2.今後の立法化の見込みについて最も詳しい記事は、次の朝日新聞の記事です。
(1) 朝日新聞平成20年3月8日付朝刊3面「あしたを考える」欄(14版)
「代理出産 議論進むか 学術会議 立法提案
代理出産は法律で原則禁止すべきだ――。日本学術会議の検討委員会は1年以上の審議の末、報告書で政府、国会に法による規制を求めた。代理母に生命の危険を負わせかねないし、生まれてきた子どもへの影響もはっきりしないからだ。しかし、国内では容認論も根強く、合意形成は簡単ではない。 (市川美亜子、武田耕太、竹石涼子)
◆頼みの国会は消極姿勢
「早く国会でこの問題が取り上げられ、立法化に向かって進んでいくことを願っている」
審議を終えた日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」の鴨下重彦委員長(東京大名誉教授)は、今後の国会の議論に期待を込めた。
代理出産ではこれまで「子どもを持つ権利」「産む権利」など、もっぱら親側の事情が強調されてきた。これに対し、検討委は代理母、生まれてくる子どもという他の主役たちの権利や福祉を最大限考慮すべきだとの立場をとった。
妊娠と出産は生命の危険が伴う。それを代理母という第三者に負わせるにもかかわらず、安全性について「科学的基盤に立った比較研究はほとんどなされていない」と報告書はいう。胎児や子どもへの影響も「明確な研究はほとんどなく、不明なことが多い」と指摘した。
報告書は規制のための生殖補助医療法(仮称)の制定と、営利目的の場合は依頼者、仲介者、実施医師への処罰を求めたが、主役の一人である代理母は「被害者」とし、処罰対象からはずした。代理母の権利や福祉を最大限考慮した結果だ。
しかし、検討委の期待とは裏腹に、法制化への道筋は見えてこない。
検討委は06年末、長勢法務相と柳沢厚生労働相(いずれも当時)の要請で発足した。タレントの向井亜紀さん夫婦が代理出産で双子をもうけ、その出生届を東京都品川区に拒否されたことなどがきっかけだった。
発足後まもない昨年3月に厚労省が実施した国民の意識調査では、代理出産を「社会的に認めてよい」とした人は54%、「認められない」は16%。容認論は根強い。
厚労省の幹部は「この結果(報告書)を踏まえて何もしないわけにはいかない」としながらも、「おばあちゃんが(娘の卵子を使った代理出産で)孫を産んで、みんな幸せなどと話しているし、いろいろな立場の人がいろいろな意見をもっている」と言う。
法務省の幹部は「結局、この話を動かそうと思ったら、議員立法などの動きが出て国民的な議論が巻き起こるしかないのではないか」と話す。
舛添厚労相は「最終的には一人ひとりの国会議員の1票ということになる。(報告書は)その前提としてのひとつの議論の材料だと受け止めてもらいたい」と述べた。
しかし、議員らは「党内でも意見集約できない」「国会で議論するという認識すらない人がほとんど」――。漏れてくるのは、消極的な声ばかりだ。
「歴史は繰り返す、になるんじゃないの」。東京都内の総合病院の産科医は冷ややかだ。
代理出産の「原則禁止」を打ち出したのは、今回の検討委が初めてではない。厚労省の審議会が03年に報告書にまとめ、日本産科婦人科学会も会告で禁じた。
だが、国会での議論は異論が続出して進まず、結局、棚上げされた。
諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘(やひろ)院長は、これまで8組の代理出産を実施している。
根津氏は報告書の公表を受け、「医療を必要とする当事者と民意を反映していない結論。今後もガイドラインに従い(代理出産などの生殖補助医療を)続けていく」と述べた。また、禁止が法制化されても「悪法なので従うつもりはない」と語った。
◆試行どうする■子供の権利は 検討課題、なお残る
原則禁止をうたいながら、報告書は代理出産の「試行的実施」に道を残した。代理出産の危険性を知る研究がほとんどないのだから、国などの公的管理下で実施してデータを集めることも重要だという理由からだ。
検討委では「子宮がなく、代理出産以外に血縁のある子どもを持てない女性の権利まで法律で一律に否定できない」という意見もあった。また、試行的実施の制度があれば実態先行の歯止めになる。将来、再検討する余地も残せるなど、さまざまな思惑が背景にある。
しかし、いったいどんなやり方があるのか。
