたのかというと、教育基本法がなぜ制定されたのか?という点と関連すると思います。

昭和21年(1946年)6月27日の衆議院の本会議において森戸辰男が、「教権を確立しても、教育勅語を根本においたままでは意味がない、欽定憲法に代わって新憲法が制定されようとしている際、教育勅語に代わる教育根本方針・教育根本法律を憲法の条文規定において確立すべきだ」と主張したわけです。
他方で、貴族院でも、8月27日の本会議で教育刷新委員会の南原繁は、「政府は、学校教育法を設けて学校教育の根本問題を規定する方針だと承知しているが、この新憲法にこそ教育全般に通じた根本方針とこれに対する国家の任務を規定する必要があった」と質したのです(季刊教育法150号(平成18年9月25日発行)37頁、子どもと教科書全国ネット21編「ちょっと待ったぁ! 教育基本法「改正」40頁~)。

このような考えは、「教育根本方針憲法条規確立論」と言われる主張です。このような考えが有力であったことから、新憲法の条文に教育根本方針を規定しないのであれば、これに代わる次善の策として、教育基本法が制定されたのです。

このような教育基本法構想誕生の事情に加えて、この教育基本法は、戦後教育にふさわしい教育根本方針をプログラム的に明らかにするために発案されたのではなく、新憲法の、とりわけ国民の権利義務との関連で法律的に意味のある教育根本事項だけを精選して取り上げたものなのです。
こういった、このような教育基本法構想誕生の事情に加えて、教育基本法の内容からして、教育基本法=教育憲法と言われているわけで、だからこそ、国会議員や文部官僚は、この教育基本法制定に「熱い想い」があったのです。




2.教育基本法を改正する政府与党は、この教育基本法改正案にどれほど「熱い想い」があるのでしょうか?

政府与党は、多くの批判がある(教育基本法「改正」の問題点って?「マガジン9条」より「第29回教育基本法改悪の問題点(その1)「マガジン9条」より「第30回教育基本法改悪の問題点(その2)参照)のに、執拗に成立させようとしているのですから、妙な「熱い想い」はあるのです。

しかし、民主党や社民党の議員が、今まさに深刻な問題である「いじめや必修科目未履修問題、タウンミーティングのやらせ問題」について審議が必要だと主張するのに対して、「少数の横暴だ」(中川秀直幹事長の14日の記者会見:朝日新聞11月15日付朝刊4面)として、採決を急ぐのです。中川幹事長は、この改正案を単なる野党との駆け引きとしか思っていないのですから、当時の文部官僚や当時の国会議員が抱いた「熱い想い」に基づいて成立した法律を全面改正することへの慎重さが微塵も感じられないのです。

政府のタウンミーティング(TM)での「やらせ質問」の有無などを調査する「タウンミーティング調査委員会」でも、委員長の林芳正内閣府副大臣は、謝礼金について「額の多寡はあるが、問題性は極めて低い」(朝日新聞11月15日付夕刊1面(asahi.com(2006年11月15日11時30分)))としか思わないのです。林芳正内閣府副大臣は、公金を使って質問者を作出することは、買収者を使って虚偽の世論を誘導させることであるのに、これをおかしいと思わないほど規範意識が欠落しているのです。
元々、このやらせ質問を作成したのは、白間竜一郎内閣官房参事官(当時文科省広報室長)なのですから、現在の官僚には「熱い想い」は皆無です。

このように今の政府与党には、当時の文部官僚や当時の国会議員が抱いた「熱い想い」はどこにもありません。



3.教育基本法改正に反対している側はどうでしょうか?

(1) 「東京新聞のHP(2006年11月14日 18時34分)」

 「政府のいじめ対応批判 被害者遺族ら声明

 いじめが原因とみられる子どもの自殺が相次いでいることについて、いじめで子どもが自殺した親や弁護士、学者ら80人は14日、「政府自身がいじめへの対応を抜本的に行おうとしていない」と批判し、「二度といじめを起こさないような教育体制をつくること」などを求めた声明を発表した。

 声明では「学力競争や管理強化によるストレスがいじめの背景にあるのに、政府は管理的、厳罰的な対応しかしていない」「教育基本法や少年法の改正で子どもたちをさらに追い込む政策は誤り」などと政府の姿勢を批判。

 その上で「被害者が救済を訴えられるような体制づくりや多様な個性が尊重される学校づくりを望む」としている。

 長男が高校在学中にいじめに遭い、親子で自殺まで考えたという高野定子さん(53)は記者会見で「自殺した子どもの気持ちを理解する努力をしてほしい」と話した。

(共同)
(2006年11月14日 18時34分)」



(2) このように、いじめで子どもが自殺した親らは、「政府自身がいじめへの対応を抜本的に行おうとしていない」と批判し、「学力競争や管理強化によるストレスがいじめの背景にあるのに、政府は管理的、厳罰的な対応しかしていない」「教育基本法や少年法の改正で子どもたちをさらに追い込む政策は誤り」などと政府の姿勢を批判しています。

文部科学省による「生徒指導上の諸問題に関する調査研究会報告書」の「暴力行為及びいじめに関する実地調査の結果について」という項目を読むと、児童生徒のストレスがいじめの要因であることを示しています。

(2)児童生徒のストレスの増加傾向

 家庭生活、学校生活での欲求が充足されない児童生徒には相当のストレスがかかっていると考えられ、その結果、自らの行動を自制する能力の低下と突発的な問題行動につながっている可能性がある。このことは、実地調査の結果からも、問題行動を起こす児童生徒の多くが、家庭でのネグレクト、学校での友達関係のトラブル、学力不振などストレスがかかるような様々な背景を抱えている傾向が見られる。」



いじめで子どもが自殺した親らにとっては、教育基本法の改正によって子どものストレスが増加し、改正によっていじめ自殺が増加しかねないとして、切迫感を持って声明を行っているのです。教育基本法改正に反対する側は、切迫した「熱い想い」があるのです。(毎日新聞のコラムはこの点では間違った判断をしています。)

政府与党は、今まさに問題となっている「いじめ問題」や「いじめ自殺」への対応を抜本的に行おうとせずに、教育基本法改正案の問題点はそのまま維持し、教育基本法改正をするだけで、後は文科省の官僚や官僚の影響下にある「教育再生会議」に任せたままです。今やるべきことが何なのか、政府与党は少しも分かっていない、おそらく、分かろうとしないのです。



4.憲法学者である成蹊大学教授・安念潤司氏は、座談会において、

「第2次大戦において日本がなぜ負けたかと言えば、頭が悪かったから負けたのです。兵隊は実に勇猛果敢に戦ったのですが、高等統師が無能を極めました。この構図は、今も少しも変わっていません。日本は、現場は実に有能・誠実ですが、エリート層はまことにお粗末です。」(ジュリスト1260号(2004年1月1-15日号)15頁)

と述べています。
いじめ自殺問題や必修科目未履修問題への解決の具体策を構築することなく、教育基本法改正案の成立を優先させるという政府与党の態度を見ていると、安念教授の言う通り、政府与党は頭が悪く、無能であり、今の官僚の考えはお粗末であるとしか言いようがありません。

真っ当な政治を期待するためには、政府与党批判はもちろん、米国の中間選挙において米市民が意思表明したのと同様に、国民は今後あらゆる選挙において、自民党・公明党以外の党の候補者に対して投票し、政権交代することこそが賢明な措置であると考えます。


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2006/11/13 [Mon] 02:24:39 » E d i t
必修科目の未履修問題については、日本では、高校全体のうち1割を占めるほどの未履修が発覚しました。では、日本以外の国ではそういった未履修問題は生じていないのでしょうか? その点について、読売新聞11月11日付において記事を掲載していました。その記事を紹介したいと思います。


1.読売新聞平成18年11月11日付朝刊9面(国際面)

必修逃れ 日本だけ?

 日本全国の高校で起きた必修科目の履修逃れ問題は、受験優先に走る教育現場の実態を浮かび上がらせた。日本と同様に厳しい受験戦争が行われている各国の現状はどうなのか。本紙の取材網を通じて調べてみた。

◆米◆

 州や自治体の権限が強い米国の高校には連邦レベルの統一的な指導要領や必修科目がない。また、大学進学をめざす高校生が受ける共通テスト(SAT=大学進学適性試験)も数学や読み書き、論理的思考力など、基礎的な能力を調べるのが狙いで、個別の科目の知識を問うものではない。このため、必修逃れ問題は起きていない。

 高校の必修科目や卒業要件は州ごとに異なる。例えば、ノースカロライナ州とカリフォルニア州で社会科の必修科目を比べると、前者は米国史1コース、世界史1コース、公民・経済1コースなのに対し、後者は米国史2コース、世界史1コースとなっている(1コースは毎日1時間の授業を1年間行うことにほぼ相当)。また、ノースカロライナは外国語2コースが必修だが、カリフォルニアでは外国語は選択科目だ。

 ただ、米国の高校もスキャンダルと無縁ではない。特に問題になっているのはカンニングと、作文やエッセーを書く際のインターネットからの文章盗用。4年前に民間団体が全米1万人の高校生を対象に行った調査では、74%が過去1年間にカンニングをしたことがあると答えた。

 生徒の成績のかさ上げなどで処分を受ける教師も相次いでいる。米国では学校間の競争にも市場原理が導入され、成績不振が続くと補助金が打ち切られたりする。「破綻(はたん)校」を切り捨てる、こうした仕組みが教師の不正の背景にある。  (ニューヨーク 大塚隆一)


◆英◆

 英国でも初等・中等教育では必修科目が決められているが、必修逃れのような不正行為は起きていない。

 その背景には、<1>日本に比べて、学校ごとの裁量権が大きく、柔軟なカリキュラム運営が許されている<2>日本の「高校卒業」に相当する資格がなく、全国試験の成績が重視される――など、事情の違いがある。

 必修科目は、教育省が制定する「全国カリキュラム」で決められている。14~16歳の3学年では、英語、数学、科学、情報コミュニケーション技術、保健体育、公民が必修。ただ、それぞれの科目の履修時間数については、教育省は「目安」を提示するだけで、各学校に委ねられている。

 個々の学校運営に大きな影響を与えているのは、7歳、11歳、14歳、16歳という節目の学年ごとに行われる全国試験だ。義務教育の最終学年(16歳)に行われる「中等教育修了試験」は、大学入試や企業の選抜資料となるため、特に重視される。大学進学を希望する生徒は、さらに、2年制の進学コースに進み、より高度な全国試験「Aレベル」も受けねばならない。

 全国試験の学校別成績は公表されるため、各学校は「英語」「数学」など試験科目の授業に力を入れる傾向がある。学校行事などで授業が行えない際には、試験科目でない保健体育などの科目にしわ寄せが行きがちだとの指摘もある。

 裁量権が大きい英国の学校だが、3年に1度、独立行政機関である教育水準局の査察を受ける。査察は、複数の担当者が2日以上かけて、授業中の教室まで入り込む厳しい方式で、「全国カリキュラム」の履行状況などを調べる。  (ロンドン 森千春)


◆仏◆

 フランスでは高校卒業後、大学に進学するには、バカロレアと呼ばれる大学入学資格試験に合格することが必要となる。原則として指定の必修科目全部に合格しなくてはならず、必修逃れはできない仕組みだ。

 高校生は1年終了後、一般、技術、職業のいずれかのコースを選択する。例えば、一般の経済・社会学コースの場合、経済・社会学、数学、歴史・地理、フランス語、哲学、生物学、第1外国語、第2外国語、スポーツの9科目が必修科目。3年生の6月末、全国一斉に行われるバカロレアのテストでは、各科目とも20点満点で10点以上を取ることが合格の条件となる。

 ただ、得点調整係数という制度があり、一部の科目で合格点に達しなくても、他の科目の得点が高ければ、得点調整して合格できる仕組みもある。現在、受験者の約8割が合格するが、不合格の場合は翌年に再度、全科目で合格することが求められる。

 バカロレアは、日本のセンター試験に近い試験だが、合格者は原則、全員が仏国内の希望する大学に入学できる。人気の高い大学では試験の点数などで入学者を選別することもあるが、例外だ。文科系科目の試験は2つのうちの1テーマを選んで論じる論述式が多く、幅広い思考能力が求められる。その一方、トップ・エリート養成を目的とした「グランド・ゼコール」と呼ばれる、大学とは別の高等教育機関があり、こちらは狭き門を目指し、受験生が激しい競争を繰り広げる。  (パリ 島崎雅夫)

◆韓◆

 韓国では、教育人的資源省が定めた教育課程に従って、小学校から高校までのカリキュラムが決められている。だが、必修科目の履修は高1で終わり、高2~3は選択科目制となる。進学希望の生徒は、最初から受験科目に合わせて科目を選べるため、高校側があえて必修逃れを行う必要が生じない仕組みと言える。

 小学校1年から高校1年までは「国民共通基本教育課程」が適用され、高1の場合、国語、道徳、社会、数学、科学、技術家庭、体育、音楽、美術、英語の10科目が必修。これに対し、高校2~3年生は「選択教育課程」が適用される。

 同過程はさらに「一般選択科目」と「深化選択科目」に分かれ、それぞれ、<1>人文社会科目群(国語、社会など)<2>科学・技術科目群(数学、科学など)<3>芸術・体育科目群<4>外国語科目群<5>教養科目群(漢文など)――の5群に区分。

