Because It's There
主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2006/12/21 [Thu] 06:08:17 » E d i t
作家の笙野頼子さんが、坂東氏の子猫殺し問題について、小説や文系か協会などで言及しているそうです。期せずして、12月19日付夕刊の毎日新聞と東京新聞の両紙において、笙野頼子さんの発言に言及したコラムを載せています。この2紙のコラムを紹介します。


1.毎日新聞平成18年12月19日付夕刊4面

 「批判の言葉研ぎ澄まして 笙野頼子さん「竜の箪笥を、」発表

 作家の笙野頼子さん……が小説「竜の箪笥を、詩になさ・いなくに」(『新潮』12月号)を発表した。「家を絶やした」などと責められる「私」の悪夢を切り口に、「竜」「猫間引き」などが出る奔放な笙野ワールドを展開。子猫殺しをエッセーで告白した女性作家の行動に作品で異をとなえた形だ。

 「竜の箪笥を、――」では、「愚劣なエッセーの事」として女性作家の主張に言及。
<子猫虐待を非難する人間が肉食し害虫を駆除するその矛盾、偽善でしたっけか、つまり牛と猫と害虫を差別しないという事ですよね、でもだったら本人が牛飼えばいいじゃないですか(中略)どうして猫を選んでわざわざ飼う、殺すのか、なぜそこで猫なのかという話なのですよ>

 ナマの批判の言葉を直接相手に投げるのではなく作品に取り込む。批判の言葉は小説の一要素として相対化され、結果的に客観性を帯びた形に研ぎ澄まされる。

 笙野さんは11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会でも「人間社会の柔らかい部分を踏みにじって得意になる風潮が心配だ」などと発言。『ちくま』の連載小説や、すばる新人賞の授賞式講評などでも子猫殺しに言及し、一貫したスタンスを崩さない。

 「避妊手術のない時代の猫間引きは、神仏に祈ったり謝罪したりしていた。その心を忘れ(子猫殺しを告白した作家のように)合理主義のふりをして虐待を正当化し生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのままです。私なりにささやかな抵抗をしたい」  【米本浩二】」


笙野さんは、坂東氏のエッセーを「愚劣なエッセーの事」と評価したわけですが、そのまま「愚劣」と批判するのでなく、小説の一要素として取り込んだ形で表現したようです。小説家らしい方法です。

笙野さんはは、11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会、『ちくま』の連載小説、すばる新人賞の授賞式講評、といったようにずっと、ことある毎に言及し続けています。多くの人が坂東氏の子猫殺しに対して言及することがなくなってきている状態において、ずっと言い続けているのです。

このコラムの中で、この部分は忘れることなく心にとどめておきたいと思っています。

 「避妊手術のない時代の猫間引きは、神仏に祈ったり謝罪したりしていた。その心を忘れ(子猫殺しを告白した作家のように)合理主義のふりをして虐待を正当化し生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのままです。私なりにささやかな抵抗をしたい」


古来から日本の動物観は、どんな動物でも命あるものとして尊重し、供養を行ってきていました。例えば、動物供養で有名な回向院は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院ですが、その理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」であり、その理念は現在までも守られてきているのです。

坂東氏が言うような「目が見える前なら殺してもいい」のではなく、神仏に祈ったり謝罪したという心こそ重要だったのです。坂東氏の言い分は、自分に都合よく解釈しただけの「虐待の正当化」であって、日本古来の動物観と合致しないのです。

坂東氏は、日本古来の意識を知らず、タヒチに逃げて自分勝手な言い分を吐き出しているだけであって、「生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのまま」です。坂東氏は、日本にいられずにタヒチに逃げても、心情はすさんだままであって、すさんだ日本の世相から離れておらず、結局は心情はタヒチに存在しないのであって、日本社会に害悪を撒き散らしているだけなのです。



2.東京新聞平成18年12月19日付夕刊8面「大波小波」欄

 「動物愛護作家

 文芸家協会ニュース663号が11月理事・評議員合同会の議事録を記載しているが、そこに評議員である笙野頼子の発言の記録がある。坂東眞砂子が日本経済新聞に書いた例の猫殺しのエッセーについてである。

 あのエッセーについては「ひどい」というバッシングがマスコミで起こったが、その反動からか、ネット上では擁護や絶賛の意見が出はじめた。真面目(まじめ)な意見もあるが、揶揄(やゆ)やかからかい交じりの論調も少なくない。たとえば戦争で多くの人間が死んでいる時代に、「たかが猫のことで泣いていて、それでいいのか」といった論調だ。そのことを憂える笙野の発言である。

