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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2005/12/27 [Tue] 00:01:06 » E d i t
蔵書破棄訴訟(最高裁平成17年7月14日判決)について、幾つか判例解説が出ているのでコメントしたいと思います。


1.簡単にこの事件について触れると、「公立図書館において閲覧できる状態にあった図書が、図書館員の個人的な好みによって廃棄されたことにより、著作者としての人格的利益を侵害された」などと主張して、当該図書の著作者らが、公立図書館を設置する地方公共団体に対して国家賠償に基づく損害賠償を、廃棄をした図書館員に対する不法行為に基づく損害賠償を求めた事案です。
 東京高裁は当該図書の著作者らの主張に対していずれも控訴を棄却したので、当該図書の著作者らは上告しましたが、当該図書館員に関して上告を棄却し不受理決定をし、当該地方公共団体に関しては上告を受理して判決が出たわけです。
詳しい内容については、 蔵書破棄訴訟の最高裁判決文をご覧下さい。




2.まずは判例タイムズ1191号(2005年12月15日号)220頁~の解説についてです。これは無記名の解説ですが、この解説の意義は大きいことは誰もが知っているので、この解説は重要です。


(1) この解説の重要な点を引用すると、

「本判決によれば、公立図書館は、住民にとっての情報の提供を受けるための公的な場であるとともに、閲覧に供された図書の著作者にとっての思想伝達のための公的な場でもあるから、その限りにおいて、住民の知る権利と著作者の表現活動の自由に供される公的な場(住民及び著作者が表現の自由を享受する公的な場)とみることもできる。
 
 しかしながら、公立図書館の予算、図書収蔵能力等に照らせば、公立図書館が図書を無限に収蔵し続けることは不可能であること、公立図書館で閲覧に供された図書は、公立図書館(地方公共団体)自身が自らの判断と出捐でもって選択・購入したものであること、また、公立図書館は、第1次的には住民のための機関であり、住民の知る権利に奉仕するという役割を十分に果たすためには、公立図書館が図書の選択、排列等をするに当たって、公権力からはもとより、図書館の著作者らからも(特定の住民からも)、独立してその権能を行使すべきであること(その意味で、図書の選択、排列等について、公立図書館の広範な裁量を認めるべきこと)などを考慮すると、図書の著作者がその思想伝達の利益を根拠として公立図書館の図書の選択、排列、除籍・廃棄等について広範に介入する余地を認めるべきではない。以上の点を考慮すれば、本件のように思想的な理由で図書を廃棄するという、図書の著作者の思想、表現の自由に影響を及ぼすべき場合に限って、著作者の利益の侵害について救済を認めるべきものと考えられる。

 本判決は、公立図書館において閲覧に供された図書の著作者の思想伝達の利益を法的な利益として肯定したが、図書館職員がその基本的義務に違反して、思想、信条等を理由とする不公正な取扱いによって蔵書を破棄したという場合について、閲覧に供されていた図書の著作者の上記利益の侵害の救済を認めたものであって、著作者が、上記利益の侵害を理由として、一般的に、公立図書館における図書の選択、排列、除籍・廃棄等に介入することを認めるものではなく、その射程を広くとらえるべきではないであろう。また、私立図書館等については、本判決の射程外というべきである。」(判例タイムズ1191号221頁)

 

 この解説のポイントは、最高裁判決の判決文になかった部分、すなわち図書館には広範な裁量権があることを指摘している点(2段落目)です。広範な裁量論の内実として、収蔵能力の限界購入際の自由裁量とのバランス住民のための機関として独立性確保という3点を挙げています。

この解説では、広範な裁量があるからこそ、図書の著作者が図書館に対して「広範に介入する余地を認めるべきではない」とするのであり、「破棄が図書の著作者の思想、表現の自由に影響を及ぼすべき場合に限って、著作者の利益の侵害について救済を認める」という結論を採用したというわけです。

また、この「破棄が図書の著作者の思想、表現の自由に影響を及ぼすべき場合に限って、著作者の利益の侵害について救済を認める」という結論を採用しても、広範な裁量があることを重視して、この判決の「射程を広くとらえるべきではない」というわけです。

もちろんこの判決の対象は公立図書館のみであり、「私立図書館等については、本判決の射程外」というわけです。

ようするに、本判決は出来るだけ限定して捉えるべきであり、本判決の意義は小さいというわけです。その意味で、判決文の結論部分もなるべく限定解釈すべきなのでしょう。これは極めて妥当だと考えます。


 ただ、この解説のように、最高裁判決にない広範な裁量論をわざわざ付け加えると、本判決のような結論を導けるのでしょうか? 広範な裁量があるのなら、むしろ1審や2審のように図書の著作者の請求を否定する方が自然だと思うのです。
それと、広範な裁量論は、解説だけでなく判決文でも触れるべきだったと思うのです。

もちろん、最高裁判決は裁量論を触れていないだけで必ずしも裁量論を否定したわけではないとの理解もできることは確かですから、広範な裁量論を付け加えたとしても最高裁判決のような結論が出てこないわけではないですが。


 なお、裁量論の3点については、以前ある場所で書いた内容と類似しているので、本解説の理解の手助けになると思い、ここで採り上げておきます。

「この判示自体は真っ当ですが、『公立図書館は公的施設だから、個人的な好みで図書を廃棄できない』というだけで、考慮すべき事情が抜けていると思います。

 まず第1。図書館には書籍の収蔵限度があること、です。ですから、図書を購入すれば、代わりに廃棄する図書が出てきますし、廃棄図書の選別は、当然ながら図書館職員の裁量に委ねられています。まず、どこの図書館でも収蔵限界に来てますから、かなり捨てることになります。
 第2。町の図書館は、地域住民のための施設ですから、地域住民に応じた特色ある書籍を並べること、です。特色ある図書館作りのため、その図書館職員は知恵を絞って、本を選別することになります。色々な図書館に行ってみると、特色ある図書館作りをしていることが分かると思います。ちなみに、私の近くの図書館に久々に行ってみたら、昔と違って、児童書で一杯になってました。
 第3。図書館職員には、購入・閲覧・廃棄に関して広い裁量権があること、です。日々膨大に出版される本の内から、自分が所属する図書館に何を入れるのかを判断するのですから、当然のごとく広い裁量権があるというべきです。また、いったん購入したら裁量権が狭くなると理解することは、不均衡でしょう。」




