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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2006/02/26 [Sun] 06:17:47 » E d i t
トリノ冬季五輪のフィギュアスケート女子で、荒川静香選手が金メダルを獲得しました。荒川選手にとって本当に良かったと思います。

1.ここで取り上げたいのは、読売新聞(平成18年2月24日付夕刊)に出ていたスルツカヤ選手コーエン選手の言葉です。
読売新聞(平成18年2月24日付夕刊4面)では、
 

「滑り出す直前、スルツカヤは何度も深呼吸をした。SP首位だったコーエンが転倒し、転がり込んできた金メダルのチャンス。…ライバルは自分だけ。いつもの演技ができれば、10年来の黄金の夢がかなうのだ。あと、4分。…

 最初のコンビジャンプは不発。3回転が2回転に。そして、何でもないジャンプで転倒。技術点を見た瞬間、『オーマイゴッド』。叫びが思わず口をついた。

 『自分の演技にはがっかりしたけど、これは競技で、氷の上では何でも起こり得る。今更もう、何も変えられないわ。それが人生よ」。…

 金メダルが欲しい、理由があった。2003年に腎臓病で倒れ、人工透析を受けながら2度目の移植手術を待っている母。生き写しの一人娘をスケート人生に導き、ずっとリンクサイドに付き添ってくれた母の、せめて笑顔が見たかった。

 そして、母が倒れた直後から、自らが患ってきた自己免疫疾患という難病。血管が炎症を起こすため、手足がむくみ、指先の感覚がなくなって、全身に痛みが走る。試合の合間に、突如膨れて入らなくなった足を、泣きながら靴に押し込んだこともある。翌04年に病名が判明、投薬で炎症を抑えながら、復活を遂げた。

 病院のベッドで、自問自答して決めたことがある。『私はスケートなしには生きられない。何かが本当に欲しいなら、闘うための力を見つけよう。』前回ソルトレーク五輪で、一度指の間をすり抜けた、五輪への思いがそこにあった。

 体調は、今も万全ではない。『ここまでの4年間は、本当にハードだった。だからここに来られて、メダルを取ったことはうれしい』。銅の輝きを持つメダルを胸に、人生の勝者はそう言った。」



 「またもや。そんなため息が周囲から漏れた。ソレトレーク五輪でも、完璧なSPの後にフリーで転倒。あふれる才能を持ちながら、なぜか最後に自分でチャンスをつぶすコーエンが、そこにいた。

 ウォーミングアップでジャンプがうまくいかず、引きずった。コンビネーションにする予定だった最初の3回転ルッツで転倒。焦りから、次のジャンプでも手をつくミス。『自分を信じ続けて、音楽に乗った』後半は盛り返したが…生き生きとした表現も影を潜めた。

 『こんな演技で、銀メダルが取れたのが、むしろ驚き。ショックだったけど、起きたことは、ただ受け入れるしかないわ』

 『もう少しのサーシャ』のレッテルは、結局返上ならなかった。『でもね。突き詰めれば、メダルは問題じゃないと思うの』と、思索家になったコーエンは言う。

 『これは人生の、一日のうちのたった4分間の出来事。私にとっては、ここまで来る4年間の過程の方が大事。自分が人として選手として、成長した確信があるから』。過去のメダルは靴箱に、すべて一緒くたに入れてあるのだという。積み重ねた努力の報酬で、ちょっとずつ、重さを増しながら。」

という記事が出ていました。

銅メダルだったイリーナ・スルツカヤ選手は27歳(ロシア)、銀メダルだったサーシャ・コーエン選手は21歳(アメリカ)ですが、実に深みのある言葉を述べてます。
「それが人生よ」とか、「これは人生の、一日のうちのたった4分間の出来事」とか、そうそう言えるものではないと思います。記事から分かるように人並み以上の苦労や苦悩があればこそ、様になる台詞です。人としての深みも感じさせます。




2.これに対して、我が国の首相
asahi.com(2006年02月24日21時01分)では、
 

『何もかも満点だった』首相、電話で荒川選手を祝福

 『素晴らしい演技で何もかも満点だった。本当にみんなを感動させてくれた』
 小泉首相は24日夕、トリノ五輪の女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香選手に、電話で祝福の言葉を贈った。首相が『特に『トゥーランドット』の選曲も良かった。パバロッティが開会式で歌ったでしょ。私もあのオペラ好きなんですよ』と話すと、荒川選手も『運命を感じました』と答えた。 」

としています。

「何もかも満点」ってミスはしているのですが…。見てなかったのでしょうか? またもや「感動した」ですか…。はー。ワンパターンですね。
それに、「トゥーランドット」を選曲しても評価が上がるわけではないのに、選曲が良かったとはどういう意味でしょう? 自分が好きだからですか。
わざわざ荒川選手に対して、「トゥーランドット」が好きだという自分の好みを言ってますが、荒川選手にとって何の意味があるのでしょうか? 小泉首相が「トゥーランドット」が好きだろうと嫌いだろうと、荒川選手にとって無関係であって、荒川選手は返事に困るだけです。訳が分かりません。



結果的にドイツ国民を悲惨な状況に導いたナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは、自殺する前に

「私はドイツ国民に同情しない。国民が自分のほうからわれわれに委託したのだ。……つまりは自業自得ということだ」

という台詞を残したとされています(ベンジャミン・フルフォード「さらば小泉 グッバイ・ゾンビーズ」(2006年)14頁参照)。

選挙で有権者は自民党を政権党として選び、その結果、小泉首相が首相を続けているのですから、どんな訳の分からないことを言おうと、国民・有権者の自業自得です。
しかし、もう少し、ほんの僅かでも考えた言葉を言って欲しいものです。ともかく首相なのですから。スルツカヤ選手とコーエン選手のような、深みのある言葉を述べるのは到底無理だとしても。
もう1つ。荒川選手が帰国した後、小泉首相が荒川選手を政治利用する愚行は、あまりに見苦しいので止めて欲しいです。




<3月1日追記>
スルツカヤ選手についての記事について引用を増やしました。「病院のベッド…」で始まる部分(下から2段落目)です。

テーマ:トリノオリンピック関連 - ジャンル:ニュース

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2006/02/25 [Sat] 06:34:45 » E d i t
2006年2月24日(金)7時から、東京芸術劇場大ホールで行われたコンサートに行きました。そのコンサートの感想です。


<PROGRAM>


指揮者:飯守泰次郎、ピアノ:田部京子
新日本フィルハーモニー交響楽団、コンサートマスター:崔文洙

曲目
グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23 
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」

アンコール曲
チャイコフスキー:アンダンテ カンタービレ




「ルスランとリュドミラ」序曲は、「いかにもロシアというお国柄を感じさせ、活達さのうちに感傷性とヴァイタリティのこめられた1曲」(プログラムの解説より)です。

勢いのいい元気で豪快な感じの演奏です。飯守泰次郎さんらしさの出た演奏です。…んー。ちょっと、音が揃っていない感じに聞こえましたが、これも味わいなのでしょう。



ピアノ協奏曲第1番は、「曲は3楽章形式、ピアノにはハイ・テクが要求され、豪快なダイナズムと優婉な叙情、繊美な感傷が綾織りになる」(プログラムの解説より)曲です。

田部京子さんの演奏は、女性らしいオーソドックスな感じですね。オーケストラの方は元気良く。



交響曲第6番は、「ファゴットが苦悩の固まりのように吹く序奏」から始まり、「チャイコフスキーならではの名旋律」が続く「彼の交響曲中で最高傑作」(プログラムの解説より)と言われている曲です。

全体として、そこはかとないメランコリーな感じを、とにかく前面に出すような演奏でした。これもいい演奏だと思います。

ただ。序奏が繊細な感じでなかったり、ちょっとついつい元気のよさが出てきていて、曲中からうかがえる感傷的な感情の揺れが、こちらに伝わってこないような……。

それと、どうも音が揃っていないようにも受け取れました。「ぴちっと揃えるよりも、感情を全面に出した演奏を!」というのが飯守泰次郎さんの演奏方針なのでしょうね。飯守泰次郎さんの方針や指揮はいいと思うのです。おそらく「感情を全面に出すことを優先、しかしちゃんと音も揃えて欲しい」が意図だったはずですが、オーケストラの方が、その要求に今一歩応えていなかった感じでした。本来は、オーケストラ自身の演奏能力は高いのでしょうけど、この演奏では、並みの演奏能力に感じられました。



アンコール曲の「アンダンテ カンタービレ」は、大好きな曲で、これが聞けたのは大変嬉しかったです。この演奏が一番良かったです。




最後に。この日の観客についてです。この演奏会では一番問題でした。


自分が席を間違えているのに、横柄な態度で「間違っているから退け」と言い募る観客(65歳~70歳の男性)を見かけました。おそらく券をプレゼントされて、しかも普段コンサートに行っていないせいなので、間違えるのも仕方がない面があるとは思います。しかし、係員がいるのですから、係員に聞けば済むことなのですし、横柄な態度をする理由が不明です。

また、交響曲第6番の第3楽章の終わりに、曲が終わったと間違えて拍手する方が数十人もいるという失態があり、これにはがっくりきました。第4楽章は静かに終わるので、余韻を楽しむためにはすぐに拍手しない方がいいのですが、すぐに拍手したり。この曲を全然知らないことが明らかです。

他には、演奏中に傘を倒して、パタパタ音がするのも何度かありました。かさを横にしておくという配慮ができていないのです。休憩中に観客席でPCを起動させたりする人もいましたが、休憩中なら何をしてもいいわけではないことが分からないようです。

長年コンサートに行っていますが、今回の観客のマナーは一番良くなかったです。演奏には満足できましたが、観客のマナーのおかげで、憂鬱な気分になりました。



相変わらず、40代前の人が殆どいません。殆どが60代以降に見えました。「週刊東洋経済」(2006年2月11日号)では、「日本のオーケストラ真冬の奏鳴曲」という表題で、
 

「クラシックを題材にした漫画『のだめカンタービレ』が500万部を超え、名曲100曲のさわりを集めたCDがベストセラー化するなど、表面的にはクラシックブームのようにも見えるが、現実は厳しい。
 日本のクラシック愛好家の人口比率はわずか1%。クラシックの公演動員数は2003年で440万人、市場規模はたった248億円(東京国際フォーラム広報室)だ。NHK交響楽団など国内トップオーケストラでも、定期会員の高齢化が進み、中核は50歳代以上の中高年。このままではオーケストラはファンの高齢化とともに消え行く運命にある。
 だが、ここに来て改革の芽吹きも見え始めた。…」

という記事がありました。
クラシック愛好家が少なく、その公演に来る観客のマナーも悪い。「改革」も演奏技術の劣化につながったりしないのでしょうか? 今後、観客が増えたとしても、マナー向上までは望めないでしょう。

テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

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2006/02/24 [Fri] 00:56:15 » E d i t
朝日新聞(2005年11月25日付朝刊37面)において、「『女性・女系天皇』こう考える 皇室の未来議論尽くせ」という表題で、編集委員の岩井克己氏が記事を書かれていました。是非、記憶にとどめておきたいので、ここに書くことにしました。

1.

 「『女性・女系天皇』こう考える 皇室の未来議論尽くせ
 
 皇室典範に関する有識者会議が、女性・女系天皇を認める報告書を出した。しかし、論じられなかった問題も多い。舞台は政治の場に移るが、象徴天皇制と皇室の伝統の根幹にかかわるだけに、国民のコンセンサスの形成は不可欠だ。拙速だけは避けるべきだろう。
 天皇陛下は23日夜から24日未明にかけ、闇に包まれた宮中三殿の神嘉殿で、最も重い祭祀の一つである『新嘗祭』を1人きりで執り行った。寝床がしつらえられ、くつが置かれた神座のそばで、きり火で調理した新穀の蒸しご飯や山海の幸を竹製のはしでカシワの葉でつくった食器に盛り、土器についだ神酒とともに供え、食す。古代の最上のもてなしの再現で、天皇の祖先祭祀でもある。
 祖先祭祀は、一つの起源から生まれ枝分かれした出自や、個々人の寿命を超えた生命の連続性を確認することにあるとされる。
 男系で古代からつながれてきた皇位継承を女系にも認めることは、皇室の『皇統』と親族構造を根底から転換することになる。女系を皇統の連続ととらえるか、断絶ととらえるか。
 
 男系男子継承を断念する理由として、報告書は側室制度と、高い出生率が失われたことを挙げている。
 吉川弘之座長は『出生率1とすれば3代でゼロになる可能性すらある』と確率論を強調した。
 しかし、3代といえば100年間は継承が可能だ。有識者会議は何百年単位の議論として確率論を持ち出したのか、首をかしげざるをえない。若い世代の置かれた厳しい社会状況を映す少子化を、『産まない選択』は考えにくい皇室に適用するのには唐突感がある。
 もともと男系や女系の単系で長い年月にわたって血筋を守るのは難しい。その中で世界に例がないほど男系が続いてきたのが日本の皇室だ。
 
 また、伏見宮系統の旧皇族について、現天皇との共通の祖先が600年さかのぼることや皇籍離脱から60年たったとして復籍を退けた。
 しかし、皇室と同格に近い世襲宮家として皇室と伝統を支えてきた由来、また明治天皇が同宮家の男子に次々に新宮家設立を認め、皇女を嫁がせて近親関係を再構築した歴史なども踏まえた上で判断すべきだったのではないだろうか。
 
 吉川座長は『男系がいいか、女系がいいかという哲学や歴史観に基づいた議論はいっさいしなかった』『歴史観は当然、議論すべきだが、それは国会で議論すべきもの。私たちはミニ国会ではない』と語った。肝心のことについては議論を避け、国会にゲタを預けたとみられても仕方がないだろう。
 
