FC2ブログ
Because It's There
主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
05« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30.»07
スポンサーサイト 
--/--/-- [--] --:--:-- » E d i t
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --  * top △ 
2006/06/24 [Sat] 06:12:16 » E d i t
第18回W杯ドイツ大会で、日本代表はF組最終戦を行い、日本代表はブラジルに1-4で完敗しました。これで1次リーグ敗退が決まりました。この試合について、ドラガン・ストイコビッチさんが東京新聞(6月24日付朝刊)で解説(聞き手・原田公樹)をしていましたので、紹介したいと思います。

1.東京新聞(平成18年6月24日付朝刊12面)の「ストイコビッチの眼」で次のような解説をしています。
 

 「すべてはオーストラリア戦

 ブラジルに勝てたかもしれない、と悔しがっている人も多いだろうが、私はそうは思わない。個人の能力の差が歴然として出た一戦だった。世界のトップと日本のレベルは、これほど違うのだ。それをかみしめなければならない。ロナウドはほとんど走らないが、本当に危険な男で、一瞬の動きでゴールを決めた。ロナウジーニョも何度も好機をつくった。

 すべてはオーストラリア戦の終盤に3失点したことに尽きる。あの数分間を耐え切れば、日本は決勝トーナメントへ進出して、イタリアと対戦できた。いま日本はあのオーストラリア戦の最後の数分間に何が起こったのか、時間をかけて検証し、その対策を立てることが急務だろう。

 日本人は過去のことは終わったこととして、振り返らない癖がある。日本はブラジルに負けたから敗退したのではない。オーストラリア戦の残り数分間に負けたから早期にドイツから旅立たなければならなかったのだ。

 最大の問題点は守備だろう。日本のDFたちは相手選手へのマークが甘く、瞬間的にフリーにしてしまうケースが何度もあった。そしてずるずるとDFラインを下げてしまった。欧州でプレーするFWやMFはいるが、DFは一人もいないことに原因の一端はある。日常的に厳しい戦いを経験していないからだ。

 ジーコは去るが選手は残る。まず個人の能力を上げていく努力をしなければならない。才能のあるDFはすぐに欧州へ移籍して、鍛えるべきだ。そうしなければ2010年W杯へ出場することすら難しくなってくるだろう。

 日本協会は次期代表監督を急いで選ぶべきではない。十分に議論がされていない気がする。これから数ヶ月、時間をかけて今大会を分析し、対策を立てて、その問題を解決するのに最もふさわしい人物を招くべきだ。監督にもいろいろタイプがある。がけっぷちに立たされている日本を引き上げてくれる監督でなければ、本当にまずいことになってしまう。」



2.日本は前半途中までは、川口選手の好セーブもあって良かったのですが、失点してからは……。「ブラジルに勝てたかもしれない、と悔しがっている人」が結構いるようですが、ストイコビッチさんも言うように「私はそうは思わない」というのが、冷静な分析でしょう。元々能力の差があることは分かっていたことでしょうが、差がありすぎですから。

「すべてはオーストラリア戦の終盤に3失点したことに尽きる」……。これはジーコ監督も記者会見で同じことを言っています。「日本は今日、ブラジルに負けたのではない。初戦のオーストラリア戦で、8分間に3点を入れられたのが響いた」と(東京新聞6月23日付夕刊)。トルシエさんも「勝つべき豪州戦に敗れてシナリオが狂った」(朝日新聞6月24日付朝刊「トルシエのポイント」)。やはり誰もが思うことのようです。

点を取れないFWも問題だと思いますが、「最大の問題点は守備」なのでしょう。7失点してしまうようでは、まず決勝トーナメントに進めないでしょうから。
中田英選手は、日本に足りないものを補おうとして、「1対1で負けている、個の意識の問題」と他の選手に痛烈な発言をしていたわけですが、外国選手に負けない「肉体的強さ、勝利に対する気迫と執念」(東京新聞6月23日付夕刊)を持っていたのは中田英選手と川口選手くらいだったのかもしれません。これでは、勝てないのも当然だったのかもしれません。

日常的に厳しい戦いを経験するためには、欧州へDFを移籍させる意義は大きいでしょう。ただ、今回の戦いを見て、欧州へ移籍できるDFがどれほどいるのでしょうね……。移籍できるといいのでしょうけど。

今回の敗因を検討することなく、「日本協会は次期代表監督を急いで選ぶべきではない」と思います。しかし、日本サッカー協会は、7月中には決定する方針(東京新聞6月24日付朝刊)で、しかも「元フランス代表主将のディディエ・デシャン氏(37)を第1候補」(サンケイスポーツ6月23日付)ということまで決まっているようです。
果たして1次リーグ敗退前から決まっている候補者が、今の日本代表、今後の日本代表にとってふさわしい人物なのでしょうか? ストイコビッチさんが心配しているように、まずいことにならないと言いのですが。
6月25日追記:「イビチャ・オシム氏(65)=Jリーグ1部(J1)・ジェフ千葉監督=がサッカー日本代表の新監督に就任することが確実」(2006年6月24日(土) 21時36分 毎日新聞)のようです。)

この試合では、試合終了後、10分以上もピッチに倒れこんだまま動かなかった中田英選手が印象に残りました。いつかそのときの気持ちを吐露してほしいと感じました。



3.ストイコビッチさんの解説は、冷静的確ですが、日本代表に対する暖かみがあっていいと思っていました。1次リーグ敗退が決まったので、これで日本代表に対する解説が読めなくなりました。1次リーグ敗退も残念ですが、ブラジル戦を見たら1次リーグ敗退は当然のように思えました。
1次リーグ敗退よりも、ストイコビッチさんによる日本代表戦の解説が読めなくなったのが大変残念に感じています。


韓国もスイスに2-0で負けて1次リーグ敗退しました。2点目は完全にオフサイドだったのですが、前回大会での微妙な判定(誤審!?)をわざわざ話し出したアナウンサーの解説には……(苦笑)。サウジアラビアや韓国も敗れて、アジアはすべてこれで決勝トーナメント進出なしです。試合を見ていると、アジアの選手は元々体格負けしていていますし、これがアジアの本当の実力なのでしょう。

それはともかく、決勝トーナメントには実力のある国が揃いました。今後は気楽に楽しみたいと思います。



<6月25日追記1>

韓国対スイス戦について。「1点を追っていた後半32分、MF李浩(イ・ホ)がマルゲラズの横パスをカット。ボールはオフサイドポジションにいたフライの足元にこぼれた。これはオフサイドにはならない。しかし、アルゼンチン人副審がスイス選手によるスルーパスと勘違いし、フライの位置取りだけを見て機械的に旗を揚げてしまった」(毎日新聞6月24日付夕刊)そうです。
-- 続きを読む --

テーマ:2006年FIFAワールドカップサッカー - ジャンル:スポーツ

論評 *  TB: 3  *  CM: 3  * top △ 
2006/06/22 [Thu] 18:37:17 » E d i t
光市の母子殺害事件上告審で、最高裁第3小法廷は6月20日、広島高裁の無期懲役判決を破棄、審理を高裁に差し戻ししました。被害者遺族の本村さんは、最高裁で死刑判決の言渡し(「破棄自判」)をしてほしかったといっています。ネット上でも自判すべきだったのにという意見が少なくないようです。

1.では、なぜ最高裁は破棄差し戻しを行い、破棄自判をしなかったのでしょうか? その理由はなぜか? について述べてみたいと思います。このブログでは何度か触れている問題ですが( 「光市の母子殺害事件上告審~最高裁が死刑相当と判断した場合、最高裁が死刑判決を下すのか?」「光市の母子殺害事件上告審~最高裁は二審(無期懲役)を破棄差し戻しに」参照)、もう一度触れてみます。

最高裁判所調査官が最高裁判例について解説をしている「最高裁判所判例解説(刑事篇)」から引用してみます。これには判決文には明確に出ていない判決文の意味が語られているからです。

(1)まずは、「最高裁判所判例解説(刑事篇)昭和58年度169頁~〔稲田輝明〕」から。この判例解説は、二審・無期懲役から死刑相当としましたが、破棄自判をしなかった「永山事件判決(最高裁昭和58年7月8日判決)」の解説です。

「量刑不当を理由とする破棄には、従来最高裁は極めて慎重であり、この理由による破棄事例は刑事訴訟法施行以来本判決に至るまで20例にもみたない…。これら破棄事例はほとんどすべて破棄自判であり、それも原判決よりも被告人に有利な内容の自判である。本件は、最高裁が検察官の上告により量刑不当を理由に原判決を破棄した初めての事例であり、極めて特殊であるともに、死刑と無期懲役との選択を迫られた重大な事例といえるであろう。最高裁が自判(主文の形式としては『控訴棄却』となる。)を控えて差し戻したのは、右のような事案の重大性、特殊性に鑑みて、更に慎重な審理を尽くさせようとの配慮からであろう…。差し戻し後の審理において新たな情状が出てくる可能性は必ずしも大きくはなかろうが、手続面でも慎重を期した処理と思われる。」



(2) 次は、「最高裁判所判例解説(刑事篇)平成11年度213頁~〔飯田喜信〕」から。この判例解説も、二審・無期懲役から死刑相当としましたが、破棄自判をしなかった「福山・独居女性殺害事件(最高裁平成11年12月10日判決)」の解説です。

「なお、本判決は、破棄後の処理として、自判でなく原審への差戻しをしている。死刑と無期懲役との選択という事柄の重大性にかんがみて、被告人に不利な内容の自判(死刑言渡し)を避け、原審に差し戻して更に慎重な審理を尽くさせることが相当であると考えたものと推測される。永山判決も、同様の配慮から、自判を控えて差戻しをしている…。」


このように今までの最高裁判例は、いずれも自判を控えて差戻しをしているのですから、光市母子殺害事件判決も前例に倣った判断ともいえます。




2.最高裁が光市母子殺害事件で示したように、最高裁は原審の認定した事実を変更せずに、量刑不当で破棄する場合は、「直ちに判決をすることができる」(刑訴法413条但書)として、本来的には「性質上一般に自判である」のです(伊藤=亀山他「新版注釈刑事訴訟法(第6巻)」(平成10年、立花書房)463頁)。だからこそ、上で述べているように、最高裁も量刑不当の場合、「破棄事例はほとんどすべて破棄自判」しているのです

(1) しかし、最高裁が自判を行っているのは、原判決よりも被告人に有利な内容の場合であって、被告人に不利な場合にまで自判をしているわけではないのです。特に、もし死刑相当という自判をすると、被告人は(刑の執行により)命を失う結果をもたらすのであって、あまりにも被告人に不利な自判となってしまいます。ですから、ためらいもなく自判していい場合ではないのです。
6月24日追記最高裁平成8年9月20日判決は一、二審・死刑判決を破棄して無期懲役を言い渡しています。被告人に有利な場合は破棄自判をしているのです。)


(2)光市母子殺害事件は、「死刑と無期懲役との選択を迫られた重大な事例」、すなわち命を奪うか否かという選択を迫られた重大な事例です。つまり、死刑に相当するような悪質非道な犯行を行った被告人であったとしても、死刑判決となれば、取り戻し不可能な命を奪うことにはかわりはありません。特に命を奪うか否かにかかわる問題である以上、なるべく慎重な審理を尽くさせ、慎重な判断を行うべきではないかといえるのです。


(3) 裁判の迅速化の要請からすると、最高裁で自判すべきであるという意見もあるでしょう。特に、被害者家族であれば、早く確定してほしいとの気持ちもわかりますから、被害者家族に対して、「自判しろと言うべきでない」などと言うつもりはありません。

しかし、光市母子殺害事件最高裁判決でも述べているように、「死刑は,究極のしゅん厳な刑であり,慎重に適用すべきものであることは疑いがない。」のです。だからこそ、「本件において死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかにつき更に慎重な審理を尽くさせるため,同法413条本文により本件を原裁判所に差し戻す」のです。

最高裁は、「原判決と第1審判決が示した、死刑の選択を回避するにするに足りる特に酌量すべき事情」について、死刑を選択しない事由として十分でないとしたのであって、「原判決と第1審判決で示されていない、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情」については判断していないのです(ただし、この判決は、傷害致死である(事実誤認がある)との弁護人側の指摘に対しては、事実誤認がないと判断しています)。

もしかしたら、原判決にない「死刑の選択を回避するにするに足りる特に酌量すべき事情」、すなわち、無期懲役を根拠付けるような新たな情状事実が生じているかもしれません。命を奪うという事案であれば、新たな情状事実の有無を判断させようとすることは、合理的な判断といえると思うのです。


(4) もちろん、差戻し審において、新たな情状事実は到底考えられないことは確かです。しかし、「刑事訴訟法は、裁判において誤りが犯されないよう種々の制度ないし手続的規則を設けていますし、事件を担当する裁判官は正しい裁判をすべく最善を尽くすことが期待されているのです」(光藤景皎「口述刑事訴訟法(下)3頁)。更に慎重な審理を尽くさせるという手続を行うことは、刑事訴訟法の趣旨及び刑事裁判官に対する期待に沿ったものと言えると考えます。

再び高裁でこの事件の判断をするのですから、裁判の迅速を多少損なうことにはなりますが、裁判の迅速を多少損なうものであっても、「刑事訴訟法の趣旨及び刑事裁判官に対する期待」の方が優先する問題ではないかと思うのです。


最高裁が破棄差戻しにしたのは、「単に前例に倣っただけ」ではなく、「最高裁が死刑判決を下すことを逃げた」わけでもありません「自判することは時代が変わること」(「法務の国のろじゃあ」さん)でもなければ、破棄差戻しにしたのは「弁護人が選任されたばかりだから」(「なるしす日記」さん)でもないのです。光市母子殺害事件最高裁判決が、「破棄自判」(死刑判決)せずに、「破棄差し戻し」にした意味・理由を十分に理解してほしいと考えます。



<追記1>

なお、最高裁は書面審査が通例なので(刑訴法408条)、書面審査だけで無期懲役を死刑に変更するのは望ましくないから、自判しないという理由もあります(原田國男「判例時報1766号19頁」)。ただ、死刑判決の事案では弁論を開くのが通例なので、書面審査だけではないのです。十分な理由とはいえないでしょう。



<追記2>

「世に倦む日日」さんのこの問題に関するエントリーがあまりにひどいので、触れておきます。

つねづね思うのですが、「世に倦む日日」さんは法律の素人と自認しているとはいえ、法律論についての誤りが少なくないです。それも、すぐ分かることさえ調べようとせず、誤りを続けるのも良くないところです。例えば、「本村洋の道義的責任論の説得力 - 最高裁差し戻し判決を寿ぐ」では、「最高裁が判決文の最後に「正義」の言葉を置いたことに注目したい。本村洋は一人の力で司法を動かして正義を実現した。」としています。しかし、「正義」という言葉は刑訴法の条文の文言にすぎないのです。411条本文は、「上告裁判所は…原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる」としています。

最高裁が判決でいわゆる「正義」を振りかざしているわけではないのです。「司法に携わる人間が倫理の問題を省みず、省みなくて当然になっている」から「一審と二審」は無期懲役という「誤り」を犯しただなんて、間違っています。最高裁は正義感という倫理観でもって判決を下したのではないのです。
本村さんのことを「神が地上に遣わした正義のカリスマ」だなんて、本村さんも望んでいないはずです。「世に倦む日日」さんのあまりの陶酔感には、嫌悪感さえ感じます。凶悪事件を犯したとはいえ、死刑と言う被告人の命を奪うことにつながる判決であることをよく考えるべきなのです。
-- 続きを読む --

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

2006/06/20 [Tue] 22:15:18 » E d i t
光市の母子殺害事件上告審で、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長・上田豊三判事代読)は6月20日、死刑を求めた検察側の上告を認めて、広島高裁の無期懲役判決を破棄、審理を高裁に差し戻ししました。

まず結論からいえば、この最高裁判決は「永山基準」を採用したものであって前例に従ったものでありますし、死刑相当が出ること、破棄差し戻しという判決が出ることも予想していたことであって、予測どおりの判決でありました。このブログで述べていたことと一致する論理と結論ですから(「光市の母子殺害事件上告審~死刑と無期懲役の境目は?(朝日新聞平成18年6月18日付)」「光市の母子殺害事件上告審~最高裁が死刑相当と判断した場合、最高裁が死刑判決を下すのか?」をご参照下さい。)、このブログの読者も、特に違和感を感じるところはなかったのではないかと思います。

以下では、「光市母子殺害事件判決:最高裁平成18年6月20日判決」を引用して簡単に検討してみたいと思います。


1.「光市母子殺害事件判決:最高裁平成18年6月20日判決文」

「           主     文

原判決を破棄する。
本件を広島高等裁判所に差し戻す。
            理     由

 検察官の上告趣意は,判例違反をいう点を含め,実質は量刑不当の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。 しかしながら,所論にかんがみ職権をもって調査すると,原判決は,下記1以下に述べる理由により破棄を免れない。

 なお,弁護人安田好弘,同足立修一は,当審弁論及びこれを補充する書面において,原判決が維持した第1審判決が認定する各殺人,強姦致死の事実について,重大な事実誤認がある旨を指摘する。 しかし,その指摘は,他の動かし難い証拠との整合性を無視したもので失当であり,本件記録によれば,弁護人らが言及する資料等を踏まえて検討しても,上記各犯罪事実は,各犯行の動機,犯意の生じた時期,態様等も含め,第1,2審判決の認定,説示するとおり揺るぎなく認めることができるのであり,指摘のような事実誤認等の違法は認められない。

