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2006/03/28 [Tue] 06:11:33 » E d i t
平成18年3月27日、東京高裁は松本被告について控訴棄却の決定を下しました。この控訴棄却の決定について検討したいと思います。


1.asahi.com(2006年03月27日21時00分)によると、
 

オウム松本被告の控訴棄却 死刑確定の可能性

 オウム真理教元代表、松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)について、控訴審の東京高裁(須田賢裁判長)は27日、一審の死刑判決を不服とした弁護側の控訴を棄却し、裁判の手続きを打ち切る決定をした。『裁判所が決めた期限までに弁護側が控訴趣意書を出さず、かつ被告が訴訟能力を持つことに疑いはない』と理由を述べた。弁護団は直ちに高裁に異議を申し立てる意向を示した。決定が今後の不服申し立て手続きでも覆らなければ、地下鉄、松本両サリン事件など未曽有のテロ事件の首謀者とされ、13の事件で殺人などの罪に問われた『教祖』の公判は、起訴から約11年を経て、控訴審で一度も公判が開かれないまま死刑が確定する。

 ◆なぜ打ち切りか

 刑事訴訟法や刑事訴訟規則は、提出期限までに控訴趣意書が提出されなかった場合、裁判所は『やむを得ない事情』がある時を除いて決定で控訴棄却をしなければならないと定めている。

 弁護団は『被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない』として、期限の昨年8月末までに趣意書を出さなかった。被告の訴訟能力の有無を控訴審最大の争点と位置づける弁護団にとって、趣意書を提出すれば、訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうことになるからだった。

 弁護団は今月28日に提出すると明らかにしていたが、その前日に決定が出た。決定は「現在直ちに提出したとしても、遅れは『やむを得ない事情に基づくもの』とは認められない」と述べた。

 今回の決定で高裁は、弁護人が趣意書を提出しなかった事情について、真摯(しんし)な努力を最大限尽くしたが完成できなかったなどの理由によるのでなく、既に完成し、提出できる状態なのにあえて提出しなかった、と指摘。『裁判所の鑑定方法について希望がいれられなければ趣意書を提出できない、という考えに固執したためで、不提出は正当化できない』と述べた。

 さらに、『被告から実質審理を受ける機会を奪う重大な結果を招くおそれをもたらすもので、被告の裁判を受ける権利を擁護する使命を持つ弁護士として極めて問題がある』と非難した。

 ◆訴訟能力は

 高裁は続いて被告の訴訟能力を検討。『話す能力があるのに一審の弁護人とほとんど意思疎通を図らないという態度を貫き、控訴審でも弁護人への不信、非協力の姿勢は変わっていない』とした。そのうえで(1)一審公判段階では、訴訟能力を欠くに至ったという疑いは生じない(2)控訴審以降も、東京拘置所での日常生活を見れば、一審公判の終盤と基本的には変わらない(3)高裁が依頼した精神科医の『訴訟能力がある』とした鑑定意見は肯定できる――などから、『訴訟能力に欠けているとは言えない』と判断した。

 ◆今後どうなる

 弁護団は3日以内に異議を申し立てることができる。異議審は、裁判を打ち切った手続きに誤りがないか、決定をした第10刑事部とは別の第11刑事部が非公開で審理する見通しだ。(1)被告に訴訟能力があるかどうか(2)弁護団の行為を理由に被告から高裁での実質審理を受ける機会を奪う不利益を与える今回の決定は、憲法の保障する『裁判を受ける権利』を侵害しないかどうか――などが争点になるとみられる。

 異議が認められれば公判が始まったり、被告の精神状態の治療のために公判停止となったりする可能性がある。退けられた場合、弁護側は最高裁に特別抗告できるが、これが退けられれば、死刑が確定する。一般的には、こうした異議や特別抗告が認められる例は少ない。」

としています。

決定要旨の全文は、「山陰中央新報―東京高裁決定要旨」をご参照下さい。


この東京高裁決定に対して弁護団の声明が出ています。asahi.com (2006年03月27日20時10分)によると、

 「麻原被告の弁護団、控訴棄却に抗議声明

 控訴棄却の決定を受け、麻原被告の弁護団は抗議声明を発表した。声明は次の通り。

 麻原彰晃氏の件でたった今東京高裁第10刑事部より電話で『控訴棄却決定をした。被告人本人に送達した』との連絡があった。

 弁護人が依頼した6人の医師が訴訟能力なしとの鑑定意見を出す中で、裁判所選任の医師が訴訟能力ありとの判断を示したところから、裁判所がすべてを秘密裏に進めようとしていることに重大な危惧(きぐ)を抱いたため、弁護人は公開の法廷における控訴審の進行を決断し、3月28日までに控訴趣意書を提出することを高裁に伝えた。その矢先の控訴棄却決定であった。

 元来、公判を停止して麻原氏を治療するべきであるにもかかわらず、控訴審を開くどころか控訴棄却としたものであって、裁判所がすべてを闇の中に葬り去ろうとしていることは明らかであり、棄却決定は文字どおりの暴挙である。

 弁護人は裁判所の暴挙を絶対に許すことができない。直ちに棄却決定が無効であるとして異議申し立て手続きを取ると同時に、可能な限りの手段を講じて裁判所の暴挙を糾弾してゆく。 」

としています。




2.この高裁決定で問題となった条文について引用しておきます。

刑訴法第314条1項(公判手続の停止)  
 被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。

刑訴法第376条1項(控訴趣意書)
 控訴申立人は、裁判所の規則で定める期間内に控訴趣意書を控訴裁判所に差し出さなければならない。

刑訴法第386条1項(控訴棄却の決定)
 左の場合には、控訴裁判所は、決定で控訴を棄却しなければならない。
  1 第376条第1項に定める期間内に控訴趣意書を差し出さないとき。

刑事訴訟規則第238条(期間経過後の控訴趣意書)
 控訴裁判所は、控訴趣意書を差し出すべき期間経過後に控訴趣意書を受け取った場合においても、その遅延がやむを得ない事情に基くものと認めるときは、これを期間内に差し出されたものとして審判をすることができる。

*314条にいう「心神喪失の状態」とは、訴訟能力、すなわち、被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当の防御をすることのできる能力を欠く状態をいう(最高裁平成7年2月28日決定)。






3.弁護団は、松本被告が精神異常の状態にあって全く意思疎通ができないので、訴訟能力が欠けていると判断しました。そのため、公判手続の停止(刑訴法314条)を求め、また、提出期間を経過しても控訴趣意書を提出できないとしたわけです。
このような事情の下において、東京高裁が控訴棄却とした決定は妥当でしょうか? この事案のように、控訴趣意書の提出期限を過ぎている場合でも適法な提出となりうるのかが問題となります。


(1) 青柳=朝倉他「註釈刑事訴訟法」(第4巻)(昭和56年)71頁~・伊藤=亀山=小林他「新版注釈刑事訴訟法」<新版>(第6巻)(平成10年)83頁によると
  

最終日経過後の提出は原則として適法な控訴趣意書の提出とはいえず386条1項1号により控訴棄却の決定の理由となるが、控訴裁判所がその遅延がやむを得ない事情に基づくものと認めるときは、これを期間内に提出された適法なものとして審判の対象とすることができるものとされている(規則238条)。

 遅延がやむを得ない事情に基づくか否か、したがって期間内に差し出したものとして審判するか否かは控訴裁判所の裁量に属するが(最高裁昭和26年3月22日決定、最高裁昭和26年12月22日決定)、やむを得ない事情に基づくものとされた例として、札幌高裁昭和28年7月8日決定…は、最終日の午後11時53分頃控訴趣意書を持参し、控訴裁判所の構内にある宿直室の外部から就寝中の宿直職員を呼び起こしたが目をさまさなかったため一応帰宅し、翌日午前6時30分過ぎ宿直室の机の上に右趣意書を置いて帰り、更に同日午前9時頃同裁判所書記官室に赴き書記官にその事情を説明し了解を得たという事情があるときは、やむを得ない事情に基づく場合に当たるとし、また、やむを得ない事情に基づくものとはいえない例として、東京高裁昭和30年1月24日決定…は、控訴趣意書提出期間内に控訴趣意書を提出せず、裁判所より念のため趣意書を出したかどうかの照会書を受領後、9日後に提出した場合にその遅延が特にやむを得ないと認められる事情がないときは、趣意書提出の遅延がやむを得ない事情に基づくものとは認められないとし、最高裁昭和32年4月23日決定…は、控訴趣意書提出最終日が弁護人側から数回にわたり延期申請があったためその都度延期され、しかもその延期された期限から1箇月以上も遅れて提出されたときは、やむを得ない事情に基づくものとはいえないとする…。」

としています。


この松本被告の事案の場合、提出期間である8月末を経過しても控訴趣意書していないので既に半年以上も期限を過ぎているのですから、1箇月以上提出期限を過ぎた場合にも最高裁昭和32年4月23日決定は「やむを得ない事情に基づく」とはいえないとしたのですから、今後提出しても適法な提出と評価するのは難しそうです。

また、裁判所が控訴趣意書の提出期限を徒過後、数度にわたって直ちに提出することを強く求めたのに提出していないのですし、それに、「真摯(しんし)な努力を最大限尽くしたが完成できなかったなどの理由によるのでなく、既に完成し、提出できる状態なのにあえて提出しなかった」(朝日新聞)のですから、この点でも「やむを得ない事情に基づく」というのは難しそうです。



(2) このように、高裁決定が行った控訴棄却の決定は妥当なものと評価でき、この事案のように控訴趣意書の提出期限を過ぎている場合、例え後に提出しても適法な提出とはいえないはずなのですが、控訴趣意書の重要性について、この決定要旨は触れていないのが気になります。

大出=川崎=神山=岡崎編「刑事弁護」(日本評論社、1993年)162頁によると、
 

  「弁護人としては、被告人から不服の理由を十分に聞いた上、第1審判決を分析し、説得力ある控訴趣意書を作成する必要がある。控訴審の弁護活動のポイントは第一にこの説得力ある控訴趣意書の作成にかかっているといえる。…

 控訴趣意の内容、控訴審の弁護方針は、被告人の1審判決に対する不服内容により異なってくる。したがって、控訴審の弁護方針を立てるにあたっては、被告人の1審判決に対する不服内容を十分に聞いた上で立てる必要がある。『被告人こそが最大の弁護人』といわれるが、被告人の不服の内容を十分に聞くことにより、事件の特色、問題点を把握でき、控訴審の弁護方針も立ってくることが多い。第1審判決の問題点も被告人の不服内容を聞いた上で分析すると問題点がより鮮明になってくることが多い。…」

としています。

要するに、説得力ある控訴趣意書を作成するには、被告人から不服の理由を十分に聞くことが不可欠であり、これこそが控訴審の弁護活動のポイントなのであって、被告人との意思疎通は控訴審での方針を決めるほど重要性があるということです。これほどまでに控訴趣意書は重要だということなのです。ただ期限に間に合うように控訴趣意書を出せばよいわけではないのです。

この事案では、弁護団は松本被告と全く意思疎通ができていません。そうなると、まともな控訴趣意書を作成できず、その結果、最初から控訴審での十分な弁護活動ができないことになるのです。だからこそ、弁護団は、控訴趣意書を出さなかったわけで、この決定に対して、弁護団は「裁判所の暴挙を絶対に許すことができない」といった激しい口調の声明を発表したわけです。
 
朝日新聞は「被告の訴訟能力の有無を控訴審最大の争点と位置づける弁護団にとって、趣意書を提出すれば、訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうことになるからだった。」と書いていますが、そうではなく、説得力ある控訴趣意書を出すことが重要だから、不十分なままでは意味がないとして提出しなかったと推測します。それに控訴趣意書を出することと、訴訟能力を認めることは無関係でしょう。訴訟能力があるかどうかは、医者の意見などを聞いて裁判所が決定する問題なのであって、控訴趣意書で訴訟能力を判断するわけではないのですから。

この高裁の裁判官も弁護団と被告人が意思疎通できていないことを知っているはずですし、そうなると説得ある控訴趣意書は作成できないことも分かっているはずです。それにもかかわらず、高裁決定要旨では、意思疎通できない点について触れていませんが、高裁はそれでいいと考えているのでしょうか?

この高裁決定が妥当な判断だとすると、被告人側と意思疎通できず、不十分な控訴趣意書で構わないということになってしまいます。それでは、控訴趣意書の重要性を軽視した判断となってしまうのです。



(3) そうはいっても高裁決定は従来の判例に沿った判断ですから、この決定に不服があるとして、異議の申立(刑訴法386条2項)をしても、決定の内容に誤りがあることを発見した場合に限って認められるだけですから(最高裁昭和50年7月10日決定)、認められることはかなり困難でしょう。
また、特別抗告(刑訴法433条1項)を行うとしても、憲法違反や判例違反の場合に限るのですから、この特別抗告が認められることも困難でしょう。

そうなると、第2審・最高裁で全く実質審理なしに死刑判決が確定する可能性が高いことなります。このことは既にどこの報道機関でも報道しているとおりです。


過ぎてしまったことは仕方がないのですが、弁護団は提出期限内に控訴趣意書の骨子でも提出していれば、後に補充書を提出することもできたのですから、こんなことにはならなかったのです。


弁護団の判断ミスがあるとはいえ、第2審・最高裁で全く実質審理なしで判決が確定する結果となると、これほどの凶悪重大事件について、犯罪を行ったとされる松本被告の意図がはっきりしないまま訴訟が終結するのですから、十分な真相の究明(刑訴法1条)がなされないままになってしまいます。10年という長期間に及ぶ裁判ですから、確定しても良いとの意見もあり、その気持ちは分かりますが、このような手続的瑕疵で終結してしまうことは、訴訟として不健全なことは確かです。なんとか真相の究明のため審理を行う道が無かったのか、わだかまりが残る結果となりそうです。
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テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

2006/03/26 [Sun] 06:45:01 » E d i t
いわゆる筋弛緩剤事件の控訴審は、平成18年3月22日に無期懲役を言渡しました。控訴審においては、弁護側の証拠申請が殆ど却下され、弁論を開くことなく結審しました。そこで、控訴審での証拠調べと、弁論なしの結審・判決は適法なのでしょうか? について検討したいと思います。


1.読売新聞(平成18年3月23日付朝刊)によると、
 

筋弛緩剤事件 守被告2審も無期
  
 仙台市泉区の北陵クリニック(2002年廃院)で筋弛緩(しかん)剤を患者の点滴などに混入したとして、1件の殺人罪と4件の殺人未遂罪に問われた元同クリニック勤務の准看護師守(もり)大助被告(34)の控訴審判決は22日午後、仙台高裁で判決理由の朗読に続き、主文が言い渡された。田中亮一裁判長は『5事件すべてを守被告の犯行と認定した原判決に事実誤認はない』として、求刑通り無期懲役を言い渡した1審・仙台地裁判決を支持し、守被告側の控訴を棄却した。弁護側は「実質審理をせず、1審以上に推論を重ねている」と、即日上告した。…

 この日の公判冒頭、弁論再開を求めて発言を続けた弁護団7人のうち4人と、守被告は退廷を命じられ、被告不在のままの主文言い渡しとなった。

 判決後、会見した弁護団は鑑定請求をすべて却下されたことを挙げ、『科学的判断をせずに1審判決をそのまま引用したような全くの不当判決。最高裁でも無実であることを真正面から訴える』と述べた。

 退廷を命じられたことについても『遺憾だし、不当な訴訟指揮だ』と反発した。」

としています。


公判での訴訟手続の状況については、読売新聞(平成18年3月22日付夕刊)によると、

 「守被告・弁護人に退廷命令

 …午前10時5分、仙台高裁101号法廷。紺のブレザーにグレーのズボン姿の守被告が緊張した面持ちで入廷。支援者が手を振っているのを見つけ、笑みを浮かべて被告席についた。

 弁護団7人は判決言い渡しの前に『弁論させてほしい。弁論した上で判決を言い渡すのがルールだ』と求めた。しかし、田中亮一裁判長は『昨年10月の4回目の公判で弁護人は最終弁論せずに退廷した。これは弁論権の放棄だ』と制止。それでも、従わずに発言し続ける4人に次々と退廷を命じた。そのたびに守被告は立ち上がり、『今後ともよろしくお願いします』と弁護人に頭を下げ、田中裁判長に『発言しないでください』と注意された。

 同10時半、田中裁判長が判決理由を述べ始めると、今度は守被告が『ぼくの言いたいことはいつ言えるのか』と発言。田中裁判長は『発言を禁止します』と制したが、守被告は『どうしてですか』『退廷になっても構いません』と続けたため、田中裁判長が退廷を命じた。守被告は、刑務官に両腕を抱えられて法廷から連れ出されたが、出口付近で『ぼくは絶対やってません』と叫んだ。」