 天皇の胸中はうかがい知れない。娘を送り出してまだ10日。典範改正となれば、孫娘の敬宮愛子さま、秋篠宮眞子さま、佳子さまらが結婚後も皇室に残り、皇族でない男性が初めて皇籍に入る。敬宮さまが、将来の天皇として重い責務を負う生涯を歩む。女系の天皇で、祖先祭祀が重く受け止められ引き継がれていくのかどうか――。
 有責者会議は、祭祀については、過去の女性天皇もこれを行ったと確認したが、女系の天皇が祖先神や歴代天皇を祭祀する意味について議論した形跡はない。
 
 皇位継承をどうするかは、皇室典範だけではなく、戦後も受継いできた明治の儀礼体系など皇室制度全般にかかわる。『なぜ皇室が必要なのか』との問いも含め、象徴天皇制の将来をトータルに議論すべき課題だろう。過去、現在、未来の世代にかかわる問題であり、皇族方の運命も左右する厳粛な事柄だ。
 
 男子の継承者は現に6方いるのだから、時間はある。議論を掘り下げ、十分に国民の理解を深める手順を踏まずに押し切れば、禍根を残すだろう。
 初めて女系天皇を認めることは、天皇制の歴史的大転換である。各政党とも、その重みを十分に認識しつつ、憲法改正に匹敵する十分に年月をかけた取り組みをすべきだろう。」





2.これに対して、同じ日の朝日新聞の社説は論調が異なっていました。

(1) 朝日新聞の社説
は「皇位継承 時代が求めた女系天皇」という表題で、

「皇室典範に関する有識者会議の報告書がまとまった。……皇室では、皇太子の次の世代に男子がない。皇位の継承者を皇室典範が定める男系男子に限れば、やがては天皇になる人がいなくなる恐れがある。将来にわたって安定した皇位継承の制度をどうつくるか。それが有識者会議の課題だった。その意味で、『女性天皇、女系天皇の容認』と『第1子優先の継承』という結論は妥当だと思う。支持したい。…」

という内容で、深く悩む形跡がない、手放しの賛成でした。



(2) 皇室典範を改正した場合に、将来が大きく変わる女性皇族については、岩井編集員は、

「典範改正となれば、孫娘の敬宮愛子さま、秋篠宮眞子さま、佳子さまらが結婚後も皇室に残り、皇族でない男性が初めて皇籍に入る。敬宮さまが、将来の天皇として重い責務を負う生涯を歩む。」

と書いているのに対して、
朝日新聞の社説は、

「皇族がみずから皇室を離れたりすることができないか。そうしたことも、この報告書を機に、議論が広がってほしい。」

とするだけで、殆ど配慮していません。

女性皇族は、現行法では自らの意思による皇籍離脱が可能なのに(皇室典範11条1項)、朝日新聞の社説は知らないのです(まさか、皇太子殿下にも意思による皇籍離脱を認めよという意見ではないのでしょうけど…)。むしろ、女性天皇・女系天皇を認める皇室典範の改正によって、女性皇族は意思による皇籍離脱は不可能になる可能性が高いことも分かっていないようです。

仮に、朝日新聞の社説が言うように、女性天皇・女系天皇を認める皇室典範の改正においても意思による離脱を認めるとすると、皇位継承者がいなくなる可能性がありますが、それでもいいのでしょうか? 安定した皇位継承を望んだ社説と矛盾します。
それに、女性皇族しかいない状況で、すなわち、皇位が断絶する瀬戸際の状況においては、離脱しないで欲しいと願うと思われる多数の国民の期待に反して、離脱の意思を表明できるわけがありません。朝日新聞の社説の意見は、あまりに無邪気すぎます。この朝日新聞の社説を書いた論説委員は、きっと「理解力ゼロ」なのでしょう。



(3) 伝統については、岩井編集委員はかなり縷々書いているのに対して、朝日新聞の社説では、
 

「有識者会議は、伝統には各時代によって選択されてきた面があり、何を次の時代に引き継ぐかを重視する、と述べた。これも、戦前と戦後で皇室のあり方が大きく変わったことを思えば、適切な考え方だろう。
 戦後、家制度がなくなり、男女の役割の考え方も変わった。皇室のあり方も、そうした社会の変化を無視できまい。」

として、一蹴しています。

皇族の歴史上の伝統としては、男系男子継承と祭祀があります。いくら伝統といっても、有識者会議が言うように次の時代に引き継ぐがない伝統もあるでしょう。しかし、皇族以外の者が「伝統は代えていい。祭祀は女性天皇だってできる。」と評価したとしても、皇族でない者が勝手にそのように評価してよいでしょうか? 
男系男子継承と祭祀は、いずれも皇族の私的な面の問題でもあるのです。そうすると、皇族の私的な面については、特に私的な要素が強い祭祀について(ただし、大嘗祭など公的性格があるものもあります)は、皇族の信仰の自由が制限されずに認められているのですから(園田「皇室法概論」50頁)、他人が勝手に評価して、勝手に変更していいことにはならないはずです。
後で触れますが、今年の皇太子殿下の誕生日記者会見において、皇太子殿下は「宮中で行われている祭祀(さいし)については、私たちは大切なものと考えています」とお答えになっているのに、その意向を無視して勝手に変更していいのでしょうか?
少なくとも、憲法31条で保障されている「告知聴聞を受ける権利」を行使する機会を与えることなく、勝手に変更することは妥当ではないでしょう。

有識者会議や朝日新聞の社説の意見よりも、岩井編集委員の方が真っ当な意見であると考えます。



(4) 朝日新聞(平成17年10月6日付朝刊)の記事では、

「政府が改正案提出を急ぐ背景には『愛子さまが天皇になる可能性があるなら、教育などの面で、今から準備しないと間に合わない』(関係者)という事情もある。」

としていました。


しかし、2月23日に46歳の誕生日を迎えるのに先だって行われた、皇太子殿下の記者会見について、asahi.comの記事では、

皇太子さま記者会見の一問一答(1) 2006年02月23日06時11分

【質問】敬宮愛子さまが今春、学習院幼稚園に入園されます。最近のご成長ぶりについてお聞かせ下さい。殿下自身が受けられた皇族としての教育を振り返りつつ、教育方針についてもお聞かせ下さい。

 皇族としての教育ということについては、もう少し先の段階だと思います。私自身が幼稚園に入園する段階では、一人の子どもとして成長することに重きが置かれたように思います。ただ、幼稚園という初めての集団での学習をする場に入るのにあたって、今の両陛下がいろいろと心を砕いてくださったことは記憶にあります。ことに幼稚園に入って、ほかの子どもたちと一緒に楽しく遊べるような体力をつけること、たとえば飛んだり跳ねたり走ったり、あるいは木に登るなどそういう風なことをいろいろ考えていただけたと思います。また、学校の方針を信頼してすべてを委ねてくださったこともありがたいことと思っています。 」

としています。

このように愛子様の教育について急く必要がなく、皇太子殿下の経験からしても、急ぐ必要はないのです。なのに、なぜ政府関係者は勝手に邪推して皇室典範改正を急いでいたのでしょうか? やはり、皇族の意見を聞いておらず、無理解なまま改正をするつもりだったのです。


有識者会議は、肝心な女系がいいかという哲学や歴史観に基づいた議論をしなかったのですから、その議論をきちんと行い、何よりもこの問題について十分に理解した上で、改正すべきでしょう。

皇室典範の改正によって、1500年(あるいは2600年)維持してきた伝統を終了させる問題であるとともに、皇族全員と皇族と結婚する相手の人生を大きく左右する問題なのです。朝日新聞の社説を書いた人は、皇族全員と皇族と結婚する相手の人生に無頓着すぎます。皇族全員と皇族と結婚する相手を、何でも言うことを聞くロボットか何かと間違えているようです。
単に、「将来にわたって安定した皇位継承の制度をどうつくるか。」とか「男女の役割の考え方が変わった」と言い捨てて、結論がだせる問題ではないのです。
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テーマ:皇室典範について - ジャンル:政治・経済

憲法 *  TB: 0  *  CM: 2  * top △ 
2006/02/21 [Tue] 00:07:31 » E d i t
今国会における皇室典範改正案の提出は見送りになったというような報道があり(朝日新聞2月10日付、読売新聞2月10日付)、今国会の様子を見るとどうやら本当のようです。ただ、小泉首相は明言しておらず、今一歩信用できない報道ですが。
一応、見送りになったということで静かに議論できると思い、女性天皇・女系天皇に関する法律問題(上)」の続きを書いてみたいと思います。


1.憲法は国民主権原理に立ちながら、象徴天皇制を採用しています。この象徴天皇制は、天皇の地位の世襲を基盤に成り立っているので、「生まれによる差別」を排除する憲法14条の平等原則の例外をなしています。この世襲を基盤とした象徴天皇制は、憲法自身が認める例外なので、違憲ではないことは明白です。
世襲制について憲法は、世襲制(憲法2条)については定めていますが、その世襲の仕方については皇室典範に委ねています。現行の皇室典範は、皇位の継承を男系男子だけに認め、女性天皇(いわゆる女帝)を認めていません(皇室典範1条)。これは男女平等の原則(憲法14条)に反して違憲なのでしょうか?


(1) 論じる前提として、次のような誤解を解消しておくことにします。

イ:天皇の地位にある人権の侵害である。←間違い。天皇の地位に就く資格の問題であって、すでに天皇の地位にある人権の問題ではない。

ロ:女性が天皇に就くことができないことは、女性の天皇になる権利を侵害する。←間違い。天皇の地位につく資格は基本的人権に含まれていないから、権利についての平等原則の侵害ではない。

ハ:国家機関を担当する公務員では男女平等が要請されているから、天皇という機関における男女平等も要請される。←間違い。他の国家機関と異なり、世襲制という差別を前提とした機関であるから、公務員と同じ要請は働かない。

ニ:平等原則は権利の面だけでなく義務の面にも適用されるか否かの問題である。義務にも適用があると解すべきであるから、女帝も認めるべきである。←間違い。平等原則が義務に面にも適用されるか否かの問題ではない。平等原則が義務の面にも当然適用される点では、学説上の争いはないからである。



(2) では、学説を紹介します。

イ:違憲説(横田耕一・辻村みよ子・植野妙実子):世襲制は憲法の例外であるが、世襲制に合理的に伴う差別以外の差別は認めるべきでない。
  (理由)
   ・世襲制が当然に性差別を内包するものではないから、性差別を合理化する積極的根拠はない。
   ・象徴としての地位(儀礼的な行為を行うだけの象徴職)に就くのに性別の要件は必然ではなく、日本の法制度や慣習上の性差別を助長温存する機能を果たしているので、合理的理由のない差別的取扱いである。
  (批判)
   ・男系男子の天皇制が日本の法制度や慣習上の性差別を助長温存する機能を果たしているとはいえない。一般論として、天皇家社会よりも、日本の普通社会の方が平等化が進んでいる。日本において差別を生んでいるのは天皇制ではなく、我々によって構成されている日本社会こそが差別を生んでいるのである。

ロ:合憲説(通説):憲法が平等原則の例外として世襲を認めているから、違憲とはいえない。
  (理由)
   ・皇位の継承はその世襲の当然の結果として、皇族という特定の身分に限られるので、憲法2条自体がすでに憲法14条の例外をなしていると考えるべきであり、皇位継承について憲法14条と異なる規定を皇室典範によって定めても違憲とはいえない。
   ・日本の歴史上、10代、8人の女帝が存在したが、いずれも特別な事項によるやむを得ない臨時の措置であり、また、これらの女帝の系統がその後皇位についていない。女帝を認めないことが歴史上の伝統であった。
   ・世襲制自体は、男系主義、女系主義のいずれも可能であるが、皇室制度の歴史的伝統からすれば、一貫して男系主義が採られており、憲法2条の「世襲」とは男系主義による世襲を指すものである。
   ・歴史上の女帝の実例はすべて寡妃(皇后であって、夫である天皇の崩御後に即位)となった場合及び未婚の皇女であり皇配の問題は生じなかったが、女帝制度を認めると将来はそれが生じうる。イギリスのようなプリンス・コンソートの制度の伝統が確立し、国民感情もそれに親しんでいる国々と異なり、日本の場合には、皇配の選考と取扱いについては皇族男子の婚姻の場合よりも更に深刻な問題が生じることが危惧される。



(3) ではどちらの説が妥当でしょうか?

