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1.J-CASTニュース:「子猫殺し」直木賞作家 タヒチ刑法に抵触か : 2006/8/28
「「子猫殺し」直木賞作家 タヒチ刑法に抵触か
2006/8/28
日経新聞に掲載された直木賞作家・坂東眞砂子さんのエッセイ「子猫殺し」が大きな波紋を呼んでいる。J-CASTニュースには「理解できない」といった意見のほかに、「法律に抵触するのでは」「動物愛護法について取り上げてください」という声も寄せられた。では、タヒチでの「子猫殺し」は法律的にどうなるのか、現地の動物愛護団体に直接問い合わせた。
日本の動物愛護管理法では「愛護動物をみだりに殺し又は傷つけた場合は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金」とある。「子猫殺し」にある行為が「みだりに」かは判断が分かれるが、環境省によれば、「生まれたら殺すを繰り返していれば、それは『みだり』が当てはまるかもしれない」という。ただし、これまでに「間引き」で動物を殺害したことが問題になった事例はなく、「あくまでも司法の判断」によるという。もっとも、坂東さんが「私は子猫を殺している」というのは、タヒチでのことであって、日本の法律は適用されない。では、タヒチではどうなのか。
■安楽死は獣医にのみに許されている行為
タヒチは、正式名称を「フランス領ポリネシア」といい、フランス領であるために、フランスの刑法が適用される。タヒチの動物愛護団体「Fenua Animalia(主要ポリネシア動物愛護協会)」にフランス語で質問を送ると、英語で返答があった。それによれば、「子猫殺し」にはフランス刑法「art.R655-1」が適用されるという。これには、「むやみに、飼っているあるいは管理している動物を意志を持って殺害すると、762.25〜1,524.5ユーロの罰金(再犯の場合は3,049ユーロまで)が課される」とある。「むやみに(必要なしに)」が該当すれば、あきらかに「違法」だ。また崖から突き落とす行為が「残虐行為」に該当すれば、「禁固2年と30,000ユーロの罰金」が該当し、さらに罪は重くなる。
J-CASTニュースがコンタクトをとった同協会副会長のエリックさんは、「子猫殺し」のエッセイで描かれた行為は、「個人的な安楽死行為」にあたり、フランス刑法「art.R655-1」が適用され、「法律に触れる」と見ている。
「ペットの安楽死は獣医にのみに許されている行為です。個人によるすべての安楽死行為は法によって虐待とみなされ、最も重い刑を科されます」
しかし、こうした事例によって実際に法が適用されて処罰されるケースは日本と同様にタヒチでもほとんどないという。
■「彼女は主に個人的な名声のためにこのエッセイを書いたのではないか」
また、エリックさんは次のように言う。
「現在の私の意見では、彼女は主に個人的な名声のためにこのエッセイを書いたのではないかと思います。そして、彼女が望んでいたことをするのに、このエッセイで大きな騒動を起こしたことは、最良の方法ではなかったのでは」
タヒチ観光局では、「子猫殺し」に関連した内容で20件ほどの問い合わせがあった。同観光局では、坂東さんの「子猫殺し」のエッセイに対して次のよう述べた。
「すごく残念です。結果的にタヒチに対して悪いイメージを持たれたかもしれない。坂東さんが持っていた意志とは違った意味で捉えられてしまったのだと思います」
タヒチの動物愛護団体も観光局も、「タヒチでも到底受け入れられることではない」といった思いが強い。法的にも、倫理的にも、である。ただ、両者とも坂東さんの「子猫殺し」のエッセイは、彼女自身が狙った「意図」とは、ずいぶん違った結果を生んでしまったと考えている点では共通している。」
2.「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(中)〜フランスのペット法事情」でも、フランス刑法の適用があることを紹介しました(ただし、紹介した論文の発表時の法律は、1999年法であり、現行法ではありませんでした。申し訳ありません。)。
J-CASTニュースが、タヒチの動物愛護団体に直接問い合わせると、
ということですから、坂東氏の行為は「残虐行為」に該当し、「禁固2年と30,000ユーロの罰金」に処せられることになりそうです。「J-CASTニュースがコンタクトをとった同協会副会長のエリックさんは、「子猫殺し」のエッセイで描かれた行為は、「個人的な安楽死行為」にあたり、フランス刑法「art.R655-1」が適用され、「法律に触れる」と見ている。
「ペットの安楽死は獣医にのみに許されている行為です。個人によるすべての安楽死行為は法によって虐待とみなされ、最も重い刑を科されます」
もっとも、事例によって実際に法が適用されて処罰されるケースはほとんどないそうです。その理由は、立証の問題があるでしょうし、通常、飼主であれば、1回限りのやむを得ない殺害であって、坂東氏のように繰り返し何年も何匹も子猫を投げ殺すことはしないから、処罰しなくてよいと判断していると思われます。
ただ、処罰されるケースが殆どないとはいえ、坂東氏の子猫殺しは犯罪行為に当たりうることはかわりがありません。そのことはしっかり認識しておく必要があります。
3.タヒチ観光局の反応については、「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(上)」でも紹介しましたが、この記事でも、坂東氏の「子猫殺し」のエッセイに対して、
「すごく残念です。結果的にタヒチに対して悪いイメージを持たれたかもしれない。坂東さんが持っていた意志とは違った意味で捉えられてしまったのだと思います」
と述べています。
タヒチに暮らす一般の人々は、坂東氏と同様の考えなんて持っておらず、 坂東氏が産まれる度に子猫を投げ殺して動物虐待をしていますが、それは稀有なことであって、タヒチでは「坂東氏のような動物虐待」が日常的に行われているという事実はないのです。タヒチ観光局は、坂東氏のような動物虐待が一般的なタチヒの状態と勘違いされることは迷惑だと感じているのです。
4.主要ポリネシア動物愛護協会副会長のエリックさんは、「坂東氏は、このエッセイにより共感を得て、名声を得ようとしたのではないか」と考えているようです。
坂東氏の意図はともかく、
のです。タヒチでも法的・倫理的に許されず、日本の動物愛護管理法によっても犯罪行為であり、法的にも許されないのです。現地(タチヒ)でも日本でも法的に許されない行為は、坂東氏がどう正当化しようとしても、法治国家においては許されないのです。「タヒチの動物愛護団体も観光局も、「タヒチでも到底受け入れられることではない」といった思いが強い。法的にも、倫理的にも、である。」
コメント欄で触れたことですが、坂東氏は、自然豊かで何匹猫を飼っても近所迷惑にならない高級リゾート地のタヒチで、子猫を飼う財政的余裕が十分にあって、優雅に暮らしているのですから、子猫を殺す必要がありませんし、避妊手術する必要もないでしょう。
「日経の読者の大半は……自然が失われた狭い日本で暮らし、殺伐とした日常の癒しのためにネコを飼っている。そういう人たちに向かって、南太平洋の楽園で印税暮らしの作家が「子猫殺しの話」をしても共感は得られないだろう。……日本の都市部での「生死の意味」はタヒチのものとは全く違うのだ。そういう条件を考えるセンシビリティが全く欠けている。」(「FRENCH BLOOM NET」さんの「2006年08月27日:週刊フランス情報 21 - 27 AOUT 「子猫殺し」作家、フランス刑法に抵触?」)
タヒチと日本とは、環境が全然違うのです。坂東氏がタヒチで優雅に暮らしながら子猫殺しを正当化しようとしても、説得力は皆無だと思います。
そうなると、坂東氏の行為の法的評価の判断基準は、日本法ではなくフランス法となるので、フランス法を知っておくことが不可欠です。坂東氏がどんなに論理を連ねて「子猫殺し」を正当化しようとしても、犯罪行為(=違法行為)であれば、法治国家においては犯罪行為を許す(=適法)わけにはいかないからです。
そこで、フランス法において、動物がどのように扱われているのか?、について紹介してみたいと思います。
1.法律時報2001年4月号(73巻4月号)では、「特集=各国のペット法事情」が掲載されており、そこでは、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスのペット法事情についての論文が掲載されています。この中から、吉井啓子・国学院大学講師「フランスのペット法事情」という論文の一部を引用してみます((注)は除きます)。
「フランスにおける「動物法」の概観――動物虐待罪を中心に
動物が関係する法律の範囲はきわめて広く、ペットに関するものだけでも、民法典・刑法典・農事法典・地方公共団体法典・道路法典・公衆衛生法典などをあげることができる。そこで、ここでは、わが国でも大きな問題になっている動物虐待に焦点を絞り、フランスの立法がいかに早くからこの問題に対応してきたのかを見てみたい。
初めて動物虐待罪を規定したのは、1850年7月2日の「グラモン法(loi Grammont)」であった。グラモン法は、「家畜(animal domestique)」を「公然と虐待する(exerce publiquement de mauvais traitement)」行為を処罰したが、同法は後に廃止され、動物虐待罪は刑法典に違警罪(contravention)として組み込まれた。そこでは、さらに保護の対象が「飼い慣らされた動物(animal apprivoisé)」「捕獲された動物(animal tenu en captivité)」にも拡大された。その後、1963年11月19日法は、「虐待」に加えてより重大な「残虐行為(acte de cruauté)」を軽罪(délit)とする規定を新設し、これが刑法旧453条となった。さらに、1976年7月10日法は、より深刻な「重大な虐待(sévice grave)」を軽罪として付加し、また、故意の遺棄も「残虐行為」として処罰の対象となるとした。
この1976年法は、フランスの動物立法の中でも特筆すべきものである。第一に、同法9条は、「全ての動物は、所有者によりその生物学的要請と両立する条件の下におかれなければならない感覚ある存在(être sensible)である」と規定し、動物が人間と同じく「感覚ある存在」であるとした。第二に、同法14条は、公益性を承認された動物保護団体に、刑法旧453条所定の犯罪について、その団体が擁護する利益の直接・間接の侵害について私訴原告人(partie civile)としての諸権利を認めた。この規定は、1994年2月1日法による新刑事訴訟法2−13条に受け継がれ、行為時の少なくとも5年以上前までに届出がされている団体に私訴権が認められている。
その後、刑法旧453条は1994年新刑法典により刑法521−1条となった。内容はそのままに刑罰が強化され、公然であると否とを問わず、必要なくして家畜・飼い慣らされた動物または捕獲された動物に対して重大な虐待または残虐行為を行った場合、不法な動物実験を行った場合、不法な動物実験を行った場合には、6ヶ月の拘禁刑および5万フランの罰金が科せられることになった。この刑罰は、1999年法でさらに強化され、四倍となり(2年の拘禁刑および20万フランの罰金)、補充刑として確定的または一時的に動物の飼育禁止を命じることもできるという規定が新設された。この1999年法は、……コンパニオン・アニマルの売買と保有・動物の輸送・検査の執行などに関する数多くの事項を規定しており、近時のフランスの動物立法の中でもきわめて重要であると思われる。」
「動物の法的性質
1994年新刑法典では、動物虐待罪の編別上の位置づけが大きく変わり、同罪は「財産に対する重罪・軽罪」の章にではなく、「その他の重罪・軽罪」の章に規定されることになった。この点から、動物はもはや「物」ではなくなったと説明する論者もいる。はたして、フランスにおいて動物の法的性質はどのように考えられているのであろうか。
この点に関して、1999年法により興味深い改正が民法についてなされた。民法の旧524条・旧528条では、動物は「物」「物体」であるとされており、耕作のために用いられる動物などが「用途による不動産」となり得る場合はあるが、動物は原則として「性質による動産」であった。この点に関して、1980年に首相の命により国民議会議員ミコーが提出した報告書では、民法516条の「財物(bien)」の定義に不動産・動産の他にさらに動物を加え、旧524条の「物」を「動物および物」に変えてはどうかとの提案が既になされていたのだが、1999年法によってようやく「用途による不動産」「性質による動産」の定義規定に修正が加えられた。新524条1項は「土地所有者が、その便益または利用のために土地においた動物および物(les animaux et les objets)は、用途による不動産である」、新528条は「自力で移動し得るのと、他力によってしか移動し得ないのとを問わず、場所を移動し得る動物および物体(les animaux et les corps)は、性質による動産である」と規定している。そこでは、「動物」が「物」「物体」の下位概念ではないと考えられる。しかし、この民法改正は、解釈上何らかの変化をもたらしたというわけではなく、象徴的な意味しか持たないと思われる。確かに、動物は「物」「物体」ではないが、「動産」であり「財物」であることに変わりはない。物と動物を分けて併記する意義はないのではないか、動物を「動産」と規定する528条自体をなくすべきではないかという批判は、今回の改正とほぼ同じ内容を持つミコー報告について既になされていたところでもある。
しかし、動物を「動産」であるとする民法典の規定にもかかわらず、動物を単なる「動産」ではないとする判例は古くからあった。フランスの破毀院第一民事部1962年1月16日判決では、リュニュス号という競走馬が遠征先であてがわれた厩舎内で感電死した事件について、カーン大審裁判所1962年10月30日判決ではイエーダというダックスフントがシェパードにかみ殺された事件について、それぞれ飼い主の精神的損害の賠償請求を認めており、これが判例として定着している。それは、飼い主とペットの愛情的な結びつきの重要性を反映したものであり、動物を単なる「動産」と見る民法典の規定とは相容れないものだといえるだろう。だが、大審裁判所レベルではあるが、離婚の際に妻にペットの犬の監護権を与え、夫への犬の養育費用請求を認める判決があるのを見ると、ペットの家庭生活における重要性を認めつつも、ペットを子と全く同視してしまうことは行き過ぎであると思わざるをえない。破毀院は、離婚に際してのペットの帰属をめぐる争いについて、別れた配偶者のものとなった犬に対する訪問・宿泊権を否定している。当然の結論であろう。
学説においては、古くは、デュモーグの論文で、情動能力のあるすべての存在が権利主体となり得るのであり、動物は快楽または苦痛を感じる能力があるのだから「権利主体」となり得るのだと述べたものがあった。その後、30年ほど前から動物の権利主体性が盛んに議論されるようになった。そして、動物に関する一連の判例・保護立法から、動物は「胎児の状態にある権利主体」「生まれたばかりの権利主体」であるといえると述べる者、動物は「法的に保護される利益」を有するのであり制限された法人格を動物に認めるべきであると説く者が現れている。なかには「動物人(person animale)」という言葉を用いて、「自然人」「法人」に次ぐ第三の「人」として、動物に法人格を与えよと説く者もいる。フランス動物法の第一人者であり「私法における動物(L'animal en droit privé)」と題された大部の本を著しているマルゲノーも、やはり、1994年新刑法典での動物の位置づけの変化から、動物は既に「物」ではないと断じ、法人格を認める基準は固有の法的利益を持つことと意思表示の可能性があることであり、保護団体に私訴権が認められていることなどから、動物は既に「人」であると説いている。しかし、動物に制限された法人格を与えるとすると、どのような動物にどのような権利を認めるのかという問題が出てくるだろう。動物保護は、動物に対する人間の義務を強化することによればいいのであり、動物の権利主体性を認める必要はないとして学説の動きを批判する論者もいる。動物の権利主体性が議論されているのは、専ら動物保護に関連してであるが、この点について既に詳細な動物虐待罪の規定を持つフランス法の下、動物の権利主体性を認めることでさらにどのようなメリットが出てくるのかについては筆者も疑問である。」
2.フランス刑法521−1条によれば、必要なくして家畜・飼い慣らされた動物または捕獲された動物に対して重大な虐待または残虐行為を行った場合、2年の拘禁刑および20万フランの罰金に処せられ、故意の遺棄も「残虐行為」に当たります。また、補充刑として確定的または一時的に動物の飼育禁止を命じることができるのです。
坂東氏は、親猫の避妊手術が納得できないという感情的な事情で避妊させずに、産まれたばかりでひどく体が弱い子猫を、故意に崖の下に投げ捨てて殺害したのですから、ほぼ確実に「残虐行為」又は「重大な虐待」に当たると考えられます。
それゆえ、坂東氏の行為は動物虐待罪に当たると考えられますので、裁判になれば、2年の拘禁刑および20万フランの罰金に処せられると思われます。
また、何度も繰り返し殺害しており、正当化する発言をしていることから、今後も殺害を繰り返す可能性が高いのですから、裁判になれば、補充刑として、確定的または一時的に動物の飼育禁止の命令が下されると思われます。
