FC2ブログ
Because It's There
主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
04« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.»06
スポンサーサイト 
--/--/-- [--] --:--:-- » E d i t
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --  * top △ 
2006/12/21 [Thu] 06:08:17 » E d i t
作家の笙野頼子さんが、坂東氏の子猫殺し問題について、小説や文系か協会などで言及しているそうです。期せずして、12月19日付夕刊の毎日新聞と東京新聞の両紙において、笙野頼子さんの発言に言及したコラムを載せています。この2紙のコラムを紹介します。


1.毎日新聞平成18年12月19日付夕刊4面

 「批判の言葉研ぎ澄まして 笙野頼子さん「竜の箪笥を、」発表

 作家の笙野頼子さん……が小説「竜の箪笥を、詩になさ・いなくに」(『新潮』12月号)を発表した。「家を絶やした」などと責められる「私」の悪夢を切り口に、「竜」「猫間引き」などが出る奔放な笙野ワールドを展開。子猫殺しをエッセーで告白した女性作家の行動に作品で異をとなえた形だ。

 「竜の箪笥を、――」では、「愚劣なエッセーの事」として女性作家の主張に言及。
<子猫虐待を非難する人間が肉食し害虫を駆除するその矛盾、偽善でしたっけか、つまり牛と猫と害虫を差別しないという事ですよね、でもだったら本人が牛飼えばいいじゃないですか(中略)どうして猫を選んでわざわざ飼う、殺すのか、なぜそこで猫なのかという話なのですよ>

 ナマの批判の言葉を直接相手に投げるのではなく作品に取り込む。批判の言葉は小説の一要素として相対化され、結果的に客観性を帯びた形に研ぎ澄まされる。

 笙野さんは11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会でも「人間社会の柔らかい部分を踏みにじって得意になる風潮が心配だ」などと発言。『ちくま』の連載小説や、すばる新人賞の授賞式講評などでも子猫殺しに言及し、一貫したスタンスを崩さない。

 「避妊手術のない時代の猫間引きは、神仏に祈ったり謝罪したりしていた。その心を忘れ(子猫殺しを告白した作家のように)合理主義のふりをして虐待を正当化し生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのままです。私なりにささやかな抵抗をしたい」  【米本浩二】」


笙野さんは、坂東氏のエッセーを「愚劣なエッセーの事」と評価したわけですが、そのまま「愚劣」と批判するのでなく、小説の一要素として取り込んだ形で表現したようです。小説家らしい方法です。

笙野さんはは、11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会、『ちくま』の連載小説、すばる新人賞の授賞式講評、といったようにずっと、ことある毎に言及し続けています。多くの人が坂東氏の子猫殺しに対して言及することがなくなってきている状態において、ずっと言い続けているのです。

このコラムの中で、この部分は忘れることなく心にとどめておきたいと思っています。

 「避妊手術のない時代の猫間引きは、神仏に祈ったり謝罪したりしていた。その心を忘れ(子猫殺しを告白した作家のように)合理主義のふりをして虐待を正当化し生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのままです。私なりにささやかな抵抗をしたい」


古来から日本の動物観は、どんな動物でも命あるものとして尊重し、供養を行ってきていました。例えば、動物供養で有名な回向院は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院ですが、その理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」であり、その理念は現在までも守られてきているのです。

坂東氏が言うような「目が見える前なら殺してもいい」のではなく、神仏に祈ったり謝罪したという心こそ重要だったのです。坂東氏の言い分は、自分に都合よく解釈しただけの「虐待の正当化」であって、日本古来の動物観と合致しないのです。

坂東氏は、日本古来の意識を知らず、タヒチに逃げて自分勝手な言い分を吐き出しているだけであって、「生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのまま」です。坂東氏は、日本にいられずにタヒチに逃げても、心情はすさんだままであって、すさんだ日本の世相から離れておらず、結局は心情はタヒチに存在しないのであって、日本社会に害悪を撒き散らしているだけなのです。



2.東京新聞平成18年12月19日付夕刊8面「大波小波」欄

 「動物愛護作家

 文芸家協会ニュース663号が11月理事・評議員合同会の議事録を記載しているが、そこに評議員である笙野頼子の発言の記録がある。坂東眞砂子が日本経済新聞に書いた例の猫殺しのエッセーについてである。

 あのエッセーについては「ひどい」というバッシングがマスコミで起こったが、その反動からか、ネット上では擁護や絶賛の意見が出はじめた。真面目(まじめ)な意見もあるが、揶揄(やゆ)やかからかい交じりの論調も少なくない。たとえば戦争で多くの人間が死んでいる時代に、「たかが猫のことで泣いていて、それでいいのか」といった論調だ。そのことを憂える笙野の発言である。

 死や不幸をからかいのネタにするホームページとして、最近も被害者児童の死を冒涜(ぼうとく)した小学校教諭の報道があったばかりだ。ネットという匿名世界では、人間の最も醜悪な表現が野放しになる危険が常にある。しかもネットの言説は人心に深く静かに浸透していく。そういう人間社会の闇の部分を直視して描き出すのが、じつは文学の重要な仕事でもある。心を痛めた笙野は「小説を2つ書いた」という。

 猫や小動物が殺害されるのは人が狙われる前兆だという。たかが猫とは言えまい。存在感のある発言だった。  (野良猫)」



坂東氏の行動は、「死や不幸をからかいのネタにするホームページとして、最近も被害者児童の死を冒涜(ぼうとく)した小学校教諭」とさほど変わりません。坂東氏は、文藝春秋12月号でのエッセーにおいて、子猫殺しは「シートベルト無着用と同程度の罰金」だとうそぶいて、あたかも騒ぐほうがおかしいといわんばかりに、命を軽視する発言をしているのですから。

子猫殺しを「罰金程度」と平気で正当化し、醜悪な表現が野放しになり、その果ては被害者の死を冒涜することも平気になっていくのです。笙野さんは、そんな状態はおかしいと批判し続けているのです。


「猫や小動物が殺害されるのは人が狙われる前兆」と指摘していますが、これは動物虐待研究の成果としてよく言われている点です(「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題~犯罪抑止力としての動物虐待研究(東京新聞9月12日付)」参照)。動物虐待研究の成果からは、<1>子どもの発達との関係、<2>犯罪との関係、 <3>小児虐待やDV(家庭内暴力)との関係、<4>精神疾患との関係があることが分かって来ているのです。

動物虐待をを正当化したり、大して悪いことではないと喧伝すると、動物虐待を行う者が増加する可能性が高くなります。動物虐待は、対人暴力、特に凶悪犯罪を行う前兆ですから、「動物虐待を根っ子から絶つためには教育の関与が重要」となります。
それなのに、動物虐待を正当化したり、大して悪いことではないと喧伝すると、動物虐待を助長するような教育効果を持つことになり、凶悪犯罪を抑止できず、凶悪犯罪を増加する結果を生じかねないのです。



3.坂東眞砂子氏の子猫殺しは、(日本で行えば)「みだりに殺し」にあたり、動物虐待罪(44条1項)に当たる犯罪行為です「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(下)~「物」から「者」への狭間で」参照)。 何匹もの犬猫を殺害して、犯罪を繰り返し行っているのに、そのような虐待を正当化し、生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度でいるのですから、坂東氏の行動は極めて悪質です。

笙野さんが

「私なりにささやかな抵抗をしたい」

と述べているのに習って、私も「坂東氏の子猫殺しは悪質な犯罪行為である」とブログで指摘し続け、ささやかな抵抗をしていきたいと思います。



<12月25日追記>

笙野頼子非公式ファンサイト「笙野頼子ゐき」さんの「Stastement/笙野頼子発言 笙野頼子/坂東眞砂子「子猫殺し」事件についての発言」では、11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会での発言が全文掲載されています。ぜひご覧下さい。