佐藤=中村=野中「ファンダメンタル憲法」(1994年)22頁~によると、
 

「近代立憲主義の基本原則の1つとしての平等原則は、憲法14条に規定されているが、それはなによりも『生まれ』による差別の撤廃を要請する規範であることについては、ほとんど争いはないといってよい。そしてその中に『生まれつきの身分による差別』、『性の違いによる差別』の両方が含まれることも――歴史的には前者の撤廃がまず優先したという経緯はあるものの――今日では争いのないところである。
 
 ところで天皇制は世襲制を前提にしており、これはまさに『生まれつきの身分による差別』にほかならない。それにもかかわらず憲法はあえて世襲の象徴天皇制を容認した。したがって天皇制は憲法14条には内容的に合わないが、まさに憲法の認める例外として、違憲の問題はまったく生じない。ところが憲法自体ではそのような規定を設けず、皇室典範の段階でそのような規定を設けた。皇室典範は憲法の下位規範であるから、男女差別を歴然と行っている点で憲法14条に形式的に違反することは明らかである。ただ問題は、だから皇室典範1条は憲法14条に違反し、違憲の法令だといえるかどうかである。この点でたとえば横田教授は、女帝否認論の根拠のひとつひとつにつき、その合理・不合理を検討した結果、どれにも合理性が見出せず『端的に、これを違憲とみている』…とする。たしかにそのような分析をすれば、ほとんど合理性を見出すことはできないと私も思う。

 しかし実は問題はそれから先にある(あるは逆にそれ以前にあるといってもよい)のであって、合理性がないから憲法14条に違反し、違憲だとは必ずしもいえない。すでに紹介したように世襲制自体が特殊・例外的なものだから平等原則の適用を問題にする意味がないというのがむしろ多数の学説の考え方なのである。これに対して、違憲説は、特殊な制度において一部の人たちの間にだけ生じる問題であっても、平等原則の適用を受けるという考え方を前提として成り立つ議論である。

 そしてここの違いが結局はもっとも肝心な点であるが、この点、私はすでに平等原則がなりよりも禁じる『生まれつきの身分による差別』を前提として成り立っている制度の中では、通常それに随伴するそれと同質の差別あるいはそれ以下の第二次的な差別は、一般的な平等原則のカバーする領域からはずれた問題だととらえたい。

 ちなみに形式的に平等原則に違反するのは、女子差別だけではない。皇室典範2条には、皇位継承の順位が定められていて、まず皇長子、ついでその子孫、皇次子、ついでその子孫というふうに、長系や長を先にすると定められている(同条3条)。これはこどもの平等な相続権を認める民法の原則に反するし、憲法の平等原則に形式的には反しているといえなくもない。しかしこれをも違憲とする議論には今までおめにかかったことがない。これは世襲制を認める以上当然認めなければならないことと考えられているからであろう。しかし伝統的要素を抜きにして、純粋に論理だけの問題としてみれば、長子相続だけが唯一の選択肢なのではなく、たとえば末子相続でも一向にかまわないのである。

 このように世襲制を認める以上、それに随伴したいくつかの不合理をも併せて認めていると考えざるをえないのではなかろうか。政策論としてはともかく、憲法の明文で例外を個別的に認めていない限り、一般的な憲法原則が適用されるべきだという考え方は、やはり適切でないと思われる。」

としています(原文とは異なり見やすいように段落分けしています)。要するに、世襲制という大きな差別の中には性差別は含まれている、「大」差別は「小」差別を含むというわけです(奥平康弘「『萬世一系』の研究」373頁)。


また、違憲の効果の点からも違憲説は批判されています。佐藤=中村=野中「ファンダメンタル憲法」(1994年)24頁~によると、

 「違憲説のいう『違憲』とは具体的にどのようなことを指し、どのような効果が考えられているのであろうか。この点については、違憲説の側からは必ずしもはっきりしたことが述べられていない。先にも述べたように皇室典範には性差別があり、それが憲法14条に形式的に違反することは明らかなのである。そのことの指摘だけならば合憲説と実はさして変わりはない。しかしそれを超えてきちんと違憲だという場合にはその効果が問題となる。

 普通には違憲のものは無効と考えられるので、皇室典範は違憲無効であり、それに拠った現在の天皇の地位も違憲無効ということになりそうであるが、違憲説ではそこまでの議論はしていないようである(現在の天皇の即位そのものについてこのような観点からの違憲論はみられなかった)。

 つぎに平等原則違反の解消のためには、当該差別規定をただちに無効とはせず、逆に女帝を認める規定に変えるという立法的解決が考えられる。むしろこの道が期待されているのだとすると、この場合の違憲の主張はさしあたり既成の事態の排除は要求せず、将来に向かって違憲排除をすべきだという議論になる。

 それは、『皇室典範の規定は違憲とまではいえないが、立法政策の問題としては女帝も認めるようにすべきである』という議論と論理的には一定距離を保っているが、実際の効果という点では、あまり違いないともいえる。立法政策論の主張も結局は、男女差別を必要とする積極的な理由はないし、ある程度違憲の疑いもあるくらいだから、むしろ男女平等を実現するのが望ましい、ということのようだからである。」

としています(原文とは異なり見やすいように段落分けしています)。
要するに、違憲説は違憲というだけで違憲無効という効果はだんまりを決め込んでいて、論理を一貫させていないのであって、立法政策論にすぎないというわけです。
もし、皇室典範が違憲無効であって、現在の天皇の地位も違憲無効となると、現在の天皇の行為、平成元年から18年の間の行為が全て違憲無効となって、その法律関係は大混乱となりかねないのですから、著しく妥当性を欠くことは明らかです。だからこそ、違憲説は、違憲の効果という最大の欠点について黙ったままでいるわけなのです。違憲説は、実に無責任な説というべきです。


このようなことから合憲説が妥当だと考えます。




2.合憲説からすると、憲法は皇位承継資格者・皇族の範囲について定めておらず、女性天皇・女系天皇を排除していないのですから、立法政策としては女帝天皇を認める、女系天皇を認める制度にすることは可能ですし、さらには旧皇族を皇族に復帰させる制度にすることも可能です。では、立法政策としては、いずれの制度が妥当でしょうか?



(1) まず女性天皇・女系天皇を認めた場合における女性皇族(内親王)が被る不利益について、理解しておく必要があります。

イ:皇籍離脱の不自由:現在の女性皇族は、皇室会議の議により、意思による離脱ができます。しかし、女性天皇を認めるとすると、男性皇族(親王)と同様に(皇室典範11条~14条)、離脱が困難になるか、離脱できなくなります。特に皇太子や皇太孫は、皇位継承順位が第1位であり、天皇の直系の子孫なので、離脱の自由がない(11条2項括弧書)ことからすると、愛子さまも、当然、離脱の自由はなくなります。

ロ:婚姻の不自由:女性皇族は、天皇及び皇族以外の者と婚姻すると皇族の身分を離れるので(皇室典範12条)、誰と結婚することも可能という、いわゆる婚姻の自由があります。しかし、女性天皇を認めるとすると、男性皇族と同様に、婚姻の際に「皇室会議の議を経る」必要があります(10条)。婚姻により皇族となる場合には、国の制度としてある皇室に新たな構成員を迎える意義があり、象徴天皇のあり方にふさわしくない者との婚姻は適当でないから、男性皇族の婚姻には皇室会議の議が必要となるのですが(園田「皇室法概論」540頁)、このことは婚姻後も皇室に残ることになる女性皇族の場合にも当てはまるからです。

ハ:事実上の出産強制:現在、紀子さまや雅子さまは、世襲制維持のため、事実上(男子の)出産を強制されています。もし女系天皇を認めるのならば、女性皇族はすべて、事実上(男女問わず)出産を強制されることになります。



(2) 次に、考慮すべき要素としては、法律的観点、政治的観点、歴史的観点から判断する必要がありますが、ここでは法律的観点から考慮すべき要素を挙げてみます。

<公的な面>
・一生涯の事実上の元首・対外的代表者を選任すること(生まれる前から血統で選定するという不確実な要素)
・天皇制維持ー世襲制を前提としたもの
・伝統ー皇統譜を前提とすると男系男子の伝統。女性は例外的。民間人から皇族入りした男性は一例もなし。

<私的な面>
・天皇家の私的な行為の承継(伝統ー男系男子の承継・民間人から皇族入りした男性の例なし、祭祀の承継)
・天皇家にいる女性皇族の人権制約(婚姻の不自由、出産強制、離脱不自由)+天皇に就く資格という利益・皇族にとどまる利益





(3) 上に挙げた点を踏まえて検討してみます。まず、女性天皇を認めることはどうでしょうか?

利益となる点としては、天皇制維持確保に寄与することです。これは女性天皇自体は伝統には反しないことになります。また、女性皇族も天皇という重要な地位を得ることができます。

不利益となる点としては、女性天皇は、離脱の自由がなく、婚姻の自由が制限されます。特に、もし女系天皇をも認めるとすると、女性天皇の負担が著しく重くなります。なぜなら、事実上の子を産むことが強制され、そして、事実上の出産強制と祭祀・公務を両立しなければならないからです。
また、民間人男性の皇族入りは、歴史上前例がなく、歴史上の伝統に反することになります。特に、皇族入りするような民間男性がいるのか、事実上の元首である女性天皇の場合、その配偶者となるような相手が出てくるのか疑問があります。



(4) 女系天皇を認めることはどうでしょうか?

利益となる点は、天皇制維持確保に寄与することです。また、女系皇族も天皇という重要な地位を得ることができます。

不利益となる点は、女系を認めていない伝統に反することになります。また、女系天皇を認めると、現に存在する女性皇族すべてに重い負担がかかることになります。なぜなら、女性皇族は皇位継承者をもうけるため、事実上出産が強制され、事実上の出産強制と公務を両立しなければならないからです。
女系女子天皇の場合には、女性天皇と同じ不利益が当てはまりますし、女系男子天皇の場合には、配偶者に不利益がかかることになります。



(5) では、旧宮家(男系男子の血筋で、男性)の皇族復帰はどうでしょうか?

利益となる点は、前例はあるので伝統に反しないですし、天皇制維持確保に寄与することになります。

不利益となる点は、60年近く一般国民として過ごしている方々の皇族復帰は違和感があります。多人数の上る旧宮家を選別する必要がありますし、皇族復帰する旧宮家の意思を確認する必要があります。
しかし、皇室と全く血縁関係のない者が、女性皇族との婚姻により皇族となる違和感より、皇室と血縁があり、しかも58年前前は皇族であった宮家の方々が皇族を復帰される方が違和感がないといえます。特に、東久邇、北白川、朝香、竹田の四家には明治天皇の皇女がそれぞれ嫁がれていて、血筋的にも遠くないのです(藤原=小堀「これでよいのか? 皇室典範改定」34頁)。
また、皇族に復帰した男性皇族の配偶者には、現在の女性皇族と同じ制約は生じることになります。



(6) このように考えると、女性天皇を認めることは女性皇族が被る不利益が大きく、特に女性天皇と女系天皇を認めると、女性天皇が被る不利益は著しく大きくなり、不合理と考えます。


第一、有識者会議が言うように、女性天皇・女系天皇だけを認めることで、皇位継承が安定的に維持できるのか疑問です。

藤原=小堀「これでよいのか? 皇室典範改定」(平成18年)23頁は、
 

 「問題なのは、有識者会議の『無責任さ』です。有識者会議は、『皇位継承を安定的に維持するための皇室制度のあり方』を審議するはずなのですが、『女性・女系天皇』容認を打ち出したにもかかわらず、現実に女性天皇が誕生した場合、どういう問題が生じるのか、果たして皇位継承が『安定的に維持』できるのかどうかという問題を真剣に検討していないのです。
 この報告書どおりに皇室典範が変更された場合、将来天皇となられる愛子様が、また女性皇族によって創設される女性宮家の方々が、ふさわしい配偶者と結婚され、なおかつお子様をもうけられなければ、皇統は断絶してしまいます。しかし、そうしたご結婚・ご出産は、皇太子殿下や紀宮様の場合を考えても、そう簡単なこととは思えません。ましてや、日本人が有志以来経験したことのない『女性天皇の配偶者』となると、相応しい配偶者が現れるかどうか疑問とすら言えます。
 しかし、有識者会議がそうした困難さを真剣に検討した形跡すらないのです。むしろ、有識者会議は、そうした問題は『われわれの使命の外』(吉川座長)と無関心を決め込み、『制度設計をしただけ』と責任逃れの発言すらしているのです。
 ちなみに、歴史上まったく前例のない女性天皇の配偶者をどう処遇するかは不明のままです。…こうしたことを考えると、有識者会議の結論は、まったくの無責任と言わざるを得ません。…」

としています。
このように、女性皇族が婚姻できるとは限らないのですし、なかなか婚姻できないと婚姻しなければならないという精神的苦痛も生じることになります。ようするに、天皇皇位の安定的維持にとって、なにより女性皇族の不利益を考慮すれば、女性天皇・女系天皇を認めることは適切ではないと考えます。


asahi.com.beでの「テーマ:皇室典範改正賛否の差はごくわずか」(2月4日付)を見ると、女性天皇・女系天皇を認める方々は、男女平等を理由としています。確かに、認めることは形式的には男女平等となります。しかし、認めた場合、女性皇族は大変な不利益を被ることになりますが、そのことを考えた上で形式的な男女平等を貫けというのでしょうか? 実質的平等の観点からは、女性天皇・女性皇族女系天皇を認めない方が妥当ではないかと思うのです。(4月16日追記:「女性皇族」の部分は、誤字でした。申し訳ありません。)

また、女性天皇・女系天皇を認める方々は、雅子様が男子を産むという負担を軽減したいことも理由に挙げています。確かに、女性天皇を認めるなら雅子様自体は負担がなくなります。しかし、女性天皇・女系天皇を認めると、今度は愛子様など他の女性皇族全員が事実上の婚姻強制・結婚相手方選択の不自由・事実上の出産強制という負担を被ることになるのです。負担を被る女性がより増えることは合理性のある改正とは思えません。「何が何でも男子を」というプレッシャーはなくなりますが、産まなくてはならないことには変わらないのです。(親王と婚姻した女性皇族を除く)女性皇族は、一般人と同様に、リプロダクション(生殖活動)の自己決定権(憲法13条)を有していたのに、それを奪われるのです。


天皇に就くとか、女性皇族も婚姻後も皇族にとどまることは、ある意味特権を得ることですから、女性天皇・女系天皇を認めることは不利益ばかりではありません
しかし、女性天皇・女系天皇を認めた場合における女性皇族の不利益は、男性皇族よりも大きいのです。そして、実質的平等の観点からすれば、不利益の大きい女性皇族を増やすよりも、より不利益の小さい男性皇族を増やした方が合理的ではないかと思うのです。