としています。



控訴審での公判手続の状況についての詳細は、日本国民救援会宮城県本部さんのHPにあります。その中の「北陵クリニック事件のページ」を見ると、「控訴審公判の概要」が出ています。

それによると、

第1回控訴審公判(2005年6月15日)では、控訴趣意書についての弁論を行ったこと
第2回控訴審公判(2005年6月29日)では、弁護側が求めていた橋本東北大名誉教授に対する証人尋問の項目と日程が取り上げられたこと
第3回控訴審公判(2005年7月20日)では、橋本東北大名誉教授に対する証人尋問が行われたこと、裁判長は弁護側が申請したすべての証人、証拠、鑑定を却下、被告人質問も認めないまま、事実の取調べを終了すると述べたため、弁護側が抗議したこと、それでも実質審理打ち切りを示し、11月2日か9日を最終弁論とし、結審したいと告げたが、弁護側は拒否し鑑定の採用を主張し、次期期日を決めないまま終了したこと
第4回控訴審公判(2005年10月5日)では、弁護団が申請していた証拠開示請求、鑑定請求を却下したため、異議を述べ、弁護人は退廷したこと、傍聴席からの抗議が止まらなかったため、裁判長は次回日程を決めず、閉廷して退廷したこと、その後マスコミ報道を通じて、判決公判期日は2006年3月22日であると判明したこと




ここでまとめておくと、控訴審では4回だけ公判が開かれ、実質的な内容としては、橋本東北大名誉教授に対する証人尋問だけが行われたということです。証人尋問は事実の取調べ(刑訴法393条)の1つです(松尾「刑事訴訟法下」(平成9年)227頁)。

また、第3回公判では、裁判長は11月2日か9日を最終弁論とし、結審したいと告げたが、弁護側は拒否して次期期日を決めないまま終了し、第4回公判では、抗議した弁護人が退廷し、裁判長は次回日程を決めず、閉廷して退廷したことからすると、第3回公判で最終弁論の期日を示唆はしましたが、結局は最終弁論期日を決めず、最終弁論なしで結審したといえます。




2.ここでまず、控訴審における公判手続について紹介します。三井誠=酒巻匡「入門刑事手続法(第3版)」(2001年)229頁~・233頁~によると、
 

「控訴審の審判においても、原則として第1審の公判手続の規定が準用されますが、第1審判決の瑕疵の有無を判断することが任務とされているために、次のような特色があります。

 まず、当事者は、控訴理由を適切に指摘したり、相手方の主張に十分反論する必要がありますので、高度の法律知識を必要とします。そこで専門家である弁護士以外の弁護人(特別弁護人)の選任は許されないことになっています。また公判への被告人の出頭は、権利とされている(したがって公判期日の召喚状は第1審と同様、かならず送達されていなければなりません)ものの義務ではなく、公判閉廷の要件ともなっていません(もっとも、大部分の事件では出頭しています)。

 仮に出頭しても、被告人自身による弁論は認められておらず、被告人作成の控訴趣意書が提出されている場合にも、弁護人がその必要性を認めたときのみ被告人の控訴趣意書にもとづく弁論が弁護人によって行われることとなります。このため控訴審では、必要的弁護事件でなく1審で弁護人が選任されていない場合でも、職権で国選弁護人を選任するのが通常です。

 審理も、控訴裁判所が事前の検討によって直ちに原判決の当否につき判断できると考えている場合には、第1審とは異なってくることになります。すなわち、一方当事者による控訴趣意書の陳述(不透明な控訴趣意書については、いずれの控訴理由を主張するかについて裁判長からの求釈明があります)とそれに続く相手方の答弁ののち、事実の取調べをまったくせずに結審し、次回公判期日に判決を宣告することになるのです。

 もっとも、実際には被告人が出頭すれば、被告人質問を許したり、在廷している情状証人を取り調べることが多い…です。また、控訴裁判所が原判決の当否判断のため事実取調べの必要を感じているときには、当事者から申請のあった証人のうち必要と認めるものを積極的に採用し、何回か公判期日を重ねて、それを取り調べることもあります。

 後者の例は件数的にはさほど多くありませんが、そのなかには真相究明の困難な事案が少なくないのが実情です。控訴審が最も苦心し、力を入れているのは、この事実誤認の有無の判断であるといってよいでしょう。」

としています。


要するに、控訴審では、一方当事者による控訴趣意書に基づく弁論(刑訴法389条)とそれに続く相手方の答弁ののち、事実の取調べをまったくせずに結審し、事実の取調べ後に一切弁論することなく、次回公判期日に判決を宣告することがあるわけです。これは、控訴審が第1審判決の瑕疵の有無を判断することが任務とされているためだからです。

もっとも、事実の取調べ(刑訴法393条)を行った場合には、検察官及び弁護人は、その結果に基づいて弁論をすることができます(刑訴法393条4項)。この弁論の範囲は、事実の取調べの結果に基づくものに限られますから、控訴趣意書に基づく弁論(刑訴法389条)や第1審における論告・弁論(刑訴法293条)と異なる性質ものですし、別個に認められる弁論です(大コンメンタール刑事訴訟法第6巻364頁〔原田國男〕)。




3.控訴審では4回だけ公判が開かれ、1度しか事実の取調べ(刑訴法393条)が行われませんでした。このように殆ど事実の取調べを行わないことは適法でしょうか? 


刑訴法393条1項本文は、裁判所が控訴理由の有無の調査(刑訴法392条)をするため必要があるときは検察官・被告人若しくは弁護人の請求により、又は職権で事実の取調べをすることができるとしています。そして、最高裁昭和59年9月20日決定は、広く事実の取調べを行うことを認めています。そのため、事実の取調べは、全控訴審事件の75%で行われているようです(三井=酒巻「入門刑事手続法」230頁」。

しかし、実際には、検察官控訴の場合には、検察官による証拠の取調べ請求については、控訴裁判所は広く容認しますが、被告人控訴の場合には、事実取調べ請求は厳しく制限されています(光藤景皎「口述刑事訴訟法下」(平成17年)46頁)。このような運用に対しては、被告人の正当な利益の救済の見地から妥当でないと批判されています。


筋弛緩剤事件控訴審では、殆どの取調請求を「裁判所が控訴理由の有無の調査(刑訴法392条)をするため必要がある」と判断しなかったのであり、実際の運用と同様に弁護人の事実取調べ請求を認めなかったというわけです。ですから、控訴審が殆ど事実の取調べを行わないことは適法ということになりますし、一般論としては妥当な運用というわけです。
もっとも、この事件では疑わしい点が多々ありますから、控訴審で殆ど事実の取調べを行わないことが妥当なのかどうかは疑問が残ります。




4.控訴審では、第3回公判で最終弁論の期日を示唆はしましたが、結局は最終弁論期日を決めず、最終弁論なしで結審したといえます。このように弁論なしの結審・判決は適法なのでしょうか? また、被告人に弁論・最終陳述権を認めないことは適法なのでしょうか?


(1) まず、弁論なしの結審・判決は適法なのでしょうか? 

先ほど述べたように、事実の取調べ(刑訴法393条)を行った場合には、検察官及び弁護人は、その結果に基づいて弁論をすることができます(刑訴法393条4項)。そうすると、控訴審では事実の取調べがなされたのですから、弁論を認めないことは刑訴法393条4項違反ということができます。

そうすると、「弁護団7人は判決言い渡しの前に『弁論させてほしい。弁論した上で判決を言い渡すのがルールだ』と求めた。」ことは妥当な主張であるといえます。


もっとも、「田中亮一裁判長は『昨年10月の4回目の公判で弁護人は最終弁論せずに退廷した。これは弁論権の放棄だ』と」主張しています。

この点、弁護人の最終弁論が予定されている公判期日に、弁論の機会が与えられたにもかかわらず陳述しないときには、権利を放棄したものとして陳述を聞かないで弁論を終結したり、判決することは適法とされています(東京高裁昭和54年5月30日判決、東京高裁昭和55年7月18日判決)。
控訴審は、この下級審判例を基にして、弁論権の放棄であると評価して、弁論なしでの結審・判決を適法と考えたものといえます。


しかし、下級審判例が弁論権を放棄したと評価しているのは、「弁護人の最終弁論が予定されている公判期日に、弁論の機会が与えられたにもかかわらず陳述しないとき」なのです。また、この事実の取調べ後の弁論(刑訴法393条4項)を規定した趣旨は、事実の取調べが行われた以上その結果に基づき当事者の意見を尽くさせようとするものですから、「弁護人の最終弁論が予定されている公判期日」が設定されていない場合にまで、弁論権の放棄と評価することは、刑訴法393条4項の趣旨に違反すると考えます。

控訴審では、第3回公判で最終弁論の期日を示唆はしましたが、結局は最終弁論期日を決めていませんし、そのため、第4回公判では弁論の予定がなかったわけです。


そうすると、第4回公判は「弁護人の最終弁論が予定されている公判期日」でなかったのですから、第4回公判で弁護人は最終弁論せずに退廷しても、弁論権の放棄と評価できないのです。ですから、弁論を認めないことは刑訴法393条4項違反であり、違法であると考えます。


(2) 次に、被告人に弁論・最終陳述権を認めないことは適法なのでしょうか? 刑訴法388条は「控訴審では、被告人のためにする弁論は、弁護人でなければ、これをすることができない。」と規定して、控訴趣意書に基づく弁論(刑訴法389条)は弁護人にのみ認め、被告人には認めていません。そこで、控訴趣意書に基づく弁論と異なり、事実の取調べ後の弁論については、被告人の弁論権・最終陳述権を認めた第1審の刑訴法293条2項・規則211条の規定の準用があるかどうかが問題となります(大コンメンタール刑事訴訟法第6巻364頁~〔原田國男〕など参照)。

イ:否定説(最高裁昭和41年1月18日決定):刑訴法293条2項・規則211条準用を否定し、被告人の弁論権・最終陳述権は認められない。
 (理由)
   ・控訴審の事実の取調べは第1審判決の当否を判断するためであり(控訴審の事後審性)、自ら事実を認定したり、刑を量定することを目的としていない。
   ・事実の取調べをした場合に、常に原判決が破棄され、自判されるわけではない。
 (批判)
   ・実際上、事実の取調べがしばしば行われ、続審的運用がなされている現状からすれば、事後審であるとして、被告人に弁論及び最終陳述を認めない実質的根拠は失われている。

ロ:肯定説(団藤、岸、高田、鈴木、小田中、原田國男):刑訴法293条2項・規則211条準用を肯定し、被告人の弁論権・最終陳述権が認められる。
 (理由)
   ・原判決を破棄して、自判をする場合には、第1審と同様の手続が当然要求される。
   ・自己のこうむるべき運命の重大さを案じて出頭している被告人に一言も発言させないのは、訴訟の形態として妥当でない。


このように学説上はともかく、判例は否定説ですので、被告人に弁論・最終陳述権を認めないことは適法といえます。

ただし、実際上、被告人質問を比較的広範囲に認めていて(三井=酒巻「入門刑事手続法」230頁~)、実質的に弁論の機会を与えているのですし、この事案では、無期懲役という極めて重い刑罰を科すことを予定しているのですから、被告人に一言も発言させないのは、訴訟の形態として不当です。要するに、控訴審では、被告人に弁論・最終陳述権を認めないことは適法ですが、妥当でない手続であったと考えます。




5.控訴審の裁判官は、被告人が有罪であることを最初から疑うことが無かったことから、殆ど事実の取調べをすることもなく、かなり強引に訴訟手続を打ち切ったものと推測されます。

このような訴訟進行については裁判員制度が実施された後、非常に危ういものだと感じています。控訴審のような裁判官は、裁判員となった一般市民の意見を強引に押さえ付けて、強引に訴訟進行しようとする危険性があるからです。(もっとも、裁判員制度は第1審で実施されるものですから、今回の控訴審のような訴訟進行が第1審でもなされるのかどうかは定かではありませんが。)

この筋弛緩剤事件では、一般市民のかなりの人たちが「冤罪なのではないか」との疑問を抱いていますし、この控訴審のような強引な訴訟進行は、「冤罪なのではないか」との疑問を増幅させている状況にさえあるといえると思います。

また、裁判員制度が実施された場合、裁判員となった一般市民は冤罪に手を貸したという精神的負い目を一生負担することにもなりかねません。被告人は「ぼくは絶対やってません」と叫んだそうですから、この叫びが一生ついて回ることになるのです。

この控訴審の訴訟進行は、冤罪ではないかとの疑いを増幅させ、将来、裁判員制度がきちんと機能できないのではないかと深く憂慮させられるものでした。
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2006/03/25 [Sat] 05:56:56 » E d i t
2006年2月23日(木)7時から、東京芸術劇場大ホールで行われたコンサートに行きました。そのコンサートの感想です。



<PROGRAM>


指揮者:ギュンター・ピヒラー
NHK交響楽団、コンサートマスター:篠崎史紀

曲目
ハイドン:交響曲85番 変ロ長調 Hob.I-85「女王」
シューベルト:交響曲第7番 ロ短調 D.759「未完成」 
メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 作品90「イタリア」

アンコール曲
シューベルト:「ロザムンデ」間奏曲





音の強弱のつけ方が絶妙で、テンポの良い演奏でした。弦の響きが滑らかですし、木管楽器や金管楽器も実に艶やかな感じの演奏です。

NHK交響楽団が、こういった演奏ができるのは、楽団員の技量が優れているから…というのもあるのでしょう。しかし、技量のせいというよりも、十分な練習量を積んでいる結果なのかなと思いました。乱れのないきちんと整った演奏でしたから。



ところが

近くにいたジーパンをはいた女性の方は「枯れた演奏ね、若い人が入らなきゃダメ」と言っていました。
…整っている演奏でしたから、それを「枯れた演奏」と評したのだと思います。

しかし。
この素晴らしい演奏を「枯れた演奏」としか受け取れなんて!!! 感性というものは人それぞれなのでしょうが、ちゃんと音を整えられない演奏を良い演奏と思う感性はとても理解できません。

それに、「若い人が入らなきゃダメ」と思うのはどうしてなのでしょうか…。年が若いかどうかと、演奏の良し悪しは関係がないと思うのですが。ちゃんと演奏を聴いているのかどうかさえ、疑ってしまいます。



またもやというべきか、この日の観客のことです。


拍手が早すぎです。
交響曲第7番ロ短調「未完成」の後でも、交響曲第4番イ長調「イタリア」の後でもそうでしたが、音の余韻が終わる前に拍手するのですから
3階左端の方が最初に拍手してました。


最も気分が害されたのは、アンコール曲のときでした。

アンコール曲の途中で拍手をするなんて! 「どうかしているじゃないか」と思いました。1階左側の一人が拍手してました。
曲が終わって指揮者が姿勢を整える前に拍手する人までいたり。


なぜ、クラシック音楽をコンサートホールで聴くのかというと、その場限りの演奏という即興を楽しむとともに、最後の音の余韻を楽しめるからなのです。それを音が消える前に拍手をしたら台無しです。

なぜいち早く拍手したがるのか全く分かりません。いち早く拍手する人は、聴きに来ている人たちの楽しみをぶち壊していることが分からないのでしょうか?