このように坂東氏による子猫殺し行為は、フランス刑法によれば犯罪行為にあたります。犯罪行為である以上、坂東氏がどれほど理屈を述べて正当化しようとしても、犯罪行為を許す(=適法)わけにはいかないでしょう。
なお、動物保護団体に私訴権が認めれていることから、日本の動物保護団体はともかく、フランスの動物保護団体が訴えれば、坂東氏は動物虐待罪で裁判になると思われます。
3.フランスでは、動物はもはや「物」でなくなったと説明する論者もいるどころか、フランス動物法の第一人者は、動物は「物」ではなく、動物は既に「人」であるとさえ説いているのです。このように、フランスでは、批判はあっても、動物を「人」と扱う論者がいるほど動物の権利主体性を認める意識があるといえるわけです。
このような意識はフランスだけではありません。ドイツでも、動物の法的地位を向上させるため、「動物は物ではない」(ドイツ民法90条a1文)という規定があるのです。
詳しい各国のペット法事情については、「国における動物保護の主な法制度の歴史」(地球生物会議(ALIVE))や、尾崎裕子(日本女子大学大学院人間生活学研究科)「ペットをめぐる法律(2)海外編」を参照して下さい。
上で指摘したように欧州ではペット法が充実しているのですが、そもそも欧州では「ペット動物の保護に関する欧州協定」(1987年)も結ばれるほど、ペットの権利が保障されているのです。例えば、この協定の序文では、人間にはすべての生き物を尊重する倫理的義務があること、ペットと人間とは特別な関係にあることなどが、述べられています。また、この協定では、何人もペットに不必要な痛みまたは苦しみを与えたり、または不安にしてはいけない(3条1項)、何人もペットを遺棄してはいけない(3条2項)などとも規定しているのです。
このように欧州においてペットの権利が充実し、動物を「物」扱いしないような保障がなされているのは、欧米人の動物観に基づくものと思われます。
「20世紀前半の欧米人の動物観は、動物は可愛がられるもの、保護すべきものであったと思われる。その具体的な行動は、動物保護(animal protection)と呼ばれてきた。その後、欧米では、動物福祉(animal welfare)という言葉が多く使われるようになった。保護と福祉の違いは、保護が相手の立場・意向などを考慮することなく上から手を差し伸べるものであるのに対し、福祉は相手の人格・権利などを認めたうえで、手を差し伸べることである。」(長谷川貞之・駿河台大学教授「アメリカのペット法事情」法律時報73巻4号14頁)
4.欧米の動物観では、ペット動物に対する飢えや遺棄、不要な痛みや苦痛を避けることは、飼主の最低限の義務ですから、坂東氏による子猫投げ殺し行為の正当化は、到底、欧米の動物観とは相容れないといえるでしょう。
坂東氏の理屈を理解し、正しいと思う人もいるかもしれません。ある程度納得できるという人もいるかと思います。坂東氏の行為はそれほど非難するほどの行為ではないと思う方もいるようです。
しかし、坂東氏の理屈を正しいと思ったり、納得したり、さほど非難に値しないという考えは、今まで縷々述べてきたように、欧米のペット法体系・欧米の動物観とおよそ合致しないのです。欧米で通用しない理屈でもって、フランス法が適用される地で行った行為を正当化できるとは思えません。
坂東氏の理屈を正しいと思ったり、納得したり、さほど非難に値しないという考えをもつ人は、そのような考えは、欧米のペット法体系・欧米の動物観と合致しない考えであることを真摯に受け止めるべきであり、坂東氏の犯罪行為を擁護し、助長するものであることを明確に意識しておくべきでしょう。
坂東氏の子猫殺し行為は、もし日本で行った場合にも違法行為となることは、「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(上)」を参照して下さい。
すでにネット上では、「J-CASTニュース:女流作家『子猫殺し』ネット上で騒然」(2006/8/21)、「J-CASTニュース:『子猫殺し』女流作家 今度は『子犬殺し』?(2006/8/23)、「J-CASTニュース:直木賞作家『犬猫殺し』 批判の嵐拡大」(2006/8/24)、「きっこのブログ」さんの「猫殺し作家の屁理屈(2006.08.21)」(「きっこのブログ」さんでは、「子犬も殺していた鬼畜女(2006.08.23)」「人格異常者のルーツ(2006.08.24)」でも)でも扱っていました。
8月24日付朝刊(毎日新聞・日刊スポーツ)を皮切りに、同日の夕刊紙(朝日新聞・読売新聞・夕刊フジ・日刊ゲンダイ)が触れ、さらに中日新聞や産経新聞(8月25日付朝刊)も記事にしており、かなり騒然となっている問題です。日経新聞(8月25日付朝刊)も触れていました。
なお、坂東氏のエッセーは直接目にしたくないので、追記の形で載せておきます。ちなみにタヒチ観光局は、坂東氏のエッセーは主観に満ちており、「タヒチに暮らす一般の人々の考えや生活、環境について述べられたものとは全く異なる」とコメントしているようです。これだけ理解していれば十分かと思います。
1.まずは記事の紹介から。
(1) 毎日新聞平成18年8月24日付朝刊31面
「子猫殺し:直木賞作家・坂東さんがエッセーで告白
直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)が日本経済新聞に寄せたエッセーで、自身の飼い猫が産んだ子猫を野良猫対策として殺していることを告白し、波紋を広げている。坂東さんはフランス領のタヒチ島在住で、事実ならフランスの刑法に抵触する可能性もある。坂東さんは「避妊手術も、生まれてすぐの子猫を殺すことも同じことだ」との趣旨の主張をしているが、日本経済新聞社には抗議や非難が殺到、動物保護団体も真相究明を求めている。【鳴海崇】
坂東さんが日経新聞18日付夕刊15面の「プロムナード」に寄稿した「子猫殺し」。「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。(中略)承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している」と書き出し、飼っている雌の猫3匹には避妊手術をせず、子猫が生まれると自宅隣のがけ下に放り投げていることを明らかにした。
野良猫対策としての避妊手術は認めているが、「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」との論を展開。「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と結んだ。
日本動物愛護協会によると、フランス刑法は犯罪を三つに分類、子猫を殺す行為は、中間の「軽罪」(最高2年の拘禁刑)か最も軽い「違警罪」(罰金刑)にあたる可能性があるという。協会は「事実なら到底許されない」と非難、日経に事実関係の調査を求める方針だ。
坂東さんは日経を通じて「タヒチ島に住んで8年。人も動物も含めた意味で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。『子猫殺し』はその線上にある。動物にとって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した。人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じ、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからだ」とのコメントを寄せた。
日経には23日までに、エッセーを巡って約300件のメールと約60件の電話が寄せられ、多くは批判や抗議だという。在日フランス大使館にも問い合わせが相次ぎ、業務に支障が出ている。
日経社長室は「原稿の内容は、筆者の自主性を尊重している。今回の原稿も事前に担当者が筆者に内容を確認した上で掲載した。さまざまなご意見は真摯(しんし)に受け止めたい」と説明している。
坂東さんは高知県出身で、ホラー小説の第一人者。97年に「山妣(やまはは)」で第116回直木賞を受賞した。映画「死国」「狗神」の原作者。7月から毎週金曜日のプロムナードを担当している。
毎日新聞 2006年8月24日 3時00分」
(2) 読売新聞(平成18年8月24日付夕刊18面)
「坂東眞砂子さん「子猫殺し」コラム、掲載紙に抗議殺到
直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)が、日本経済新聞の18日夕刊に「私は子猫を殺している」と告白するコラムを掲載したところ、インターネット上などで批判の声が上がり、日経新聞や動物愛護団体に抗議が相次いでいることがわかった。
「日本動物愛護協会」(東京都港区)は近く、コラムの内容について日経新聞に事実確認を申し入れる予定だ。
批判が上がっているのは、日経新聞夕刊の「プロムナード」というコーナーで、「子猫殺し」とタイトルが付けられた坂東さんのコラム。「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」で始まり、生まれたばかりの子猫を家の隣のがけ下に投げ捨てていると告白している。その上で、飼い猫に避妊手術を受けさせることと、子猫の投げ捨てを対比し、「生まれてすぐの子猫を殺しても(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」と書いた。
掲載後、日本動物愛護協会などには抗議のメールやファクスなどが殺到。日経新聞には、24日正午までに、メールで508件、電話で88件の問い合わせがあり、ほとんどが批判や抗議という。
坂東さんは、仏領タヒチ島在住。日本の動物愛護法では、猫などの愛護動物をみだりに殺したり、傷つけたりすると、1年以下の懲役か100万円以下の罰金となる。環境省の動物愛護管理室は「(坂東さんが)海外居住のため、日本の法律の適用外」としているが、フランスの刑法でも、悪質な動物虐待については拘禁刑や罰金刑を定めている。
坂東さんは日経新聞を通じ、「動物にとって生きるとはなにか、という姿勢から、私の考えを表明しました。それは人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じることであり、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからです」とコメント。日経新聞では「個々の原稿の内容は、原則として筆者の自主性を尊重している」としている。
坂東さんは、「桜雨」「曼荼羅道(まんだらどう)」などで知られる人気作家。97年には「山妣(やまはは)」で直木賞を受賞している。
(2006年8月24日14時3分 読売新聞)」
(3) 産経新聞のHP(08/24 11:01)
■愛猫家として知られるジャーナリストの江川紹子さんの話
「子猫が生まれないように避妊手術をすることと子猫の命を奪うことを同列に論じている板東さんの論理はおかしい。何が猫にとっての幸せかは猫でなければ分からない。突然殺されることに子猫は悲しんでいるはずだ。猫は野生動物とは違う。人間とのかかわりの中で生きてきた猫と、どう幸せに寄り添っていくかをもっと考えるべきだ」
2.犬や猫は飼主を選べません。坂東氏は、事も無げに子猫を何匹も繰り返し崖から投げ捨て殺害しているのですから、坂東氏に飼われている猫は可哀想でなりません(子犬も殺害しているようです)。正直なところ、胸糞が悪くなるような実話ですが、坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題について、まず、坂東氏が「子猫殺し」を正当化する根拠の是非から触れていくことにします。
(1) 坂東氏がなぜ、「飼っている雌の猫3匹には避妊手術をせず、子猫が生まれると自宅隣のがけ下に放り投げて」殺害しているのか? というと、
という論理によっています。「「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」との論を展開。「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」」
(2) まず、「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない」という論理は妥当でしょうか?
動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法:改正法・平成18年6月1日から施行)によると、
「(犬及びねこの繁殖制限)
第三十七条 犬又はねこの所有者は、これらの動物がみだりに繁殖してこれに適正な飼養を受ける機会を与えることが困難となるようなおそれがあると認める場合には、その繁殖を防止するため、生殖を不能にする手術その他の措置をするように努めなければならない。
2 都道府県等は、第三十五条第一項の規定による犬又はねこの引取り等に際して、前項に規定する措置が適切になされるよう、必要な指導及び助言を行うように努めなければならない。」
このように、猫の飼主は所有者として、避妊手術を行う権利がありますが(民法206条:所有権の内容)、動愛法によればむしろ、生まれてきた子猫の貰い手が探せず、飼いきれないのであれば、避妊手術を行うことは飼主の義務であるわけです。
そうすると、日本法によれば、坂東氏は避妊手術を行う義務さえあったのです。もちろん、坂東氏は、タヒチ在住ゆえ、動愛法の適用外であってフランス法の適用があるわけですが、、アメリカでも避妊手術どころか、早期の手術さえ奨励されている状況(「早期不妊手術のすすめ」参照)ですから、フランス領であるタヒチでも避妊手術が奨励されていると予想できます。
何より、避妊手術をしていないペットから望まれない子供がたくさん生まれ、安楽死させるくらいなら、避妊手術をする方がよいという考えは、アメリカはもちろん、各国共通した考えのように思えます。
そうなると、「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない」という論理は妥当ではないと考えます。
(3) 次に、「「生まれた子を殺す権利もない」との論理、結局は子猫を崖から投げ殺すことは、妥当でしょうか?
再び、動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)から。
「(目的)
第一条 この法律は、動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止することを目的とする。
(基本原則)
第二条 動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。
(動物を殺す場合の方法)
第四十条 動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない。
2 環境大臣は、関係行政機関の長と協議して、前項の方法に関し必要な事項を定めることができる。
第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、五十万円以下の罰金に処する。
3 愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処する。
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの 」
飼主は飼っている動物の所有者ですので、飼い猫を殺害することは可能ですから、抽象的には、「生まれた子を殺す権利」はあるのです。ですが、動物愛護管理法によれば、動物との共生に配慮する必要があり、もし殺害せざるを得ない場合も苦痛を与えない方法によらなければなりません。もし、みだりに殺害すれば1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられるわけです。
「日本動物愛護協会によると、フランス刑法は犯罪を三つに分類、子猫を殺す行為は、中間の「軽罪」(最高2年の拘禁刑)か最も軽い「違警罪」(罰金刑)にあたる可能性がある」(毎日新聞)のですから、タヒチ在住の坂東氏は、フランス刑法により拘禁刑か罰金刑が科される可能性があるのです。この罰金は日本円では22万円相当のようです(日本テレビによるフランス大使館への問い合わせによる)。
もっとも、フランスでは
そうですから、坂東氏による「子猫投げ殺し」はフランス本土であれば実際上の処罰は微妙といえそうです。「夏のヴァカンスになると、高速道路の斜面に点々と犬猫の死骸が転がっているのを、筆者も目撃したことがある。一週間から時に一ヶ月にもなる長い夏休みの間、パリのアパルトマンに置きざりにできないし、さりとてペット・シッターに預けると高くつく。滞在先のホテルやペンションではむろんペット同伴お断りである。そこで、止むなく途中の車窓からあの世へ行ってもらう仕儀となる」(山内昶(やまうちひさし)「ヒトはなぜペットを食べないか」(文春新書、平成17年)181頁)
ただし、タヒチ観光局によると、
ということだそうですので、坂東氏による「子猫投げ殺し」はタヒチでは、処罰の可能性は十分にありといえそうです。「タヒチで動物虐待が日常的に行われているという事実はなく、また人の手によって意図的に殺された動物の死骸を目にしたという話も聞いた事はございません。」
そうすると、坂東氏が言う「生まれた子を殺す権利もない」との論理は間違っていますし、ましてや「子猫を崖から投げ殺すこと」は日本法でもフランス法でも犯罪行為ですから、いずれの論理も妥当ではないのです。
(4) さらに「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」という論理は妥当でしょうか?