1 本作事案の概要及び原判決の要旨

 (1) 本件は,当時18歳の少年であった被告人が,白昼,配水管の検査を装って上がり込んだアパートの一室において,当時23歳の主婦(以下「被害者」という。)を強姦しようとしたが,激しく抵抗されたため,被害者を殺害した上で姦淫し,その後,同所において,激しく泣き続ける当時生後11か月の被害者の長女 (以下「被害児」という。)をも殺害し,さらに,その後,同所において,被害者管理の現金等在中の財布1個を窃取した,という殺人,強姦致死,窃盗の事案である。

 (2)原判決は,被告人に対する量刑について,次のように判示して第1審判決の無期懲役の科刑を維持した。

 本件強姦致死及び殺人の各犯行は,その結果が誠に重大であるところ,犯行の動機に酌量の余地は全くない。また,犯行の態様は,冷酷で残虐なものであり,犯行後の情状も良くない。遺族らが被告人に対して極刑を望む心情は,十分理解することができ,本件が社会に与えた影響も大きい。したがって,被告人の刑事責任には極めて重大なものがあり,本件は,被告人を極刑に処することの当否を慎重に検討すべき事案である。

 しかしながら,第1審判決が死刑を選択しない事由として説示する以下の点は,検察官が控訴趣意書において論難するが,誤りであるとはいえない。すなわち,本件は,強姦の点についてこそ計画的ではあるが,各被害者の殺害行為は計画的なものではない。また,被告人には,不十分ながらも,被告人なりの反省の情が芽生えるに至っていると評価でき,これに加え,被告人は,犯行当時18歳と30日の少年であり,内面の未熟さが顕著であること,これまで窃盗の前歴のみで,家庭裁判所から保護処分を受けたことがないなど犯罪的傾向が顕著であるとはいえないこと,被告人の実母が中学時代に自殺するなどその家庭環境が不遇で生育環境において同情すべきものがあり,それが本件各犯行を犯すような性格,行動傾向を形成するについて影響した面が否定できないこと,少年審判手続における社会的調査の結果においても,矯正教育による可塑性は否定されていないことなどの被告人自身に関する情状に照らすと,被告人について,矯正教育による改善更生の可能性がないとはいい難い。

 そして,本件各犯行の罪質,動機,態様,結果の重大性,遺族の被害感情,社会的影響,被告人の年齢,前科,犯行後の情状等を総合し,近時の死刑求刑事実に関する量刑の動向等を併せて考察すると,本件について,極刑がやむを得ないとまではいえず,被告人を無期懲役に処した第1審判決の量刑を是認することができる。

 2 当裁判所の判断

 (1)死刑は,究極のしゅん厳な刑であり,慎重に適用すべきものであることは疑いがない。しかし,当審判例(最高裁昭和56年(あ)第1505号同58年7月8日第二小法廷判決・刑巣37巻6号609頁)が示すように,死刑制度を存置する現行法制の下では,犯行の罪質,動機,態様殊に殺害の手段方法の執よう性・残虐性,結果の重大性殊に殺害された被害者の数,遺族の被害感情,社会的影響,犯人の年齢,前科,犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき,その罪責が誠に重大であって,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合には,死刑の選択をするほかないものといわなければならない。

 これを本件についてみると,被告人は,強姦によってでも性行為をしたいと考え,布テープやひもなどを用意した上,日中若い主婦が留守を守るアパートの居室を物色して被害者方に至り,排水検査の作業員を装って室内に上がり込み,被害者のすきを見て背後から抱き付き,被害者が驚いて悲鳴を上げ,手足をばたつかせるなど激しく抵抗するのに対して,被害者を姦淫するため殺害しようと決意し,その頸部を両手で強く絞め付けて殺害し,万一のそ生に備えて両手首を布テープで緊縛したり,同テープで鼻口部をふさぐなどした上,臆することなく姦淫を遂げた。 さらに,被告人は,この間,被害児が被害者にすがりつくようにして激しく泣き続けていたことを意にも介しなかったばかりか,上記犯行後,泣き声から犯行が発覚することを恐れ,殺意をもって,被害児を持ち上げて床にたたき付けるなどした上,なおも泣きながら母親の遺体にはい寄ろうとする被害児の首に所携のひもを巻いて絞め付け,被害児をも殺害したものである。強姦を遂げるため被害者を殺害して姦淫し,更にいたいけな幼児までも殺害した各犯行の罪質は甚だ悪質であり,2名の尊い命を奪った結果も極めて重大である。各犯行の動機及び経緯に酌むべき点はみじんもなく,強姦及び殺人の強固な犯意の下に,何ら落ち度のない被害者らの生命と尊厳を相次いで踏みにじった犯行は,冷酷,残虐にして非人間的な所業であるといわざるを得ない。さらに,被告人は,被害者らを殺害した後,被害児の死体を押し人れの天袋に投げ入れ,被害者の死体を押し入れに隠すなどして犯行の発覚を遅らせようとし,被害者の財布を窃取しているなど,犯行後の情状も良くない。遺族の被害感情はしゅん烈を極め,これに対し,慰謝の措置は全く講じられていない。白昼,ごく普通の家庭の母子が自らには何の責められるべき点もないのに自宅で惨殺された事件として社会に大きな衝撃を与えた点も軽視できない。

 以上の諸点を総合すると,被告人の罪責は誠に重大であって,特に酌量すべき事情がない限り,死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない。

 (2)そこで,特に酌量すべき事情の有無について検討するに,原判決及びその是認する第1審判決が酌量すべき事情として掲げる事情のうち,被害者らの殺害について計画性がないという点については,確かに,被告人は,強姦については相応の計画を巡らせていたものの,事前に被害者らを殺害することまでは予定しておらず,被害者から激しい抵抗に遭い,また,被害児が激しく泣き叫ぶという事態に対応して殺意を形成したものにとどまることを否定できず,当初から被害者らを殺害することをも計画していた場合と対比すれば,その非難の程度には差異がある。しかしながら,被告人は,強姦という凶悪事犯を計画し,その実行に際し,反抗抑圧の手段ないし犯行発覚防止のために被害者らの殺害を決意して次々と実行し,それぞれ所期の目的も達しているのであり,各殺害が偶発的なものといえないことはもとより,冷徹にこれを利用したものであることが明らかである。してみると,本件において殺害についての計画性がないことは,死刑回避を相当とするような特に有利に酌むべき事情と評価するには足りないものというべきである。

 また,原判決及び第1審判決は,被告人が,それなりに反省の情を芽生えさせていると見られることに加え,犯行当時18歳と30日の少年であったこと,犯罪的傾向も顕著であるとはいえないこと,その生育環境において同情すべきものがあり,被告人の性格,行動傾向を形成するについて影響した面が否定できないこと,少年審判手続における社会的調査の結果においても,矯正教育による可塑性が否定されていないこと,そして,これらによれば矯正教育による改善更生の可能性があることなどを指摘し,死刑を回避すべき事情としている。しかしながら,記録によれば,被告人は,捜査のごく初期を除き,基本的に犯罪事実を認めているものの,少年審判段階を含む原判決までの言動,態度等を見る限り,本件の罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていると認めることは困難であり,被告人の反省の程度は,原判決も不十分であると評しているところである。被告人の生育環境についても,実母が被告人の中学時代に自殺したり,その後実父が年若い外国人女性と再婚して本件の約3か月前には異母弟が生まれるなど,不遇ないし不安定な面があったことは否定することができないが,高校教育も受けることができ,特に劣悪であったとまでは認めることができない。さらに,被告人には,本件以前に前科や見るべき非行歴は認められないが,いともたやすく見ず知らずの主婦をねらった強姦を計画した上,その実行の過程において,格別ちゅうちょした様子もなく被害者らを相次いで殺害し,そのような凶悪な犯行を遂げながら,被害者の財布を窃取した上,各死体を押し入れに隠すなどの犯跡隠ぺい工作をした上で逃走し,さらには,窃取した財布内にあった地域振興券を友人に見せびらかしたり,これでカードゲーム用のカ-ドを購入するなどしていることに徴すれば,その犯罪的傾向には軽視することができないものがあるといわなければならない。

 そうすると,結局のところ,本件において,しん酌するに値する事情といえるのは,被告人が犯行当時18歳になって間もない少年であり,その可塑性から,改善更生の可能性が否定されていないということに帰着するものと思われる。そして,少年法51条(平成12年法律第142号による改正前のもの)は,犯行時18歳未満の少年の行為については死刑を科さないものとしており,その趣旨に徴すれば,被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは,死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが,死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず,本件犯行の罪質,動機,態様,結果の重大性及び遺族の被害感情等と対比・総合して判断する上で考慮すべき一事情にとどまるというべきである。

 以上によれば,原判決及びその是認する第1審判決が酌量すべき事情として述べるところは,これを個々的にみても,また,これらを総合してみても,いまだ被告人につき死刑を選択しない事由として十分な理由に当たると認めることはできないのであり,原判決が判示する理由だけでは,その量刑判断を維持することは困難であるといわざるを得ない。

 (3)そうすると,原判決は,量刑に当たって考慮すべき事実の評価を誤った結果,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の存否について審理を尽くすことなく,被告人を無期懲役に処した第1審判決の量刑を是認したものであって,その刑の量定は甚だしく不当であり,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

 3 結論

 よって,刑訴法411条2号により原判決を破棄し,本件において死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかにつき更に慎重な審理を尽くさせるため,同法413条本文により本件を原裁判所に差し戻すこととし,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

 検察官幕田英雄,同吉田統宏 公判出席
(裁判長裁判官 濱田邦夫 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男)」




2.幾つかのポイントを示して検討してみます。

(1) 最高裁判決の判決文では「死刑相当である」との明示がありません。しかし、「原判決及びその是認する第1審判決が酌量すべき事情として述べるところは,これを個々的にみても,また,これらを総合してみても,いまだ被告人につき死刑を選択しない事由として十分な理由に当たると認めることはできないのであり,原判決が判示する理由だけでは,その量刑判断を維持することは困難である」としています。そうすると、これは、無期懲役では刑が軽すぎると指摘するものであって、実質的には死刑相当であると述べたのと同様といえます。



(2) 弁護人側は、傷害致死である(事実誤認がある)との指摘していました。しかし、最高裁は、この指摘は「他の動かし難い証拠との整合性を無視したもので失当」であって、「第1,2審判決の認定,説示するとおり揺るぎなく認めることができる」とまで言い切って、事実誤認はないと一蹴しています。



(3) 本判決の最大のポイントは、判決文の「2(1)」で「各犯行の動機及び経緯に酌むべき点はみじんもなく,強姦及び殺人の強固な犯意の下に,何ら落ち度のない被害者らの生命と尊厳を相次いで踏みにじった犯行は,冷酷,残虐にして非人間的な所業である」と述べているように、あまりにも悪質非道な犯行であるという点です。

だからこそ、このような悪質非道な犯行である点のみで、「特に酌量すべき事情がない限り,死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない」と判示したわけです。


もう1つのポイントは、被告人が18歳であるという点です。判決でも「しん酌するに値する事情といえるのは,被告人が犯行当時18歳になって間もない少年であり,その可塑性から,改善更生の可能性が否定されていないという」点をどう判断するかとして別段落で論じています。

しかし、本判決は、少年法51条に照らすと「被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは,死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが,死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず」としました。要するに、未成年であることは、死刑を回避すべき決定的事情ではないと明示したことが重要といえます。

もっとも、永山基準でも加害者の年齢や被害者人数は判断の一要素にすぎず、元々、「未成年者は無期懲役」であるとか「未成年の場合4人殺害して死刑判決」という基準はありませんでしたから、本来なら重要なポイントではなかったと思います。判決文でも触れていますが、割とあっさりしているのはさほど重要ではなかったからかもしれません。




3.では差し戻し審ではどのような点を考慮できるのでしょうか? 死刑相当という判断を覆すことができるのでしょうか?

まず破棄判決(当該最高裁判決)には拘束力があり、拘束される部分は差し戻し審では覆すことができません。本判決が拘束するのは、本判決が判断を示した部分である「原判決及びその是認する第1審判決が酌量すべき事情として述べるところは……いまだ被告人につき死刑を選択しない事由として十分な理由に当たると認めることはできない」と「各殺人,強姦致死の事実について,事実誤認がない」の部分です。

そうすると、差戻しを受けた控訴審(広島高裁)は、拘束力を有しない部分、すなわち、無期懲役を根拠付けるような新たな情状事実が生じない限りは、死刑の言渡しをする以外にありません(原田國男「上告審の量刑審査と量刑破棄事例の研究(下)」判例時報1766号13頁~)。

言い換えると、弁護人側が「<1>殺害に計画性がない<2>反省の情は不十分だか芽生えている<3>犯行時は18歳になったばかりの未成年で、不遇な家庭環境が性格に影響しており、更正の可能性がある――の3点」と部分と、殺人ではなく傷害致死であるとの部分を差し戻し審である広島高裁で主張しても、裁判所では受け入れてくれないことになります。

その結果、最後の決定的理由といえた「本当は傷害致死である」との主張も、差し戻し審ではいわば無視されるのですから、他に死刑を回避するような新たな情状事実は到底考えられず、差し戻し審(広島高裁)は、死刑判決を下す可能性が高い、はっきり言えば、死刑判決以外はありえないことになります。ちなみに永山事件第2次上告審判決(最判平成2年4月17日)も、新たな情状は認められず、死刑判決が確定しました。

なお、永山事件判決では第1次上告審判決から確定するまで7年かかりましたが、現在では、裁判の迅速化に関する法律が制定されていますし、弁護人側が主張していた事実誤認も審理されることもないでしょうから、事情が異なります。この光市母子殺害事件では、長くても2~3年くらいで確定するのではないでしょうか。




4.被害者遺族の本村さんは、最高裁で直ちに死刑の言渡し(「破棄自判」)をしてほしかったといっています。では、なぜ破棄自判にしなかったのでしょうか?

その理由は、死刑と無期懲役との選択という事柄の重大性に鑑みると、被告人に不利な内容の自判(死刑言渡し)を避け、原審に差し戻して更に慎重な審理を尽くさせることが相当であるからです(最高裁判所判例解説(刑事篇)平成11年度212頁~)。

すでに事実誤認もないのですから、最高裁で「破棄自判」を行うことは不可能ではありません。最高裁では事実判断をしないなんてことはありません。しかし、死刑に相当するような悪質非道な犯行を行った被告人であったとしても、取り戻し不可能な命を奪うことにはかわりはないのです。特に命にかかわる問題である以上、なるべく慎重な判断を行うべきではないかということなのです。被害者の命も重大であるのであれば、被告人の命も重大であることにはかわりないという価値判断があるものと思われます。

追記:自判しなかったのは、「事後審は破棄差戻しが法律上原則(刑事訴訟法第400条及び第413条)で、自判が但し書きで書かれていて例外だから」とか、「最高裁は法律審であるため、原則的に事実審理を行わないから」だなんて形式的な理由ではありません(苦笑)。例えば有罪判決を覆す場合、最高裁で無罪判決を出しています。)

永山事件判決や福山・独居女性殺害事件判決(最高裁平成11年12月10日判決)も、同様の配慮から、自判を控えて差戻しをしています。本判決もその前例に倣った判断でもあります。




5.本判決が実質的に死刑相当と判断したのは、被害者感情が峻烈だからというのではなく、凶悪重大事件について厳罰化すべきであるという国民意識が背景にあったのだと思います(テレビ報道において山室・元裁判官も同様の発言をしていました)。本判決も厳罰化傾向の一判例といえるのではないでしょうか。国民による凶悪重大事件に対する厳罰化の意識に基づいて法改正も行われており、この判例の結論は特に突出したものとはいえないでしょう。
追記:この判決は「近時の国民の重罰化感情」の結果ではありません。10年前くらいから、国民感情を背景に判決においても重罰化しているのです。今井猛嘉「刑法総論の罰則整備」ジュリスト1276号(2004年)54頁~55頁参照)。


当時、犯罪被害者には、法廷で意見を述べる機会や裁判記録を閲覧する権利がなく、遺影の法廷持ち込みも認められるケースはほとんどなく、いわば、被害者は訴訟から疎外された立場にいました。そのため、本村さんは、仕事の逆恨みで妻を殺害された東京在住の弁護士、岡村勲さんらとともに、「犯罪被害者の会」(あすの会)を発足させ、ついに「犯罪被害者基本法が昨年4月に施行されるなど、被害者への配慮は大幅に進んだ」(毎日新聞 2006年6月14日 19時08分(最終更新時間 6月14日 22時41分)のです。

少年法の改正や凶悪重大事件に対する厳罰化の法改正も本村さんの努力と無関係ではありませんし、このように本村さんの努力は多くの法改正をもたらしました。これからも裁判も続きます。本村さんらの努力には、心から敬意を表したいと思います。
(平成19年5月26日付追記:被害者保護はよいとしても、全体的に厳罰化が過度に進んできていますし、「訴訟の当事者」の地位まで求めるなど間違った方向に進んでいると感じ、削除扱いに。)