演奏は素晴らしく良かった。でも、気分を害して帰ることになりました。

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2006/03/22 [Wed] 00:39:20 » E d i t
光市母子殺害事件では、死刑を求める検察側の上告を受け、最高裁が昨年12月8日、弁論期日を3月14日に指定したことで、死刑を相当とする判決になる可能性が生じています。仮に、最高裁が死刑を相当と判断した場合、最高裁自体が死刑判決を下すのでしょうか? などについて紹介しておきたいと思います。


1.その前に、弁論を開くことを決定したからといって、必ずしも死刑を相当とする判決がでるわけではありません。

YOMIURI ONLINE(読売新聞:2005年12月08日 19時36分)によると、
 

光市母子殺害、最高裁が弁論決定…無期見直し可能性

 山口県光市の会社員本村洋さん(29)宅で1999年、妻弥生さん(当時23歳)と長女夕夏ちゃん(同11か月)が殺害された事件で、殺人罪などに問われ、1、2審で無期懲役の判決を受けた同市内の元会社員(24)(犯行時18歳)について、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長)は、死刑が相当だとした検察側の上告を受け、来年3月14日に口頭弁論を開くことを決めた。

 書面審理中心の最高裁が弁論を開くことで、2審判決を見直し、死刑とする方向の判決となる可能性が出てきた。判決は、来年夏までに言い渡される見通し。

 死刑を求めた検察側上告に対する最高裁の弁論は、99年の『国立・主婦殺害事件』と『福山・独居女性殺害事件』以来で、この時は『上告棄却』と『死刑が相当』に結論が分かれている。その後の重罰化の流れで死刑判決が増加する中、最高裁がどのような判断を示すか注目される。

 1審・山口地裁、2審・広島高裁判決によると、元会社員は99年4月14日午後2時半ごろ、本村さん宅に乱暴目的で侵入し、弥生さんと夕夏ちゃんの首を絞め殺害した。いずれの判決も、元会社員が前科のない少年だったことを重視し、無期懲役を選択した。

 検察側は上告趣意書で、『幸せな家族の妻子の命を奪った卑劣な犯行で、遺族に謝罪の手紙も書いていない』と主張。弁護側は1、2審で、『犯行時は少年のうえ、反省しており、死刑は重すぎる』としていた。」

としています。


要するに、原判決において無期懲役であった事件について、死刑を求めた検察側上告に対して、最高裁が弁論を開いた場合は、1999年(平成11年)の「国立・主婦殺害事件」「福山・独居女性殺害事件」がありました。しかし、「国立・主婦殺害事件」は「上告棄却」(最高裁平成11年11月29日判決)となり、「福山・独居女性殺害事件」は「死刑が相当」最高裁平成11年12月10日判決)となり、結論が分かれたということです。


ただし、「凶悪・重大犯罪」(人の身体に攻撃を加えて、その生命・身体・性的自由等の重大かつ基本的な個人的法益に甚だしく甚大な危害を及ぼしうる犯罪。具体的には、殺人、強盗、強盗致死傷、傷害、傷害致死、強姦、強姦致死傷等)の認知件数が増加し、近年、重い刑を宣告される傾向にあります。凶悪・重大事件に重い刑が宣告される傾向は、国民が刑罰を活用して法益をより手厚く保護することを求めることを考慮したと言われています(今井猛嘉「刑法総論の罰則整備」ジュリスト1276号(2004年)54頁~55頁)。

そのような国民の規範意識や科刑状況を踏まえて、効果的な罰則を整備するため、平成16年の刑法改正により、殺人罪や強姦致死傷罪など凶悪重大犯罪の法定刑の下限を引き上げ、性犯罪について新たな処罰規定を設けて、凶悪重大犯罪について重罰化したわけです。


そのため、最高裁で弁論を開くことを決定したからといって、必ずしも死刑を相当とする判決がでるわけではないのですが、重罰化の流れからすれば、光市母子殺害事件では、死刑を相当とする判決が出る可能性が高いと判断する見方が生じるわけです。
特に、光市母子殺害事件では性犯罪を行う際に2人も殺害しているのです。そうすると、性犯罪の再犯率が高いと言われており、この被告人も友人宛の手紙において再び同じ犯罪を犯すことを仄めかしていることからすると、無期懲役だと、出所後再び複数人を殺害してでも性犯罪を行いかねず、このような悪辣な犯罪を再び犯すことを阻止する必要性が非常に高いのです。そのため、私は、死刑を相当する判決が出る可能性が高いと考えています。




2.本題に戻ります。では、最高裁が死刑を相当とした場合、最高裁自体が死刑判決を下すのでしょうか?


無期懲役を破棄した最高裁として、次の2つの判例があります。

福山・独居女性殺害事件(最高裁平成11年12月10日判決)は、「被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかなく、原判決が酌量すべき事情として述べるところはいまだ死刑を選択しない事由として十分な理由があると認められないから、第一審判決の無期懲役の科刑を維持した原判決は、甚だしく刑の量定を誤ったものとして破棄を免れない。」

と述べていますし、

永山事件判決(最高裁昭和58年7月8日判決)は、「原判決が被告人に有利な事情として指摘する点を考慮に入れても、いまだ被告人を死刑にするのが重きに失するとした原判断に十分な理由があるとは認められない。そうすると、第一審の死刑判決を破棄して被告人を無期懲役に処した原判決は、量刑の前提となる事実の個別的な認定及びその総合的な評価を誤り、甚だしく刑の量定を誤つたものであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認めざるをえない。」

と述べています。

要するに、最高裁は、原審の無期懲役が量刑不当である(刑訴法411条2号)とした場合、直ちに死刑の言渡しをする(これを「破棄自判」と言います。刑訴法413条但書)わけではなく原判決を破棄して原審へ差戻しをするわけです(これを「破棄差戻し」と言います。刑訴法413条本文)。そうすると、光市母子殺害事件の上告審も、前例に倣ってこういった判決になると予想されます。


このように破棄後の処理として、自判ではなく原審への差戻しをする理由は、
 

「死刑と無期懲役との選択という事柄の重大性にかんがみて、被告人に不利な内容の自判(死刑言渡し)を避け、原審に差し戻して更に慎重な審理を尽くさせることが相当であると考えたものと推測される。永山判決も、同様の配慮から、自判を控えて差戻しをしている。」(最高裁判所判例解説(刑事篇)平成11年度212頁~)

ことにあります。




3.差し戻しを受けた原審はどのような判断をするのでしょうか? すなわち、再び無期懲役を下すことができるのでしょうか?

原田國男「上告審の量刑審査と量刑破棄事例の研究(下)」判例時報1766号13頁~によると、
 

「上告審判決の『原判決が被告人に有利な事情として指摘する点を考慮に入れても、いまだ被告人を死刑にするのが重きに失するとした原判断に十分な理由があるとは認められない。』との部分は、破棄判決の拘束力を有するから、差戻しを受けた控訴審としても、無期懲役を根拠付けるような新たな情状事実が生じない限りは、死刑の言渡しをする以外にないのであり、現に永山事件第2次控訴審判決(東京高裁昭和62年3月18日判例時報1766号142頁)及び永山事件第2次上告審判決(最判平成2年4月17日判例時報1348号15頁)において、右のような新たな情状は認められず、第1審の死刑判決を維持して控訴棄却及び上告棄却の各判決をしている。」

としています。

要するに、無期懲役を根拠付ける程の新たな情状事実があれば、無期懲役を下す可能性はありますが、通常は、死刑の言渡しをすることになるというわけです。

そうすると、光市母子殺害事件においても、最高裁が原審の無期懲役が量刑不当であるとして、原審を破棄して原審へ差戻しをした場合、原審では、ほぼ確実に死刑判決を言渡すことになるのです。

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2006/03/21 [Tue] 00:32:11 » E d i t
最高裁平成18年3月14日決定は、赤色信号を殊更に無視し,対向車線に進出して時速約20㎞の速度で普通乗用自動車を運転して交差点に進入しようとしたため,右方道路から左折進行してきた自動車と衝突事故を起こし,同車運転者らを負傷させた行為が,刑法208条の2第2項後段の危険運転致傷罪に当たると判断しました。この最高裁決定について検討してみたいと思います。


1.まずは報道記事を引用してみます。

(1) asahi.com(2006年03月17日10時35分)によると、
 

時速20キロでも危険運転致傷罪が成立 最高裁が判断
 
 時速20キロで起きた事故でも、悪質な場合は危険運転致傷罪が成立する――最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は、こう判断して、交差点で衝突事故を起こした札幌市の無職の男(35)の上告を棄却する決定をした。傷害罪なども合わせて懲役1年6カ月の実刑とした一、二審判決が確定する。決定は14日付。

 決定によると、男は03年11月、乗用車を運転中、同市の交差点で、赤信号で停止中の車をよけて右折しようと、反対車線に時速約20キロではみ出したところ、対向してきたトラックと衝突。相手に全治8日の切り傷を負わせた。

 同罪の成立には(1)信号を無視したこと(2)重大な危険を生じさせる速度で運転したこと――が必要とされる。男の代理人は「原因は信号無視ではなく、反対車線にはみ出したこと」などと主張したが、第二小法廷は「赤信号に構わず反対車線にはみ出したことが原因」と認定。この状況では、20キロでも危険な速度と認められると判断した。」

としています。



(2) YOMIYRI ONLINE(2006年3月16日23時0分 読売新聞)によると、
 

時速20キロの衝突でも危険運転致傷罪、最高裁が判断
 
 自動車を時速20キロで運転中に信号無視をして衝突事故を起こし、相手にけがをさせたのは危険運転致傷罪に当たるかどうかが争われた刑事裁判で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は、14日付の決定で、「時速20キロは重大な危険を生じさせる速度と言えるから、危険運転致傷罪が成立する」との判断を示した。

 この裁判は、札幌市西区の男性被告(35)が2003年11月の未明、同市内で衝突事故を起こし、相手の車に乗っていた2人に軽いけがを負わせたとして、同罪などに問われたもの。被告は、交差点手前で赤信号で停止している車を追い抜こうと、対向車線に出たところ、左折してきた車と衝突していた。

 同罪は、<1>信号無視<2>重大な危険を生じさせる速度――が重なったケースなどで成立する。弁護側は「時速20キロでは重大な危険は生じない」などと主張したが、第2小法廷は1、2審に続いて弁護側の主張を退け、被告の上告を棄却した。懲役1年6月の実刑とした1、2審判決が確定する。」

としています。


この2つの記事からすると、自動車を時速20キロで運転中に信号無視をして衝突事故を起こし、相手にけがをさせた場合でも危険運転致傷罪に当たるとした判決であると判断できます。
条文は挙げていませんが、この事案からすると、危険運転致死傷罪のうち、信号無視運転致傷罪(刑法208条2項後段)にあたるとしたと分かります。

この記事で少し出ていますが、本決定の件名は「危険運転致傷,道路交通法違反,傷害被告事件」ですので、別個に傷害罪も犯していることが分かります。その傷害罪と、自動車事故による犯罪(道交法違反、危険運転致傷罪:全治8日の切り傷という軽い怪我)を併せて、懲役1年6カ月の実刑となったわけです。
この自動車事故により、1人に怪我を負わせたのでなく、相手方車両に乗っていた2人ともに全治8日の怪我を負わせているので、懲役1年6カ月の実刑という重さになったといえます。

また、弁護側はどのような主張をしたかというと、次の2つがあるというわけです。すなわち、「時速20キロでは重大な危険は生じない」から、「重大な交通の危険を生じさせる速度」の要件を充たさないこと、「原因は信号無視ではなく、反対車線にはみ出したこと」であるから、「よって、人を死傷させた」に当たらない(赤色信号を殊更に無視したことと被害者らの傷害との間には因果関係が認められない)こと、です。




2.この事案で問題となった危険運転致死傷罪(刑法208条の2)とはどのような規定でしょうか?

(危険運転致死傷)
刑法第208条の2  アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで四輪以上の自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
 2  人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。



この規定は、1項では、運転者の意思によっては的確に四輪以上自動車の進行を制御することが困難な状態での三類型の危険運転行為による致死傷罪を規定していて、酩酊運転致死傷罪・制御困難運転致死傷罪・未熟運転致死傷罪の3つを含んでいます。
2項では、運転者による四輪以上の自動車の進行の制御自体に問題はないが、特定の相手方や特定の場所・状況との関係において危険性の高い2類型の危険運転行為による致死傷罪を規定していて、妨害運転致死傷罪・信号無視運転致死傷罪の2つを含んでいます。




3.最高裁平成18年3月14日決定によると、この事案の判旨は次のとおりです。
 

 「なお,所論にかんがみ,危険運転致傷罪の成否につき,職権で判断する。
 原判決及びその是認する第1審判決の認定並びに記録によれば,本件の事実関係は,以下のとおりである。すなわち,被告人は,平成15年11月25日午前2時30分ころ,普通乗用自動車を運転し,札幌市北区内の信号機により交通整理の行われている交差点手前で,対面信号機の赤色表示に従って停止していた先行車両の後方にいったん停止したが,同信号機が青色表示に変わるのを待ちきれず,同交差点を右折進行すべく,同信号機がまだ赤色信号を表示していたのに構うことなく発進し,対向車線に進出して,上記停止車両の右側方を通過し,時速約20㎞の速度で自車を運転して同交差点に進入しようとした。そのため,折から右方道路から青色信号に従い同交差点を左折して対向進行してきた被害者運転の普通貨物自動車を前方約14.8mの地点に認め,急制動の措置を講じたが間に合わず,同交差点入口手前の停止線相当位置付近において,同車右前部に自車右前部を衝突させ,よって,同人に加療約8日間を要する顔面部挫傷の傷害を,同人運転車両の同乗者にも加療約8日間を要する頸椎捻挫等の傷害をそれぞれ負わせた。

 以上の事実関係によれば,被告人は,赤色信号を殊更に無視し,かつ,重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転したものと認められ,被害者らの各傷害がこの危険運転行為によるものであることも明らかであって,刑法208条の2第2項後段の危険運転致傷罪の成立を認めた原判断は正当である。

 所論は,被告人が自車を対向車線上に進出させたことこそが同車線上で交差点を左折してきた被害車両と衝突した原因であり,赤色信号を殊更に無視したことと被害者らの傷害との間には因果関係が認められない旨主張する。しかし,被告人が対面信号機の赤色表示に構わず,対向車線に進出して本件交差点に進入しようとしたことが,それ自体赤色信号を殊更に無視した危険運転行為にほかならないのであり,このような危険運転行為により被害者らの傷害の結果が発生したものである以上,他の交通法規違反又は注意義務違反があっても,因果関係が否定されるいわれはないというべきである。所論は理由がない。

 よって,刑訴法414条,386条1項3号,181条1項ただし書,刑法21条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。」



この判旨には、被告人側(弁護側)の主張としては、「自車を対向車線上に進出させたことこそが同車線上で交差点を左折してきた被害車両と衝突した原因であり,赤色信号を殊更に無視したことと被害者らの傷害との間には因果関係が認められない旨」しか出ていません。
判旨には出ていなくても、「時速20キロでは重大な危険は生じない」から、「重大な交通の危険を生じさせる速度」の要件を充たさないと主張していたということなのでしょうか……。




4.本決定について検討する前に、信号無視運転致死傷罪(刑法208条2項後段)の要件は、どのように解釈されているかについて、書いておきます。


この事案で適用の有無が問題となった信号無視運転致死傷罪(刑法208条2項後段)の要件は、赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた、ことです。


(1) 「殊更に無視し」とは、故意に赤色信号に従わない行為のうち、およそ赤色信号に従う意思のない場合をいう。赤色信号であることの確定的な認識があり、停止位置で停止することが十分可能であるにもかかわらず、これを無視して進行する行為や、信号の規制自体を無視し、およそ赤色信号であるか否かについては一切意に介することなく、赤色信号に従わずに進行する行為がこれに当たる。したがって、赤色信号に従わない行為であっても、信号看過の場合、信号の変わり際で、赤色信号であることにつき未必的な認識しか認められない場合は、これにあたらない。

(2) 「重大な交通の危険を生じさせる速度」とは、妨害行為の結果、相手方と接触すれば大きな事故を生じることとなるような速度をいう。このような速度に当たるか否かは、著しく接近してその通行を妨害することになる相手方の進行状況・位置関係・赤信号を無視して進行しようとしている道路の状況に基づき、社会通念に従って判断する。具体的には、速度20~30キロメートルで走行していれば、この速度要件をみたす

(3) 本罪が成立するには、危険な運転行為をした結果人の死傷という結果が発生したことが必要である。したがって、自動車の直前への飛び出しによる事故など、結果の発生が運転行為の危険性とは関係のないものについては、因果関係が認められない。

<参考文献>
・井上宏「自動車運転による死傷事犯に対する罰則の整備(刑法の一部改正)等について」ジュリスト1216号(平成14年)36頁~
・曽根威彦「交通犯罪に関する刑法改正の問題点」ジュリスト1216号(平成14年)46頁~
・西田典之「刑法各論〔第3版〕」(平成17年)46頁~






5.では弁護側の主張は妥当でしょうか?


(1) まず、「時速20キロでは重大な危険は生じない」から、「重大な交通の危険を生じさせる速度」の要件を充たさないのでしょうか?


上で述べたように「重大な交通の危険を生じさせる速度」としては、具体的には速度20~30キロメートルで走行していれば、この速度要件をみたすと理解されています。そうすると、「時速20キロ」でも「重大な交通の危険を生じさせる速度」の要件を充たすといえます。

ちなみに、刑法208条1項の制御困難運転致死傷罪の要件は、「進行を制御することが困難な高速度」であり、その意味は、「速度が速すぎるため、道路の状況に応じて進行することが困難なことをいう。具体的には、道路がアイスバーン状態にある、急カーブである、幅員が狭い等の道路の状況、車の性能、過積載であるといった車の状況により、わずかな操作ミスによって自己の車を進路から逸脱させて事故を生ぜしめることとなるような速度での走行をいう」(西田「刑法各論」48頁~)のです。

要するに、高速であることが要件となる制御困難運転致死傷罪と異なり、信号無視運転致死傷罪は低速でも成立するというわけです。危険運転致死傷罪は、高速の場合やアルコール等で酩酊状態で運転している場合に限るようなイメージがあるようですが、今回のように、低速でも成立するような犯罪を含んでいるのです。



(2) 「原因は信号無視ではなく、反対車線(対向車線)にはみ出したこと」であるから、「よって、人を死傷させた」に当たらないのでしょうか? 赤色信号を殊更に無視したことと被害者らの傷害との間には因果関係が認められないのでしょうか?