(2) この解説の続きも引用しておきます。

「公立図書館の職員がその独断で個人的な好みによって図書館の蔵書を破棄することが公立図書館を設置する地方公共団体に対する関係で違法行為となることは、本判決の1、2審も認めるところである。しかし、本判決では、図書館設置者や図書館利用者らとの関係で違法となるかどうかが問われたのではなく、廃棄された図書の著作者らとの関係で違法となるかどうかが問われたものであり、これまで学説、裁判例がほとんど論じたことのない問題であった。本件の1、2審は、前記のとおり、この問題を否定に解したのに対し、本判決は、公立図書館の役割、機能に踏み込んだ上、公立図書館において閲覧に供されている図書の著作者の利益が法的保護に値するものであることを判示して、本件廃棄が著作者らとの関係でも違法となるとの結論を導いたものである。最高裁として始めての判断である(なお、最高裁が新たに法的保護に値する利益を認めた例として、…最三小判昭56.4.14…〔前科等をみだりに公開されない利益〕…最ニ小判平15.9.12…〔大学主催の講演会に参加を申し込んだ学生の氏名、住所等の情報を開示されない利益〕…」)。」(判例タイムズ1191号222頁)



この解説部分は、最高裁が「本件廃棄が著作者らとの関係でも違法となるとの結論を導いた」点に意味があるのですが、新たに法的保護に値する利益を認めた1例として意味があったというわけです。




2.もう1つは、弁護士 竹田稔「『公立図書館職員による蔵書除籍・廃棄事件』最高裁判決」コピライト536号(2005年12月号)32頁~)です。


(1) ここでは2箇所引用しますが、まず1つは著作者が主張した著作権侵害?についての検討です。

「なお、Xらは、Xらが侵害された権利として、著作者として著作を公衆に広く提供し、提示する権利その他の、著作者人格権(著作権法18~20条、50条、113条3項、82条等)の根底を形成する著作者の人格権という表現を用いているが、「著作物が具現化されている有体物が物理的に毀損されたとしてもそのこと自体が同一性保持権の侵害されたとしてもそのこと自体が同一性保持権の侵害となるものではない」(作花文雄『詳解 著作権法 第3版』242頁)。また、ヨーロッパにおける「公貸権」については知見を有しないが、貸出状況に応じて一定の金銭が支払われる制度というのであれば、著作者財産権の問題であって、本件事案に適用ないし参酌されるものではない。」(コピライト536号34頁)



ようするに、廃棄された図書の著作者らは、著作権侵害のような主張をしていますが、そのような主張は著作権法上の権利ではない、または本件事案とは無関係であるというわけです。この解説にはまったく異論はないでしょう。



(2) もう1つは本判決への評価です。

「本判決が…国家賠償法上の違法に当たるとした判旨は正当である。…
 本判決が、これまで前例がなく、国家賠償法、著作権法、図書館法の分野においてもほとんど論ぜられることのなかった事案について、憲法の思想・表現の自由を視点として、公立図書館において閲覧に供されている著作物について著作者が有する、その思想、意見等を公衆に伝達する利益を法的保護に値する人格的利益と認めた意義はきわめて大きい。」(コピライト536号35頁)



この解説は本判決を高く評価したものといえます。しかしこれは、1で触れた「無記名の解説」が本判決をなるべく限定し、その意義を小さいものと理解したことと一致しません

法的保護に値する利益を肯定したとしても、この解説は、図書館側や住民側の事情、すなわち、「収蔵能力の限界、購入際の自由裁量とのバランス、住民のための機関として独立性を保障すべき」という3点についての配慮に欠けています

このような3点について配慮すべきですから、この解説のように本判決を高く評価することは妥当ではないと考えます。




3.この蔵書破棄訴訟については、「蔵書破棄訴訟差戻し控訴審判決」「蔵書破棄訴訟差戻し控訴審判決~補足」というエントリーでも触れています。そちらについてもご参照下さい。

判例タイムズでの無記名の解説は、本判決の意義を出来るだけ限定しようとしています。これは割と珍しいと思います。はっきり言えば、最高裁判決に対して批判的であるとさえ言えるでしょう。このように批判的な解説を付けた理由は、おそらく最高裁判所調査官としては、1・2審判決のような論理・結論の方が妥当であると考えていたからだと思います。

他のエントリーで書いたように、本判決の論理には問題点が多いのです。やはり、1・2審判決が妥当であり、少なくとも無記名の解説と同様に本判決をなるべく限定解釈することが妥当であると考えます。 

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2005/12/23 [Fri] 01:05:07 » E d i t
もうすぐクリスマスです。折角ですのでサンタクロースさん(以下、サンタ」とします。)の行動を法律的に検証してみたいと思います。


1.まずはサンタさんの基本的知識から。

(1) ウィキペディア百科事典によると、

「サンタクロース(英:Santa Claus)は、クリスマスにやってくるとされている太っちょのおじいさん。通称「サンタ」。イギリスでは、ファーザー・クリスマス。スウェーデンでは、トムテン。ノルウェーではユーレニッセ。デンマークではユーリメン。スペイン語圏では、パパノエルが一般的。」



サンタさんの行動ですが、ウィキペディア百科事典によると、

「日本においてはいつも笑顔の、白ヒゲを生やした太りぎみの老人の男。赤い服を着ている。白い大きな袋にクリスマスプレゼントを入れて肩に担ぎ、赤い鼻のトナカイが引くそりに乗り空を飛んで、家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る。煙突から家に入るとされるが、だれも見たことがないので煙突がない場合はどうしているのか不明である。子供向けのサンタクロースに関する小冊子によっては、煙突がない場合、テレビ画面・窓・押入れからでてくると解説しているものもある(一部の子供は両親が袋に欲しい物を入れていたとの目撃談があるとか)。」


とされています。

(2) ちなみに、トナカイについては、

「サンタクロースの乗る空飛ぶソリを引くトナカイは八頭おり…日本では、公認サンタクロースのパラダイス山元のお供として「ブチ(Buchi)」と呼ばれるトナカイがソリを引っぱっている。」


そうです。日本のサンタさんのトナカイには名前が付いているのですね~。



2.このような事実を踏まえて、まずサンタさんの民事的な法律関係について検討してみます。


(1) サンタさんと子どもとはどのような法律関係があるのでしょうか?

