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2006/01/30 [Mon] 06:30:05 » E d i t
公園内の公衆便所の外壁にラッカースプレーでペンキを吹き付け「戦争反対」等と大書した行為について、刑法260条前段にいう建造物の「損壊」に当たるとして、建造物損壊罪を認めた最高裁平成18年1月17日決定がでました。この判例について検討してみたいと思います。

1.まずはこの判例の記事について引用してみます。

(1) 読売新聞(1月19日付)によると、

「建物への落書きは「建造物損壊」、最高裁初判断

 公園のトイレにペンキで『戦争反対』などと落書きしたとして、建造物損壊の罪に問われた東京都杉並区の書店員…に対し、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長)は、上告を棄却する決定をした。
 決定は17日付。懲役1年2月、執行猶予3年とした1、2審判決が確定する。建物への落書きに建造物損壊罪が成立するとした最高裁の初判断で、同小法廷は『建物の外観や美観を著しく汚損し、原状回復に困難を生じさせたのは、損壊に当たる』と述べた。
 壁を壊すなど建物の機能を損なった場合は明らかに同罪が成立するが、落書きについては明確な司法判断がなく、拘留(30日未満)と科料(1万円未満)の罰則しかない軽犯罪法違反を適用することが多かった。今後は、5年以下の懲役が科される同罪を適用しやすくなり、商店街のシャッターなどへの落書きが社会問題化する中で、抑止効果が期待できそうだ。
 1、2審判決によると、木下被告は2003年4月、杉並区の区立公園内にある公衆トイレの外壁に、赤や黒のスプレー式のペンキを使って、『戦争反対』『反戦』などと大きな文字で落書きした。
 弁護側は、『落書きがあったからトイレを使用できないと思う人はおらず、建物の機能を損なっていないから、建造物損壊罪は成立しない』と無罪を主張していた。」2006年 1月19日 (木) 03:02


としています。



(2) 朝日新聞(1月19日付)では、

「トイレの落書きは「建造物損壊」 最高裁

 公園の公衆便所の壁に『戦争反対』などとスプレーで落書きして建造物損壊罪に問われ、無罪を主張していた書店店員…に対し、最高裁第三小法廷(浜田邦夫裁判長)は上告を棄却する決定をした。『落書きは建物の外観、美観を著しく汚損し、効用を損なわせた』と述べ、同罪に当たるという初めての判断を示した。懲役1年2カ月執行猶予3年とした一、二審判決が確定する。決定は17日付。
 第三小法廷は『建物は不体裁かつ異様な外観となり、その利用についても抵抗感ないし不快感を与えかねない状態となった』と指摘。落書きはラッカーシンナーでも完全に消せず、壁の再塗装に約7万円がかかった事情も考え、『損壊』に当たると結論づけた。
 一、二審判決によると、男性は03年4月17日夜、東京都杉並区の区立公園で、便所の白い壁に赤と黒のスプレーで『反戦』『スペクタクル社会』などと書いた。」


としています。

読売新聞と朝日新聞を比較すると、「落書きについて…軽犯罪法違反を適用することが多かった…」の部分が、朝日新聞にはないことがわかります。この部分について、共同通信の記事と比較してみます。


(3) Niftyのニュースによると、

「 反戦落書きが建造物損壊(共同通信)
 
 最高裁第3小法廷は19日までに、東京都内の公園トイレにペンキで「反戦」などと落書きしたとして建造物損壊の罪に問われた東京都杉並区の男性被告(27)の上告を棄却する決定をした。懲役1年2月、執行猶予3年とした1、2審の有罪判決が確定する。落書きには軽犯罪法違反や自治体の条例が適用されるのが普通で、懲役5年以下を規定する建造物損壊罪の成立を認めた最高裁判断は初めて。
[共同通信社:2006年01月19日 19時05分]」


としています。共同通信の記事によると、落書きについては条例があることがわかります。



(4) このように、建物に対する「落書き」については、3つの刑罰規定の適用の有無が問題となってくるわけです。すなわち、

・刑法260条前段の「建造物損壊罪」……5年以下の懲役 *ただし、落書き対象が建物でない場合には器物損壊罪
・軽犯罪法1条33号前段の「工作物等汚わい罪」……拘留=1日以上30日未満の拘束、又は科料=1000円以上1万円未満の金銭支払い
・落書き条例における「落書き条項」(例えば、杉並区生活安全及び環境美化に関する条例、鎌倉市落書き防止条例、落書きのない美しい奈良をつくる条例など。)……5万円以下~10万円以下の罰金

*(建造物損壊及び同致死傷)
刑法260条 他人の建造物又は艦船を損壊した者は、5年以下の懲役に処する。よって、人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。


そうなると、建造物損壊罪の成否を検討する際には、軽犯罪法、落書き条例を意識する必要があるわけです。また、建造物損壊罪適用を肯定した場合には、建造物損壊罪と軽犯罪法等との区別をどうするのかの検討も必要になります。


また、読売新聞では、「落書きについては明確な司法判断がなく、拘留(30日未満)と科料(1万円未満)の罰則しかない軽犯罪法違反を適用することが多かった」としています。

しかし、

<器物損壊罪の成立肯定>
・札幌高裁昭和50年6月10日判決(歌碑にペンキで汚して読めなくした)
・福岡高裁昭和56年3月26日判決(塀一面にスプレー式ペンキで落書きした)
・和歌山地裁平成14年7月8日判決(列車のフロントガラス及び側面に塗料を吹き付けた)

<建造物損壊罪の成立肯定>
・大阪高裁昭和38年11月27日判決
・本事例の2審の東京高裁平成16年9月3日判決や1審の東京地裁平成16年2月12日

<建造物損壊罪の成立否定>
・広島高裁平成13年10月23日判決(倉庫の外壁にかすれがちな文字で、外壁を修復費は5万円かかるが、修繕すると落書き前より改善される)
・東京高裁昭和53年11月7日判決


このように、落書きと建造物損壊罪(器物損壊罪)の成否について、最高裁判決はありませんが、色々と司法判断があり蓄積があったのですから、「明確な司法判断がな」いとまでは言えないと思われます。
ただ、器物損壊罪や建造物損壊罪を認めた判例は、(他にもあるとは思いますが)探しても上に挙げたくらいでしたから、「軽犯罪法違反を適用することが多かった」の部分は妥当な記述だと思われます。




2.では、本題に入ります。建物に落書きした場合、建造物損壊罪の「損壊」にあたるのでしょうか?「損壊」の意義と関連して問題となります。


(1) 「損壊」の意義については、

物理的損壊説(曽根):財物を物理的に損壊することを要する。
効用侵害説(判例・通説):物理的損壊のみならず、財物の効用を害する一切の行為を含む。
(理由)物理的損壊に限定すると処罰範囲が狭すぎて不都合

に大別できます。

この「損壊」の意義については、争いがあるとしても、判例は一貫して効用侵害説ですから、今さら物理的損壊説に判例変更することは不可能ですし、裁判において物理的損壊説を主張することは非現実的です。また、刑法40章毀棄及び隠匿の罪に共通する解釈ですので、建造物損壊罪における「損壊」の意義だけ物理的損壊説によることも不合理です。そうすると、建造物損壊罪における「損壊」効用侵害説によって判断することになります。



(2) 最高裁平成18年1月17日決定について、引用しておきます。

「所論にかんがみ,建造物損壊罪の成否につき,職権で判断する。
 1 原判決の是認する第1審判決の認定によれば,本件の事実関係は以下のとおりである。
 (1) 本件建物は,区立公園内に設置された公衆便所であるが,公園の施設にふさわしいようにその外観,美観には相応の工夫が凝らされていた。被告人は,本件建物の白色外壁に,所携のラッカースプレー2本を用いて赤色及び黒色のペンキを吹き付け,その南東側及び北東側の白色外壁部分のうち,既に落書きがされていた一部の箇所を除いてほとんどを埋め尽くすような形で,『反戦』,『戦争反対』及び『スペクタクル社会』と大書した。
 (2) その大書された文字の大きさ,形状,色彩等に照らせば,本件建物は,従前と比べて不体裁かつ異様な外観となり,美観が著しく損なわれ,その利用についても抵抗感ないし不快感を与えかねない状態となり,管理者としても,そのままの状態で一般の利用に供し続けるのは困難と判断せざるを得なかった。ところが,本件落書きは,水道水や液性洗剤では消去することが不可能であり,ラッカーシンナーによっても完全に消去することはできず,壁面の再塗装により完全に消去するためには約7万円の費用を要するものであった。
 2 以上の事実関係の下では,本件落書き行為は,本件建物の外観ないし美観を著しく汚損し,原状回復に相当の困難を生じさせたものであって,その効用を減損させたものというべきであるから,刑法260条前段にいう『損壊』に当たると解するのが相当であり,これと同旨の原判断は正当である。」



この判示から、次のことを読み取ることができます。

イ:「その効用を減損させたもの」と判示しているので、建造物損壊罪の「損壊」について、効用侵害説を採用していること

ロ:落書きと建造物損壊罪の成否おける「効用侵害説の判断基準」については、「建物の外観・美観を著しく汚損すること」(美観侵害)と、「原状回復に相当の困難を生じさせたこと」(原状回復困難性)という2点を判断基準としていること

ハ:「本件建物は…外観,美観には相応の工夫が凝らされていた」と判示しているので、外観・美観の著し汚損という基準を使う前提として、ある程度の文化的・美術的価値がある外観である建物であること

ニ:『反戦』,『戦争反対』及び『スペクタクル社会』という意味内容から、すなわち政治的意図を考慮して「損壊」と認めたのではなく、「その大書された文字の大きさ,形状,色彩等」という客観的状態によって「損壊」の有無を判断したこと