東京新聞12月24日付「読書欄」10・11面には、評論家、法律・文学・経済学・精神医学・美術史・宗教思想などの教授、作家合計25名が、「2006 私の3冊」について書いています。その中で、笙野頼子さんがここでも言及しています。一部引用します。

 「さあ年末回顧です。愚劣なエッセー書いて動物虐待行為だけを問題にされた、猫投げ作家っていたっけかっ、ふん!」

だそうです。
確かに、坂東氏の話題は「動物虐待行為だけ」でしたら、坂東氏といえば、今後は「直木賞作家の坂東」ではなく「猫殺しの坂東」という名称が定着するかと思います。もっとも、ネット上だと、坂東氏のセックスに対する激しい執着心も話題になりましたが(苦笑)。

テーマ:社会ニュース - ジャンル:ニュース

2006/11/06 [Mon] 05:13:26 » E d i t
米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督(67)が、「スポーツニッポン」の単独インタビューに応じて、直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題を含めて、動物虐待問題について語っていました。この記事についてコメントしたいと思います。

1.「スポーツニッポン」(平成18年11月5日付(日曜)28面)

「ベンジー」監督 動物虐待に激怒  直木賞作家・坂東眞砂子さんは「冷酷」

 人間と犬のふれあいを描いた米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督(67)が4日、都内で本紙のインタビューに応じ、日本での動物虐待問題を糾弾した。

 「信じられない。理解すらできない」。最も語気を強めたのが、仏領タヒチ在住の直木賞作家・坂東眞砂子さん(48)に対して。新聞のコラムで、飼っている猫が産んだ子猫を崖下に投げ捨てているという告白などを聞きつけ「非人間的であり冷酷。どんな状況下であれ許されないこと」と憤慨した。坂東さんが主張した「(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差」との発言にも反論。「全く違うレベルの話で、殺人とイコール。彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と断罪した。

 また、約500匹もの犬が十分な世話を受けずに衰弱していた「ひろしまドッグぱーく」(広島市)に対しても「身震いがする」とまゆをひそめる。ただ、先月28日に犬の管理をしていた業者が刑事告発されたと聞き「問題が取り上げられることで、一般の認知が広がる。草の根レベルから話をし続けて、動物を愛し育てるシステムをつくってほしい」と訴えた。

 キャンプ氏は30年以上、捨て犬や野良犬に飼い主を見つけるための運動を続けている。ベンジー役の犬もすべて動物保護施設で発掘、撮影後も自宅で家族として育てた。74年の第1作公開時には全米で犬約100万匹の飼い主を見つけている。
[ 2006年11月05日付 紙面記事 ] 」



2.映画『ラブいぬ ベンジー はじめての冒険』が11月11日、公開になることから、ジョー・キャンプ監督が来日したようです。

(1) 今回の映画のあらすじは、

 「お話は、ミシシッピー州のある悪質ブリーダー(というか繁殖屋)の犬舎を舞台に、誤って風来坊の雑種犬との間に生まれてしまった“はじかれ者”のベンジーが、無理な多交配がもとで身体をこわしてしまった母犬の危機を救うため、捨て犬のベロンチョと協力して奮闘するというもの。
ベンジーの活躍を支えてくれるのは、ちょっとお間抜けでドジな動物保護官(アニマルコントロール)の二人組と近隣に住む心やさしいフィンチおじさん、現地の保安官や動物保護管理局の人たち、そして悪質ブリーダーを父に持ちながら大の動物好きのコルビー少年。」(All About:『ラブいぬ ベンジー』に見る動物愛護精神 ガイド:坂本 光里 掲載日:2006年10月29日


繁殖業者の問題、捨て犬問題、そういった動物虐待に対応する動物保護管理局など、動物愛護に深く関わる問題を含んだ映画のようです。こうなると、ジョー・キャンプ監督は、当然ながら坂東眞砂子氏の子猫殺し問題や、「ひろしまドッグぱーく」のことについて関心が生じるわけであり、インタビューで言及した、むしろ言及せざるを得なかったといえると思います。


(2) 日本でも非難が殺到したように、ジョー・キャンプ監督も、坂東眞砂子氏の子猫殺し問題について激怒していたようです。

 「「信じられない。理解すらできない」。最も語気を強めたのが、仏領タヒチ在住の直木賞作家・坂東眞砂子さん(48)に対して。……「非人間的であり冷酷。どんな状況下であれ許されないこと」と憤慨した。「(避妊と)同じことだ……」との発言にも反論。「全く違うレベルの話で、殺人とイコール。彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と断罪した。」



「非人間的であり冷酷」であるとか、「彼女が米在住であれば、とっくに刑事罰を受けている」と言い切るほどですから、かなり憤慨していることが伺えます。

海外メディアも坂東眞砂子氏の子猫殺し問題を記事にしていて、それがネット上でも公開されていましたから、この問題は世界中で知りうる状態でした。米人気映画「ベンジー」シリーズのジョー・キャンプ監督が知っているということは、もしかしたら、将来、坂東眞砂子氏の子猫殺し問題を題材にした映画が登場するかもしれません。そうすると、「日本人の恥」が映画として永遠に残ることになり、そう思うとひどく憂鬱な気持ちになりました。


(3) ペットジャーナリストの坂本徹也さんはこう述べています。

 「ペットがたんなる愛玩動物ではなく、家族や社会の一員(伴侶動物)
として認められていくにつれてしだいに解消され、
同時に人と動物との正常な共生社会が生まれていく----。
またそれにともなって、動物に関する法律が整備されたり、
ペットをどう飼うかどこで買うかの基準が示されたり、
公共の場や公園が解放されたりしていくわけです。つまり、
社会や国がペットとどう向き合っているかというのは、
社会が正常に成熟しているかどうか、精神的に先進国であるかどうか
の指標だということなんですよね。」(「犬の目・猫の目」の「ペットとどう向き合うかは先進国であるかどうかの指標」より一部引用)



坂東眞砂子氏の行動に対して、少数ながら非難すべきでないという人達がいることは確かであり、四国では当然だというブログ管理人や、坂東氏を擁護する作家もいました。しかし、その人達は「ペットがたんなる愛玩動物ではなく、家族や社会の一員(伴侶動物)」という意識に欠けているのであり、ジョー・キャンプ監督の憤慨に対してまったく理解できないことになるのです。

将来、坂東眞砂子氏のような行動をしない国民ばかりとなり、坂東眞砂子氏のような行動を強く非難する国・国民となるのでしょうか? 日本が先進国であるのか否か……なんて遠い過去のことかと思っていたら、日本はいまだに先進国と評価されないことになりそうです。

テーマ:社会ニュース - ジャンル:ニュース

2006/09/26 [Tue] 00:14:05 » E d i t
直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題について、法的観点(動物愛護法・フランス刑法を含むペット法制)、刑事政策的観点(犯罪抑止の観点)、動物行動学からの批判を行ってきました。今回は、獣医学からの批判をしてみたいと思います。これは、獣医さんによる獣医学上の批判・反論を紹介するものです。獣医療は門外漢ですので、主観を排して文献に基づいてコメントします。

なお、動物行動学からの批判については、「++ まやのひとり言 ++」さんの「子猫殺しと避妊手術」(2006.09.13)もご覧下さい。


1.動物病院院長をしている「ペットトラブルを考えるA」さんの「坂東眞砂子氏のエッセイについて-獣医の反論1~5」からの抜粋です。(「ペットトラブルを考えるA」さんに感謝します。( )部分は抜粋のため補っています)