法務省の幹部でさえ「そもそも『禁止しながら、試行する』ということ自体が矛盾しているのではないか」と驚く。
営利目的の代理出産の依頼者、仲介者、実施医師に科すとした処罰の中身もはっきりしない。
報告書は、医師については医師法や健康保険法を「積極的に運用」した行政処分を考慮すべきだとの方向性は示したが、依頼者や仲介者への処罰がどんなものかにはいっさい触れず、鴨下委員長も「新しい法律に委ねる」と述べるにとどまった。
積み残した課題は、これだけではない。
たとえば代理出産を法律で禁じても、実施する夫婦がいて、子どもが生まれてくる可能性はある。その子どもが「自分はだれから生まれたのか」を知りたいと考えた場合、「子どもの権利条約」が定める「出自を知る権利」を、どこまで明確に保障すべきなのか。報告書は「今後の重要な検討課題」としただけだ。」
(2) この記事は大きく2つに分かれています。
前半は「立法化の道筋は見えてこない」こと、
後半は報告書に論理矛盾があり、「積み残した課題」が多いことです。
イ:
「厚労省の幹部は「この結果(報告書)を踏まえて何もしないわけにはいかない」としながらも、「おばあちゃんが(娘の卵子を使った代理出産で)孫を産んで、みんな幸せなどと話しているし、いろいろな立場の人がいろいろな意見をもっている」と言う。(中略)
添厚労相は「最終的には一人ひとりの国会議員の1票ということになる。(報告書は)その前提としてのひとつの議論の材料だと受け止めてもらいたい」と述べた。
しかし、議員らは「党内でも意見集約できない」「国会で議論するという認識すらない人がほとんど」――。漏れてくるのは、消極的な声ばかりだ。
「歴史は繰り返す、になるんじゃないの」。東京都内の総合病院の産科医は冷ややかだ。
代理出産の「原則禁止」を打ち出したのは、今回の検討委が初めてではない。厚労省の審議会が03年に報告書にまとめ、日本産科婦人科学会も会告で禁じた。
だが、国会での議論は異論が続出して進まず、結局、棚上げされた。」
「おばあちゃんが(娘の卵子を使った代理出産で)孫を産んで、みんな幸せなどと話している」という点は重要です。海外での過去の事例はともかく、この事例のように、日本での代理出産では当事者すべてが幸福なのですから、日本では禁止する理由が見当たらないことになるからです。
このように、厚労省の幹部としては、いくら報告書が代理出産を原則禁止を主張しようとも、日本で禁止する理由がない以上、報告書どおりの内容を実現することは難しいというわけです。もちろん、生殖補助医療は人それぞれが有している多様な価値観によって判断が異なりますし、日本国民の多くが無宗教だったり多様な宗教観が混在していることから、宗教観に基づいた意見統一は不可能です。日本では、元々、生殖補助医療の立法化は難しいのです。
生殖補助医療に関する立法化が困難な最も大きな理由は、不妊治療・生殖補助医療に関する理解が乏しい議員があまりにも多いという点です。議員が「党内でも意見集約できない」「国会で議論するという認識すらない人がほとんど」と消極的になるのは、日本の国会議員は男性ばかりであり、一般的に男性にとって不妊治療・生殖補助医療は切実感が乏しいからです。不妊の原因が、その半数が男性不妊又は双方ともに原因があるのにも関わらず。
どんな病気の治療であっても病院に通うのですが、こと婦人科、特に不妊外来はデリケートです。例えば、妊娠中の女性と同じ待合室で何度も待つことはとても耐えられないことですから、産科・婦人科の入り口・待合室が分けている婦人科を有する病院が多数あります。そういった事実をどれだけの男性(国会議員)が知っているのでしょうか。
不妊治療の実態について、不妊治療を行っている医師の言葉を引用しておきます。
「不妊治療はジェットコースター的というか、毎月毎月が勝負なわけですから、“うまくいくかな?と思ったら生理が来てガタッと落ち込む”ことの繰り返しで、非常に大変だと思います。どこまで続くかわからない治療なので、それを一人で折り合いをつけるというのは、よほど強い人間でなければ出来ない。ですから自分の中で、いろんな逃げ道――相談できる人や、癒されるオアシスみたいな場所というものを常に持っていないとやってゆけないものです。でもそれは、なかなか難しい。」(一本木蛮『戦え奥さん!!不妊症ブギ』188頁)