本判決で注目する点は、判断基準です。本決定では、「建造物の美観侵害」と「原状回復の困難性」を基準として効用侵害があるとしていますので、その点について検討してみます。




3.まず、美観侵害についても「損壊」にあたるのでしょうか? 物理的損壊説では美観侵害は「損壊」にあたらず、軽犯罪法1条33号違反(落書き条例違反)が成立するだけです(刑法の争点208頁)。そこで、効用侵害説に立った場合に、美観侵害も効用侵害となるのかが問題となります。


この問題点について学説・下級審判例は、

本来的用法侵害説(山中):効用侵害は建物の果たすべき本来的機能の侵害に限る。
一般的効用侵害説(多数説・下級審判例の多数):効用侵害は物の美観を害する場合を含む。
*後者は、美観侵害が直ちに効用侵害とするのではなく、美観を重視したデザインか否か、文化的・美術的価値がある建物か否かにより、損壊と認めるに足る美観侵害かを判断する。


に分かれています。

一概に建物といっても、外観に美術的価値がある建物はもちろん、倉庫やトイレや交番であっても、地域の建物と統一性を図る等、外観のデザインに工夫を凝らすこともよくあることです。そうすると、そのデザインはもはや建物の価値の一部というべきですから、建物の効用に美観を含めてよいと考えます。
もちろん、まったく美観を重視していない建物であれば、美観侵害を考慮する前提を欠くので、美観侵害が損壊に当たることは殆どないことになります。

本決定は、従来の多数説・判例と同様に、一般的効用侵害説を採用したわけです。ただ、「建物の外観ないし美観を著しく汚損し」と判示しており、著しい美観侵害に限定しているといえるでしょう。
そして、「本件建物は,区立公園内に設置された公衆便所であるが,公園の施設にふさわしいようにその外観,美観には相応の工夫が凝らされていた」のですから、そのような建物について、美観侵害を考慮したわけです。




4.次に、原状回復の困難性ですが、原状回復の難易が「損壊」の有無に影響するのでしょうか?


効用侵害説に立つ学説は、一致して原状回復の困難性を考慮するとしています。原状回復が容易な場合にはもともと効用を侵害したとはいえないからです。

これに対して判例は分かれています。

<影響しないとする裁判例>
最高裁昭和25年4月21日判決は「原状回復の難易如何は本罪の成立に影響あるものではない」としている。

<影響するとする裁判例>
原状回復の困難性を効用侵害の一要素としている裁判例(ビラ張りの事案につき、最高裁昭和41年6月10日決定、大阪高裁昭和53年3月22日判決など)


影響を認めた昭和41年判決もあるわけですから、現在では、原状回復の困難性を考慮するのが判例といえるのでしょう。
本決定も、原状回復の困難性を考慮する立場を採用したわけです。ただ、「原状回復に相当の困難を生じさせた」と判示しており、原状回復の困難性についていくらか緩和しているといえるでしょう。




5.このように本決定の判断基準は妥当だと考えます。以上の検討からわかるように、本決定の判断基準は、従来からの建造物損壊における通説判例の判断基準を簡潔にまとめた形で採用したものですから、特に驚くようなものではありません。
では、本決定の事案について建造物損壊罪の「損壊」にあたるとした認定についても妥当でしょうか?

まず、 nikkeibp.jp「最高裁が落書きを建造物損壊と認定」という記事や支援者団体さんのサイトで、その落書きした公衆便所を写した写真をご覧下さい。実感できると思います。


単なる公衆便所とはいえ、工夫を凝らした建物ですし、白い外壁という他の色が目立ちやすい壁に、赤と黒という特に目に付きやすい色のペンキを拭きつけたのであり、その文字は壁一面に大書きしているのですから、「美観の著しい侵害」にあたるといえます。

また、ラッカースプレーで落書きしたため、その落書きは、水道水や液性洗剤といった簡単な手段では消すことができないのですし、壁面の再塗装により完全に消去するためには約7万円の費用といったかなりの費用を要するのです。そうすると、原状回復が著しく困難とまではいえないまでも、「原状回復に相当の困難」にあたるといえます。

このようなことから、本決定の事案について建造物損壊罪の「損壊」にあたるとした認定も妥当であると考えます。



本決定については、他に軽犯罪法との区別基準について検討しておく必要があります。これは、読売新聞の記事中の「今後は、5年以下の懲役が科される同罪を適用しやすくなり、商店街のシャッターなどへの落書きが社会問題化する中で、抑止効果が期待できそうだ」という点とかかわる問題です。
また、東京地裁平成16年2月12日判決を読んだり、支援者団体のサイトを拝見すると、「他人」の建造物ではないとか、パブリックフォーラム論により違法性阻却するとの主張もしています。
これらの点については、「落書きと建造物損壊罪の成否(下)」というエントリーで検討したいと思います。



最後に、よく拝見させて頂いている「Re:F's blogroom」さんで、この落書き事件がかなり話題になったことを知りましたので、大変感謝しています(TBさせて頂きました)。また、支援者団体さんのサイトも訴訟過程における資料を拝見できましたので、大変感謝しています。そちらもぜひご覧下さい。

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

刑法 *  TB: 2  *  CM: 2  * top △ 
2006/01/21 [Sat] 22:08:40 » E d i t
今日から、クラシック演奏会の評論についてもしてみたいと思います。クラシック音楽の経験は、演奏会に行きはじめてから20年程度、楽器は過去に数年習っていた程度ですので、大した評論ではないことを一言しておきます。

さて、聴きに行ったのは2006年1月20日(金)7時から、東京芸術劇場大ホールで行われたコンサートです。


PROGRAM

指揮者:現田茂夫、ヴァイオリン:瀬崎明日香
東京交響楽団、コンサートマスター:大谷康子

演目
チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネゲン」よりポロネーズ
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」
アンコール曲
ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」



ポロネーズは、劇中の「第3幕第1場冒頭のペテルベルグの大夜会の場面にふさわしい豪華絢爛たる雰囲気を醸し出している。」(プログラムの解説より)曲です。

演奏は、オーソドックスな感じ、あっさりと。



ヴァイオリン協奏曲は、「華やかで多彩なヴァイオリンの演奏技巧とオーケストラのカラフルなサウンドが巧みな調和を実現させている…ロシア的な哀愁を豊かに湛えた」(プログラムの解説より)曲です。

演奏ですが。瀬崎さんの演奏にはびっくり。ものすごく濃厚・こってりな演奏だったので。この曲は、濃厚に弾く演奏とあっさり弾く演奏に分かれると思うのです。元々哀愁を帯びた曲なので、濃厚に弾く演奏は演歌みたいで好きではないですが、ここまで濃厚だと非常に魅力的です。
そして、ものすごいパワーと響き渡る音。下手をするとオーケストラを上回ると思えるほどで、「一人オーケストラ!?」かと思ってしまうほどです。音の魅力は、ストラディヴァリウスのせいもあったのかもしれません。
ただ、オーケストラが置いてきぼりな感じに。現田さんの明るく楽しい指揮・演奏は、それはそれで魅力なのですが、瀬崎さんのパワフル演奏についていけてないというか、合わせる方が難しいのかもしれません。



シェエラザードは「カラフルで華麗なオーケストレーションを誇る作曲家…の持ち味が見事に発揮されることになった華やかでロマンティックな名作」(プログラムの解説より)です。

この曲は好きな曲で、ホールで聴きたい曲の1つです。艶っぽさを出す演奏が多いのですが、軽やかで可愛らしい演奏でした。「こんな演奏もあるのか~」という感じですね。
正直、艶っぽい方が好きなのですが、明るく楽しい気分になりたいなら、この演奏は良かったのではないでしょうか。
この曲はコンサートマスターによるヴァイオリンソロが重要なのですが、ちょっと音が揺れ(抜け?)があってちょっと残念でした。

ちなみに、「シェエラザード」は個人的には、チェリビダッケ指揮の「シェエラザード」が一番気に入っています。非常に個性的な演奏で、曲の魅力が十分(十分すぎる?)に出ている演奏なので。




観客ですが、自分で買うというよりも、券をプレゼントされて聴きに来る方がかなり増えた感じがします。20代どころか、30・40代の方もいなくなった感じです。皆さん、余裕のなさが感じられます。

「日本の、これから 本当に増税しかないのか」というNHK番組を見ながら書いているので、正直気が重いのですが、あそこまで松尾氏が谷垣財務大臣に媚を売れるとはすごい芸だと関心します(苦笑)。元役人ですしね。消費税が上がったら、もっと演奏会に来る観客は減るでしょう。そうすると、交響楽団もまた減って…。楽団員や演奏家はどうなるのでしょう…。

テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

音楽 *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 
2006/01/20 [Fri] 00:50:02 » E d i t
1月17日の事件について、続報を含めて触れておきたいと思います。


1.ライブドアに対する強制捜査の影響で、東京証券取引所で全銘柄を売買停止するなど「ライブドア・ショック」がおきましたし、粉飾決算の疑いも出てきました。

(1) 読売新聞(1月18日付)によると、

「ライブドア本体も粉飾決算、数社利益を付け替え黒字に

 インターネット関連企業「ライブドア」(東京都港区)が2004年9月期決算で、実質的に傘下にある複数の会社の利益を自社の利益に付け替え、経常赤字だったライブドア単独の決算を約14億円の経常黒字に粉飾していたことが、関係者の話で分かった。
 ライブドア本体の不正経理が明らかになったのは初めてで、東京地検特捜部も同様の事実を把握しているとみられる。特捜部は17日、関連会社の証券取引法違反容疑で、ライブドアの会計監査を担当していた港陽監査法人(横浜市)も捜索、本体の粉飾の実態も調べている。
 特捜部は今後、堀江貴文・ライブドア社長(33)、グループの財務責任者を務めている宮内亮治・同社取締役(38)、関連会社「バリュークリックジャパン」(現ライブドアマーケティング)の岡本文人社長(38)の3人から事情を聞き、同グループを舞台にした不透明な経理操作や株取引の全容解明を進める方針だ。…
 ライブドアは04年9月期の単独の決算が、実際には10億円前後の経常赤字になっていたことから、これらの会社の利益の中から計約24億円を、ライブドア本体の利益とすることで、最終的に約14億円の経常黒字としていた。
 当時、ライブドアは、プロ野球の新規参入を巡り、経営体力に勝る『楽天』と争っており、審査では『親会社の経営の安定性』が重要な要素となっていた。関係者は『赤字だと格好がつかないし、株価に悪影響を与えるため、単体決算をよく見せかけたのだろう』と指摘している。」



ここで出てきた粉飾決算が事実だとすると、堀江社長や宮内取締役はどのような法的責任が生じるのでしょうか?