 死や不幸をからかいのネタにするホームページとして、最近も被害者児童の死を冒涜(ぼうとく)した小学校教諭の報道があったばかりだ。ネットという匿名世界では、人間の最も醜悪な表現が野放しになる危険が常にある。しかもネットの言説は人心に深く静かに浸透していく。そういう人間社会の闇の部分を直視して描き出すのが、じつは文学の重要な仕事でもある。心を痛めた笙野は「小説を2つ書いた」という。

 猫や小動物が殺害されるのは人が狙われる前兆だという。たかが猫とは言えまい。存在感のある発言だった。  (野良猫)」



坂東氏の行動は、「死や不幸をからかいのネタにするホームページとして、最近も被害者児童の死を冒涜(ぼうとく)した小学校教諭」とさほど変わりません。坂東氏は、文藝春秋12月号でのエッセーにおいて、子猫殺しは「シートベルト無着用と同程度の罰金」だとうそぶいて、あたかも騒ぐほうがおかしいといわんばかりに、命を軽視する発言をしているのですから。

子猫殺しを「罰金程度」と平気で正当化し、醜悪な表現が野放しになり、その果ては被害者の死を冒涜することも平気になっていくのです。笙野さんは、そんな状態はおかしいと批判し続けているのです。


「猫や小動物が殺害されるのは人が狙われる前兆」と指摘していますが、これは動物虐待研究の成果としてよく言われている点です(「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題〜犯罪抑止力としての動物虐待研究(東京新聞9月12日付)」参照)。動物虐待研究の成果からは、<1>子どもの発達との関係、<2>犯罪との関係、 <3>小児虐待やDV(家庭内暴力)との関係、<4>精神疾患との関係があることが分かって来ているのです。

動物虐待をを正当化したり、大して悪いことではないと喧伝すると、動物虐待を行う者が増加する可能性が高くなります。動物虐待は、対人暴力、特に凶悪犯罪を行う前兆ですから、「動物虐待を根っ子から絶つためには教育の関与が重要」となります。
それなのに、動物虐待を正当化したり、大して悪いことではないと喧伝すると、動物虐待を助長するような教育効果を持つことになり、凶悪犯罪を抑止できず、凶悪犯罪を増加する結果を生じかねないのです。



3.坂東眞砂子氏の子猫殺しは、(日本で行えば)「みだりに殺し」にあたり、動物虐待罪(44条1項)に当たる犯罪行為です「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(下)〜「物」から「者」への狭間で」参照)。 何匹もの犬猫を殺害して、犯罪を繰り返し行っているのに、そのような虐待を正当化し、生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度でいるのですから、坂東氏の行動は極めて悪質です。

笙野さんが

「私なりにささやかな抵抗をしたい」

と述べているのに習って、私も「坂東氏の子猫殺しは悪質な犯罪行為である」とブログで指摘し続け、ささやかな抵抗をしていきたいと思います。



<12月25日追記>

笙野頼子非公式ファンサイト「笙野頼子ゐき」さんの「Stastement/笙野頼子発言 笙野頼子/坂東眞砂子「子猫殺し」事件についての発言」では、11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会での発言が全文掲載されています。ぜひご覧下さい。

東京新聞12月24日付「読書欄」10・11面には、評論家、法律・文学・経済学・精神医学・美術史・宗教思想などの教授、作家合計25名が、「2006 私の3冊」について書いています。その中で、笙野頼子さんがここでも言及しています。一部引用します。

 「さあ年末回顧です。愚劣なエッセー書いて動物虐待行為だけを問題にされた、猫投げ作家っていたっけかっ、ふん!」

だそうです。
確かに、坂東氏の話題は「動物虐待行為だけ」でしたら、坂東氏といえば、今後は「直木賞作家の坂東」ではなく「猫殺しの坂東」という名称が定着するかと思います。もっとも、ネット上だと、坂東氏のセックスに対する激しい執着心も話題になりましたが(苦笑)。

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2006/11/06 [Mon] 05:13:26 » E d i t
米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督(67)が、「スポーツニッポン」の単独インタビューに応じて、直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題を含めて、動物虐待問題について語っていました。この記事についてコメントしたいと思います。

1.「スポーツニッポン」(平成18年11月5日付(日曜)28面)

「ベンジー」監督 動物虐待に激怒  直木賞作家・坂東眞砂子さんは「冷酷」

 人間と犬のふれあいを描いた米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督(67)が4日、都内で本紙のインタビューに応じ、日本での動物虐待問題を糾弾した。