(1) ●坂東眞砂子氏のエッセイについて-獣医の反論1

「このエッセイ(を)一読した感想。あー、こういうの、避妊手術反対!とがなりたてる輩の陳腐な言い草の集大成って感じだなあ。けど、こいつ、文章力はあるから、妙に説得性があるように見える。……なので、獣医学上の反論を述べさせていただきたい。……

 避妊手術は、特に猫は若いうちにきちんとやるべきです。その理由は、「可哀相な貰い手のない猫をこれ以上増やさないため」ではありません。 では何のためか?「その猫が元気に健康に長生きするため」、これに尽きる!!!  どういうことか、当院のデータから説明しましょう。
 最近の猫は長生きになりました。10歳なんてヒヨッコ、15歳くらいの猫がみな、ピンピンして生きている。で、こうした年齢になってから増加してくるのが、悪性腫瘍です。中でも、雌猫の乳腺腫瘍は100%悪性であり、かつ、その悪性度は極めて高く、治療しても厳しい経過をたどります。
 当院において、この乳腺腫瘍を発症し、死亡した雌猫は全員が避妊手術を受けないまま10歳以上経過したケースである。 避妊手術をきちんと受けた猫での発症件数は、現在の所 。……

 猫の発情には周期性がありますが、これは光周期によってコントロールされています。最近の日本の家屋は夜間も煌々と明るい、そのせいで発情周期が不安定になってしまう猫も増えています。発情期の雌猫のイライラはともかく、しょっちゅうホルモンバランスが変化してしまう、こうした状況が身体に良い影響を及ぼすはずがない。
 猫の健康管理に、避妊手術は極めて重要な位置を占めているのです。……」


猫の寿命について、以前から欧米では17~18歳で、20歳を超えるものも珍しくないのですが、かつての日本ネコは7~8歳が普通とされ、短命でした。なぜ短命だったかというと、カツオ節や人間の食べ残しの魚の骨が食餌でしたから栄養バランスが悪かったことと、病気の予防のあり方や当時の獣医学が未発達であったからでした(加藤元「猫の飼い方」(池田書店)188頁)。
今では、良質のキャットフードなどにより正しい栄養が与えられるようになり、同時に、予防医学や病気の診断や治療の知識も技術も飛躍的に発達した結果、日本の猫も15歳から20歳まで生きる猫も珍しくなくなりました。

このように猫も高齢化してくると、老化によって消化器系、免疫系など体中の様々な機能が低下し、その結果、病気への抵抗力が低下し、多くの病気にかかりやすくなってきます。
多くの病気の中で、近頃急増してきているのは、致死的なガン(悪性腫瘍)です。人と同様に、より長生きするようになると、ガンが形成され増殖するチャンスが増えているからです。ただし、注意しておきたいことは、

「『ペットがガンにかかりやすくなったのは、長生きするようになったためだけでなく、彼らが人と同じ環境を共有し、人のガン発生に関与するのと同じ要因にさらされているためです』とイリノイ州シャンペーンアーバナのイリノイ大学獣医学部の頭部腫瘍学者であるバーバラ・キッチェル博士は指摘しています。」(カル=オレイ、近藤昌弘訳「猫と犬のためのナチュラル・ペット・ケアシリーズ ガン」(2004年、海苑社)13頁)


要するに、ガンの原因は、長生きしたからではなく、食事、有害物質の摂取、ストレス、遺伝によるわけです。もちろん、人間と異なり、ネコ白血病ウイルス、避妊や去勢されていないペットのホルモン、過剰なワクチン接種もガンの要因とされています。「去勢や避妊手術がガンを予防するのに健康的な食事よりずっと効果的である」(カル=オレイ・前掲6頁)とさえ言われています。

坂東眞砂子氏のエッセイについて-獣医の反論1において、取り上げている「乳腺腫瘍」は85%が悪性であり、10歳から12歳の、避妊手術をしていない雌猫に多く発生します。初期は腫瘍の大きさは米粒程度ですが、早期にリンパ節に移転し、肺に移転する例が多く見られます。10歳になる前でも、避妊手術をしていない雌猫が空咳をしていたら、すでに肺に移転していることを疑ってもいいかもしれません。

原因はホルモンの作用と見られていますが、はっきりしていません。ただし、シャムネコでは他の種より2倍かかりやすいので、遺伝的な要因も疑われています。

治療法としては、手術で腫瘍を切除し、可能な限り、乳腺周囲のリンパ節も切除します。しかし、「この病気は早期発見が難しく、進行すると手術しても予後が悪いことが多いので、早めに不妊手術を受けさせ、病気予防に努めることが大切です」(藤田桂一・監修「ネコの暮らしと健康百科 明解!にゃんにゃんクリニック」(2006年、ペットライフ社)129頁)。
9月28日追記:乳腺腫瘍に関してのサイトを2つ。
「ペット大好き!」さんの「動物医療の現場から」と、「猫マニアの館」さんの「ねこの病気」。もっと詳しく書かれていますので、参考になると思います。)


(2) ● 坂東眞砂子氏のエッセイについて-獣医の反論2

「彼女のエッセイには、雄についてはほとんど書かれてませんね。ので、これはついでのお話ですが。
 去勢手術もやっぱり健康管理のために重要です。……

 雄猫で外出する人の場合には、去勢していないと、その目的はほぼ「テリトリーに入ってくる奴をケンカして追い出す」というやつ。若くして悪性腫瘍やウイルス疾患を発症して死亡するケースでは、こうした生活をしている猫が多い。去勢して室内飼育のみで暮らしている雄猫では、生まれた時から感染している場合を除き、こういう経過をたどることはほぼありません。

 そもそも猫は室内飼育に向いた生き物です。去勢手術をして、室内飼いすることは、猫の生活(テリトリーを決めて、その中でゴロゴロするのが理想の人生)にマッチした方法です。外をプラプラ出歩いて他所の猫とコミュニケーションを取る必要性は、特にありません。 「猫は外に出さなくちゃ」と考えるのは大間違いです。


去勢していない雄猫は、発情期には外に出たがり、室内飼いの猫でも“脱走”しますので、その結果、どこかで仔猫を生ませたり、雌猫を探すうちに事故にあう可能性もあり、ウイルス疾患する可能性もあるわけです。もちろん、スプレーを防ぐこともできます。このように、去勢手術は、病気やケガを防ぎ、元気で長生きするために必要なことなのです。

 坂東眞砂子氏のエッセイについて-獣医の反論2でも、環境省も室内飼いを勧めています。これに対して、「猫がかわいそうだ」と思って、室内飼いに抵抗を感じる人がいることは確かです。しかし、

「室内飼いは猫にとって決して不幸なことではありません。そもそも猫は、広い範囲を歩き回る“徘徊(はいかい)性の動物”ではないのです。十分な食事と安全な寝場所さえあれば、それ以上は動きたがらない動物です。放し飼いをしていても外で自分の猫に会うことがめったにないのが、その証拠です。猫はどこかで寝ているのです。

 家の中にトイレと快適な寝場所があれば、猫は外に行く必要がありません。最初から家の中だけで飼い、家の中だけを“なわばり”として暮らしていれば、外に出たいとも思いません。『猫は自由に外を歩くもの。閉じ込めるのはかわいそう』という思いは、『束縛されず自由に生きたい』という私たち人間の願望を猫に重ねてしまうからではないでしょうか。

 放し飼いにされ『どこにいるのか飼い主も知らない』などというペットは今や、日本には猫以外に存在しません。ペットとは、食糧、健康をはじめ、すべてを飼い主が管理するものです。それが飼い主の責任であり義務なのです。放し飼いはもう時代遅れと言っていいでしょう。」(加藤由子「幸せな猫の育て方」(2006年、大泉書店)24頁)


