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2006/07/26 [Wed] 23:04:32 » E d i t
先日、 回向院(浄土宗)において「ミュシャ」の供養を済ました。その際に、ペット供養に関してネットで検索すると、多数の民間業者が、ペット供養・葬儀を行っていることに驚きを覚えました。さらに、ペット供養は法人税法上は「収益事業」であるとの判例(名古屋地裁平成17年3月24日判決、名古屋高裁平成18年3月7日判決)を巡って議論があることを知りました。

そこで、この名古屋地裁と名古屋高裁を中心として、ペット供養訴訟について検討してみたいと思います。


1.この名古屋地裁と名古屋高裁ではどういった点が問題になったのでしょうか?

(1) 法人税法7条は、内国法人である公益法人等又は人格のない社団等の各事業年度の所得は、原則として法人税を課さず、例外として収益事業から生じた所得についてのみ法人税を課すことを規定しています。また、その収益事業の範囲については、法人税法施行令に委ねていて、その5条1項において33項目を限定列挙しています。

そこで、宗教法人が行うペットの葬祭事業が、施行令5条1項各号に規定する「収益事業」に該当し、法人税が課されるべきかどうかが争われたのです(忠岡博「判例研究:宗教法人が行うペットの葬祭の収益事業該当性」税法学554号(2005年)119頁)。



(2) このように税務当局と宗教法人との間で争いが生じている背景には、愛犬や愛猫といったペットが家族化して、ペットに対して出費を厭わなくなった飼い主が増え続け、このようなペットブームに便乗して、ペット用ホテル、エステ、保険さらには、冠婚葬祭といった分野にまで民間業者がビジネスとして乗り出してきたということにあります(2006年2月1日:読売新聞参照)。

現在では、ペット専用葬儀社は6000社から8000社ほどもあるようです。葬儀社には、仏教寺院だけでなく、倉庫業、運送業、不動産会社、石材店、動物病院といった民間業者が、果ては「ドン・キホーテ」までもペットの供養・葬儀を行っています
例えば、「ドン・キホーテ:ペット霊園」では、棺セットなどを用意するなど利便性を追求している反面、「提携寺院(お寺さん)募集、FC募集」を行っています。このような宗教法人のFC化は「ドン・キホーテ」だけではありません( 「Yahoo!検索-ペットの葬儀」参照


こうなると、民間業者は、宗教法人を手下として多数取り込んで利益拡大を図り、他方で、宗教法人側もペット供養による利益を上げようとしているのですから、ペットの死という飼主の精神的ショックに付け込んで、商売をしているように思えます。これでは、ペット供養は完全なビジネスであって、葬儀という形式を装っただけで宗教性は皆無のように思えます。

このように民間業者とそれに協力する宗教法人は完全なビジネスとして、ペット供養を行っているのですから、民間業者と無関係の宗教法人が行うペット供養に対しても課税しないと不公平であるとも考えられます。そのような観点(「イコール・フッティング」:民間企業との競争条件の平等化)から、税務当局は、一般的に宗教法人のペット供養に対しても課税をしたわけです。




2.従来、どのような運用がなされていたのか? について、山本雅道「改訂新版 宗教法人の法律問題」(2001年、早稲田出版)110頁に、次のような記述があります。
 

「法人税の問題と関連して、東京F市にある宗教法人J院の『T犬猫霊園』の課税事件――犬猫霊埋葬供養は税金の対象かどうかで争った寺と国税庁の攻防の終結とその総括――は、動物の供養は収益事業か宗教活動かという宗教法人をめぐる税務攻勢の中で、約3年の歳月を経て双方若干の譲歩の上、昭和58年和解が成立した。断片的な情報をつなぎ合わせると、専用墓地とロッカー式の永代使用料は非課税、その管理料は課税。3年管理が原則の個別墓地、棚式の使用料は管理料として一部課税。合祀は供養の対象外という考えで課税。また線香、卒塔婆、お経、法要は非課税、花(寺で用意した生花)は課税とのこと。要するに、動物霊園はその“管理”いかんで、収益事業とみなされる。しかし、“供養”については非課税扱い……というのが当時の交渉(和解)の結論といえそうである。」


 これは、現在では、宗教法人よりも株式会社の方が動物霊園を経営している方が多いことも影響して、同じ動物霊園であるのに、株式会社は課税、宗教法人なら非課税というのは不公平であると、税務当局が判断したものではないか(山本「改訂新版 宗教法人の法律問題」110頁)と理解されています。このような税務当局に対して、著者の山本氏は、「税務行政が宗教活動そのものの中にヒタヒタと侵入しつつある事実を宗教家は忘れてはならない」と指摘して、批判をしています。

山本氏が批判的なのは、

「仏教の世界観は、人間だけではなく、あらゆる動物を有情(心あるもの)と見て同列に置き、人間とか動物とかは、ある永続する個的存在の輪廻の諸相、諸段階に他ならないと考え、死んだ動物の追善供養は、その動物の霊を慰め、より良い世界へ輪廻転生せしめる力があると信じられている。このような動物への宗教的行為は、その動物の飼主である信者の信仰において成立するものであり、宗教的意義を有するものとみられる。このような仏教的世界観は日本文化の中に深く浸透している」(山本「改訂新版 宗教法人の法律問題」109頁)

と理解しているからです。

要するに、仏教の世界観では、動物にも霊があり人間と同様に供養の対象であること、それのみならず、動物の供養は飼主である信者の信仰に基づくもの、言い換えれば、動物の供養は飼主の宗教行為であって、寺院側の読経などの供養は飼主に対する宗教行為であるというわけです。

ペットを失ったことによって最も精神的ショックを受けるのは、残された飼主ですから、寺院側の読経などの供養は、飼主の精神的ショックを回復させるものです。ペットロス対策が盛んに行われていますが、ペット供養は、ペットロス対策の1つです。そうすると、動物の供養が飼主に対する宗教行為であるという理解は、極めて妥当な理解と考えます。


このような宗教行為でさえも課税しようとしているのは、公益法人改革の一環として、政府の方針は、「公益法人設立を準則主義とし、公益法人は原則課税とし、公益性の高い特定の法人の事業のみを非課税という方向である。原則非課税から原則課税への180度の転換である」( 三木義一「宗教法人によるペット供養の非収益事業性」立命館法学298号(2004年)406頁(PDF版))ことも影響していると言われています。




3.なお、キリスト教の世界観ではペットの葬式は行えるのでしょうか?

「松原教会・クリスチャン神父のQ&A(1)」<ペットにも葬式ができるか>では、

「キリスト教では、人間だけが神の似姿として造られたということです(創1・26)。他の被造物に比べて、人間には特別な価値があります。もちろん人間は他の動物と同じような体を持っていますが、その魂には根本的、質的な違いがあります。人間だけに「知恵」と「自由意志」が与えられました。…

だからといって我々は、他の被造物、特に動物を勝手に自分の都合だけのために使っていいわけではありません。
 同じく創世記第一章で、神様がすべてのものを造った後、良いものだと宣言されたのですから、私たちはすべてのもの、特に動物を尊重しなければなりません。……キリスト様の、支配は奉仕であるという言葉を忘れてはいけません。いつも弱いものを特に愛するようにおっしゃいましたが、その中に動物も入っていると思います。詩編104・29-30によると、神の霊はすべてのものにひそんでいるということです。これを「神の内在」といいます。

 今まで述べたことの意味合いから考えますと、ペットの葬式もできると思います。その式のときに、神様にそのペットとの長い付き合いを感謝するとともに、宇宙万物の一部としての復活を願うことができるでしょう。
 しかし、お願いします。その葬式は教会にお願いするのでなく、ご自分でするように。人間の世話だけで神父は手いっぱいです。」


要するに、仏教とは異なり、「知恵」と「自由意志」のある人間と動物は質的に違うから、教会ではペットの葬式は行わないとします。ただ、弱い立場にある動物も尊重すべきであるので、信者が自由にペットの葬式をすることは構わないとするようです。

仏教では、人間と動物を同列に扱い霊を慰め、ペットに対する供養は飼い主への宗教行為であるのに対して、キリスト教では、人間と動物とは質的に異なり教会は関与せず、ペットに対する供養は飼い主への宗教行為にならないということなのでしょう。
こうなると、キリスト教では、ペット供養は宗教行為とは言い難いように思えます。


もっとも、同じ仏教でも、「浄土真宗では、所謂ペットの葬儀は行わない。畜生は念仏を聞く耳を持たない、というのがその理由のようだ。」(「◆京都より・・・、気ままな遁世僧の今様つれづれ草◆」さんの「御所の猫。-ペット供養を思う-」 2005/10/1(土) 午前 5:02)そうですから、同じ仏教でも違いがあるように、キリスト教においても違いがあるのかもしれません。
(ぜひ、キリスト教信者の方の意見をお聞かせ下さい。)

ただ、「◆京都より・・・、気ままな遁世僧の今様つれづれ草◆」さんの「御所の猫。-ペット供養を思う-」 2005/10/1(土) 午前 5:02でも、

「猫は気まぐれな動物ではあるが、
それよりも淡々と生きているような気がするのだ。
起きて、食べて、寝て、歩いて、
時には縄張り争いもするのだろう、人とも接する、
全て引き摺る事なく、そのまま受け入れて生きているような気がする。
そこには呪縛や束縛といった概念が入る余地はない。
単なる条件反射と言ってしまえば身もふたもない話しであるが、
人間はとかく感情を引き摺るのである。
彼らにはそれがない。