 「信じられない。理解すらできない」。最も語気を強めたのが、仏領タヒチ在住の直木賞作家・坂東眞砂子さん(48)に対して。新聞のコラムで、飼っている猫が産んだ子猫を崖下に投げ捨てているという告白などを聞きつけ「非人間的であり冷酷。どんな状況下であれ許されないこと」と憤慨した。坂東さんが主張した「(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差」との発言にも反論。「全く違うレベルの話で、殺人とイコール。彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と断罪した。

 また、約500匹もの犬が十分な世話を受けずに衰弱していた「ひろしまドッグぱーく」(広島市)に対しても「身震いがする」とまゆをひそめる。ただ、先月28日に犬の管理をしていた業者が刑事告発されたと聞き「問題が取り上げられることで、一般の認知が広がる。草の根レベルから話をし続けて、動物を愛し育てるシステムをつくってほしい」と訴えた。

 キャンプ氏は30年以上、捨て犬や野良犬に飼い主を見つけるための運動を続けている。ベンジー役の犬もすべて動物保護施設で発掘、撮影後も自宅で家族として育てた。74年の第1作公開時には全米で犬約100万匹の飼い主を見つけている。
[ 2006年11月05日付 紙面記事 ] 」



2.映画『ラブいぬ ベンジー はじめての冒険』が11月11日、公開になることから、ジョー・キャンプ監督が来日したようです。

(1) 今回の映画のあらすじは、

 「お話は、ミシシッピー州のある悪質ブリーダー(というか繁殖屋)の犬舎を舞台に、誤って風来坊の雑種犬との間に生まれてしまった“はじかれ者”のベンジーが、無理な多交配がもとで身体をこわしてしまった母犬の危機を救うため、捨て犬のベロンチョと協力して奮闘するというもの。
ベンジーの活躍を支えてくれるのは、ちょっとお間抜けでドジな動物保護官(アニマルコントロール)の二人組と近隣に住む心やさしいフィンチおじさん、現地の保安官や動物保護管理局の人たち、そして悪質ブリーダーを父に持ちながら大の動物好きのコルビー少年。」(All About:『ラブいぬ ベンジー』に見る動物愛護精神 ガイド:坂本 光里 掲載日:2006年10月29日


繁殖業者の問題、捨て犬問題、そういった動物虐待に対応する動物保護管理局など、動物愛護に深く関わる問題を含んだ映画のようです。こうなると、ジョー・キャンプ監督は、当然ながら坂東眞砂子氏の子猫殺し問題や、「ひろしまドッグぱーく」のことについて関心が生じるわけであり、インタビューで言及した、むしろ言及せざるを得なかったといえると思います。


(2) 日本でも非難が殺到したように、ジョー・キャンプ監督も、坂東眞砂子氏の子猫殺し問題について激怒していたようです。

 「「信じられない。理解すらできない」。最も語気を強めたのが、仏領タヒチ在住の直木賞作家・坂東眞砂子さん(48)に対して。……「非人間的であり冷酷。どんな状況下であれ許されないこと」と憤慨した。「(避妊と)同じことだ……」との発言にも反論。「全く違うレベルの話で、殺人とイコール。彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と断罪した。」



「非人間的であり冷酷」であるとか、「彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と言い切るほどですから、かなり憤慨していることが伺えます。

海外メディアも坂東眞砂子氏の子猫殺し問題を記事にしていて、それがネット上でも公開されていましたから、この問題は世界中で知りうる状態でした。米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督が知っているということは、もしかしたら、将来、坂東眞砂子氏の子猫殺し問題を題材にした映画が登場するかもしれません。そうすると、「日本人の恥」が映画として永遠に残ることになり、そう思うとひどく憂鬱な気持ちになりました。


(3) ペットジャーナリストの坂本徹也さんはこう述べています。

 「ペットがたんなる愛玩動物ではなく、家族や社会の一員(伴侶動物)
として認められていくにつれてしだいに解消され、
同時に人と動物との正常な共生社会が生まれていく----。
またそれにともなって、動物に関する法律が整備されたり、
ペットをどう飼うかどこで買うかの基準が示されたり、
公共の場や公園が解放されたりしていくわけです。つまり、
社会や国がペットとどう向き合っているかというのは、
社会が正常に成熟しているかどうか、精神的に先進国であるかどうか
の指標だということなんですよね。」(「犬の目・猫の目」の「ペットとどう向き合うかは先進国であるかどうかの指標」より一部引用)