猫は自分のなわばりの中で生活する習性を持っていて、「なわばりの外に出るのは、餌が不足したときと異性を探しにいくときといわれています」(東京都福祉保険局健康安全室環境衛生課「猫の飼い方」3頁)。室内飼いをしていれば家の中がなわばりであり、避妊手術をしていれば、家から出る必要がないのです。外出の自由と引き換えに、致命的な病気に感染したり、交通事故で命を奪われることは、飼い主の望むことではないはずです。致命的な病気が蔓延しておらず、交通量が少なかった昔とは、今は異なるのです。


(3) ● 坂東眞砂子氏のエッセイについて-獣医の反論3

「動物の去勢や避妊手術に反対する連中でさ、こういうこと言う奴多いよなー「セックスさせてあげられなくて可哀相」。
 あのさ、思うんだけどあんたら、セックス依存症なんじゃないの?こういうことを言う、恥ずかしくないのかァ?……

 基本的に、哺乳類の大半は発情期があるわけで、生殖は季節に支配されてます。いつもいつも頭がセックスで一杯!というわけじゃない。
 異常(である人間)を基準にして、正常を語るなかれ、と思うんです。

 一つ重要なこと。今まで散々避妊手術・去勢手術をしてきているが、手術されてセックスできなくなったことがショックで、ノイローゼになりました、なんていう動物なんか、見たことない。動物は、「自分が去勢されたんだ、避妊されたんだ」なんて気付いているわけじゃないもの。こういうことで悩むのは、人間だけです。性格だって、別段変わりません。これは、どの飼主の方も言いますね。虐待だなんて、とんでもないぞ。

 坂東氏のエッセイで呆れるのは、ご自分の無道な振る舞いの根拠に「こう言うだろう」なーんて、本人に確認も取ってない推測を立てていること。だーれも「セックスできない」ってノイローゼになんかなってないんだよ、あんたの考え(だか感想だか)には、根拠なんかないんだよ。」


避妊手術・去勢手術をしてもノイローゼになる動物なんかいないと強調しています。飼っていれば、よく分かることだと思います。「セックスさせてあげられなくて可哀相」と強調することは、「セックス依存症なんじゃないの?」と揶揄されても仕方がないのでしょう。

「『一度は出産をさせてやりたい』という人がいますが、これは人間的な発想でしょう。猫には『自分はメスだから』とか『オスだから』という認識はありません。まして『メスだから妊娠や出産ができる』などという発想もありません。そもそも交尾と妊娠の因果関係を知るよしもなく、交尾も出産もすべて本能にしたがって行っているだけです。」(加藤由子「幸せな猫の育て方」(2006年、大泉書店)90頁)

猫には「オス」とか「メス」という意識はないのです。不妊手術をしたことで、「子どもを埋めなくて悲しい」とか「男としての自信を失う」という意識もないのです。人間の勝手な思い込みで、猫を判断してはならないことを十分に理解すべきです。


(4) ● 坂東眞砂子氏のエッセイについて-獣医の反論5

「猫の生殖の特殊性なんだが。猫は交尾排卵動物なの。交尾≒妊娠なんだ。だから、セックスの意味が人間とは全く異なる。
 毎シーズン交尾させられてるということは、毎シーズン妊娠すること。で、その度に初乳も飲ませられずに放置される。身体がボロボロになってしまう!!ホルモンもガタガタになるだろう。これじゃ、本人がいつ死んでもおかしくないよ。ひどいことしやがる!!!

 あのさ、坂東さんに言いたいんだけど。こういう知識をあんた、持ってるの?
 作家のくせして、なぜ、取材しない?
 ああ、エッセイって、そこまで無神経・無責任に書き散らしていいのか。
 それとも、我々獣医・獣医療がそこまでナメられている、ということか?
 我々の仕事に対する侮辱だ。不愉快極まる。
 反論できるならしてみろよ。」


かなり激怒しています。坂東氏にように、出産後直ちに子猫を奪うことは、「毎シーズン妊娠すること。で、その度に初乳も飲ませられずに放置される。身体がボロボロになってしまう!!ホルモンもガタガタになるだろう。これじゃ、本人がいつ死んでもおかしくない」ことになるのです。
出産し続けるとどうしても体に負担がかかります。ブリーダーの猫が、一般家庭の猫と異なり、短命に終わってしまうのはその証拠です。飼い猫の「生の充実」を確保し、すぐに子猫を殺害し続けている結果、毎シーズン妊娠し、体もホルモンもガタガタになってしまうのですから、ブリーダーの猫とは比較にならないほど、猫の命をずっと削り続けているのです。

坂東氏のエッセイは、無責任な内容であり、そんな内容を正当化することは、獣医・獣医療に対する侮辱に他ならないわけです。坂東氏は、獣医・獣医療に対する知識が著しく欠けているのです。




2.坂東氏は、「もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう」(日経新聞でのエッセイ)からとか、「飼い猫に手術を施し、不妊状態にさせるのは、その(生殖活動の)希求をも踏みにじり、殺してしまう」(週刊現代での反論)とか、「陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる」(毎日新聞9月22日付夕刊での反論)という理由で、避妊手術を拒絶しています。

しかし、ずっと述べてきたように獣医・獣医療の見地からすると、坂東氏による避妊手術拒絶の理由は、根拠のない言い訳である
ことが分かったと思います。
本能で交尾・出産するのであって、子を産みたいという意思で交尾・出産するのではなく、生殖活動を希求しているのではないのです。不妊手術を施しても、ノイローゼになる猫はおらず、生きる意欲を絶つことにはならないのです。


また、坂東氏は、「避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。」(日経新聞でのエッセイ)として、産まれた直後の子猫を殺害しています。

しかし、産まれた直後の子猫を殺害することは、子猫の命を奪うだけでなく、親猫の命をも削るのですから、産まれた直後の子猫を殺害する方が悪いのです。獣医・獣医療の見地からすれば、どっちが良いのか、はっきりしているのです。


坂東氏は、いつものことですが「独善と狭窄」に基づいて、子猫殺しを行っているのです。
-- 続きを読む --

テーマ:社会問題 - ジャンル:ニュース

2006/09/24 [Sun] 01:09:55 » E d i t
9月20日は「彼岸の入り」。回向院において「家畜総回向」がありましたので、参詣してきました。この彼岸の期間には、各寺院では彼岸会法要が営まれますが、参詣せずとも、改めて供養の気持ちをもつことも大切なことではないかと思います。(もちろん、ペットに限りませんし、信ずる宗教との関係を問わずということではありません。)
9月20日から26日までは動物愛護週間ですから(動物愛護法4条)、動物も命あるものであることを今一度理解してほしいと思います。

この出会ったペットに対して、慈悲の心も供養する心も全くないと感じられるのが坂東眞砂子氏です。毎日新聞9月22日付夕刊において、ポリネシア政府が坂東氏を動物虐待で告発するとの記事と、坂東批判に対する坂東氏の反論が掲載されていましたので、コメントしたいと思います。


1.毎日新聞9月22日付夕刊14面
(毎日新聞 2006年9月22日 15時00分 (最終更新時間 9月22日 15時41分))
(毎日新聞 2006年9月22日 東京夕刊ーバックナンバー)(バックナンバーの方から引用)

「子猫殺し」告白:坂東眞砂子さんを告発の動き--タヒチの管轄政府「動物虐待にあたる」

 直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)=フランス領タヒチ在住=が、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した「子猫殺し」。その内容をめぐって余波が続いている。タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている。20日から26日は、動物愛護週間。坂東さんが、真意を語りたいと毎日新聞に寄稿した。

==============

 ■解説

 ◇動物の生と死、多角的議論を

 坂東さんは「子猫殺し」を発表することで、愛猫に抱く葛藤(かっとう)を伝えるとともに、過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促そうとした。しかし現状では、多角的で本質に迫る議論には発展していない。