(2) 御器谷法律事務所のHPから引用すると、

「1. 粉飾決算とは、
 典型的には、会社の経営状況が赤字や債務超過等悪化しているにも拘らず、売上げを水増ししたり、経費を圧縮したり等して不正な経理操作を行って黒字決算にすること等を言います。
 粉飾決算をして銀行から不正に融資を受けたり、本来できない利益配当や役員への賞与の支給を行えば会社の財産の減少をもたらし、債権者へも影響します。さらに上場会社にあっては、投資家への偽りの開示となり証券市場での投資家を裏切ることもあります。このように粉飾決算は様々の弊害をもたらし会社経営者としては決して行ってはならないことです。時として役員から「会社の信用を維持するためやむをえず行った」等の弁解を聞くことがありますが、コンプライアンスの見地からは全く許されない言い訳にすぎません。…
 粉飾決算の際の取締役の責任を刑事責任と民事責任に分けて説明します。

2. 刑事責任
(1) 会社財産を危うくする罪、違法配当罪
粉飾決算を行って本来はすることができない違法配当(「タコ配当」とも言われます)を行った場合には、「会社財産を危うくする罪」ないし「違法配当罪」(商法489条3号)として、これを行った取締役は「5年以下の懲役又は500万円以下の罰金」となります。
(2) 特別背任罪
取締役が粉飾決算により自己又は第三者の利益を図りその任務に違背して会社に損害を与えたときは特別背任罪(商法489条)として「10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金」となります。
(3) 証券取引法違反
上場企業の取締役が有価証券報告書の重要な事項に虚偽の記載をして提出したときは、「有価証券報告書虚偽記載罪」(証券取引法197条)として「5年以下の懲役・500万円以下の罰金」となります。

3. 民事責任
(1) 違法配当額の賠償-商法266条1項1号
取締役が粉飾決算により違法に利益配当を行ったときは、取締役は連帯してこの違法に配当した利益を会社に賠償すべきことになります。
(2) 第三者にも責任-商法266条ノ3第2項
取締役が粉飾決算により計算書類等の重要事項に虚偽の記載をし、そのために第三者に損害を生じたときは、取締役はこの第三者に対して連帯してその損害を賠償すべき責任を負うことがあります。
(3) 証券取引法24条の4
上場会社の取締役が有価証券報告書の重要な事項に虚偽の記載等をし、これを知らないで有価証券を取得した者にこれにより損害を生じたときは、この損害を賠償すべき責任を生じます。」
*条文は現行商法のものです。なお平成18年5月(施行予定)からは「会社法」が適用されます。



粉飾決算の典型例は、粉飾決算により利益配当をするのですが、ライブドアはずっと無配ですので、粉飾決算の中でも少し特殊といえるでしょう。



(3) 産経新聞(12月26日付)によると、

「株主総会で無配継続承認 ライブドア

 ライブドアの株主総会が二十五日、東京都内のホテルで開かれ、一株二円の配当を求めた株主提案を否決、配当は行わないとする会社提案の議案を承認した。同社は平成十二年四月の上場以来、無配を続けている。…」



このように、無配だとすると、堀江社長や宮内取締役などライブドアの取締役には、刑事責任である違法配当罪(商法489条3号)や、商法266条1項1号(違法配当の責任)の民事責任は生じないことになります。そのほかの責任については、現段階の報道でははっきりしませんので、責任がありうるというだけです。
なお、粉飾決算についての刑事責任についての詳しい解説は、西田典之編「金融業務と刑事法」(有斐閣)(1997年)186頁~)などをご参照下さい。



(4) 粉飾決算の疑いが生じ、東証から上場廃止も示唆され、マネックス証券に続き岩井証券も「ライブドア、ライブドアマーケティング2社の株式を23日から信用取引の担保として認めないことを決め」ています(共同通信1月19日付)。これにより、ライブドアとライブドアマーケティングの株価は1円になりかねません。

すでに株式系ブログでは悲嘆くれている方たちが少なくないですが、証券取引を行う場合、

「証券取引は、それぞれの証券に価格変動があり、投資額を回収することすらできなくなってしまう事態も予想されることから、証券に投資しようとする者は、そのことをよく理解して、自己の判断で証券取引を行い、結果(損失)についても自ら責任を負うべきもの(自己責任)」(消費者保護の法律相談〔第4版〕251頁)。


であることに、今一度、理解しておくべきです。




2.次に、ヒューザーの小嶋社長は、証人尋問において大半の質問に対し、証言拒否をしました。

1月17日付けのブログで問題があると指摘しましたように、日刊スポーツ(1月18日付)元東京地検特捜部長の河上和雄・駿河台法科大学院教授(刑法)も、

「証言拒否罪で追及

 自分の刑事訴追に関係ない一般的な質問まで証言を拒否しており、国会が告発すれば、議院証言法の正当な理由なき証言拒否罪で刑事責任を追及できる。補佐人の弁護士の判断にミスがあったのではないか。」

とコメントしています。


また、毎日新聞(1月18日付社説)でも、

「小嶋社長喚問 一体何しに国会に来たのか

 …およそ事件に関係がないと思われる点まで証言を拒んだのは、明らかに「拒否権」の乱用である。証人尋問の仕組み自体が問われる事態だ。与野党が再喚問や、正当性のない証言拒否が議院証言法違反に当たらないか、検討するのは当然だ。」

としています。

これに対して、朝日新聞(1月18日付)では、

「…鶴見弁護士は喚問終了後、小嶋社長の証言拒否について「捜査機関が小嶋氏を偽証容疑で逮捕、起訴を準備しているという有力な情報が直前にあった。住民のみなさんはけしからんと思うだろうが、ぎりぎりの判断だった」と説明した。…」


という記事が出ています。


小嶋社長は、マスコミ向けには明らかに嘘と思われることまで喋っていましたから、補佐人は、おそらく何を喋っても偽証罪に当たってしまうと思って、証言拒否させたと思います。

しかし、拒否させすぎは証言拒否罪に当たってしまい、依頼者に不利になってしまいます。弁護士は、社会正義の実現することもその使命なのですから(弁護士法1条)、証人尋問の意義を没却しないよう、証言を促すべきだと考えます。

何でも証言拒否させたり、ぎりぎり証言拒否罪に当たらないようにすること、…それは、遵法意識の乏しい堀江社長と同じ行為なのではないでしょうか
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テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

事件 *  TB: 1  *  CM: 2  * top △ 
2006/01/17 [Tue] 23:45:25 » E d i t
1月17日は、どれも新聞の1面になるような大きな事件が幾つかありましたので、簡単にコメントしたいと思います。


1.まず16日夕方からのことですが、ライブドアへの強制捜査が行われました(16日午後6時半から17日午前6時ごろまで)。


(1) 朝日新聞(1月16日付朝刊1面)によると、

「インターネット関連企業『ライブドア』の関連会社が株価をつり上げるために虚偽の事実を公表した疑いがあるとして、東京地検特捜部は16日、証券取引等監視委員会と合同で、証券取引法違反(偽計取引、風説の流布)容疑で東京都港区の六本木ヒルズにあるライブドア本社や堀江貴文社長の自宅など関係先数カ所を家宅捜索した。
 虚偽の事実を公表した疑いが持たれているのはライブドアマーケティング(東京都港区、岡本文人社長)=東証マザーズ上場。…」


ここで違法行為と疑われているのは、証券取引法158条で、相場の変動などを目的として株などの売買で人をだましたり、株などに関して事実に基づかない情報を流したりすることは、不公正な取引ですので、禁じられています。5年以下の懲役または500万円以下の罰金が課せられることになります(証券取引法197条)。
 ライブドアは、事実上買収済みだったのに、新たに買収すると嘘の事実を公表したこと、業績を水増しして業績が良いように嘘の事実を公表したことが、証券取引法158条違反にあたるのではないかとされているわけです。


 SANSPO.COM(1月17日付)によると、土本武司白鴎大法科大学院教授の話として、

「虚偽の情報を流したことが、もうけるために有価証券などの相場を変動させる目的だったと立証できるかどうかがポイント。株取引では当然損得が出てくるので微妙な要素はあるが、東京地検は地道な基礎捜査を進め、十分に検討したうえで家宅捜索に踏み切ったはずだ。風説の流布は軽い刑ではなく、公正な証券取引を実現する上で立件する意義は大きい」


としています。

ライブドアの監査法人へも捜索を行っているようですし、堀江社長への責任が及ぶことは必然でしょう。証取法違反だけについて東京地検が強制捜査をしているとは思えませんので、これ以上、犯罪事実が出てくるようだと、ライブドアの存続自体が危ぶまれるかもしれません。