サンタさんは「クリスマスイブに家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る」わけですから、これは、サンタさんと子どもとの間におけるプレゼントの贈与契約(民法549条)と考えられます。

ただし、通常、「いい子ではないとプレゼントが貰えないよ」と言われていますので、いい子である場合に限るという条件付きの贈与契約であるといえるでしょう。
もっとも、「いい子でないから今年はプレゼントがない」ということは通常ないようですから、条件はないかもしれません。

また、毎年、子どもの希望にそったプレゼントを配るのですから、サンタさんと子どもとの間に、準委任契約(民法656条)があるといえるかもしれません。


(2) 付随的な問題として、もしサンタさんにプレゼントを貰えなかった子どもは、親(監護者)にプレゼントを請求できるのでしょうか? すなわち、サンタさんの債務不履行の場合における親(監護者)の法的責任の性質が問題となります。

この点、親(監護者)は、サンタさんに代わって子どもの希望を聞くなど、子どもが生まれたときからサンタの履行を担保する立場にいるのですから、親(監護者)は連帯債務(民法432条)又は連帯保証債務(民法454条)又は保証債務(民法446条)を負っていると考えられます。

そうすると、子どもは、連帯債務又は連帯保証債務又は保証債務に基づいて、プレゼントを請求できると考えます。


(3) 次に、子どもの希望と異なる物がプレゼントされた場合、子どもは希望の物を請求できるでしょうか? すなわち、サンタさんの不完全履行に対して完全履行請求が可能かどうかが問題となります。

サンタさんはクリスマスを過ぎると、来年の準備に入るためか活動を停止するようですから、サンタさんに直接、完全履行請求を求めることは不可能です。

そうなると、子どもは親(監護者)に請求できるでしょうか?
前述のように、親(監護者)は連帯債務又は連帯保証債務又は保証債務を負っています。そうすると、子どもは、親(監護者)に対して、完全履行請求、すなわち希望の物を請求できると考えます。



3.今度は、刑事責任について検討してみます。

サンタさんは「煙突から家に入るとされ…煙突がない場合、テレビ画面・窓・押入れからでてくる」のですから、サンタさんの立入り行為は「侵入」として、住居侵入罪(刑法130条)に該当しそうです。
では、サンタさんの立入り行為は住居侵入罪(刑法130条)が成立するでしょうか?

確かに住居侵入罪の構成要件に該当するとはいえるでしょう。しかし、「家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る」贈与契約の履行として、サンタさんは住居に立ち入るのですから、サンタさんの立入り行為は、親(監護者)及び子どもの承諾があるといえます。

そうすると、住居権者の承諾があるのですから、住居侵入罪の保護法益における住居権説及び平穏説においても、違法性を阻却するといえ、「侵入」に当たらないとして、住居侵入罪は成立しないと考えます。

平成19年12月23日追記:サンタさんは「人を超越した存在」であるとして、刑法の適用範囲外であるという扱いも可能です。ただし、日本の入管管理当局の対応からすると、サンタさんは不法入国者であるとして逮捕される可能性が高いでしょう。嗚呼なんということか……。)



4.サンタさんは空をソリに乗って飛んでいるそうですから航空法上、の法規を守っているのかどうかも検討に値します。

そもそもソリが「航空機」(航空法2条本文)に当たるのか若干疑問に感じますが、飛んでいる以上は、「航空機」に当たるのでしょう。

ただ、夜間飛行ですから「航空機の燈火」をしているのか(航空法64条)、「飛行の禁止区域」を飛んでいるのではないか(航空法80条) 、「航空交通管制圏における飛行」とはいえないのではないか(航空法95条)、など多くの規定に抵触しそうです。

もっとも、サンタさんのソリは、クリスマスイブにおける特例措置により、航空法の適用外かもしれません。

平成19年12月23日追記:米国ユタ州のソルトレイクシティには、小型機の最低高度を2,000フィートに定める条例があり、「クリスマスイブにトナカイの引く荷物だけは例外とする」という明文があるそうです。1985年に、そりに乗って空からプレゼントを届けるサンタクロースへ配慮して盛り込まれたとのことです。ソルトレイクシティの条項を参考にして、日本でも航空法の例外規定を設けてみるべきでしょう。)

平成19年12月24日付追記:米軍の「NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)」は、毎年、防空最新設備を使ってサンタクロースを追跡するプロジェクト(「Norad Tracks Santa」)を行っています。レーダー、サテライト、サンタカメラやジェット戦闘機など四つのハイテク・システムを使って、サンタさんを追跡しているとのことです。ルドルフの熱い赤い鼻のおかげでサンタさんの追跡がうまくできるようになったと打ち明けています。サンタさんの失策ですね。このように、米軍は、サンタさんを要注意人物と感じて、動向を監視し、世界中に情報提供を行っているわけです。)




5.以上のように、わりとマジメに法律問題について検討してみましたが、ここでサンタさんについて、次の論説を紹介します。

それは日経新聞(平成17年12月22日付夕刊)において、脳科学者 茂木 健一郎さんの「サンタクロースはいるのか?」という論説です。

「数年前の今頃、私は空港のレストランにいた。となりの席に5歳くらいの女の子がいて、妹に話しかけていた。
『ねえ、サンタさんっていると思う? 私はねえ、こう思うんだ……』
 その一言を聞いた瞬間、人間にとって『仮想』が持つ意味に思い至り、私は思わずはっとした。
 子どもにとってのサンタクロースの真実は、それがこの現実の世界に存在するかどうかで左右されるのではない。1年に1回、自分に無償の愛を注いでくれる人がいる。そのような仮想の切実さこそが、子供の心に訴えかける。…

イギリスに留学している時、クリスマスが『善意の季節』と呼ばれることを知った。普段は厳しい競争社会の中で懸命に生きている大人たちも、この季節だけは童心に帰り、周囲の全ての人たちに対して善意のまなざしを向ける。寒空の下、人々の心は暖かく燃え上がる。」



サンタさんの存在は、自分に無償の愛を注いでくれる存在の証明であり、夢や希望を体現する存在なのです。クリスマスにおけるプレゼントは、単に子どもにプレゼントを与えるだけの意味ではないのです。

イギリスでは、クリスマスには「周囲の全ての人たちに対して善意のまなざしを向ける」そうですが、このブログを読んでいる貴方はどうでしょうか? 

御自分の子どもの夢や希望をかなえるよう努力していますか?
御自分の子ども以外にも目を向けていますか?


