この訴訟は、潮受け堤防撤去や堤防の排水門の常時開放、損害賠償請求を求めたものですが、本判決については、「判決確定から3年の間に諫早湾干拓事業で設置された潮受け堤防の北部、南部の排水門を開放し、5年間継続せよ。金銭的請求は棄却する」というのが主文です。
ですから、判決確定後、代替の防災工事などに要する3年間の猶予後という条件はありますが、5年間の常時開門を認めた点で勝訴となりました。ただし、「堤防撤去や漁業者への慰謝料の支払いについては認めなかった」のです。
この判決は、興味深い判断を行っています。
「諫早湾干拓事業訴訟:佐賀地裁判決(要旨)
有明海沿岸4県の漁業者ら約2500人が国を相手取り国営諫早湾干拓事業(諫干)による潮受け堤防排水門の常時開門などを求めた諫干開門訴訟で佐賀地裁が27日言い渡した判決の要旨は次の通り。(中略)
7 結論
(1)よって、主文のとおり判決する。
(2)なお、本件訴訟は、中・長期の開門調査自体を求めるものではなく、もとより本判決もこれを直接的に命じるものではないが、当裁判所としては、本判決を契機に、すみやかに中・長期の開門調査が実施されて、その結果に基づき適切な施策が講じられることを願ってやまない。」(毎日新聞 2008年6月28日 東京朝刊)
開門調査自体を求める訴訟ではないのに、本判決は、「国に中・長期の開門調査を速やかに実施するよう異例の付言をした」(東京新聞)のです。 こうしてわざわざ付言したのは、「被告が中・長期開門調査を実施して上記因果関係の立証に有益な観測結果及びこれに基づく知見を得ることにつき協力しないことは、もはや立証妨害と同視できると言っても過言ではなく、訴訟上の信義則に反するものといわざるを得ない」(判決要旨)からです。このように、訴訟での国側の不誠実な対応を厳しく非難したものとなっています。
こうした付言があることから、「司法が、完成した大型公共事業の見直しを迫る異例の判決だ。」(朝日新聞) という理解になったわけです。
なお、今回の訴訟は02年11月に提訴したもので、当初は工事差し止めを求めていたのですが、工事がほぼ完成したために、06年11月に請求を「堤防の撤去か開門」に変更したという経緯となっています(毎日新聞6月27日付夕刊)。さらに、05年10月には排水門の常時開門を求める仮処分も申し立てていたのですが、「佐賀地裁は同日、原告団が05年10月に同地裁に申し立てていた排水門の常時開門を求める仮処分は却下」(朝日新聞)しているので、仮処分については敗訴となりました。
2.解説記事を幾つか。(1)
毎日新聞平成20年6月27日付夕刊1面「解説」「「立証妨害」 国を批判
諫干と漁業被害との因果関係を一部認定し潮受け堤防の開門を国に命じた27日の佐賀地裁判決は、堤防閉め切り後の漁業不振にあえぐ漁民の訴えをくみ取り、既に完工した国の巨大事業に修正を迫った。堤防閉め切りから11年。漁民の中には生活苦とみられる自殺者も出ており、国は早期解決の道を探るべきだ。
潮受け堤防の影響を調べるためには、半年から数年にわたって堤防の排水門を開け、開門前後の海況データを集める「中・長期開門調査」が不可欠とされてきた。だが、開門の決定権を持つ国は調査を見送り、情報量で大きく劣る原告側は訴訟で困難な立証を迫られてきた。「因果関係を認めるに足るデータや資料の不在」を理由に、漁民側の訴えを退けた福岡高裁の判断(05年5月)や、公害等調整委員会の原因裁定(同8月)はその典型だった。
今回の判決は、こうした状態に風穴を開けた。判決は国の姿勢を「立証妨害と同視できると言っても過言ではない」と批判。中・長期開門調査に要する期間に相当する「5年間の開門」という結論を導き出した。【姜弘修】」
(2) 読売新聞平成20年6月27日付夕刊22面「解説」
「因果関係立証、国の怠慢批判
諫早湾干拓事業を巡る佐賀地裁の判決は、国が有明海の異変と事業の因果関係の立証を十分に行ってこなかった怠慢を批判した。
地裁が2004年8月に認めた干拓工事差し止め仮処分決定を覆した福岡高裁の判断(05年5月)でも、有明海の異変には一定の理解を示したものの、因果関係については「認めるに足りる証拠がない」とし、立証の壁にはね返されていた。