(2)また、朝日新聞(1月17日朝刊)で、佐山展生・一橋大大学院教授は、

「企業の公開情報が正しいと思って売買している投資家への背信行為だ。もはや市場で株式を公開する資格はない。背景に、利益の最大化、つまり金もうけのためなら市場を軽んじもいい、という意識が垣間見える。市場では今後、新興IT(情報関連)企業は大丈夫か、といった疑念が広がるかも知れない。しかし今回の捜査は、『法のすき間を突いても構わない』という傾向に歯止めをかける効果もあるだろう。」


と述べています。

SANSPO.COM(1月17日付)に出ていましたが、堀江社長は、

「投資家にとって邪道かどうかは関係ない。ずるいといっても合法だったら許される。倫理観は時代で変わるから、ルール以外にない」(17年3月、共同通信インタビュー)


と言っていました。
このように、堀江社長は遵法意識が希薄でした。「法を守る」ということは、違法ぎりぎりまで許されるのではなく、法のすき間があるなら行っていいのではなく、「法の趣旨からして、してはならないことはしない」ことだと思うのです。堀江社長の行動については、本当に証取法違反があるか否かにかかわらず、非難されるべき言動をしていたといえます。



(3) この点に関して、毎日新聞(1月17日付)では、「強制捜査 衆院選の堀江氏支援、首相「別問題」--亀井氏は批判」という表題で、

「小泉純一郎首相は17日昼、堀江貴文社長を昨年の衆院選で自民党が支援したことについて、『その時点で郵政民営化賛成の方は応援するということなので、今の問題とは別問題。会社でも採用した方が不祥事を起こしたから採用が間違っていると言えるのか』と記者団に強調した。
 これに対し、広島6区で堀江氏と戦った国民新党の亀井静香代表代行(元自民党政調会長)は17日昼、東京都内で記者団に『(堀江氏を)『小泉改革の旗手』として私の選挙区に刺客として送り込んだ。そういう意味で(首相に)責任がある』と批判した。一方、自民党の武部勤幹事長は17日午前の記者会見で、『個人的に応援したが、誠に遺憾の極みであり、厳正な捜査当局の捜査を望みたい』と語った。」


という記事が出ています。

有権者が投票する際の判断には、候補者・候補者の所属する党の全体を考慮して判断するわけです。政党は民意を議会に媒介するなど、公的存在ですし、議員は全国民を代表して(憲法43条)、民意を反映する存在ですから、国政全般を委ねてよいほど信頼に値する候補者・党である必要があるからです。

自民党や小泉首相が法的責任を負うものではありませんから、その意味では小泉首相の言い分は妥当です。しかし、ここで問題とすることは、投票における判断要素や政治的責任なのです。

有権者としての投票判断という政治的行為を行う場合には、当然、自民党や小泉首相が、堀江社長を散々利用していて、堀江社長と密接な関係がずっと続いていることを考慮しなければなりません。亀井議員が言うように、「(首相)に責任がある」、すなわち、首相・自民党には事実上の公認候補者であった堀江社長の行動について政治的責任が問われるというべきです。亀井議員の言い分が妥当でしょう。

小泉首相や武部幹事長は、自民党に影響が及ばないように逃げの姿勢ですが、小泉首相の無責任な発言について、有権者はしっかり覚えておく必要があります。




2.1月17日は午後から、ヒューザーの小嶋社長の証人喚問がありました。


(1) 耐震強度偽装について、違法性の認識はなかったしましたが、偽証罪を恐れて、再三にわたり補佐人(鶴見俊夫弁護士)と相談して、刑事訴追の恐れがあるからとして証言拒否を連発し、マスコミ向けへのインタビューとは別人のようでした。今回は自民党の議員は、細かく質問をしていましたが、あまり意味のないものだと思いました。

あまりに補佐人との相談が多いので、小嶋社長と補佐人との打ち合わせが十分でなかったと思われます。また、問題のないと思われる質問でも証言拒否をしていたので、補佐人の行動自体が問題視されるおそれがあります。


この証人尋問で意味のあったことは、Yahoo!ニュース(1月17日付)で、

「安倍長官秘書に相談 問題発覚でヒューザー社長

 耐震強度偽装問題をめぐり17日開かれた衆院国土交通委の証人喚問で、ヒューザー(東京都千代田区)の小嶋進社長(52)は、問題発覚後の国土交通省への働き掛けについて「安倍晋三官房長官の秘書に議員会館で相談したことがある。飯塚さんというお名前だったと思う」と証言した。
 安倍官房長官は秘書が面会したことを認めた上で「一切働き掛けはしていない。わたしは小嶋氏と面識がない」と述べた。
 昨年11月にあった「グランドステージ川崎大師」(川崎市)の住民に対する説明会で、小嶋社長が発言した内容を基にした馬淵澄夫議員(民主党)の質問に答えた。
(共同通信) - 1月17日17時37分更新」


 もし、安倍晋三官房長官との間に金銭を渡して便宜を図ったのであれば、収賄罪(刑法197条、197条の3)に問われることになります。国や国交省の迅速な対応をみると、安倍官房長官の関与は強く疑われます。

また、 以前から名前が出ている伊藤公介議員については、「きっこのブログ」(1月16日付)でヒューザーとのつながりについて濃厚に取り上げています。そちらをぜひご覧下さい。


朝日新聞(1月16日付)においても、

「ヒューザー物件の管理業務、伊藤公議員の家族受注

 自民党衆院議員の伊藤公介・元国土庁長官の家族が経営する会社が、ヒューザー(東京都千代田区、小嶋進社長)の分譲マンション1棟の管理業務を受注していることがわかった。小嶋社長は朝日新聞の取材に対し仲介を認め、ヒューザーの社員が伊藤元長官の選挙運動を手伝うなどしていたとも説明した。…」


として取り上げられています。

有権者としての投票行動の際には、この秘書の行動や伊藤公介議員の行動も含めて考慮することになります。



(2) ここで耐震強度偽装問題における責任についても触れておきます。

asahi.com(平成17年12月24日付)で、「耐震偽装について、マンション購入者は誰にどんな請求が出来るのでしょうか。」という記事で、弁護士の田中峯子さんが答えています。

 「【質問】現在、国会への証人喚問などで問題になっている耐震偽装について、マンションを買った人たちは誰にどんな請求が出来るのでしょうか。
【答え】買主が誰にどんな請求ができるかについて、まず売主について民事事件として何が請求できるか…お答えしましょう。
(1)契約解除 売買代金返還請求
  (無過失責任) 民法570条,566条
(2)建て替え請求 品質確保促進法
  (無過失責任) 同法により修補請求が出来ることになったので、その最大の請求として建て替え請求が可能となる。
(3)損害賠償請求  民法570条,566条
  (無過失責任) 代金返還請求と共に移転費用,登記費用などの損害を請求できる。
※ 品確法とは、10年間基本的構造部分について請求できる。 ただし、2000(平成12)年4月1日以降の契約物件に限る。

【質問】売主への請求はわかりましたが、売主が倒産,破産した場合、姉歯元建築士や民間指定検査機関には賠償請求は出来ないのですか。
【答え】偽装を知っていて、わざとそのような設計をした場合(故意)、または注意をはらえば予見できたであろう、あるいは回避できたであろう(過失)場合には、民法の不法行為責任(民法709条)を負うことになり損害賠償を請求出来ます。

【質問】しかしこれらの会社が倒産や破産をするとどうなるのですか。
【答え】実際に倒産,破産しますと会社の持っている不動産には、銀行などの金融機関が抵当権を付けていて優先権がありますので、損害賠償債権は一般債権と位置づけられていますのでその後になり、ほとんど配当は来ないのが実情です。 」




このようにマンション購入者には、法的責任を追及する根拠はあるのですが、一番資産を有しているヒューザーについて、共同通信(1月16日付)では、

「耐震強度偽装問題で、マンション販売会社ヒューザー(東京都千代田区)の従業員の大半が退職し、営業継続が困難な状態に陥っていることが16日、分かった。近く正式に営業活動を休止する。…」


だそうですから、マンション購入者が直接、ヒューザーなど売主に対して損害賠償を求めた場合には、その賠償金は著しく低額になりそうです。



(3) 問題なのはマンション購入者は、今後もずっと金融機関に対して住宅ローンを負担していることです。

ヒューザーのマンションが周囲のマンションと比較して格段に広く、しかも値段もほぼ半分でしたから、あまりに胡散臭く、(よく調べて分からなかったのだとしても)マンション購入者に落ち度があったことは確かだと思います。

ただ、いくら自己責任だといっても、震度5弱で倒壊するようなマンションは著しく価値がないといえるのですから、そのようなマンションの購入代金を支払う必要はないはずです。
そのため、割賦販売法30条の4、同29条の4第2項で認められているような、「抗弁権の切断」=(購入者は、商品に引渡しがなかったり、引き渡された商品に瑕疵があったり、売買契約が解除・取消された場合には、金融機関への代金の支払を拒否できる)。を認めてよいのではないでしょうか(木宮高彦監修 野辺博編著「消費者保護の法律相談〔全訂版〕」(2005年)135頁~、潮見佳男「契約各論1」(2002年)356頁~・364頁~参照)。法的には金融機関との金銭消費貸借契約と、マンション売買契約とは別個の契約ですが、金銭消費貸借契約はマンション売買契約を前提としてて、両契約が経済的・実質的に密接な関係にあるからです。

このように「抗弁の切断」を認めると、金融機関はローン支払を拒絶されないように、建設会社やマンション販売会社に対して欠陥建物を建築・販売していないかを厳しくチェックすることになるので、耐震強度偽装問題を含めて欠陥建物問題全般を大幅に改善する方策になります。金融機関にとってはある意味で過酷ですが。このような方法について、今回の件で論じる方がいないのですが、さて……。