この時期、サンタクロースによるプレゼントの意味、クリスマスの意味について考えてみることをお勧めします。

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2005/12/21 [Wed] 01:51:53 » E d i t
朝日新聞(12月15日付朝刊・37面)において、井上判事が14日に、緊急声明を公表したとの記事が出ていましたので、コメントしたいと思います。


1.まず、朝日新聞(12月15日)の同じ面の記事では、

「最高裁の下級裁判所裁判官指名諮問委員会は14日、来年4月に任期切れとなる約190人の裁判官のうち、判決文の短さなどが問題となっていた横浜地裁の井上薫判事(51)を含む4人の任命・再任を「不適当」とする答申を、最高裁裁判官会議に報告した。同会議は答申を尊重して来年3月までに指名の可否を判断するが、4人は指名されない可能性が高い。…
 関係者によると、井上判事は、訴訟当事者から「判決が短すぎ、理由がわからない」などのクレームが相次いでいた▽本人が訴訟指揮をめぐって新たに訴訟を起こされたうえ、その訴訟での答弁書で名誉を棄損されたとしてさらに起こされた訴訟で一審で敗訴した(二審で逆転勝訴)――などの点から、諮問委の重点審査対象になっていた。 …」




12月10日付の朝日新聞の記事において、「最高裁の下級裁判所裁判官指名諮問委員会は9日、再任について『不適当」』の答申をまとめた。」と出ていた通り、同諮問委員会は、最高裁に不適当とする答申を報告したわけです。

「最高裁裁判官会議は…指名の可否を判断するが、4人は指名されない可能性が高い。」と出ていますが、「最高裁諮問委員会が井上判事を『再任不適当』と答申というエントリーで書いたとおり、最高裁が答申と異なる結論を出したことがないので、4人が指名されないことは確実です。




2.この答申があったせいでしょうか、井上判事は次のような緊急声明を出しています。
朝日新聞(12月15日付朝刊)の記事によると、

「要旨は次の通り。
 本件は、明治以来最大の組織的裁判干渉だ。判決理由が短いと不適任というなら、『3行半』と呼ばれる例文判決を多数出し続ける最高裁の裁判官15人全員こそ即刻引責辞任すべきだ。最高裁はなりふり構わず、裁判干渉を拒否した私の再任を拒否して見せしめにしようという
のだ。放置すれば裁判官の地位は死に絶え、国民の基本的人権は絵に描いた餅となる。このような違憲かつ理不尽を黙過することはできない。最高裁に対し再任拒否を撤回するよう断固要求する。また、国会に対し弾劾裁判と国政調査権の発動、内閣に対し最高裁の指名抜きの任命などの非常の措置を要請する。国民一般には、本件が、姉歯事件をはるかに上回る国家的危機であることをご理解願いたい。」




(1) まず、「『3行半』と呼ばれる例文判決を多数出し続ける最高裁の裁判官15人全員こそ即刻引責辞任すべき」という言い分は妥当でしょうか?

「『3行半』と呼ばれる例文判決を多数出し続ける最高裁」としていますが、30年前ならともかく、最近も「3行半」と呼ばれる例文判決を出しているのでしょうか? 個人的には、最近、最高裁が「例文判決を多数出し続け」ているという印象がありません
ぜひ井上判事には、数年にわたる最高裁判決すべてを検証して説得力ある説明をして欲しいです。

また、仮に例文判決が多数出していたとしても、井上判事が「判決が短すぎ、理由がわからない」行為を行っていいことになりません。最高裁ではしているからといって、その行為自体が妥当でないのですから。例えれば、井上判事の言い分は、「Aが窃盗を度々犯しているから、俺も窃盗を犯しても処罰されない」と言っていることと同じだからです。

このようなことから井上判事の言い分は妥当でないと考えます。


(2) 次に、「最高裁はなりふり構わず、裁判干渉を拒否した私の再任を拒否して見せしめにしようというのだ。」という言い分は妥当でしょうか?

最高裁のHPでの裁判官指名諮問委員会の説明によると、

「下級裁判所裁判官指名諮問委員会は,下級裁判所裁判官指名諮問委員会規則(平成15年5月1日施行)により設置される委員会です。 委員会は,法曹三者及び学識経験者により構成され,最高裁判所の諮問に応じ,下級裁判所の裁判官の指名の適否について審議し,その結果を答申します。」


としています。

その設置の趣旨は、

「下級裁判所の裁判官の任命は,最高裁判所が指名した者の名簿によって内閣が行うこととなっています。
  裁判官の任命手続に関し,司法制度改革審議会意見は,「最高裁判所に,その諮問を受け,(下級裁判所裁判官として)指名されるべき適任者を選考し,その結果を意見として述べる機関を設置すべきである。」と提言しています。
  最高裁判所では,審議会意見の趣旨を踏まえ,裁判所外の委員を多数含む一般規則制定諮問委員会における審議・答申を得て,指名過程の透明性を高め,国民の意見を反映させるため,国民的視野に立って多角的見地から意見を述べる機関として,この委員会を設置することとしたものです。」


となっています。

このように井上判事を再任不適当と答申したのは、下級裁判所裁判官指名諮問委員会であって、最高裁ではありません。また、この諮問委員会の答申を最高裁が尊重することは、指名の適正に資するのですから、最高裁がなりふり構わずに再任拒否をしているとの言い分には無理があります。
ですから、「最高裁は…私の再任を拒否」したという言い分は妥当でないといえます。


(3) 井上判事は「内閣に対し最高裁の指名抜きの任命などの非常の措置を要請」していますが、内閣が最高裁の指名抜きの任命をすることは妥当でしょうか?

