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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2006/04/29 [Sat] 05:05:36 » E d i t
「堀江被告は2月13日に証取法違反(風説の流布など)で起訴、3月14日に同法違反(有価証券報告書の虚偽記載)で追起訴」(読売新聞平成18年4月28日付)されていましたが、これ以上、追起訴はないようだとの報道がありました。この報道についてコメントしたいと思います。


1.asahi.com(2006年04月27日06時34分)によると、

ライブドア捜査終結の見通し 東京地検、追起訴見送りへ

 ライブドア(LD)グループの資金運用や株取引などについて捜査を進めてきた東京地検特捜部は26日までに、起訴事実以外に立件すべき容疑はないという判断を固めた模様だ。前社長の堀江貴文被告(33)らを証券取引法違反の罪で起訴した後も続けてきた捜査は、これで終結する見通し。今後、舞台は法廷に移り、検察当局は、事件への関与を全面否認している堀江前社長と攻防を繰り広げることになる。

 この事件では、堀江前社長やLD前取締役の宮内亮治被告(38)、公認会計士など7人が、LDの粉飾決算など同法違反の罪で起訴されている。LD側は、自社株の売却収入を粉飾原資にするため、海外法人などを使った資金還流を行っていたが、その捜査の中で、他の粉飾決算や、スイス系金融機関の口座に預金された資金の存在などが浮上。特捜部は、脱税や横領などの事実はないか捜査を進めてきた。

 その結果、LD側が、起訴対象となった04年9月期の連結決算以外にも決算を粉飾していたことなどが判明したが、特捜部は、追起訴しても量刑に大きな違いがないと判断し、立件を見送ったとみられる。また、海外口座の預金は、LDが法人として運用し、堀江前社長など個人に帰属するものではなかったうえ、犯罪性は認められなかったという。

 また、LDや関連会社の株が大量売却された取引についてインサイダー取引の疑いもあるとみて調べたが、十分な証拠が見つからなかったという。」

としています。




2.このライブドア事件については、脱税や横領など疑いがあるとか、いわゆるマネーロンダリング(資金洗浄)をしていたのではないか、とか、中には、「ライブドア事件の意味~毎日新聞の「記者の目」より」というエントリーで触れたように、「プロの金融犯罪」グループではないかとまで書いた新聞もありました。

このように報道機関は、一時期連日のように書き立てて、読者側に対して、元のライブドアの幹部が次々と犯罪行為を行っているような「犯罪者グループ」のような印象を与えていたといえると思います。


しかし、結局は、証券取引法違反だけでの起訴で終結ということですので、起訴された犯罪事実を基準にすれば、犯罪者グループではなく、ましてやプロの金融犯罪グループとはいえなかったわけです。
こうしてみると、一時期の報道の嵐は、はたしてよかったのだろうか?と思うのです。


もちろん、報道機関は報道の自由(憲法21条)を有していますし、犯罪事実の報道は公共性があるのですから、例え結果として起訴できなかった犯罪事実についても、報道する意義があることは確かです。特に、野口エイチ・エス証券副社長は自殺と判断されていますが、「堀江前社長は何かかかわりがあるのではないか?、少なくとも何か知っているのではないか?」との疑問は残ります。


しかし、起訴されなかった犯罪事実の報道の方が多いのは、あまりに異常なのではないでしょうか? 堀江前社長は、衆議院選挙に立候補するなど公人のような立場であったとはいえ、毎日新聞のように、プロの金融犯罪グループと強く印象付けるような報道は、名誉毀損として慰謝料請求(民法709条)が認められたり、名誉毀損罪(刑法230条、230条の2参照)に当たる可能性があると思うのです。


例えば、毎日新聞のHP(2006年4月29日 0時37分)では次のような報道がありました。

日テレ:「父親殺害」報道は名誉棄損と165万円賠償命令
 
 父親への傷害致死容疑で送検され起訴猶予となった横浜市の男性が、「父親を『殺害』と報道され精神的苦痛を受けた」として、日本テレビ放送網(東京都港区)に3850万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁は28日、165万円の支払いを命じた。松井英隆裁判長は「冒頭の字幕スーパーなどで『殺害』と報じており、一般の視聴者は『殺人容疑で逮捕』との印象を持った」と述べた。

 判決によると、男性は04年7月4日、父親(当時62歳)をけった疑いで逮捕され、父親の死亡後に傷害致死容疑で送検されたが、翌5日には直接死因は病気と判明。しかし、日テレは同日中に計26回、「息子が父親を殺害」などの字幕スーパーを付けて報道していた。

 ▽日本テレビ総合広報部の話 判決内容を十分検討のうえ対応を考えたい。」



この判例の事案において、日本テレビに対して訴えた方は、堀江前社長のような公人ではなく私人ですから、事情は異なります。しかし、犯罪を行っていないのに(それが容易に判断できたのに)、犯罪を行ったように報道し続けると、損害賠償が生じうると判断したのです。そうすると、堀江前社長に対する犯罪報道すべてが、堀江前社長から法的責任を問われないとはいえないようにも思えるのです。


報道機関の情報は、検察情報をそのまま流しただけで、殆ど独自に調べることはなかったのではないかと思うのです。いくら検察情報であるからといって、堀江前社長や他幹部にも名誉権(憲法13条)があるのですから、名誉権に配慮しなくていいわけではないのです。法的責任が生じるかどうかにかかわりなく、もっと節度を持った報道をした方がよかったと思うのです。

報道機関は、ライブドア事件に関する報道と同様に、自ら行った報道に対する反省・検証も行って欲しいと思います。


反対に、報道を見聞きしていた読者の側は、懐疑的・批判的に報道を受け取っていたでしょうか? 連日の報道されていて、「他にも犯罪をしているのではないか?」と内心期待しているところはなかったでしょうか? 読者側の期待があったからこそ、連日の報道があったのではないかと思うのです。読者側もまた、反省すべき点があるように感じます。



このブログでは、ライブドア事件に関しては、「1月17日におきた事件へのコメント」「ライブドアの粉飾決算と、証人喚問での証言拒否~17日の続報」「証券取引法158条の解釈」「ライブドア事件の意味~毎日新聞の「記者の目」より」というエントリーで触れています。ご参照下さい。

テーマ:ライブドア問題 - ジャンル:政治・経済

事件 *  TB: 0  *  CM: 1  * top △ 
2006/04/24 [Mon] 06:03:58 » E d i t
衆院千葉7区(松戸市北部、野田市、流山市)補欠選挙は4月23日投開票され、民主党公認の前千葉県議、太田和美氏(26)が、自民党公認の前埼玉県副知事、斎藤健氏(46)=公明党推薦=ら4氏を破って、初当選しました。この選挙についてコメントしたいと思います。


1.asahi.com:MYTOWN千葉(2006年04月24日)によると、

民主一丸 逆境覆し、太田氏当選 衆院補選

 小泉首相や民主党の小沢新代表らが連日選挙区入りするなどして全国から注目された衆院千葉7区補欠選挙は、23日の投開票の結果、民主党公認で前県議の太田和美氏(26)が、他の新顔4人を破って初当選した。自民党の松本和巳氏派の選挙違反事件をきっかけにした補選。民主党も「送金メール問題」で信頼を失ったが、小沢氏の代表就任が有権者の期待感の受け皿になった。自民党公認の前埼玉県副知事斎藤健氏(46)=公明推薦=は組織選挙を展開したがわずかに及ばず、共産党公認で党委員の徳増記代子氏(53)は「二大政党対決」の中で存在感を示せなかった。投票率は49・63%(前回64・75%)。

 松戸市西馬橋蔵元町の太田氏の事務所に当選確実の一報が入ると、待ち続けた支持者やスタッフらから「ウオーーッ」という歓声と拍手がわき起こった。
 太田氏は「皆さんに支えられまして……。言葉にできないぐらいうれしい。どん底からのスタートだったが、小沢新代表の下で、民主党が一枚岩になって戦うことができた」と述べた。

 選対総括責任者で県連代表の長浜博行衆院議員は「党一丸となって戦った。民主党への激励をもらった」と話した。
 「送金メール問題」という大逆風の中で選挙戦が始まったが、小沢一郎氏の代表就任で風向きが一変。世論の小沢氏への期待感が高まり、メディアも連日、小沢民主を取り上げた。昨秋の郵政解散、「小泉劇場」がそっくり「小沢劇場」に変わった。小沢代表は選挙戦中盤、最終盤に選挙区入り、「真の構造改革は政権交代」と支持を訴えた。菅直人代表代行ら幹部のほか、全国から衆参国会議員が連日、応援に入り、新しい民主党をアピールし続けた。

 3月15日に党公認が決まった太田氏。渡部恒三国対委員長からは「君はジャンヌ・ダルク」と評された。3月下旬からは、自転車で選挙区を回るキャラバン隊で、26歳の若さを前面に出し、「負け組ゼロの社会を目指す」と最後までペダルを踏み続けた。

 流山市江戸川台西1丁目にある斎藤陣営の事務所に落選の一報が流れると、支援者からはため息が漏れ、事務所は静まり返った。斎藤氏は「結果を冷静に受け止めたい。民主党新代表の影響は感じなかったが、準備期間が短かった。再起したい」と唇をかみしめた。
 党の公募で公認候補となった斎藤氏は、埼玉県副知事や経産省官僚として培った行政経験を背景に「小泉改革の遂行」を訴え続けた。しかし党本部と地元の連携がうまくいかない中で、知名度不足を克服できなかった。

 告示後、武部勤幹事長や「小泉チルドレン」ら延べ約250人の同党国会議員が選挙区に入った。街頭演説だけでなく、地元企業や業界団体も手分けして回り、斎藤氏を「即戦力になれる人」などと売り込んだ。小泉純一郎首相も15日に3カ所で演説。「ポスト小泉」として注目される安倍晋三官房長官や福田康夫元官房長官、谷垣禎一財務相も応援に駆けつけた。告示後、政党では唯一、テレビやラジオで党のCMを流した。

 しかし、総力戦を演出する党本部の派手さとは対照的に、地元は「落下傘候補」に冷ややかだった。県議・市議の後援会を通じた支持の広がりは鈍く、陣営が割り当てたポスターを張り出さない市議も。特に、陣営の選挙違反事件で辞職した松本和巳元自民党衆院議員の地元・松戸市では不徹底ぶりが目立った。

 徳増氏は、流山市加4丁目の選挙事務所で支持者らと開票作業を見守った。午後10時半すぎ、太田氏の当選が報じられると、「政策を訴え抜いて頑張ってきたが、『二大政党』を大宣伝された。民主の勝利だが、社会の格差を大きくしたのは民主。足元は自民と変わらない。私たちはこれからも『たしかな野党』でいく」と述べた。

 徳増氏は昨年の総選挙に次ぐ2度目の挑戦。2月上旬、候補者の中で最も早く出馬表明をした。団地や商店街などをこまめに回り、高齢者や自営業者らと対話を重ねた。
 陣営は、当選ラインと見据えた支持者獲得を目指す「7万人対話作戦」を展開。格差社会、国民に痛みを強いる政治からの脱却、社会保障の拡充や正規雇用の拡大などを訴えたが、支持を広げられなかった。」

としています。




2.この上の記事に出ていた3名の得票数を挙げると、太田氏が87046票、斎藤氏が86091票、徳増氏が14274票で、太田氏と斎藤氏の差は955票でした。このようにかなりの僅差で太田氏が当選したわけです。

この選挙は、各政党挙げての応援、特に自民党と民主党の総力戦の状況でした。次のような議員が選挙運動に来ていました。Yahoo!!ニュースによると、

「▼主な応援者▲
 ■与党議員■
 <自民党>
小泉純一郎首相
武部勤幹事長
安倍晋三官房長官
谷垣禎一財務相
福田康夫元官房長官
麻生太郎外相
二階俊博経産相
杉浦正健法相
与謝野馨金融・経済財政担当相
猪口邦子少子化担当相
片山虎之助参院幹事長
中川秀直政調会長
塩川正十郎元財務相
川口順子元外相
片山さつき衆院議員
佐藤ゆかり衆院議員
杉村太蔵衆院議員
 <公明党>
神崎武法代表
浜四津敏子代表代行
冬柴鉄三幹事長
 ■野党議員■
 <民主党>
小沢一郎代表
菅直人代表代行
鳩山由紀夫幹事長
渡部恒三国対委員長
羽田孜最高顧問
広中和歌子党副代表
岡田克也元代表
松本剛明政調会長
野田佳彦前国対委員長
江田五月参院議員会長
岩国哲人衆院議員
河村たかし衆院議員
細野豪志党役員室長
 <共産党>
志位和夫委員長
石井郁子副委員長
小池晃政策委員長
市田忠義書記局長
穀田恵二国対委員長
井上哲士参院国対委員長