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

刑法 *  TB: 3  *  CM: 4  * top △ 
2006/06/20 [Tue] 05:32:47 » E d i t
第18回W杯ドイツ大会で、日本代表はクロアチア相手に0-0の引き分けでした。この試合について、ドラガン・ストイコビッチさんは、朝日新聞と東京新聞(いずれも6月20日付朝刊)で解説をしていました。ここでは、文章に迫力がある東京新聞の解説(聞き手・原田公樹)を紹介したいと思います。


1.東京新聞(平成18年6月20日付朝刊14面)の「ストイコビッチの眼」で次のような解説をしています。

上向きの勢い絶やすな

 勝てた試合だった。クロアチア相手に多くのチャンスをつくったし、オーストラリア戦では見えなかった、すばらしいファイティングスピリットを見せた。日本はとても危険なチームに見えた。勝利に値する勝負をしたと思う。クロアチアの選手たちは、とても日本の攻めに戸惑っていた。

 だが、一つ足りなかったことがある。ゴールだ。多くの得点機をつくりながら、ラストパスがずれ、シュートを打つべき時に放たなかった。

 守備面もよく統率されていた。正直いえば宮本にはもう少し期待していたが…。実際PKを与えてしまったが、その後は主将という重責を背負った中、持てる力を発揮したと思う。

 中でもすばらしかったのは川口だ。オーストラリア戦でも攻守を見せたが、W杯の大舞台でPKを止めたことは日本の誇りだろう。チームメイトのミスをうまくカバーした。

 気の毒なのは午後3時からの試合が2試合も続いたことだ。日本の試合の日になると、その日は暑くなった。組織的に走ってパスをつなぐ日本にとっては厳しい天候だったと言える。

 大事なことは、日本はオーストラリア戦よりは本当にいい試合をしたということだ。つまり上向きの状態であること。この勢いを絶やしてはいけない。ブラジル戦もクロアチア戦と同じような戦いをすれば、勝てるチャンスはある。

 私が監督なら出場停止の宮本はもちろん、先発で小笠原を稲本と入れ替える。稲本は試合開始から使いたい。プレミアリーグでプレーしているだけあって、フィジカルは強いし守備面での動きがすばらしかった。クロアチア戦で多くの好機をつくった2トップの柳沢と高原はそのまま使う。

 サッカーに不可能はない。すべて可能だ。これを頭に入れて、ぜひ奇跡を起こしてほしい。世界がそれを待っている。」



2.やはり勝てた試合だったと思います。それだけに残念です。もちろん、色々な評価もあり、特に読売新聞での李国秀(元ヴェルディ総監督)は「大人と子供ほどの力の差があった、チームとして統一感がない」と酷評しています。
しかし、守備面もよく統率されてましたし、「日本にも十分に勝つチャンスはあったし、勝つべき試合だった」(「トルシエのポイント」(朝日新聞6月20日付朝刊))のです。さすがにこの元ヴェルディ総監督は、見方が歪んでいるような感じがします。法律問題でもそうなのですが、読売新聞の解説(解説者)は、サッカー解説でもピントはずれなようです。

ストイコビッチさんは、柳沢選手を非難していないばかりか、評価しているのですから、優しいです。ドイツ大衆紙ビルトは、柳沢選手のシュートミスについて、「『唯一の100%のチャンスだったが、芸術的なまでにシュートはそれた』と皮肉交じりに酷評した」(東京新聞6月20日付朝刊)くらいなのに。責められて仕方がないですが、ここまで言うことはないだろうとは思いますが。
 
ストイコビッチさんも問題視しているのは、午後3時からの試合が2試合続いたことです。ジーコ監督も、午後3時(日本時間午後10時)という暑い時間帯にサッカーをやること自体間違っていると批判していました。
こんな不合理が生じたのは、「豪州戦とクロアチア戦は、昨年12月の組み合わせ抽選後に、日本のテレビ局の要望もあり開始時間が変更された」(朝日新聞6月20日付朝刊)からです。どうやら敵は本能寺にあり、というか、日本代表を後ろから蹴飛ばしたのは、日本のテレビ局(豪州戦中継はNHK、クロアチア戦中継はテレビ朝日)であったというわけですね……。
もちろん、放映するテレビ局が決定する前に日程変更があったので、直接的には電通が試合時間の変更をしたのですから(「日本とブラジルの試合時間は逆転していた!」(クマちゃんのぼーげんブログ)「天漢日乗:W杯 クロアチア対日本 0-0 日本苦戦の戦犯は電通か?」)、「電通が悪い」ことは確かです。やっぱり、テレビ局や電通にとっては、日本代表が勝つことより、視聴率の方が最優先のようです。こういう裏を知ると、アナウンサーなどのはしゃぎっぷりは、まるで悪魔の使いような気がしてきます。


ストイコビッチさんが高く評価しているように、稲本選手は特に守備面で素晴らしく、どれほど失点を防いだことかと思います。ぜひ先発でプレーを見たいものです。そして、素晴らしいのは川口選手。負けずにすんだのはPKを止めた川口選手のおかげです。


この解説の締めがいいですね。

ちなみに、朝日新聞での解説(「ストイコビッチのポイント」)での終わりは、「日本はいよいよブラジル戦。宮本が出場停止で非常に厳しいが、まだ終わっていない。」ですから、言い方に迫力がありません。
それに対して、東京新聞の解説では、「サッカーに不可能はない。すべて可能だ。これを頭に入れて、ぜひ奇跡を起こしてほしい。世界がそれを待っている。」としています。じつに勇気付けられる発言です。日本代表のいい結果を期待しています。

テーマ:2006年FIFAワールドカップサッカー - ジャンル:スポーツ

論評 *  TB: 1  *  CM: 0  * top △ 
2006/06/18 [Sun] 07:58:37 » E d i t
光市の母子殺害事件について、最高裁判所は6月20日に判決を言い渡します。その判決が下される前に、死刑と無期懲役とはどういう基準で判断されているのか、母子殺害事件の判決はどう予想できるのかを分析した解説が、朝日新聞(平成18年6月18日付朝刊)に出ていました。この解説の一部を紹介したいと思います。


1.朝日新聞(平成18年6月18日付朝刊37面)では次のように解説しています。
http://www.asahi.com/national/update/0618/TKY200606170419.html

死刑と無期 境目は  光市母子殺害20日に最高裁判決

 死刑か、それとも無期懲役か――。被告の運命を劇的に分ける二つの刑の境目の基準を、裁判所はどこに求めようとしているのだろう。最高裁第三小法廷が20日、「光市母子殺害事件」の上告審判決を言い渡す。殺人罪などに問われた元少年(25)に対する二審・広島高裁の無期懲役判決が見直される公算が大きくなっている。

 ■判例割れる被害者2人

 上告審では検察、弁護側の双方が、過去の「境界事例」を列記した書面を提出した。母子殺害事件をこれらと比較して、「あるべき量刑」をめぐって激しいつばぜり合いを演じた。死刑を選択するかどうかの判断に用いられてきた「永山基準(キーワード参照)」を第三小法廷がどう適用するのか、その当てはめ方が注目される。

 死刑かどうかを分ける最大の要素は「殺害人数」だとされている。ただ、人数によって機械的に死刑か無期懲役かを振り分けているわけではない。

 殺害された被害者がたとえ1人でも、<1>殺人など同種事件で無期懲役を受けて仮出所中に再び殺人を犯した場合や<2>身代金目的誘拐殺人など、極めて悪質なケースでは死刑が言い渡される傾向にある。逆に、3人を殺害しても無期懲役にとどまる例もあった。

 ただ、被害者が1人なら無期懲役、3人以上なら死刑というのが通常だ。

 今回の母子殺害事件のように、被害者2人の場合が、死刑と無期懲役のどちらを選択するかで裁判官を特に悩ませることになる。

 元少年の弁護側は、過去の裁判例と比較して「二審が無期懲役としたことは妥当な量刑だ」と主張している。

 ■処罰感情

 母子殺害事件で元少年に無期懲役を言い渡した一、二審が、死刑を回避するうえで重要視した主な要素は<1>殺害に計画性がない<2>反省の情は不十分だか芽生えている<3>犯行時は18歳になったばかりの未成年で、不遇な家庭環境が性格に影響しており、更正の可能性がある――の3点だ。

 第三小法廷の判断のポイントは、原判決がこれらの「酌むべき事情」を過大に評価していないかや、他にもっと重く受け止めるべき要素を見逃していないか――などになるとみられる。

 首都大学東京法科大学院の前田雅英教授(刑事法)は、殺人や強盗殺人で有罪判決を受けた者に占める死刑の比率が、この10年近くで上昇に転じていると指摘する。

 「治安情勢や国民の処罰感情など、社会全体の大きな流れと裁判所の量刑は無関係ではない」と前田教授は見る。「最近の裁判例を見ると、女性や幼児の被害に『重み付け』がなされて量刑が出ている。一方で、加害者が未成年であることはそれほどは重視されない」と分析。母子殺害事件は「死刑でも不思議ではない」と予測する。

 ■問いかけ

 永山基準を打ち出した83年の最高裁判決以後、検察が裁判所に死刑の量刑基準を「問いかけた」ことがある。検察側が二審で無期懲役とされた五つの事件を上告し、最高裁は99年に立て続けに判決・決定を出した。被害者数は1人~2人だった。

 結局、最高裁は、5件のうち4件について二審の判断を尊重。仮出所中に再び強盗殺人を犯したケースだけを死刑が相当だとして高裁判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。

 その後、少年法や刑法が「厳罰化」の方向で改正された。3年後には国民が重大裁判の審理に参加する「裁判員制度」が始まり、国民の処罰感情がよりストレートに判決に反映されるようになる。

<キーワード:永山基準>
 どんな場合に死刑を言い渡すことが許されるか、最高裁が83年に示した基準。「連続ピストル射殺事件」で4人を殺害した永山則夫被告に対する判決で、次のように判示した。
 <1>犯行の罪質<2>動機<3>態様ことに殺害の手段方法の執拗(しつよう)性・残虐性<4>結果の重大性ことに殺害された被害者の数<5>遺族の被害感情<6>社会的影響<7>犯人の年齢<8>前科<9>犯行後の情状を併せて考察したとき、その罪質が誠に重大で、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合は、死刑の選択も許されるといわなければならない――。
 永山被告に対し、二審は無期懲役を言い渡したが、最高裁は破棄して「死刑相当」とした。刑は97年に執行された。」



弁護人「元少年は成長」  検察側「反省していない」

 最高裁判決を待つ元少年(25)と拘置所で接見を重ねる弁護人によると、元少年は「ようやく事件と正面から向き合うようになった」という。

 元少年は、上告審に至ってようやく遺族への謝罪の手紙をつづった。裁判記録をもとに、元少年の心の動きを追った。

 元少年は81年に山口県光市で生まれた。中学校時代に母親が自殺。父親が再婚したフィリピン人女性の義母と暮らしていた。被害者の母子と同じ団地だった。

 元少年は地元の高校を卒業後、99年4月に水道設備会社に勤務。しかし、就職直後から欠勤がちとなり、同月14日、母子殺害事件を起こしたとされる。

 「更正の可能性」を指摘して無期懲役とした一、二審判決を不服として上告した検察側が、「反省のなさ」として挙げるのは、元少年が拘置所で知り合った人に送った手紙の内容だ。

 99年11月から00年6月にかけて送られた手紙には、被害者の主婦を揶揄(やゆ)する言葉のほか、「終身刑になりたいんだ。(略)『子どもだからなった』って言えばいいんじゃん。お国のおえらいさんよ」などと判決内容をちゃかすような文言がつづられている。

 こうした態度を、弁護人は「本人の未熟さが原因」と説明する。

 亡くなった主婦にあてる形で書いた最初の手紙で元少年は、夫の洋さんら遺族の心の傷や悩みについて、「僕も手助けすることをどうかお許しください。救ってゆきたいのです」などと、身勝手ともとれる言葉をつらねた。弁護側は、この手紙を遺族に届けることはなかった。

 「遺族がどんな気持ちで受け取るか考えてほしい」と弁護人から諭されて次に書いた手紙は、抑えた調子で「この身が朽ち果てるまで心よりおわびしたい」などと書かれている。

 5月に書かれた次の手紙には、拘置所仲間に送った手紙の内容をわびる言葉や、被害者から奪った地域振興券6千円分と硬貨300円を全額弁済したいという申し出が記された。こうした元少年の変化を弁護側は「成長」と評価する。それを最高裁がどう受け止めるかも、焦点だ。」



2.幾つかのポイントについて触れてみます。

(1) 「死刑を選択するかどうかの判断に用いられてきた『永山基準』をどう適用するのか、その当てはめ方が注目される」といえます。すなわち、今回の最高裁も、仮に死刑相当という判断を出したとしても、従来の判例の基準である「永山基準」を判例変更することはありません。永山基準自体は、諸要素を広範囲に考慮するものですから、広範囲な事案に柔軟に対応できる基準だからです。

この事案も、永山基準を維持しながらどう当てはめるのかが問題になっているといえるでしょう。それは、「被害者が1人なら無期懲役、3人以上なら死刑というのが通常」であって、この母子殺害事件の場合は、結果の重大性(被害者2人など)からすると、判例変更しなくても死刑を選択することが可能な事案だからです。
6月19日追記最高裁平成11年12月10日判決は、1人殺害でも死刑相当という判断をしていますので、正確には「被害者が1人なら無期懲役が通常」とは言いがたいでしょう。)

ですので、元少年に無期懲役を言い渡した一、二審が、死刑を回避するうえで重要視した主な要素について、最高裁がどのように判断するか、他にもっと重く受け止めるべき要素を見逃していないかと判断するのかが、判決の予測や判決が出た場合の判示を読む場合のポイントとなります。



(2) 一、二審が、死刑を回避するうえで重要視した主な要素は、「<1>殺害に計画性がない<2>反省の情は不十分だか芽生えている<3>犯行時は18歳になったばかりの未成年で、不遇な家庭環境が性格に影響しており、更正の可能性がある――の3点」でした。


 イ:この記事では、殺害の計画性については触れておらず、ここでも保留しておきます。


 ロ:まず、犯行時に未成年であったことは、前田教授の分析によると、最近の判例ではさほど重視されていないとしています。少年法が改正されて厳罰化され、少年が犯した犯罪に対する厳罰化の国民感情からすると、もはや未成年であることは、死刑を回避すべき決定的な事情とはいえないでしょう。


 ハ:反省の情の点については、「元少年は、上告審に至ってようやく遺族への謝罪の手紙をつづった」わけですから、現時点では、反省の情があるとも判断できそうです。

しかし、最初は、遺族を傷つけるような手紙を書き、「『遺族がどんな気持ちで受け取るか考えてほしい」と弁護人から諭されて、反省したかのような手紙を書いたのですし、上告審に至ってようやく謝罪の手紙を書くのですから、つい最近まで反省の情はなかったと判断できるでしょう。

本当なら、元少年の親が反省を促すような行為をすべきだったのですが、つい最近まで接見していなかったようですし(テレビ朝日の放送より)、接見していた一、二審の弁護人も、元少年に事件に向き合うような行為をせず、元少年の更正に何も手を貸さなかったのです。元少年の親や一、二審の弁護人は、いわば「自分が負っている義務」を怠ったのですから、元少年も気の毒といえなくもありません。
しかし、本来的には、刑に服するような行為をした元少年の責任であって、仮に死刑が相当と判断されたとしても、最近まで反省の情が生じなかったのは、元少年自身の責任です。

少年が5月に書いた手紙には、「被害者から奪った地域振興券6千円分と硬貨300円を全額弁済したいという申し出が記された」そうですが、今頃になって奪った金品を弁済しようと言い出したなんて、あまりに遅すぎです。弁済しようという申し出自体は、良いことですが、遅すぎては反感を買うだけでしょう。
それに、6300円だけなのでしょうか? 二人の命を奪った際に奪った金品ですから、「6300円はもちろん、一生賠償し続ける」というくらい申し出なければ、「命を奪ってたった6300円なのか、反省していないじゃないか」と思って、少しも遺族の心の傷は癒えないでしょう。

このようなことから、反省の情は極めて疑わしく、多少は反省の情はあるとしても、死刑を回避するほどの反省の情はないと判断できるのではいかと思います。


 ニ:前田教授が「最近の裁判例を見ると、女性や幼児の被害に『重み付け』がなされて量刑が出ている」としているように、女性に対する性犯罪や幼児の被害に対しては、厳罰化の法改正(性犯罪や人身売買などの厳罰化)・量刑がなされています。特に今回の事案では、性犯罪を犯すためには殺すこともいとわない行為に出ている(二審判決では強姦致死罪が適用)ことです。殺害と結びついた性犯罪、しかもその幼児をも殺害したのに、無期懲役にとどまるのでは、性犯罪に対する厳罰化の意味が没却されてしまうでしょう。

二審判決の判断では、女性や幼児の被害という、もっと重く受け止めるべき要素を見逃していたといえると思います。



(3) このようなことから、一、二審判決が重視した要素である2点について、死刑を回避すべき決定的な要素とはいえず、他にもっと重く受け止めるべき要素を見逃していたといえます。

そうなると、「元少年(25)に対する二審・広島高裁の無期懲役判決が見直される公算が大きくなっている」という朝日新聞の予測は正しく、死刑相当という判断が出るものと考えます。すでに一人殺害でも死刑になり得ることは最高裁で判断を示していますので、今回は未成年でも死刑になり得ることを示すのではないかと思います。(未成年である永山事件判決でも死刑となったのですから、本来は改めて判断を示す必要はないのですが……)




3.加害者の家族の次男は行方知れずになっているとの報道がありました。この次男にとっては、元少年が犯した行為が大変な重荷になったのだと思います。元少年に死刑相当の判断が出れば、この次男にとって重荷が少し軽減されるのではないでしょうか? 