畜生道にもしっかり仏が存在するような気がするのは、
私の浄土真宗的な仏教観から外れた考え方なのだろうか・・・・・。
午睡を楽しむ野良猫を見て、あれこれ思う凡夫の一人が私なのだ。

果して、呪縛も束縛もない世界は、覚りの世界そのものではないか・・・・・。」

と述べて、浄土真宗であってもペット供養は行ってもいいのではないかと感じておられるようです「飼い主の気持ちは十分に尊重すべきだ」(7月28日に訂正しましたが、その後はコメント欄を参照して下さい)と考えておられます。(一部のみの引用ですが、心に深く沁みるものがあります。)




次は、名古屋高裁平成18年3月7日判決、名古屋地裁平成17年3月24日判決の検討の前に、ペット供養の現状について検討します。
「ペット供養訴訟~ペットの火葬や霊園の現状」に続きます。

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

2006/07/24 [Mon] 02:05:53 » E d i t
いわゆる富田メモについて、捏造ではないか? と思う方がネット上ではかなりいるようです。そこで、富田メモについて、日経新聞はどう評価しているのかという記事を引用してみたいと思います。


1.日経新聞(平成17年7月23日付33面)

日記…1年1冊/手帳…頻繁に書き込み 筆跡・内容…高い整合性

 富田朝彦元宮内庁長官が残した日記・手帳(富田メモ)を公表するに当たり、日本経済新聞はその筆跡、内容などを詳細に分析し、現代史の専門家の意見も聞いた。その結果、書き込まれていた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性があり、メモの信頼性は高いと判断した。

 富田メモにはいくつかの特徴がある。まず日記は一部年をまたいでいるが、1年で1冊の体裁。期間は1975年から86年まで。内容は昭和天皇の言葉や宮内庁での出来事のほか、家族や友人のことなど多岐にわたり、写真や新聞の切り抜きなども数多く張り付けられている。必ずしも毎日書き続けられていたわけではなく、日付の間隔がかなり空いている部分もある。

 一方、手帳は背とじの取れたものを含めると20数冊。表紙に『T・TOMITA』の名前の入った手帳が87年から97年分まで。その日の予定、出来事が小さな字でびっしりと書き込まれている。ただ、個条書きが多く、天皇の言葉を詳しく書いた部分はほとんどない。

 これと様相を異にする別の手帳が87、88年の2年分ある。87年分は2つに分かれており、それぞれ5センチ近い分厚さ。88年の手帳も2冊ある。内容もそれまでの年の手帳とは一変し、毎日の出来事や出会った人物との会話、宮内庁が抱える課題などが詳しく書き込まれている。

 なぜこの2年分の手帳の内容が詳しくなったかは不明だが、日記が86年で途絶えていることから、手帳が日記代わりとなったのではないかとみられる。

 この2年間の手帳の特徴は書き込みのあるメモ用紙が至る所に張り付けられている点。出来事や発言を手近のメモ用紙に書き込み、後で手帳に張り付けたのではないかとみられる。昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示した言葉が見つかった手帳は、すべてメモ用紙を張り付けた形になっている。

 その内容は手元にあるメモ用紙にことあるごとに書き込んでいたのではないかとみられ、一日の出来事すべてが書き込まれているのではないかと思えるほど詳細。一日の出来事を思い出しながら書く日記とは違い、タイムラグが少ないこの書き込みはより正確な記述といえよう。」



2.富田メモの信頼性については、「日本経済新聞はその筆跡、内容などを詳細に分析し、現代史の専門家の意見も聞いた」ということですから、通常なされる検証を行ったうえで、その結果を踏まえて日経新聞は、「書き込まれていた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性があり、メモの信頼性は高いと判断した。」のです。

特に、87年と88年の手帳は、詳しく書き込まれ、それも「書き込みのあるメモ用紙が至る所に張り付けられている点。出来事や発言を手近のメモ用紙に書き込み、後で手帳に張り付けたのではないかとみられる」という特徴があったのです。
こういうメモの形をとったことで、「その内容は手元にあるメモ用紙にことあるごとに書き込んでいたのではないかとみられ、一日の出来事すべてが書き込まれているのではないかと思えるほど詳細」であったことから、通常の日記よりも、「タイムラグが少ないこの書き込みはより正確な記述」と判断できるというわけです。


日経新聞が発表したことから、富田メモを捏造したかもしれないとか、日経新聞による検証は疑わしいと思う方もいるとは思います。昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を抱いていたことにショックを受けている方は、富田メモは捏造であったと思いたい、とは思います。

しかし、富田メモについて、日経新聞は通常行われるような検証、すなわち、筆跡を分析し、第三者である現代史の専門家の意見を聞きといったことを行い、メモの信頼性は高いと判断したのです。そればかりか、特に87年と88年の手帳は、一日の出来事を詳細に書き込んだメモ用紙が張り付けられているので、より信頼性が高いと判断したわけです。

このような必要な検証を経た以上、信頼性が高いと判断したことは合理性のある判断だと思います。であれば、富田メモは、捏造ではなく信頼できるものとして、受け止めていいと思います。
そうなると、昭和天皇がA級戦犯合祀を不快感に思い、「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていたということも真実だと判断してよいと思います。特に87年と88年の手帳は信頼に値するのですし。

ネットでは捏造論が出回っているようですが、(報道機関で述べている)数名の専門家だけでなく、靖国問題での判断を求められる政治家(報道機関でコメントした政治家)さえも、富田メモが捏造と思っていないことも、信頼に値するかどうかの間接的な証拠といえるのではないでしょうか。


そうなると、政治問題としての首相による靖国参拝の是非、靖国神社分祀論も、昭和天皇がA級戦犯合祀を不快感に思っていたことを踏まえたうえで考えるべきだと思います。日本が戦争を行ったことに深く関与したのが昭和天皇であって、重大な責任を感じておられた昭和天皇の「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」という言葉は重いものだと思いますから。




<7月24日追記>

日経新聞で取り上げていた「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」について、昭和天皇の発言ではなく、藤尾元文相が参拝を中止した理由を述べた発言であるとの意見があります。
この意見について批判的検討を行っているのは、「カナダde日本語」さんの「昭和天皇のメモ、その後の雑感」です。こういった理解の方が素直な理解だと思います。 
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テーマ:靖国参拝 - ジャンル:政治・経済

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2006/07/21 [Fri] 08:31:22 » E d i t
ジダン“頭突き”事件について、FIFAは7月20日、いわば「けんか両成敗」の形で処分を行いました。ジダン選手はテレビ番組などで「本当に罪のある挑発した方を罰すべきだ」とマテラッツィ選手の処分を求めていましたが、ジダン選手の要望通りの処分となりました。この処分により、一応の決着がついたことになります。この処分についてコメントしたいと思います。

1.FIFA発表要旨について(東京新聞平成18年7月21日付朝刊21面)(共同通信配信)

FIFA『侮辱発言はあった』 FIFA発表要旨
 
 FIFAの規律委員会が両選手に下した処分は次の通り。

 一、ジダン選手にはフランス代表の国際試合3試合の出場停止と7500スイスフラン(約70万円)の罰金を科す。

 一、ジダン選手はすでに現役引退を表明しているため、出場停止を3日間の社会奉仕活動に振り返ることで同意した。

 一、マテラッツィ選手には2試合の国際試合出場停止と5000スイスフラン(約50万円)の罰金を科す。

 一、マテラッツィ選手には、ジダン選手に対する侮辱的発言があったと認められる。

 一、マテラッツィ選手はジダン選手を挑発したが、その発言に人種差別的な内容はなかったとみなす。

 一、FIFAは14日にマテラッツィ、20日にジダンの両選手から事情聴取をした。

 一、両選手はすでに事情聴取においてFIFAに謝罪し、後悔していることを明らかにした。

 一、この一件は、メディナカンタレホ審判員(スペイン)が、ビデオ画像を使うことなく確認。エリソンド主審(アルゼンチン)に伝えられ、同主審が延長後半5分、ジダン選手を退場処分にした。」

*ジダン選手の大会MVPの剥奪はありませんでした。



2.幾つかのポイントを挙げてコメントします。

(1) まずは、 マテラッツィ選手は人種差別発言をしたのかどうか? については、FIFAは「マテラッツィ選手はジダン選手を挑発したが、その発言に人種差別的な内容はなかったとみなす」と判定しました。

新聞各社は「FIFAの声明によると、両者ともマテラッツィがピッチでジダンに浴びせた言葉は名誉棄損ではあるが、人種差別を含んだ内容ではなかったと説明した。」(asahi.com)といったように、マテラッツィ選手は人種差別発言をしていなかったと報道しています。

しかし、この発表要旨からすると、微妙であったように思います。「人種差別的な内容はなかった」と断言すれば「なかった」といえるのですが、「人種差別的な内容はなかったとみなす」ということであれば、「人種差別的な内容かどうか微妙であったが、FIFAは『なかったものと判断する』」といったニュアンスになるからです。
追記:法律的には「みなす」は「擬制」という意味ですから、人種差別発言があってもなかったことにする、ということです。これだと、人種差別発言があったんだろうなとは思いますが……。)

もし、宗教(イスラム教)や人種に対する差別発言があったと判定すれば、「頭突き事件」が「第二のムハンマド風刺画事件」になってしまい、マテラッツィ選手は襲われる可能性(「TRAs Sports News」さんの「ジダンのレッドカード問題について」参照)がありました。さすがに、それは、FIFAはもちろん、ジダン選手としても望んでいないでしょう。

そうなると、この事件の国際的影響を考慮すると、「人種差別発言はなかった」ものと「する」ということで収めておくのが穏当であったように思います。一種の政治的判断といえるかもしれません。



(2) マテラッツィ選手がジダン選手のシャツを掴んだところが切っ掛けだったのですが、この事件はどちらの選手の行為が原因なのか? については、FIFAは「マテラッツィ選手はジダン選手を挑発したが、その発言に…」と判断して、「原因はマテラッツィのジダンに対する侮辱に基づくものと認定」(毎日新聞7月21日付)しました。

これで、一方的にジダン選手が頭突きをしたわけではなく、マテラッツィ選手の挑発に対して、ジダン選手が反撃したということになります。



(3) ジダン選手に対して、「フランス代表の国際試合3試合の出場停止と7500スイスフラン(約70万円)の罰金を科す」とともに、マテラッツィ選手に対しても処分(2試合出場停止と5000スイスフランの罰金)を行いました。この「けんか両成敗」の形の処分については、どのように評価されているのでしょうか?