4月23日朝刊
(毎日新聞) - 4月23日12時2分更新」

このような状況で当選したのですから、単なる1議席であっても「首相の改革路線の見直し」(asahi.com)の面を持つといった影響力ある選挙でした。




3.では、この選挙運動についての感想を幾つか述べてみたいと思います。


(1) まずは、「告示後、武部勤幹事長や『小泉チルドレン』ら延べ約250人の同党国会議員が選挙区に入った」(asahi.com)わけですが、自民党側の選挙運動には、かなり問題があったと思います。


選挙運動というのは、選挙人に対して候補者の主義・主張を伝え、選挙人の意見を政治に反映させるための有効な手段です。そのため、選挙運動の自由は、通常憲法典には明記されていなくても、代表民主制の下においては、自明の原理であるのです(野中=中村=高橋=高見「憲法2」22頁)。


ところが、武部幹事長は「最初はグー、サイトウケン!」といったキャッチフレーズを考案して、たびたび行っていました。斎藤氏を覚えてもらうための方法だそうですが、候補者の主義・主張とはまったく関係がありませんし、ましてや選挙はジャンケンで決めるわけではないのですから、場違いなもので、馬鹿馬鹿しい気さえしてしまいます。

また、「小泉チルドレン」がビラ配りなどしていたようですが、こういうまともな議員として見られていない議員を呼び寄せても、斎藤氏が軽く見えるだけでしょう。意味がないばかりか、「これに釣られて投票するほど『愚かな』有権者ではない」と思った方もかなりいるのではないでしょうか。

Yahoo!ニュースによると、

チルドレン動員、津島氏も批判=千葉補選

 自民党津島派の津島雄二会長は20日の同派総会で、民主党との接戦が伝えられる衆院千葉7区補欠選挙について、「聞くと国会議員のたすきを掛けてビラ配りをしている。安易に何とかチルドレンを駆り出し、ビラを配るような軽い議員をつくってはいけない」と述べ、新人衆院議員を応援に大量動員する武部勤幹事長を批判した。
 新人の動員には森喜朗前首相も先に「間違った方向に行く」と苦言を呈している。 
(時事通信) - 4月20日17時1分更新」

としていますように、自民党の議員のなかにも「小泉チルドレン」を駆り出す愚を説いている議員もいたのです。

このように自民党の応援は、選挙運動の意義とはかけ離れた、ふざけた選挙運動ですから、これでは有権者を愚弄していると思いました。


なお、「小泉純一郎首相も15日に3カ所で演説。」(asahi.com)してかなりの人が集まったわけですが、小泉首相は9月で辞めるのですから、何を言っても何を約束しても、明らかに9月以降の保障がない言説・空手形にすぎません。小泉首相の演説は、候補者である斎藤氏の影が薄くなるだけで、当選に寄与しないものであったと思います。



(2) それに引き換え民主党の場合は、「小沢一郎代表は14日午後、衆院千葉7区補選の応援のため現地入りし、地元企業などを回って民主候補への支援を求める。」((共同通信) - 4月13日21時20分更新)ことや、「小沢代表は選挙戦中盤、最終盤に選挙区入り、『真の構造改革は政権交代』と支持を訴えた。」(asahi.com)ことをしたわけです。


さきにも述べましたが、選挙運動というのは、選挙人に対して候補者の主義・主張を伝えるものです。そうすると、まずは地元企業などを回ることは、選挙人側が出向く手間をかけずに、候補者の主義主張を伝えているのですから、選挙運動としてはごく真っ当なものです。
これを自民党側は「古い自民党である」と批判していたようですが、自民党は選挙運動の意義についての理解を取違えているのではないでしょうか。



(3) 「総力戦を演出する党本部の派手さとは対照的に、地元は「落下傘候補」に冷ややかだった。県議・市議の後援会を通じた支持の広がりは鈍く、陣営が割り当てたポスターを張り出さない市議も。特に、陣営の選挙違反事件で辞職した松本和巳元自民党衆院議員の地元・松戸市では不徹底ぶりが目立った。」(asahi.com)ようです。


憲法43条は、国会が「全国民を代表する選挙された議員」で組織されると定めて、国会が国民を代表する機関であるとしています。ここにいう「代表」とは、議会は民意を忠実に反映するものではなければならないという「半代表」の観念を含むというのが憲法上の通説です。
そうすると、立候補者、特に選挙区の立候補者であれば、選挙区の事情を理解した立候補者が、憲法43条の見地からは妥当でしょう。半代表の観念からすれば、選挙区の有権者の民意を忠実に反映させることが求められるといえるからです。


斎藤氏は、前埼玉県副知事であって、それまではずっと経産省の官僚でしたから、衆院千葉7区とはまったく無関係の人物ですから、憲法43条の「半代表」の見地からすれば、適切でない立候補者でした。「地元は『落下傘候補』に冷ややかだった」であったのは、当たり前です。

これに対して、太田氏は、松戸市選挙区から当選した千葉県議会議員ですから、千葉7区には松戸市の一部が含まれる以上、憲法43条の「半代表」の見地からすれば、適切といえる立候補者でした。


このように立候補者を比較しても、自民党より民主党の方が妥当であったといえるのです。




4.小泉首相は、「人生いろいろ、会社もいろいろ」と言ったりしたように、誤魔化しはぐらかすことが得意な首相です。武部幹事長もそれに習って「最初はグー、サイトウケン!」といったキャッチフレーズを考案したり、小泉チルドレンを連れ回したりして、選挙運動を行ったのです。今回の選挙において自民党が総力を挙げて行った、ふざけた、有権者を愚弄したような選挙運動は、まさに小泉首相の態度を体現したものだといえるでしょう。

今回の選挙結果は、千葉7区においても格差社会が深刻化していると聞いていますので、「自民党が勝てば、地域格差が広がる」との太田氏の主張が受け入れられた面もあるでしょう。

それにもまして、今回の選挙結果は、「自転車で住宅地や農業地域など選挙区内約374キロを支持者とともに走ったり……小沢氏も農業地域を遊説し」た((毎日新聞) - 4月23日22時43分更新)という、ごく真っ当な選挙運動が評価され、反対に、有権者を愚弄した選挙運動、小泉首相及び小泉路線を歩む自民党を嫌ったものであるといえるのではないかと思います。


前原代表のままでは今回のような結果は生じなかったはずです。前原代表を辞任に追い込み、選挙運動の意義をよく理解した小沢代表をもたらした自民党自体が、この結果を生んだといえるのではないかと思います。
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2006/04/20 [Thu] 02:32:05 » E d i t
光市の母子殺害事件上告審について、平成18年4月18日に弁論が開かれて結審したのですが、最高裁は、その際、結審後、1ヶ月以内に補足の書面を出せば受理するとしています。その「書面提出」の法的意味について、若干触れてみたいと思います。



この「浜田裁判長は『弁護側が1カ月以内に補足の書面を出せば受理する』と述べた」点について、弁論の補充書面ではないかとの法的評価もあります。

「弁論は書面によって補充でき、書面提出を申し立てているにもかかわらず、これを待たずに判決を言い渡すのは違法です。弁護人から書面提出を申し出ているときには、裁判所はそれを許可して結審することが多く、書面が提出されるのを待ち、それを見た上で判決を言い渡すのが実務の慣行です(大阪高判81・10・26、大出=川崎=神山=岡崎『刑事弁護』153頁から要約)。


今回の書面提出もこのような場合に類似しているわけですから、弁論の補充書面であるとの評価も十分可能です。最高裁としては、このような意図で認めた可能性はあります。



しかし、今回の場合、弁護側が書面提出を求めているのではなく、審理続行(=弁論期日の追加)を求めているのですから、場面が異なります。弁論期日の追加の代わりとして、補足の書面の受理を認めたのですから、この書面は補充書面の意味を超えているというべきです。
また、弁護側としても、審理続行を求めている以上、単なる「弁論の補充」で足りるとは思っているとは思えませんし、書面の内容も単なる補充にならないはずです。


それに、

「本来の弁護活動のあり方からすれば、弁論を補充する必要がある場合には裁判所に対し弁論期日の追加を請求すべきである」(大出=川崎=神山=岡崎「刑事弁護」153頁)

のですから、補充書面は好ましいものではないのです。本来の弁護活動からすれば。



そのようなことから、私は、前回の「光市の母子殺害事件上告審~4月18日の弁論で結審に」というエントリーにおいて、補充書面ではなく、「最高裁の判断は、いわば書面の提出で口頭での弁論があったものとみなしてしまった」(=弁論が2回あった。2度目は「あったものとみなす」という形で)と評価したのです。
テレビ報道を見た限りで不確かなのですが、安田弁護士も同じように評価していたようです。

補充書面と評価するか(=弁論は1回だけあった)、口頭弁論があったものみなすと評価するのか(=弁論が2回あった)、細かい問題であって大した問題ではありません。現実には、もう1度口頭で弁する機会がないことには変わりがないのですから。

ですが、補充書面と評価するか、口頭弁論があったものみなすと評価するのかは、「本来の弁護活動とは何か」に対する価値観の違いがあるように思います。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

2006/04/19 [Wed] 00:54:23 » E d i t
光市の母子殺害事件上告審について、平成18年4月18日弁論が開かれて結審したとの報道がありました。この報道についてコメントしたいと思います。


1.asahi.com(2006年04月18日16時47分)によると、

母子殺人事件の上告審が結審、弁論続行の主張退ける 山口・光市

 山口県光市で99年、主婦(当時23)と長女(同11カ月)が殺害された事件の上告審弁論が18日、最高裁第三小法廷(浜田邦夫裁判長)であった。上告した検察側は「残虐な犯行で、死刑の適用を回避すべき特段の事情は認められず、無期懲役の二審判決を破棄しなければ著しく正義に反する」と主張。一方、弁護側は「一、二審が認定した殺害方法は、遺体の鑑定書からみて事実誤認があり、傷害致死罪などだけが成立する」と主張。審理続行を求めたが、第三小法廷はこれを退けて結審した。

 当初弁論は3月14日に予定されていたが、今年2月下旬から3月上旬に受任したばかりだった安田好弘弁護士(第二東京弁護士会)ら2人の弁護人らは準備が間に合わないとして欠席。第三小法廷は18日の法廷には必ず出席するよう、改正刑事訴訟法に新設された「出頭在廷命令」を初めて発動していた。

 この日の法廷で、弁護側は一、二審が被害者の主婦(当時23)は首を絞められて殺害された、と認定したことについて「事実誤認だ」と主張。「遺体の鑑定書からは、被告は逆手で主婦の口を押さえようとしたことが見て取れる。声を立てたのを押さえようとして手が首にずれてしまったので、殺意はなかった」と述べた。

 一方、検察側は、(1)一、二審で事実の審理が尽くされている(2)遺族が一日も早く裁判の確定を望んでいる、と主張し、結審を求めた。

 第三小法廷は、休廷して合議を行い、結審を決めた。最高裁の弁論は1回で結審するのが通例。ただ、浜田裁判長は「弁護側が1カ月以内に補足の書面を出せば受理する」と述べ、弁護側に「配慮」を見せた。」

としています。

弁護側は、前回予定していた弁論には欠席しましたが、今回は出席し、弁護人の弁論が行われたことは良かったことだと思います。弁護人の弁論なしでの結審もあり得た訳ですから。




2.この記事のうち注目した点が2点あります。


(1) 一つは、最高裁は、「結審を決めた。最高裁の弁論は1回で結審するのが通例。ただ、浜田裁判長は「弁護側が1カ月以内に補足の書面を出せば受理する」と述べた点です。


結審後も補足の書面をだせば受理するとしたことで、最高裁の弁論が1回で結審するのに、実質的には2回弁論があることになった点です。これは、上告審での弁護活動の充実を図ることにつながった点でで重要だと思います。
「上告審の場合は、控訴審以上に、開廷前に結論が決まっており、弁論は単なる儀式の様相を呈している」(佐藤博史「展開講座 刑事弁護の技術と倫理」法学教室306号102頁)のですから、上告審での弁論の充実という点でも意義があったと思います。

