日本では、ファイル交換ソフトを使った著作権侵害をめぐり、開発者本人が刑事責任が問われた初の事件です。金子さんは一貫して無罪を主張し「技術開発の現場を萎縮させる」と一審判決を批判しており、控訴審判決に対して、「事実を正確に認識した正当な判断だ」と述べています。
1.まず、控訴審判決要旨を。
(1) 【資料】ウィニー裁判・判決要旨(共同通信)
「「ウィニー」という新技術(ソフトウェア)を使うと映画や音楽がインターネットを通じてやり取りできる。2002年にこの新技術を開発し自らのサイトで無料公開した東大の元助手が著作権法違反ほう助の罪に問われた。一審は有罪だったが、大阪高裁が2009年10月8日に言い渡した控訴審判決は一転無罪となった。その判決要旨を以下に紹介する。
【ほう助の成否】
(1)ソフトについて検討
ウィニーはP2P技術を応用したファイル共有ソフトであり、利用者らは既存のセンターサーバーに依存することなく情報交換することができる。
その匿名性機能は、通信の秘密を守る技術として必要にして重要な技術で、ダウンロード枠増加機能などもファイルの検索や転送の効率化を図り、ネットワークへの負荷を低減させる機能で、違法視されるべき技術ではない。
したがってファイル共有機能は、匿名性と送受信の効率化などを図る技術の中核であり、著作権侵害を助長するような態様で設計されたものではなく、その技術は著作権侵害に特化したものではない。ウィニーは多様な情報交換の通信の秘密を保持しつつ、効率的に可能にする有用性があるとともに、著作権の侵害にも用い得るという価値中立のソフトである。
(2)ほう助が成立するか
ネット上のソフト提供で成立するほう助犯はこれまでにない新しい類型で、刑事罰を科するには慎重な検討を要する。
原判決は、ウィニーは価値中立的な技術であると認定した上で、ホームページ上に公開し不特定多数の者が入手できるようにしたことが認められるとして、ほう助犯が成立するとした。
しかし、2002年5月に公開されてから何度も改良を重ね、03年9月の本件に至るが、どの時点からどのバージョンの提供からほう助犯が成立するのか判然としない。
利用状況を把握することも困難で、どの程度の割合の利用状況によってほう助犯の成立に至るかや、主観的意図がネット上において明らかにされることが必要かどうかの基準も判然としない。したがって原判決の基準は相当でない。
被告は誰がウィニーをダウンロードしたか把握できず、その人が著作権法違反の行為をしようとしているかどうかも分からない。価値中立のソフトをネット上で提供することが正犯の実行行為を容易にさせるためにはソフトの提供者が違法行為をする人が出ることを認識しているだけでは足りず、それ以上にソフトを違法行為のみに使用させるように勧めて提供する場合にはほう助犯が成立する。
被告はをネットで公開した際、著作権侵害をする者が出る可能性を認識し、「これらのソフトにより違法なファイルをやりとりしないようお願いします」と著作権侵害をしないよう注意喚起している。
また、被告は02年10月14日には「コンテンツに課金可能なシステムに持ってゆく」などと著作権の課金システムについても発言しており、ウィニーを著作権侵害の用途のみに使用させるよう提供したとは認められない。
被告は価値中立のソフトであるウィニーをネットで公開した際、著作権侵害をする者が出る可能性は認識していたが、著作権侵害のみに提供したとは認められず、ほう助犯の成立は認められない。
【結論】
被告にはほう助犯の成立が認められないのに一審判決がほう助犯の成立を認めたのは刑法62条の解釈適用を誤ったもので、検察官の所論は理由を欠き、いれることはできない。よって被告は無罪とする。
2009/10/08 12:52 【共同通信】」