 生徒は、「一般選択科目」では<1>~<4>から1科目以上、<5>から2科目以上の計24単位以上を、「深化選択科目」では112単位まで選択できることになっており、大学入学のための共通試験である「修学能力試験」の科目に合わせて選ぶのが通例だ。例えば、文系の大学では、国語、英語、社会の計3科目が出題されることが多いため、受験生は<1>と<4>から集中的に科目を選択すればよいことになる。

 一方、韓国史に当たる「国史」は2002年の高校入学生から必修ではなくなった。他の科目と区別なく選択制を実施するためだ。「歴史認識問題をめぐる日中両国の対立などを受けて、国史教育を強化するため必修に戻すべきだとの声が出ている」(教育人的資源省当局者)という。  (ソウル 平野真一)」



2.各国、といっても米国、英国、フランス、韓国だけですが、日本と異なり、必修科目の履修逃れという問題は生じていないことが分かります。日本特有の問題というわけです。

(1) 米国では、

「大学進学をめざす高校生が受ける共通テスト(SAT=大学進学適性試験)も数学や読み書き、論理的思考力など、基礎的な能力を調べるのが狙いで、個別の科目の知識を問うものではない。このため、必修逃れ問題は起きていない。」


ということです。

米国では、「高校の必修科目や卒業要件は州ごとに異なる」としても、どれほどの負担となっているのか、この記事では今一歩分からない感じですが、「全米1万人の高校生を対象に行った調査では、74%が過去1年間にカンニングをしたことがある」のですから、多数がカンニングをしてしまうほど試験自体が相当に厳しいといえます。

「学校間の競争にも市場原理が導入」されると、生徒の成績が成果となるわけですから、生徒の成績のかさ上げを図るため、不正が行われる可能性があるわけです。政府主導の「教育再生会議」では、学校への競争原理導入を主張している委員もいるようですが、不正が増えることも覚悟することになるのでしょう。


(2) 英国では、

「英国でも初等・中等教育では必修科目が決められているが、必修逃れのような不正行為は起きていない。

 その背景には、<1>日本に比べて、学校ごとの裁量権が大きく、柔軟なカリキュラム運営が許されている<2>日本の「高校卒業」に相当する資格がなく、全国試験の成績が重視される――など、事情の違いがある。」

だそうです。
学校の裁量は大きいが、科目を習得できているかどうかは、実際に習得しているか、全国試験を実施し、さらに事後的な「独立行政機関である教育水準局の査察」でチェックするする仕組みをとっているわけです。日本のように、授業時間数という形式にはこだわりがないわけですが、全国的な試験がある以上、一定時間数の授業が必要であることは確かです。


(3) フランスでは、

「フランスでは高校卒業後、大学に進学するには、バカロレアと呼ばれる大学入学資格試験に合格することが必要となる。原則として指定の必修科目全部に合格しなくてはならず、必修逃れはできない仕組みだ。」

だそうです。
必修科目全部の合格が必要という仕組み、すなわち、事後的な全国一斉の試験を行うことで、科目の習得の有無を担保しているわけです。授業時間数という形式は問われていないわけですが、全国的な試験がある以上、一定時間数が必要なことは確かです。


(4) 韓国では、

「韓国では、教育人的資源省が定めた教育課程に従って、小学校から高校までのカリキュラムが決められている。だが、必修科目の履修は高1で終わり、高2~3は選択科目制となる。進学希望の生徒は、最初から受験科目に合わせて科目を選べるため、高校側があえて必修逃れを行う必要が生じない仕組みと言える。」

だそうです。
これは、事前に、受験科目に合わせた科目を選ぶという仕組みを採用しているわけで、全国的に受験に特化したカリキュラムになっているわけです。集団カンニングがあるほど受験競争が激化している韓国ですから、こういう受験優先の勉強という仕組みを採用しているのでしょう。 ただ、受験優先のため、余計に受験競争が激化しているともいえそうです。




3.読売新聞の同日(平成18年11月11日付朝刊21面)の「教育現論」において、編集委員・勝方信一記者が、必修逃れの原因として、

 「まず、「格差」だ。今、家庭や地域の教育条件の差が子供の学力に反映しているとされる。その地域格差の認識が、地方公立高校を必修逃れに走らせた側面がある。

 次に、「市場原理」だ。成果の評価をマーケットに委ねるとなると、学習成果を判断するのは大学受験となる。進学実績がすべてという風潮がここから生まれた。だが、それは、これまで高校を支えてきた価値観が崩れたからと言うこともできる。

 そこで「規制緩和」だ。高校カリキュラムの自由化が進んでいる。学校の自主性尊重の考えからだ。それが、数少ない必修科目ですらおろそかにしてよいとの認識を生んだのではないか。学校独自の工夫のための緩和が受験特化を招いたとすれば、趣旨の取り違えも甚だしい。これに、「自分中心主義」と付け加えてもよいかもしれない。

 格差、市場原理、規制緩和、自分中心主義…。必修逃れは時代を反映しているとも言える。だが、だからといって「仕方なかった」では済まない。」

としています。
勝方信一編集委員の言い分は、他でもすでに言われていることであり、これが原因であるかもしれません。しかし、「市場原理」を導入している米国では、必修逃れは生じておらず、「規制緩和」をしている英国でも、必修逃れは生じていません。各国の状況と比較すると、「市場原理」や「規制緩和」は原因ではないように思えます。

特に、勝方信一編集委員の言い分からすると、「規制緩和」をしている英国の制度についても「自分中心主義」と罵倒することになってしまいます。英国では、必修漏れが生じていないという事実が存在するのですから、勝方信一編集委員だけの独善的な見方のように思います。「規制緩和」から生じる「自分中心主義」が原因であるとはいえないと思います。

残るのは、「格差」です。しかし、灘高校など進学校さえも未履修を行っているのですから、地域格差さえも決定的な原因ではないように思えます。(追記:日本よりずっと「格差」がある米国で、必修科目の未履修問題は生じていないのですから、「格差」が決定的な原因というのは無理があります。)

こうして各国の状況と日本を比較してみると、必修科目の未履修問題を解決するには、もっと他の原因を探してみる必要がありそうです。
原因はともかく、米国、英国、フランスでは、必修科目は全国的な試験を行い習得の有無を確認する仕組みを採用しているので、必修科目の未履修は生じようがないわけです。英国では査察さえしているのです。必修科目を設けるのであれば、全国的な試験やしっかりした査察を行うことが一案であると考えます。

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事件 *  TB: 1  *  CM: 0  * top △ 
2006/11/11 [Sat] 23:56:21 » E d i t
政府の教育改革に関するタウンミーティングで発覚した「やらせ質問」問題について、質問者を用意し、政府側の意に沿った質問をさせるやり方が明らかになりました。これは、姑息な「情報操作」といえるものですが、そればかりか、「関係者」が参加者の半数以上を占めていたことが明らかになりました。この点についてコメントしたいと思います。


1.新聞報道から。

(1) 「朝日新聞平成18年11月11日付朝刊1面」(asahi.com(2006年11月10日23時42分))

 「聴衆の半数は関係者 県職員が質問 教育ミーティング
2006年11月10日23時42分

 政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)で「やらせ質問」があった問題で、大分県教委は10日、政府の質問案に沿って発言したのは県教委の職員4人だったと発表した。また、青森県八戸市では県や市教委が集めた教員ら「関係者」が参加者の半数以上を占めていたことが明らかになった。質問の自作だけでなく、教育関係者が自ら演じ、聴衆まで身内で固めようとした実態が浮かび上がってきた。

 大分県教委によると、別府市で04年11月にあったTMの5日ほど前に、内閣府の担当者から「文科省とすり合わせて質問案を作った。発言してくれる人を調整して欲しい」と依頼され、PTA役員らをいったん推薦した。しかし、「外部の人に依頼するのは行き過ぎた行為だ」と判断し、義務教育課の男性職員4人に発言を依頼した。質問の際は「公務員」と名乗り、質問案に沿って発言していた。

 職員が発言することは内閣府に伝えていたといい、政府側も「サクラ」による質問を承知していたことになる。

 県教委の小野嘉久企画調整室長は「内閣府の要請は受けざるをえず、かといって外部の人にも頼めないと考えた末の判断だったが、結果的に参加者に誤解を与えることをし、申し訳ない」と話した。

 今年9月に開催された八戸市のTMでは、当日参加者のうち、半数以上が、教員やPTA関係者などの「関係者」だった。

 10日の衆院教育基本法特別委員会で、内閣府の山本信一郎官房長は青森県や八戸市、周辺市町村の教委職員や教員ら167人と、地元PTA関係者112人の計279人が、県や市の取りまとめで参加を申し込んだと説明。一方、インターネットやはがきで申し込んだ一般の参加者は200人の定員に対し、186人だったと述べた。

 山本氏は一般参加者について「応募者全員に参加証を送付し、抽選は実施していない」としたが、質問した保坂展人氏(社民)は「友人は5人はがきで申し込んで、4人はだめだった。279人関係者を集めたら、一般国民が入れない」と反論。塩崎官房長官は再調査する、と述べた。

 内閣府によると、当日の参加者は401人。内訳は不明だが、半数以上は「関係者」だった計算になる。

 さらに八戸市での「やらせ質問」は、文科省の広報室の担当者が書き、広報室長が了承していたことが分かった。この室長は現在、首相官邸で教育再生会議の担当参事官をしている。

 同特別委で文科省の田中壮一郎・生涯学習政策局長は「広報室の担当者が質問項目を作り、広報室長に見せて内閣府に提出した」と説明。笠井亮氏(共産)が「上司の広報室長は『まずい』と指摘しなかったのか」とたたみかけると、田中氏は「上司も『議論活性化に役立てば』と承認した」と答えた。」



(2) 「毎日新聞平成18年11月11日付朝刊1面『余禄』」

 「やらせ質問

 暴君として名高いローマ皇帝のネロは自分を歌の名手だと思っていた。「隠れた音楽は何の役にも立たぬ」と言って自ら舞台に立ったが、その声量は乏しく、しわがれ声だった(スエトニウス著「ローマ皇帝伝」岩波文庫)▲だが彼の歌はいつもみごとな調子の拍手喝采(かっさい)に包まれた。なぜならネロは騎士と平民の屈強な若者を各地から5000人以上も選び抜き、さまざまな組に分けて声援を送らせていたからだ。ローマ皇帝ともなればサクラ(偽客)の仕掛けもすごい▲一般の客もネロが歌っている間は劇場から出ることは許されず、おかげで客席で出産した婦人もいたという。そんな有り様でもネロに「神の声を聞きたい」と追従をいう者がいたそうだ。それがサクラだったかどうかはスエトニウスは書いていない▲さて政治権力が奏でる歌は、まず厳しい批判の耳目にさらされるのが民主主義である。そのためにも政府と国民が直接対話しようという場で、役所の用意したサクラが活躍していたという。あからさまな声援というより、さりげない質問で政府の歌を美しく際立たせるのが役割だった▲やらせ質問は小泉内閣時代の教育改革タウンミーティング8回のうち5回で発覚している。たとえば教育基本法改正をめぐって「家庭教育の規定に期待」「時代にふさわしい改正が必要」などという文部科学省作成の発言案がそのまま「町の声」に化け、改正の機運を盛り上げていた▲「あくまで自分の意見を言っているかたちで」との注意に従い役人の書いた文章を読み上げたサクラは各地の教育委員会が選び抜いた人々だ。真理と正義を希求し、豊かな創造性を備えた人間育成は教育基本法改正案が掲げるところだが、どこかで基本がずれていないか。

毎日新聞 2006年11月11日 0時07分」




2.政府に有利なやらせ質問ばかりか、「青森県八戸市では県や市教委が集めた教員ら「関係者」が参加者の半数以上を占めていたことが明らかになった」のですから、「タウンミーティングは自作自演のPRショー」(毎日新聞)といわざるをません。

毎日新聞の「余禄」によると、ローマ帝国の時代では、国の支配者はサクラを仕込んで声援をさせていたわけですから、政府与党はローマ帝国の伝統に従って「役所の用意したサクラ」を活躍させたわけです。

サクラの活躍ばかりか、

 「10日の衆院教育基本法特別委員会で、内閣府の山本信一郎官房長は青森県や八戸市、周辺市町村の教委職員や教員ら167人と、地元PTA関係者112人の計279人が、県や市の取りまとめで参加を申し込んだと説明。一方、インターネットやはがきで申し込んだ一般の参加者は200人の定員に対し、186人だったと述べた。

 山本氏は一般参加者について「応募者全員に参加証を送付し、抽選は実施していない」としたが、質問した保坂展人氏(社民)は「友人は5人はがきで申し込んで、4人はだめだった。279人関係者を集めたら、一般国民が入れない」と反論。」

というように、内閣府は、保坂氏の友人(教育基本法改正案反対の教育組合関係者)5人は、定員割れなのに参加証を送付しないという行動にさえ出ているのです。こんな徹底した仕込みも、ローマ帝国の伝統に沿ったものなのでしょうか?




3.タウンミーティングは、「皆様から直接意見を聞き、皆様に直接語りかけることで、様々な政策に対する国民の皆様の理解を深め、国民の皆様が政策形成に参加する機運を盛り上げる」(内閣府)ことを目的としています。

しかし、実際に政府が行ったことは、政府の方針を述べる一般傍聴者を仕込んで、情報操作をし、「国民に開かれた政策形成をしているというポーズをしただけ」(石澤靖治・学習院女子大学教授「読売新聞平成18年11月11日付朝刊15面)なのです。政府は、タウンミーティングの目的に反した行動をしたのです。


「真理と正義を希求し、豊かな創造性を備えた人間育成は教育基本法改正案が掲げるところだが、どこかで基本がずれていないか。」


真理と正義を掲げる法律案に関するタウンミーティングにおいて、やらせ質問を行い、サクラが活躍するのです。やらせ質問は、真理と正義を希求することになるのでしょうか? 関係者が参加者の半数以上も占めるというサクラを仕込むことは、真理と正義を希求することになるのでしょうか? 反対する立場の者を参加させることさえも排除するのは真理と正義を希求することになるのでしょうか? 

