大会は2月12日から28日までの17日間で、カナダ北西部の大都市バンクーバーを中心に開催されます。今回の冬季五輪では前回トリノ大会を上回る史上最多の82カ国・地域から約2500人の選手が参加し、新たに採用されたフリースタイルスキーのスキークロスを含む、7競技で史上最多の86種目を行います。
1.報道記事を幾つか。
(1) 読売新聞平成22年2月13日付夕刊1面(4版)
「バンクーバー五輪開幕 冬季最多82か国・地域参加
【バンクーバー=読売取材団】第21回冬季五輪バンクーバー大会は12日午後6時(日本時間13日午前11時)、バンクーバー市内のBC(ブリティッシュコロンビア)プレースで開会式が始まり、17日間の雪と氷の戦いが幕を開けた。
冬季五輪史上最多の82か国・地域から約2500人の選手が参加、バンクーバーとウィスラーで7競技、史上最多の86種目が実施される。
日本代表は男子49、女子45の計94人。開会式ではスピードスケートで5回目の出場となる旗手の岡崎朋美選手(38)(富士急)を先頭に、43番目に入場行進した。
雪不足の懸念以外、ここまでほぼ順調だった五輪準備。しかし、開会式の数時間前、ウィスラーでのリュージュ競技の公式練習中に、グルジアの男子選手が死亡する事故が起き、華やかな祭典は悲しみに包まれた。
屋内会場で行われた式典は、雪原に氷の柱をかたどったステージが立ち上がり、天井からはオーロラが下がる凝った舞台。カナダの自然と先住民文化を色濃く反映した演出となった。
前半は、バンクーバー五輪が開かれる土地に先住権を持つ四つの先住民部族と、各部族の伝統的衣装をまとったカナダ中の先住民の若者による歓迎が、太鼓の音と踊りでつづられた。選手を迎えた後半は、オーロラや海を泳ぐオルカ(シャチ)の群れ、森の中に立つトーテムポールなど、カナダの自然と神秘をテーマにした物語が展開した。
◆バンクーバー=人口約211万人で、国内第3位の都市圏。都市名は18世紀末に米国からカナダ西海岸を測量した英国海軍士官ジョージ・バンクーバーに由来する。横浜市とは姉妹都市。昨年、英誌「エコノミスト」の調査部門が「世界で最も暮らしやすい都市」に選出した。
(2010年2月13日13時47分 読売新聞)」
(2) 毎日新聞平成22年2月13日付東京夕刊1面
「バンクーバー五輪:熱冬開幕 美と技と力 82カ国・地域2500人が参加
【バンクーバー小坂大】先住民や環境との共生をテーマにした第21回バンクーバー冬季五輪が12日夜(日本時間13日午前)、当地のBCプレースで開会式を行い、開幕した。大会は06年トリノ(イタリア)大会の80を上回る史上最多の82カ国・地域から約2500選手が参加。7競技の過去最多86種目で、28日までの17日間にわたって熱戦を展開する。
前回の112人より少ない94人の選手で大会に臨む日本は、開会式でスピードスケートの岡崎朋美選手(富士急)を旗手に行進した。カナダでの冬季五輪は88年カルガリー大会に続いて2回目。不況下での開催で収支が懸念されたが、五輪組織委員会は開幕前に「赤字にはならない」と明言した。
カナダでは19世紀半ばから続いてきた先住民の移住や英語教育を強制した同化政策をハーパー首相が一昨年に公式に謝罪。また、冬季競技は温暖化など地球環境の変化の影響を強く受けている。このため、五輪組織委員会は先住民との融和と環境への配慮を大会の理念に掲げている。
毎日新聞 2010年2月13日 東京夕刊」
(3) 東京新聞平成22年2月14日付朝刊1面
「バンクーバー五輪開幕 多様な人種 多彩な感動
2010年2月14日 朝刊
【バンクーバー=本社五輪取材団】バンクーバー市のBCプレースで12日(日本時間13日)に開会式が開かれたバンクーバー冬季五輪。五輪史上初の屋内で開かれた開会式は、音と光の派手な演出で幕開けした。「人種のモザイク」とも呼ばれるカナダの多様性や豊かな自然を伝える内容が3時間にわたって繰り広げられた。
先住民の参加を一つの柱に掲げる今回の五輪。四本の巨大なトーテムポールが立ち、先住民たちが伝統衣装を身に着けて踊った。その出迎えを受けた選手たちは晴れやかな表情で入場行進した。