毎日新聞(平成18年7月21日付)によると、

 「国際サッカー連盟(FIFA)の規律委員会は20日、マテラッツィに人種差別に関する発言はなかったと判断したうえで、ジダンに罰金、社会奉仕活動という比較的寛大な処分を下した。国際試合における過去の暴力行為と照らし合わせても軽い処分にとどまった背景には、FIFAの政治的な判断もあるとみられる。

 多種多様な人種、民族から構成されるフランスでは、昨年から移民社会を中心に、根強い差別や経済格差に不満を募らせた若者らによる暴動が頻発。アルジェリア系移民2世で、移民社会の星でもあるジダンに厳罰が下れば相当な反発が予想され、国際問題にも発展しかねない。一方、問題の場面で警告すら受けなかったマテラッツィが挑発行為を理由に処分を受けるのも異例と言える。

 当事者をともに罰することで禍根を残さないようバランスを取ったとも受け取れる。」(毎日新聞7月21日付「ジダン:軽い処分はFIFAの政治的判断」


要するに、ジダン選手の処分は過去の暴力行為と照らし合わせても軽い処分であり、他方で、マテラッツィ選手に対する処分は異例であったと判断したわけです。

ジダン選手に対する処分が軽いのは、「厳罰が下れば相当な反発が予想され、国際問題にも発展しかねない」という判断も可能でしょう。しかし、むしろ、マテラッツィ選手が挑発した侮辱的発言がかなり酷いものであったので、そのようないわば「不当な行為」に対する反撃であったため、処分が軽減されたと判断するのが素直ではないかと思います。


他方で、マテラッツィ選手に対する処分についてはどうでしょうか。FIFAの規約では「身ぶりや言葉などで相手を侮辱した選手は最低2試合の出場停止。宗教や出自などの差別的発言は最低5試合の出場停止」と定めているのですから、侮辱的発言をしたと認定されたマテラッツィ選手に対して2試合の出場停止という処分を行うことは、本来、異例でないといえます。

しかし、「プロの試合は上品には行われていないのが現実だ。侮辱発言は日常のように行われ、選手が使う言語によっては、ひわいな言葉が叫ばれる。『審判に向かって言ったのでなければ、たいていの暴言は見逃す。大事な試合で選手が背負うストレスは理解できるから』と公言する国際クラスの審判もいるほどだ」(asahi.com)ということですから、異例な処分となるというわけです。

 この異例といえる処分を行ったことで、「FIFAは、侮辱や挑発が平然と行われている状態を改善しようという姿勢を見せたことになる。挑発行為をなくす抑止力にもなるだろう。だが、今後も同じような問題が起きたときにどうするのか、という新たな問題が生じる」ことになりました(asahi.com「侮辱側も罰する異例の処分 ジダン問題でFIFA」2006年07月21日00時50分)。

もっとも、上で指摘したように、 マテラッツィ選手による侮辱発言がかなり酷いものであり、人種差別的発言をも含むものであったのであれば、その場合に限って同じ処分をすることになって、さほどの混乱は生じないように思えます。この事件により、人種差別発言をした場合には国際問題となることが分かった以上、少なくとも選手がピッチの上で人種差別発言をすることは控えるだろうと考えられるからです。


なお、ジダン選手(3試合出場停止と7500スイスフランの罰金)とマテラッツィ選手(2試合出場停止と5000スイスフランの罰金)の処分を比較すると、ジダン選手の罰金額の方が比較的重いという程度です。こうなると、侮辱発言への処分が異例の処分であることも考慮すれば、実質的には、マテラッツィ選手に対する処分の方が重いくらいであったように思います。



(4) ジダン選手の大会MVPが剥奪されるかどうか、ずいぶんと報道されましたが、結局は、MVPは剥奪されませんでした

これは至極当然でしょう。MVPはW杯を取材した各国記者の投票で決定するので、元々、FIFA自体にMVPを剥奪するような権限はないのですから。
ですから、「FIFAはブラッター会長が示唆したジダンの大会MVP『ゴールデンボール』のはく奪は議論の対象にすらならなかったと発表」しています(サンスポ.COM「ジダンに社会奉仕3日間と罰金!FIFAが“ 頭突き事件”の裁定下す」)。




3.「各国メディアのさまざまな憶測が流れたマテラッツィの発言内容も、FIFA広報は『両者から同一の証言が得られ、公表されることはない』と断言。永遠に封印するかのように明らかにされることはなかった。」のです(サンスポ.COM「ジダンに社会奉仕3日間と罰金!FIFAが“ 頭突き事件”の裁定下す」)。
公表しなかったことと、マテラッツィ選手への処分が重かったことで、公表できないほど酷い発言であったように推測できますが、本当のところは分からないままとなりました。
公表しなかった理由は、ジダン選手が公表したくないという気持ちを尊重したことや、国際問題になることを避けるため、といったことが考えられます。

公表しなくても、マテラッツィ選手の言葉は、FIFAの内部的な資料としては残るでしょうから、今後のFIFAの処分の基準となるとは思います。ですが、公表しなかったことで、どういった発言をすると、2試合出場停止となるのかといった具体例が明らかにならないままになってしまい、これでは選手側としては判断に困ることになり、それでよいのか疑問が残ります。


今回は人種差別発言はなかったと判断しましたが、侮辱発言はあったわけですし、今後も人種差別発言がありえます。 人種差別行為の徹底した撲滅を目指すとともに、2010年南アフリカ大会に向けての取り組みだけではなく、プロはもちろん、少年サッカーにおいても行われている「言葉の暴力」をどう排除していくのか、今後の課題として残っていることは確かです(毎日新聞7月21日付「ジダン:「けんか両成敗」原因はマテラッツィの侮辱」参照)。

ジダン“頭突き”事件については決着はついたのだとしても、サッカーにおける「言葉の暴力」や「人種差別」問題については、決着はついていないのです。
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テーマ:2006年FIFAワールドカップサッカー - ジャンル:スポーツ

事件 *  TB: 7  *  CM: 2  * top △ 
2006/07/17 [Mon] 05:13:15 » E d i t
ジダン“頭突き”事件については、世界の多くの報道機関が大きく取り上げています。それは、「試合中に相手の挑発に乗って暴力を振るい、それで退場になったら、やっぱりその選手のほうが悪いし、その選手の負けだと思う。そして、挑発した相手の言葉の内容なんか関係無い」(「きっこのブログ」さんの「挑発に乗るのは愚か者」)といったような短絡的な考えでは説明がつきません。
そこで、ジダン“頭突き”事件について、なぜ問題になっているのか2つの論説を取り上げて検討してみたいと思います。


1.まず、日経新聞(平成18年7月15日付朝刊8面)での奥村記者の「地球回覧」から。

地球回覧  『頭突き』に仏移民問題の影

 『30億人が生中継で目撃し、米同時テロ以来、メディアで最も取り上げられた事件』。辛口の政治風刺紙、仏カナール・アンシェネは倒れたイタリア選手を世界貿易センターになぞらえた。

 サッカーのフランス代表主将、ジネディーヌ・ジダン選手によるワールドカップ(W杯)ドイツ大会決勝での『頭突き事件』のことである。

 イタリアのマテラッツィ選手との間にどんな会話があったのか。真相ななお藪(やぶ)の中だ。シャツをつかまれたジダン選手が『そんなにシャツが欲しいなら試合後に交換してもいい』と応じた――。ここまでは両選手とも認めている。

 問題は頭突きを誘発したマテラッツィ選手の発言だ。12日夜の仏テレビ番組でジダン選手は『母や姉について非常に堪え難い言葉を何度も言われた』と説明した。マテラッツィ選手は『母親に関しては話していない』と主張しており、証言はかみ合わない。

 こんな時、欧州で読者本位の報道を競う英メディアが真っ先に真相に迫ろうとする。一般紙タイムズと大衆紙サンは異なる読唇術の専門家を雇い決勝戦のビデオを解析した。結果は一致した。『お前はテロリスト売春婦の息子だ』と唇は動いたようにみえた。だが、マテラッツィ選手は『自分はイスラム教のテロリストが何かも知らない』と否定した。