自ら掲げた「教育基本法改正案」と明らかに反する行動に出ておきながら、「教育基本法改正案」を成立させようとするなんて、矛盾極まりないです。政府は、自ら掲げた「教育基本法改正案」さえ理解していないのではないかと思えるのです。自ら掲げた「教育基本法改正案」さえ理解していないのに、「教育基本法改正案」を成立させようとするのは、愚かなことです。

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2006/11/10 [Fri] 18:17:57 » E d i t
教育基本法改正案について、自民党の二階俊博国対委員長は11月9日夜、15日中の採決、16日の衆院通過を提案するなど、政府与党は来週中にも改正案を成立させようとしています(asahi.com:2006年11月09日23時40分)。そこで、教育基本法改正案とはどういうものなのか、きちんと触れてみたいと思います。
朝日新聞(平成18年11月6日付)は、教育再生に関して、11月6日から夕刊で連載を始めています。その連載において、立花隆氏が、教育基本法について論じているので、その記事を紹介したいと思います。なお、立花隆氏は、東京新聞(平成18年11月10付)の「こちら特報部」の「教育基本法改正背後に潜むもの 立花隆氏に聞く」でも、コメントしています。


1.朝日新聞(平成18年11月6日付夕刊1面)の「わたしの教育再生<1>」

普遍的価値持つ基本法  改正論の裏に国家主義

 いま教育が、初等中等教育から大学まで、あまりに多くの問題を抱えているのは事実だ。

 それらの問題はひとつひとつ丹念に慎重に解決していかなければならないが、それらすべてを差し置いて、教育基本法改正問題について述べたい。

 そもそも今なぜ教育再生がこのような形で政治問題化しつつあるのか。衆院に上程されている「教育基本法改正」が「やっぱり必要だ」という空気を作りたいからとしかいいようがない。

 しかし、今の教育が抱えている諸問題はすべて教育基本法とは別の次元の問題だ。教育基本法を改めなければ解決しない問題でもなければ、教育基本法を改めれば解決する問題でもない。

 教育基本法に書かれていることは、「教育の目的」(第1条)、「教育の方針」(第2条)をはじめ、すべて極めて当たり前のことだ。急いで改正しなければならない理由はどこにもない。特に教育目的に書かれていることは、人類社会が長きにわたって普遍的価値として認めてきたことだ。

 そこにあるのは、「人格の完成」「平和国家」「真理と正義」「個人の価値」「勤労と責任の重視」「自主的精神」「心身の健康」など、誰も文句のつけようがない目的だ。

 このような普遍的価値にかかわる問題を、なぜバタバタとろくな審議もなしに急いで決めようとするのか、不可解としか言いようがない。

 政府改正案を見ても、なぜそれほど拙速にことを運ぼうとするのか、理由が見当たらない。

 考えられる理由はただひとつ、前文の書き換えだろう。

 教育基本法はなぜできたのか。制定時の文部大臣で後の最高裁長官の田中耕太郎氏は「教育基本法の理論」でこう述べている。先の戦争において、日本が「極端な国家主義と民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは、教育が国家の手段と化していたからだ。

 教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教育勅語」が日本の教育を支配していたからだ。

 教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在し、国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。

 それは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であり、自由である。現行教育基本法の中心概念である「人格主義」である。

 教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。(聞き手・中井大助)
    ◆   ◆
 安倍政権が最重要課題として掲げる「教育再生」。日本の教育には何が必要で、どう改革すべきなのか。各界の人たちに語ってもらった。


教育基本法 1947年に施行された「教育の憲法」。政府は今年、改正案を国会に提出し、民主党提出の「日本国教育基本法案」とともに衆院特別委員会で審議が続いている。政府案では、教育の目標として新たに<1>公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う<2>伝統の文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う――などの規定が盛り込まれている。


ノンフィクション作家・評論家  立花隆さん

たちばな・たかし 1940年生まれ。05年から東京大学大学院で特任教授も努める。社会・時事問題から最先端科学まで手広く手がけ、「田中角栄研究」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」など多数の著書がある。」




2.教育基本法は、法律として異例の前文が付いていますが、全11条のみという簡潔な法律です。

(1) 教育基本法の大まかな構造を示しておくと、

前文・1条・2条→戦後改革の意義と改革を主導する教育理念・目標を法定
3~6条→教育制度の制度原理としての差別禁止原則、義務教育制度、男女共学、学校の公共性と教師の身分保障を規定
7~9条→教育各分野のうち、とりわけ戦前教育で国民教化の道具とされた社会教育・政治教育・宗教教育の戦後教育における意義付けと限界を明示
10条→教育と教育行政を分離し、教育の自律性を保障するため「不当な支配」を禁止し、公選制教育委員会を構想する「直接責任」を規定
11条→教育基本法具体化のための法律制定の必要性を規定して、改めて基本法原理法としての正確を確認


こういう大まかな構造を見ても、「教育基本法に書かれていることは、「教育の目的」(第1条)、「教育の方針」(第2条)をはじめ、すべて極めて当たり前のこと」であって、改正する理由が乏しいと思えます。

(2) それなのに、なぜ政府は、未履修問題やいじめ問題に対する具体策を構築しないまま、教育基本法の改正を急ぐのでしょうか? 立花隆氏によると、

「政府改正案を見ても、なぜそれほど拙速にことを運ぼうとするのか、理由が見当たらない。
 考えられる理由はただひとつ、前文の書き換えだろう。
 ……先の戦争において、日本が「極端な国家主義と民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは、教育が国家の手段と化していたからだ。
 教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教育勅語」が日本の教育を支配していたからだ。
 教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在し、国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。
 それは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であり、自由である。……
 教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。」


要するに、政府与党の意図は、前文改正を主眼とし、戦前教育で行われていたような「教育を国家の完全な奉仕者」とすることを目論むことで、「個人の人間形成・個人の尊厳のために教育があること」を転倒させる、というわけです。
「教育を国家の完全な奉仕者」とする意図を持つ政府与党の教育基本法改正案であれば、戦前教育の反省の下に制定された教育基本法を自己否定することになってしまうことになります。


(3) では、教育基本法の前文はどのような規定でしょうか?

教育基本法
(昭和二十二年三月三十一日法律第二十五号)

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法 の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


この趣旨は、

「・ 憲法には前文があるが、法律には前文を付さないことが通例である。
・ しかし、教育基本法は、新しい教育理念を宣明する教育宣言であり、その他の教育法令の根拠法となるべき性格をもつこと、また日本国憲法と関連して教育上の基本原則を明示し、憲法の精神を徹底するとともに、教育本来の目的の達成を期して制定されたことなど、極めて重要な法律であるという認識から、本法制定の由来と目的を明らかにし、法の基調をなしている主義と理想とを宣言するために、特に前文がおかれたものである。



(2) 第2項は、本法を貫く精神、すなわち従来の教育の弊害への反省にたった新しい教育の基調を示し、その普及徹底を図ることを強調するもの。
・ 「個人の尊厳を重んじ」
これは、「個人の尊厳を重んじ(る人間の育成)」と続くのではなく、「個人の尊厳を重んじ(る基礎の上に教育を行う)」という文脈で理解するものとされている。
この規定は、戦前の教育が国家のために奉仕するものとされ、「皇国民の錬成」が主眼とされて、個人のもつ独自の侵すべからざる権威が軽視されてきたことを踏まえて、いかなる境遇や身分にあろうとも、すべての個人が、他をもって代えることが出来ない人間として有する人格の尊厳が重んじられるものであって、その基礎の上に教育がなされなければならないことを示すものである。
・ 「真理と平和を希求する人間の育成」
戦前の教育においては、国家に有用のもののみが真理とされ、真理のための真理の追求が軽視されてきた弊害があったことから、それを改め、教育本来の道に立ち返ることを意図したもの。
・ 「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化」
文化の意味や価値自体は普遍的であるが、このような普遍的価値に照らしながら形成された文化が、結果として文化形成主体の個性や属する国民性などに由来する個性を豊かにもつ文化となることを示す。



(3) 第3項は、憲法の精神を受け、新しい教育の目的の達成を目指すという、教育基本法制定の目的及び趣旨を示している。」(文部科学省の「教育基本法資料室」より)」


要するに、「前文は、簡潔に日本国憲法との一体性を明示し、個人の尊厳と平和主義を鮮明にすることによって、戦前教育への反省を示し、戦後教育の基本を定めるという法目的を規定している」のです(獨協大学・市川須美子「教育基本法の構造と裁判規範としての役割」日本教育法学会編・法律時報増刊 教育基本法改正批判71頁)。

教育基本法は、26条(教育を受ける権利)や23条(学問の自由)だけでなく、14条(法の下の平等)・24条(両性の平等)・20条(信教の自由・政教分離原則)・15条(公務員の全体の奉仕者性)・9条(戦争の放棄)といった個別規定とも密接な関連性を有しています。

憲法と一体的に構想された教育基本法は、個別の憲法条項とも内容的に密接な関連性があることから、教育基本法を改正することは、実質的な憲法改正となる、改憲の先取りであると、危惧されるわけです。それも、戦前教育に戻すおそれがあるのであれば、教育における個人の尊厳を軽視することにつながるため、政府与党案を危険視することは当然といえるのです。




<追記>

教育基本法については、毎日新聞も朝刊においてインタビュー記事を掲載しています。ご覧下さい。
「教育基本法改正を聞く:田村哲夫、渋谷教育学園渋谷中・高校長」(11月3日付東京朝刊)
「教育基本法改正を聞く:佐藤学・東京大学大学院教授」(11月4日付東京朝刊)
「教育基本法改正を聞く:行田稔彦、和光・和光鶴川小学校長」(11月5日付東京朝刊)
「教育基本法改正を聞く:佐藤学・東京大学大学院教授」(11月7日付大阪朝刊)
「教育基本法改正を聞く:八木秀次・高崎経済大教授」(11月7日付東京朝刊)
「教育基本法改正を聞く:広木克行・神戸大教授」(11月10日付東京朝刊)

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2006/11/09 [Thu] 23:33:31 » E d i t
安倍晋三首相と小沢一郎民主党代表は、11月8日、党首討論を行いました。特に憲法9条に関する憲法改正、日本の核保有議論の是非、未履修問題を含む教育基本法改正をめぐって論戦を交わしました。両氏の対決は10月18日以来、2度目となります。この点に触れた社説を紹介したいと思います。


1.東京新聞平成18年11月9日付社説

核武装論議 首相の答弁はおかしい 

 安倍晋三首相と小沢一郎・民主党代表による二回目の党首討論。首相は非核三原則の堅持を言いながら、なぜ、与党首脳らの核発言を許すのかが議題になった。首相の答弁は、おかしなものだった。

 先月の初顔合わせよりずっと分かりやすい論戦だった。テーマは憲法九条、「核武装」、教育基本法改正の三つ。小沢氏の淡々とした口調と首相の早口が対照的だった。首相答弁は説得力や迫力に欠けた。安全運転にせよ、首相はもっと言葉を磨かないといけない。

 注目されたのは「核武装」論議。小沢氏は「非核三原則を堅持するといいながら、内閣の一員や与党の政策責任者が核武装の論議くらいはしたっていいという話を度々やると、非核三原則を守るという言葉が国民にも国際社会にも素直に受け入れられなくなる」と持ちかけた。

 首相の反論は「議論をまったくできないということになれば、北朝鮮の核実験を受けて、(日米政府で)同盟による抑止力は揺るぎないものだ、という議論もできなくなる」というものだった。

 首相の発言には、飛躍とすり替えがある。「核は保有しない」「三原則を守る」と言いながら、核の議論を容認する分かりにくさが問題なのだ。小沢氏は核武装が「政治的、軍事的にも日本にプラスでない。唯一の被爆国として慎重な発言を」とたしなめた。

 騒ぎの当事者である中川昭一・自民党政調会長は当面、核武装論議に関する発言を慎む考えを示したようだ。当然だ。次は首相の番である。

 小沢氏は、首相が英紙などのインタビューに「憲法九条は時代にそぐわない」と述べたと伝えられたことをめぐって、真意を問うた。首相は憲法尊重義務を理由に多くを語らなかった。改憲を政治日程にのせると言いながら、肝心の点に国会の場で言葉を濁すのなら、そもそも外国の報道機関に軽々に語るべきでない。

 いじめ自殺や高校必修漏れ問題に関連して小沢氏は、制度に踏み込まなければ解決できないとして、教育基本法改正の政府案を出し直すよう求めた。審議引き延ばしを狙う民主党の思惑を差し引いても、同調する国民は少なくないのではないか。

 首相は、そうした問題に対応するのに必要な理念、原則が政府案に書き込んである、と反論した。防衛庁の省昇格問題と同様に、さらに論戦を深めてもらいたい。

 この二回戦は小沢氏の優位が目立った。進行中の対決型県知事選に影響が出るかもしれない。次は首相の分かりやすい主張を期待する。」




2.幾つかのポイントについて触れたいと思います。

(1) 