元少年は、最高裁判決を前に「罪は重く極刑以外ないが、生きたい。悪人のまま終わりたくない」と話しているそうですが((共同通信) - 6月15日19時42分)、元少年の死刑は、被害者の遺族はもちろん、加害者家族の心の救いにもなるような気がします。そして、死刑相当という判断がでることは、幼子を抱えるご夫婦に安心感を与え、性犯罪の被害者がいくらかでも心の回復につながるものだと思います。
-- 続きを読む --

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

刑法 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2006/06/16 [Fri] 07:22:16 » E d i t
日本銀行の福井俊彦総裁は、6月15日、日銀の定例記者会見において、「村上ファンド」に1000万円を出資していた問題について、陳謝しつつも引責辞任する意思がまったくないことを明らかにしました。
小泉首相は総裁交代を考えていないとして、福井総裁を擁護していますし、他の閣僚も次々と辞任する必要がないと述べています。
では、本当に辞任する必要はないのでしょうか?

1.東京新聞(平成18年6月15日付)の社説では次のように述べています。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20060615/col_____sha_____002.shtml

福井日銀総裁 これは辞任に値する
 
 日銀の福井俊彦総裁が村上ファンドに一千万円を投資していた問題が波紋を広げている。金融市場は日銀の独立性に疑問を投げかけた。信認を失った以上、速やかに総裁を辞任するほかない。

 前代未聞の異様な事態である。福井総裁は富士通総研理事長を務めていた一九九九年秋、証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で逮捕された村上世彰(よしあき)容疑者のつくった村上ファンドに有志数人とそれぞれ一千万円を拠出し、今年二月に解約を申し出るまで、利益を得ていたことを国会で認めた。

 国会での発言を聞く限りでも、数々の疑問が浮かぶ。福井総裁は村上容疑者が「お金を集める自信がない」というので、応援するために有志で拠出した経過を語っている。

 当時、珍しかった新事業には信用が不可欠だった。福井氏は自ら「広告塔」になることを承知の上で、出資を買って出たのではないか。

 村上ファンドはだれでも気軽に出資できるわけではなく、一部の限られた人や機関が投資する特殊な基金だ。民間在職当時ならともかく、最高度の中立性と透明性が求められる日銀総裁に就任する際、そんなファンドから抜けなかったのは、単なる不注意ではすまない。

 二月に解約を申し出たのも、不可解だ。二月といえば、証券取引等監視委員会や東京地検特捜部の内偵が進み、村上容疑者への強制捜査がうわさに上っていた。三月に日銀が量的緩和を解除する直前でもある。

 自ら関与する金融政策はもちろん、あらゆる経済情報が集まる福井総裁はそうした事情を知りうる立場にあった。事情を知っていて解約したなら、これは「究極のインサイダー取引」にならないのか。

 普通の人はゼロ金利で、金利収入すら、いくらもない。ファンドでもうけた利益はどれほどなのか。

 金融市場には「総裁は自分をかばってくれた政府に大きな借りができた。政府の反対を押し切ってゼロ金利解除はできない」という観測が出ている。こうした観測は福井総裁が職にとどまる限り、ずっとつきまとうだろう。これは、日銀総裁として致命的である。

 もはや、福井氏は「経済と物価情勢を純粋、客観的にみて、金融政策を遂行する総裁」とはみなされていない。政府との関係で日銀の独立性は大きな傷を負ってしまった。

 折から、日銀は十四日から金融政策決定会合を開いている。近い将来のゼロ金利解除は焦点の一つである。そんな総裁が重要な政策判断をできるのか。福井氏は自ら進退にけじめをつけるべきである。」




2.日本銀行はわが国の中央銀行として、物価の安定のために、金融政策の決定と実行に当たる立場にあります(日本銀行のHPより)。


(1) 金融政策はインフレ的な経済運営を求める圧力がかかりやすいことから、金融政策運営を、政府から独立した中央銀行という組識の中立的・専門的な判断に任せていますし、また、金融政策は国民生活に大きな影響を与えうるので、日本銀行における金融政策に関する意思決定の内容及び過程は、透明性が求められているのです。

このように政府から独立し中立的に金融政策を決定することから、裁判所が「法の番人」であるのと同様に、日本銀行(中央銀行)は「通貨の番人」と言われるわけです。

そうすると、日銀総裁は「通貨の番人」のトップ、いわば最高裁判所長官の立場にいるのですから、金融政策に影響を受けるものについては、いささかも中立性に疑念を抱かれないよう、関わりを持たないよう慎重であるべきです。

だからこそ、「日銀職員の服務規定にあたる『日本銀行の心得』は『過去の職歴や現在の職務上の立場などに照らし、世間からいささかなりとも疑念を抱かれることが予想される個人的利殖行為』を禁止。その上で局長以上の職員が株を取得した場合などは『所属長への報告を求める』とする」(東京新聞6月16日付朝刊7面)のです。

このように、金融政策にかかわる職員にも中立性を求めているのです。これが日銀総裁の場合には、(合議制とはいえ)より直接的に金融政策を決定する以上、より厳しく中立性が要求されるというべきです。


 にもかかわらず、福井総裁は、民間人であった総裁就任前は問題ないとしても、日銀総裁就任後まで特定の人物に出資を続けることは、その特定の人物に有利な情報をもたらしているのではないかと、中立性が疑われてしまいます。特に「金融政策などに強く影響される投資ファンド」(朝日新聞6月16日付社説より)であるなら、なおさらでしょう。

それも、「村上ファンドはだれでも気軽に出資できるわけではなく、一部の限られた人や機関が投資する特殊な基金」(東京新聞)であって、しかも、「福井総裁は富士通総研理事長時代に、村上ファンドのアドバイザーだった」(日経新聞より)のですから、福井総裁と村上ファンドとの結びつきは非常に強いと感じ、正常な感覚を有している人であれば、誰もが中立性を害していると感じるはずです。



(2) また、

「二月に解約を申し出たのも、不可解だ。二月といえば、証券取引等監視委員会や東京地検特捜部の内偵が進み、村上容疑者への強制捜査がうわさに上っていた。三月に日銀が量的緩和を解除する直前でもある。
 自ら関与する金融政策はもちろん、あらゆる経済情報が集まる福井総裁はそうした事情を知りうる立場にあった。事情を知っていて解約したなら、これは「究極のインサイダー取引」にならないのか。」

とも疑われています。

これを言い換えると、

「福井総裁が今年の2月に「村上ファンド」を解約したことも、その次の月に量的緩和政策とやめるという大きな政策変更の直前でありますので、疑念が残ります。なぜなら、普通ならば量的緩和政策を止めれば、金利が上がり、株価が下がるので、村上ファンドの価値も下がることが十分予想されたからです。量的緩和をやめるという自分の決定によって、自分が損をする直前に手放したことになります。もし、これが事実としたら、道義的責任だけでは済まされない極めて大きな問題となります。」(「はあとめーる」衆議院議員 民主党幹事長 鳩山由紀夫メールマガジン 2006年第24号(通算第251号)2006/6/15)
http://blog.mag2.com/m/log/0000074979/

ということになります。

本当にインサイダー取引があったかどうかは分かりませんが、2月に解約を求めたことは、職務上の情報を自己の利益を図るため利用したと判断できる行為であって、インサイダー取引を問われかねません。
もはや、「『李下に冠を正さず』『瓜田に履を納れず』(東京新聞6月14日付『筆洗』」というような、なるべく疑わしい行為はしないという領域を超えてしまっている、とさえいえるのです。



(3) そうすると、福井総裁は、日銀総裁として職務の中立性を害する行為をしたことを表明すべきだったのです。しかし、記者会見で語ったのは、「今回、大変世間をお騒がせし申し訳なく思っています。心からお詫び申し上げます」と陳謝しただけですから、問題の重大性を認識していません。

このように、インサイダー取引を疑われ、さらに福井総裁は職務の中立性についてまったく理解できないのですから、日銀総裁としての適格性を欠くものであって、辞任すべきだと考えます。もはや村上ファンドの解約をすれば済むという問題を超えてしまっているのです。



(4) ここに至っては総裁を辞任(辞任要求)すべき重大問題であるのに、小泉首相と与謝野馨経済財政・金融担当相は、まったく問題視していません

政府がスキャンダルに陥った日銀総裁を懸命にかばい、総裁は首相に感謝の言葉を述べる。目を覆いたくなるような光景である。
 小泉純一郎首相は国会で福井総裁の弁明について問われ「私は総裁の説明でいいのではないか、と思っている」とかばった。政府の援護がうれしかったのか、福井総裁は会見で「小泉首相に感謝している」とあっさり語った。……
 国会では総裁とカネの問題をめぐって、閣僚から驚くべき発言も飛び出した。与謝野馨経済財政・金融担当相は「税金を払った後で、自分の財産をどういう金融資産に投資しようと差し支えない」と語ったのだ。日銀総裁が株式投資に精を出しても、問題ないと言うのだろうか。」(東京新聞平成18年6月16日付「社説」)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20060616/col_____sha_____002.shtml



こういう福井総裁・小泉首相・与謝野馨経済財政・金融担当相の発言が問題視されないのであれば、きっと私が常軌を逸してしまっているのか、それとも地球でないどこかの惑星の話のことなのかと思ってしまいます。



(5) 米連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン前議長は在任当時、株式の保有を自粛していたとされています。日本の総裁は到底、グリーンスパン前議長に遠く及ばないようです。

そればかりか、日本では、政府自体が日銀総裁が職務の中立性を害さないようにすることを求めないのですから、適格性を欠く総裁が地位にとどまることは問題とならず、日銀に中立性を求めること自体が無理なことなのだと思います。

日銀、その総裁は中立・公正であるべきという中央銀行(日本銀行法)の本質的な事柄でさえ、遵守できないのですから、「法を守るべし」という意識は無きに等しいように感じます。

テーマ:村上ファンド - ジャンル:政治・経済

事件 *  TB: 1  *  CM: 0  * top △ 
2006/06/15 [Thu] 21:57:27 » E d i t
某ブログ「6月15日付「スペクタクルなW杯 - ロナウジーニョ、ロッベン、R.カルロス」というエントリーを読むと、「ブラジルとクロアチアの一戦は見応えがあった。噂どおりロナウジーニョが素晴らしい。」だそうです……。
えーーーーー! まさか! というわけで、ドラガン・ストイコビッチさんが、ブラジル対クロアチア戦について、朝日新聞で解説をしていましたので、紹介したくなりました。


1.朝日新聞(平成18年6月15日付朝刊21面)の「ストイコビッチのポイント」で次のように解説しています。

堅守光ったクロアチア

 ブラジルは良くなかった。多くのサッカーファンも同意見だと思う。

 多分、最初の試合だったから、エンジンが暖まっていないせいもあっただろう。でも、その中でロナウドの動きには、がっかりした。後半に1本いいシュートを放ったけれど、面白みや精彩を欠いていた。

 クロアチアは堅い守備に攻撃、特にカウンター攻撃が素晴らしかった。負けたけれど引き分け以上のものに値するだろう。守備はミスもなく、特にセンターバックのR・コバチ、シミッチは素晴らしかった。

 R・コバチもシミッチもそうだが、すべての選手が、ブラジルのスーパースター相手にまったくおくすることなく戦っていた。終始、ボールに素早く反応し、オープンスペースをつぶしていた。ただ、試合を決めたカカのシュートの時だけは、スペースを与えてしまった。一瞬のすきがブラジルと戦う時は危険だ。

 ロナウジーニョも、はつらつとしていなかった。クロアチアのDFや中盤は、彼をゴールに近づけないようにマークし、十分なスペースを与えていなかった。

 ブラジル戦の前半でケガをして交代した主将であり重要な選手の一人、N・コバチの様子を見る必要があるが、クロアチアは次の日本戦でほぼ同じ布陣で来ると思う。そして日本に対して、左サイドのバビッチ、ブラジル戦ではあまり攻撃してこなかった右サイドのスルナを使って、ブラジル戦より、もっと攻撃的に出てくるだろう。

 クロアチアは自分たちのペースで試合を展開してくると思う。そしてブラジル戦で負けたけれど自信をつけた。日本に対して優位にプレー出来ると思う。

 日本はどのように得点するかが大きな問題だ。クロアチアの組織だった守備からどう点をとるか。日本のストライカーにとって大変な仕事だ。  (元ユーゴスラビア代表)」




2.前半部分はブラジルが良くなかったこと、この試合によりクロアチアは自信を持つほどのいいプレーをしたことを述べ、後半部分は日本戦に望むクロアチアの試合展開の予測をしています。
日本の評論家は、ブラジルは途中から流していたとか、慎重になっていたとか色々な評価をしているようですが、ストイコビッチさんは「良くなかった」と評価したわけです。少なくとも、「見応えがあった」とか「ロナウジーニョが素晴らしい」と絶賛するほどではなかったと思いますが……。

クロアチアのZ・クラニチャル監督は「負けるような内容ではなかった。ブラジルより我々の方が良いプレーをしたことは収穫だ。」と述べて、ストイコビッチさんの言うとおり、クロアチアは負けても「自信を手にした」(朝日新聞6月15日付朝刊)ようです。クロアチアは、ブラジルの思うように試合をさせなかったのですから、自信をつけたのはもっともな話です。

ストイコビッチさんが「日本のストライカーにとって大変な仕事だ」というくらいですから、日本対クロアチア戦は、日本にとって厳しい試合になりそうです。

テーマ:2006年FIFAワールドカップサッカー - ジャンル:スポーツ

論評 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2006/06/15 [Thu] 07:43:35 » E d i t
カナダで今月初めに、トロント市で爆破テロを準備していたとして逮捕された事件がありました。この事件を例にして共謀罪創設の必要性を説く報道(フジテレビのニュース)がありました。これと同じことを書いたのが、元NHKのキャスターで、コメンテーターの木村太郎氏です(東京新聞平成18年6月10日付夕刊「太郎の国際通信」)。
このような報道やコラムに対して、名指しはしていませんのではっきりはしませんが、東京新聞平成18年6月14日付朝刊「こちら特報部」は反論をしています。そこで、この東京新聞での記事を比較できるように紹介したいと思います。


1.東京新聞平成18年6月10日付夕刊「太郎の国際通信」は、次のように書いています。

カナダに見る『共謀罪』
 
 今国会注目の『共謀罪』法案は、与党が民主党案を『丸呑み(まるのみ)』し損なって仕切り直しになったが、海の向こうでは『共謀罪』がテロリストの摘発に積極的に適用されている。

 カナダの捜査当局は3日、トロント市で爆発テロを計画していた未成年者5人を含む17人を逮捕した。

 このグループは、トロントにある国会議事堂やカナダ放送協会それにテレビ塔などを爆破する計画で、爆弾の原料の硝酸アンモニウム3トンを入手したところを逮捕されたのだった。…

 このグループ摘発の容疑には『武器や爆弾の不法所持』ともに『テロ活動に参加した共謀罪』が適用されたのだ。…

 ■メール傍受で浮上

 カナダ当局は2001年の米国での中枢同時テロをきっかけに『テロ対策法』を成立させて以来、テロリストの動向をさまざまな手段で探っていたらしい。

 そのひとつがインターネット上のメールやチャットの傍受だった。当局は明らかにしていないが、テロに関係する言葉がインターネット上の流れると交信を捕捉できるようなシステムを使ったものと考えられる。

 その結果、今回のグループの存在が浮上してきたわけで、警戒を強めているうちに爆薬の入手について具体的な行動にでることが分かった。そこで、当局は『おとり』を仕立ててグループに接触させ、硝酸アンモニウムを引き渡したところで逮捕した。実際に引き渡したのは硝酸アンモニウムではなく無害の粉だったともいわれる。

 ■手法、日本ではタブー

 …いずれにせよ、この事件はまず令状なしにインターネットを傍受したことから端緒を得て『おとり捜査』で現場を押さえ、共犯者を『共謀罪』で一網打尽にしたわけだが、これらの捜査手段や容疑のどれひとつとして今の日本ではタブーとされることだ。

 それが必要なことかどうかは議論の分かれるところだろうが、国連の『国際組織犯罪防止条約』はまさにこうしたテロ計画を未然に防ぐことを目的としているものだ。…

 日本は2000年12月にこの条約に賛意を表明して署名をしたが、いまだに『共謀罪』の部分の国内法が伴わないので批准ができていない。」




2.このような報道・コラムに対して、東京新聞平成18年6月14日付朝刊26面「こちら特報部」は、名指しはしていませんが、次のように反論を加えています。

カナダの『テロ計画犯』逮捕をめぐる誤解 捜査手法『共謀罪と無関係』

 カナダで今月初め、テロリストとみられる17人が、3トンの爆薬材料を用意したとして逮捕された。日本でも、この事件を例に共謀罪の必要性を説く見解が出ている。だが、日本で同様の事件が起きた場合、共謀罪が特効薬になるのか。あるいは、なければ『テロの野放し』につながるのか。