 「雌猫3匹が産む猫を、がけから放り投げている」。この強い表現は、猫への愛情と罪悪感が希薄な印象で、読む側の不快感につながった。言葉を扱うプロだからこそ、意図を正確に届ける工夫がもっとほしかった。

 また、猫への避妊手術は、坂東さんの挙げる野良猫対策とは異なる側面もある。野良猫の7割以上がウイルスを持っているといわれる猫エイズの予防だ。治療法は確立されていないが、体液の接触感染が主な原因で、不妊・去勢手術を施してけんかや交尾の機会を減らせば防ぎやすくなる。

 現代社会の猫や犬は、単なるペットではなく、人生の伴りょとして扱われる。坂東さんに賛同する人は少ないだろう。ただ、私たちが「動物にとっての本当の幸せ」を知るすべはない。動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか、人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。坂東さん、そして社会が抱える病理を多数派の意見で押し込めてはならない。【鳴海崇】

==============

 ◆坂東眞砂子さん寄稿

 ◇子猫を殺す時、自分も殺している

 私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。

 さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。

 しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。

 「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。

 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。

 もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。

 他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。

 エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。

==============

 ■ことば

 ◇子猫殺し

 坂東さんが日経新聞8月18日夕刊でエッセー「子猫殺し」を掲載。飼っている雌猫に避妊手術をせず、子猫が生まれるとがけ下に投げていることを明らかにした。日経にはメールと電話で延べ1497件(今月19日現在)の意見が寄せられた。「残酷で不快」「動物愛護の精神に反する」「生命を軽視している」「避妊手術と、子猫を殺すことを同列に論じるのはおかしい」など、大多数が批判。少数だが「これからも生と死について書き続けて」との賛意もあった。

毎日新聞 2006年9月22日 東京夕刊」



2.やっと、「タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている」との記事が出ました。

以前に紹介した、「タヒチ*ライフ」さんの「猫殺し」のエントリーは9月15日に書いたのですから、ずいぶん遅れて報道されたとの印象をもちます。もっとも、他の新聞では全く触れていませんから、それに比べればマシであるとは思います。

しかし、鳴海崇記者による解説の方はかなり問題があると思います。以下、逐一批判していきます。

(1) 

「坂東さんは「子猫殺し」を発表することで、愛猫に抱く葛藤(かっとう)を伝えるとともに、過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促そうとした。しかし現状では、多角的で本質に迫る議論には発展していない」


過剰なペット依存社会と非難していますが、人の価値観は他人の物差しでは計れないのですし、憲法13条(幸福追求権)は多様な価値観を保障しているのです。過剰なペット依存社会であったとしても、一概に非難することは困難です。

「過剰なペット依存社会」は日本だけではないのです。米国人のペットに対する過熱ぶりは日本の比ではありません。離婚の裁判においては、ペット問題専用の弁護士が対応に当たり、離婚後の面会の条件なども細かく決定されるのです(宇都宮直子「ペットと日本人」(文春新書、平成11年)60頁)。過熱する一方、日本と異なり、ペット・ロスに対するホットライン(専門家による電話相談)も整っており、また、米国では、獣医学部の学生たちが一定の教育を受けた後に、電話で飼い主の心の痛みについて相談を受けることも行っているのです。
ペット・ロスへのケアが十分でない日本においては、非難すべきなのは、「過剰なペット依存社会」ではなく、ペット・ロスに対するケアを充実していない現状の方であるように思えます。


鳴海崇記者は、「現状では、多角的で本質に迫る議論には発展していない」と決め付けています。しかし、ネット上では多角的な議論がなされていますし、新聞紙上でも、 「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題~犯罪抑止力としての動物虐待研究(東京新聞9月12日付)」で紹介したように、東京新聞では9月12日付で「動物虐待研究」についての論説を紹介しています。掲載時期からして、当然、坂東氏の動物虐待行為を念頭に置いた記事であることは明白です。

これに対して、毎日新聞は、最初に記事にしたこと自体は評価できますが、その後の後追い報道はしていません。何も報道することなく、「多角的で本質に迫る議論」がないと指摘するのは無責任ではないでしょうか?  「多角的で本質に迫る議論には発展していない」と決め付けるからには、毎日新聞において更なる報道を行うべきです。


(2) 

「『雌猫3匹が産む猫を、がけから放り投げている』。この強い表現は、猫への愛情と罪悪感が希薄な印象で、読む側の不快感につながった。言葉を扱うプロだからこそ、意図を正確に届ける工夫がもっとほしかった。」


鳴海崇記者が述べるように、「この強い表現は、猫への愛情と罪悪感が希薄な印象で、読む側の不快感につながった」ことは確かです。坂東氏は、作家として「言葉を扱うプロ」であるならば、論理破綻した文章でなく、もっと真っ当な言い訳をすべきでした。

しかし、「意図を正確に届ける工夫」があれば「不快感」につながらないわけではないのです。産まれたばかりの子猫を崖から投げ殺すという、残忍な方法で、常習的に(=出産毎に、数匹の子猫が産まれていると推測するのが当然であり、そうすると、既に数十匹を殺していると判断するのがほぼ100%に近く合理的な推測なので)殺害しているという動物虐待の事実(犯罪行為)を行っているから、批判されているのです。

大体、フランス刑法でも、日本の動物愛護法でも、明らかに動物虐待罪に当たる行為であるのに、動物虐待を正当化する者の言い分を尊重し、新聞掲載することは犯罪行為を助長するものです。動物虐待研究によれば、動物虐待は凶悪犯罪につながるのですから、凶悪犯罪抑止の見地から、早期に摘発することが肝心なのです。

このように、鳴海崇記者は、動物虐待の事実(犯罪行為)を行っているから、批判されていることを理解しておらず、動物虐待の危険性についても、あまりにも無理解だといわざるを得ません。新聞記者も「言葉を扱うプロ」なのですから、事の本質をきちんと理解して解説するべきです。


(3) 

「また、猫への避妊手術は、坂東さんの挙げる野良猫対策とは異なる側面もある。野良猫の7割以上がウイルスを持っているといわれる猫エイズの予防だ。治療法は確立されていないが、体液の接触感染が主な原因で、不妊・去勢手術を施してけんかや交尾の機会を減らせば防ぎやすくなる。」


鳴海崇記者が、「猫への避妊手術は、坂東さんの挙げる野良猫対策とは異なる側面もある」と指摘するのは、正しい指摘です。

しかし、

「「避妊および去勢手術をする理由はいろいろでしょうが、よくある理由というのが3つあります。「繁殖制限」と「病気予防」、「行動制限」です。

…避妊および去勢手術の一番の目的は、繁殖しないようにすることでしょう。説明するまでもないでしょうが、避妊および去勢手術をしたペットは、繁殖能力がなくなります。ですので、繁殖制限することを目的として避妊および去勢手術を行う方は多くいらっしゃいます。

次に考えられる理由は、病気の予防でしょう。メスは、人間の女性と同じように婦人科系の病気(子宮蓄膿症など)になるおそれがあります。けれども、避妊手術をして女性ホルモンをストップさせることで、婦人科系の病気になりにくくすることができます。

小さなペットにおいては、避妊せず、交配もさせない場合に病気になってしまう種類がいます。フェレットです。」( 「子猫殺し」で考えたコト:村田 亜衣さん)。


愛玩動物飼養管理士であり、ペットの適正飼養の普及活動を行っている、村田 亜衣さんによれば、不妊手術の理由は、「繁殖制限」と「病気予防」、「行動制限」をあげていますから「猫エイズの予防」だけを挙げるのは不適切でしょう。