「首相の反論は「議論をまったくできないということになれば、北朝鮮の核実験を受けて、(日米政府で)同盟による抑止力は揺るぎないものだ、という議論もできなくなる」というものだった。

 騒ぎの当事者である中川昭一・自民党政調会長は当面、核武装論議に関する発言を慎む考えを示したようだ。当然だ。次は首相の番である。」


党首討論の前から、米中間選挙において民主党が優位にあることは、報道済みでした。そして、予想通り、民主党勝利の結果となり、そればかりか民主党は上・下両院で多数を占める結果にまでなったのです。そうなると、「ブッシュ政権のイラクや北朝鮮への強硬姿勢への批判が共和党の後退につながったため、……ブッシュ政権に米朝対話を求める圧力が高まる」(東京新聞11月9日付2面)という評価があるように、米国の対北朝鮮政策は変更せざるを得なくなりました。すなわち、米国による武力侵攻、単独行動といった強攻策はできなくなったのです。
だからこそ、本音では核武装をしたい中川昭一政調会長でさえ、中間選挙を気にして、中間選挙の結果が出る前から、核保有論議を沈黙したのです。

なのに、安倍首相は、まだ、閣僚や与党幹部という政府の方針に影響を与える立場の者による「核保有論議」をしていいというのです。日本だけが米国の北朝鮮政策と無関係に突出した行動をとる結果につながりますが、そんなことは不可能でしょう。中間選挙の影響が分からない安倍首相は、外交を職務とする内閣(憲法73条2号)の首長としての能力を欠如しているように思います。



(2) 

「首相の発言には、飛躍とすり替えがある。「核は保有しない」「三原則を守る」と言いながら、核の議論を容認する分かりにくさが問題なのだ。小沢氏は核武装が「政治的、軍事的にも日本にプラスでない。唯一の被爆国として慎重な発言を」とたしなめた。」


この批判も妥当と思います。 非核三原則を守る、核武装しないことを決定しているのであれば、核保有をしないと結論を述べ、淡々とその理由を挙げるだけでいいのです(自民党の石破議員がその趣旨の発言をしていました)。

賛否が分かれるからこそ議論・争点になるわけであって、政府内部では核保有・核武装を否定することが確定しているのですから、議論・争点にならないはずです。正確には、過去(=政府が三原則を採用する以前)においては議論・争点であったが、現在では(政府の立場では)議論・争点でないということでしょう。

小沢一郎民主党代表は、閣僚が核保有議論をすることを慎めと述べているのに、安倍首相は理解力が不足しているといえますし、安倍首相が「飛躍とすり替え」を行ったことで、安倍首相は論理的思考が乏しい人であるという証明になりました。


なお、麻生外相の一連の発言は、野党の質問に対して「国民の間で議論はあってよい。そういった議論を封殺するのはいかがなものか」と述べているのであって、閣僚や政府与党幹部の核保有議論を認めたものではないのです。中川自民党政調会長が、政府幹部の立場で、核保有論議の必要性を繰り返し述べているのとは異なるのです。

しかし、安倍首相の発言からすると、麻生外相の発言と異なり、閣僚の核保有議論を容認したことになります。麻生外相は、安倍首相の発言に呆れているのではないでしょうか?



(3) 

 「小沢氏は、首相が英紙などのインタビューに「憲法九条は時代にそぐわない」と述べたと伝えられたことをめぐって、真意を問うた。首相は憲法尊重義務を理由に多くを語らなかった。改憲を政治日程にのせると言いながら、肝心の点に国会の場で言葉を濁すのなら、そもそも外国の報道機関に軽々に語るべきでない。」

安倍首相の態度からすると、英米メディアに対して話すときには憲法尊重擁護義務(憲法99条)を遵守する必要はなく、国会で話すときには憲法尊重擁護義務(憲法99条)を遵守する必要があると理解しているようです。 
しかし、日本の統治権の範囲内であれば日本国憲法の効力が及ぶのですから(戸波「憲法」53頁)、首相は誰に話そうが、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を遵守しなければなりません。安倍首相は、憲法の理解に欠けているように思います。

大体、なぜ、国会という憲法改正論議がふさわしい場を与えられたのに、安倍首相は国会で話そうとしないのでしょうか? 「安倍首相が英米メディアに在任中の改憲意欲表明:「9条は時代にそぐわない」」や、「憲法改正論議は必要なのか?(上)~「安倍首相による憲法改正意思表明」に対する毎日新聞社説を参照しながら」で触れたことを再び引用しておきます。

「「日本国憲法の憲法改正は、日本の政治機構や日本国民の権利義務に関わることですから、まずは日本国民に対して堂々と表明すべきです。自民党総裁の任期期間を気にしているので、自民党総裁としての憲法改正意欲のようですが、日本国の首相という地位は切り離せないのですから、日本国の首相である以上、最初に、国会又は日本の報道機関に対して発表すべき問題のはずです。……

一体、安倍首相はどこの国の首相なのでしょうか? 安倍首相は、米国の州知事でしょうか? 未だに連合軍の占領下にあり、英米にお伺いを立てなければならないのでしょうか? 安倍首相が、最初に英米メディアに改憲意欲を表明するなんて、情けない気持ちになりました。」




(4) 

 「いじめ自殺や高校必修漏れ問題に関連して小沢氏は、制度に踏み込まなければ解決できないとして、教育基本法改正の政府案を出し直すよう求めた。審議引き延ばしを狙う民主党の思惑を差し引いても、同調する国民は少なくないのではないか。

 首相は、そうした問題に対応するのに必要な理念、原則が政府案に書き込んである、と反論した。」


安倍首相は、必修科目未履修問題について、学校関係者は使命感をもって望むべきだとか、教育委員会、学校現場しっかりしろといった趣旨のことを述べていました。要するにまずは精神論でなんとかしろというわけです。

しかし、精神論でできることには限界があり(夏木智「誰が教育を殺したか?」140頁参照)、教育委員会や学校側の責任にしても解決しないと思います。

16%未履修、02年に報告 研究会が文科省に

 高校での必修科目未履修問題に絡み、文部科学省の委託を受けた研究会が2002年春、全国の大学生を対象に調査を実施、回答した約3万3000人の16%が高校時代に必修科目の世界史を履修していなかったとの結果が出て、同省に報告していたことが8日分かった。

 未履修問題をめぐり同省は国会答弁などで「過去に発覚した未履修問題は、ごく一部の県の事例だったので全国調査しなかった」としており、4年以上前に報告を受けた全国的な未履修の実態を、見過ごしていたことになる。……」(東京新聞11月9日付朝刊1面



 「教育委員会には学校現場から教員が配属されていますし、少なからぬ教育委員会で文部科学省からの「出向人事」が行われていることは周知の事実です。こうした実状にあるにも関わらず、行政側が「知らなかった」として責任をもっぱら学校側に帰するのは全く不可解です。同時に、これを教育委員会の監督責任だとして教育委員会の廃止論に直結させたり、逆に、教育委員会の権限強化論に直結させ、あるいは、文部科学省のより強権的な監督の徹底を求めるのも、全くの筋違いです。

 今日の高校現場で、学習指導要領に抵触することは承知の上で、こうした「操作」をしてまでも「受験シフト」に走らざるを得ないところにまで追い込まれている、昨今の異様なまでの教育界の状況がなぜ生まれているのか、本当の原因がどこにあり、今、何が論じられるべきなのかが究明される必要があります。」( 「未履修」問題の真の原因はどこに? 教育現場の声を無視したルールと政策を押しつける文科省の統制と、新自由主義教育政策に報道のメスを 2006年11月3日  教育基本法「改正」情報センター(PDF)


要するに、文部科学省は、ずっと前から必修科目未履修問題について知っていて黙認していたのです。もっとも、伊吹文科相は、8日の衆院文部科学委員会で、「黙認したことはない」(毎日新聞11月9日付朝刊2面)と述べていますが、上のような事情からすると、その言葉を信じるわけにはいかないでしょう。
そうなると、黙認していた以上、未履修問題をいまさら問題視するのも不可解ですし、教育委員会や学校側だけの責任にすることは不合理です。

安倍首相は、「いじめ問題に対しては、道徳心や豊かな情操を養うなど大切な要素は書いてある」で済ましていましたが、そういった精神論で解決できるくらいなら、法律改正なんて不要なのです。だいたい、未履修問題において、未履修者に対して大目に見る救済策を認め、ルール違反を追認しておいて、どうして「道徳心」なんて言えるのでしょうか? このダブルスタンダードには呆れるばかりです。




3.小沢一郎民主党代表は、党首討論の最初の方で、安倍首相が、英米メディアに対し、憲法改正の第一の理由として「占領下に制定されたからだ」と述べていることに対して、

「占領下において、現在の日本国のほとんどの仕組み(法律・制度)を作ったのだから、そのすべてを否定するのか。いいものを残すのはダメなのか。」

との問い掛けをしていました。

憲法は、どこの国でも制定過程に問題を抱えています。イギリスの権利章典(成文憲法はないが、実質的に憲法の一部)が1689年に制定されたとき、ロンドン市内はオランダ軍の占領下にありました。1875年にフランスで制定された第三共和制の憲法も、パリがプロイセンの軍隊に包囲されている状況で、敗戦のなかで制定されました。1787年に制定されたアメリカ合衆国憲法も、ネイティブ・アメリカン(インディアン)が人口として算定されず、黒人奴隷は1人が「5分の3人分」の扱いで算定され、国民の意思が十分に反映しないまま制定されました(伊藤真「高校生からわかる 日本国憲法の論点」159頁)。

しかし、

「制定過程に問題があったからといって、『無効だから改正しよう』という声が上がることはありません。少なくとも近代的な立憲主義に基づく憲法を持つ先進国のなかで、それが改憲を求める根拠になっているのは日本だけです。」(伊藤真「高校生からわかる 日本国憲法の論点」159頁


要するに、近代的な立憲主義に基づく憲法を持つ先進国では、具体的に追加する条項があるからこそ改正するのであって、法の内容と無関係な制定過程上の問題は改正理由となりえないという共通理解があるのです。

憲法に限らず、法律を改正する場合、問題がある特定の条文があるから改正し、具体的な事例解決ができないから特定の条文を追加するのです。制定過程に問題があるから、という大雑把な理由で改正しないのです。

それなのに、安倍首相は、英米メディアに対して、憲法制定過程に問題があることが憲法改正理由である旨を語ったのですから、自分が憲法の知識を欠如していること・法改正のあり方の理解を欠如していることを、平然と表明したのです。憲法の理解に欠ける者が一国の代表者であるなんて、近代的な立憲主義に基づく憲法を持つ先進国の中では、日本だけだといえそうです。


党首討論において、小沢一郎民主党代表が、「いいものを残すのはなぜダメなのか」という真っ当な法的理解(憲法論・法律論)を説いても、安倍首相はまったく理解できませんでした。法律を審議し成立させる国会において党首討論を行うのですから、真っ当な法的理解のある者同士の討論であるべきです。しかし、今回の党首討論から判断すると、安倍首相が首相の地位にとどまる限り、真っ当な法的理解のある者同士の討論は難しいようです。
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2006/11/08 [Wed] 21:08:21 » E d i t
文部科学省は、いじめを原因とする自殺予告文書をHPに掲載しました。ここで引用しておきます。手紙そのままをPDF版で掲載したので、手紙の内容だけでなく筆跡も分かります。


1.文部科学省の「いじめを原因とする自殺予告文書の公表及びお願いについて」

いじめを原因とする自殺予告文書の公表及びお願いについて


 今月6日に受け取りました、文部科学大臣宛のいじめを原因とする自殺予告文書(PDF:607KB)を公表致します。

 当該文書には、名前や地域、学校名等、差出人を特定できる情報が記載されておらず、現在具体的な対応を取ることが難しい状況となっております。

 もし、文書の内容や筆跡等から差出人について分かることがございましたら、至急、学校・教育委員会・文部科学省の方までご連絡を頂ければと考えております。

 文部科学省の連絡先は、以下の通りとなっております。


(お問い合わせ先)
文部科学省初等中等教育局児童生徒課
電話: 03-6734-3298(直通)


もし心当たりがあるようでしたら、ぜひその子どもに声をかけてあげてほしいと思います。



2.「東京新聞(平成18年11月8日付夕刊10面」

『相談する勇気を』  いじめ自殺予告 都教委が呼び掛け

 いじめが原因で自殺すると予告した手紙が文部科学省に届いた問題で、東京都教育委員会は八日、緊急アピールを行い、中村正彦教育長が差出人に向けて「どんなことがあっても自らの命を絶ってはいけません。相談する勇気を持ってください。必ず誰かが受け止めてくれることを信じてください」と呼びかけた。

 手紙は東京都豊島区から投函(とうかん)された可能性があり、都教委は都立学校や全区市町村に確認をしているが、手紙の内容に該当する情報はないという。

 アピールは児童生徒や保護者、学校側に向けても発信。都教委は都教育庁に設置している「いじめ等問題対策室」の相談電話を八日から二十四時間受け付ける態勢に切り替え、差出人に電話をかけるよう訴えている。相談電話は03(5320)6888。」


中村正彦教育長は、

「どんなことがあっても自らの命を絶ってはいけません。相談する勇気を持ってください。必ず誰かが受け止めてくれることを信じてください」

と言っています。それを信じるのもいいでしょう。ただ、この事件の場合、おそらく、担任や校長、教育委員会は、相談してもいじめ対策を講じてくれないはずです。「深刻ないじめ」であるのに今まで何もしなかったのですから、文科省から指示を受けても、アピールと電話相談のみなのですから。

この事件について、教師はどういう対応するかというと、

 「昨日、帰宅した息子に、学校から自殺予告の件でお話はなかったか尋ねた。
 息子は「自分の命を使ってあんなことをするのは卑怯だ。」と先生が言っていた、と。」(「くりりんのひとりごと」さんの「自殺予告・・・学校からのお話。」(11月8日)より引用)

というように、相談しても「受け止めて」くれないのです。切羽詰って出したと思われる自殺予告手紙であるのに、この教師はあからさまに非難するのですから、誰もこの教師に相談するわけがありません。もし手紙を出した生徒がいたり、そうでなくても同じような心境にいる生徒がいたらどうするのでしょうか? この教師は、相談を受けるのを避けるため、わざと非難しているとしか思えません。

教育委員会がどんなに指示やアピールをしても、愚かで自分勝手な教師であれば、教育委員会の指示を無視して、いじめ対策をする気がないのです。相談するなら、親や親身な親戚しかいないと思います。



3.子どもがここのブログを見ているとは思えないので、親、親戚、知人として、いじめられた子どもと接した場合の対処方法を書いておきます。

一番肝心なことは、「共感」することです。共感することこそ、傷ついた心を癒すのです。共感とは、具体的にどのような作業かは明確ではないのですが、簡単に言えば、「ただただ、子どもの話に耳を傾けよう」ということです。がまんしろとか、頑張れなんて言ったりせず、いじめなどの状況を問い詰めたりしてはいけません。子どもが語ったことに対して批判やアドバイスをせずに聞き続けるのです。この方法は、来談者中心療法という方法であり、カウンセリングの基本といえるものです。


親としてはどうすべきでしょうか?