 事件の概要はこうだ。カナダ・トロント市周辺で今月2日から翌日にかけ、2001年12月施行の反テロ法に基づき、10代の7人を含むパキスタン系の移民17人が逮捕された。

 地元紙によると、このグループは爆弾材料の硝酸アンモニウム3トンを分配する段階で逮捕された。捜査当局は、いまだ詳細を明らかにしていないが、グループはオタワの国会議事堂、地下鉄、カナダ治安情報機関のトロント支部などを爆破する計画だったという。

 また、主犯格の弁護士によると、彼らは同国のハーパー首相を誘拐し、駐留カナダ軍のアフガニスタン撤退などを要求することを計画していたという。直接の容疑としては『テロ組織に加わった罪』『爆弾準備罪』などが適用されそうだ。

 この事件後、日本国内でも、今回の摘発が<1>反テロ法に基づく令状抜きの盗聴やネット監視<2>おとり捜査<3>爆弾材料の所持<4>同法に含まれているテロ計画――の共謀罪によって成功し、『共謀罪のない日本では処罰できない』という論調が流された。しかし、この見方は妥当だろうか。

 龍谷大学矯正・保護研究センター藤井剛氏は『犯罪容疑がないにもかかわらず、司法当局の判断で行う盗聴(行政盗聴)は日本では認められていない。盗聴法は麻薬、銃器、集団密航、組織的殺人などに限って盗聴を認めているが、いずれも令状が必要。共謀罪ができたとしても、こうした盗聴は可能にはならない』と関連を否定する。

 さらにおとり捜査についても、関東学院大学の足立昌勝教授(刑法)は『麻薬犯罪を除いて、日本ではおとり捜査は認められておらず、その意味で共謀罪の有無とこの捜査手段とは無関係だ』と指摘する。

 地元紙によると、今回の摘発は『計画段階ではなく次の段階で摘発した。彼らはすでに爆弾材料を準備していた」(カナダの捜査当局者)状況で、共謀段階での摘発でもなかった。

 欧米の共謀罪事情にも詳しい山下幸夫弁護士によると『米中枢同時テロに関与したとされ、終身刑の判決を5月に言い渡されたザカリアス・ムサウイ被告にも共謀罪が適用されたが、その中身は日本での共謀共同正犯。純然たる共謀のみで適用されたケースは聞いたことがない」という。

 では、共謀罪のない日本では、今回のような『爆破テロ計画』が本当に取り締まれないであろうか。

 藤井氏は『共謀罪抜きでも対応できる。この場合、法律自体には違憲の議論もあるとはいえ、爆発物取締罰則が適用されるだろう』と説明する。その同罰則の第3条(製造、輸入、所持、注文)には、こう明示されている。

 『第一条(爆発物使用)ノ目的ヲ以テ爆発物若クハ其使用ニ供ス可キ器具ヲ製造輸入所持シ又ハ注文ヲ為シタル者ハ三年以上十年以下の懲役又ハ禁錮ニ処ス』。つまり、予備段階での取り締まりは可能なのだ。

 共謀罪推進の根拠として『共謀罪がないとテロに対し無防備』という意見は根強いが、そもそも同法新設の根拠となり、日本が署名した『国際組織犯罪防止条約』はテロ対策を目的としているのだろうか。

 山下弁護士はこう話す。

 『この条約ができたのは米中枢同時テロの前の2000年。元来、麻薬は銃器などマフィアや暴力団対策が念頭にあった。米国がその後、この条約をテロ対策に使おうとしたのは事実だが、もともとの趣旨は違う。最近はその点をはき違えた議論が多すぎる』」




3.幾つかのポイントを取り上げて説明しています。

(1) 木村太郎氏は、

「いずれにせよ、この事件はまず令状なしにインターネットを傍受したことから端緒を得て『おとり捜査』で現場を押さえ、共犯者を『共謀罪』で一網打尽にした」

と書いています。
そうすると、共謀罪創設賛成派は、共謀罪規定がないとこのような逮捕ができない、すなわち、共謀罪規定ができると令状なしで盗聴(通信傍受)ができると考えているわけです。


しかし、共謀罪創設法案は、共謀罪という実体法を創設するものであって、令状なしでの盗聴という手続法をも創設するものではありませんし、政府委員も現時点では捜査手続を拡大させる予定もないとしています。

元々、盗聴はもちろん、他の強制捜査は、人権に対する制約が大きいので令状を必要とするのが原則であり(令状主義:憲法33条・35条)、令状主義は憲法上の要請です。そうであれば、無令状で強制捜査ができる場合は、現行犯逮捕などごく例外的な場合に限られるのであって、令状主義が憲法上の要請なのですから、無令状という例外を下位の法律で増やすこと自体そうそう簡単なことではなく困難です。

そうすると、共謀罪規定ができると令状なしで盗聴できるだなんて、著しい誤解なのです。「共謀罪ができたとしても、こうした盗聴は可能にはならない」のです。



(2) このカナダの事案は、木村氏によると、

「このグループは、トロントにある国会議事堂やカナダ放送協会それにテレビ塔などを爆破する計画で、爆弾の原料の硝酸アンモニウム3トンを入手したところを逮捕されたのだった。」

わけです。
共謀罪創設賛成派は、日本では共謀罪規定がないのでこのような行為を逮捕できないというのです。これは本当でしょうか?

「藤井氏は『共謀罪抜きでも対応できる。この場合……爆発物取締罰則が適用されるだろう』と説明する。その同罰則の第3条(製造、輸入、所持、注文)には、こう明示されている。

 『第一条(爆発物使用)ノ目的ヲ以テ爆発物若クハ其使用ニ供ス可キ器具ヲ製造輸入所持シ又ハ注文ヲ為シタル者ハ三年以上十年以下の懲役又ハ禁錮ニ処ス』。つまり、予備段階での取り締まりは可能なのだ。」


要するに、爆発物の製造又は注文行為があったといえるので、このような予備行為が認められる以上、爆発物取締罰則3条が適用されるわけです。そして、共犯者にはこの3条の共同正犯(刑法60条)が成立することになると思われます。

そうすると、「日本では共謀罪規定がないのでこのような行為を逮捕できない」のではなく、日本でも共謀罪規定を創設しなくても、このような行為を逮捕できるのです。このような共謀罪創設賛成派の見解は本当ではなく、著しい誤解なのです。



(3) 木村氏は、

「国連の『国際組織犯罪防止条約』はまさにこうしたテロ計画を未然に防ぐことを目的としているものだ。」

と書いています。これは本当でしょうか?


「共謀罪推進の根拠として『共謀罪がないとテロに対し無防備』という意見は根強いが、そもそも同法新設の根拠となり、日本が署名した『国際組織犯罪防止条約』はテロ対策を目的としているのだろうか。…
 
 『この条約ができたのは米中枢同時テロの前の2000年。元来、麻薬は銃器などマフィアや暴力団対策が念頭にあった。米国がその後、この条約をテロ対策に使おうとしたのは事実だが、もともとの趣旨は違う。最近はその点をはき違えた議論が多すぎる』」


要するに、国際組織犯罪防止条約は、イタリアのマフィアに殺害された予審判事を偲ぶ財団で提案がなされ、マフィアなど専ら金銭的利益を目的とした犯罪だけを目的としている団体による組織犯罪を防止しようとするものであって(小倉=海渡編「危ないぞ! 共謀罪」(2006年)27頁~)、テロ対策を目的としているものではないのです。

木村氏や共謀罪創設賛成派が言うような「『国際組織犯罪防止条約』はテロ計画を未然に防ぐことを目的としている」のではないのです。このような共謀罪創設賛成派の見解は本当ではなく、著しい誤解なのです。




4.このように、この木村太郎氏(共謀罪創設賛成派)のコラムには、著しい誤解が含まれていることが分かったと思います。木村太郎氏は東京新聞にコラムを連載していながら、東京新聞の共謀罪に関する記事をよく読んでいないようです。木村太郎氏がカナダの事件について紹介したこと自体は評価できますが、もう少し勉強が必要でしょう。

木村氏はともかく、共謀罪の是非を検討する際には、共謀罪賛成派も、共謀罪について理解して意見を表明して欲しいものです。




<追記1>

木村太郎氏のコラムについては、「情報流通促進計画byヤメ記者弁護士」さんは「木村太郎が共謀罪で不勉強コラム(爆取法には共謀罪があるのに…)~えっ東京新聞」で、「散策」さんは、「【日記】共謀罪の最近の様子とちょっと思ったこと」で、「とりあえず」さんは、「木村太郎さんってこの程度の人なの?」というエントリーでが触れています。こちらもご覧下さい。(TBさせて頂きました)
-- 続きを読む --

テーマ:共謀罪 - ジャンル:政治・経済

2006/06/14 [Wed] 06:12:36 » E d i t
第18回W杯ドイツ大会で、日本代表は1次リーグF組初戦でオーストラリアに3-1で負けてしまいました。この試合について、ドラガン・ストイコビッチさんが、東京新聞で解説(インタビュー解説のようです)をしていましたので、紹介したいと思います。


1.東京新聞(平成18年6月14日付朝刊17面)の「ストイコビッチの眼」で次のような解説をしています。

2点目取れず、メンタル弱い日本 クロアチア戦で過ち繰り返すな

 まったく奇妙なゲームだった。なぜ日本は勝てなかったのか。説明のつかない不可解さにじれったさを感じている人は多いだろう。

 説明しよう。日本はゲームを終わらせる2点目を決めるチャンスがありながら、それをすべて逃がしてしまったところに敗因がある。パスミス、トラップミス、シュートミス。暑さも疲れもあり、『このまま逃げ切りたい』というメンタルの弱さが出てしまった。

 そして後半、日本はオーストラリアのヒディング監督の巧妙な仕掛けにやられた。まず前線へ飛び出してくるケーヒルを中盤に入れ、次いで長身のFWケネディ、FWアロイジと時間差で投入。日本は対応に追われ、対応が整わない間に次の選手が入ってきて、ずるずるとDFラインが深くなった。オーストラリアにスペースを与え、セカンドボールを拾われた。

 ヒディングの綿密に計画された、1点を取りにいかなければならないときの作戦に、まんまとはまった形だ。そして2点目、さらに3点目までも献上してしまった。

 私が監督なら、後半34分の小野の交代よりも早く、別の選手を投入していた。

 だが、まだ終わってはいない。W杯で初戦を落としながらも、決勝トーナメントへ進出したチームはいつくかある。例えば90年イタリア大会の私たちがそうだった。ユーゴスラビアは初戦を1-4で西ドイツに敗れた。だが第2戦でコロンビアに勝ち、最終的には8強まで進んだ。

 状況は異なるが、あのときオシム(現ジェフ千葉の監督)は3選手を入れ替えた。チームのムードが変わり、勝利につながった。ジーコも最低でも1人、いや2人は選手を入れ替えるべきだろう。

 大事なことは、クロアチア戦で同じ過ちを二度と繰り返さないことだ。なぜ失点したのか。必ず理由があり、正しい対処方法があった。

 もう一度自分たちのミスを分析して研究し、クロアチア戦までに徹底させることが勝利へつながる。まだ終わっていない。」




2.選手時代に素晴らしいプレーを見せてくれたストイコビッチさんの解説です。引退後の解説でも納得できる解説をしていましたし、この解説もかなり納得できるものだと思います。記者がまとめたのだと思いますが、敗因についてうまくまとまっていると思います。

ストイコビッチさんは「私が監督なら、後半34分の小野の交代よりも早く、別の選手を投入していた」と言っていますし、朝日新聞(6月4日付朝刊)でトルシエ前監督でさえ(!?)、「柳沢と小野の交代は疑問」でその結果「攻撃に厚みを欠い」て「同点ゴールの遠因となった」と言っているくらいですから、誰もが監督の采配にミスがあったとみているようです。

日本がオーストラリアに負けたのは、監督の采配という意見が多いようです。例えば、「ヒディング、ジーコ両監督の采配の差が出た試合だった」(東京新聞平成18年6月14日付朝刊「奥寺康彦の独談」より)とか。しかし、トルシエ前監督もストイコビッチさんの解説も、一番の原因を監督の采配ミスにしていないところが、共通しています。

ストイコビッチさんは「大事なことは、クロアチア戦で同じ過ちを二度と繰り返さないことだ」と言っていますが、そのとおりですね。「まだ終わっていない」と思いたいところです。




3.フランス対スイス戦は0-0で引き分け。どうもフランスは点が入らないですね。今のフランスでは仕方がないのでしょうか……。
ブラジル対クロアチア戦は1-0。試合前はブラジルはもっと点を取るかと思ってましたが、1点どまり。そういう相手に日本は試合をするわけですが、ぜひ勝って欲しいものです。



<6月15日追記1>

asahi.com(2006年06月15日01時14分)によると、

豪州戦で日本PK得る場面あった FIFAが誤審認める

 国際サッカー連盟(FIFA)のジーグラー広報部長は14日、1次リーグF組初戦で日本がオーストラリアに1―3で敗れた試合の後半に誤審があり、日本がPKを得るはずの場面があったと話した。13日までの1次リーグの14試合でPKがない理由を問われて、この試合だけがPKとなるべきだったと記者会見で答えた。

 ジーグラー部長は1―1の終盤にケーヒルが駒野を倒した場面に言及し「あれは主審の明らかなミスだった」と話した。

 この試合でオーストラリアGKは12日に、中村が挙げた日本の先制点について、エジプト人主審が日本の反則を取らずに「誤審を犯したと語った」と話していた。(共同) 」

としています。
2-1だったら、3点取られるような結果にならなかったでしょう。駒野選手を倒したケーヒル選手は2枚目のイエローカードになって、退場、その後のケーヒル選手によるゴールもあり得なかったわけで……。誤審さえなかったらと悔やまれます。それに、罵倒しまくる評論家もいなかったでしょうし(苦笑)。

…それにしても「世に倦む日日」さんの解説は無茶苦茶な感じです。「中村俊輔も筍を過ぎた」だなんて……。トルシエ前監督も「中村俊輔は、この4年間で大きく成長した。…豪州戦の中村は、相手のフィジカルの強さにひるむことなく果敢にプレーした。」と言っているのに(朝日新聞平成18年6月15日朝刊「トルシエのポイント」より)。サッカーが分からないんだったら、無理にブログを書く必要がないと思うのですが。



<6月15日追記2>

asahi.com(2006年06月15日06時26分)からもう1つ。

「「日本のゴールは正当」 サッカーW杯日豪戦の主審

 サッカーワールドカップ(W杯)の12日の日本―豪州戦で主審を務めたエジプト人のアブドルファタハ氏が、14日付のエジプト紙アルアハラムのインタビューで、「日本のゴールは正当だった」と語り、「豪州の選手に対し、日本のゴールは誤審だったと謝罪した」とする一部の報道を否定した。

 アブドルファタハ氏は「豪州の選手に謝ってなどいない。豪州のDFが日本のFWを押したため、日本のFWが豪州GKとぶつかった」としたうえで、「この場合、日本にPKを与えるか、日本のアドバンテージを取って得点をそのまま認めるかの二つの選択肢があり、私は後者を取った」と語った。」


一時期、けちのついたゴールでしたが、誤審ではなかったわけです。結局は、誤審は国際サッカー連盟(FIFA)のジーグラー広報部長が認めたものだけ。未だに中村俊輔選手のゴールを怪しんでいる評論家(中西哲生氏)は無視してよさそうです。
-- 続きを読む --

テーマ:2006年FIFAワールドカップサッカー - ジャンル:スポーツ

論評 *  TB: 1  *  CM: 0  * top △ 
2006/06/09 [Fri] 04:38:38 » E d i t
洋画家の和田義彦氏は、芸術選奨文部科学大臣賞授賞取り消しに続いて、東郷青児美術館大賞授賞も取り消しとなりました。しかし、この盗作疑惑問題が報道されるまでは、美術館などで高く評価されていたわけです。では、和田氏が書いた「トレース画」はなぜ、各賞を受賞し、高く評価されたのでしょうか? この盗作問題の責任は誰にあるのでしょうか? について論じてみたいと思います。


1.愛媛新聞社ONLINEでの「オピニオン 地軸」(2006/06/07(水)付)では次のように書いています。
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/chijiku/ren018200606075628.html

盗作疑惑の果て

 ほかの作家の作品の一部を借りる行為は、美術では珍しくないという。あのピカソにしても、ほかの作品から流用したといわれる作品があるそうだ▲
 「他人の作品の全部または一部を自分のものとして無断で使うこと」を盗作という(広辞苑)。創作と盗作の差を見抜くことは難しい。しかし、今年の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した洋画家の盗作疑惑は、また別の問題のようにも思える▲
 イタリア人画家の作品と酷似していた作品は二十数点にのぼる。新聞に載った作品を見比べてみると、「想」と題した作品は、人物の配置や姿勢のほかテーブルや柱、グラスなどがほぼ同じだ。「同じ構図を基にしたオリジナルだ」などと聞かされても、素人目には理解しがたかった▲
 「盗作」と指摘する投書を受けて調査していた文科省は芸術選奨の授賞取り消しを決めた。前代未聞だが、やむを得ないことだ。「独創性とモラルに重大な疑問を抱かざるを得ない」と臨時選考審査会は結論付けた。盗作とみられても仕方あるまい。栄誉から不名誉へ一転である▲
 では、なぜ事前に十分な調査ができなかったのだろうか。一連の作品は四半世紀にわたって描かれ、昨年末には所属する美術団体にも投書が届けられていたという。それだけに残念だ。二度と繰り返さないためにも審査のあり方を見直す必要がある。関係者は責任を重く受け止めねばならない▲
 このところ盗作・盗用が学術論文や小説などでも相次いでいる。モラルの低下が気懸かりだ。」