他方で、弁論は口頭で行うのが原則(刑訴法43条)であるのに、この最高裁の判断は、いわば書面の提出で口頭での弁論があったものとみなしてしまったわけです。しかし、これは口頭弁論主義の原則に反するのですから、問題があると考えます。本来なら、もう1度弁論を開くべきだったと思われます。

ただ、安田弁護士らは1度弁論を欠席していることからすると、また欠席する可能性もあり、そうすると、また欠席による弁論の延期もあり得ることになります。そうすると、弁論の必要性があると感じつつも、欠席という事情があった以上、2度目の弁論を開かずに結審するという判断は、この事案においては妥当な判断であったと考えます。



(2)もう一つは、「弁護側は一、二審が被害者の主婦(当時23)は首を絞められて殺害された、と認定したことについて「事実誤認だ」と主張。「遺体の鑑定書からは、被告は逆手で主婦の口を押さえようとしたことが見て取れる。声を立てたのを押さえようとして手が首にずれてしまったので、殺意はなかった」と述べた」という点です。


上告審の弁護活動においても、「被告人の言い分については、これが最終審であるから、十分に聞く必要がある」(大出=川崎=神山=岡崎編著者「刑事弁護」166頁)のです。そうすると、被告人が事実誤認を主張している以上、それに沿った弁護活動をすることはもっともなことなわけです。
そして、もし本当に傷害致死罪にあたるのであれば、傷害致死罪には死刑ばかりか無期懲役さえないのですから(刑法205条)、主張する意義は大きいといえるのです。
ですから、その意味では安田弁護士の弁論は妥当なことだといえます。


しかし、検察側が無期懲役であることが不服であるとして上告したことに対して、おそらく最高裁側が無期懲役を見直す必要があると考えて、弁論を開いたのですから、最高裁としては事実を争う意図はなかったはずです。
そして、むしろ、無期懲役が妥当であるといえるような「反省の情」が被告人にあるかどうかを確認したかったと推測しています。知人宛の手紙では、「犬とやっても罪になるのか」などと述べるなど、反省の情がまったくないばかりか、再犯の可能性すらあったのですから。


そうすると、弁護側が述べたように、殺意がなかったといったような弁解をすると、反省の情は全くなかったことが確認されてしまったと思うのです。せめて、1・2審において殺意がなかったと主張していれば、信憑性もあったのでしょうが、最高裁、それも死刑判決の可能性が出てきてから言い出したのでは、死刑を免れようとして嘘を言い始めたとしか受け取れないのですから。


弁護側の主張は、被告人の意思にそった主張なのですが、これでは被告人に不利益になったように感じます。しかし、被告人に、反省の情がないことが明らかになったのですから、刑事訴訟の目的である「事案の真相」の究明(刑事訴訟法1条)に近づくものであって、それはそれで良かったのではないかと思います。



(3) テレビ報道によると、被告人は初めて被害者である本村洋さんに手紙を送ったようです。そして、上告審になってから、(嘘と思われても仕方がないような)「殺意がなかった」という主張をしたのです。

やはり人を殺害しても、自分が死刑になる、死ぬかもしれないと思うと、動揺することが見て取れます。本村洋さんも言っていましたが、「死刑になるかもしれないと思って、初めて弁護人も被告人も真剣になった」と思います。このように、被告人は、死刑になるかもしれないと思ったことで、初めて「人の死」ということに真剣に向き合うことが出来たのです。


この事件の判決は夏頃である「夏ごろまでに言い渡される見通し」(朝日新聞平成18年4月19日付朝刊)と報道されていました。死刑判決相当という判決が出るのか否かは分かりませんが、被告人は判決が出るまでの間、ずっと、「死」ということ、「人を殺害したこと」と真剣に向き合うのです。「人を殺害したこと」と真剣に向き合うこと、これこそが死刑制度の意義であると考えます。

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2006/04/16 [Sun] 01:42:28 » E d i t
このブログでは、女性天皇制の是非を論じるに当たり、天皇・皇族がどのような人権制約を受けているのか、主に法律論として論じてきています。では、当の天皇陛下や皇族の方々は今の状態をどのように実感しているのでしょうか? そのことについて検討してみたいと思います。


1.AERA(06年3月27日号)16頁~では、「哀しき天皇制」という特集がありました。それを読むと、どのように実感しているか判断できると思います。一部引用してみます。

 「お世継ぎ問題に象徴されるように、天皇制が当事者にとって様々な点で過酷な制度になっているのは間違いないだろう。『雅子さまが適応障害になったことで、国民の多くは皇室がいかに非人間的で異常な世界であるかが改めて分かったのではないか』と言うのは埼玉大学名誉教授の暉峻淑子さんだ。

 確かに一般では想像しえないような慣習やしきたりが、皇室では続けられてきた。

 毎日新聞の元宮内庁担当記者で『天皇家の財布』を書いた成城大専任講師の森暢平さんは、95年から97年までの宮内庁担当記者時代の『最大のショック』は、東宮侍医が雅子さまの体調を説明する際、『生理がありました』などと言うことだった、と振り返る。

 『ご懐妊の情報をつかむのが仕事とはいえ、人の奥さんの生理の周期を聞かされるということに違和感を覚えました。そこにはプライバシーはないわけですから』

 森さんによると、東宮御所の場合、職員は80人ほどにのぼり、身の回りの世話をする奥の女性職員は、女官、女嬬(にょじゅ)、雑仕、と階級が分かれている。皇族が飲み物をこぼした時に、テーブルをふく女性と、床をふく女性は異なる。同じ女性が布巾と雑巾の両方は扱えないからだ、という。当然、掃除、洗濯からゴミ捨てまでも、世話係がする。侍医による『朝のご機嫌伺い』の際、体温も毎日測っているとみられる。

 別の皇室ジャーナリストによると、チェックの対象は、ゴミ箱の中身にまで及ぶこともあるらしい。こうしたことから、雅子さまは常に監視され、電話も盗聴されるのではないかという強迫観念にとらわれていたこともあるようだ。東宮御所内や那須の御用邸には以前、警備の人が座る少しへこんだスペースがあったが、雅子さまの希望で取りやめてもらったという。

 女性皇族の場合、服装のチェックも厳しい。アクセサリーなどでも、特定のブランドのものが目立ってはいけないし、儀式によって手袋やベールの長さが細かく決まっている。雅子さまが結納で、本来は帯に斜めにさすべきだった扇子を正面にさしてしまったことがあるが、いまだに語りぐさになっているという。

 言葉遣いも、上品で高雅なものを求められる。誕生日の挨拶などで御所の女官らが訪ねてくると、『御機嫌よう、今日はおよろしいお晴れでございます。両陛下おそろいあそばしましてご機嫌よう、妃殿下におかれましては』などと、本題に入るまで時候のあいさつが何往復も続く。雅子さまはどう返したらよいか困惑した様子だったこともあるという。」


 「なかでも、最も自己を抑制しなければいけないのは、天皇や皇太子だろう。

 皇太子さまの養育役を務めた……浜尾さんは、皇太子さまが学習院初等科時代、東宮御所に同学年の友人を招く際には、担任の先生から名簿をもらい、毎回4、5人ずつ交代で1年に約50人の男子全員が一巡するように声をかけた。

 招かれなかった母親から、不公平だと苦情が出るのを避けたかったという。

 『僕、○○くんとはあまり話したことがないのだけれど……』

 時にそう漏らす皇太子さまに、『お呼びにならなくてはなりません』とたしなめるしかなかった。『宿命と言うのでしょうか。特定の方と仲良くするわけにはいかないのです。浩宮さまも大親友が出来にくく、寂しげなお顔をされていたのを思い出します』

 皇太子さまもやがて察するようになったのか、中学に上がる頃から好き嫌いをほとんど表さなくなったという。」


皇族の苦悩を表す一言

 <昭和天皇>
『私のそれまでの生活が籠の鳥のような生活でしたが、外国に行って自由を味わうことができました』(1970年9月、記者会見で)

<皇太子さま>
『雅子にはこの10年、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます』(2004年5月、記者会見で)

<秋篠宮さま>
『あなたやってごらんなさいと言われたら、10人中10人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから……』
『今度、生まれてくるとしたら動物がいいな。人間ではなくて……。例えば? ヒツジがいいかもしれない』(江森敬治著『秋篠宮さま』1998年発行より)

<美智子さま>
『やはり、むずかしいと思うこと、つらいと思うこともいろいろありました。いつになったら慣れるかといえるか見当もつきません』(1960年9月、記者会見で)

<雅子さま>
『すみません、母親になって涙もろくなって』(2002年4月、記者会見で)

<三笠宮寛仁さま>
『もうダメだよ。皇族をやめたい。至急会議を開いてほしい』(1982年4月。『日本の皇室事典』松崎敏弥・小野満著より)
『弟(桂宮さま)は日頃から、皇族が結婚することは苦しむ人間を一人増やすことだから自分は結婚しないと述べていました』(『文藝春秋』2006年2月号)

<高松宮宣仁さま>
『選挙違反やって公民権停止受けている人に僕はそういってやったのよ、『あなたと同じようなもんだ』。その人、非常に喜んでね』(『文藝春秋』1976年2月)






2.上に述べた記事で分かるように、天皇陛下・皇族の方々は、「一般人なら耐えられないほどの孤独と自己抑制」(「AERA」前掲19頁)を求められる日々を送っています。

ゴミ箱の中身もチェックされ、服装もチェックされ、皇族らしい言葉遣いも求められ、プライバシーも全くないのも同然です。
昭和天皇が「籠の鳥のような生活」と述べ、桂宮さまは「苦しむ人間を一人増やすことになるから結婚はしない」とまで話していたのです。皇族の方々の苦悩が分かると思います。


女性皇族は、現行の皇室典範によれば、意思による皇籍離脱ができ、結婚による皇籍離脱ができますから、「一般人なら耐えられないほどの孤独と自己抑制」を求められる日々から脱することができます


しかし、皇室典範を改正して女性天皇を認めるならば、一生、「一般人なら耐えられないほどの孤独と自己抑制」を求められる日々から脱することができません。しかも、今の天皇や皇太子と同様の立場になるのですから、その女性皇族も最も自己を抑制しなければならない立場となるのです。


上に述べたAERAの特集において、小宮山洋子衆議院議員は、

天皇制「存続のためには天皇になられる方が必要です。雅子さまが愛子さまを天皇になさりたいかと思っているかどうかは分かりません。ただし、皇太子妃となられた以上、自分の子どもが天皇になるというは、ご理解の上のことでしょう。」

とコメントしています。
子どもが男子なら、天皇になる可能性があることは理解しているでしょうが、女子であっても「ご理解の上のこと」と言っていいのでしょうか? 雅子さまは、最近は体調が良くなったとはいえ、愛子さまが同じ苦悩、天皇となればより苦悩する立場になることまで、「ご理解」しているとはとても思えません。小宮山議員の言い分は、天皇陛下・皇族の苦悩をあまりにも理解しないコメントのように思えます。



女性天皇を認めるか否かは天皇陛下や皇族の方々が「一般人なら耐えられないほどの孤独と自己抑制」の日々を送っていることを理解したうえで、判断してほしいと思います。

私はもちろん、以前からも論じているように、女性天皇を認めず、女性皇族は、「一般人なら耐えられないほどの孤独と自己抑制」の日々から開放される方が妥当であると考えています。皇族の方々には「普通の人間への渇望」(AERA18頁)があるのですし、著しい人権制約が行われている天皇制から一般人へと脱する道を認めることこそ(特に、女性天皇を認めるとその地位に就く女性皇族は人権制約が著しいので)、個人の尊厳の尊重(憲法13条)に適うと考えるからです。

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2006/04/15 [Sat] 22:22:09 » E d i t
夫の死後、妻が冷凍保存されていた夫の精子を使って子を産み、その子が、亡き父に対する(死後)認知を請求した事件について、2審判決は認知を認めていたのですが、最高裁が弁論を開くとの報道がありました。この点についてコメントしたいと思います。


1.読売新聞(平成18年4月15日(土)付朝刊34面)によると、

凍結精子で夫の死後出産 『認知』判決見直しか 最高裁7月弁論
 
 凍結保存していた夫の精子を使い、夫の死後に行われた体外受精で西日本在住の40歳代の女性が出産した男児(4)が、女性の夫の子と認知するよう国に求めた訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は14日、7月7日に弁論を開くことを決めた。書面審理中心の最高裁が弁論を開くことで、認知を認めた2審・高松高裁判決が見直される可能性が高い。