エッセーを読むと、「自分の育ててきた猫の『生』の充実」とは、「獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか」ということのようです。要するに、坂東氏は、猫の生涯にとって、交尾と出産自体が最も好ましいことであり、それゆえ避妊手術は好ましくないと理解しているのです。
また、「社会に対する責任」については、飼主の責任のとり方として避妊手術・里親探し・子猫殺しがあるが、タヒチでは里親探しは困難で、避妊手術は納得できないから、「子猫殺しを選択した」ということのようです。
十数年、猫を飼っている経験からすると、猫の生涯にとって、健康でいること、長生きすること、交尾、子猫を育てること、人や猫との交流、というようなことが好ましいことにように思えます。
(8月29日追記:雌猫にとって交尾は痛いだけです。念のため。)
子を繰り返し産むと明らかに猫の体は弱りますし、「避妊手術」で完璧に予防できる子宮蓄膿症のことや、早めに避妊手術をすることで乳癌の発生率は、ほぼゼロに近い数字になり、避妊手術をしていない猫よりも、手術をしている猫のほうが長生きするというデーターが獣医師会でも出ている(「動物愛護を考える東大阪市民の会」のHPより)のです。とすれば、(疾病予防目的で)避妊手術をすることの方が、猫の健康や、健康に長生きすることに繋がるのです。
親猫は、自分の子を見失うといつまでも探しますから、自分の子を育てる欲求は非常に強いのです。とすれば、生まれた子猫をすぐさま殺すことは、親猫の子を育てたいという強い欲求を奪っているのです。
以前飼っていた猫(ミッシャ)は、普段から他の猫との交流を嫌がっていましたし、発情期の時にも他の猫を避けていましたから、とても「交尾と出産自体が最も好ましい」とは思えませんでした。
もちろん、ミッシャのような猫ばかりではありません。飼主は、猫の負担になる出産をコントロールするため、室内飼いするか、飼主が責任を持って避妊手術する方が好ましいといえます。
何よりもこの世に生を受けた子猫の命を直ちに奪うことは、子猫の生涯の一切を奪うことになるのです。親猫の交尾と出産の自由の方を残す価値と、子猫の交尾と出産の自由を含めた命の価値を比べた場合、後者の命の方の価値の方が重いことは、日本の法体系の価値観を持ち出すまでもなく、明らかでしょう。
そうすると、「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」という論理は妥当ではないのです。
坂東氏は「交尾」を最重視して子育てを無視していますが、このような“子供嫌いの交尾第一主義”は、坂東氏のいう通り「人間の生」のあり方でも見受けられる行動です。しかし、“子供嫌いの交尾第一主義”は人間社会でも非難される行動であり、坂東氏自体の性癖に基づいた歪んだ価値観にすぎないと思います。
3.坂東氏は、子猫殺しをすることの「殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と、巧みに自己の行為を正当化したつもりになっています。また、「どんなに糾弾されるかわかっている」などと書いて、子猫の死と向き合っているつもりなのです。
しかし、坂東氏は、子猫を崖から投げ捨てて殺害していて、子猫の死を間近で目撃しておらず、子猫の殺害と向き合っていません。結局は、身勝手な理由で飼主の責任から逃げ、子猫の死から逃げ、自己の罪から逃げているのです。坂東氏はエッセーで書いたことで自分勝手に贖罪したつもりになり、「生きた動物の聖性と生命の尊厳を忘れ、単なる物として取り扱」っている(山内昶)、卑劣な愚か者と言わざるを得ません。
1.毎日新聞(平成18年8月22日付朝刊5面)
「語る:06総裁選 加藤紘一・自民元幹事長
◇「靖国」それでも争点
−−8月15日に小泉純一郎首相が靖国神社を参拝し、批判した加藤さんの実家と事務所が放火される事件が起きました。
◆放火した人にどういう組織的背景があるのか、単独なのか分からないが、最近の過剰なナショナリズムというムードの中で起こった話だと思う。世の中、何となく発言しにくい社会になっている。しかし私は発言を変えるつもりはありません。
−−発言は続けますか。
◆はい。こういう事件はあったが、靖国参拝は問題だと思うので今まで通り発言していきます。
−−アジア外交で安倍晋三官房長官と立場が異なる勢力も含め圧倒的に安倍氏支持となった総裁選の現状をどう見ますか。
◆自民党は右から左まで幅広い意見をそろえて過半数を従来維持してきた。国論を二分するような活発な議論があってこその自民党なので、政策の意見が一方に傾くのは今後の各種選挙への影響の上で心配です。
−−「反安倍」になりにくい雰囲気が党内にあるのではないですか。
◆とりあえずは総裁選後の組閣が気になるので優位な安倍氏に流れていると思うんですよね。人事が終われば、ある種の呪縛から離れて自由に議論するようになると思うが、誰が幹事長になるかで(郵政選挙のように)公認権で不利に扱われたり、自分の選挙区に刺客が来るかもとの思いは皆、心のどこかにあるんです。今は負けると分かって政策論争をする候補者がいても、応援する側が尻込みする感じです。湿った薪に火がつかない。
−−本来は何が問われるべきだったのですか。
◆アジア外交が問われるべきだった。靖国問題で特に中韓関係が崩れたわけだから。小泉さんの参拝は文学的で直感的だが、安倍氏は東京裁判には否定的で、より信念的です。東京裁判は米国主導でやった裁判だから、学者ならいいんですけど、首相がこれを言うのは日米関係への影響を考えないといけない。
−−小泉首相の6回の靖国参拝は、安倍さんにどう影響すると思いますか。
◆小泉さんより後退することはできなくなるんじゃないでしょうか。安倍氏の方が本質的には主張がきついので、心配ですね。
−−かつて同志だった谷垣禎一財務相への対応はどうしますか。
◆考えは近いので頑張ってもらいたいと思っていますが、まず推薦人20人を自分でしっかり集める力強さはないといけない。達成できると思っているが、最後の段階でどうしても足りないという時には考えます。
−−自民党の山崎拓前副総裁らとアジア外交の研究会を結成する狙いは何ですか。
◆福田康夫元官房長官の不出馬で総裁選でのアジア外交論議が急激に力を失った。安倍氏が有利だと十分分かっているんですが、だからこそ総裁選後にアジア外交を論ずる一定の仲間を作ることがこの国のために必要だと思います。【聞き手・田所柳子】
毎日新聞 2006年8月22日 東京朝刊」
2.加藤紘一議員による長いコメントです。色々とコメントすることがあるとは思いますが、幾つかの点のみ触れてみます。
(1)
「−−発言は続けますか。
◆はい。こういう事件はあったが、靖国参拝は問題だと思うので今まで通り発言していきます。」
今後も、暴力に怯むことなく靖国問題について活発に発言して欲しいと思います。加藤議員が発言すれば、ここのブログでも積極的に紹介したいと思います。
奥野誠亮元法相(93)も、朝日新聞の記者に対して「朝日新聞と私は見解を異にする。だが、意見が違っても自由に物を言い合うことが大事だ。言論を封じるのは絶対にダメだ」と答えています(朝日新聞8月22日付朝刊11面「政態拝見(星浩・編集委員):『靖国』8・15 活発な発信こそ暴力への反撃」より)。
首相の靖国参拝を一貫して支持し、中国などの対応を批判してきた奥野誠亮元法相も、この事件に対して批判的なようです。政界を引退してもなお、国会議員としてあるべき態度を示しています。
(2)
「−−「反安倍」になりにくい雰囲気が党内にあるのではないですか。
◆とりあえずは総裁選後の組閣が気になるので優位な安倍氏に流れていると思うんですよね。人事が終われば、ある種の呪縛から離れて自由に議論するようになると思うが、誰が幹事長になるかで(郵政選挙のように)公認権で不利に扱われたり、自分の選挙区に刺客が来るかもとの思いは皆、心のどこかにあるんです。今は負けると分かって政策論争をする候補者がいても、応援する側が尻込みする感じです。湿った薪に火がつかない。」
安倍氏はミニ小泉的発言をしていることから、批判的な自民党議員に対しては、総裁選後安倍氏も小泉首相と同じことをするのではないかと、容易に想像できます。郵政選挙では、造反組は公認されず引退に追い込まれたり、刺客を送り込まれ、郵政造反組で当選した議員はわずかでしたし、苦労して当選しても自民党を離党することになりました。ここまで反対する立場を徹底して排斥する行動に出た“小泉首相の実績”がある以上、安倍氏以外の候補者を「応援する側が尻込みする」のは当然でしょう。
「加藤紘一議員の実家放火事件〜「加藤氏実家火災から1週間」の現在、殆ど何も反応しない政府・与党」で紹介した、北海道新聞や東京新聞の記事でも「安倍晋三氏の陣営にともかく加わっておかないとバスに乗り遅れる、逡巡(しゅんじゅん)すれば冷や飯を食う」と書かれていたように、物言えぬ状況にあることは、誰もが分かっていることのようです。
「表現の自由を支える伝統的な根拠論として、『思想の自由市場』という考え方が、J・ミルトンの『アレオパジチカ』(1644年)にはじまり、アメリカでホームズ裁判官の意見などに受け継がれて、確立されてきている。つまり、言論の自由な競争の中でこそ真理が勝利しうる、という考え方である。」(浜田純一「表現の自由の保障根拠」憲法の争点(第3版)94頁)
暴力により、首相の靖国参拝批判の言論が萎縮してしまうようでは、到底、真理への到達はできなくなってしまいます。表現の自由(憲法21条)の大切さについて、強く意識しておくべきだと思います。
3.東京新聞が行った「政治ネットモニター調査」(東京新聞:8月23日付朝刊参照)によると、
と出ています。「名乗り上げていないのに… 加藤紘一氏に支持も
今回のネットモニター調査は、支持する総裁候補の選択肢として安倍、谷垣、麻生の三氏に加え『その他』を提示。『その他』と答えた人には、具体名を聞いた。
その中で、突出して多かったのは加藤紘一元幹事長。今回の総裁選には一度も出馬意欲をみせていないにもかかわらず、全体の3.5%の支持を集めた。
加藤氏は15日、山形県の実家が放火とみられる火事で全焼。小泉首相の靖国参拝を批判していたこととの関連も取りざたされている。しかし加藤氏は、その後、ひるまずに首相の靖国参拝への懸念を訴え続けている。そのような姿勢に好感を持っている国民も少なくないようだ。」
この世論調査の結果からすると、暴力に怯むことのない加藤氏を評価する国民が、かなりいることが分かります。加藤氏を評価する国民が増えることこそ、言論に対する暴力を追放し、特に国会議員の言論に対する暴力を追放することに繋がるのだと思います。
1.続報記事について
(1) 日経新聞(8月19日付朝刊35面)
「加藤議員実家全焼で右翼団体事務所など捜索・放火容疑
山形県鶴岡市の元自民党幹事長加藤紘一衆院議員(67)の実家と事務所が全焼した火災で、山形県警は18日、関係先として東京都新宿区歌舞伎町の右翼団体「大日本同胞社」事務所など都内2カ所を放火容疑で家宅捜索した。
山形県警は、現場で割腹自殺を図ったとみられる男(65)が放火した疑いが強いとみており、思想的背景などを調べるために男が所属している大日本同胞社の捜索に踏み切った。
男は鶴岡市内の病院に入院、治療中で事情聴取ができない状態で、これまで声明文なども見つかっていない。加藤議員は小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判しており、県警は押収した資料を分析、放火との関連を調べる。
家宅捜索は2カ所とも午後3時ごろから捜査員約20人で開始した。新宿区の同団体事務所では午後2時半ごろ、車2台でスーツ姿の捜査員7人が到着。事務所を捜索するとともに関係者から話を聞いている。 (07:00) 」
この報道により、放火をした疑いのある男が所属する団体は、「大日本同胞社」だと分かります。
この団体は、「サンデー毎日」2006年9月3日号36頁によると、
「『右翼民俗派団体年鑑』(二十一世紀書院)や関係者によると、この右翼団体は77年9月、元住吉会系暴力団総長らが設立し、国士舘大時代から右翼運動に入った幹部が引き継いだ。幹部の知人によると、「幹部は、正統派の行動右翼。福岡県出身で故・佐郷屋嘉昭(留雄)氏の最後の弟子です」。
佐郷屋氏は1930年11月、時の浜口雄幸首相を東京駅で狙撃したことで知られ、戦後も右翼陣営に大きな影響力を及ぼした。
その「テロリストの系譜」は受け継がれたようで、前出の知人は「門下からテロリストを出す可能性はあった」と言うのだ。」
と紹介しています。住吉会系暴力団との関係があり、幹部は、正統派の行動右翼であり、元々、テロリストを出す可能性があった右翼団体であったというわけです。
(2) 一番最近の記事は、北海道新聞(8月21日付)のようです。
「加藤氏実家火災から1週間 政府・与党反応鈍く 「言論の自由」薄い危機感 2006/08/21 23:26
小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判した自民党の加藤紘一元幹事長の、山形県鶴岡市の実家と事務所が今月15日、全焼した火災から1週間。右翼団体に所属する男による放火の疑いが強まる中、加藤氏は今後も積極的に発言する姿勢を強調している。ただ、事件に対する政府・与党の反応は鈍く、首相からも公式発言がないなど、言論の自由への危機感の希薄さを浮き彫りにしている。
「いままで通り発言し続けることが大事だ」。加藤氏は二十日の民放の報道番組で、今後も批判を恐れず発言する決意をあらためて示した。
加藤氏は、首相のアジア外交や靖国神社参拝を一貫して批判。首相が参拝に踏み切った十五日には記者会見で「日本のアジア外交をかなり壊してしまった」と言い切り、安倍氏に対しても「靖国観、歴史観は極めて東京裁判否定に近い表現になっている」と指摘した。
火災の発生はこの会見の数時間後。加藤氏は「ここ数年、世の中が変だと思うところがある。自由に政治家がものを言えなくなったら、よっぽど気を付けなければいけない」と声を震わせた。事件前から、発言のたびに事務所には抗議の電話が寄せられていたという。
事件直後こそ、「何らかの思想的な背景があって、ということであれば、極めて言語道断」(谷垣禎一財務相)「仮に(加藤氏の発言に対する)悪意を持った行為であるとすれば、まったく容認できない」(逢沢一郎幹事長代理)などの反応があったが、その後、政府・与党内で目立ったコメントはない。
首相や安倍氏、党幹部が夏休みだったという事情はあるが、安倍政権誕生を考えれば、加藤氏を現時点で擁護するのは得策ではないとの議員心理が働いたとみられる。
こうした政府・与党内の空気について加藤氏は二十日、「ともすれば、自民党の中で一方的な考えが主流になりつつある。どちらかというと極めてナショナリスティック(国家主義的)な方向になりつつある」と懸念を示した。」
事件直後は、谷垣禎一財務相や逢沢一郎幹事長代理は事件を非難するコメントを表明しましたが、「政府・与党内で目立ったコメントはない」のです。
なぜコメントしないのかというと、首相の靖国参拝に賛成している「安倍政権誕生を考えれば」靖国参拝に批判的な「加藤氏を現時点で擁護するのは得策ではないとの議員心理が働いた」のだすると、小泉首相はもちろん、安倍政権で冷や飯を食わないようにしている多数の自民党議員は、度量が小さい者ばかりのように思えます。
某関係者筋から聞いた話によると、加藤紘一議員は、実家を放火した男の入院費用などの治療費を出しているそうです。放火した犯人であることが極めて疑わしい男なのですから、本来なら到底治療費なんて出さないのが一般市民の感覚でしょう。加藤議員の母の生命さえ失いかねなかったのです。
しかし、「この話」が本当だとしたら、加藤紘一議員は、放火により実家と事務所を失い、母の生命も脅かした男の治療費を出しているのですから、この加藤議員の度量の大きさには敬服に値します。加藤議員はこの男の話を聞きたいという意図もあるとは思いますが、治療費を出すことは放火した男の生命を救っていることには違いないのです。
加藤議員と、小泉首相はもちろん、安倍政権で冷や飯を食わないようにしている多数の自民党議員との度量の違いは歴然としています。人間としてどちらが尊敬に値するのか、誰の目にも明らかだと思います。
加藤議員の実家放火事件ついては、殆ど続報がなく、感動的ですらある「この話」も報道されていません。報道機関も安倍政権で冷や飯を食わないように遠慮して、加藤議員の実家放火事件について報道しないのでしょうか? 不可解でなりません。
2.この加藤議員の実家放火事件については、朝日新聞(8月17日付社説「加藤氏宅放火 政治テロを許さない」)、毎日新聞(8月18日付「社説:加藤議員宅放火 言論封じる風潮を憂う」)、東京新聞(8月17日付社説「許されない『言論封じ』 加藤邸放火」)など多くの新聞社が社説でこの事件を非難しています。産経新聞でさえ8月17日付社説でいち早く非難しています。もっとも、なぜか読売新聞だけはこの事件について社説で触れていません。ここでは、日経新聞について紹介しておきます。
(1) 日経新聞(8月18日付社説)
「社説1 政治・言論活動の封殺狙うテロを許すな(8/18)
山形県鶴岡市にある元自民党幹事長、加藤紘一衆院議員の実家・事務所が全焼した火事は、右翼団体に所属する男による放火の疑いが強くなった。加藤氏の活動、発言に反発しその封殺を狙った政治・言論テロとみられるのである。
政治家を襲撃したり、暴力で脅したりするテロ事件は、残念ながら後を絶たない。政治的な発言をした公的な人物や組織を威嚇する事件も度々起きている。
そうした、自分と対立する活動や意見を暴力や脅迫、威嚇によって抑えつけようとする行為は、改めて言うまでもなく、民主主義の基盤を傷める犯罪であり、社会の敵の最たるものだ。根絶が難しいことであればこそ、この種の事件が発生するたびに、決して許さないとの決意を新たにしたい。
加藤氏の事件では、現場で身柄を確保された男はヤケドをしたうえ腹部に自分で切ったと思われる傷を負っているためまだ調べができないが、警察はこの男以外に事件にかかわった者がいないか、背後関係はどうか、男の周辺にテロを志向する者はいないかなど、事件の根っこを洗い出す捜査をしてほしい。
事件の2、3日前から現場の下見をしていた疑いがあるというこの男の行動を、何とか事前につかめなかったものか、とも思う。小泉純一郎首相の靖国神社参拝について例年にまして賛否両論が沸き立っていた今年は、靖国問題でマスメディアに積極的に登場して意見を表明していた人たちへの攻撃が終戦記念日前後に行われるのではないか、と警備当局は警戒していたわけだから。
政治・言論テロは未然に防止しない限り、事後にいくら厳しい処罰を加えても、テロを起こす側は目的を果たす結果になる。政治テロ事件にあっては、未然防止がとにかく重要である。
起きてしまった後でテロの目的をくじくには、テロの標的にされ、あるいは事件で威迫を受ける立場の人や組織が、ひるまずにそれまでどおりの活動、発言を続けるしかない。その意味で加藤氏が、今後の政治活動に影響はないと言明し「政治家をやっている以上、意見の相違や誤解は当然ある。信じていることは発言し続ける」と述べたのは、政治家として当然かもしれないが、心強い。
テロは「犯人の気持ちは分かる」とか「やむにやまれぬ動機だろう」とか、少しでも容認する空気が社会に生まれれば、それが増殖の温床になる。テロには社会全体で立ち向かわなければならない。」
(2) 民主主義は自由な言論が保障されてこそ成り立つのですから、「自分と対立する活動や意見を暴力や脅迫、威嚇によって抑えつけようとする行為は、……民主主義の基盤を傷める犯罪」といえます。
憲法50条で「議員は、議院で行った演説…について、院外で責任を問われない」と規定して、議院の発言には免責特権が付与されているように、特に国民の代表者である議員の言論の自由は、十分に保障されなければなりません。議員の言論を暴力で封じてしまおうとする「テロ行為」は、議院の活動、ひいては国会の活動を抑制するものであって、憲法上、極めて許されない行為といえるのです。
この事件は、
ことを思い起こさせます。暗い時代の「恐怖の連鎖」が現代に再現されないよう、一般市民の多数が、言論への暴力や脅しに委縮したり怯んだりしないことを表明する必要があると思います。「太平洋戦争が始まる前の一九三〇年代に五・一五事件、二・二六事件が起こる。青年将校らが時の首相などを殺害してテロへの恐怖心が広がる。政治家は腰が引け、軍部に何も言えなくなる。テロという暴力はマスコミや国民の神経もまひさせ、開戦へ突き進ませた。」(東奥日報8月19日付社説)
(3) もっとも、一般市民の多数が、言論への暴力や脅しに委縮したり怯んだりしないことを表明する必要があるのだとしても、「テロは『犯人の気持ちは分かる』とか『やむにやまれぬ動機だろう』とか、少しでも容認する空気が社会に生まれれば、それが増殖の温床になる。テロには社会全体で立ち向かわなければならない。」(日経新聞8月18日付社説)としても、どれほど立ち向かえる人がいるのでしょうか?