三十番目にグルジア選手団が入場すると、観客席がひときわ大きく沸いた。この日、リュージュの選手が公式練習中の事故で死亡。右腕に喪章を着け、黒いマフラーの選手たちは手も振らずに行進した。涙を必死にこらえ歩く姿に、観客は総立ちで拍手を送った。
日本選手団の入場は四十三番目。旗手の岡崎朋美(38)=富士急=を先頭に八十八人が進んだ。成田空港から出国する際、公式ウエアを崩して着て批判を浴びたスノーボード・ハーフパイプ(HP)男子代表の国母和宏(21)=東海大=の姿はない。開会式直前に国母と謝罪会見に臨んだ橋本聖子団長は唇を結び、大会への決意を示しているようだった。
会場中央の床から、氷柱をイメージした巨大な仮の点火台がせり上がり、観客の持つペンライトが上下に揺れた。アイスホッケーの国民的英雄ウェイン・グレツキー氏らが同時に点火し炎が燃え上がると、会場の興奮は最高潮に達した。聖火はその後、グレツキー氏が屋外の聖火台にも点火した。
亡くなったグルジア選手のために一分間の黙とうがささげられ、カナダ国旗と五輪旗は半旗で掲げられた。」
記事中に「先住民や環境との共生をテーマにした第21回バンクーバー冬季五輪」とあるように、第21回冬季五輪バンクーバー大会は、「先住民との融合」「環境への配慮」「持続可能な発展」を基本理念として掲げています。また、「不況下での開催で収支が懸念されたされたが、五輪組織委員会は開幕前に『赤字にはならない』と明言した」とあるように、わざわざ五輪組織委員会が「赤字にならない」と明言しなければならないほど、不況により開催が危ぶまれた冬季五輪なのです。
そこで、第21回冬季五輪バンクーバー大会の基本理念と、不況が五輪に与えた影響について触れた記事について引用したいと思います。
1.毎日新聞平成22年1月3日付東京朝刊11面
「お正月:意味、知ってる?
◇健康、豊作神様に感謝 授かった力で今年もがんばろう
お正月、どんなふうに過ごしていますか。お年玉はうれしいけど「おこづかいとどう違うの?」と思う子もいるかもしれませんね。お正月の意味やしきたりを親子で話してみませんか。【大和田香織】
●お正月と初詣で
全国の神社のまとめ役、神社本庁(ほんちょう)(東京都渋谷区)の広報センター、石井裕子(ゆうこ)さんによると「一般の人の初(はつ)詣(もう)では、昭和の時代になって広まった風習。お正月は、自宅で年神(としがみ)様をお迎えするのが基本」なのだそうです。年神様とは、豊作の神様であり、ご先祖様のことです。「ふだんは山にいて、皆さんの健康や農作物の実りを見守っていますが、1年の変わり目に山から下りてきます。お正月は、その神様を迎え、新しい魂(たましい)、力を分けてもらう節目です」
一方、初詣では、ふだん暮らしている地域の守り神、氏神(うじがみ)様へ新年のあいさつに行くこと。商売繁盛(はんじょう)、合格祈願(きがん)、縁結びなど、それぞれ得意分野を持つ有名な神社が各地にありますが、石井さんは「まずは地元の神様へ。お寺でも同じです」と勧めています。
初詣でに行って「新しいゲームが欲しい」と祈ってきた子もいるのでは? それだけでは神様もあまり真剣に聞いてくれないそうです。まず、最初に、これまで平和に暮らせたことへの感謝、次に今年も平和に元気で過ごせるよう見守ってくださいと祈り、最後に自分の願いを伝えるといいようです。
お参りの方法にも決まりがあります。鳥居(とりい)のところで軽くおじぎしたら、手水(ちょうず)で手と口を清める。鈴を振っておさい銭を奉納した後、2度お辞儀して2度拍手、最後にもう一度お辞儀をする「二拝二拍手一拝」が基本です。「混雑していて手水を素通りする人を見ますが、一番大切なので忘れずに」と石井さんは話しています。
●七草と鏡開き
7日は「七草(ななくさ)がゆ」。セリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)の7種の野草を朝、おかゆにして食べます。それぞれの名前を当てられるかな?