(2) 毎日新聞平成21年10月9日付東京朝刊24面
「ウィニー事件:控訴審判決(要旨)
ファイル共有ソフト「Winny(ウィニー)」を巡る著作権法違反のほう助事件で8日、開発・公開した金子勇被告に逆転無罪を言い渡した大阪高裁判決の要旨は次の通り。
【主文】原判決破棄。被告人は無罪
【理由】
◆ウィニーの技術的評価
技術、機能を見ると、著作権侵害に特化したものではなく、多様な情報の交換を通信の秘密を保持しつつ効率的に可能にする有用性があるとともに、著作権の侵害にも用い得るという価値中立のソフトであると認めるのが相当。
◆1審判決が示したほう助犯成立の基準
原判決はウィニーが価値中立的な技術であることを認定した上で、外部への提供行為自体がほう助行為として違法性を有するかは、(1)その技術の社会における現実の利用状況や(2)それに対する認識(3)さらに提供する際の主観的態様による−−との基準を示した。
しかし、ファイル共有ソフトによる著作権侵害の状況について把握するのは困難で、どの程度の割合の利用状況によってほう助犯が成立するのか原判決の基準では判然としない。また、いかなる主観的意図の下で開発されたとしても、主観的意図がインターネット上で明らかにされることが必要か否かが原判決の基準では判然とせず、基準は相当でない。
◆控訴審判決が新たに示した基準
開発したソフトをインターネット上で公開した提供者はダウンロードした者を把握できず、違法行為をしているかを把握できない。価値中立のソフトを提供した行為について、ほう助犯の成立を認めれば、ソフトが存在し、ソフトを用いて違法行為をする者が出てくる限り、提供者は刑事上の責任を無限に問われることになる。ほう助犯として刑事責任を問うことは罪刑法定主義の見地からも慎重でなければならない。ソフトの提供者が不特定多数の者のうちには違法行為をする者が出る可能性・蓋然(がいぜん)性があると認識し、認容しているだけでは足りず、それ以上にソフトを違法行為の用途のみに、または主要な用途として使用させるようにインターネット上で勧めて提供した場合にほう助犯が成立すると解すべきである。
毎日新聞 2009年10月9日 東京朝刊」
簡潔にまとめると、控訴審判決は、
<1>ソフト自体の評価を行い、Winny(ウィニー)は著作権侵害に特化したソフトではなく、価値中立なソフトであると判断し、
<2>価値中立なソフトを提供したことで処罰するか否かにつき、1審判決は違法行為をする可能性があることの認識があれば足りるとしたが、その基準では曖昧すぎてダメだとし、
<3>価値中立のソフトをネット上で提供することにつき、幇助犯が成立するか否かの基準は、「ソフトの提供者が違法行為をする人が出ることを認識しているだけでは足りず、それ以上にソフトを違法行為のみに使用させるように勧めて提供する場合」に限る、
と判断したわけです。こう簡潔にまとめると、処罰の成否のポイントは、「Winny(ウィニー)」が価値中立なソフトなのか否かに関わっていることがよく分かるかと思います。
「八ッ場ダムの問題で、前原国土交通相との話し合いに住民が応じなかったのは当然であろう。バッジを光らせ、マニフェストを錦の御旗に掲げ住民の前に現れたからである。政府には中止を白紙撤回してほしい。」(読売新聞平成21年9月29日付朝刊13面「投書欄」―神奈川県相模原市・50代)
「八ッ場ダム工事をめぐって地元が怒っている。前原誠司国土交通相が「八ッ場ダムは中止すると言うのを聞いていて、私は違和感を覚えた。「マニフェストに書いてある」という意味の言葉と、冷然とした物言いに、深刻な影響を受ける地元住民への温かな目配りを感じなかったからだ。