 人種差別反対を後押しする国際サッカー連盟(FIFA)も調査を始めた。事件の直後から『差別的な発言が原因』との観測が消えないのは、ジダン選手が仏移民社会、そしてイスラム社会の英雄だからである。

 フランス代表は白人選手主体の英独伊らの代表とは一見して異なる。『ブラック(黒人)、ブラン(白人)、ブール(北アフリカ系)』という『3つのB』の混成チーム。仏にとっては移民同化政策の成功の象徴といえる。ジダン選手はアルジェリア移民の両親のもとに仏南部マルセイユ郊外の貧困地区『ラ・カステラーヌ』で生まれ育った典型的なブールだ。

 黒人系、北アフリカ系の仏代表選手は差別の標的になりやすい。中でも、イスラム教徒が支配し、仏と独立戦争で戦ったアルジェリア出身の移民の立場はより微妙だ。ジダン選手のいとこの一人は『テロリスト、あるいはフランス側についた裏切り者の息子と呼ばれたのではないか』と心配したという。

 仏国内外を問わず、移民排斥論者には仏代表もジダン選手も気に入らない。例えばイタリアのカルデロリ元制度改革相。イスラム教の預言者ムハンマドを風刺した漫画入りのTシャツを着て批判を浴び、辞任に追い込まれた同氏は仏代表を『黒人とイスラム教徒と共産主義者のチーム』と侮辱した。仏極右のルペン国民戦線党首もジダン選手を目の敵にする。2002年仏大統領選で同選手がルペン氏への投票拒否を呼び掛けたためだ。

 仏国内の北アフリカ系の人口は約300万人。全人口の約5%に相当する。マルセイユとアルジェを結ぶフェリー会社に勤めるアジャミラ・ネダッドさん(53)は『ジダンは在仏アルジェリア人の誇り。アラーの神に次ぐ存在』と話す。

 世界最大のイスラム教徒人口を抱えるインドネシアでは12日、『イスラム教徒を侮辱する発言が頭突き事件の発端』と各紙が大きく報じた。

 ジダン選手は言葉を慎重に選んで頭突きの原因を『家族への侮辱』に限定している。今後、イタリアの選手の宗教や人種に関する差別発言が発覚すれば『頭突き』を『第二のムハンマド風刺画事件』に重ねる見方も強まってくるかもしれない。  (パリ=奥村茂三郎)」



(1) 「事件の直後から『差別的な発言が原因』との観測が消えないのは、ジダン選手が仏移民社会、そしてイスラム社会の英雄だから」というわけです。そして、「黒人系、北アフリカ系の仏代表選手は差別の標的になりやすい」のであって、特に「イスラム教徒が支配し、仏と独立戦争で戦ったアルジェリア出身の移民の立場はより微妙」なのです。

「世界最大のイスラム教徒人口を抱えるインドネシアでは12日、『イスラム教徒を侮辱する発言が頭突き事件の発端』と各紙が大きく報じた」ように、ジダン選手はイスラム教徒なので、ジダン選手に対する侮辱発言はイスラム教徒に対する侮辱発言であるという報道がなされたのです。

仮にマテラッツィ選手がテロリストと言わなかったとしても、家族に対する侮辱発言をした以上、イスラム教国・イスラム教徒の反応は同じでしょう。フランス語学校「クラス・ド・フランセ」(東京)のマリック・ベルカンヌ校長によると、「マテラッツィ選手の『一言』についてベルカンヌ氏は『フランスではめったなことでは口にしない、とても強い侮辱表現だ。英語のサノバビッチと同レベルと考えてはいけない。ましてや、母親や女兄弟への愛情が強いイスラム系の人々に言うべき言葉ではない』と言う」(東京新聞平成18年7月15日付「こちら特報部:『ジダン暴走』の背景」)と理解されているのですから。


(2) 欧州では移民を広く受け入れていますが、その一方で移民差別も根強く、移民問題が常に問題になっています。フランスでも極右がジダン選手を目の敵にしているのは、ジダン選手が移民であり、それもイスラム教徒だからです。
その状態の中で、ジダン選手は、移民を含めてフランス人として一体であるという「移民同化政策の成功」の象徴的な存在です。そのジダン選手がマテラッツィ選手の胸に猛烈な頭突き、しかも「力強く握られた右手の拳が、尋常でない怒りを表していた」(「Sports Graphic Number657」23頁)のです。

移民問題を背景にして、これほどまでに怒りを露にする言葉となれば、人種や宗教に関わる侮辱的発言があったのではないかと、欧州諸国の報道機関が推測するのは自然なことだと思います。また、移民に対する差別があったのか、と。

このような見識は、日経新聞だけではなく読売新聞も取り上げています。
例えば、

「サッカー・ワールドカップ(W杯)ドイツ大会決勝で、イタリアのマテラッツィへの頭突きで退場となったフランスのジダンは12日夜、地元テレビで「自分の母と姉を深く傷つける言葉」を3回繰り返されたため――と釈明した。欧州の報道では、北アフリカに家族のルーツを持つイスラム教徒のジダンに文化的、歴史的差異に関する攻撃的な言葉が投げかけられたという推測が一般的だ。暴力は許されないが、今回の問題は、言葉の暴力がサッカー界に横行していることを強く印象づけた。」(YOMIURI ONLINE:(2006年7月14日 読売新聞)「FIFAがジダン聴取へ…20日、マテラッツィも」

としています。

要するに、世界の多くの報道機関は、移民問題を背景にして、宗教(イスラム教)や人種による差別があったのではないか、「頭突き」事件が「第二のムハンマド風刺画事件」になってしまうのではないかと危惧しているのです。ですから、ジダン“頭突き”事件が国際的な社会問題となっているのです。


(3) 人種差別発言があったのではないかとの推測がなされるのは、人種差別発言には言い返せばすまない感情が生じるからです。例えば、木村博嗣氏(スペイン・サラマンカ在住:スペイン・サッカー連盟カスティージャ・レオン州監督委員会員)は

「実は、自分がやられてみて分かったが、人種差別を含んだののしりには反射的に殴り掛かりたくなるものがあるのだ。実際に殴ったことはない。「何だ、この野郎!」といきり立ったところで、周りに取り押さえられた。もし誰も止めず、向こうも応じてきたら手を出していたかもしれない。
 暴力は嫌いだ。最後に暴力に訴えたのはたぶん小学生の時だと思う。それでも、人種差別をベースにしたののしり(“発言”ではそこまで頭にこない。目の前でののしられたときだけだ)だけは、暴力の衝動を起こさせるものがあると認めざるを得ない。だからマテラッツィが何を言ったか知りたいのだ。」(「ジダンの頭突きに見る、サッカーの醜さ(1/2)木村浩嗣の「誘惑と憂鬱のスペインサッカー」 2006年07月14日

と書いています。

このように、人種差別発言を含む言葉の暴力は、肉体的暴力の引き金になるほど、人の感情を著しく害する側面があるともいえるです。こういう面があるからこそ、マテラッツィは差別発言をしたのだと推測されてしまうわけです。


(4) この論説については、1つ補っておくことがあります。それは、サッカーにおいて人種差別発言が深刻化していることです。まずはグラウンドの中においてです。

「言葉の暴力で、特に目立つのは人種差別的言動だ。欧州各国では黒人を中心とした非白人が標的となるケースが頻発している。3月にはローマ法王もサッカー界での差別反対の声明を出したほどだ。バルセロナのカメルーン代表FWエトーが何度も差別的やじの標的となり、ピッチを去ろうとした事件さえあった。ジダンと同じフランス代表のアンリも一昨年、スペイン代表・アラゴネス監督から侮辱発言を受けた。」(YOMIURI ONLINE:(2006年7月14日 読売新聞)「FIFAがジダン聴取へ…20日、マテラッツィも」


これにもまして、グラウンドの外の観客が行う差別発言はもっとひどい状態です。

「芝生の外は売春婦からテロリスト、女性蔑視(べっし)、人種差別まで何でもありの無法地帯。残念なことに少年サッカーでもそうだ。バスク地方の選手やチームは「アセシーノ(殺人者)!」とか「テロリスタ!」とか呼ばれるし、黒人選手は「猿!」とか「いかだに乗って帰れ!(スペインはアフリカから不正入国者が手製のボートに乗って渡ってくるから)」とか、金髪・碧眼(へきがん)の選手は「マリコン(おかま)!」とか、私のような黄色人種は「チニート!(もともと“小さな中国人”の意だが、吐き捨てるような言い方が加わり東洋人全体に対する蔑称(べっしょう)となる)」とか言われる。これらはすべてサンティアゴ・ベルナベウやカンプ・ノウ、サンマメスなどのプロのスタジアムだけではなく、週末の少年サッカーの現場で実際に私が採集したものだ。」(「ジダンの頭突きに見る、サッカーの醜さ(2/2)木村浩嗣の「誘惑と憂鬱のスペインサッカー」 2006年07月14日


こういう状況にあるからこそ、今回のW杯では、「Say no to racism」をスローガンに掲げた大会を行ったのです。にも関わらず、決勝戦で起きた暴言。だからこそ、より問題視されているわけです。