 凍結精子を使った死後生殖を巡る同種の認知訴訟では、東京、大阪両高裁が請求を棄却(上告中)しており、判断が分かれていた。生殖医療が進歩する中、民法が想定していなかった死後生殖で生まれた子に法律上の親子関係を認めるかどうか、最高裁が初の判断を示す。

 2審判決などによると、夫は白血病の治療を受ける前に精子を凍結保存し、1999年に死亡。女性はその後、夫の死亡を病院側に知らせないまま、凍結精子を使って体外受精を受け、2001年5月に男児を出産した。女性は、男児を夫婦の子として出生届を出したが、受理されなかったため、認知を求めて02年6月に提訴した。

 1審・松山地裁は03年11月、『死後生殖は自然な生殖とかけ離れており、社会的な理解も広がっていない』と請求を棄却。2審・高松高裁は04年7月、『自然血縁的な親子関係に加え、夫の生前の同意がある』などとして認知を認めたため、国側が上告していた。

 体外受精などの生殖補助医療を巡っては、日本産婦人科学会などが作成した指針に基づいて自主規制が行われているが、法規制はない。

 原告側代理人の村重慶一弁護士は、『法が想定していないということを理由に、その不利益を子どもに押し付けるべきではない。最高裁には、子どもの権利に配慮した判断をしてほしい』と話している。」

としています。




2.ここのブログでは、「死後生殖と死後認知(上)」「死後生殖と死後認知(下)」というエントリーで論じたように、夫(パートナー)の生前の同意を要件として死後認知を認める説(存在説:父子関係の存在を認める)が妥当であると考えています。これは、2審・高松高裁と同じ立場です。

しかし、「最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は14日、7月7日に弁論を開くことを決めた。書面審理中心の最高裁が弁論を開くことで、認知を認めた2審・高松高裁判決が見直される可能性が高い」ことになりました。大変残念です。




3.もし最高裁が死後認知を否定するとした場合、どういう論理を展開するのかについて、次の点について注目してみたいと思っています。


(1) まず、死後認知請求の条文である民法787条は、「父…の死亡の日から3年を経過」するまで請求ができるというだけで、とくに死後3年間につき制限はありません。これに対して、死後認知を否定する説ではこの条文に「懐胎時、事実上の父が生存していること」という限定を付け加えることになります。
そうすると、民法787条は婚外子の保護のための規定であるのに、なぜ787条の趣旨に反して、子どもに不利益な要件を創設することができるのでしょうか? 最高裁がどのような合理的理由を示すか、注目しています。



(2) 私は「子を持つ権利」と「自己の出自を知る権利」は憲法上保障されていると考えます。もし認知を否定することは、「『むしろ生まれてこない方がその子のためである』と評価していることにほかならない」のです。そのような考え方は個人の尊重の原理(憲法13条)に反していて、不当ではないでしょうか?
そうすると、なぜ「子を持つ権利」と「自己の出自を知る権利」を制限できるのか、認知を否定すると個人の尊重原理に反しないのでしょうか? 最高裁がどのような合理的な理由を示すのか、注目しています。



(3) 日常的には「血のつながり」が親子の絆と考えられていますし、法的親子は一親等血族であり、血族概念の支柱である自然血族は、「自然の血のつながりがある者」と定義されています(小池泰「民商法雑誌第115巻第6号776頁、我妻栄「親族法」(1961年)395頁)。
そうすると、認知を否定することは、この血のつながりを重視する日本民法の家族法の通常の解釈に反しないのでしょうか? 最高裁が通常の解釈に反してよい理屈をどう説明するのか、注目しています。



(4) 松山地裁・高松高裁の事案は、人工生殖が実施している途中で、夫が急死し、その後に行われた体外受精で産まれたのですから、夫の死後に精子を摘出したといった事案ではなく、やむなく途中で死後生殖になってしまったものです。
そうすると、認知を否定する説は、たまたま途中で夫が死亡したら、認知否定を肯定するのですから、安定的・明確であるべき身分関係の形成を(死亡という)偶然の事情で左右することを認めることになって、不当ではないでしょうか? 最高裁が身分関係の形成を偶然の事情で左右することをどのように合理的な理由を説明するのか、注目しています。



(5) 松山地裁・高松高裁の事案は、父子関係を認めることを望む子、死を予期して自分の子を残したいと思った男性、その男性との子を求めた女性の意思を尊重して、親子関係を認めてほしいという事案です。
そうすると、認知を否定することは、身分関係者全ての意思を無視することになるのではないでしょうか? 最高裁が身分関係者全ての意思を無視してよい理由をどう説明するのか、注目しています。



(6) 認知を認めると、異母兄弟姉妹、Aの父母との間で扶養の権利義務関係が生ずる余地が生じることになり、扶養関係が充実することは、特に幼い子どもにとって不可欠な利益といえます。
そうすると、認知を否定することによって、扶養という子どもの利益に叶う権利を奪うことは不当ではないでしょうか? 最高裁がなぜ子どもを不利益にしてよいのか、注目しています。



(7) 内縁関係における死後生殖の事案の東京地裁平成17年9月29日判決が「原告がAとの間で遺伝的な血縁関係を有していることは明白」と述べているように、この事案でも、子どもの父親は母親の夫であることは間違いないのです。そうすると、この事案の子どもが夫の子で間違いないのに、認知を否定すると、この子の父親は法的にはいないということになります。
事実上誰が父親が明白なのに、父親はいないと判断するなんて、あまりに通常の人間の感覚に合致しないのではないでしょうか? 最高裁が通常の人間の感覚に反してよいという理屈をどうつけるのか、注目しています。 




4.生まれてきた子どもには、生まれる前に父親が死んでいたかなんて分からないことです。認知を認めないことは、その生まれてくる過程を理由に子どもを不利益に扱うことです。子どもに全く罪はないのです。 原告側代理人の村重弁護士が述べるように、「最高裁には、子どもの権利に配慮した判断をしてほしい」と思います。

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2006/04/14 [Fri] 05:52:44 » E d i t
仕手集団「光進」の小谷光浩元代表に約300億円を脅し取られるなどした蛇の目ミシン工業の旧経営陣に対して、取締役として賠償責任があるかどうかが争われた株主代表訴訟(いわゆる蛇の目ミシン株主代表訴訟)について、平成18年4月10日に最高裁判決が出ました。この判決についてコメントしたいと思います。

旧HP→http://courtdomino2.courts.go.jp/home.nsf
新HP→http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=32871&hanreiKbn=01


1.まず新聞記事・解説について引用しておきます。

(1) 日本経済新聞(平成18年4月11日付朝刊)によると、
 

蛇の目株主代表訴訟 元社長らに賠償責任
 
 仕手集団「光進」の小谷光浩元代表(68)=懲役7年確定で服役中=による恐喝事件などに絡み、蛇の目ミシン工業に巨額の負債を抱えさせたとして、同社の男性株主が当時の役員5人に939億円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は10日、『警察へ通報するなどの対応を怠り、元代表側に巨額の資金提供をした元役員らには過失がある』と賠償責任を認めた。

 そのうえで『暴力的な脅迫を受けたので、やむを得なかった』として元役員らの責任を否定し請求を棄却した1、2審判決を破棄。元役員らが賠償すべき損害額を算定するために、審理を東京高裁に差し戻した。

 判決理由で同小法廷は『株主の地位を乱用した不当な要求に対し、経営者は法令に従った適切な対応をする義務がある』と指摘。暴力団など好ましくない相手への株売却を恐れたとはいえ、元役員らは職務を忠実に遂行する義務などに違反したと認定した。

 さらに、元代表側に株買い戻しのための巨額資金を提供したことは『会社にとって好ましくない株主の議決権行使を回避する目的で株式譲受の対価を提供したといえ、商法の禁じる利益供与に当たる』との初判断を示した。

 訴えられたのは、蛇の目の森田暁元社長や斉藤洋元副社長ら5人。

 判決によると、小谷元代表は蛇の目株を買い占めて同社の非常勤取締役に就任。1989年、『株は暴力団関係者に譲渡した。大阪からヒットマンが来ている』などと伝え、 同社側から融資目的で約300億円を脅し取った。さらに、メーンバンクだった旧埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)系ノンバンクからの借入金を蛇の目側に肩代わりさせるなど同社に計939億円の債務を負わせた。

 1審・東京地裁は2001年、小谷元代表について『大株主の地位を利用して自己の利益を図った』などと指摘。破産宣告を受けていた元代表に代わり、破産管財人が賠償義務を負うことを認定した(確定)が、他の元役員に対する請求は『外形的には忠実義務違反などに当たるが、過失とはいえない』として棄却。2審・東京高裁も03年、請求を退けたため、株主側が上告していた。」

*日経新聞の記事では、1審・東京地裁は「『外形的には忠実義務違反などに当たるが、過失とはいえない』と」判断したとしています。しかし、そのような判断をしたのは1審ではなく2審・東京高裁であって、1審・東京地裁は単に忠実義務違反に当たらないとしています。このようにこの部分の日経新聞の記事は間違いです。


 

株主権の回避目的なら  株買い戻し資金提供 違法

 10日の最高裁判決は、会社にとって好ましくない株主の株主権行使を避ける目的だった場合、株買い戻し資金を会社が支出することは商法の禁じる『株主への利益供与』にあたるとの初判断を示した。今回の判断は、敵対的なM&A(企業の合併・買収)が活発化するなか、企業が敵対的買収者から株を買い戻すための安易な資金提供への警鐘になりそうだ。

 株主への利益供与禁止規定は、いわゆる総会屋対策として1981年に新設された。株主総会での経営陣に対する質問など、株主権の行使をやめさせようと、金銭などを提供すると商法違反に問われ刑事罰も科される。

 ただ、株主が株を売買する行為は、『株主の地位の移転』であって『株主権の行使』とはいえないとされている。このため、単にある株主が持つ株を第三者に引き取ってもらうために、会社が資金提供するような行為は、株主権の行使に絡む利益供与にはならず、商法違反にはならないとみられている。

 しかし、最高裁はこうした株売買に絡む資金提供でも、好ましくない株主の権利行使を避けるという目的であれば、商法の禁じる利益供与に問われるとの考えを示した。乗っ取り屋に脅され、株買い戻しのための迂回(うかい)融資額や債務肩代わり額が巨額にのぼったという特殊な事案に基づく判断ではあるが、同様の考え方は95年、国際航業株買い占めに絡む訴訟の東京地裁判決でも示された。

 最高裁判決について、あるベテラン裁判官は『企業にとって好ましくない株主の排除目的が明確な場合、民事上の賠償責任だけでなく、刑事責任を問われる可能性も出てくる』と指摘している。」


 

脅迫は免責の理由にならず

  上村達男早稲田大学大学院教授(商法)の話

  暴力的な脅迫を受けたという事情があったとしても、会社に巨額の損失を与えた取締役の過失責任を認めた最高裁の判断は評価できる。1、2審判決のように、脅迫されたことを免責の理由にしては、企業にとって重大なときほど取締役が何の責任を果たさなくてもよくなってしまう。脅迫行為の悪質性など取締役にとって酌むべき事情があれば、差し戻し審で過失の度合いの判断材料になるだろう。」



 

買収防衛策は慎重さが必要

 企業法務に詳しい栗原正一弁護士の話

 取締役の行為が株主への利益供与にあたるかどうかの判断で、企業の内心的意思といえる『株買い戻しの目的』を重視したことは注目される。敵対的買収防衛策の1つとして友好的な企業(ホワイトナイト)を探し、買収者の株を買い取ってもらう手法がある。この場合にホワイトナイトに何らかの資金提供すると利益供与にもなりうると利益供与にもなりうると最高裁が判断したもので、買収防衛を考える企業はより慎重になる必要がある。」




(2) Yahoo!ニュース(産経新聞・4月11日(火)3時11分)によると、野村修也・中央大法科大学院教授の話として、
 

「コンプライアンス(法令順守)の要は、企業内部にリスク管理の仕掛けを組み込むことにある。その意味で今回の最高裁判決は、経営者の内々の場当たり的な対応が、正当化されないことを示した点で高く評価できる。経営者は今後、反社会的勢力の恐喝に屈しなくてもすむように、警察との連携を保つなど対策を講じ、企業自体の組織的な対応力を高める必要がある」





2.この判決は、蛇の目ミシン工業の非常勤取締役に就任した小谷光浩元代表が、「『株は暴力団関係者に譲渡した。大阪からヒットマンが来ている』などと伝え、 同社側から融資目的で約300億円を脅し取った。さらに、メーンバンクだった旧埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)系ノンバンクからの借入金を蛇の目側に肩代わりさせるなど同社に計939億円の債務を負わせた」行為について、取締役の責任が問われた事案です。

この事案では、特に小谷氏以外の取締役に関して、

(1)善管注意義務違反(商法254条3項)・忠実義務違反(商法254条ノ3)といえるか?
(2)株主の権利行使に関する利益供与(商法294条ノ2。現商法295条)に当たるか?
(3)利益相反取引(商法265条)に当たるのか?
(4)自己株式取得を禁止した商法210条に違反するのか?
(5)私怨もあったことから、原告の訴えは権利の濫用(民法1条3項)に当たるのか?