また、旧天皇制度の解釈や慣行は、憲法に明白に矛盾しない限り容認するのが憲法上の通説(連続性説)です。昭和天皇が、特別の根拠なしに当然のように象徴天皇に就任しているので、「断絶」しているとはいえないからです(横田「憲法と天皇制」8頁)。そうすると、従来からの伝統も尊重して皇室典範を改正する必要があるのです。



(7) このように検討した結果、立法政策としては、旧宮家(男系男子の血筋で、男性)の皇族復帰が妥当であると考えます。


ひとつ気になるのは、有責者会議において、皇族の意見を聞いたのかどうかです。どのような改正内容となるとしても、皇族の意見は聞く必要があるというべきです

法改正は政治的な側面があるとしても、男系男子の伝統や祭祀は、天皇家としての私的な側面でもあるのですから、私的な面については皇族は関与できるはずです。また、皇室典範の改正は、皇族の身分関係や権利義務に大きく影響する以上、告知聴聞の権利(憲法31条)からすると、皇族の意見を聞かずに改正することは憲法31条に違反するといえるからです(園田「皇室法概論」49頁~では、憲法31条が皇族に保障されていないとは書かれていません)。


<追記3>

「小泉内閣の支持率が一桁台になるまで」さんの「皇室のご意向と首相発言!について」というエントリーでは、私と同じように「皇室のご意向を聞くべきだ」としています。同感です。TBさせて頂きました。

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2006/02/19 [Sun] 00:40:19 » E d i t
最高裁平成18年2月14日決定は、窃取したクレジットカードのカード番号などの情報をクレジットカード決済代行業者の使用する電子計算機に与えて電子マネーを購入した行為について、電子計算機使用詐欺罪(刑法236条の2)に当たると判断しました。
この決定について検討してみたいと思います。


1.この決定については、次のように報道されていました。

(1) asahi.com(2006年02月17日13時27分)では、

窃盗カードで電子マネー取得、詐欺罪成立 最高裁初判断

 盗んだクレジットカードの番号と有効期限をインターネットのサイトに入力し、電子マネーを購入した行為が電子計算機使用詐欺罪に当たるのか問題になった訴訟で、最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)は「罪になる」との初判断を示した。
 問題となったのは、京都市の無職金沢桂士被告(27)が02年、出会い系サイトの料金決済に使う電子マネー11万3000円分を、決済を代行するクレジット会社から5回にわたってだまし取った事件。」

としています。
この記事では、本決定の事案の一部は分かります。しかし、何が問題となって最高裁が判断したのかさっぱり分かりません。判例では、何が問題となったのかが重要なのですから、こういう記事は非常に困ります。記者はもっと研鑽を積んで欲しいと思います。



(2) gooニュース(共同通信:2006年 2月16日 (木) 17:49)では、

電子マネー取得も「詐欺」 最高裁が初判断

 他人のクレジットカード番号を入力して電子マネーを取得したことが『機械に虚偽の情報を与えた』という電子計算機使用詐欺罪の要件を満たすかどうかについて、最高裁第1小法廷は16日までの決定で『入力した番号が真正でも、他人名義の申し込みで虚偽の情報を与えている』として同罪の成立を認める初判断を示した。
 島田仁郎裁判長はその上で、電子計算機使用詐欺や強姦(ごうかん)など4つの罪に問われた京都市の金沢桂士被告(27)の上告を棄却した。懲役5年の1、2審判決が確定する。…
 電子計算機使用詐欺罪は1987年に新設。コンピューターに虚偽、不正な指令を与えて利益を得た場合に適用される。」

としています。

この記事では、電子計算機使用詐欺罪の「虚偽の情報を与えた」という要件に当たるかが問題となっているようだと分かります。ただ、なぜ問題となったのかが今ひとつ分かりません。それに、「虚偽の情報を与えた」という要件が問題となったのだとしたら、「電子マネー取得も『詐欺』」という表題は、本決定で問題となったこととずれています。

もう1つ分かるのは、この被告人は、強姦罪(刑法177条)も犯していることが分かります。強姦罪という性犯罪を犯した犯人は、一般に再犯率が高いと言われていますので、罪名とこの被告人の名前をきちんと報道していることは高く評価できます。出所後、この犯人から家族や知人が被害を受けないために、記憶にとどめておくべきでしょう。もう一度、ここで書いておきますが、この強姦犯人の名前は、京都市在住だった「金沢桂士」被告(27)です

この記事では、「4つの罪」としているだけでよく分かりません。ただ、「4つの罪」というのは、最高裁判所のHPで本決定の件名を見ると、強姦罪恐喝罪窃盗罪電子計算機使用詐欺罪ということが分かります。この4つの罪を犯した結果、懲役5年となったわけです。4つの犯罪名だけからすると、懲役5年は量刑として軽い気がしますが、全体の事案が良く分からないので、不当に軽いかどうかははっきりしません。



(3) 毎日新聞(2006年2月16日 21時42分)では、

電子計算機詐欺:最高裁が上告を棄却 有罪確定へ

 盗んだクレジットカードで出会い系サイトの決済に利用する『電子マネー』を購入したとして、電子計算機使用詐欺などの罪に問われた京都市の無職の男(27)に対し、最高裁第1小法廷(島田仁郎(にろう)裁判長)は14日付で、被告側の上告を棄却した。被告側は『カードは正規のもので、虚偽情報を送信して購入したわけではない』と無罪を主張したが、決定は『名義人が購入を申し込んだという虚偽情報を送信しており罪は成立する』との初判断を示した。懲役5年とした1、2審判決が確定する。
 決定によると、男は盗んだカードを使って出会い系サイトを利用しようと計画。決済代行業者のコンピューターに、5回にわたってカード番号や名義人の名前、有効期限を送信し、11万3000円相当の電子マネー利用権を得た。第1小法廷は『財産上、不法な利益を得たというべきだ』と述べた。…」

としています。

「被告側は『カードは正規のもので、虚偽情報を送信して購入したわけではない』と」主張していることから、「虚偽の情報を与えた」という要件が問題となっていることが分かります。こういう記事は高く評価できます。

また「懲役5年」と報道したことはいいことです。ただ、強姦罪という罪名は報道すべきだったと思いますし、他の犯罪を出していないので、5年が重いのか軽いのか分からず困ります。

この記事では「第1小法廷は『財産上、不法な利益を得たというべきだ』と述べた。」としています。この「財産上の利益」の要件に当たることを記事に載せること自体は、いいことです
ただ、ここにいう「財産上の利益」とは、財物以外の財産上の利益のことですから、電子マネー利用権も利益の一種といえますので、「財産上の利益」にあたることについて問題はないでしょう




2.では本決定と問題となった条文について引用してみます。

「弁護人屋敷哲郎の上告趣意のうち,違憲をいう点は,実質は単なる法令違反の主張であり,その余は,量刑不当の主張であって,適法な上告理由に当たらない。
 被告人本人の上告趣意は,単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であって,適法な上告理由に当たらない。
所論にかんがみ,電子計算機使用詐欺罪の成否につき職権で判断する。

 原判決及びその是認する第1審判決の認定によれば,被告人は,窃取したクレジットカードの番号等を冒用し,いわゆる出会い系サイトの携帯電話によるメール情報受送信サービスを利用する際の決済手段として使用されるいわゆる電子マネーを不正に取得しようと企て,5回にわたり,携帯電話機を使用して,インターネットを介し,クレジットカード決済代行業者が電子マネー販売等の事務処理に使用する電子計算機に,本件クレジットカードの名義人氏名,番号及び有効期限を入力送信して同カードで代金を支払う方法による電子マネーの購入を申し込み,上記電子計算機に接続されているハードディスクに,名義人が同カードにより販売価格合計11万3000円相当の電子マネーを購入したとする電磁的記録を作り,同額相当の電子マネーの利用権を取得したものである。

 以上の事実関係の下では,被告人は,本件クレジットカードの名義人による電子マネーの購入の申込みがないにもかかわらず,本件電子計算機に同カードに係る番号等を入力送信して名義人本人が電子マネーの購入を申し込んだとする虚偽の情報を与え,名義人本人がこれを購入したとする財産権の得喪に係る不実の電磁的記録を作り,電子マネーの利用権を取得して財産上不法の利益を得たものというべきであるから,被告人につき,電子計算機使用詐欺罪の成立を認めた原判断は正当である。

 よって,刑訴法414条,386条1項3号,181条1項ただし書,刑法21条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。」





刑法第246条の2(電子計算機使用詐欺)  
 前条に規定するもののほか、人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作り、又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者は、10年以下の懲役に処する。


刑法246条の2の行為は、前段と後段に分かれます。

前段は、コンピュータに「虚偽の情報」「不正な指令」を与えて「財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録」を作成し、これによって自己または第三者に財産上の利益を得せしめる行為です。例えば、架空入金データを入力したり、プログラムを改変することにより、自己の預金口座に不実の入金を行わせるような場合が典型例です。

後段は、「財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して」自己または第三者に財産上の利益を得させる行為です。例えば、偽造のテレホンカードで公衆電話を利用する場合が典型例です。

本決定の事案では、クレジットカード自体には何も偽造をしておらず、前段の行為に当たるのかが問題となっていると思われます。




3.この被告人は、窃取したクレジットカードの名義人氏名・番及び有効期限を入力送信して、同カードで代金を支払う方法による電子マネーの購入の申し込みをしたわけです。このように、カードの名義人でない者が、カード名義人の氏名・正規のカード番号及び有効期限を入力送信する行為は、「虚偽の情報」(刑法236条の2)を与えたに当たるのか、「虚偽」の意義と関連して問題となります。


(1) 学説

「虚偽の情報」を与えたに当たらないとする説(的場〔立法担当者〕):カード名義者の氏名・カード番号・有効期限による利用である以上、それはカード名義者による利用であって、「虚偽の情報」を与えたとはいえない。
「虚偽の情報」を与えたに当たるとする説(西田・鈴木):他人がカード名義者の氏名・カード番号・有効期限を無断で入力することは、「虚偽の情報」を与えたといえる。

*全く同じ設例での学説はありませんでしたが、他人のID番号・パスワードを使用してデータベースを不正利用する場合という類似の事例があります。その事例についての学説を援用しています(学習院大学法学会雑誌37巻1号〔鈴木左斗志〕(2001年)205頁~、西田典之「刑法各論」〔第3版〕(平成17年)187頁~参照)。





(2) 「虚偽の情報」とは、当該コンピュータ・システムにおいて予定されている事務処理の目的に照らし、その内容が真実に反する情報をいいます(米沢慶治編「刑法等一部改正法の解説」〔的場〕(1998年・立花書房)121頁)。
この定義からすると、上に挙げた学説のうちどちらも主張可能です。そうすると、上に挙げた学説は「虚偽」の要件をどのように理解して対立しているのでしょうか?


「虚偽の情報」を与えたに当たらないとする説、(形式的に)電子計算機の使用者(=クレジットカード決済代行業者など)に対する関係で「虚偽」の要件を判断したわけです。電子計算機の使用者からすると、正規の氏名とカード番号と有効期限が入力できていれば、決済可能なのですから、「虚偽」ではないといえるからです。

これに対して、「虚偽の情報」を与えたに当たるとする説は、カード所有者との関係で「虚偽」の要件を判断したわけです。窃取したカードを無断で使用した場合、カード所有者の意思に反した入力ですし、無断使用者は自分が支払うべきお金を他人に支払わせるようにしたものなのですから、カード所有者との関係では「虚偽」といえるからです。



(3) では、この説のどちらが妥当でしょうか?

このような不正利用者を処罰することは、カード所有者の保護のみならず、電子計算機の使用者(=クレジットカード決済代行業者など)をも保護することになります。なぜなら、このような犯罪行為を抑止できれば、電子計算機の使用者は、そもそも不安定な法律関係に関わらないですむからです(学習院大学法学会雑誌37巻1号〔鈴木〕244頁)。

このような処罰の必要性の見地からすると、「虚偽の情報」を与えたに当たるとする説を採用することが妥当だと考えます。


被告人側は立法担当者の見解を主張したわけで、その主張は正当なものでした。その主張は一見不合理に感じるものですが。しかし、最高裁決定は、「虚偽の情報」を与えたに当たるとする説を採用して、立法担当者の見解を採用しなかったわけです。
最高裁決定は、「虚偽の情報」の定義をすることなく、含まれるとする説の根拠を述べていないので、結論に至る判断について不明確です。ただ、上に挙げた処罰の必要性の見地から本決定の結論に至ったものと思われます。



この事案については、被害者は誰なのか(カード所有者、クレジットカード決済代行業者、カードによる決済を行う金融機関のいずれかそれとも全員か)、他の3罪と電子計算機使用詐欺罪の罪数関係など、面白い問題点を含んでいます。この判例の判例評釈を読む際には、その点についても注目しておくとよいでしょう。

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2006/02/12 [Sun] 17:36:18 » E d i t
毎日新聞(2月10日朝刊)において、「記者の目」という欄で「ライブドア事件の意味」という表題で、論説室の北村龍行記者の記事が出ていました。この記事について論評してみたいと思います。


1.