はたしてその後、マニフェストを作るに際して民主党は地元民や関係自治体の声を誠実に聞くプロセスを経なかったという事実も知った。(中略)この問題に限らず、民主党は二言目には「政権公約を実行する」と言うが、そのことが必ずしも民意を尊重することにならないのは分かっているはずだ。
地元住民は「建設中止を白紙に戻さなければ前原氏との意見交換会に出ない」と言っているが、同党のこれまでの姿勢を見れば、きわめて当たり前の主張だと思う。民主党政権はもっと謙虚になってもらいたい。」(毎日新聞平成21年10月3日付朝刊15面「みんなの広場」―埼玉県深谷市・60代)
しかし、本当に地元住民は建設中止反対ばかりなのでしょうか? 地元住民の気持ちを十分に報道しているのでしょうか? そこで、2つの記事を紹介したいと思います。
1.報道記事を幾つか。
(1) 朝日新聞平成21年10月3日付朝刊38面「八ッ場から ダムが止まるまち」
「「政争の場。いい迷惑だ」 谷垣総裁視察 住民動員取りやめ
「最初におわびを申し上げたい。八ッ場(やんば)ダム中止という心配をさせているのは、総選挙で私どもがふがいなく政権交代を許してしまったからだ」。八ッ場ダムの本体工事の入札手続きの中止が発表された2日。ダムの地元、群馬県長野原町を視察し、住民との意見交換会に臨んだ自民党の谷垣禎一総裁が、頭を下げた。
地元側は大沢正明県知事や町長ら約30人が並び、自民に期待を託す姿勢を示した。
会場入り口の窓の「建設中止撤回」を訴える張り紙が、9月に民主党の前原誠司国土交通相が来た時より増えていた。前日に張ったのは県の担当課職員だ。 「地元の意思を文面で示した」と説明した。
だが、会場に住民代表以外の一般の住民はいなかった。
地元では初め、住民を動員する動きがあった。 「自民党の総裁が来るんだから、人が少ないんじゃみっともない。自民県連からも、なるべく人を集めてくれと要請があった」と、水没関係5地区連合対策委員会の関係者は話す。
だが、動員は直前に取りやめになった。ある地区のダム対策委員長は、前原氏の時と同じ扱いにしたと説明する。「自民党が来た時だけ参加すれば、県も町も住民も自民党についたと思われてしまう」
河原湯地区に住む男性は「300議席以上ある民主党に、100程度の自民党が何ができるか。何もできないよ」と冷めた目を向けた。
□□□
長野原町は、中選挙区制のころ旧群馬3区だった。福田赳夫氏、中曽根康弘氏、小渕恵三氏、福田康夫氏の4人の首相を生んだ「自民王国」だ。
だが自民党への地元住民の感情は、実は複雑だ。1952年に地元へダム計画が伝えられてから57年と計画が大幅に遅れたのは、自民の大物政治家が激しく競い、「上州戦争」と呼ばれた地であることと無縁ではないからだ。
地元の温泉街とつながりの深かった福田赳夫氏は地域開発を掲げてダムに賛成したのに対し、反対派は中曽根氏を頼った。85年に地元がダム受け入れを表明した時の首相が当の中曽根氏だったことは、問題の複雑さを物語る。あげく、自民は下野した。
水没予定地近くで農業を営む70代の男性は嘆いた。「ここは本当に政治の争いの場所になってしまった。地元にすればいい迷惑だよ。57年間、造る造らないでずっと戦争をしている気分だ」。温泉旅館を営む男性も怨み節を漏らした。「自民党がしっかりしていれば、今ごろはすでにダムができて、新しい人生がスタートしていた」
□□□
谷垣総裁は意見交換を終えた後、報道陣に対し、前原氏の建設中止表明を「マニフェストに書いてあるからとの理由だけで中止する、というのはなかなか通じないのではないか」と批判した。
だが一方で、建設の是非については言葉を濁した。「治水・利水の必要性があるのか、きちっとデータを集めてきちっと議論していかなければならない」 (大井穣、木村浩之、菅野雄介)」