3.17日は、連続幼女殺害事件についての最高裁判決が下されました。


朝日新聞(1月17日付夕刊)では、

「宮崎勤被告に死刑 連続幼女殺害事件で最高裁が上告棄却

 東京や埼玉で88年から89年にかけて、女児4人を誘拐して殺したとして殺人などの罪に問われた宮崎勤被告(43)=一、二審で死刑=に対し、最高裁第三小法廷(藤田宙靖(ときやす)裁判長)は17日、上告を棄却する判決を言い渡した。10日以内に判決訂正の申し立てがない場合、死刑判決が確定する。幼い子が標的にされ、被害者宅に遺骨が届けられるなどした衝撃的な事件は、発生から17年を経てようやく終結する。
 藤田裁判長は法廷で『責任能力を認めた二審判決は、正当として是認できる。性的欲求を満たすために4人の女児を殺害したもので、非道な動機に酌量の余地はなく、社会に与えた影響も大きい』と理由を述べた。」


現在の最高裁における死刑の判断基準からすると、死刑が宣告されることに問題はないでしょう。


死刑の合憲性については、憲法36条(残虐な刑罰の禁止)に違反しないかが問題となりますが、

「憲法31条、13条が死刑を前提としていることから、死刑それ自体は残虐な刑罰にあたらないとするのが通説・判例である。」(戸波「憲法」332頁)


とされています。

死刑廃止論の理由として、死刑の執行後に誤判であることが判明した場合には取り返しがつかないということが挙げられています。しかし、この連続幼女殺害事件のように、宮崎被告が犯人に間違いない場合には、誤判の危険は妥当しないでしょう。


元高検検事長の手記に書いてあったことなのですが、犯人は、死刑を求刑されて初めて自分の罪の重さに直面するそうです。罪の重さに直面して、反省したり、反省でなく錯乱することもあるかもしれません。死刑を執行することよりも、犯人の心に生命を無残にも奪ったことに直面させることこそ、死刑制度を認める、死刑制度を存続させる意義があることだと思います。


徳島新聞(1月17日付)やテレビ朝日での報道によると、

「最高裁で17日、死刑判決を言い渡された宮崎勤被告は判決後、臨床心理士と面会し、『何かの間違いです。そのうち無罪になります』と語ったという。」


このように宮崎被告にも、「何かの間違い」と思うだけのインパクトがあったわけです。死刑を宣告した意味があったわけです。




4.1月17日は、阪神淡路大震災がおきた日です。

Yahooニュース(1月17日付)によると、

「阪神大震災から11年となった17日、神戸市など各被災地は日没後も追悼行事が続き、慰霊に訪れる人が途絶えることはなかった。
 同市中央区の公園、東遊園地で開かれた「1・17のつどい」には、約4万6000人が訪れ、地震発生時刻から12時間後の午後5時46分に合わせ、ろうそくを再点灯し遺族らが黙とう。竹灯籠(とうろう)で縁取った「1・17」の文字が夕闇に浮かび上がった。
 大規模な火災が発生し、約130人の犠牲者が出た同市長田区・御菅地区の「御蔵北公園」では冷たい風が吹く中、住民らが約1100本のろうそくに点灯。…(共同通信) -1月17日22時21分更新」


と出ていました。

11年前のあの光景は、忘れることができませんし、忘れてはいけないことです。犠牲者に対して、心から追悼の意を表したいと思います。

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2006/01/13 [Fri] 20:07:17 » E d i t
「死後生殖と死後認知(上)」の続きです。


1.死後の人工生殖により出生した子からの死後認知の請求は認められるのか?」という問題において、認知を認めると子と亡き父との間に父子関係が生じることになります。また、死後認知が認められないとすると、確実に、社会的に不利益な非嫡出子となるのですから、母にとっても子を産むことをためらうことになります(仮に、法律で禁止されれば、躊躇どころか不可能になります)。

そうすると、これは、父母にとっては「子を持つ権利」、子にとっては「自己の出自を知る権利」が、憲法上、認められるのかどうかが問題となってくるわけです。では、憲法上、「子を持つ権利」や「自己の出自を知る権利」が保障されているのでしょうか?

(1) まず、「子を持つ権利」については、憲法上、保障されているでしょうか?
 
芦部信喜「憲法学2」(1994年)391頁~によると、 

 「わが国でも、憲法13条を根拠に自己決定権(人格的自律権)を人権の1つとして認める説が有力である。

 自己決定権の具体的な中身は…①「自己の生命、身体の処分にかかわる事柄」、②「家族の形成・維持にかかわる事柄」、③「リプロダクションにかかわる事柄」、④「その他の事柄」に分けて考える説が有力である。

 子どもを持つかどうかを決定する権利は、アメリカの判例・学説上プライバシーの権利の中心的な問題として争われてきた。この権利が「基本的権利」だとされ、それに対する規制は「やむにやまれぬ政府利益」の基準という、きわめて厳しいテストによって司法審査に付されることは、すでに触れたとおりである(*)。わが国でも、リプロダクションにかかわる事項は、個人の人格的生存に不可欠な重要事項であることには変わりないので、基本的には、同様に解してよい問題と思われる。」

 *リプロダクションにおける自己決定が保護され、それが厳格審査による理由は、「それが個人のライフ・スタイルのあり方に決定的な影響を及ぼすからだというだけでなく、より広く、個人にとって自己実現の場であり、かつ、社会の基礎的な構成単位である『家族』の意義が重要視されなければならないからだ…。家族のあり方を個人が自律的に決定する権利を保障することによって、はじめて民主主義の基盤である社会の多元性の確保が可能となるからである。」


としています。
このように理解するならば、子を持つかどうかを決定する権利、すなわち、リプロダクション(生殖活動)の自己決定権は、憲法13条により、憲法上保障されているのであり、ほとんど制約することは許されないというになります。



(2) 次に、「自己の出自を知る権利」については、憲法上、保障されているでしょうか?

海老原明夫「自己の出自を知る権利と嫡出否認」法学協会雑誌第115巻第3号(1998年)49頁~によると、

 「連邦憲法裁判所が1989年1月31日に下した判決…は子の出自を知る権利を…一般的人格権の一要素として位置付けた。本判決の憲法判例として画期的な意義は何よりもそこにある。
…この判決…を引用しておくことにしよう。

 『人格の自由な展開と人間の尊厳に対する権利は、各人に、自己の個性を発展させ維持させることができるような、私的生活形成の自律的領域を保障する。しかしながら、個性を理解し、展開することは、その個性を構成する諸要素を知ることと緊密に結び付いているのであって、たとえば出自もその要素の一つである。出自は、個人の遺伝的形質を規定し、それによってその人格の規定要因となるばかりではない。そのこととは無関係に、出自はまた、個人の意識の中でアイデンティティーの発見と自己理解にとっての決定的な地位を占める。…だから人格権には自分の出自を知ることも含まれる。…』


 連邦憲法裁判所が1994年4月26日に下した決定は…1989年判決の論旨を援用しながら、『自己の出自を知る権利』が、基本法第1条第1項および第2条第1項によって保障される『一般的人格権』の一環をなすものであることを再び確認する。

 『基本法第1条第1項と結び付いた第2条第1項は、各人に対して自らの個性を展開させ、保持することが可能な、私的な生活形成のための自立的領域を保障している。人格の展開にとって決定的たりうる要素の一つが、自らの出自についての知識である。祖先への結びつきは、各人の意識において、自己理解と社会的地位とにとって鍵となりうる。出自についての知識は、家族関係の理解および自己の人格の発展にとっての重要な手掛かりを提供し得るものである。だから、一般的人格権には、自らの出自を知る権利も含まれると言わなければならない。…』


 むろん、この『自己の出自を知る権利』の保障にも限界がある。しかしながら、そのような基本権の制限は、『比例原則』に適ったものでなければならない。こうして連邦憲法裁判所は…『比例原則』による憲法適合性審査を行うのである。…1994年決定は、『比例原則』による審査について、次のように述べる。

 『比例原則によれば、規制が許されるのは、それが重要な公共の利益の保護にとって適合的かつ必要であり、さらに保護目的が、人格権のような侵害を正当化するほどに重大である場合に限られる。』


ようするに、連邦憲法裁判所判決は「血のつながり」を重視したのであり、ドイツでは人格権の一環として「自己の出自を知る権利」が保障され、その規制についてはかなり厳格な審査が要求されるというわけです。

人格権は本来私法上の権利ですが、それが「個人の尊厳」と密接に関連しているために、日本においても憲法13条の幸福追求権から導き出される人権の1つと理解されています(戸波江二「憲法」〔新版〕(平成10年)179頁)。そして、自己の出自を知ることは、「個性の展開にとって構成的な要素」であり、「アイデンティティーの形成にとって決定的な地位」をしめるのですから、自己の出自を知る権利、「個人の尊厳」と密接に結び付くものといえるので、憲法13条により保障されていると考えます。



(3) このように「子を持つ権利」と「自己の出自を知る権利」は憲法上保障されるのです。

そうすると、民法が予期していない問題(法の欠缺)であるとしても、憲法上、保障されている以上、死後認知を認めて、法の欠缺を補って法創造的機能を果たすことこそ、憲法論を踏まえると合理的であるといえます(村重慶一「平成16年度主要民事判例解説115頁)。「民法が予定していない=死後認知否定」という論理は、この問題が憲法問題でもある以上、説得力を持たない論理だと考えます。


また、死後生殖については抵抗感をもつ人がかなりいる(社会的な意識)としても、社会的な意識は、「子を持つ権利」と「自己の出自を知る権利」が、憲法上保障された権利であることを社会一般に広まることで、抵抗感が和らいでいくのではないでしょうか。