伝統文化を学ぶ本や催しなどをてがける「こどもの感性研究所」(東京都中野区)の石田繁美(しげみ)さんは「七草の種類は、時代や地域によっても違う」といいます。昔の中国のカレンダーで季節の変わり目に健康や安全を願って行事を行う「節句(せっく)」のほか、1月15日にヒエ、アワなどの穀(こく)類を7種集めておかゆにし、健康や豊作を願う日本古来の風習があり、この二つが結びついたと考えられています。江戸時代に、重要な行事を行う日として幕府が「五節句」を定め、1月7日の「人日(じんじつ)」の節句に七草がゆを食べる形が広まりました。
11日、お供えした鏡(かがみ)餅を下げて汁粉などを作って食べるのが「鏡開き」。もともとは1月20日に行われていた行事で、食べるときは刃物を使わず手や木づちで割り、「切る」と言わず縁起よく「開く」と言います。飾り方はさまざまですが、江戸時代の浮世絵に描かれた鏡餅にはいまと同じ、ウラジロ、ユズリハの葉などが見られます。「お供えした鏡餅を食べることは、神様と一体感を得る意味があるとの考え方があり、七草がゆは家族の健康や幸せを祈る行事でもあります。行事に込められてきた願いを感じながら、家族で行うのもいいですね」と石田さんは話しています。
●お年玉とマナー
もう分かったと思いますが、お年玉も神様と関係があります。マナーデザイナーの岩下宣子(のりこ)さんは「年神様から授かった力を、家族の中で年上の人から年下の人に分ける意味がありました」。目上から目下に分ける物なので、自分より年上の人や、身分が上の人にあげるものを「お年玉」と呼ぶのは失礼になります。その場合は封筒に「年賀」と書きます。
お年玉はもともと、お餅だったといいます。絵本やえとにちなんだ虎の置物など、お金以外の品を贈ってもいいそうです。子どもはお返しする必要はありませんが、いただいたら必ずお礼を言いましょう。岩下さんによると、ちょうど良い金額はお小遣いの1カ月分です。でも、たくさんいただいて家の人が気になる場合は、「年賀」としてお菓子などをお返しに送る方法もあります。岩下さんは「お年玉をもらったら、子どもは必ず家の人に話してください。そうしないと、お年玉をくれた人にお父さんやお母さんがお礼を言えません。とても恥ずかしいことです」と話しています。
岩下さんは「お年玉と同じ意味合いで、歯ブラシや下着なども新品に替えてみては」と提案しています。年神様から授かった新たな力を身近に感じ、今年もがんばろうという気持ちになれるかもしれませんね。
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毎日新聞 2010年1月3日 東京朝刊
今年も宜しくお願いします。
今年は、多くの人が昨年よりも良き日々を過ごせますよう、心から願っています。
1.毎日新聞平成22年1月1日付「余録」
「夢見る力
「磨かぬ鏡」は前からも後ろからも同じ音の連なりとなる回文である。「長き夜の遠の眠(ねぶ)りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな」は、この歌を記した宝船の絵を枕の下に置くと良い初夢が見られるといわれた回文歌だ。だが意味は今一つはっきりしない
▲民俗学者の折口信夫はこの歌はもともと眠気よけの呪文との説を述べている。吉夢を見るのに眠れなくてどうするといいたくなるが、宝船の絵そのものも良い夢を運んで来るというより、悪い夢を運び去るまじないから生まれたのだという
▲室町時代には宮廷や貴族の家々で船の絵を配り、人々は除夜にそれを床の下に置いて寝た。船には旧年中の悪夢がすべて積み込まれ、元旦になると川に流すか埋められたという。船の絵にはまだ宝の山も七福神も描かれていなかったそうだ
▲それが吉夢をもたらす宝船に変わり、正月2日夜の初夢のまじないになったのは江戸時代のようだ(折口信夫「古代生活の研究」)。悪夢を払うにせよ、吉夢を求めるにせよ、ひとまず取り散らかった現実に区切りをつけ、新しい時のページを開いてくれる年明けのありがたさだ
▲振り返れば、先行きの不安が人々の足をすくませ、袋小路の悪夢に苦しんだ昨年の日本社会だ。人々は政権交代を通し新しい船による悪夢一掃を求めたが、それも現実の大波に翻弄(ほんろう)されている。その船が年末に運んできた10年先の成長戦略も、まだ紙切れに描かれた宝にすぎない