八ッ場ダム建設を巡って問題になるのは、57年経過しても完成していないままであることが根本原因であり、その最大の元凶は、「自民の大物政治家が激しく競い、『上州戦争』と呼ばれた地である」点、すなわち、八ッ場ダムの地元が自民党内の政争の場所になった点にあるのです。要するに、自民党こそが最も責任を負うべきであって、非難されるべきなのは自民党なのです。
ところが、谷垣総裁は、前原氏の建設中止表明を「マニフェストに書いてあるからとの理由だけで中止する、というのはなかなか通じないのではないか」と批判しています。しかし、自民党が政争の場として地元市民を苦しめてきたのですから、自民党こそが八ッ場ダム問題の最大の責任を負っているのです。民主党を中心とした政権への非難は、自らの責任を擦り付けるものであって、実に無責任な態度です。自民党の無責任な態度は、安倍氏、福田氏、麻生氏と続いていますが、谷垣氏もその「無責任」を受け継ぐつもりのようです。自民党は、本当に腐っています。
群馬県長野原町を視察した谷垣氏との意見交換会の際、その場に地元側は「大沢正明県知事や町長ら約30人」であって、「会場に住民代表以外の一般の住民はいなかった」のです。しかも、会場入り口の窓の「建設中止撤回」を訴える張り紙を張ったのは、「県の担当課職員」であって、地元の一般住民ではないのです。このように、地元行政のみが躍起になってダム建設反対の旗を振っているのです。
こうなると、本当に地元住民は建設中止反対ばかりなのか、非常に疑問になってきます。どちかかというと、八ッ場ダム建設中止に反対している人たちは、地元住民の利益のためというよりも、いわゆる(多数人が八ッ場ダム関係に天下りしている)ダム官僚の利益、地元行政・地元議会の利益、地元行政と癒着した業者の利益のために行動しているのではないか、と思われるのです。
谷垣禎一総裁は9月29日午後、幹事長に大島理森元農相(63)、政調会長に石破茂前農相(52)、総務会長に田野瀬良太郎元財務副大臣(65)を起用する三役人事を決め、国対委員長には、川崎二郎元厚生労働相(61)が就任しました。
1.報道記事を幾つか。
(1) 朝日新聞平成21年9月29日付朝刊1面(14版)
「自民総裁に谷垣氏 議員・地方票6割獲得2009年9月28日22時54分
自民党は28日、両院議員総会を開き、谷垣禎一元財務相(64)を麻生太郎氏の後継総裁(第24代)に選出した。国会議員票(199票)と党員投票に基づく地方票(300票)のうち、谷垣氏が計300票を獲得した。森喜朗元首相ら重鎮を排除して党改革を進めるかが争点だったが、党内結束を優先し、緩やかな改革をめざすことになった。党員票の投票率は46.65%。今回と同様の方法で実施された06年の61.45%を大きく下回った。
谷垣氏の任期は12年9月末まで。投票総数499票のうち有効投票総数は498票。谷垣氏は地方票180票、国会議員票120票で各6割を獲得し、圧勝した。河野太郎元法務副大臣(46)は地方票で2位につける計109票を集めたが、国会議員票が35票と苦戦。西村康稔前外務政務官(46)は国会議員票が43票で2位だったが、地方票は11票にとどまった。
谷垣氏は29日に新執行部を発足させたい考えだ。党の浮沈をかけた来夏の参院選を指揮する幹事長人事が焦点になる。石破茂前農林水産相や園田博之政調会長代理、石原伸晃幹事長代理のほか、舛添要一前厚生労働相や林芳正前経済財政相ら参院議員の名前も挙がっている。
谷垣氏は就任後の記者会見で「『みんなでやろうぜ』と結束して元気に進んでいくことが必要だ」と語り、挙党一致で党再建に臨む考えを強調。総裁選で争った河野氏と西村氏については「活躍の場を当然作っていくべきだ」と登用する考えを示した。
