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1.実に馬鹿馬鹿しい出来事なので、どうでもいいと思うのですが、テレビで大きく報道され、新聞各紙(読売、毎日、日経、朝日)が掲載しています。その幾つかを引用しておきます。
(1) 毎日新聞平成20年6月20日付夕刊10面
「連続幼女誘拐殺人:「死に神」報道、鳩山法相が不快感−−朝日「素粒子」
鳩山邦夫法相は20日の閣議後会見で、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚ら3人の死刑執行について法相を「死に神」と表現した朝日新聞の報道に「執行された方々に対する侮辱。彼らは死に神に連れて行かれたのとは違う」と不快感を示した。
問題となった記事は朝日新聞18日夕刊1面コラム「素粒子」。執行再開以降の法相で最多の執行数となったことに触れ、「またの名、死に神」などと表現した。
鳩山法相は「マスコミは(執行数を)野球の打率のように論評するが、私は粛々と正義の実現のために法相の責任を果たしている」と述べたうえで、「人の命を絶つ極刑を実施するのだから、私も心境穏やかではないが、社会正義のために苦しんで執行した。恐ろしい事件を起こした宮崎死刑囚にも人権も人格もある。軽率な文章だ」と話した。【石川淳一】
毎日新聞 2008年6月20日 東京夕刊」
(2) 【共同通信】(2008/06/20 13:16)
「「死に神」表現に猛抗議 死刑執行で鳩山法相
「苦しんだ揚げ句に死刑を執行した。彼らは『死に神』に連れて行かれたのか」。鳩山邦夫法相は20日の閣議後会見で、13人の死刑執行を命令したことを朝日新聞が「死に神」と表現したことに対し「軽率な文章には心から抗議したい」と怒りをあらわにした。
朝日新聞18日付夕刊の「素粒子」欄は、鳩山法相について「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」などと記載した。
これに対して鳩山法相は「極刑を実施するんだから、心境は穏やかでないが、どんなにつらくても社会正義のためにやむを得ないと思ってきた」と語り、「(死刑囚にも)人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。彼らは死に神に連れて行かれたのか」とマイクが置かれた台をたたいて声を荒らげた。
さらに「私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」と語った。
2008/06/20 13:16 【共同通信】」
(3)朝日新聞平成20年6月21日付朝刊34面(asahi.com:2008年6月20日13時35分)
「■法相、「素粒子」を批判
鳩山法相は20日の閣議後の記者会見で、朝日新聞の18日夕刊1面の時事寸評コラム「素粒子」で死刑執行に絡んで「死に神」と表現されたことについて「大変な問題だ。そういう軽率な文章を平気で載せるということ自体が、世の中を悪くしている」と批判、「司法の慎重な判断、法律の規定により、私も苦しんだ揚げ句に執行した」などと述べた。
「素粒子」では「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」などと表現した。朝日新聞には20日、電話やメールなどで約1130件の抗議が寄せられた。
朝日新聞社広報部の話 「素粒子」は、世の中の様々な出来事を題材に、短い文章で辛口の批評をするコラムです。鳩山氏や関係者を中傷する意図は全くありません。」
2.問題となった朝日新聞夕刊コラム「素粒子」は、数ある新聞時事コラムの中でも、極めて辛口の風刺を行うコラムとして有名です。
「〈素粒子〉 夕刊一面の、これも売り物コラムです。日々のニュースを「寸鉄人を刺す」の意気込みで切ってみせます。14行と短いだけに、加藤明は早朝から新鮮な素材を探し出そうと新聞の隅々に目を通し、執筆に頭を悩ませています。」(朝日新聞の会社案内(「論説委員室」)(2008-01-08))
「寸鉄人を刺す」、すなわち、短い語句で、人の胸をついたり、人の急所や物事の要点をつくことを心掛けているというのですから、抗議を受けることも覚悟の上でしょうし、もし当事者が抗議してくるのであれば、それこそ「寸鉄人を刺す」ことを達成できたのであり、そのコラムの意義を達成できたといえます。