坂東眞砂子氏のエッセイについて-獣医の反論1

「このエッセイ(を)一読した感想。あー、こういうの、避妊手術反対!とがなりたてる輩の陳腐な言い草の集大成って感じだなあ。けど、こいつ、文章力はあるから、妙に説得性があるように見える。……なので、獣医学上の反論を述べさせていただきたい。……

 避妊手術は、特に猫は若いうちにきちんとやるべきです。その理由は、「可哀相な貰い手のない猫をこれ以上増やさないため」ではありません。 では何のためか?「その猫が元気に健康に長生きするため」、これに尽きる!!!  どういうことか、当院のデータから説明しましょう。
 最近の猫は長生きになりました。10歳なんてヒヨッコ、15歳くらいの猫がみな、ピンピンして生きている。で、こうした年齢になってから増加してくるのが、悪性腫瘍です。中でも、雌猫の乳腺腫瘍は100%悪性であり、かつ、その悪性度は極めて高く、治療しても厳しい経過をたどります。
 当院において、この乳腺腫瘍を発症し、死亡した雌猫は全員が避妊手術を受けないまま10歳以上経過したケースである。 避妊手術をきちんと受けた猫での発症件数は、現在の所 。……

 猫の発情には周期性がありますが、これは光周期によってコントロールされています。最近の日本の家屋は夜間も煌々と明るい、そのせいで発情周期が不安定になってしまう猫も増えています。発情期の雌猫のイライラはともかく、しょっちゅうホルモンバランスが変化してしまう、こうした状況が身体に良い影響を及ぼすはずがない。
 猫の健康管理に、避妊手術は極めて重要な位置を占めているのです。……
 
 坂東さん、あなた、こういうこと、なーんにも知らんだろ?
 あ、知っててもどーでもいいってか?そうだよな、餌やってるだけの関係なんでしょうしね。そう書いてるもんな、エッセイで。「猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。」だもんなあ。
 つまりさあ、あんたには動物を飼う資格はないんだよ。餌やってるだけ、というのは飼ってることにはならんのよ。」


獣医さんによれば、雌猫の避妊手術の理由は、野良猫にしないためではなく、「『その猫が元気に健康に長生きするため』、これに尽きる!!!」 のです。
乳腺腫瘍は「放置していると急速に移転する致命的な病気です。……近年増加傾向にあり、10~12歳の、避妊手術をしていないメスに多く見られます」(井上緑「老猫さんの衣食住」(2006年9月、どうぶつ出版)と指摘されているように、現在、かなり知るところとなっている病気です。

今や、現在における雌猫の病気状況を考えると、避妊手術は、「その猫が元気に健康に長生きするため」に不可避なことのように思えます。

坂東氏はもちろん、鳴海崇記者は避妊手術の理由や雌猫の近時の病気状況に対して理解が不足しています。「あなた、こういうこと、なーんにも知らんだろ? あ、知っててもどーでもいいってか?」と言われても仕方がないでしょう。

もう1つ(追記)。
「猫エイズの予防」として最も効果的なのは、避妊手術ではなく室内飼いすることです。放し飼いをしている限り、猫エイズに限らず、猫伝染性腹膜炎のようにワクチンのない病気に感染するおそれがあります。猫伝染性腸炎や猫ウイルス性鼻気管炎のように、生命力がとても強く、人間の衣類について運ばれるウイルスもあるくらいで、室内飼いであっても油断できません
鳴海崇記者はきちんと調べてから解説を書くべきでした。


(4) 

「現代社会の猫や犬は、単なるペットではなく、人生の伴りょとして扱われる。坂東さんに賛同する人は少ないだろう。ただ、私たちが「動物にとっての本当の幸せ」を知るすべはない。動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか、人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。坂東さん、そして社会が抱える病理を多数派の意見で押し込めてはならない。」


ペットは、愛護動物とか伴侶動物と呼ばれています。それは、現在の欧米人動物観は、「動物福祉(animal welfare)」、すなわち、相手の人格などを認めたうえで、手を差し伸べる「福祉」であり、日本の動物愛護法も、このような「動物福祉」の動物観に基づいているからです。

鳴海崇記者が「動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか、人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。」などと考えること自体は自由です。
しかし、「私たちが「動物にとっての本当の幸せ」を知るすべはない」からといって、「自分勝手な傲慢(ごうまん)」さで、子猫の「生きたい」という生き物にとって本質的に有している欲求を奪うことは、究極の「自分勝手な傲慢(ごうまん)」ではないでしょうか?

動物愛護法の基本原則は、動物を「命あるもの」と認識し、動物をみだりに殺したり、傷つけたり、苦しめてはならないのです。それなのに、坂東氏は「自分勝手な傲慢(ごうまん)」で子猫・子犬を殺害しているのです。
坂東氏や鳴海崇記者のように、「自分勝手な傲慢(ごうまん)」で動物の命を奪ってはならないことが分からない人こそ、「社会が抱える病理」のように思えます。

坂東氏の言い分を認めると、動物虐待がはびこることを肯定し、処罰しないことになりますが、鳴海崇記者は動物虐待がはびこる社会の方が健全とでも言うのでしょうか? 

犯罪行為を正当化することは許さないという「多数派の意見」が、「自分勝手な傲慢(ごうまん)」で動物の命を奪ってよいという少数派の意見(坂東氏や鳴海崇記者)を「押し込め」ることは、各国の動物法の理念である動物の尊厳の尊重の観点からして、健全な社会であると思います。




3.坂東氏の言い訳についてもコメントしてみます。

(1) 

「私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。」


坂東氏は、対人恐怖症であり、人を愛するのが難しいから、人の代わりに猫を飼うのです。猫にしか愛情を注げないという状態自体、精神を病んでいる状態といえます。だから、「私が猫を飼うのは」、「まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さから」ではなく、精神状態の安定を得るためというべきです。坂東氏は自己分析ができていないようです。

ペット先進国の欧米では、ペット問題についてのカウンセラーが充実していますから、坂東氏はカウンセリングを受けるべきでしょう。自分の書いた論理のおかしさに気づくという効用もあるかもしれません。


(2) 

「さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。」


子猫を殺すのは「つらくてたまらない」と言いつつ、常習的に何匹もの子猫の命を奪っているのです。現実には、殺されているのは子猫だけであって、坂東氏は殺されていないのです。命は1つだけであって代わりはないのに、何匹もの命を奪っておきながら、「私は自分も殺している」という感傷に浸るのですから、自己陶酔の極みであるというべきです。自己陶酔の結果、子猫殺しという動物虐待を正当化しようとするのですから、到底納得できません。


(3) 

「しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。」


不思議に思うのは、なぜ放し飼いにするのでしょうか? 放し飼いにすれば、当然子猫を産むことになり、子猫だけでなく飼い猫全て近所に迷惑をかけているはずです。放し飼いによる「猫害」は、野良猫による「猫害」と区別できません。放し飼いこそ問題があるのです。
放し飼いにすれば、雄猫は家から出て行ってしまいますし、野良猫状態だと3~4年の寿命ですから、必ずしも「家は猫だらけ」になるのか疑問です。
日本でも欧米でも、終生飼養が原則です。「えさに困り」「私は子猫全部を育てることもできない」のであれば、元々猫を飼うべきではなく、飼えないなら子猫を産ませるべきではないのです。