▲人々の心を引きつけ、すくんだ足を前のめりに踏み出させる夢のほしい今年である。そこは吉夢を見るのに手を尽くしたご先祖をもつ日本人ではないか。「夢見る力」はきっと取り戻せる。
毎日新聞 2010年1月1日 0時18分」
昨年末には、派遣切りにあった失業者らが集まった「年越し派遣村」のような事態が起きましたが、今年は、年末年始に住む所がない失業者らの生活相談に応じ宿泊施設や食事を提供する東京都の“公設派遣村”が平成21年12月28日日、渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターに開設されています(東京新聞2009年12月28日夕刊)。
同じ「派遣村」の名称はついてはいますが、今回の場合は、年末年始に住む所がない失業者の方たちに対して国や地方地自体が最初からバックアップしている点で大きく違いがあります。
バックアップの影響は大きいとはいえ、世界経済危機は長期化したためもあり、こうした危機的状況に対して大きな騒ぎになっていないのです。
こうした状況であるにしても、昨年は、日本では憲政史上これも初めてといえる本格的な政権交代が行われ、大きな政治変動が起きた年でした。日本の市民は、未来へ向けて変革する意欲は失っていないのです。
「◆弱肉強食をこえた生存
政権交代がありました。国民は政治の行き詰まりを実感していました。しかしそのずっと前、地方自治は変わり始めていました。役所仕事、税の無駄遣いに対する不満が元気な知事や市長を当選させた。日本人の現実主義は身近なところから現実を変えたのです。
今年はダーウィンの生誕二百年でした。その進化論いわく、強いものが生き残るのでなく、賢いものが生き残るのでもなく、環境に適応したものが生き残る。弱肉強食、ジャングルの掟(おきて)をこえたところに適者生存、静かなる変異の本質はあります。
このしなやかさも見えざる変化の一つかもしれませんね。
未来とは夢想ではなく経験と現実が築くのです。」(東京新聞平成21年12月31日付【社説】)
「先行きの不安が人々の足をすくませ、袋小路の悪夢に苦しんだ昨年の日本社会」であっても、日本の市民は古来から、より良い未来へ向けて「ひとまず取り散らかった現実に区切りをつけ」ることをし、「現実を変え」てきたのです。
「夢見る力」をもって、より良い未来へ向けて変化を求めていこうではありませんか。
テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済
クリスマスというとサンタクロースを連想される方が多いと思います。そのサンタクロース (Santa Claus) は、クリスマスの前の夜に良い子のもとへプレゼントを持って訪れるという人物です。このサンタクロースは、4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教(主教)、キリスト教の教父聖ニコラオス(ニコラウス)がモデルであるとされています。
「「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ている。」(「サンタクロース」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))より引用)
1.このようにサンタクロースのモデルはいたのでしょう。では、サンタクロース自身は、本当にいるのでしょうか?
「サンタクロースっているんでしょうか?」という質問を書いた手紙を送った子どもに対して、100年ほど前、1897年9月21日付・ニューヨーク・サン新聞は、この子どもへの返事を「社説」で書いています。そこで、この社説は古典のようになって今での繰り返し掲載されるほどになっているそうです。そこで、この著名な社説を紹介したいと思います。
なお、この社説を書いたのは、フランシス・ファーセラス・チャーチ(Francis Pharcellus Church)(1839~1906)という同社の記者です。この人物に対して、当時の編集長は、回想録に「人間生活のあらゆる面について、深い洞察力と鋭い感受性を備えた人物だった」と書いています(中村妙子(翻訳)『サンタクロースっているんでしょうか?』(偕成社、〔改装版〕版2000年)の「あとがき」より引用)。
(1) この社説の出だしは、次のようになっています(前掲『サンタクロースっているんでしょうか?』より引用(なお、読みやすさのため一部漢字に変換した))。
「サンタクロースっているんでしょうか?