さらに、政権奪回に向けて有識者らで作る「政権構想会議」の設置を表明。党の政務調査会と国会対策委員会を一体化して「シャドーキャビネット(影の内閣)」を設け、各委員会の中心メンバーと兼務させることで組織をスリム化する考えも明らかにした。
総裁選の争点だった派閥については「まだ自民党は中選挙区時代の慣行から完全に脱していない」と述べ、派閥が担ってきた候補者発掘や新人教育の役割を党が担うべきだとの考えを示した。しかし、派閥解消の具体策については「本来の意義が薄まっていく」と語るにとどまった。
民主党政権については「大きな政府を志向されれば、それに伴う負担がある」「これを続ければ財政破壊にもなりかねない」と批判し、対決姿勢を明らかにした。」
前原誠司国土交通相は9月22日、「地元や関係都県、利水者などの意見を虚心坦懐(たんかい)に伺い、真摯(しんし)に対応する」とのコメントを発表し、視察の際に地元住民との意見交換を求めましたが、
希望していた住民との意見交換は実現しませんでした。そればかりか、地元首長との懇談では、就任直後に建設中止を明言したことに「極めて一方的」「長年苦しんできた住民の気持ちを理解していない」など、厳しい批判にさらされ、過去の経緯を陳謝する結果に終わりました(「首長批判『極めて一方的』『住民無視』 中止ありき 溝深く」(東京新聞2009年9月24日 朝刊))。この問題について、触れてみたいと思います。
(9月29日付追記:週刊ポストの記事も追加しました。)
1.まず、八ツ場ダム建設予定地を視察したという報道記事を幾つか。
(1) 朝日新聞平成21年9月24日付朝刊1面
「前原国交相、八ツ場ダム視察 住民ら意見交換会を拒否
2009年9月23日20時46分
前原誠司国土交通相は23日、群馬県長野原町の八ツ場(やんば)ダム建設予定地を視察し、同県の大沢正明知事や地元町長らと意見交換した。建設中止の撤回を求める知事らに対し、前原国交相は撤回する考えはないことを改めて示した。水没予定地区の住民代表らは「中止ありきでは話はできない」として意見交換会への出席を拒んだ。
前原国交相は地元の合意がなければ中止の手続きを進めない考えをすでに示しており、今後も地元との話し合いを継続したいと語った。
ダム本体の建設予定地や、水没予定地区の住民の代替住宅地などを視察した後、大沢知事、長野原町の高山欣也町長ら8人と意見交換した。前原国交相は冒頭、「政権交代があったとはいえ、政策変更で皆さんに大きくご心労を煩わせ、ご迷惑をおかけしていることに、担当大臣として率直に心からおわびを申し上げたい」と陳謝した。
その上で、ダム中止の理由として、国交省が実施した洪水時の下流域の流量調査や水需要の現状などから、八ツ場ダムの必要性がきわめて低く、すでにあるダムで対応できる点を指摘。水没予定地の住民向け代替居住地の整備や付け替え道路の整備は継続するとした。
さらに、「ダムに頼らない治水対策、河川整備を進めたい」とした上で、「政策変更に単に従ってくれというつもりはない。みなさんの意見を虚心坦懐(きょしんたんかい)に拝聴し、法的な枠組みとしての、財政措置を含む補償措置を前提に実施していきたい」などと語った。
これに対し大沢知事は、「1都5県と協議をした上で今後の方針を決めていくべきだ」と中止の白紙撤回を要求。関係自治体との協議機関を設置するよう求めた。
地元住民との意見交換会では、水没予定の5地区の住民代表5人が、「まず『ダム中止』の御旗(みはた)を降ろして私たちのテーブルまで降りてきてください」などとする文書を読み上げ、退席した。(木村和規、歌野清一郎)
◇
〈八ツ場ダム〉 群馬県長野原町を流れる利根川の支流の吾妻川で1952年、洪水対策として計画が浮上。高度成長期に首都圏の水資源確保も目的に加わった。総事業費4600億円はダムとして国内最大。本体工事は未着工で、3200億円が鉄道や国道の移転費などに使われた。移転対象は470戸で、すでに357戸が移転済み。」