もう1つ(追記)。
餌代に困り、家が猫だらけになって困るというくらいなら、なぜ3匹の雌猫(雄猫も飼っていましたが出ていったそうです)や3匹の犬(2匹は雌犬)を飼っているのでしょうか? 多頭飼いは当然、多くの出費を必要としますし、猫の世話にも時間がかかります。3匹の雌猫がいれば、最低でも3匹の雌猫×3匹の子猫=9匹は産まれますし、6匹産む可能性もあるので、同時期に18匹産まれることもあったはずです。しかも、2匹の雌犬も複数の子犬を産むのです。餌代に困り、家が猫だらけ(及び犬だらけ)になって困る事態を招いたのは、坂東氏自身なのです。自分が招いた事態なのに、「困る」と言い出すのは身勝手な言い分です。ここでも「独善」に満ちた言い訳なのです。


(4) 

「「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。

 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。」


他人の身体を同意なく傷付けることは傷害罪(刑法204条)ですから、人には不妊手術を強制できません「もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう」というのは、あり得ない例えであり、無意味な記述です。無意味な記述を書いても、全く説得力はありません。


(5) 

「もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。」


雌猫に対する避妊手術は、今や「その猫が元気に健康に長生きするため」です。「避妊手術」という言葉が一致するからといって、雌猫に対する合法的な避妊手術と、ナチスドイツや過去の日本における違法な強制的な避妊手術とは別問題です。別問題を持ち出して比較しても無意味です。

もう1つ(9月25日追記)。
「猫」の避妊手術のことなのに、なぜ、「人間の」同性愛者やハンセン病患者を持ち出してくるのでしょうか? しかも、「高等な生物が、下等な生物の性を管理する」ために避妊手術したのではなく、偏見や差別に基づいて強制的に避妊手術をしたのですから、坂東氏の言い分は正しくありません。
新潮45での寄稿でも、坂東氏を批判する日本人をわざわざ、アルツハイマー病患者と糾弾してました。こうしてみると、坂東氏は、同性愛者・ハンセン病患者・アルツハイマー病患者など差別を受けてきた者全般に対して根深い差別感情を抱いている差別主義者だと思えてなりません。


(6) 

「他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。」


「ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人」はどれほどいるのでしょうか? 病気予防など、やむを得ず、不妊手術を行っているのが通常でしょう。坂東氏は、いつもながらの「独善と狭窄」さに基づいて、非難しているのです。


(7) 

「エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。」


タヒチの報道(要約文やメール)を読む限り、エッセーは、タヒチでも正しく伝わっています。「虐待にあたるか精査してほしい」と述べていますが、不妊手術は嫌いだから子を産まれるままにしておきながら、挙句に子猫を全部飼えないから、体の弱い産まれたばかりの子猫を崖から投げ殺す行為は、飼い主の身勝手な理由で残忍な方法により殺害するものですから、動物虐待罪を有する国であれば、どこでも「虐待」に当たることは明白です。

「事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる」と述べています。そこまで言うのであれば、坂東氏が何匹の子猫と子犬を殺したのか、ぜひ捜査してほしいですし、坂東氏も何年にわたり、何匹の子猫と子犬を殺害したのか積極的に包み隠さず自白すべきです。日本の市民も知りたいことだ思います。
坂東氏は、「言論弾圧」を跳ね除けるためにも、ぜひ、何匹もの子猫や子犬をがけから投げ殺したのか、全部説明して欲しいと思います。

テーマ:時事ニュース - ジャンル:ニュース

2006/09/18 [Mon] 11:48:28 » E d i t
直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題について、進展があったようです。この点を中心にコメントしてみます。

1.「タヒチ*ライフ sous les cocotiers *タヒチは暑いよ~*」さんの「猫殺し」(2006年9月15日)によると、

「政府は子猫を崖から投げ捨てて殺していると日本の雑誌に吹聴したという報告を受け、告訴する事を決定。
同時にポリネシア議会の議員レヴィ氏も『動物に対する残酷な発言と、彼女を快く迎えたタヒチとその住民に対する侮辱に、大変ショックを受け、失望した』と公式発表。」

という記事がタヒチプレスに載ったそうです。(http://www.tahitipresse.pf/print.cfm?presse=17281)

坂東氏は週刊現代での反論において、

「タヒチではおおっぴらに話されることはなくても、一般的に子猫子犬が棄てられている。しかし、刑に問われたと聞いたことはない」

と書いて、高をくくっていたようですが、坂東氏の意図とは異なる事態になってきました。


こういう事態になると坂東氏は、ポリネシア議会の議員レヴィ氏が、

「『動物に対する残酷な発言と、彼女を快く迎えたタヒチとその住民に対する侮辱に、大変ショックを受け、失望した』

と発言していることや、フヌア・アニマリア協会(動物愛護協会)も、

「この記事の7日後に新刊が刊行されている事から、発言の目的は売名の為であり、動物愛護の範囲を大きく超えている。また日本人にタヒチに来くる気を失わせ、タヒチの観光業に打撃を与える。……我々はこのような侮辱を放っておく事はできない。私たちの国は汚され、我々の生命に対する尊厳と経済効果は侵害された。」

と発言したことに対して、どう答えるのでしょうか? 坂東氏はタヒチに暮らしている以上、坂東氏から「侮辱」を受けたタヒチへの説明責任は果たすべきではないでしょうか?
 

フヌア・アニマリア協会は、「この記事の7日後に新刊が刊行されている事から、発言の目的は売名の為」と指摘しています。「J-CASTニュース:「子猫殺し」直木賞作家 タヒチ刑法に抵触か : 2006/8/28」において、同様の発言をしていました。出版時期からすると、売名というか、宣伝を含めたエッセイであったと、言われても仕方がないでしょう。こういう点も、「侮辱」されたと感じる一因だと思います。


なお、

「フヌア・アニマリア協会(動物愛護協会だと思います)は、きわめて個人的な選択で子猫を殺していると大ぴらに吹聴したと糾弾。以下協会の発言:その行為は第五級の違警罪(重罪・軽罪と並ぶ犯罪の3分類の1つ。拘留・科料にあたる罪by広辞苑)に値する刑法典に触れる。」(「タヒチ*ライフ sous les cocotiers *タヒチは暑いよ~*」さんの「猫殺し」

との要約によると、子猫殺し行為に対してというよりも、子猫殺しを吹聴したという発言に対して、違警罪が適用されるように理解できます。違警罪の適用はかなり広いようです。
立証の問題がありますが、子猫殺し行為・子犬殺し行為についても告訴(起訴?)されたら、以前から触れているように、もっと重い刑罰、すなわち、フランス刑法「art.R655-1」により、「禁固2年と30,000ユーロの罰金」に処せられることになるのでしょう。




2.坂東氏は、またしても、高知新聞9月17日朝刊 第3面 「視点」(「鬼畜子猫殺し坂東眞砂子」さんからの引用)において、

「私自身の子供の頃も、生まれたばかりの子猫を川に流したり殺したりすることはまわりでよくなされていた。しかし、そこには死んでいく命に対する礼儀があった。目が明かない間、というものだ。私の子猫殺しもまた、これに則ってなされている。かつての日本の村々では、間引きは必然であり、日常的な行為だった。その対象は作物から、子猫、子犬、さらには嬰児も含まれていた。

 ……そんな間引きの風習を今も記憶している土地に生まれ育った人たちは、今回の「子猫殺し」に対して、穏やかに受け取ってくれていると思う。

 ……現在の日本の世論とは、都市生活者の意見だ。自然の摂理に無自覚で、生き物の生と死の考察の足らない人々だけに、その世論はえてして歪んでいる。今回の騒動は、世の多くの事件と同様にすぐ忘れ去られていくだろう。」

となどと、犯罪行為を正当化しています。
今まで「生の充実」とか「愛の不妊」などと言ってきて、昔の日本のことなんて一度も言及していなかったのに、「私の子猫殺しもまた、これに則ってなされている」なんて空々しいことをよく言えたものです。
批判者どころか広く「世論」もおかしいとばかりに、「世論は歪んでいる」との決め付けをしていますが、当然ながら、昔は黙認されていたとしても、今は違法であって今では許されないことには変わりはないのです。昔の黙認がなぜ今でも許されるのか、説明が一切なくては、納得できる論理になっていません。