ニューヨーク・サン新聞社に、このたび、次のような手紙が届きました。早速、社説で取り上げて、お返事したいと思います。この手紙の差出人が、こんなに大切な質問をするほど、私たちを信頼してくださったことを、貴社一同、大変嬉しく思っております。
記者さま、あたしは8つです。
あたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ。」って言っている子がいます。
パパに聞いてみたら、「サン新聞に、問い合わせてごらん。新聞社で、サンタクロースがいるというのなら、そりゃもう、確かにいるんだろうよ。」と、言いました。
ですから、お願いです。教えてください。サンタクロースって、本当にいるんでしょうか?
バージニア=オハンロン ニューヨーク市 西95丁目115番地」」
今年も宜しくお願いします。
昨年は、無差別殺傷事件が多発し、また、世界経済危機、
大量の「派遣切り」により路頭に迷う人が急増するなど、酷い1年でした。
今年は、多くの人が昨年よりも良き日々を過ごせますよう、心から願っています。
1.東京新聞2009年(平成21年)1月1日「筆洗」
「あけまして、おめでとうございます。干支(えと)でいえば丑(うし)年の始まり。早速、家族や友人らとどんな一年になるか、したいか、牛にちなんだ話題も交えて語り合っている人もいよう
▼<牛の歩みも千里>ということわざが気に入っている。たとえ遅い足取りでもこつこつと進んでいけば、大きな成果をあげることができるという意味である
▼ほかにも心に響く話がないかと探していると、小欄で一度紹介した日本民話データベース作成委員会の樋口淳さんから『ものをいう牛』と題された民話があると教わった。名護市など沖縄県の北部で語り継がれている
▼ある長者の召し使いが、年季明けの給金として「金がいいか、話がいいか」と言われて、話を選んだ。ところが「綱につながれた牛」という短い内容。訳が分からずに泣く泣く山道を歩いていると、やせた牛が木につながれて捨てられている
▼「これか」と思い近づくと、驚くことに話せる牛だった。頼まれたので水を飲ませて助けると、牛はいろいろな提案や忠告をしてくる。素直に従った結果、大きな財産を手にした。牛は自分の先祖だったのである
▼お金よりも経験のある人の言葉や知恵を大切にする人、困っている牛を助けるような心やさしい人が、最後には大きな幸せを手に入れる。こんな意味がくみ取れる。今年一年、牛をまねて反すうしたい民話である。」
2.「経験のある人の言葉や知恵を大切にする」。ごく当然こととも言えそうなのですが、「自分はよく知っているのだ」と慢心していると、大切にしていないことが多々あるのではないかと、思うのです。
また、「経験のある人の言葉や知恵を大切」にすることは、「訳が分からずに泣く泣く山道を歩いていると……」という民話が物語っているように、ある意味、自分の価値観では反発してしまうような他人の意見・価値観であっても、尊重するという面をもっています。しかし、自問自答してみれば、どれほど他人の価値観を尊重しているでしょうか。
「困っている牛を助けるような心やさしい人」。これも言葉だけではわかっていても、いざ実行となると、どれほどできているのでしょうか。
「非正規労働者らの年越し支援、各地で食事や居場所提供
2009年1月1日
大みそか、「派遣切り」などで不安な年越しを迎えた各地の労働者たちは、支援者たちが用意した居場所にひととき身を寄せ、温かい食事で体を温めた。
東京・日比谷公園の「年越し派遣村」を訪れた男性(41)は、大手自動車メーカーの群馬県の下請け工場で派遣の仕事を切られたという。約2カ月間、ネットカフェや野宿でしのいできた。所持金は1千円ほど。温かい食事や寝場所が確保できると聞き、大みそかに身を寄せた。
「『このまま野垂れ死んでもいいかな』と思った時もあったが、今ほど人の情けを感じたことはない」
実行委員会によると、寄せられた30件の相談では、所持金ゼロや数十円という人も多く、ほとんどが生活保護を申請する必要がある。山口県や新潟県で仕事を失い職探しのために東京に来たが、行く当てもなく途方に暮れている人もいたという。(以下、省略)」(asahi.com:関西(2009年1月1日)
「言うは易く行うは難し」であっても、行わなければならない現実が、いま、あるのです。
このブログは主として法律論を説くことを主眼としています。このブログにより、「経験のある人の言葉や知恵を大切にする人」・「困っている牛を助けるような心やさしい人」を現実に実行できるよう、踏み出す勇気を後押しできれば、と思っています。