「週刊朝日」の投稿欄は、一般の方ばかりですが、作家の方なども飼っている動物について何らかの文章を綴っていることはご存知だとは思います。作家の道尾秀介さんも、ご自分が飼っていたネコについて愛情溢れるコラムを書いていましたので、紹介したいと思います。
(9月27日追記:9月20日から9月26日までのまとめを追加しました。)
1.日経新聞平成21年9月25日付夕刊7面「プロムナード」
「葬式の理由――道尾秀介
もうすぐ飼い猫のヒメが死んで2年になる。彼女と出会ったのは、ちょうどいまから10年前の夏だった。
当時、住宅設備の販売会社で営業マンをやっていた僕は、溢(あふ)れるエネルギーのほとんどを仕事をサボることに注いでいた。段ボール箱の中で小鳥みたいにピーピー鳴いていた彼女を発見したのも、木陰に営業車を停(と)めてアイスか何かを食べていたときのことだ。その日は午後から雨の予報だったので、こりゃまずいなということで僕は彼女を一人暮らしのアパートへ連れ帰った。真っ白くて、なんだかティッシュペーパーを丸めたみたいで、でもどこか気品のある奴(やつ)だった。
コンビニで買ったキャットフードをやってみたが、空腹のはずなのに、彼女はツンとすまして一向に食べようとしない。首をひねりながらも、そのまま放っておいた。あとでそっと覗(のぞ)いてみたら、こっそり食べていた。――気取りやがって。名前はヒメに決まった。
いっしょに暮らしはじめると、ヒメはしだいに心をひらきはじめた。2週間ほど経(た)つと、いつも僕の後ろをついて回るようになった。食卓、ソファー、デスク、トイレ。風呂に浸(つ)かっているときは浴槽の縁に饅頭(まんじゅう)のように座り込み、恍惚(こうこつ)と目を閉じてミストサウナを楽しんでいた。夜は僕の布団に入って眠った。しばしば首まで這(は)い上がってきては僕を窒息寸前まで追い込み、危ういところで目を醒(さ)まして押しのけると、こんどは肛門(こうもん)を鼻先に押しつけて、ふたたび僕を窒息寸前にまで追い込んだ。テレビで総合格闘技の絞め技を見て、あれはもしかしたら臭(にお)いで落とそうとしているのかもしれないと考えるようになったのは、その頃(ころ)のことだ。
僕が作家になってからも、身体は大人なのに、中身は赤ん坊のままだった。パソコンに向かって原稿を書いていると、彼女はしきりに邪魔をした。にゃ、と短く鳴いてみたり、僕の手を噛(か)んでみたり、それでも無視していると、デスクに飛び乗ってキーボードの上を歩行した。原稿が無茶苦茶になってしまうので、そこでいつも僕はとうとう音を上げるのだった。
2年前の夏、彼女は急に僕のあとをついて回らなくなった。床に腹ばいになり、何もないところをぼんやりと、いつまでも見つめていた。様子がおかしいので獣医に連れていったのだが、さんざん身体をいじくり回されたあげく、とくに悪いところはなさそうだと言われた。納得のいかないまま家に連れ帰ってきた翌朝、彼女は冷たくなっていた。
僕は泣いて泣いて、ずっと泣いて、食事も、仕事も、何もすることができなくなった。立っていることすら難しかった。涙が止まってからも、きっと自律神経がやられていたのだろう、ひどい頭痛と腹痛がつづいた。ところが数日後、動物霊園でヒメを火葬し、お骨を家に持ち帰ってきたとき、不思議なことが起きた。体調がふっと回復したのだ。
お葬式というものは、やっぱり必要らしい。僕は少し寂しい気持ちでそれを実感した。
去年、庭にヒメシャラの木を植えた。根元にはヒメのお骨が埋めてある。夏になると真っ白な花をつけるはずなのだが……今年は咲いてくれなかった。ヒメのことだから、あとでこっそり咲いていたりするかもしれない。 (作家)」