 「『プロの金融犯罪』の印象--資金洗浄なら性格一変

 ライブドアの堀江貴文容疑者について、法律違反を犯したことは責められるべきだが、彼が果たした功績については評価すべきものもあるのではないか、という議論がある。
 確かに、フジテレビとのニッポン放送買収合戦を通じて多くの企業は敵対的買収のリスクを認識するようになった。また、配当の引き上げなど株主の利益についても真剣に考えるようになった。若者が感じていた、大人たちが支配する社会への閉塞感を打ち破ったそう快感もあるかもしれない。

 しかし、「風説の流布」や粉飾決算は明らかな犯罪だ。また、事件の展開を見ていると、そうした犯罪さえ超える何かを感じる。
 ライブドア事件に関して、海外の投資会社や金融機関の利用、タックスヘイブン(租税回避地)を所在地とする口座の存在などが明らかになってきた。そうなると、この事件はそう単純なものではないのではないか、という疑問がわいてくるのだ。
 というのは、こうした手口は、脱税した金を洗浄した上で国内に還流させたり、違法行為で手に入れた金を合法的に手に入れたように見せかける、いわゆるマネーロンダリング(資金洗浄)の際に多用される手口だからだ。

 もし、資金洗浄が行われていたとすると、さまざまな疑問が生まれてくる。まず、洗浄しなければならないお金の素性は何なのか。そんなお金を、ライブドアはなぜ、どれだけ持っていたのか。
 また、資金洗浄には高度の金融知識が必要である。とても、やんちゃな若者のなし得る行為ではない。金融のプロとしての知識と、それに協力する金融機関の存在が欠かせない。
 堀江容疑者らは一体どこで、それだけの金融知識と金融実務を習得したのか。資金洗浄に協力した金融機関とはどこなのか。その金融機関は、資金洗浄であることを承知の上で協力したのか、それとも利用されただけなのか。

 また、複雑な資金洗浄の工程を設計したのは誰なのか。洗浄した上で国内に還流された資金は、誰の手に入ったのか。また、どのように使われたのか。
 資金洗浄する前のお金と洗浄された後のお金は、ライブドアの財務諸表の中で、どのように扱われていたのか。脱税の可能性はないのか。

 思いつくだけでも、そうした疑問がわいてくる。そしてそこから浮かび上がるイメージは、内外のプロが協力しあった金融犯罪である。
 ライブドア事件の本質が、もしそうしたものであるのなら、冒頭のような一定の評価論は一掃されてしまう。事件はやんちゃな若者のやり過ぎではなく、プロの金融犯罪グループの犯罪ということになってしまうからだ。プロの犯罪者を肯定的に評価するわけにはいかない。

 経済関係者の間では、ライブドア事件について当初から「なぜ金融庁や証券取引等監視委員会による告発ではなく、いきなり東京地検特捜部が強制捜査に入ったのか」という疑問が交わされていた。

 ライブドア事件が、プロの金融犯罪グループの行為であるのなら、経済関係者の疑問も氷解することになる。そして、ライブドア事件の位置付けは一変してしまう。
 IT(情報技術)業界の若者の拝金主義といった批判は的外れになってしまう。事件は金融犯罪であって、ITとは直接関係がないからだ。
 市場原理に基づく経済社会を目指す構造改革路線がライブドア事件の温床になったという議論も説得力を失う。
 …金融犯罪者たちは、日本が構造改革に取り組むずっと以前から資金洗浄をやってきたし、今もどこかでやっている。

 問題はむしろ、日本の社会がそうしたプロの金融犯罪に無防備であることだ。…

  ライブドア事件の全容はまだ見えていない。しかし、資金洗浄の疑いが生まれてきたことで、事件の性格と社会的影響が大幅に変わる可能性が出てきた。事件の背景や原因についての議論も一変するかもしれない。」




2.
(1) 堀江元社長を今でも高く評価しているのは、田原総一郎氏です。産経新聞(2月3日付)でのインタビューで、田原氏は

「堀江容疑者の『金の力で何でもできる』という発言は、希望にすら格差がある『希望格差社会』に生きる若者たちには極めて魅力的に映った側面はある。」「マネーゲームや法のスキをつくこと自体は悪くはない」「堀江容疑者の犯罪について、今は検察側の情報ばかりで百パーセント信じるのは危険。……若者の夢をくじくようなことは、すべきではないと思う」

と発言しています。

この記事中の「若者が感じていた、大人たちが支配する社会への閉塞感を打ち破ったそう快感」は、まさに田原氏の発言そのものです。田原氏のように堀江元社長を妄信し続けることは、ある意味立派です。

もちろん、田原氏の言うように「検察情報を信じないようにする」というよりも、報道機関の報道をすべて信じる人はいないでしょう。しかし、検察情報を垂れ流しするだけであっても、隠さないで報道される方がずっとマシです。堀江元社長を妄信している田原氏が「検察情報を100%信じるな」と言うことで、堀江元社長に対する疑いをなるべく少なくさせようとしているのでしょう。私は田原氏を全く信用していません。



(2) この記事のように、ライブドア事件はプロの金融犯罪グループの行為とまでは言わないまでも、プロの金融犯罪グループが関与したのではないかとの疑念が晴れません。この記事では書いていませんが、野口エイチ・エス証券副社長の死に方も、あまりに壮絶すぎてとても自殺とは思えません。
堀江元社長は、設立した会社の頃からプロの金融犯罪グループであったわけではないのですから、北村龍行記者の見方とは異なり、仮に関わったとしても仕方なく関わったという見方の方が合理的とは思いますが、結果はどうあれ、今後はずっと疑わしさは残ることになります。



(3) 「構造改革路線がライブドア事件の温床になったという議論も説得力を失う」と書いていますが、構造改革路線の結果が大いに利用されて、ライブドアの規模を拡大させ選挙での立候補で自民党とも繋がりをもったことで(ウラで自民党と繋がっていたのかもしれませんが)、さらに拡大させていったことは確かですから、「構造改革路線がライブドア事件の温床になった」という議論に説得力があるというべきでしょう。
もしプロの金融犯罪グループだとしたら、それをいち早く市場から排除し、悪用されないようにできない「構造改革路線」がおかしいと、なぜ、北村龍行記者は思わないのでしょうか? 

問題なのは、「日本の社会がそうしたプロの金融犯罪に無防備であること」なのではなく、プロの金融犯罪やそのウラにいるグループに対する警戒感が乏しいことです。「何かおかしいのではないか?」と感じて、「ホリエモンの錬金術」というサイトを開いた人もいましたが、その声は小さかったのです。堀江元社長を歓迎する人が多かったのですから。



(4) どうも多角的に考える能力・判断能力が落ちているのではないでしょうか? 特にマスコミ関係者は。

「構造改革路線がライブドア事件の温床になった」のですから、「構造改革路線」にも疑いの目を向ける方が自然なのだと思うのです。仮に、構造改革路線がライブドア事件の温床になっていないと思っていても、構造改革路線に対しても疑いの目を向けることをなぜしないのでしょうか? 毎日新聞の北村龍行記者は。
ライブドア事件はプロの金融犯罪グループのせいであって、「構造改革路線」とは「別問題」である……。これこそ思考停止であって、判断能力が落ちている証拠だと思うのです。

「資金洗浄の疑いが生まれてきた」とか、「プロの金融犯罪グループ」みたいとか、「資金洗浄に協力した金融機関はどこか」とか言ってみても、毎日新聞を含めて新聞社自体はどれほど報道する気があるのでしょうか?
ライブドア事件に限らず、BSE問題にしても、とても毎日新聞は知る権利(憲法21条)に奉仕していると言えるだけの、充分な報道をしているとは思えません。


米国経済誌「フォーブス」前アジア太平洋支局長ベンジャミン・フルフォード氏は、「ジャパンポンチ003」において、「アメリカに洗脳された日本を襲う『究極の痛み』と『円満な衰退』」という表題の論説の中で、
 

「私はいまの日本で一番の問題は、この国には『言論の自由が決定的に欠落している』ことだと確信している。だから国民は、国家の将来を左右する重要な問題について真剣に考えることも議論することもできない。それを象徴するのが、今回の選挙結果だといえる。しかも、国民にその自覚がないことは最大の悲劇というべきである。
 この国のエリートと呼ばれる人種を取材して痛感するのは、無能のうえに揃って嘘つきであることだ。政治家、官僚、銀行はつねにマスコミに圧力をかけ、マスコミも自主規制し、国の根幹を揺るがすような問題に直面しても、国民の前に決してディスクローズしようとしない。
 時々国会で自民党の大物議員に対して、闇献金や各業界との癒着に関する凄まじい内容の答弁がなされることがある。これらの議事録はしっかり残っているにもかかわらず、新聞やテレビは報道しない。情報化が進んだ現在にいたっても、『寄らしむべし、知らしむべからず』という現実がある。これが、外国メディアから『日本は民主主義国家にあらず』と指摘される最大の理由である。…」

と痛烈に批判しています。



(5) 「プロの金融犯罪グループ」ではないかと怪しむ結果、「構造改革路線」とは「別問題」であると宣伝し、特殊事例だと片付けてしまう……。そのように思考停止してしまうのではなく、何事にも妄信することなく、疑念を持つこと、本当に正しいのか調べて判断すること、そのことが最も大切なのだと思うのです。特にマスコミの場合には。

この論説は「『プロの金融犯罪』の印象と匂わせることで(それも、新聞紙では「『プロの金融犯罪』の印象」の部分をことさらに大書きしていました)、特殊事例であることを読者に印象付けて、小泉首相の「構造改革路線」を擁護する意図が見え隠れするものでした。

振り返ってみることをせず、思考停止のままの北村龍行記者。「プロの金融犯罪グループ」と書いて見せても、本心は、堀江元社長を高く評価し、復権を願っているのではないかと推測してしまいます。『日本は民主主義国家にあらず』というベンジャミン・フルフォード氏の(嘘か本当か分かりませんが)痛烈な指摘に対して、毎日新聞の北村龍行記者は反論することができないのではないでしょうか……。
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論評 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2006/02/10 [Fri] 06:35:35 » E d i t
某ブログにおいて、東京地検が強制捜査に着手する前に、NHKなどが「証券取引法違反の疑いでライブドアの捜索に乗り出した」と報道したことは、証券取引法158条の「風説流布罪」にあたるのではないか、との指摘がありました。

1月16日のライブドアへの強制捜査も、証券取引法158条違反の疑いでしたが、証券取引法158条は著しく不明確な規定である(それゆえ、この規定で強制捜査をすること自体不当とする意味のようです。)などとも指摘されています。

このようにかなり騒がれている条文なので、文献上、どのように解釈されているのか調べてみることにしました。その後、NHKの報道について検討してみたいと思います。


1.まずは条文から。

第158条  何人も、有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引若しくは有価証券指数等先物取引等、有価証券オプション取引等、外国市場証券先物取引等若しくは有価証券店頭デリバティブ取引等のため、又は有価証券等の相場の変動を図る目的をもつて、風説を流布し、偽計を用い、又は暴行若しくは脅迫をしてはならない。


第197条第1項  次の各号のいずれかに該当する者は、5年以下の懲役若しくは5百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
(中略)
  7号 第157条、第158条、第159条第1項若しくは第2項(これらの規定を同条第4項及び第5項において準用する場合を含む。)又は同条第3項(同条第4項において準用する場合を含む。)の規定に違反した者

 第2項 財産上の利益を得る目的で、前項第7号の罪を犯して有価証券等の相場を変動させ、又はくぎ付けし、固定し、若しくは安定させ、当該変動させ、又はくぎ付けし、固定し、若しくは安定させた相場により当該有価証券等に係る有価証券の売買その他の取引又は有価証券指数等先物取引等、有価証券オプション取引等、外国市場証券先物取引等若しくは有価証券店頭デリバティブ取引等を行った者は、5年以下の懲役及び3千万円以下の罰金に処する。


第207条第1項  法人(法人でない団体で代表者又は管理人の定めのあるものを含む。以下この項及び次項において同じ。)の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務又は財産に関し、次の各号に掲げる規定の違反行為をしたときは、その行為者を罰するほか、その法人に対して当該各号に定める罰金刑を、その人に対して各本条の罰金刑を科する。
  1号 第197条(第1項第5号及び第6号を除く。) 5億円以下の罰金刑 (以下省略)


158条は、相場変動目的の風説流布等の罪と呼ばれており、3つの行為態様に応じて、「風説流布を用いる罪」「偽計を用いる罪」「暴行又は強迫を用いる罪」という名称が付いています(神山・後掲78頁)。この規定が風説の流布等を禁止しているわけです。

197条1項7号は、158条の規定に違反した者を処罰する旨を規定した罰則規定です。

197条2項は、「風説流布を用いる罪」「偽計を用いる罪」「暴行又は強迫を用いる罪」の加重犯規定です。自由刑と罰金刑が併科されていて、しかも、罰金刑だけは6倍も加重されています。

207条は、いわゆる両罰規定で、法人その他の法人の従業員も処罰されうることになります。法人は罰金刑によって処罰され、1997年の改正で3億円から「5億円以下」に引き上げられました。




2.158条の趣旨・解釈


(1) 158条の趣旨
 158条は、戦前の旧取引所法における不公正取引の禁止規定である32条ノ4を引き継いで証券取引に関する不公正な行為を禁止し、公正で自由な証券市場を維持することを目的とする規定であり、その違反行為に対しては、その態様の悪質性から、証券取引法上最も重い刑罰を科しています。


(2) 主体
 158条は、「何人も、…風説を流布し、偽計を用い、又は暴行若しくは脅迫をしてはならない。」と規定しているので、158条は何人であるかを問わず適用されることになります。


(3) 行為 
158条で禁止されるのは、「有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引若しくは有価証券指数等先物取引等、有価証券オプション取引等、外国市場証券先物取引等若しくは有価証券店頭デリバティブ取引等のため、又は有価証券等の相場の変動を図る目的をもつて、風説を流布し、偽計を用い、又は暴行若しくは脅迫をする行為」です。

  (a) 「有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引」
     「有価証券の売買その他の取引」とは、証券業の対象として2条8号各号に掲げられている行為を含むともに、類型的にこれらの行為に該当しないもの、例えば、有価証券の交換、有価証券を担保にして金融を受ける行為等も含まれます。