「創作と盗作の差を見抜くことは難しい」としつつも、和田氏がオリジナルと言っても素人には理解できないと感想を述べながら、「なぜ事前に十分な調査ができなかったのだろうか」と問い、審査方法の再検討と盗作を発見できなかった関係者(おそらく審査員のみ)の道義的責任を指摘しています。
そして、最後に、またモラルの低下の一例が生じたとして、盗作問題はモラルの問題であると考えているわけです。




2.審査方法の再検討することも必要でしょうし、審査員の道義的責任があるという面もあるでしょう。もちろん、盗作問題がモラルの面があることも確かです。

しかし、審査方法を再検討したり、モラルの問題であるといっても、「盗作作品が多くの賞を受賞し、高く評価される」という問題がなくなるとは思えません


例えば、和田義彦氏の盗作疑惑問題について、もっぱら美術評論の立場から精力的に論じておられるのが「ART TOUCH 美術展評」さんですが、この方が的確に指摘しています。

例えば、「盗作疑惑とワイドショー」というエントリーでは、

「テレビは和田氏の盗作疑惑ばかり追わないで、美術界の談合体質の調査報道をすべきである。……

 テレビはこの問題を単純な盗作問題として報道するのではなく、和田の間抜けな失敗のために表面化した(はずの)美術業界の談合体質を追求しなければならない。
 これは、談合と言うより、むしろ詐欺なのだ。ツマラナイ絵を新聞記者、評論家で順番に褒めあって、受賞作家とか芸術院会員とか、外国で認められているなどと値段をつり上げる。業者間の売買もあるし、ちかごろしきりにオークションの利点をいうが、なにやら日本風になりそうだし、大量販売、通信販売ネット販売キャッチ・セールと、何がなにやら、どうなっているのか絵画の値段は皆目分からない。
 ただはっきりしているのは、評論家学芸員審査員がツマラナイ絵を面白いといっていることだ。」

と論じています。

「美術界の談合」と断じておられるように、和田氏の盗作疑惑問題は、和田氏個人の問題ではないのです。この盗作疑惑問題は、劣化したトレース画なのに、美術業界人がみんな一緒になって褒め合って、不当に評価を高くし、価値(値段)を高め、その結果、名だたる各賞を受賞させ、惑わされた者に高値で売買した点が問題なのです。

要するに、和田氏がトレース画をオリジナルと称すること自体はモラルに反するとしても、和田氏の絵が誰にも注目されず、一枚も売れなければ、さほど問題にならなかったのですし、早いうちにトレース画であると批判すれば問題は生じなかったのです。劣化したトレース画又は「ツマラナイ絵」であるのに、25年間も美術業界は誰も気づかずに、疑惑を暴く匿名投書があっても無視したのと同然の態度に出て、高く評価し続けた……。ここに問題があるのです。


和田氏の絵画を買う側の鑑識眼のなさを問題にすることもできるでしょうが、和田氏の絵を評価する側全体が、和田氏の絵を評価しているのですから、買う側が盗作を見抜くことは難しいと思います。ですので、買う側に対して、自己責任だから誰にも責任追及できないだということは酷であるように思えます。


やはり和田氏側のモラルに問題があるというよりも、買う側の鑑識眼のなさの問題というよりも、トレース画を指摘できない、美術業界団体側(和田氏の絵を評価する側)にこそ責任(問題)があるのだと思います。この点が改善されなければ、今後も同じ盗作疑惑問題が生じると思います。
「ART TOUCH 美術展評」さんは、「美術界の談合体質」に問題があるのだと指摘していますが、まさにその通りだと思います。
-- 続きを読む --

テーマ:時事 - ジャンル:政治・経済

事件 *  TB: 3  *  CM: 5  * top △ 
2006/06/08 [Thu] 01:15:42 » E d i t
和田義彦氏の盗作疑惑問題の続報です。東郷青児美術館大賞も取り消しという報道がありました。この報道についてコメントしたいと思います。


1.asahi.com(2006年06月07日21時00分)によると、

「盗作」の和田氏 東郷青児美術館大賞も取り消し

 洋画家和田義彦氏(66)の盗作疑惑で、損保ジャパン美術財団は7日、02年に和田氏に贈った「第25回安田火災(現・損保ジャパン)東郷青児美術館大賞」の取り消しを決めた。

 同財団は選考委員を集めて再検討した結果、和田氏の受賞作「想」(01年)が、イタリア人画家アルベルト・スギ氏(77)の「交差点のバー」(97年)と酷似しており、審査基準の「独自の世界の形成」などに逸脱していると判断。理事会で取り消しを決定した。

 再検討には当時の選考委員5人のうち、陰里鉄郎・女子美術大教授、米倉守・多摩美術大教授、石井敏彦・元同館長が出席。同館の宇野智久館長は「和田氏に対しては、残念さを超えて悲しさを覚える。今後このようなことが起きないよう、選考方法を考え直し、不名誉を克服していきたい」と話した。

 同賞は77年に創設、実力のある中堅画家に贈られてきた。02年には、東郷青児美術館で和田氏の受賞記念展「和田義彦展 煌(きらめ)く刻(とき)」を開催。同展図録で作風について「深い内面性と象徴性を感じ取ることが出来ます」としていた。」




2.受賞作「想」も明らかにスギ氏の絵のトレース画ですから、東郷青児美術館大賞の授賞取り消しは当然だと思います。


(1) YOMIURI ONLINE(2006年6月7日20時11分 読売新聞)によると、

「同美術館の宇野智久館長は、『和田氏に裏切られたというのが正直な気持ち。見抜けなかった自分たち、審査システムについても反省している』と語った。」

そうですから、鑑識鑑定能力が十分になかったのです。再検討を行った「陰里鉄郎・女子美術大教授、米倉守・多摩美術大教授、石井敏彦・元同館長」という立場にある方が、今更鑑識鑑定能力が向上するとは思えません。
確か、米倉守・多摩美術大教授は元朝日新聞の記者で、和田義彦氏を強く推奨していた方ですから、米倉守氏も美術評論家の瀧悌三氏(元日経新聞記者)と同様に、鑑識鑑定能力のなさが露呈してしまったと思います。

宇野智久館長は「今後このようなことが起きないよう、選考方法を考え直し、不名誉を克服していきたい」と言っていますから、不名誉であるとは感じているようですが、鑑定能力が低いのですから、「今後このようなことが起きない」とは言い難いと思います。



(2) 一番気になったのは、なぜ7日になってから賞を取り消したのでしょうか? もっと早くに判断できたはずです。文化庁の判断を見てから、判断したのではないかと邪推してしまいます。

取り消し理由も、「アルベルト・スギ氏(77)の『交差点のバー』(97年)と酷似しており、審査基準の「独自の世界の形成」などに逸脱していると判断」(asahi.com)とか、「受賞作「想」(01年)がスギ氏の作品「交差点のバー」と極めて類似しており、「感覚の新鮮さ」「独自の世界の形成」などの同賞審査基準から逸脱していると判断」(YOMIURI ONLINE)ということであって、盗作であると断言しておらず、文化庁の判断以上のことを言っていません

判断理由でさえも、文化庁の判断を見たのではないかと、思ってしまいます。ここでも日本伝統の「横並び」を発揮したのではないでしょうか。




3.4年前から盗作を噂されながら検証しようとしなかったのですから、日本の美術館の学芸員・美術評論家に対しては、その美術鑑識能力の低さが明らかになってしまいました。日本の美術専門家すべてが能力が欠如しているとは思えませんが、文化庁が動くまで何もしないのですから、全体としても能力不足であるように思えます。


どの分野の専門家でも、専門家すべてが専門家に相応しい能力を備えているわけではありません。ただ、建築家・医者・弁護士などでは専門家として能力を書いた結果、「失敗」すれば法的責任が問われます

これに対して、日本の美術評論家が(鑑定失敗など)法的責任を問われる機会は少ないでしょうし、おそらく法的責任を問われたことがないかもしれません。となると、日本の美術評論家は、法的責任が問われることがない安穏とした立場にいるわけです。


このような緊張感のなさが、和田氏が25年もトレースし続けられた土壌を生む一因であり、和田氏がずっと無理な詭弁を言い続けられる土壌を生んでいるのだと思います。
和田氏のようにトレース画をオリジナルとして発表する方は、さすがにそういないと思いますが、日本には、25年もトレースし続けられる土壌があるのですから、他のかなりの画家も盗作しているのではないかと、感じます。


「和田氏の絵は盗作であり、盗作は絶対いけないことだ」「独創性を追及することこそ、画家の使命である」という意識が美術界で広がらない限り今後も盗作画が賞を受賞し、盗作画が高く評価されることがある、ということは決してなくならないと考えます。

テーマ:時事 - ジャンル:政治・経済

事件 *  TB: 3  *  CM: 2  * top △ 
2006/06/07 [Wed] 02:06:54 » E d i t
平成18年6月5日、文化庁の鬼沢佳弘・芸術文化課長は、会見で、盗作疑惑の検討のために開かれた芸術選奨文部科学大臣賞選考審査会の内容を説明しました。それによると、「構図、モチーフ、色彩など基本的な点が、イタリア人画家アルベルト・スギ氏の作品と一致する。共同制作であり、オマージュであるという和田氏の主張は説得力がなく、盗作と言わざるを得ない」と述べた(asahi.com(2006年06月05日22時24分)そうです。
文化庁は、洋画家和田義彦氏への授賞を正式に取り消したことから、盗作と断定していなくても、事実上、盗作であることが公認されたといえます。この取り消しを受けて、洋画家和田義彦氏(66)の盗作疑惑問題について、朝日新聞(平成18年6月6日付朝刊)に解説がありましたので、それを引用してコメントしてみたいと思います。


1.朝日新聞(平成18年6月6日付朝刊28面)の解説を適宜引用しつつ、コメントしていきます。


(1) 

文化「賞」選ぶ難しさ

 盗作と見られてもやむを得ず、授賞は取り消す――。洋画家の和田義彦氏(66)に対する、芸術選奨文部科学大臣賞の選考審査会(美術部門)の判断を受け、文化庁が下した決定は、5ヵ月前と正反対のものだった。テレビのワイドショーなどが何度も取り上げた「盗作疑惑」騒動で、芸術家の倫理が問われた一方、文化「賞」を選ぶ難しさも浮き彫りになった。

 5日、選考審査員7人のうち4人が欠席した。1月の審査会で和田氏を推した美術評論家の瀧悌三氏までが欠席。これまで和田氏を弁護していたが、委任状には「和田君のオリジナリティーの考えは矛盾」し「通らない」と、授賞撤回の考えを示した。」


ほかに緊急の用事があった場合はともかく、芸術選奨の撤回は56回の歴史で初なのですから、選考審査員の責任は重大です。選考審査員は選考した責任があるのですから、全員が出席して責任を持って授賞取り消しをして欲しかったと思います。

ちなみに、日刊ゲンダイ(6月5日発行)によると、7人とは、草薙奈津子氏(日本画の著書が多数ある美術評論家で平塚市美術館館長。ただし和田氏を推さなかった)、酒井忠康氏(近代美術史が専門の美術評論家で世田谷美術館長)、鈴木博之氏(東大大学院教授で西洋近代建築史の大家)、瀧悌三氏(日経新聞の元文化部編集委員、日大芸術学部の元講師)、建畠哲氏(美術評論家で、詩人、多摩美術大教授)、福田繁雄氏(日本を代表するグラフィックデザイナー)、吉田喜重氏(映画監督)です。「欠席4人のうち3人が委任状提出」したそうですが(毎日新聞のHPより)、欠席した4人(鈴木博之氏、瀧梯三氏、福田繁雄氏、吉田喜重氏)は、委任状でなくきちんと出席するべきだったと思います。

特に、美術評論家の瀧悌三氏は、和田氏を推したのですから、その責任は重いのに欠席しています。日経新聞の元文化部編集委員という経歴からして、日経新聞も利用して、和田氏の売り込みをしていたのではないか、との疑念も生じます。いずれにせよ、瀧悌三氏の能力のなさと最後まで責任をとる態度が欠落していることが露呈してしまったといえると思います。



(2) 

「●疑惑の特異性

 絵画を巡る盗用騒動は過去にもあったが、多くは画面の一部を盗用したり、作風が似ていたり、といったもの。これに対し、和田氏とアルベルト・スギ氏(77)の作品は、画面の隅々まで「そっくり」に見えた。

 美術評論家の瀬木慎一さんは「これほど酷似した作品を自作として発表したケースは世界的にも珍しい」と話す。「他人の設計図で家を建てるようなもので、自分の画風への転換がほとんど見受けられない」

 にもかかわらず、両者の主張は対立=。釈明を繰り返す和田氏と、怒りをあらわにするスギ氏。作品画像もあふれ、まさにメディア向けの騒動となった。

 しかし、和田氏は、最近までは「画廊などでは人気作家とはいえず、一般にはあまり知られていなかった」(東京・銀座の大手画商)といわれる。一方のスギ氏も、日本では無名に近い存在。こうした点が、疑惑の発覚を遅らせた一因とみられる。」


この記事の部分で「」となっている点には、以下のような両氏の主張が出ています。

和田義彦氏の主張(文化庁や朝日新聞に)>
・スギ氏とは、30年以上の深い交流を通じて、作品の創作においても啓蒙しあった
・(スギ作品と)形を同化して私なりの空間、造形性を技法と絵肌で盛り込み、独自の世界を創造。盗作ではない
・一部の作品はスギ氏への「オマージュ」

アルベルト・スギ氏の主張(同)>
・和田氏は私の絵のファンだと思っていた。画家だとは知らなかった。
制作における影響関係もない。
・和田作品は、私の完全なるコピーで盗作
・複数の作品をひとつにまとめたような作品まで作っている


和田氏の絵は、スギ氏の絵と構図だけでなく色彩やモチーフまで殆ど同じですから、誰もが模写と判断できると思います。「模写にしては、曲線や斜線まで機械的に一致し過ぎているので、トレース画といった方が正確」かもしれません(「和田義彦氏の盗作疑惑まとめサイト」より)。

「自分の画風への転換がほとんど見受けられない」(美術評論家の瀬木氏談)ばかりか、多くの絵において、スギ氏の絵は、背景をシンプルにして、それゆえに人物がぐっと引き立っていて見る人をぐっと引き付けています。これに対して、和田氏の絵は、特に背景に不自然に余計な色を入れたり増やしたりして「汚して」(スギ氏談)いて、人物が背景と混ざってぼやけ気味ですから、むしろスギ氏の絵を劣化させている、といえると思います。

和田氏の絵だけを見れば、良い絵と判断できるとは思います。しかし、それは元の絵のスギ氏の絵が良いから、良い絵と判断できるのです。モナリザの絵の模写やトレース画を見て、良い絵と判断するのと同じです。
しかし、所詮は劣化したトレース画なのです。オリジナルであるスギ氏の絵と和田氏の絵と見比べれば、(特に絵画の知識のある者であれば、)スギ氏の絵の方が良い絵であるとの判断は容易なのではないでしょうか


もっとも、 「若輩コンサルタントの販促通信」さんは、「盗作絵画という爆笑問題」というエントリーで、「和田氏が盗作したものは本家のイタリア人画家のスギ氏の絵よりも、幾分いい味が出ているように思えます。ゼロから作った人よりも、それを改良したり、評論するだけの人の方が一日の長を得るということでしょうね。」と書いています。この方のように、和田氏の絵の方を評価する方もいるでしょう。

しかし、審議会では、「和田氏の画家としての独創性やモラルに重大な疑問を抱かざるを得ず、同士の作歴や評価についてを評価について見直さざるを得ない」と判断して(読売新聞平成18年6月6日付朝刊)、授賞取り消しとしたのです。また、和田氏の絵は「自分の画風への転換がほとんど見受けられない」のです(美術評論家の瀬木氏談)。このように、見比べれば和田氏の絵には、独創性がないと、審議会メンバーでない評論家はもちろん、審議会のメンバーでさえも明確に断定したのです。独創性のない和田氏の絵の方を良く評価することは、極めて困難だと思います。「若輩コンサルタントの販促通信」さんの鑑識能力はきわめて低いと感じられます。

追記「若輩コンサルタントの販促通信」さんは、「もし日本の法廷で裁かれるとしたら、彼は120%クロになるでしょう。なぜなら、日本の判事は法律以外の知識がないからです。」だとか。しかし、法律以外の知識がない人なんているのでしょうか? それに盗作か否か裁判上で問題となった場合、美術評論家による鑑定も行われるでしょうし、また、裁判では著作権などの法律問題なのですから、法律の知識こそ重要なのですが。「若輩コンサルタントの販促通信」さんは大きな勘違いをしているようです。)



(3)