このような大きなストレスを抱えているカップルは、2人の間で意見がぶつかり合いギスギスした状態になり、親や親戚、友人などにとって何気ない言葉であっても、精神がおかしくなるほど傷ついていることがあまりにも多いのです。不妊治療も最初は保険適用がありますが、人工授精などに至ると保険適用外となり、(肉体的負担も含め)経済的負担が大きくなるため、余計に精神的ストレスを増加させます。
例えば、「自然の摂理に反する」(日弁連)とか、「子供が出来ないのは運命だ」などと発して、代理出産だけでなくて不妊治療全般につき否定する主張もあります。しかし、このような言葉は、代理出産の是非に関わらず、多くの不妊夫婦を手酷く傷つけているのです。一体、どれだけの国民が不妊夫婦のことを思い遣り、不妊夫婦が傷ついてることを知っているのでしょうか。
このように、
代理出産の是非を含め、生殖補助医療に関する立法をするためには、不妊夫婦の置かれている現状をまず十分に知ってから決定する必要があるのです。(不妊夫婦は、代理出産を否定するブログにひどく傷ついています。「代理出産は寄生出産である」などと揶揄するブログは、不妊治療の実態や不妊夫婦の心情を全く知らないのでしょう。知っていれば、不妊夫婦を傷つける可能性のある言葉を使わないはずですから。)
ロ:
「法務省の幹部でさえ「そもそも『禁止しながら、試行する』ということ自体が矛盾しているのではないか」と驚く。
営利目的の代理出産の依頼者、仲介者、実施医師に科すとした処罰の中身もはっきりしない。
報告書は、医師については医師法や健康保険法を「積極的に運用」した行政処分を考慮すべきだとの方向性は示したが、依頼者や仲介者への処罰がどんなものかにはいっさい触れず、鴨下委員長も「新しい法律に委ねる」と述べるにとどまった。
積み残した課題は、これだけではない。
たとえば代理出産を法律で禁じても、実施する夫婦がいて、子どもが生まれてくる可能性はある。その子どもが「自分はだれから生まれたのか」を知りたいと考えた場合、「子どもの権利条約」が定める「出自を知る権利」を、どこまで明確に保障すべきなのか。報告書は「今後の重要な検討課題」としただけだ。」
報告書には多くの欠陥があります。
まず、報告書によると、代理出産が代理母及び子供にとって危険が大きいから、代理出産を「禁止」したとしています。その理由からすれば、そんな危険な医療行為は「施行」すらできないというのが論理的な流れです。ところが、代理出産を「施行する」ことを認めるのですから、法務省の幹部が論理矛盾だと指摘するのは当然のことです。このような論理矛盾を抱えた報告書では、およそ報告書に従った立法化は困難です。
報告書では、営利目的の代理出産の依頼者、仲介者、実施医師を処罰するとしました。しかし、その処罰の中身は不明確なままですから、そのままでは立法はできません。鴨下委員長は「新しい法律に委ねる」と述べていますが、それは国会議員にまるまる白紙委任したものであって、実に無責任です。
もっとも、刑罰の中身としては、医師に対しては刑罰というよりも行政処分を、すなわち「保険医の登録を取消すことができる……医師の保険医の指定を取消すことが可能となる。」ことを予定しているようです。しかし、保険医の登録の取消しとは、保険診療に関する不正行為などに関係することに限定されます。ですから、保険診療に関係のない代理出産に関し、保険医の取消しをすることは、論理的に不可能です(「学術会議報告書に対する批判書」より)。ここでも報告書のいい加減さが現れています。
報告書の最大の欠陥は、報告書は代理出産(「ホストマザー」のみ)以外の生殖補助医療につき何も決めなかったことです。
「生殖補助医療」としては、夫婦の精子・卵子・胚のみを用いるものと提供された精子・卵子・胚を用いるものがあり、また、人工授精、体外受精、胚の移植、代理出産等様々な方法があります。しかし、報告書は、代理出産以外は白紙のままです。しかも、報告書で規制した「代理出産」でさえ、「ホストマザー」のみ予定しており、「サロゲートマザー」の規制も白紙です。子供が出自を知る権利の保障の有無も決定していません。
こんな欠陥だらけの報告書では、報告書に沿った生殖補助医療全般に関する立法化は不可能です。
3.立法化の見込みがほとんどない以上、各医療機関は、独自のガイドラインに基づいて生殖補助医療を実施していくことになります。では、