  (b)「のため」
     「のため」という文言は、「について」(157条1号)よりやや狭い概念であり、当該証券取引を自己又は第三者が有利に行うため、又は他人の証券取引を不利に行わせるためという趣旨に限定して理解されています。

  (c)「有価証券等の相場の変動を図る目的をもって」
     目的がなくては158条は成立しないのですから、この目的は158条の風説流布罪の当罰性を基礎づける主観的要素です(目的犯)。   
    「相場」とは、当該銘柄に対する需給の動向が客観的に反映され、一般投資家がそれに基いて投資判断を行っているような価格等を指します。具体的には、証券取引所における「相場」のほか店頭売買有価証券の「相場」が該当しますが、当該有価証券に市場性があり、当該銘柄に対する需給の動向が客観的に反映されたものであればこれらに限定されません。
    「変動を図る目的」とは、相場を高騰させ、又は下落させる意図です。「変動を図る目的」の存否は、行為者がこれを容認することは稀ですので、客観的な情況証拠によって認定することになります。具体的には、被告人本人及び関係者の供述のみならず、公表の動機・時期・態様、公表内容とその根拠、公表行為前後の付随事情、とりわけ行為前後の株価の推移状況、行為者の言動及び資金調達状況等を考慮することになります。

  (d)「風説を流布し」 
    「風説」の意義については、噂を意味し、虚偽であることは必要ないとする説(馬場)、虚偽であることを要する説(神山)もあります。しかし、158条には「虚偽の」という要件が明示されていないので、虚偽であることを要する説には問題があります。
158条は、合理的根拠のない話で相場を変動させて投資者に損害を与え証券市場における公正・自由な取引を阻害する行為を処罰する趣旨の規定ですから、伝達された事実の「客観的な真偽」よりも「根拠の合理性」こそが重要なので、合理的な根拠のない事実を語ることとする説(土持=榊原など)が多数説のようです。判例は明確ではありませんが、虚偽であることを要する説又は合理的な根拠のない事実を語ることとする説を採るようだとされています。
     「流布」とは、不特定又は多数の者に伝達することです。文書、口頭等その手段を問いません。多数の者に伝播されることを認識していれば一人の者に対して伝達しても「流布」にあたります。

*将来の事実を現在の事実として公表することは「風説の流布」にあたることは問題ないのですが、将来情報を将来情報として開示する場合に風説流布罪が成立するのかは問題とされています。この点について、会社経営者は会社経営の予測の自由を有するので、その蓋然性の高いことを示す合理的根拠まで要求するのは行き過ぎであり、ある程度の根拠があれば風説の流布に当たらないとの見解が主張されています(森田章「平成8年度重要判例解説」106頁)。

*158条の規定形式上「有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引……のため」、あるいは「有価証券等の相場変動を図る目的」のいずれかが認められれば、(そして客観的に「風説の流布」があれば)風説流布罪は成立します。しかし、「有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引」を誘い込むという目的がない場合は、「有価証券等の相場変動を図る目的」を実際上認定できるか難しいとの見解(森田)も示されています。






3.判例 

・日本レアメタル事件(東京地裁昭和40年4月5日判決)
・テーエスデー株事件(東京地裁平成8年3月22日判決)
・占い師事件(東京簡裁平成9年2月4日)
・東天紅株事件(東京地裁平成14年11月8日判決)



最初の2つの事件は、株発行会社の経営不振が直接的な原因で経営陣が風説を流布したもので、残りの2つの事件は、風説流布は第三者たる占い師と仕手筋等によって行われたものです。

最初の2つの事件では、執行猶予付きの懲役刑、占い師事件では略式命令、東天紅株事件では執行猶予なしの懲役2年と罰金600万円の併科刑となっています。

なお、ネット上の風説が立件された例は国内ではまだない(朝日新聞2002年2月8日朝刊・ケースブック経済刑法233頁)ようです。

ちなみに、偽計取引については、クレスベール証券事件があり、クレスベール証券の代表取締役は、特別背任罪と偽計取引罪により、東京地裁で懲役3年、罰金6400万円の刑を言い渡され、東京高裁もこれを支持して控訴を棄却しています(朝日新聞平成14年10月10日夕刊、平成15年11月10日夕刊。ケースブック経済刑法233頁参照)。




4.解釈指針
 

風説流布罪は、主に新聞、雑誌、その他のマスメディアを利用して虚偽の情報を流すことによって相場に影響を与える犯罪です。そこでは、虚偽の事実と予測的情報との限界があいまいになる可能性があります。特にどのような人物かも分からない第三者が雑誌等でこのような記事を書くとき、それによっていとも簡単に踊らされる証券投資家がいるとすれば、それはそれで問題というわけです(神山)。



<参考文献>
・神崎克郎「風説の流布」法学教室180号(1995年)2頁~
・土持=榊原「注解特別刑法 補巻(2)」(1996年)113頁~
・森田章「証取法158条の風説の流布」平成8年度重要判例解説(1997年)105頁~
・佐々木史郎編「特別刑法判例研究第1巻」(1998年)273頁~
・佐々木史郎編「判例経済刑法大系第1巻 商法罰則・証券取引法」(2000年)340頁~
・神山敏雄「〔新版〕日本の経済犯罪」(2001年)70頁~
・芝原=西田=佐伯「ケースブック経済刑法〔第2版〕(2005年)230頁~など。






5.このような解釈を前提として、東京地検が強制捜査に着手する前に、NHKなどが「証券取引法違反の疑いでライブドアの捜索に乗り出した」と報道したことは(ITmediaニュース(2006/01/16 16:12 更新より)、証券取引法158条の「風説流布罪」にあたるのでしょうか?


(1) NHKが速報を出した時点では、強制捜査に着手していなかったのですから、将来の事実を現在の事実として公表したといえ、「風説を流布し」たにあたるといえるでしょう。

<追記>
ただし、速報を出した時点では強制捜査直前だったのですから、当然強制捜査の準備中(待機中)でした。そうすると、準備段階を含めれば強制捜査に着手したといえるため、「風説を流布し」たにあたらないと考えます。


(2) しかし、最も問題なのは「目的」があるのかどうかです。NHKは、自民党と関係の深いライブドアへの強制捜査という重大事件を、いち早く知らせる動機で報道したと思われること、いち早く強制捜査の情報を知りえたため報道したので、強制捜査があるとの合理的な根拠があったといえます。また、株価変動が異常となって、NHK関係者が株売買で利益を得たという話も聞きません。そうすると、NHKには、相場を高騰させ、又は下落させる意図がなく、「変動を図る目的」がなかったといえます。

元々、「風説流布罪は、主に新聞、雑誌、その他のマスメディアを利用して虚偽の情報を流すことによって相場に影響を与える犯罪」ですから、通常、報道機関自体が風説流布罪にあたることはほとんどないといえるのではないでしょうか?


(3) そうすると、証券取引法158条は成立せず、NHKなどが行った速報行為は、証券取引法158条の「風説流布罪」にあたらないと考えます。

この問題について、どこかに書いてあるわけではないですが、通常の判断をすれば、誰もがこのような認定をすると思います。かえって風説流布罪にあたるかのように言う方が問題のような感じがします。

ライブドアに対する強制捜査については、疑いが膨大に出ていていますし、報道だけでははっきりしないところがあるので、風説流布罪にあたるか否かの判断は留保することにします。その方が適切でしょう。




6.証券取引法158条は、旧取引所法(明治26年法律5号)の大正3年改正法(大正3年法律33号)によって新設された32条ノ4(「取引所ニ於ケル相場ノ変動ヲ図ル目的ヲ以テ虚偽ノ風説ヲ流布シ、偽計ヲ用ヒ又ハ暴行若ハ脅迫ヲ為シタル者ハ2年以下の懲役又ハ5千円以下ノ罰金ニ処ス」)に起源をもつ規定で、古くからある規定を引き継いだ規定ですから、ずっと前から違法視されていた犯罪行為なのです。問題視されるような規定であるとは思えないのです。

このエントリーで主観を排して、解釈論を客観的に提示しましたから、読めば分かると思うのですが、著しく不明確な規定だとも思えません。仮に不明確だとしても、158条違反は、その悪質性から、証券取引法上最も重い刑罰を科しているのですから、証券取引法上最も見過ごしてはならない犯罪行為といえます。特に経営者がマスメディアを利用して虚偽の情報を流すような場合に、158条違反にあたるような事案であっても見逃していいとは思えないのです。

文献も充分にありますし、最高裁判決はなくても、下級審判例も4つありますから、手探りで解釈するわけではないのです。それに上で調べた解釈も、もっと細かいところは端折っているくらいです。

なぜ、ネット上では証券取引法158条が問題視されたのか、私にはよく分からないのです。問題視された方は、充分に文献を調べた上で問題視したのでしょうか?
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諸法 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2006/02/08 [Wed] 05:32:41 » E d i t
2月7日、秋篠宮妃紀子さまがご懐妊なされたという報道がありました。皇室だからということではなく、誰であっても子が産まれることは大変喜ばしいことだと思います。


1.YOMIURI ONLINEによると、

秋篠宮妃紀子さま、第3子ご懐妊…9月末出産予定
 
 秋篠宮妃紀子さま(39)が第3子を懐妊されたことが7日、分かった
 秋篠宮家としては、長女眞子さま(14)、二女佳子さま(11)に続くお子さまとなる。男子誕生の場合は皇位継承順位が第3位となり、皇室典範改正論議の行方にも、影響を与えるものとみられる。
 宮内庁関係者によると、紀子さまはご懐妊の兆候があったため、7日に超音波検査を受けられた結果、胎児の心拍が確認され、妊娠6週と判定された。順調なら、出産は今年9月末ごろとみられ、天皇、皇后両陛下にとっては、皇太子ご夫妻の長女、愛子さま(4)に次ぐ4人目の孫となる。
 宮内庁の羽毛田信吾長官は、7日午後9時から、同庁の長官応接室で記者会見し、「紀子さまには本日拝診の結果、ご懐妊の兆候がおありになるとのことです。後日、その時が来れば正式に発表します」と説明した。
 産婦人科専門医によると、一般に、この時期の胎児の大きさは数ミリで、超音波の画像でようやく確認できる程度。一度、心拍が確認されても、その後に流産する可能性も10%くらいあるとされるが、妊娠7週で胎児は1センチほどになり、8週で心拍が確認できると、流産の危険はかなり減って、97~98%は大丈夫と言える状態になるという。
 関係者は「まだ1度しか超音波検査を受けられていないので、慎重に見守ることが必要」としている。…
(2006年2月8日1時49分 読売新聞)」

と報じています。


憲法2条は、「皇位は、世襲のもの」と定め、皇室典範1条は「皇位は、皇統に属する者」が「これを承継する」と定めていることから、世襲制に基く国家機関としての天皇制を維持するために、雅子さまと紀子さまは、事実上、お子を産むことを強制されています。

一般人でさえ、子を望んでいても産まれない夫婦は、「子供はまだなの?」といった心ない発言をする知人などからプレッシャーを受けて、精神的苦痛を味わうこともしばしばあることです。天皇ご一家の場合、天皇制維持という憲法や皇室典範に基く、事実上の強制だけでなく、国民の多数からもお子を儲けることが期待されるのですから、その精神的な苦痛は大変なものがあると推察されます。


紀子さまは、このような状態におかれている中でご出産なされるのですから、紀子さまのお体や第3子のことを考慮すれば、心を乱すような報道や政治活動は避けるべきでしょう。ましてまだ、安定期にないのですから、流産の危険性も充分にあるのですから。(安定期にない状態での報道は止めて欲しかったです。)

特に、皇室典範改正案は、第3子はもちろん、長女眞子さま、二女佳子さまの将来に大きく変更をもたらす可能性があるのですから、紀子さまに精神的不安定をもたらさないようご出産とそれから暫くの間は、皇室典範改正議論は止めておくことが適切だと思います。




2.ところが、毎日新聞のサイトによると、

皇室典範:小泉首相、改めて今国会への改正案提出を強調

 小泉純一郎首相は7日夕、紀子さまの懐妊の皇室典範改正論議への影響について『正式な報告がないのに言える立場でない』としながらも今国会で典範改正案の成立を目指す考えを改めて示した。記者団の『今国会に提出し成立を目指すか』との質問に『そりゃそうですね』と答えた。…
 これに先立ち、首相は衆院予算委員会で『法案を出して慎重に審議していただければ、今国会で十分、大方の賛同を得られる状況になっていくと思っている』と強調した。…

毎日新聞 2006年2月7日 20時10分 (最終更新時間 2月8日 1時14分)」

とされています。

小泉首相は、紀子さまのお体や第3子に対して全く考慮することなく、皇室典範改正案を今国会に提出し、成立まで行うつもりのようです。以前の報道では、党議拘束までかけて強引に成立させる意図までありました。まさに小泉首相の非人間的性格が表れている言動です。

もし紀子さまが、皇室典範改正論議により精神的に不安定になって流産なされたら、小泉首相はどう責任を取るのでしょうか? いつものように「別問題である」とかBSE問題で言ったように「騒いだ野党のせいだ、流産した紀子さまのせいだ、私のせいではない」とでも言うのでしょうか? 有権者は、ここでも無責任な言動を許してはならないと思います。




3.非人間的発言をしているのは小泉首相だけではありません。YOMIURI ONLINEによると、

中川政調会長は7日、党本部で記者団に「粛々と勉強を始めたい」と述べた。片山参院幹事長も「直接の影響はない。有識者会議の報告書を尊重し、冷静にコンセンサス(合意)づくりをする」と語った。
 公明党の神崎代表も「お祝い事はお祝い事として切り離し、皇室典範問題については議論すべきだ」と指摘している。…(2006年2月8日1時10分 読売新聞)」