(1) 朝日新聞社に抗議した人達は、問題となった「素粒子」全文を読んで十分に理解したうえで、批判したのでしょうか? 問題となった朝日新聞平成20年6月18日付夕刊1面「素粒子」全文を引用しておきます。
イ:朝日新聞平成20年6月18日付夕刊1面「素粒子」
「永世名人 羽生新名人。勝利目前、極限までの緊張と集中力からか、駒を持つ手が震えだす凄(すご)み。またの名、将棋の神様。
× ×
永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2ヶ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神。
× ×
永世官製談合人 品川局長。官僚の、税金による、天下りのためのを繰り出して出世栄達。またの名、国民軽侮の疫病神。」
ロ:こうして全文を見ると、最近話題になった3人を、それぞれ神に見立てて風刺してみせたものです(「永世」「神」という言葉をすべてに使い、韻を踏んだ文章になっています)。「神」といっても、「将棋の神様」、「死に神」、「疫病神」は、「貧乏神」を並べてみると分かるように、釈迦如来、弥勒菩薩、大日如来といった宗教上、観念上存在する神仏ではなく、すべて単なる民話程度の、名称・レッテルをつけた程度の意味に使っており、純日本的な意味合い――要するに落語の演目の「死神」を想定するべき――であると理解できると思います。もっとも、「死に神」には、「人を死に誘う神」、「疫病神」は「疫病を流行させるという悪神」という観念上存在する「神」の意味もありますが、そうすると、明らかに尊敬の念を持った名称である「将棋の神様」と並べるとバランスが悪いので、そういう意味は薄いと受け取るべきでしょう。
最初に、羽生新名人を「将棋の神様」と持ち上げておいて、その次には鳩山法相を「死に神」と扱い、下げて見せて、文章の最後に品川局長のことを扱っています。文章の最後が品川局長のことなので、「死に神」よりも「疫病神」の方がもっと悪いということなのかもしれません。「素粒子」の筆者は、命を奪う死に神よりも、国民軽侮の疫病神の方がもっと悪いという価値観をもっているようです。
「官僚の、税金による、天下りのためのを繰り出して出世栄達」という言葉は、米国大統領エイブラハム・リンカーンが行ったゲティスバーグ演説で有名な「人民の、人民による、人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)」をもじったものであることは明らかで、だからこそ「『国民』軽侮の疫病神」という締めになったわけです。
鳩山法相は、宮崎死刑囚らを執行した理由を問われて「自信と責任を持って執行できるという人を選んだ」と答えています。しかし、死刑執行命令書の作成に先立って、法務省刑事局が確定判決の資料を司法判断とは別に精査し、執行の可否を決定しているのですから、鳩山法相自身が選んだのではなく、ただ鳩山法相は署名しただけのことであって、鳩山法相が「自信と責任」に胸を張るのは筋違いです。
元々、鳩山法相は、「ベルトコンベヤー式のように自動的に執行できないか」と述べていたほど、人間の尊厳に対する意識がまったくなく、あまりにも命を軽視した人物なのです(「鳩山法相“署名なしで死刑執行を”発言〜暴言に法相の資質を疑う!(毎日新聞9月27日付「社説」より)」(2007/09/29 [Sat] 05:51:11)参照)。そのいわく付きの人物が2ヶ月間隔で常に3〜4人の同日執行という、ルールでもあるかのように規則正しい日程で、すでに13人もの多数の命を奪っていっているのですから、天界のルールに従って多数の命を奪っていく「死に神」と皮肉られるだけの発言と行動をしていたといえるのです。
このように、6月18日付「素粒子」は、文章としては実にうまく作っているように思えます。
ハ:しかし、内容的は問題があるように感じます。
永世死刑執行人や永世官製談合人というように悪い評価を与える人物とともに、良い評価を受ける永世名人を並べるのは、いい内容とは思えません。羽生新名人の価値はそれだけで高く評価すべきであって、他の2人がその高評価を下げて終わらせる形になっているのですから。むしろ、3人とも悪い評価を与える人物(=三悪人)で統一した方が良かったと考えます。もっとも、名人戦を(毎日新聞とともに)主催している朝日新聞社からすると、最初のとっかかりが「羽生新名人」の話題だったはずなので、それをはずすことはやりたくないとは思いますが。