この点は、井上判事が「諸君!」において論じていたことと同じです。
以前にも言及した通り、指名名簿にない者を内閣が任命することは憲法80条1項の明文に明らかに反しますし、明らかに司法権の独立性・公正性を害することになり、違憲な行為です。
内閣が違憲行為を行うことは許されないことはもちろんです。かりにその任命を最高裁が認めてそのような者を裁判官として受け入れるとすると、最高裁も違憲行為を容認したことになってしまいます。それは憲法81条により違憲審査権を有する立場である裁判所として、自己否定行為といわざるを得ません

よって、内閣が最高裁の指名抜きの任命をすることは妥当ではないと考えます。




3.このように井上判事の緊急声明における「井上判事の言い分」は妥当でないものばかりです。

そればかりか、井上判事は「本件が、姉歯事件をはるかに上回る国家的危機である」とまで言っています。この耐震強度偽装問題は、マンションの崩壊によりマンション住人はもちろん、マンションの近隣にも生命・財産の危険が生じるのですし、姉歯元1級建築士以外の設計士も偽装している疑いもあり、この問題の影響は多大です。さらに、組織的な詐欺事件の疑いもあり刑事事件にも発展しています。
このような多数の生命財産に危険が生じ、組織的犯罪の疑いがあるという問題より、どうして1判事が再任されない方が重要なのでしょうか。裁判官でなくなるという危機感は理解できますし、同情に値しますが、この井上判事の言い分は大変理解し難いです。

なお、12月21日に、井上判事は記者会見を開くそうです。何か新しい言い分があれば検討したいと思っています。


<追記>
耐震強度偽装問題は、自民党(特に森派)や創価学会(公明党)との癒着の問題もありますね。関係者への一斉捜索で、自民党の議員にまで責任追及が及ぶといいのですが。マスコミは及び腰ですが、「きっこのブログ」さんでは、この問題へ厳しい追及をなされています。ぜひご覧下さい。
小泉礼賛ブログ(例えば「極東ブログ」さん)は、耐震強度偽装問題は「庶民には関係ない事件だ」と言い切ってしまうのですから、小泉首相・自民党は幸せ者ですね……(苦笑)。


<12月23日追記>
井上判事の記者会見をNHKのニュースで放映していました。そこでは、諮問委員会は、「裁判官の資質に欠けるから裁判官に任命すべきでない」と判断したとしていました。
何度も言及していますが、やはり、「裁判官の資質が欠けること」が問題ですね。井上判事は、キャメル色の背広でしたが、このような会見において適切な色の背広なのか、疑問に感じましたが…。

12月22日の朝日新聞の記事でも、記者会見を開いた旨などを載せていました。ただ、以前の主張と同じことでしたので、特にコメントすることはないです。記者会見ではもっと違ったことを言うことを期待していたのですが、残念です。(記事では、新しい主張を取り上げてないのかもしれませんが。)

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2005/12/10 [Sat] 13:28:33 » E d i t
朝日新聞(12月10日付朝刊1面)において、「『判決短い』井上判事、再任不適当と答申最高裁諮問委」との表題での記事がありましたので、コメントしたいと思います。


1.紙媒体より、asahi.comでの記事の方が付加されているので、そちらを引用すると、

 「判決文の短さなどが問題となっていた横浜地裁の井上薫判事…について、再任の適否を審議していた最高裁の下級裁判所裁判官指名諮問委員会は9日、再任について「不適当」との答申をまとめた。来週の最高裁裁判官会議に報告され、審議される。同委員会は裁判官の任命過程の透明化を図るために03年に新設された機関で、最高裁が答申と異なる結論を出す場合には、理由を明らかにする説明義務がある。

 裁判所外部の訴訟関係者などから「判決が短すぎ、理由がわからない」といったクレームが相次いでいたことなどが要因だったとみられる。判決のわかりやすさを含めて当事者の納得を得る努力が裁判官に求められていることを反映していると言える。憲法で職権行使の独立が保障されている裁判官について、判決そのものをめぐって再任の可否が問題になるのは極めて異例だ。

 井上判事は…96年に判事に任命された。判事の任期は10年で、来春に切れる。判決文の短さが裁判所内外から指摘されたことに加え、本人が訴訟指揮をめぐって別に訴訟を起こされたうえ、その訴訟での答弁書で名誉を棄損したとしてさらに起こされた訴訟で一審で敗訴した(二審で逆転勝訴)ことなどから、諮問委の重点審査対象になっていた。今年9月、山林の伐採をめぐる損害賠償請求訴訟の判決では、実質的判断は「被告の伐採を認めるに足りる証拠はない」などとする2行だけだった。

 『判決の主文と関係のない部分は蛇足であり、書くべきではない』というのが井上判事の持論。『司法のしゃべりすぎ』という著書もある。

 関係者によると、井上判事は昨年11月、横浜地裁所長から『判決が短すぎる。当事者は裁判を受けた気にならない』と伝えられた。今年9月には、人事評価書に『当事者から判決文について不満が表明されているのに改善が見られない』と記載され、所長から開示された、という。

 井上判事は『裁判干渉であり、裁判官の独立の侵害だ』として不服申立書を提出したり、裁判官訴追委員会に所長の訴追を求めたりして対抗する姿勢を示している。

 諮問委は法曹三者と学識経験者計11人でつくる。下級裁判所の裁判官の指名・任命の適否を審議して答申する。最高裁は基本的にはそれに従って名簿をつくり、内閣が任命する。井上判事の場合、最高裁が名簿に載せなければ、来春に裁判官でなくなることになる。」





2.「井上薫判事による上司の罷免請求」というエントリーで予測したように、やはり最高裁諮問委員会は、井上判事を再任不適当と答申しました。


(1) 最高裁諮問委員会が再任不適当としたことは妥当でしょうか?

再任不適当とした理由は、この記事で推測しているように「裁判所外部の訴訟関係者などから判決が短すぎ、理由がわからない』といったクレームが相次いでいたこと」とでしょう。

当然のことなのですが、「判決のわかりやすさを含めて当事者の納得を得る努力が裁判官に求められていることを反映している」のです。井上判事にとっては、あたかも裁判は持論を展開する場所でしたが、訴訟当事者の不満を置き去りにした裁判は、民事訴訟法の目的である「紛争解決」ができません

「諸君!」(2006年1月号)での井上判事の論説でも、訴訟当事者の不満についてはまったく書いておらず、やはり訴訟当事者の不満を知りながら改善する意思がまったくないだろうと、思わせるものがありました。
この論説を読むと、明らかに憲法違反の主張もなされていますので(最高裁の指名名簿になくても、内閣は任命できるとの主張)、裁判官の憲法尊重擁護義務違反(憲法76条3項・99条)であり、裁判官の資質を欠くことは明らかです。

何度も書いていますが、民訴法253条は、客観的に当事者・一般人を納得させるだけの一定程度の長さのある判決理由を要求していることを要請していると考えます。それなのに、この記事によると、「今年9月、山林の伐採をめぐる損害賠償請求訴訟の判決では、実質的判断は『被告の伐採を認めるに足りる証拠はない』などとする2行だけだった。」というのですから、民訴法253条違反であることは明らかですし、法律論とは別に、誰でもたった2行では納得できないでしょう。

このように最高裁諮問委員会が再任不適当としたことは極めて妥当だと考えます。



(2) この記事には「最高裁が答申と異なる結論を出す場合には、理由を明らかにする説明義務がある」としていますが、最高裁が答申と異なる結論を出すことはあるのでしょうか?