2.次に、東京新聞(平成18年7月15日付朝刊27面)での伊藤洋一・住信基礎研究所主席研究員の「本音のコラム」から。

本音のコラム  ジダンの頭突き

 言葉が持つ意味は、それぞれの人にとってかなり違う。どのように使ってきたかで。

 仮にマテラッツィが、英語の『son of a bitch』に相当するイタリア語をジダンに投げかけていたとする。直訳すると『売春婦の息子』となる。ひどい言葉だ。しかし辞書には例文として『He is a real-! あのくそったれ野郎が』となっている。私もニューヨークに4年間いて、この言葉が頻繁に、かつ慣用的に使われているのを目の当たりにした。

 ジダンは数年間をイタリアで過ごしている。しかし、イタリア版『son―」の意味合いを、イタリア人ではないジダンが直訳的にとらえた可能性がある。日本にも『おまえの母さん…」といろいろあるが、外国語に直訳したら外国人はどう受け取るだろうか。マテラッツィが『よくある種類の…』と言っていることから見て、この言葉のイタリア版だった可能性もある。しかし“テロリスト”は許されない。

 『神が愛した男』と言われるジダンには、世界的に同情論が多い。私も同じだが、頭突きという暴力を許してはいけないと思う。許したら、スポーツとフランス社会は収拾のつかないことになる。ヤジややや汚い言葉も、スポーツでは『ゲームの一部』だ。あまりにもひどい言葉を発したら、事後的に出場停止にすればよい。しかしジダンの行為を認めたら、移民社会のフランスでは町中で頭突きが始まってしまう。」



この伊藤氏の論説には多くの問題点があります。

(1) 伊藤氏は、マテラッティ選手の言葉が真実という前提で、ジダン選手が直訳=誤解したと理解しています。

しかし、なぜマテラッティ選手の言葉の方が真実なのでしょうか? マテラッティ選手嘘をついていると思わないのでしょうか? 最初は「一方的にジダンが頭突きをした」、つぎは「家族を侮辱していない」、最近では「姉に対する侮辱はした」と変遷しているのに。

ジダン選手は、十数年欧州でプロとしてプレーし、しかもセリエA(イタリア)でも数年プレーし、同僚には常にイタリア人がいたのに、そしてずっと移民として差別に晒されてきたジダン選手が直訳した可能性があるというのです。要するに、伊藤氏はジダン選手はイタリア語に無知であったと分析するのですが、ジダン選手の経歴を無視したような分析は妥当だとは思えません


(2) 伊藤氏は「ニューヨークに4年間いて、この言葉が頻繁に、かつ慣用的に使われているのを目の当たりにした」と言います。

しかし、伊藤氏は30年前の4年間だけ、特派員としてニューヨークにいたのです(伊藤洋一(Wikipedia)参照)。30年前の、しかもアメリカの、しかも自分の(喧嘩できない)関係者の言葉と、なぜ、移民問題にゆれている現在の、人種差別撤廃を掲げたW杯での、相手チームの選手の言葉なぜ同列に扱えるのでしょうか。無理のある比較だと考えます。伊藤氏は論理的思考が著しく弱いように感じます。


(3) 伊藤氏は、「世界的に同情論が多い。私も同じだ」と言います。

しかし、「めざましテレビ」で発言した際には、同情的だったほかのコメンテーターに激しく反発し、憮然とした表情で、「暴力はいけない」と言っていたのです。東京新聞でだけ「同情」なんて使っているのは日和見であり、嘘をついているように感じます。


(4) 伊藤氏は、「ヤジややや汚い言葉も、スポーツでは『ゲームの一部』だ」と言います。

しかし、FIFAの規約によると、侮辱発言については出場停止・罰金が課されるのですから、「汚い言葉」までスポーツの一部とはいえません

だいたい、この事件では人種差別発言を疑われているのですから、「ヤジややや汚い言葉」などと同列に扱う方が問題があります。特に人種差別撤廃をスローガンにした今回のW杯で、人種差別発言を許容することは大会の意義を失うことになります。現在はびこるサッカーでの人種差別を許容する言動は、許さないというのがFIFAの立場なのです。


(5) 伊藤氏は、「あまりにもひどい言葉を発したら、事後的に出場停止にすればよい」と言います。

しかし、FIFAの規約ではすでに出場停止や勝ち点減点の定めがあるのです。伊藤氏はこの問題について論じているのに、FIFAの規約を知らないのでしょうか? 調べてから書くべきでしょう。


(6) 伊藤氏は、「ジダンの行為を認めたら、移民社会のフランスでは町中で頭突きが始まってしまう」と言います。

しかし、この部分は朝日新聞の記事の丸写しではないでしょうか? 朝日新聞(平成18年7月13日付)には「リベラシオン紙は12日の発言について「ジダン選手のふるまいを認めたら、街中がけんかだらけになってしまう」という移民社会の若者の声を伝えた。」という記事があるからです。
伊藤氏は、引用したと記載すべきであって、勝手に自分の見解のように書くのは妥当ではありません

だいたい、移民による暴力は厳しい取り締まりがあるのですから、フランスが移民の若者による暴力だらけになるのは無理な推測です。リベラシオン紙は誇張して書いたと捉えるべきでしょう。

しかも、「頭突きというのは、アルジェリア人のケンカによく出てくる技」「フランス語系人のBO-YA-KI」さんの「ビバ・アルジェリア!」2006年07月14日 12時33分56秒)だそうですから、皆がアルジェリア人の真似をするとは思えません。移民がアルジェリア人ばかりでない以上、「町中で頭突きが始まってしまう」ことにはならないと思います。


(7) 伊藤氏は、自己の価値観でジダン選手の行動を一方的に非難していますが、ジダン選手の退場処分について、イタリア代表GKブッフォン選手の見解を引用しておきます。

「――あれは君の抗議がきっかけだったね。

 『率直に言って後悔している。決してフェアとは言えない行為をしてしまった。判定は審判団に委ねるべきだったと思ってるよ』」(「Sports Graphic Number657」24頁)


イタリア代表選手でさえ、本当に良かったのか疑問を持っていることを覚えておくべきでしょう。一方的な決め付けは禁物なのです。




3.ジダン“頭突き”事件を含め、決勝戦について、覚えておくことを2つ挙げておきます。いずれも「ね式(世界の読み方)ブログ」さんに書かれていることです。

(1) 1つは、ジダン選手の価値観のことです。

「人間ひとりひとりに「こうじゃなくちゃいけん」といった枠つけが効かない、個性というものがある。もちろんやっていけないことはあるにしろ、この個人差を受け付けない社会は閉鎖した生きてない社会だと……思う。そして個人個人にはそれぞれの価値体系があって、たとえばジダンにはWカップよりも母や姉妹の名誉の方が重要だったのだ。」(「ジネジン・ジダン、カナル・プリュスで思いを語る、etc」2006-07-12


自分の価値観で物事を判断するのは容易いことです。しかし、個々人それぞれの価値観をもって人生を送っているのです。自分の価値観では理解しがたいことだとしても、個々人の価値観を理解し、尊重することが大切なのではないかと思うのです。


(2) もう1つは、ジダン選手による「パネンカ」です。

「先日の対イタリア戦でのジダンのPKはパネンカと呼ばれるテクニックだそうで、1970年代のチェコ選手 アントナン・パネンカ が初めてやった。芝を刈るように、ボールを抉り取るように(圧縮させるんですか)送る。こちらで“落ち葉”と呼ばれるこれもテク・タームですが、ボールはカーヴを描きそして極めて緩慢に落ちる……。
 …あのボールはまずゴール・バーにぶつかり、いったんゴール内にはいった後、リバウンドしてゴール外に出ている。シュートしたジダンは、審判を振り返りPK有効認定を求めるんですね。
 これを見ていた、バルテーズは“あの技を持ち出すなんて、ジズーは気が狂ったのか。”と思ったそうだ。それくらい難易度が高い(らしい)。」(「ジダンの“パネンカ”シュート」2006-07-11


この“パネンカ”シュートは、これはとっさに行ったのではなく、予め予定していたのです。

「イタリア戦のPKは、いつものように右には蹴らず、パネンカにしたこと。前日に電話で友人らに、「最終戦だから、いつもしないようなことを試してみれば?」というようなことを言われたとのこと。」(「Air du Temps」さんの「ジダン :CANAL+での会見」

だそうです。
決勝戦については、“頭突き”事件は忘れても、この素晴らしいシュートこそぜひ覚えておくべきでないかと思います。



<追記>

ジダン選手に対するインタビューについて、もっとも詳しく翻訳して紹介しているのが、「学校行かずにフランス語!」さんです。ジダン選手の発言をなるべく正確に理解すると、だいぶジダン選手に対する見方が変わるのではないでしょうか。

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事件 *  TB: 10  *  CM: 17  * top △ 
2006/07/14 [Fri] 06:10:14 » E d i t
いまやW杯に関心のある者に限らず世界中の多数の人が、マテラッツィ選手が“何を言ったのか”真相を知りたがっていたわけですが、ジダン選手がついに仏テレビで頭突きの理由を語りました


1.まずは、朝日新聞(平成18年7月13日付夕刊19面)でのTV2局でジダン選手が語った記事について。
http://www.asahi.com/sports/update/0713/011.html