被告人の自動車が、停止車両の右側方を通過して対向車線に進出したときに、「折から右方道路から青色信号に従い同交差点を左折して対向進行してきた被害者運転の普通貨物自動車」と衝突したのです。そうすると、被告人の自動車が対向車線にはみ出していなければ衝突しなかった、衝突の直接の原因は、対向車線にはみ出したことである、といえなくもありません。

しかし、なぜ対向車線にはみ出したかというと、被告人の自動車が赤信号を無視して、交差点を右折しようとしたからなのです。赤信号を無視しようとしなければ、決して対抗車線にはみ出すことはなかったのです。ですから、赤信号を無視したことによって、被害者の自動車との衝突・傷害が生じたと判断するのが、社会通念上、相当であるのですから、因果関係があるというべきです。弁護側の主張は、かなり詭弁に近いといえるのではないでしょうか。

そうすると、本判決が「被告人が対面信号機の赤色表示に構わず,対向車線に進出して本件交差点に進入しようとしたことが,それ自体赤色信号を殊更に無視した危険運転行為にほかならないのであり,このような危険運転行為により被害者らの傷害の結果が発生したものである以上,他の交通法規違反又は注意義務違反があっても,因果関係が否定されるいわれはない」としたのは、妥当といえます。

要するに、対向車線にはみ出すとか前方不注意といった直近の法規違反・注意義務違反があったからといって、赤信号を無視して対向車線に進出して交差点に侵入しようとしたこと(危険運転行為)と、傷害結果との因果関係が切れるわけではないのです。言い換えれば、複数の危険行為をした場合、直近の危険行為とだけ因果関係が生じるとの考えは、妥当でないというわけです。仮に、直近の危険行為とだけ因果関係が生じるとの考えを妥当とすると、多くの危険行為をしても、直近に軽い危険行為をしさえすれば、罪が軽くなってしまい当罰性の見地から妥当でないからです。



(3) そうすると、本決定の判断が妥当であり、弁護側の主張はいずれも妥当でないと考えます。




6.時速20キロでの運転でも危険運転致傷罪が成立したということで、目を引く判例でしたが、特に問題のない判例であったといえます。

この事案で問題となったのは、危険運転致死傷罪のうち、信号無視運転致傷罪の成否です。最も理解しておくべきことは赤信号無視(道交法119条1項:懲役3ヶ月)であっても、他人の交通の安全を顧慮せずに、殊更に赤信号を無視した運転は、非常に危険であるということなのです。だからこそ、「人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役」というように重く処罰されるのです。

信号無視運転致傷罪での速度要件は、「きわめて低速での運転を処罰の対象から外すという働きしかもたない」(曽根「ジュリスト1216号」51頁)ので、時速20キロだったことは、さほど意味がないのです。

赤信号で止まっている前の自動車がいて前方が良く見えないのに、交差点を進行する自動車があるはずなのに、ただ、他の自動車がいないかのごとく、自己が身勝手にあえて赤信号を無視して、交差点を左折しようとしたため、事故がおきたのです。これこそ悪質であって危険な運転であるからこそ、処罰に値するのです。


その意味で、時速20キロでの運転でも危険運転致傷罪を認める判例がでたことに重点をおいた報道は、この判例によって最も理解しておくべきことが見えにくくなってしまいました。むしろ、信号無視運転であることを重視した報道をして欲しかったと思います。
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2006/03/19 [Sun] 05:26:26 » E d i t
光市の母子殺害事件上告審弁論において、出頭しなかった弁護人に対して「出頭在廷命令」がでました。そこで、出頭在廷命令後、3月17日に行われたトークライブでの弁護人のコメントと、出頭在廷命令についての読売新聞(平成18年3月18日付)の記事を紹介したいと思います。


1.日刊スポーツ(平成18年3月18日付)によると、
 

弁論は形だけ 安田弁護士が批判

 安田弁護士はこの日、都内で行われた、死刑制度をテーマにしたトークライブにゲスト出演した。『出頭在廷命令』が出されたことについては『ノーコメントです』。来月18日に予定されている弁論に出廷するかどうかについても『それもノーコメントです』と答えた。トークライブでは一般論として『弁論は中途半端にしないことが大事。昔はきちんと弁論を行うムードがあったが、昨今はスケジュールが決まっていて、形だけやればいいと思っている』と最高裁を批判した。」

としています。

このトークライブは、「ネイキッドロフト」にて3月17日に実施されたものです。

衆議院議員・保坂展人が吠える!月例新宿ライブトーク
「保坂展人・世直しトーク2006!Vol.3~<死刑廃止>は可能なのか?」
【ゲスト】安田好弘(弁護士)
【ホスト】保坂展人(衆議院議員)

OPEN18:30/START19:30
¥1,500(+1drinkから)

>安田好弘 PROFILE
弁護士。1947年、兵庫県生まれ。一橋大学法学部卒。死刑廃止運動に取り組む。麻原彰晃被告の主任弁護人を務める。著書『「生きる」という権利─麻原彰晃主任弁護人の手記』)

※衆議院議員・保坂展人が、月一回、鋭い論客をゲストに招くトーク・セッション! 現代日本のモンダイだらけの政治・メディア状況を、熱く深く鋭く、語る論じる斬る! 小泉劇場X混迷メディア=迷走日本、に対抗する2006年世直しトーク、発進! トークの最終部のコーナーは質疑応答タイムです。会場発言大歓迎!

保坂展人HP(ブログ日記毎日更新中)
http://www.hosaka.gr.jp





(1) 安田弁護士本人が、最高裁を名指しで批判したのか、記者が最高裁を批判したと感じたのか分かりませんが、弁論のあり方に批判的であることは確かです。

弁護方針の問題ですからすべて答えることはないとしても、出頭在廷命令が出ているのに、4月18日予定の弁論に出廷するかについても答えないのです。そうなると、4月18日も出廷しない意思を有しているということでしょうね…。



(2) ここで言っている一般論ではよく分からないので、「なるしす日記」さんの「死刑事件の弁護をどうやるか」というエントリーをご覧下さい。ここでは、3月15日に行った日弁連の研修で、安田弁護士のお話が出ていて、もう少し意味が理解できると思います。安田弁護士と足立弁護士は、3月15日の研修のリハーサルのために、3月14日の弁論を欠席したわけです。3月14日に研修があればまだ、欠席理由として真っ当だったのでしょうけど…。


これを読む限り、真摯に弁論を行おうとする安田弁護士の態度は大変素晴らしいものがあります。ただ、問題なのは、この光市母子殺害事件では、7年も裁判を行っていて、しかも最高裁での弁論期日間際になって同じ態度を貫くことがよいのかどうかです。

安田弁護士のような態度は、1・2審段階で行うべきものであって、その場合にこそ効果的な弁護活動になるのではないでしょうか? 被告人の反省をきちんと汲み取ることができなかったのは、1・2審段階の弁護人の責任であって、最高裁を批判するのはお門違いだと思うのです。安田弁護士が批判すべきは、1・2審段階の弁護人であって、裁判所ではないと思うのです。

真摯に弁論を行うこと自体は素晴らしいとしても、弁論期日(3月14日)の直前(2月28日)になって「被告人の聴取が必要で~」と言い出すのでは、選任された日からではどうやっても真摯な弁論は無理ですから、それでもあえて依頼を受けたことは単なる遅延行為と評価されても仕方がないと思うのです。(平成19年5月26日追記:訂正のため削除扱いに。あまりに安田弁護士へに対する批判が刑事弁護を理解していないものが多いため)

最高裁の態度からすると、被告人が安田弁護士から十分な弁論を受けること(数ヶ月の遅滞を認めること)は難しいでしょう。その意味で、被告人は不利益を受けているといえます。しかし、被告人は知人への手紙の中で、遺族を「調子付いている」とか、被害者を「犬」扱いするなど、心からの反省の気持ちがないのです。また、被告人は性犯罪を犯したこと、重罰に値する行為を犯したことを重要視すべきなのです。性犯罪を犯した犯人は、一般に再犯率が高いと言われていますから、出所した場合、再び殺してまで強姦することをやりかねないのです。そうだとすれば、被告人の受けた不利益は、さほど重視しなくてよいと思うのです。



(3) また、安田弁護士が弁論を欠席した意図は理解できるとしても、問題なのは、「なるしす日記」さんが言うように「遅れたとしてもせいぜい数カ月です。死刑か無期かが問われている刑事裁判で、その程度の時間が新たにかかったとしても、それは許容されるべき」としてよいかどうかです。

この事件は、もう7年間も裁判を行っているのですから、「裁判の迅速な裁判の迅速化に関する法律」に違反しているのに、まだ数ヶ月も遅らしてよいのでしょうか? まだ数ヶ月遅らせても構わないということは、被害者の権利を保障する法改正(刑訴法の改正)や立法(「犯罪被害者等基本法」)がなされた以上、できるだけ早い決着を望む被害者遺族の利益を無視することは、その法改正の趣旨に違反するのではないでしょうか?
(平成19年5月26日追記:訂正のため削除扱いに。あまりに安田弁護士へに対する批判が刑事弁護を理解していないものが多いため)



2.今後も「せいぜい数ヶ月遅れるだけだから良いじゃないか」という方針を採るのだとすると、今後、より深刻になるのは、裁判員制度が導入された後はどうなるのかです。
読売新聞(平成18年3月18日付39面)の解説によると、
 

弁護士に出廷命令 『当然だ』遺族評価~光市母子殺害事件 迅速裁判へ試金石

 訴訟遅延行為とも受け取れる弁護士の欠席により、弁論が先送りになた『光市母子殺害事件』の上告審で、最高裁は、改正刑事訴訟法で新設された出頭在廷命令を初適用し、来月18日の弁論に必ず出頭するよう求めた。空転した法廷から妻と子の遺影をむなしく持ち帰った山口県光市の本村洋さん(29)は、この命令が迅速な裁判につながることへの期待をにじませた。

 『出頭在廷命令が出されたのは至極当然。裁判遅延を目的にした弁護活動に対し、厳しく対処するという最高裁の強い意志の表れだと思う』。本村さんは17日、そうコメントした。

 この事件では、死刑を求める検察側の上告を受け、最高裁が昨年12月、弁論期日を今月14日に指定したことで、死刑を相当とする判決になる可能性が生じた。ところが、上告審を担当していた弁護士2人は今月6日に辞任し、代わって、死刑廃止運動に取り組む安田好弘弁護士らが就任。14日の弁論を『日本弁護士連合会が開催する模擬裁判のリハーサルに出る』との理由で欠席したため、弁論が先送りになってしまった。

 木村さんは翌日、安田弁護士らの所属弁護士会に懲戒処分を求める文書を送っている。17日のコメントでも改めて、『最高裁が異例の措置をとっているのだから、弁護士会も、不当な弁護活動に対して処分を科すべきだ』と訴えた。

 一方、安田弁護士の東京都港区内の事務所には、15日以降、弁論の欠席を批判する電話が一般の人から相次いでいる。この日は出頭在廷命令について報道各社が事務所に見解を求めたが、回答はなかった。

 今回の事件の弁護人に就任して以来、被告と繰り返し接見し、新たな事実を聞き出そうと努めているという安田弁護士は、今月上旬、読売新聞の取材に対し、『一般論として、被告の利益を守るためには十分に時間をかける必要があり、そのためには出廷拒否がやむを得ない場合もある。それを訴訟遅延と言うのはおかしい』と話していた。

 仮に、来月の弁論も欠席した場合、最高裁は改正刑訴法の規定に基づき、安田弁護士らに対する懲戒などの処分を弁護士会に請求することになる。

 今回の出頭在廷命令が効果を発揮するかどうかは、裁判員制度の2009年実施に向けて重要な試金石となる。これまでは、弁護士が正当な理由なしに出廷を拒否した場合、裁判所は新たに国選弁護人を選任する以外に有効な対処法がなく、審理遅延を防げないケースが多かった。裁判員制度でそのような事態に至れば、裁判員は長期裁判の負担に直面し、国民の協力を得ることも難しくなる。

 改正刑訴法に出頭在廷命令が新設されたのは、こうした懸念が背景にあり、最高裁が、正当な理由のない1回の欠席に対して初の命令を出したことは、下級審に、適用をためらわないよう呼びかける意味も持つ。

 また、再び安田弁護士らが欠席し、最高裁が処分請求した場合、弁護士会の対応も焦点になる。従来は、弁護士会が処分請求に応じなかったり、請求を放置したりするケースが多かったが、日本弁護士連合会は今月3日の臨時総会で、紛糾の末、裁判所の処分請求に対して結論を素早く出すとした規則を成立させており、この規則が機能するかも試されることになる。」

としています。

2009年に裁判員制度が実施された場合、もし長期裁判となったとすると、裁判員になった一般市民は生活が破綻してしまいます。実際上、迅速な裁判が実施できることが、裁判員制度導入の前提であるのです。
そのため、この記事にあるように、「今回の出頭在廷命令が効果を発揮するかどうかは、裁判員制度の2009年実施に向けて重要な試金石となる」ので、重大問題なのです。


また、「最高裁が、正当な理由のない1回の欠席に対して初の命令を出したことは、下級審に、適用をためらわないよう呼びかける意味も持つ」ことになります。弁護人としては、裁判所が出頭在廷命令を出すことを躊躇ってくれる方が良かったのです。しかし、安田弁護士と足立弁護士が、訴訟遅延行為と受け取れる弁論欠席を行ったことで、かえって、今後、出頭在廷命令を出し易くなってしまいました。「1回くらい大目に見る」ではなく「1回の欠席でも積極的に出頭在廷命令を出してよい」のですから。言い換えれば、今回の安田弁護士と足立弁護士の行為は、刑事裁判に携わる弁護士全員に対して不利益を及ぼし、ひいては弁護人が不十分な弁論を行いかねず、被告人の防御にも不利益を及ぼしてしまったのです。


今回のことについて、弁護士会の対応が大変注目に値します。遺族である本村さんが安田弁護士らの所属弁護士会に求めている懲戒処分の扱いをどうするのかということです。すなわち、最高裁が非難する見解を表明し、出頭在廷命令まで出しているのに、弁護士会は無視するのかどうかです。また、再び出頭を欠席した場合でも、弁護士会は無視するのかどうかです。
仮にいずれも無視するようなら、日弁連が定めた規則が機能しないばかりか、裁判員制度が実施できなくなってしまうでしょう。 


いうまでもないのですが、弁護士の使命は、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」(弁護士法1条1項)のです。くれぐれも社会正義の実現という使命を忘れずに弁護活動を行って欲しいと、一般市民は感じていると思うのです。
(平成19年5月26日追記:訂正ゆえ削除扱いに)

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2006/03/18 [Sat] 03:58:36 » E d i t
光市の母子殺害事件上告審弁論において、弁護人が出頭しなかったのですが、それに対して「出頭在廷命令」が出たとの報道がありました。これについてコメントしたいと思います。


1.YOMIURI ONLINE(読売新聞)によると、
 

弁論欠席の弁護士に初の「出頭在廷命令」…最高裁
 
 山口県光市で1999年、本村洋さん(29)の妻(当時23歳)と長女(同11か月)を殺害したとして殺人罪などに問われ、1、2審で無期懲役の判決を受けた同市内の元会社員(25)(犯行時18歳)の上告審で、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長)は、今月14日の弁論を欠席した弁護人に対し、改めて期日指定した来月18日の弁論に出頭し、途中退廷しないよう求める『出頭在廷命令』を出した。

 命令は15日付。

 出頭在廷命令は、裁判員制度での審理遅延を防ぐ目的から、昨年11月施行の改正刑事訴訟法で新設された規定で、適用されたのは全裁判所で初めて。弁護人が命令に従わない場合、裁判所は、10万円以下の過料と開廷費用の賠償を命じることができ、その場合、弁護士会に懲戒などの処分も請求しなければならない。裁判所が処分請求を行えば、1989年以来、17年ぶりとなる。

 出頭在廷命令を受けたのは、安田好弘(第2東京弁護士会)、足立修一(広島弁護士会)両弁護士。

(2006年3月17日22時52分 読売新聞)」

としています。




2.記事の中で「出頭在廷命令は、裁判員制度での審理遅延を防ぐ目的から、昨年11月施行の改正刑事訴訟法で新設された規定」と書かれていますが、それは具体的には次の規定です。