馬場謙一「裁判官制度改革の到達点と展望」法律時報77巻8号51頁によると、

「下級裁判所裁判官の指名過程を透明化し、国民の意見を反映させるべく発足した下級裁判所裁判官指名諮問委員会は、すでに2年度にわたる答申を行い、2003年度は、司法修習生任官8名、弁護士任官2名(他に2名取り下げ)、判事任命を含む再任につき6名を不適格とし、04年度は、司法修習生任官7名、弁護士任官2名、判事任命を含む再任につき4名を不適格とした。また最高裁もこれら答申に沿った指名を行っている。」


としています。

何度もこのブログでは取り上げていますが、井上判事の再任を否定する理由は十分すぎるほどありますし、最高裁の裁量権を合理的に制約し、指名過程の透明化・国民の意見を反映させるべく発足した下級裁判所裁判官指名諮問委員会なのですから、答申の結論が明らかに不当な場合を除き、最高裁がこの答申と異なる結論を出すことは、この諮問委員会制度を没却することになってしまい妥当ではありません

そうすると、最高裁が答申と異なる結論を出すことはないと思われます。その結果、最高裁は、井上判事を指名名簿に記載しないことになります。



(3) 最高裁が指名名簿に記載しないと、どうなるのでしょうか?

憲法80条1項によると、「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する。」と規定しています。

この規定の趣旨は(佐藤功「ポケット註釈全書 憲法(下)」1031頁~)、

「内閣が任命するとしながら、その任命が最高裁判所の指名した者の名簿によることとしたのは、内閣が恣意的(情実的・党派的)な任命を行うことによって司法権の独立性・公正性を害する危険を防止しようとする趣旨である。」



そうすると、この規定の意味は(宮澤=芦部補訂「全訂日本国憲法」660頁~)、

「『最高裁判所の指名した者の名簿」とは、下級裁判所の裁判官たるべき者として、最高裁判所が指名した者の名簿をいう。
 『名簿によって』とは、その名簿に記載されている者のうちから、の意である。したがって、内閣は、その名簿にのっていない者を任命することはできない。」


ということになります。

井上判事は、「諸君!」での論説において、指名名簿になくても内閣は任命できると論じていますが、そのようなことをすると憲法80条1項の明文に明らかに反するばかりか、明らかに司法権の独立性・公正性を害することになります

もし、仮に内閣が指名名簿にない者を任命すると、最高裁判所と決定的な対立が生じることになるでしょう。また、実際上も、任命されても最高裁判所は、その裁判官の任地を決定することはないでしょうから、任命された者はどこの下級裁判所に属することもなく、宙に浮いてしまいます

明らかに憲法違反の主張を行うこと(それも自らの利益のためだけに)は、裁判官としてはもちろん、法律家としてもその資質が疑われるものですから、内閣が井上判事をあえて任命する理由がありません


そうすると、指名名簿にない者を内閣が任命することはありえないと考えます。そのため、井上判事の名前が指名名簿にない場合、井上判事は「来春に裁判官でなくなる」ことになります。



<追記>
読売新聞(12月10日付夕刊19面)によると、

「12月9日開かれた同委員会では、来春任期が切れる再任希望者について審議。井上判事については、浅生所長らの人事評価や、弁護士から集まった外部評価などをもとに審議した結果、不適格との結論に至った。<1>争点に即して判断されていないなど、判決文が当事者に結論の理由を示すという要請を満たしていない<2>当事者の言い分に耳を傾けないといった不満が弁護士から多数寄せられている――などが理由とみられる。」


と、不適格とした理由が書かれています。

「争点に即して判断されていない」ような判決文を書いていたのですね。そのような判決書がおそらく1つ2つでは問題視されないのでしょうから、何度もそのような判決書を書いていると推測されます。

以前にも書きましたが、中心的争点を明確にして当事者に分かり易い判決書にするため(梅本「民事訴訟法」839頁~)、現在の判決書では、「争点に対する判断」の記載が要求されます。
現在の判決書の要求に応えず、多数の訴訟当事者の言い分を無視することは、不適格とすることに十分な理由があるでしょう。

法律を学んだ者ならもちろん、原告や被告として井上判事から判決を下された者の立場に立ったらと想像したら、不適格とする結論は誰しも納得できると思います。
(一部のロースクールの学生や一部の弁護士は、井上判事に好意的ですが、その人達の「常識的な感覚」はどこにあるのでしょうか……)。

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2005/12/02 [Fri] 01:07:15 » E d i t
横浜地裁の井上薫判事が、同地裁の浅生重機所長の罷免請求を求め、裁判官訴追委員会に訴追請求したとの記事(朝日新聞、東京新聞、日経新聞など)が出ていました。
この訴追請求によって訴追決定がなされるのかどうかについて、検討してみたいと思います。


1.最初に、紹介記事を引用してみます。


(1) まず、日経新聞(11月29日付)によると、

 「『判決短すぎる』と減点の判事、上司の所長罷免を請求

 裁判官再任に関して『判決理由が短すぎる』として減点評価したのは人事権を武器にした『裁判干渉』に当たるとして、横浜地裁の井上薫裁判官…が29日までに、裁判官弾劾法に基づき、同地裁の浅生重機所長…の罷免を求める訴追請求状を国会の裁判官訴追委員会に提出した。
 現職判事が憲法が定める裁判官の独立を侵害されたとして『上司』の裁判所所長の罷免を求めたのは極めて異例。
 浅生所長は29日午前、地裁総務課を通じて『申し上げることはない』とコメントした。
 井上判事は任官20年目。判決文のうち結論を導くのに必要ない部分は『蛇足』で不要というのが持論で、著作『司法のしゃべりすぎ』で有名。昨年4月、横浜地裁に赴任し、交通事件などを担当している。〔共同〕…」