坂東眞砂子氏の行動に対して、少数ながら非難すべきでないという人達がいることは確かであり、四国では当然だというブログ管理人や、坂東氏を擁護する作家もいました。しかし、その人達は「ペットがたんなる愛玩動物ではなく、家族や社会の一員(伴侶動物)」という意識に欠けているのであり、ジョー・キャンプ監督の憤慨に対してまったく理解できないことになるのです。

将来、坂東眞砂子氏のような行動をしない国民ばかりとなり、坂東眞砂子氏のような行動を強く非難する国・国民となるのでしょうか? 日本が先進国であるのか否か……なんて遠い過去のことかと思っていたら、日本はいまだに先進国と評価されないことになりそうです。

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2006/09/26 [Tue] 00:14:05 » E d i t
直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題について、法的観点(動物愛護法・フランス刑法を含むペット法制)、刑事政策的観点(犯罪抑止の観点)、動物行動学からの批判を行ってきました。今回は、獣医学からの批判をしてみたいと思います。これは、獣医さんによる獣医学上の批判・反論を紹介するものです。獣医療は門外漢ですので、主観を排して文献に基づいてコメントします。

なお、動物行動学からの批判については、「++ まやのひとり言 ++」さんの「子猫殺しと避妊手術」(2006.09.13)もご覧下さい。


1.動物病院院長をしている「ペットトラブルを考えるA」さんの「坂東眞砂子氏のエッセイについて−獣医の反論1〜5」からの抜粋です。(「ペットトラブルを考えるA」さんに感謝します。( )部分は抜粋のため補っています)

(1) ●坂東眞砂子氏のエッセイについて−獣医の反論1

「このエッセイ(を)一読した感想。あー、こういうの、避妊手術反対!とがなりたてる輩の陳腐な言い草の集大成って感じだなあ。けど、こいつ、文章力はあるから、妙に説得性があるように見える。……なので、獣医学上の反論を述べさせていただきたい。……

 避妊手術は、特に猫は若いうちにきちんとやるべきです。その理由は、「可哀相な貰い手のない猫をこれ以上増やさないため」ではありません。 では何のためか?「その猫が元気に健康に長生きするため」、これに尽きる!!!  どういうことか、当院のデータから説明しましょう。
 最近の猫は長生きになりました。10歳なんてヒヨッコ、15歳くらいの猫がみな、ピンピンして生きている。で、こうした年齢になってから増加してくるのが、悪性腫瘍です。中でも、雌猫の乳腺腫瘍は100%悪性であり、かつ、その悪性度は極めて高く、治療しても厳しい経過をたどります。
 当院において、この乳腺腫瘍を発症し、死亡した雌猫は全員が避妊手術を受けないまま10歳以上経過したケースである。 避妊手術をきちんと受けた猫での発症件数は、現在の所 。……

 猫の発情には周期性がありますが、これは光周期によってコントロールされています。最近の日本の家屋は夜間も煌々と明るい、そのせいで発情周期が不安定になってしまう猫も増えています。発情期の雌猫のイライラはともかく、しょっちゅうホルモンバランスが変化してしまう、こうした状況が身体に良い影響を及ぼすはずがない。
 猫の健康管理に、避妊手術は極めて重要な位置を占めているのです。……」


猫の寿命について、以前から欧米では17〜18歳で、20歳を超えるものも珍しくないのですが、かつての日本ネコは7〜8歳が普通とされ、短命でした。なぜ短命だったかというと、カツオ節や人間の食べ残しの魚の骨が食餌でしたから栄養バランスが悪かったことと、病気の予防のあり方や当時の獣医学が未発達であったからでした(加藤元「猫の飼い方」(池田書店)188頁)。
今では、良質のキャットフードなどにより正しい栄養が与えられるようになり、同時に、予防医学や病気の診断や治療の知識も技術も飛躍的に発達した結果、日本の猫も15歳から20歳まで生きる猫も珍しくなくなりました。

このように猫も高齢化してくると、老化によって消化器系、免疫系など体中の様々な機能が低下し、その結果、病気への抵抗力が低下し、多くの病気にかかりやすくなってきます。
多くの病気の中で、近頃急増してきているのは、致死的なガン(悪性腫瘍)です。人と同様に、より長生きするようになると、ガンが形成され増殖するチャンスが増えているからです。ただし、注意しておきたいことは、