もちろん、社会的な意識を全く無視した憲法論が妥当だとは思いませんが、認知を否定することは、「『むしろ生まれてこない方がその子のためである』と評価していることにほかならないのである。そのような考え方は個人の尊重の原理(憲法13条)に反し、容認しがたい」(渕史彦「生殖補助医療と『子の福祉』」ジュリスト1247号(2003年)126頁)のです。

抵抗感があるとか、「社会の合意形成なしにはしてはならない」(二宮教授)とか、「社会全体の秩序(公序)」(本山助教授)ということも、憲法上の権利の制約としては抽象的すぎて、制約の根拠とはなりえないでしょう(芦部信喜「憲法」96頁参照)。




2.死後生殖の可否について、各国の立法状況について触れておきます(高橋朋子=床谷文雄=棚村政行「民法7 有斐閣アルマ」(2004年)132頁~・230頁科学技術政策研究所のHPにあるPOLICY STUDY No.1 「先端科学技術と法的規制」(1999年)を参照しています)。

■ 肯定する国 ■
  イギリス・オランダでは、死者の配偶子・胚の使用については、生前の有効な同意があれば認めています。アメリカでも遺言や契約により死後の生殖を認める州もあります。

■ 否定する国 ■
 ・ドイツにおいては、1990年の「胚保護法」により広範な規制が行われ、死後の人工授精を認めていません(斎藤純子「胚保護法」外国の立法30巻3号)。ただし、実施されてしまった場合は、血の繋がりを根拠に父子関係を認める見解が主張されているようです(小池泰「第三者の精子提供による非配偶者間人工授精子の身分帰属(一)」民商法雑誌第132巻第6号804頁~など参照)。
 ・フランスでは1994年に「生命倫理法」と総称される三つの法律が作られ、包括的に規制していて(大村美由紀「フランス「生命倫理法」の全体像」外国の立法33巻2号)、死後の人工授精を認めていません。
 ・2001年のオーストラリア生殖医療法でも死後の人工授精、体外受精は認めていません。
 ・スウェーデンの改正体外受精法も、死者の配偶子・胚の使用を禁止しています。
 ・なお、日本では、法規制はありませんが、厚生労働省の生殖補助医療部会報告書では、提供者の死亡が確認されたときは提供された精子・卵子・胚は廃棄するとし、死後生殖を認めないとしています。


このように、各国の対応は分かれています。肯定する国はともかく、否定する国において死後の人工生殖がなされた場合の父子関係の成立の有無については、調べた限りでは明確ではないようです。




3.「死後生殖と死後認知(上)」「死後生殖と死後認知(下)」の1.で検討したように、民法上、憲法上、いずれも死後認知請求を認める(=存在説)ことに問題はないと考えます。
 
ただ、死後認知請求を否定する見解として、有力なのが、水野紀子・東北大学大学院教授の判例評釈(判例タイムズ1169号(2005年)98頁~と、松川正毅・大阪大学教授の判例評釈(私法判例リマークス31号<2005下>69頁~)です。これについて少し検討しておきます。



(1) 水野教授の判例評釈では、高松高裁は過度に血縁関係に単純化した法的親子関係の原理を採用したものであって妥当でないとします(同100頁)。

しかし、「日常的には『血のつながり」親子の絆と考えられている。さらに、法的親子は一親等血族であり、血族概念の支柱である自然血族は、『自然の血のつながりがある者』と定義される」(小池泰「民商法雑誌第115巻第6号776頁、我妻栄「親族法」(1961年)395頁、「新版註釈民法(21)」(1989年)91頁〔中川高〕)。のですから、高松高裁のように血のつながりを重視することは日本民法の家族法の解釈として妥当なものと考えます。



(2) また、水野教授の評釈と松川教授の評釈では、「亡き後に冷凍保存されている精子で子を設けて欲しい」という意思は、死者の意思であって法的には意味がないものであり、死者の意思を保護している遺言制度もあるが、それは一種の擬制にすぎないとして、死後認知肯定説は妥当でないとしています(松川・同69頁)。


しかし、「亡き後に冷凍保存されている精子で子を設けて欲しい」という意思は、生前の願いに基づく意思であるのですから、生前の意思であって、死者の意思ではないというべきです。

また、遺言は人の最終の意思表示について、その者の死後に効力を生じさせる制度で(二宮「家族法」(第2版)379頁)、その遺言をなるべく有効になるように解釈するのは、生前の最後の意思を尊重するからであって、意思を擬制したものではないと考えます。

さらに、最高裁平成4年9月22日判決(及び通説)は、当事者の死亡でも終了しない委任契約を有効としていているのですから、死後に及ぶことを認める法解釈・法制度は遺言制度だけではないのです。

このようなことから、死後生殖の可否についても、私的自治尊重の理念から、生前の意思をできるだけ尊重すべきであると考えます。



(3) 素朴思うのは、自分の子を残したいというのは人間としてごく自然な、そしてもっとも根源的な欲求ですから、死後の人工生殖を行うことを禁止しても、禁止したところで実施してしまうのではないでしょうか。それならむしろ、認めてコントロールする方が合理的であると考えます。

また、素朴の思うには、その亡き夫と子とは血のつながりがあるのですから、確実にその「亡き夫の子」なのです。それを死後認知を否定して、その「亡き夫の子」ではないとすることは、非常に不自然です。血のつながりがあるのに(+死後認知期間内であるのに)、父子関係がないという感覚は妙なことです。

仮に、死後における人工生殖が妥当でないとしても、実施した両親がよくないのであって、父子関係を否定して、産まれでた子にその報い(不利益)を与えるのは筋違いであると思います。まさに、「産まれた子には罪はない」のです。


松山地裁・高松高裁の事案でも、内縁関係における死後生殖の事案の東京地裁平成17年9月29日判決でも同じなのですが、人工生殖が実施している途中で、夫が急死し、その後に行われた体外受精で産まれたのですから、夫の死後に精子を摘出したといった事案ではなく、やむなく途中で死後生殖になってしまったのです。たまたま途中で夫(内縁の夫)が死亡したら、死後認知が否定することは、安定的・明確であるべき身分関係の形成を偶然の事情で左右するものであって、妥当でないと考えます。

死後生殖が問題となった事案は、父子関係を認めることを望む子、死を予期して自分の子を残したいと思った男性と、その男性との子を求めた女性の意思を尊重して親子関係を認めたいというものです。このように、身分関係者全ての意思を尊重することに、どこにも不都合はないと考えます。

もっとも、身分関係を認めることで、相続問題や扶養義務などが生じますから、相続財産を得られなくなる者や扶養義務を負担する者にとっては不利益となりますが、家族法ではなるべく子の保護が尊重される以上、その不利益は重視すべきではないでしょう。

繰り返しますが、死後認知を肯定する見解は、父の意思とは無関係に、何百年前の古代の人間の子についてまで、死後生殖による死後認知を認めようというのではないのです。現実の事例である人工生殖実施中の場合の父の意思を尊重して、その子との間に父子関係を認めてもよいのではないか、ということなのです。


このようなことから、結論としては、パートナーの生前の同意を要件とする存在説(父子関係の存在を認める)が妥当であると考えます。



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2006/01/10 [Tue] 06:57:07 » E d i t
この問題は、「凍結保存していた内縁関係の男性の精子を使い、男性の死後に行われた体外受精で生まれた女児が、男性の子として(死後)認知するよう求めた」事件にかかわる問題です。他にも、近年、夫の死後、妻が冷凍保存されていた夫の精子を使って子を産み、その子が、亡き父に対する(死後)認知を請求した事件もありました。

これらの事案では、死後の人工生殖により出生した子からの死後認知の請求は認められるのか?が問題となりますので、この問題点について検討してみたいと思います。基本的には、後者の事案に関する下級審判決を中心に検討していくことにします。
(一度、「平成17年9月29日に出た裁判2つへの簡単なコメント」というエントリーで、簡単に論じたことがあります。)

なお、この表題は、本山敦・立命館大学助教授「家族法の歩き方 10」法学セミナー2006年1月号〔613号〕106頁~の論文中における表題を引用したものです。


1.まずは事案から。

 「A男は、B女との婚姻後、白血病の放射線照射治療を受けることになった。治療によって精子を作る能力が失われる恐れがあったため、精子を冷凍保存した。ABは病院に対して冷凍保存の『依頼書』を提出した。同依頼書には、Aが死んだら病院に連絡すること、また、Aの死によって精子が破棄されることなどが記載されていた。Aは、一時的に治癒したが、結局死亡した。Bは、Aの死を明らかにしないまま、病院から精子を受け取り、別の病院で自らの卵子とAの精子で体外受精を行い、Aの死から2年数ヵ月後にXを産んだ。Bは、AB夫婦の嫡出子とするXの出生届を提出しようとしたが、役所は受理しなかった(民法772条)。そこで、BはXの法定代理人として(民法787条本文)、死後認知訴訟を提起した。」(法学セミナー613号106頁)


*死後認知は、子が既に死亡した父の認知を求める訴訟です。死後認知訴訟の出訴期間は、父の死亡の日から3年です(民法787条但書)。




2.次に判旨です。この事案では、地裁と高裁判決が出ていて、現在上告中です。

(1) 松山地裁平成15年11月12日判決(判例タイムズ1144号133頁~)
 

「認知の前提となる『血縁上の父』は、純粋に生物学的ないし遺伝的見地から決定されるものではなく、社会通念に照らし、法律上の『父』とは何かということから判断される…。
 法律上の父子関係が認められるか否かは、子の福祉を確保し、親族・相続法秩序と調和を図る観点のみならず、用いられた生殖補助医療と自然的な生殖との類似性や、その生殖補助医療が社会一般に受容されているか否かなどを総合的に検討し、判断いくほかないのである。本件でも、このような見地から、事案に即して、検討していくことにする」と判示して、本件のような人工生殖の方法は、自然的な受精・懐胎という過程からの乖離が著しく、死後生殖が社会的に受容されていないことを理由に、また、生前のAが自らの死後に子の出生を望んでいたとの証拠はないと認定して、Xの死後認知請求を棄却した。Xは控訴した。