 「無条件にわが子の苦痛を少しでも和らげたいという一心からでる『無理しないで、少し休もうか』という親の一言が子どもを救う。その一言を聴いた瞬間、『おとうさん、おかあさんはわかってくれていたんだ。ここ(家族の前)では、ありのままでいいんだ』と、その実感が子どもの心の苦痛を軽減し緊張を和らげる。

 ……どんなことがあっても生き抜いてみせる、という生きる意欲は家族にしか支えられない。」(家族心理学研究所主幹 太田仁「わが子がいじめられていると知ったとき」児童心理2006年6月号臨時増刊843号112頁)


まずは、「無理しないで、少し休もうか」と言うだけでいいのです。決して「いじめを我慢しろ、いじめに負けるな、頑張れ」なんて言ってはいけません。一緒に遊ぶとか旅行に行くなど共にすごすこともいい方法です。そして、共感です。
家庭以外でも、安心して逃げ込める安全基地があればいいのですが、今の子どもにとってそれは難しいことです。どんなことがあっても子どもを助けるという親の頑張りが必要なのです。

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2006/11/07 [Tue] 18:36:06 » E d i t
文部科学省の銭谷真美初等中等教育局長は11月7日午前零時すぎ、緊急に記者会見し、「いじめが原因で11日に自殺する」と書かれた手紙が6日午前、同省に届いたことを明らかにしました(BIGLOBEニュース([時事通信社]:社会ニュース 11月7日 01時31分 更新))。一連のいじめ自殺問題をめぐり、こうした手紙が同省に届いたのは初めてだそうです。この報道についてコメントしたいと思います。


1.まず新聞報道から。

(1) 「asahi.com(2006年11月07日01時11分)」

 「いじめ自殺「予告」の手紙、文部科学省に届く
2006年11月07日01時11分

 文部科学省は7日未明、「いじめが原因で自殺する」という内容の男の子が書いたと見られる手紙が同省に届けられたと発表した。

 午前0時15分すぎに会見した銭谷真美・初等中等教育局長によると、あて名に「文部科学省 伊吹文明大臣様」と手書きで書かれた封筒に、(1)大臣(2)教育委員会(3)校長先生(4)担任の先生(5)クラスのみんな(6)クラスのみんなの保護者(7)両親――にあてた計7通の手紙が入っていた。6日午前中に郵送されて来たという。

 学校でいじめを受けているとし、8日までに状況が変わらなければ、11日に学校で自殺すると書かれていた。「クラスのみんな」あてには「なぜ僕をいじめるのですか。キモイからですか。クサイからですか。なぜ僕のズボンをおろすのですか」。校長あてには「なぜ親がずっとまえから校長先生にいじめのことをいってもずっとなにもしないのですか」などとあった。

 差出人の名前や住所、学校名など個人を特定できる情報は書かれていなかった。消印の一部には「豊」と見える文字があり、文科省は、この文字を含む全国の集配局を調査。21都道府県の39市区町村の44郵便局が該当することが分かった。4日に投函(とうかん)されたとみられるという。

 文科省は、該当する都道府県教委を通じ、これらの局を含む自治体の教育委員会に連絡。該当するような相談を受けていないか、民間の電話相談窓口なども含めて調査するよう指示した。

 本当の自殺予告と判断した理由について、銭谷局長は「11日に自殺する、とはっきり書いてある」としたうえで、「大臣に対して行動してほしいという要請の手紙だろうと判断した」と説明。

 記者発表した理由について「私どもとしては、たった一つしかない命を大切にしてほしい。文科省も大人も、いじめの問題解決のためにがんばるから、『ぜひ、生きてほしい』とのメッセージを伝えたい」と話した。」



(2) 「asahi.com」(2006年11月07日11時18分)」

消印は「豊島」の可能性 いじめ自殺予告で文科相
2006年11月07日11時18分

 いじめ自殺予告文が文部科学省に届いた問題で、伊吹文科相は7日の閣議後会見で、この手紙を扱った郵便局について「『豊島』の可能性が高い」と述べた。該当する郵便局には東京都豊島区の豊島郵便局があり、都教委に対して調査に念を押すよう指示したという。

文科省は「豊」の文字が含まれている消印をさらに調べた結果、「豊島の可能性が高い」との見方を強めたという。差出人の年齢層について、伊吹氏は、予告文の漢字や字が「非常にしっかりしている」ことや教育行政についての知識などから、「中学校の高学年から高校生ではないか」と示唆。文中に、「担任に訴えた」「教育委員会や学校に申し出たにもかかわらず」という趣旨の表現があることから「思い当たる先生がいれば、必ず反応があるはずだ」とも話した。

 伊吹氏によると、消印から投函(とうかん)日は4日とみられている。だが、文科省に届いたのは6日という。

 マスコミに公表したことについては、「若干迷ったが、教委や教師に隠したり放置したりしてはいけないと指導している文科省としては、率先して姿勢を示さなければならない」と話した。

 差出人に対して、伊吹氏は「命は一つしかない。君が生まれた時、お父さん、お母さんが君の命を抱き取ってくれた。だれかに君の気持ちを正確に伝えてください。世の中が君のことを放っておくわけではないことを、理解してほしい」と述べた。

 ただ、いたずらの可能性については「率直に言って、いろんな可能性があると思う」と述べ、排除しなかった。

 この問題について、安倍首相には「いろいろな可能性があるので、文科省で事務的に責任を持って処理する」と話し、首相からは「どうぞよろしくお願いします」と言われたという。

 一方、塩崎官房長官は記者会見でこの手紙について、「写しを拝見したが、命にかかわることなので文科省で速やかに対応すると聞いている。親やご先祖様からいただいた命なので、大事にしてもらいたい」と述べた。」




2.記事中の手紙の全文は、毎日新聞が掲載していました。>>この続きを読む(追記)で引用しておきます。

追記した手紙の一部を引用すると、

「先生に言ったのにも先生は、なにもしませんでした。両親にも言ったのですが「がまんしろ」しか言いません。なんとか親が学校の校長先生や教育委員のかたに連絡してもらったのですがなにもかわりません。なのに親や先生は、「お前の性格がわるい。や「がまんしろしか言わない。」」

そうです。
この手紙を送った生徒は、先生、両親、校長、教育委員会に対して、「いじめを止めさせて欲しい」と手を尽くしたのに、効果的な行動をしてくれなかった、だから切羽詰って文部科学省に願い出たわけです。普通なら、自殺しているかもしれないのに、こういった方法を思い付いて実行したのですから、生物として当然ながら、いじめから脱却して生きたいという意欲を感じると同時に、頭の良さを感じます。

差出人の名前や住所、学校名など個人を特定できる情報は書かれていないのですから、本当の自殺予告なのかどうか疑問視する向きもあるでしょう。しかし、名指しすると大混乱になるでしょうし、かえっていじめが激化する可能性もあるのですから、名指ししないからといって、虚偽とみるわけにもいかないと思います。

先生、校長、教育委員会に言っても何もしてもらえなかったというのはよくある事例ですから、誰がこの手紙を出したのか探すよりも、生徒からいじめを受けているとの申し出のあった、先生、校長、教育委員会は、自分のことだと思って真剣にいじめに対して向き合って欲しいと思います。特に、いじめた生徒は「ズボンをおろす」など卑劣な暴行を行っていますし、長期間におよぶ「深刻ないじめ」といえますので、いじめた生徒を停学処分にするなどの措置は十分に可能だと思います。




3.この自殺予告の手紙によって、文部科学省は次のような対応を取りました。

 「文科省は、該当する都道府県教委を通じ、これらの局を含む自治体の教育委員会に連絡。該当するような相談を受けていないか、民間の電話相談窓口なども含めて調査するよう指示した。

 本当の自殺予告と判断した理由について、銭谷局長は「11日に自殺する、とはっきり書いてある」としたうえで、「大臣に対して行動してほしいという要請の手紙だろうと判断した」と説明。」


この手紙は、「大臣に対して行動してほしいという要請の手紙」と判断できますので、法的には請願権(憲法16条。請願法)の行使をしたものといえます。

憲法第十六条  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。


請願法

第一条  請願については、別に法律の定める場合を除いては、この法律の定めるところによる。

第二条  請願は、請願者の氏名(法人の場合はその名称)及び住所(住所のない場合は居所)を記載し、文書でこれをしなければならない。

第三条  請願書は、請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない。天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない。
○2 請願の事項を所管する官公署が明らかでないときは、請願書は、これを内閣に提出することができる。

第四条  請願書が誤つて前条に規定する官公署以外の官公署に提出されたときは、その官公署は、請願者に正当な官公署を指示し、又は正当な官公署にその請願書を送付しなければならない。

第五条  この法律に適合する請願は、官公署において、これを受理し誠実に処理しなければならない。

第六条  何人も、請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

   附 則

 この法律は、日本国憲法施行の日から、これを施行する。


(1) 請願権は、通常の意味での「人権」と異なり、人権保障をより確実なものとするための権利です。請願権は、絶対君主制の時代に、人民が君主に対して自己の希望を伝え、その実現を請願したことに由来し、その当時と異なり、国民主権に基づく議会政治が発展し、言論の自由が確立した現在、請願権の重要性は相対的に減少しています。それでも、請願権には、積極的な国民の意思表明の手段であり、民意を直接国会や政府に伝達する手段として、未だ十分に意義を有しています。

ただ、請願は、公の機関に対する希望や苦情の陳述にすぎないので、請願権は、そのような陳述を行い、受け取ってもらう権利にすぎず、請願内容について何らかの判断・回答を求めることができません。請願を受けた公的機関は、それを「受理し誠実に処理」する義務を負う(請願法5条)だけで、請願内容に応じた措置を執るべき義務はありません。(追記:誠実に処理する義務以上の義務を認めるべきという見解(立法論?)もあります)

しかし、請願内容に応じた措置を執るべき義務がないとはいえ、しかも請願者の氏名がなく、請願法上の請願の要件が欠けるとはいえ(請願法2条参照)、憲法上、請願権が認められている趣旨や、命をもっていじめ対策を願い出ているのですから、文部科学省は誠実な対応を行うべきです。
ですから、文部科学省は、教育委員会に連絡し、該当するような相談を受けていないか、民間の電話相談窓口なども含めて調査するよう指示し、緊急記者会見をし、マスコミ報道を促したわけです。


(2) 伊吹文科相は、「世の中が君のことを放っておくわけではないことを、理解してほしい」と述べたようです。こうやって、文部科学省が対応策を指示し、記者会見をし、手紙を公開したという形で、「放って」おかなかったことは確かです。

ですが、これで、先生、両親、校長、教育委員会は、どこまで誠実にいじめに対して動いてくれるのでしょうか? 「世の中が君のことを放っておくわけではない」など言っても、この記者会見だけで今後、何もしなければ、口先だけで終ってしまうように思えます。結局は、請願権の行使は無駄に終わってしまうのではないかと思えるのです。


(3) 過去においても、学校でのいじめを理由にした自殺の予告が、子どもから行政やメディアに寄せられる例がありました。

 「95年12月、横浜市教委の「いじめ一一〇番」の留守番電話に、子どもと思われる声で自殺をほのめかす内容が入った際、市長は緊急会見で「死なないで」と訴えた。その後、市のいじめ解決用の電話番組での本人にあてたメッセージを聞いたとして、同じ子と思われる声で「死ぬのをやめました」と返事が吹き込まれていた。……

 96年1月、奥田幹生文相が、「かけがえのない子どもの命を守るために」と、記者会見で語りかけ、子どもや保護者に協力を求めた。

 同年2月には福岡、広島、鹿児島などでテレビ局に自殺予告の電話やファクスが相次いだ。山梨の中学では「体育祭を中止しないと自殺する」という手紙を受けて、実際中止し、他県で「授業を休まなければ」「中間テストをやるなら」と連鎖的に広がっていったケースも。」(asahi.com(「いじめ原因の自殺予告、95、96年に相次ぐ」2006年11月07日16時27分)