「●2人の関係

 和田氏は東京芸術大大学院を修了後、「国画会」の会友に。71年にイタリア政府給費留学生となり、ローマへ。ヨーロッパの美術館でルーベンスなどの模写を手がけた。審査員の一人も「模写技術は大変高い」と話す。その後、名古屋芸術大教授なども努めた。

 スギ氏によると、留学中の和田氏から「あなたの作品に恋してます」と電話をもらい、親交が始まった。

 「酷似作品」が特に目立つのは、90年代から。和田氏は02年に東郷青児美術館大賞を受賞。今年の大臣賞と続き、次第に注目される画家になった。

 疑惑告発の匿名投書が一部の美術関係者に届けられたのは、茨城県つくば美術館での同氏の回顧展開催直前の昨年11月中旬だ。同館では会場に、同氏から提供された「スギ氏の手紙」のコピーや、2人は深い交友関係を持ち「互いに創造的な刺激を与え合った」などと書かれた解説文を掲示。以後、「国画会」や文化庁などに投書が続いた。」


「酷似作品」が特に目立つのは90年代からだそうですが、今最初の「酷似作品」と言われているのが「白昼の沈黙」(1881年)ですから、和田氏は25年以上も「酷似作品」を手掛けているわけです。スギ氏が日本では無名に近い存在であるとはいえ、あまりにも「酷似作品」を放置しすぎたと思います。


疑惑告発の匿名投書が届いたのに、和田氏の回顧展を開催した「茨城つくば美術館」は、開催直前だったとはいえ、その館員の絵画及び事件に対する判断能力が低いのではないかと、疑われる結果となりました。和田氏はスギ氏の絵を盗作(トレース)したのですから、スギ氏に尋ねさえすればすぐに盗作と判明したからです。

もっとも、茨城つくば美術館の船木力英館長は「確かによく似てると思ったけど、ウチは学芸員4人しかいないし、展覧会を開くので必死だったから」(週刊朝日2006年6月16日号30頁)と弁明しています。しかし、なぜ、スギ氏に尋ねなかったのでしょうか? 似ているといっても、限度を超えて、トレース画のようだと思わなかったのでしょうか? 「よく似ている」とか感じない感性しか持ち合わせていない学芸員・美術館であることが露呈しまったと思います。


今は、スギ氏との「酷似作品」だけが出ていますが、スギ氏以外の画家の作品と「酷似」していることはないのでしょうか? ネット上で色々と出ているだけなので、はっきりはしませんが、25年以上に渡ってスギ氏の絵をトレースし続けているのですから、スギ氏以外の絵もトレースしているとの疑念があると思っています。



(4)

「●選考会の実情

 芸術選奨は、演劇、映画など10分野で、過去1年間の活動が対象。美術部門では受賞しても、作品の価格に跳ね返ることは少ないといわれるが、権威や名誉は認められてきた。

 同部門は、絵画、彫刻、写真、デザイン、建築などが対象と幅広い。05年度は、美術評論家、建築史家ら選考審査員7人と推薦委員10人が計11人の候補者を推薦、投票で決められた。

 美術部門の調査は、文化庁の専門調査員が1人で担当。同庁によると、「審査員から質問が出たときに答えられるように、経歴などを調べる」という。

 審査会では履歴や図録が提供される程度。和田氏の場合、巡回展の担当者や、所属団体などに聞けば、疑惑の存在を事前に知ることも可能だった。それだけに、過去に審査委員を経験した美術評論家は「調査にはもう少しゆとりをもち、審議にも時間をかけるべきだろう」と指摘している。」


週刊朝日の記事(2006年6月16日号31頁)によると、

「業界ではこの盗作疑惑が4年前から知られていたと、盗作や贋作の事情に詳しい美術評論家の瀬木慎一氏(75)は指摘する。『東郷青児美術館大賞受賞時から盗作だったよ。盗作でもオリジナリティーがあればいいけど、今回は次元が低すぎて論評する価値もない。問題は、こういう人を選ぶ芸術選奨。実力より政治力が必要だと言われ、国際的な信用もない。だから受賞しても画家の市場価値は一文も上がらないよ』」

ということだそうです。

また、スギ氏は、欧米では著名な画家と報道されていますし、スギ氏のHPによると、スギ氏の絵はバチカン美術館やハンガリー国立美術館など多数の美術館で収蔵されているのですから、著名な美術評論家・画商であれば当然、海外の美術館にはよく行っていて、向こうの美術評論家と交流していたはずですから、スギ氏を知っていても良かったはずです。なにより和田氏は25年以上もスギ氏の絵をトレースし続けていたのです。

スギ氏を知らず、盗作(トレース画)であることを知らない、日本の西洋画の有名美術評論家・画商の美術鑑識能力は、世界的には著しく低いと評価されてしまったように思えます。


ずっとここで取り上げてきたスギ氏ですが、アルベルト・スギ氏のHPスギ氏の絵画の一例をご覧下さい。これを見れば、スギ氏の絵画の良さが実感できると思います。



2.法律論として気になるのは、スギ氏の損害と和田氏の絵を購入した方の損害です。


(1) スギ氏は文化庁が賞を取り消したため、「彼は社会的制裁を受けたので告訴はしない」と話した((共同通信) - 6月5日21時14分更新)そうです。また、「スギ氏には在伊日本大使館を通じて取り消しを報告し謝罪」(毎日新聞:- 6月6日2時30分更新)したようです。

そうすると、スギ氏としては満足したようですから、和田氏に損害賠償を請求することはなさそうです。とすれば、スギ氏の損害を特に考察する必要はないでしょう。
(追記:ここでの損害賠償請求の根拠は、イタリアで発生した著作権です。ベルヌ条約に加入しているので、外国人(スギ氏)の絵画(著作物)は日本でも保護されます。損害賠償請求訴訟を提起する場合、イタリアと日本のどちらの裁判所で訴訟を提起するのか、著作権の準拠法はどこの国の法になるのかなど、色々と考える必要があります)


(2) これに対して、和田氏が「トレース画」を25年もの間、数十点にわたって自作(オリジナル)と偽っていたのですから、長年、トレース画をオリジナルと偽った画家である、との評価を受けることになるはずです。そうすると、和田氏のすべての絵は価値(価格)が大幅に下落すると思われます。そうなると、和田氏の絵を購入した方は、損害を受けることになりますので、どのように法的責任を追及するかどうかが問題となります。

例えば、「永井画廊」さんでは、以前、

■永井画廊推薦作家 和田義彦
『机上静物』 F10 油彩 945,000円
『龍の居る机上静物』 P50 油彩 1,890,000円
『バー』 F30 油彩 1,470,000円
『窓』 F6 テンペラ 525,000円
『森の中へ』 27×24 デッサン 189,000円


という価格で販売していました。もちろん、永井画廊だけでなく、日動画廊でも和田氏の絵を販売していました。このように、和田氏の絵の購入者は、絵の売主である画廊に対してどのような法的責任を追及できるかということです。ただ、和田氏の絵といっても、トレース画と判断できる絵と、トレース画でない絵があると思いますので、分けて考えてみます。


 イ:まずは、トレース画と判断できる絵の場合、オリジナルのはずだったのにトレース画であったのですから、和田氏の絵の購入者は、売買目的物に瑕疵があるとして瑕疵担保責任(民法570条)に基づき、損害賠償を請求でき、和田氏の絵の売買契約を解除することが可能です。

また、トレース画と判断できる絵の場合、和田氏の絵であることは確かですから和田氏の絵という点に錯誤はありませんが、トレース画であれば購入しなかったでしょうから、いわば真作と信じて買い受けた油絵が贋作であった場合(最高裁昭和45年3月26日判決)と類似するといえます。そこで、法律行為の要素に錯誤があったといえ、意思表示が無効となり(民法95条)、その結果、絵の売買代金の返還を求めることが可能です。(無効の主張は、主張期間の制限がないので、10年以上前に購入していても大丈夫です)


 ロ:トレース画でない絵の場合、「瑕疵」といえるのはトレース画画家という点ですから、目的物の瑕疵とはいえず、瑕疵担保責任(民法570条)を問うのは難しそうです。また、トレース画でないのですから、贋作と同等の扱いというわけにいきませんから、意思表示に錯誤(民法95条)があったとはいえず、錯誤による無効を主張することは困難といえそうです。


このように同じ和田氏の絵であっても、トレース画であるか否かによって、法的責任を追求できるか否かが異なってきそうです。


 ハ:もっとも、画商は、絵画の専門家であるのに、結果としてトレース画をオリジナル作品として売ったのですから、絵の鑑識眼がなかったとの評価を受けるでしょうし、専門家としての信用を失墜させるほど、著しく不名誉なことです。そうであれば、専門家としての名誉を守りたい画商であれば、契約の解除を求めに応じて、絵の返却と同時に売買代金の返還に応じてくれると思います。 

永井画廊は、「和田先生は、天性に加え、長年の絵画修養のうえに築き上げられた卓越したデッサン力、ヨーロッパルネサンス以来の数々の名画の模写、修復を通して獲得した素晴らしい構成、造形、表現力、そして豊かな感性を通して、詩的でドラマチックでロマン溢れる作品を描き続けています。……」と述べて、和田氏の展覧会を開いた際に、高く評価していました(永井画廊のHPのキャッシュです)。
このように和田氏を褒め称えたりして、多くの人に購入させた責任について、永井画廊や日動画廊は説明する意思はあるのでしょうか? トレース画をオリジナルとして売却したという「不名誉」を回復する努力をするのでしょうか? 今後の対応に注目しています。


なお、和田氏の絵を売った画商に対して、不法行為(民法709条)に基づく損害賠償を求めることも考えられますが、過失があるかどうかが一番の問題になりそうです。4年前から盗作疑惑があったことからすると、過失がありと判断され、損害賠償を肯定できそうですが、4年前以前はもちろん、4年前以後でも、日本ではスギ氏が知られていない存在であったというのであれば、裁判所においては、過失がないと判断されてしまうかもしれません。もっとも、専門家も、欧米で有名なスギ氏を知らなくてもいいという判断(=過失なし)は、かなり情けないものがあります……。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

事件 *  TB: 2  *  CM: 2  * top △ 
2006/06/04 [Sun] 21:35:21 » E d i t
共謀罪創設の是非について、東京新聞は今日(平成18年6月4日付朝刊)も「こちら特報部(ニュースの追跡・話題の発掘)」で「『特高警察必要になる』 元法務・検察ナンバー3も批判」という記事を載せています。大変熱心です。すでに「雑談日記(徒然なるままに、。)」さんが紹介していますが、こちらでも、この記事を引用してコメントしてみたいと思います。

1.東京新聞(平成18年6月4日付朝刊24面)の「こちら特報部」には、次のような記事が出ています。

 「「特高警察必要になる」 元法務・検察ナンバー3も批判 共謀罪

 法律違反を相談するだけで犯罪となる共謀罪の創設法案は、与党側が1日、民主党案を丸のみにする姿勢を示したが、これを“罠(わな)”と感じた野党から拒否されるなど、国会審議が迷走した。こうした中、同罪については、法務・検察当局の元高官からも批判が出始めている。

 公安検事出身の弁護士・落合洋司氏のブログ「日々是好日」(http://d.hatena.ne.jp/yjochi/)は、5月27日、28日に京都市で開かれた日本刑法学会で、法務・検察の大物OBから反対意見が出たと伝えている。ブログは固有名詞を伏せているが、学会の出席者たちによると、発言の主は元大阪高等検察庁検事長の東條伸一郎氏(現在は弁護士)だという。

 大阪高検検事長は、法務・検察当局で序列三位の高官。一般官庁は事務次官が最高位だが、法務・検察当局は他官庁と異なり、事務次官の上に複数の検事長がいる。最高位は検事総長、ナンバー2が東京高検検事長、次が大阪高検検事長だ。東京地検特捜部時代、ロッキード事件捜査に携わり、法務省の局長も経験、最高裁判事就任まで噂(うわさ)された『超』が付く大物だ。

 東條氏は、どんな反対論を述べたのか。同氏への直接取材は実現しなかったが、出席者によると「後輩の作った法案にけちはつけたくないが」と温和な口ぶりで語り始めたという。

 「超大物の検察OBなので、古巣をかばう賛成論をぶつと思っていたが、ひょうひょうとした語り口ながらも、厳しい法案批判だったので、会場に驚きが広がった」と出席者。「共謀罪ができたら人権侵害的な状況が生まれるという危機感に満ちた発言だった。こんな法律を作るより検挙率を上げることが先決だという趣旨の正論を話されたのが印象的だった」

 落合氏のブログや出席者によると、東條氏は「安易な拘置、なかなか認められない保釈など、裁判所によるチェック機能が落ちている現状を考えると、捜査機関による共謀罪乱用の危険性がある」と危惧(きぐ)を表明し「検挙率が落ち込んでいる現状こそ問題で、(既遂や未遂という)結果が発生している犯罪の検挙率を上げることが先決ではないか」と批判。

 共謀罪を創設するにしても要件を絞り込み、導入後の運用を慎重にするべきだとの意見をにじませつつ「従来の(共謀共同正犯の)捜査はそれなりの結果があって、そこから共謀へとさかのぼる形で行われてきたが、共謀罪では、結果がないところに捜査を行うことになる。捜査の端緒のつかみ方を含め捜査手法に困難が伴うし、内心に踏み込むため供述偏重になるなどの弊害が出かねない。戦前の特別高等警察のような特別の捜査機関も必要となってしまう」と述べた。

 後輩の検事たちに、かつての特高警察みたいな思想取り締まりをさせるのはかわいそうだという親心が伝わってきたという。

 「こちら特報部」の取材に対し、これまで刑事、検事などの捜査現場出身者や「共謀共同正犯」理論の推進派学者、西原春夫・元早大総長らが共謀罪に異論を唱えてきた。加えて、元法務・検察首脳からの反対論。「超大物OBが苦言を呈すること自体、いかに拙劣な法案だったかを物語っている」と日弁連関係者は口をそろえる。

 民主党の修正案を批判してきた政府・与党は一転、民主党案丸のみにかじを切ったが、日弁連や野党から反発され、国会を混迷させた。NGOや日弁連からは「衆院法務委に対して、外務省が行った『共謀罪を導入した各国の実情調査を行います』との約束も、いまだに果たされていない。政府・与党は、真剣に法案審議をする気があるのか」との声も出ている。」




2.記事から幾つかのポイントを挙げてコメントしてみます。

(1) まずは

「安易な拘置、なかなか認められない保釈など、裁判所によるチェック機能が落ちている現状を考えると、捜査機関による共謀罪乱用の危険性がある」と危惧(きぐ)を表明し

の点です。

捜査機関は、悪意を持って「狙い撃ち」することもあるでしょうが、(おそらく多くは)熱心さのあまり違法捜査や誤認捜査となってしまうのだと思われます。それが結果として共謀罪乱用となりうるわけですが、裁判所が共謀罪乱用を十分に抑制できなければ、真犯人でないのに犯人と疑われて大変な不利益を受ける一般市民が増大することになり、誤認捜査のために、真犯人を発見できずに終わる可能性も、これまで以上に増えてしまうのです。この点に、共謀罪乱用の危険性があるのだと思います。

この発言は、裁判所にとって耳の痛い話でもあります。弁護士側ならともかく、元高等検察庁検事長という捜査機関であった側から、捜査活動に対する抑制がきちんとできていないというのですから。



(2) また、

「「検挙率が落ち込んでいる現状こそ問題で、(既遂や未遂という)結果が発生している犯罪の検挙率を上げることが先決ではないか」と批判。」

とも述べています。

捜査機関にとって一番大事なことは、犯罪の証拠を発見確保し、被疑者の身柄を確保すること、要するに、処罰できるだけの証拠を集め、犯人を検挙ことです。そして、一番、検挙すべき犯罪は、予備段階ではなく、(既遂や未遂という)結果が発生している犯罪です。

ところが、現在、警察庁「平成17年の犯罪情勢」によると検挙率は28.6%(平成17年)であって、大変、検挙率が下がっています。この検挙率を上げる対策・立法をすることこそ、法務省及び国にとって最重視すべき課題であるわけです。

それなのに、政府案(与党再修正案でも)600種類を超える犯罪について共謀罪を創設し、捜査すべき対象を膨大広げることは、法案成立後は、捜査機関は共謀罪について処罰できるだけの証拠を集め、犯人を検挙するよう捜査しなければなりません。そうなると、より捜査活動を広範囲に広げなければならず、捜査機関に過大な負担をかけることになります。

これでは到底、検挙率は上がらないし、共謀罪立法をするよりも、(既遂や未遂という)結果が発生している犯罪の検挙率を上げるような対策や立法の方が先決ではないかと批判しているのです。

同じような意味合いの指摘として、「共謀罪が始まったら、きっと重大事件の捜査に支障が出てくるね」という現役の刑事さんの発言があります(「共謀罪創設の是非~「刑事が反対する理由」(東京新聞平成18年5月18日付)」を参照)。この東條・元大阪高等検察庁検事長の批判は、現場の捜査機関であればすぐに気付く点であると思われます。