(2) 高松高裁平成16年7月16日判決(判例タイムズ1160号86頁~)

 「認知請求が認められるための要件は、自然懐胎による場合には、子と事実上の父との間に自然血縁的な親子関係が存することのみで足りると解される。
 しかしながら、人工受精の方法による懐胎の場合において,認知請求が認められるためには、認知を認めることを不相当とする特段の事情が存しない限り、子と事実上の父との間に自然血縁的な親子関係が存在することに加えて、事実上の父の当該懐胎についての同意が存することという要件を充足することが必要であり、かつ、それで十分であると解するのが相当である。」と判示して、AX間に自然血縁的な親子関係が存在すること、生前のAが自らの死後に子の出生を望んでいたことを認定して、Xの死後認知請求を認めた。

 高松高裁は、人工受精による懐胎の場合に父の同意を必要とする理由として、「男子の意思にかかわらず,当該精子を使用して懐胎し,出生した子全てが認知の対象となるとすると,当該精子を保存した男子としては,自分の意思が全く介在せずに,自己と法的親子関係の生じる可能性のある子が出生することを許容しなければならなくなる。」などを挙げている。



(3) 地裁と高裁で判断が異なった理由は、本山敦助教授(法学セミナー613号106頁)によると、
 

「地裁は死後生殖は民法の想定外なので、民法の制度である認知の問題として捉えられないというように解した。つまり、法の欠缺だと考えたのだ。他方、高裁は、死後生殖も死後認知の問題に過ぎないと解した。また、事実認定も両裁判所でかなり違う…」


ということです。

なお、地裁は、法的親子関係を社会通念に従って決定するという基準を明らかにしていますが、明確であるべき法的親子関係の判断基準としては、社会通念という抽象的概念は相応しくないと考えます(判例タイムズ1144号133頁参照)。




3.この問題に関する学説を紹介します。

 この問題は、夫の死後、冷凍保存された精子により人工授精により出生した子の法的地位(父子関係)として整理されています(村重慶一・平成16年度主要民事判例解説115頁)。

(1)不存在説(松川、人見、本山、水野、二宮):父子関係は存在しない。
  (理由)・民法の想定する「法的親子」の範疇を超えている
      ・法律関係を複雑にする
(2)存在説:父子関係の存在を認める。ただし、存在説には、血縁的親子関係さえあれば、無条件で認知請求を認める見解と、パートナーの生前の同意を要件とする見解がある。
   (理由)・血縁的親子関係がある以上、父親の子であると認められる
       ・生まれてきた「子の福祉」を尊重すべきである
 (イ)嫡出子説(野村、家永):民法787条の類推による認知の訴えにより人工授精が夫の精子により行われたことが証明されればその子は夫の嫡出子である。
 (ロ)非嫡出子説(石井、床谷、利谷、棚村、福武、光石):死後認知により夫の非嫡出子となる可能性がある。


学説としては、どちらかというと存在説の方が主張者が多いですが、不存在説と存在説が拮抗している状態と理解してよいでしょう。




4.では、民法上、どのように考えるべきでしょうか?


(1) 死後認知請求の条文である民法787条は、「父…の死亡の日から3年を経過」するまで請求ができるというだけで、とくに死後3年間につき制限はありません。これに対して、不存在説は、この条文に「懐胎時、事実上の父が生存していること」という限定を付加するわけですが、他方、存在説は、パートナーの同意を要件とする見解では、この条文に「パートナーの同意」という要件を付加するわけです。

このようにどちらも、死後3年以内であっても請求できない場合を認めるわけですが、では、どちらの説が妥当でしょうか?


(2) まずは、死後認知期間の理由から考えて見ます。

「死後認知において期間制限が置かれた理由は、認知の相手方が死亡して3年も経過すれば、もはや証拠も散逸して事実関係を確かめる術もないだろうと考えられたためである。加えて、すでに相手方が死亡しているのであれば、法的安定性を害してまで父子関係を今さら作る必要もないとの判断もあるだろう。しかし、証拠の保存は、以前より容易かつ確実になっていると思われるし、何より子の『出自を知る権利』が保証されるべきであるならば、3年の期間制限は短きに失するかもしれない。」(本山敦「嫡出推定・認知制度と子の保護」法律時報74巻9号43頁)


このように、現在では3年の期間制限さえ短いと考えるならば、なるべく3年の期間制限は制限すべきではありません。そうすると、死後認知を認めやすい存在説の方が合理的といえます。

また、死後認知を含め認知の訴えを認めたのは、婚外子の保護のためですから(二宮周平・家族法178頁)、いくらかでも子の利益に適うなら、認知を認める方が妥当です。そうすると、認知が認められると、子は、父の両親の相続について代襲相続権(ただし争いあり)が認められますし、扶養の権利義務・親族間の協力義務が生じます。また、民法711条による慰謝料請求権も認められることにもなります(高松高裁での控訴人の主張より)。このように、認知を認めることは子の利益に適うといえます。


(3) このように考えると、存在説(死後認知肯定)の方が民法787条の趣旨に適うものであって、妥当だと考えます。


(4) もっとも、民法が予期していない問題(法の欠缺)であることは確かですし、死後生殖については抵抗感をもつ人がかなりいる(社会的な意識)ことも確かです。そこで、死後生殖の場合にも死後認知を認めるとするなら、これらの点を克服する必要があります。

そうすると、民法の上位規範である憲法論としてはどうなのかを検討する必要が生じます。
「死後生殖と死後認知(下)」というエントリーでは、民法の議論から離れて、憲法論を中心として検討してみたいと見たいと思います。

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

2006/01/07 [Sat] 06:59:39 » E d i t
小泉首相は1月4日午前、首相官邸で年頭記者会見を行いました。この点を中心として書いてみたいと思います。


1.まず、小泉首相の年頭記者会見の要旨(朝日新聞1月4日付夕刊)から、一部を引用します。

「一国の首相が一国民として戦没者に哀悼の念をもって靖国参拝する。日本人からの批判は理解できない。精神の自由に、政治が関与することを嫌う知識人や言論人が批判することも理解できない。まして外国政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない。心の問題は誰も侵すことのできない憲法に保障されたものだ。…」


これは、小泉首相による靖国参拝について、国内外から批判があることに対して、「理解できない」と反論!?したものです。ここで、小泉首相は、首相による靖国参拝は、「精神の自由」や「心の問題」であり、「心の問題は誰も侵すことのできない憲法に保障されたもの」なので、国内外の批判は当たらないと主張するわけです。では、このような主張は憲法上妥当な理解なのでしょうか?



(1)   「「靖国参拝・靖国参拝違憲判決」に対する憲法学者のコメント」というエントリーで書いたことですが、首相による公式参拝は、政教分離原則に違反していて違憲であって、憲法学上の圧倒的通説は、小泉首相の靖国参拝は公式参拝であって違憲と判断しています。
そして、大阪高裁平成17年9月30日判決も、小泉首相の靖国参拝を『公的参拝』だとして違憲判決を下しています。

また、平成17年10月17日に小泉首相が、参拝形式を変えて行った靖国参拝についても、浦部法穂・名古屋大大学院教授(憲法)は、

「今回は一般の人と同じ場所で参拝して『私人』の立場を強調したのだろうが、公用車を使い、厳重な警備の中で参拝しており、これまでと本質的には何ら変わらない。首相の立場で、外交問題につながる参拝は、私的な参拝とは言えない。」


と述べて、違憲であるとしています(おそらく憲法学上は、違憲と判断する学者が多いと予想されます)。

このように、小泉首相による靖国参拝は、政教分離原則(憲法20条1項後段・3項)違反として違憲なのですから、「日本人からの批判」や「知識人や言論人が批判」するのは当然というべきでしょう。首相は憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負っているのですから、義務の遵守を求めて批判することには合理性があります。



(2) 小泉首相は、靖国参拝を「心の問題であって憲法上保障されている=制約を受けない」としています。確かに、戦没者に哀悼の念をもって靖国参拝することは、思想良心の自由(憲法19条)や信教の自由(憲法20条)の問題とかかわります。

しかし、内心にとどまらず、外部的な行動に出ている場合には、外部的な行動については、憲法上、制約を受けることに異論はありません(芦部信喜「憲法学3」108頁、133頁)。そうすると、内心、すなわち、首相官邸で靖国神社に向いて心の中でお祈りすることにとどまらず、外部的な行動、すなわち、靖国神社に出向いて参拝するという行動に出ている以上、制約を受けることは当然なのです。
そして、小泉首相の靖国参拝は政教分離原則違反なのですから、憲法上、制約を受けることは合憲といえるのです。

このように、「心の問題であるとして憲法上制約を受けない」との主張は、憲法上の理解に欠ける発言なのです。



(3) そうすると、「首相による靖国参拝は、『精神の自由』や『心の問題』であり、『心の問題は誰も侵すことのできない憲法に保障されたもの』なので、国内外の批判は当たらないとの主張」は憲法上妥当な理解ではないと考えます。



(4) なお、この年頭記者会見の中では、違憲判断を行った大阪高裁判決に対して批判をしていません。小泉首相からすると、もっとも批判すべき判決であるはずですが。批判をしなかったのは、おそらく、年頭から司法権批判をして最高裁を挑発することは避けた方がよいと判断したためと思われます。挑発すると、靖国参拝について違憲判決が出る可能性が高まりますから。