「素粒子」につき最も問題だと思うのは、死刑執行が行われたことへの「軽さ」です。
いかに極悪な者と非難される人物であろうとも命の価値には変わりがないのですから、死刑がその人の命を奪う極刑であって、一旦執行されると回復が不可能であることへの恐れを常に有しているべきです。それなのに、「素粒子」は、鳩山法相は処刑の「新記録達成」ということで、「永世死刑執行人」で「またの名、死に神」という書き振りはあまりも、死刑を軽んじた扱いのように感じます。
死刑囚の命が奪われたこと、死刑判決が下されたことには命を奪われた被害者がいることへの想いが、まるで感じられず、まったくの他人事のようです。「素粒子」を書いた記者は、3人をうまく並べることに熱心になってしまい、ご自分の文章のうまさに酔ってしまっているようです。
(2) この6月18日付「素粒子」に対して、鳩山法相は抗議をしています。
「鳩山法相は「マスコミは(執行数を)野球の打率のように論評するが、私は粛々と正義の実現のために法相の責任を果たしている」と述べた」(毎日新聞)
「鳩山邦夫法相は20日の閣議後会見で、13人の死刑執行を命令したことを朝日新聞が「死に神」と表現したことに対し「軽率な文章には心から抗議したい」と怒りをあらわにした。」(共同通信)
「鳩山法相は「極刑を実施するんだから、心境は穏やかでないが、どんなにつらくても社会正義のためにやむを得ないと思ってきた」と語り、「(死刑囚にも)人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。彼らは死に神に連れて行かれたのか」とマイクが置かれた台をたたいて声を荒らげた。」(共同通信)
「さらに「私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」と語った。」(共同通信)
「マイクが置かれた台をたたいて声を荒らげた」ほど、憤った姿勢を示していますが、どうにもその抗議内容には、問題があるように思います。
イ:鳩山法相は、「マスコミは(執行数を)野球の打率のように論評するが、私は粛々と正義の実現のために法相の責任を果たしている」と述べています。しかし、鳩山法相は、2ヶ月間隔で常に3〜4人の同日執行という、ルールでもあるかのように規則正しい日程で、すでに13人もの多数の命を奪っていっているのですから、(執行数を)野球の打率のように論評するのも当然でしょう。定期的に命を奪っておきながら「正義の実現」などと、正義を振りかざすのは見苦しい態度です。
ロ:鳩山法相は、朝日新聞が「死に神」と表現したことに対し「軽率な文章には心から抗議したい」とか、軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」と語っています。しかし、鳩山法相は、2ヶ月間隔で常に3〜4人の同日執行という、ルールでもあるかのように規則正しい日程で、すでに13人もの多数の命を奪っていっているのですから、天界のルールに従って多数の命を奪っていく「死に神」と皮肉られるだけの発言と行動をしていたといえるのです。ですから、軽率な文章ではないというべきです。ただし、死刑執行に対する「軽さ」を感じる文章の点で問題であるとは思いますが。
ハ:鳩山法相は「極刑を実施するんだから、心境は穏やかでないが、どんなにつらくても社会正義のためにやむを得ないと思ってきた」と語っています。しかし、元々、鳩山法相は、「ベルトコンベヤー式のように自動的に執行できないか」と述べていたほど、人間の尊厳に対する意識がまったくなく、あまりにも命を軽視した人物なのです。「社会正義のためにやむを得ないと思ってきた」などという心にもない嘘には付き合いきれません。「心境は穏やかでない」のは、「極刑を実施する」からではなく、他人から揶揄されるからでしょう。
ニ:鳩山法相は、「(死刑囚にも)人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。彼らは死に神に連れて行かれたのか」と述べています。
しかし、鳩山法相は、いつ「死刑囚の人権も人格」に配慮したことがあるのでしょうか?