母や姉傷つける言葉 耐えきれなかった ジダン、「頭突き」TVで釈明
テロリスト発言『まあそうだ』
 
 サッカーW杯決勝で相手のイタリア選手に頭突きし、退場処分となったフランス代表主将のジネディーヌ・ジダン選手(34)は12日夜(日本時間13日未明)の仏テレビで「母や姉を傷つけるひどい言葉を繰り返され、耐えきれなかった」と釈明した。「ひどい言葉」の中身について自らは明らかにせず、真相究明は国際サッカー連盟(FIFA)の調査に委ねられる。ジダン選手が自身の行為について語ったのは初めて。

 ジダン選手は12日夕、仏の民放カナル・プリュスとTF1の看板キャスターによるインタビューに個別に応じ、その模様が両局のニュース番組で録画放映された。

 頭突きの原因となったマルコ・マテラッツィ選手(32)の「挑発」について、ジダン選手は「とても個人的なことだ。母と姉を傷つけるひどい言葉を繰り返された。1度や2度ならともかく、3度となると我慢できなかった」「言葉はしばしば(暴力)行為よりきつい。それは、私を最も深く傷つける言葉だった」と述べた。

 どんな言葉だったのかについて、同選手は「とても口には出せない」と伏せた。英紙がマテラッツィ選手の挑発として報じた「テロリスト売春婦の息子」との発言の真偽を問われると「まあそうだ」と答えた。ジダン選手はアルジェリア系移民2世。

 決勝の延長戦後半、ジダン選手はゴール前で激しいマークを続けていたマテラッツィ選手と言葉を交わした後、いったん離れかけたが、再び向かい合って頭突きを見舞った。ジダン選手によると、離れようとした後も同じ言葉を背中に浴びせられ、怒りが爆発したという。

 ジダン選手はまた「20億、30億人が見守る中での私の行為は許されないもので、特にテレビを見ていた子供たちに謝りたい。やっていいこと、悪いことを子どもに教えようとしていた人にも謝る」と語った。一方で「後悔はしていない。後悔すれば彼の言葉を認めることになるから」とも述べた。

 同選手はFIFAの調査に協力するとしたうえで「挑発した側も罰せられるべきだ」と審判の判断に注文。「W杯決勝の、しかもサッカー人生の終了10分前に面白半分にあんなことをすると思いますか」と、自らの怒りに理解を求めた。

 ジダン選手は、反移民を掲げるイタリアの政党幹部が「仏代表は黒人とイスラム教徒、共産主義者で構成されている」と発言したことにも触れ「私の行為より悪質ではないか」と批判した。

 マテラッツィ選手は伊スポーツ紙に、守備のためジダン選手のシャツを数秒間つかんだら「そんなにシャツが欲しけりゃ試合後に交換してやるよ」と見下した態度で言われ、ののしり返したと語っている。ジダン選手は「シャツ発言」を認めたうえで「誰も見下していない」と強調した。

 フランス国内では、国民的ヒーローの引退試合を本人が汚したことへの失望が尾を引くが、「彼の人間としての価値は変わらない。ジダンはジダンのままだ」(ドビルパン首相)との同情的な反応が優勢。61%が頭突きを「許す」とした世論調査(11日付パリジャン紙)もある。」



(1) ジダン選手は、具体的な内容までは述べなかったようですが、「自分の母と姉を深く傷つける言葉」を3回繰り返した」ことが頭突きをした理由であり、しかも、「『テロリスト売春婦の息子』との発言の真偽を問われると『まあそうだ』と答えた」のですから、真実だとしたら大変深刻です。

「母と姉を深く傷つける言葉」は、「女性差別的表現・発言」にあたりますし、イスラム教国であるアルジェリアは家族を大切にすることから、ジダン選手にとって家族への侮辱は極めて許されない行為でしょう。しかも、イスラム教国であるアルジェリア系移民ゆえにテロリストと呼んだことになりますから、人種差別と同列に扱われる「民族差別」にもあたるからです。


(2) すでにネット上でもイスラム教徒と思われる方たちが、家族を侮辱したことに対して激しい憤りを表明しているように、家族への侮辱に対する激しい憤りはイスラム教が背景にあるといえます。

また、アルジェリアのブーテフリカ大統領は11日、「アルジェリア国民を代表し、ジダンに連帯感と親愛の情を表すため、昨日(10日)手紙を出した」と述べて、フランスのジダンを擁護する内容の手紙を同選手に送ったことを明らかにしています(東京新聞平成18年7月12日)。

さらに、「終身上院議員のコシガ元大統領『シラク仏大統領とアルジェリア大統領に発言をおわびしたい』と述べた。同元大統領が伊記者団に明かしたマテラッツィ発言は『お前の姉は売春婦で、汚いアラブ人でテロリストだ』。」(朝日新聞7月13日夕刊)とも報道されています。

この事件は、もはや国際問題化しているようです。


(3) キリスト教やイスラム教における宗教心への理解が乏しかったり、人種差別に対する切迫感のないと思われる日本人には、ジダン選手の行動が理解できないことかもしれません。

しかし、ジダン選手が「『後悔はしていない。後悔すれば彼の言葉を認めることになるから」と述べているように、宗教・民族問題に関わる侮辱的差別発言や宗教心を背景とした家族への侮辱発言は、「W杯決勝の、しかもサッカー人生の終了10分前に」暴力的行為に出てしまうほど個人の尊厳を傷つける問題であることを理解すべきであると思います。

暴力は許されないことは確かですが、侮辱的差別発言に対して、「プライドをもって自分を自分として確立し、アイデンティティを保持」(憲法の争点105頁)するための行為であったとも評価できると思うのです。


(4) この事件に対する日本人らしい反応として、伊藤洋一・住信基礎研究所主席研究員の発言をあげることができます。

「やじうまプラス」(7月13日)というテレビ番組において、伊藤洋一・住信基礎研究所主席研究員は、「スポーツでは家族を含め侮辱発言は許される、何を言われても手を出すほうが悪い」と発言しています。

しかし、侮辱発言はFIFA規則に違反する行為です。また、日本刑法では侮辱罪(231条)に該当する可能性がある犯罪行為であり、また、挑発行為をした者が相手から攻撃された場合には、挑発行為をした者が防衛行為をしても違法(正当防衛は認められない:自招防衛)なのです。法理論としても、「何を言われても手を出す方が悪い」わけではないのです。もちろん、ドイツで行われた行為ですからドイツ法が適用され、人種差別発言に対して処罰規定のあるドイツ法で処罰される可能性もあります。

このように、侮辱発言はサッカーにおいても法的にも許される行為ではありません伊藤氏のようにスポーツは無法地帯だと思い込んでしまったり、法遵守の意識が乏しいようでは、この事件を正しく理解できないと考えます。


「沈黙のジダン チームメートがマテラッツィを糾弾 [06.07.10](スポニチのHP)という記事には、フランス代表のチームメイトのコメントが出ています。

「他のチームメートたちは、あのような形でジダンの一流の経歴を終わらせたマテラッツィに非難を浴びせる。まずはDFウィリアム・ギャラス。
 「10人になったってオレたちの勝利への意欲は衰えなかった。あんなことをしても無駄だったんだ。あいつの顔を見かけたら、オレがぶん殴ってやるよ」
 次にダビド・トレゼゲ。彼はPKをミスしたが、ジダン退場で動揺したせいにはできないと語り、むしろ言葉にできないような無礼な振る舞いだったマテラッツィを糾弾する。
 「ジズーは顔を上げて大会を去ればいいんだ。あいつ(マテラッツィ)はカップを勝ち取ったかもしれないが、胸を張ることはできないだろう?サッカーよりも大切なものが人生にはあるってことだ」」


チームメイトは、ジダン選手には、決勝戦それも現役最後の10分を犠牲にしてでも譲れないほどのことを言われたのだと思い、ジダン選手に対する尊敬がゆるぎないことを表明しています。伊藤氏の感覚では、チームメイトのコメントは理解できないことになるでしょう。




2.asahi.com(2006年07月13日23時01分)には、フランスにおけるジダン選手のテレビ会見についての反応が出ています。

ジダン発言、差別には反発の声 暴力には批判 仏国内

 仏代表主将のジダン選手が12日、サッカーW杯決勝でイタリア選手を頭突きし、退場になった理由について「耐えきれない言葉を繰り返された」と釈明したことで、この出来事が投げかけた仏国内の波紋はさらに広がった。メディアではジダン選手の行為は「差別への反撃」と受け止められ、人種差別問題への取り組みを求める声が強まる一方、「それでも暴力は許されない」「スポーツ選手に過大な理想を求めるのも問題」との声も聞かれた。

 パリジャン紙は13日、「カウンターアタックが始まった」との見出しを掲げた。ジダン選手の12日の発言には、人種差別解消の先頭に立たないサッカー界へのいらだちが込められていると見る。

 同選手は人種差別という表現は避けたものの、「テロリスト売春婦の息子」とののしられたとする報道は否定しなかった。アルジェリア系移民2世のジダン選手をはじめ、移民の大半を占めるイスラム圏出身者に「テロリスト」は最大の侮辱だ。

 多人種化が進む欧州サッカー界は、移民社会と伝統社会がせめぎ合う欧州社会の縮図。選手同士や観客による差別事件もあとを絶たない。今回のW杯後も、フランスでは右翼政党が「有色人種ばかりのチームは仏代表ではない」と決勝敗退を歓迎した。