<刑事訴訟法>
第278条の2  裁判所は、必要と認めるときは、検察官又は弁護人に対し、公判準備又は公判期日に出頭し、かつ、これらの手続が行われている間在席し又は在廷することを命ずることができる。
  2  裁判長は、急速を要する場合には、前項に規定する命令をし、又は合議体の構成員にこれをさせることができる。
  3  前2項の規定による命令を受けた検察官又は弁護人が正当な理由がなくこれに従わないときは、決定で、10万円以下の過料に処し、かつ、その命令に従わないために生じた費用の賠償を命ずることができる。
  4  前項の決定に対しては、即時抗告をすることができる。
  5  裁判所は、第3項の決定をしたときは、検察官については当該検察官を指揮監督する権限を有する者に、弁護士である弁護人については当該弁護士の所属する弁護士会又は日本弁護士連合会に通知し、適当な処置をとるべきことを請求しなければならない。
  6  前項の規定による請求を受けた者は、そのとつた処置を裁判所に通知しなければならない。



この刑訴法278条の2は、弁護人不在のおそれがあるという場合の在廷命令、尋問禁止命令に従わない場合の懲戒請求を認めたもので、裁判官の訴訟指揮権の大幅な強化を図った規定です。この記事にある「出頭在廷命令」は、刑訴法278条の2第1項・第2項に基づいて出されたものです。


このような規定を設けたのは、次のような理由からです(参議院会議録情報 第159回国会 法務委員会 第18号平成16年5月20日)。

○委員長(山本保君) 休憩前に引き続き、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案及び刑事訴訟法等の一部を改正する法律案を一括して議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。

○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 両法案に対する質疑、四回目と私なりましたけれども、それを踏まえまして、今日は私たちの修正案を提起をし、手元に配付をしております。これに基づきながら、まず刑事訴訟法の改正案について質問をいたします。
 今回のこの改正案の中で、裁判官の訴訟指揮権の大幅な強化が盛り込まれております。弁護人不在のおそれがあるという場合の在廷命令、それから尋問禁止命令に従わない場合の懲戒請求と、こういう規定が盛り込まれたわけですが、その理由についてまずお願いします。

○政府参考人(山崎潮君) 当事者が裁判所の期日指定に従わず、期日に出頭しない事例、あるいはその裁判所の示した期日指定方針ですか、これに応じられないとして当事者が不出頭をほのめかしたために、裁判所が当初の方針どおりの期日指定を断念するという事例が現実にも起こっております。こうなりますと、やはり審理遅延の原因の一つとなるということでございます。
 それから、当事者がやっぱり裁判所による重複尋問等の制限に従わないということが審理の遅延あるいは焦点の定まらない審理の原因の一つとなるというふうに承知しているわけでございます。現にもうそういう例があるというふうに聞いております。
 そこで、刑事裁判の充実、迅速化を図る方策の一つといたしまして、期日指定あるいは重複尋問の制限に係る訴訟指揮権の実効性、これを担保するためにこの制度を設けたと、こういうことでございます。

○井上哲士君 現行の刑事訴訟法の規則でも、出頭しないなどの審理を遅延をさせた場合に、特に必要と認める場合に弁護士会に措置の請求をすることになっています。
 日弁連にお聞きしましたけれども、この措置請求の前段階での善処方も含めまして、裁判所から弁護士会に何らかの措置を求めた事例というのは一九八三年まで十数件しかない、それ以降は実態としてないと、こうお聞きをしております。また、この措置を求めた事例のうちでも実際に懲戒になったというのは、調べた限りでは一九八一年のいわゆる東大事件しかないというのが実態なわけですね。
 この裁判員制度になって迅速な裁判をというわけですけれども、その前提として、これほどの制裁措置を創設しなければならないほど弁護人の不出頭であるとか不必要な尋問による遅延というのが刑事裁判において深刻だと、こういう認識なんでしょうか。

○政府参考人(山崎潮君) それは刑事訴訟法でございますので、ある程度ルールにのっとってやるということは当然でございまして、おおむねそれできちっといっているということになりますけれども、やはり極端な例も見られるわけでございまして、そのままの状態では本当に訴訟が進行できないということになりまして、結局長期審理だと、長期裁判だということの批判も受けることになる。したがいまして、そういうことになれば、これから裁判員制度、これを導入していくという場合にやはり大きな問題になり得るということでございます。
 確かに、委員御指摘のとおり、かなり以前に相当荒れる法廷というものがございまして、その場合に懲戒の問題等の請求があったということで、最近はそれがあるいは多分ないというのだろうと思いますけれども、懲戒請求がないからといって、じゃそういう事態がないのかというとそうではないわけでございます。
 したがいまして、これをどういうふうにしていくか、運用は慎重にしなければならないというふうに私ども考えておりますけれども、やっぱり制度として、備えあれば憂いなしということでございまして、最低の担保はきちっとしておきましょうということでございまして、これは、運用上どうしていくかという問題はまたこれは慎重に考えていくということになろうかと思います。


要するに、この刑訴法278条の2は、司法制度改革の一環として、刑事裁判の充実・迅速化を図るための諸方策の1つとして、設けられた規定というわけです。読売新聞の記事にも出ていますが、裁判員制度においては、裁判員となった一般市民を長期間裁判に関わらせることができないので、一層の迅速な裁判を図る必要があるため、このような規定を設けたことも理由になっています。




3.(1) では、最高裁が出頭在廷命令を出した意図はどういうところにあるのでしょうか?


この出頭在廷命令は、弁護権・防御権の侵害になりかねないのですから、慎重に運用されるべきものです。にもかからず、最高裁は、昨年11月施行したばかりである「出頭在廷命令」をあえて適用し、今までどの裁判所もこの命令を出したことがないのに、あえて初めて出したばかりか、3月14日の不出頭の翌日(15日)、というすぐ直後に「出頭在廷命令」を出したのです。


このことからすると、最高裁が出頭在廷命令を出した意図は、必ず弁護人の出廷を確保させようとするものであり、14日において異例の意見表明を出したことと併せると、最高裁は、正当な理由がなく弁論に欠席した安田弁護士らに対して、著しい不快感を表明したものであるとさえいえるでしょう。



(2) 安田弁護士らは、弁論に欠席した直接の理由として「裁判員制度の模擬裁判のリハーサルで、丸一日拘束される」ことを挙げていました。出頭在廷命令(刑訴法278条の2)は、裁判員制度を念頭に置いて規定されたのですから、ある意味、裁判員制度における裁判を、身をもって実践しているとさえいえるでしょう。安田弁護士らは、出頭在廷命令を受けたことで、裁判員制度実施前に、裁判員制度の模擬裁判では感じられないようなリアルな裁判員制度を実感したわけです。皮肉なことに。


最高裁は、出頭在廷命令まで出してまで、弁論を開くことについて強い意欲を示しています。この命令を出したことで、安田弁護士らが弁論に欠席しても、弁護人なしで結審する可能性が高くなったと思われます。そして、「光市の母子殺害事件上告審~弁護人出頭せず」というエントリーで検討したように、安田弁護士らは正当な理由なく出頭しなかったのです。


安田弁護士らは、この命令を真摯に受け止め、4月18日の弁論にきちんと出頭すべきでしょう。また弁論を欠席すれば、弁護人側の弁論なしで結審するおそれが高くなった以上、欠席によって、弁論なしという不利益を直接受けるのは被告人なのですから。

もちろん、弁論を行う以上、被告人の利益のため、十分な防御が必要です。安田弁護士らは、2月28日と3月3日に選任されたばかりですから、十分な防御活動は見込めません。おそらく、事件について熟知している2審の弁護士らと協力して、十分な弁論の準備を行うことになると思います。



(3) 被告人の十分な防御のため弁論期日を欠席するという手法は、妥当でないとしても、被告人の利益を最優先する手法の1つですから、弁護人としてやむを得ず採ったのだともいえます。他方で、出頭在廷命令を出すことも異例のことですし、今後も殆どないことだと思います。

しかし、正当な理由なく弁論期日を欠席するという手法は、口頭弁論主義(刑訴法43条1項)を原則としている裁判制度を蔑ろにするものですから、防御活動としてあまりに妥当性を欠くものです。また、今後裁判員制度が実施された場合には、一般市民が裁判員として関与する以上、一般市民の利益を考えると、勝手に弁論期日を欠席することは許されません

もし、今後も被告人の防御のために弁論期日を欠席する手法を採るようだと、今後は裁判所が出頭在廷命令を頻発するおそれさえあるのです。そのようなことにならないよう、安田弁護士らは、出頭在廷命令に従うべきだと思うのです。



(4) 最後に。この事件では、もう7年間も裁判を行っているのですから、迅速な裁判を要求した「裁判の迅速な裁判の迅速化に関する法律」に違反している状態であることはもちろん、遺族(被害者)の方たちの苦痛は計り知れないものがあります。被害者の利益のためにも、弁論を欠席するという不当な方法は採るべきではないのです。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

2006/03/17 [Fri] 00:26:47 » E d i t
光市の母子殺害事件上告審弁論において、弁護人が出頭しなかったとの報道がありました。このことについてコメントしたいと思います。


1.まずどのような事案であったのでしょうか?

広島高裁平成14年3月14日判決によると、
 

「当時少年であった被告人が,山口県光市所在のアパートにおいて,主婦A(当時23歳。以下「被害者」という。)を強姦しようとしたが,激しく抵抗されたため,被害者を殺害した上で姦淫しようと決意し,被害者の頸部を両手で強く締め付け,窒息死させて殺害した上,姦淫し,その後,同所において,B(当時生後11か月。以下「被害児」という。)が激しく泣き続けたため,その殺害を決意し,被害児を床に叩きつけるなどした上,首に紐を巻いて締め付け,被害児を窒息死させて殺害し,さらに,その後,同所において,被害者管理の現金等在中の財布1個を窃取した」

という事案で、殺人罪(刑法199条)・強姦致死罪(刑法181条2項)・窃盗罪(刑法235条)の罪責を負うことが認定され、死刑か無期懲役かが問われたものです。




2.読売新聞(平成18年3月15日付朝刊)によると、 

山口・光市母子殺害 被告弁護人出廷せず 

 山口県光市の本村洋さん(29)宅で1999年、妻(当時23歳)と長女(同11か月)が殺害された事件で殺人罪などに問われ、1、2審で無期懲役の判決を受けた同市内の元会社員(24)(犯行時18歳)について、最高裁第3小法廷は14日、死刑を求める検察側の上告を受けた口頭弁論を開こうとした。だが弁護士が2人とも出廷せず、弁論を開くことができなかった。

 改めて4月18日に弁論期日を指定したが、死刑求刑の事件で弁護士の出廷拒否は異例。訴訟遅延行為に当たる可能性もあり、浜田邦夫裁判長は法廷で『極めて遺憾』と、弁護士を強く非難する見解を読み上げた。

 この事件では、書面審理中心の最高裁が、弁論を開くことを昨年12月に決めたことで、死刑を相当とする判決になる可能性が出ている。死刑廃止運動を進める安田好弘、足立修一両弁護士が、今月6日に辞任した弁護士に代わって就任。『日本弁護士連合会が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサルで、丸一日拘束される』との理由で、この日の法廷を欠席した。

 これに対し、検察官は法廷で、『審理を空転させ、判決を遅らせる意図なのは明白』と述べ、弁論を開いて結審するよう要請。浜田裁判長は『正当な理由のない不出頭』と述べたが、結審は見送った。

 安田弁護士らは今月7日付で、弁論を3か月延期するよう求める申請書も最高裁に提出しているが、翌日却下されていた。安田弁護士はこの日、『被告の言い分に最近変化があり、接見や記録の検討を重ねる時間が必要。裁判を長引かせる意図はない』とする声明を出した。」


解説 これ以上許されず

 今回の出廷拒否について、弁護士は訴訟遅延の意図を否定するが、これまでの経緯を見ると、遺族や国民の理解を得るのは難しい。

 第3小法廷が弁論の開催を決めたのは、4人の裁判官の合議で無期懲役の判決に疑問がついたことを意味する。しかし、浜田邦夫裁判長が定年退官する5月下旬の時点で結審していなければ、合議をやり直さなければならない。弁護期日の指定に突然、弁護士が交代し、6月への延期を求めているのは、合議の流れを変える狙いと見なされても仕方のない面がある。
 
 安田好弘弁護士ら死刑廃止を求めるグループはこれまでも、オウム真理教の松本知津夫被告の裁判などで、審理をストップさせる手法をとったことがある。

 弁護側が4月の弁護期日も欠席すれば、最高裁は、『裁判所が対策を尽くしても出廷しなければ、弁護士抜きで審理を進められる』との判例に基づき、結審する可能性が高い。死刑の量刑基準が問われる重要な事件だけに、これ以上の弁護側の欠席は許されない。」

としています。

判決は口頭弁論に基づいてするのが原則なのですが(刑訴法43条1項)、上告理由がないことがあきらかだったり、最高裁の負担軽減の観点から、その例外、弁論を経ないで、判決で上告を棄却できることにしています(刑訴法408条)。いわゆる書面審理による判決を認めています。そうすると、上告理由がないことが明らかでない場合、すなわち、2審判決を変更するような場合には弁論を開くことになるわけです。

ですから、読売新聞など各紙が「書面審理中心の最高裁が、弁論を開くことを昨年12月に決めたことで、死刑を相当とする判決になる可能性が出ている」という記事を掲載しているわけです。
もちろん、2審判決が死刑を宣告している場合には、必ず弁論を開くことが慣例になっている(松尾浩也「刑事訴訟法下」252頁)ことから、死刑判決を出すなら弁論を開く必要があると考えたのだとも思えます。


そうなると、無期懲判決に安心していた2審判決までの弁護人はおそらく焦るわけで、「当時の弁護人は今年2月になって安田好弘弁護士らに弁護を依頼し」(朝日新聞平成18年3月15日付)て、安田弁護士と足立弁護士は「先月28日と3月3日に選任された後、2審段階の弁護人が辞任」(毎日新聞平成18年3月15日付)したのです。焦ったはずなのに、安田弁護士らへの依頼が遅く、死刑判決の恐れがあるから準備が大変なはずなのに、安田弁護士らが選任された日が遅すぎます。そうなると、当然、準備は間に合わないのですから、意図的に準備を遅らせたとか、弁護側の公判先延ばし戦術であると言われても仕方がないでしょう。

そうなると、「弁護側の公判先延ばし戦術に、本村さんは怒りを隠せなかった。『我々遺族7人も、仕事の都合をつけて(光市から)来た。法廷で被告人の権利を守ることが弁護人の公務であり、欠席は弁護活動の放棄。弁護士会は懲戒処分を検討して欲しい。弁論の準備ができないのなら、弁護人を引き受けないで欲しい』」(日刊スポーツ(平成18年3月15日付))という、本村さんの発言はもっともです。




2.この記事にも出ていますが、浜田邦夫裁判長は『何ら正当な理由がない不出頭で極めて遺憾』と異例の見解を表明したわけですが、正当な理由がない不出頭でしょうか? すなわち、この見解は妥当でしょうか? 


(1) 安田弁護士らは、欠席した直接の理由は「『日本弁護士連合会が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサルで、丸一日拘束される』とのこと」(読売新聞)であり、他の理由としては、「『元少年は遺族への謝罪の意向を示すなどしており、裁判のためには本人からの十分な聴取が必要』……『遺族への謝罪などは原判決の当否を判断する上で決定的事情』」であること(日刊スポーツ平成18年3月15日付)、「被告は捜査段階や1審の供述が真実ではなく、殺害前から暴行の意思があったわけではないと説明している。準備に時間が必要」(毎日新聞平成18年3月15日付)を挙げています。
では、この理由が正当な理由といえるか検討してみます。



(2) イ.「日本弁護士連合会が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサルで、丸一日拘束される」という理由は不出頭の正当な理由といえるでしょうか?

最高裁が3月14日に弁論期日を指定したのは、昨年12月8日ですから、それを当然知っていて(知っていないと困ります)いるなら、弁護人を引受けるべきではなかったのです。弁護人の依頼を受けたのですから、日弁連の会務を優先させるのは妥当でなく、これは不出頭の正当な理由とはいえないと考えます。


 ロ.「元少年は遺族への謝罪の意向を示すなどしており、裁判のためには本人からの十分な聴取が必要」という理由は不出頭の正当な理由といえるでしょうか?

真摯に謝罪の気持ちがあるなら、前々から謝罪の意向を示した文書を被告人から受け取っていていいはずです。そうすると、弁論する準備がないとはいえず、これも不出頭の正当な理由とはいえないと考えます。
どうも、死刑判決がでそうだということで、被告人は焦って偽りの謝罪の意思を示そうとしているとの疑念もあります。


 ハ.「被告は捜査段階や1審の供述が真実ではなく、殺害前から暴行の意思があったわけではないと説明している。準備に時間が必要」という理由は不出頭の正当な理由といえるでしょうか?