(3) また、共謀罪を創設した場合、

「「従来の(共謀共同正犯の)捜査はそれなりの結果があって、そこから共謀へとさかのぼる形で行われてきたが、共謀罪では、結果がないところに捜査を行うことになる。捜査の端緒のつかみ方を含め捜査手法に困難が伴うし、内心に踏み込むため供述偏重になるなどの弊害が出かねない。戦前の特別高等警察のような特別の捜査機関も必要となってしまう」」

とも述べています。

「共謀というのは一つの機会に多数の犯行を同時に並行的に共謀することも,容易にできる」(法制審議会刑事法(国連国際組織犯罪条約関係)部会 第2回会議 議事録より)のですから、およそ実行できないような犯罪も含まれる可能性があるので、共謀の範囲を限定する捜査も必要となります。

ところが、結果がない共謀罪では、共謀共同正犯のように結果から共謀の有無を探ることができませんし、探れたとしても結果がないので共謀の範囲を限定することも難しいので、捜査の端緒のつかみ方を含め捜査手法に困難が伴うことになります。

となれば、捜査機関は、自然と共謀者と疑われる者の自白(供述)を重視することになり、それでは内心に踏み込むため、より一層の供述偏重・自白偏重という弊害が生じてきます。そうなると、ひいては自白強要・虚偽自白によって誤判が増大することになってしまいます。これでは、疑いを受けて逮捕・捜索を受けた被疑者にとって大変な不利益ですし、真犯人を逃す可能性も生じてしまいます。


もし共謀罪が創設されれば、捜査機関は、捜査手法の困難さを補おうとするでしょうそうなると、戦前の特別高等警察のような特別の捜査機関も必要となってしまいます。これでは、共謀罪立証に役立つといっても、国民は捜査機関に対して著しく不信感を抱くようになり、今後一層必要とされる国民による捜査協力が行われなくなってしまい、さらに一層検挙率が下がりかねません。こうなると、一体なんのための共謀罪創設なのでしょうか。




4.「こちら特報部」の記事は、このブログでも紹介してきましたが、共謀罪に対しては、刑事、検事などの捜査現場出身者や「共謀共同正犯」理論の推進派である西原春夫・元早大総長らが反対し、さらに元法務・検察首脳も反対しているわけです。こうなると、(公安警察は微妙なところですが)捜査機関のほとんどが共謀罪に反対し、共謀概念に熟知している学者も反対しているのです。


政府与党は、民主党案を丸のみしてでも共謀罪創設法案を成立させようとしましたし、読売新聞(平成18年6月4日付の「社説」)

条約はすでに121か国が批准を終えている。日本が、テロや組織犯罪を未然に阻止する国際ネットワークの“穴”になってよいのか。

として、法案成立を求めています


政府や読売新聞は、共謀罪創設法案が本当に必要なのか、今一度考え直して、捜査機関の批判に対して真剣に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。捜査の現場の賛同なしに法案を成立させても、有害なだけで何の意味もないでしょう。
この政府の対応と読売新聞の社説を読んで、現場の実情を無視して無謀な戦争を行ったノモンハン事件を想起してしまいました。読売新聞は、戦争責任について連載しながら、それを現在の状況に結びつけることはしないようです……。

テーマ:共謀罪 - ジャンル:政治・経済

2006/06/03 [Sat] 14:58:40 » E d i t
共謀罪創設問題について、与党が民主党案を丸のみするとして採決の可能性があるとの報道がありましたが、2日、一転して継続審議の見通しとなったと報道されました。
この共謀罪審議の迷走振りについて書かれた記事を引用して、コメントしてみたいと思います。


1.東京新聞(平成18年6月3日付朝刊26面)には、次のような記事が載っています。

共謀罪審議迷走 『条約批准なら何でも』

 国会で与野党が紛糾している共謀罪創設をめぐり、その必要性をこれまで訴え続けてきた閣僚らから、2日になって手のひらを返すような発言が相次いでいる。与党側が民主党修正案の『丸のみ』を前日に表明したため、整合性をとるためのようだが、関係者からは『これまでの国会審議での主張はうそだったのか』と、閣僚らの“変節”に怒りの声が上がっている。

 『実務の面では不都合はない』。2日午前、閣僚後の記者会見で、杉浦法相は事もなげに語った。

 発言は、共謀罪の適用を『国際的な性格を持つ犯罪に限る』とした民主党案の場合、振り込め詐欺には適用されなくなるのではないか――とする質問への答え。振り込め詐欺は、杉浦法相が衆院法務委員会で、共謀罪の早期創設の大義名分としてたびたび取り上げていた犯罪例だった。

 『振り込め詐欺のような組織的な犯罪による重大な被害が発生することを未然に防止し、国民の安心と安全を確保することにも役立つ』。4月下旬の委員会答弁で、こうPRしていた杉浦法相だが、2日の会見では『共謀罪が適用されなくてもできる』と語った。

 『(民主党案で)法が成立したときには、外務省としても条約締結に向け、努力する所存です』。

 2日午後、野党議員抜きで再開された同委員会で、塩崎恭久外務副大臣が麻生太郎外相から託された書面を読み上げた。

 共謀罪の創設は、国連が採択した国際組織犯罪防止条約の締結に伴う国内法整備として、政府が提案している。書面は、麻生外相が同日午前、記者会見で『民主党案のままでは条約を批准できない』とこれまでの政府の立場を繰り返して野党から猛反発を受けたため、発言の『真意』を記したものという。

 政府側は民主党案が、共謀罪の適用犯罪を『懲役・禁固4年以上』としたり、『国際的な性格を持つ犯罪に限る』とした点について『民主党案は条約違反になり、条約は締結できない』と、頑として受け付けてこなかった経緯がある。

 こうした一連の発言について、反対派の論陣を張ってきた海渡雄一弁護士は『これまでの国会答弁は虚偽だったことを自ら認める発言だ。とにかく条約さえ批准すればなんでもいい、という姿勢があらわになった』と批判している。」




なかなか見事な変節振りです。与党の方針に従って、閣僚は突如として見解を変更しなければならないのですから、大変といえば大変といえるとは思います。

それにしても、杉浦法相の発言には驚きです。

「共謀罪の適用を『国際的な性格を持つ犯罪に限る』とした民主党案の場合、振り込め詐欺には適用されなくなるのではないか」という質問に対して、

実務の面では不都合はない

とか、
「振り込め詐欺のような組織的な犯罪による重大な被害が発生することを未然に防止」することが、

共謀罪が適用されなくてもできる


というのですから。
反対派の論陣を張ってきた海渡雄一弁護士などが批判するのも、当然のことだと思います。


でも、杉浦外相が共謀罪の適用を「国際的な性格を持つ犯罪に限る」としても、実務上問題はないと言い、また、塩崎恭久外務副大臣は、「民主党案で成立しても、外務省も条約締結に努力する」と言ったのです。
一度、従来の見解を大転換した以上、今後はその見解を厳守してほしいと思います。




2.朝日新聞(平成18年6月3日付朝刊3面)には、共謀罪法案が採決への方向から一転して継続審議になった経緯について、議員の声が出ていました。一部抜粋してみます。

秘策『丸のみ』不発

 『共謀罪』をめぐる与野党協議の中で、自民党の細田博之国会対策委員長が最後の逆転を狙って仕掛けた『民主党丸のみ』の奇手は、肝心の民主党に拒まれて不発に終わった。……

 細田氏が動いたのは、1日午後の衆院本会議から。議場内で民主党の渡辺恒三国対委員長に『民主党案丸のみ』との秘策を提案。公明党幹部や法務委の理事の説得に回った。話を聞いた公明党幹部はのけぞった。「強烈なサプライズ。イナバウアーだ」……

 …細田氏から『採決できそうだ』との報告を受けた自民党の中川秀直政調会長は「細田は男になった」とつぶやいたが、その前に小沢氏は鳩山由紀夫幹事長に「こんな法案成立させても、一文の得にならない」と伝えていた。

 2日になると、歯車は細田氏の狙いとは逆方向にさらに回り始める。

 麻生外相が『民主党案では条約の批准はできない』と明言。政府への根回し不足が露呈した。さらに、細田氏自身が臨時国会で再改正する考えを漏らしたとの報道が飛び込んだ。……民主党幹部の一人は「向こうがエラーしてくれて良かった」と胸をなで下ろす。

 鳩山氏は2日の記者会見で細田氏の地元の山陰地方の神話を持ち出し、こう皮肉った。『因幡の白ウサギのような話だ。(海を)渡りきる前に本音をしゃべっちゃう人もいるんだなあ』……」



公明党幹部の「強烈なサプライズ。イナバウアーだ」という発言は分かります。公明党のHPでも、ずっと民主党案を批判していたのに、急に丸のみ案に従って欲しいと言われたのですから。

この公明党の幹部の発言も面白いですが、鳩山幹事長の「因幡の白ウサギのような話だ。」が面白いと思いました。例え話がうまいです。




3.共謀罪法案は、継続審議になったとはいえ、杉浦法相、塩崎恭久外務副大臣が民主党案で成立させる方向で発言したわけですし、細田博之国会対策委員長は民主党案丸のみを申し出たのです。ですから、政府与党として民主党案に賛成したのです。今後は、民主党案に乗ることに驚きはないはずで、民主党案を採用することにためらう必要はないでしょう。

今後の継続審議では、もし共謀罪法案を成立させるのであれば、民主党案を基本にして、より拡大解釈されない規定にすべきだと思います。そうしないと、重大捜査に支障をきたすおそれがありますし、一般市民の不安は解消されません。
法案を成立させておいて、次の国会で修正すればいいといった、「だまし討ち」(朝日新聞平成18年6月3日付社説)をするのでなく、与党は真摯に取り組んでほしいと思います。
-- 続きを読む --

テーマ:共謀罪 - ジャンル:政治・経済

2006/06/02 [Fri] 05:37:21 » E d i t
東京新聞の平成18年6月2日付朝刊1面トップは、「『共謀罪』一転成立へ」という表題の記事でした。朝日新聞や他の新聞(平成18年6月2日付)も同じかと思っていたら、朝刊1面トップは「村上ファンドを捜査」という記事ですからこれも衝撃的です。
やりたい放題だった村上ファンドが一転して危うくなったわけですが、それはともかく、一転して「共謀罪」法案が成立しそうだという点について、東京新聞の解説記事があるので、それにコメントしてみたいと思います。


1.東京新聞(平成18年6月1日付朝刊1面)における「解説」は、次のように論じています。

参院選にらみ政略優先

 『共謀罪』創設をめぐる与野党の攻防は1日、一度は今国会での法成立を断念した与党が突如、民主党の修正案を『丸のみ』する形で決着する方向となった。与党が『丸のみ』してでも成立にこだわったのは、世論の支持が野党に傾く『共謀罪』論争を、来年夏の参院選まで引っ張ろうと図る民主党の思惑をつぶすのが狙いだ。

 与党は5月19日の衆院法務委員会で、強行採決も辞さない構えを見せていたが、小泉純一郎首相サイドは国会審議への影響を懸念。与党は河野洋平衆院議長のあっせんを受け入れる形で採決を見送った。この時点で事実上、強行採決は封印されてしまった。

 そうなると民主党との修正協議に活路を見いだすしかないが、民主党案が、処罰対象を『国際的な組織犯罪』に限定している部分がネックとなった。与党は、国連で採決された共謀罪の新設を求める『国際組織犯罪防止条約』が、処罰対象を国際的な犯罪に限定してはならないとしていることから、ここだけは頑として譲らなかった。

 それが一転、1日午後になって、自民党は民主党案の『丸のみ』を民主党に提案した。政府・与党は民主党案を『条約違反だ』と批判してきた。それを全面的に受け入れれば、整合性はどうなるのか。政府は2日の国会審議で、この点を明確に説明する責任がある。

 自民党幹部は『まとまれば何でもいいんだ。(法制定後に)改正すればいい』と言い放った。民主党の攻撃封じという戦略だけが先行したご都合主義との批判は免れない。」



2.(1) ずっと与党は、「懲役禁固5年超に絞る、国際的な性格をもつ犯罪に限る」という民主党案を「条約違反だ」と批判してきました。それなのに、一転して、与党は民主党案の「丸のみ」を決めたのですから、どう考えてもおかしいですし、何か裏があると見るのが自然でしょう。

この記事によると、

「自民党幹部は『まとまれば何でもいいんだ。(法制定後に)改正すればいい』と言い放った」

のですから、「民主党の攻撃封じという戦略」だけで民主党の修正案を「丸のみ」したというこの記事の評価は極めて妥当だと思います。



(2) 「民主党は2日の法務委員会で政府の答弁を聞いた上で、採決の是非を含む対応を最終的に決定する」(東京新聞平成18年6月2日付)そうですが、その採決は大変慎重であるべきだと思います。

毎日新聞のHPによると、
 

「菅直人代表代行は「これまで不可能と言っていたのに急に可能になるのは理解できない。首相が訪米するので『お土産』にするという首相の意向が反映しているのではないか」と指摘した。

 与党の思惑に対する警戒感も強まっており、小沢一郎代表が鳩山由紀夫幹事長らに「慎重に事を運べ」と指示したのもその一環だ。鳩山氏は記者団に「すぐ採決という話にはならない。見極めないと大変危ない」と語った。

毎日新聞 2006年6月1日 21時59分 (最終更新時間 6月2日 1時04分)」

そうですから、政府答弁を非常に警戒して対応してくれるものと期待したいと思います。



(3) 「保坂展人のどこどこ日記」さんの「神経戦が続く「共謀罪」の行方 速報 国会報告 / 2006年05月24日」というエントリーによると、民主党は次のような論点メモを渡しているそうです。

「民主党は今朝の法務部門会議で『共謀罪の課題』という論点メモを確認し、与党側に手渡したという。その論点とは、

1、「共謀罪」における「共謀」の要件(具体性・明示性など)・既遂となっている犯罪の共謀共同正犯における「共謀」と、結果が生じていない共謀罪における「共謀」との認定要件の明確化

2、「共謀取り消し」の合意の取り扱い・中止犯との関係

3、共謀罪の逮捕の要件(現行犯・逮捕令状)

4、「必要的刑の減免」の必要性とその範囲

5、「国際的性質の要件」の付加・外国のからの捜査共助要請があく場合の「国際的性質の要件」緩和

6、国際的な組織犯罪に対する国際協力を必要とする「重大な犯罪」の範囲

7、「組織的な犯罪集団」の要件・「団体のウチ、その構成員の継続的な結合関係の基礎となっている根本の目的が重大な犯罪等にある団体」を基本として,定義検討

8、「合意の内容を推進するための行為」の範囲」



これをすべて民主党の言うとおりに、政府が「丸のみ」しているかどうかをよく見極めるべきだと思います。濫用のおそれを避けるためには、これらの論点をすべて民主党通りに受け入れることが、採決をする際の最低限の条件であると思います。



(4) 以前からの繰り返しですが、共謀罪法案は、実際に捜査を行う刑事さんが重大事件の捜査が手薄になるから反対し、警察のノルマ達成のため乱用の恐れがあるのですから、捜査機関にとっても、一般市民にとっても有害無益な法案です。
そうであれば、原則として採決しないという態度で臨んでいいと思います。

もし採決するのであれば、対象犯罪や共謀罪の要件については、今後の改正で厳格にするとしても緩和できないとし、仮に緩和する場合には議員の4分の3以上の賛成を必要とするといった要件を付加しておくのもいいかと思います。



(5) 「民主党の攻撃封じという戦略」だけで民主党の修正案を「丸のみ」しようとする政府の態度は、到底、真摯なものとはいえず、それこそ河野議長が指摘したように、共謀罪法案を「政争の具」としたものだと評価できます。民主党案は条約違反とまで言い切っていた自民党・公明党は、どう説明するのでしょうか? 今までの政府答弁は全部間違っていたというのでしょうか?

与党は、一転して、法案を成立させようとしているいますが、未だに条約締結国の事情は「約120ヶ国が条約に締結している」というくらいで、海外の事情は不明確なままです。「既に共謀罪を備えている締結国に加え、条約締結の際に共謀罪を新設した他国の状況についても綿密に調査し、国会に積極的に情報提供する姿勢が、政府に求められている。」(東京新聞平成18年6月1日付朝刊)といえるのではないでしょうか。


採決されるか否かは分かりませんが、いずれにしても政府与党は、諸外国の事情に関する情報提供を行って欲しいですし、依然として情報提供をしようとしない、不誠実な政府与党の態度と、共謀罪法案を「民主党の攻撃封じという戦略」に利用し、「政争の具」とした政府与党の態度は、必ず記憶に留めておくべきだと考えます。 




<追記>

「日本がアブナイ!」さんは、「共謀罪・・・政府与党は、そこまでエゲツナイことをして、サミット土産を作りたいのか?!」というエントリーで、「政府&与党の議員はあまりにもエゲツナイ方法をとったように思う。国会議員として、プライドもへったくれもないような情けない手法である。サミット前に法案を成立させたい余りに…」と書いています。同感です。昨年9月の選挙でも刺客を送り込むとかエゲツナかったですが、小泉政権は何でもありだな~と感じさせます。

「逍遥録 -衒学城奇譚-」さんは、「いるか、どっちもッ!」というエントリーで「ナメられとるなぁ、国民。おーい民主党、たのむから安易な妥協はせんでくれよ。」と述べていますが、まさにそのとおりです。くれぐれも安易な妥協はやめて欲しいです。

テーマ:共謀罪 - ジャンル:政治・経済

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。