 その一方、リベラシオン紙は12日の発言について「ジダン選手のふるまいを認めたら、街中がけんかだらけになってしまう」という移民社会の若者の声を伝えた。進学や就職で差別されるフランスの移民社会では、スポーツが子供たちを非行や暴力から遠ざける貴重な機会。模範としていたジダン選手の退場劇は、そんな努力にも水を差した。各地のスポーツ指導員からも同選手に対し、「子供たちのためにも非を認めてほしい」という声が広がっていた。

 W杯後、ジダン選手に対する擁護論が広がる雰囲気に、在仏アフリカ系団体は「はけ口を暴力に求める移民社会の若者は容赦なく取り締まりながら、なぜジダン選手は国をあげて許すのか」と、仏社会の「二重基準」を批判していた。

 一人のスポーツ選手に社会全体を投影することをいさめる声も出た。ラファラン前首相は朝日新聞に「スポーツを政治的な分析対象にしてはならない」と話した。

 フランスをW杯初優勝に導いた98年、ジダン選手は「多民族社会の良さを体現した」とたたえられた。そして今回は「差別の犠牲者」。同選手は発言の中で「私もひとりの人間に過ぎない」と吐露し、自らにかかる重圧感をにじませた。 」


日本のテレビ報道では、人種差別的な要素があったことは触れていなかったようですが、フランスのメディアは、ジダン選手の行為は人種差別発言への反撃であったと受け取ったようです。だからこそ、フランスではジダン選手擁護論が多数なのでしょう。

他方で、「はけ口を暴力に求める移民社会の若者は容赦なく取り締まりながら、なぜジダン選手は国をあげて許すのか」という、仏社会の「二重基準」へ批判する声があることにも注目すべきです。要するに、単純にジダン選手による暴力を批判するのではなく、移民住民に対する政府の厳しい取り締まりとの不平等感があるとともに、サッカーに限らず、移民社会の若者による暴力が深刻な問題となっていることを明らかにしているからです。


なお、ジダン選手が言ったような暴言が本当であったかどうかについては、YOMIURI ONLINE(2006年7月13日20時38分 読売新聞)によると、「13日付の伊紙『コリエーレ・デラ・セラ』は、頭突きをされたイタリアのマテラッツィが、ジダンの姉を侮辱したことを事実上認めた、と報じた。同紙に対し、マテラッツィは、宗教、政治、人種やジダンの母親に絡む侮辱はなかったと主張。『姉が残るが』との問いに、『消去法でいけばそうなる』と答えた。」そうです。
今のところ、少なくともジダン選手の姉に対する耐え難い侮辱発言を行ったことは事実のようです。




3.この問題についてはどのような処分が行われるのでしょうか?

(1) asahi.com(2006年07月13日10時23分)によると、仏リーグ会長は、次のようにFIFAにマテラッツィ選手に対して処罰を求めています。
http://www.asahi.com/sports/update/0713/056.html

仏リーグ会長、FIFAに伊選手への処罰望む

 仏プロサッカーリーグ(LFP)のチリエ会長は12日の仏ラジオで、ジダン選手が頭突きしたマテラッツィ選手について「処分対象になりうる過ちを犯した疑いが濃い」と述べ、国際サッカー連盟(FIFA)に「挑発行為」として処罰するよう促した。

 チリエ会長は「FIFAの使命は、ジダンに過ちを犯させた背景に光を当てること。マテラッツィが試合全般を通してジダンに何を言っていたのかを正確につかむことだ」と語った。また「ジダンは重い償いをした。FIFA規則によれば、挑発行為は2~4試合の出場停止に値する」とも指摘した。

 ただ、イタリアの優勝自体に異議を唱える可能性については「責任はチームではなく(マテラッツィ)個人にある」と否定した。」


この記事から2点のことが分かると思います。

1つは、マテラッツィ選手に対する処分です。挑発行為はFIFA規則に違反する行為なので、マテラッツィ選手に対する懲戒処分が要求されていて、今なされている報道を前提にすると懲戒処分がなされる可能性が高いことが分かります。

もう1つはイタリアチームに対する処分です。「イタリアの優勝自体に異議を唱える可能性については『責任はチームではなく(マテラッツィ)個人にある』と否定」していることからすると、イタリアチームに対する処分の可能性がありうることであって、しかもイタリアチームに責任はないと述べなければならないほど、イタリアの優勝取り消しを求める意見が少なくないことが分かります。



(2) asahi.com(2006年07月14日00時29分)によると、

FIFAがマテラッツィへの調査開始 ジダン退場問題

 国際サッカー連盟(FIFA)は13日、W杯決勝でフランス代表のジダンがイタリア代表のマテラッツィに頭突きをして退場処分になった問題で、規律委員会がマテラッツィに対する調査を始めたと発表した。

 ジダンは自分の主張を18日までに書面でFIFAに送ることができる。書面はマテラッツィにも送付され、マテラッツィはこれに反論できる。そのうえで規律委が、20日に両者を対面させて事情聴取するという。同日中に結論が出る見通し。 」

だそうです。
いよいよFIFAによる本格的な調査が始まったようです。ジダン選手とマテラッツィ選手の言い分が異なることが予想されますが、食い違いについては、複数の読唇術の専門家によって判断されるのではないかと思います。決勝戦の録画が唯一の客観的証拠ですし、それを証拠といえるほどの鑑定ができるのは読唇術の専門家だけだと思われるからです。

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2006/07/12 [Wed] 06:12:28 » E d i t
W杯決勝は7月9日にベルリンで行われ、1-1で突入したPK戦を、イタリアがフランスを5-3で制して、82年以来4度目の優勝を果たしました。
その決勝戦において、現役最終戦だったフランス主将のMFジネディーヌ・ジダン(34)選手は、延長後半5分に、背後からイタリアDFマテラッツィ選手から再三に渡りに何らかの言葉を浴びせられ、振り返ってマテラッツィ選手の胸に頭突きを見舞って退場となりました。

この「事件」について、色々な憶測報道がなされていますが、どうやらマテラッツィ選手が極めて侮辱的な発言又は人種差別的な発言をしていたようです。「ジダンの代理人は10日、英BBC放送に対し、マテラッツィがジダンに掛けた言葉が『極めて深刻な』ものであることを明らかにした。代理人は試合後の10日未明にジダンと話したといい、ジダンが近くすべてを明らかにするとの見通しを示した。」(毎日新聞のHP(スポーツニッポン 2006年7月11日))ということですから。
そこで、この事件とその後の行方について、コメントしてみたいと思います。



1.毎日新聞のHP上の記事

ジダン:仏人権団体が「汚いテロリスト」発言調査求める

 【パリ福井聡】サッカー・ワールドカップ(W杯)決勝でフランスのジダン選手がイタリアのマルコ・マテラッツィ選手に頭突きを見舞い退場処分となったことについて、フランスの人権団体「SOS人種差別」は10日、「複数の信頼できるW杯筋の情報」として、「マテラッツィ選手がジダン選手を『汚いテロリスト』と呼んだ」とし、国際サッカー連盟(FIFA)に調査と適切な処置をとるよう要求した。FIFA報道官は「懲戒処分に関することで、現時点では声明は出せない」としている。

 一方、マテラッツィ選手は伊ANSA通信に「私は彼を『テロリスト』などと呼んだことはない。そんな言葉はまったく知らない。事実はテレビ映像で流れた通りだ」と強く否定した上で、ジダン選手が一方的に頭突きをしてきたと主張した。

 ジダン選手の代理人、アラン・ミグリアッチョ氏は英BBC放送に「彼は私に『イタリア選手が彼にとって非常に深刻な言葉を投げつけた』とのみ述べたが、中身については語ろうとしなかった」と話した。

 また、11日付けの英紙タイムズは、読唇術の専門家の話を紹介し、マテラッツィ選手がジダン選手にイタリア語で、「テロ売春婦の息子。くたばれ」と言ったとした。ジダン選手はイタリアのチームに所属していたこともあり、イタリア語を理解するという。

 ジダン選手の両親はアルジェリアからの移民で、「テロリスト」はイスラム過激派とイスラム教徒である彼を結びつけるもの。サッカー界では人種差別的暴言がしばしば問題となっており、今大会でも、出場選手や大会運営者側が人種差別反対のメッセージを繰り返し発してきた。

毎日新聞 2006年7月11日 10時44分 (最終更新時間 7月11日 12時48分)」



この記事によると、「FIFA報道官は「懲戒処分に関することで、現時点では声明は出せない」としている。」としていますので、 マテラッツィ選手の発言の内容次第では、確実に懲戒処分があることを示唆しています。

FIFAの「懲戒規約」によると「無礼な身ぶりや発言で人を侮辱した選手は最低2試合、宗教や出自を含む差別的な言動で中傷すれば最低5試合の出場停止処分を科す」(東京新聞平成18年7月12日朝刊19面)そうです。

ただ、今回のW杯では人種差別的暴言があった場合、「ブラッター会長は4月、W杯ドイツ大会で選手や監督らチーム関係者が人種差別行為をした場合、チームから勝ち点3をはく奪する方針を表明した。」毎日新聞 2006年5月11日 東京朝刊)そうです。決勝トーナメントにおける人種差別的暴言に対してどのような懲戒処分があるのかは不明ですが、チームにも懲戒処分を行うことからすると、少なくともマテラッツィ選手だけでなく、イタリアチームに対しても厳しい処分があるはずです。しかも勝ち点3剥奪と同等の処分となると、イタリアチームの優勝取り消しもありうると思います。