確かにこれ自体は正当な理由といえるでしょう。殺害前から強姦の意思がないとすれば強姦致死罪(刑法181条)が成立しないのですから。

しかし、もしそうなら、7年間の裁判の間、弁護人は何をやっていたのでしょうか。被告人の真実の声を聞かなかった弁護人は、弁護活動を著しく怠っていたといわざる得ません。また、真実の声が分かった時点で、すぐに綿密な聴取をしていたはずですから、それならそれで、ある程度の弁論が可能であったといえると思います。そうすると、これも不出頭の正当な理由とはいえないと考えます。
これも、死刑判決がでそうだということで、被告人は焦って偽りの告白をしたとの疑念もあります。いまさらこんな告白をしても誰も信じないでしょう。
(平成19年5月26日付追記:安田弁護人批判が刑事弁護に対する無理解によるものが多いため、削除扱いに)


(3) 結局、安田弁護士らは、弁論を6月まで延期して欲しいと求めています。しかし、平成15年に「裁判の迅速化に関する法律」が制定され、2条1項において、「裁判の迅速化は、第一審の訴訟手続については二年以内のできるだけ短い期間内にこれを終局させ、その他の裁判所における手続についてもそれぞれの手続に応じてできるだけ短い期間内にこれを終局させることを目標として…」と規定しているのです。

この事件ではもう7年も裁判に費やしているのですから、これ以上の遅滞は、裁判迅速化法2条1項に反するばかりか、1条が規定する「裁判がより迅速に行われることについての国民の要請にこたえること」という、この法律の目的にも違反すると思います。



(4) このように、いずれの理由も不出頭の正当な理由とはいえず、「何ら正当な理由がない不出頭で極めて遺憾」とした最高裁の見解は妥当であると考えます。(平成19年5月26日付追記:刑事弁護に対して理解の欠けた批判が多いため、結論保留扱いに訂正します)



3.遺族の木村洋さんは、「浜田裁判長の任期が5月末だと聞いている。裁判長が代われば判決も変わると思っての引き延ばしだと思う。」(日刊スポーツ平成18年3月15日付)と述べ、「弁護期日の指定に突然、弁護士が交代し、6月への延期を求めているのは、合議の流れを変える狙いと見なされても仕方のない面がある」(読売新聞)という記事があります。そこで、浜田裁判長が代われば、合議の流れが変わる、すなわち死刑判決ではなく、無期懲役のままになるのでしょうか?



(1) 浜田裁判長が主導的な立場で弁論を開いたのであれば、他の裁判官のうち何名かが無期懲役のままでよいと考えていた場合には、合議の流れが変わる可能性は否定できません。



(2) しかし、平成16年の刑法改正によって刑の引き上げ(重罰化)が行われ、特に性犯罪について特に加害者の厳正な処罰が必要であるとして、重罰化とともに集団強姦罪(刑法178条の2)と集団強姦致死傷罪(刑法181条3項)が新設されました。このような改正がなされたのは、性犯罪が女性に対する暴力の中でも、最も女性の人権を踏みにじる行為であるからです。その流れを受けて、平成16年刑法改正以前の性犯罪についても、実際に裁判官が宣告する刑(宣告刑)も重罰化される傾向(スーパーフリー事件の主犯格に懲役14年)にあります。

また、近時、子供被害の悲惨な事件が発生していて、子供に対する犯罪への防止対策が色々と取り組まれています。子供に対する犯罪防止対策として、重罰化も一つの案といえます。


このような法改正や子供に対する犯罪防止対策を考えると、最高裁も性犯罪や子供に対する犯罪について厳しい態度を示す必要があるわけですから、1審や2審のように無期懲役のままで良いと考えること自体妥当でないといえます。強姦する意図で女性を殺害し、それもその幼い子供を残酷に殺害する行為に出ても、死刑にならないとすれば、重罰化の法の趣旨や傾向に反することになるからです。



(3) そうだとすると、浜田裁判長が代わっても、合議の流れが変わることはなく、無期懲役のままにでなく死刑判決が出ると考えます。




4.読売新聞の記事では、「検察官は法廷で、『審理を空転させ、判決を遅らせる意図なのは明白』と述べ、弁論を開いて結審するよう要請。浜田裁判長は『正当な理由のない不出頭』と述べたが、結審は見送った。」としています。では、なぜ結審を見送ったのでしょうか?



(1) 刑訴法289条1項は「死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することができない。」としています。この規定があるため、結審を見送ったわけです。



(2) しかし、最高裁は弁護人の意向通り6月に弁論期日を指定せず、「4月18日にあらためて弁論期日を指定した」(日刊スポーツ平成18年3月15日付)わけですし、わざわざ浜田裁判長は「正当な理由のない不出頭」という異例の見解まで表明したのです。


これは、4月18日には必ず出頭するようにという強い意思表明であり、ここまで強い意思表明をするということは、死刑判決を下すことを決意しているからであると考えます。先にも述べたように、2審判決を変更する場合には弁論を開くのですし、何よりも死刑判決という被告人の生命を剥奪するという重大な判決を出す場合には弁論を開くのが慣例だからです。死刑判決によって、被告人の生涯最後の防御活動となるのですから(再審はありえない事案です)、弁論を開くことは重要であると、最高裁が考えているからだといえるでしょう。



(3) このようなことから結審を見送ったのは、刑訴法289条1項の規定を尊重してのことですが、その裏には必ず死刑判決を出すことを決意しているのだと考えます。



(4) もし弁護人が4月18日の弁論期日をも不出頭の場合には、職権で弁護人を付すこととか(刑訴法289条2項3項)、弁護人なしでの審理を行う(最高裁平成7年3月27日決定)ことにより、弁論を開かずに死刑判決が出るということになると思います。

被告人の生涯最後の防御活動なのですから、安田弁護士らは、4月18日の弁論期日には出て十分な弁論を行って欲しいと思います。結論としては死刑判決でしょうから、弁護活動は効果がないと思いますが……。
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2006/03/12 [Sun] 01:55:00 » E d i t
女性天皇の是非については、フェミニズムとの関係で議論されることがあります。そこで、本当のところ、フェミニズムの論者は、女性天皇の是非についてどのように議論としているのか?について触れてみたいと思います。


1.まずフェミニズムの定義をしておきます。
フェミニズムとは、「女性解放思想、あるいはその思想に基づく社会運動の総称。女性に不利益をもたらす差別の撤廃、男性と同等の権利の要求、女性の社会的地位の向上、女性が自らの生き方を決定できる自由の獲得などによって、いわゆる女性問題を解決することを目指す社会思想・社会運動を意味する」とされています(井上=上野他「岩波 女性学事典」(2002年)399頁)。

フェミニズムについての概略については、フェミニズムーWikipediaを参照して下さい。もっとも、フェミニズムーWikipediaは、一通り知るにはいいとしてもかなり正確性に欠けている気がします。井上=上野他「岩波 女性学事典」(2002年)399頁~など、他の本を読んだ方が良いでしょう。




2.奥平康弘=宮台真司「憲法対論」(2002年)194頁~のおいて、奥平名誉教授は、
 

 「日本のフェミニズム問題にも関係するし、日本の近代化ということとも関係して、天皇制、女帝問題に入っていきたいんですけど、フェミニズムを主張している人の中には『女帝論』が非常に多い。特に1980年代半ば、女性差別撤廃国際条約の締結・批准が問題になった辺りから、『女帝』を認めない法律(皇室典範)は、条約違反だという主張をある種のフェミニストは展開しました。面白いというか奇妙なのは、この人たちは、条約違反だと言いましたが、憲法違反だとは言わなかった。ともあれ、こうしてこの時期、社会党の女性議員などが動いて、皇室典範の改正を試みたりしたのでした。
 
 ところが、このフェミニストにより始められた『女帝論』は、なぜかその後まもなく立ち消えになります。そして、『雅子さまご懐妊』とともに、最近になって再浮上しました。今度は、旧来のフェミニストだけではなくて、自民党筋も含めた政治家や社会支配体制の中からも『女帝論』を支持する層が出てきたのでした。『女帝論』の局面が変わってきたのです。

 局面が変わったということで言えば、『女帝論』で一枚岩と思われていたいわゆるフェミニストたちのあいだに、はっきりした分裂があることがわかったこともあります。いわゆるフェミニストの全てが『女帝論』に賛成しているわけではなく、彼らの間から『女帝論』を小馬鹿にし、これをナンセンスとする人々が出てきているのです。

 たまたま今、ここに『ザ・フェミニスト』(筑摩書房、2002年)という上野千鶴子さんと小倉千加子さんの対談集を持ってきております。この本では、フェミニズムの名において女帝論を語る人たちを恐ろしく馬鹿にしているんです。『あの人たち、それがフェミニズムの何の役に立つと思っているのかしら。言えば言うほど天皇制の役に立つだけじゃないか』と言って、天皇制の問題をフェミニストがどう考えるかということになるわけです。この人たちは、僕の解釈では、本当の女性の解放、あるいは人間の解放のために取り組むべきさまざまな既存の組織・制度があり、その一つが天皇制である、と捉えている。そうした目で見ると、男女平等を唱え女性天皇を天皇家に送ることは、天皇制温存に寄与するだけのことではないか、という論理になります。

 一方、ここに一緒に持ってきた『天皇制とジェンダー』(インパクト出版会、20002年)という題名の本があります。著者の加納実紀代さんというかなりラディカルな、少なくともアウトスポークンな(能弁な)フェミニストだと思っていたし、いろいろな発言をするにつけ頑張っているなと着目してきました。しかし、その『女帝論』に関しては相当がっかりした。それは女帝を拒否した天皇制というのが歴史的にどうであったかという勉強をちゃんとしていないような気がしてならなかった。…僕には天皇制の権力論が甘いという気がした。僕にとって戦後、『天皇制と家制度』の二つは、『親の敵』でござるというくらい重さのある問題であり続けた。この二つの制度をどのように壊していくか、もっと別な言い方をすればどう近代化していくかというのが大きな宿題であったわけです。この著者がジェンダーを研究しているフェミニストであれば、家の問題に当然当面しているはずですが、天皇制との関係では詰めが甘いのではないかという気がします。

 雅子問題から女帝あるべきだという話になったけど、男系主義で男子主義の皇室典範は女帝を排除しけしからん、国際条約違反であるといったようなことを80年代のフェミニストたち(補足:…「N市のM氏など』と表記しておきますが)は熱心に主張したわけです。例えばエリザベス女王を見よとか、そういうフェミニズムがあった。僕はそのとき何でそんな話をするのか分からなかったけど。

 上野・小倉さんはそういう議論を馬鹿にしているわけです。でも、加納さんは、そういった馬鹿らしさを理解した上で、『しかし今の世の中である種の近代化、あるいはある種のフェミニズムを昂揚させるためには、女帝を導入しろと言ったっていいじゃないか、私はそちらに賭ける』ということで、法律を改正して女帝を導入すべきだと主張しているわけです。天皇制問題を隠しているわけではない。『そういうことを主張することは天皇制を温存させることになるかも知れないけど、日本のフェミニストとして』、という枠組みのなかで議論をするわけです。

 加納さんは雅子さんの結婚問題のときに、キャリアウーマンとしてよくやってくれたとか万々歳と言っていたフェミニストではなく、そのときは、そういう議論はフェミニズムの議論とは関係ない、雅子さんはフェミニズムに役に立っているとは言わないという姿勢だったけれども、女帝はあってしかるべきだと主張するわけです。だから今度男の子が生まれなかったら、支配体制や自民党の政治家と一緒になって法律を改正して、愛子内親王のために道を開くことこそフェミニストが主張していいことになっちゃっているわけです。天皇制反対的フェミニスト、天皇制と妥協するフェミニストなど、いろいろあるもんだんな、と感心してしまいます。しかし、今やフェミニズムという統一概念として語られる何があるのか、疑問に思えてもいるのです。」

と述べています。




3.このように、昔はフェミニスト=女性天皇肯定論者という図式でしたが、現在は、フェミニスト=女性天皇肯定論者ではなく、天皇制反対的フェミニスト(上野千鶴子さんと小倉千加子さん)=女性天皇否定論者と、天皇制と妥協するフェミニスト(加納実紀代さん)=女性天皇肯定論者に分かれているという図式になっているということです。



(1) フェミニストの方たちの著書を読みますと、天皇制を廃止しよう、天皇制を無化しようと提言しています(例えば、鈴木裕子「天皇制・『慰安婦』フェミニズム」(2002年)11頁など)。要するに、フェミニズム運動の目標の1つが天皇制の廃止・無化といえると思います。


女性天皇を認めることは、有識者会議にも出ていますが「世襲という天皇の制度にとって最も基本的な伝統を、将来にわたって安定的にするという意義を有する」ものです。

そうすると、女性天皇を認めることは、フェミニズム運動の目標の1つである天皇制の廃止・無化につながらないところが、安定的な天皇制維持につながるものであって、フェミニズム運動の目標に反するのです。



(2) このブログでは何度も触れていますが、女性天皇を認めることは、皇族にとどまることを意味するのですから、天皇・皇族の著しく広範囲な人権制約を受け続けることを意味し、その女性皇族に対して著しく不利益を受けることを強制することになります。そうすると、女性天皇を認めることは、フェミニズムの定義の中に含まれる「女性の不利益をもたらす差別の撤廃」と矛盾することになります。


加納さんは、「今の世の中である種の近代化、あるいはある種のフェミニズムを昂揚させるためには、女帝を導入しろ」というのです。これでは、「フェミニズムという思想のために、女性皇族は犠牲になれ」ということを強要することではないでしょうか? 思想のために自己を犠牲にすることは一向に構わないと思いますが、自己の思想のために赤の他人を犠牲にすることに何のためらいも感じないのでしょうか? そこには傲慢さを感じざるを得ません。



(3) 結局は、奥平名誉教授は、

「『女帝論』者は、そのことによって愛子内親王が天皇という、人間差別の地位に即くことを支持し、天皇制を長生きさせることに貢献しようというわけ」であって、「人を差別する地位に即く権利というものを、なぜ憲法学者が、それを平等の名において、愛子さんのために役立てなくてはいけないのだ、と僕なんかは思うわけ」(奥平=宮台「憲法対論」200頁〔奥平〕)。

と言うわけです。


女性天皇を認めることは、フェミニズム運動の目標の1つである天皇制の廃止・無化と矛盾しますし、フェミニズムの定義の中に含まれる「女性の不利益をもたらす差別の撤廃」とも矛盾するのです。そうすると、フェミニストでありながら、女性天皇を認めることは論理矛盾であるといえるでしょう。

論理矛盾であるのにも関わらず、人権や女性解放の名において「女帝論」を主張するフェミニストは、「凡庸なフェミニスト」である(奥平=宮台「憲法対論」211頁〔奥平〕)といわれても仕方がないと思うのです。

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2006/03/07 [Tue] 02:00:01 » E d i t
以前、スルツカヤ選手とコーエン選手の言葉とともに、小泉首相の発言を取り上げました。今回は我が国の文科相の発言を取り上げてみます。


asahi.com(2006年03月06日18時43分)によると、

『ロシア選手こけて喜んだ』発言、小坂文科相が平謝り

 小坂文部科学相は6日、トリノ五輪フィギュアの金メダリスト、荒川静香選手(プリンスホテル)が帰国後に文科省を訪れた際の自身の発言について陳謝する談話を出した。『ロシアの選手がこけた時には喜んだ』と述べたもので、同省のホームページで『配慮に欠けた発言で深く反省しており、荒川、スルツカヤ両選手におわび申し上げる』とした。

 荒川選手は帰国した先月28日夜、文科省を訪れて帰国報告をした。この際、小坂文科相は『他人の不幸を喜んではいけないが、ロシアの選手がこけた時には喜んだ。これでやったーって』と発言。荒川選手は何も答えなかった。

 この様子が一部で報道され、文科省や小坂文科相の地元事務所に『教育・スポーツ担当の大臣としてふさわしくない』などの意見が電話やメールで数十件寄せられた。」

としています。

スルツカヤ選手の失敗を喜ぶ言動をすることは、スポーツマンシップに反しますから、「荒川選手は何も答えなかった」のは当然です。何よりも、スルツカヤ選手が失敗したから荒川選手が金メダルを獲得できたと言わんばかりの発言ともいえるのですから、そのような発言を荒川選手に面と向かって言うのですから、荒川選手に対する極めて侮辱的な発言です。

また、読売新聞などでは、荒川選手・スルツカヤ選手・コーエン選手とでは、「こけた」こと以外でも点差が開いていたと書かれていました。小坂文科相は、荒川選手が訪問するのに、五輪の記事を新聞で読まないのでしょうか? 