遠い将来の立法論としては、どういう立法が好ましいのでしょうか? まずは、諸外国の現状を知っておく必要があります。
(1) 朝日新聞平成20年3月8日付朝刊3面「あしたを考える」欄(14版)
「各国どう対応 割れる欧米/アジアは実態先行
向井亜紀さんは米国ネバダ州の医療機関で卵子を採取し、米国女性に代理母を依頼した。米国は代理出産が最も盛んな国のひとつだが、それでも、すべての州でできるわけではない。
東京大医科学研究所の武藤香織准教授らが昨年11月にまとめた調査では、代理出産を州法で容認しているのは14州で、法の定めがない州まで含めても容認派は31州。否定派は5州と首都ワシントン。残りの14州は「態度不明」だった。
世界に目を向けると、イギリスは「非営利」などの条件付きで容認。一方、フランスは「人体尊重法」に基づき、すべての代理母契約は無効で、仲介も禁じる。
アジアの韓国、台湾の状況は日本に近い。明確な法の規定がないまま代理出産が行われている。
報告書によると、ドイツ、イタリアなども代理出産を禁じている。
代理出産の依頼者と生まれてきた子どもの親子関係のあり方も、国によって違っている。
向井さんは、ネバダ州の裁判所で実の親子と認められた。しかし、日本では、母子関係は分娩(ぶんべん)によって成立するとされ、最高裁は実の親子と認めなかった。
出産女性を母親とするのは、世界ではむしろ一般的だ。代理出産を認める英国でも母親は代理母で、引き渡しを拒む権利もある。依頼者は生まれた子どもと養子縁組するか、裁判所で親決定命令を受けるのが基本だ。
フランスでは判決に基づき、かりに代理出産で子どもが生まれても、基本的には依頼者との養子縁組さえ許されない。
武藤准教授は「代理出産で生まれた子どもを、裁判所での手続きなどを経ずに実子と届け出ることを認めている例は、まずない」と言う。(「代理出産をめぐる世界の状況」についての図表は省略)」
各国の立法対応は様々ですが、もう少し細かく理解しておく必要があります。例えば、英国は、「非営利」などの条件付きで容認としていますが、代理母への正当な経費や保障の支払いは禁じていませんし、2007年に代理母の募集広告は認めています(石原 理・他『卵子提供,代理懐胎(IVFサロガシー)の実態と展望』 臨床婦人科産科2007年12月号(61巻12号)1499頁)。このように全くの無償ではなく、広告も可能など営利性に近づいた対応を認めているのです。
また、代理出産を罰則付きで禁じているフランスでさえ、年間200〜400組という多数のカップルが、240〜320万円で代理出産を依頼しています(読売新聞平成19年4月29日付(日曜)15面「生命を問う 不妊治療(2)」)。同じように代理出産を禁じているドイツも、多くのカップルが米国やベルギーで代理出産を行っており、結局は、いくら規制しようとも、どこの国の市民も規制のない国で代理出産を依頼するのです。このように、フランスやドイツでも、結局は代理出産を禁止できていないという事実は、どこの国でも妥当することなのです。
この記事では触れていませんが、ほとんどのヨーロッパ諸国では配偶子(精子及び卵子)の提供は認めており(ただし、ノルウェーでは卵子提供は禁止)、日常診療として確立していることも知っておく必要があります(臨床婦人科産科2007年12月号(61巻12号)1497頁)。
(2) 生殖補助医療に関する立法に当たり、
最優先で決定すべきことは、生殖補助医療を行った場合で生まれてきた子供の法的地位を明確にすることです。
「日本における第三者の関与する生殖医療について行われる議論の中心は、いまだに第三者が関与することの倫理的問題となることがしばしばある。しかし、完璧な結論や完全な合意など永遠に成立するはずもないこの議論に、いつまでも拘泥している間に、毎日、現実に子供たちが誕生している。
直ちに着手すべきことは、生殖医療の発展に伴って「拡大した親子関係」を子どもたち当事者の利益を守るという視点に立って、法的に明らかにすることである。親子の定義としては、おそらく分娩した女性を子どもの母親と規定することが最も合意が容易であろう。しかし、(生物学的でない)社会的な母親と父親の権利と義務を同時に明確化することが、第三者配偶子による子供たちばかりでなく、養子やさまざまなステップファミリーを含む家族において、暗黙の了解や思い込みによるトラブルを回避する有用な術となろう。日本の社会においても、性同一性障害者の性別変更が可能になったこともはじめ、「多様な家族のあり方」が現実として存在していることを社会はすでに認知している。したがって、生殖医療に関する法的規制の内容についての議論は、「親子法」のあとでも、決して遅くはないと考える。」(臨床婦人科産科2007年12月号(61巻12号)1500頁)。