などが問題となりました(判例時報1750号40頁、中村一彦「蛇の目ミシン株主代表訴訟控訴審判決について」判例タイムズ1138号31頁~)。

最高裁判決を引用しながら書いた上の記事でも分かるように、最高裁はこれらの問題点のうち、(1)と(2)についてのみ判断を行いました。そこで、ここでも(1)と(2)について控訴審判決と比較しながら検討してみたいと思います。




3.善管注意義務違反(商法254条3項)・忠実義務違反(商法254条ノ3)といえるか?について

(1) 控訴審は、

 「いかに脅迫されているとはいえ,B社にとって,外部に対し全く理由が立たず,かつ返済の当てのない300億円を融資の形で利益供与することは,会社としてはできないことであって,これを認めた他の取締役も,本来的には責任を免れない。被上告人らには,取締役として,上記利益供与を行ったことについて,外形的には,忠実義務違反,善管注意義務違反があったということができる。
 しかし,…被上告人らの過失の有無について判断すると……このまま放置すれば,B社の優良会社としてのイメージは崩れ,多くの企業や金融機関からも相手にされなくなり,会社そのものが崩壊すると考えたことから,そのような会社の損害を防ぐためには,300億円という巨額の供与もやむを得ないとの判断を行い,他の被上告人もこれに同意したものである。……当時の一般的経営者として,被上告人らが上記のように判断したとしても,それは誠にやむを得ないことであった。以上の点を考慮すると,……300億円の供与を決め,その余の被上告人らが同意したことについて,取締役としての職務遂行上の過失があったとはいえず,被上告人らは商法266条1項5号の責任を負わない。」




(2)これに対して最高裁は、

 「Aには当初から融資金名下に交付を受けた約300億円を返済する意思がなく,被上告人らにおいてこれを取り戻す当てもなかったのであるから,同融資金全額の回収は困難な状況にあり,しかも,B社としては金員の交付等をする必要がなかったのであって,上記金員の交付を正当化すべき合理的な根拠がなかったことが明らかである。被上告人らは,Aから保有するB社株の譲渡先は暴力団の関連会社であることを示唆されたことから,暴力団関係者がB社の経営等に干渉してくることにより,会社の信用が毀損され,会社そのものが崩壊してしまうことを恐れたというのであるが,証券取引所に上場され,自由に取引されている株式について,暴力団関係者等会社にとって好ましくないと判断される者がこれを取得して株主となることを阻止することはできないのであるから,会社経営者としては,そのような株主から,株主の地位を濫用した不当な要求がされた場合には,法令に従った適切な対応をすべき義務を有するものというべきである。前記事実関係によれば,本件において,被上告人らは,Aの言動に対して,警察に届け出るなどの適切な対応をすることが期待できないような状況にあったということはできないから,Aの理不尽な要求に従って約300億円という巨額の金員をI社に交付することを提案し又はこれに同意した被上告人らの行為について,やむを得なかったものとして過失を否定することは,できないというべきである。」



要するに、控訴審では、「外形的には,忠実義務違反,善管注意義務違反があった」が、賠償責任を認めるには、義務違反だけでなく、故意又は過失が必要であって、この事案の場合には故意又は過失がないから、賠償責任はないとしたわけです。

これに対して最高裁は、会社経営者には、「株主から,株主の地位を濫用した不当な要求がされた場合には,法令に従った適切な対応をすべき義務」があるので、「警察に届け出るなど」もできないような緊急事態(例えば、ナイフを突き付けられて金を出せと言われた場合)でもないのに、要求に従って支払ったのですから、法令遵守義務違反があって、過失もあるとしたわけです。



(3) ではどちらが妥当な判断だったのでしょうか?

控訴審は、会社の信用失墜を招くことを恐れたことは免責に値するとして、過失がないとして責任を否定したわけです。しかし、「隠せば隠すほど当該会社の傷を深くするというのが、多くの企業の破綻を引き起こした企業不祥事における経験則」(永井和之「商事法務1690号7頁~)であったのですから、責任を否定する根拠としては弱すぎるものといえるでしょう。

また、脅迫されていたのですから「警察への通報・相談などでの対応の可能性を検討すべきであったのに、検討していない。安易な脅迫へ妥協したことに免責を認めることは、違法行為や犯罪行為の温床となるもの」((永井和之「商事法務1690号9頁)です。

もともと、やってはいけないこと(忠実義務違反・善管注意義務違反)と十分に分かって行っているのに、なんの不注意もなかった(過失を否定)という認定・論理自体にも、非常に無理があったと思います。


そうすると、最高裁の判断の方が妥当であったと考えます。




4.株主の権利行使に関する利益供与(商法294条ノ2。現商法295条)に当たるか?について


(1) 控訴審は、

 「Aに対する300億円の供与は,暴力団の関連会社に売却したB社株を取り戻すためには300億円が必要であるとAから脅迫されたことに基づき,Aの支配するI社に対し,う回融資の形で300億円を融資したものである。B社経営陣の認識としては,暴力団の関連会社に譲渡された株式を,Aの下に取り戻すために利益供与をしたものであり,実際には,300億円を喝取されたものであって,商法294条ノ2(平成12年法律第90号による改正前のもの。以下同じ。)の「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」財産上の利益を供与したことに該当しないことが明らかであるから,被上告人らは商法266条1項2号の責任を負わない。」





(2)最高裁は、

 「株式の譲渡は株主たる地位の移転であり,それ自体は「株主ノ権利ノ行使」とはいえないから,会社が,株式を譲渡することの対価として何人かに利益を供与しても,当然には商法294条ノ2第1項が禁止する利益供与には当たらない。しかしながら,会社から見て好ましくないと判断される株主が議決権等の株主の権利を行使することを回避する目的で,当該株主から株式を譲り受けるための対価を何人かに供与する行為は,上記規定にいう「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」利益を供与する行為というべきである。
 前記事実関係によれば,B社は,Aが保有していた大量のB社株を暴力団の関連会社に売却したというAの言を信じ,暴力団関係者がB社の大株主としてB社の経営等に干渉する事態となることを恐れ,これを回避する目的で,上記会社から株式の買戻しを受けるため,約300億円というおよそ正当化できない巨額の金員を,う回融資の形式を取ってAに供与したというのであるから,B社のした上記利益の供与は,商法294条ノ2第1項にいう「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」されたものであるというべきである。」



要するに、控訴審は、株を買い戻すための資金提供であること、脅されて金を出したことから、商法が禁じている「株主への利益供与」に当たらないとしたのです。

これに対して、最高裁は、原則として株売買に関して資金提供することは「株主への利益供与」に当たらないが、会社にとって好ましくない株主の株主権行使を回避する目的である場合には、株買い戻すための資金提供であっても、商法が禁じている「株主への利益供与」に当たるとしたわけです。



(3) ではどちらが妥当な判断だったのでしょうか?

株主に対する利益供与を禁止する商法294条ノ2(現商法295条)は、「総会屋関係の行為だけを対象にしているのではなく、株主一般の権利の行使に関する利益供与を禁止している。…より広く会社運営の公正を意図した規定である」(新版注釈会社法(9)238頁〔関〕、通説)ことから、株主の権利行使に関してなされる財産上の利益の供与である限り、すべてが禁止されています。
そして、「会社は一般的に脅かされて利益供与を行う」(永井和之「商事法務1690号12頁)ことが多いことから、脅されたからといって免責されるわけではないとされています。

そうすると、この事案でも脅されていますが、脅されても「株主の権利行使」を否定する根拠になりません。また、「株主の株主権行使を回避する目的」がある以上、「株主の権利行使」に当たると広げて解釈することが、会社運営の公正を意図した本条の趣旨に合致するものといえるはずです。

そうすると、最高裁の判断の方が妥当であったと考えます。




5.1・2審判決は、取締役の責任を全て否定しました。それもかなり無理な認定・論理でした。これに対して、最高裁は取締役の責任を肯定しました。なぜ、このような結論の違いが生じたのでしょうか? 

(1) 1・2審判決は、生命を脅かされるなどの脅迫をあった場合には、商法の規定に違反しても、責任を免責するべきだと判断したわけです。
これに対して、最高裁は、脅迫されたのなら警察に届けて対応すべきであって、警察に相談することなく違法行為をしても責任は免責されないと判断したわけです。

このような価値判断の違いが、結論の違いをもたらしたのだと思います。



(2)脅かされて金を出したのですから、会社はいわば被害者であるので、責任を免責してもよいのではないかとも言えます。そうすると、1・2審判決もうなづけるところがあるのは確かです。特に、会社に強盗が入った場合なら、責任を問われることはないはずです。
この1・2審判決の判例評釈を読むと、1・2審を支持する学者はかなり多いことも、被害者意識を重視する価値観自体は不当ではないといえると思います。


しかし、この会社の取締役の対応は、脅かされたとはいえ、「多額の会社資金を関連会社を通じて融資する形で喝取されているのであって、厳しい見方をすれば、会社経営者の無責任といっても過言ではない体質」(判例タイムズ1133号272頁)がある事案です。

上村教授がコメントしているように「脅迫されたことを免責の理由にしては、企業にとって重大なときほど取締役が何の責任を果たさなくてもよくなってしまう」ことになりますし、野村教授がコメントしているように、「経営者の内々の場当たり的な対応が、正当化されない」との価値判断を示す方が妥当だと思います。

脅迫された場合、金を出して隠密に処理することはかえって付け込まれる結果(この事案では939億円まで出したわけです)になりかねず、脅迫されたら警察に届けるという、ごく一般的な筋の通し方をせよ、というのが最高裁が示した価値判断であったと考えます。当たり前といえば当たり前のことなのですが。



(3) この蛇の目ミシン訴訟においても、ごく一般的な筋の通し方」をせよという声よりも、「ごく一般的な筋の通し方」をしなくてもよいとの価値判断、ときとして法律違反も許されるのだという価値判断を持っている方が、研究者においても多数存在することが明らかになりました。

「ごく一般的な筋の通し方」をせよという声をあげることは、ごく当たり前のことです。ごく当たり前のことさえ、研究者の多数の賛同を勝ち得なかったことは、商法の規定を遵守していない会社が非常に多いことと符合しているように感じています。脱法が常態であるなら、会社の危機になったとか役員への危険が生じたとなれば、当然に脱法は許されると思うはずだからです。

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2006/04/10 [Mon] 00:53:21 » E d i t
いわゆる蔵書破棄訴訟について、「新しい歴史教科書をつくる会」や関係者側は、原告1人につき3千円の支払いを同市に命じた差し戻し控訴審判決を不服として平成17年12月6日、最高裁に再び上告していましたが、最高裁は上告を棄却しました。この再上告審についてコメントしたいと思います。


1.asahi.com(2006年04月07日22時48分)によると、

船橋市に賠償命令が確定、「つくる会」著書廃棄で最高裁

 千葉県船橋市立図書館の司書が01年、「新しい歴史教科書をつくる会」や当時の関係者の著作などを廃棄したことをめぐり、著者らが市に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)は7日、賠償額が不当とした「つくる会」側の再上告を棄却する決定をした。著者7人と「つくる会」にそれぞれ3000円の賠償を市に命じた東京高裁の差し戻し後の控訴審判決が確定した。著者側は1人あたり300万円の賠償を求めていた。 」