坂東氏は、

「今回の騒動は、世の多くの事件と同様にすぐ忘れ去られていくだろう」

とのん気なことを書いています。

しかし、ペットの殺害は、禁忌という感覚に関わるので(山内昶(やまうちひさし)「ヒトはなぜペットを食べないか」参照)、坂東氏の猫殺しは、いつまでも心に刻み付けられる出来事であったといえるのです。欧米人(外国メディアにおける欧米人の反応)や多くの日本人が、坂東氏の猫殺しに感情的に嫌悪感を抱くのは、禁忌に関わるからだと思うのです。(坂東氏に好意的な論者は、その当たりの理解に欠けているように思います)

また、「仏教の世界観は、人間だけではなく、あらゆる動物を有情(心あるもの)と見て同列に置き、人間とか動物とかは、ある永続する個的存在の輪廻の諸相、諸段階に他ならない……。……このような仏教的世界観は日本文化の中に深く浸透している」(山本「改訂新版 宗教法人の法律問題」109頁)のです。そうすると、子猫の命を軽視した坂東氏の行為は、日本文化に深く根ざしている仏教(大乗仏教)の世界観に反することから、いうなれば日本文化とそぐわないのです。

仏教だけではありません。

「我々は、他の被造物、特に動物を勝手に自分の都合だけのために使っていいわけではありません。同じく創世記第一章で、神様がすべてのものを造った後、良いものだと宣言されたのですから、私たちはすべてのもの、特に動物を尊重しなければなりません。……キリスト様の、支配は奉仕であるという言葉を忘れてはいけません。いつも弱いものを特に愛するようにおっしゃいましたが、その中に動物も入っていると思います。詩編104・29-30によると、神の霊はすべてのものにひそんでいるということです。これを「神の内在」といいます。 」(松原教会・クリスチャン神父のQ&A(1))


子猫の命を軽視した坂東氏の行為は、キリスト教ともそぐわないのです。

要するに、坂東氏の子猫殺しは、禁忌に抵触しかねないのであり、日本文化ともそぐわず、仏教やキリスト教の世界観ともそぐわないのですから、忘れようがない出来事なのです。坂東氏の意図とは異なり、坂東氏の行為に嫌悪感を抱いた多くの日本人は、おそらくずっと忘れないでしょう。
もし、子猫殺し発言又は行為でタヒチで処罰されるようなら、ますます忘れないはずです。




3.坂東氏は、今更ながら、「間引き(=殺害)」は日常的だったと書いています。さすがに「日常的」とまで書いているブログは定かではありませんが、本当のところどうなんでしょうか?

統計はまずないでしょうから、すべて個人的な経験に委ねられてるのだと思います。個人的経験からすると、近所や年配者、幾つかの地方での知人に聞いても、「間引き(=殺害)」をしていませんでした。20年くらい前のことですが、親戚のいる農村地では、むしろ猫を欲しがっていたくらいでしたから、「間引き(=殺害)」はまずなかったようです。

20年くらい前のことですが、猫が産んだ何十匹もの子猫の里親探しをしましたが、すべて飼い主が見つかりました。友人、親戚、近所に限らず広く真剣に探せば、見つかるものです。また、20年くらい前に、飼い猫の避妊手術をしてもらったことがありますから、20年前でも「猫の間引き(=殺害)」以外の手段もあったわけです。

動物保護管理法(現在は動物愛護管理法)は昭和48年に成立して動物虐待罪(13条1項「保護動物を虐待し、又は遺棄した者は、三万円以下の罰金又は科料に処する」。保護動物には、犬、ねこを含む。)を規定していましたから(それ以前は軽犯罪法)、「猫の間引き(=殺害)」が日常的な昔とは何時のことなのか、と疑問に思います。


ですから、昔話としての「猫の間引き(=殺害)」は、戦前のことなんだと思います。いくなんでも、坂東氏が指摘するような「嬰児殺し」までも日常的だったというのは、戦前であってもさすがに無理な想像でしょう。




4.戦後も「猫の間引き(=殺害)」をしていたという飼い主は、生き物を飼うことの責任を自覚していない飼い主であると思うのです。

 「人間でもネコでもそうですが、生まれてきたものが祝福されなければ生まれてきたかいがありません。さもなければ、まさに生まれてきてしまってからでは“困る”のです。

 ですから、何度でもいうようですが、子ネコを生ませる人は、子どもを生ませるというハッキリした意志があり、さらにその子どもを育てるのだという覚悟がなければなりません。そして、その子ネコを喜んで飼いたいという人があって初めて、その子ネコは生を受けたことが祝福されることになるのです。

 子どもをうませるときはぜひ、この心がまえでのぞんでほしいと思います。」(加藤元・コロラド州立獣医科大学小動物臨床客員教授「猫の飼い方」154頁~)


子どもを生ませるというハッキリした意志があり、さらにその子どもを育てるのだという覚悟なく、子どもを生ませた飼い主は、無責任な振る舞いであって、正当化できることではないのです。生き物を飼うことの責任を自覚していない飼い主は、生き物を飼うべきではないのです。

坂東眞砂子氏は生き物を飼うことの責任を自覚しておらず、生き物を飼う資格を欠いているのです。坂東眞砂子氏は犬猫を飼うべきではなかったのです。




<追記1>

「NNN日本猫放送ネットワーク saihi0122.exblog.jp」さんの「腹が立つこと、泣きたくなる事」によると、

「今朝、新聞を広げて。
一番に目に付いたのが坂東マサコの記事だった。。。…

『目も開いてない時期なら犬も、猫も、嬰児も殺して良いという礼儀があった。』
だから高知では、日常茶飯事に子猫殺しを認めてるとでも言いたいのか???

言論の自由と言うのは、それから派生する非難とか色々を甘んじて受けなければならない義務も発生するはずだ。
なんでこんな人の高知県を野蛮で未開だと言わんばかりの文章を朝刊に載せるのよ?!」

と、9月17日の高知新聞での論説に憤慨しています。高知県民も、坂東氏の論説が高知を侮辱するものであると理解しているようです。坂東氏は、タヒチを侮辱し、高知を侮辱し、どういうつもりなのでしょうか。




<追記2>

「しゃべるマーライオン」さんの「シンガポール ネコ虐待男に実刑」(September 14, 2006)によると、

「ネコを虐待した男に実刑判決が下された。華人系の中年男、ネコに異常なほどの愛着を注ぐも、拾ってきたネコがベッドでおしっこをしたのに腹をたて、虐待したと報じられている。

精神科医による鑑定では、この男、Anti-Social Personality Disorderで、かなり重い症状らしい。しかし、責任能力云々に関してよりも、むしろ、ネコを虐待したこの男が、人に危害を及ぼす可能性があることに触れているところがある。判決でも、将来的な可能性を重視しての禁固1年。」


日本人の感覚では厳しいようにも思えますが、「ネコを虐待したこの男が、人に危害を及ぼす可能性があることに触れている」点は、以前に触れた「動物虐待研究」の成果に基づくと推測できます。シンガポールは、厳しい法律が見受けられることは確かですが、これも世界の動物観なのでしょうね。



<9月21日追記>

「黒猫亭日乗」さんからTBを受けましたので、こちらも。「黒猫亭日乗」さんは、前も紹介したとおり、坂東氏の子猫殺し問題について積極的に論じておられます。どれも分析が素晴らしく、非常に読む価値が高いと思わせる内容と文章力です。ぜひご覧下さい。

テーマ:時事ニュース - ジャンル:ニュース

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。