また、靖国参拝について「知識人や言論人が批判」と述べていることからすると、小泉首相は、知識人や言論人の多くから批判されていると理解しているのでしょう。
全国紙・地方紙全体を含めると靖国参拝を強く批判する新聞が殆どですし、最近は読売新聞でさえも好意的ではありません。また、靖国参拝に関する違憲判決が出た場合には、新聞解説上は、その違憲判決に賛同する学者ばかりですし、右よりの立場の学者も、(参拝形式にかかわるのですが)小泉首相の「靖国参拝」に対して批判しています。
ですから、「言論人や知識人の殆どが批判している」という、この小泉首相の認識は正しいといえます。




2.この小泉首相の年頭記者会見について、朝日新聞(1月5日(木)付朝刊)社説において「首相年頭会見 私たちこそ理解できぬ」という表題で次のように論じています。

 「これほど理解力が足りない人が、内閣総理大臣を続けていたのだろうか。そう思いたくもなるような光景だった。
 年頭の記者会見で、小泉首相は自らの靖国神社参拝に対する内外の批判について、5回も『理解できない』を繰り返した。
 『一国の首相が、一政治家として一国民として戦没者に感謝と敬意を捧(ささ)げる。精神の自由、心の問題について、政治が関与することを嫌う言論人、知識人が批判することは理解できない。まして外国政府が介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない』
 理解できない言論人、知識人とは、新聞の社説も念頭に置いてのことだろう。全国の新聞のほとんどが参拝をやめるよう求めている。『理解できない』と口をとがらせるよりも、少しは『言論人』らの意見にも耳を傾けてはどうか。
 首相は、日本を代表する立場にある。一政治家でも一国民でもない。私的な心情や感懐より公的な配慮が優先することは言うまでもない。
 私たちは、一般の国民が戦争で亡くなった兵士を弔うために靖国に参る気持ちは理解できると繰り返し指摘してきた。
 一方で、戦争の指導者であるA級戦犯をまつる靖国神社に首相が参ることに対しては、国民にも違和感を抱く人は少なくない。まして侵略を受けた中国や、植民地だった韓国に快く思わない人が多いのは当然だとも考える。
 言論人や知識人の多くが首相の参拝に反対するのは、こうした理由からだ。 …」




(1) 1で検討したように、小泉首相による靖国参拝は違憲なのですから、「言論人や知識人の多くが首相の参拝に反対」するのは当然です。

靖国参拝に関して、繰り返し批判がなされているのに、いつも繰り返し「理解できない」とだけ主張して、納得できるような説明を全くしていないのですから、朝日新聞から「これほど理解力が足りない人が、内閣総理大臣を続けていたのだろうか」と、刺激的に批判されてもやむを得ないでしょう。この社説は、刺激的でありますが、ごく真っ当な意見であるといえます。



(2) もっとも、週刊現代(2005年12月24日号)栗本慎一郎教授による論説「パンツをはいた純一郎」(26頁)によると、

「小泉は通常の意味で、とにかく頭が悪かった。本当は頭がいいんだけど、成績が悪いといったパターンがありますが、彼の場合、ただわかんないだけ。理解力ゼロなんです。…小泉は採点しようがないぐらいバカだというのが正しい評価です。前首相の森善朗さんも頭が悪そうですが、彼は、自分がわかっていないことがわかるようだ。だから、森のほうが少し上です。」


ということだそうですから、これが真実ならば、朝日新聞の社説は刺激的でもなんでもないといえるでしょう。



(3) なお、この社説に対して、産経新聞(1月6日付)は、「産経抄」において次のように批判しています。
 

「五日付の「私たちこそ理解できぬ」と題した小泉首相の靖国神社参拝を批判した朝日新聞の社説は、読み返すほどに身震いがくるような内容だった。靖国参拝を批判するのは勝手だし、中国や韓国の立場を戦没者のご遺族よりも重視するかのような言論も自由だが、「全国の新聞のほとんどが参拝をやめるよう求めている」というのは誤植ではないかと何度も見直した。
 
 確かに戦前戦後の一時期、かの新聞が業界のリーダー的な存在であり、部数でも日本一だったころがあった。だが今や朝日の言説に「ほとんどの新聞」や「言論人」が肯(うなず)く時代ではない。言論人イコール朝日人という論法は理解できない。第一、「私たち」とは誰なのか。…」



「靖国参拝につき違憲判断を下した判決が出た後の新聞の社説では、その殆ど(全国紙・地方紙)が判決に賛成していましたから(ただし、読売新聞と産経新聞を除く。ただし、現在では読売新聞も靖国参拝に好意的でない。平成18年1月1日付社説や平成17年6月4日付社説参照。)、「全国の新聞のほとんどが参拝をやめるよう求めている」というのは誤植ではないでしょう。


また、1.(4)で検討したように、小泉首相自身が、「言論人や知識人の殆どが批判している」と認識しているのです。そうすると、「言論人イコール朝日人という論法」をしているのは、むしろ小泉首相自身であり、朝日新聞ではないのです。
朝日新聞の社説では「言論人や知識人の『多く』が首相の参拝」と書いているのですから、朝日新聞は、靖国参拝に賛成している産経新聞を「言論人」を含ませて書いているのです。

ですから、「言論人イコール朝日人という論法は理解できない。」として、朝日新聞に対して批判しても、その批判は当たらないというべきでしょう。産経新聞は、朝日新聞ではなく、小泉首相に対して批判すべきです。「我々も言論人であるから、無視するな!」と。…もっとも、かなり悲哀を感じる批判ですが……。


なお、「『私たち』とは誰なのか」として批判的な論調ですが、「私たち」とは、もっぱら朝日新聞(正確には、朝日新聞の論説員全員又は朝日新聞社全体)のことでしょう。ここだけ「私たち」という言い方を使っており、この「私たち」という言い方からすると、「私=社説を書いた人」又はそれにごく近い人たちに限られるはずですから。

おそらく産経新聞は、「朝日新聞は、産経新聞も含めて『私たち』とした書き方であって不当である」と理解しているのでしょうが、そのような理解は、文言解釈・文理解釈としては、素直な理解ではないでしょう。




3.小泉首相が「理解できない」を繰り返すことは、いつものことですから、本来、取り立てて騒ぐことの年頭記者会見の内容ではありません。「理解できない」とだけ、ただ繰り返すだけで、それ以上に説明していないのですから、中国や韓国に対して「理解を求める」と言っても、中国や韓国が納得しないのもいつものことです。

しかし、読売新聞(平成18年1月1日付朝刊)の社説は、

「世界の中の日本としての国家像も確立しなくてはならない。…靖国参拝により、結果として、対中、対韓関係は冷え込んだ。中・韓にはそれなりの外交的思惑があるにしても、放置しておくわけにはいくまい。…」


と述べています。

また、日経新聞(平成18年1月5日付朝刊)の社説も、

「日本がアジアと共存共栄の道を築くには、歴史問題をもう1度総括し、最低限の国民的コンセンサスを固めたうえで、外交や教育にしっかり反映させる必要がある。…小泉純一郎首相は4日の年頭会見で靖国問題に関し『外国政府が心の問題に介入し外交問題にする姿勢は理解できない』と述べたが、中韓両国などアジア諸国が日本を見る目は厳しい。歴史問題に明確なけじめをつけない限り、日本は“敵役”を演じさせられ、アジア地域の主導権争いで後れを取り、孤立しかねない。」


と述べています。

このように、「理解できない」を繰り返すだけでは、世界の中における日本の政治的側面・経済的側面をなんら考慮しない発言であるといえるのではないでしょうか。


この年頭記者会見については、「世に倦む日日」さんも「冷戦化プログラムの一環としての年頭挑発 - 不吉な一年の予告」という表題で、「小泉首相の年頭会見における過激な中韓批判」の裏の意図について論じています。こちらも是非お読み下さい。


<1月7日追記>
朝日新聞(平成18年1月7日付夕刊)「窓 論説委員室から」において、「『産経抄』の誤植?」という表題で、「産経抄」に対する反論がなされていました。それは、
 

「昨年10月の小泉首相の靖国神社参拝について、新聞協会報によると、全国48の新聞が社説を掲げた。その論調は参拝に反対する主張が圧倒的だった。例えば――
 『聞く耳を持たぬ危うさ』(北海道新聞)
 『国益に反する行動慎め』(岩手日報)
 『憲法、外交感覚を疑う』(高知新聞)
 もろ手をあげて支持したのは産経だけである。賛否を明示しない社説も数紙あったが、それらも首相に慎重な対応を求めることに主眼が置かれていた。全国紙では、産経を除くすべてが首相に参拝しないよう求めている。…
 首相が年頭の記者会見で…語ったことを、私たちは社説で批判した。そのなかの『全国の新聞のほとんどが参拝をやめるように求めている』という記述について、6日付の『産経抄』で「誤植ではないか」と切りつけられた。
 今や朝日の言説に『ほとんどの新聞』が肯く時代ではないという指摘だ。それに異論はないが、各紙の論調が結果として一致することはある。靖国参拝がそれだ。…
 正論も辛口もいいが、事実だけは正確にお願いしたい。それとも、誤植だったのでしょうか。」


というものです。

全国の新聞のうち48が積極的に参拝批判をし、他の新聞も参拝に非好意的で、靖国参拝に賛成したのは産経だけだったのに、それにもかかわらず、「産経抄」は「全国の新聞のほとんどではない」と主張するのですから、「窓 論説委員室」が指摘するような「誤植」というよりも、妄想又は強い願望なのでしょう。
孤立無援の産経新聞の悲哀を感じますね…。こんな些細なことに「窓 論説委員室」が反論するとは「ご苦労様です」と言いたいですし、一層、産経新聞が可哀想になってきました(苦笑)。
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