従来と同様に6月17の執行についても、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、突然の執行を行っています。「死刑確定のプロセスや、確定後の再審請求、恩赦請求の棄却時期などの死刑囚の基本的人権の尊重において極めて重要な情報が開示されていない」(アムネスティ・インターナショナル日本)のですから、「死刑囚の人権も人格」に配慮したものとはいえません。
鳩山法相は最初に執行したときから死刑確定から3〜4年の死刑囚に対する死刑執行を行っており、6月17日の処刑では死刑確定から2〜3年の死刑囚への執行を行うほど短期間になってしまいました。従来の「約8年」という期間は、拘置所の経験に基づく判断で死刑囚が死を迎えるために必要な時間と言われていたのですが、「今回の「2〜3年」という短期間は、そのような時間的必要性を無視したものであり、この点にも、執行の著しい残虐性が表れています」(死刑廃止キリスト者連絡会)といえるのです。特に、宮崎死刑囚の場合は、「拘置所で精神科治療を受けている状態にあるので執行を行わないようにという弁護人からの要請を鳩山法相は内容証明で5月末に受けていました」のですから、それを無視して執行したことは到底、「死刑囚の人権も人格」に配慮したものとはいえません。
当然ながら、死刑囚の人権・人格を抹殺する究極の行為が死刑執行です。自らの命令で死刑を執行しておきながら、どうして死刑囚にも人権・人格があるなどと反論できるのでしょうか。鳩山法相は「自分がやっていることがわかっていない」(東京新聞平成20年6月23日付21面)のです。
鳩山法相の行動は、法律面でも問題があります。
刑訴法475条2項本文は、法務大臣の死刑執行命令は、死刑判決確定の日から6ヶ月以内にしなければならないと規定しています。「死刑執行命令の期限」については、6ヶ月という原則的期限がありますが、2項但書により例外を認めており、法律上、6ヶ月を超えて執行しないことを認めているのです。実務上、再審請求を繰り返すことによる期限延引が認められています。
その理由は、<1>死刑は一度執行すれば回復できない刑であるから、確定判決の効力に影響を及ぼす上訴権回復、再審、非常上告又は恩赦の制度を考慮しないで、一律6ヶ月以内に執行を終えなければならないというのは相当でないこと、また、<2>死刑の執行を差し控える法的理由がある場合、憲法上、生命を尊重しなければならないという趣旨からすれば、実務上慎重に運用されるべきだからです(『大コンメンタール刑事訴訟法第7巻』326頁、『新版注釈刑事訴訟法第7巻』290頁)。
要するに、刑事訴訟法475条の趣旨は、死刑が人の命を奪う極刑であって、一旦執行されると回復が不可能であることから、その執行手続を特に慎重にすることにあります。そうすると、現実に死刑再審事件が幾つもあることを考慮すれば、法務大臣が、執行命令を行うかどうかについて6ヶ月を大幅に超えてでも慎重に判断し、6ヶ月という原則的期限(2項本文)はほとんどないに等しい状態であっても、それは475条の趣旨にかなうものであって、不当な判断ではないと理解することが可能なのです(「鳩山法相“署名なしで死刑執行を”発言〜暴言に法相の資質を疑う!(毎日新聞9月27日付「社説」より)」(2007/09/29 [Sat] 05:51:11)参照)。
また、東京地裁平成10年3月20日判決(判例タイムズ983号222頁によると、刑訴法475条2項は、それに違反したからといって特に違法の問題を生じない、すなわち法的拘束力のない訓示規定であるとしています。そうすると、6ヶ月という期間にほとんど意味がないことになり、鳩山法相のように6ヶ月以内に執行しなければならないという、絶対に拒否できない義務かのように理解することは妥当ではないのです(「衆院法務委員会での鳩山法相の発言を検討〜刑訴法475条2項「6箇月以内」の期間延長の要否」(2007/10/27 [Sat] 20:02:49)参照)。