このため原告側は「諫早湾外側の島原沖で潮流が最大33%遅くなった」といった学者6人の最新研究結果を証拠として提出し、全員を証人として尋問するなど立証に努めた。判決は「原告らにより、諫早湾内とその近隣海域については相当程度のがい然性の立証が行われており、これ以上求めるのは酷」と評価した。
一方、国に対しては、福岡高裁も求めていた中長期の開門調査を実施しないなど、反証に努めない不作為を「立証妨害と同視できる」とした。
諫早湾内では15季連続でタイラギが取れないなど異変が続く。今回の判決に基づく開門で、閉め切り前後の潮流速比較など様々な環境影響調査が可能になる。
国は判決を真摯(しんし)に受け止め、巨大公共事業が引き起こした影響について、詳細な調査を実施しなければならない。(佐賀支局 本部洋介)」
いずれも、福岡高裁も求めていた中長期の開門調査を実施しないなど、反証に努めない不作為を「立証妨害と同視できる」として、国を厳しく批判する点を強調した解説となっています。
3.開門するとどうなるか、干潟は再生するのでしょうか。幾つか引用しておきます。
(1) 東京新聞平成20年6月28日付朝刊26面「こちら特報部」
「7キロの諫早堤防、250メートル開放でも 干潟の半分、再生可能 専門家予測
国営諫早湾干潟事業(長崎県)による漁業被害を認めた27日の佐賀地裁判決。湾の一部を締めきる「潮受け堤防」の排水門を調査目的で5年間開放するよう命じた。堤防の長さ7キロで2ヶ所の排水門の長さは合計250メートル。わずかなすき間のような排水門だが、開放で漁業被害は回復するのか、専門家に聞いた。 (鈴木伸幸)
ノリ養殖や二枚貝のタイラギ漁などへの漁業被害の元凶は堤防とされる。「自然の海水浄化装置であり、魚介類の産卵、成育の場」といわれる干潟が堤防によって消滅し、農業用水用の調整池に変わった。潮流の変化で水質は悪化。赤潮の発生率も急増した。
それが、専門家によると「排水門開放だけで諫早湾の環境はかなり改善される」という。
九州大学の経塚雄策教授(海洋環境工学)は「常時開門で、堤防がない場合の8割程度の潮汐(ちょうせき)変化が現れる」と話す。「ただし、常時開門では潮流が速すぎ、海底が掘り起こされるなどの問題が予想される。部分開門などで流速を制御し、調整池側の水位を調整しても、かつての半分程度の干潟が再生される」という。
干潟の再生は、それだけで望ましいが、潮流の回復にも大きな意味がある。例えばタイラギの不漁は、堤防周辺の潮流が鈍化したことによって海底にドロがたまったことが原因とされる。タイラギは砂地に生息し、稚貝も砂地でないと育たないからだ。中央水産研究所(横浜市)の元室長、佐々木克之氏は「潮流が戻れば、ドロは流されるようになり、粒が大きい砂だけが海底に残る。海底の低酸素状態も改善される」と予測する。
「そうなれば、タイラギのみならず車エビヤカレイなどにとっても望ましい環境。元に戻るとはいえないが、5年もあれば漁業被害はかなりのところまで回復する可能性が高い」
現在は、閉ざされている調整池は水質の悪化が問題となっていて「開門による湾の水質汚染」も懸念されるが「影響は一時的で、ほとんど問題はない」という。
海洋生物学が専門の元長崎大学教授、東幹夫氏も同意見だ。2002年の4月から5月にかけて27日間の短期開門調査が行われたが、大きな問題はなく、調整池の水質も半月ほどで改善したからだ。「短期間の実績があるので、漁業被害が回復に向かうことは明らか。現状の調整池では、水質が悪くて農業用水としても使えない。既に営農者がいるので、水の手当てを別に考える必要があるが、開門は改善に向けての第一歩」と話す。
■国側控訴なら実現は不透明
ところで、この佐賀地裁判決通りに排水門が開放されるかは、国側に控訴する可能性があり、まだ不透明だ。
国が2533億円をかけて造成した700ヘクタールの干拓地をわずか51億円で長崎県の公社に販売したこの事業。しかも、農業被害は甚大で「無駄な公共事業の典型」だ。それでも、この期に及んで抵抗するのか―。前出の佐々木氏は「農林水産省はメンツにこだわる。事業が間違っていたとはいわないでしょう」とため息をついた。」