と報道しています。

この記事だけでははっきりしませんが、テレビ報道を見ると、公明党の神崎代表も、小泉首相と同じような発言をしています(「今国会でまとまるように努力したい」旨発言)。どうやら、この記事にでてくる3人も紀子さまのお体や第3子のことなぞ、無関心のようです。この3人を支持した有権者は、この発言を容認していいのでしょうか? 創価学会の会員の方々はこのような非人道的な発言を容認して、自らの宗教心と矛盾しないのでしょうか?
もっとも、この3人は小泉首相になびいているだけですから、特に自己の意思はないのでしょう。公明党には自ら判断する能力がないのか、と思いますが……。




4.紀子さまのお体や第3子のことを考慮しないのですから、小泉首相には、女性蔑視の思想(憲法14条違反)があると思われます。今までも、数々の女性蔑視の言動が報道されていますから、これもその表れなのでしょう。

紀子さまや第3子のことを考慮することなく、ただ自分がかかわった皇室典範改正案を成立させたいだけ…。紀子さまや第3子の「個人の尊厳」(憲法13条)よりも、自己の欲求だけを満足させる小泉首相に対して吐き気がするほど嫌悪感を抱いています


「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に出ている「安定的な皇位の継承」の要請は、数ヶ月も待てないほどではないはずです。男系維持派、女性・女系天皇容認派の議員いずれも色々思うところはあるでしょうが、なにより、紀子さまのお体や第3子のことを考慮するべきです。非人間的な小泉首相は無視して、国会での皇室典範改正論議は暫く止めるべきだと考えます。今国会での皇室典範改正に反対します
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憲法 *  TB: 0  *  CM: 2  * top △ 
2006/02/05 [Sun] 06:02:51 » E d i t
女性天皇・女系天皇を認めるものと思われる皇室典範改正案について、政府は今国会の法案提出・成立をめざしています。しかし、これに対しては、与野党内から173名もの慎重審議を求める署名がなされ(2月1日付読売新聞)、閣僚からも慎重論が広がっています(2月3日付朝日新聞)。他方で、女性・女系の皇位継承を認めていない皇室典範の規定は、平等原則(憲法14条)に違反するとの意見もあります。
そこで、皇室典範における皇位継承資格者について、憲法論・法律論としてどのように理解すべきなのか、検討をしてみたいと思います。

ただし、この本題に入る前に、前提となる知識について確認しておくことにします。

1.まずは、皇位継承資格に関する条文と解説(園部逸夫「皇室法概論」(平成14年)316頁~)を把握しておくことにします。

<憲法>
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第2条 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

<皇室典範>
第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。(以下省略)


憲法2条は、「皇位は、世襲のもの」と定め、皇室典範1条は「皇位は、皇統に属する者」が「これを承継する」と定めていることから、皇位を継承する資格を有する者は、天皇と血縁関係にある自然血族に限られることになります。

皇室典範1条は、皇位の世襲制を定めた憲法2条を受けて、世襲の具体的内容として、皇位継承資格者を、皇統に属する男系男子に限ることを規定しています。

皇位継承資格については、皇室典範1条が「皇統に属する男系男子」が有することを定め、更に、皇室典範2条1項が「皇族に」伝えることを定めています。
このように皇位継承資格者を皇族に限ることにより、皇位継承資格者として、「皇統に属する男系の男子」の中から、非嫡出子及び非嫡出系の者が(皇室典範6条により皇族でないことから)除かれ、また、皇族の身分を離れた者(皇室典範11条)及びその子孫で皇族の身分を離れた者(皇室典範13条)が除かれます。また、皇族以外の者及びその子孫である男子は皇族となることがない(皇室典範15条)ことから、「皇統に属する男系男子」であっても、いったん皇族の身分を離れた者の子孫皇位継承資格を有することはないことになります。

ようするに、皇位継承資格者の条件として、「天皇と血縁関係にある自然血族に限られる」「皇統に属する男系男子に限る」「皇族に限る」という3つの条件があるというわけです。




2.皇室典範2条は「男系の男子」と定めていますように、男系と女系の概念について理解しておく必要があります。これは、女系天皇の意味を理解する上で不可欠な理解です。
この点については、園部逸夫「皇室法概論」(平成14年)320頁~によると、

「男系・女系の概念はこれまでも女性天皇の議論の際に重要なポイントとなっている概念であるので、あらかじめここで説明をしておく。
 男系・女系についての一般的な説明の例としては、法令用語研究会編集執筆『有斐閣法律用語事典[第2版]』の説明があり、同書によると、男系は、『家系において、男子の方のみを通してみる血縁の系統的関係。すなわち、血縁系の間に女子が入らない者相互の関係。』(同書925頁)、また、女系は、『厳密には、女子だけを通じた血族関係をいうが、広く、中間に一人でも女子の入った、男系でない血族関係を指して用いられることもある。』(同書754頁)ということになる。
 また、金子宏、新堂幸司、平井宜雄編集代表の『法律学小辞典[第3版]』は『男系主義』を『男子だけを通した血族関係の系統に特別の地位を認めることをいう。』(同書778頁)と説明しており、これによれば、男系とは『男子だけを通した血族関係の系統』ということになると考えられる。
 男系・女系の意味は、一般的にはこのように解されるものと考えるが、男系の概念は、現在、法律上は皇室典範にのみ規定されているものであること、また本書は皇室制度についての説明を試みるものであることから、以下では、前記辞典等の説明を参照しつつも、そもそも皇室典範において男系・女系概念の意味をどのように考えるべきかといった観点から、その考え方を整理する。
 このような前提の下で本書では、現行制度上の男系・女系の概念を、歴代の男性天皇のいずれかと男子のみで血縁上つながる場合を男系と観念し、この意味での男系以外の血縁でつながる場合を女系と観念すると考える(歴代の女性天皇とのみ血縁上つながる場合も、女系と観念するということになる)。…
 また、こうした男系・女系の考え方の外、男系・女系を、歴代の天皇との血縁関係と限定せず、皇統に属する者相互の血縁上の関係…を説明する概念であると定義する考え方も可能ではあるが、そもそも任意の天皇・皇族等の相互の血縁上の関係を子の意味での男系・女系という概念を用いて理解することに法的な意味があるとは考えられず、皇室典範上の概念の定義としては、適当ではないと考える。」


ようするに、歴代の男性天皇のいずれかと、女子が間に入ることなく、男子のみで血縁関係がつながっている場合を男系といい、それ以外が女系ということになります。

日経新聞(2月3日付朝刊)では、男系・女系の意味について、

「女系、男系の呼称は本人の性別とは関係がない。天皇の血筋を母方だけが引き継いでいれば女系天皇、父方が歴代天皇につながるなら男系天皇だ。愛子さまが即位すれば『男系の女性天皇』。愛子さまが民間人と結婚して生まれた子が即位する場合は『女系の男性天皇』とか『女系の女性天皇』となる。」

と説明しています。大体は、このような理解で足りるでしょう。




3.一般的に理解されている皇位継承の歴史を理解しておく必要があります。これを理解しておかないと、男系維持派を理解できないからです。
朝日新聞(2005年11月17日付朝刊)の「転機迎える天皇制 女性・女系の皇位継承めぐる論点」という表題での記事によると、

 「歴史を踏まえて明治につくられた皇室典範の皇位継承の定めは、非嫡出子を認めなくなったこと以外は現在の典範でも性格は変わらず、男系、男子、直系、長子優先となっている。
 しかし、これまでの皇位継承の歴史は、男系主義以外の原則は例外だらけとも言える。
 男子優先には8人10代の女性天皇という例外がある。ただしいずれも女性天皇が天皇の血筋を引かない配偶者との間に子をもうけて、女系の天皇が現れたことは一例もない。
 直系優先という点も、兄弟継承や傍系など多くの例外がある。継承のあり方を分類し集計した数をみると、1~125代の124例の継承の内訳は次の通りだ。
 直系継承69例
 兄姉弟間継承27例
 その他の継承28例
 なお、非嫡出子(側室の子)は125人中55人とされている。
 また男系継承は124例で、女系継承はゼロ。だから系図でも女性天皇の系統は行き止まりになっており、男系主義だけは一つの例外もない。言い換えれば男系のみが一貫しており、このことが明治憲法で『万世一系』とうたわれた。
 有識者会議は、『皇室典範が女性も非嫡出子も認めなくなった結果、歴史上、皇位継承の仕方が最も狭まった』(吉川座長)として、女性を認め、しかも過去に一例も無かった女系も認めることを決めた。女性天皇を認める以上、そのお子さま(女系の子になる)の継承権を認めないわけにはいかないからだ。仮に後から弟が生まれたとしても姉を優先する長子優先の方向だという。…
 男系維持派の人たちは、男系継承の一貫性こそが皇室の伝統の核心であり、女性・女系を認めるとしても、万策つきてからだとしている。…

*朝日新聞の記事によると、基となる系図は、宮内庁が作成・保存する天皇、皇族の『皇統譜』によって作成したものです。これは『皇室典範に関する有識者会議』の資料にならったものです。(法律問題として論じる場合は、この資料に基く方が適切でしょう。)」


ようするに一番肝心なことは、過去に女性天皇がいたとしても、女系天皇は一例も無かったのですから、女系天皇をみとめることは「天皇位の継承原則の根本的転換」になるわけで、極めて重く厳粛なテーマといえるわけです(朝日新聞・2005年11月7日付朝刊)。このような皇位継承の歴史があるからこそ、男系維持派・慎重論派は、女系天皇だけは認めないのであり、この女系天皇を認めないことにこそ主眼があるといえるのです。




4.産経新聞(1月29日付)には、

皇室典範 首相発言、理解不足? 党内に困惑

 自民党内で女系天皇容認への慎重論が広がる中、『仮に愛子さまが天皇になられたときに、そのお子さまが男子でも(皇位継承を)認めないということになる。それを分かって反対しているのか』という小泉純一郎首相の反論に戸惑いと困惑が広がっている。
 男系尊重派は、愛子さまが天皇となり、その子供が即位すると男女を問わず初の女系天皇となり、皇室伝統の大転換を意味することが問題と指摘してきた。このため、首相の発言に党内からは『そんなこと初めから分かっている』(若手議員)と当惑の声が漏れる。
 首相が『愛子さまのお子さまが男子でも…』と述べた部分についても、政府の『皇室典範に関する有識者会議』は皇位継承者について男女を問わず第一子優先を打ち出しており、『第一子が女子だったらどうするのか。首相は報告書の内容をよく理解していない』(研究者)という見方が出ている。首相の理解度についてはこれまでも政府内で『女系と男系の違いはよく分かっていないようだ』との観測も流れていた。」


という記事が出ていました。
3.で述べたように、男系維持派・慎重論派は、女系天皇だけは認めないことに主眼があるのですから、小泉首相の反論の内容は、この記事でも出ている議員が述べているように、『そんなこと初めから分かっている』ことです。それが分かっていないようだと、女系天皇を認めないという主張ができません。

小泉首相は、男系維持派・慎重論派の言い分が元々理解できておらず、女系と男系の違いがよく分かっていないといえます。この発言のおかげで、小泉首相自身がよく分かっていないことが暴露されてしまいました。

このようなことから、「小泉首相は『女系と男系の違いはよく分かっていないようだ』との観測」は、正しい理解であると考えます。もっとも、小泉首相は、皇室典範の改正案について、この皇位継承資格以外の点も理解できているのか、疑問が残りますが…(苦笑)。



これで皇室典範における皇位継承資格者について、憲法論・法律論を論じる前提知識は備えたということで、本題は、「女性天皇・女性天皇に関する法律問題(下)」で論じることにします。
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2006/02/01 [Wed] 06:45:11 » E d i t
「落書きと建造物損壊罪の成否(上)」の続きです。

1.「落書きと建造物損壊罪の成否(上)」で書いたように、落書きについては、軽犯罪法1条33号前段の「工作物等汚わい罪」も成立しうるので、建造物損壊罪と工作物等汚わい罪の区別をどうするのかが問題となります。

(1) まず、落書きについて工作物等汚わい罪が成立することについて確認しておきます。
まずは、条文を。

「軽犯罪法1条33号 みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をし、若しくは他人の看板、禁札その他の標示物を取り除き、又はこれらの工作物若しくは標示物を汚した者

*(立法趣旨)工作物、及び標示物の所有権や管理権を保護し、同時にそれらのもつ外観を保護することにある。」


この規定の解釈については、橋本裕蔵「軽犯罪法の解説」(5訂版)(2005年)88頁~(一橋出版)によると、

「『家屋』は家、住宅を意味し、『工作物』の例示です。…『その他の工作物』は『家屋』に類するものをいいますが、住居に用いられるものである必要はありません。したがって、門、電柱、トンネル、へい、公園内に設置されている彫刻など土地に定着している人為的に作られた一切のものが含まれます。

 『汚した』はそのものの効用を害するには至らないが、外観を害し、美観を損なう行為をいいます。…『工作物』の管理者の許諾を得ずにペンキなどでへい等の工作物に絵などを書く行為はその絵自体が美しいものであっても、もとの美観が損なわれている場合には『汚した』に該当します。したがって、…最近見られる道路脇の壁に絵画を描く行為は『汚した』に該当します。…」