それに、スルツカヤ選手は「人並み以上の苦労や苦悩」があり(「「それが人生」~スルツカヤ選手の言葉」というエントリーをご覧下さい。)、失敗したことに対して非常に悔しがっているのです。そのスルツカヤ選手の失敗を喜ぶなんて、スルツカヤ選手の気持ちを著しく踏みにじる発言です。あまりに心無い、失礼極まる発言です



ちなみに文部科学省のHPで発表したものは、

「荒川静香選手の文部科学省訪問時における発言について

 去る2月28日に荒川静香選手が文部科学省を訪問された際、荒川選手に対して、8年間の精進をされ、練習の成果としてパーフェクトな演技で金メダルを獲得したことをたたえるとともに、国民に大きな感動や勇気を与えていただいたことに感謝を申し上げました。
 また、オリンピック日本代表選手の育成・強化の充実に積極的に取り組む旨をお伝えしました。
 その後の懇談で、荒川選手の金メダル獲得が大変うれしいとはいえ、一部配慮に欠けた発言をしたことについては、深く反省しており、荒川選手及びスルツカヤ選手に対してお詫びを申し上げます。

平成18年3月6日
文部科学大臣 小坂 憲次」

というのが全文です。

謝罪はごく僅かですね…。asahi.comでは「平謝り」と出ていますが、これでは一応謝罪した程度でしょう。記者会見もなく、HPに僅かな謝罪文を掲載したのみ……。小坂文科相はきちんとした謝罪もできないようです


小坂文科相は「教育・スポーツ担当の大臣」として決して言ってはならないことを言ったのですから、文科相の資質を欠くことが明らかですし、ろくな謝罪もできないのです。何よりも荒川選手やスルツカヤ選手を侮辱したばかりか、報道機関の前で公然と発言したことで世界に対して恥を晒したのです。
直ちに小坂文科相は辞任すべきですし、野党ばかりか与党も辞任を要求すべきです。メール問題より深刻な、日本国の名誉がかかった問題だと考えます。
小坂衆議院議員は、選挙区は長野県ですから、長野県の有権者はこの小坂議員の発言をしっかり覚えておくべきでしょう。
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2006/03/05 [Sun] 01:13:40 » E d i t
天皇・皇族の人権制約については、前回で殆ど触れているのですが、もれた点について少し追記しておくことにします。


1.横田耕一・流通経済大学教授は、有識者会議において発言したり、新聞紙上においてもコメントを寄せるなどしていて、無視できません。そこで、天皇・皇族の人権制約についての横田教授のご見解について検討しておくことにします。


(1) 天皇・皇族の人権制約について、横田耕一教授は、世襲制による制約(例外的扱い)は認めつつも、天皇皇族は特別の存在ではないから、例外的扱いは最小限度にすべきであるとして、合理的な差別といえるかどうかを検討します。


その結果、合理的な差別とはいえないとして、皇室典範における女性天皇の否定(1条)、婚姻における皇室会議の議という手続(10条)、養子の禁止、天皇・皇族が敬称を受けること(23条)、皇統譜の存在(26条)や陵墓の存在(27条)、皇族の選挙権の否定、天皇の私的な政治的発言の禁止すべて違憲又は違憲の疑いがあるとしています(横田「天皇と天皇制」(1990年)17頁~)。

この論理からすると、皇位継承の順位について長系や長を先にすること(2条3項)、皇族の範囲につき「嫡出」「嫡男系嫡出」の者に限定すること(6条)もすべて違憲となるでしょう。
同じ横田説を採用する辻村みよ子・東北大学教授は長系長子主義を違憲(辻村「憲法」84頁~)としています。

もっとも、横田教授は有識者会議において長系長子主義を「これが極めてわかりやすく安定しています」と述べていますので、長系長子主義を合憲とするようです。


なお、横田説の「例外的扱いは最小限度にすべきである」という考えは、当然ながら、憲法上の共通認識であったり、憲法の基本概念(そもそも憲法の基本概念といえば立憲主義とかでしょうね。)ではありません。天皇皇族の人権制約に関する議論における横田教授独自の考え方(横田説)です。念のため。



(2) これに対して、政府見解及び通説はどのように考えているのでしょうか?


現行法上の象徴天皇制に伴う包括的な権利剥奪は、すべて合憲とするのが政府見解及び通説です。要するに、政府見解及び通説は、現行法は「象徴天皇制を維持する上で最小限必要なもの」(佐藤幸治「憲法」416頁)としつつも、結論からすれば「例外的扱いは最小限度にすべきである」とはしていません

現行法上、天皇・皇族に認められている特権・課されている著しい制約が是認されるのは、憲法が、近代人権思想の中核をなす平等理念とは異質の、世襲の「天皇」の存在を認めているからであって、憲法14条の「法の下における平等」条項下の「合理的差別」論で説明しうる事柄ではないというわけです(佐藤幸治「憲法」416頁)。

言い換えると、元々合理的差別論で説明できない問題であるのに、横田教授は合理的差別論を使って検討しているのですから、横田教授は憲法が象徴天皇制を設定していることについて、正しい理解に欠けている、「極めて初歩的な誤解」(奥平「『萬世一系』の研究」384頁)をしていると批判しているわけです。




2.前回検討してない権利・自由についていくつか検討しておきます。


(1) 現行法上、女性皇族は婚姻後も皇族にとどまる権利(皇籍維持の自由)を剥奪されている点(12条)、言い換えると、女性皇族には男性皇族にない皇族身分離脱の義務が課されている点は合憲でしょうか?


女性差別であるとして違憲とする見解(水田珠枝)もありますが、憲法学上の通説は合憲であるとしています。

なぜなら、当該女子はその血統に着目して婚姻後も皇族の身分を有するとすることも制度の選択としてはあり得ますが、当該女子が皇族の身分を有し摂政に就任することは摂政の地位に鑑み適当とは言えず、また生活を共にする配偶者及び子は皇族ではないので、国が当該女子のみの日常生活の維持を国家事務として行うことは困難だからです(園田「皇室法概論」570頁)。

また、ここで問題となっている男女は皇族たる男女に限定されているので、皇族という特殊例外的制度に関して一般的な平等原則は適用されないからです。例えば、

「皇族でない『女性』は、男性皇族と結婚することによって、皇族となることができるのに対して、12条により皇族でない『男性』は女性皇族と結婚しても、皇族になることができないことになるが、こうしてみると、12条は『女性』をも『男性』をも性差別しているという、珍妙な議論になります。」(奥平「性差別と天皇制とを問題にする視点」法学セミナー378号13頁)。

このように女性差別として捉えること自体に問題があるわけです。



(2) 現在旧皇族の皇籍復帰は禁止されていますが、旧皇族の皇籍復帰制度、いわば旧皇族の皇籍復帰の自由を認めることは合憲でしょうか?


 イ.議論されていませんが、上に挙げた通説からは問題なく合憲というべきでしょう

なぜなら、皇籍復帰の自由は皇籍離脱の自由・皇籍維持の自由と裏表の関係にあるのですから、皇籍離脱の自由・皇籍維持の自由に対する制約が合憲である以上、皇籍復帰の自由の付与やその制約もまた合憲というべきだからです。
言い換えると、皇族から出るか否かについての制約は天皇皇族の人権制約に関わる問題であって、それを合憲とするなら、皇族に入るか否かについての制約もまた、天皇皇族の人権制約に関わる問題である以上、合憲となるはずだからです。

また、旧皇族の皇籍復帰制度は世襲制維持に直結する以上、世襲制を規定した憲法2条の趣旨に適う制度であるからです。

有識者会議においても、旧皇族の皇籍復帰制度を検討していますが、当然ながらその復帰制度を違憲であるとはしていません。


 ロ.横田説ではどうでしょうか? 

違憲とする考え方も可能でしょう。しかし、横田説にいう「例外的扱いは最小限度」とする意図は、象徴天皇制を否定する趣旨ではないのですから、旧皇族の皇籍復帰制度が象徴天皇制維持に適う以上、横田説でも旧皇族の皇籍復帰制度は合憲と理解することも可能だと考えます。

有識者会議(第6回)において、横田教授は、立法政策として、

「皇籍離脱者の皇族籍復帰というやり方がございます。これは皇室典範を改正するとか、あるいは特別法をつくるということになりましょうが、第1に、一旦皇族を離れた者が皇族籍へ復帰するというのは、伝統から考えても極めて例外的なことであります。だから、伝統を重視する立場からも皇籍離脱者が復帰するということには相当問題があります。第2に、当事者本人の意思が問題になることは言うまでもございません。第3に、皇族籍にあえて一旦離脱した人が復帰するということは、何かうさん臭さが漂って受け取られるきらいがあるかと思います。第4として、皇族籍に復帰した男子が皇族の女子と結婚すればいいというような話がありますけれども、こんなことは期待できないことでございます。第5に、もし皇籍離脱者あるいはその子孫が皇位継承するというような状況が出てきた場合、現在の世論を前提とするならば、世論の支持はほとんど期待できません。したがって、国民を統合するという役割は、そうした天皇には期待できないと私は考えております。 」

と述べています。立法政策としてありうるとして論じている以上、違憲でないことは明らかでしょう。理由の妥当性はともかく、違憲であることを理由にして否定しているわけでもないのですから、なおさら違憲と見ることは難しそうです。


素直に考えても、皇族から出すことは合憲なのに、皇族に入れることは違憲という理屈自体妙ですから、学者が旧皇族の皇籍復帰制度を違憲と主張することはありえないでしょう。
ありえないとしても、疑問視する向きもあるかと思い、一応、検討してみたわけです。




<3月8日追記>

旧皇族の皇籍復帰制度が憲法14条に違反するかどうかについて、少し触れておきます。

以前にも書いたとおり、「象徴天皇制は、天皇の地位の世襲を基盤に成り立っているので、『生まれによる差別』を排除する憲法14条の平等原則の例外をなしています。」ことは全く異論がありません。

そして、憲法学上の通説は、「世襲制という大きな差別の中には性差別は含まれている、『大』差別は『小』差別を含む」のであり、象徴天皇制維持のために伴う制約が認められているのは、「元々合理的差別論で説明できない問題」だからであると理解しています。要するに、通説は、世襲制に伴う制約は、憲法14条違反の問題は生じないと理解しているのです。

そうすると、旧皇族の皇籍復帰制度は、世襲制維持のため、象徴天皇制維持のための制度なのですから、世襲制という「大」差別の中の「小」差別にすぎず、憲法14条に違反しないと理解できるわけです。

ただ、旧皇族は今は民間人であるから、それを皇族化することはおかしいのではないかと考える方もいるかもしれません。しかし、憲法2条とそれを具体化した皇室典範1条から、皇位を継承する資格を有する者は、天皇と血縁関係にある自然血族に限ると解釈されています。そうすると、憲法2条と皇室典範1条が存在する限り、旧皇族は「天皇と血縁関係にある自然血族」にある以上は、元々、皇族復帰の可能性があったわけです。もし将来、皇族がいなくなったら、「天皇と血縁関係にある自然血族」にある旧皇族を復帰させる以外の方法はないのですから。
要するに、憲法2条と皇室典範1条がある以上、旧皇族の皇籍復帰制度は憲法及び皇室典範に潜在的に内在していたといえるわけです。なので、旧皇族の皇籍復帰制度の創設は、顕在化させただけにすぎないので、旧皇族の皇族化は少しもおかしくないのです。

象徴天皇制が憲法14条の例外であること、憲法2条と皇室典範1条の解釈を理解できれば、誤解することはない問題なのですね。

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憲法 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2006/03/04 [Sat] 00:05:48 » E d i t
皇室典範を改正して女性天皇・女系天皇を認めることは、女性皇族も生涯ずっと皇族にとどまることもを意味します。そうすると、意思や婚姻による離脱の自由がある現行法と異なり、女性皇族は天皇・皇族に対する人権制約を受けたままとなるわけです。
そうなると、女性天皇・女系天皇を認めるかどうかを考慮するに当たって、天皇・皇族の人権を把握しておくことが不可欠です。そこで、天皇・皇族の人権はどのように制約されているのか、政府見解を中心に検討してみたいと思います。
園田逸夫「皇室法概論」(平成14年)45頁~が詳しいので、これを中心として引用することにします。


1.天皇・皇族の身分に関する規範と基本的人権
 天皇・皇族の身分に関しては、退位の否認皇籍離脱の制約婚姻の手続皇位継承の資格嫡出子非嫡出子の区別養子の禁止等が制度として存在し、これらの天皇・皇族の身分に関する制度は、言わば基本的人権に対する制約を伴うものとなっている。


(1) 退位の否認 
 天皇の退位については、皇室典範4条が皇位継承の原因を天皇の崩御のみとしていることから、認められないと解されている。このことについては、憲法13条の「生命・自由及び幸福追求権」及び同22条の「職業選択の自由」との関係で問題となるが、合憲としている。
 (理由)
 天皇に退位を認めないことについては、政府は、「退位ということを認めますと…上皇とか法皇というような存在が出てまいりまして…弊害を生ずるおそれがある」「天皇の自由意思に基づかない退位の強制…が…あり得る」「象徴天皇、こういう立場から…恣意的な退位というものはいかがなものか」と答弁している。要するに、世襲制である天皇の地位の安定と象徴という地位のあり方を理由としている。
*三笠宮崇仁殿下は、終身就位を強制する現行制度を「奴隷的拘束」と感じ、憲法18条の精神に違反すると異議を申し立てていた(奥平「『萬世一系』の研究」138頁参照)。



(2) 皇籍離脱の制約
 皇族に対する皇籍離脱の制約は、天皇の退位の否認に比べ制約は緩やかであるが、退位否認と同様に「生命・自由及び幸福追求権」及び同22条の「職業選択の自由」との関係で問題となるが、合憲としている。
 (理由)
 皇族に対して皇籍離脱の制約を皇室典範で定めていることについては、政府は、「世襲制度としての象徴天皇制というものを憲法の制度として維持していくためには、ある程度の非常に天皇に近い身位の方々というのはそういった制約を受けてもやむを得ない、象徴天皇制を維持する上において必要な制度になっておる」と答弁している。要するに、「世襲制度の維持」「象徴天皇制」をその理由としている。


(3) 皇位継承資格の条件等、男女の性別による制度上の相違
 皇室典範1条において、皇位継承資格を皇統に属する男系男子に限っていること、更に、このことを根拠として皇室の諸制度において男女の区別があることと憲法14条の「法の下の平等」との関係が問題となるが、合憲としている。
 (理由)
 皇位継承制度と男女平等原則との関係については、政府は、「この皇室の問題は、やはり日本の伝統に基いた、そういった一般の男女の権利関係の問題とは別個に論じられるべきものではないか、またそういう伝統に基づいた統合の象徴というものが…国民の気持ちなのではないか」と答弁している。要するに、象徴天皇制度の基礎にある伝統と国民意識を理由としている。


(4) 婚姻の手続
 皇室典範10条が「立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。」と定めていることと憲法24条「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し…」との関係が、戦後廃止された「家制度」との関係、個人の尊厳といった観点から問題となるが、合憲としている。
 (理由)
 政府は、皇族男子の婚姻の場合に皇室会議の議を経ることにつき、「憲法で認めている特殊なる地位から発しているもの」と答弁している。要するに、世襲制を前提とした上で象徴(又は象徴たる天皇の地位に就く資格を有する者)の配偶としての適切さを確保することを理由としていると思われる。


(5) 非嫡出子の位置付け
 皇室典範6条が皇族の範囲から非嫡出子を除いていることと憲法14条「法の下の平等」との関係が問題となるが、合憲としている。
 (理由)
 皇位継承資格者から非嫡出子を除いたことについて政府は、「我が国におきます社会一般の道義的判断に照らして、天皇又は皇族の資格としては嫡出子に限る、こういうふうに考えるのが適当である」と答弁している。要するに、ここでは非嫡出子にも皇位継承資格を認めていた「伝統」を採らず、社会一般の象徴天皇の在り方に対する道義的判断を制度の理由としている。


(6) 養子の禁止
 皇室典範9条の養子の禁止と憲法13条「生命、自由及び幸福追求権」との関係が問題となるが、合憲としている。
 (理由)
 世襲制を基礎とする皇室制度において養子を認めることは制度の趣旨に反することから禁止されているものと考えられる。
 *なお、皇統に属する皇族を養子にすることは、世襲制には反しないが、現行制度では、これも系統を複雑にすることもあって認められていない。