(2)
毎日新聞2008年6月27日西部夕刊「◇十分な調査を−−経塚雄策・九州大大学院教授(海洋環境工学)の話
判決が指摘する通り、中長期開門調査以外に、有効な干潟再生策は見当たらない。国はこれまで「開門すれば、諫早湾に限らず有明海全域に予期せぬ被害をもたらす」と主張してきたが、流速や濁りを制御しながら水門を開けることは技術的に可能だ。5年間という開門期間も生物への影響をじっくり観察するのに十分で、漁民の望みにほぼ100%応えた判決と言えるだろう。
◇マイナス効果−−戸原義男・九州大名誉教授(干拓工学)の話
潮受け堤防を閉め切った後、背後地の農場では調整池が淡水化して地下水の塩分濃度が下がり、ようやく麦や大豆の栽培が定着してきた。開門調査すれば、再び塩分濃度が上がってしまい、再び低下させるのに数年はかかるだろう。開門調査の結果、有明海の環境や水産業へのプラス効果は未知数だが、一方で農業へのマイナス効果は確実に大きく、憂慮している。」
(3) こうしてみると、「2002年の4月から5月にかけて27日間の短期開門調査が行われたが、大きな問題はなく、調整池の水質も半月ほどで改善した」という実績からすれば、 「排水門開放だけで諫早湾の環境はかなり改善される」といえそうです。
「農業へのマイナス効果は確実」とされているようです。しかし、「農業生産に一定の支障が出ても、漁業行使権侵害に優越する公共性や公益上の必要性があるとは言い難い」(判決要旨)のですから、農業へのマイナスを理由として、開門調査を否定することはできないというべきです。
4.最後に。
(1) 裁判所が求めたこと(真意)はごく単純なことです。
「社説2 諫早干拓の開門調査に応じよ(6/28)
国営諫早湾干拓事業により有明海の環境が悪化し漁獲が減ったとして漁民らが起こした裁判で、佐賀地裁は事業の有用性に疑問符を付ける判決を出した。
国は判決を受け入れて干拓地と海を仕切る「潮受け堤防」を開門し、海の環境や漁業に与えている影響を数年かけて調査すべきだ。
裁判で争われた点は、堤防完成前後の各種データを比較・分析しなければ確かな結論は出せない。
判決は「堤防閉め切り前のデータが不足」と述べ、事前の環境評価の不十分さをまず指摘。そのうえで、堤防完成前の状態に戻してデータを集める「中長期開門調査」を国が行わないのは、被害を立証しようとする漁民らを妨害するのも同然で「訴訟上の義務違反」と断じた。
国がこの調査をしなかったのは工事続行を優先するためだった。判決は、反対派の声を無視して既成事実を積み重ねる公共事業の進め方を厳しく批判した格好だ。」(日経新聞平成20年6月28日付「社説」)
訴訟で「有明海の環境変化と事業との因果関係の有無」が争点となっているのだから、訴訟の当事者である国も立証せよ、すなわち
国が裁判制度を尊重するならば、国も訴訟の当事者として立証を行い、調査を行えということです。だからこそ、判決は、「中長期開門調査」を国が行わないのは、被害を立証しようとする漁民らを妨害するのも同然で「訴訟上の義務違反」と厳しく指摘したのです。
干拓事業は既に完成し、4月から約680ヘクタールに上る農地で本格的な営農が始まっています。開門すると農業生産や防災機能に支障をきたす恐れもあります。
しかし、それは、
国が「反対派の声を無視して既成事実を積み重ねる公共事業」をやってきた挙句のことなのですから、全面的に国の責任です。だからこそ、判決は「漁民らが受けている権利侵害を救済する方が公共性、公益性が高い」旨、判断したわけです。ですから、農業生産や防災機能に支障をきたすおそれは、調査のための開門を否定する理由になりません。
(2) 諫早湾干拓事業は、国の失敗した事業の1つです。
「独立行政法人の科学技術振興機構が「失敗百選」というホームページを無料公開している。技術者間で事故や失敗の教訓を共有するのが本来の目的だが、平易な文章と図解は門外漢でも十分読める。タイタニック号や日航ジャンボ機墜落などの閲覧者数が多い。