こうした法解釈・法運用がなされていたのに、鳩山法相は、2ヶ月間隔で常に3〜4人の同日執行という、ルールでもあるかのように規則正しい日程で、すでに13人もの多数の命を奪っていっているのですから、単に法律の規定だけでは説明できない行動をとっているのは明らかです。鳩山法相の「司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した」という言い分には、合理性がありません。
特に宮崎死刑囚の場合、「宮崎勤死刑囚の弁護側は再審請求を準備中で、5月30日付でその旨を法務省側に伝えていたのに、鳩山法相は「再審準備をしているという書面は届いているが、具体的な再審請求があったわけでも、具体的な再審事由が来ているわけでもない」(朝日新聞)として、死刑を執行してしまったのです。死刑が人の命を奪う極刑であって、一旦執行されると回復が不可能であることから、その執行手続を特に慎重するという刑事訴訟法475条の趣旨なぞ、まるで無視したものであって、刑事訴訟法475条の法解釈上も問題があるように考えます。
国連総会は2007(平成19)年12月18日、死刑執行の停止を求める決議案を賛成多数で採択しています。存続国には死刑制度の状況を国連に報告するよう求めており、日本を含む死刑制度の存続国に対し国際世論の多数派が「深刻な懸念」を示しています(「死刑執行停止要請決議、国連総会が初採択」(2007/12/20 [Thu] 23:59:28))。
決議に法的拘束力はないのですが、国際法の理解としては、法的拘束力のない条約、国連決議であろうと、各国は十分に尊重することが求められており、十分影響力があるということで一致しています。こうした、国際法のルールを無視した、鳩山法相の態度は極めて妥当ではありません。
「先般、国連人権理事会で日本の人権状況が審査されたが、各国代表から死刑執行の停止の検討や死刑に直面している者の権利の保護を確保する保障規定を尊重するよう厳しく申し入れられたにもかかわらず、日本政府は、審査の段階で死刑の廃止ないし執行の停止の余地はないと述べ、6月の報告書採択に際しては、将来の批准を検討する条約のうちから死刑廃止を目指す自由権規約第二選択議定書を明示的に除外した。その直後に、国際社会に見せつけるかのように死刑を執行したことは、世界に逆行する日本政府の頑なな態度を際立たせている。」(アムネスティ・インターナショナル日本)
他にも、平成19年12月7日の死刑執行、平成20年6月17日の死刑執行の場合、70歳代の死刑囚を処刑しており、それは「高齢者には執行しない」という国際的基準に違反しているとも指摘されています(死刑廃止キリスト者連絡会)。
このように、鳩山法相の行動は、国際法的に問題のある行動であったのですから、鳩山法相の「司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した」という言い分には、この点でも合理性がないのです。
ホ:鳩山法相は、「彼らは死に神に連れて行かれたのか」と述べています。しかし、この反論はどうにも理解不能です。
死に神は、「人を死に誘う神」であってあくまで「神」なのですから、「悪魔」ではありません。観念的には、「死刑囚は死に神に連れて行かれた」という表現は実に妥当です。まさか「俺が(署名したことで)殺したのだから、死に神のせいにするな」と言いたいのでしょうか、どうにも理解不能な反論です。
「素粒子」全体の意味内容からして、ここでの「死に神」は、すべて単なる民話程度の、名称・レッテルをつけた程度の意味に使っており、純日本的な意味合いに過ぎません。幾らかでも教養があれば、「死神」と聞けば、すぐに落語の演目の「死神」を思い浮かべるはずです。
落語の「死神」では、死神は人の寿命が尽きたときにあの世に連れて行く存在と表現されています。この演目「死神」では、人の生命(いのち)を蝋燭の炎に例えており、その着想は哲理を底の漂わせており、人の生命を1ヶ所に集めた炎、炎、炎を集めた霊場の様はこの世に生ある者に<生と死>の現実感を鮮烈に具現しています(麻生芳伸『落語百選・秋』(1999年、筑摩書房)399頁)。落語の中でも、「死神」はベストテンに入るほどの名作です。