今回も、95、96年のときと同じように記者会見をするという対応をしただけです。しかも、今の政府は、いじめ自殺問題があっても、必修科目履修漏れ問題があっても、やらせ質問を依頼し虚偽の世論を作り出してまで、教育基本法を改正することに躍起なのです。今、現に問題になっている問題に対して、十分な対応ができず、十分な対応をとろうとしていないのです。

究極的には、今の政府を選んだ一部の有権者の責任であり仕方がないのですが、命が消えようとしているのに対して、政府は今までと同じような対応しかしないのです。政府与党(自民党・公明党)は、まったく信頼性がないと感じます。
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2006/11/06 [Mon] 05:13:26 » E d i t
米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督(67)が、「スポーツニッポン」の単独インタビューに応じて、直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題を含めて、動物虐待問題について語っていました。この記事についてコメントしたいと思います。

1.「スポーツニッポン」(平成18年11月5日付(日曜)28面)

「ベンジー」監督 動物虐待に激怒  直木賞作家・坂東眞砂子さんは「冷酷」

 人間と犬のふれあいを描いた米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督(67)が4日、都内で本紙のインタビューに応じ、日本での動物虐待問題を糾弾した。

 「信じられない。理解すらできない」。最も語気を強めたのが、仏領タヒチ在住の直木賞作家・坂東眞砂子さん(48)に対して。新聞のコラムで、飼っている猫が産んだ子猫を崖下に投げ捨てているという告白などを聞きつけ「非人間的であり冷酷。どんな状況下であれ許されないこと」と憤慨した。坂東さんが主張した「(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差」との発言にも反論。「全く違うレベルの話で、殺人とイコール。彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と断罪した。

 また、約500匹もの犬が十分な世話を受けずに衰弱していた「ひろしまドッグぱーく」(広島市)に対しても「身震いがする」とまゆをひそめる。ただ、先月28日に犬の管理をしていた業者が刑事告発されたと聞き「問題が取り上げられることで、一般の認知が広がる。草の根レベルから話をし続けて、動物を愛し育てるシステムをつくってほしい」と訴えた。

 キャンプ氏は30年以上、捨て犬や野良犬に飼い主を見つけるための運動を続けている。ベンジー役の犬もすべて動物保護施設で発掘、撮影後も自宅で家族として育てた。74年の第1作公開時には全米で犬約100万匹の飼い主を見つけている。
[ 2006年11月05日付 紙面記事 ] 」



2.映画『ラブいぬ ベンジー はじめての冒険』が11月11日、公開になることから、ジョー・キャンプ監督が来日したようです。

(1) 今回の映画のあらすじは、

 「お話は、ミシシッピー州のある悪質ブリーダー(というか繁殖屋)の犬舎を舞台に、誤って風来坊の雑種犬との間に生まれてしまった“はじかれ者”のベンジーが、無理な多交配がもとで身体をこわしてしまった母犬の危機を救うため、捨て犬のベロンチョと協力して奮闘するというもの。
ベンジーの活躍を支えてくれるのは、ちょっとお間抜けでドジな動物保護官(アニマルコントロール)の二人組と近隣に住む心やさしいフィンチおじさん、現地の保安官や動物保護管理局の人たち、そして悪質ブリーダーを父に持ちながら大の動物好きのコルビー少年。」(All About:『ラブいぬ ベンジー』に見る動物愛護精神 ガイド:坂本 光里 掲載日:2006年10月29日


繁殖業者の問題、捨て犬問題、そういった動物虐待に対応する動物保護管理局など、動物愛護に深く関わる問題を含んだ映画のようです。こうなると、ジョー・キャンプ監督は、当然ながら坂東眞砂子氏の子猫殺し問題や、「ひろしまドッグぱーく」のことについて関心が生じるわけであり、インタビューで言及した、むしろ言及せざるを得なかったといえると思います。


(2) 日本でも非難が殺到したように、ジョー・キャンプ監督も、坂東眞砂子氏の子猫殺し問題について激怒していたようです。

 「「信じられない。理解すらできない」。最も語気を強めたのが、仏領タヒチ在住の直木賞作家・坂東眞砂子さん(48)に対して。……「非人間的であり冷酷。どんな状況下であれ許されないこと」と憤慨した。「(避妊と)同じことだ……」との発言にも反論。「全く違うレベルの話で、殺人とイコール。彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と断罪した。」



「非人間的であり冷酷」であるとか、「彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と言い切るほどですから、かなり憤慨していることが伺えます。

海外メディアも坂東眞砂子氏の子猫殺し問題を記事にしていて、それがネット上でも公開されていましたから、この問題は世界中で知りうる状態でした。米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督が知っているということは、もしかしたら、将来、坂東眞砂子氏の子猫殺し問題を題材にした映画が登場するかもしれません。そうすると、「日本人の恥」が映画として永遠に残ることになり、そう思うとひどく憂鬱な気持ちになりました。


(3) ペットジャーナリストの坂本徹也さんはこう述べています。

 「ペットがたんなる愛玩動物ではなく、家族や社会の一員(伴侶動物)
として認められていくにつれてしだいに解消され、
同時に人と動物との正常な共生社会が生まれていく----。
またそれにともなって、動物に関する法律が整備されたり、
ペットをどう飼うかどこで買うかの基準が示されたり、
公共の場や公園が解放されたりしていくわけです。つまり、
社会や国がペットとどう向き合っているかというのは、
社会が正常に成熟しているかどうか、精神的に先進国であるかどうか
の指標だということなんですよね。」(「犬の目・猫の目」の「ペットとどう向き合うかは先進国であるかどうかの指標」より一部引用)



坂東眞砂子氏の行動に対して、少数ながら非難すべきでないという人達がいることは確かであり、四国では当然だというブログ管理人や、坂東氏を擁護する作家もいました。しかし、その人達は「ペットがたんなる愛玩動物ではなく、家族や社会の一員(伴侶動物)」という意識に欠けているのであり、ジョー・キャンプ監督の憤慨に対してまったく理解できないことになるのです。

将来、坂東眞砂子氏のような行動をしない国民ばかりとなり、坂東眞砂子氏のような行動を強く非難する国・国民となるのでしょうか? 日本が先進国であるのか否か……なんて遠い過去のことかと思っていたら、日本はいまだに先進国と評価されないことになりそうです。

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2006/11/05 [Sun] 07:34:05 » E d i t
最近、安倍首相は、英米メディアに対して、在任中に憲法改正をする意思があることを示しました。では、本当に憲法を改正する必要があるのでしょうか? 今回は、まず、「安倍首相が英米メディアに在任中の改憲意欲表明:「9条は時代にそぐわない」」)。に対する毎日新聞(平成18年11月3日付)の社説について紹介してから、論じていきたいと思います。


1.「毎日新聞平成18年11月3日付社説」

 「社説:憲法改正問題 国民理解を求めるのが先だ

 憲法公布から60年がたった。昨年は戦後60年の節目で盛り上がりをみせた改憲論議は、いまは下火だ。そんな中、安倍晋三首相が英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューで、自民党総裁の任期中に憲法改正を目指すと明言した。

 発言は「自民党総裁としての任期は3年で、2期までしか務められない。任期中に憲法改正を目指したい」との内容。2期6年の任期を全うする中で憲法改正を実現したいという願望の表明だろう。

 憲法9条については「時代にそぐわない条文の典型だ。日本を守る観点や国際貢献を行ううえで改正すべきだ」と述べた。

 首相が内閣の目標を明確に語るのは結構なことだ。しかし、先の所信表明演説では触れなかった具体的な改憲スケジュールを海外メディアを相手に初めて語ったのは腑(ふ)に落ちない。

 首相は自民党総裁選での政権構想に「新たな時代を切り開く日本にふさわしい憲法の制定」を掲げ、「戦後レジームから、新たな船出を」と訴えた。先月の参院本会議でも「いかに中身が素晴らしいものであっても、基本法である以上、制定過程にはこだわらざるをえない」と改憲意欲を強調している。

 今回の発言に他意はない、持論を述べただけ、というのが首相の気持ちかもしれない。しかし、国の基本法である憲法を一国の指導者が6年以内に変えたいという重要な話なのだから、まずは日本の国民に語りかけてほしい。

 首相の改憲意欲はわかるが、発言と現実との落差は否定できない。世論が盛り上がらないのは、格差社会の是正や教育の立て直し、医療・介護・年金問題など国民生活にとって切実な問題が山積しているからだけではない。

 改憲手続きを定める国民投票法案は成立の見通しが立っていないし、自民党が昨年まとめた新憲法草案も前文などの手直しが必要だと首相自身が認めている。どのように書き直したいのか、自民党総裁として語ってほしい。

 首相は所信表明演説で「与野党で議論が深められ、方向性がしっかりと出てくることを願っている」と述べたが、来夏の参院選を前にして各党の動きは鈍い。

 民主党は昨年、憲法提言をまとめたが、小沢一郎氏が代表に就いてからは自民党との対決姿勢を強めている。公明党は今後2年間の運動方針で憲法問題に触れているが、自衛隊保持と積極的な国際貢献の規定を追加すべきかどうかを論議するという範囲にとどめている。共産、社民両党は一貫して憲法改正に反対している。

 国民投票法案についても(1)投票の対象を憲法改正に限定するか、国政の重要課題にまで広げるか(2)投票者の年齢を20歳以上とするか、原則18歳以上とするか(3)国民の承認を有効投票総数の過半数とするか、投票総数の過半数とするか--などで与党と民主党の意見が対立している。

 憲法論議を高めたいのなら、首相は改正の必要性を正面から語り国民の理解を求めるのが先決だ。

毎日新聞 2006年11月3日 0時41分」



2.この社説では、

「先の所信表明演説では触れなかった具体的な改憲スケジュールを海外メディアを相手に初めて語ったのは腑(ふ)に落ちない。…… 国の基本法である憲法を一国の指導者が6年以内に変えたいという重要な話なのだから、まずは日本の国民に語りかけてほしい。…… 憲法論議を高めたいのなら、首相は改正の必要性を正面から語り国民の理解を求めるのが先決だ。」

として、日本国の基本法である憲法を改正する問題は、日本の問題であるから、まず日本国民に対して話すべきだ、その点のみを強調して批判しているわけです。

「安倍首相が英米メディアに在任中の改憲意欲表明:「9条は時代にそぐわない」」において、

「日本国憲法の憲法改正は、日本の政治機構や日本国民の権利義務に関わることですから、まずは日本国民に対して堂々と表明すべきです。自民党総裁の任期期間を気にしているので、自民党総裁としての憲法改正意欲のようですが、日本国の首相という地位は切り離せないのですから、日本国の首相である以上、最初に、国会又は日本の報道機関に対して発表すべき問題のはずです。……

一体、安倍首相はどこの国の首相なのでしょうか? 安倍首相は、米国の州知事でしょうか? 未だに連合軍の占領下にあり、英米にお伺いを立てなければならないのでしょうか? 安倍首相が、最初に英米メディアに改憲意欲を表明するなんて、情けない気持ちになりました。」

と批判したように、毎日新聞による批判は、当然のことだと思います。




3.毎日新聞による批判は正当であるとは思いますが、安倍首相による「改憲意欲表明」に対して最も批判すべき点は、9条改正論と、憲法改正論議自体であると思います。


(1) この点も「安倍首相が英米メディアに在任中の改憲意欲表明:「9条は時代にそぐわない」」において触れていますので、今回は、憲法学者の文献、すなわち、長谷部恭男・東京大学大学院法学政治学研究科教授著「憲法とは何か」岩波書店 (2006-04-20出版)から引用してみることします。

9条改正論

 憲法9条の改正論についても同じことがあてはまる。従来の政府解釈で認められている自衛のための実力の保持を明記しようというだけであれば、何の意味もない『改正』である。これに対して、従来の政府解釈で設けられているさまざまな制約――たとえば集団的自衛権の否定――を吹っ飛ばそうというのであれば、吹っ飛ばした後、どう軍の規模や行動を制約していくつもりなのかという肝心の点を明らかにすべきである。どう制約するのか先の見通しもなく、どこの国とどんな軍事行動について連携するつもりなのか――アメリカが台湾を実力で防衛するとき、日本はアメリカと組んで中国と戦争するつもりはあるのか――さしたる定見もないままに、とにかく政治を信頼してくれでは、そんな危ない話にはおいそれと乗れませんとしかいいようがない。そこまで政治が信頼できるという前提に立つのであれば、憲法などもともと無用の長物である。」(20頁)


なぜ厳格か

 憲法がなぜ、通常の法律よりも変えにくくなっているかといえば、意味のないことや危なっかしいことで憲法をいじくるのはやめて、通常の立法のプロセスで解決できる問題に政治のエネルギーを集中させるためである。不毛な憲法改正運動に無駄なエネルギーを注ぐのはやめて、関係する諸団体や諸官庁の利害の調整という、憲法改正論議より面倒で面白くないかも知れないが、より社会の利益に直結する問題の解決に、政治家の方々が時間とコストをかけるようにと、憲法はわざわざ改正が難しくなっている。あたかも、憲法の文言を変えること自体に意味があるかのような振りをするのはやめて、文言を変えたその結果はどうなるのか、というあまり面白くないが、肝心な問題に注意を向けるべきときが、そろそろきているように思われる。」(21頁)



9条改正論議にしても、「日本を守る」とか「国際貢献を行う」といった抽象論ではなく、どう軍の規模や行動を制約していくつもりなのか、国際貢献という名目でどこまでの軍事行動を行うつもりなのか、法律的・政治的・経済的観点からの妥当性の有無、そして、充分に検討した結果、日本国が可能な自衛隊の行動は、9条を改正しないとできないことなのかどうか、について検討することの方こそ大事なのです。


(2) もし9条を改正した場合、どういう事態になるのでしょうか?