自民党議員でさえ、殆ど何も言わない状況なのです。
「政理整頓 物言えば唇寒し総裁選
自民党の同僚議員たちはなぜ声をもっと大にして怒らないか。不可解である。自由で民主の社会を脅かすテロの疑い濃厚な事件だったのに。
加藤紘一氏の実家と事務所が燃えた。地元警察は割腹自殺を図った男の仕業とみている。動機はあれだろうな、とほとんどの人が直感した。
靖国問題。小泉首相の参拝を批判した加藤氏へ、異論があろうとなかろうと、思想信条を吐露する言論が暴力で阻害されるのを、そのまま見過ごしていいはずがない。
加藤氏の言い分は自民党と相いれない、党を出て行ってくれ、というのなら、そのようにして、いずれ国民や支持者の判断を仰げばいい。郵政解散のときみたいに。
いや、政策と心の問題は別だ、わが党は開かれた国民政党なんだ、というなら、政治テロの根っこを絶つための論陣を速やかに張るべきであった。総裁は当然のこと、次期総裁とたらんとする面々も。
老舗政権政党としての基軸がどこか、おかしくなっていないか。議員の間から『情けないなぁ』なんて嘆き節が、ぼそぼそと聞こえてくる。
小泉批判をためらう空気。それがそっくり党の後継総裁選びに持ち込まれている。
安倍晋三氏の陣営にともかく加わっておかないとバスに乗り遅れる、逡巡(しゅんじゅん)すれば冷や飯を食う、とばかりに、雪崩を打っているそうで、選挙や資金の面倒をみてきたつもりの派閥ボスにすれば、仁義もへったくれもない“にわか安倍派”が一段と増幅中だ。
『情けないが、反旗を立てにくいんだよね』と非安倍の陣営。……
例の放火テロも一過性のものとして、そのうち、口の端にも上らなくなるのかもしれない。げに『物言えば唇寒し総裁選』なのである。
斉藤隆夫という政治家が歴史に名を残す。1940年、日中戦争の処理をめぐって軍部批判の演説をして衆院議員を除名された。恐怖を超えて共に戦う政治家は数少なく、いよいよ破局へ向かう時代の象徴的な出来事となった。
歴史は繰り返すか。保身と猟官まがいの“寄らば大樹”が鼻を突く総裁選。佳境はあるか。(谷政幸・論説副主幹)」(東京新聞8月22日付朝刊6面)
同じ党の議員へのテロ行為であるのに、ほとんどの自民党議員は沈黙したままであり、選挙や資金の面号をみてきた派閥のボスの意向に反して、“にわか安倍派”になってしまうほど、仁義に欠けているのです。ましてや、選挙で投票するだけの関係が希薄な国民の生命・財産を保護するために、懸命になるはずがありません。
自らの実家と事務所に放火した男の治療費さえ出している加藤議員と、加藤議員の実家放火事件へ沈黙し、安倍政権で冷や飯を食わないように派閥のボスを裏切り、「保身と猟官まがいの“寄らば大樹”が鼻を突く」議員と、どちらが国民の代表者たる議員として相応しいのでしょうか? これは首相の靖国参拝の是非の問題以前の、議員としての資質以前の、人間性の問題であり、容易に判断できる問題だと思います。
テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済
1.毎日新聞のHP(8月15日 23時48分)
「火災:加藤紘一氏の実家、事務所を全焼 山形・鶴岡
15日午後5時50分ごろ、山形県鶴岡市大東町、自民党元幹事長の加藤紘一衆院議員(67)の実家から出火、木造2階建て住宅と棟続きの事務所計約338平方メートルを全焼した。実家に住む加藤議員の母、於信(おのぶ)さん(97)は外出中で、事務所にいた事務員も逃げ出して無事だった。実家北側の敷地内で50〜60代くらいの男が腹部から血を流して倒れているのが見つかり、病院の集中治療室で手当てを受けている。男は顔や口の中にやけども負っており、現場の状況などから、県警鶴岡署は男が火を付けた上で割腹自殺を図った可能性があるとみて、慎重に捜査している。男の回復を待って事情を聴く。
調べなどでは、男は事務所とは無関係の人物という。於信さんは出火前、近くを散歩するため外出していた。火元は屋内とみられている。加藤議員は地元に戻った際に実家に滞在していた。
加藤議員は、これまで小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判。首相の参拝を受けた15日の民放のインタビューに「日中関係、日韓関係、アジア外交がほぼ崩壊に近い結果になった」などと答えていた。同署はこうした発言との関連も調べる。事務所関係者は事情聴取に「トラブルや脅迫はなかった」と話しているという。
現場は県道沿いの住宅街。近所の女性は「煙が家の中に入ってきて外に出ると、(於信さんの)自宅から火が上がっていた。その後、『パンパン』という、はじけるような音が4、5回聞こえた」と話していた。【大久保渉】
◇「靖国問題関係か先入観は持たぬ」…加藤議員
知らせを受けた加藤議員は、東京から飛行機で急きょ地元に戻った。午後10時ごろに実家に着き、「子供のころから過ごし、思い出が詰まった家が全部焼けてしまった。(病院に運ばれた男が)靖国(神社参拝問題)と関係があるのか、突発的なものか、先入観は持ちたくない」と語った。
毎日新聞 2006年8月15日 20時55分 (最終更新時間 8月15日 23時48分)」
2.たまたま加藤議員の母が散歩に出ていたことから、死傷者(倒れていた男を除く。)がでなかったことは幸いでした。しかし、加藤議員の母は、大事にしていた着物・身の回りのものをすべて失ってしまいました。加藤議員は、「政治家を息子に持つと迷惑をかけてしまい申し訳ない」と述べたのに対して、母が「まぁいいよ、色々着物を着る年でもないから」と答えていたことに、非常に胸が痛みます。
(1) この倒れていた男の所属は不明でその意図も不明ですから、はっきりしたことは言えません(他の新聞報道によると、この男が放火したことは確実のようです)。加藤議員も、「先入観は持ちたくない」として慎重に答えています。
しかし、加藤議員は、これまでも小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判するたびに100件ほどの抗議電話がきていたそうです(テレビ報道により)。そして、わざわざ8月15日、テレビ出演をして、ずっと小泉首相の靖国参拝を批判していました。
少なくとも、8月15日に放火すれば、火事の処理などに追われるのですから、この日以降は事実上、加藤議員の行動が制約されるのであり、靖国参拝批判が抑制されてしまうことは分かって行ったはずです。
それも考慮すれば、この男は、加藤議員がしていた靖国参拝批判にゆえに放火をし、割腹自殺を図ったものと推測するのが合理的であると思います。
(2) この報道を聞いて、なぜ、加藤議員が、首相が靖国神社を参拝することに批判したことくらいで放火までするのか? と思いました。
靖国神社は、「明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建された」(靖国神社のHPより)もので、戦前においては神社行政を総括した内務省ではなく、陸軍省および海軍省によって共同管理される特殊な存在でした。
こういった日の浅く、戦前は軍に管理されていた存在であり、戦後も旧厚生省の名簿に基づいて合祀してきたという、実質的には独立した存在と評価できない神社です。このように靖国神社は、天皇の祖先神とされる天照坐皇大御神を祀っている伊勢神宮とは、存在価値自体が異なり、日本を象徴するような伝統的な存在とはいえないでしょう。
このような日本を象徴するような伝統的な存在でもないのに、加藤議員が首相の靖国参拝を批判したくらいで不満を持ち、放火までし、自殺を図る必要があるのか、非常に疑問です。加藤議員の母や事務員の命さえも危険にさらされたのです。放火された建物の近くにも建物があり、もっと燃え広がる可能性もあったのです。
「8月15日に参拝するのはよくないと考える。15日は敗戦の日であり…。大体、まつられている人全体に敬意を表すなら、春秋の例大祭参拝がふさわしい」(朝日新聞8月16日付朝刊11面〔所功・京都産業大教授発言〕)のですから、靖国神社にとって、8月15日の参拝が望ましいとはいえないのです。「8月15日の参拝に批判すること」に抗議すること自体、靖国神社のことをよく知らないで抗議したようにも思えます。
(3) 小泉首相は、中韓の反対には左右されないなど反論していますが、このような言い方は「望ましくないナショナリズムや排外主義をあおっている」(朝日新聞8月16日付朝刊11面〔野田毅・自民党衆議院議員発言〕)のです。
純粋なナショナリズムに基づいて靖国神社に参拝にするのなら、それはそれでいいでしょう。しかし、
のです。これらの若者たちは、単に首相見たさで参拝に来たのです。ナショナリズムのかけらもなく、何も考えてない輩としか思えません。「「午前7時45分。小泉首相が本殿で参拝をしていた時、拝殿前の参道に集まった参拝客の多くは、片手を高く上げた若者たちだった。手にしているのはカメラ付き携帯電話かデジタルカメラだ。
「こっちにはこないの」「えー」。首相の参拝が終わると、そのまま参拝せずにきびすを返す若者も少なくなかった。…
この朝、東京都府中市の女子大生(22)は友人と午前5時に家を出て、到着殿前で小泉首相を待った。「連日、これだけマスコミで騒ぎになっているので、歴史的な瞬間に立ち会いたいと思って来ました」。」(朝日新聞8月16日付朝刊)
富田メモによって、昭和天皇がA級戦犯合祀を不快感に思い、「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていたことが明らかになりました。もし純粋なナショナリズムに基づいているのなら、昭和天皇の言葉を大切にすべきです。
ところが、小泉首相は、記者会見で「あの人が、あの方が行かれたからとか、良いとか悪いとかいう問題でもないと思う。」と言い、昭和天皇を「あの人」扱いして、結局は、8月15日に靖国参拝をしたのです。これは、昭和天皇の心・言葉を無視したばかりか、「あの人」扱いは昭和天皇に対する侮辱というべきです。
にもかかわらず、小泉首相が「あの人」扱いしたことに対して殆ど批判もなく、昭和天皇の心を無視したことに批判もないのです。こういう批判がなくて、どこにナショナリズムがあるのでしょうか? 小泉首相の言動は論理矛盾ばかりで(公約に基づくと言いながら私的参拝とするなど)、憲法(政教分離原則など)の理解もできていないのに、小泉首相の支持率は高いのです。結局は、政府自民党に都合のいいナショナリズムに踊らされているのではないか?と、思わざるを得ません。
3.またもや、以前にも書いたことを思い出しました。
「顧みれば日本では、明治憲法も、「進め一億火の玉だ」のスローガンも、占領体制も、日本国憲法も、あたかも四季が巡るように来たっては、みなそれぞれに定着し、次いで(日本国憲法を除けば)思い出となって去っていきました。あの「生類憐みの令」でさえ、4半世紀にわたって「定着」した国です。
日本には、近代立憲主義の伝統がないばかりか、アリストテレス、ストア派、キリスト教、中世立憲主義、近代自然法論など、近代立憲主義を育んだ思想的遺産のほとんどすべてがないのです(戸波=松井他「Sシリーズ憲法1」47頁)。」
日本は、このような思想的遺産もなく、「生類憐みの令」でさえ、4半世紀にわたって「定着」した国なのです。日本人は、昔から自分で考えることなく流されてしまう気質があり、それは未だに続いているように思えます。
8月15日、オシム監督は、記者会見において、「自分で考えない選手はサッカー選手に向いていない。」と述べていました。どうやら、多くの日本人はサッカー選手に向いていないようです。
<追記:修正>
asahi.com(2006年08月16日12時52分)より。
「腹部切った男は右翼団体幹部か 加藤紘一氏の事務所火災
山形県鶴岡市にある自民党元幹事長の加藤紘一氏(67)の実家と事務所が全焼した事件で、敷地内で腹部を切った状態で見つかった男は、東京都内に住む右翼団体幹部(65)とみられることが16日、山形県警の調べでわかった。県警は発生が終戦記念日であることや、加藤氏が首相の靖国参拝に批判的な発言を繰り返していたことなどに着目。何らかの思想的な背景を持った行為との見方を強めている。…」
どうやら、首相の靖国参拝批判に対する行動であったといえ、事件は思想的背景を帯びていたようです。
そこで、ペット供養の現状について、日経新聞(平成18年7月21日付夕刊)の生活面「生活コミュニティー」に記事がありましたので、引用したいと思います。
1.日経新聞(平成18年7月21日付夕刊15面)の「生活コミュニティー」
「火葬や霊園開業 トラブル増加 ペット永眠場所騒がしく
長年連れ添ったペットをきちんと供養したい飼い主の間で、専門の葬儀や墓地への埋葬が人気だ。その一方で、ペット霊園開発業者と周辺住民とのトラブルも相次ぎ、条例で規制に乗り出す自治体も出てきた。飼い主の願いとは裏腹に、ペットの安眠場所の周辺は騒がしさを増している。
7月中旬。東京都大田区の『大森ペット霊堂』で法要が営まれた。火葬場や納骨堂などが入った8階建てのビルに集ったのは、四十九日や一周忌を迎えた飼い主ら14人。霊堂と提携する山梨県身延町の寺院『金龍寺』の住職、中島光民さんが供養するペットの名前を一匹ずつ読み上げると、会場からはすすり泣く声が漏れた。
『人間の法要で涙を流す人は少ないが、ペットの法要は本気で泣く人が多い』と中島さん。『それだけペットに慰められ、癒されてきた人が多い証拠だろう』と推察する。
『7年間も一緒に暮らしてきた犬を、ゴミと同じように焼くのは忍びなかった』と話すのは、7月初めにヨークシャーテリアの『ジョン』君を病気で亡くした東京都大田区の小島あきよさん(37)。自宅での『お別れ』から、立ち会い火葬、骨揚げまで一連の儀式にかかった費用は4万7200円。『きちんと供養してもらったおかげで気持ちの整理もついた。高い費用とは思わない』と振り返る。
■家族の一員反映
犬や猫などペットの死体はこれまで、自宅の庭に埋めるか、自治体に『一般廃棄物』として引取りを依頼するケースが多かった。だが、都市部を中心にマンションでペットを飼う人が増えた結果、庭先に埋めるケースは減る傾向にある。
ペットの地位も大きく変わった。葬式や墓地や供養施設への納骨をわざわざ専門業者に頼む人が増えているのは、ペットが『家族代わりだったり、家族の一員』になっている状況の反映でもある。
ただ、それに比例するように、ペット霊園の設置や死体の火葬を巡るトラブルも増えている。人の霊園や火葬場を設置する際は、墓地埋葬法で都道府県知事の許可が必要だが、ペット霊園の設置などについては規制する法律がないためだ。
東京都八王子市下柚木地区。緑豊かな住宅街の一角に『ペット霊園』が開業したのは昨年10月。周辺住民の神経を逆なでしたのは、ペットを火葬する際の煙とにおいだった。
この霊園には火葬施設はなく、荷台に専用の焼却炉を積んだ『移動火葬車』を駐車場にとめて行うケースが多い。『その際の煙とにおいで吐きそうになったことは一度や二度ではない』と近くの住民男性(67)は訴える。この男性によると、火葬は多い日には3回ほどあるという。
この霊園を含め、市内に5つのペット霊園を抱える八王子市の市議会は6月、ペット霊園の設置を規制する条例を制定、9月からの施行を決めた。霊園や火葬場を新設または増設する際は、市への事前届け出や近接住民への説明を義務付ける内容。
下柚子地区のペット霊園の支配人は『条例制定の前後から、霊園の周囲に反対の看板が増えた。おかげで商売はあがったり』とぼやく。この霊園にはすでに約40匹の犬や猫、ウサギなどの遺骨が納められているが、周囲からは『あれじゃ、葬られたペットもうかばれない』という声も漏れる。
ペット霊園を巡るトラブルは都市部に限らない。
沖縄本島東部にある中城村も今春、村内でのペット霊園建設を規制する条例を施行した。きっかけは昨年秋、海沿いの久場地区に県内の園芸業者がペット霊園を開業したこと。村民の憩いの場として親しまれてきた美しい砂浜の目の前に突如出現した霊園に近隣住民が反発し、村議会に条例での規制を働きかけた。
『場所をもっと考えてもらいたい』。久場地区で自治会長を務める新垣和昭さんは強い口調で話す。
■対話が不可欠
条例は、霊園を開業する場合は隣接する自治会の同意と村長の許可を必要とし、条例施行前にできたものについてもさかのぼって適用可能とした。このため、業者側は隣接する久場自治会に同意を求めたが、自治会側は拒否。村も『事業許可』の申請を却下したため、霊園は開業休業状態だ。
ペットビジネスに詳しいコンサルタントの原田道雄さんは『ペットブームで、ゆりかごから墓場まですべてがビジネスチャンスと考える異業種の参入が後を絶たない。条例で規制する自治体も増えているが、一方でニーズがあるのも事実だからだ。業者と地域住民双方が妥協点を見いだすために粘り強く対話を重ねる以外、解決策はないのではないか』と話す。」
<ペット霊園を条例などで規制している主な自治体>
(施行年月、予定含む)
・千葉県市原市(2001年1月)
・埼玉県日高市(2002年4月)
・神奈川県相模原市(2003年4月)
・東京都板橋区(2003年7月)
・新潟県柏崎市(2004年1月)
・広島県東広島市(2005年2月)
・和歌山県橋本市(2006年3月)
・沖縄県中城村(2006年4月)
・東京都八王子市(2006年9月)
2.幾つかのポイントを挙げてコメントします。
(1) まず、なぜ飼い主はペット供養をしているのか?という点です。
寺院の側は、
と理解しています。「『人間の法要で涙を流す人は少ないが、ペットの法要は本気で泣く人が多い』と中島さん。『それだけペットに慰められ、癒されてきた人が多い証拠だろう』と推察する。」
要するに、ペットの法要で本気で泣く人が多いということから、寺院側は、ペットで癒されてきたからと理解するわけです。