2.この毎日新聞の記事にも出ていますが、「今大会でも、出場選手や大会運営者側が人種差別反対のメッセージを繰り返し発してきた」のです。W杯中継を見ていた方はこのメッセージを目にしたとは思いますが、このメッセージは、「Say no to racism」(人種差別をなくそう、人種差別反対)のことです。

W杯における「Say no to racism」活動については、「今日、考えたこと」さんの 「「『人種差別』にNo」(FIFAワールドカップのスローガン)」(2006/06/25 23:53)や「No More Capitalism-うぇブログ」さんの「スポーツの脱政治化? ワールドカップ報道が伝えないこと」(2006/06/24)、「サステナ・ラボ」さんの「●Say No to Racism」(2006年06月25日)で詳しく紹介しています。

この記事で紹介しているとおり、FIFAは次のようなメディアリリースを行っています。
2006年FIFAワールドカップで反人種差別を展開 2006年 6月 3日」
2006年ドイツ大会でFIFAおよび各組織が協力し、人種差別撤廃に取り組む 2006年 6月 9日」

このリリースを一部引用しますと、FIFAは次のように述べています。

 「サッカーにおける人種差別現象は、過去にさまざまな苦難を引き起こしてきた一般社会での差別の歴史に比べればそれほど古いものではないかもしれないが、最近、顕著になった出来事というわけでもない。 FIFAは決して看過できないこととして、信念を持ってこの問題に取り組むべき時がきたと考えている。

 FIFAはかねてから人種差別問題に留意していたが特にヨーロッパにおける最近の出来事により、断固とした拒否活動を至急、開始する必要があると判断した。現実的には国や地域レベルで主要な対策を講じ、実施されることが不可避だが、FIFAは、専門知識や経験を共有しながら見解を一致させ、実効力のある解決方法を見出していくという独特の役割があることを認識した。

 2006年FIFAワールドカップの会期中、さまざまな活動と行事が行なわれる。そこではサッカーファミリーがいかなる差別も断固として反対するというメッセージを発信し、大会中の人種差別的な事件を防止することに寄与する。……

人種差別に反対する活動においてサッカーが規範となるようにする。」


「「国際サッカー連盟(FIFA)は、世界各国のそれぞれ異なるバックグラウンドを持つ人々に敬意を払うという姿勢に、多大な重要性を求めています。この地球で最も人気あるスポーツとして、サッカーこそが人種差別に立ち向かう最大限の可能性を秘めていると感じます。大勢の人々に、皆さんが過ごす日常生活、人生、そしてスポーツにいそしむ時間であっても、肌の色は何ら関係ないんだということを説いていきたいと考えています。FIFAとしては現代社会とサッカーにはびこる、この忌まわしい空気を払拭するために全面的に働きかけていきます。ヨーロッパにおけるサッカーにまつわる人種差別反対運動(FARE)、そしてLOC(国内組織委員会)と共に歩むことで、サポーターの一部が見せる恥ずべき行動を根絶するために重要な指針を見つけることができるでしょう」とジョゼフ・S・ブラッター会長は述べた。」



この引用部分からすると、W杯ドイツ大会からFIFAは人種差別反対運動を展開するとして、大会中の人種差別的な事件を防止することに寄与する活動をしていますし、人種差別に反対する活動においてサッカーが規範となるようすることまで表明しているのです。

このようなFIFAの取り組みに対しては、うぇブログさんは「FIFAは本気なんだろうか?という疑問」を持っていますが、もし本気であるなら、マテラッツィ選手が何らかの人種差別発言をしたのであれば、マテラッツィ選手とイタリア代表に対して、極めて厳しい懲戒処分を行うことになるはずです。軽い懲戒処分に止まるのであれば、人種差別的な事件を防止できませんし、何よりも人種差別反対活動においてサッカーが規範となることを示すことならないからです。




3.では、なぜ人種差別は国際的に許されないのでしょうか?
 

「人権の尊重は、国連が最も大きな関心を払ってきたことの1つです。例えば、国連憲章第1条は、国連の目的の1つとして、「人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」と規定しています。また、1948年に採択された世界人権宣言は、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と宣言しています。
 
 しかし、現実には、1959年~60年にかけて、ゲルマン民族の優越性を主張して、反ユダヤ主義思想を扇動したりするネオ・ナチズムの活動が、ヨーロッパを中心に続発したほか、当時南アフリカ共和国では、アパルトヘイト政策による人種差別が行われていました。このような人種、民族に対する差別は、国連憲章や世界人権宣言に謳われている人間の尊厳や権利についての平等を否定するものであり、また、一国のみならず、諸国間の平和及び安全をも害するものです。」(外務省のHP「人種差別撤廃条約」の経緯より


要するに、人種差別は、人間の尊厳や権利についての平等を否定するものであるとともに、また、一国のみならず、諸国間の平和及び安全をも害するものだということなのです。FIFAによる人種差別反対への取り組みは、最近のサッカーにおける人種差別現象に憂慮したしただけではなく、このような国際的な共通意識を背景にしたものなのです。

この事件は、決勝戦という優勝をかけた試合でおきたのであり、延長後半に、結果としてフランスの中心選手であるジダン選手を退場に追い込み、フランスが得点する可能性を著しく低下させたのです。マテラッツィ選手はジダン選手に人種差別的な侮辱発言をすれば、仕返しをして結果として退場に追い込めることはよく分かっていたはずです。マテラッツィ選手による暴言は、極めて悪質な行為であるといえます。

マテラッツィ選手が「極めて深刻な」人種差別的暴言を吐いたと判断された場合には、FIFAが真に「人種差別に反対する活動においてサッカーが規範」となると考えていて、人種差別に対する国際的な共通意識を十分に尊重するのであれば、イタリアの優勝の意義を失わせるほどの極めて厳しい懲戒処分が相当ではないかと考えます。人種差別は、優勝取り消しもありうるほど極めて重大な問題であると思うのです。

「11日、ドイツから帰国した小倉副会長は成田空港で『FIFAは差別行為に対し非常に厳しい。証拠が出て事実が確認されれば、出場停止や罰金になるかもしれない』と見方を示した。」(共同通信(2006年07月11日 10時21分))ようですが、元々、勝ち点3剥奪までは予定していたのですから、出場停止や罰金ではすまないでしょう。小倉副会長の見方は甘すぎると思います。




4.ジダン選手が頭突きをしたこと自体は許されることではないことは確かですし、イタリアを含むラテン系諸国では、逆上しやすいジダンのような選手を言葉で挑発することも、駆け引きのうちとする風土もあるようです。

しかし、今回のW杯は、「Say no to racism」をスローガンに掲げた大会なのです。人種差別的暴言に対して厳しい処分を行わない場合には、「Say no to racism」をスローガンに掲げた意義を失ってしまうのです。
そうだとすると、人種差別的暴言は、駆け引きのうちとして不問に付すことは許されないばかりか、今回のW杯では「Say no to racism」を掲げたのですから、特に人種差別を見過ごすことは許されないのです。


マテラッツィ選手は、「私は彼を『テロリスト』などと呼んだことはない。……ジダン選手が一方的に頭突きをしてきた」と主張しているようですが、テレビ放映を見る限り、一方的な頭突きではなく、何らかの言葉を発していることは明らかですから、マテラッツィ選手の主張には明らかな嘘があります。おそらく、人種差別的暴言を吐いたことが分かると極めて厳しい処分があることが予想されますから、嘘をついたのでしょう。マテラッツィ選手は、ほかにも色々と言い訳をしているようですが、ジダン選手を侮辱したこと自体は認めています(東京新聞7月12日付朝刊)。


FIFAはマテラッツィ選手が何を言ったのか十分に調査して、厳正な懲戒処分を行うことを望んでいます。今回のジダン選手の退場処分を巡る事件は、FIFAが今回のW杯において、どれだけ人種差別に対して真剣に臨んでいたのかが問われる試金石であると考えます。

テーマ:2006年FIFAワールドカップサッカー - ジャンル:スポーツ

事件 *  TB: 3  *  CM: 2  * top △ 
ミュシャのこと 
2006/07/01 [Sat] 00:48:16 » E d i t
私事ですが。
愛猫「ミュシャ」が永眠しました。
「ミュシャ」の由来は、もちろんアルフォンス・マリア・ミュシャです。



家に帰ると何時であっても玄関で待っていたり、10数年にわたりいつでも傍にいて。私に対しては全くの無防備で、これほどまでに全幅の信頼を寄せてくる猫は初めてでした。

嫌だと思ったら、診察している獣医であろうと誰であろうと、わけ隔てなく、遠慮なく噛み付き爪を立てました。こんな態度に、「相手を区別しない毅然した態度は見習いたい、人もかくあるべき」と感じていました。最後まで毅然とした態度だったのが、余計に悲しい……。


「ミュシャ」を失った悲しみが多少でも癒えるときまで、ブログの更新を一時停止します。読者の方には申し訳ないです。


TBやコメントは、どのエントリーでも遠慮なくお願いします。すべて読ませて頂きます。ただ、TBを返したり、コメントへのお返事は、いずれ気持ちが回復した後にさせて頂きます。申し訳ありません。




<7月12日追記>

悲しみが癒えた訳ではありませんが、ブログの更新を再開します。コメントを寄せて頂いた方はもちろん、更新停止中もアクセスして頂いた方には心から感謝しています。

テーマ:にゃんこ - ジャンル:ペット

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