▼この百選に諫早湾干拓がすでに堂々「入選」している。食料自給率を上げるには増える農産物と減る漁獲高の得失差はどうか。防災効果はどれほどか。そんな問題提起の後、国は社会情勢や環境の変化に対し機動的に配慮すべきであるとの結論を導きだしている。「一時しのぎはかえって悪循環を招く」ともいう。」(日経新聞平成20年6月28日付「春秋」)
失敗した事業をいつまでも続けて、調査さえも拒むことは、「国の責務」を果たしていることにはなりません。
「一度着工すると見直しを拒み、国が果たすべき役割をおろそかにする点は、他の大規模公共事業にも通じる問題だ。例えば、国土交通省が建設を強行しようとしている淀川水系の四つのダム問題でも、有識者委員会が求める環境に配慮した代替案の検討を同省は拒んでいる。
費用と効果の関係や環境面について関係者の疑問を解消することは国の責務である。今回の判決は公共事業に対する国のかたくなな姿勢への警鐘でもあると受け止めたい。」(日経新聞平成20年6月28日付「社説」)
佐賀地裁が求めたこと(真意)は、国が裁判制度を尊重するならば、国も訴訟の当事者として立証を行い、調査を行えということですが、「今回の判決は公共事業に対する国のかたくなな姿勢への警鐘でもある」ということになるといえそうです。
<追記>追記として、
諫早湾干拓事業訴訟・判決要旨 (【共同通信】(2008/06/27 12:01))を引用しておきます。
「判決要旨 諫早湾干拓事業訴訟
諫早湾干拓事業訴訟で佐賀地裁が27日言い渡した判決の要旨は次の通り。
【主文】
判決確定から3年の間に諫早湾干拓事業で設置された潮受け堤防の北部、南部の排水門を開放し、5年間継続せよ。金銭的請求は棄却する。
【漁業権に基づく妨害予防・排除請求の可否】
第三者が漁業行使権を侵害したときは、組合員は妨害の予防や排除の請求権を行使できる。
【人格権、環境権などに基づく請求の可否】
潮受け堤防閉め切りによる有明海への影響や漁業被害は、原告らの身体的人格権を直接侵害するものではない。環境権は権利として認める明文の規定がなく、無限定に絶対性、不可侵性を有する権利とするのは困難。
【有明海の環境変化と事業との因果関係】
堤防閉め切りの前後で諫早湾などにおける赤潮の年間発生期間などが増えたが、その原因を特定できるほどに科学的知見の集約が行われていない。閉め切り前のデータが不足し、有明海の環境変化との疫学的な因果関係を認めることは困難。
もっとも、諫早湾内とその近場の環境変化との因果関係は相当程度の蓋然性の立証はされているものというべきだ。
中・長期の開門調査以外に潮受け堤防の影響に関する観測結果と科学的知見を得るのは難しく、原告にこれ以上の立証を求めることは不可能だ。
開門調査は事業と有明海の環境変化との因果関係を調べるために有用性が認められる。被告が開門調査を実施せず、因果関係立証に協力しないのは立証妨害と言っても過言ではなく、訴訟上の信義則に反する。被告が開門調査などで反証しない現状では、諫早湾内と周辺の環境変化と本件事業との間に因果関係があるとの推認が許される。
開門調査による観測・現地調査は、調整池が海域への生態系移行で最低2年間、その後の調査にも最低3年間が必要とされる。5年間に限り排水門の開放を認容できる。
【漁業被害と事業の因果関係】
事業は諫早湾および周辺で魚類の漁船漁業、アサリ採取、養殖漁業の環境を悪化させている。一部の原告には漁業被害を認定できる。
【潮受け堤防の閉め切りの公共性】
排水門を常時開放しても潮受け堤防の防災機能は新たな工事施行で代替できる。農業生産に一定の支障が出ても、漁業行使権侵害に優越する公共性や公益上の必要性があるとは言い難い。防災機能代替工事を考えれば、判決確定から3年間は排水門開放を求めることはできない。
【中長期開門調査に対する期待権侵害の有無】
農林水産省の有明海のノリ生産に関する第三者委員会の設置は原告らの利益のためではなく、委員会の見解も「認識と要望」「提案」にすぎない。原告の期待が法的保護の対象とは言えない。
【付言】
判決を契機に、速やかに開門調査が実施され、適切な施策が講じられることを願ってやまない。
2008/06/27 12:01 【共同通信】」
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