(2) 朝日新聞(11月29日付)によると、

『判決理由が短い』と言われ、裁判官が裁判官を訴追請求

 …関係者によると、請求は25日付。訴追請求状によると、浅生所長は昨年から今年にかけて、『君の判決の理由欄が短いので改善するよう所長として勧告する』『勧告に従わないので人事上減点評価とし、来春の判事再任は無理だ』などと述べた、という。これについて井上判事は『裁判干渉であり、裁判官の独立を侵害した』と訴えている。
 井上判事は86年判事補になり、96年判事に任命された。判事の任期は10年で、来春の任期切れを前に来月、最高裁の諮問委員会で審査を受ける。判決文の短さが東京高裁関係者からも指摘されていることや、本人が被告になった名誉棄損訴訟で一審で敗訴した(二審で逆転勝訴)ことなどから、諮問委では重点審査対象になっている模様だ。…
 訴追委は、裁判官弾劾裁判所に対して、いわば検察官役として裁判官の罷免の訴追を行う機関。 」




(3) これらの記事からすると、現職判事である井上判事が、上司の裁判所所長の罷免を求める訴追請求状を提出したこと、訴追請求の理由は、判決の理由欄が短いとする改善勧告・勧告に従わないことによって人事上の減点評価がなされたことは、「裁判干渉であり、裁判官の独立を侵害した」こと、という2点にまとめることができます。




2.まず、「判事」が上司の裁判所所長の罷免を請求できるのでしょうか?

裁判官弾劾法15条1項(訴追の請求)によると、

「何人も、裁判官について弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し、罷免の訴追をすべきことを求めることができる。」


と規定しています。

「何人」(裁判官弾劾法15条)も訴追できるのですから、裁判官も「何人」含まれることに全く問題はないでしょう。井上判事も罷免請求できることについては特に異論はないと思います。もっとも、現職判事が「上司」の罷免を求めるのは異例のようですが。




3.訴追が決定されるためには、「出席訴追委員の3分の2以上の多数が、弾劾による罷免の事由にあたる事実があり、弾劾裁判所に罷免の訴追をする必要があると認めるとき(裁判官弾劾法10条2項)」である必要があります。


(1) その罷免事由は、裁判官弾劾法2条によると、
 [1] 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠ったとき。
 [2] その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき。

この罷免事由にあたると、訴追が決定されるわけです。(罷免該当事例については、裁判官訴追委員会を紹介したHPをご覧下さい。



(2) そうすると、「判決の理由欄が短いとする改善勧告・勧告に従わないことによって人事上の減点評価がなされたことは、『裁判干渉であり、裁判官の独立を侵害した』ことにあたる」という訴追請求の理由は、この罷免事由にあたるのでしょうか?


「大阪高裁は違憲判断をしてはいけなかったのか?」というエントリーで書きましたが、簡単にまとめると、
 「民訴法253条や判決書作成の目的からすると、判決理由は当事者を納得させるだけの十分な根拠付けをしなければならず、特に、中心的争点については当事者が納得できるように、できる限り丁寧に記述することを要請しています(梅本吉彦「民事訴訟法」840頁~)。 そうすると、できる限り丁寧に、記載することが要請されることからすれば、一定程度の長さのある判決理由を要求していることも、民訴法253条は要請している。」と考えます。


このように、民事訴訟法上の要請について、浅生所長は井上判事に求めたのですから、裁判干渉にならず、裁判官の独立を侵害したとはいえません。なぜなら、憲法76条2項により、すべての裁判官は憲法及び法律に拘束されるのですから、井上判事も民訴法に拘束されるのは当然であって、浅生所長による勧告は裁判干渉でもなく、裁判官の独立を侵害したといえないからです。

この勧告の内容は、民訴法上の要請なのですから、それに従わない井上判事の行動は、当然、人事上の減点評価がなされるべきですから、浅生所長による人事上の減点評価も裁判干渉ではなく、裁判官の独立を侵害したとはいえません


そうだとすれば、浅生所長による「勧告・人事上の減点評価」は妥当であり、「裁判干渉であり、裁判官の独立を侵害した」との訴追理由自体、理由として認められませんので、浅生所長の行動は、罷免事由に当たらないと考えます。
そうすると、井上判事による訴追請求により、浅生所長に対して訴追決定がなされることはないことになります。




4.前にも書いたことですが、「井上判事は訴訟当事者の不満を知りながら全く改善する意思がないこと」が問題だと思います。

民事訴訟法の要請を無視し、訴訟当事者の不満を無視し、所長の改善勧告も無視して、持説に固執して判決書を書いているのです。ここまですると、通常の感覚の持ち主ならば、井上判事の行動が咎められるだろうと、思うはずです。

今、井上判事は、最高裁の諮問委員会において、重要審査対象となっているのですから、通常の感覚の持ち主なら大人しくしていようと思うはずです。ところが、今回、訴追委員会に(持説を固持するとしか思えない内容での)訴追請求をしたことで、裁判官の資質に著しく欠ける裁判官であるとして、最高裁の諮問委員会の委員の心証は最悪になったと思われます。



今回の訴追委員会への訴追請求により、諮問委員会及び最高裁が井上判事を再任しないことは確実になってしまったと考えます。


井上判事も法律家ですから、当然、その訴追請求が及ぼす影響については予測しているはずなのに、あえて訴追請求をするのですから、なかなかできない態度です。再任不可を望んでいるとしか思えない行動です。
また、「諸君!」(2006年1月号・12月1日発売)において、井上判事は「我、『裁判干渉』を甘受せず」という表題の論説を公表なされているようです。ここまでくると、諮問委員会に対する挑発的行為といえるでしょう。
あくまで持説の正当性を主張し、間違いなく再任されないことに突き進む態度は、清々しさを感じますし、ある意味、尊敬に値します。このまま怯むことなく、突き進んで欲しいと思います。



なお、井上判事に関しては、このブログでも2度ほど取り上げています。「大阪高裁は違憲判断をしてはいけなかったのか?」と、「『判決短すぎる』とマイナス評価」は不当なのか?というエントリーです。この2つもご参照下さい。

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2005/12/01 [Thu] 05:00:17 » E d i t
蔵書破棄訴訟の差戻し控訴審判決(平成17年11月24日)について、その損害額算定について、もう少し検討してみます。


1.日本の不法行為の成立要件は、故意又は過失により権利又は利益の侵害を侵害した者は、これによって生じた損害につき賠償責任を負うとしています(民法709条など)。
では、この事案で侵害された「利益」は何でしょうか?