「――鳩山法相は「西欧文明はドライだが、日本には死をもって償うウエットな文化がある」と説明しています。
日本では9世紀初めから「保元の乱」まで、実に300年以上、死刑は停止されていました。「死をもって償う」というのは自分から命を絶つのであって、刑罰として人の命を奪うことと混同するのは、少々教養がないね。日本の文化は「和をもって貴しとなす」。「和」と死刑は矛盾するんじゃないかしら。」(「「死刑廃止なくして裁判員制度なし」〜団藤重光・元最高裁判事に聞く(朝日新聞)」(2007/12/23 [Sun] 05:01:15))
鳩山法相は、「少々教養がない」人物ですから、落語の「死神」もご存じないのでしょう。教養がないゆえに、意味不明の反論をしたとしか思えないのです。
(3) 「死に神」表現を行ったために朝日新聞に抗議した市民は、「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」という内容で抗議したようです。朝日新聞平成20年6月21日付夕刊1面「素粒子」を全文引用しておきます。
イ:朝日新聞平成20年6月21日付夕刊1面「素粒子」
「鳩山法相の件で千件超の抗議をいただく。「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」との内容でした。
× ×
法相のご苦労や、被害者遺族の思いは十分認識しています。それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです。
× ×
風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図はまったくありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば。」
ロ:「表現の方法や技量をもっと磨かねば」という反省はその通りだと思いますが、「法相のご苦労や、被害者遺族の思いは十分認識」していること自体は良いとしても、死刑執行に対する「軽さ」こそ反省してほしいと思うのです。
ハ:しかし、「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」との抗議内容はなんだろうか、と思うのです。
すでに述べたように、「法相は職務を全うしているだけ」という批判は、すでに述べたように刑事訴訟法刑事訴訟法475条の法解釈・法運用上、鳩山法相の行動は問題があること、及び鳩山法相の行動は、国際法的に問題のある行動であることを理解していないように思えます。「法相は職務を全うしているだけ」という言い分の根底には、死刑囚の生命を極めて軽んじている卑しさが感じられるのです。
「死に神とはふざけすぎ」と言うのもどうでしょうか。鳩山法相は、2ヶ月間隔で常に3〜4人の同日執行という、ルールでもあるかのように規則正しい日程で、すでに13人もの多数の命を奪っていっているのですから、単に法律の規定だけでは説明できない行動をとっているのは明らかです。「ふざけすぎ」ているのは鳩山法相のほうでしょう。もし、いささかでも「死に神と評価することはふざけている」のであれば、落語の「死神」は存在しえません。実にくだらない批判であるように思います。
せめて、6月18日付「素粒子」全文を読んで十分に内容を理解してから批判をするのが、最低限の礼儀だろうと思いますが、ネット上に関する限り、誰も全文を読んで十分に内容を把握した者がいないようです。まったく馬鹿馬鹿しい限りです。
3.平成20年6月17日に3人の死刑囚に死刑が執行されました。
その「6月17日」は何が行われた日だったのか、鳩山法相や法務省はもちろん、朝日新聞の「素粒子」、そして「死に神」表現により朝日新聞に抗議した市民は、十分に知っていて抗議したのでしょうか? 特に、「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」との抗議内容した市民は。