このような解釈からすると、公園内の公衆便所の外壁にラッカースプレーでペンキを吹き付け「戦争反対」等と大書した行為は、工作物汚わい罪にもあたると判断できます。



(2) 建造物損壊罪と工作物等汚わい罪の区別については、大阪高裁昭和44年10月3日判決大コンメンタール刑法〔第2版〕第13巻572頁~)は、

「物の外観の著しき汚損を損壊と解するにおいては同じく物の外観を保護法益とする軽犯罪法1条33号の規定との関係に疑問が生ずるが、軽犯罪法違反と建造物又は器物損壊との区別は結局物の外観に対する侵害の程度の量的差異すなわち物の効用の滅却減損の有無に帰着するものと考えられ、その外観の軽微な侵害すなわち、物の効用の滅却毀損に至らないと評価されるときは右軽犯罪法違反となるに過ぎない。…」

としています。

また、このブログで問題としている最高裁決定の事案の第一審(東京地裁平成16年2月12日判決)では、

「刑法260条前段にいう「損壊」とは,建造物の本来の効用を滅却あるいは減損させる一切の行為をいい,物理的に建造物の全部又は一部を毀損する場合だけではなく,その外観ないし美観を著しく汚損することによっても,建造物の効用を実質的に滅却ないし減損させたと認められる場合があり,このような場合には,たとえその建造物の本質的機能を害するには至らなくても,その行為は「損壊」に当たると解するのが相当である。

そして,弁護人指摘の軽犯罪法1条33号等との関係で,建造物の外観ないし美観を汚損する行為が建造物損壊罪所定の損壊にまで当たるといえるか否かについては,建造物の性質,用途ないし機能との関連において,汚損行為の態様,程度,原状回復の難易等,諸般の事情を総合考慮して,社会通念に照らし,その汚損によってその建造物の効用が滅却ないし減損するに至ったか否かを基準として判断し,これが肯定されるときは,このような汚損行為は,軽犯罪法1条33号等に該当するのにとどまらず,建造物損壊罪に該当することになると解すべきである。」

としています。

ようするに、「はり札の罪等と器物損壊罪、建造物損壊罪のいずれが成立するかを決するには、具体的事実に即し当該物件ないし建造物の効用が害されたか否か」(法務省刑事局 軽犯罪法研究会編者「軽犯罪法101問」208頁(平成7年)(立花書房)によるわけです。もちろん、もっと建造物損壊罪の成立を狭めるような判例(名古屋地裁昭和39年11月17日判決・判例時報408号50頁)もありますが、このような判例は少ないようです。


最高裁決定は、建造物損壊罪と軽犯罪法との区別基準について、直接触れていませんが、「本件落書き行為は,本件建物の外観ないし美観を著しく汚損し,原状回復に相当の困難を生じさせたものであって,その効用を減損させたものというべきであるから,刑法260条前段にいう『損壊』に当たる」としているのですから、美観侵害と原状回復困難性を基準として、効用を減損するか否かにより区別するものと理解できます。美観侵害と原状回復困難性という基準だけを示している点は最高裁決定独自の基準ですが、結局は、従来の下級審判例・学説と同様の基準を採用していると理解できるでしょう。



(3) 建造物損壊罪と工作物汚わい罪が成立する場合の適用関係については、法務省刑事局 軽犯罪法研究会編者「軽犯罪法101問」208頁(平成7年)(立花書房)によると、

「工作物にはり札をしたり、汚したりして当該工作物の効用を害した場合には工作物の種類によって刑法の器物損壊罪(同法261条)、又は建造物損壊罪(同法260条)が成立し、軽犯罪法のはり札の罪、工作物等汚わい罪との関係が問題になるが、軽犯罪法違反の罪は刑法の補充規定であるから、刑法上の犯罪が成立する場合にははり札の罪等はそれらの罪に吸収されることとなる。」


としています。ようするに、建造物損壊罪と工作物汚わい罪の両罪の要件を充たすとしても、両罪がともに成立することはなく、2つの罪の刑が併科されることもないわけです。
(追記:落書き条例もある場合の刑の適用については、文献が見当たりませんでしたが、規定の趣旨は同じですから、刑法上の犯罪が成立する場合には、落書き条例による罪はそれらの罪に吸収されると考えます。)




2.この事件では、被告人側は「本件建物は,形式的には杉並区の所有に属するが,実質的には杉並区民総体が所有者であり,とりわけ近隣に住み利用する可能性が高い者に,より強い帰属関係があるという性質のものであるところ,被告人は杉並区民でありかつ本件建物が設置された判示公園の近くに住んでいた」ので、建造物損壊罪の要件のうち、「他人」性の要件が欠けるから、建造物損壊罪が成立しないとしています。
では、本事案では他人性の要件が欠けるのでしょうか?


建造物損壊罪における「他人」の建造物とは、通常、他人の所有に属する建造物を意味します。そうすると、「本件建物は杉並区の所有に属し,同区が本件建物の管理処分権を有することが明らか」(一審判決文より)ですから、当然、被告人にとって本件建物が「他人の」建造物に当たります

杉並区民だと、なぜ他人である杉並区の所有権を、譲渡されずに自己の所有権にすることができるのか、訳が分かりません。まして公園の近くに住んでいると、なぜ無関係な杉並区の所有物を有したり管理できる権限が突如として生じるのか、訳が分かりません。法律論として全く意味不明な論理です。

だいたい、被告人以外にも、杉並区民で公園の近くに住んでいる人は大勢いるのですから、被告人側の論理だと、その大勢の人も適法に公衆便所に落書きできることになりますが、そんなことをしたら落書きだらけになって、はっきり言って無法地帯化してしまいます。被告人側の主張は、法律論としてあまりに無茶苦茶だと考えます。




3.被告人側は、建造物損壊罪の構成要件に該当するとしても、落書きは「パブリック・フォーラムにおける思想的・政治的メッセージの表現である。これは、憲法21条によって極めて高度に保護されるべき表現行為であり、憲法上の正当な行為であり、刑法35条により違法性が阻却され無罪となるべきものである」(弁護人の上告趣意書より)と主張しています。
では、落書きは表現の自由として保護され、違法性を阻却するとの主張は妥当でしょうか?


街路、歩道、公園など公衆の表現活動の場所として利用されてきた「公共の場所」はそこで行われる表現活動の規制の合憲性をより厳格に検討することを求める理論を、「パブリックフォーラム」論といいます(芦部信喜「憲法学3」443頁)。この理論自体は、日本の憲法学上も受け入れられています。


しかし、「パブリックフォーラム」論自体は、受け入れられているとしても、無制約の表現の自由の行使を認めるわけではありません。そうすると、落書きは美観を損なうことはもちろん、あえて消さない以上はずっと残ってしまうのですから、落書きされた財産権の侵害が大きいといえます。

また、公園でビラを配るのと異なり、公園の公衆便所の壁に落書きすることは、公衆便所の近くを通り掛る人は、嫌でもその落書きが常に視界に入ってしまうことになり(いわゆる「捕われの聴衆」)、不合理です(芦部「憲法学3」453頁参照)。

このように考えると、落書きは表現の自由として保護され、違法性を阻却するとの主張は妥当ではないと考えます。




4.弁護人の上告趣意書によると、

「原判決は、被告人に懲役1年2月執行猶予3年を言い渡したが、この判決の量刑は重きに過ぎて不当である。
 本件は、公園のトイレに対する単なる落書き事件であり、トイレの落書きがほとんど手を打たれず放置されている現状や、軽犯罪法などの規定との均衡を考えるとき、懲役1年2月という判決はあまりにも重きにすぎるものといわなければならない。」

としています。
では、量刑は重過ぎるのでしょうか?


一般に量刑は、犯人の性格・年齢等、犯罪の動機・方法等、犯罪後の情況によって判断します(刑訴法248条参照)。

そうすると、この事案の第2審(東京高裁平成16年9月3日判決)によると、

「…本件は,被告人が,所携のラッカースプレー2本を用いた前記のような落書き行為により,前記のような公園内の公衆便所である本件建物の外観を著しく汚損して建造物を損壊した事案である。…本件犯行の結果,その原状回復には約7万円の費用を要すると認められるのであって,その被害は軽視できない。被告人は,本件犯行の動機につき,原審公判において,本件当夜,自宅でイラク戦争のことなどを考えるうち,自分の戦争反対のメッセージを落書きしようと思い立った旨述べているが,本件建物の管理者や利用者に及ぼす影響を考えることなく,安易に本件のような違法手段を選択したのであって,その短絡的な動機に酌むべき事情は認められない。しかも,被告人は,原審公判において,もう落書きをしようとは思わないとの供述を覆し,全然反省していないし,これからも落書きをしようと思っているなどと述ベ,損害賠償や原状回復に向けての措置をとらず,当審においても,『公園に落書きが在って,不快に感じる人がいる。だが,それがなんだというのだ。』,『書きたい奴は書けばいい。書きまくればいい。もちろん,公共物も私有物も商業広告も関係なく。そして,いつしか都市空間は,落書きだらけの見るに有意義な空間となる。』などと記載した控訴趣意書を提出しているのであって,身勝手な理屈で自らの犯行を正当化しようとする反規範的な態度は,厳しい非難を免れない。以上からすると,被告人の刑事責任を軽視することはできない。
 そうすると,未だ若年であり,これまで前科がないことなど被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,執行猶予を付した上で懲役1年2月に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。」


と判示しています。

ようするに、被告人は27歳なのでそれほど若くはないが、まあまあ若いし、前科はないので、刑を軽くする事情はあるとしても(=犯人の年齢等)、落書きの影響を考慮せずに自分のメッセージを書きたいという短絡的な動機で行っています(=犯人の動機)。特に、問題なのは、これからも落書きしようと思うとか、みんな落書きして落書きだらけになればいいといった、全く反省することなく、今後の犯行を予告する控訴趣意書を出していて(=犯行後の情況)、この行為はこともあろうに裁判所に対して、法を守らないことを意思表明するという極めて悪質な態度です。

同じ落書きの事案には、スプレーで店舗の壁に落書き行為をした建造物損壊罪2件により懲役10月(執行猶予3年)に処せられた判決(和歌山地裁平成14年7月8日判決の量刑事情の判示部分参照)があります。この事案より、今回の落書き事件の方が刑は重いのですが、法を守らないことを、こともあろうに裁判所に意思表明するという極めて悪質な態度に出ていることを考えると、刑が重過ぎるとはいえません。


そうすると、量刑は重過ぎるとはいえないと考えます。




5.最後に、読売新聞(1月19日付)の記事の中にあった「今後は、5年以下の懲役が科される同罪を適用しやすくなり、商店街のシャッターなどへの落書きが社会問題化する中で、抑止効果が期待できそうだ。」の部分は妥当な判断でしょうか?


ずっと検討してきて分かるように、今回の最高裁決定の立場は、従来の判例の基準を明確化したものですし、その認定としても、従来の下級審判例の事案と比較しても、特に重罰化したものではないといえます。

この最高裁決定が出たからといって、建造物損壊罪の成立を否定した広島高裁平成13年10月23日判決(倉庫の外壁にかすれがちな文字で、外壁を修復費は5万円かかるが、修繕すると落書き前より改善される) の事案が今後は建造物損壊罪肯定になるわけではないでしょう。この事案は、それ程美観を重視していない倉庫で、かすれがちな文字なら美観侵害が著しいとはいえませんし、原状回復困難ともいえないからです。


この最高裁決定に対して、落書きに建造物損壊罪を認めるなんて、処罰が重すぎておかしいといった批判もあるようですが、以前から建造物損壊罪を認める判例もあり、特に重罰化したわけではないのですから、批判はあたらないはずです。


読売新聞が例に挙げた「商店街のシャッター」にしても、そのデザインを工夫したものか否か、美観侵害が著しいのかどうか、原状回復困難かどうかを事例ごとに判断することになるわけで、それは従来からさほど変わらない判断なのです。

また、商店街のシャッターに対する落書きの場合、建造物損壊罪の成立が認められる事案であったとしても、犯人逮捕の可能性は低いようですから、建造物損壊罪で処罰される事案が増えることにならないように思えます。


このように、「今後は、5年以下の懲役が科される同罪を適用しやすくなり、商店街のシャッターなどへの落書きが社会問題化する中で、抑止効果が期待できそうだ。」の部分は妥当な判断ではないと考えます。商店街の人達を問わず、建造物損壊罪での起訴を求めて署名をするなど国民的な運動を起こせば、変わるのかもしれませんが…。




6.近年特に落書きが激しくなり、各地で落書き条例が制定されています。落書き対策に各自治体や住民は悩んでいることは確かですので、条例や法律による抑止も必要でしょう。今回の最高裁決定によって落書きをする人に対する抑止効果もあるかもしれません。今回の最高裁決定を知るくらい新聞を読んでいれば、ですが。

しかし、今までも処罰されてきていたわけですし、それでも一向に減る気配はありません。結局は、落書きをするという不満を解消する場がないことや、なにより規範意識の欠如が大きいのだと思います。

遵法意識に乏しかった堀江元社長、追及されても「人生いろいろ、会社もいろいろ」と答えてごまかしたり、堀江社長への選挙応援を非難されると「別問題」「マスコミだって持ち上げた」と言ったり、閣議決定に違反していても「問題ない」と発言する小泉首相いずれも国民的人気が高いのです。

この最高裁決定の事案でも、被告人弁護士は、トイレの落書きがほとんど手を打たれず放置されている現状だから、量刑が重過ぎると書いていたり、被告人が書く前に落書きがあったから、もはや美観侵害はないと書いています。ようするに、「みんなやっているのだから被告人に罪はない又は軽くして欲しい」というわけです。ここにも遵法意識・規範意識の欠如があらわれています。


規範意識の乏しい人物であっても国民的人気が高く、遵法意識・規範意識の欠如に溢れている日本において、落書きを減らすようにする……。落書きが減る可能性はまず皆無でしょうね…。

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