としています。

差戻し後の控訴審判決(東京高裁平成17年11月24日判決)の判断は妥当なものでしたから、上告棄却の決定は妥当であり、当然に予想された結果であるといえると思います。
著者側は1人あたり300万円の賠償を求めたようですが、それは到底無理であり、殆ど認められない主張であることは、著者はともかく、著者側の弁護士なら分かっていたと思います。




2.ただ、差戻し後の控訴審判決(東京高裁平成17年11月24日判決)は不当ではないか? と疑問に抱く方もいるかと思います。そこで、控訴審判決の評釈の一部を引用しておきます。

判例時報1915号(平成18年3月1日号)29頁~によると、
 

 「二 本判決は、右最一判が説示するところに従い、公立図書館の職員が、閲覧に供されている図書の廃棄について、著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的好みによって不公正な取扱いをすることは、当該図書の著作者の右人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるとし、控訴人らが受けた損害額を算定するために右人格的利益の性質について検討し、公立図書館で閲覧に供されることにより、その図書の著作者はその閲覧について合理的な理由なしに不公正な取扱いを受けないという法的保護に値する人格的利益を取得すると解した上で、右人格的利益の性質、本件廃棄についての経緯、本件破棄に係る図書が再び船橋市西図書館に備え付けられ、閲覧に供されるなどの措置が執られていることなどの諸事情を総合勘案し、在外選挙権に関する大法廷判決(最大判平17・9・14本誌1908・36)が一人につき5000円の損害賠償を認容したことと対比することにより、右人格的利益が侵害されたことにより閲覧に供された図書の著作者が受けた無形の損害に対する金銭賠償としては、一人当たり3000円をもって相当とするとした。


 三 公立図書館の職員である公務員が、閲覧に供されている図書の廃棄について、著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって公正な取扱いをすることは、当該図書の著作者の人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となる(右最一判、本判決)。

 そして、在外選挙権に関する右最大判は、一人につき5000円の損害賠償を認容しているところ、確認の訴えについて説示する箇所においてではあるが、『選挙権は、これを行使することができなければ意味がないものといわざるを得ず、侵害を受けた後に争うことによっては権利行使の実質を回復することができない性質のものである』と説示しているのであり、このことにかんがみれば、本件廃棄に係る図書が再び船橋西図書館に備え付けられ、閲覧に供されるなどの措置が執られている本件の場合の方が、損害額が小さくなると解することが可能であろう。

 なお、個人の人格的利益の侵害に対する損害賠償の算定例として、最二判平15・9・12民集57・8・973、本誌1837・3が、大学が講演会の主催者として学生から参加者を募る際に収集した参加申込者の学籍番号、氏名、住所及び電話番号に係る情報を参加申込者に無断で警察に開示した行為は、大学が開示についてあらかじめ参加申込者の承諾を求めることが困難であった特別の事情がうかがわれないという事実関係の下では、参加申込者のプライバシーを侵害するものとして不法行為を構成すると判断したことを受け、差戻後の東京高判平16・3・23本誌1855・104は、慰謝料として一人当たり5000円の損害賠償を認容しているところである。


 四 本判決は、前記最一判平17・7・14の判断に基づいて控訴人らが受けた損害額を算定したものであり、実務上参考になろう。」

としています。

要するに、事後的に回復可能性のない選挙権と、事後的に回復可能性があり回復された著作者の人格的利益を比較して損害額を決めようと判断したわけです。すなわち、選挙後の投票権を認めても無意味なのだから、選挙権は事後的に回復困難であり、事後的に回復困難な権利(選挙権)に対する賠償が5000円とするのが判例なのだから、それと比較すると、事後的に回復でき、現に回復できている利益に対する賠償なら、5000円よりもっと少ない賠償額でなければ不均衡であるというわけです。

この評釈によると、同じ人格的利益侵害についての他の判例とも比較しています。東京高裁平成16年3月23日判決によると、講演会参加者の名簿という情報という意味でのプライバシー侵害の場合、5000円の賠償額としたと紹介しています。このプライバシー侵害と比較すると、著作者の人格的利益侵害ならもっと賠償額は少なくてよいだろうというわけです。


この評釈には出ていませんが、権利・利益の重要性の違いにより賠償額に差異が生じるのではないかと思います。選挙権(憲法15条)は議会制民主主義に不可欠な権利ですし、プライバシー権(憲法13条)は個人の人格価値に密接にかかわる権利であって、いずれも憲法上重要な人権です。これと比較すると、「著作者の人格的利益」は狭い範囲において保障された利益です。なぜなら、すべての図書館のうちで公立図書館に限定され、しかも公立図書館で閲覧に供されている図書であることを前提として、図書館の広い裁量により当然に廃棄される可能性があるなかで、不公正な取扱いを受けないという利益なのですから。

このような権利・利益の重要性の違いからすると、賠償額には差が出てくることはもちろん、選挙権やプライバシー権よりも、著作者の人格的利益侵害の方が多額になることは考え難いのです。




3.こうしてみると、控訴審判決は、侵害された権利・利益に応じて賠償額を決しているということになりますから、当然といえば当然のことであって、きわめて常識的な判断をしたといえるわけです。

そうすると、差戻し後の控訴審判決(東京高裁平成17年11月24日判決)は不当ではなく、妥当であるといえます。

結局、この控訴審判決の判断は、再上告審でも受け入れられて、上告棄却の決定がなされたのです。控訴審判決が常識的な判断をしたのですから、それを是認することもまた、常識的ですから、再上告審も妥当というべきでしょう。




<追記>

蔵書破棄訴訟については、このブログでは度々論じています。「蔵書破棄訴訟」と検索するとすべて見ることできます。

順番に並べると、「蔵書破棄訴訟差戻し控訴審判決」「蔵書破棄訴訟差戻し控訴審判決~補足」「蔵書破棄訴訟の判例解説へのコメント」となっています。こちらもぜひご覧下さい。

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2006/04/08 [Sat] 05:35:54 » E d i t
松本智津夫被告の次男が春日部共栄中学校を受験して合格したのに、この中学校は入学を拒否したため、次男側は訴訟を提起する予定であるとの報道(朝日新聞・平成18年4月7日付朝刊33面)がありました。この入学拒否問題についてコメントしたいと思います。


1. 朝日新聞(平成18年4月7日付朝刊)によると、
 

入学拒否の松本被告次男 私立中を賠償提訴へ

 オウム真理教元代表、松本智津夫被告(51)の次男(12)が、私立春日部共栄中学(埼玉県春日部市)に合格しながら入学を拒否された問題で、次男側は近く、学校側に損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こす。教職員の間には「子どもに罪はない」という声もあったが、他の受験生への影響を懸念する意見が多かった。「高校、大学でも同じような経験をするのではないか」。次男は、そんな不安を口にした。

 共栄中は今春、入試を計3回行った。次男は第2回入試を受け合格。さらに2月6日の第3回も受けた。いい成績で特待生になるためだった。

 同日夜、教職員十数人が集まった。合否を決める会議だった。

 「松本被告の子では」。そんな声があがった。自宅が遠く、合格者で再受験したのは数人だったため目立ったという。

 「まだ小6」「子どもに罪はない」といった意見も出た。しかし、「入学させれば辞退者が出て学校経営に影響が出る」などの反論も相次ぎ、被告の子と確認されれば入学を拒否することが決まったという。

    ◇   ◇

 次男の髪は襟足まで伸び、顔にはあどけなさが残る。

 「はねられちゃった……」。声変わり前の細い声で語り始めた。

 社会の拒否反応は初めてではない。大手進学塾も断られ、5年生の秋、電車で30分ほど離れた塾に通い始めた。

 入試は「緊張したけど、理科と社会はよくできたかな」。翌日、自宅のパソコンで合格を確認。家族と焼き肉でお祝いをした。

 2月11日。学校側と折衝した姉たちが帰宅し、入学を拒否されたと伝えると、次男は涙を浮かべながらテレビに向かってゲームを続けたという。

    ◇   ◇

 3月に入って学校側は中高の新入生と中学の在校生の家庭すべてに電話で方針を説明。入学させるべきだとの意見は皆無だったという。

 地下鉄サリン事件で教え子をなくした教員がいたことも分かった。

 同校関係者は「一私立学校が背負いきれる問題ではない」と語った。

    ◇   ◇

 父が逮捕されたのは、次男が1歳2カ月の時だった。教団が起こした事件が理解できない間は「学校でいじめられるのは何でだろうと思った」。物心がついて父に初めて会ったのは、04年秋。拘置所で「会えてうれしいです」と声をかけた。返事はなかった。

 次男は地元の公立中に通う。「高校、大学でもはねられるんじゃないかっていう恐怖感がある」という。中学でやりたいことを尋ねると、「全くない」と話した。 」


 

法の下の平等に従うべき 

  内野正幸・中央大学法科大学院教授(憲法)の話

  学校の対応の背景にあるのは、次男を受けれた時に現実に予想されるマイナスの影響ではなく、保護者が抱いている根拠の乏しい漠然とした不安感だろう。

  私立中とはいえ、憲法の「法の下の平等」の原則に従う必要が出てくる。

  裁判になれば学校側は、受け入れによって教育環境に負の影響が出ることを立証しなければならないが、説得力のある理由を提示するのは難しいだろう。三女が大学の入学拒否をめぐって起こした裁判同様、学校側が不利である印象を受ける。」

 


 

2.平成18年4月7日付朝刊の段階では、「賠償提訴へ」という報道でしたが、同日の夕刊(朝日新聞・平成18年4月7日夕刊)によると次男側は訴訟を提起したようです。
asahi.com(2006年04月07日11時27分)によると、
 

松本被告次男が提訴 私立中の入学拒否で賠償請求
 
 オウム真理教元代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)の次男(12)が私立春日部共栄中(埼玉県春日部市)に合格しながら入学を拒否された問題で、次男と後見人の弁護士が7日、同校を運営する学校法人共栄学園(東京都)を相手に慰謝料など計5000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。

 訴えのなかで次男側は「私立中受験の理由は、小学校時代のようないじめの対象となることを恐れたことと、大学に進学して高等教育を受けるための一歩とすることだった」と説明。「11歳(受験当時)でいわれのない差別を受け、精神的苦痛を受けた」としている。

 〈春日部共栄中の矢口秀樹校長の話〉 訴状が届いていないので、内容を見たうえで対応を検討したい。」




3.この入学拒否問題については、殆ど論じるまでもなく、次男による損害賠償が認められる可能性が高いといえます。


(1) 内野教授がコメントしているように、この次男を受け入れることによって教育環境に負の影響が出ることを、学校側が立証することは困難です。

学校側の入学拒否理由は、結局のところ、次男が入学したら教団関係者が学校に来るかもしれないとか、入学希望者が減るかもしれないという漠然とした可能性に基づいて、学校経営に影響が生じると思っているだけだからです。

また、「松本被告の子が教団の影響下にないとは言えず、他の生徒が安心して勉学に励む環境を害する恐れがある」(YOMIURI ONLINE・平成18年3月2日付)という入学拒否理由も、次男が教団の影響力にあるか否かは漠然とした可能性にすぎないのですし、さらに、次男自体が何か犯罪行為や布教活動を行う確固たる根拠があるわけではないのに、次男の入学によって他の生徒の学習環境が害されるおそれが生じるという因果関係を認めることは非常に困難であるので、妥当でないからです。

さらに、朝日新聞の記事に出ている学校側の入学拒否の理由は、「入学させれば辞退者が出て学校経営に影響が出る」かもしれないという漠然とした可能性に基づくものです。このような入学拒否は、憲法26条1項は、教育を受ける権利につき特に「その能力に応じて、ひとしく」という文言を定め、教育基本法3条が「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」と定めて、教育の機会均等を保障し、教育を受ける能力と無関係な事情による選別を許さないとしたことに反することになります。

そうすると、入学拒否を正当化する合理的な理由がなく、むしろ親が犯罪者とされるために入学を拒否したのであって、まさに「生まれによる差別」です。そうなると、不当な差別であって憲法14条(法の下の平等)及び憲法26条1項(教育を受ける権利)の趣旨に反するものであって、違法(民法709条)と評価される可能性が非常に高いといえます。