ペットに癒されてきたという面はもちろんあるでしょう。しかし、ただ癒されたからということでは「人間の法要で泣かずに、ペットの法要で本気で泣く」との事実の説明としては不十分と思えます。人の死よりペットの死の方が感情を揺さぶられているのですから。
そうすると、
と書かれているように、人の死以上に、ペットの死が人にひどく悲しみを与えていることからすると、ペットは、家族同様、家族以上に強い結び付きを感じている存在になっていると理解する方が妥当なように思えます。「葬式や墓地や供養施設への納骨をわざわざ専門業者に頼む人が増えているのは、ペットが『家族代わりだったり、家族の一員』になっている状況の反映でもある。」
他方で、飼い主側も
としています。「『7年間も一緒に暮らしてきた犬を、ゴミと同じように焼くのは忍びなかった』……。…『きちんと供養してもらったおかげで気持ちの整理もついた。高い費用とは思わない』と振り返る。」
要するに、飼い主側は、寺院などで供養しないと、ペットの死体は生ゴミと同じ扱いとなり清掃車に放り込んで焼却処理するという現状があるため、このようなゴミ扱いは忍びないと感じていることと、供養することが気持ちの整理になった、すなわち、供養がペットとの別れの気持ちをつける場・機会であるというわけです。
特に「供養がペットとの別れの気持ちをつける場・機会である」ことは重要だと思います。供養というものが、ペット自体に対する宗教行為というよりも、飼い主側の気持ちを癒すという飼い主側の宗教行為となっているといえるからです。
これらのことをまとめると、飼い主がペットを供養する理由は、
・ペットが家族以上に強い結び付きを感じている存在であること、
・現状のペットの死体処理行政に不満があり、ペットをゴミと同じ扱いをしたくないこと、
・ペット供養がペットとの別れの気持ちをつける場・機会となっていること
が分かります。
(2) もう1つは、ペットの家族化に伴い、葬式や墓地や供養施設への納骨を専門の方に頼む人が増えたため、ペット霊園や火葬を巡るトラブルが増大していることです。
どういうトラブルかというと、2点挙げられています。1つは、
という点です。「周辺住民の神経を逆なでしたのは、ペットを火葬する際の煙とにおいだった。
この霊園には火葬施設はなく、荷台に専用の焼却炉を積んだ『移動火葬車』を駐車場にとめて行うケースが多い。『その際の煙とにおいで吐きそうになったことは一度や二度ではない』と近くの住民男性(67)は訴える。この男性によると、火葬は多い日には3回ほどあるという。」
人間用の火葬場において臭いや煙で迷惑しているという話は殆ど聞きませんが、ペット用の火葬場・火葬処理では、臭いや煙処理が不十分なので、トラブルが生じているということです。
もう1つは、
というように、霊園設置場所に関して規制がないので、霊園の設置場所を巡るトラブルが生じていることです。「海沿いの久場地区に県内の園芸業者がペット霊園を開業したこと。村民の憩いの場として親しまれてきた美しい砂浜の目の前に突如出現した霊園に近隣住民が反発し、村議会に条例での規制を働きかけた。」
トラブルが生じても解決できていないのは、
というわけです。「人の霊園や火葬場を設置する際は、墓地埋葬法で都道府県知事の許可が必要だが、ペット霊園の設置などについては規制する法律がないためだ。」
そのため、上で引用したように、各市において規制する条例が制定されつつあるわけです。
3.このように、ペットの飼い主の要望に答える形で、ペット霊園が増えてトラブルが増大しているのに、トラブル解決のための規制が不十分な現状であるというわけです。
(1) ペットも生き物である以上、焼けば臭いや煙もでますから、そういった臭いは特有ですから、容易に受忍限度を超えてしまうでしょう。また、ペット用であるとしても霊園にはかわりがないのですから、霊園としての雰囲気がありますし、線香などの匂いも生じます。
そうすると、火葬する場所や霊園設置場所について、規制が必要ですし、ペット霊園・火葬処理を設置する側も、単なる物の焼却ではないことが分かっているはずですから、規制は容認しているといえます。
今は一部の各市や村での規制にとどまっているようですが、都道府県レベルや法律によって、ある程度統一的な規律がなされていく方がよいと思います。ペット葬儀を巡って各地でトラブルが生じている以上、統一的な規律があった方が望ましいといえるからです。
(2) この記事だけを見ると、ペット霊園開発業者が無軌道に霊園を設置しているかのようにも思えます。しかし、ペットの飼主側の要望があるからこそ、民間業者が増えて霊園などが増えているわけです。
ぺっとの飼主の要望には色々あると思います。その要望の1つの例としてあるブログでは、このように書いていました。
要するに、寺院で酷い対応による悲しみを避けるため、ということです。もっとも、どう酷い対応だったのか、定かではないのですが。「この日、葬儀を執り行ってくれた壮年の男性はその人もまた自分のペットを亡くし、葬儀を寺でした時にあまりの酷い対応に悲しみ、ペットの為に会社を設立したそうです。」(「日々徒然駄文〜ヽ⌒▽⌒」さんの「ゆりかご」)
(3) 酷い対応とはいえないまでも、深く心に刻まれた出来事があります。それは、回向院で、家族同然だった「ミュシャ」の供養を済ませた時のことです。
回向院で「ミッシャ」を渡す前に、回向院の方(おそらく住職と思われる方)に「最後に別れをしたいのですが、雨が降っているので、こちら(建物内)で宜しいでしょうか」と尋ねたのです。そうしたら、「外で」「軒下もダメ」というようなことを言われて、しばし途方にくれて呆然としまいました。雨が降っているのに「軒下」もダメなら、どこで別れをしたらよいのだろうと……。
結局は、外で少しは雨水がかからない場所に促され、そこで傘で「ミッシャ」だけは雨に濡れないようにと心掛けながら、「ミッシャ」を入れた箱をあけ、最後の別れをしました。
回向院で「ミュシャ」の供養を済ませた直後は、そのまま受け入れたわけですが、しばらくして妙な思いを感じたのです。昔から動物供養で著名な回向院でさえ、「動物の死体は建物の外へ、軒下へさえ持ち込むな」として、人と動物を区別したのはなぜだろうか、と。
「仏教の世界観は、人間だけではなく、あらゆる動物を有情(心あるもの)と見て同列に置き、人間とか動物とかは、ある永続する個的存在の輪廻の諸相、諸段階に他ならない」(「ペット供養訴訟〜宗教法人が行うペット供養(葬祭)も収益事業なのか?(上)」参照)などという仏教の世界観自体は立派なものだとしても、回向院でさえ、実際上は、人と動物を歴然と区別し、同列になんて扱わなかったのです。
(「ペット供養Q&A」も参照)
宗教法人よりも、民間業者の方がペットの飼主に対して親身な対応をするとなると、民間業者に対して、さほど規制が必要ないのではないかともいえそうです。
また、実際上、宗教法人と民間業者の行うペット葬儀について、どれほどの差があるのでしょうか? 差がないとすれば、また、民間業者の方がペットの飼主に親身であるならば、民間業者と同じように扱う、すなわち、宗教法人が行うペットの葬祭事業も、施行令5条1項各号に規定する「収益事業」にあたるとしてもいいのではないか、とさえいえそうなのです。
自らが経験した回向院での対応を思い起こすと、仏教の世界観と現実の違いはどう説明できるのか、ペット葬儀に関して酷い対応する宗教法人はかなり多いのかどうか。これらのことは、ペット供養訴訟やペット霊園・火葬規制の際にも、考慮すべき問題であるように思います。
1.朝日新聞(平成18年8月9日付朝刊12面)の「声」より
投稿者は、著述業・岩田薫氏です。(新聞の投書をネットに引用することは避けているのですが、岩田氏は著述業を職としているのですから、一般人ではなく投書がネットでも引用されることを黙認しているはずです。そこで名前を明示して引用させて頂きました。)
「苦渋の思いで反田中の1票
長野県知事選で現職の田中康夫氏が敗れた。本紙7日朝刊では「『改革』6年で幕と報じたが、地元に住む者として違和感を覚えた。以下に、なぜ反田中票を投じたかを記したい。…
…田中氏にパフォーマンスが目立つようになり、不信感を抱き始めた。決定的だったのは、居住実体のない泰阜村に住民票を移転した行為。応援したい村に住民税を納めたいとの気持ちは分かるが、県庁から180キロも離れた村に住むことは不可能だった。…
…改革に幕を下ろしてほしくはないが、県政が混乱したままでも困ると、多くの有権者が苦渋の思いで一票を投じたことを知ってほしい。」(一部引用)
2.要するに、岩田氏が、田中氏に投票しなかった決定的理由は、「田中氏が泰阜村に住民票を移転した行為」であるということです。
(1) 知事選挙は、有権者が知事を選定する行為であり、有権者は、その知事の職務を全うするに相応しい能力を有している者かどうかを判断するのです。(田中氏の場合は、6年の実績も考慮することになるでしょう)。
そうすると、住民票をどこに移そうが、それは田中氏の個人的な事情であって、知事としての職務執行能力とはまったく無関係です。言い換えれば、知事としての職務執行能力と無関係な事情は、本来的に「知事の職務を全うするに相応しい能力を有している者であるかどうか」を判断する要素とはいえないはずです。
もちろん、過去に知事選候補者が、過去にわいせつ行為を繰り返しているなど、犯罪を犯していたのであれば、個人的事情とはいえ例外的に判断要素とはなりえます。しかし、田中氏が住民票を移した行為は、犯罪でもなく、誰かの権利を侵害したわけもないのです。
「田中氏が泰阜村に住民票を移転した行為」を投票の際の判断要素としたことは、有権者の行動としては妥当でないと考えます。
(2) この岩田氏の理由には、本来的に問題があります。それは「住所」のことです。
「住所」(民法22条参照)の法的判断については、学説上、説が分かれていて、争いがあるのです。
<学説>
・住所はその人の生活に最も関係の深いところ1つであるとする説(住居単一説)
・生活関係の種類に応じて複数あるとする説(複数説:多数説)
<判例>
最高裁判例は明確ではなく、最高裁昭和26年12月21日判決(民集5−796)は、本人の職務上居住する東京でなく、家族が耕作に従事する農地所在地を、その人の住所とした。居住する以外の場所を「住所」としたものであり、暗黙のうちに複数の住所を認めたものである。
*田中知事の住所決定訴訟は、長野市は、平成17年3月11日、知事が既に市へ住民税を納付したので、住所を泰阜村とした決定が形骸化しているとして訴えを取り下げて決着した。
岩田氏は「実際に住む所が『住所』である」と思い込んでいるようですが、実際に住む所が住所とは限らないのが、多数説・判例なのです。
岩田氏は、間違った思い込みから田中氏に不信感を抱き、しかも知事の職務執行能力とは無関係の事情によって、村井氏に投票したわけです。勝手な思い込みによって主観的に「苦渋な思い」を持ったとしても、それは筋の通った「思い」ではなく、誰もが納得できるような客観的な「苦渋な思い」とはいえません。
岩田氏は朝日新聞の長野知事選の報じ方に違和感を抱いたようですが、岩田氏の投書の方こそ妥当でなく、違和感があると思います。
(3) 投書内容には違和感がありますが、この投書によって、なぜ61万の有権者が村井氏に投票したのか、その一端が分かったことは有益でした。岩井氏のように、有権者の一部は全くの思い込みによって田中氏に不信感を抱いていたのですから。
知事選に限ったことではありませんが、有権者は、候補者の行動などについて何を判断要素として投票すべきなのか、何を除外するべきなのかをよく考える必要があります。
(4) 自分の価値観からすると、他人の行動が気に入らないと思うことも多いとは思います。特に田中氏の行動は個性的でしたから、何事にも変化を嫌う長野県では、田中氏の行動は相容れないと思う方もかなりいたとは思います。
しかし、人はそれぞれ独自の価値観で行動しており、その価値観は他人も尊重することを、憲法13条(個人の尊厳の尊重)は保障しているのです。
にもかかわらず、知事という公務に相応しい能力と関係のない要素を重視して、投票を決定することは、その候補者の価値観を否定することになります。他人の価値観を尊重すること(憲法13条参照)は、知事選においても例外ではないのです。
テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済
1.asahi.com(2006年08月07日00時33分)
「村井仁氏が当選 田中康夫氏敗れる 長野知事選
長野県知事選は6日投開票され、前自民党衆院議員の村井仁氏(69)が、現職の田中康夫氏(50)=いずれも無所属=を破って初当選した。「脱ダム宣言」をめぐり不信任された02年の出直し選で圧勝した田中氏が、県議会や市町村長と対立し続ける中での選挙戦。反田中勢力の受け皿となった村井氏が、県政の停滞を招いたなどとする批判票を集めて支持を広げた。調整型政治を否定、県民の声を直接施策に反映させることから「長野革命」とも言われた田中県政は、2期約6年で幕を閉じた。
投票率は65.98%で、前回(02年9月)の73.78%を下回った。当日有権者数は175万4738人。
事前調整なしに政策を打ち上げる強引さで一定の成果をあげてきた田中氏に対し、村井氏は「すべてが知事の意向でしか進まない」などと批判、田中県政の手法そのものが大きな争点となった。
元国家公安委員長の村井氏は昨年、郵政民営化法案に反対していったんは政界を引退。6月末に同党有力県議らの要請を受けて出馬を表明した。
自民、公明の県組織に加え、自主投票に回った民主の支持母体である連合長野の推薦を得たほか、ほとんどの市町村長や県経済界の支援を受けて組織票を手堅くまとめた。市町村との対話重視の姿勢や「誠実な人柄」を強調、田中氏からの離反票も取り込んだ。
当選を決めた村井氏は「夢が実現する長野県にしたい。私はそのための捨て石になる」と抱負を話した。
一方の田中氏は県政運営での強引な手法が00年の初当選に尽力した経済人らの離反を招き、逆風選挙を余儀なくされた。
冬季五輪開催を機に膨れあがった県の借金を5年連続で減らした財政改革のほか、教育や福祉を充実させた実績を訴えの中心に据えた。「車座集会」で県民と直接対話する姿勢をアピール、無党派層に訴えかけたが以前の勢いを失っていた。
落選を受け、田中氏は「ダムを造らない、借金の山を子どもたちの未来に残さない。歩むべき未来を提案し、6年間を歩んだ。奉仕の場を与えて下さった県民に感謝を申し上げたい」と述べた。
村井氏を支援したのは、「反田中」という共通項で結集した勢力だった。県内の建設業界などからも支援を受けた村井氏は「借金返済優先で、必要な公共事業をしてこなかった」と田中知事の財政再建を批判。国が抑制を目指している特別養護老人ホームの整備促進なども公約に掲げた。今後、幅広い支持者の要望をどう実現するのか、難しいかじ取りが迫られる。」
*各候補者の得票数は次の通り。
当 612,725 村井仁 無新
534,229 田中康夫 無現
2.テレビ報道においては、「当然」とか「新しい流れになるからいいじゃない?」とか答えている県民がいましたが、正直な話、田中康夫氏落選の結果には驚きました。
(1) 田中氏に対しては、「人の話を聞かない、パフォーマンスが過ぎる」など人柄に対する批判があったことは確かです。そのため、八十二銀行元頭取の茅野実氏や初代の後援会長だった柳沢京子氏が離反してしまいました。新党日本を作ったことも不信を招いたともいえるかもしれません。
しかし、田中氏は、「冬季五輪開催を機に膨れあがった県の借金を5年連続で減らした財政改革のほか、教育や福祉を充実させた実績」があったのですから、知事としての職務を十分に果たしていたといえます。
これに対して、村井氏は「昨年、郵政民営化法案に反対していったんは政界を引退」していた身ですから、一度意欲を失った者を再び知事という重責を担わせてよいのか、適格性に疑問を感じます。にもかかわらず候補者となったのは、人柄の良さであると報道されています。
それに加えて「村井氏のもとに結集したのは、田中氏に「旧来型のピラミッドの構成員」と揶揄(やゆ)されてきた多くの県議、市町村長や業界団体だ。推薦団体は農協や医師会など約500にのぼる」(朝日新聞8月7日付朝刊2面)のです。田中県政誕生以来、ずっと批判・対立してきた「反田中派の県議ら」が村井氏を担ぎ出して応援していたわけです。
「反田中派の県議ら」は、田中氏就任前の県政(旧体制)を希望し田中県政誕生以来から対立してきたのですから、おそらく村井氏の人柄の良さを利用して、田中氏就任前の県政(旧体制)へ戻そうとすることが容易に予想できます。
(2) このような関係からすると、この選挙の図式は、人柄に問題があるが実績のある田中氏を選ぶのか、反田中派県議の思惑通りのような田中氏就任前の県政(旧体制)に戻るのかを選ぶ選挙(前宮城県知事の浅野史郎・慶応大教授も同旨:朝日新聞8月7日付朝刊30面)でした。
知事選挙は、有権者が知事を選定する行為であり、その知事の職務を全うするに相応しい者であるかどうかを判断するのです。それを評価する要素は種々あるとは思いますが、地方公共団体が相当程度の自主的な立法・行政権・財政権をもつことを考えると、その権能を十分に発揮できる能力の有無が判断基準といえると考えます。
結果として、長野県民は、村井氏が61万票、田中氏が53万票で田中氏就任以前の県政(旧体制)を選んだというわけです。要するに、有権者は、知事の職務を実行できる能力・実績よりも、人柄の良さや県議会との安定性を望んだわけです。
人柄の良さを考慮することもいいとは思います。県議会との安定性も考慮に値するでしょう。しかし、人柄は知事の職務執行能力の重要な要素ではないですし、県議会との安定性は癒着に繋がります。今まで県議会と不安定が生じたのは、利権を望んだ県議会の方にも問題があったのではないでしょうか? 旧体制を望んでいた県議会議員を議会から排除しなかった県民にも問題があったのではないでしょうか?