「日本が安全保障条約を締結するアメリカは、もともと他国の憲法が自国の利害と合致しないと考えるならば、武力の行使あるいはその脅威を通じて、憲法の変更を迫ることにさしたる躊躇いを感じない国家である。9・11以降のアメリカは、独裁体制を打倒し、自由を他国へと押し広げることが、自国における自由の保持に直結するとし、盟友を守るためであれば、武力行使を厭わないと宣言している。」(長谷部恭男「憲法とは何か」58頁)


9条を改正して従来の政府解釈の下での歯止めを取り払うことは、日本は、結局は、こういったアメリカの価値観やアメリカの国益のために戦うことになってしまうでしょう。

しかし、武力行使を厭わないアメリカの行動によって、「アルカイダと関係が不明な組織が、アルカイダを模倣した攻撃を繰り返し、テロがなくなるどころか拡散してしまった」(「9・11米同時多発テロから5年」)のですし、

日本とアメリカとの価値観は違う」(品川正治著「9条がつくる脱アメリカ型国家―財界リーダーの提言」青灯社 (2006-10-15出版)189頁

のです。9条を改正して、国家の意思までも、こういったアメリカの価値観・国益に従属させる必要はないというべきです。


憲法の文言を変えること自体に意味があるかのような振りはやめるべきであり、不毛な憲法改正運動に無駄なエネルギーを注ぐのはやめるべきなのです。9条を改正して従来の政府解釈の下での歯止めを取り払うことも、妥当だとは思えません。

毎日新聞はもちろん、国民の側も、自民党や安倍首相がいくら憲法改正の意欲を示しているとしても、「憲法改正遊び」に付き合う気はないことを意思表明すべきであると考えます。

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憲法 *  TB: 1  *  CM: 4  * top △ 
2006/11/04 [Sat] 08:43:16 » E d i t
最近、このブログで紹介した「福岡中2男子自殺事件~教諭の言動が「いじめ発端」「耐震強度偽装問題:安晋会関連物件も偽装の疑い~「きっこのブログ」より」「You Tubeで「耐震偽装問題」を語る藤田東吾社長」についての続報を紹介したいと思います。


1.「毎日新聞のHP(2006年11月3日3時00分)(平成18年11月4日付朝刊27面)」

 「福岡いじめ自殺:事件後も別の生徒に繰り返す 同グループ

 中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中で、この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。学校側は遺族側に「再発防止を目指す」と繰り返しているが、いじめ対策が進まない現状が浮き彫りになった。

 複数の関係者によると、新たないじめを受けているのは自殺した男子生徒と同じ学年の別の男子生徒。暴力的な行為はないものの、言葉によるいじめだったという。

 男子生徒の自殺後、間もなくいじめグループが別の男子生徒を対象にしたいじめを始め、見かねた他の同級生が保護者に相談し、保護者が学校側に通報した。学校側はこの保護者に「実際に新たないじめがあるかどうか調査中」と説明しているという。

 同級生の保護者によると「いじめのやり方は亡くなった男子生徒と全く同じと聞いている。学校は一体何をしているのか」と憤っている。

 自殺した男子生徒は自殺直前に7人の生徒からいじめを受けていたことが判明している。同中にはこの7人を含む多人数のいじめグループがあり、新たないじめもこのグループの生徒が繰り返しているという。

 男子生徒は死の直前まで「消えろ」など言葉によるいじめを繰り返し受け「いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」などと記した遺書を残し、先月11日に自殺した。自殺した男子生徒の父親(40)は「また息子と同じようないじめが起きているとすれば許せない。つらい思いをするのは私たちで十分だ」と話している。【船木敬太、高橋咲子】

毎日新聞 2006年11月3日 3時00分」



自殺に追い込んでしまった「グループ」は、懲りずに事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたのです。しかも、「男子生徒の自殺後、間もなくいじめグループが別の男子生徒を対象にしたいじめを始め」たというのですから、自分のした行為に対する反省はまったくないようです。規範意識が著しく低下しています。

文部科学省による「生徒指導上の諸問題に関する調査研究会報告書」「暴力行為及びいじめに関する実地調査の結果について」という項目を読むと、いじめの要因が記されています。一部引用します。

(1)小中学校調査から明らかになった諸点

  いじめ・暴力行為の増減に関連する要因は多層的であるが、その一つに児童生徒の意識と行動の変化が考えられる。都道府県教育委員会への書面調査データからもその傾向を見取ることができるが、今回の実地調査時の報告からは、以下の4点をあげることが可能である。
 ①児童生徒のストレスが問題の背景となっている。
 ②小中学生の規範意識の低下傾向が問題の背景になっている。
 ③小学校高学年から中学生にみられる問題を抱えるグループの内部とグループ間の対立等が問題の背景になっている。
 ④問題行動を繰り返す児童生徒が問題の背景になっている。」

(3)小中学生の規範意識の低下傾向

  実地調査の結果では、児童生徒が「謝罪をすれば解決したと考える安易な考え方をする傾向がある」ことや、「何をしても許されるという意識が強く、自らのとった行動への責任感が希薄になっている」ことが報告された。このような事態に対処するため、各地域では、規範意識を高めるための取組みとして、挨拶運動や校門での服装検査など教員間の共通した指導と、学級活動や児童会・生徒会活動の活発化、児童生徒の内発的な規則・決まり作りなどを行ってきた。それらも、いじめや問題行動に直接対応する上では一定の効果をもたらすが、それだけでは、児童生徒の内面を変化させるには不十分であり、以下の2点の事例のような取組みも効果的であることが報告されている。」



このように、「小中学生の規範意識の低下傾向」がいじめの要因になっていると指摘されているわけです。規範意識が低下すれば、「自らのとった行動への責任感が希薄」になるわけで、何度でもいじめを繰り返すことになります。そうなると、自殺に追い込んでしまった「グループ」が、懲りずに事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたとしても、それはある意味、必然だったといえるのでしょう。

もっとも、規範意識の低下は、小中学生に限った問題ではありません。例えば、必修科目の履修漏れ問題にしても、政府は救済策を講じて「正直者がばかをみる」結果を公認したのですから、政府自ら規範意識の低下になることを行っているのです。小中学生の規範意識の低下に対して、どれほど批判できるのかと、疑問にさえ思えてしまいます。

ですが、いじめを行った者は、加害者・(程度により)犯罪者なのですし、すぐに規範意識を回復させることは極めて困難です。そうなると、学校と警察との連携については、従前から学警連として存在してきたわけですが、今回の事件はもちろん、今後は、いじめ事件についてはもっと警察が積極的に関与していくべきであると考えます。……こうやって警察の関与を増やす事態になると、警察本来の任務(犯罪捜査)に支障をきたさないかとの懸念も生じます。

警察の積極的な介入がどうかと思うならば、いじめを行った生徒の内申書には、いじめ実行者である旨を必ず記載し、高校受験の際、高校側がいじめの有無を重視するという方針を採用することが、効果的だと思います。高校進学が不可能になると分かっていじめをする生徒は、そういないでしょうから、かなりのいじめが激減するのではないかと思うからです。




2.「asahi.com(朝日新聞11月1日付夕刊)」

 「巨大マンション建設中断 構造計算の検証できず
2006年11月01日16時52分

 首都圏で建設中の大規模マンションの構造計算書に数値の不整合が見つかった問題で、埼玉、千葉両県内の分譲マンション2物件の検証作業が難航し、工事が半年以上中断している。複雑な構造計算の考え方をめぐり、構造設計を手がけた富山市の1級建築士と検査側の見解の相違が大きく、溝が埋まらないためだ。建築・販売主のアパグループ(金沢市)は両物件の契約者に対し、手付金の倍返しなどの条件で契約解除を申し出た。

工事が中断しているのは埼玉県鶴ケ島市のアップルガーデン若葉駅前(369戸、15階建て)と千葉県成田市のアパガーデンパレス成田(130戸、12階建て)。若葉駅前は3分の1程度、成田は8割方、工事が進んでいる。

 構造計算書はいずれも富山市の1級建築士が作ったが、いったん建築確認した検査機関イーホームズ=5月に指定取り消し=による再調査で、一貫性のない点が見つかった。同社が2月末~3月に埼玉、千葉両県に連絡し、両県は工事中断を指導。若葉駅前97戸、成田64戸が契約済みだったが、アパグループはその後の販売を自粛した。

 建築士は、6月初めに朝日新聞がこの問題を報じた時点で、若葉駅前について「時間の制約があり、未完のままデータを差し替えた構造計算書を提出した。計画変更で是正するつもりだった」と認めたが、成田は「誤記」と説明。両物件とも「耐力(強度)には問題はない」と強調した。

 その後、国土交通省はこの建築士が手がけた全国42物件の抽出調査を開始。検証が終わった21件の構造計算に問題はなく、耐震強度も十分と確認された。

 ところが、若葉駅前と成田の2物件は、構造計算をめぐる検証作業が、一向に終わらない。

 5月にイーホームズから、「さいたま住宅検査センター」と千葉県がそれぞれ審査を引き継ぎ、一から実際の建物と、不整合部分を修正した構造計算書の点検を始めた。

 作業は、工事が進んでいる成田が優先。千葉県建築指導課によると、成田の5棟のうち4棟は安全性が確認されたが、1棟は検討が続いている。一方、埼玉県建築指導課によると、若葉駅前の6棟のうち2棟は問題なく、2棟はほぼ検証済みだが、残りの2棟は検討が進んでいない。

 両県によると、コンクリートの重さや梁(はり)の鉄筋量の算定などに、標準と異なる手法が多用されているのが遅れの一因。根拠を示すように求めているが、建築士は正当性を主張し、平行線が続いている。第三者機関から助言を受ける調整が進んでおり、決着にはさらに時間がかかる見通しだ。

 建築士は「建物の安全性をごまかすようなことは一切していない」と説明する。

 アパグループは、契約解除について国交省などに報告し、契約者に通知、送金する一方、事業継続を強調。同グループの元谷外志雄代表は「指摘された問題は解明に向け、最善の努力をしている。契約者に迷惑をかけないよう、誠実に対応していく」と話している。」


藤田社長による告発の後、東京新聞や日刊スポーツに続いて、報道したのがこの記事です。現在どういう事態になっているのか分かるようになっています。
もっとも、アパグループと安倍首相との関係について伏せてため政治責任は不問のままです。また、

「藤田東吾社長が地裁判決後の記者会見で、この物件の構造計算を設計したのは「田村水落設計士」だと名指しした資料を、全マスコミに配布」したのに、「朝日新聞社(社会部デスク)は、この期に及んでまで田村水落設計士の名前を伏せた」(「らくちんランプ」さんの「2006年11月01日:藤田東吾社長の決意が、新たな耐震偽装被害者の発生を食い止めた」から引用)

ことから、「田村水落設計士」が関与した他のマンションにも同じ問題があるのではないかといった点についても、解決しないままになっています。


さて、この記事によると、問題の2棟については、

 「建築士は、6月初めに朝日新聞がこの問題を報じた時点で、若葉駅前について「時間の制約があり、未完のままデータを差し替えた構造計算書を提出した。計画変更で是正するつもりだった」と認めたが、成田は「誤記」と説明。……

 両県によると、コンクリートの重さや梁(はり)の鉄筋量の算定などに、標準と異なる手法が多用されているのが遅れの一因。根拠を示すように求めているが、建築士は正当性を主張し、平行線が続いている。第三者機関から助言を受ける調整が進んでおり、決着にはさらに時間がかかる見通しだ。」

だそうです。
このように、未完のままデータを差し替えた構造計算書を提出したり、誤記であると言ったりしたことで疑念が生じていること、しかも標準と異なる手法を採用したことが分かったことから、揉めているようです。

標準と異なる手法であったことを公開したとしても、マンション購入予定者には通常、正当性の有無の判断が付かないですし、いくら建築士が正当性を主張しても、もし誤っていたらマンションの倒壊する可能性があるのですから、倒壊により多大な被害が生じてしまいます。

ですから、標準と異なる手法については、事前の保障(第三者機関の認定)がなくては認めるべきではなく、第三者機関の認定のない手法の建物の購入者には、解除を認めることはもちろん、建築業団体が補償する仕組みを法定すべきであると考えます。
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2006/11/02 [Thu] 05:03:50 » E d i t
政府は11月1日、高校の必修科目未履修問題について、2単位足りない生徒の補習条件を実質的に50時間程度まで引き下げ、不足が2単位を超える生徒に関しては70時間補習に加えて、残りの時間をリポート提出や授業免除措置で対処することにし、これで事実上決着したそうです。この点についてコメントしたいと思います。


1.「asahi.com」(朝日新聞平成18年11月2日付朝刊1面)

補習70回とリポート、裁量で50回程度 必修漏れ救済
2006年11月01日22時25分

 高校必修科目の履修漏れ問題で、政府・与党は1日、履修漏れ科目の補習時間を軽減する救済策で基本的に合意した。(1)未履修が2単位分(70コマ)を超える場合は、補習で70コマ履修した上でリポート提出などで補う(2)未履修が2単位の生徒は補習70コマが基本だが、校長の裁量で3分の2(50コマ程度)に軽減できる――などが柱。文部科学省は2日中に都道府県教委などを通じ各校に通知する。