(2) また、内野教授のコメントの中にあるように、三女に対する入学拒否については、次のような判決が出ているのです。

三女の入学拒否 大学に賠償命令 東京地裁判決
 
 入試に合格したのに入学を拒否したのは違法として、オウム真理教松本智津夫被告(50)=教祖名麻原彰晃=の三女(22)が、和光大を運営する和光学園(東京都町田市)に350万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で東京地裁は20日、30万円の賠償を命じた。判決理由で野山宏裁判長は「学園は安易に判断して拒否し違法だ」と述べた。

 判決によると、三女は2004年に和光大人間関係学部の入試に合格。入学手続きをとったが、入学を拒まれた。三女をめぐっては、文教大も入学を取り消したが、東京地裁が地位を認める仮処分決定をしたため受け入れを決め、三女は在学中。 」(西日本新聞のサイト・平成18年2月21日付より)


こういう判決がある以上、次男も入学拒否をした学校側に対してした損害賠償請求が認められることは確実でしょう。




4.朝日新聞の記事によると、「子供に罪はない。」という声はあってもそれは少数にすぎず、中高の新入生と中学の在校生の親による「入学させるべきだ」という意見は、皆無でした。

(1) 滝本弁護士らしき方は、「『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記」において、三女に対する入学拒否について、「三女だからこそ、むしろ入学を許可してほしかった」と言いつつも、「直ちに法律的に違法とはいえないように思う」とか、「入学拒否などできえない国公立大学に行かないのだろうか」と書いていました。

もちろん、東京地裁は入学拒否を違法と判断し、学生としての地位を認める仮処分決定をしたわけで、滝本弁護士らしき方の判断とは異なった結果となったことは、すでに触れたとおりです。弁護士らしき人も、オウム真理教関係者、それも犯罪を犯していない子供でさえも、特殊扱いして社会から排除してもおかしいと思っていないことが分かります。教育が個人の人格形成に必要不可欠なものであるのに



(2) オウム真理教によって行われたとされる一連の事件は、「人間が平和に生存し続けるための法秩序を片っ端から踏み破った」(渡辺脩「刑事弁護雑記帳-麻原弁護に至るまで」(1998年)229頁)といえます。そうなると、オウム真理教による犯罪やその関係者に対する扱いについて、誰もが特殊扱いしたくなる気持ちは分かります。

しかし、オウム真理教による犯罪が著しく法秩序を乱したものであったとしても、この次男が犯罪を犯したのではないのです。それなのに、親が犯罪者であるからといって入学を拒否することは、憲法や教育基本法の趣旨を害し、それこそ法秩序を乱す行為です。
程度の差はあるとはいえ、入学拒否を容認することは、オウム真理教と同じく法秩序を乱すことを容認することになるのです。みずから法秩序を乱すことを認めていて、オウム真理教を非難することができるのでしょうか?

入学拒否を認めた学校関係者や親は、もし自分の場合だったらと、本当に真剣に考えたり、しないのでしょう。もし自分の子供が犯罪者の子であるからといって不当な差別を受けたら、悲しみ怒るはずです。

この次男は、学校側と折衝した姉たちから入学を拒否されたと伝えられると、「次男は涙を浮かべながら…ゲームを続けた」のです。これを聞いて、入学拒否はおかしいと思わない学校関係者や親は、自分のことだけを考え、次男のことなんて他人事と思っているに違いない…そう思えてなりません。



(3) 次男が入学すると学校教育環境に影響するかどうか、なんて誰にも分かりません。それなのに、親たちが入学拒否に反対しなかったことは、なるべくオウム真理教に関わりたくないという漠然とした不安感だけで、入学拒否を認める法感覚を持っているということです。

もちろん、「子供には罪はない」と思った親もいたことでしょう。しかし、学校側の電話連絡に対して、次男を入学させるべきだと言わなかったのです。おかしいと思っていてもおかしいと言わなかったわけなのです。

この入学拒否問題の根底には、異質な存在を拒絶するという日本人の特質、おかしいことでもおかしいと言わない日本人の特質があるように思います。アメリカが何をしても、殆ど何も文句を言わない小泉首相を是認する国民が多いのです。

これでは、健全な法感覚を持つこそさえ、日本人には難しいのかもしれません。今後、健全な法感覚を持つ日本人が増えることを願うばかりです。


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2006/04/07 [Fri] 21:28:26 » E d i t
最高裁平成18年3月30日判決は、いわゆる国立マンション訴訟について、上告を棄却しましたが、「良好な景観に近接する地域内に居住し,その恵沢を日常的に享受している者は,良好な景観が有する客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有するものというべきであり,これらの者が有する良好な景観の恵沢を享受する利益(以下「景観利益」という。)は,法律上保護に値する」との判断を示しました。この国立マンション訴訟最高裁判決について検討してみたいと思います。


1.国立マンション訴訟について簡単に振り返ってみます。読売新聞(平成18年3月31日付朝刊)によると、

 「国立マンション訴訟

 2000年1月、桜とイチョウの並木が続く国立市内の通称『大学通り』沿いでマンション建設が始まり、同市は翌月、建物の高さを制限する条例を施行したが間に合わず、周辺住民が提訴。東京地裁は条例の制限を越える高さ(7階以上)の撤去を命じたが、2審は景観利益を認めない逆転敗訴の判決を言い渡した。」

という事件・訴訟経過でした。

この高層マンションの建築をめぐっては、建築主である明和地所と周辺住民(49名など)だけでなく、行政当局(東京都及び国立市)をも巻き込んで、双方から様々な紛争が裁判所に持ち込まれています。例えば、建築禁止仮処分申立事件条例無効確認事件国家賠償請求事件建築物撤去命令等請求事件などです(小林学「法学新報第110巻第11=12号」(平成16年)211頁参照)。
平成18年3月30日に出た最高裁判決は、建築物撤去命令等請求事件に関してのものです。




2.国立市は、マンション建設開始後、建物の高さを制限する条例を施行したわけですが、これに対して、「後出しジャンケン、後出し条例、事後法規制」であるから、不当であるという意見があります。そこで、このようなマンション建設といった財産権(営業の自由)を事後的に規制することは不当なのでしょうか? 事後法による既存の権利の内容に対する遡及的規制の合憲性が問題となります。


これに関して、野中=中村=高橋=高見「憲法1」(第4版)(平成18年)467頁~によると、
 

「新たに制定ないし改正された法律は、本来、その施行以前の関係にさかのぼって適用されないのが原則である(法律不遡及の原則)。そうでなければ、既得権を害したり、過去にされた予測を裏切ったりして、法的安定が害されるからである。それは、とくに刑罰に関して事後法の禁止として憲法上厳格に遡及効が禁止されている。

 しかし、その他の法領域においては、この原則は、立法政策上の指導原則でしかなく、したがって、既得権を害しない場合や、既得権者を害しても新法を遡及して適用するのが妥当であると考えられる場合など、種々の政策判断に基づいて、しばしば破られることがある。

 最高裁もまた、1971年の国有農地等の売払いに関する特別措置法2条・同法附則2項に基づいて政令により、買収目的の消滅した農地を旧地主に売却する価格が買収対価相当額から時価の7割に変更されたこと(国有農地等の売払いに関する特別措置法施行令1条)を合憲とした判決のなかで、これを次のように述べる。

 「憲法29条1項は、『財産権は、これを侵してはならない。』と規定しているが、同条2項は、『財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。』と規定している。したがつて、法律でいつたん定められた財産権の内容を事後の法律で変更しても、それが公共の福祉に適合するようにされたものである限り、これをもつて違憲の立法ということができないことは明らかである。そして、右の変更が公共の福祉に適合するようにされたものであるかどうかは、いつたん定められた法律に基づく財産権の性質、その内容を変更する程度、及びこれを変更することによつて保護される公益の性質などを総合的に勘案し、その変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかによつて、判断すべきである。」

 こう述べたうえで、上記売却価格の変更について、社会経済秩序の保持及び国有財産の処分の適正という公益上の要請と旧地主の権利との調和を立法政策的にはかったものであり、旧地主の権利に対する合理的制約として憲法上容認されるとした(最大判昭和53年7月12日民集32巻5号946頁)。」

としています。


要するに、民事法については事後的規制立法は禁じられていないのです(憲法上の通説)。禁じられていないのは、刑事法と異なり(憲法39条)、民事遡及法は憲法上禁じられていないのですし、既存の財産権に新たに規制する立法は実質的には財産権を遡及的に規制することになるのですから、事後的規制が禁止されるとなると、必要性があっても財産権制限立法は全くできなくなり不当な結果となるからです(戸波「憲法判例百選1(第3版)201頁)。

最高裁も、財産権の事後的規制は公共の福祉に適合している限り合憲であり、公共の福祉に適合しているかどうかを判断するために、財産権の性質、内容変更の程度、変更することによって保護される公益の性質、などを総合して勘案すべきであるとしています。この基準も、憲法上の学説は妥当としています(戸波・前掲201頁)。


ちなみに、明和地所が国立市及び国立市長に対して、地区計画及び建築条例の無効確認を求める訴えについて、東京高裁平成17年12月19日判決は、市の一連の行為を営業妨害と認めましたが、条例や地区計画の内容自体は適法として、無効確認の請求は棄却しています。

また、最高裁平成18年3月30日判決も、

「国立市は,同年2月1日に至り,本件改正条例を公布・施行したものであるが,その際,本件建物は,いわゆる根切り工事が行われている段階にあり,建築基準法3条2項に規定する「現に建築の工事中の建築物」に当たるものであるから,本件改正条例の施行により本件土地に建築できる建築物の高さが20m以下に制限されることになったとしても,上記高さ制限の規制が本件建物に及ぶことはないというべきである。」

として、高さ制限条例がこの建物に及ばないとしていますが、元々、高さ制限条例自体を違法であるとは判断していないのです。
むしろ、最高裁も高さ制限条例自体は適法と判断しているというべきでしょう。高さ制限条例自体が違法であるなら、高さ制限条例がこの建物に及ばないと判示する必要はないのですから。




3.このようなことから、憲法学上は、マンション建設といった財産権(営業の自由)を事後的に規制しても、事後的規制ということだけで不当とはしていないのです。
言い換えれば、憲法上の通説・判例は、「後出しジャンケン、後出し条例、事後法規制」であるから、不当であるという意見を採用していないのです。

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2006/04/03 [Mon] 00:05:14 » E d i t
オウム真理教元代表、松本智津夫(麻原彰晃)被告について、控訴審の東京高裁は、期限までに弁護側が控訴趣意書を出さなかったとして控訴を棄却したわけです。
ここで問題となったのは控訴趣意書です。そこで、「オウム松本被告の控訴棄却~東京高裁の控訴棄却の判断は妥当なのか?」というエントリーでも触れたのですが、控訴審の弁護人にとっての弁護活動のポイント、特に控訴趣意書にどういうことを書くのか? について触れてみたいと思います。


1.控訴趣意書にはどういうことを書くのかというと、上口=後藤=安冨=渡辺「刑事訴訟法(第3版)」(2002年)220頁によると、
 

「控訴趣意書には、原判決を攻撃する理由を具体的に書かなければならない。たとえば、法令適用の誤りを主張するならば、原判決の法適用のどの点がどのように誤っているかを指摘する。訴訟手続の法令違反・事実誤認・量刑不当のように、その事件に特有な事実に関わる控訴理由を主張する場合には、控訴趣意書の中でその主張を、事実をもって裏付けなければならない。」

としています。
これは、刑事訴訟法という法律が最低限要求しているものであって、これだけ知っていても全然イメージがつかめないと思います。そこで、次にもう少し具体的に示してみようと思います。




2.大出良知=川崎英明=神山啓史=岡崎敬・編著者「刑事弁護」(1993年)162頁~では、「控訴審における弁護活動の留意点」という表題において、次のように書かれています。
  

 「弁護人としては、被告人から不服の理由を十分に聞いた上、第1審判決を分析し、説得力ある控訴趣意書を作成する必要がある。控訴審の弁護活動のポイントは第一にこの説得力ある控訴趣意書の作成にかかっているといえる。
 
 また、控訴審における審理においては、裁判所が証人の採用等を極端に制限する傾向がある。そのような状況にあって、いかに証人採用をさせ、また、採用された証人からどのような事実を引き出すかということが重要となる。」


 「 弁護活動のポイント

(1) 控訴趣意、控訴審の基本方針の決定
  <1>被告人の不服の内容とその対応
   被告人の不服の理由で多いものは、量刑不当、事実誤認、気持ちの整理がつかない、その他(前刑の執行猶予期間の満了の時期との関係など)、などである。