もっとも、新藤宗幸・千葉大学教授(行政学)は、「県民は田中県政前の体制に戻りたいとは思っておらず、県民が旧体制回帰を求めていると思ったら村井さんも足をすくわれる」(朝日新聞8月7日付朝刊30面)と述べていますから、旧体制を望まずに村井氏に投票した有権者もいるとは思います。「新しい流れになるからいいじゃない?」とテレビインタビューに答えていた県民がそれに当たるのでしょう。
しかし、「反田中派の県議ら」は元々旧体制を望んでいたのですし、県議会は「反田中派の県議ら」が多数を占め、村井氏に当選と言う恩義を売ったのですから、「反田中派の県議ら」の希望通りの予算が通ることになるのです。県民の一部が旧体制を望んでいないと言っても、議会ではそんな希望は通らないのです。
そうなれば、旧体制に戻っても「村井さんも足をすくわれる」ことは殆どありえず、新藤宗幸・千葉大学教授が述べていることは間違っているというべきです。むしろ、村井氏が旧体制に戻さないと、「反田中派の県議ら」の反発を受けて「足をすくわれる」ことになると思います。
「堅実な改革を求めた長野県民」(読売新聞社説:8月7日付)もいたかもしれませんが、「反田中派の県議ら」が多数派である以上、結局は旧体制になってしまうことは必至だと思います。
(3) 村井氏が当選したことで長野県政はどうなるのでしょうか?
当選から一夜明け、8月7日午前の記者会見で抱負を語る村井仁氏によると、
「村井氏、田中色一掃 ダム検討示唆 長野知事選
長野県知事選で3選を目指した田中康夫氏が前自民党衆院議員の村井仁氏に敗れ、一夜明けた7日、「田中流改革」の行方が早くも注目されている。「以前の県政に戻さない」と選挙期間中に約束し続けた村井氏だが、ガラス張りの知事室をはじめ、田中知事が進めた独自施策について、ほぼ全否定する発言を始めた。県庁職員は、改革と対立に彩られた田中県政6年の終幕に胸をなで下ろすが、旧体制への逆戻りを懸念する県民の手前、素直に喜べないでいる。
長野市の選挙事務所に姿を見せた村井氏は、記者会見に応じ、田中知事が打ち上げた独自の施策や組織改編を、ほぼ全面的に否定した。…」( asahi.com(2006年08月07日12時06分))
このように、村井氏はいち早く旧体制に戻すことを表明しています。更に言えば、村井氏はいち早く「反田中派の県議ら」に対する忠義を表明したのですから、今後も「反田中派の県議ら」へ忠義を、言い換えれば、ずっと「反田中派の県議ら」の言いなりに行動する可能性が高いといえそうです。
いち早く村井氏が「反田中派の県議ら」への忠義を示した以上、旧体制へ戻る可能性はより高くなりました。旧体制に戻すとなれば、長野県政に不釣合いなほどの多額な公共投資が行われることになるでしょうし、その結果、また財政破綻への道を転がり始めるわけです。
もっとも、53万もの有権者は旧体制へ戻ることへの危機感があったはずですので、この選挙結果はその53万の有権者にとって誠に気の毒ですが……。
経済効果とは直接結びつかなかったようですが、田中氏が知事をして色々とアピールをしていたため、長野県は全国的に注目され、関心が高かったと感じています。
ですが、田中氏が知事を落選した以上、全国的に長野県に対する注目は薄れ、今後は、ニュース及び長野県民以外の一般市民の意識としても、長野県は一地方都市の扱いになるかと思います。そうなると、観光客は今後は減ることになり、観光産業は衰退へと繋がるでしょう。これもまた村井氏当選の効果といえます。
(4) 県民は村井氏を選択しました。旧体制化することにより利益を得る一部の方は大変良い結果だと感じているでしょう。他方で、その負の側面(財税破綻へ)は、県民全員に降りかかり、大幅な税金負担の増大が待っていると思われます。
東京新聞の記事(8月7日付)には、長野市内の50代の商店主は、「県政に求めているのは、もはや『何かやってくれそう』という期待感でなく、豊かさが実感できる改革だ」と語ったと書かれています。
しかし、今や、地方と都会との格差が生じていることが明らかになり、元々、地方の経済が活性化する状況にはありません。そのような深刻な状況にある経済状況にあるのに、田中氏は「豊かさ」をくれなかったと非難をするのです。田中氏がくれなかった「豊かさ」を、防災は知っていても経済に疎い村井氏がくれるはずがないのです。格差社会の現実、村井氏の能力を無視して村井氏を知事にした選択は、現実感のない夢を見て選択したとした思えません。
こうしてみると、長野県・長野県民に対する暗い見通しが予想されますから、田中氏が落選し、村井氏が当選する結果でよかったのだろうかと思います。暗い見通しが杞憂に終わることを祈るばかりです。
1.日経新聞(平成18年8月5日付朝刊39面)の「昭和天皇との10年 富田メモから<3>」より
「耳傾け 憂いを共に お言葉に救われ「恐縮」
昭和天皇は公務を行う際に住居の吹上御所から宮殿に“出勤”するのが日課だった。宮殿には天皇がやや私的に使用していた「菊の間」があり、長官の富田朝彦氏はここにもよく呼び出された。
生前の富田氏の話によると、菊の間には書類などを閲覧する大きな机があり、その前にいすが二脚あった。富田氏が部屋に入ると、天皇は「座りなさい」と右手で指し示し、戦争のことなどを語り聞かせたという。
その一つとして、富田氏は対米戦争開戦の詔勅の話を1997年、東京で開いた講演会で披露している。天皇は「ある言葉をぜひ入れたかった。しかし、だめだったんだよ」と残念そうに話したという。それは日露戦争で明治天皇が出した「国際条規の範囲において一切の手段を尽くし、遺憾なきを期せよ」という詔勅だった。
天皇は最後の記者会見(88年4月25日)で「大戦が一番嫌な思い出」と語った。晩年、戦争での苦悩をまるで遺言のように富田氏に語り続けていた。
その富田氏も長官時代、憂いは多かった。82年4月、三笠宮寛仁さまが「皇族をやめたい」という意向を示される問題が持ち上がった。皇族の身分を離れて社会福祉活動に専念したいというのが理由だった。
寛仁さまは「自らの意思で皇籍を離脱することはできない」という宮内庁の説得を受け入れ、公務に復帰されたが、富田氏にとって長官就任から4年を経て直面した難問だった。
当時の日記には「心に残る空(むな)しさを拭(ぬぐ)いきれぬまま今日に至っている。まだまだすっきりしない梅雨空状態は続くだろう」(6月22日付)などの記述が見られ、悩み多い時期だったことが分かる。
問題の多い年だったのか、「このお年の陛下にご心痛をおかけしたのは誠に申しわけないと思い続けてきた」(6月23日付)という言葉もあり、自らの出処進退にも触れている。
8月30日付の日記では「陛下と90分。教科書問題に関連して韓国や中国へのお気持ちを大正末期、昭和初期の事実を踏まえてお話くださる」とある。沈んだ心を慰め、職務を続けさせたのは昭和天皇の昔語りだったのかもしれない。
12月30日付の日記にはこの年の出来事を振り返り、「すべてを通じて陛下の私に対して(の)お言葉に専念。これでこれでと涙のこぼれる思いをかみしめて救われる1年であった」とある。天皇が様々な問題への思いを語り、富田氏が皇室が抱える問題を報告する。立場上、人に言えぬ事柄を話し合ううち、両者の間に憂いを分かち合うような空気が生まれたのだろうか。
「陛下が大いにお元気なご様子は私としては何とも有り難いことである。言上時、ふと申し上げたことにあれこれお考えになってお話あるのは恐縮である」(85年1月16日付)。富田氏の何気ない言葉にも誠実に答える昭和天皇。信頼はそこまで深まっていた。」
2.まず、コメントする前に一言。
富田メモの読み方に批判的な方が少なくないですが、「富田メモ」を疑問視して検証すること自体は否定はしません。
しかし、(ネット上で)批判する方は、日経新聞を購入している痕跡がないように感じます。どう批判するにしても、まずは日経新聞の解説記事を読むのが先決ではないでしょうか? どんなに批判しても日経新聞の解説記事を読まないのであれば説得力がないと思います。日経新聞は「富田メモ全部」を直接目にして検証しているのですから、日経新聞の解説記事は、客観的にいって最も信頼できる資料だからです。
また、有効な批判といえるためには、富田メモを上回るような資料に基づいていなければならないでしょう。しかし、富田氏自体が非常に信頼が置ける人物であり、今上陛下の学友で元通信記者の橋本明氏によると「富田さんは『メモ魔で有名でした。記憶をもとにしたものではなく、その場で書き取ったものだから、間違いないでしょう」(週刊朝日8月18―25日合併号27頁)というくらい内容的にも信頼がおけると評価されているのです。現時点では、有効な批判は考え難いと思います。
3.今回の解説記事についてコメントします。
(1) 今回の解説記事では、昭和天皇は、自らが関わった戦争について、幾度も富田氏に語っていることが分かります。
「富田氏は対米戦争開戦の詔勅の話を1997年、東京で開いた講演会で披露している。天皇は『ある言葉をぜひ入れたかった。しかし、だめだったんだよ』と残念そうに話したという」という記述からすると、昭和天皇が富田氏に戦争に関して語っていることが、「講演会」という客観的証明可能な形で明らかだということです。
それも、対米戦争開戦の詔勅の経緯といったように、昭和天皇しか知りえない事実まで聞かせていることや、富田氏が講演会でわざわざ披露したことからすると、富田氏だけに詔勅の経緯を話したと推測できます。この事実をみても、昭和天皇と富田氏とは深い信頼関係にあることが伺えます。
(3) 「8月30日付の日記では『陛下と90分。教科書問題に関連して韓国や中国へのお気持ちを大正末期、昭和初期の事実を踏まえてお話くださる』とある」という点からすると、富田氏に対して、戦争に関わる事柄を広範囲に話していることが分かります。
この記事では、はっきりとは書いていませんが、「菊の間」で富田氏だけに話していたことだと思います。「教科書問題に関連して韓国や中国へのお気持ち」という政治的に微妙な内容ですから、深い信頼関係のある富田氏以外の者が、立ち会っているとは到底思えないからです。これから推測すると、おそらくは靖国参拝問題という微妙な内容についての発言も、富田氏以外の者が立ち会っていないといえるでしょう。
(4) この解説記事では、「12月30日付の日記にはこの年の出来事を振り返り、『すべてを通じて陛下の私に対して(の)お言葉に専念。これでこれでと涙のこぼれる思いをかみしめて救われる1年であった』とある。天皇が様々な問題への思いを語り、富田氏が皇室が抱える問題を報告する。」という記述があります。
「富田氏が皇室が抱える問題を報告する」という点について皇室が抱える問題を具体的にはっきりとは書いていません。ですが、解説記事中には、わざわざ「三笠宮寛仁さまが『皇族をやめたい』という意向を示される問題」を取り上げていることからすると、「皇室が抱える問題」の1つは皇籍離脱問題だったことが推測でき、その問題について富田氏が報告・対応していたと分かると思います。
なお、4月28日の「富田メモ」について、「皇族が抱える問題」について報告するのは侍従長であって、宮内庁長官ではないから、言上時のメモではないという意見がネット上にありました。
しかし、今回の記事からすると、「皇室が抱える問題」について富田氏が報告・対応していたのですから、「4月28日の『富田メモ』が言上時のメモではない」という意見は妥当ではないでしょう。
4.連載第3回の解説記事からしても、昭和天皇が富田氏を殊のほか信頼していたことが分かりますし、「富田氏の何気ない言葉にも誠実に答える昭和天皇。信頼はそこまで深まっていた」のです。
(1) にもかかわらず、いわゆるウヨク系ブログの「依存症の独り言」さんは、「富田氏は、リベラル・護憲派・首相の靖国参拝反対の立場に立ち、昭和天皇を「政治的に利用した」と思われる。こんな人物のメモなんか一文の価値もない。」とか「富田(03年死去)−後藤田(05年死去)−中曽根−渡辺恒雄−反安倍・反小泉派=靖国参拝否定=親中国というラインがくっきりと浮き上がってくる」(「依存症の独り言」さんの「いわゆる「富田メモ」について」)などと、富田氏が(主観的に)信頼できない人物のように書き捨てたまま、一向に訂正する気配がありません。
しかし、こんな一文は、富田氏ばかりか、富田氏を殊のほか信頼していた昭和天皇に対しても失礼極まる物言いではないでしょうか?
(2) また、櫻井よし子さんも「“A級戦犯が……”といって、東条元首相を含む人々を合祀した靖国神社参拝をやめることは昭和天皇の御性格からして考えにくい。」(「櫻井よし子webサイト」さんの「2006年08月03日 「『昭和天皇』A級戦犯メモ 富田メモの危うい『政治利用』」)と述べて、富田メモの内容を疑問視し、昭和天皇の言葉ではないと書いています。
しかし、
「戦前にも少壮将校が『天皇親政』『皇道』などと唱えつつ、天皇の意向に逆らい、次々と重臣を殺したり、張作霖爆殺事件を軍法会議にかけずもみ消すなど、不忠と横暴をきわめる事件が続発した。天皇のご意向が伝わっても、『そんなはずがない。君側(くんそく)の奸(かん)の策謀だ』と言い張ったこともある。それと似た反応が今日、富田メモに関して出るのには呆れざるをえない。」(週刊朝日8月18―25日合併号26頁〜〔田岡俊次〕)
自らの思想・行動に都合のいい時だけ天皇を利用し、都合の悪い時は、「策略だ」とか「昭和天皇の御性格からして考えにくい」とか言って、天皇の存在・言葉を無視するのです。
このような都合が悪いと天皇を無視する態度に対しては、今上陛下もまた、戦前の出来事を思い出し、「昭和天皇の苦い思い」(読売新聞8月4日付夕刊2面〔論説委員・天日隆彦〕)を思い出しておられるのではないでしょうか?