2.天皇・皇族の行為に関する規範と基本的人権
 天皇・皇族の行為に関しては、次の人権に関して制度上又は事実上の制約がある(もちろん、すべて合憲である)。行為に関するこうした制約は、前述した1.の身分に関する制約と異なり、私人としての立場における行為に対する制約である。


(1) 選挙権(憲法15条)
 天皇が選挙権を持たないことについて政府は、「天皇は…象徴とされておられ…政治的に無色と…ということが要請される」(味村治内閣法制局第一部長(昭和55・3・27参・内閣委13頁))と答弁している。要するに「象徴」の属性を理由としている。
 皇族についても「皇族というのは天皇陛下を中心とする御一家で」(宮尾盤宮内庁次長(平4・4・7参・内閣委17頁))あり、皇族が被選挙権、選挙権を持つことは問題があるとしている。


(2) 思想及び良心の自由(憲法19条)
 天皇・皇族の思想及び良心の自由については、直接このことが問題となったことはない。仮定の問題として、天皇の内心と一致しない「おことば」を天皇を述べることとなるような場合に天皇の「思想及び良心の自由」を制約するかという問題が考えられる。しかし、象徴としての「おことば」は、象徴という憲法上の立場での、「おことば」であり、直接には人権の問題ではないと解される(意に反する場合でも退位できないという意味で、人権との関係での論点にはなり得る)。
 *学説上は、制約があるとする見解もある(奥平)。


(3) 信教(信仰)の自由(憲法20条)
 天皇の信仰の自由について、信仰の自由は「一般論として」「あるというふうに理解を」しつつ「天皇は…象徴であるという立場で、これまでも天皇陛下は皇室の長い伝統の中で皇室としての祭祀…をお続けになっているわけでございます。…当然天皇陛下は…皇室の祭祀というものを大変大事にしておられると考えております。」と政府は答弁し(宮尾盤宮内庁次長(平2・4・17衆・内閣委23頁))、天皇が自らの意思に基づき皇室祭祀を執行していることを前提として、人権の制約は事実上ないと理解しているものと思われる。
 仮定の議論として、天皇が現在の方式とは異なる特定の宗教による行事を私的に宮中で実施することとした場合に、国が異論をとなることがなければ、人権の制約はないということになるが、現在この点が問題となることは考え難い。
 *もっとも、学説上は、制約されているとする見解が多い


(4) 学問の自由(憲法23条)
 学問研究として、天皇・皇族が、例えば望ましい政治体制の在り方等政治に関する課題を研究すること自体は制約はないと考えられる。ただ、こうした研究を発表することが仮にあるとした場合、これについては政治的影響を及ぼし得る行為として、私人としての行為であっても「象徴」としての属性から、法律上、事実上制約を受けることはあるものと考えられる。


(5) 表現の自由(憲法21条)
 天皇の表現の自由については、私人としての行為であっても「表現の自由はお持ちでございますが、…政治には関与されない。つまり象徴たる性格にはなじまないような、そういう内容の表現の自由はお持ちにならない、制約をお受けになる」(真田秀夫内閣法制局長官(昭54・4・19衆・内閣委16頁))と政府は答弁としており、「象徴」としての属性からの事実上の制約又は政治的活動の禁止という法律上の制約があるものと考えられる。
 *皇族の表現の自由についての政府見解については、園田「皇室法概論」では書いておらず、明確ではない学説上は、皇族も制約があるとするのが一般的である。ただ、天皇とはその制約の強さが異なり、制約は弱いとも考えられるが、明確でない。


(6) 居住・移転の自由(憲法22条)
 現在、天皇の住まいは、国事行為や象徴としての各種行為を行うのに相応しいことから、東京に定められているものと理解され、そうしたことから天皇の居住・移転の自由は事実上制約されているものと考えられる。これは、国の機関(象徴たる地位も含め)としての地位に伴う制約と考えられる。
 皇族についても、天皇とはその制約の強さは異なると考える(皇族の一部が東京以外に居住することは、絶対に禁じられるものとは考えられない)が、公務との関係から居住・移転の自由は制約されているものと考えられる。


(7) 職業選択の自由(憲法22条1項)
 天皇・皇族が、学問研究・福祉活動等により収入を得ることは、当該行為を職業かどうかは別として、禁じられるものではない。ただ、そうした経済的行為のうち、象徴たる地位、皇族たる品位に相応しくない行為があるとすれば、そうした行為については事実上の制約があるものと考える。


(8) 外国移住・国籍離脱の自由(憲法22条)
 日本国、日本国民統合の象徴である天皇に、外国移住・国籍離脱の自由がないことは、その象徴としての性格上、当然のこととされると考える。
 皇族についても、天皇とはその制約の強さは異なると考えるが、外国移住・国籍離脱の自由は制約されているものと考えられる。


(9) プライバシーの権利(憲法13条)
 天皇のプライバシーについては、象徴である地位をどういった側面から見るかによっても異なるが、大きく分けて次の2つの考え方から、一般国民とは異なった位置付けがなされ得ると考える。
 すなわち、一方では、天皇は象徴であるからこそ、象徴に相応しい立場を維持すべくそのプライバシーは厚く保護されるべきであるという考え方が成り立ち、また他方では、象徴であるからこそ、公的な立場を有する自然人としてその立場との関係においてプライバシーが制約されるという立場が成り立ちうる。
 結論としては、どちらか一方の考え方によるのではなく、象徴という地位がそうした考え方が成り立ち得る側面を有するということを前提に、プライバシーという観点から保護されるべき個々の法益と「象徴」であることから生ずる様々な意義との関係を個別に検討し、判断していくものと考える。
 皇族についても、その立場に伴う公的性格と保護されるべき個々の法益の点においては天皇とは異なる面を有するが、プライバシーという観点から保護されるべき個々の法益と「皇族としての公的地位」から生ずる様々な意義との関係を検討し、判断していくべきと考える。
 *例えば、交際の自由も制約されることになります(奥平)。



3.天皇・皇族の財産に関する規範と基本的人権―私有財産に対する制約
 天皇・皇族に対しては、日常の生活に必要な基本的な財産についても制度上国が提供することとなっているが、別途財産の私有は認められている
 ただ、象徴の属性である中立性の確保等の理由から、財産の皇室への譲渡及び皇室からの賜与については国会の議決を要することとなっている(憲法8条)。




4.これ以外の自由についても(例えば子育ての自由)、広く制約されています。

このような「不自由は、かつて三笠宮崇仁殿下が特色づけた『奴隷的拘束』という言い方に集約されているように、良心の自由・信教の自由・表現の自由・居住の自由・子育ての自由・経済諸活動の自由・選挙など政治活動の自由、その他の自由・権利の包括的な剥奪を意味します。『退位の不自由』は、普通の人間が享有している権利保障大系の恵沢そのものへの制約とさえ言えます。これは、単に宗教の自由や表現の自由といった個別の『人権』を超えたところにある『不自由』です。個別の『人権』の制約とは一味も二味も違うのです。」(奥平康弘「『萬世一系』の研究」379頁~)。

このような包括的な自由・権利の剥奪は、憲法が象徴天皇制を設定したためであって、象徴天皇制維持のために、天皇・皇族という個人的存在が犠牲になっているのです。


現行法では、女性皇族は、皇籍離脱の自由・婚姻の自由があるわけですが、女性天皇を認める場合には、皇籍離脱に制約が生じ、婚姻手続にも制約が生じることになります。さらに、女系天皇を認める場合には、世襲制維持のため、女性皇族には事実上出産が強制されることになります。

また、女性皇族は、皇籍離脱があるものとずっと教えられてきて、それを予定して今後の人生を考えていたのに、皇室典範を改正したから(おそらく同意なしに)離脱できないことになったと言われたのでは、離脱の期待を裏切られることになります。そのような離脱の期待権は皇族だからといって、一方的に奪ってしまっていいのでしょうか?
皇族か否かでは人権制約の程度が著しく異なる以上、離脱の自由を奪うことには躊躇を覚えるのです。(もっとも、有識者会議の報告書通りの改正となれば、皇籍離脱できないのは内親王に限定されますが、それでも、内親王の離脱の期待は奪われることになります。)


女性皇族が結婚後も皇族にとどまり、おそらく結婚相手たる男性も皇族となるでしょうから、結婚相手も皇族の人権制約を受けることになります。例えば公務との兼ね合いで、職を辞することもあり得ます。そうなると、女性皇族が結婚を望んでいたとしても、相手が出てこないおそれが大きいとさえ言えるでしょう。仮に、結婚の候補者が出てきたとしても、皇室会議にによる議を得られず、結婚できない可能性もあるのです。


女性天皇・女性皇族を認める場合には、上に挙げたような包括的な自由・権利を剥奪し続けることを、退位できない女性天皇を認めることは、かつて三笠宮崇仁殿下が特色づけたように、「奴隷的拘束」を受け続けることを強いることであるを理解しておくべきです。

テーマ:皇室典範について - ジャンル:政治・経済

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2006/03/01 [Wed] 19:03:59 » E d i t
asahi.comによると、井上薫判事は再任希望を撤回していたそうです。このエントリーのタイトルはその記事の表題です。この記事についてコメントしたいと思います。


1.asahi.com(2006年03月01日13時19分)によると、
 

 「『判決短すぎ』井上判事、退官へ 再任希望を撤回

 判決文の短さなどが問題となり、10年の任期切れを控えて再任されるかどうかが注目されていた横浜地裁の井上薫判事(51)が2月末、再任希望を自ら撤回していたことがわかった。昨年12月の下級裁判所裁判官指名諮問委員会で『再任は不適当』と答申され、1日の最高裁裁判官会議で審議される予定だった。だが、直前になって自ら希望を撤回したため、審議の対象にならなかった模様だ。4月に任期切れとなり、退官する見通し。

 この日の裁判官会議では、諮問委で『不適当』とされた4人のうち、井上判事や同様に自ら希望を撤回した計3人を除く1人について、答申通りに再任しないことを決めた。判事・判事補が任命・再任されなかったのは、記録が残る69年以降、9人目。ほかの183人については、任命・再任されることになった。

 最高裁は、プライバシーの観点から、対象判事らの名前や理由は公表していない。 …」


としています(3月1日付夕刊に出ていなかったので、3月2日付朝刊に出るかと思います)。




2.以前、井上判事は、昨年の12月14日に緊急声明を行っていました。その声明を抜粋すると(要旨全文は、「井上判事の緊急声明へのコメント」に出ています)、

 「最高裁はなりふり構わず、裁判干渉を拒否した私の再任を拒否して見せしめにしようというのだ。放置すれば裁判官の地位は死に絶え、国民の基本的人権は絵に描いた餅となる。このような違憲かつ理不尽を黙過することはできない。最高裁に対し再任拒否を撤回するよう断固要求する。また、国会に対し弾劾裁判と国政調査権の発動、内閣に対し最高裁の指名抜きの任命などの非常の措置を要請する。」


というものです。
この声明からすると、この段階では再任希望だったはずです。もし万一、最高裁が再任拒否を撤回したとしても、そもそも本人が再任を希望していなければ、再任対象者がいない以上、再任しようがないからです。



(1) なぜ、再任希望を撤回したのかははっきりしませんが、「1日の最高裁裁判官会議で審議される予定だった。だが、直前になって自ら希望を撤回したため、審議の対象にならなかった模様だ」という記事からすると、最高裁裁判官会議の審議対象となることを避けたためと思われます。

そうすると、かなり推測になるのですので不確かになりますが、審議内容次第によっては、退官後弁護士会登録ができないと考えたからと思います。 

弁護士法を引用すると、

(登録又は登録換えの請求の進達の拒絶)
第十二条  弁護士会は、弁護士会の秩序若しくは信用を害するおそれがある者又は次に掲げる場合に該当し弁護士の職務を行わせることがその適正を欠くおそれがある者について、資格審査会の議決に基づき、登録又は登録換えの請求の進達を拒絶することができる。
  一  心身に故障があるとき。
  二  第七条第三号に当たる者が、除名、業務禁止、登録の抹消又は免職の処分を受けた日から三年を経過して請求したとき。
 2  登録又は登録換えの請求前一年以内に当該弁護士会の地域内において常時勤務を要する公務員であつた者で、その地域内において弁護士の職務を行わせることが特にその適正を欠くおそれがあるものについてもまた前項と同様とする。
 3  弁護士会は、前二項の規定により請求の進達を拒絶する場合には、登録又は登録換えを請求した者に、速やかに、その旨及びその理由を書面により通知しなければならない。
 4  弁護士会が登録又は登録換えの請求の進達を求められた後三箇月を経てもなお日本弁護士連合会にその進達をしないときは、その登録又は登録換えの請求をした者は、その登録又は登録換えの請求の進達を拒絶されたものとみなし、行政不服審査法 (昭和三十七年法律第百六十号)による審査請求をすることができる。




この登録拒否事由である12条のうち、1項の「弁護士会の秩序若しくは信用を害するおそれがある者」か、2項の「登録又は登録換えの請求前一年以内に当該弁護士会の地域内において常時勤務を要する公務員であつた者で、その地域内において弁護士の職務を行わせることが特にその適正を欠くおそれがあるもの」について、該当するかが問題となるでしょう。従来からの井上判事の言動をも考慮すると、最高裁判所が厳しい判断をする可能性もありえたのですから、いずれかに該当したかもしれません。個人的には、該当する可能性は低いとは思いますが。

その意味では、最高裁裁判官会議で審議される前に再任希望を撤回した、井上判事の判断は賢明であったと考えます。



(2) しかし、この再任希望撤回に至るまで雑誌「諸君!」(2006年1月号)や新聞のみならず記者会見まで開いて、再任を希望し、再任希望を貫徹するため「国会に対し弾劾裁判と国政調査権の発動、内閣に対し最高裁の指名抜きの任命などの非常の措置を要請」という、明らかに司法権の独立を害する違憲行為まで公然と要請していた態度は、一体なんだったのでしょうか?

私自身は、再任希望を撤回した井上判事の判断は賢明であったと思いますが、井上判事の言動に賛成していた人たちや「諸君!」の編集部・読者は、井上判事が結局は、再任希望を撤回したことを知ったらどう思うのでしょうか? 「背信行為である」とか、「ひどくがっかりした」と思い、裏切られたと思うはずです。


なにも弁護士登録できなくても、多数の著書からすれば、どこかの法科大学院なりで学者として活動できる可能性があったのですから、再任希望を撤回しなくても良かったと思うのです。

それに、たとえ弁護士登録できたとしても、訴訟当事者から不満を受けていながら聞き入れない元判事に対して、事件処理を依頼する依頼人がどれだけいるのだろうかと思います。蛇足だからと言って依頼人の希望を殆ど聞き入れてくれないのではないかと、依頼することさえも躊躇するでしょう。おそらく、事実上、弁護士活動で報酬を得ることは難しいと推測します。

そうなると、再任希望を撤回しようが、再任拒否で退官することになっても、いずれにしても今後は学者やあるいは(弁護士以外の)別の道を歩むしかないと思うのです。



(3) 再任希望撤回によって井上判事は、井上判事を支持する方たちの信頼を失ってしまったと思います。もし井上判事が、今まで通りの信用回復を願うのであれば、記者会見などで、きちんと釈明やお詫びをすることも一案でしょう。

ただ、再任希望を撤回したことについてお詫びしたとしても、記者会見次第では、民主党の永田議員のようにかえって非難されることにもなりかねませんし、必ず信頼回復できると限らないのですが……。ですから、信頼回復なんて気にせずになにもしないのも一案ですが。

本来は、今さら再任希望を撤回するくらいなら、最初から雑誌などで、司法権の独立を侵害するような違憲行為の要請や上司への罷免請求などしなければよかったと思うのです。井上判事の徹底した態度を望んでいただけに、残念に思います。 今後のご活躍をお祈り致します。




<3月2日追記1>
法科大学院で学者としての道があると書きましたが、もし蛇足論を学生に強要するとなると、蛇足論は試験としては良い評価を受けると思えないので、試験対策上は大変都合が悪いです。もし蛇足論を強要した場合には、その講義を受講する学生にとって、大変な冒険といえるでしょう。試験の合格不合格は、今後の人生を代えてしまうのですから。その意味で、井上判事を法科大学院の教官として迎え入れることは、法科大学院にとっても冒険といえそうです。



<3月2日追記2>
井上判事による上司への罷免請求の点については、「井上薫判事による上司の罷免請求」というエントリーをご覧下さい。
井上判事については、このブログでは度々取り上げています。「井上判事の緊急声明へのコメント」「最高裁諮問委員会が井上判事を「再任不適当」と答申」「「『判決短すぎる』とマイナス評価」は不当なのか?」 「大阪高裁は違憲判断をしてはいけなかったのか?」というエントリーもご覧下さい。

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