   控訴趣意の内容、控訴審の弁護方針は、被告人の1審判決に対する不服内容により異なってくる。したがって、控訴審の弁護方針を立てるにあたっては、被告人の1審判決に対する不服内容を十分に聞いた上で立てる必要がある。『被告人こそが最大の弁護人』といわれるが、被告人の不服の内容を十分に聞くことにより、事件の特色、問題点を把握でき、控訴審の弁護方針も立ってくることが多い。第1審判決の問題点も被告人の不服内容を聞いた上で分析すると問題点がより鮮明になってくることが多い。

  <2>控訴趣意書差出期間の確認、順守
   控訴趣意書の差出期間が控訴裁判所から指定されているので、差出期間を確認した上で、控訴趣意書の作成の準備にとりかかる。差出期間を順守するのは当然であるが、万一の場合等に備えて差出期間最終日より少し前に控訴趣意書を完成して、控訴裁判所に提出するのが望ましい。

   なお、受任した事件が難事件で、控訴裁判所が指定した差出期間までにはとうてい控訴趣意書の提出が困難と考えられる場合は、控訴裁判所にその理由を説明した差出期間延長の上申書等を提出して延ばしてもらう(ただし、認められなかった場合は、差出期間までに控訴趣意の骨格を提出し、後に補充書を提出する)。


(2) 説得力ある控訴趣意書の作成
  <1>被告人の不服内容を十分に聞くこと
   事実誤認を不服としている場合は、抽象的に不服の内容を聞くのでなく、判決、調書等を十分分析した上、具体的に不服内容を聞いて詰める必要がある。事実関係は認めていて量刑不当が中心の場合は、被告人が不当と考える理由を具体的に聞くとともに、第1審判決後の心境の変化等を聞き、控訴趣意に生かす。

  <2>判決・記録の分析
   判決と証拠を照らし合わせながら、裁判官の心証形成に重要な影響を与えたのは何かを分析し、把握する。その上で、証拠価値、信用性の分析、未提出証拠、新たな証拠の可能性を検討する。

   なお、記録を検討するにあたっては、弁護人としての問題意識に従って整理し直すことが大切である。とくに、事実誤認を争う場合等は、時間的順序に従って整理し直して、捜査の流れ等を分析するのが有効である。

  <3>新たな証拠、未提出証拠収集の努力
   (a)未提出証拠の収集
   第1審の記録を検討してみると、当然存在すると考えられる証拠で第1審で法廷に提出されず、証拠調べがされていないものが存する場合がある。例えば、殺人被告事件で、被害者がまだ意識がしっかりしているときに救急車で運ばれたにもかかわらず、救急隊員の供述調書が法廷に提出されていない場合等である。

   未提出証拠については、被告人から事件当時の状況、取調べ状況等について詳しく聞くと推認できる場合が多い。たいていの場合、そのような証拠は被告人に有利なことが多い。その場合、まず、検察官に対して未提出証拠を提出するよう交渉すべきである。検察官が提出しない場合は、弁論期日に裁判官に証拠の重要性を説明して、検察官に提出を促せるようにする。それでも提出しない場合は、証拠開示の申立を活用してみるべきであろう。

   (b)新たな証拠の収集
   被告人に有利な新たな証拠の収集を検討してみること。例えば、第1審の段階で被害者と示談が成立していないような場合、その原因を分析し、示談を成立させ、そのことを控訴趣意書に記載するとともに、示談書を証拠として提出するようにする。」



これを読むと、「控訴審の弁護活動のポイントは第一にこの説得力ある控訴趣意書の作成にかかっている」という意味について、少しは具体的なイメージがつかめたと思います。




3.もっとも、上の引用した文章を読むと、控訴趣意書を作成するに当たっては、被告人の不服を聞いて書くだけでなく、もっと色々なことを積極的に行っていると分かると思います。これは、控訴審における弁護士の役割と関係するのだと思います。

 

「上訴弁護は、1審の公判弁護と様相をまったく異にする。
 1審の公判弁護は、文字どおり、防御(defense)で受け身だったが、上訴弁護は、攻守ところを代え(むろん被告人上訴の場合)、弁護側が積極的に主張しなくてはならないからである。

 換言すると、上訴審で、弁護人が何もしないと、原判決が覆ることは絶対にない。つまり、上訴審の弁護に携わる弁護人は、1審の公判弁護とは異なる技能を身につけなくてはならない。刑事弁護人は、捜査段階では「捜査弁護士」の技術を、公判段階では「公判弁護士」の技術を必要としたが、上訴弁護では「上訴弁護士」の技術が必要なのである。」(佐藤啓史「展開講座 刑事弁護の技術と倫理」法学教室306号90頁)


要するに、被告人控訴の場合、弁護人が何もしないと、原判決が覆ることは絶対にないのですから、控訴審における弁護は、原判決を覆すようにするため、弁護側が積極的に主張しなくてはならないのです。

そして、この控訴審の勝敗を決めるのは、控訴趣意書なのですから(笠松義資「刑事控訴審の問題点」日弁連編『昭和42年度特別研修叢書』(1968年)260頁など)、控訴趣意書の作成が、控訴(上訴)弁護としてもっとも重要となるのです(佐藤「展開講座 刑事弁護の技術と倫理」法学教室306号90頁)。




4.色々書いてきましたが、第1審に対する被告人の不満を表現するのが控訴ですから(佐藤・前掲96頁)、控訴審における刑事弁護においては、被告人の話を聞くのはごく基本的なことです。

よくよく考えれば、刑事弁護において弁護人が被告人の話を十分に聞くのは、当然のことです。それは、「弁護人の任務とは、依頼者である被告人に誠実に尽くすこと、すなわち、誠実義務にほかならない」(佐藤啓史「展開講座 刑事弁護の技術と倫理」法学教室297号99頁)のですから、被告人の話を聞くことなく、被告人の不服を無視することは、誠実義務に反するのですから。


弁護人が被告人から不服の理由を十分に聞いたうえで、控訴趣意書を書くこと。これは、控訴審における刑事弁護として、誠実義務を負っている弁護人としても、最も重要でごく基本的な弁護活動なのです。刑事控訴審の弁護に携わる弁護人であれば、誰もが知っているごく当然の基本事項といえるのです。
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2006/04/02 [Sun] 05:51:22 » E d i t
民主党の前原代表は3月31日午後、党本部で記者会見し、永田衆議院議員の送金メール問題で混乱を招いた責任をとって代表辞任を表明しました。鳩山幹事長ら執行部も総退陣するそうです。この前原代表辞任について、朝日新聞の解説を引用しながらコメントしてみたいと思います。


1.前原代表辞任について、朝日新聞(平成18年4月1日付朝刊2面)での東野真和記者の解説によると、
 

未熟さ露呈、体質改善を

 民主党再生を託されての代表就任から、わずか半年余り。メール問題で迷走を続けた末の前原氏の辞任劇は、党首としての未熟さと、二大政党の一翼を担うべき民主党それ自体の未熟さを2つながらにあぶりだす結果となった。この期に及んでの党内議員の当事者意識の薄さを克服できなければ、何度でも同じことが繰り返されかねない。

 あえて敵を作り、トップダウンで事を運ぼうとしてきた前原氏は、その手法では小泉首相にも擬せられた。党が支援を受けてきた労働組合に『言われた通りにするわけではない』と突きつけ、安全保障政策では党内の反発を承知で持論を展開した。

 だが、手法こそ似ていても、首相のようにはいかなかった。党内を掌握するための布陣もなければ、独自色を出そうとした政策課題も国民世論を意識しての選択だったとは言い難い。

 政策担当能力を示そうとはやるあまり、肝心の野党としての仕事が後回しになった。格差社会が小泉改革の負の部分として焦点に浮かび、政権追及の好機を迎えたその時にメール問題で自滅したのは、党が託された役割を見失っていた結果ではなかったか。

 事態をここまで悪化させたのは、ひとり前原氏のせいではない。メール騒動の結末が深刻なのは、前原氏の未熟さをほとんど放置してきたといってよい党の姿にある。

 党内では、前原氏の若さが裏目に出たとして、次の代表は経験豊富な小沢一郎前副代表や菅直人元代表らの再登板に期待する声が強い。

 だがメール騒動のさなか、ベテラン議員たちは前原執行部を遠巻きに眺めるばかりだった。中堅や若手は、それぞれに政策立案に打ち込むのは良いが、党の危機的状況には傍観姿勢が目立つ。31日の両院議員総会で、前原執行部が総退陣の経緯を説明したのに、会場から何ひとつ意見がなかったのは、党の現状を照らして象徴的だった。

 鳩山由紀夫氏、菅直人氏、岡田克也氏に続き、代表の任期途中での辞任は前原氏で4人連続となった。今度こそ必死で立て直しを図らなければ、政権交代可能な二大政党制は遠のくばかりになる。」

としています。




2.前原代表は、小泉首相からたびたび激励され、可愛がられているような態度を受けても、ニコニコしているのですから、まるで小泉首相の子分のようでした。与党である自民党と闘う野党の党首でありながら、小泉首相から子分扱いされているのに、怒ることなくニコニコしていたのですから、元々野党の党首として不適格だったと思います。

「メール問題で迷走を続けた末の前原氏の辞任劇は、党首としての未熟さ……を……あぶりだす結果となった」と解説していますが、未熟以前の問題であったように思います。



「あえて敵を作り、トップダウンで事を運ぼうとしてきた前原氏は、その手法では小泉首相にも擬せられた。」わけですが、なぜ前原代表は小泉首相の真似をしたのでしょうか? 与党に小泉首相がいるのですから、野党でミニ小泉代表を気取ってみてどういうつもりだったのか、訳が分かりません。同じモノだったらニセモノではなく、オリジナルの方を、有権者は支持すると思うからです。



「格差社会が小泉改革の負の部分として焦点に浮かび、政権追及の好機を迎えたその時にメール問題で自滅したのは、党が託された役割を見失っていた結果」としていますが、追及手段を欲張りすぎて失敗しただけように思えます。まるで、イソップ物語に出てくる「橋の上の犬」の話のようです。



この解説では、「事態をここまで悪化させたのは、ひとり前原氏のせいではない。……前原氏の未熟さをほとんど放置してきたといってよい党の姿にある。」とか「メール騒動のさなか、ベテラン議員たちは前原執行部を遠巻きに眺めるばかりだった。中堅や若手は、それぞれに政策立案に打ち込むのは良いが、党の危機的状況には傍観姿勢が目立つ。」としています。

ミニ小泉状態にある前原代表なのですから、何を言っても勝手に行ってしまうことが目に見える以上、ベテラン議員が前原代表を支援するはずがありません
また、衆議院選挙の際に選挙対策をしていた中堅議員は、責任を問われることなく前原執行部に入っていますから、中堅若手議員は、目立たないようにしていれば、何とかなると思っていたのではないでしょうか。

いずれにしても、前原執行部は執行部だけで勝手に行っているのですから、ベテラン議員、中堅若手議員は誰も協力しない、傍観しているのも当然なこととも思えるのです。



この解説では、「鳩山由紀夫氏、菅直人氏、岡田克也氏に続き、代表の任期途中での辞任は前原氏で4人連続となった。今度こそ必死で立て直しを図らなければ、政権交代可能な二大政党制は遠のくばかりになる。」としています。しかし、辞任理由はいずれも違うのですから、「任期途中での辞任」だからといって、「今度こそ必死で立て直しを」図らなければならないという論理にはならないと思います。

むしろ、「今度こそ」前原代表のように、独断で勝手に突っ走って自滅するような代表ではなく、真っ当な代表を民主党は選んでほしいと思うのです。



朝日新聞のこの記者は「二大政党制」を強調するのですが、先に二大政党制があるのではないのです。真っ当な代表のいる、真っ当な野党が存在し、国民の政治意思形成に役立つことこそ、議会制民主主義に必要なのであって、それで十分なのです。
真っ当な代表のいる、真っ当な野党が存在することこそ、議会制民主主義には必要なのであって、「政権交代可能な二大政党制」は二の次の問題だと思うのです。




前原代表を厳しく批判し、「日本に二大政党制の政治体制を作る『政治改革』の試みは失敗に終わった」とまで述べているのが、「世に倦む日日」さんの「前原辞任-今宵勝利の美酒に酔い、生ける屍民主党を憂う」というエントリーです。こちらもぜひご覧下さい。

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