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1.日経新聞(平成18年8月4日付朝刊39面)の「昭和天皇との10年 富田メモから<2>」より
「長官就任「男なら諾」
富田朝彦氏は1974年に内閣調査室長から宮内庁次長に就任した。次長時代も含めると14年間、昭和天皇に仕えたことになる。以後、これほど長く天皇に仕えた長官はいない。
78年に長官就任した当初は、約25年間在任し名物長官といわれた前任の宇佐美毅氏と比較されることもあった。前年の77年の日記には宇佐美氏から長官就任を打診され、ためらう気持ちがつづられている。
「宇佐美さんより話を聞く。私未(いま)だその任に至らずと辞すもいかなるか。宮内庁幹部に関する人事問題を漏らさる。未だ先のこと。考えるべきこと思いを凝すべきこと多からん。家人に何も語らず。何かを覚らせんとも思うが、未だ固まらず。」(2月28日)
「宇佐美さんに心境の一端を申し、宇佐美さんにすすめられる判断をお聞きした。『幾度かお願いしたように心を決めていただきたい。次長(富田)に宮内庁に来て戴(いただ)いたときから考えていた。また来てもらうについては色々の人に意見を聞いた』(5月14日)
富田氏は78年5月に次長から長官に就任する。前月の4月16日付の日記には「自分はその地位(長官)を何ら求めたことはない。今回予想されることは2年前からの話。しかし、男ならそう言われて諾と言わざるをえない。一番苦しい時代と考えている」と重責への覚悟を述べている。
富田氏の親族は、警察官僚出身の富田氏にとって、「宮中の諸事」にはとまどいも多かったと話す。しかし、昭和天皇に接していくうちに敬愛の念が深まり、長官職の責務への自負心も強まっていったという。
79年1月14日付の日記では、天皇が老朽化した長官公邸の修理を勧め、それに富田氏が感動する場面がある。「古いけれど風格のある建物ですから、自然と共にいるように自分を鍛えるよう努めます旨申し上げる。“そうかい”と合点され立ち際に“長官大事にね”と二度も仰せがあった」。このころには天皇と深い信頼関係で結ばれていたことを感じさせる。
「警察庁長官の進講。陛下、誠に明晰(めいせき)に数ケのご質問あり。それには内心驚嘆せり」(85年7月3日付日記)と天皇の英明さに驚かされる一方、気さくさと包容力に親愛の情が増していく様子もうかがえる。
「本年は至らぬこと多く恐縮しております、と申し上げたら、色々よくやってくれて満足していますと仰せがあり、更(さら)にそれでね長官と、また若干お話をする。何か大海原に向かって晴れた地平線を見るごとき感を抱く」(82年12月28日付)
「陛下より卜部(侍従)を通じ、先日私が言ったのは誤りがあった。長官にとのお話。有難く、これだからと思う」(86年7月15日付)
昭和天皇晩年の87、88年の富田氏の手帳を見ると、スケジュール欄には週2回程度「言上」(天皇への報告)という文字がある。その文字は他の項目と違い、丸く線で囲まれている。富田氏にとって最も重要な公務であると同時に、心待ちにしている特別な時間でもあったのではないだろうか。」
2.今回の「富田メモ」の解説(連載第2回)は、5段落目までの内容とそれ以降の段落の内容に分けることができます。
(1) 5段落目までは、全体としては、富田氏が、宮内庁長官という重責に就任することへの心の揺れなどが書かれています。
注目したのは、「約25年間在任し名物長官といわれた前任の宇佐美毅氏」が直接、「長官就任を打診」し、それも「『幾度かお願いしたように心を決めていただきたい。次長(富田)に宮内庁に来て戴(いただ)いたときから考えていた。また来てもらうについては色々の人に意見を聞いた』」という点です。
「昭和天皇との10年 富田メモから<1>」の記事(「「富田メモ」連載再開〜日経新聞(平成18年8月3日付朝刊)」参照)で出ていたように、「宮内庁長官の重要な職務の一つは天皇の呼び出し(「お召し」)に応じて、必要事項を報告・説明する『言上』。通常、言上は天皇と長官の『一対一』の形式をとる。」のですから、宮内庁長官は、昭和天皇に対して一対一で報告するほど、信頼が置ける人物でなければならないわけです。
25年間も在任し名物長官と言われた宇佐美氏が、富田氏が宮内庁に来たときから、富田氏を宮内庁長官に相応しいと考えていたのですから、富田氏ほど信頼の置ける人物は皆無であったといえるでしょう。
ここまで信頼感のある人物が書いた日記・手帳やメモであれば、その内容もまた、他に比較できないほど高く信頼できるものだと考えるのが素直な判断であるといえます。
(2) 5段落目以降は、昭和天皇と富田氏に深い信頼関係があったことと、富田氏が昭和天皇に敬愛の情を抱いていたことを示す記述となっています。ここでは、2点に着目しました。
1つは、79年1月14日付の日記において、「「古いけれど風格のある建物ですから、自然と共にいるように自分を鍛えるよう努めます旨申し上げる。“そうかい”と合点され立ち際に“長官大事にね”と二度も仰せがあった」」と書いてあった点です。
「“そうかい”と合点され立ち際に“長官大事にね”」の部分は昭和天皇と富田氏との間に深い信頼関係がうかがえるとともに、この一見素っ気無い言葉遣いにこそ、昭和天皇の言葉らしさに溢れていて、記述の真実味がある、これこそ昭和天皇の言葉をそのまま書いたと思わせるのです。
もう1つは、「「本年は至らぬこと多く恐縮しております、と申し上げたら、色々よくやってくれて満足していますと仰せがあり、更(さら)にそれでね長官と、また若干お話をする。何か大海原に向かって晴れた地平線を見るごとき感を抱く」(82年12月28日付)」の点です。
ここには、富田氏が昭和天皇へお詫びを申し上げても、昭和天皇は「色々よくやってくれて」と言って気遣いを見せて、さらに全く気にしていないと言わんばかりに「それでね長官」と話を持ちかけたのです。このやり取りだけでも、昭和天皇と富田氏との深い信頼関係が伺えます。
そして、富田氏は、「何か大海原に向かって晴れた地平線を見るごとき感を抱く」という気持ちの吐露をしているのですから、昭和天皇に対して、これ以上ないほどの敬愛の情を抱いているといえると思います。
そうすると、「昭和天皇晩年の87、88年の富田氏の手帳を見ると、スケジュール欄には週2回程度「言上」(天皇への報告)という文字がある。その文字は他の項目と違い、丸く線で囲まれている。」そうです。富田氏にとって、言上は「心待ちにしている特別な時間でもあった」という見方は、決して大げさなものではないと思います。
(3) 「『私は或る時に A級が合祀され―だから私はあれ以来参拝していない それが私の心だ』などとする靖国不参拝の理由を述べた発言」の部分は、言上時のメモ(「「富田メモ」連載再開〜日経新聞(平成18年8月3日付朝刊)」参照)でした。
富田氏と昭和天皇は深い信頼関係があり、富田氏はこれ以上のないほどの敬愛の情を抱いていて、言上は心待ちにしている特別の時間だったことからすると、言上時のメモの途中に、徳川侍従長の言葉をわざわざ書くでしょうか? 富田氏にとって言上は、何事にも代え難い特別な時間だったはずなのに。仮に徳川侍従長の言葉であるなら、敬愛する昭和天皇の言葉と区別するため、徳川侍従長の発言という明記があるはずですが、そんな明記はないのです。
今回の連載記事の部分からしても、「『私は或る時に A級が合祀され―だから私はあれ以来参拝していない それが私の心だ』などとする靖国不参拝の理由を述べた発言」の部分は、徳川侍従長の言葉でなく、昭和天皇の言葉であるというべきです。
1.日経新聞(平成18年8月3日付朝刊39面)の「昭和天皇との10年 富田メモから<1>」より
「信頼深まり『思い』聞き役 戦争・靖国、何度も話題に
1978年から10年間、宮内庁長官を務めた故富田朝彦氏は晩年の昭和天皇が最も信頼した側近の一人だった。富田氏が残した日記、手帳(富田メモ)には天皇が政治、経済の話題や自身の健康、皇族がかかわる問題などについて語った率直な思いが随所に見られる。公の発言に気を配らなければならない天皇の晩年を支え、よき聞き役となった富田氏。二人の10年の軌跡を追う。
宮内庁長官の重要な職務の一つは天皇の呼び出し(「お召し」)に応じて、必要事項を報告・説明する『言上』。通常、言上は天皇と長官の『一対一』の形式をとる。昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に言及したのが88年4月28日の言上時だった。
当日の富田メモは計四枚。一枚目の書きだしに『63.4.28 1117−1153 (吹上)』とあり、富田氏が午前11時17分から同11時53分までの間、吹上御所で昭和天皇と会ったことが記されている。スケジュールを書き留めた別の手帳にも同日午前に言上と丸で囲んだ表記がある。
メモ四枚のうち一、二枚目はこの年の3月に腸の手術を受けた昭和天皇の三女、鷹司和子さんの退院の見通しなど、報告内容の個条書きとなっている。
次いでこの日、最大の話題の天皇誕生日前の記者会見に話が移る。冒頭に『Pressとの会見』とある三枚目のメモには会見についての天皇の感想が生の言葉でつづられており、それが靖国神社のA級戦犯合祀に言及するきっかけとなった。
29日の誕生日前の宮内記者会との会見は数日前に行われるのが通例で、88年は25日に実施。昭和天皇は翌年1月に崩御したため、最後の記者会見となった。
まず前年(87年)の会見を振り返り『高松(宮)薨去(こうきょ)間もないときで心も重かった』『メモで返答したのでごつごつしていたと思う』(この年の会見はメモを読み上げる形だった)などが書かれている。
続けて88年の会見について『戦争の感想を問われ、嫌な気持ちを表現した―』『“嫌だ”と言ったのは(当時の閣僚の名)の靖国発言 中国への言及にひっかけて言った積(も)りである』などとある。当時、閣僚の発言に中国が反発したことがあり、これを気にかけていたことがうかがえる。
当時の一部報道によると、宮内庁内部で打ち合わせた回答原案では、『つらい思い出』と表現する予定だったが、『嫌な』と言い換えていた。その真意については定かでなかった。
これを受けて四枚目のメモで『前にもあったね』として、過去にも首相の靖国神社公式参拝や数年前の閣僚の戦争に関する発言に触れている。この話の流れの中で、メモ後半部分に『私は或る時に A級が合祀され―だから私はあれ以来参拝していない それが私の心だ』などとする靖国不参拝の理由を述べた発言が記述されていた。
記者会見では事前に提出された質問の後、記者が自由に質問する『関連質問』があり、この年の会見で『戦争の最大の原因は』と問われた天皇が『人物の批判になるので述べることは避けたい』と述べている。四枚目のメモの末尾に『関連質問 関係者もおり批判になるの意』とあり、この事実と符合している。
この年5月20日のメモにも『靖国のことは多く相当の者も知らぬ。長官が何かの形でやってほしい』とあるほか、86年7月23日付の日記で『靖国のこと、教科書問題などでお召し言上しきりである』などの記述がある。これらの問題について昭和天皇が常に気に掛けていたことがうかがえる。このメモは天皇と富田氏の信頼の証しであるかもしれない。
富田氏のスケジュール手帳には一日ごとに、会った人たちの名がこまめに記されている。それによると、88年4月28日に富田氏が会ったのは午前中に外務次官と昭和天皇、午後は皇太子(いまの天皇陛下)、夜は新聞記者の取材を受けている。それ以外の名は一切、記載されていない。」
2.最初に富田メモが新聞紙上に出ていたのは、4月28日のメモの四枚のうちの一枚(の一部)だけでしたが、日経新聞は今回四枚分すべて紹介・解説したわけです。
(1) 「一枚目の書きだしに『63.4.28 1117−1153 (吹上)』とあり、富田氏が午前11時17分から同11時53分までの間、吹上御所で昭和天皇と会ったことが記されている。スケジュールを書き留めた別の手帳にも同日午前に言上と丸で囲んだ表記がある。」わけです。こうなると、一枚目は昭和天皇への言上時のものであることは明白です。
そして、記事で解説しているように、一枚目で報告をし、次いで記者会見の話に移るなど、一枚目から四枚目まで言上時の話の流れに沿って書かれています。それも、当時の記者会見の内容と符合しているわけです。
また、「前年(87年)の会見を振り返り『高松(宮)薨去(こうきょ)間もないときで心も重かった』『メモで返答したのでごつごつしていたと思う』(この年の会見はメモを読み上げる形だった)などが書かれている。」と書いていて、特に「心も重かった」や「ごつごつしていた」という部分は、昭和天皇だけが吐露できる気持ちの部分ですから、臨場感があると思います。
「これを受けて四枚目のメモで『前にもあったね』として、過去にも首相の靖国神社公式参拝や数年前の閣僚の戦争に関する発言に触れている。」という部分があることから、四枚目の言葉が三枚目の続きであることが明白でしょう。
これらのことからすると、四枚のメモすべてが昭和天皇と吹上御所で会ったときのものと推測するのが最も合理的です。そして、「この話の流れの中で、メモ後半部分に『私は或る時に A級が合祀され―だから私はあれ以来参拝していない それが私の心だ』などとする靖国不参拝の理由を述べた発言が記述されていた。」のですから、A級が合祀されたから参拝しないという部分は昭和天皇の発言であると理解するのがごく素直な理解というべきでしょう。
(2) この記事では、メモ四枚以外の部分にも言及しています。それによると「この年5月20日のメモにも『靖国のことは多く相当の者も知らぬ。長官が何かの形でやってほしい』とあるほか、86年7月23日付の日記で『靖国のこと、教科書問題などでお召し言上しきりである』などの記述がある。」のです。
この点からすると、昭和天皇がかなり靖国神社問題について気に掛けていることが分かりますから、A級が合祀されたから参拝しないという部分が昭和天皇の発言であると理解することと符合するといえます。
また、「長官が何かの形でやってほしい」という記述からすると、昭和天皇が富田宮内庁長官に対して、靖国神社問題について自分に代わって話してほしいと頼んだのですから、今回、富田メモが世に出たことによって、富田氏は昭和天皇の頼みを死後に実行したといえると思います。
(3) なお、「A級合祀ゆえ参拝しない、それが私の心だ」の部分が、徳川侍従長の発言であるとの見解(元駐タイ大使・岡崎久彦氏。週刊新潮8月10日号。ネット上ではずっと流布されていた見解で、それを週刊新潮が拝借した)もありました。
しかし、「富田氏のスケジュール手帳には一日ごとに、会った人たちの名がこまめに記されている。それによると、88年4月28日に富田氏が会ったのは午前中に外務次官と昭和天皇、午後は皇太子(いまの天皇陛下)、夜は新聞記者の取材を受けている。それ以外の名は一切、記載されていない。」のですから、4月28日は徳川侍従長と会っていないのです。
そもそも記事中にあるように、昭和天皇に吹上御所で言上時のメモであって、一枚目から四枚目まで自然流れで綴られているのですから、途中で徳川侍従長の発言がメモに入るという理解は著しく不自然です。
このように四枚のメモ全体、スケジュール手帳での会った人の名前に徳川侍従長がいないことからすると、「A級合祀ゆえ参拝しない、それが私の心だ」の部分が、徳川侍従長の発言であるとの見解は無理であり、この見解は消滅したと思います。
最初に富田メモが報道された通り、A級が合祀されたから参拝しないという部分が昭和天皇の発言であるという理解で、特に問題はないと思います。
(4) 「富田メモ」には昭和天皇の「政治経済問題や皇族にかかわる問題」について「率直な思い」を語った部分が随所に見られるようです。天皇陛下がこのような問題について公的にも私的にも発言することは困難です。
しかし、昭和天皇は戦争時最も責任ある立場にあったのですし、皇族に関わる問題は皇族の人権も絡むこともあるでしょうから、その発言を知ることは大変重要であると思います。
富田メモの連載がしばらく続くと思いますが、今回の記事だけでなく今後の「富田メモ」にも注目しています。
「『カネか、信義か』と棋士やファンを二分する論争が続いていた名人戦問題」(東京新聞8月2日付朝刊)についてコメントしたいと思います。
1.読売新聞8月2日付朝刊3面「スキャナー」より
「名人戦『朝日』主催へ 連盟理事会 薄氷勝利
将棋名人戦をめぐる問題は、毎日新聞が提示していた単独継続案が1日、日本将棋連盟の臨時棋士総会で90票対101票で否決されたことで、来年予選が開催する第66期から朝日新聞が主催することになった。ところが開票後、連盟と朝日は毎日との共催を模索する意向を表明、毎日がどう対応するかが最後の焦点となっている。…
■ スピード総会
午後1時に開会した総会は冒頭の5分だけ報道陣に公開されたが、その後はこれまで通り非公開で行われた。
今回は棋士195人のうち156人が出席。委任状は36通だった。
表決方法は毎日案を『支持する』『支持しない』のどちらかに○をつける無記名投票と決まった。毎日案、朝日案ともに事前に各棋士に文書で配布されていたため、議論はほとんどないまま投票。通常総会が未明までもつれる時代もあったが、今回は開票終了までわずか1時間半というスピード総会だった。
■ 組織票
11票差に見えるが、実際は毎日案を否決した6人の棋士が賛成に回れば、毎日案が可決されていただけに『薄氷を踏む勝利』とある連盟理事は振り返る。
朝日は今年3月、年3億5500万円の5年契約などの条件を出したが、表だった動きはほとんど見せなかった。
1966年には33億円の収入があった連盟も2004年には28億円を割り込むほど落ち込み、単年度赤字決算を出していたという背景もあり、連盟理事会は朝日移管の方針を決定。しかし、その後、毎日側に一方的に契約解消通知を送ったことが棋士の反発を受けたため、5月の通常総会では、毎日案の提示を受けてから投票すると決めていた。
理事は弟子も多く、朝日支持で結束する一門もあった。
最後に勝負を分けたのは、1日の臨時総会に向けて、理事会や朝日支持の棋士が集めていた委任状を中心とした組織票だった。36通の委任状のうち、少なくともベテラン棋士中心に20通以上が、毎日案の否決に使われたと見られる。
『謝礼の高い連盟主催のイベントへの出演を決めるのは理事会。考え方が理事会寄りになる棋士が多いのはやむを得ない面もある』と中堅棋士は解説する。
総会が近づくにつれ、渡辺明竜王や羽生善治三冠、森内俊之名人が相次いで毎日支持を表明、若手棋士の中には追随する動きもあったが、『将来的な連盟の経営を考えれば、毎日の倍以上の朝刊部数を持つ朝日に名人戦を託したい』という声も聞かれた。
■ 毎日、共催案に困惑
毎日案否決を受けて、将棋会館で会見した柘一郎・朝日新聞社広報宣伝部長は『毎日との共催を模索したい』と話した。これに対して毎日は、社長室広報担当が『今後の将棋連盟との関係を総合的に検討したい』とコメントを発表しただけで、担当者からは『共催は一度断った話。理解できない』と困惑の声がもれた。
1935年に名人戦が発足して以来、全国紙が1つのタイトル戦を共催したことはない。将棋関係者は『棋譜掲載の権利関係、七番勝負の対局地の選定、取材体制など課題は多い。次の予選開始は来年6月とはいえ、課題が多すぎる』と指摘、共催案実現の可能性はきわめて低いという見方が多い。
さらに棋士たちが最も憂慮するのは、毎日がこれをきっかけにスポーツニッポン新聞社と共催している王将戦も廃止し、プロ将棋から撤退することだ。毎日は先月11日の朝刊で『名人戦が毎日主催で続くなら王将戦を継続する』と書いている。
毎日が共催案に応じるのか。王将戦は継続するのか。どの棋士にも先は読めていない。」
「拙劣な交渉 猛省を
この問題が公になった4月から、棋士と何度深夜まで語り合ったことだろうか。棋士の考えは、『理事会が朝日に移したいという事情は分かる。でも毎日にいきなり契約解消通知を送りつけるやり方はひど過ぎる』で一致していた。
あるタイトル保持者は以前から毎日・朝日の共催案を強く推していた。後輩たちが『毎日が受けないから無理ですよ』と説得しても、『朝日は将棋文化のためにこれだけのおカネを出すと言ってくれてるんです。ほかに選択肢はない』と繰り返した。
酔った若手棋士が、店を出た後、『毎日さんにおわびします』と車道に倒れ込んだこともあった。
棋界の未来を憂う棋士にとってはつらい期間だった。今後、朝日単独になるのか、共催になるのかは分からないが、多くの棋士を悩ませ、苦しめた連盟理事会は今一度、交渉の拙劣さを反省してほしい。」
*産経新聞(8月2日付)によると、「会場では、投票前に若手棋士から『羽生さん、森内さん以外のA級棋士の考えも聞きたい』という声があったが、谷川浩司九段と佐藤康光棋聖が立ち上がって『どちらかは言えません』と答えた」そうです。読売新聞にでている「あるタイトル保持者」とは、この2人だといえます。
「苦渋の決断支持 将棋ファンの英文学者、柳瀬尚紀氏の話
15回も名人位をとられた永世名人、中原誠副会長の、苦渋の決断を全面的に支持したい。これほどすばらしい知的ゲームである将棋の棋士が、野球やサッカーなどスポーツ選手に比べ恵まれていないと常々思ってきた。将棋ファンとしては、棋士によりよい環境で指してほしい。朝日は毎日より発行部数が多いので、将棋人気が高まるのでは。その資本力と誠意、熱意に期待したい」
「毎日かわいそう 作家の団鬼六氏の話
毎日を応援していたので、残念だ。将棋連盟は、信義よりカネを優先するようになった。7年契約の新たな条件を提示するなど、ぎりぎりまでがんばってきた毎日がかわいそう。将棋は文化ではなく、ビジネスになってしまった。こんな結果を見せられると、ファンはしらけてしまう」
2.この名人戦問題については、上で引用した読売新聞の記事でほぼ理解できると思います。ではコメントします。
(1) この名人戦問題の発端はどこからでしょうか?