全国の教育現場で混乱を招いた履修漏れ問題は、公明党など与党が生徒の負担軽減を強く求め、文科省が受け入れる形で決着した。

 文科省の調べでは、必修科目の履修漏れは、国公立・私立合わせて5408校のうち5406校まで調べた時点で、計540校、8万3743人に及んだ。全高校の約1割で履修漏れがあったことになる。

 救済策が実行されると、そのうちの7割以上を占める履修漏れ2単位以下の生徒6万1352人は、最大50コマ程度に軽減される。2単位を上回る履修漏れがある生徒2万2391人は、70コマの補習とリポート提出などに軽減される。

 全国的な履修漏れが発覚した当初、文科省は不公平のないように、未履修のコマ数をすべて補習させる方針だった。しかし、その後、「100時間も150時間もの補習を受験期にやるのは無理」(伊吹文科相)と判断。一律70コマの補習とする救済案をまとめた。

 ただ、公明党から上限を50コマとする案が出るなど、与党から負担軽減を求める声が強まり、1日夕、国会内で開かれた与党教育再生検討会でも文科省案に批判が出た。座長の大島理森元文相らが改めて「現実的な対応をすべきだ」と申し入れたのに対し、伊吹氏がさらなる軽減を約束した。

 申し入れを受けた後、伊吹氏は記者団に未履修が2単位の生徒について「一定時間削減できるか検討する。病気その他で出席できない場合でも、一定期間出席していれば、履修したとみなすとか、詰める」と述べた。病気や災害の場合、校長の裁量で3分の2のコマ数で単位取得を認めることがあり、これを援用すれば50コマ程度に軽減できるという考えだ。

 履修漏れがあった高校の中には、すでに補習授業を始めている学校もある。受験を目前にしたこの時期の補習は生徒には厳しく、一方で指導要領通り履修した側には不公平感もぬぐえない。

 今後、責任者の追及や、必修科目や指導要領の抜本見直しの声が高まることも予想され、事態収拾にはまだ時間がかかりそうだ。」



「朝日新聞平成18年11月2日付朝刊35面」

 「指導要領のひずみ  『分数ができない大学生』の共著がある西村和雄・京都大経済研究所長(経済学)の話

 数学や国語、英語など基礎的教科と違い、問題になっている世界史などは履修時間が短くても大学ですぐに困ることはないだろう。これから新しい科目を補習する生徒の負担が大きい。今の指導要領のひずみが出た格好だ。数学などで非常に基礎的な科目を作ったのに、地理歴史では手間のかかる科目を必修にし、勉強しにくい内容になっている。これを機に、指導要領そのものを見直すべきだ。


 すべて教えるべき  藤田英典・国際基督教大教授(教育社会学)の話

 2科目以上の履修漏れがあった学校は、3月いっぱい使ってすべての科目を最後まで教えるべきだ。高校教育の理念を示した指導要領というルールを受験偏重のあまり、簡単に破ってはならない。問題が発覚した高校の生徒は、受験勉強上の利益を享受してきたともいえる。まじめに規定通り履修してきた高校の生徒とのフェアな競争を確保する意味でも、履修漏れが複数科目に及ぶ学校には相応の対応を求めるべきだ。」




2.このように、政府は、高校の必修科目未履修問題について、履修漏れ科目の補習時間を軽減する救済策を採りました。ルール破りを大目に見る取り扱いを公認したわけです。

(1)なぜ軽減したのかというと、

「『100時間も150時間もの補習を受験期にやるのは無理』(伊吹文科相)と判断。一律70コマの補習とする救済案をまとめた。

 ただ、公明党から上限を50コマとする案が出るなど、与党から負担軽減を求める声が強まり、1日夕、国会内で開かれた与党教育再生検討会でも文科省案に批判が出た。」

からです。要するに、「受験を目前にしたこの時期の補習は生徒には厳し」いから、現実問題として全部補習をするのは無理だからです。全高校の約1割で履修漏れがあったから、混乱を招くということも理由の1つでしょう。軽減したところで、いまさら補習を受けることは、負担が重いと感じるとは思います。


(2) しかし、現実問題として無理だとして、ルール破りを大目に見ることを公認してしまったら、

「指導要領通り履修した側には不公平感もぬぐえない」

のです。
ルール破りが公認され、ルールを守っても何も利益にならないことを政府が認めてしまったら、国民の規範意識は守れないどころか、ごまかした方が得をすることを、政府自ら奨励するようなものです。

くしくも、なぜ教育基本法を改正するのか、という理由については、

「これまでの改正運動などで出てきた見直し論を、市川昭午国立大学財務・経営センター名誉教授は、次の五つに分類する。

 (1)主権を制限されていた占領下に立法された法律で、日本人による自主的な見直しが必要とする「押しつけ論」(2)現行法にはまぎらわしい表現があるという「規定不備論」(3)一連の教育荒廃現象が生じるようになったのは、教育勅語にあった愛国心や規範意識などが現行法に規定されていないから、とする「規範欠落論」(4)「時代対応論」(5)憲法改正を前提にした「原理的見直し論」-だ。」(東京新聞平成18年10月26日付朝刊「核心」

とされています。
規範意識が欠如しているとの理由で、教育基本法を改正を唱えながら、他方で、現実問題としては、規範意識の欠如を奨励するようなことをするのです。これほどあからさまに矛盾しているのに、与党(自民党、公明党)はおかしいとは思わないのです。
自民党や公明党の本音としては、教育基本法の改正の理由は、規範意識の欠如ではなく、政府に異議を唱えない絶対服従の子供、創価学会に入信しやすい従順な子供を育て、絶対服従・従順な子供には利益を与えることにあるのだと、推測しています。


(2) 未履修が生じたのは、子供のせいではなく、学校側のせいであるから、子供に不利益を与えるのはおかしいとの議論も一理あります。しかし、未履修「問題が発覚した高校の生徒は、受験勉強上の利益を享受してきた」のです。不当に利益を得ておいて、自分の責任ではないからといって、何も不利益を受けずに済むのはおかしなことです。

だいたい、某東大生(灘高校出身)は、「自分も高校時代、家庭科はやったかどうか記憶にない…」(東京新聞平成18年11月1日付朝刊「こちら特報部」)と話していますが、灘高校など、こうやって誤魔化しをやって、東大に入るのです。このように、子供の側も薄々分かっていたりするのですから、何も知らなかった、私のせいではないという言い訳は難しいと思います。

ルール破りを大目に見ることを認めると、みんなでルール破りをすれば救済されるとの意識を持つことになってしまいます。これは、教育上も、子供の今後の人生にとって好ましくないのです。


(3) ルールを破った側には不利益を課し(すべて補習させる、又は大学入試において点数を減点する)、ルールを守った側には、利益を与える(例えば、大学入試において点数を加算する)のが平等原則(憲法14条)に沿った公平な扱いではないかと考えます。もちろん、こういった事態を招いた原因を究明し、責任ある者に対して、厳しい責任を負わせるべきです。

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2006/11/01 [Wed] 19:21:25 » E d i t
安倍晋三首相は10月31日、首相官邸で米CNNテレビ、英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに相次いで応じて、「自分の任期中に憲法改正を目指したい」と述べ、在任中の実現に強い意欲を示したとの報道がありました。これについてコメントしたいと思います。


1.「東京新聞(平成18年11月1日付朝刊1面)」

『9条は時代に そぐわない』  安倍首相 在任中の改憲意欲

 安倍晋三首相は三十一日、首相官邸で米CNNテレビ、英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに相次いで応じ、憲法改正について「自民党総裁としての自分の任期は三年で、二期(六年)までしか務められない。自分の任期中に憲法改正を目指したい」と述べ、在任中の実現に強い意欲を示した。

 首相は具体的な改正点について「時代にそぐわない条文として、典型的なものは憲法九条だ。日本を守るという観点、国際貢献を行っていく上でも九条を改正すべきだ」と明言。さらに「新しい価値として、地球環境の保全、個人のプライバシー保護がある」と述べた。就任後、改憲の具体案に言及したのは初めて。」




2.この安倍首相の発言を聞くと、色々なことがわかります。

(1) まず、安倍首相は、米CNNテレビ、英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに対して、憲法改正意欲を示した点です。

日本国憲法の憲法改正は、日本の政治機構や日本国民の権利義務に関わることですから、まずは日本国民に対して堂々と表明すべきです。自民党総裁の任期期間を気にしているので、自民党総裁としての憲法改正意欲のようですが、日本国の首相という地位は切り離せないのですから、日本国の首相である以上、最初に、国会又は日本の報道機関に対して発表すべき問題のはずです。
ところが、

 「就任後、改憲の具体案に言及したのは初めて」(東京新聞平成18年11月1日付)

 「安倍首相は就任後、憲法改正について所信表明演説で「与野党で議論が深められ、方向性が出てくることを願う」と述べるなど、踏み込んだ発言を控えていた。」(読売新聞平成18年11月1日付)


このように、首相就任後、憲法改正について積極的な意思表明をしていなかったのに、安倍首相は、米CNNテレビ、英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに相次いで応じて、「自分の任期中に憲法改正を目指したい」と述べたのです。

一体、安倍首相はどこの国の首相なのでしょうか? 安倍首相は、米国の州知事でしょうか? 未だに連合軍の占領下にあり、英米にお伺いを立てなければならないのでしょうか? 安倍首相が、最初に英米メディアに改憲意欲を表明するなんて、情けない気持ちになりました。


(2) インタビューにおいて、安倍首相は、「日本を守るという観点、国際貢献を行っていく上でも九条を改正すべきだ」と明言しているようです。

「憲法9条の文言は、他の憲法条項と比べた場合、それほど抽象的でも包括的でもなく、一義的である。……9条解釈からすれば、自衛隊は違憲というのがもっとも論理的な結論であるはず」(浦部「事例式演習教室 憲法」はしがき3頁)ですが、政府は、自衛のための必要な限度の実力の保持は憲法上禁じていないという解釈を採用しています。そして、現在、自衛隊は、相当な軍備装備・能力があり、国際貢献を行ってきています。
このように、9条の政府解釈により、実質的に改正している状態であるのに、これ以上具体的にどう改正する必要があるのか、疑問です。

安倍首相は、9条を改正すると述べていますが、どう具体的に改正するのかが一番重要ですが、何も言わないのです。日本を守るとしても、島国である日本において、具体的にどこまでの軍備を増強すれば、「守る」ことになるのでしょうか? 9条は防衛予算の抑制に寄与していると言われていますが、改正してもっと防衛予算を増やすつもりなのでしょうか? 

国際貢献とは、どこまでの国際貢献をする意図なのでしょうか? まず国際貢献の内容決定が先で、それを国民に示すことが先のはずです。どういう国際貢献を具体的にしたいのか決めずに、9条をどう改正しようというのでしょうか? 

安倍首相が9条を改正したいという意欲は、9条改正論議の前に、どこまで日本を守る意図なのか、具体的な国際貢献の内容を国民に示していないので、浮ついた希望にすぎないように感じます。


(3) もう1つ。安倍首相は、「新しい価値として、地球環境の保全、個人のプライバシー保護がある」と述べて、この点を憲法改正で盛り込みたいようです

地球環境やプライバシー保護に関心があることは分かりました。しかし、「日本国憲法は、他の法令と同じく、日本の統治権の及ぶ領域に妥当する」(戸波「憲法」53頁)であって、日本での環境保護ならともかく、地球環境の保全となると、日本国憲法で規定しても、日本国憲法の効力の範囲ではありません。ですから、地球環境の保全を規定しても、まったくの理念にとどまり、法的には意味がありません。

プライバシーは、明文規定はありませんが、憲法上の権利であることは通説であり、明確ではありませんが判例上も認めている状態です(最高裁平成15年9月12日判決(江沢民早大講演会訴訟)参照)。現在、問題となっているのは、プライバシーを認めるか否かではなく、具体的にどこまでをプラバシーとして保護するのかどうか、であり、具体的に法律で保障するか、裁判において個別具体的事案で判断するしかないでしょう。
そうすると、プライバシーが憲法上の権利であることに異論がないのに、わざわざプライバシーを憲法改正で規定する必要があるのか、疑問なのです。もしかしたら、プライバシー保護を名目として、政治家のプライバシー保護を図り、報道機関の報道の自由を規制する意図があるのではないでしょうか。

安倍首相は、日本国憲法の効力が及ぶ範囲について無理解であり、プライバシーが憲法上の権利であることに異論がないことが分かっていないのではないか、報道機関の報道の自由を規制する意図ではないか、と感じられます。




3.今憲法改正をする必要性があるのでしょうか? 憲法を改正したくらいでは世の中が良くなりませんし、変わりもしないのです。

「成熟した国家の憲法運用にとっては、憲法改正は大きな意味を持たない」のですから(デイヴィッド・ストラウスの見解・山元一「法学セミナー612号」(2005年12月号)10頁参照)。


安倍首相が、憲法改正をする意欲を示していますが、憲法の意味を分かって意欲を示しているとは思えません。憲法改正の論議は、安倍首相が、現実の差し迫った問題に対応できず、そこから目を逸らすための手段にすぎないと思えてならないのです。
安倍首相は、憲法改正問題を考える暇があったら、北朝鮮問題、必修科目履修漏れ問題、いじめ問題など、今直面している問題に取り組んで欲しいと思います。
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