この検討については、蔵書破棄訴訟の最高裁判決(平成17年7月14日)の判決文をきちんと理解する必要があります。

蔵書破棄訴訟の最高裁判決は、

「公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なう」と述べ、結論として「上告人らは,本件廃棄により,上記人格的利益を違法に侵害された」


としています。


この判示部分からすると、最高裁が示した「侵害された『利益』」とは、「著作者の人格的利益」であり、その具体的内容(の1つとして)は「著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益」であると理解できます。

そうすると、この事案では、被告(船橋市)は、「著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益」の侵害によって生じた損害を賠償することになります。



2.さて、この「著作者の人格的利益」の回復については何が最も適切でしょうか? 


(1) それは、図書館に著作物を並べればよいと考えられます。図書館に著作物を並べれば、著作物が図書館利用者の目に触れて読まれる可能性が生じるので、著作者の「思想、意見等を公衆に伝達する利益」が得られるわけですから。
船橋市は、すでにこの事案で問題になった図書館に破棄された図書を備えたのですから、「利益」は回復されたといえます。


(2) そうすると本来、損害額は0円になりそうです。
ただ、破棄後再び図書が備えられるまでの間は、この「人格的利益」が侵害されたままであり、その破棄後図書が備えられるまでの間の損害について賠償を肯定するか、または、一度侵害されたことにつき、名目的損害賠償を認めて損害賠償を肯定するかという2つが損害として考えられます。

朝日新聞(平成17年11月25日付朝刊)の記事によると、

「判決は、今年9月、在外邦人の選挙権をめぐる訴訟で国に1人あたり5000円の賠償を命じた最高裁大法廷判決を踏まえ、『図書が再び備えられていることなど一切の事情を総合勘案すると、3000円が相当』と述べた。」


そうですから、差戻し控訴審判決は後者の考え方を採ったといえそうです。

仮に、前者の考え方を採った場合、この事案では、平成13年8月10日から同月26日にかけて当該図書を廃棄し、平成14年7月4日あたりまでに図書を収蔵したのですから、約11ヶ月間分の「公衆に伝達する利益」の侵害があったとして賠償を認めることになります。


(3) なお、在外選挙権訴訟については、このブログでは過去に6回ほど取り上げていますし、在外選挙権訴訟における「名目的損害賠償」については、「『靖国参拝・靖国参拝違憲判決』に対する憲法学者のコメント」というエントリーでも触れています。ご参照下さい(在外選挙権制限訴訟について、「妥当な理解」ができると思います)。



3.他にも損害賠償を認める余地はないのでしょうか? すなわち、不公正な取扱いをしたという侵害態様自体について、(利益侵害とは別個に)損害賠償が認められるのではないかとの考え方は可能でしょうか?


たしかに、人格的利益の侵害により、非財産的損害(慰謝料)が生じた場合ですから、損害額算定にあたって侵害態様は無関係ではないでしょう。そうすると、不公正な扱いをしたこと自体を非難し、それ自体について損害賠償を認めることも不可能ではないでしょう。


しかし、侵害態様は損害額算定にあたって考慮すべき要素であるにすぎず(四宮和夫「不法行為」599頁参照)、「利益」侵害の有無こそが損害額算定には重要だと考えます。

特に、人格的利益とはいえ、「思想,意見等を公衆に伝達する利益」がその内実なのですから、例えば名誉権侵害のように侵害態様を考慮する必要はないでしょう。また、例えばプライバシー権のように侵害されたら回復できない利益とは異なり、図書を備えば十分に損害回復できてしまうのですから、侵害態様を特に重視する必要はないでしょう。

素直に考えれば、図書館は図書を一定基準により破棄することが可能であり(最高裁判決も否定していません)、ただ不当に破棄した場合にだけ、この「人格的利益」侵害を認めたのです。
そうすると、「不当破棄」と「人格的利益」侵害は一体のものであり、「不当破棄」と「人格的利益」を別個に扱う(=侵害態様と利益を別個のものとして損害賠償を認める)のは論理的にスジが通らないと思うのですが…。


このように、この事案では、侵害態様自体について、(利益侵害とは別個に)損害賠償が認められるとの考え方はできないと考えます。

差戻し控訴審判決も、侵害態様自体について損害賠償を認めたものではないと思いますし、その判断は正当なものだと考えます。


<追記>
この控訴審判決の損害額については、「図書館員の愛弟子」さんと「エンドユーザーの見た著作権」さんでも、取り上げていました。ご参照下さい。



<12月3日追記>
ここでなぜ、「損害の回復」について触れたのかというと、それは損害が回復したのであれば、損害額から差し引くことになるからです。いわゆる「損益相殺」ですね。
この損益相殺の意味は、

「不法行為に関連して被害者がなんらかの利益を得た場合には、損害賠償額の決定に際し、それを損害額から控除しなければならない。これを損益相殺という。(四宮和夫「不法行為」601頁)」


というものです。

そして、この損益相殺の根拠

「不法行為による損害賠償の理念を、不法行為がなければあったであろう状態の回復(原状回復)と理解すれば、不法行為を契機として利益を得ることを認める必要はない。そこでこれを賠償額から控除しようとする趣旨である。民法に規定はないが、当然の法理として、不法行為のみならず債務不履行による損害賠償においても認められている。(内田貴「民法2 債権各論」414頁)」

といわれています。

この事案では廃棄した図書(107冊)すべてを図書館に備えたのですから、著者としては事実上は、その107冊分の「利益」を得ていることになりますから、事実上は1人3000円以上の利益を得ているのです。
そうすると、107冊分の利益を「思想、意見等を公衆に伝達する利益」の侵害による損害額から控除すると…、(すでに上で書いたように)損害額としてはほとんどないのでしょう。

「廃棄という『行為』で慰謝料を決定するので、損害が回復しても慰謝料は減らないはず」とか、「廃棄された冊数を考慮していない」という控訴審判決に対する批判もあるようですが、その批判はあたらないと考えます。
もちろん、控訴審判決の判決文を見ていないので(まだ未公開)、控訴審判決が確実に「損益相殺」の論理を採用したかは不明ですが。



<12月7日追記>
朝日新聞(12月7日付朝刊)によると、

「千葉県船橋市立図書館の司書が「新しい歴史教科書をつくる会」や関係者の著作などを処分したことをめぐる訴訟で、著者側は、原告1人につき3千円の支払いを同市に命じた差し戻し控訴審判決を不服として6日、最高裁に再び上告した。」


としています。
「1人あたり300万円を請求していた著者側が「安すぎる」と不満を表明していた。」のですから、上告する気持ちは分かりますが。ただ、事実上1人あたり3000円以上の利益を得ていますし、また、賠償額が少ないとの理由では、上告は認められないでしょう。
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