(1) 1975年の「6月17日」は、 逮捕されてから一貫して28年間「冤罪」を主張し続けていた「福岡事件」の西武雄さんに対して、突如、死刑を執行してしまった日なのです。
「福岡事件」は、1947(昭和22)年、敗戦直後の時期において、中国人を殺害した事件につき、占領軍の圧力により強盗殺人罪に仕立て上げられ、西さんと石井さんを含む7人が逮捕起訴されました。公判で石井さんは2人の殺害を認めましたが、「仲間のけんか相手だと勘違いした誤射だ」(いわゆる「誤想防衛」)として強盗を否認し、ほかの6人は無罪を主張したのです。しかし、逮捕された7人に対し水責めなどの酷い暴行を加えて自白を強要し、白紙に署名させて捏造した調書によって、西さんは主犯と認定され、石井さんとともに1956年、最高裁で死刑が確定しました。残る5人のうち4人に、懲役刑が確定したのです(「「死刑――存廃を問う前に」(第2回):「福岡事件」死刑執行後も無実の叫び〜冤罪死刑もやむなしなのか?(東京新聞3月31日付「こちら特報部」より)」(2008/04/19 [Sat] 18:10:14)、「「叫びたし 寒満月の割れるほど」2008(上):冤罪なのに死刑が執行された「福岡事件」のことを知っていますか?〜東京(6月14日)でシンポジウムを開催」(2008/06/15 [Sun] 10:54:50)、「「叫びたし 寒満月の割れるほど」2008(下):冤罪で処刑されてしまった「福岡事件」のことを知って多くの人に広めてほしい!〜東京会場でのシンポジウム(6月14日)を紹介」(2008/06/19 [Thu] 04:18:33))。
日本は死刑制度を認めていますが、誤判を回避することはできない以上、死刑制度の存続は「福岡事件」のように冤罪で死刑にすることをも、認めることも意味しています。日本では、8割以上が市民が死刑制度の存続を認めているといいますが、冤罪で死刑にした事件(「福岡事件」)もあることを十分に知った上で、「法相は職務を全うしているだけ」などと言い放っているのでしょうか。
日本において死刑制度を存続させている根拠が市民の多数の意思であるのであれば、死刑冤罪である「福岡事件」のことを知り、その責任を背負う義務もまた市民にあるというべきです。
(2) 「福岡事件」で処刑されてしまった西武雄さんは、次のような俳句を残しています。
「叫びたし、寒満月の割れるほど」
どんなに誤判であると叫び続けていても、認めてもらえない怒りと悔しさにあふれています。しかも西さんの拘禁期間は実に42年半にも及びましたから、誤判であるとの叫びが届かない虚しさは、誰にも理解できるものではないでしょう。2005年に再び再請求をしたのですが、未だに再審開始がなされないままです。
死刑存置論の理由として、「誤判・冤罪が起こりうるのは死刑についてだけではない。司法制度全体の問題である」というものがあります。しかし、 この魂の叫びともいえる俳句と対峙すると、心から納得できる理由になりえないのではないかと思えます。冤罪によって処刑されてしまったことの不条理さ、再審がまるで認められない不合理さがある事実を十分に知ったうえで、「「法相は職務を全うしているだけ」などと、本当に言えるのでしょうか。
朝日新聞に抗議した市民は、本当に、死刑判決・死刑執行が生命を奪うという事実の重大さを理解しているのでしょうか。冤罪での処刑があるという事実(福岡事件、藤本事件)があるのに、日本において死刑制度を存続させている根拠が市民感情にあるという自己の責任の重さを本当に理解しているのでしょうか。
市民の側は、朝日新聞に対して抗議するのではなく、冤罪で処刑された唾棄すべき日、6月17日に、法務省(及び鳩山法相)が再び死刑を執行したこと自体を非難すべきであった、と思うのです。
朝日新聞6月18日付「素粒子」、その「死に神」表現に対して抗議した鳩山法相、鳩山法相の抗議にうかうかと扇動されて朝日新聞を非難