名人戦問題の発端は、2005年8月ごろ、米長・日本将棋連盟会長の経営諮問委員会が名人戦の朝日新聞社移管を提案し、朝日新聞社と接触を始めたところからでした(読売新聞8月2日付による「名人戦問題の経緯」より)。
もっとも、朝日新聞社は名人戦主催を長年望んでいたようですから、朝日新聞社側が経営委員会に働きかけた結果ゆえの「提案」と判断した方が適切でしょう。朝日新聞社側の行為が発端であるというべきです。
問題が大きくなったのは、2006年3月3日に、朝日新聞社から名人戦移管の申し入れ書が日本将棋連盟に届き、特に、3月28日に連盟は一方的に毎日新聞社に名人戦の契約解消通知を発送したところにあるといえます。
(2) この名人戦問題について、毎日新聞社側が怒っている理由、すなわち名人戦問題が大きくなった理由はどこにあるのでしょうか?
「将棋:「毎日の名人戦」守ります=東京本社編集局長・観堂義憲
将棋界で最古の伝統と最高の権威をもつ名人戦は、1935年に毎日新聞社が創設したものです。いったん朝日新聞社の主催に移った時期もありましたが、77年からは再び毎日新聞社の主催に戻り、将棋連盟と協力して運営してきました。私たちは、名人戦の単なるスポンサーではなく、将棋連盟とともに最高のタイトルを育ててきたという自負があります。
ところが、通知書の郵送に続いて来社した中原誠・将棋連盟副会長は「長い間お世話になり、感謝している。名人戦の運営には何の問題もなく、あのような通知書を出して恐縮している」と切り出しました。
なぜ契約解消なのでしょう? 中原氏によれば、朝日新聞が高額の契約金や協力金を示し、名人戦を朝日新聞にもってくるよう強く要請しているから、というのです。
毎日新聞は将棋連盟と名人戦の契約書を交わしていて、これには来年度以降も契約を継続する、と明記しています。ただし書きで「著しい状況の変化などで変更の提案がある場合は両者で協議する」となっています。
「著しい状況の変化」とは、たとえば将棋連盟から棋士が大量脱退して経営が立ち行かなくなったとか、毎日新聞が契約金を払えなくなった場合を意味し、他社の新契約金提示などの介入はそれには相当しないというべきでしょう。連盟に通知書の撤回を求めます。
毎日新聞は名人戦の契約金を将棋連盟の要請に応じて徐々にアップしてきました。このほか王将戦をスポーツニッポン新聞社と共催しており、合わせて年に4億円以上の支払いをしています。
関係者によれば、朝日新聞が将棋連盟に提示した条件は年間5億円以上を5年間払う、というものです。日本の伝統を大切にする将棋連盟が信義よりも損得を重視するのでしょうか。
30年前、朝日新聞と連盟の契約交渉が決裂しました。この時は、連盟がそれを公表したことを受け、毎日新聞は復帰交渉に入ることをあらかじめ朝日新聞に通告したうえで連盟と契約しました。毎日新聞はきちんと手順を踏んだのです。
ところが今回の契約解消通知は、私たちにとりまさに寝耳に水でした。将棋連盟から契約金の値上げなど契約の変更要請は一切なく、朝日新聞からはいまだに何の連絡もありません。長年、共同で事業を営んできて、しかもその運営には何の不満もなかったパートナーに対して、社会通念上も許されない行為と言えるでしょう。…」
要するに、将棋界で最古の伝統と最高の権威をもつ名人戦は、毎日新聞社が創設したものであって、将棋連盟とともに育ててきたという自負とプライドをもっていたのに、契約金の値上げ交渉もなく、連盟による一方的解消は信義に欠けるもの(民法1条参照)だということと、名人戦の契約書では原則として来年度以降も契約を継続するはずで、例外的に但し書きで「著しい状況の変化などで変更の提案がある場合は両者で協議する」となっているが、朝日新聞社による移管の申し入れは但し書きに当たらず、連盟による一方的解消は名人戦契約の契約違反であるという2点にあるといえます。この2点が毎日新聞社側が怒っている理由であるわけです。
長期間にわたる契約期間のある名人戦契約は継続的契約の1つといえますが、継続的契約の特徴として、契約継続性の要請があります。
すなわち、正当な理由なしに解約申し入れができない(借地借家法6条、28条)とか、信頼関係を著しく破壊する場合がないと解除できない(最高裁昭和39年7月28日、東京高裁平成6年9月14日)など、信義則に基づいて契約解除を制限する規定や法理があるのです。さらに、近時は、代理店契約といったような当事者に契約の継続性に対する強い期待がある契約では、「契約関係継続義務」という法理があると主張され(内田貴「民法2」84頁)、さらなる継続的契約の維持が図られつつあるのが現状です。
名人戦契約は長期間の契約というだけでなく、毎日新聞が名人戦を創設し、30年にわたって問題なく主催し、「週刊将棋」の発行など深く将棋連盟と関わっていることからすると、名人戦契約は契約継続性に対する強い期待がある契約といえそうです。
そうすると、契約解除は著しく制限されるはずであり、おそらく連盟側が理由とする「他社の新契約金提示などの介入」や「朝日新聞社側の方が発行部数が多いこと」は、契約解除条項に当たらず、一方的な契約解消は不当というべきであり、信義に反するといえます。そうなると、毎日新聞社が怒る理由は正当であり、その主張には十分妥当性があると思います。
(3) 「信義よりカネを優先した」と評価される結果ですが、なぜ毎日案を否決したのでしょうか?
毎日案と朝日案を挙げてみます(NIKKEI NET将棋王国)。
「(8/1)朝日と毎日の提案内容
朝日新聞社と毎日新聞社が名人戦主催に関し、提案した内容は次の通り。
▽朝日案
(1)年3億5500万円の5年契約(2)5年間で計7億5000万円の将棋普及協力金(3)朝日オープン選手権(契約金・年1億3480万円)に代わって年4000万円の臨時棋戦を5年開催。
▽毎日案
(1)名人戦契約金(現在3億3400万円)とは別に、将棋振興金として3000万円を7年間拠出(2)2007年に始まる第66期の契約金は100万円増額して3億3500万円とし、第67期以降は従来通り毎年協議(3)名人戦と併せて王将戦(契約金・年7800万円)を継続(4)全日本都市対抗将棋大会(事業規模2800万円)を創設。」(共同通信)
「単純な比較は難しいが、毎日案の7年間の契約金総額は朝日案を上回り、仮にそれを5年間に換算しても、朝日案に見劣りしない内容」(東京新聞8月2日付朝刊30面)です。
それなのに、毎日案を否決したのは、「連盟の関係者は『現段階で使途の決まっていない朝日の7億5000万円の『将棋普及協力金』は、赤字解消のためにも大きな魅力として映ったようだ』と語る」(東京新聞8月2日付朝刊30面)といった点にあるようです。
使途が不明な多額の金銭は、連盟の運営にとって利便性があるといえます。しかし、理事会による濫用の恐れが大きくなり、理事が個人的に使い込むおそれがあります。理事にとっては好都合であっても必ずしも棋士のためにならず、問題があります。
そうすると、毎日案を否決したのは、金銭面の観点では「赤字体質で収入が減っている連盟のために少しでもカネがほしい、理事会(理事)が自由に使うカネがほしい」ということにありそうです。
なお、英文学者の柳瀬氏によると「朝日は毎日より発行部数が多いので、将棋人気が高まるのでは」としています。確かに、部数が多ければ、多く人が目にする可能性があるとはいえます。
しかし、目にする可能性があるからといって、将棋に関心がなければ見ないのです。例えば、スポーツ欄にしか関心がない人は将棋欄は見ないですし、株式市場に関心がなければ株式欄は読まないのです。囲碁にしか関心がなければ、紙面で並んで掲載している将棋欄は見ないのです。今、囲碁人気が高いのですが、それは漫画の影響が大きいのであって、新聞掲載と無関係なのです。
発行部数が多ければ、将棋人気が高まるなんて、勘違いも甚だしいと思います。
(4) 米長会長や朝日新聞社は、なぜか毎日新聞社との共催を望むとのコメントをしているようですが、その意図はどこにあるのでしょうか?
朝日新聞社側は、「表決の差は、わずかなものでした。単独開催の場合、感情的なしこりが残るおそれも否定しきれません」(朝日新聞8月2日付朝刊30面)ということです。これは朝日側の意図です。
しかし、朝日新聞社側は、元々単独開催を望み、多額の金銭で連盟の顔をはたくまねをしていたのですから、あまりにもお為ごかしな言い分です。名人戦にかかる費用を毎日新聞社とともに分担し、費用軽減を図るのが意図だと思われます。
他方、連盟側の意図は不明ですが、今まで両天秤にかけてきた経緯からすると、両新聞社からなるべく多額の金銭を引き出そう、あまり金銭を引き出せなくても、あまり効果はないが毎日新聞社の紙面でも載せれば少しは普及に役立つだろうという点が、連盟側の意図だと推測しています。
いずれにしても、連盟による信義に反する行為、そして多額の金銭を提示し、信義違反をけしかける結果となった朝日新聞の行為は、毎日新聞社のプライドを著しく傷つけるものです。元々、毎日新聞社は共催を拒絶していたという経緯もあるのです。もし共催を受けるとすると、「そこまでプライドを捨てられるのか」と思われてしまい、毎日新聞社に対する信用が失墜しかねません。
そうすると、連盟や朝日新聞社が希望するような共催が実現することは極めて困難で、共催はありえないと思われます。
3.新聞社の評価はもちろん、ネット上の評価を見ると、将棋ファンを含め、多く人はこの結果を「信義よりもカネを選んだ」と評価しているようです。
おカネはもちろん大事です。ですが、30年来の信義を踏みにじり、少し多いカネを優先させた態度は、未来永劫にわたって揶揄の対象となるでしょう。朝日新聞は拝金主義を批判しながら、自社はカネで名人戦を買った、連盟はカネに目が眩んで名人戦を売った、あくどいカネで汚れた名人戦であると……。
名人戦契約も契約であり、資本主義社会では本来的には金銭の多い方が優先されるでしょう。しかし、「礼に始まり礼に終わる」という言葉は、将棋を始める人がまず学ぶ言葉と聞いていますし、将棋は日本文化の象徴の1つですし、名人戦は将棋で最高に権威のあるものです。
それなのに、連盟と朝日新聞社は、毎日新聞社への礼儀を尽くさず、カネ優先で解決したのです。これでは、「将棋は文化ではなく、ビジネスになってしまった」(団鬼六氏)という嘆きも当然でしょう。
朝日新聞は、右寄りの思想の方からは特に不信感を抱かれていますから、より不信感が増大するでしょうし、左寄りの思想の方も、日本文化を信義よりもカネで解決した結果に、朝日新聞社に対する不信感を抱くことになるでしょう。
バブル経済時に、アメリカの文化の象徴について日本企業が金で買ったことにアメリカ国民の反感が生じたように、その国の文化に関わるものは、国民全体のプライドに関わるものですから、カネ優先の解決は国民のプライドを傷つけるものだからです。
毎日新聞社は王将戦の廃止を示唆していますし、プロ将棋からの撤退する可能性があります。これほどプライドを傷つければ、普通、王将戦を廃止する可能性が大きいと見るのが合理的な判断です。将棋人気のなさや汚れてしまった連盟を見れば、王将戦の負担をしてくれる新聞社はないでしょう。
そうしたら、連盟に入る金銭は確実に減ることになります。連盟や毎日案否決に賛成した101人の棋士は、より収入が減りかねないという予想をしなかったのでしょうか?
将棋ファン及びそうでない一般市民も、反感を抱いた以上、さらなる将棋人口の激減をもたらし、より一層の将棋の没落へ繋がると思います。これは今目前のカネを優先し、信義を欠いた結果で、自己責任です。日本文化が没落し、衰退することは悲しいことですが、棋士自らが望んだ以上、仕方がないのでしょう。
<追記>
名人戦問題について最も詳しいのが、 「勝手に将棋トピックス」さんです。かなり前から論じてますし、リンクも詳しいです。ぜひご覧下さい。