「『ペットがガンにかかりやすくなったのは、長生きするようになったためだけでなく、彼らが人と同じ環境を共有し、人のガン発生に関与するのと同じ要因にさらされているためです』とイリノイ州シャンペーンアーバナのイリノイ大学獣医学部の頭部腫瘍学者であるバーバラ・キッチェル博士は指摘しています。」(カル=オレイ、近藤昌弘訳「猫と犬のためのナチュラル・ペット・ケアシリーズ ガン」(2004年、海苑社)13頁)


要するに、ガンの原因は、長生きしたからではなく、食事、有害物質の摂取、ストレス、遺伝によるわけです。もちろん、人間と異なり、ネコ白血病ウイルス、避妊や去勢されていないペットのホルモン、過剰なワクチン接種もガンの要因とされています。「去勢や避妊手術がガンを予防するのに健康的な食事よりずっと効果的である」(カル=オレイ・前掲6頁)とさえ言われています。

坂東眞砂子氏のエッセイについて−獣医の反論1において、取り上げている「乳腺腫瘍」は85%が悪性であり、10歳から12歳の、避妊手術をしていない雌猫に多く発生します。初期は腫瘍の大きさは米粒程度ですが、早期にリンパ節に移転し、肺に移転する例が多く見られます。10歳になる前でも、避妊手術をしていない雌猫が空咳をしていたら、すでに肺に移転していることを疑ってもいいかもしれません。

原因はホルモンの作用と見られていますが、はっきりしていません。ただし、シャムネコでは他の種より2倍かかりやすいので、遺伝的な要因も疑われています。

治療法としては、手術で腫瘍を切除し、可能な限り、乳腺周囲のリンパ節も切除します。しかし、「この病気は早期発見が難しく、進行すると手術しても予後が悪いことが多いので、早めに不妊手術を受けさせ、病気予防に努めることが大切です」(藤田桂一・監修「ネコの暮らしと健康百科 明解!にゃんにゃんクリニック」(2006年、ペットライフ社)129頁)。
9月28日追記:乳腺腫瘍に関してのサイトを2つ。
「ペット大好き!」さんの「動物医療の現場から」と、「猫マニアの館」さんの「ねこの病気」。もっと詳しく書かれていますので、参考になると思います。)


(2) ● 坂東眞砂子氏のエッセイについて−獣医の反論2

「彼女のエッセイには、雄についてはほとんど書かれてませんね。ので、これはついでのお話ですが。
 去勢手術もやっぱり健康管理のために重要です。……

 雄猫で外出する人の場合には、去勢していないと、その目的はほぼ「テリトリーに入ってくる奴をケンカして追い出す」というやつ。若くして悪性腫瘍やウイルス疾患を発症して死亡するケースでは、こうした生活をしている猫が多い。去勢して室内飼育のみで暮らしている雄猫では、生まれた時から感染している場合を除き、こういう経過をたどることはほぼありません。

 そもそも猫は室内飼育に向いた生き物です。去勢手術をして、室内飼いすることは、猫の生活(テリトリーを決めて、その中でゴロゴロするのが理想の人生)にマッチした方法です。外をプラプラ出歩いて他所の猫とコミュニケーションを取る必要性は、特にありません。 「猫は外に出さなくちゃ」と考えるのは大間違いです。


去勢していない雄猫は、発情期には外に出たがり、室内飼いの猫でも“脱走”しますので、その結果、どこかで仔猫を生ませたり、雌猫を探すうちに事故にあう可能性もあり、ウイルス疾患する可能性もあるわけです。もちろん、スプレーを防ぐこともできます。このように、去勢手術は、病気やケガを防ぎ、元気で長生きするために必要なことなのです。

 坂東眞砂子氏のエッセイについて−獣医の反論2でも、環境省も室内飼いを勧めています。これに対して、「猫がかわいそうだ」と思って、室内飼いに抵抗を感じる人がいることは確かです。しかし、

「室内飼いは猫にとって決して不幸なことではありません。そもそも猫は、広い範囲を歩き回る“徘徊(はいかい)性の動物”ではないのです。十分な食事と安全な寝場所さえあれば、それ以上は動きたがらない動物です。放し飼いをしていても外で自分の猫に会うことがめったにないのが、その証拠です。猫はどこかで寝ているのです。

 家の中にトイレと快適な寝場所があれば、猫は外に行く必要がありません。最初から家の中だけで飼い、家の中だけを“なわばり”として暮らしていれば、外に出たいとも思いません。『猫は自由に外を歩くもの。閉じ込めるのはかわいそう』という思いは、『束縛されず自由に生きたい』という私たち人間の願望を猫に重ねてしまうからではないでしょうか。

 放し飼いにされ『どこにいるのか飼い主も知らない』などというペット