子供にとって最大の利益が得られるようにすることが望ましいと考えるのであれば、養育監護する意思のある者(社会的な母親と父親)を法律上の親と定めて、権利義務を定める方が妥当です。それが、生殖医療に伴う子供だけなく、様々な親子関係での法的身分関係に関する紛争を解決することにつながるのであり、また、国際社会と同様に日本社会も、「多様な家族のあり方」が現実として存在していることをすでに認知しているのですから、その多様な家族関係をそのまま反映すべきだからです(
「海外における配偶子提供の現状〜学術会議報告書素案が子の出自を知る権利や配偶子提供の是非につき沈黙したのはなぜか?」参照)。
(3) 生殖補助医療のあり方を決定するに当たっては、「子供を持つということはどういう意味なのか」が根本的な価値観です。この価値観をどう考えるかこそが、最も大事な点です。2つの考え方があります。
イ:生殖自体、生物としての人(ヒト)の最も基本的な営みであり、子供を持つことは生殖として人間として本源的な欲求である→個人の自由の問題であるため、原則として生殖補助医療は自由
ロ:生殖問題は知識のある医師又は国家が患者に温情的に実施すべきものであり(パターナリズム=父権主義)、子供を持つことは国家・社会政策の一環である→国家の統制下・自由裁量下におかれる問題であるため、生殖補助医療は原則として禁止(又は全面禁止)
イのように生殖は個人の自由であるとすると、その反面、子供を育てるのは基本的に親の責務ということになります。他方で、ロのように、生殖は国家統制によるとすると、子供を育てるのは基本的に国の責務ということになります。代理出産否定者は、「ロの考え方」とつながる主張が常に見え隠れしています。
日本国憲法の価値観は、憲法上、自己決定権を認め、多様な価値観を肯定しているのですから、イの考え方を採用しています。ですから、イの方向性が好ましい立法なのです。
遠い将来の立法論としては、このようなイの方向性での立法が好ましいといえます。
(4) 最後に、気になる点に触れておきます。
不妊治療・生殖補助医療全般に言えることですが、「不妊治療は第三者が強制していることが多い」とか「『家』を重視する日本で、自己決定が完全な自由意思でなされるか疑問」と言った根拠を主張することが未だに多いことです。このような根拠を主張することはもう止めるべきです。
生殖医療に限らず、人が物事を選択したり、人生の方向性を選択するなど人間の人生におけるあらゆる場面において、他人の言動や環境などから影響されることなく、全く自由に決定することはあり得ません。慎重に物事を決定しようとするならば、経験ある他人の意見を踏まえたうえで総合的に判断することになるからです。
日本社会がいくら未成熟とはいえ、生殖補助医療を当該夫婦が希望し、代理出産依頼夫婦と代理母希望者の3者が同意している代理出産を最初から全面否定してしまうこと自体が疑問です。未成熟な社会だからとか、日本女性は自由を十分に行使できないからなどといって自己決定権を主張すること自体を否定していたら、基本的人権は認められることはなかったのですし、新しい人権なんて全く認められなくなるという不当な結論になってしまいます。
生殖補助医療(代理出産を含む)に対して差別があったり、権利行使が十分にできない状況にあるのであれば、差別を除去し権利保障を図るよう努めるのが、国家の責任であり、日本国民としてなすべきことなのです。
「不妊治療は第三者が強制していることが多い」などという主張は、不妊治療行っている不妊夫婦を傷つけるものであって、偏見に満ちています。不妊治療はカップル自身が主体性をもって決定すること。これが不妊治療を行うカップルの基本原則であることを全く理解していません。不妊治療は妊娠できたらもちろん嬉しいことですが、妊娠できなくてもそれでいい、早く不妊治療という終わりのないレースに決着を付けたい、自らの意思で決断したものであれば、結果がネガティブでも冷静に受け止めることができるのです。
-- 続きを閉じる --